K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(1月)月次掲示板
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昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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     謹 賀 新 年・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

2012年となりました。
昨年三月十一日に東日本大震災・大津波が襲来し、かつ東電福島原発が爆発を起こし、日本列島は震撼したが、以後も政治的にも不安定で、何とも落ち着かない昨今ですが、
何とか凌いで行かなければなりません。
私としては以前からの「反原発主義者」として東電の原発事故処理には厳しく糾弾してゆきたい。
国民の中には変革を求める気分が満ちており、既成政党に飽き足らない民衆の投票行動として「大阪維新の会」が大阪府知事、大阪市長選挙で圧勝するなど新しい動きも出てきた。
今後どうなってゆくのか注視したい。
十年一日のような私の記事ですが、よろしくお付き合いください。

 あらたまる年の初めの夜の明けに一の字墨にふとぶとと書く・・・・・・・・・・・・・・・・・・玉井清弘
 新年のうたをよめとぞ それまでの伸びちぢみしていのち大切・・・・・・・・・・・・・・・岡部桂一郎
 昨年のいつ落ちしにや新年の影もちてまろぶ松笠二つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二
 うつくしきものは匂ひをともなひて晴着のをとめ街上を過ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・上田三四二
 村の名の一つ消えたる罹災地にうぶ声乗せて外は雪降る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・辺見じゅん
 花散れば花を忘るる人間の悲なるやヒロシマののちのフクシマ・・・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 いかなときも救ひあるべし廃墟背にヴアイオリン胸に抱ふる少女・・・・・・・・・・・・・・・・・岩田正
 おほひくるひむがしの空くれなゐに睦月つきたち初春の神の手・・・・・・・・・・・・・・・・・・成瀬有
 昔むがす、とんでもねえごどあつたづも 昔話となるときよ早よ来よ・・・・・・・・・・・・・佐藤通雅
 流されて箪笥は遺り箪笥には父の恋文遺れるを言ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大口玲子
 人間の命が海にかえるとき風が生まれる光(かげ)をともない・・・・・・・・・・・・・・・・・・沖ななも
 癒えたるを吉兆としてにひどしのわが身よ魂よ言霊満ちよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・志野暁子
 安否を確認せよ安否を(誰の安否を)いま繋がらぬ繋がらぬいま・・・・・・・・・・・・・・・加藤治郎
 フクシマと言えば眉根をひそめられ黄の水仙の風に揺るるを・・・・・・・・・・・・・・・・・・駒田晶子
 初富士の朱の頂熔けんとす・・・・・・・・・・・・・山口青邨
 恵方へとひかりを帯びて鳥礫・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
 えんぶりの笛恍惚と農夫が吹く・・・・・・・・・・・草間時彦
 八つ口をほころばせたり老の春・・・・・・・・・阿波野青畝
 正月や胼の手洗ふねもごろに・・・・・・・・・・・・杉田久女
 冬ざくら山のうしろのとんびの巣・・・・・・・・・宮本佳世乃
 狎れるてふことを戒め去年今年・・・・・・・・・・・千原叡子
 さまよへるユダヤ人てふ冬の花・・・・・・・・・・・・・高島茂
 くちびるに沖縄を犯した時間・・・・・・・・・・・・原田否可立
 瓔珞の悲しみ柿の辺に垂れて・・・・・・・・・・・林田紀音夫
 ビル風に冬日の匂い攫われる・・・・・・・・・・・・・田中朋子
 あざやかな平手打ちなり冬夕焼・・・・・・・・・・・渋川京子
 冬の水一枝の影も欺かず・・・・・・・・・・・・・・中村草田男
 群抜けし寒潮の魚左利き・・・・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 心眼を磨くえびせんあと2ミリ・・・・・・・・・・・・山田ゆみ葉
 水底の無数のあぶく 好きにせい・・・・・・・・・・・一戸涼子
 辻褄を合わせる鳩の絵の前で・・・・・・・・・・・・・重森恒雄
 長い長い長い無蓋車 渚にて・・・・・・・・・・・・・石田柊馬
 凍鶴のわりにぐらぐら動きよる・・・・・・・・・・・・・西村
麒麟
 「る」の音を探しに スエットの上下・・・・・・・・井上せい子
 日本の進路を塞ぐ鮫海豚・・・・・・・・・・・・・・・・関本久子
 セシウムの夜満ち横山大観図・・・・・・・・・・・・・・野口裕
 鶴のこゑ絵具をしぼりだすごとく・・・・・・・・・・・八田木枯
 鞦韆や和魂洋才ともになく・・・・・・・・・・・・・・・久野雅樹
 骨拾う
珊瑚の欠片と星屑・・・・・・・・・・・・・・・・豊里友行
 焚火してかの山脈の迫つてくる・・・・・・・・・・・・山下彩乃
 マフラーの左右の長さ揃はない・・・・・・・・・・小野あらた
 文明や冬銀河とは背負ふもの・・・・・・・・・・・・・山田露結
 最近の虎のうんこはセシウム臭い・・・・・・・・・・渡辺隆夫
 瓦礫という花かんざしができあがる・・・・・・・・横沢あや子
 砲丸の落ちてどすりと冬深む・・・・・・・・・・・・斎藤朝比古
 頭部管奥の我が眼を二日かな・・・・・・・・・・・三島ゆかり
 あなたとはもうあえません冬の虹・・・・・・・・・・・・七風姿


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ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
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この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

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著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』(以上3冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

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これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
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鰤を起し雪を起してつづけざま・・・・・・・・・・・・・三村純也
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  鰤を起し雪を起してつづけざま・・・・・・・・・・・・・三村純也

「鰤起し」とは12月、1月に鳴る雷で、ちょうど鰤の獲れる時期にあたり、漁師は呼んで「鰤起し」というのである。
寒冷前線の通過によって雷が発生し、一天にわかに掻き曇り荒天になる。こういう時に鰤が、よく獲れるというのである。
三村純也の句は、そういう海の状況を巧くとらえている。
「鰤起し」というのは、この雷が鰤を起して豊漁をもたらしてくれるという意味で、「雪起し」という言葉から転じたものであるという。
この句は、そういう意味で、両方の意味をも巧く捉えて表現している。

鰤というのは「出世魚」で、鰤という名前になるまでにいくつもの呼び方がある。
関西ではツバス(体長20センチ前後)、ハマチ(40センチ前後)、メジロ(60センチ前後)、ブリ(80センチ以上)と出世してゆくのである。
関東では、同じ大きさの魚をワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ、となるという。
鰤は回遊魚であり、上に書いたように大きくなってゆきながら冬季を迎えて、海岸線に接近してくるのを大敷網で捕らえるのである。
この時期の鰤は脂が乗って極めて美味である。
鰤の大敷網のいい写真が見つからないので断念する。
脂の乗った鰤は醤油の照り焼きにしてもおいしいし、鰤と大根の煮付けなども冬の味覚である。

昔、私が少年の頃、敗戦後しばらくは「茶」も統制品で自由に売買できなかったので、お茶の取れない地方では茶に不自由した。
ある冬に富山県から大きな鰤をかついで「物々交換」で、はるばるやって来た人がいる。
こちらで鰤に見合う茶を買って帰って商売しようというのである。
私たちの方では、鰤なんぞは貴重品であるから何の異存もなく何がしかの茶と交換したようであり、その後のわが家のご馳走ぶりは、ご想像に任せよう。
鰤というと私は、先ずそういうエピソードを思いだす。

以下、鰤、鰤網ないしは鰤起しなどの句を引いて終りにしたい。

buri鰤本命

 佐渡の上に日矢旺んなり鰤起し・・・・・・・・岸田稚魚

 一湾の気色立ちをり鰤起し・・・・・・・・宮下翠舟

 隠岐の雲ただならぬあり鰤起し・・・・・・・・昆野草丘

 父祖の地の住み難しかな鰤起し・・・・・・・・今牧茘枝

 加賀太鼓乱れ打つなり鰤起し・・・・・・・・溝口青於

 鰤起しずしりと重き露伴集・・・・・・・・中西舗土

 千枚田暮れてとどろく鰤起し・・・・・・・・和田祥子

 鰤網を越す大浪の見えにけり・・・・・・・・前田普羅

 鰤起し杉山桧山色褪せぬ・・・・・・・・阿波野青畝

 鰤網や伊豆山権現波駆りて・・・・・・・・水原秋桜子

 鰤網に月夜の汐のながる見ゆ・・・・・・・・原柯城

 鰤網に縋る蟹あり夜明けつつ・・・・・・・・吉沢卯一

 鰤網を敷く海くらし石蕗の花・・・・・・・・水原秋桜子

 鰤敷や隣鰤場も指呼の中・・・・・・・・鈴鹿野風呂

 血潮濃き水にしなほも鰤洗ふ・・・・・・・・山口誓子

 鰤が人より美しかりき暮の町・・・・・・・・加藤楸邨

 二三言言ひて寒鰤置いてゆく・・・・・・・・能村登四郎

 大き手もて鰤つかみ佇つ老いし漁婦・・・・・・・・柴田白葉女

 鰤と蜜柑夕日どやどや店に入る・・・・・・・・小原俊一

 虹の脚怒涛にささり鰤湧く湾・・・・・・・・楠美葩緒

 鰤来るや大雪止まぬ越の岬・・・・・・・・・羽田岳水

 一閃のあと一喝の鰤起し・・・・・・・・山崎羅春

 能登の灯の今宵は見えず鰤起し・・・・・・・・堀流水子

 鰤起こし能登は夜すがら戸の鳴れる・・・・・・・・谷口順子

 鰤起し波の大きくめくれけり・・・・・・・・能勢ゆり


京言葉もて寄鍋の世話をする・・・・・・・・・・・・・・・・奥田可児
P1010510寄せ鍋

──季節の一句鑑賞──季節の鍋2態──

  ■京言葉もて寄鍋の世話をする・・・・・・・・・・・・・・・・奥田可児

冬の団欒の食べ物としては「鍋」ものがいい。
今日は「寄せ鍋」と「鍋焼きうどん」を採り上げる。
「寄せ鍋」に入れるものは何でもよいのである。
魚、貝、鶏肉、野菜などを味付けした汁で煮て食べてもよいし、「水炊き」にしたものを「ポン酢」とおろし大根で食べても、おいしい。
地域によっては「たのしみ鍋」とも呼ばれたらしい。季節のいろいろな材料をとりまぜて煮て食べる鍋料理である。
海鮮の材料が多いものは「沖なべ」「沖すき」などと称する。

image01寄せ鍋

 又例の寄せ鍋にてもいたすべし・・・・・・・・高浜虚子

 寄鍋やたそがれ頃の雪もよひ・・・・・・・・杉田久女

 寄鍋や剥き蛤のふくむつゆ・・・・・・・・関谷嘶風

 寄鍋の湯気やはらかし家長たり・・・・・・・・戸川稲村

 寄鍋や酒は二級をよしとする・・・・・・・・吉井夏生

 よせ鍋や松葉模様のちりれんげ・・・・・・・・塩川星嵐

 沸々と寄鍋のもの動き合ふ・・・・・・・・浅井意外

 寄せ鍋や酔へば口つく国訛・・・・・・・・森野敏子
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085-l鍋焼きうどん

  ■鍋焼や芝居で泣いて来たばかり・・・・・・・・・・・・・・三宅絹子

「鍋焼き」は本来、土鍋に鶏肉や魚を入れ、野菜を加えて醤油で味付けして煮て食べるもの。
「土手焼き」というのは土鍋に味噌を塗り、魚、せりなどを入れて煮ると味噌が焦げて香りとなり、また汁と解けて、よい味になる。
この頃では「鍋焼きうどん」の方を専ら指すようになった。
饂飩(うどん)に、かまぼこ、ねぎ、ほうれん草、鶏肉などを加えて、汁をたくさんにして土鍋で煮る。真ん中に生卵をひとつ落したりする。

udon豆乳鍋焼き

写真④は「豆乳鍋焼きうどん」である。
水の代りに「豆乳」を使うところがミソで、豆乳特有の甘みがあり、大豆なので極めて健康的である。

 鍋焼の火をとろくして語るかな・・・・・・・・尾崎紅葉

 鍋焼ときめて暖簾をくぐり入る・・・・・・・・西山泊雲

 酒よりも鍋焼を欲り老い兆す・・・・・・・・滝春一

 なべ焼食べて子は子の家に戻るべし・・・・・・・・安住敦

 鍋焼を吹いて食べさす子守婆・・・・・・・・滝沢伊代次

 ねもごろに鍋焼饂飩あましけり・・・・・・・・村上麓人

 鍋焼の屋台に細き煙出し・・・・・・・・・富永ひさし


急流のごとき世なれどおでん酒・・・・・・・・・・・・・・・・・百合山羽公
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  急流のごとき世なれどおでん酒・・・・・・・・・・・・百合山羽公

「おでん」は外でも家でも、冬の代表的な、あたたかい料理である。
『語源由来辞典』によると、「おでん」は「田楽(でんがく)」の「でん」に、接頭語の「お」をつけた女房詞、だという。
つまり、もともとは「煮込み田楽」の略称だった。東京が本場で味付けも濃いが、関西では「関東煮」(かんとだき)と言われていたが、今では、どこでも「おでん」で通る。
もともとは焼き豆腐に味噌をつけたものだったというが、こんにゃくが使われ、菜飯田楽になり、やがて煮込みのこんにゃくとなって、今日の煮込みおでんに変わったという。
焼き豆腐、こんにゃく、がんもどき、はんぺん、竹輪、すじ、だいこん、鶏卵などを煮込んだもので、芥子をつけて食べる。

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屋台やおでん屋では、おでんに燗酒、茶めしなどを組み合わせて食べられる。今では晩秋の頃から「コンビニ」のカウンターでも、おでんがクツグツ煮えている。
私の家の近所に大きな蒟蒻製造会社があるが、そこは先年から、コンビニのセブンイレブンに、おでん材料を売り込んでいるらしい。
とにかく、いろいろの種や具があり、冬の季節には、温まる、庶民的なたべものである。

掲出の句は「急流のごとき世」という出だしが、今の世相にぴったり合うのでいただいた。

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以下、おでんを詠んだ句を引いて終わる。

 戸の隙におでんの湯気の曲り消え・・・・・・・・高浜虚子

 人情のほろびしおでん煮えにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 亭主健在おでんの酒のよいお燗・・・・・・・・富安風生

 おでん食ふよ轟くガード頭の上・・・・・・・・篠原鳳作

 おでん屋の月夜鴉の客ひとり・・・・・・・・龍岡晋

 すべて黙殺芥子効かせておでん食ふ・・・・・・・・佐野まもる

 おでん酒うしろ大雪となりゐたり・・・・・・・・村山古郷

 煮えたぎるおでん誤診にあらざるや・・・・・・・・森総彦

 大根細く侘しきことやおでん鍋・・・・・・・・中江百合

 おでんやは夜霧のなかにあるならひ・・・・・・・・久永雁水荘

 おでん屋に同じ淋しさおなじ唄・・・・・・・・岡本眸

 おでん鍋の湯気を小さく皿に頒つ・・・・・・・・手塚七木

 おでん屋の背の灯のいまだ更け足らず・・・・・・・・・久米正雄

 おでん屋に溜る払も師走かな・・・・・・・・日野草城

 おでん酒酌むや肝胆相照らし・・・・・・・・山口誓子

 雨だれにおでんのゆげのすぐもつれ・・・・・・・・阿波野青畝

 例へばやおでんの芋に舌焼く愚・・・・・・・・安住敦


相寄りしいのちかなしも冬ごもり・・・・・・・・・・・・・安住敦
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  相寄りしいのちかなしも冬ごもり・・・・・・・・・・・・・安住敦

