K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(4月)月次掲示板
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昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
entry_25しだれ桜小渕沢

四月になりました。陽春の到来です。
新人の春です。 旧人はひっそりと暮らしましょう。

だんだんにわたしに占める死者の量増えきて傘にはりつくさくら・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺松男
うぐひすの声にうたた寝より覚めぬ紀伊の野べ行く列車にありて・・・・・・・・・・・・・・・・安田純生
春の花が咲きまだ声の調はぬうぐひすが啼きとりあへず 春・・・・・・・・・・・・・・・山埜井喜美枝
薔薇垣をかはるがはるに出でて入るほつそりとせる雀の春子・・・・・・・・・・・・・・・・・横山未来子
かつて海から上がりしときの足裏の記憶あたらし春の潮騒・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐伯裕子
青空に群れ波だちてゐしのちのさくらの花のゆくへ知るなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松坂弘
赤土に赤き土偶の眠れるをしずかに満ちて桜ひらきたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 奥田亡羊
遠見にはさわに花咲くシダレにて棒突っ張って枝支えてる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 奥村晃作
死はそこにあるかと思ふあかるさに菜の花咲けりその花を食ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 外塚喬
おとろへて生あざやかや桜八重・・・・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る・・・・・・・・・・・・・・・・・・中村草田男
さくら咲きあふれて海へ雄物川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森澄雄
愛咬やはるかはるかにさくら散る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時実新子 
野を穴と思い跳ぶ春純老人・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・永田耕衣
亜隆隆ほどの朝魔羅遠辛夷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
せんべいを箱ごとつぶす花ふぶき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大友逸星
投げ込み寺に春を投げ込む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・添田星人
遠く遠く誰のものでもないカヌー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北村幸子
体温になるまで仮面はずせない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・笠嶋恵美子
不安だった鳥のかたちになるまでは・・・・・・・・・・・・・・・・・・岸裕見子
人間の匂いを壺に入れておく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本多洋子
うつくしきもののひとつに豆の種・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・八上桐子
海を拝んだ空を拝んだそんな顔・・・・・・・・・・・・・・・・・・・徳永政治二
少し余白があってアイヌの叙情詩は・・・・・・・・・・・・・・・・・・墨作二郎
我らすでにうそ寒族と呼ばれんか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺隆夫
ひとすじの春は障子の破れから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三条東洋樹
春光漸老離人夢・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鄭民欽
傾けた本から滴り落ちる湖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・悠とし子
ふがいない男でござる蟹の泡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古谷恭一
インターチェンジからジャンクションまで放射能・・・・・・・・原田否可立
ブータンの蝶が置いてく試供品・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・勝又明城
悪いけど枯芝のやうなをんなぢやない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・御中虫
このラベルきれいにはがす嗚呼春だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
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葱坊主子を憂ふればきりもなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
P618013621葱坊主

   葱坊主子を憂ふればきりもなし・・・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦

葱(ねぎ)はユリ科の多年草。原産地は中央アジアで、中国へは二千年以上も前に渡ってきて栽培されていたという。日本へも古くから渡来している。
葱は春になると茎の先に花の塊をつける。それがネギ坊主である。
花の一つ一つは小さいもので、全体が苞葉(ほうよう)に包まれている時は擬宝珠(ぎぼし)に似た形をしている。
そこから葱坊主の名前で呼ばれるようになった。この花の一つ一つが葱の種になる。

写真①はビニールハウスの中で一斉に葱坊主になった壮観さである。
普通、葱や玉ネギは種から発芽させた「苗」を買って植えつける。この方が品種ものが栽培できるからである。
自分の家で出来た種を蒔いて育てるといろいろの品種が交配して雑種になる。
しかし種採りの農家はなるべく交配しないように一種類のネギを大規模にかためて栽培し、ネギ坊主から種を採り、それを蒔いて苗にして販売する。
この苗栽培を専門にしている農家もある。

一概にネギ坊主と言っても、種類によってネギ坊主の花の色にも違いがある。

asatuki1アサツキ葱坊主
写真②は「あさつき」という細いネギの花である。淡いピンクあるいは薄むらさき色で美しい。
一般的にネギ坊主が出来ると、ネギはしわしわになり、食べられない。だからネギ坊主は、食用の場合には、早くにネギ坊主を切り取ってしまう。
この頃ではインスタントものの味噌汁やラーメンなどの具に刻んだネギの真空乾燥したものが入っているから、ネギなどの薬味野菜の用途も大きく膨らんだと言えよう。

negibozu葱坊主

歳時記に載る句を紹介して終りたい。

 泊ることにしてふるさとの葱坊主・・・・・・・・種田山頭火

 臀丸く葱坊主よりよるべなき・・・・・・・・西東三鬼

 水溜跳べぬがありて葱の花・・・・・・・・石川桂郎

 葱の花ふと金色の仏かな・・・・・・・・川端茅舎

 葱坊主灯台に風鳴るところ・・・・・・・・沢木欣一

 葱坊主干しひろげあり儚(ぼう)々と・・・・・・・・飯島晴子

 書くうちに覚悟となりぬ葱坊主・・・・・・・・宇多喜代子 

 葱坊主さびしき故にわが愛す・・・・・・・・吉川千代子

 葱坊主いつしか意地を折りゐたり・・・・・・・・三好潤子

 所在なき旅の日暮を葱坊主・・・・・・・・森澄雄

 干満をかさねて島の葱坊主・・・・・・・・藤田湘子

 葱の花少しひもじき日昏れ刻・・・・・・・・鈴木真砂女

 疲れどつと夕日のなかの葱坊主・・・・・・・・南部憲吉

 風筋のまだ定まらぬ葱坊主・・・・・・・・湯下量園

 良寛の地や不揃ひの葱坊主・・・・・・・・野本ナヲ子

 葱坊主にも横顔のありにけり・・・・・・・・榊原池風

 見抜かれし嘘にたじろぐ葱坊主・・・・・・・・田中洋子

 隣り家もひとりの暮らし葱坊主・・・・・・・・赤松シゲ子



ひと粒の種に還るべしたんぽぽの白き絮とぶ空はろばろと・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   ひと粒の種に還るべしたんぽぽの
     白き絮(わた)とぶ空はろばろと・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
同じ歌集の後半に

  やくざなる言葉あそびに過ごす身にひとひら落つる蒲公英(たんぽぽ)の絮

  終(つひ)の日はたんぽぽの絮とぶやうにふるさとの野の雲をゆきたし

  黒南風(くろはえ)に捲かるるやうにたんぽぽの絮ながれゆく涅槃あるべし


という歌が載っている。これらは掲出歌と一体として鑑賞してもらえば有難い。

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ところで、最近よく見かけるタンポポは「西洋タンポポ」である。
日本タンポポ(写真②)は花の萼(がく)片が反り返っていないので、区別は容易である。
今やわれわれの目にするほとんどは、西洋タンポポに侵食されてしまったと言える。
この頃では牧草の輸入が盛んで、それらの中に紛れて日本にはない植物の種が、すごい勢いでなだれ込んでいる。
西洋タンポポの渡来は、もっと早いが、「帰化植物」であることには違いない。

seiyoutanpopo西洋タンポポ

写真③に西洋タンポポの花をお見せする。ガク片が反り返っているのが判るだろう。
この頃では日本タンポポと西洋タンポポが交配して「雑種」が出来ていると言われている。
このような現象は、いろいろの植物で見られる。概して外来種の方が優勢であることが多い。
魚でも大問題になっている。
琵琶湖では外来魚の駆除のために条例を制定してブラックバスやブルーギルなどの釣の際のリリース(再放流のこと)を禁止している。

タンポポの綿の飛散は、もう始まっている。
先日、京都大学薬学部の構内を散歩していたら、タンポポの綿柄には、もう綿が飛んだ後で何もなかった。
もちろん全部が一斉に飛ぶのではないから、綿柄が生長中のものも、まだあった。
図鑑を読んでいると、四国、九州では白いタンポポが普通だという。
もちろん日本タンポポの話である。地域によって、こんなにも違うものなのである。

昔から蒲公英は俳句にもたくさん詠まれてきたので、それを引いて終る。

 たんぽぽや長江濁るとこしなへ・・・・・・・・山口青邨

 わが旅の蝦夷も果なるたんぽぽ野・・・・・・・・高浜年尾

 たんぽぽや日はいつまでも大空に・・・・・・・・中村汀女

 たんぽぽと小声で言ひてみて一人・・・・・・・・星野立子

 蒲公英や懶惰の朝の裾さむし・・・・・・・・石田波郷

 たんぽぽの折目乳出て新社員・・・・・・・・平畑静塔

 鼻先にたんぽぽ むかし匍匐の兵・・・・・・・・伊丹三樹彦

 たんぽぽの白の孤高に黄を配す・・・・・・・・稲畑汀子

 網干場ロシヤたんぽぽ増えにけり・・・・・・・・森田峠

 たんぽぽの絮の中なる無音界・・・・・・・・藤田湘子

 たんぽぽの絮とぶ誰も彼も大事・・・・・・・・岡本眸

 たんぽぽの絮のしきりに壬生の鉦・・・・・・・・大石悦子

 たんぽぽの絮わんわんと四囲に基地・・・・・・・・岸本マチ子



ライラックそのむらさきの髪ふさの舞姫ソフィーゆめに顕てるは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   ライラックそのむらさきの髪ふさの
     舞姫ソフィーゆめに顕(た)てるは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
これは歌遊びの一種の「沓冠」15首の中の一首として載っているもの。

ライラックというのは英語読みの名前で、フランス語では「リラ」となる。
原産地はイラン北部の山地と言われ、12世紀のイランの絵に出てくるので、古くから鑑賞されていたらしい。
十字軍によってヨーロッパにもたらされたと推測される。
シモーネ・マルディーニの「受胎告知」の一つに白花のライラックが描かれているので14世紀にはイタリアに入っていたと思われる。
18世紀の後半にはフランスで種間雑種が作り出された。
さらに19世紀にビクトル・レモアンが息子とともに改良をすすめ、花色を豊かにし、八重咲きを作り出した。
それらはフレンチ・ライラックとして知られる。
中国には野生種のライラックがあったが、20世紀初頭にアメリカにもたらされ、盛んに栽培されるようになった。
lilac3520リラ相生拡大

日本には明治になって渡来し、北星学園の創始者クララ・スミスが故郷のアメリカから導入したものが広がったという。
北大植物園の大株は日本最古の株という。
ライラックは寒冷地を好むので、札幌の代表的な花として定着し、5月末に大通公園でライラック祭が開かれる。

ものの本によると関西以西では栽培が難しいと書かれているが、写真①②は兵庫県相生市に住む人が栽培して2メートル以上に生長しているというライラックのものである。
その人の話によると、相生では4月下旬には咲くという。

先に書いたが、ライラックにもさまざまな種類の改良種があるらしい。
パリにゆくと見事な枝ぶりに、私の歌のように「むらさき色」豊かな「リラ」が群生しているが、これがフレンチ・ライラックと呼ばれるものなのだろうか。
また、香りがすごいのである。
aaoorairak1ライラック

掲出した私の歌は沓冠「秘めごとめく吾」の一連のものであるが、2009/04/15付けの記事に載せているので、← ここをクリックして見てもらいたい。

その後、ネットを検索して「フレンチ・ライラック」なるものの写真を入手したので、お目にかける。
Etoile20de20Maiエトワール・ド・メ

Henri20Robertアンリ・ロベール
写真④は「エトワール・ド・メ」(Etoire de mai)という名。
写真⑤は「アンリ・ロベール」(Henri Robert)という名。

二つとも八重咲きらしく、すごく豪華な花つきである。
パリ市内のリラの花が、すべて、こんな花だったとは記憶しないが、とにかく花が大きく、香りがすごかったという記憶がある。

以下、リラを詠んだ句を引いておく。「リラ冷え」「リラの雨」などの季語もある。

 夜話つひに句会となりぬリラの花・・・・・・・・・・高浜虚子

 空もまた暮れつつリラの色となる・・・・・・・・・・水原秋桜子

 舞姫はリラの花よりも濃くにほふ・・・・・・・・・・山口青邨

 リラ冷えてトラピスチヌは物を売る・・・・・・・・・・神尾季羊

 リラの花含羞の風過ぎにけり・・・・・・・・・・鷲谷七菜子

 リラ咲けば誰も旅人港町・・・・・・・・・・古賀まり子

 リラの花了ふ少女期の妻知らず・・・・・・・・・・倉橋羊村

 聖者には永き死後ありリラの花・・・・・・・・・・片山由美子

 リラの花餅の重さのチーズ買ふ・・・・・・・・・・松尾隆信

 リラ咲くや人の手紙に我のこと・・・・・・・・・・森賀まり

 リラ冷の香に快晴の朝あり・・・・・・・・・・日夏緑影

 ライラック少女小説いまもなほ・・・・・・・・・・筒井泰子

 リラ冷えや旅の鏡に灯を点す・・・・・・・・・・西田純子

 リラ冷えやダイヤは肌に着けてこそ・・・・・・・・・・丸山新太郎



食卓に置きたる壺の山吹は散るにまかせつ黄の濃き花びら・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   食卓に置きたる壺の山吹は
    散るにまかせつ黄の濃き花びら・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

