
玉の緒の花の珠ぼうと浮きいづる
いで湯の朝をたれにみせばや・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌のつづきに
草むらにみせばやふかく生(お)ひにけり大きい月ののぼるゆふぐれ
という歌が載っている。私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に収録したものである。
「みせばや」=玉の緒は、原産地は昨日書いた「紫式部」と同様に、日本、朝鮮半島、など東アジアとモンゴルなどに産する。

写真②は開花前の「みせばや」である。多肉植物である。ムラサキベンケイ草属の耐寒性の多年草。
学名は、学者によって分類が異なるが、今はHylotelephium sieboldii ということになっている。
日本では、小豆島の寒霞渓にしか自生しないと言われているが、栽培種としては一般家庭でも広く栽培されている。
写真③は紅葉したミセバヤである。

ところで「玉の緒」という名前はともかく、「みせばや」という名前は何に由来するのだろうか。
これは言葉の「綾」からきたものである。
「みせばや」という古い表現は「誰かに見せたいな」という意味であり、私の歌も、その隠された意味を踏まえて作ってある。
掲出した私の歌に立ち戻ってもらえれば、よく判っていただけるものと思う。
私の歌は一時、花の歌を作るのに、まとめて凝っていた頃があり、その頃の歌の一連である。
温泉の朝湯に豊かな肢体をさらす女体に成り代わって詠んでいる。
女性のナルシスムである。
俳句にも詠われており、それらのいくつかを引いておきたい。
たまのをの花を消したる湖のいろ・・・・・・・・森澄雄
みせばやのありえぬ色を日にもらふ・・・・・・・・花谷和子
みせばやの花を点在イスラム寺・・・・・・・・伊藤敬子
みせばやの花のをさなき与謝郡・・・・・・・・鈴木太郎
みせばやの洗ひ場に干す五升釜・・・・・・・・福沢登美子
みせばやが大きな月を呼び出しぬ・・・・・・・・鈴木昌平
老母のたまのをの花さかりなる・・・・・・・・西尾一
みせばやの半ばこぼれて垣の裾・・・・・・・・沢村昭代
みせばやに凝る千万の霧雫・・・・・・・・富安風生
みせばやの珠なす花を机上にす・・・・・・・・和知清
みせばやを愛でつつ貧の日々なりき・・・・・・・斎木百合子
みせばやを咲かせて村の床屋かな・・・・・・・・古川芋蔓
--------------------------------------------------------------------
いま「みせばや」の学名を見ていて思いついたのだが、学名の中の sieboldii というのは、かのシーボルトが命名したか、あるいは標本を持ち帰ったかの、いずれかではないか、ということである。語尾の ii を除いた名前はシーボルトの綴りではないのか。植物の学名に詳しい方のコメントを待ちたい。
| ホーム |