「冬籠」ふゆごもり、とは冬の寒さを避けて、あたたかくした一間にこもって暮らすことをいうが、現代生活においては、そういうことは不可能である。
暑くても寒くても出かけて行って仕事などをしなくてはならないからである。
北国では外に出ずに家にこもる。こたつ、いろり、ストーブの周りで寒さを避けている。樹木は支えをつけ、花の木も雪囲いをし、家の周りには雪を防ぐ特別の囲いをする。

古代では、冬のうちは、人は静止的な物忌みの禁欲生活に入り、仮死のような状態にあり、復活によって蘇生し、物忌み状態を脱却するのが「はる」であると考えられていた。
自然物も冬には同様の状態になる。
それが「冬ごもり」であった。
俳諧では専ら「人」について言うようになった。

松尾芭蕉の

 冬籠りまたよりそはん此の柱

 折々に伊吹を見ては冬籠り

 金屏の松の古さよ冬籠り

与謝蕪村の

 桃源の路地の細さよ冬籠り

黒柳召波の

 住みつかぬ歌舞伎役者や冬籠り

などの句が「冬籠り」の典型的なものであるとされている。
今日では、多分に「比喩」的な意味で「冬ごもり」という表現を捉えた方がよいだろう。
中国からもたらされた表現だが、「一陽来復」という言葉があるように、それまでの季節は、せいぜい忍耐の、雌伏の季節だろうということである。
その方が、「春」になったときの開放感、喜びも大きい、というものである。

以下、「冬籠り」を詠んだ句を引いて終わる。
掲出句の「かなし」は、漢字で書けば「愛し」「いとし」の意味に、私は採りたい。
 
 書きなれて書きよき筆や冬籠・・・・・・・・正岡子規

 冬籠人を送るも一事たり・・・・・・・・高浜虚子

 冬籠座右に千枚どほしかな・・・・・・・・高浜虚子

 人間の海鼠となりて冬籠る・・・・・・・・寺田寅彦

 いまは亡き人とふたりや冬籠・・・・・・・・久保田万太郎

 死んでゆくものうらやまし冬ごもり・・・・・・・・久保田万太郎

 鏡とりて我に逢はばや冬籠・・・・・・・・原月舟

 読みちらし書きちらしつつ冬籠・・・・・・・・山口青邨

 香の名をみゆきとぞいふ冬籠・・・・・・・・竹下しづの女

 夢に舞ふ能美しや冬籠・・・・・・・・松本たかし

 木の洞にをる如くをり冬籠・・・・・・・・上野泰

 冬籠伴侶の如く文机・・・・・・・・上野泰

 戦へる闇と光や冬籠・・・・・・・・・野見山朱鳥

 もう急がぬ齢の中の冬籠・・・・・・・・村越化石

 冬ごもり鶏は卵を生みつづけ・・・・・・・・鈴木真砂女

 誰彼の生死気になる冬ごもり・・・・・・・・古賀まり子

 冬籠文来ぬは文書かぬゆゑ・・・・・・・・高木時子


冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥
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  冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

「冬日」とは、冬の太陽のこと、とも、冬の一日のこと、を指すこともある。
冬至が過ぎたので、昼の長さもどんどん長くなり、日差しも斜めから差していたものが、だんだん中天に向かって高くなってくる。
とは言え、まだまだ弱々しい太陽光線である。冬日というものを映像的に示すのは難しい。だから、掲出の野見山朱鳥(あすか)の句を挙げることにした。

rouault_20ルオー キリスト

写真はジョルジュ・ルオーの連作<ミゼレーレ>の描く「キリスト」像である。
野見山朱鳥という人については私は多くを知らないが、先にも引用したが

 北風へイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・野見山朱鳥

の句にもある通り、或る拘りがあるのは確かだろう。クリスチャンかも知れない。
「冬日よりあをし」という把握の仕方が独特である。ルオーの<ミゼレーレ>の連作のキリストは、確かに「青いキリスト」を描いているのである。

ここでジョルジュ・ルオー Georges Rouault について少し書いておきたい。
ルオーは1871年パリ北東部のラ・ヴィレット街で生れる。はじめステンドグラス職人の徒弟になる。1890年エコール・デ・ボザールに入学、エリ・ドローネの教室に入る。92年ドローネの後任としてギュスターヴ・モローが教授に就任、ルオーはモローに師事。98年モローが亡くなり悲嘆にくれるが、5年後の1903年モロー邸がモロー美術館になり、ルオーは初代館長となる。同年サロン・ドートンヌの創設に参加。
1924年レジオン・ドヌール勲章を受章。1958年2月13日、パリの自宅で死去。87歳だった。国葬がサン・ジェルマン・デ・プレ教会で営まれた。
フランスは熱心なカトリックの国であり、ルオーが生涯をかけてキリストを描いたという縁で絶大な国民的支持を得ていたからである。
キリストの生涯を Miserere ミゼレーレという把握の仕方で描く、という独特の視点を持った画家であり、世俗的にもレジオン・ドヌール勲章受賞や国葬という最高の待遇を受けたのであった。

ルオーの紹介が長くなったが、話を「冬日」に戻したい。

 冬の日や馬上に氷る影法師・・・・・・・・松尾芭蕉

という句が、総じて、日照時間の短い、弱々しく、うすぐらい太陽のことを描いた典型として知られている。
以下、冬日ないしは冬日和、冬晴、冬麗(うらら)などを詠んだ句を引いて終わる。

 冬の日の刈田のはてに暮れんとす・・・・・・・・正岡子規

 山門をつき抜けてゐる冬日かな・・・・・・・・・高浜年尾

 冬の日や前に塞がる己が影・・・・・・・・村上鬼城

 翔けるものなく天城嶺の冬日かな・・・・・・・・五所平之助

 冬の日を鴉が行つて落して了ふ・・・・・・・・橋本多佳子

 死や生や冬日のベルト止むときなし・・・・・・・・加藤楸邨

 冬落暉檻のけものら声挙げて・・・・・・・・三谷昭

 遺書父になし母になし冬日向・・・・・・・・飯田龍太

 山国や夢のやうなる冬日和・・・・・・・・阿波野青畝

 父の死顔そこに冬日の白レグホン・・・・・・・・森澄雄

 寒入日影のごとくに物はこばれ・・・・・・・・桂信子

 冬晴れの晴着の乳を飲んでをる・・・・・・・・中村草田男

 冬日和心にも翳なかりけり・・・・・・・・星野立子

 冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ・・・・・・・・大野林火

 冬麗口紅のこる微笑仏・・・・・・・・古館曹人

 冬麗の微塵となりて去らんとす・・・・・・・・相馬遷子


みぞるるとたちまち暗し恐山・・・・・・・・・・・・・・・・・五所平之助
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──季節の一句鑑賞──冬の風雨3態──

  ■みぞるるとたちまち暗し恐山・・・・・・・・・・・・・・・・・五所平之助

「霙」ミゾレとは、雨と雪が同時にまざり降るのをいう。冬のはじめや春のはじめに降ることが多い。
ちょっとした気温の変化で、雨になったり、雪になったりするし、同じ町の山手は雪なのに、下町ではミゾレのこともある。
掲出の句は映画監督の五所平之助の作品で、私も初めて目にするものである。
私も一度だけ、ここ陸奥(みちのく)の下北半島の「恐山」(おそれざん)には行ったことがある。
ここの祭事のときでもない限り、ただの茫漠とした荒地という感じである。ただ硫黄の匂いが鼻をつき、噴火口なのだと実感する。
霊よせの「いたこ」などが集う時期だけが、おどろおどろしい雰囲気になるのだと思う。
写真①はその風景のひとつ。

「霙」という名詞に対して、この句では「みぞるる」という「動詞」になっている。

 おもひ見るや我屍にふるみぞれ・・・・・・・・原石鼎

 霙るるや灯(ともし)華やかなればなほ・・・・・・・・臼田亜浪

 霙るると告ぐる下足を貰ひ出づ・・・・・・・・中村汀女

 みぞれ雪涙にかぎりありにけり・・・・・・・・橋本多佳子

 霙るるや小蟹の味のこまかさに・・・・・・・・松本たかし

 夕霙みんな焦土をかへるなり・・・・・・・・下山槐太

 みちのくの上田下田のみぞれけり・・・・・・・・角川源義

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  ■樹には樹の哀しみのありもがり笛・・・・・・・・・・・・木下夕爾

冬、風が吹いて、垣根の竹や竿竹などに当たるとき発するひゅーひゅーという音のことを「虎落笛」(もがりぶえ)という。
「もがる」というのは「反抗する」「さからう」「我を張る」「だだをこねる」などの意味を表す言葉で、竿や棒にあたる風が笛のように立てる音である。

 虎落笛子供遊べる声消えて・・・・・・・・高浜虚子

 日輪の月より白し虎落笛・・・・・・・・川端茅舎

 胸郭の裡を想へば虎落笛・・・・・・・・日野草城

 みちのべの豌豆の手も虎落笛・・・・・・・・阿波野青畝

 虎落笛吉祥天女離れざる・・・・・・・・橋本多佳子

 余生のみ永かりし人よ虎落笛・・・・・・・・中村草田男

 虎落笛叫びて海に出で去れり・・・・・・・・山口誓子

 虎落笛ひとふしはわが肺鳴れり・・・・・・・・大野林火

 虎落笛こぼるるばかり星乾き・・・・・・・・鷹羽狩行

 灯火の揺れとどまらず虎落笛・・・・・・・・松本たかし

 来ずなりしは去りゆく友か虎落笛・・・・・・・・大野林火

 牛が仔を生みしゆふべの虎落笛・・・・・・・・百合山羽公

 今日と明日の折り目にふかきもがり笛・・・・・・・・永作火童

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  ■北風やイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

冬の季節風は北風で、強く、かつ寒い。シベリア高気圧が発達して、アリューシャン大低気圧に向かって吹く風だと今までは言われてきたが、今では地球規模の気圧変動が北半球では「偏西風」に乗ってやって来るのだという。
昨年の冬のはじめにヨーロッパに寒波をもたらしたものが、どれだけかの日時を経て、日本に到達したのが、昨年暮からの寒波だという。
おまけに、この偏西風が大きく南に蛇行して寒気を南まで吹き降ろしたものだという。
とは言え、日本海側は吹雪、太平洋側は空っ風というのは変わりないことである。
今年は、つい最近、寒気が南に流れ込んで首都圏に雪が降って、凍てて交通事故が多発して大混乱になった。
「北風」と書いて、単に「きた」と読むこともある。
この句で詠まれている「イエスの言葉」というのは、どんな言葉だろうか、読者の方、お教え願いたい。

 北風(きた)寒しだまつて歩くばかりなり・・・・・・・・高浜虚子

 北風にあらがふことを敢へてせじ・・・・・・・・富安風生

 くらがりやくらがり越ゆる北つむじ・・・・・・・・加藤楸邨

 北風(きた)の丘坂なりにわが庭となる・・・・・・・・加藤楸邨

 北風や青空ながら暮れはてて・・・・・・・・芝不器男

 耳傾く北風より遠き物音に・・・・・・・・大野林火

 北風荒るる夜のそら耳に子泣くこゑ・・・・・・・・森川暁水

 北風鳴れり虚しき闇につきあたり・・・・・・・・油布五線

 北風の砂丘を指す馬ならば嘶かむ・・・・・・・・金子無患子


赤坂治績『江戸歌舞伎役者の<食乱>日記 』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート─

     赤坂治績『江戸歌舞伎役者の<食乱>日記 』・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・・・新潮新書2011/12/16刊・・・・・・・・・・・

        幕末の名優三代中村仲蔵、旅した、食べた、記録した。
       【信州伊那谷:鮎の唐揚げ/駿府鞠子:とろろ汁/伊勢桑名:白魚/越後岩室:鯖の刺身】

    七代團十郎の鶴雑煮、瀬戸内の海水むすび、松茸出汁の蕎麦、伊勢の舟盛、糸魚川の鯛の潮煮、
    由比の鱚の蒲焼、五代高麗蔵の牡蠣雑炊……。
    幕末の名優・三代中村仲蔵の自伝『手前味噌』には、諸国の珍品、名物の記録が数多く遺されている。
    食べ物だけでなく、東海道から中山道、越後、伊勢、尾道など、旅興行で巡った土地の人情、
    風俗も活き活きと描写され、江戸時代がいかに豊かだったか実感できる美味しい一冊。

新潮社の読書誌「波」2012/01号に載る著者自身の「補足」の記事を引いておく。
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     江戸人の主食は?      赤坂治績

『江戸歌舞伎役者の〈食乱〉日記』を上梓した。
幕末~明治の名優・三代中村仲蔵の自伝『手前味噌』を手掛かりに江戸時代の食の実情を探ったが、雑穀について書くスペースがなかったので、ここではそれを補いたい。
 自伝では、雑穀について二か所で記している。
 第一回目は天保十三(1842)年。富山へ行った帰り、飛騨の百姓家で休憩し、稗を食べた。江戸弁を話す四十近い女がいて、「この辺りではみな麦飯を食べています。私たちは麦を食べられないので、稗を食べています。菜(おかず)の蕪のどぶ漬けは不味そうに見えますが、味噌が良いので食べられます」と話した。
 第二回は弘化四(1847)年。信州・伊那谷からの帰り、甲府盆地から大菩薩峠へかかる手前にあった茶屋で、麦飯と葱の汁を食した。
 日本人の主食は昔から米だった、と勘違いしている現代人は多い。確かに、三都(江戸・京・大坂)では貧乏人も白米を食べたものの、全国的には米に麦や稗・粟・黍などの雑穀を混ぜていた。「かて飯」「まぜ飯」「五目飯」が主食だったのである。
 そのことを記録した史料は多いが、たとえば、『守貞謾稿』に「今、三都とも粳米を食べ、他の穀物を交えない。鄙(田舎)は米のみ食べる所もあるが、多くは麦を交えて食べる。粳だけの飯を『米の飯』『白米』という」(現代語訳)とある。
 先ほどの江戸弁を話す飛騨の女は、芝居町の隣町で番太(木戸番)をしていた者の家族とのちにわかる。彼女は「自分たちは江戸で白米を食べていたので、麦の入った飯は不味くて食べられない」と言いたかったのである。番太は各町に雇われた最下層の庶民だが、江戸ではそのような者も白米を食べていたことになる。
 ところが、田舎で米の飯を食べられた人は僅かだった。江戸時代は人口の八十数パーセントが百姓で、田舎の住人のほとんどは百姓である。その百姓が米を作ったが、年貢として巻き上げられ、米の飯は食べられなかった。
 大変皮肉な現象だが、しかし物事には両面ある。
 武家の街だった江戸では、飢饉の時も仕事があり、白米を食べられた。しかし、白米ばかりを食べていたため、脚気になる人が多かった。脚気は足が浮腫む病気で、「江戸患い」と言った。精米する時、糠と一緒にビタミンB1を除去する。副食で栄養を補えば問題ないのだが、当時の庶民は大概、一汁一菜だったので、ビタミンB1が不足したのである。
 一方、田舎の人は脚気にならなかった。麦には白米の倍のビタミン類があり、カルシウム・鉄分などは四倍ある。つまり、麦を食べていれば栄養不足にならないのだ。現代でも長寿の人は田舎に多いが、田舎では戦後まで雑穀が主食だったことと関係あるのではないか。 (あかさか・ちせき 演劇評論家・江戸文化研究家)