030409t井手の山吹
山吹の花は太田道灌の逸話などで有名だが、写真②は私の住む隣町の井手の玉川の山吹である。
これは聖武天皇の義弟の橘諸兄がここに住むようになって山吹を愛でて植えさせたという故事に因む。
写真②では桜の花と一緒に咲いているのが判るが、山吹の種類や場所によっては遅速があるようである。

yamabuki04松尾大社ヤマブキ
写真③は、ここも山吹の名所として有名な松尾大社の花である。水路があって回廊の橋から撮ったもの。

山吹には一重と八重の両方がある。
私の家の山吹は八重であり、今が丁度みごろである。
山吹はせいぜい高さが1メートルくらいの木であり、単独で存在を示すというものではなく、他の大きい木に寄り添う形で存在する、控えめな木であると言える。

hitoeyoko1山吹一重
写真④は一重の山吹である。
先に書いた太田道灌の故事だが、それは花は咲いても実がならないという山吹の性質に由来する。
その問題の兼明親王の歌をお見せする。

   七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

というものである。「実の」は「蓑」に掛け合わせてあるのである。

万葉集巻10歌番号1860の「よみ人しらず」の歌にも

   花咲きて実はならずとも長き日に思ほゆるかも山吹の花

とあるように、同じ趣旨の歌は、いくつもあるようである。
というより兼明親王は、この万葉集の古歌を知っていて、本歌どりで作られたのであろうか。
時代的には、そうなる。

一番に掲出の写真は八重の山吹である。

図鑑によると山吹は日本原産だという。
・薔薇(ばら)科。
・学名 Kerria japonica
Kerria : ヤマブキ属
japonica : 日本の
Kerria(ケリア)は、19世紀のイギリスの植物学者「Kerr さん」の 名前にちなむ。

この八重ヤマブキは実がならないという。では、一重ヤマブキは実がなるのかというと、私の読んだ本には、そのことは何も書いていない。
古来、多くの句が詠まれてきたので、それらを引いて終りたい。

 山吹や宇治の焙炉の匂ふ時・・・・・・・・松尾芭蕉

 山吹にぶらりと牛のふぐりかな・・・・・・・・小林一茶

 山吹や小鮒入れたる桶に散る・・・・・・・・正岡子規

 蕎麦すする夕山吹のなつかしき・・・・・・・・渡辺水巴

 山吹の中に傾く万座径・・・・・・・・前田普羅

 あるじよりかな女が見たし濃山吹・・・・・・・・原石鼎

 濃山吹俄かに天のくらき時・・・・・・・・川端茅舎

 山吹の黄の鮮らしや一夜寝し・・・・・・・・橋本多佳子

 やすらかに死ねさうな日や濃山吹・・・・・・・・草間時彦

 わがいのち知らぬ我かも濃山吹・・・・・・・・原コウ子

 山吹や酒断ちの日のつづきをり・・・・・・・・秋元不死男

 山吹や庭うちにして道祖神・・・・・・・・石川桂郎

 山吹の黄金とみどり空海忌・・・・・・・・森澄雄

 山吹の真昼を伎芸天伏し目・・・・・・・・井沢正江

 童女とて愁ひ顔よき濃山吹・・・・・・・・倉橋羊村

 山吹や家ふかきより老のこゑ・・・・・・・・宇佐美魚目

 沢蟹の水へしだるる濃山吹・・・・・・・・市川つね子



雉子の眸のかうかうとして売られけり・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
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   雉子の眸(め)のかうかうとして売られけり・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

(きじ)は桃太郎の家来として日本人に親しまれている鳥。
世界で日本にしかいない固有種である。日本でも本州、四国、九州にいるだけである。日本の「国鳥」である。
狩の対象になって個体数が減ったので、この頃では人の手で孵化させて放鳥されている。

雄の羽は美しく、黒味を帯びた緑色で光沢があり尾羽は長い。雌は地味で、淡い黄褐色、黒い斑を一面にもち、尾羽も短い。一夫多妻というか、雄は多くの雌を支配する。
雉は狩の対象としてもよいが、「禁猟期」というのが決められており、春からの繁殖期は禁猟である。
雉の季語は「春」だが、掲出の楸邨の句に詠まれている時期は、つまり狩猟期は「冬」である。
だから、この句に関しては、季語と詠まれた時期とには、ねじれがある。春から夏の繁殖期の今の時期は禁猟期である。
楸邨の句の頃には、こういう制限はなかったかと思われるが、季語では、春と言っても二月はじめからあるから、その頃は結構寒いから、季語としても違和感もない、とも言える。

私の住む辺りでも、畑や河川敷や潅木の辺りには出没するので、よく鳴き声や姿を見ることがある。
一年中いる留鳥であるが、人里にも近くに寄ってくる。
雄は「けーんけーん」と鳴くが、これは雌を呼ぶ声で、雌は「ちょんちょん」と応える。
雉は鳴き声とともに羽音たかく飛び立つので猟の的とされ、肉もおいしい。
雉の親が子を守るのが、いじらしいほどである。

楸邨の句の雉の目が「かうかうとして」売られる、という把握の仕方は独特のもので、並の俳句の域を脱して秀逸である。

万葉集には、大伴家持の歌

   春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋ひに己があたりを人に知れつつ

は雉の夫婦愛を描いて、今に伝わる名歌である。

古今集には、平貞文の歌

   春の野のしげき草葉の妻恋ひに飛び立つ雉のほろろとぞ鳴く

も雉の生態を見事に捉えている。

雉を詠んだ句を引いて終りたい。

 父母のしきりに恋し雉子の声・・・・・・・・松尾芭蕉

 きじ啼くや草の武蔵の八平氏・・・・・・・・与謝蕪村

 撃ちとつて艶なやましき雉子かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 仔の牛を放てる野辺や雉子鳴けり・・・・・・・・水原秋桜子

 この空を蛇ひつさげて雉子とぶと・・・・・・・・高野素十

 雉子はいつも尾羽たひらに闘志もつ・・・・・・・・山口青邨

 雉啼くや胸ふかきより息一筋・・・・・・・・橋本多佳子

 生くること何もて満たす雉子食ひつつ・・・・・・・・細見綾子

 刻々と雉子歩むただ青の中・・・・・・・・中村草田男

 雉子啼いて安居に似たり夕日満つ・・・・・・・・大野林火



小西亘『青谷梅林文学散歩』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
小西亘

──新・読書ノート──

     小西亘『青谷梅林文学散歩』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
          ・・・・・・・城陽市観光協会 平成24年3月 本書発刊実行委員会刊・・・・・・・

先ず、小西亘氏のプロフィールを出しておく。
1958年京都府相楽郡南山城村に生まれる。
1982年から京都府立久美浜高校に勤務。
現・京都府立菟道高校国語科教諭。

訳書 『注釈青谷絶賞』(1997年発行)
共著 『月ケ瀬と斉藤拙堂』(2004年発行/月ヶ瀬村教育委員会)

かねてから小西氏は、当地・南山城に伝わる文芸資料の発掘に尽力され、それらの資料を基にさまざまの文献を渉猟して、実証的な研究を積み重ね、今回の本の発刊に持って来られた。
「青谷梅林」は、鎌倉時代頃からつづく由緒ある梅林だが、その歴史を忠実に辿るとともに、この梅林にまつわる文学者たちを描出したのが本書である。

「目次」を拾ってみよう。

「青谷梅林略史」
「『青谿絶賞』を歩く」
「青谷梅林と文学」
「上田三四二と青谷」

この本は「郷土史」の資料としても大いに価値のあるもので、若い人たちにも読んでもらいたい。
例えば、「青谷」の名前の由来となった「粟神社」のことは郷土史では自明のことではあるが、一般的には知られていないので、ぜひ読んでもらいたいところである。
文学に関係する私としては、この郷土にかかわる文学者の名前───尾山篤二郎、窪田空穂、川田順、上田三四二などに触れられていることを特記したい。
特に、「上田三四二」は結核専門医師として、当地にあった国立青谷療養所に数年間勤務したことがあるので、一章を設けて書かれている。

本書は、極めて実証的な研究で、記述は精細にわたっている。
私は、非実証的な人間なので、こういう研究には脱帽するものである。
市販品ではないのが残念であるが、機会があれば手にとって見てもらいたい。
著者に聞いてみたいが、Web上で閲覧できるのであれば、もっと多くの人々に詳しく知ってもらえるので、ご一考いただきたいものである。



うらうらに照れる春日にひばりあがり心かなしもひとりし思へば・・・・・・・・・・・・・・・・・・大伴家持
Alauda_arvensis_2ヒバリ

   うらうらに照れる春日(はるひ)にひばりあがり
    心かなしもひとりし思へば・・・・・・・・・・・・・・・・・・大伴家持


雲雀(ひばり)は春の鳥である。一年中いる留鳥ではあるが春以外のシーズンには目立たない。
スズメ科ヒバリ属という鳥で写真①のように保護色になっているので草叢や地面に居ると見分けにくい。頭には短い羽冠がある。
繁殖期の子育ての時期には囀りがいかにも春らしく、中空で歌い、一直線に地に下りる。これを落ちるという。
麦畑や河原の草に巣を作るが、巣から離れたところに下り、草かげを歩いて巣に至るので、巣を見つけるのは難しい。
ひばりは空にあがる時はヘリコプタの上昇のように一直線に真上に羽をはばたいて昇る。
hibari-5ひばり急上昇

写真②は、その急上昇の一瞬を捉えたもの。子育ての時期には敵の存在を確認すべく上空から監視するのではないか。いわゆる「ホバリング」が出来る鳥なのである。
この後、文字通り羽ばたきをやめて一直線に「落ちる」。

ひばりは虫や昆虫などを餌にしている。掲出した写真も虫をくわえている。
秋などに休耕田の草刈をしていると、虫が飛び出すのを知っていて、いろいろの鳥が寄ってくるが、ヒバリも寄ってくるものである。

ヨーロッパの詩などにもヒバリは、よく詠われ、イギリスの詩人パーシー・シェリーの有名な名詩"To a skylark"がある。
「壺斎閑話」という人のサイトに翻訳文と原詩が載っているので参照されたい。

日本の詩歌にも古来よく詠われ、掲出の大伴家持の歌も有名なものである。
「うらうらに」という出だしのオノマトペも以後多くの歌人に使われているものである。
以下、歳時記に載るヒバリの句を引いて終りたい。

 雲雀より空にやすらふ峠哉・・・・・・・・松尾芭蕉

 うつくしや雲雀の鳴きし迹の空・・・・・・・・小林一茶

 くもることわすれし空のひばりかな・・・・・・・・久保田万太郎

 わが背丈以上は空や初雲雀・・・・・・・・中村草田男

 なく雲雀松風立ちて落ちにけむ・・・・・・・・水原秋桜子

 雲雀発つ世に残光のあるかぎり・・・・・・・・山口誓子

 かへりみる空のひかりは夕雲雀・・・・・・・・百合山羽公

 初ひばり胸の奥処といふ言葉・・・・・・・・細見綾子

 虚空にて生くる目ひらき揚雲雀・・・・・・・・野沢節子

 ひばり野やあはせる袖に日が落つる・・・・・・・・橋本多佳子

 雨の日は雨の雲雀のあがるなり・・・・・・・・安住敦

 雨の中雲雀ぶるぶる昇天す・・・・・・・・西東三鬼

 腸(はらわた)の先づ古び行く揚雲雀・・・・・・・・永田耕衣

 いみじくも見ゆる雲雀よ小手のうち・・・・・・・・皆吉爽雨

 雲雀野や赤子に骨のありどころ・・・・・・・・飯田龍太

 ふるさとは墓あるばかり雲雀きく・・・・・・・・高柳重信

 雲雀落ち天に金粉残りけり・・・・・・・・平井照敏

 ひばりよひばりワイングラスを毀してよ・・・・・・・・豊口陽子

 揚雲雀空のまん中ここよここよ・・・・・・・・正木ゆう子

 ひばりひばり明日は焼かるる野と思へ・・・・・・・・櫂未知子

 揚雲雀空に音符を撒き散らす・・・・・・・・石井いさお

hibarini酒井抱一

俳句を載せてからの追加のような形になるが、「雲雀に春草図」という1817年頃絹本着色という酒井抱一の絵を見つけたので載せる。
この絵には歌人・千種有功の賛(画の内容に関連する文句を詩歌などに作って記したもの)がある。賛の文句は

