K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(5月)月次掲示板
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昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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 ↑ 伸びはじめた茶の新芽──宇治・堀井七茗園

新緑の五月になりました。
新人は五月病にならないようにストレスに気をつけましょう。 旧人はのんびりと。

手に摘みしやはらかき葉よ軒先に新茶一服いただいてゐる・・・・・・・・・・・・・・・・・・内藤明
プラネタリウムに巨き宇宙を眺め来しまなこが細かき緑雨よろこぶ・・・・・・・・・久々湊盈子
気流には美しい谷があるといふ 翼くらぐらとすべりゆく鳶・・・・・・・・・・・・・・・・河野美砂子
そら豆の一つ一つをむくときにわが前に立つ若き日の母・・・・・・・・・・・・・・・・・岡部桂一郎
花菖蒲一面に咲く季選び再び歌のどちと巡らむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神作光一
小さいと消耗少なく長生きとわたしを見ながら言つてくれるな・・・・・・・・・・・・・・・・今野寿美
横顔のあなたの中に島ありて逆光に浮く そこまでは漕げぬ・・・・・・・・・・・・・・・・松平盟子
サンザシの白き小花の季も過ぎて疲れ果てたるにほひ残せり・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
頑丈に蓋をされたる古井戸の、かすかに揺れて遠いみずおと・・・・・・・・・・・・・・・・松村正直
やはらかに時は地球を回しつつ草木を育て我を老いしむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高野公彦
水の上五月の若きいなびかり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大野林火
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ・・・・・・・・・・・・・・・石田波郷
少年の素足吸ひつく五月の巌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦
おそるべき君等の乳房夏来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼
酔うてしまうには美しい五月の夜・・・・・・・・・・・・・・・・・有馬

佐伯祐三のたましひの絵と五月は遇ふ・・・・・・・・・・・・・ 高島茂
うつむけば人妻も夏めけるもの・・・・・・・・・・・・・・・・ 長谷川春草
春は曙血圧計をしかと見る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高島征夫
アルバムの薔薇は私の罪なのか・・・・・・・・・・・・・・・久保田元紀
あといふこえがふるへて春の底に〇・・・・・・・・・・・・・・・・・御中虫
点と点むすぶ嬉しさ野遊びは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宮崎斗士
春の声となり家の外過ぎて行く・・・・・・・・・・・・・・・・・林田紀音夫
赤軍が籠りし山の芽吹きかな・・・・・・・・・・・・・・・・・・斎藤朝比古
涅槃図の蛸大足を伸ばしゐる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・涼野海音
どんな帽子この子に春を呼びたるは・・・・・・・・・・・・・・依光正樹
一声もあげずに人や涅槃寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・下坂速穂
草餅にならぬ蓬を束にして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
股間から憲法九条そそり立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大友逸星
原発の電気が効くよ電気椅子・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・丸山進
あの日から他人の靴を履いている・・・・・・・・・・・・・・・・・ 〃
北上川人になど生れるもんじゃねえ・・・・・・・・・・・・・・・吉田成一
ここにいます すみれ タンポポ さくら草・・・・・・・大和田八千代
ご不在のようでしたので咲きました・・・・・・・・・・・・・・・・須川柊子
季語といふ漢語(からごころ)こそ桜かな・・・・・・・・・・・・・関悦史
キャンバスの上部の余白鳥曇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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   「地球上のすべての人が、
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──── ウィキペディア創設者 ジミー・ウェールズ

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木 村 草 弥 第 五 歌 集『昭 和』 自選63首 付・三井修・帯文、 批評ほか
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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昭和

──草弥の詩作品<草の領域>──(73)

     木 村 草 弥 第 五 歌 集 『昭 和』 
            ・・・・・・・・角川書店2012年4月1日刊・・・・・・

       自 選 6 3 首 抄  ◆長歌と散文 プ ロ メ ー テ ウ ス の 火

 Ⅰ 昭和
    雨しぶく昭和最後の夜の更けの大き寂寥はのちも思はむ──安立スハル『安立スハル全歌集』
欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
システム手帳に白ばかり殖え日々すごす存在論を抱へて浮遊す
花だより<落花しきり>と告げをればそを見に行かむ落花しきりを
妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶(おも)ひぬ
マンハッタンチェリー掬(すく)へば人生を違(たが)へたるものカクテルの夢
ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくおたまじやくしの尻尾
わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬
あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり
ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり

 Ⅱ 順礼
    方舟を降りたるのちの永かりしノアの老後をさびしみ思ふ──菊地原芙二子『雨の句読点』
目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
ほむら立つまでに勢へる詩(うた)ことばあなたはいつまで生きられますか
AIBOに尾を振らせゐし少年が新世紀に挑むロボットサッカー
ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
                *のれそれ──魚の穴子の稚魚
男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつしてみせう
吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
ブレジネフとホーネッカーが抱き合へる絵を描きたり峻(きび)しき皮肉
ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す
イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
陽が射せばトップレスもゐる素裸がティアガルテンの草生を埋(うづ)む
ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
ヴルタヴァの流れはカレル橋をゆきさざめくごとく<わが祖国> 響(な)る
J・Sバッハ二十七年を合唱長(カントール)として働きし聖トマス教会
皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る