赤坂治績/アカサカ・チセキ

1944(昭和19)年山梨県生まれ。演劇評論家・江戸文化研究家。劇団前進座、「演劇界」編集部を経て独立。新聞・雑誌に執筆、テレビ・ラジオへの出演や、文化・教養講座の講師も務める。著書に『歌舞伎ことばの辞典』『ことばの花道』『知らざあ言って聞かせやしょう』など。

「立ち読み」も出来るので、アクセスされたし。

温石の抱き古びてぞ光りける・・・・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏
antigorite蛇紋石

──季節の一句鑑賞──冬の暖房3題──

  ■温石(をんじゃく)の抱き古びてぞ光りける・・・・・・・・飯田蛇笏

温石オンジャクとは昔なつかしいものである。
写真①は「蛇紋石」を細工して磨き上げ、いわゆる「温石」用にしたもの。
石を熱湯で暖め、布で包んで身体にあてて暖めたのである。この句の作者は山梨県の昔の人であるから、この頃には普通に見られたものであろうか。
歳時記を見ると、長野県高遠辺で採れる黒い石─その名も温石石も広く用いられたという。また石の代りに「こんにゃく」なども茹でて使われたという。
これを器具化したものが「懐炉」であり、これにも色々のものがあった。
私の母も懐炉のことを「おんじゃく」と呼んでいた。これも「温石」の本来のものの呼び名が変化して使われていたものである。

 草庵に温石の暖唯一つ・・・・・・・・高浜虚子

 温石のただ石ころとさめにけり・・・・・・・・野村喜舟

 温石や衾に母のかをりして・・・・・・・・小林康治

 温石の冷えて重しや坐薬了ふ・・・・・・・・木附沢麦青

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  ■みたくなき夢ばかりみる湯婆(たんぽ)かな・・・・・・・・久保田万太郎

「ユタンポ」は今でも使われているもので、ブリキ製、プラスチック製、ゴム製などさまざまある「保温器具」である。 掲出したのは「銅」製で高価なもの。
中に入れるのは熱湯だから、それ以上には過熱しないから、安全で、むっくりした温さのものであった。
『和漢三才図会』には「湯婆 太牟保(たむぽ)。唐音か。按ずるに湯婆は、銅をもつてこれを作る。大きさ、枕のごとくして、小さき口あり。湯を盛りて褥傍に置き、もつて腰脚を暖む。よりて婆(うば)の名を得たり。竹夫人とこれと、もつて寒暑懸隔の重器たり」と書かれている。寒さの折の身辺の必要品であったことを面白く記している。
折しも不況下の今とあって、「ユタンポ」が見直されて、よく売れているらしい。
私は二月七日生まれだが、この年は大変寒い年で、私は病弱でもあったから、「陶」製の、かまぼこ型のユタンポを体の両脇に二個抱えて寝かされていたらしい。
上部に穴があって、お湯を注ぐ式のものである。 母から、よく聞かされた。

 碧梧桐のわれをいたはる湯婆かな・・・・・・・・正岡子規

 湯婆の一温何にたとふべき・・・・・・・・高浜虚子

 寂寞と湯婆に足をそろへけり・・・・・・・・渡辺水巴

 老ぼれて子のごとく抱くたんぽかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 湯婆や忘じてとほき医師の業・・・・・・・・水原秋桜子

 湯婆抱く余生といふは侘しくて・・・・・・・・栗生純夫

 ゆたんぽに足あたたかく悲しかり・・・・・・・・三浦ふみ

I01091817122648手あぶり

  ■手あぶりや父が遺せる手のぬくみ・・・・・・・・・・・北さとり

「手焙」とは小さな個人用の火鉢で、手をあぶるのに使うが、膝に乗せるほどのものもある。陶器、金属などで作る。形も色々である。
蓋がついて穴の開いているもの、つるや紐をつけて持ち運びできるようにしたもの、籐のかごをかぶせたものなどある。
数人から十数人の宴席などでは、その人数分の「手あぶり火鉢」を各人の席の横に配置する。
昔は建物や部屋全体を暖めるということはしなかったから、「火鉢」というのが唯一の暖房器具だった。「手炉」とも言う。
今では、こういう小さな火鉢は室内装飾用に売られていて、一個数千円からある。

 ぼんのくぼ夕日にむけて火鉢かな・・・・・・・・小林一茶

 手あぷりに僧の位の紋所・・・・・・・・高浜虚子

 かの巫女の手焙の手を恋ひわたる・・・・・・・・山口誓子

 彫金の花鳥ぬくもる手炉たまふ・・・・・・・・皆吉爽雨

 かざす手の珠美しや塗火鉢・・・・・・・・杉田久女

 手あぶりや雪山くらき線となりぬ・・・・・・・・大野林火

 縁談や手焙の灰うつくしく・・・・・・・・・萩原記代

 手炉の火も消えぬお経もここらにて・・・・・・・・森白象
瀬田川の霧も立木の観世音峰吹く風に晴るる身の憂さ・・・・・・・・・・・・・・・新西国三十三ケ所第20番ご詠歌
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   瀬田川の霧も立木の観世音
     峰吹く風に晴るる身の憂さ・・・・・・・・新西国三十三ケ所霊場第20番ご詠歌


立木観音は京都府と滋賀県の府県境─厳密に言うと大津市域にある。
瀬田川洗堰(南郷洗堰)から瀬田川沿いに南に2キロほど下がると、右手に立木観音(正式名は安養寺=浄土宗)の登り口が見えてくる。

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鹿跳(ししとび)渓谷に向かって聳える立木山、その斜面の急な石段を約700段ほど登りつめると、小さいながら落ち着いた雰囲気の立木観音の境内が広がる。
700段の階段というと、四国の金毘羅さんの石段の数より多いと、同行のS君は言う。私は金毘羅さんは知らないが、彼は行ったことがあるので間違いなかろう。
ここで立木観音の由来について。
石段途中に説明文が立っており、そこに詳しく書いてある。
弘仁6年(815年)、諸国を修行中の弘法大師が、瀬田川のほとりに立ち寄ったところ、対岸の立木山に光を放つ「霊木」があるのが目にとまった。
しかし急な流れの瀬田川を渡りあぐねていると、突然白鹿が現われ、その背に弘法大師を乗せて、霊木の前まで導き、そこで観世音菩薩に変化し、虚空の中に消え去った。

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 ↑境内にある「白鹿に乗る弘法大師」の像。

この奇蹟に感じ入った弘法大師が、霊木に観世音菩薩像を刻んだのが、立木観音の始まりという。
弘法大師が観音さまを刻んだのが、ちょうど42歳の厄年ということで、古くから厄除け観音として親しまれているという。
これらの伝承は、現在も「地名」などに残っており、少し下流に架かる橋は「鹿跳橋」(ししとびばし)と呼ばれる。この橋の辺りから下流は「宇治川」と名前が変わる。
新年に厄除けの初詣に参詣する人が多く、松の内は登りも下りも混雑する。
先年は同じくS君の案内で1月3日に詣でたが、人が多くてトコロテンのように後から押されるので、息が切れても、足が痛くても、ろくに休息できないので、
今年は1月中旬の平日の一日を選んで参詣した。人が少なくて、途中で休むのも自由で、体が楽だった。
私は石段の下りに弱く、先年は膝がガクガクして、俗にいう「膝が笑う」症状で数日泣いたのである。

前年にいただいた「お札」を返納し、ご祈祷をしてもらい、新しいお札をいただいて帰る。
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 ↑ 本堂の裏側

ここから急な狭い石段を二百メートルほど行くと「奥の院」がある。

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↑ 奥の院

掲出した和歌だが、ここは新西国三十三ケ所霊場の第20番にあたり、このお寺を詠んだものである。
「霧も立木の」という言葉は「懸けことば」になっており、「霧も立ち」の意味を懸けてあるのである。
西国ご詠歌にも同様の趣向の歌が多い。
ついでに言うと、「西国三十三ケ所霊場」の寺は天台宗、真言宗が殆どである。
それらに含まれない他宗派の寺を集めて「新西国三十三ケ所霊場」が発願されたものと思われる。


大寒の力いつぱい落つる日よ・・・・・・・・・・・・・・・・下村非文
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    大寒の力いつぱい落つる日よ・・・・・・・・・・・・・・・・下村非文

今日1月21日は二十四節気の「大寒」である。
寒さの最もきびしい時である。
とは言え、そろそろ梅、沈丁花、水仙、椿などが咲きはじめる。
もちろん日本列島は南北に長いから、場所によっては遅速があるのは当然である。
この頃の寒さを形容して、『年浪草』には、「栗烈として極まれり」という。
そのような峻烈な寒さの中で、寒さに強い花から咲きはじめて、春が用意されてゆく。
日本の気候推移は「三寒四温」と言われる。「三寒」と「四温」が、交互に繰り返される。

日本人の感性というのは、寒さに対しても、さまざまの表現を見せる。
「寒」に関していうと、寒に入って4日目が「寒四郎」、9日目を「寒九」と表現する。
北陸では「寒の入り」の日に「あずき餅」を食べ、これを「寒固」(かんがため)と称するらしい。これは寒の入りに小豆を食えば、寒気にあたらず、という験(げん)かつぎらしい。

 うす壁にづんづと寒が入りにけり・・・・・・・・小林一茶

 宵過ぎや柱みりみり寒が入る・・・・・・・・小林一茶

のような句は、寒の感じをよく捉えている。
大陸高気圧が強いか弱いかによって、寒さや雪の程度が決まる。この寒さの最もきびしい30日間の中に、小寒、大寒と呼び名を定めて、心の身構えをしたわけである。
以下、寒、大寒などの入った句を引いて終る。

 禽獣とゐて魂なごむ寒日和・・・・・・・・西島麦南

 背にひたと一枚の寒負ふごとし・・・・・・・・原子公平

 寒きびし一刀彫のごとくなり・・・・・・・・鈴木青園

 胎動を夫と分つや寒ゆるむ・・・・・・・・上田紀代

 寒三日月凄しといひて窓を閉づ・・・・・・・・藤田烏兎

 松籟も寒の谺も返し来よ・・・・・・・・小林康治

 大寒の埃の如く人死ぬる・・・・・・・・高浜虚子

 大寒や転びて諸手つく悲しさ・・・・・・・・西東三鬼

 大寒や老農死して指逞し・・・・・・・・相馬遷子

 大寒の一戸もかくれなき故郷・・・・・・・・飯田龍太

 大寒の牛や牽かれて動き出す・・・・・・・・谷野予志

 薄日さし荒野荒海大寒なり・・・・・・・・福田蓼汀

 大寒の茜消ゆるに間ありけり・・・・・・・・河合未光

 大寒ののつしのつしと来る如く・・・・・・・・中嶋音路

 大寒の堆肥よく寝てゐることよ・・・・・・・・松井松花

 大寒の鶏目を張つて摑まるる・・・・・・・・芦内くに


亡き友は男ばかりや霜柱・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男
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  亡き友は男ばかりや霜柱・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

「霜柱」は、寒さがきびしい冬でないと見られない。
土の中に含まれる水分が凍って、毛細管現象によって、その下にある水分が次々と供給されて氷の柱が成長し、厚さ数センチから10センチ以上にもなるのである。
霜柱は、土があるところなら、どこでも発生するものではない。
私の子供の頃には、今よりも寒さが厳しかったので、学校へ行く道すがらの脇の畑などでも、よく見かけて、わき道に逸れてザクザクと踏んでみたものである。

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写真②は発生した霜柱がカール(反った)したものである。
関東ローム層の土粒の大きさが、霜柱の発生に丁度よいそうである。
岩波書店刊の「中谷宇吉郎全集」第2巻に、自由学園で行われた「霜柱の研究」について書かれたものが載っている。
それによると紅殻の粉や、澱粉類、ガラスを砕いた粉などを用いた霜柱の発生実験をしているが、赤土だけから霜柱が発生したそうである。
その赤土も、粒の粗いもの、細かいものに分けてやったところ、粒が粗くても、細かくても霜柱は発生しなかったという。
なお、中谷宇吉郎は、世界で初めて雪の人工結晶を作った学者で、これらの文章は戦前に書かれたものである。文筆上では夏目漱石に私淑した。
雪のエッセイなどは私の子供の頃に読んだ記憶がある。

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写真③は「シモバシラ」という名の植物である。
この草はしそ科の植物で学名を keiskea japonica という。これは明治時代の日本の本草学者の伊藤圭介氏に因むものである。
秋10月頃に枝の上部の葉の脇に片側だけにズラッと白い花を咲かせる。
冬になると、枯れた茎の根元に霜柱のような氷の結晶が出来ることから、この名になったという。
冬に枯れてもなお水を吸い上げるが、茎がその圧力に耐えきれずに破裂してしまい、水が外にブワッと出て凍る、という。

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植物のシモバシラの凍結した写真を見つけたので④に載せておく。
写真はリンク ↑ に貼ったサイトから拝借したものである。気象条件によって「氷」の形も、いろいろあるらしい。

以下、霜柱を詠んだ句を引いて終る。

 掃きすてし今朝のほこりや霜柱・・・・・・・・高浜虚子

 霜柱ここ櫛の歯の欠けにけり・・・・・・・・川端茅舎

 落残る赤き木の実や霜柱・・・・・・・・永井荷風

 霜柱しらさぎ空に群るるなり・・・・・・・・久保田万太郎

 飛石の高さになりぬ霜柱・・・・・・・・上川井梨葉

 霜柱枕辺ちかく立ちて覚む・・・・・・・・山口誓子

 霜柱俳句は切字響きけり・・・・・・・・石田波郷

 霜柱倒れつつあり幽かなり・・・・・・・・松本たかし

 霜柱顔ふるるまで見て佳しや・・・・・・・・橋本多佳子

 霜柱傷つきしもの青が冴え・・・・・・・・加藤楸邨

 霜柱兄の欠けたる地に光る・・・・・・・・西東三鬼

 霜柱歓喜のごとく倒れゆく・・・・・・・・野見山朱鳥

 霜柱深き嘆きの声に溶け・・・・・・・・野見山朱鳥

 霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・油布五線

 霜柱踏み火口湖の深さ問ふ・・・・・・・・横山房子

塩野七生『十字軍物語』1・2・3完結・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   塩野七生『十字軍物語』1・2・3完結・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・・・新潮社2011/12/09刊・・・・・・・・・・・・・