  はるくさのはなさくのべをわけくれば こころそらにもなくひばりかな

この絵には、たんぽぽ、つくし、すみれ、わらびの生える野辺の上を雲雀が飛ぶのどかな風景を描いている。有名な絵らしい。



残生はいかに過ぐらむ老いの目に苺は朱し一つ一つが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
ichigo3-450いちご

   残生はいかに過ぐらむ老いの目に
    苺は朱し一つ一つが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

今ではハウス栽培によって年中イチゴは出回っているが、本来は今の時期のものである。
年中出回るのには、訳がある。洋菓子の苺ショートケーキなどは一年中切らすわけにはゆかないし、年末のクリスマスの時期はデコレーションケーキの書入れ時であり、ケーキ会社ではイチゴ栽培農家と契約して供給を受けている。
今の時期は完全な露地栽培ではなくハウス栽培ではあるが、露地に近い時期で、あちこちで「いちご狩」が行なわれている。
その場で取って口に入れるので、地面にはビニールシートを敷いてある。

ph_ichigo1いちご畑

写真②は、その様子である。
苺農家にとっては、市場に出荷してもシーズンには、思わしいような値がつかないので、手間はかかるが、いちご狩をして現金収入を得る方が採算がいいのである。
この頃では品種改良されて「大粒」のイチゴが好まれる傾向にある。
私の住む近くでは、奈良県産の「アスカルビー」とかがある。
大きさと甘さが勝負のポイントで、他に「とちおとめ」「あまおう」「さがほのか」「ベリープリンセス」「女峰」「アイベリー」などがある。
一時日の出の勢いだった「とよのか」なども今では影が薄い。
「イチゴ狩」でも小粒の品種は見向きもされないというから恐ろしい。

10いちご棚作り

この頃では写真③のように「棚」作りの栽培があるらしい。
これらは「いちご狩」専用の施設だが、この方がお客さんが、屈まなくてもよいので体が楽である他に、地面に接していないので「衛生的」な印象を与えることが出来る、という利点があるらしい。
世はまさに「お客様」本位の時代である。
この写真は愛知県渥美半島での一駒である。
いちご狩は結構値段の高いもので、値段だけで比べるなら、市販のものを買って腹いっぱい食べても、その方が安いらしいが、それはそれで自然の中で食べるというプラスアルファーが付加されているのである。

ところで、掲出の私の歌のことであるが、上句の「残生はいかに過ぐらむ」というフレーズと下句の「苺は朱し一つ一つが」というフレーズには、直接の関係はない。
俳句でいう「二物衝撃」のように、この両者の間に「老いの目に」というフレーズが接着剤の役目を果たして一首のうちに「融合」させているのである。
私自身では、結構、気に入っている歌である。「老いの目に」赤いイチゴという取り合わせも成功している、と自画自賛している。いかがだろうか。

なお参考までに申し上げると「苺」「苺摘み」というのは「夏」の季語であり、今のようにビニールハウスとかが無い自然栽培の下では、もっと暑くならないと実らなかったのであった。
だから「春」の季語としては「苺の花」を指すことになっているので念のため。

e88bbae381aee88ab111苺の花
「苺の花」の句としては

 満月のゆたかに近し花いちご・・・・・・・・・・飯田龍太

 花の芯すでに苺のかたちなす・・・・・・・・・・飴山実

 惜しみなく日のふりそそぎ花苺・・・・・・・・・・水原京子

 花苺気丈な母になれず居る・・・・・・・・・・近藤美智子

「苺」の句としては

 青春の過ぎにしこころ苺喰ふ・・・・・・・・・・水原秋桜子

 怠たりそ疲れそ苺なども食べ・・・・・・・・・・中村草田男

 音もなき苺をつぶす雷の下・・・・・・・・・・石田波郷

 苺紅しめとりて時過ぎいまも過ぐ・・・・・・・・・・森澄雄

 ねむる手に苺の匂ふ子供かな・・・・・・・・・・森賀まり

 胎の子の名前あれこれ苺食ぶ・・・・・・・・・・西宮舞

などである。佳い句として挙げるようなものは多くはない。



すみれ花むらさきの香に咲き出でて吾に親しき春を挿したり・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   すみれ花むらさきの香に咲き出でて
     吾に親しき春を挿したり・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

先日来、パンジーやビオラの写真を載せてきたが、「菫(すみれ)」というのは、古来、掲出した写真のものを言うのである。
葉が、この写真のように細長いのと、丸い葉のものとある。日本の野草らしく、小さく可憐な花である。

菫(すみれ)科。
学名 Viola mandshurica
Viola : スミレ属
mandshurica : 満州地方産の
Viola(ビオラ)は「紫色の」という意味。
私が子供の頃から親しんできたのは、この紫色の草だが、淡色や黄色などさまざまのものがあるようだ。
花の後には実が膨らみ、そこから出た種が雨に流されて、流れ着いたところで簡単に増える。
「すみれ」と名のつく草はいくつもあるが、植物学的には、掲出したものを指すと言われている。
日のあたる野や丘、畑に自生し、春に花茎を伸ばして濃い紫の花を一つ横向きに咲かせる。
茎がなく、葉は根元から出て柄を伸ばす。
「万葉集」巻8・春雑に詠われている歌

  春の野に菫採(つ)みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける・・・・・・・・・・・・山部赤人

俳句でも

  山路来て何やらゆかしすみれ草・・・・・・・・松尾芭蕉

  骨拾ふ人にしたしき菫かな・・・・・・・・与謝蕪村

などに詠われるように春の代表的な題材の一つだった。
野の可憐な花で、目立たぬが、心に沁みてくる、なつかしい花である。

sumire7すみれ本命

以下、歳時記に載る「すみれ」の句を引いて終りたい。

 菫程小さき人に生れたし・・・・・・・・夏目漱石

 手にありし菫の花のいつか失し・・・・・・・・松本たかし

 黒土にまぎるるばかり菫濃し・・・・・・・・山口誓子

 菫濃く雑草園と人はいふ・・・・・・・・山口青邨

 すみれ踏みしなやかに行く牛の足・・・・・・・・秋元不死男

 高館の崖のもろさよ花菫・・・・・・・・沢木欣一

 みちびかれ水は菫の野へつづく・・・・・・・・桂信子

 すみれ野に罪あるごとく来て二人・・・・・・・・鈴木真砂女

 摘みくれし菫を旅の書にはさむ・・・・・・・・上村占魚

 すみれ咲く聴けわだつみの声の碑に・・・・・・・・森田峠

 菫咲く微光剥落磨崖仏・・・・・・・・倉橋羊村

 すみれの花咲く頃の叔母杖に凭(よ)る・・・・・・・・川崎展宏

 「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク・・・・・・・・川崎展宏

 少年に菫の咲ける秘密の場所・・・・・・・・鷹羽狩行

 どちらからともなく言ひて初菫・・・・・・・・大石悦子

 老人に日暮が来たりすみれ草・・・・・・・・橋本栄治



一旦は赤になる気で芽吹きをり・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫
2005.3.16momijiichigoモミジイチゴ新芽

   一旦は赤になる気で芽吹きをり・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

草木が一斉に新芽を出す頃になった。
多くの「新芽」が赤っぽい色をして芽吹いてくる。
掲出の後藤比奈夫の句は、そういう新芽の様子を諧謔をもって描写している。
先では緑色になるとしても、新芽の時期には「一旦は赤になる気」という飄逸な描写が秀逸である。
写真①の新芽も赤っぽい。「モミジイチゴ」という木の新芽らしい。

写真②は「赤樫」の新芽である。
BTH1191161_3BアカメガシmicroCOSMOS
アカメガシと言われることもあるが、新芽の時期が過ぎてもしばらくは赤色の葉っぱをしている。
その時期が過ぎると緑色の成熟した葉になる。生垣などに採用される密植する美しい木である。
この木などを見ていると、掲出の後藤比奈夫の句の描写が的確であることが納得させられる。

「一旦は赤」どころか、新芽からずっと「赤」で通す木もある。

CIMG4676モミジ新芽

写真③はモミジの一種の新芽だが、このまま「赤」を押し通す木である。いま木の名前を探し当てられないので、失礼する。
モミジの成熟した葉もきれいだが、新芽は、もこもこした柔かさがあって、いとおしい感じがする。

後藤比奈夫は大正6年大阪生れ。本名・日奈夫。
大阪大学理学部物理学科出という異色の俳人。
父親が後藤夜半という有名な俳人で、早くから句作に親しんできた。

   鶴の来るために大空あけて待つ

という句なども、掲出句と同じような「諧謔」味のある句である。
少し比奈夫の季節の句を引いて終りたい。

 花おぼろとは人影のあるときよ

 首長ききりんの上の春の空

 法善寺横丁をゆく足袋白く

 人の世をやさしと思ふ花菜漬

 連翹に空のはきはきしてきたる

 辛夷散る百の白磁を打ち砕き

 蛞蝓(なめくじ)といふ字どこやら動き出す



連翹のまぶしき春のうれひかな・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
aaoorengyo2連翹①

   連翹のまぶしき春のうれひかな・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

連翹はモクセイ科の落葉低木で中国原産。古くから日本に渡来(『古今集』成立の延喜時代)したが、当時は薬用であった。
庭園木としては江戸初期からで、叢生して高さ2メートル前後にも達する。
垂れた枝は地面についた節から発根する。早春、葉に先立って葉腋に黄色の四弁花を無数につける。
公園などならよいが、個人の庭には植えるものではない。

   連翹の猖獗ぶりや黄みどろに・・・・・・・・百合山羽公

という句にもある通り、はびこって、はびこって仕方がない木である。私の方では、一度植えたが、はびこりぶりに懲りて引っこ抜いた。
連翹は早春の花の時期だけの木で、一年の後の大半は枝を伸ばしては、地面に触れると、そこから根を下ろして、はびこるばかりである。
派手に咲きさかる花なので目につきやすく、古来、多くの俳句に詠まれて来た。
後でそれらの句を紹介するが、私の個人的な感情を言うようで申訳ないが、私は好きになれない花である。

鹿児島寿蔵の歌に

   はじめより咲きさかる日をおもはする連翹千の枝かぜになびけり

と詠まれるように、わっと咲きさかる木である。
連翹には支那レンギョウ、朝鮮レンギョウなどの種類があるらしいが、ちょっと見には我々素人には区別がつかない。
連翹は学名をForsythia suspensa というが、これは18世紀のイギリスの園芸家Forsyth氏に因むが、朝鮮レンギョウは末尾がkoreana となる。

以下、レンギョウを詠んだ句を引いて終りたい。

 連翹の一枝円を描きたり・・・・・・・・高浜虚子

 連翹や真間の里ひど垣を結はず・・・・・・・・水原あき桜子

 連翹の垂れたるところ下萌ゆる・・・・・・・・山口青邨

 行き過ぎて尚連翹の花明り・・・・・・・・中村汀女

 連翹や歳月我にうつつなし・・・・・・・・角川源義

 連翹の鞭しなやかにわが夜明け・・・・・・・・成田千空

 連翹に月のほのめく籬(まがき)かな・・・・・・・・日野草城

 連翹の黄のはじきゐるもの見えず・・・・・・・・後藤夜半

 燦と日が連翹の黄はなんと派手・・・・・・・・池内友次郎

 連翹に頭痛のひと日ありにけり・・・・・・・・鈴木真砂女

 目に立ちて連翹ばかり遠敷(をにふ)郡・・・・・・・・森澄雄

 いかるがの暮色連翹のみ昏れず・・・・・・・・和田悟朗

 連翹の邪魔な一枝を括りたる・・・・・・・・北沢瑞史

 子を叱るこゑつつ抜けやいたちぐさ・・・・・・・・小山陽子

 連翹の黄に触れ胎の子が動く・・・・・・・・樟 豊



もう おしまい/つれなくも舞う舞いの衣を 引きおとそうとして/・・・・・・・三井葉子
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──三井葉子の詩・句──

        花・・・・・・・・・・・・・・・三井葉子

    もう おしまい

    つれなくも舞う舞いの衣を 引きおとそうとして

    土も木も水も欲しがっていたけれども逃げていってしまった

    日のうつろいのあいまあいまに

    ふくらんで

    そんなに美しく鳴いていた呼ぶこえを

    日のあいまに置き残したかたみのかわりに

    逃げてしまって

    引きおとそうとしていたのに

    空(くう)をにぎっている手をやさしくなだめて

    欲しいものが地のうえに落ちている身替り
     のあなたがその手のうえにひらいて下さ
     ったのに それでも  
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この詩は三井葉子さんの『夢刺し』(1969年8月刊)に載るものである。
題名のように、まるで<夢見>の中に居るような詩句が並んでいる。
これを解説するのは、とても難しい。
夢見ごこちのままに、何度も繰返して鑑賞するしかないだろう。
そういうフェアリー・テールみたいな一連が、この詩集には、一杯ある。


 
藤目俊郎氏撮影「あ け び の 花」
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       藤目俊郎氏撮影「あ け び の 花」