 Ⅲ 花籠
    ことばとことばかもす韻きのうつくしと残り生の花残り生の霜──坪野哲久『胡蝶夢』
かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
ゐもり釣る童の群れに吾もゐて腹のおどろの朱(あけ)の色見つ
灌仏の日に生まれ逢ふ鹿の仔はふぐりを持ちてたのもしきかな
蛇(くちなは)は己が脱皮を見せざりき蒼ざめし肌を膚(かは)うすき艶を
<青蛙おのれもペンキぬりたてか>ひくりひくりと息やはらかき
          *芥川龍之介
一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ

 Ⅳ やつてみなはれ
    一脚の椅子しろくして闇ありきつねに疲るるあゆみといふは──小國勝男『飛鏡』
沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
夏果てて紅蜀葵の紅(こう)いろ褪せぬ非ユークリッドは君は言へども
言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごとく夏逝きて月に盈欠(えいけつ〉見る季節なり
髪しろく鋭揚音記号(アクサンテギュ)の秋となる八十路を越えて空の青さよ
ほろ酔ひて寝てしまふには惜しきなり五月の夜の美しければ
春風とともに始めた恋のこと脆さ思ひつつ「やつてみなはれ」(エトヴァス・ノイエス)
おろかにも日々を過してゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
孵化したるばかりの仔蜘蛛が懸命に糸張りをるも払はねばならぬ
光合成終へし落葉が地に還るいのちの核を揺る大欅
汝(な)をそこに佇たしめてみむ岩かげの秋海棠のうすくれなゐの
大和摂津河内和泉を一望に国見せりけむ葛城族長
一九三○年午年生まれ私の七度の干支(えと)かりそめならず
老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麺の茹で加減

 Ⅴ エピステーメー
    朱漆の小さき櫛を秘そめ持ち万緑のなか陽に触れしめず──長岡千尋『天降人』
イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり木津川の<わんど> に潜みゐるといふ
この世にはこの世の音色 鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
葛城の山ふところに大き寝釈迦の若き御顔よ涅槃西風(ねはんにし)吹く
エリカ咲く日影のけぶるむらさきも孤りなるゆゑ思ひ出でつも
仲良し三人組と言はれ変はらぬ友情で結ばれた妙子とF子と弥生
何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖
青蝉(ひぐらし)ははかなく死にき葉のかげに身すぎ世すぎのはざまを墜ちて
老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ
千年で五センチつもる腐葉土よ楮(かうぞ)の花に陽があたたかだ
フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ
花に寄する想ひの重さ計りかね桜咲く日もこころ放たず
私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

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 Ⅵ プロメーテウスの火
     ─苦艾(チェルノブイリ)の香りかすかに移りたる雪かロシアの雪ひとつかみ──塚本邦雄『約翰伝偽書』
       =「苦艾(にがよもぎ)の香り」がかすかにある「ロシアの雪」のひとつかみは三月にフクシマに降った雪に繋がる=



         長歌と散文    プ ロ メ ー テ ウ ス の 火
        ─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし  福島泰樹─

  大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
  大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
  こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
  一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何思ひつつ
  死んでゆきしか
  巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を
  
     ─騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら  佐々木六戈─

  プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
  数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
  ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
  meltdown(メルトダウン)ぞ  meltthrough(メルトスルー)ぞ
  沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九〇 大放出
  君知るや 放射性物質の半減期とふを
  沃素一二九=一五七〇万年、セシウム一三七=三〇年、
  プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九〇=二九・一年
  測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
  原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ 
  まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂(い)ひぞ
  放射能の 数値は チェルノブイリ超えき

    ─黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も  春日真木子─
  
  雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
  牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
  牛肉も食へず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
 
  永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
  先は長いぞ!
  おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
  安全神話 ふりまきし輩(やつばら)に!   
     
     ─余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す  米川千嘉子─
  
  三陸の 死者と生者を 憶ひつつ
  すべての死者に 手を合はせ
  すべての生者に 祈り捧げむ
  

二〇十一年三月十一日十四時四六分十八秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖一三〇kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大のマグニチュード九・〇を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約五〇〇km、東西約二〇〇kmの広範囲に及んだ 。この地震により、場所によつては波高十m以上、最大遡上高四〇・五mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。

また、大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊などによつて、東北と関東の広大な範囲で被害が発生し、各種ライフラインも寸断された。
震災による死者・行方不明者は二万人以上、建築物の全壊・半壊は合せて二四万戸以上、ピーク時の避難者は四〇万人以上、停電世帯は八〇〇万戸以上、断水世帯は一八〇万戸以上に上つた。政府は震災による被害額を十六兆から二五兆円と試算してゐる。

地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失し、原子炉を冷却できなくなり、過熱による水素爆発で大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展した。これにより、周辺一帯の住民は長期の避難を強ひられてゐる。