      シリーズ第三巻は獅子心王リチャードとイスラム最高の武将サラディンとの激戦。
      「地中海の女王」ヴェネツィアを飛躍させた第四次十字軍。
      謎に満ちた神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世の外交戦術。
      そして第七、第八次十字軍を率い、聖人と崇められたフランス王ルイ九世の実像……。
      堂々たるシリーズ完結にふさわしい「戦争論」の極致。

新潮社の読書誌「波」2012年1月号より 書評を引いておく。
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     [塩野七生『十字軍物語3』刊行記念]

          はじめに十字軍ありき         野口悠紀雄

 十字軍遠征が人類史上稀に見る集団的愚行であったことは、非キリスト教徒の目には明白である。聖地奪還というのだが、「私が信じる宗教の発祥地は私のもの」という論理はあまりに身勝手で、呆れる他はない。百歩譲ってこの論理を認めても、多大の犠牲を払って遠征を行なう合理的理由を見出せないのである。「こんな訳の分からぬ話はない」と、ずっと思っていた。
『十字軍物語』も、遠征の理由探しから始まる。ビザンチンからの救援要請を奇貨としたローマ法王の企みは、分からなくもない。しかし、参加した諸侯は、一体全体何が目的だったのか。「巡礼者が邪魔されていたため、信仰心の篤い諸侯が立ち上がった」というのなら、分かる。しかしそうではなかった。領地獲得という経済的動機もなかった。費用は自分持ちだし、領地への後顧の憂いもあったはずだ。コンスタンチノープルに着けば、邪魔はされるし、忠誠は要求される。「それでもやるのか」と、謎は深まるばかりだ。
 で、何が何だかさっぱり分からないまま、第一次十字軍はオリエントの地に攻め入った。そして、十字架とともに快進撃を続け、ついにイェルサレムを奪還。神が与え給うたエネルギーのすごさには、驚くばかり。
 第二次十字軍には、フランス王妃エレオノール(アリエノール・ダキテーヌ)がいる。彼女は、夫ルイ七世に同行したというより、自分で軍を編成し、夫を焚き附けたのだ。『冬のライオン』では、「裸同然の姿で乗り込んだので、兵士たちは喜んだ」と自ら語っている。彼女はトロイのヘレン並みの美人だったろうと、私は何の根拠もなしに空想している(本書がその可能性に言及していないのは、大変残念)。
 十字軍全史のクライマックスは、イスラムにサラディンが登場し、ライに侵された一三歳の少年王ボードワンが十字軍国家防衛のために超人的な努力をするあたりから始まる。
 そしていよいよ、「花の」第三次十字軍がヨーロッパを発ち、リチャード獅子心王とサラディンの激突が始まる。著者も力が入るが、読むほうも大いに力が入る。どこが一番いいかと問われれば、まだ少年だったアル・カミール(後のイスラムの盟主)がリチャードによって「騎士にされちゃった」場面だろう。イスラムを巻き込んでの騎士道物語だ。
 全編を通じて著者は、「ダメ男」と「スゴイ男」を明確に対置する。無能男が指導者の椅子に座れば、その周りに無責任男や、甘い汁を吸おうとする者どもが群がる。しかし、他方では、聡明で使命感に燃えた人物が現われる。人望厚く、離散していた人々を固く結束させ、戦場では相手の出方を的確に読んで味方を勝利に導く。拍手大喝采!
 指導者に求められる資質は何か? 傑出した能力だけでなく、「あの人になら従いて行く」という人間的魅力が必要だ、と著者は指摘する。そのとおりだ(私は大蔵省というヤクザ組織にいたことがあるので、このことが本当によく分かる)。このところ日本の政治指導者に凡庸な人しかいないのは、イタリアからでもお分かりでしょうが、塩野先生。人材枯渇は政治の世界だけではない。どの組織にも、ジャーナリストにも学者にも、「普通の人」しかいなくなってしまったのですよ。サラディン様やリチャード様には及びもないが、せめてボードワンやイベリン級は出てこないのか? 嗚呼!
 もっとも、十字軍も最後はダメ男だらけになった。ルイ九世の、聞くだけでゲンナリする無残な敗けいくさで、十字軍の歴史は幕を閉じた。
 こうして、蛮勇に始まり愚挙に終わった十字軍だが、いったい何をヨーロッパに残したのか? ギボンは、「十字軍にかけたエネルギーを他に向けたら、ヨーロッパはもっと発展していただろう」と言う。当然至極の意見だ。しかし、私は百パーセントは賛成できない。
 まず何よりも、十字軍は、強い魔力を放射し、多くの英雄物語を生んだ。キリスト教徒にとって「十字軍」という言葉がいかに魔術的魅力に満ちていたかは、クラシックバレエの名作「ライモンダ」を見れば分かる。主人公ジャン・ド・ブリエンヌが雄々しく出征する様を婚約者ライモンダが見守る場面は、何度見ても(DVDで、ですが)涙が出る。ところが、塩野女史によれば、この男は「どうにも冴えない」老人で(何たる幻滅!)、彼が率いた第五次十字軍は「御当地十字軍」と呼ばれてしまう始末(あんまりだ!)。それが史実だったとしても(史実なのだろうが)、人々はそれには目をつぶり、凜々しいヒーローを想像するのである。
 いや、バレエだけではない。十字軍は、イタリア海洋都市ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサに空前の繁栄をもたらした。これが本書の強調する点だ。海上力とは、輸送力だけでなく軍事力でもあった。いまで言えば、産軍複合体である。リチャードの行軍が都市国家艦隊との共同作戦だったことを、本書で初めて知った。十字軍を「支えた」というよりは、「利用した」というべきだろう。都市国家が戦争で蓄積した富が、ルネッサンスを生みだしたのである。
 ところで、これらの「逆命題」は真だろうか? 私は、つぎの仮説を提起したい。すなわち、仮に十字軍がなかったとしたら、海洋都市国家は発展しえなかった。また、仮にこれらの経済的繁栄がなかったら、ルネッサンスはなかった。
 さらに進んで、つぎの(大胆すぎる)仮説はどうだろう? ポルトガルとスペインによる大航海は、イタリア都市国家の衰退をもたらすことになるのだが、仮にそれらの都市がなかったら、胡椒貿易もなく、したがって大航海もなかった。
 以上の仮説がすべて正しければ、十字軍の蛮勇と熱狂こそが(そして、それのみが)、現代まで続くヨーロッパの世界支配の源だということになる! 「遠征を合理的に説明できるかどうか」などは、どうでもよいことなのだ。
「十字軍がヨーロッパにもたらしたのは、アンズだけだ」と言う研究者がいる。とんでもない。十字軍はヨーロッパにルネッサンスと新大陸をもたらしたのだ。ツヴァイクは、名作『マゼラン』を、「はじめに胡椒ありき」と書き起こした。しかし、胡椒が始まりではなかった。その前に十字軍があったのだ。だから、大航海の歴史は、「はじめに十字軍ありき」と書き直さなければならない。
 こうした仮説を、専門の歴史家は取り上げない。現実でなかったことを仮定しても、論文にならないからだ。大学のチェア獲得のためには、「沃野にあって枯草を食わなければ」(空想でなく論文を書かなければ)ならない。上のような勝手な想像ができるのは、キリスト教徒でなく専門の歴史研究者でもない者の特権である。塩野氏はその一人だと明言しているが、もちろん私も特権享受者である。本書に刺激されて、久々に世界史的空想の羽根を広げることが出来た。 (のぐち・ゆきお 早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問)
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2010/08/08に採り上げた「ガイドブック」↓ と共で全四冊となる。
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「立ち読み」も出来るので、お試しあれ。

映画『山本五十六─太平洋戦争70年目の真実』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
山本五十六
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 ↑ 「東京日報」編集部風景 右から三人目「真藤利一」玉木宏(文中で説明) 

──映画鑑賞──

    映画『山本五十六─太平洋戦争70年目の真実』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
           ・・・・・・・・・製作「山本五十六製作委員会」、配給「東映」・・・・・・・・・・・・・・・・・

     今から70年前、軍人でありながら、最後まで日米開戦に反対し続けた不屈の男がいた―。
     その名は、聯合艦隊司令長官、山本五十六。
     太平洋戦争という未曾有の国難に対し、彼は、いったい、どのように戦いつづけたのか。
     そして彼の実像は、どのような人間だったのか…。

主人公・山本五十六を演じる役所広司、成島出監督をはじめ、「真藤利一」玉木宏、「米内光政」柄本明、「井上成美」柳葉敏郎、「山口多聞」阿部寛、「三宅義勇」吉田栄作、「黒島亀人」椎名桔平、「零戦パイロット」五十嵐隼士、「堀俤吉」坂東三津五郎、「山本礼子」原田美枝子、「小料理屋・志津の女将」瀬戸朝香、「志津の客・ダンサー」田中麗奈、「永野修身」伊武雅刀、「五十六の姉」宮本信子、「東京日報・主幹」香川照之ほか、日本映画界を代表するキャスト・スタッフが本作のために結集。

この映画は半藤一利の同名の本(文芸春秋社)を原作とするものである。
彼には『昭和史』戦前・戦後編の名著もあり、昭和という時代を厳しく捉えた作家として尊敬に値する。
山本五十六は新潟県立長岡中学校の先輩にあたるという。
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 ↑ 真珠湾攻撃のセット
山本五十六0004
 ↑ 五十六の載る「一式陸攻」が炎上するシーン

五十六は海軍省の中の「非戦派」として知られる米内光政や井上成美などと共に、戦争推進派の陸軍などに抵抗したが、押し切られる。
聯合艦隊司令長官として実戦の矢面に立つが、そこは軍人として最善を尽くして戦果を上げようとするのである。
ガダルカナル撤収作戦などを敢行するが、1943/04/18前線基地視察の途上、ブーゲンビル島上空で搭乗機が撃墜されて戦死。
彼は、このようになる運命を受け入れていたと言える。
当時のマスコミも軍部のお先棒をかつぎ、五十六から「自分の目で、耳で、大きな心で、世界を見なさい」と言われていた東京日報記者・真藤利一のような良識派も、どうしようもない。

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 ↑ 半藤一利

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 ↑ 成島出 監督

↓「動画」を二つ出しておく。

↓ 「山本五十六の死─撃墜の瞬間」

成毛眞『就活に「日経」はいらない』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──      

成毛眞『就活に「日経」はいらない』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・新潮社2011/12/16刊・・・・・・・・・・・・

       就活に出遅れたわが子に、企業人として父として授けた型破りな戦略とは?

       日経新聞は読むな、企業説明会には行くな、OB訪問はするな、大人になるな……。
       親子で編み出した「就活八か条」から、業界や企業の見極め方、面接で窮地を脱する対処法まで、
       見事、内定奪取を果たした体験的実践講座。
       日本マイクロソフト元社長、起業家、書評サイト代表と多才な著者が「企業が欲しがる人になる法」を開陳!

新潮社の読書誌「波」2012/01号に載る書評を引いておく。
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       才能ある親バカが若者に贈る就活戦略        東えりか

 二〇一一年一二月一日、例年より二ヶ月遅れて、二〇一三年春大学卒業予定者の就職活動が解禁となった。ニュースにはダークスーツの学生たちが映し出される。来年卒業予定者の就職率が低いと叫ばれているからだろうか、表情が硬い。
 就職難と言われて久しい。バブルが完全に崩壊したのは一九九五年ごろのことだ。九〇年あたりでピークを迎えた日本経済が、雪崩のように崩れていく様を私は目の当たりに見ていた。その頃生まれた子供がちょうど新卒となる。彼らは「明日はきっと今日より良くなる」と信じたことがないのだろう。ちょっと前ならアルバイトや臨時雇いの派遣職で凌ぐ人も珍しくなかったが、二〇〇八年のリーマンショックで行われた派遣切りを見て、「きちんと正社員として就職しなければ」という強い意識が芽生えたのも無理はない。
 本書は元マイクロソフト社長の成毛眞が、自身の娘が就職するに当たり彼女に授けた虎の巻ともいうべき就活本である。二〇〇〇年に同社退社後、投資コンサルティング会社を設立し、経済の動きを観察してきた「大人」として、である。
 冒頭に書かれた「明日ではなく明後日を見よ」という言葉は、これから就活する若者たちに肝に銘じて欲しいと思う。企業に就職するとはどういうことなのか、本書はまずそこから書き起こしている。「どこでもいいから内定が欲しい」とエントリーシートを出しまくり、企業説明会を巡りめぐる前に読むと、多分気持ちが落ち着くだろう。
 しかし本書は、ノウハウだけを詰め込んだマニュアルとは程遠い。この二〇年、経済のトップを走ってきた人間だけがわかる日本も含めた世界状況の推移から、これからはどういう企業の見通しが明るいか、成毛眞なりの分析がされている。のほほんと生きてきた凡百の大人とは一味もふた味も違っている。娘へのアドバイスとして書かれているとはいえ、それは若い世代へのエールでもある。
 他の就活本と決定的に違うのは、家族で対策を練ろう、というところだ。中学、高校、大学の受験で親が必死になるよりは、子供を社会に旅立たせる最後の親の仕事として就職のための努力が必要なのだと成毛は説く。たかだか二〇年ぐらいしか生きていない人間に、「自分に何が向いているか」などがわかるはずもないではないか。だったら周りの大人を頼るべきである。親を含めた身近な大人たちは味方に付いてあげなくてはならない。
 そのためには大人も学ぶ必要がある。自分たちが辿ってきた高度成長期やバブル崩壊に対して真摯に説明ができなくてはならない。少なくとも、日本が今の状態になった理由ぐらいは解説できるようになりたいではないか。
 過激とも言えるタイトル『就活に「日経」はいらない』は、就職試験マニュアルに必ず載っている「新聞を読みなさい」ということがいかに無駄かを説明する。新聞を読めば世の中の動きがわかるというのは旧人類が唱えるお題目、たわごとであると喝破する。3・11の大震災やその後に起こった福島原発の事故に際して、日本の新聞がどれほどひどいかみんな見ていた。独自で取材したものなどなく、政府や行政が発表した情報をそのまま記事にしているに過ぎない。あのとき、ツイッターやフェイスブックを見ている人と、いわゆるマスコミ発表だけしか知らないのでは、大きな情報格差があった。今流れている情報をどれだけ掴むか、それが問われているのだ。
 もし今、成毛眞が就活生ならどこを選ぶか。これまでの経験を生かして、経済状況や今後の展望を見越して選ぶとすると意外にも保守的な企業にするという。ベンチャー企業を立ち上げ成功させた本人がいうのである。これは聞くべき意見だろう。今を生き抜かなければ未来はない。
 父と娘が練り上げた「就活八か条」は即、役に立つ。短期決戦である就活だからこそ、無駄なことは出来るだけしないに限る。コンパクトにまとめられたこの「八か条」、学生なら失敗しそうなことばかりだ。これを知っておくだけでずいぶんと楽になる。
 こんな父親を持った娘をうらやましいとみんな思うだろう。良い親バカには才能が必要だ。娘に対して精一杯行った成毛眞の親バカを就活生みんなで甘受しようじゃないか。特に読書家で知られる著者が巻末にまとめた「就活に役立つ本」は読んでおいて損はない。面接に役立つだけでなく、社会人になるための手引書でもあるのだから。
(あづま・えりか 書評家)
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成毛眞/ナルケ・マコト

