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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「京を詠った私の一首」─宇治・・・・・・・・・・・・・・木村 草弥
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↑ 宇治橋「断碑」古代の碑文
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↑いまは「覆い屋」で保護される。境内から発見された古い碑の断片(上部)と江戸時代に復元・継足した部分(下部)が明白に判別できる。

──エッセイ──

   「京を詠った私の一首」─宇治・・・・・・・・・・・・・木村草弥
       ・・・・・・・(角川書店「短歌」2001年3月号・大特集<旅に出てみませんか・歌めぐり京の旅>⑤ 所載)・・・・・・・・


      ■一位の実色づく垣の橋寺の断碑に秋の風ふきすぎぬ・・・・・・・・・・・木村 草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』に「茶祭」の題で収録した十五首の歌の一つである。
 毎年十月に宇治茶業青年団の奉仕で催される「茶祭」は年中行事として定着した。
「橋寺」というのは宇治川の川東にある寺で、川底から引き揚げられたことで有名な「断碑」を安置してある。
 昨年11月に私が訪れたら台座を修理中で他へ預けられていたが、今は元通り置かれている。

ここには平成3年に上田三四二の初めての歌碑が建立された。それは

<橋寺にいしぶみ見れば宇治川や大きいにしへは河越えかねき>

という歌で、原文には濁点はふらず、歌は四行書きで、結句の文字は万葉仮名で「賀祢吉」と書かれている。
この歌碑の写真は、このホームページで見られる。

京都と奈良の中間にある「宇治」は、この歌に詠まれているように古来、「宇治川の合戦」をはじめ歴史的に枢要な土地であった上に平等院などの史跡にも富む。
源氏物語の「宇治十帖」に因んで十年前に創設された「紫式部文学賞」と、川東に建つ「源氏物語ミュージアム」が成功して、
特に秋のシーズンには観光客で、ごった返すようになった。
因みに昨年の紫式部文学賞の記念フォーラムはNHKの桜井洋子さんの司会で俵万智、江国香織、川上弘美他の各氏が「愛と恋と文学と」と題して盛況であった。

(お断り)
この文章は2001年に発表したものであるから、記事中の「昨年」などの記載は、現時点のものではないから、予め読み替えていただきたい。

白丁が「三の間」に身を乗りいだし秋の水汲むけふは茶祭・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   白丁が「三の間」に身を乗りいだし
        秋の水汲むけふは茶祭・・・・・・・・・・・・・木村草弥


今日10月2日、京都府宇治市で茶業の基礎を築いた3人の祖──栄西、明恵、利休に感謝し、宇治茶の発展を願う「宇治茶まつり」が開かれる。
法要式典会場の興聖寺や塔の島周辺で開かれ、野点の席や、茶の飲み比べコンクールなどが催される。

写真①は宇治橋の「三の間」から白丁に扮した人が宇治川から水を汲む様子である。
この「三の間」という欄干の出っ張りは他の橋には見られないもので宇治橋独特と言われている。
むかし太閤秀吉が手ずから、ここから水を汲んだという故事が伝えられる。

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写真②は茶祭の法要の会場の興聖寺である。
この催しは今年で60回を迎える行事で、午前9時から「名水くみ上げの儀」を行なった後、茶業者らが平等院前を通り、興聖寺まで行列する。

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写真③は宇治平等院の鳳凰堂である。10円玉でおなじみだ。
興聖寺では午前10時から「茶壺口切り」や裏千家による供茶、使い切った茶筅(せん)に感謝する茶筅塚供養が営まれる。

ここで茶業の基礎を築いた3人を紹介しておこう。
すなわち、日本に初めて茶の実を持ち込んだ栄西禅師、宇治に茶園を拓いた明恵上人、茶道の祖である千利休、の三人である。
「宇治茶まつり」は例年10月の第1日曜日に催される。
この頃は、まだ結構暑くて、そのことは私の歌の中にも描いてある。
「祝竹」というのは三の間の写真にも出ているが正式には「忌竹」というが一般的には祝い事なのにと違和感があるので「祝竹」と改めた。
ほぼ、こんな行事進行だということが私の歌を見てもらえば理解していただけよう。もっとも私がこの一連を作ったのは15年も前のことである。
私の掲出の歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せた11首の一連である。
ただし自選50首には採っていないのでWeb上ではご覧いただけない。

  茶 祭・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

白丁が三の間に身を乗りいだし秋の水汲むけふは茶祭

三の間に結ふ祝竹この年の秋の茶事とて日射しに輝(て)らふ

青竹の水壺五つささげゆく琴坂あたりうすもみぢして

水壺の渡御のお供はみな若し即ち宇治茶業青年団

汲みあげて散華の雫となすべけれ茶祖まつる碑に秋日が暑く

一位の実色づく垣の橋寺の断碑に秋の風ふきすぎぬ

口切は白磁の壺の緋房解く美青年汝(な)れは青年団長

口切の茶は蒼々と光(て)りいでて御上水もて今し点つるも

茶の香りほのかににほふ内陣に茶祖の語録の軸かかげらる

秋空へ茶筅供養の炎(ひ)はのぼり茶の花は未だ蕾固しも

たそがれて皆ゐなくなる茶の花の夕べを妻はひとりごつなり
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宇治橋の「三の間」に因んでだが、私の家の座敷に、三の間から翁が水を汲む絵と「若鮎や雨にもあらぬ峡の雲──俊宣」という俳句を書いた額が架かっている。
描いた人が誰かわからないが、絵の中の水を汲む人物は太閤さんだと仄聞するが、本当かどうかは判らない。ご愛嬌までに。

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