    ─「電力を生むために人を殺すな」と静かなる怒り湛へて言ひき  大口玲子─

プロメーテウスは、神々の姿に似せて創造された人類に、ヘーパイストスの作業場の炉の中に灯芯草を入れて点火し、それを地上に持つて来て「火」を伝へた。
ゼウスが傲慢になった古い人間を大洪水で滅ぼし、新しい人間と神を区別しようと考へた際、彼はその役割を自分に任せて欲しいと懇願し了承を得た。プロメーテウスは大きな牛を殺して二つに分け、一方は肉と内臓を食べられない皮に隠して胃袋に入れ、もう一方は骨の周りに脂身を巻きつけて美味しさうに見せた。そして彼はゼウスを呼ぶと、どちらかを神々の取り分として選ぶよう求めた。プロメーテウスはゼウスが美味しさうに見える脂身に巻かれた骨を選び、人間の取り分が美味しくて栄養のある肉や内臓になるやうに計画してゐた。だが、ゼウスはプロメーテウスの考へを見抜き、不死の神々にふさはしい腐る事のない骨を選んだ。この時から人間は、肉や内臓のやうに死ねばすぐに腐つてなくなつてしまふ運命を持つようになつた。
その行ひに怒つたゼウスは、プロメーテウスをカウカソス山の山頂に磔にさせ、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれる責め苦を強ひたが、プロメーテウスは不死であるため、彼の肝臓は夜中に再生し、のちにヘーラクレースにより解放されるまで半永久的な拷問を受けた。
プロメーテウスが天界から火を盗んで人間与へたことに怒ったゼウスは、人間に災ひをもたらすために「女性」(パンドーラ)といふものを作るように神々に命じた。
パンドーラは人間の災ひとして地上に送り込まれた人類最初の女性とされる。「パン」=全てのもの、「ドーラー」=贈り物ドーロンの複数形。
「パンドラの匣」のエピソードで有名。

原子力発電が、プロメーテウスの「第二の火」に擬(ぎ)せられて久しいが、パンドラの匣ならぬ、厄介な火を抱え込んだものである。
「想定外」といふ言葉に誤魔化されてはならない。
千二百年も前に今回と同じやうな規模の地震・大津波襲来の歴史的記述が残つてゐる。   
延喜元年(九〇一年)に成立した公式史書『日本三代実録』に載る。

貞観十一年五月二十六日(ユリウス暦八六九年七月九日、グレゴリオ暦換算七月十三日)の大地震発生と大津波について、次のやうに記述する。

五月・・・廿六日癸未 陸奥國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝諸J漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乗船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉

同年十二月十四日には、清和天皇が伊勢神宮に使者を遣はして奉幣し、神前に告文を捧げ国家の平安を願ってゐる。この年は、貞観大地震・大津波をはじめとして相次ぐ天災や事変が相次ぎ世の中は騒然としてゐた。
京の都では、町衆が祇園社に御霊鎮を祈願して今につづく「祇園祭」を巡行させたのも、この年である。

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     三井修 「帯文」 と 抄出 9首

              木村草弥の心は自在である。

    「昭和」という時代を見つめつつ、その眼差しは遥か彼方へ飛翔する。

             その世界は山城から東欧まで、

            その言葉は万葉語からラテン語まで、

            その心は亡妻からプロメテウスまで、

         空間、時間を自由に行き来している。───三井修


   祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

   まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る

   わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬

   順礼は心がすべて 歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため

   イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

   花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗皙(しろ)し

   方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず

   わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ

   修二会果て火の行法の終るとき寧楽の都に春は来にけり

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 ──書評──

     木村草弥歌集『昭和』・・・・・・・・・松村由利子
           ・・・・・・・・・角川書店「短歌」誌2012年8月号所載・・・・・・・・・・

 二十代の若者はともかく、「昭和」という元号は多くの人に、いくつもの
重い歴史体験を想起させると同時に、懐かしく慕わしい思いを抱かせる。

  わが生はおほよそを昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬

 著者は、昭和一ケタ生まれの歌人。
年齢を感じさせない、かろみのある詠みぶりが魅力である。自在な歌ごころ
が、読むほどに心地よい。

  ちぎれ雲がひとつ  へうへうと少年の心の中をとび交つた

  ひとむれの花のゆきつく先にはいつも余りにも寂しい物語があつて

  ガスの火の青さみつめてゐたりけり愛は一瞬 麵の茹で加減

 少年の心は、肉体の加齢とは関係なく、夢想を育て続ける。日常生活の中
に漂う「ちぎれ雲」のような想念や、温めてきた「物語」の数々には、はっ
とさせられる。

  追憶の大きな布を拡げれば白線引きが向うから来る

  あり余る愛でわたしは白い肌に灰青色の釉薬をかけた

  老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後

  私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

 この作者は、日常詠から思いがけない奇想へといきなり飛躍する。その振
幅の大きさと文体の多様なことには、魅了されるばかりだ。
 卷末には、長歌と散文「プロメ—テウスの火」も。充実の第五歌集。 〈松村由利子・評〉

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「激動の昭和見つめ歌集」・・・・・・・京都新聞が歌集『昭和』を紹介
           ・・・・・・・・・京都新聞 2012/04/14 朝刊掲載・・・・・・・・・・・・・・

城陽市で宇治茶問屋を経営してきた木村草弥さん(82)がこのほど、山城地域の風景や妻への思いなどを詠んだ歌集「昭和」を自費出版した。
九年ぶり五冊目の歌集で、昭和の時代を見つめつつ、日常から異国の情景まで、幅広いテーマで詠んだ490首が紹介されている。
木村さんは、家業の製茶業のかたわら、国内外を旅して歌を詠み、これまでに四冊の歌集を自費出版してきた。
五冊目は、九年間に詠んだ新作が中心で、自身の人生の象徴である激動の時代「昭和」への思いでまとめた。
巻頭歌は、祈りのイメージを歌にした
    祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
また、亡き妻との思い出を詠んだ
    妻呼ぶに愛称「弥いちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶ひぬ

    イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

山城地域を題材にした
    梅の花の記憶の村に相違なし雨から雪に変はる早春

など、日々の暮らしから異国の情景まで、「気まま」な独自の世界を表現している。
A5版215ページで、角川書店刊。        (京都新聞南部支社・小坂綾子)

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       詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
               日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

木村草弥歌集『昭和』
2012-04-16 12:27:46 | 詩集木村草弥『昭和』(角川書店、2012年04月01日発行)

 木村草弥『昭和』は歌集。ことばの印象(響き、音楽)が、少し日本語と違う--というのは変な言い方だが、何か「子音」がくっきりしている。それはたとえば、

イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き

 というような「異国(外国)」の音が入ってくることと関係があるかといえば、まあ、ないわけでもないのだろうけれど、それだけではない。
 この歌では「イシュタル」よりも「獅子たち」の「たち」に、私は不思議な音の「すっきりした音」を聞く。奇妙な言い方であることを承知で言うのだが、それはバーブラ・ストライザの歌を聞いているような響きである。一つ一つの「子音」がはっきりしている。耳にくっきりと残る。(昨年の夏以降話題になった由紀さおりの歌が「母音」の音楽であるのと比較して、私はバーブラの歌を「子音」がはっきりしている、というのだが……。)
 で、この子音のはっきりした印象が少し日本語と違うという感じを呼び起こすのである。
 「その藍の濃き」の「あい」という母音だけのことばさえ、なぜか子音が含まれていると感じてしまう。私の耳が聞き間違えているのだが、先に書いた「たち」と「あい」の母音の組み合わせが同じだからかもしれない。どこかに「たち」の音の余韻があって、そのために「あい」を母音の繋がりではないと聞きとってしまうのかもしれない。
 あるいは、その表記が「藍」と画数の多い漢字であるために、その画数の多さ、角の多さが「エッジ」を感じさせるのかもしれない。「エッジ」が子音という感覚を呼び覚ますのかもしれない。
 私はもともと音読はしない。だから視覚でとらえたものが、画数→エッジ→ことばのとんがり→子音という具合に変化しながら、肉体のなかでまじりあって、そこに「音」が響いてくるのかもしれない。
 「その藍の濃き」の「藍」と「濃」という漢字の組み合わせも、そういうことに強く影響してくる。
 歌全体としては「の」の音、「の」に含まれる母音「お」の音の繰り返しがあり、それは「日本的」な音の繋がりなのだが、「異国の地にぞ」の「ぞ」が割り込み、なだらかな音の繋がりを断ち切る。濁音の強さが、母音の響きをいったん断ち切る。洗い流す。そういうところにも、「エッジ」を感じる。それが子音が強いという印象を呼び覚ますのかもしれない。
 こういう音楽を聞いていると、不思議なことに、歌のはじめの「イシュタル」の方が母音の絡み合いがやわらかくて「日本語」かもしれない、と思ってしまう。

祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

 ここには外国の地名は出てこない。けれど、「薄明」「胸中」という漢語がふたつ出てくると「日本語」というよりも、中国語(漢詩というべきなのか)の印象が強くなる。私は中国語は知らないし、漢詩も知らないのだが、私の何も知らない耳には、そのことばの「エッジ」が強く響いてきて、あ、日本語の響きとは違うなあ、と感じるのである。
 「祈らばや」というのは、「日本語」でしかないのだが、「や」ということばでいったんことばが切れる感覚も「エッジ」を感じさせる。「ば」という強い音があり、それに負けないくらい「や」も強く響く。「や」は「い・あ」と母音が凝縮した感じで、その強い響きが、必然的に「薄明」「胸中」というくっきりしたことばを呼び寄せるのかなあ。
 それにしても(こんなときに、「それにしても」ということばが適切かどうかわからないが)、この歌は不思議だ。書かれている内容(意味)は非常に弱い(うっすらとした)風景なのに、音が強くて、その音が弱々しい風景(情景)を、歌の内側からくっきりと支えている。絵で言うなら、水墨画にペンで輪郭を描いたような感じがする。ふたつの「技法」(音楽、旋律、リズム)がまじっている。

 木村の歌には2種類の音楽がまじっている。それが、日本語で書かれながら、日本語の歌とは違うという印象を呼び覚ますのだと思う。

まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る

 歌集中、私はこの歌がいちばん好きなのだが、この歌に感じるのも不思議な音楽の出合いである。「まみどり」「(野)あざみ(色)」は、ことばのなかに濁音をもついう「音」の構造が出合うと同時に、「ひらがな」という形でも響きあう。目と耳が私の肉体のなかで、いっしゅん、すれ違い、入れ替わり、その融合する感じが私には楽しい。
 「雨蛙野あざみ」の漢字のつらなりも、とてもおもしろい。視覚上の読みやすさからいうと、この漢字の組み合わせは読みづらい。読みづらいのだけれど、その読みづらさのなかに、不思議な凝縮がある。
 宙→野→黄昏。
 この、不思議な広さが、「雨蛙+野」の結合によって、「いま/ここ」に凝縮する感じがする。野原に雨蛙がいる。それは宙(空、なのだけれど、空を超えた存在)と野に代表される地球を結びつける。天体の運動である黄昏(時間の変化が色の変化として動く)が、小さな雨蛙の色と向き合い、一期一会の出合いをする。それを「来る」という短い日本語で断定する形で演出するところが、非常に、非常に、非常におもしろい。
 いいなあ、この「来る」は。
 この出合い(一期一会)は、日本的感覚といえば日本的なものだと思うけれど、「宙」と書いて「そら」と読ませることに象徴される漢字のつかい方--そこに「日本語」を少し逸脱しているものがあると思う。それが「雨蛙野」という漢字の連続を刺激している。さらに「黄昏」という漢字を刺激している。
 繰り返してしまうけれど、その出合いを「来る」が締めくくるところが、とても刺激的だ。