1955年北海道生まれ。中央大学卒業後、自動車部品メーカーなどを経てマイクロソフトに入社、1991年より代表取締役社長を務めて2000年退社。その後、インスパイアを設立。現在は複数企業の社外取締役、顧問などを務める。早稲田大学客員教授。書評サイト「HONZ」(honz.jp)代表。著書に『本は10冊同時に読め!』(三笠書房)、『成毛式実践マーケティング塾』(日本経済新聞社)、『大人げない大人になれ!』(ダイヤモンド社)、『日本人の9割に英語はいらない』(祥伝社)など多数。

「立ち読み」も出来る。お試しあれ。

岡井隆『わが告白』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     岡井隆『わが告白』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        ・・・・・・・・・新潮社2011/12/21刊・・・・・・・・・・・

     八十三歳、歌会始選者・宮内庁御用掛の大胆なる「私小説」への挑戦。

     男女の愛とは何だろうか――。二度の離婚。そして五年間の恋の逃避行。
     日本を代表する大歌人には、語られざる過去があった。
     文学者として世俗的な栄誉をすべて受けた今、封印してきた記憶が蘇る。
     そして、嫉妬と悪意の嵐。
     裁判沙汰になったストーカー騒動にも巻き込まれ、決して平穏な日々は訪れない。
     最初で、最後の小説。

新潮社の読書誌「波」2012/01号に載る書評を引いておく。
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          チーズと悪夢       穂村 弘

『わが告白』とは強い印象のタイトルで、いったい著者はどんな人でどんな罪を犯したんだろう、と考えてしまう。
読み進むと、その年齢が八十代であることがわかる。彼は宮内庁御用掛、歌会始選者、日本芸術院会員、つまり歌人としての最高の地位を極めた人間である。
その一方、元医師であり、元大学教授であり、過去に焼夷弾による負傷、キリスト教の受洗、革命運動への参加などの経験があるようだ。
人生のなかで思想的に左から右へシフトしたことがみてとれる。
 また、現在の妻との間の年齢差が三十二歳ある。六十一歳のときに二十九歳の彼女と知り合って恋に落ちたらしい。そのとき、彼には妻と三人の子供があった。
その前にも別の妻と子供がいた。さらに前にもまた別の妻と子供がいた。
つまり、三度にわたって妻子を捨てた経験を持っているわけだ。彼はこれを一種の罪と考えている。
「わが告白」とは、つまり、その体験に関わるタイトルであるらしい。
 それにしても、と思う。なんという「濃い」人生なのだろう。
戦後生まれで人生に対する活力に乏しい私には想像もできない。そんな彼は次のように書く。

 ユンゲ・フラウ(引用者註:「若き妻」の意)は、いつもバナナ(朝食)を半分に切り皿にのせ「どちらがいい?」と訊く。
焼魚や煮魚の一切れずつを二枚の皿にのせた時も、「どちらがいい?」と選択を迫る。
ほとんどかわりないのだが、「こちらでいい」と答えると「で、といわないで」「こちらが、といって」という。
私はトラブルを避けて「こちらがいい」と言い直す。こうしたたあいのないやりとりでも、現在を書くことの方が私には嬉しいのである。過去は嫌いだ。

 八十代の巨匠の文章とは思えない。ここには読者を脅かすような重々しさは全くない。あるのは軽やかな魅力。
だが、若者の日常のようにさえ見えつつ、よく読むと、行間に独特の空気の濃さというか、チーズのように複雑な匂いが漂っているのが感じられる。
この他愛ない幸福の背後に、置き去りにした五人の子供と三人の元妻の存在があることを意識しなくても、鋭敏な読者は何かを感じ取るだろう。
「どちらがいい?」「こちらでいい」「で、といわないで」「こちらが、といって」「こちらがいい」という日常のやり取りが、奇妙な深みを帯びて響いてくるのだ。
「過去は嫌いだ」と云いつつ、彼の文章のチーズめいた味わいが、そのような過去の混沌とした厚みに根ざしていることは否めない。
加えて、韻文作者としての練り上げられた言語感覚がその発酵に拍車をかける。結果、全体がおそろしく複雑な旨味に充ちた読み物になっている。
にも拘わらず、本書のなかで、その筆がどうしても届かない領域がある。それが「告白」だ。
 本書の面白さは、肝心の「告白」がなかなか為されないところにある。
宮内庁御用掛の視点からの皇居の内部描写、原発推進賛成の弁、性的告白、被ストーキング体験、とあらゆるタブー的事項を自在に描いていながら、
「告白」になると、突然、その筆が金縛りにあってしまうらしい。確かに重い出来事には違いない。
だが、書き手の性質によってはもっとあっさりと、或いは面白可笑しく、描くこともできるだろう。
 天皇や皇后に短歌を講ずる芸術院会員の巨匠が、その言語感覚の全てを投入して挑んでは跳ね返される様子に異様な生々しさを感じる。
ついには「昨年末以来、悪夢が続いて、目がさめた時には、夢の中にあらわれた魔ものたちのものすごい力によって、さんざんに痛めつけられて」と記すに至る。
この惨敗振りに胸を打たれる。愛と結婚を巡る彼の行為は法律上の犯罪ではない。その罪の深さは誰にも測れない。
では、罪の意識の深さはどうか。八十代の人間が毎夜のように悪夢を見続けて魘される。
ここから彼自身の罪の意識の深さを窺うことができる。それは愛に対する真剣さの裏返しではないか。

 泣き喚ぶ手紙を読みてのぼり来し屋上は闇さなきだに闇・・・・・・・・岡井 隆

                                  (ほむら・ひろし 歌人)
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岡井隆/オカイ・タカシ

1928年1月5日愛知県名古屋市生まれ。歌人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。現、宮内庁御用掛。慶應義塾大学医学部卒。医学博士。内科医師として国立豊橋病院内科医長などを歴任。1946年「アララギ」に参加。1951年、近藤芳美を中心に「未来」創刊。『禁忌と好色』で迢空賞、『親和力』で斎藤茂吉短歌文学賞、『岡井隆コレクション』で現代短歌大賞、『ウランと白鳥』で詩歌文学館賞、『注解する者』で高見順賞受賞。
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岡井隆については何度か、つい最近にも書いた。
評者の穂村弘は若手の歌人として注目を浴びている人で、旧来の歌人の枠には収まらない人であるが、この評は常識的である。
この記事の初めの方で<最初で、最後の小説。> とあるのは、新潮社の編集者の書いたキャプションであって、私の意見ではない。
この本は、断じて「小説」などではない、ことを強く言っておきたい。
穂村弘も書いているが「わが告白」という割りには、オブラートにくるんだ表現に終始し、「歯切れ」が悪い。
それは今一緒に暮している妻・恵里子が読んでショックを受けないようにとの配慮によるものである。このことは彼自身が書いているのだ。
もう三年も前になるのか、日本経済新聞に三十回にわたって連載された「私の履歴書」を補足する形の文章が、この本である。
「人騒がせ」な人であるから、今後も何かあるだろう。
彼は「権勢欲」の強い人であり、派閥意識の強い人であり、「目立ちたがりや」でもある。
宮中歌会始の選者、宮内庁御用掛などの職も「天皇家」側からの何らかの栄誉を期待してのことであろうか。

「立ち読み」も出来る。お試しあれ。

小倉美惠子『オオカミの護符 』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──   

 小倉美惠子『オオカミの護符 』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 
           ・・・・・・・・・新潮社2011/12/16刊・・・・・・・・・・・・    

      川崎の我が家で目にした一枚の護符。描かれた「オイヌさま」の正体とは?

      50世帯の村から7000世帯が住む街へと変貌を遂げた、神奈川県川崎市宮前区土橋。
      長年農業を営んできた著者の実家の古い土蔵で、護符の「オイヌさま」がなにやら語りかけてきた。
      護符への素朴な興味は、謎解きの旅となり、いつしかそれは関東甲信の山々へ──。
      都会に今もひっそりと息づく、山岳信仰の神秘の世界に触れる一冊。

新潮社の読書誌「波」2012/01号に載る書評を引いておく。
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     土地の記憶をたぐる       成毛 眞

 ていねいにていねいに、心をこめて、大切に作られたノンフィクションだ。
なにごとかを強く主張するために作られたわけではない。
さりとて、第三者である取材者の目で作ったわけではない。
この本は思いを共にする人々と土地の記憶をたぐる旅の記録である。
 あえて「本を作る」と書いた。
本書は二〇〇八年に公開された記録映画「オオカミの護符」をもとに書かれているからだ。
そもそもこの映画は、著者小倉美惠子自身が神奈川県の川崎市宮前区土橋にある自宅周辺の古老を訪ね歩いた映像記録を発端にしている。
家庭用ビデオカメラで五年間にわたり伝統行事などを撮り続けるうちに、支えてくれる仲間が増え、やがて本格的な映画として完成することになった。
平成二十年度の文化庁映画賞文化記録映画優秀賞や二〇〇九年度アース・ビジョン賞を受賞した。
 コンビナートの印象がつよい川崎市だが、じつは臨海地帯から多摩丘陵まで細長い形をしている。
土橋は多摩丘陵側にあり、おしゃれな街「たまプラーザ」につながっている。
小倉家は代々お百姓の家系。古い土蔵があり、そこに貼られていた「護符」がふと気になったところからこの旅ははじまった。
その護符には黒々しい犬が描かれていて、「オイヌさま」と呼ばれているという。
毎年貼り替えられるこの護符はどのようにしてやってくるのであろうか。著者はその流れを遡りはじめた。
 百姓の神様「オイヌさま」は講からもたらされていた。
その「御嶽講」という古くから土橋にある行事は、山の世界への入り口である「武蔵御嶽神社」へと向かい、やがて「御師」という山びとに導かれ、
山の神への一年の無事と豊作・豊漁をお願いするという流れだ。
著者は何百年も続いてきたこの流れを、素直なおどろきとともに、いとおしむように記録していく。
 この柔らかい視線は祖父母ゆずりのようだ。祖父の布団に弟が、祖母の布団に著者がもぐり込んで、祖母の語りを聞きながら二人は眠りについた。
「さるカニ合戦」や「桃太郎」はもちろん、すこし大きくなると「さんしょう太夫」や「青の洞門」なども、絵本をつかわずに「そら」で語ってくれたという。
祖母は主人公が窮地に立たされる場面になると、「あなたならどうする?」と幼い著者を覗きこむ。
悪者をコテンパンにすると答えると、祖母は「一寸の虫にも五分のたましいがあるぞ」と言い聞かせたという。
 懐かしく甘酸っぱい記憶がよみがえってきて鼻の奥がキュンとなる。
夜の闇が祖父母を連れ去ってしまうのではないかと思い、幼い著者は布団のなかで涙が止まらなくなる。
読みながらもらい泣きしてしまいそうだ。
この本の魅力のひとつは、著者のような経験がない読者もこのような記憶を共有できることなのかもしれない。
もちろん、その記憶とは著者のこどものころのことだけではない。
山とオオカミへの素朴な信仰、信仰をつなぐための山の人と里の人の行き来、丹精込めて作られるタケノコ山、
里にのこる「べーら山」など、人々と土地に刻まれた古代からの記憶だ。
 ところで、東京都青梅市にある武蔵御嶽神社創建の言い伝えは崇神天皇七年だ。
古代から伝わる、鹿の骨を使った「太占」という占いがいまでも行われているのは、群馬県富岡市の貫前神社と二社だけであるという。
ほぼ二千年にわたり、都が西にあったため、東国は未開の地のように考えてしまいがちだが、むしろ東国にこそ古代の記憶が残っているのかもしれない。
この本は、古代や絶滅したニホンオオカミをめぐる記憶などを共有することができる今年一番のおすすめ本だ。 (なるけ・まこと HONZ代表)

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小倉美惠子/オグラ・ミエコ

1963(昭和38)年、神奈川県川崎市宮前区土橋に生まれる。アジア21世紀奨学財団やヒューマンルネッサンス研究所での勤務を経て、2000年から自主的に地元「土橋」の映像記録を開始。2006年、民族文化映像研究所所員であった由井英と共に(株)ささらプロダクションを設立し、プロデューサーとして2008年に映画「オオカミの護符―里びとと山びとのあわいに」(文化庁映画賞文化記録映画優秀賞受賞。地球環境映像祭アース・ビジョン賞受賞)、2010年に「うつし世の静寂(しじま)に」を公開。

「立ち読み」も出来る。お試しあれ。

干鮭も空也の痩せも寒の中・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉
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  干鮭も空也の痩せも寒の中・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

1月6日に二十四節気の「小寒」に入った。いわゆる「寒の入り」であり、大寒の1月21日を経て、節分(立春の前日)までの30日間を「寒」という。
この間を「寒の内」と言い、寒さの一番きびしい頃である。
この冬は、昨年暮れからプレ・クリスマス寒波と、年末押し詰まってから今冬一番の寒波が襲来して、また今年に入っても上旬から中旬にかけて寒波が来て、ところによっては吹雪嵐になり、今年一番の寒さとなったが、「三寒四温」の言葉通り、寒さのゆるむ数日がやってくる。

10空也上人像

芭蕉の句に因んで、写真①には「干し鮭」を、写真②には「空也上人像」を載せた。
空也上人像については、多少の説明が必要だろう。
「空也」上人は「念仏行者」の始祖と言われる人で「南無阿弥陀仏」と唱えながら京の町や、日本中の村々を歩いて「念仏」行を提唱して回ったという人である。
上人像はあちこちにあるらしいが、この像は、京都の北西の端に聳える愛宕山の尾根を東に30分ほど下る月輪寺にある。
この寺は、寺伝によると藤原京時代の大宝4年(704年)に泰澄が開山した寺で、空也はここで修行したという。
像の口の前に変なものが出ているが、これは「仏」さまが数体、空也の口から出ているもので、その意味は、空也が「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて行をしたので、有難い仏さまが空也の口から出て来る、ということを表しているらしい。
どこの像も、みなこのようになっているという。

芭蕉の句にある空也の像が、どこのものかは判らないが、芭蕉の旅日記があるから、恐らく解明済みであろうと思われる。
諸国を行乞して歩いた空也であるから、像の上人も、ひどく痩せている。芭蕉の句は、その「痩せ」を寒の歳時として峻しく捉えて句にしている。

結城音彦氏からお聞きしたところによると、この句の制作場所について、参考になるかとお知らせいただいたので載せておく。
それにによると、元禄13年12月、48歳、京都での作、ということである。
また、この句の出だしは「乾鮭」となっている。私の読んだ資料には「干鮭」となっていたので、こう引用したが、「乾鮭」が原典に合致しているのであろう。
また、結城氏の意見では「空也」=「空也僧」とされており、この句には
「都に旅寝して、鉢叩きのあはれなる勤めを夜毎に聞き侍りて」という前書きがあるようで、この解釈が正確なのであろう。
だから、掲出句は「空也」像を見ての作句ではないのである。
その結城音彦氏も一昨年、突然亡くなられてしまって寂しい限りである。
ここに結城氏の御教示を載せて、ありし日を偲ぶよすがとしたい。

