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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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病める児はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑の黄なる月の出・・・・・・・・・・・・・・・・・・北原白秋
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  病める児はハモニカを吹き夜に入りぬ
   もろこし畑の黄なる月の出・・・・・・・・・・・・・・・・・・北原白秋


私の子供の頃は「ハーモニカ」全盛の時代だった。
ハーモニカ演奏の名手だった宮田東峰という人がいて伝説的な話を聞かされたりした。
今でも「ミヤタ」ブランドのハーモニカがあると思うが、この名前は、この人に因んでいる。

掲出したハーモニカは今のもので「クロマチック・ハモニカ」というらしい。画面右側に見えるボタンを操作して半音とかの切り替えをするらしい。
私は楽器には素人なので間違っていたらゴメンなさい。昔は、こんな機能のあるハモニカはなかった。

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写真②はネット上で見つけたハーモニカのカタログからのもの。
私たちの子供の頃は原始的なハーモニカだったが、その頃からさまざまな、複雑な演奏のできるハーモニカがあったようだ。
吹く穴と吸う穴が同じなのは、今も同じだろうか。
私は音楽、楽器音痴だったので何も知らない。

この白秋の歌は、白秋の子供がまだ小さかった頃のものであろうか。
病んでいる子という人事と「もろこし畑の黄なる月の出」という叙景が、うまく一首のなかで溶け合っている。
その後どこかで読んだ文によると、この歌の「子供」というのは、フィクション上の子供だ、ということらしいので、ここに付記しておく。
「ハーモニカ」という季語はないし、短歌に詠われている作品も目下は見出せないので、この辺にしておく。以下は余談である。



だいぶ以前に、NHK-BSでマカロニウエスタンの、その名も「ウエスタン」という映画を視たことがある。
チャールズ・ブロンソンの吹くもの悲しげな「ハモニカ」が響いて、アメリカの西部劇とは一味違った佳い映画だった。
エンリコ・モリコーネの曲だということである。
↑ それに関連する動画を見つけたので埋め込んでおく。
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新潮社の読書誌『波』2004年10月号に庄野潤三の「けい子ちゃんのゆかた」連載10回のなかに、ハモニカに関連する次のような文章が載っていたので、紹介する。

ハーモニカ(2月4日)
夜のハーモニカは、昨日に続いて「どこかで春が」を吹く。一日の仕事が終り、あとはフロに入って寝るだけというときに、妻は書斎の本棚の前においたハーモニカの箱をとって来て、こたつの上におく。「夜のハーモニカ」の時間である。何にしようかといって、曲をきめ、私の吹くハーモニカに合せて妻が歌う。昔の唱歌や童謡のなかから選ぶ。これが私たちの大切な日課となってからどのくらいたつだろう?十年になるかも知れない。その季節の歌を吹く。二月の「早春賦」、九月ごろの「赤蜻蛉」は、二人のいちばんのお気に入りのレパートリーである。四月の「春の小川」も好きで、よく吹く。
「どこかで春が」もいい。「どこかで春が生れてる」で始まり、「どこかで水が流れ出す」と続くところがいい。「どこかで芽の出る音がする」というのもいい。百田宗治の作。この人のことはよくしらないが、「どこかで春が」一作で尊敬すべき詩人であることが分る。好きな童謡だ。
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この連載は「私小説」の作者らしく、日記風に身辺の雑事が描かれている。別の日付に「誕生日」という2月9日付けの記事があり、孫(次男の子)の文子ちゃんから82歳のお誕生日おめでとうございます、という手紙が来る、というのを見ると作者の年齢が判る。2004年に82歳だから2009年は87歳ということになるが、その庄野潤三さんは同年9/21に亡くなられた。
毎日新聞ネット版の記事を引いておく。

訃報:作家、庄野潤三さん死去 88歳

作家の庄野潤三さん=2004年4月 「静物」や「夕べの雲」など日常生活を静かな筆致で描き、「第三の新人」を代表する一人として活躍した作家、庄野潤三(しょうの・じゅんぞう)さんが21日、老衰のため死去した。88歳。葬儀は28日午後1時、川崎市多摩区南生田8の1の1の信行寺春秋苑。自宅は多摩区三田5の9088。喪主は妻千寿子(ちずこ)さん。

 大阪市生まれ。九州帝大東洋史学科卒業後、海軍予備学生として出征。復員後、島尾敏雄らと同人誌を創刊した。中高教師、朝日放送勤務などのかたわら「舞踏」「恋文」などを発表。1955年、平凡な暮らしにひそむ危機をとらえた「プールサイド小景」で芥川賞受賞。詩情豊かに生活の細部を描いて、安岡章太郎氏や吉行淳之介、遠藤周作らとともに「第三の新人」と呼ばれた。

 夫婦の亀裂を描いた「静物」(60年、新潮社文学賞)は戦後文学の名作に数えられる。その後も「夕べの雲」(65年、読売文学賞)、「絵合せ」(71年、野間文芸賞)、「明夫と良二」(72年、毎日出版文化賞)など人生の機微を追求する家庭小説を書いた。一方で「浮き燈台(とうだい)」「流れ藻」など見聞に基づいてストーリーを構成した作品も好評に迎えられた。

 「ガンビア滞在記」(59年)、ロンドン紀行「陽気なクラウン・オフィス・ロウ」(84年)、脳内出血後の記録「世をへだてて」など、随想にも秀作が多い。90年代後半からは自身の日常生活を題材に「貝がらと海の音」「庭のつるばら」などを主要文芸誌に書き継ぎ、健在ぶりを示した。それは06年3月刊行の「星に願いを」に至っている。「庄野潤三全集」(全10巻・講談社)がある。

 父貞一さんは帝塚山学院を創設した教育者。児童文学作家の庄野英二さんは実兄。78年に日本芸術院会員になった。

 ▽作家、阿川弘之さんの話 従来の私小説とは微妙に異なる、清純な家庭小説を多く書いた。子や孫を大事にする作風が心に残っている。やるべき仕事をやり終えた一生だったと思う。

 ▽女優、大浦みずきさんの話 亡父(作家、阪田寛夫)とのご縁から公演を熱心にご覧くださり、もう一人の父親が見守ってくれているようで、心強く思っておりました。いつも優しく厳しい目で見てくださり、幸せでした。本名(なつめ)も芸名も付けていただき、名前に恥じないよう、一生懸命生きていこうと思います。心よりご冥福をお祈りします。

毎日新聞 2009年9月22日 15時29分(最終更新 9月23日 0時48分)

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