 こういうおもしろさは、短歌という形式にあっているのかもしれない。「現代詩」だと長くなりすぎて、木村のやっていることは「音楽」ではなく、ノイズになってしまうかもしれない。ノイズにもノイズの音楽があるのだけれど--音楽としてのノイズではなく、「頭でっかちのノイズ」になってしまうかもしれないなあ、と思った。

 あ、書き漏らしそうになった。(というか、すでに書いたことを別なことで言いなおすと、ということになるのかもしれないが……。)--まあ、これから書くのは、余分な補足です。
 日本語的ではない--という印象は、木村の短歌が、「5・7・5・7・7」でありながら、それを感じさせないところにもあらわれている。「5・7・5・7・7」を感じさせないというのは、そこに複数の出典のことば(リズム、表記)があるからだ。「日本語」だけれど、日本語以外のものがあるからだ。

ひといろで描けといふなら田園は春の芽ぶきの今やさみどり

 「田園は」「でんえんは」と5音に数えるのかもしれないけれど、私の耳には3音にしか聞こえない。それは表記の「田園は」という3文字ともぴったり重なる。「田園」そのものは日本語なのだけれど、最後の「さみどり」という日本語と比べると、リズムの出典が違う。「肉体」を潜り抜けるときの感じがまったく違う。それで、私はそういうものを「日本語以外」というのだが……。
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    「寸簡」・・・・・・・西井弘和・私信より

全部を読みきっていませんが、ぼくの好きな歌、気になる歌。いうてもいいですか。
巻頭歌がいい。

 祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく

祈らばや、胸中の沼、なんていいですね。みなさんおっしゃるのではないですか。

   身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙の浮き橋

身のうちに曳きずるものあり……宙の浮き橋、とは。定家の、春の世の夢の浮橋……横雲の空、など、柄にもなく思い出したり。
大体、貴兄の歌で、新古今調の華やぎや流麗さをしばしば感じたりするのはぼくだけかしら。

   ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり

ひっそりと……、がいいなあ。徐かにうるほひにけりと文語体を使ってるのも、夕顔が出てくるのも大共感。うまいなあこの優婉なる色気。

   ひとむれの花のゆきつく先にはいつも余りにも寂しい物語があつて

ひとむれの花のゆきつく先には……、と散文があって、あまりにも寂しい物語があって、と散文的助詞でくくって。いやらしいほどうまい。
律を破ってのやないかと思うけど、やはりリズムがあって。

   ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた

昆虫少年はまたいいなあ全部。ちぎれ雲がひとつ、が好きだ。へうへう、とは。

   目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ

生きてゐることに理由は要らぬ、目を閉ぢて耳を傾け……。静かなる喝破。

   きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり

きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ、この、ひとつというのがいい。昼やね。苦し紛れかも知れんけど。

   男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう

これからは姿をやつして見せう。なりをやつしてみせう、いいねえ。いなおり。

   熟したる躰の張りも誇らかに若き男女は抱き合ひ眼交ふ

熟したる躰の張りも誇らかに……オスロの若者たち、抱き合い眼交うてはりましたか、圧倒されますね。

   小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり

小手毬は花虻の群れ……、揺れ戻しけり、まで見ている。怖い作者の目。

   日常の一歩向こうの月光(つきかげ)に白き馬酔木の陶酔を見つ

日常の一歩向こうの月光に……、素晴らしい表現。こうはなかなか歌えないですね。

なんかいえそうに思ったのはこの辺まで読んでの気持でした。
あとはまだ読んでないのです。旺盛な詩作・思索活動、すてきですねえ。
ただ、外国旅行の歌は目を瞠っているのはわかりましたが、どうしてか、あんまりぴたーっとくるのがなかったですねえ。

   時ならぬ「アヴァンチ・ポポロ」の唄流るファシストに抗ひしイタリアの歌

アヴァンティポポロ、まだ歌われているのかと思ったりしましたが。

でもこの歌集、痛快でした。楽しかった。も少し読ませてもらいます。
三井さんの感覚はどうなんやろと思いました。京子さまによろしく。

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  歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・三浦 好博──私信より抄出