「寒の入り」あるいは「小寒」「寒」を詠んだ句を引いて終わりたい。

 きびきびと万物寒に入りにけり・・・・・・・・富安風生

 校正の赤きペンもつ寒の入り・・・・・・・・山口青邨

 寒の入り心あやふき折には旅・・・・・・・・中村草田男

 寒に入るわが跫音は聴くべかり・・・・・・・・加藤楸邨

 百はある鶏卵みがく寒の入り・・・・・・・・及川孤雨

 中年のどれも足早や寒に入る・・・・・・・・宮尾苔水

 小寒のひかり浸して刷毛目雲・・・・・・・・火村卓造

 一切の行蔵寒にある思ひ・・・・・・・・高浜虚子

 捨水の即ち氷る寒に在り・・・・・・・・池内たけし

 黒き牛つなげり寒の真竹原・・・・・・・・水原秋桜子

 乾坤に寒といふ語のひびき満つ・・・・・・・・富安風生

 約束の寒の土筆を煮て下さい・・・・・・・・川端茅舎

 痩せし身をまた運ばるる寒の内・・・・・・・・石田波郷

 寒の日の爛々とわれ老ゆるかな・・・・・・・・中川宋淵


『 一乗谷 DISCOVERY PROJECT』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       『 一乗谷 DISCOVERY PROJECT』・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・・・新潮社2011/12/22刊・・・・・・・・・・・

        「一乗谷」は「特別史跡」と「特別名勝」と「重要文化財」のトリプル指定を受けた史跡。
        戦国時代、朝倉氏が栄華を極め「京都の奥座敷」と賞された城下町は、
        しかし、信長に攻め滅ぼされて、まるでポンペイのように町も人も一夜にして消えうせた……。
        今は草繁り苔むす空間に隠された物語を探す、400年の時空を超えた幻想写真集。

新潮社の読書誌「波」2012年1月号より 書評を引いておく。
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        なにもないからおもしろい        西澤恵子

福井県福井市一乗谷。
戦国時代に1万人都市として栄え、「京の奥座敷」と呼ばれるほど文化が豊かに花開きながら、織田信長によって一瞬にして焼き払われた悲劇の都市。
 その後の河川の氾濫などで田畑の下に埋もれたまま約400年の月日が流れ、昭和に入ってから、戦国時代の町並みの姿が、ほぼ完全な形で発掘されている。
全国に5カ所しかない、特別史跡・特別名勝・重要文化財の三つの指定を受けている、歴史的な価値のとても高い場所です。
 日頃、広告を手がけているクリエーティブ・ディレクター佐々木宏さん、アートディレクター副田高行さんのもとに、
その一乗谷にスポットを当てた、福井市の観光誘致のキャンペーンを展開したいという話が舞い込んだのが2008年12月のこと。
きっかけは、かつてANAの宣伝部長を務め、佐々木さん・副田さんとともに多くのキャンペーンを世に送り出した安野敏彦さんが、
退職後、出身地である福井市に戻り、市の観光アドバイザーとして、これまで培った広告の力でふるさとの観光施策の力になりたいと考え、
「今までの観光誘致キャンペーンとはまったく違うことをやらなきゃダメだ」と、かつての盟友である業界のトップクリエーター二人に声をかけたことにはじまります。
 京都、金沢という有名観光地に挟まれて埋もれがちな福井市。特に関東圏では観光イメージが薄く、恥ずかしながら、かくいう私も3年前までは、
福井を訪れたこともなければ、一乗谷の存在もまったく知りませんでした。
 歴史的価値は高いのに、知名度が低いこの史跡を、「一乗谷へようこそ!」といったありきたりではない方法で広告してほしい、という安野さんからの課題を胸に、
佐々木さん・副田さんとともに、初めて一乗谷を訪ねたのが09年6月。
 そのときの佐々木さん・副田さんの第一印象は、「なにもない場所」。山門や遺跡はあるけれど、あとは空があって、山があって、谷と川があって、ただそれだけ。
少々困惑気味で、第1回目の視察が終わりました。
 でも、安野さんの目利きどおり、ここからがさすがのお二人。
「なにもない」+「400年前の繁栄と、一瞬にして焼失した事実」が、イマジネーションをかき立てる。
一乗谷の広告という姿を借りて、新しいタイプの日本の旅の提案をしていけばいい、という戦略を立てました。
 大型の観光バスで乗り付けて~展望台で一望して~帰りにお土産屋さんでおまんじゅうを買う、というスタイルの旅とは違う価値を提案することで、
一乗谷の観光イメージを新しく作っていくことにしました。
 佐々木さんからは、同じポスターを作るのでも、1カ所に集中投下することで話題にしようと、
都営地下鉄六本木駅のエスカレーターの壁面を借り切ってのポスター一斉掲出のアイデアが出て、
福井市からは、地元のマスコミを招いてのポスターお披露目発表会を開いて、
六本木駅への掲出そのものをニュースにしてしまおうというアイデアが出ました(広告のための発表会なんて、あとにも先にもこのときが初めてです)。
「あまりになにもない」。そう言われると逆に気になっちゃうよねー、と思わせるコピーと、
戦国当時と今とがオーバーラップするような重厚な写真群との化学反応といいましょうか、今まで見たことのないポスターが、六本木駅を飾りました。
 広告に決まりなし。これまでの自治体ポスターのお作法とはまったく違うアプローチの効果でしょうか。
いくつかのテレビ番組で特集が組まれ、ポスター掲出の二次三次露出の機会にも恵まれました。
極めつきは、某通信会社の広告でお馴染みの「犬のお父さん」のふるさととしても話題になり、3年経った今、狙いどおり(?)、
「一乗谷」がみんなの中で少しだけ気になる存在になってきたかな、と思います。
 本の著者名が「一乗谷 DISCOVERY PROJECT」であるように、今回の写真集は、
六本木駅をジャックしたポスターを中心に、プロジェクトのコンセプトブックとしてまとめました。
 実は、福井市への最初のプレゼンテーションの時に、
「ゆくゆくはこんな1冊の本をつくるようなつもりで!」とプロジェクトの構想を1冊にまとめた企画書をつくったのですが、
3年後、そのときのイメージそのままに、本として完成してしまいました!
 素晴らしい写真の数々を撮ってくださった写真家の藤井保さん、杉田知洋江さんも、プロジェクトメンバーの一員として紹介させていただきます。
 1冊にまとめはしたものの、プロジェクトはまだまだ進行中ですので、今後の活動にもぜひ期待してください。(にしざわ・けいこ プロデューサー)
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「立ち読み」も出来るのでアクセスされたし。画像が素晴らしい。
渡部兼直詩集『かなカナ』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
かなカナ

──新・読書ノート── 
    
    渡部兼直詩集『かなカナ』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・・・編集工房 遊 2011/05/10刊・・・・・・・・・・・・・

      冬のパロディ・・・・・・・・・・・渡部兼直

    すべてを失つた今宵こそ
    ささげたい *
    冬雷になげく女のため
    小春のいのちのため
    蜆川のため
    新内流のため
    はてしなくさまよふ
    なまめく女の幽霊のため
    明烏の
    あさぼらけのため
    とつくりの花瓶に
    風花のひとひらと涙を入れて

      * 西脇順三郎「近代の寓話」1953

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      かなカナ・・・・・・・・・・・渡部兼直

     かなカナの
     かなた
     ハワイアンダンスパアティ
     ものすごい夕焼あび
     なみだとともに
     ほつぺたあはせ
     近年は踊れるクラブすくない
     デスコテクもぴつたりなくなつた
     なぜか
     かなカナの
     かなた
     運河のほとり
     屋上の
     ハワイアンダンスパアティ

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この詩集は奥付を見ると昨年の夏に出ているのだが、私の手元には昨年末の十二月三十一日になって送られてきた。
渡部氏とは三井葉子さん主宰「楽市」の同人として二三度顔を合せたことがあるに過ぎないが、古くからの詩人として活躍して来られたようだ。
この詩集は奥付を含めても50ページという薄いものだが、全部で15篇の作品が、「歴史的かなづかい」で書かれている。
その中から二篇だけ抽出した。
はじめの「冬のパロディ」は、作者の意図とは外れるかも知れないが、東日本大地震・大津波の後の今になって読むと、或る一定の趣があるように見える。
二番目の「かなカナ」は、この詩集の題名として「漢字かな混じり文」としての「日本語」の特性に触れるものがあるかと思って引いた。

この本の巻末に載る著者の経歴を写しておく。

 渡部兼直 わたなべ かねなほ
1931 米子に生まる
`55 早稲田大学文学部国文科卒
`73 「たうろす」同人
`76 「松江詩篇」(紫陽社)
`81 「フェミーナあるいは女性都市」(南柯書局)
`82 「山陰詩人」同人
`94 「夜半翁へのオオド」(編集工房ノア)
`95 「プレヴェル詩集」(同)
`96 「ハワイに死す」(同) 
`03 「楽市」同人
`03 「失はれし女を求めて」(今井書店)
`05 「R.クノオ ひとつの詩法のために」(二言語版、編集工房 遊)
`08 「地球訪問」(編集工房 遊)
`09 「梨の体をしてゐるいくつかの詩」(編集工房 遊)

ここに、ささやかながら抽出して恵贈への返礼としたい。

手嶋龍一『ブラック・スワン降臨』―9・11-3・11 インテリジェンス十年戦争・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

   手嶋龍一『ブラック・スワン降臨』―9・11-3・11 インテリジェンス十年戦争―・・・・・・・・・木村草弥
        ・・・・・・・・・新潮社2011/12/07刊・・・・・・・・・・・・・

       ビンラディンの頭上を急襲した米特殊部隊。
       十年に及ぶ諜報活動に凱歌が上がったまさにその時、
       福島の地は黒鳥(ブラック・スワン)の羽に覆われていた。
       原子炉にヘリで注水する「特攻作戦」の果敢も、
       日本が現代インテリジェンス戦に敗北した象徴だった。
       日米同盟の亀裂と外交的孤立に警鐘を鳴らし続けた著者の、
       死力を尽したノンフィクション。

新潮社の読書誌「波」2011年12月号より 書評を引いておく。
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        ロゼッタ・ストーンの沈黙       阿部重夫

 たった一片のピースから、ジグソーパズルの全絵図面を復元できるか。
 不可能? いや、それが手嶋龍一氏の言う「インテリジェンス」――錯綜する情報の分厚いヴェールからコアを透視する行為の本質だと思える。
 漫然と集積される「インフォメーション」からそれは抽出できない。そこで必要になるのは、内部情報を暴くスパイまたは告発者の存在か、物事の本質を見抜く勘か、脳細胞に蓄えた過去の記憶か、さんざん苦汁をなめた経験か、なにかこの世のものならぬ霊感か。
 いずれでもあっていずれでもない。手嶋氏を衝き動かしているのも、この内在する物語を語ろうとする優れたナレーターの本能だろう。
 本書は巻頭、いきなりアンドリューズ空軍基地内のゴルフ場に読者を連れていく。米大統領の閑暇を盗んだ気晴らしに見せかけてハーフで切り上げたバラク・オバマのプレーが、実はパキスタンで進行中のビンラディン急襲作戦の目くらましだったことが明らかになる。
 九・一一テロ以来、十年目にして米国がこの宿敵を仕留めたこと自体は、すでにさんざん報じられてきた。手嶋氏の眼目は、戦略的にも経済的にも莫大な支援を注ぎ込んだパキスタンに事前通告もなく、国家主権を踏みにじってその領土で「復讐」の実行を命じた決断の物語を語ることにある。
 手嶋氏の意図は最後に明らかになる。東日本大震災の翌早朝、首相官邸からヘリで飛び立ち、東京電力福島第一原発に降り立って、危機の陣頭に立つパフォーマンスを演じながら、海水注入に手間取って炉心溶融を起こした菅直人総理を対置させているからだ。
 そう、決断の前に万全の情報などほとんどない。すべては一回性の出来事で、「想定外」といった言い訳はありえない。手嶋氏が言う「インテリジェンス・サイクル」とは、情報の不完全性のなかで、なおジグソーの全絵図面を透視して決断する方法論である。
 それはひとえに、瞬時に物語を構築する能力があるか否かに帰する。菅総理の無残はそうした能力の欠如に由来していた。しかし憂うべきは、なすすべもなかった首相官邸および霞が関のガバナンス(統治)の根源的かつ日常的な退廃にある。
 本書は書下ろしであるが、そのエピソードの多くは、私が創刊した月刊誌FACTAで六年近く前に始めた「手嶋龍一式intelligence」の連載コラムでカバーしている。
「インテリジェンス」は古代文字の解読に似ている。ジグソーのピースそれぞれの形状や色彩を記憶して、ひとつひとつ嵌めていく忍耐の作業。やがて浮かび上がる壮大な絵図面にひそやかに覚える喜び。大英博物館でロゼッタ・ストーンを見るとき、いつもそう思う。
 だが、あの暗色の花崗閃緑岩に刻まれた碑文、エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)とギリシャ文字の同文が並んでいるという、奇跡のような僥倖がインテリジェンスには期待できない。
 手元にあるのは、ギリシャ語でいう?παξ λεγ純??ハενον(hapax legomenon =一回限りの言葉)だけなのだ。この一片だけのピースで、あなたはヒエログリフを解読したシャンポリオンになれるか。
 インテリジェンスには深い思索がなければならない。黒い森に切り拓かれたLichtung(間伐地)には、lumen naturale(自然の光)が木洩れ日のように差す。けれども、苔むしたままのロゼッタ・ストーンが、人知れず草陰で沈黙していても不思議ではない。
 hapax legomenonにはしかし、別の攻略法がある。
 シェイクスピアを例にあげよう。全作品八十八万語のうち、固有名詞を含めて使われた語彙は二万九千語と驚くべき言語の魔術師で、だからこそというべきか、一度しか使われなかった言葉がある。「恋の骨折り損」第五幕第一場のHonorificabilitudinitatibus。小田島雄志訳は、原語のままジュゲムの呪文にしている。
 しかし、二度出現する単語、三度、四度……と並べていくと、出現頻度がk番目の単語が、全体の単語数のk分の一を占めるという自然言語の確率分布「ゼフの法則」に近づく。
 これこそ「天の秘鑰」なのだ。
 ビンラディンの隠れ家が突き止められたのは、クーリエ役の男の追跡に成功したからだ。全世界の通信の奔流に聴診器をあて、天文学的な頻度の交信から一人の男のキーワードを割り出すには、確率分布の統計数理を使って一回性の壁を破ったに違いない。
 アルゴリズムの手品? いや、グーグルなどの検索エンジンは誰もが日々体験していることだ。あれはインターネットと同じく、軍事技術の転用なのだ。
 手嶋氏の「物語」の垂鉛はそこまで届いている。   (あべ・しげお ジャーナリスト)