藤目俊郎氏のお宅の庭に、知人からもらった「あけび」の木が三本あり、そのうちの一本が花をつけたという。
その写真を送って来られたので、ご紹介する。
原画像は、とても大きいものだが、このブログに合うように縮小した。ご了承ください。

「あけび」については、前に記事にしたことがある。参照されたい。

事典には、以下のように載っている。

<茎はつるになって他物に巻き付き、古くなると木質化する。葉は5つの楕円形の小葉が掌状につく複葉で、互生する。
花は4~5月に咲き、木は雌雄同株であるが雌雄異花で淡紫色。
花被は3枚で雄花の中央部には6本の雄しべがミカンの房状に、雌花の中央部にはバナナの果実のような6–9本の雌しべが放射状につく。
雌花の柱頭(先端部)には、甘みを持った粘着性の液体が付いており、花粉がここに付着することで受粉が成立する。
雌雄異花で蜜も出さないので受粉生態にはよくわかっていない点が多いが、雌花が雄花に擬態して雄花の花粉を目当てに飛来する小型のハナバチ類を騙して受粉を成功させているのではないか、とする仮説がある。
ハエ類が甘みを持った粘着質を舐めに来る際に受粉していると考えられる。受粉に成功した個々の雌しべは成長して果実となり、10cm前後まで成長する。
9~10月に熟して淡紫色に色づく。成熟した果実の果皮は心皮の合着線で裂開し、甘い胎座とそこに埋もれた多数の黒い種子を裸出する。
この胎座の部分は様々な鳥類や哺乳類に食べられて種子散布に寄与する。>

若き尼御厨子に春の灯をささぐ・・・・・・・・・水原秋桜子
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    若き尼御厨子に春の灯をささぐ・・・・・・・・・水原秋桜子

京の洛北の寂光院も由緒ある土地である。

寂光院
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寂光院(じゃっこういん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。山号を清香山と称する。寺号は玉泉寺。本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は聖徳太子と伝える。
平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる。

起源と歴史
寂光院の草創について、明確なことはわかっていない。寺伝では推古天皇2年(594年)、聖徳太子が父用明天皇の菩提のため開創したとされ、太子の乳母玉照姫(恵善尼)が初代住職であるという。しかし、江戸時代の地誌には空海開基説(『都名所図会』)、11世紀末に大原に隠棲し大原声明を完成させた融通念仏の祖良忍が開いたとの説(『京羽二重』)もある。哲学者梅原猛は、大原が小野妹子の領地であったことなどから、聖徳太子開基もありうるとしている。現在、寂光院はそうした草創伝説よりも、『平家物語』に登場する建礼門院隠棲のゆかりの地として知られている。

建礼門院徳子(1155-1213)は平清盛の娘、高倉天皇の中宮で、安徳天皇の生母である。寿永4年(1185年)、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生を送った。寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地であった。平家一門と高倉・安徳両帝の冥福をひたすら祈っていた建礼門院をたずねて後白河法皇が寂光院を訪れるのは文治2年(1186年)のことで、この故事は『平家物語』の「大原御幸」の段において語られ、物語のテーマである「諸行無常」を象徴するエピソードとして人々に愛読された。

境内
本堂は淀殿の命で片桐且元が慶長年間(1596-1615)再興したものであったが、平成12年(2000年)5月9日の不審火で焼失した。この際、本尊の地蔵菩薩立像(重文)も焼損し、堂内にあった建礼門院と阿波内侍の張り子像(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼けてしまった。現在の本堂は平成17年(2005年)6月再建された。同時に新しく作られた本尊や建礼門院と阿波内侍の像も安置されている。

宝物殿は「松智鳳殿」という名称で、平成18年(2006年)10月に開館した。建礼門院の陵墓はもともと境内地にあったが、明治以降は宮内省(現・宮内庁)の管理下に移り、境内から切り離されている。

文化財
地蔵菩薩立像(重文)-当寺の旧本尊である。寛喜元年(1229年)の作で、像高256センチの大作である。像内に3,000体以上の地蔵菩薩の小像ほか、多くの納入品を納めていた。2000年に起きた本堂の火災の際、(2007年5月9日時効成立)本体は焼損したが、像内納入品は無事で、現在も「木造地蔵菩薩立像(焼損)」の名称で、像内納入品ともども重要文化財に継続して指定されている。現在は本堂よりも高台にある収蔵庫に安置され、特定日のみ一般に公開される。
なお、新しい本尊像は財団法人美術院国宝修理所によって3年半をかけて制作され、2005年に完成した。ヒノキ材の寄木造で、旧本尊の新造時の姿を忠実に模している。建礼門院と阿波内侍の像は、もともと張り子像であったが、今回木造で作り直された。
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掲出の水原秋桜子の句は、ここ寂光院で詠まれたものである。

以下、大原、寂光院を詠んだ句を少し引く。

     春雨や寂光院の傘さして・・・・・・・・・野村泊月

     五月咲きあはれやあはき大原菊・・・・・・・・水原秋桜子

     旅ここに寂光院は春の寂・・・・・・・・・飯田蛇笏

     春雨の冷ゆれば椿咲きつれば・・・・・・・・長谷川かな女

     寂光院春ゆくままの松さくら・・・・・・・・・萩原麦草

     翆黛とひもすがらある桜狩・・・・・・・・後藤夜半

     寂光院にゆきてもみたく花疲・・・・・・・・星野立子

     鮠(はや)透くや齢ひそかなる尼の肌・・・・・・・・飯田龍太

     ひそひそと女人の哀史桃の雨・・・・・・・・・山室善弘

     巣燕や寂光院前階(はし)まろし・・・・・・・・藤村多加夫

     花散りてなほ訪ふ人や若楓・・・・・・・・・高浜虚子

     廊わたる尼袖あはせ若楓・・・・・・・・・飯田蛇笏
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t_sanzen_01三千院

写真②は「三千院」である。
この寺についても、先に記事を書いたことがある。
以下、ここを詠んだ句を引いて終わる。

     このわたり魚山といへり春炬燵・・・・・・・・川崎展宏

     春惜む三千院の茶店かな・・・・・・・・野村泊月

     落つばきしてゐる上を仰ぎけり・・・・・・・・星野立子

     万作と教へて呉れし花に似る・・・・・・・・杉本零

     春雨や踏んでもみたき苔だたみ・・・・・・・・千田万秋


詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)──木村草弥歌集『昭和』評
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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   詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
         日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

木村草弥歌集『昭和』
2012-04-16 12:27:46 | 詩集木村草弥『昭和』(角川書店、2012年04月01日発行)

 木村草弥『昭和』は歌集。ことばの印象(響き、音楽)が、少し日本語と違う--というのは変な言い方だが、何か「子音」がくっきりしている。それはたとえば、

イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

 というような「異国(外国)」の音が入ってくることと関係があるかといえば、まあ、ないわけでもないのだろうけれど、それだけではない。
 この歌では「イシュタル」よりも「獅子たち」の「たち」に、私は不思議な音の「すっきりした音」を聞く。奇妙な言い方であることを承知で言うのだが、それはバーブラ・ストライザの歌を聞いているような響きである。一つ一つの「子音」がはっきりしている。耳にくっきりと残る。(昨年の夏以降話題になった由紀さおりの歌が「母音」の音楽であるのと比較して、私はバーブラの歌を「子音」がはっきりしている、というのだが……。)
 で、この子音のはっきりした印象が少し日本語と違うという感じを呼び起こすのである。
 「その藍の濃き」の「あい」という母音だけのことばさえ、なぜか子音が含まれていると感じてしまう。私の耳が聞き間違えているのだが、先に書いた「たち」と「あい」の母音の組み合わせが同じだからかもしれない。どこかに「たち」の音の余韻があって、そのために「あい」を母音の繋がりではないと聞きとってしまうのかもしれない。
 あるいは、その表記が「藍」と画数の多い漢字であるために、その画数の多さ、角の多さが「エッジ」を感じさせるのかもしれない。「エッジ」が子音という感覚を呼び覚ますのかもしれない。
 私はもともと音読はしない。だから視覚でとらえたものが、画数→エッジ→ことばのとんがり→子音という具合に変化しながら、肉体のなかでまじりあって、そこに「音」が響いてくるのかもしれない。
 「その藍の濃き」の「藍」と「濃」という漢字の組み合わせも、そういうことに強く影響してくる。
 歌全体としては「の」の音、「の」に含まれる母音「お」の音の繰り返しがあり、それは「日本的」な音の繋がりなのだが、「異国の地にぞ」の「ぞ」が割り込み、なだらかな音の繋がりを断ち切る。濁音の強さが、母音の響きをいったん断ち切る。洗い流す。そういうところにも、「エッジ」を感じる。それが子音が強いという印象を呼び覚ますのかもしれない。
 こういう音楽を聞いていると、不思議なことに、歌のはじめの「イシュタル」の方が母音の絡み合いがやわらかくて「日本語」かもしれない、と思ってしまう。

祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

 ここには外国の地名は出てこない。けれど、「薄明」「胸中」という漢語がふたつ出てくると「日本語」というよりも、中国語(漢詩というべきなのか)の印象が強くなる。私は中国語は知らないし、漢詩も知らないのだが、私の何も知らない耳には、そのことばの「エッジ」が強く響いてきて、あ、日本語の響きとは違うなあ、と感じるのである。
 「祈らばや」というのは、「日本語」でしかないのだが、「や」ということばでいったんことばが切れる感覚も「エッジ」を感じさせる。「ば」という強い音があり、それに負けないくらい「や」も強く響く。「や」は「い・あ」と母音が凝縮した感じで、その強い響きが、必然的に「薄明」「胸中」というくっきりしたことばを呼び寄せるのかなあ。
 それにしても(こんなときに、「それにしても」ということばが適切かどうかわからないが)、この歌は不思議だ。書かれている内容(意味)は非常に弱い(うっすらとした)風景なのに、音が強くて、その音が弱々しい風景(情景)を、歌の内側からくっきりと支えている。絵で言うなら、水墨画にペンで輪郭を描いたような感じがする。ふたつの「技法」(音楽、旋律、リズム)がまじっている。

 木村の歌には2種類の音楽がまじっている。それが、日本語で書かれながら、日本語の歌とは違うという印象を呼び覚ますのだと思う。

まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る

 歌集中、私はこの歌がいちばん好きなのだが、この歌に感じるのも不思議な音楽の出合いである。「まみどり」「(野)あざみ(色)」は、ことばのなかに濁音をもついう「音」の構造が出合うと同時に、「ひらがな」という形でも響きあう。目と耳が私の肉体のなかで、いっしゅん、すれ違い、入れ替わり、その融合する感じが私には楽しい。
 「雨蛙野あざみ」の漢字のつらなりも、とてもおもしろい。視覚上の読みやすさからいうと、この漢字の組み合わせは読みづらい。読みづらいのだけれど、その読みづらさのなかに、不思議な凝縮がある。
 宙→野→黄昏。
 この、不思議な広さが、「雨蛙+野」の結合によって、「いま/ここ」に凝縮する感じがする。野原に雨蛙がいる。それは宙(空、なのだけれど、空を超えた存在)と野に代表される地球を結びつける。天体の運動である黄昏(時間の変化が色の変化として動く)が、小さな雨蛙の色と向き合い、一期一会の出合いをする。それを「来る」という短い日本語で断定する形で演出するところが、非常に、非常に、非常におもしろい。
 いいなあ、この「来る」は。
 この出合い(一期一会)は、日本的感覚といえば日本的なものだと思うけれど、「宙」と書いて「そら」と読ませることに象徴される漢字のつかい方--そこに「日本語」を少し逸脱しているものがあると思う。それが「雨蛙野」という漢字の連続を刺激している。さらに「黄昏」という漢字を刺激している。
 繰り返してしまうけれど、その出合いを「来る」が締めくくるところが、とても刺激的だ。

 こういうおもしろさは、短歌という形式にあっているのかもしれない。「現代詩」だと長くなりすぎて、木村のやっていることは「音楽」ではなく、ノイズになってしまうかもしれない。ノイズにもノイズの音楽があるのだけれど--音楽としてのノイズではなく、「頭でっかちのノイズ」になってしまうかもしれないなあ、と思った。

 あ、書き漏らしそうになった。(というか、すでに書いたことを別なことで言いなおすと、ということになるのかもしれないが……。)--まあ、これから書くのは、余分な補足です。
 日本語的ではない--という印象は、木村の短歌が、「5・7・5・7・7」でありながら、それを感じさせないところにもあらわれている。「5・7・5・7・7」を感じさせないというのは、そこに複数の出典のことば(リズム、表記)があるからだ。「日本語」だけれど、日本語以外のものがあるからだ。

ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり

 「田園は」「でんえんは」と5音に数えるのかもしれないけれど、私の耳には3音にしか聞こえない。それは表記の「田園は」という3文字ともぴったり重なる。「田園」そのものは日本語なのだけれど、最後の「さみどり」という日本語と比べると、リズムの出典が違う。「肉体」を潜り抜けるときの感じがまったく違う。それで、私はそういうものを「日本語以外」というのだが……。
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敬愛する詩評論家の谷内修三氏が、さっそく、以上のような批評を書いてくださった。有難いことである。
感謝申上げ、ここに転載する次第である。

池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を袖に扱入れな・・・・・・・・・・・・大伴家持
asebi3あせび

   池水に影さへ見えて咲きにほふ
    馬酔木の花を袖に扱(こき)入れな・・・・・・・・・・・・大伴家持


馬酔木の花は4月から5月にかけて咲きはじめる。山地に自生するツツジ科の常緑低木で、日本原産の木。
学名をPieris japonica という。私の推測だが、シーボルトが標本を持ち帰り命名したのではないか。
馬酔木は古典植物で、「万葉集」には10首見える。
掲出したのは、そのうちの一つで巻20の歌番号4512に見える大伴家持の歌。
もともと「巻20」は万葉集の一番終りで、大伴家持の歌が多い。
そこから万葉集は家持の編集になるのではないか、という説があるのである。

馬酔木(あしび)の木は有毒のもので、枝葉にアセボトキシンという有毒成分があるのである。
野生の鹿などは、よく知っているので食べないという。花は香りが強い。

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色は白が普通だが、写真②のようなピンクのものがある。木の姿もよく、昔から好んで「庭木」として植えられたので、栽培による改良種だと言われる。
先に馬酔木は古典植物だと書いたが、歌に「馬酔木なす栄えし君」と詠まれるように、古代には「賀」の植物であり、栄えの枕詞であった。

馬酔木については、3/23付けで俳句を引いて載せたが、今回は大伴家持の歌である。

俳句にも古来たくさん詠まれてきた。それを引いて終りたい。

 花馬酔木春日の巫女の袖ふれぬ・・・・・・・・高浜虚子

 春日野や夕づけるみな花馬酔木・・・・・・・・日野草城

 馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺・・・・・・・・水原秋桜子

 月よりもくらきともしび花馬酔木・・・・・・・・山口青邨

 染めあげて紺うつくしや夕馬酔木・・・・・・・・原コウ子

 花あしび朝の薬に命継ぐ・・・・・・・・角川源義

 花あしびかづきて鹿の子くぐり出づ・・・・・・・・阿波野青畝

 指さぐる馬酔木の花の鈴の音・・・・・・・・沢木欣一

 馬酔木咲き金魚売り発つ風の村・・・・・・・・金子兜太

 こころみに足袋ぬぎし日や花あしび・・・・・・・・林翔

 宵長き馬酔木の花の月を得し・・・・・・・・野沢節子

 邪馬台の春とととのへり花あしび・・・・・・・・小原青々子

 囀に馬酔木は鈴をふりにけり・・・・・・・・下村梅子

 父母に便り怠り馬酔木咲く・・・・・・・・加倉井秋を

 時流れ風流れをり花馬酔木・・・・・・・・村沢夏風



ケンタッキー・フライドチキンの中国語表記は?・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    ケンタッキー・フライドチキンの中国語表記は?・・・・・・・・・・・・木村草弥

つい先日、上梓した私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載せた歌に

  ケンタッキーフライドチキンは「背徳基家郷鶏」たり、背徳とはいかに

というのがある。これはシンガポールで作った歌だが、これを見た私の友人で言語学・国語学者の玉村文郎君から手紙が来て、

<ケンタッキーフライドチキンの中国語の歌が詠われていますが、
 「背」ではなく → 「肯」特基だと思います。
 現代中国語の発音では「背」bei : 「肯」ken と異なります。>

と教えていただいた。
玉村君は中国にも留学生教育の指導者としても中国で教えていた経験があり、中国語にも堪能である。
その後、ケンタッキーフライドチキンの公式ホームページにも確かめてみたが、玉村君の指摘の通りだった。
したがって、この歌の当該部分は「肯徳基」と訂正したい。
ご教示に有難く御礼申上げる。 持つべきものは、やはり「友」である。
玉村文郎君は、私の大阪外語の同級生で、その後、京都大学大学院に進み、言語学・国語学の権威として、同志社大学教授などを務められた。
先年亡くなった金田一春彦先生などとも親しい間柄だった。

中国語には、日本のような「カナ」はないので、外国語・外来語には同じような発音の漢字を充てて表記する。
ちょうど、むかし万葉集が編纂されたとき、当時の日本語には「文字」が無かったので、中国伝来の漢字の「音おん」を借りて、
いわゆる「万葉カナ」として表記されたのと同じような意味と考えればわかり易いだろう。

ここに感謝して、訂正しておく次第だが、
この歌は結句の「背徳とはいかに」で成り立っている歌なので、ここを訂正すると、この歌は成り立たなくなる。
したがって、この歌は歌集には載っているものの、私としては「没」にするものである。

私が、街頭に掲げてあるケッタッキーの看板の「肯」の一文字を読み間違えたために起こったミスである。
この歌は、もう二十年も前に作ったもので、今度の歌集に収録するにあたって、チェックすることを怠った私のミスである。
今回、この記事を書くに際して、かの地での「看板」の画像を出してみた。私のミスが一目瞭然で、よく判る。
ここにお伝えし、ご了承を得たいと思う。

げんげ田にまろべば空にしぶき降る架かれる虹を渡るは馬齢・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   げんげ田にまろべば空にしぶき降る
     架かれる虹を渡るは馬齢・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(((角川書店)に載るもので、沓冠(くつかぶり)という昔からの歌遊びの形式による連作「秘めごとめく吾」の巻頭の歌。

この一連については2004/05/22のTB■<沓冠>という遊び歌について──草弥の<秘めごとめく吾>に則して──という「エッセイ」に全文と解説を載せたが、
下記に再録しておくので、ご覧いただきたい。
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──初出Doblog・2004/05/22のBlog
  <沓冠>という遊び歌について・・・・・・・・・・木村草弥

──エッセイ──

<沓冠>(くつかぶり)という遊び歌について──

 ───木村草弥の作品<秘めごとめく吾(わ)>の場合── 

或る人との交信の中で「沓冠」(くつかぶり)という、中世から和歌の世界でやられてきた「遊び歌」について触れたところ、どういう仕組みかという質問があった。
そこで私の作品を例にあげて説明してみたい。

これは「秘めごとめく吾(わ)」という題名の沓冠15首であるが、雑誌『未来』誌1996年9月号に、特集・異風への挑戦③で「課題・沓冠」が編集部から指名で課されてきたものに応じて発表したものである。
「くつかぶり」は漢字で書くと「沓」と「冠」とになる。
<冠>とは一首の歌の頭の音(おん)を①~⑮へ。
<沓>は歌の末尾の音を⑮~①へと辿ると
「現代短歌に未来はあるか
 そんなことは誰にもわからない」 となる。
この文をよく覚えておいてほしい。
これが「くつかぶり」という歌の遊びであるが、15首の歌の頭と末尾が、事前に決っているので、それに基づいて歌を作り、連ねて行かなければならない、
という難しさがある。
この、沓冠に宛てる「文」は作者の自由に決めてよい。
なお沓冠には二種類あり、私は一首の頭と末尾に沓冠をあてはめたが、
もう一種類は、各歌の5、7、5、7、7の各フレーズの区切りに、沓冠に選んだ字(音=おん)を当てはめてゆく、というもの。

では、実際に、私の作品を見てみよう。なお歌の頭に便宜的に①~⑮の数字を付けておいた。
実際の作品にはついていない。

 秘めごとめく吾(わ)──沓冠15首・・・・・・・・・・・・・・・・木村 草弥

①げんげ田にまろべば空にしぶき降る 架かれる虹を渡るは馬齢

②ん、といふ五十音図のおしまひの大変な音(おん)が出て来ちやつたな

③だいぢやうぶ、忘八といふ大仰な題名つけた人がゐるから

④生きものはみな先ず朝を祝福せむ、徹夜してまで作るな短歌

⑤たまさかの独り居の夜のつれづれに十指を洗ふ秘めごとめく吾(わ)

⑥ん、ならね 人の世の運などといふ不確かなるに縋りてをるも

⑦革ジャンに素乳房を秘めハーレーに跨る少女、血を怖れずに

⑧にちげつを重ねて揃ふ茶のみどり摘むゆびさきは陽光(ひかり)に刺され

⑨みどりなす陽ざしに透ける茶摘女の肌うるはしき茶ばたけの段(きだ)

⑩ライラックそのむらさきの髪ふさの舞姫ソフィゆめに顕(た)てるは

⑪いなづまのびりりと裂きし樹の闇を殻もゆらさず蝸牛ゆく音

⑫花火果てて元のうつろな河となり晩夏の水を眺むるをとこ

⑬アポトーシス自然死なるにあくがれて華甲も六とせ越えし吾かな

⑭るいるいと海松(みる)の朽ち藻に身をまかせ記憶の森にトラウマ尋(と)めん

⑮愛(かな)しさは遠浅なして満ちくるをもくれんの花は昼もだすとぞ

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お判り頂けただろうか。見ていただけば判るように、かなりの習練と、当意即妙な自由さ、が必要である。
私などは、かなり遊びの要素の多い人間で、こういう遊びは大好きであり、もう16年も前のことだが、これを制作中は、嬉々として楽しく作品作りに当った。
実際の制作期間は2日ほどである。
先ず、当てはめる<冠>と<沓>になる「文」を作り、それを歌の頭と、歌の末尾に配置してから、歌の制作にかかる。
作ったあとには、大きな達成感があるのである。
並べる歌の数は15とは限らない。10でもよいし、30でも、よい。
ただし、30となると、かなり難しさが増すだろう。どんな数にするかは、課題を出す編集者の裁量である。
この一連は第二歌集『嘉木』に収録してあるが、自選50首には載せていないので、Web上では、ご覧いただけない。
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「げんげ」はレンゲ草というのが一般的な呼び方であるが、文芸の世界では「げんげ」と呼んで「非日常的」な演出をするのである。
レンゲ草は休耕田などに秋に種を蒔いて田一面にレンゲを生やし、春先に田植えのための田こなしの前にコンバインなどで土に鋤き込む。
「緑肥」というものである。
レンゲは根に「根瘤バクテリア」というのが着いて空気中の窒素を固定化する作用をする。
昔から、このことは経験的に農民には知られていて、冬の季節に広く栽培されたのである。
しかし現在、栽培されているレンゲは西洋レンゲといって、茎も葉も花も大型のもので、昔の在来種のニホンレンゲとは、比べ物にならないお化けのような大きさである。
この方が緑肥としての効率は、いいのだそうである。
ご参考までに申し上げると「根瘤バクテリア」を利用する植物としては「大豆」がある。
これも根に根瘤バクテリアがつくので、後作に土の中に窒素分が多く含まれることになるのである。
耕作すると作物が土中の栄養素を吸ってしまい、地味が痩せるのが普通で、したがって肥料を補充しなければならないが、
こういう根瘤バクテリアのつく植物は、そのような肥料の補充が助かるというものである。
もっとも、肥料には窒素、燐酸、加里という肥料の三要素が均衡していることが必要であることは言うまでもない。

掲出した私の歌については、先に書いた「エッセイ」をみて鑑賞してもらうとして、別に書き添えることもないが、
「馬齢」というのは、いたずらに年齢を重ねることを言い、私のことを指している。

「げんげ」「げんげん」「紫雲英」などと書くが、それらの句を引いて終わる。

 野道行けばげんげんの束のすててある・・・・・・・・・・正岡子規

 桜島いまし雲ぬぎ紫雲英の上・・・・・・・・・・山口青邨

 げんげ田の鋤かるる匂ひ遠くまで・・・・・・・・・・阿部みどり女

 げんげ田はまろし地球のまろければ・・・・・・・・・・三橋鷹女

 頭悪き日やげんげ田に牛暴れ・・・・・・・・・・西東三鬼

 切岸へ出ねば紫雲英の大地かな・・・・・・・・・・中村草田男

 おほらかに山臥す紫雲英田の牛も・・・・・・・・・・石田波郷

 青天の何に倦みてはげんげ摘む・・・・・・・・・・鈴木六林男

 紫雲英野の道たかまりて川跨ぐ・・・・・・・・・・清崎敏郎

 睡る子の手より紫雲英の束離す・・・・・・・・・・橋本美代子

 げんげ田が囲む明日香の后陵・・・・・・・・・・石井いさお

 死ぬ真似をして紫雲英田に倒れけり・・・・・・・・・・山崎一生

 げんげ田に寝転ぶ妻を許し置く・・・・・・・・・・三好曲

 子山羊にも掛けて蓮華の首飾・・・・・・・・・・沢 聡

 紫雲英野を発つくれなゐの熱気球・・・・・・・・・・塩出佐代子

 畦ひとつとんで咲きたる紫雲英かな・・・・・・・・・・中山世一



老いらくの肩にぞ触るる枝先のしだれてこの世の花と咲くなり・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
entry_25しだれ桜小渕沢