  四月に入って遅い桜が一斉に咲き出して来ました。
 これから花狩人になって野山を歩きまわりたい季節です。
 この度は御歌集『昭和』ご出版誠におめでとうございます。
九年ぶりのご出版だそうで、たくさんの歌の中から纏める作業は大変であったろうとお察し致します。
その間には2冊の詩集を編まれているので、詩作に力が入っていたかもしれません。
 文学者はひとの生き死ににはとても敏感ですので、昨年の3・11について詠まれないひとは居ないと思いました。
木村様もこの『昭和』の巻末にて「プロメーテウスの火」の項を立ち上げておられました。私は先ずそこから読ませて頂きました。
原子力にも豊富な知識から噛んで含めるように、私にも解りました。
ありがとうございます。
 以下、内容に即して鑑賞させて頂きました。
『西行花伝』は辻邦生の小説で私も読んだ事があります。
現在、大河ドラマ「平清盛」がやられて居ますが、待賢門院藤原璋子との関係は、ドラマのようには辻邦生は描いていなかったと思います。
出家の大きな原因であった事はたしかな事のようですが。。。。
 橋閒石の〈お浄土が……〉の句と下句の奥様の状況がぴったりの雰囲気でした。
 木村様は多くの短歌結社の誌に作品を発表されて居る関係で、とても自由に作歌されていることが解ります。自由律は短詩にも通じますので、インパクトがありますね。
大和言葉にある春夏秋冬のさまざまな言霊をあやつるというか、遊ぶというか、美しくも愉しい事ですね。
 昭和という時代の殆どを生きて来た木村様にとって、青春と玄冬の歌よく解ります。
この昭和の間には朱夏と白秋もあったと思うのですが、この期間はどんなものであったのでしょう。HPやブログにあるいは書いてあるかもしれませんね。
 巡礼の項は国内の例えば四国八十八ヶ所の寺巡りもやられたでしょうし、スペインの巡礼の道も辿られた事が解ります。
まさしく「道」という言葉が美しいです。
その道のひとつ「 海石榴市の八十の街に立ち平し結びし紐を解かまく惜しも」(万葉集)の「海柘榴市」を山辺のみちに私も訪れました。
「ヒロシマの原爆ドームの、、、、、」と詠まれましたウィルヘルム教会はその後、何年かをかけて元通りにしたようです。
落成式(?)の前の年に殆ど修復されかかった教会を見ました。
 ルターよりも百年も前に改革の旗を揚げたフスは時節を誤ったのでしょう、未だ力が弱かったのですね。
 木村様は積まれた深い教養から、諸外国のあらゆる対象に深く分け入ることができます。
同じものを見てもまったく私などとは違う見方考え方ができて、歌が流れるように出来てしまいます。羨ましく思っても詮無い事ですが。。。。
 旧日本軍が東南アジア、わけてもシンガポールで行った行為の詳細が歌を読んで分かりました。最近たまたま、岩波現代文庫にてクリスチャンの「汝殺すなかれ」の父の教えを忠実に守り、学徒動員で徴兵された初年兵が、中国にて八路軍の捕虜を刺殺する訓練にて、これを拒否し、その後のありとあらゆる上官の拷問的な暴力に耐えた歌集を読んだばかりでした。「渡部良三歌集『小さな抵抗』殺戮を拒んだ日本兵」でした。
 夕顔の花は私も大好きです。宵闇に白く浮き立つ姿が素敵ですね。
又、池坊の若き女師範が朝顔を茶の湯に飾っておりましたのを、テレビ(日めくり万葉)で見ましたが、そんな素敵な花飾りもあるのですね。
 シルヴィア・プラスの詩は読んだことがありませんので、この項は理解が及びませんでした。才能をもっともっと発揮して欲しかったのに自殺してしまったそうですね。
 インド・カジュラホのミトゥーナの寺院のヒンズーのエロチックな群像には私も驚きました。写真をたくさん撮ったのを覚えております。
 大和葛城山は躑躅の名所ですね。私も行きました。山頂一面に咲いて圧巻でした。大混みでしたが自分もその一人でしたから我慢しました。
「春の花言葉」はそれぞれの花の花言葉を一首に入れて詠むやり方で、私も第三歌集の『ときの扉』にたくさん収録しました。
連翹、アネモネ、エリカ、ヒヤシンスなどの歌が好きです。
 伊能忠敬の生家は当地から一時間の佐原で、何度か資料館に行きました。本当に凄い人でした。努力という言葉がぴったりの方でした。
彼の末裔になる人が時々当地で、伊能忠敬について講演して呉れるのを聴いたことがありますが、大変謙虚な方で、血筋であると納得しました。
死ぬことを意識に置いてやれば、彼のような偉業が達成できるのですね。
 わたしが選んだ好きな歌は下記に挙げさせていただきました。
 
   木村 草弥歌集『昭和』より私の好きな歌・・・・・・・・・三浦 好博

  ・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
  ・身のうちに曳きずるものありひたすらに雪の落ちくる宙(そら)の浮き橋
  ・君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
  ・ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
  ・〈お浄土がそこにあかさたなすび咲く〉病みあがりの妻うたたねしゐき
  ・春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花----日本の美神の終楽章
  ・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
  ・希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
  ・わが生はおほよそ昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬
  ・上目つかひ下目つかふも面倒なり遠近両用眼鏡ままならず
  ・放物線の最高点にゐる時を噴水は知つてきらめき落ちる
  ・日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
  ・サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく
  ・海柘榴市に逢へば別れの歌垣ぞ名残りの雪の降る弥生尽
  ・きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
  ・すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
  ・金髪のビルギュップ女史きらきらと脇毛光らせ「壁」さし示す
  ・戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
  ・皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る
  ・尖塔のセント・アンドリュース教会に日本軍の慰安所ありき
  ・使役可か不可かは皇軍の恣意にして働けざる華人みな撃たれしといふ
  ・かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門(かど)べに宵を白く灯りぬ
  ・激つ瀬に網はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
  ・昼ふかき囀りやがて夢となり欅(けやき)は今し木語を発す
  ・沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
  ・額田王ひれふるときに野の萩の頻(しき)みだれけむ いはばしるあふみ
  ・枯るることいとたやすけれ 胸奥に修羅いだきつつ爪を剪るりゐつ
  ・乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちぶさ)の静脈青しはつ夏の来て
  ・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
  ・悲しみの極みに誰か枯木折る臥床に首を捩ぢて聴く夜半
  ・起きぬけの一杯のみづ腑に沁むを満々と水を湛ふる地底湖