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「立ち読み」も出来るのでアクセスされたい。
映画『源氏物語─千年の謎─』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
源氏
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──映画鑑賞──

    映画『源氏物語─千年の謎─』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
       ・・・・・・・・東宝映画─製作総指揮・角川歴彦、監督・鶴橋康夫・・・・・・・・・・・

       紫式部と藤原道長の愛憎物語

     思った以上の出来。キャスティングが役にぴったりハマっていることが大きい。
     話が進めば進むほど“光源氏の空想の世界”と“紫式部の現実の世界”の判別に惑わされてしまう構成もいい。
     豪華な十二単や宮殿の朱が鮮やかで、セットとCGの融合も綺麗だ。
     しかも邦画で、登場人物が多い古典を素材にした割には説明っぽさがない。
     いちいち人名などの字幕が入らないのもいい。
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     源氏を演じる生田斗真は見た目といい動きといい申し分ない。
     真木よう子や田中麗奈といった女優陣も適材適所の演技で文句なし。
     それでもこの映画、情熱を内に閉じ込めた中谷美紀と、冷ややかな策謀家と化す東山紀之によって、
     式部の情念が物語のなかに根を張っていく様がひしひしと語られ、このふたりが物語の芯を押さえて離さない。
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     つまり、この作品の真の主人公は中谷美紀・紫式部と東山紀之・菅原道長といえる。
     そして真のラストは、式部が道長邸を訪ね、旅立ちの別れをするシーンだ。
     現に、音楽もあの場面を高らかに飾っている。
     数多な制約の中で、式部と道長の別れのシーンに意地を見せたような気がするのである。
     とは言え、エンドクレジットの生田斗真は見栄えしている。
     窪塚洋介が演じた「陰陽師・安倍晴明」などによる呪術と解放なども迫真的である。

この映画の原作・脚本は高山由紀子の同名の小説(角川文庫)に基づいている。
「源氏物語」の作者である「紫式部」と、時の権力者たる「藤原道長」との愛憎をプロットとして、この映画は成り立っている。
これは高山由紀子のフィクションであるが、このプロットによるストーリーが、先ず素晴らしい。
源氏を演じる生田斗真の、今風の美男子ぶりも成功したと言える。
琵琶湖畔に総工費二億円をかけたという「土御門邸」のスケールも壮大で、この邸宅のために切り出した木材は総十トンに達し、
庭園には中国から輸入した総量百トンの白川砂など、CGによらない迫真の仕上がりになっている。

何故、紫式部は「源氏物語」を書かねばならなかったのか──
時の権力者・藤原道長は、娘・彰子に帝の心を向けさせるために、紫式部に物語を書くように命じる。
物語の主人公・光源氏は、宮中の女性たちの憧れの的。義理の母・藤壺への狂おしい想いを断ち切ることが出来ず、
その苦しさゆえに、正妻・葵の上、年上の愛人・六条御息所、癒しの愛人・夕顔と、奔放に愛を求めて彷徨う。
紫式部が綴る「源氏物語」はたちまち帝の心をつかみ、帝と彰子の間に男の子が生まれた。
これで道長の栄華は確固たるものになり、紫式部の役目は終るはずだった。
しかし何故か紫式部は「源氏物語」を書き続けるのだった。
そんな中、道長の友人・陰陽師の安倍晴明は、物語に没頭する紫式部に不穏な気配を感じ始める・・・・・・。
天才女流作家・紫式部の叶わぬ愛が、その物語を綴らせた。

これ以上、多くは書くまい。 余韻の残る、佳い映画だった。 シルバー割引で1000円である。

十日戎所詮われらは食ひ倒れ・・・・・・・・・・・・・・・中本圭岳
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  十日戎所詮われらは食ひ倒れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・中本圭岳

「十日戎」は大阪の今宮戎神社の祭礼である。
一年はじめの1月10日は「初戎」として何十万の人が、一説では百万人が、さほど広くはない境内に押すな押すなの様相を見せる。 ↑ 今宮戎のホームページを見てもらいたい。
前日の9日夜は「宵えびす」、11日は「残り福」と称して、わざと、この日に参詣する人もある。社殿の裏に廻って、羽目板をどんどん叩いて「えべっさん、頼んまっせ」と大声で言うのが上方風である。
掲出した写真が当日の神社の境内の様子である。参拝のあと、「福笹」という笹の枝に小判やらをぶらさげたものを買い求めて、肩にかついで帰る。笹は笹だけで売られ、それにつける小判などは、別途金を払って追加するのである。東京の「熊手」に福面をつけたりするのと同様のことである。

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写真③が福笹。
『年浪草』という本に「諺にいふ、この神は聾にましますとて、参詣の諸人、社の後の板羽目を敲く。その音、昼夜にかまびすし。これ、今日参詣して諸願を訴ふる謂ひなり。」とある。
近年は「福娘」と称して公募して福笹の売り子を募っているが、応募者が多いので、なるべく美人を選ぶという。今年は45人採用したという。
1月10日前後には南地の花柳界の芸妓の綺麗どころを「宝恵かご」と称する駕籠に乗せて近在を練り歩く行事がある。これも神社の宣伝のためとは言え、人気がある。
↓ 今年はNHKの朝ドラ「カーネーション」の主役・尾野真千子も駕籠に乗って巡った。
「2012宝恵かご」
過去の「宝恵駕籠行列」については ← リンクに貼ったところの尾林正利による写真とエッセイが詳しい。
ネット上では、他にも動画などがたくさん見られる。お試しあれ。
今年は1月10日に盛大に練られる。

以下、十日戎を詠んだ句を引いて終る。

 福笹をかつぎ淋しき顔なりし・・・・・・・・高浜年尾

 地下道を華やぎ通る福笹持ち・・・・・・・・橋詰沙尋

 初戎ねがひのうなじうつくしく・・・・・・・・牧野多太士

 残り福得んと人出に押されけり・・・・・・・・吉川一竿 

 大阪を好きも嫌ひも宵戎・・・・・・・・吉田すばる

 小火騒ぎありて今宮宵戎・・・・・・・・後藤鬼橋

 福笹にきりきり舞の小判かな・・・・・・・・倉西抱夢

 きらきらと賽銭舞へり初戎・・・・・・・・金田初子

 福笹の大判小判重からず・・・・・・・・嶋杏林子

 凶くれて残り福とは面白し・・・・・・・・細見しゆこう

 雑踏を夫にかばはれ初戎・・・・・・・・上野美代子

 残り福疲れし声をあげて売る・・・・・・・・大戸貞子

 吉兆や佳人に足を踏まるるも・・・・・・・・大野素郎

 初戎笹の葉一枚づつの福・・・・・・・・三島敏恵

蝋梅が咲くとろとろととろとろと・・・・・・・・・・・・・・・・・青柳志解樹
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  蝋梅が咲くとろとろととろとろと・・・・・・・・・・・・青柳志解樹

蝋梅は年末から年始にかけて咲くが、花期は長いので今がポツポツ咲きはじめたというところである。
この句の「とろとろと とろとろと」というオノマトペが秀逸である。
この句に添えた彼のコメントには「老人がローバイの花を見ながら、日向でとろとろと、うたた寝している」様という。
蝋梅は、丁度いま年末から新年の時期にかけて咲く花である。
花期は寒い時期なので満開になるには一ヶ月くらいは綺麗に見られる。
昨年末からプレ・クリスマス寒波が来たりしたが、まだ葉が残っていて、葉が残っていると、黄色の花が見え難いので葉をむしって落したりする。
蝋梅は学名をChimonanthus praecoxというが、中国には広く分布している。
花びらが芯まで黄色一色なのが「素心蝋梅」という。花びらが「蝋」に似ているので蝋梅という。
いかにも蝋細工で出来ているという感じの花である。

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花は下向きにつく。
下から見上げると青空に花びらが少し透けて見える。

sosin-roubai2蝋梅の実

写真③は蝋梅の実である。この実が地に落ちて新芽が出てきて新しい幹が育つ。日当たりのよい場所を好むが、条件が整えば、やたらに増える木である。
梅と同じく、花は旧い枝につき、その年に伸びた徒長枝にはつかない。放っておくと木はどんどん大きくなって始末に負えないので、成長期には徒長枝は、どんどん切る。
中国から渡来したので「唐梅」の名もあるが、梅とは別種のもの。
きわめて香りの強いもので、屋内であれば頭痛を起すのではないかと思われる。
私の家の庭の一角にも、他所から頂いた蝋梅が位置を占めているが、樹形を大きくしないように維持するのに苦心している。
放っておくと大きくなりすぎて、他の木を日蔭にしてしまうので始末に悪い。
しかし花の少ない冬の景物として貴重な存在である。
以下、蝋梅を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 蝋梅のこぼれ日障子透きとほす・・・・・・・・菅裸馬

 蝋梅のかをりやひとの家につかれ・・・・・・・・橋本多佳子

 蝋梅の咲くゆゑ淡海いくたびも・・・・・・・・森澄雄

 蝋梅に斎庭(ゆには)は雪を敷きにけり・・・・・・・・宮下翠舟

 蝋梅やいつか色ます昼の月・・・・・・・・有馬朗人

 蝋梅の光沢といふ硬さかな・・・・・・・・山上樹実雄

 蝋梅のぬかるみ匂ふ鯖の道・・・・・・・・吉田鴻司

 蝋梅の蕾の数が花の数・・・・・・・・倉田紘文

 蝋梅に虻は上向きつつ移る・・・・・・・・高木石子

 蝋梅につめたき鳥の貌があり・・・・・・・・岸本尚毅

 蝋梅の蕾ながらも黄の目立つ・・・・・・・・江口竹亭

 蝋梅の咲く日溜りを皆好む・・・・・・・・佐藤兎庸

 蝋梅の花びら重し花透けて・・・・・・・・安田建司
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なお蛇足だが、橋本多佳子の句にあるように、「香る」という言葉の歴史的かなづかいは「かをる」が正しい。「香り」ならば「かをり」である。
布施明が歌ってヒットした歌 「シクラメンのかほり」 というのがあるが、なまじ大ヒットしたが故に、この仮名づかいが正しいように誤解されているが、
これは作者の小椋佳の勘違いによる間違いであり、いつまでも恥を曝しているようなものである。
知ったかぶりをして、歴史的かなづかい(旧かな)にしたために間違ったのである。ここは素直に「新」かなづかいにしておいたら、恥をかかずに済んだのである。
ブログ上でも、これにつられて「かほり」と書いてあるのを時々見かける。念のために申し上げておく。
ただし「人名」である場合は、この限りではない。


喪中欠礼の葉書数葉脇に置き生ける人らに賀状書き継ぐ・・・・・・・・・・米満英男
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──季節の歌鑑賞──年頭の歌風景いくつか

  ■喪中欠礼の葉書数葉脇に置き
     生ける人らに賀状書き継ぐ・・・・・・・・・・米満英男


米満氏は私の兄事する歌人である。昭和三年生まれ。
この歌は角川書店「短歌」一月増刊号の「短歌年鑑」の「自選作品集」に載るもので、
「賀状欠礼」と題する5首のうちのものである。
前後に載る歌を引くと

・しんかんと大根抜かれし畑の穴満月の下いよよ冥(くら)かり・・・・・・・・・米満英男
・朝夕に向かふ食卓この狭く温き平面を日常と呼ぶ
・目頭が目尻を詰(なじ)り言ふことにお前すこしはその尻拭へ
・この歳まで生くればついで百歳まで生くるべしなんて はい冗談冗談

とあり、何とも洒脱なものである。以下、引用は同じところから。

  ■新(にひ)年のふるさとの山明けそめて
    はろばろとおもふ <春はあけぼの>・・・・・・・・・・・・・・・志野暁子

  ■波の穂に止(とど)まれるかにかもめ飛び
    沖ほの暗し冬の日本海・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子正男

  ■無尽数の雪片意思をもつごとく
    海に降り陸(くが)に降り人間(じんかん)に降る・・・・・・・・橋本喜典

前後に載る歌を引く。

・この年の初の買物ずつしりと上下二冊の『道元禅師』・・・・・・・・・・・橋本喜典
・白き葉を紅がつつめる寒椿眼を遣るたびにわれをみつむる
・初出勤の朝戴きしチョーク箱いづれはわれの柩に入れよ
・少(わか)き日の疑問の奥に在りしもの解らねばいまだ老いに到らず

この人は早稲田高校の校長をされた人である。

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  ■ふるふると宇宙に地球が浮いてゐる
    サッカーボールのやうな淋しさ・・・・・・・・・・・・・・由良琢郎


地球は、まさに宇宙に宙づりに浮いているのであるが、それを「サッカーボール」のような「淋しさ」と捉えたところが凄いと思う。
いつも言うことだが、詩というのは陰影を深めるためには「比喩」表現に尽きる。
そういう観点から見ても、この歌は詩として自立し得ているだろう。

「凄い」と言えば、この歌の前に載る作品を引く。

・このごろのわれの自在は一瞬に物忘れする凄さもち初む・・・・・・・・・・・・・・・由良琢郎
・夜半覚めてふとかなしめり抽出しに余分の時計刻(とき)きざみつぐ

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  ■いつの日か惚け行くらむ素焼の皿に
    盛らるる夢のはんなりとあり・・・・・・・・・・・・・・・山中加寿


ここに引く何人かの人の歌群は、いずれも「老い」の寂寥を湛えていて、それぞれの様相の違いはありながら、いずれも秀逸である。
この山中さんの歌は「素焼きの皿に盛られる夢」という表現が、何とも「詩的」である。
この後につづく歌には

・箒持つをりに嗚咽の始まりぬ梅雨のさなかに南瓜はな持つ・・・・・・・山中加寿

この歌は、一昨年春四月に亡くなった師・前登志夫の死を思っての「嗚咽」であろう。

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 ↑ モンブラン万年筆

  ■パイロットインクをずっと使ってた
    あなたに遭えたころのブルーよ・・・・・・・・・・・・・・・上野久雄


上野久雄氏は2008年秋9月17日に亡くなった。
この一連は死の前に投稿されていたものである。
上野氏は昭和二年生まれ。短歌結社「未来」創刊以来の同人で、「みぎわ」という自分の歌誌を創刊して才能ある歌人を育てられた。
私なども若い頃は万年筆のインクはパイロットの「ブルーブラック」のインク壺を愛用していた。ご冥福を祈りたい。
この歌は、「未来」の主宰者だった近藤芳美の若い頃の「相聞歌」そっくりの趣を湛えている。

この歌の前後につづく一連を引いて、終りたい。

・一切れのロールケーキを食いて立つ死はたしか四時過ぎであるから・・・・・・・上野久雄
・午後からは編集会に行くのだと晴れた球場の空に手を振る
・稀にしてああ病感のなき目覚め味噌汁の具に今朝はしじみを
・西空に集まっている雲たちや一番知っているのは俺さ


人日や江戸千代紙の紅づくし・・・・・・・・・・・・・・木内彰志
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  ■人日(じんじつ)や江戸千代紙の紅づくし・・・・・・・・・木内彰志