   老いらくの肩にぞ触るる枝先の
    しだれてこの世の花と咲くなり・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』((角川書店)に載るものである。
この歌の前後に

   樹の洞に千年の闇いだくらむ三春の桜は滝の飛沫に

   一もとの桜の老木植ゑられてここが墓処(はかど)と花吹雪せる

   やすやすと齢加ふるにもあらず釈迦十弟子に桜しだれて
・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

という歌が載っている。
いずれも桜の「明」の部分ではなく、「暗」の部分を詠んでいる。
5冊も歌集を出すと、「桜」を詠った歌もかなりあるものである。

歌集を紐解いて、先日来、集中して桜にまつわる歌を載せてみたが、まだまだあるけれども、一応このくらいで打ち切りにしたい。
というのは、桜も、ほぼ散り尽くしてしまったからである。

桜が終ると世間では、フレッシュマンたちの入社式、入学式のシーズンも終る頃である。
若人たちには頑張ってもらいたい。老い人からのエールである。
私の初めての女孫も大学を出て、某社に就職して、もう六年が過ぎた。

終るにあたって、「花」=「さくら」を詠んだ句を引いておく。

 花万朶さゆらぎもなく蔵すもの・・・・・・・・山口青邨

 チチポポと鼓打たうよ花月夜・・・・・・・・松本たかし

 丹波山城ふた国わかつ花の塚・・・・・・・・角川源義

 椀に浮く花びら柚子も花の頃・・・・・・・・後藤比奈夫

 花の山ふもとに八十八の母・・・・・・・・沢木欣一

 花万朶をみなごもこゑひそめをり・・・・・・・・森澄雄

 永劫の途中に生きて花を見る・・・・・・・・和田悟朗

 吹き上げて谷の花くる吉野建・・・・・・・・飴山実

 京の塚近江の塚や花行脚・・・・・・・・角川照子

 白粥は花明りとぞ啜りけり・・・・・・・・山上樹実雄

 花の木や只木に戻る諸木中・・・・・・・・高橋睦郎

 獄を出て花の吉野をこころざす・・・・・・・・角川春樹

 桃山も伏見も匂へ花明り・・・・・・・・筑紫磐井

 鍵ひとつ掛けて余生の花の旅・・・・・・・・徳留末雄

 帯ひくく結びて花に遊びけり・・・・・・・・塚原岬

 母ひとりいかにいかにと花万朶・・・・・・・・佐藤宣子

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今日、4月15日は、亡妻・弥生の7回忌である。
もう満六年が経ったのかと感慨ふかいものがある。七回忌の法事は、先日の四月八日にお坊さんに来てもらって、
子供たち三人と私だけで済ませた。
ここに記して、冥福を祈りたい。


「激動の昭和見つめ歌集」・・・・・・・京都新聞が歌集『昭和』を紹介記事
京都新聞

     「激動の昭和見つめ歌集」・・・・・・・京都新聞が歌集『昭和』の紹介記事
                 ・・・・・・・・・京都新聞2012/04/14朝刊掲載・・・・・・・・・・・・・・

城陽市で宇治茶問屋を経営してきた木村草弥さん(82)がこのほど、山城地域の風景や妻への思いなどを詠んだ歌集「昭和」を自費出版した。
九年ぶり五冊目の歌集で、昭和の時代を見つめつつ、日常から異国の情景まで、幅広いテーマで詠んだ490首が紹介されている。
木村さんは、家業の製茶業のかたわら、国内外を旅して歌を詠み、これまでに四冊の歌集を自費出版してきた。
五冊目は、九年間に詠んだ新作が中心で、自身の人生の象徴である激動の時代「昭和」への思いでまとめた。
巻頭歌は、祈りのイメージを歌にした
    祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
また、亡き妻との思い出を詠んだ
    妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶ひぬ

    イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

山城地域を題材にした
    梅の花の記憶の村に相違なし雨から雪に変はる早春

など、日々の暮らしから異国の情景まで、「気まま」な独自の世界を表現している。
A5版215ページで、角川書店刊。        (京都新聞南部支社・小坂綾子)

三人子に何を残さむあてもなく花ひとひらを遺書となさむか・・・・・・・・・・・・・木村草弥
sisters-03s三人姉妹

   三人子(みたりご)に何を残さむあてもなく
        花ひとひらを遺書となさむか・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』((角川書店)に載るものである。

私には三人の子があるが、いずれも女の子である。妻を入れて5人のうち、男は私ひとりだった。
女の子は男親の話し相手には、ならない。娘たちは、みな妻にばかり話をするのであった。
あげくに今は「独居老人」である。父親なんて、つまらないものである。

掲出した写真は、極めて恣意的ながら、

劇団俳優座創立60周年記念公演・チェーホフ連続公演No.2
アントン・П・チェーホフ原作「三人姉妹」
 訳・演出:安井武
劇団俳優座公演 270 平成15年度文化庁芸術団体重点支援事業
 2003年11月12日(水)~23日(日) 俳優座劇場 六本木

の舞台稽古の写真から拝借した。 私の娘たちは、皆こんなに美人ではない。
「三人姉妹」というのを映像化しようとすると、こんな借用になった。お許し願いたい。

この頃は正式の公証人を立てた「遺書」というのではなく、略式の遺書ないしは自分史の記録的なものを書くのが、流行っているらしい。
私には、これといった物質的な遺産はないので心配はないし、すでに5冊の歌集や、詩集も2冊も上梓したので、
私の「生きざま」については、それを読んでもらえば、ある程度は「私」という人間は、知ってもらえるだろう。
先に書いたように三人娘とは若い頃から、じっくりと話し合ったことなど、ない。
最近になって、妻が病気がちになって、世話の必要上、娘たちが、話しかけてくるようになったに過ぎない。
妻が死んだ今となっては、元気な私の傍には寄り付きもしない。
やって来るのは、お盆と正月だけ、ということである。

yun_2351ソメイヨシノ

掲出した歌は、そんな気持から、「花ひとひら」を遺書にしようか、などという風流めかした表現を採ったものである。

同じ歌集の歌に

   草餅とひなあられ置く雛飾り子はをみなのみ三人姉妹

   姉妹(きやうだい)が縄とび遊びをくりかへす 姉は「ほらいまよ ぴよんと跳んで」
・・・・・・・・・・・木村草弥 

というのがある。
先に書いたような私の心境が詠み込まれていると思う。
そして、こうやって見ると、三人姉妹のことも小さい頃は、よく観察していると思う。
ただし歌にしたのは、ずっと後のことである。



コップに水をそそぎ/薔薇をなげこむ・・・・・・・・・・・・・・・・秋山基夫
秋山

──新・読書ノート──

     コップに水をそそぎ/薔薇をなげこむ・・・・・・・・・・・・・・・・秋山基夫
         ・・・・・・・・詩集『薔薇』2011/10/31思潮社刊・・・・・・・・・・・

            薔薇・・・・・・・・・・・・・秋山基夫

     雨の季節になった。通り過ぎる白い人影が雨にまぎれ、雨は夕闇にまぎれる。

     しばらく持ちこたえるだろう
     息を吐きそのまま夜の方へ移る

     夜の内側を伝い遠ざかる音が聞こえつづける。

     コップに水をそそぎ
     薔薇をなげこむ

     飛沫にもまれ断崖の底に落下する一点の赤。

     出来事の縁に盛り上がり
     あふれる記憶

     雨が降っている。
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この詩は、秋山基夫の詩集『薔薇』の冒頭に載る作品である。
この詩集には全部で22篇の詩が収録されているが、この詩集の題名に採られていることからも、
この詩が彼にとって愛着のあるものなのであろう。
余り長い作品は再録するのが煩わしいので、なるべく短い詩を少し引いておく。

          自死・・・・・・・・・・・秋山基夫

     夢でわたしは、戦士だった。
       膝ヲ屈スルコト一度ビアルモ二度ビ三度ビ立タムガタメナリ
     不敵な笑みを浮かべて、わたしは立っていた。わたしを立たしめているのは、
     どこかで聞きかじった台詞だった。石川五右衛門か石田三成か、史記か三国志
     の英雄豪傑か、もう記憶のどこにもなかったが、台詞は頭蓋の中で出口に向か
     って殺到した。しかしわたしは聞くべき相手が現れるまで、けっして口から出
     すまいと決意していた。天秤棒や竹刀や警棒や木刀がわたしの肩、背中、腕、
     太腿を殴り続けたが、わたしは立ち続けた。口をへの字に結び、ときどきニヤ
     リと笑った。

     何かからわたしは離れた。
     枝から木の葉が離れ 気流が遠くへ運んでいった
     岸から小舟が離れ たちまち見えなくなった

     夢で わたしはまだ立っていた
     灰色の霧の空間に立っていた
     日が昇った

     へこんだヘルメットも折れた棒切れもなく、街路樹がまっすぐ並び、アーミー
     外套を着た人々が知らない朝の言葉をしゃべった。往路も帰路もなかった。

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         天 窓・・・・・・・・・・・・・秋山基夫

     風力計がくるくる空気をすくって風のアイスクリームを量産する日だった(と
     書いてある)。
     訪ねてくる人はなくノートは閉じられたまま机の上に置かれていた(と書いて
     ある)。
     空も雲も風もスピードを上げて視界から飛び去る(物干しのロープが揺れてシ
     ャツの袖もパンツの裾もびりびり千切れた)。
     天窓のガラスに懐かしい人の顔がつぎつぎに吹き寄せられ覗きこんでは吹き飛
     ばされる(彼らは二度と現れない)。
     彼らの名前が思い出せない(わたしも思い出されないだろう)。
     波打ち際の砂に小さな生き物が這っている(気づくとわたしは海に来ていた)。
     わたしは確かに歩いている(砂が足の裏で崩れた)。
     海の底では西洋の女神のように海藻がゆらゆらする(いっしょになってゆらゆ
     らした)。
     白い月が空に浮かんでいる(いっしょに浮かんだ)。
     草の葉っぱの陰には小さな虫がいて小さな声でないている(わたしも小さな声
     でないた)。
     (わたしは世界のどこかに失われた)ノートは閉じられたままだ。
     夜通し屋根の上で風力計がくるくる回った(わたしについてまだ誰かが話して
     いるのだろうか)(いつまで 話す?)。
     天窓に雨が落ちた(落ちた?  雨ではなく  風の飛沫?  )。

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        贈 与・・・・・・・・・・・・・・秋山基夫

     わたしどもの気持ちは届きましたでしょうか
     海の魚をたくさん擂り潰してそれを円満と発展を示す蒲鉾型に整形しその過程
     で昆布も一枚鋏み込んで喜びを二重にし華やかな桃色の着色を全体に施して目
     に快楽を与え心地よい決着を求めて滑らかに蒸し上げ雑菌など混入せぬよう真
     空パックにしてそのようなものを何個かまとめて美しい木箱に入れ紅白の水引
     を掛け赤い熨斗も付け絹の風呂敷に包んで贈らせて頂きました

     誰の身の上にも年月はあまりにも早く過ぎ去ります
     たくさんの砂糖を加えた餡子をたくさんいれた饅頭を皆さんにたくさん配りま
      した
     わたしはそれからひとりで部屋にはいり泣きました
     わたしはそれからひとりで部屋にはいり泣きました
     わたしはそれから白い紙に櫛を包み夜の道に出て行きました
     月の光が道を照らしていました
     白い道がどこまでも続いていました

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私の歌集『昭和』を進呈した返礼として、この詩集を恵贈されたものである。

現代詩というものは、こんなものである。
詩人の頭の中に「想起する」事どもを脈絡なく、書き連ねるもので、「意味を辿って」はイケナイ。
詩句に意味や脈絡は無いのである。
読後に、読者に或る感慨が生じれば、いいのである。
馬鹿馬鹿しいという人も居て、当然である。 そういう馬鹿馬鹿しい事どもを、さも大事そうに書き連ねるのが詩人である。
「起承転結」の、はっきりした詩を書く人も居る。 さまざまである。 
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この詩集の末尾に載る「噴水」という詩について書かれた批評文を下記に引いておく。

     詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
         日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

秋山基夫「噴水」
2010-10-04 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)秋山基夫「噴水」(「ペーパー」7、2010年08月01日発行)

 秋山基夫「噴水」は、かなり古くさい感じではじまる。そこに書いてあることばはけっして新しくない。


大理石の巨大な水盤の中央から 数本の水が一つの束になって空中高く噴き上げる 水は高く昇っていき その頂点で巨大な花のように開く 花びらは自らの重みに耐えかねて落下する