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     藤原光顕 『昭和』読了しました ──私信より抄出

歌集『昭和』ようやく読み終わりました。
批評などとはとても言えませんが、二、三の感想と心に残った歌を記してみます。

●祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
 西井さんの仰るとおり、いい歌です。「胸中の沼」わずか4文字からのイメージの拡がり… もちろん「橋渡りゆく」という結句あってのことですが。
一集を象徴するようで、巻頭にふさわしい一首と思います。
●欠伸(あくび)ひとつ難しくない生き方を求めて渡る身の幅の橋
 「身の幅の橋」短歌ならではの見事な表現と思います。
●白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
 「白魚」「桜」「行きつ放しの世」 うまく言葉で繋げませんが、心奥深くへ沈み拡がってゆく淡い哀しみ。
●ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
 まさに草弥短歌というべき一首でしょうか。自分では正しく使えないのですが、ここは旧かなでないと歌にならないと思います。
●一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
 病をかかえて生きる日々の頼りない時間と「豌豆の花の白さ」と…
●蕗の薹の苦さは古い恋に似て噛めばふるさと今もみづみづしい
●わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
 さりげない状況説明のような末尾に置かれた「玄冬」の二字の重さ。
●目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ
●男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
●すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
●金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
●イエス・ノー迫りたる日の将軍の蝋人形据ゑわれらに見しむ
 「東欧紀行」に続く一連の旅行詠。短歌という不自由な形式での叙景ということもあるのか、充分に感情移入できないもどかしさが残りました。
私も何度か試みましたが、当事者の感動はなかなか伝わらないようです。旅行詠の難しさを思います。
●流沙のごと流るる銀河この夏の逝かむとしつつ乏精液症(オリゴス・ペルミア)
 「オリゴス・ペルミア」の詳しい意味を調べてみて「流沙のごと流るる銀河」の象徴する意味や切なさがわかりました。
●乳ふふむ嬰児(やや)のつかめる乳房(ちちふさ)の静脈青しはつ夏の来て
●藤にほふ夕べは恋ふ目してをりし若き姉の瞳(め)憶ひいづるよ
●老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
●「生きているの」といふ絵は男と女の下半身をオブジェのやうに描く

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    白子れい 私信より(抄出)

ひと雨ごとに桜のつぼみがふくらんでまいります。
御歌集『昭和』の御上梓おめでとうございます。
早速にお送りいただきありがとうございました。
私とほぼ同年輩(私は昭和二年生)、同じ戦時下で、また終戦後の不自由な生活の中で生きられながら、
大きく羽搏かれた一生の、なんて広く大きい世界で生きられたものよと、ほとほと見上げながら、
また短歌のみならず長歌、散文、そしてお茶の製造と幅広く奥ゆき深く生きられたお姿に感服いたしました。

★祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
★花の季大人のいしぶみ輝きて春日連山いま旺んなり
★春は朧月、夏は日暈、秋は黄昏、冬は風花・・・・日本の美神(ミューズ)の終楽章(コーダ)
★母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて
★まどろみの夢のつづきを辿るとき逝きたる人の面影に逢ふ
★わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
★日と月と星と大地と火と水と時だけが知る「道」はいづこへ
★きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
★むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
★ブラジャーとヒギニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
★指呼すればアウシュビッツ見ゆサリンもてシオンの民の命奪ひし
★ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲>
★人の世の生まれ喜び悲しみの一瞬(ひととき)ときを石に刻めり
★かの人に賜びし夕顔ほのかにも門べに宵を白く灯りぬ
★生活の醗酵しゆく日の暮れを人はそれぞれ家を目指せり
★湖を茜に染めて日の照ればひしめき芽吹く楢の林ぞ
★鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
★死ぬことと生まるることは一片の紙の表裏と言はれ肯(うべな)ふ
★枯るることいとたやすけれ胸奥に修羅いだきつつ爪を剪りゐつ
★生死のみ韻律にのせ詠みたかり秋野をゆくと人に知らゆな
★もゆらもゆら夏の玉の緒ひぐらしの啼く夕ぐれはまうらがなしも
★うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
★麟片に覆はれねむる冬の芽の満天星あかしことごとく紅し
★三輪山の檜原の端に木いちごの赤き実熟るる冬となりたり
★まぼろしの皇子馳せゆけよ標野なる草のひろらの錦の中を
★わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
★この世にはこの世の音色鶏鳴にかの国の春はじまり初めぬ
★真実を告げたかりしをアネモネのむらさき濃ゆく揺らぐともせず
★愛ひとつ告げし日ありき愛ひとつ失くしし日あり過去は茫々
★私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

日本各地のみならず世界を舞台に、また哲学的思考があると思えば楽器のリズムあり、
本当にぐいぐい引き込まれてゆきました。
同じ戦後の生き方の、かくも異なる生き方があるものよと眼をみひらくおもいで、お作品の数々をみせていただきました。
とりだしたら六十首を越えましたので、しぼりにしぼって三十首を書かせていただきました。
素晴らしいよみごたえのある御歌集、本当に有難うございました。
またグループの勉強会の折みんなに紹介させていただきたいと思って居ります。
季節の変り目どうぞくれぐれも御身体に御留意下さいませ。     三月二十八日

