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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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水は水で、/そびえる樹を根もとから見あげるとき/手をかかげた精霊が高く嘯つてゐるのを見る。・・・・・・・・・・・大岡信
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    水樹府(すいじゅふ)・・・・・・・・・・・・大岡信

   樹は樹で、
   張りつめた水を足もとに見おろすとき
   よこたはる精霊が低く嘯(うた)つてゐるのを見る。

   水は水で、
   そびえる樹を根もとから見あげるとき
   手をかかげた精霊が高く嘯(うた)つてゐるのを見る。

   だが、心やすい挨拶をかつてかはさず
   夜が明ければ、水は水の、
   樹は樹の、別別の、唯一の朝に目覚める。

   根にすべらかな蛇を眠らせ
   ごつごつの樹皮の下には虫の卵、かすかな蛆(うじ)の糞。
   鬱勃と水を吸つて、樹はしげる。

   水は水で、樹のきららかな葉といふ葉に
   やがておのれが露となつて入つてゆく
   涯(は)てのすがたを見つめてゐる。

   だが、心やすい挨拶をかつて交さず、
   樹は樹の虚空をかぎりなく突き、
   水は水の充満にかぎりなく散り。

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この詩は、いかにも「現代詩」らしいもので、決して平易な詩ではない。暗喩を駆使して作られている。
しかも「旧なかづかい」になっている。
漢和辞典で「水樹府」を引いてみたが、
「水樹」というのが、水辺に建てられた「四阿(あずまや)」あるいは「水亭」という熟語が載っているのみであり、この言葉は大岡信の造語であると思われる。
この詩は1985年秋刊の学習研究社『大岡信・うたの歳時記』秋のうた、に載っているものである。
書き下ろしか旧作かは判らない。

じっくりと、この詩を眺めていると、水と樹との様態が、巧みに捉えられ、表現されているのを読み取れるだろう。
また、水と樹とに宿る「精霊」を縦糸にして、この詩が組み立てられているのを知るだろう。
アニミズムである。
そのようにして読み解くと、この詩も何となく親しめ、判ってくるというものである。
掲出写真には「四阿」(あずまや)を採り上げてみた。


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