 どこかで読んだようなことばばかりである。そう思っていると、それに「ある噴水に関する回想」というタイトル(?)をもった別のことばが重なってくる。

わたしはかつてある詩人が書いた「赤い花」という詩を読んだことがある。その冒頭に一基の噴水についての簡単な記述があった。--ある人物が一種の西洋式庭園を訪れて、びっしりと蔦が絡みついたアーチ型の石門を潜り抜けると、常緑樹に囲まれた広大な芝生の空間が広がっていて、その中央に噴水は設置されていたのだった。ところがわたしが詩の記述にしたがってそこを訪れたときは噴水はすでに涸れていた。

 秋山(あるいは、「わたし」)が問題にしている「記述」とは、何を指しているのだろう。「--」の後に書かれていることなのか。あるいは、作品の冒頭に書かれていた古くさい噴水の描写なのか。それとも、ここには書かれていないのか。
 答えは、あるいはどうでもいいのだろう。
 秋山が書きたいのは「記述」である。「記述」というものがこの世界に存在する。そして、その「記述」は、「わたし」が記述通りの噴水を見つけられなかったように(あるいは、その記述を裏切る形で噴水が存在していたように)、現実・ものとは重なり合わない。それが「宿命」である。
 「記述」は「現実」や「もの」とは重ならない。「記述」はただ「記述」とのみ重なる。「記述」はどんな「記述」についても重ねることができる。
 秋山がしているのは「記述」に「記述」を重ねるということである。冒頭の古くさいことばに、「ある噴水に関する回想」というタイトルを挟んで、別の「記述」を重ねる。そのとき、秋山にとっての「リアル」な噴水は、前の「記述」のなかに存在するのか、それとも重ね合わせたあとの「記述」のなかに存在するのか。
 秋山は、この作品ではさらに構造を階層化している。噴水の設計図を探し、噴水の工事をしたひとを探し、噴水の持ち主を探す。そのたびに、「記述」が増える。噴水は徐々に噴水から遠くなる。つまり、ますます水を噴き上げる噴水ではなくなる。そして、「記述」としての噴水が噴水でなくなればなくなるほど、秋山(わたし)のなかで、噴水が「願望」(欲望)として存在しはじめる。
 「記述」はそういう願望や欲望を明確にするためのもの--願望、欲望を掘りあてるためのものなのだ。

 と、ここまで書いてくれば、秋山のやっていることがわかる。
 冒頭の噴水はどれだけ古くてもかまわない。既視感のあることばであってもかまわない。その古びたことばにことばを重ねる、「記述」を重ね、重ならないことを増やしながら、秋山は彼自身の願望・欲望を掘り進むのである。
 「記述」に「記述」を重ねることは、「記述」から「記述」を引き剥がすことと同じなのだ。いや「記述」に「記述」を重ね合わせないことには、「記述」を動かしている欲望にたどりつけない。何が同じで何が違うかということを少しずつ追い詰めていくことが、自分自身の(秋山自身の)「記述」を探し出すこと、秋山自身が「噴水」になって、ことばを噴き上げ、そのことばの重みで自らの花びらを散らすといういのちを生きることなのだ。
 そういう意味では、秋山にとっては「噴水」よりも、同じ「ペーパー」に掲載されている「戦争の語り方」のようなエッセイの方が「詩」なのである。「戦争の語り方」ではまず瀬尾育生が引用されている。瀬尾育生のことば(記述)に対する秋山の「記述」が重ねられる。瀬尾の考えを明らかにしながら、秋山の考えを明らかにしていく。そのときの、同一と差異--そのどこまでも動いていく亀裂としていの「記述」。それが、まあ、「噴水」なのである。

 秋山は、存在、ものから詩をはじめるのではない。「記述」から詩をはじめる。「記述」に「記述」を重ねることで、ことばを破壊する。生成させる。「記述」に「記述」を重ねつづけることが、秋山にとっての詩である。だから、秋山のことばはどこまでもどこまでも長くなる。終わりをもたない。完結しない。未完であることが、秋山の詩にとっては「必然」である。そして「自然」である。
 だから、あえていうのだが、「噴水」の最後、その一行を紀貫之の歌でしめくくるとき、それは「自然」ではなくなる。涸れてしまった「噴水」になる。涸れることが噴水の必然だとしても、それは秋山の「記述」の運動の「自然」ではない--と私は思う。
 引用で「記述」を閉じるのは、秋山の場合、完全に自己否定になると、私は思う。
 

夜ざくらは己が白さに耐へかねてほろほろ散りぬ 死を覚えゐよ・・・・・・・・木村草弥
entry_24しだれ桜円山公園

   夜ざくらは己(おの)が白さに耐へかねて
     ほろほろ散りぬ 死を覚えゐよ(メメント・モリ)・・・・・・・・木村草弥


この歌の結句「死を覚えゐよ」のところには、「メメント・モーリ」という有名なラテン語の「警句」が「ふりがな」として付ってある。
この警句はヨーロッパの教会へゆくと壁画などとともに掲げてある。

メメント・モリのラテン語表記は memento mori であって、メメントとは、記憶する、覚えるという単語の命令形である。私は、それを覚えゐよ、と書いてみた。モリないしはモーリは「死」のことである。
この警句はヨーロッパ中世の頃にキリスト教会に掲げられるようになった。
この頃はペストその他の伝染病で多くの人が死んだ頃で「死」が日常的だった。
だから教会は人々に「死」ということに自覚的であるように求めた──つまり人間がいかに弱い、つまらない存在であるかを知れ、と言ったのである。

この警句は、藤原新也の写真文集の題名にも使われ、この本はよく売れた。

この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せたものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。



黒松武蔵歌集『とかげ再び』抄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
とかげ

──新・読書ノート──

     黒松武蔵歌集『とかげ再び』抄・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・角川書店平成二十三年八月一日刊・・・・・

著者は巻末の略歴などによると、昭和八年生まれ。子供のころは旧満州に育ち、敗戦により引揚げ。
昭和二十六年、高校生のときに結核発病。十年後の三十六年に復学。
広島大学教育学部高校国語科卒業。国語科教員として鹿児島県下を転任。
昭和六十三年 県立図書館奄美分館館長として赴任、初代館長は「島尾敏雄」という職で、五代目。
以後、校長や私立鹿児島国際大学図書館事務長を歴任して退職。
現在、日本歌人クラブ鹿児島県代表幹事。短歌結社「南船」運営委員、選者。

若いときから波乱の生を経られて苦労された様子が窺える。
この本が初めての歌集らしいが、そのために、作者の人生と重ねて読み進むのに難渋するのが難だ。
以下、私の心に触れる歌を抽出したい。

   *母のいのり終はるそこより朝々を吾が哀しみはゆつくりと来る
   *わが抱へきれぬ重さに肥りたる犬を呼ぶ母よりも優しき声に
   *古里の林に入れば吾がかじる林檎も逃避の味させて来る
これらの歌は敗戦による逃避行の際の情景を詠んだものだろうか。
   *指差してゐて気が遠くなる如き落日よとかげの眸(め)も染まりをり
   *命ある最後のかたち美しく痙攣とかげの尾より始まる
   *とかげの死が埋められてある位置に指コンパスにして輪を残し来し
   *海峡を越ゆるしらせにてのひらを重ねて眠りに入る誕生日
   *尾の切れしとかげの如き哀しみが仰向けに閉ぢし眼の内に在る
歌集の題名「とかげ」というのは、奄美に赴任されたときに「短歌研究」誌の連作に応募されたときの一連「とかげの歌」に因むものであり、
少年時代の、とかげに没頭された経験が、ここにまつわっているのである。
先にも述べたように作者の長い作歌生活を一冊に纏めたが故の分り難さがつきまとうので、読み違いがあれば許されたい。
   *石灰化は小指大にして二箇所左肺中葉部に鮮明なりと
   *影の位置散らばる胸のレントゲン持ちて来ぬ屋上の空気を吸ひに
   *守り得ていま回復期にあることの思はぬをりに涙を誘ふ
先に略歴にも書いたが、作者は結核のために十年という年月を費やされた。
若い感受性盛んな時期の闘病は、どんなにも辛かったかと推察する。私も結核に罹って療養した経験があるので、よく判る。
念のために書いておくと歌の中にある「石灰化」とは、結核菌に侵された細胞が自分の治癒力によって患部を石灰化して防御する仕組の故である。
   *癒ゆる望み吾になかりし日々の歌復学なりし夜に読み返す
   *今日よりは再び高校生にしていく度かわが名呼ばれ上気す
   *復学を諦めしより寂しさに学びし英文法いまに役立つ
   *帰り来し机に暫しこみあげてをりたり十年の永き思ひて
これらの歌には「復学」の喜びに満ちた心が詠われている。
「十年」というと、元の同級生たちは大学も出て社会に雄飛している頃であるから、なおさらである。
そして作者は広島大学の教職課程に進まれるのである。
   *椰子の葉の風へ少しく異なりて動くと見ればトカゲ潜みつ
   *緑色のトカゲ棲む町に移り来て週に一度ほどの出会ひす
   *幹半ばにキノボリトカゲ這ふ見つつにはかなり離郷の思ひといふは
   *幾らかはユーモラスにて警戒の素振り見せつつ拡大されゆく
   *アカショウビン近くに鳴きつつ新着の図書一覧をワープロに打つ
   *遥かなるチェコ・スロヴァキアと思ひしに止めどもあらずこみあぐるもの
   *思ひがけずスメタナを聴きし昂りに人と別れし後なほ歩きつ
   *パパイアの熟れしに妻が歓声を挙げをり触るるばかりに寄りて
    *ガラス戸を隔てて吾に回復期の妻がしきりに示すパパイア
この一連には作者が少年期から拘ってきた「トカゲ」が詠われるが、奄美での作品群であるが、
その中に、突然、海外詠と思われる六、七首目の歌が挿入されて、とまどう。
これらの海外詠は「項」を改めて纏めてほしかった。
   *雨と風の音聞き分くる教案もありて新採に研修近し
   *花火の音真似てやりつつ自閉児に並びて壁の貼り絵見上ぐる
   *高き声に名前を言へば抱きしめてやりたきほどに微笑むもあり
これらの歌は県立養護学校校長として赴任した折の歌であろうが、深い人間性に満ちて涙ぐましい。
   *吾が投げし木の葉を牙にもてあそぶ野生衰へしシベリアオホカミ
   *グループに遅れてなほも見とれをりかつてオホカミを飼ひし日あれば
   *三月ほどオホカミ飼しが少年の一時期われの全てなりしよ
オホカミを飼うなどということは大陸の旧満州なればこそ出来たことだった。懐かしい回想である。
   *吾が節目と思ふ折々に手に入れし硝子は輝きを増せり年経て
   *体透けて見ゆる哀しみはばたきに見せて硝子細工の蝶あり
   *硝子には硝子の哀しみおのづから内に屈折率などありて
   *遥かなる国の硝子にオホカミの彫り深くして見つめ返さる
作者は、フランツ・カフカが好きだったという。団員を引率して東欧視察にも行かれたが、その折、チェコのプラハに遊ばれたという。
その折にボヘミアン・グラスにも触れられたのだろう。それ以来のガラス愛好が始まったのかと思う。
   *退職の記念に妻が求め来し胡蝶蘭机に見上ぐるばかり
   *戴きし搗きたての餅癒え初めし妻ともろとも食せり 今宵
巻末近くに、これらの歌がある。そして巻末の歌に
   *吾が好むひまはりの柄玄関のマットに妻が敷きて夏来ぬ
仲良き夫妻の縁が、これからも続くことを願って稿を置く。 佳い歌集を賜った。感謝したい。

浴槽に花の筏がただよふよ春のゆふべの花いちもんめ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   浴槽に花の筏(いかだ)がただよふよ
    春のゆふべの花いちもんめ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

「花筏」というのは散った桜の花が池や川の水面に散り敷いて、さながら「筏」のように連なる様をいう。

この歌を発表したとき、私の友人が[浴槽に桜のはなびらが入って来る、なんていうことは考えられない」と発言した。
なるほど、今どきの現代風の密閉した「浴室」ならば、そういうことは不可能だろう。
だが、そこが「想像力」の問題なのである。
私の歌は「現在形」で詠まれているが、それは必ずしも、現在のこととは限らない。
昔の古い家の窓を大きく開け放った「風呂」桶に、家の近くに生える桜の大樹から、おびただしい落花が舞い込んで来るのである。
「過去」のことを「過去形」で詠んでは、味気ない「回想」あるいは「思い出」に堕してしまう。
そういう時に「現在形」で詠むことによって歌にリアリティを与えるのである。それが歌作りの、ひとつのヒントである。
要は「想像力」の問題である。
この歌の下句で「花いちもんめ」と詠んである。
これは日本の古い童謡からフレーズを借用してきたもので、これによって子供の「メルヘン」を描くのに成功した、と思っている。