  ■人日の日もて終りし昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・稲畑汀子


先に書いたように元日から六日まで「六日年取り」として過し、七日は年改まる日と考えられていた。
今日、七日は七種(ななくさ)粥を食べる風習が平安時代から行われ、今に続いている。
一年の無病息災を祈りつつ粥を食べる日であり、七日に門松などの正月飾りを外す地域も多い。
「人日(じんじつ)」 という呼称の由来については、五日付けで先に書いた。
「七種粥」についても、昨年までに何度も書いたので参照されたい。↓ 参考までに「春の七草」の画像を出しておく。

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正式には、七日の前日に、今日七日朝に食べる七種の草の材料として用意したものを賞味するのである。
昨日付けで書いたものを再録すると、天明頃の本『閭里歳時記』に「七種の菜を採りて明朝の粥にまじへ食ふこと、旧きならはしなり。城下にてはわづかに芹・菘等を用ひて、必ずしも七草を用ひず。今夕、かの菜を魚板に置き、桶の上にあげ、擂木(すりこぎ)・魚箸(まなばし)等をも載せて、菜を割りながら節あり、<七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に>と、はやすなり。時々にはやして暁に至る。家々にすることなり」とある。

二番目に掲出した稲畑汀子の句について言うと、昭和天皇の亡くなったのは昭和64年の1月7日だった。
翌日1989/01/08をもって、元号は「平成」と改まったのであった。
私は、その時、ニュージーランドのオークランドからオーストラリアのシドニーへの飛行機の中に居て、そのニュースを聞いたのだった。
思えば、昭和も遠くなったものである。
なお「元号一覧」について考えてみるのも面白いので見てみてください。

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  ■人日や古き映画に原節子・・・・・・・・・・・・・・・木内満子

「原節子」は往年の大スターだった。キリッとした美貌が、まぶしかった。
一時代を画した彼女の写真を掲げておく。

1949年の『青い山脈』では女性教師役を演じ、服部良一作曲の主題歌「青い山脈」とともに大ヒットとなった。また同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ6作品は、日本映画を代表するものとして、国際的にも有名になった。
1962年の『忠臣蔵』を最後に映画界を引退。1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現さないように隠棲。その後は神奈川県鎌倉市で親戚と暮らしているという。

ここでは、「人日」に因む句を引いて終る。

 何をもて人日の客もてなさん・・・・・・・・・・高浜虚子

 人の日や読みつぐグリム物語・・・・・・・・・・前田普羅

 人日のこころ放てば山ありぬ・・・・・・・・・・長谷川双魚

 人日の厨に暗き独言・・・・・・・・・・角川源義

 人日の夕凍み頃をふらり行く・・・・・・・・・・佐藤鬼房

 人日やにぎたまもまた臓のうち・・・・・・・・・・野沢節子

 人日の納屋にしばらく用事あり・・・・・・・・・・山本洋子

 人日の肝胆沈む枕かな・・・・・・・・・・宇多喜代子

 人日や粥に小匙の塩加減・・・・・・・・・・伊藤白雲

 人日の空のぼりつめ観覧車・・・・・・・・・・星野恒彦

 人日の暮れて眼鏡を折り畳む・・・・・・・・・・岩城久治

 人日や日暮れて鯛のすまし汁・・・・・・・・・・秋篠光広

 人の日の墓に備への竹箒・・・・・・・・・・熊田侠邨

 人日や昭和を楯のわれも老ゆ・・・・・・・・・・江ほむら

 人日や海鵜は高き杭を得て・・・・・・・・・・玉木郁子

 人日の日を分け合ひし烏骨鶏・・・・・・・・・・天野きく江

東隆夫氏撮影「東日本大津波に呑まれた三陸の写真」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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↑ 陸前高田市
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↑ 陸前高田市 「一本松」──今はもう無い
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 ↑ 南三陸町
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 ↑ 石巻市立大川小学校慰霊碑 全校100人のうち70人の児童が教師の判断ミスにより津波にさらわれた

     東隆夫氏撮影「東日本大津波に呑まれた三陸の写真」・・・・・・・・・・・木村草弥

東隆夫氏から、掲出した写真がメールに添付して送られてきたので、ご紹介する。撮影時期は昨年十月であるという。合掌。

東隆夫氏とは2000年のミレニアムの年にイスラエル旅行にご一緒した縁で、今も交友が続いている。
この旅については何度かブログにも書いたが、東隆夫氏はインターネットの「ネッティング」関連の会社を経営されている。
イスラエルという国はインターネットのメカなんかには強い国で、そんなソフト制作なんかを世界的に請け負っているという。
業界でイスラエル視察をされたときに東氏も参加されて同国に興味を抱かれ、ゴールデンウィークの休みを利用して、この旅に参加されたのだった。
この旅は阪神航空主催で、同行者は私たち夫婦と、別の夫婦の組、それに単身者の東氏の総勢五人と添乗員の計六人が十日間小型のマイクロバスに乗ってイスラエルを一周した。
日本語、英語、スペイン語、それに母国語としてヘブライ語を操るユダヤ人のガイド・ベソール君。
運転手はイスラエル国民だがアラブ人でイスラム教徒だった。
詳しくは「ダビデの星」を参照されたい。

一きほひ六日の晩や打薺(なづな)・・・・・・・・・・・・・鬼 貫
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 ↑ 都井岬の野生馬
 
  ■一きほひ六日の晩や打薺(なづな)・・・・・・・・・・・・・鬼 貫

  ■祓はれて馬の嘶(いなな)く六日かな・・・・・・・・・・・・・・原茂美


節日である七日正月の前夜である。
天明頃の本『閭里歳時記』に「今日七種の菜を採りて明朝の粥にまじへ食ふこと、旧きならはしなり。城下にてはわづかに芹・菘等を用ひて、必ずしも七草を用ひず。今夕、かの菜を魚板に置き、桶の上にあげ、擂木(すりこぎ)・魚箸(まなばし)等をも載せて、菜を割りながら節あり、<七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に>と、はやすなり。時々にはやして暁に至る。家々にすることなり」とある。
また文化五年刊の『改正月令博物筌』に「今日を馬日とす。○六日年越し、七日は式日なれば、今日をいふにや」とある。
「馬日」に因んで、馬の写真を出してみた。

「正月六日」を詠んだ句も多くはないが、それらを引いて終る。

 六日はや睦月は古りぬ雨と風・・・・・・・・渡辺水巴

 凭らざりし机の塵も六日かな・・・・・・・・安住敦

 六日夜も灯のついてゐる手術室・・・・・・・・石井保

 眠りの森の美女を見にゆく六日かな・・・・・・・・須川洋子

 冷えきつて賀状の戻り来し六日・・・・・・・・福井隆子

 海を見に来てゐて松も六日かな・・・・・・・・中野あぐり

 活け直し六日の床を新たにす・・・・・・・・鵜飼濃尾女

 朝食をはやばらばらに摂る六日・・・・・・・・細川洋子

 賀状来し人の訃へ発つ六日かな・・・・・・・・伊藤真代

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今日も記事が短いので、いつも拝見している「週刊俳句」から作品を引いておく。

 空港やマスクをかけて一人客・・・・・・・・櫂未知子

 外套の汲めども尽きぬあをさかな・・・・・・・・  〃

 飛行機はいづこに眠る冬初め・・・・・・・・  〃

 冬ざれて贅を尽くせる港かな・・・・・・・・  〃

 雪虫の嵩とも言へぬ嵩に酔ふ・・・・・・・・  〃

 冬の灯のひとつと思へ無影燈・・・・・・・・  〃

 丘の木に日月疾し狐罠・・・・・・・・大井さち子

 雪の夜はやさしい時間つもり来る・・・・・・・・  〃

 雪降り積む岡井隆の若書きに・・・・・・・・  〃

 落葉松に雪降り夢のかへる場所・・・・・・・・  〃
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今日は「寒の入り」である。
今年は、昨年末に「プレ・クリスマス寒波」と言われる第一波に続いて「クリスマス寒波」と来襲して北国では大雪で寒かったが、年末・年始はほぼ平年の寒さになった。
それでも「山」は荒れて、昨日、今日と遭難者のニュースが伝わる始末である。
今日から「寒」に入って、いよいよ寒さも本格的になるということである。
昨日の夜半には雷がゴロゴロと鳴っていた。いわゆる「寒雷」である。
これが鳴ると、間もなく天気が悪くなるという予兆だと言われているが、果たしてどんな寒さになるだろうか。
当地(京都)でも未明から電線がヒューヒューと鳴っている。この音を聞くと寒くなるなぁ、と実感させられる。

「寒の入り」に合せて本格的な冬になるということで、季節の推移というものは正直なものである。
なお「大寒」は一月二十一日ということである。

江ノ島や五日の磯に人のせて・・・・・・・・・・・・・・・星野恒彦
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  ■江ノ島や五日の磯に人のせて・・・・・・・・・・・・・・・星野恒彦

  ■牛日や駅弁を買いディスク買い・・・・・・・・・・・・・・・木村美智子


正月の各日に獣の名を宛て、元日=鶏日、二日=狗日、三日=猪日、四日=羊日、五日=牛日、六日=馬日とし、七日=人日つまり人を占い、人を尊ぶ日、とされていた。
人勝節などとも言い、中国の前漢時代に定められた日だという。

元日から六日まで、天候によりその年の禽獣や農作物が豊かかどうかを占い、七日は人の世界の運勢を占ったらしい。
昔の『歳時故実』という本に「牛日といふ。○木造り始め 禁裏にあり。千寿万歳ならびに猿楽等来たる」とある。
掲出した二句目に「牛日」とあるのは、その意味である。

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図版②は葛飾北斎「富嶽三十六景」相州江ノ島の図である。

歳時記に載る「正月五日」の句は多くはないが、引いて終る。

 水仙にかかる埃も五日かな・・・・・・・・松本たかし

 黒燦々正月五日の護美袋・・・・・・・・林 翔

 五日まだ賀状整理に更くる妻・・・・・・・・水島涛子

 蛸干すや五日の凪を讃へつつ・・・・・・・・中村君永

 歳徳の護符の舞い落つ五日かな・・・・・・・・渋谷天眠

 五日舞ふ大袖の振り潮を呼ぶ・・・・・・・・猪俣洋子
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今日は記事が短いので、いつも見せてもらっている「週刊俳句」から句を引いておく。
いずれも現代俳句らしい才気煥発な作品である。少しは秋の季語のものも入っているかも知れない。
私は俳句の実作者ではないが、いつも文芸表現として面白く拝見して刺激を受けていることを言っておきたい。

 つまべにや祇園の路地の身幅ほど・・・・・・・・角谷昌子

 秋のこゑ箱階段の箱を引く・・・・・・・・  〃

 天窓に嵌る青空小鳥来る・・・・・・・・  〃

 うつぱりのうへにうつぱりそぞろ寒・・・・・・・・  〃

 奥の間に蒲団伸べある町屋かな・・・・・・・・  〃

 おでん屋のあたりまで君居たやうな・・・・・・・・西村麒麟

 学校も冬眠もないなんにもない・・・・・・・・太田うさぎ

 冬の月差す射す刺すと変換す・・・・・・・・吉田悦花

 絶頂の手まへの銀杏黄葉かな・・・・・・・・  〃

 土日のみ開く蕎麦屋よ冬ぬくし・・・・・・・・  〃

 押上タワー建築途上年暮るる・・・・・・・・  〃

 あなたへの秋思はコーヒー一杯分・・・・・・・・月野ぽぽな

 霧の道ゆかねば木霊さみしがる・・・・・・・・  〃

 秋天の汲んでマンハッタンに棲む・・・・・・・・  〃


一人居の四日の風呂を溢れさす・・・・・・・・・・・・・・・・・佐怒賀直美 (付・「しぶんぎ座流星群」画像)
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──季節の一句鑑賞──正月「四日」3

■一人居の四日の風呂を溢れさす・・・・・・・・・・佐怒賀直美

正月四日となった。
「二日」「三日」と書き続けてきたが、念のために申しておくが、これから書く「四日」「五日」「六日」「七日」というのは、いずれも、これらの日は「正月の季語」であるから、ご注意願いたい。
つまり「四日」と言えば、正月四日の日を指すということなのである。


三が日の正月行事が終り、職人は仕事の道具を揃え、農家では軽く農事をおこない、仕事始めとして祝う。
サラリーマンもこの日から出勤することが多いが、本年は今日、明日からの出勤が多いだろう。

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  ■ひとり分珈琲豆を碾く四日・・・・・・・・・・・・・・染谷佳之子

コーヒー愛好者には、凝る人が多い。
写真②はプジョー社製のコーヒー・ミルである。
クラシックな機能のもの。
コーヒーを淹れるのにもサイフォンとか、いろいろあるが、単純に「ドリップ」式のものが風情がある。
淹れ方よりも、コーヒー豆のブレンドの配合の方が、私なんかは重要視したい。
外に出て、有料で飲むコーヒーにも値段の割りにおいしくないものが多い。
つい最近になって知ったことだが、エチオピア産の「モカ」の豆から残留農薬が検出されて輸入禁止になったため、コーヒーのメーカーはブレンドに困っているいるという。
「モカ」豆の「酸味」はコーヒーの風味を左右するもので、ブレンドには欠かせないが、先に書いた「おいしくない」云々という件に、このことが影響しているのかも知れない。この影響は当分つづくだろう。
以上、ひとこと書き加えておく。
私が六ヶ月に一度、定期診察にゆく京都大学病院の玄関フロアに出店する「ドトールコーヒー」のカプチーノを私は、値段の割りにおいしいと愛用している。

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  ■舟一艘二艘三艘四日かな・・・・・・・・・・・・・・・渡辺恭子

写真③は銚子港に停泊する漁船である。
昨年は、大震災・大津波と原発爆発による放射能飛散により、千葉県も大きな影響を蒙った。
しかし、銚子港は魚の水揚げが好調で、漁民は久々の活気に浸ったという。

以下、「四日」を詠んだ句を列記して、終る。

 コンドルの貧乏歩きも四日かな・・・・・・・・飯島晴子

 気が付けば頬杖癖も四日かな・・・・・・・・小桧山繁子

 合点してざぶざぶ使う四日の湯・・・・・・・・宇多喜代子

 磨ぎ終へし四日の米の白さかな・・・・・・・・若井新一

 心音を拾ふ四日の聴診器・・・・・・・・細川洋子

 好きなものゆつくりと煮て四日かな・・・・・・・・大橋麻沙子

 俎にのせて四日の豆腐かな・・・・・・・・今関淳子

 卓袱台は昭和の匂ひ四日かな・・・・・・・・端山日出子
 
 ビードロとビーチグラスと四日かな・・・・・・・・高島征夫
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a0ed6080-e8ac-40b0-8551-3596451d584c「しぶんぎ座流星群」
↑ 北斗七星を貫く「しぶんぎ座流星群」2001/01/04AM1時台 撮影者─gazoo.com

一月四日未明は「しぶんぎ座流星群」の見られる特異日であるが、今年は雲が多く、かつ月明があったりして観測できないなかったところが多かったらしい。
上に掲げた画像は過去のものである。撮影者と時刻は書いてある通りである。
撮影者である著作権所有者に御礼申上げて、ここに記しておく次第である。


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