ここで注意しなければならないのは、植物の中に「ハナイカダ」と言う名のものがあることである。

hana310_hanaikadaハナイカダの花

写真②は、その「ハナイカダ」という植物である。
写真をよく見ていただくと判るように、この木の花は葉っぱの真ん中に付いている、極めて特異な形をしている。
丁度「筏」に花が乗っているようなので、「ハナイカダ」の名前を頂戴したらしい。
歳時記には、このことに注意するようにと明記されている。
このハナイカダが、如何なる種に属する植物なのか、寡聞にして私には判らない。花言葉は「移り気」「嫁の涙」「ままっこ」。
参考までに事典には、こう載っている。

ハナイカダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

学名 Helwingia japonica
和名 ハナイカダ(花筏)
ハナイカダ(花筏、Helwingia japonica)はミズキ科の落葉低木で、北海道南部以南の森林に自生する。葉の上に花が咲くのが特徴である。雌雄異株。花は淡緑色で、子房下位、花弁は3-4枚。春に葉の中央に1-2個(雌花)または数個(雄花)の花が咲く。果実は黒い液果で種子を2-4個含む。この液果は甘味があり食べられる。進化的には葉腋から出た花序の軸が葉の主脈と癒合したと考えられる。

分類
亜種として南西諸島にリュウキュウハナイカダvar. liukiuensis、台湾にタイワンハナイカダvar. formosanaが分布する。同属にはH. chinensis、H. himalaicaがあり、中国南部、ヒマラヤに分布する。

ハナイカダ科
ハナイカダ属は従来ミズキ科に入れられていたが、APG植物分類体系ではモチノキ目の中の独立のハナイカダ科としている。



塚本諄歌集『平日』抄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
平日

──新・読書ノート──

    塚本諄歌集『平日』抄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・角川書店平成二十三年十一月二十五日刊・・・・・・・・・

この本の帯文に

  <真面目な時間を生きた/真面目な一生活人。
  それを時間の記憶が/気づかせてくれた。
  六十五年の月日の積み重ねが、/『平日』というタイトルになった。
  写実的に、素直に、静謐に詠い/<生き>の本質に迫る第三歌集。>

と書かれている。この文を書いたのが誰かは判らないが、著者の「あとがき」などから類推して、
的確な要約と言えるだろう。

「あとがき」の末尾に、<平成二十三年十月二日 六十五歳の誕生日に> と書かれている。

著者の略歴を、先ず引いておこう。
  昭和二十一年 熊本県上天草市松島町生まれ
  平成元年   水甕賞受賞
  平成十二年  熊日文学賞受賞
  平成十九年  熊本学園大学(旧熊本商科大学)定年退職
  現在
    短歌結社「水甕」選者、「もくせい」短歌会代表

以下、私の心に残った歌を引いてみたい。

*五十代半ばむかへてネクタイの柄が小さくなるに気付きぬ
*書類積むデスクに凭れ右の手が喉仏をさぐり撫でてゐる午(ひる)
*耳順とふ齢むかへてなほさらに人のうはさの気になり候
*パソコンと電話と決裁函ならぶ机に対ふ三月三十日
*退職の花束受くるときに顕つ結句の助動詞 けり たり ぬ
*パスワード忘れしと古参の教授言ふ夏休暇明けの三階トイレ
*ウエストの肌をあらはに見せてゆく女の無礼のもはや平成
*ゆうらりと柘榴の花が揺れてゐる をとこの事情 をみなの事情
*アイスクリーム一匙一匙舐めてゐる退職あとの卯月日溜り
*B4の原稿用紙をまたも買ふやがて無くなるやうな気がして
*化粧箱の妻の小函のイヤリング見て了ひたり若きゆめの日
*受刑者に歌を説きつつゆらぎをり人間的に人間的にと
*水甕の阿蘇潜りきし地下水の奔る蛇口や寒つよきあさ
*免疫は記憶するとふぽろぽろと歌のはじめの甦るきさらぎ
*天草の島影はるかすがすがと秋しづかなる島原半島
*秋の日の橘湾をくるま駆る職退きし今よく見ゆる海
*父と母とどちらに似るかと妻は問ふ人恋ふるらしき師走の寒夜
*むだ歩きせよと言はれてあゆみ来し冬晴れの日の武蔵塚公園
*故郷は梅咲きゐるや草枯れの段段畑の二つめあたり
*生きゆくは生き延びること紅梅のあとの白梅咲きつぐ日頃
*刑務所の歌会に来て題詠のさくらを共に愛でてゐるなり
*音たてて太き梨一つ食べにけりいまだ余力のある感じにて
*ふるさとの島の海市を見はるかしとほき記憶にやや欲情す
*岸洗ふ潮騒絶えて幾日か「言葉を、もつと言葉を!」言ふべし
*あの日から始まつたこと過ちがあまた暴かる あはれフクシマ
*原発の仕組みの本をけふ買ひぬ梅雨明けの日の一つ積極
*夏の日のひとりあそびのひと日暮れ愉しくてぞ飲む冷やの地の酒
*遠阿蘇はゆたにたゆたにあをく澄む六十五歳のあたらしき朝

「あとがき」のはじめに作者は、こう書いている。
   <・・・・私の第三歌集で、五十代半ばからの作品を収めました。
    生きるという本質的なことは、単純な感傷や甘えの介入を許さない厳然たる事実ですが、
    五十代を過ぎるころから人生の時間を意識し始めました。
    これからの道程の中でどう自己を肯定していくかということが基底の問題としておのずから
    意識下に浮かび上がってきました。>

はじめに掲げた「帯文」の要約のように、この一巻は作者のほぼ十年の歳月を蔽い尽くしている。
平凡のようでありながら、真面目な男の「生」の一齣を「トリミング」したもので、「平日」という
題名も的確な付け方であったと言えるだろう。
抽出歌にもある通り、作者は自分の特技を生かして刑務所に出向いて「歌」講座のボランティアをしているのである。
「武蔵塚公園」の歌があるが、作者の住む住宅地は「武蔵ケ丘」と称する。
令夫人にまつわる歌もいくつかあり、仲の良いご夫婦である一面を、かいま見させてくれる。
巻末には昨年三月の3・11の悲劇的事件にも触れていて誠実である。
抽出歌の末尾のものは、この一巻の巻末を飾るもので、誕生日の歌として、ふさわしい。

佳い歌集をご恵贈いただいた。 ここに御礼と共に、ページを設けて披露する次第である。

はねず色のうつろひやすき花にして点鬼簿に降る真昼なりけり・・・・・・・・・・・・・木村草弥
img002弘川寺

  はねず色のうつろひやすき花にして
    点鬼簿に降る真昼なりけり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。

この歌については上にリンクとして示したWebのHPの後半部に載っているが、短歌時評として前衛短歌作家として著名な塚本邦雄氏が読売新聞平成11年6月28日夕刊に、この歌を引用して、次のように批評していただいた。

  <いずれも心・詞伯仲した好著であり、これだけ熟読すると現代短歌の、ある断面が眼前に出現し、はたと考えこみ、また二十一世紀に望みを託したくなる。>

そういう意味でも私にとって「記念碑」的な、思い出ふかい歌である。詳しくは、WebのHPを覗いてみてもらいたい。

「はねず色」というのは、日本古来の色見本として掲げられている色で「うすべに色」のことである。
また「点鬼簿」(てんきぼ)というのは、仏壇に納められている先祖さまの戒名や祥月命日を書いてある「過去帖」の別名である。
人間は死ぬと「鬼籍」に入る、などというように、死んだら「鬼」になるのである。だから別名を「点鬼簿」という。
詩歌では、こういう風に「過去帖」という日常的な表現を、わざと避けて、「点鬼簿」という非日常的な表現を採るのである。
詩歌というのは、日常を非日常化したものである。

この歌も、花の盛りを詠んだ華やかなものではなく、「死」の匂いに満ちた哀感の歌と言えるだろう。
私は、いつも「死」の隣にいるのである。



潮騒を祷りと詠みし友のあり喜屋武の岬の遠き潮騒・・・・・・・・・・・・・楚南弘子
楚南

──新・読書ノート──

     潮騒を祷りと詠みし友のあり
        喜屋武(きやん)の岬の遠き潮騒・・・・・・・・・・・・・楚南弘子


この歌は楚南弘子の第三歌集『遠き潮騒』(角川書店2012/01/22刊)に載るものである。
楚南弘子さんは昭和七年、沖縄県那覇市の生まれである。
この本は、一風変わった体裁を採っている。
先ず「序章」として16首の歌が配され、その後に「目次」が来る。
また巻末には「終章」として11首の歌で締め括られている。 こういう配置は極めて珍しい。
ついでに目次の標題を書いておくと
第一章 遠き潮騒
第二章 惜春
第三章 産井
第四章 寿ぎの花
第五章 灯りつきそむ           となっている。

この本には今野寿美の「帯文」があるが、掲載したこの本の画像で、くっきりと読み取れるので、ご覧いただきたい。

この歌集には最近の歌の中から460首を収録してあるが、掲出歌から、この歌集名が採られていることからも、この歌が作者にとって愛着のあるものであろう。

「跋・ゆるぎない南島の抒情」と題して平山良明が書いている。

<一冊の歌集を世に送り出すということは、人生のワンステージを演出する営みに似ている。
 優れた歌集には、作者の人生の機微・世の中の逞しい動きに対する洞察力、自然や生き物たちの
 躍動をも見逃さず摑んで離さないという身のこなしが描写される。・・・・・
 読者は、それらの中から南島リアリズムの豊かさを感じ取るであろう。・・・・・>

そして、次のような歌群を採録しているので、それらを挙げておきたい。

   満潮をきらめく水面蕩々と弥生あけぼの千鳥ら育つ

   それぞれの思ひを羽にたたみつつ白鷺・千鳥の楽園の湖

   年毎に詠みつぐ庭の下がり花今年の花もやがて終るか

   潮騒を祷りと詠みし友のあり喜屋武の岬の遠き潮騒

   みづからの身丈・身の幅知る故に多く望まぬ小さき幸ひ

   嫁ぎ来てわれには四度の転居なり夫亡きあとの終の住処と

   惜春のつつじに替はり王者のごと蘇鉄の新芽庭に息吹ける

   産井(ウブガー)の湧水使ふこともなく秋やはら陽の影揺らすのみ

   ひめゆりの乙女の涙か相思樹の木末(こぬれ)にはらら露玉まろぶ

   老ゆるとはかくも優しきものにして怒り悲しみ淡くなりゆく

   新しき元号にも慣れ二十余年昭和いよいよ遠くなりたり

   用なきに眼鏡は細かく拾ひたり電子辞書とふ小さき武器に

   反日の思ひもあらむに韓国の人らにこやかに今を生きゐつ

   使ふなき里の産井の鎮もりに額づく媼らの香煙揺らぐ

   天降(あも)りたる秋やはら陽に包まれて平らぎの世の首里城聳ゆ

この「跋文」の終りに、平山良明は、こう締め括っている。

<人生を達観しながら、おもむろに「天降りたる」の一首を口ずさむと、秋のやわら陽が吹き抜けて行く・・・・・。
 楚南弘子の短歌を、一首一首読んでいると、「素晴らしい」等という誉め言葉が貧しく聞こえる。
 結びにあたって、ここに「ひたむきな、短歌の修行者がいる」という一言だけを記録にとどめたい。
 作者の更なる躍進を望む。どうか、多くの人々が、楚南弘子が表現する南島の抒情に触れて欲しいと願う。>

これらの言葉こそ、この歌集一巻を要約するものとして、ふさわしいと思って、ここに書き写す所以である。
なお、平山良明は、沖縄「黄金花」主宰。沖縄タイムス歌壇選者、日本歌人クラブ九州ブロック県代表幹事、現代歌人協会会員。   

   
老桜は残さず花を散らしけりかにかくに見るはるかなる宙・・・・・・・・・・・・・木村草弥
thumb5長谷寺落花

   老桜は残さず花を散らしけり
     かにかくに見るはるかなる宙(そら)・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

私の歌の場合、華やかに咲き満ちている満開の桜の最盛期を詠むということは、まあ、ない。
散り際とか、老い樹であるとか、滅びるような様子を詠うのが多い。
一般的に詩歌の場合は、そうである。何事にも「滅び」の時期にこそ、自然の、あるいは人生の哀歓があるからである。
「盛り」のときに勢いがあり、美しくて、華やかであるのは当然のことであり、何の不思議もないからである。
適当な散りつくした桜の写真がないので、こんな写真で代用する。長谷寺の桜落花である。

この歌には何も難しいところは、ない。上に書いたような私の心象が詠われている。
そして、花の散った桜の樹の間からは、果てしない宙(そら)が拡がっているなぁ、という感慨である。
落花を詠んだ句に

    空青しなほも落花を含みゐて・・・・・・・天野莫秋子

というのがあるが、この句は私の歌に一脈相通じる雰囲気がある。
こんな句はいかがだろうか。

    めんどりよりをんどりかなしちるさくら・・・・・・・・三橋鷹女



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