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     鎌田弘子  私信より(抄出)

春になりました。
御歌集『昭和』ご上梓お祝い申上げ、拝読のこと、いつも乍らまことに有難うございます。
オペラのバリトンの歌手に聞きほれるような感じのお作品と思うなど、おめにかかったことはありませんのに、ご想像申上げて居ります。

☆どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
☆花だより<落花しきり> と告げをればそを見に行かむ 落花しきりを
☆ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
☆手すさびに眉ひき直し唇(くち)を描く重ねる愛戯うち返す波
☆男の美学こだはらず来し過去(すぎゆき)ぞこれからは姿(なり)をやつして見せう
☆人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
☆干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
☆白堊なる三層のホテル・ラッフルズかつてサマセット・モーム逗留す
☆「昭南」と改めしめし日本軍ラッフルズ・ホテルも高級宿舎とす
☆老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
☆開帳を晴れがましとて観音は切れ長の目を伏してゐたまふ
☆涅槃図の白きは象の嘆くなり土踏まずゆたかに臥し給ひける
☆涅槃図に摩耶夫人とぞ見いでたる白き御顔は沙羅双樹の下
☆楊貴妃の白き顔(かんばせ)ひき寄せて梨花のもとにび玄宗愉快
☆スィートピー 香のよき花と選ばれてエドワード戴冠の出でたち寿ぐ
☆四十は「人生の正午」とユングいふかの佳人まさに燦とかがやく
☆千年で五センチつもる腐葉土よ楮の花に陽があたたかだ

「長歌と散文 プロメーテウスの火」も後世へのよい記録となりましょう。

<昭南>について
  白靴や名も昭南と改まり   多羅尾 豪
職場(舞鶴の海上保安部)の句会で、海軍時代の一句と教えてもらいました。思い出です。

多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。
三月十一日、私はあの日の朝発って京都府の綾部市 もう誰も住まぬ(弟の歿後)屋敷(家と土地)を見に行っておりました。古木の紅梅がさかりでした。
翌日の帰途、新幹線や東京の電車ちょっと心配しました。
ひどい揺れを経験せずに済んだこと恩寵かどうか・・・です。
短歌に対する気持が変ってしまいましたね。
昨年は八十歳(昭和六年生)記念 自祝の鳩杖を購って少しおしゃれをした日の外出に携えて居ます。
広辞苑にも載ってますが、鳩は食するときむせないのです。おろす故の由。
把手が銀製の鳩の型。杖の部分は軽いように籐の太いのです。
短歌新聞社が終りになって、私の歌集『むべ』『時の意味』何冊も引き取りました。
佐藤祐禎氏(大熊町、未来、新アララギ)の歌集『青白き光』が原発のことゆえに話題になり、個人的にも電話、お手紙などで行き来があります。
それともうひとつ 細野豪志(原発担当・環境大臣)四十歳は私の妹の長男で京大卒後しばらく私の家から三和総研に通っており、
鳩山さんのスカウトで三島から二十七歳のとき以来民主党です。
私たちには子供がありませんので、豪志は幼いときから私たちもとても可愛がって大きくなりました。
豪志は背丈185cm、靴30cmですから、靴下掛りと寸法を置いてある三越でシャツそしてネクタイの掛りをして居ります。

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    黒松武蔵   私信抄と抽出歌 

歌集『昭和』の上梓おめでとうございます。
とりわけ「順礼」は私も旅が大好きなので、ウン、ウンと頷きながら読むことでした。
かつて私も観て廻った地が沢山出てきましたせいでもあります。
プラハ城では、黄金の小道の途中にカフカがよく訪ねて作品を書いたという店がありましたが、カフカ大好きの私はすっかり舞い上がってしまって、
ぼーっとしている間に財布を掏られて、頭の中真っ白、再び「ぼーっ」でした。
その後のカレル橋もミュシャも半ば茫然として歩き訪ねました(一文なしでは絵も買えず)。
フスの像は市民広場のことかと思いますが、すぐその近くにカフカ記念館がありましたがご存じでしたか。
私たちのツアーは、その日の午後自由時間でしたので、私独り通訳の方を予約しておいて、カフカ関係の場所を巡りました。
とてもいい記念になり、記念館で求めたメダルは今も机上を飾ってくれております。 平成24年4月5日

  抽出歌・・・・・・・・・・・・・・・黒松武蔵

   Ⅰ 昭和
 ○一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
 ○希望よりむしろ狂気を 星たちは宙のかなたに交信しをり
 ○あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
 ○たぐられて消えゆく虹のうすみどり夢の音符のやうな足どり

   Ⅱ 順礼
 ○繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
 ○君が裡に眠りこけたる邪鬼あらむまどろむ人の白き首すぢ
 ○むささびに夢齧られし夏の木は樹液の饐えし香を漂はす
 ○すこしづつ砂に埋もれてゆくやうな日を消化しゆく老いのすぎゆき
 ○人間と違ふ眠りのサイクルと思ふ蝸牛に久々の雨
 ○まなかひにベルリン・フィルが竪琴のごとくに建てりポツダム広場
 ○ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草刈るドイツの夏は
 ○ボヘミアの自立叫びしフスの像「真実は勝つ」の文字を刻めり
 ○干し鱈を商ひて富を築きしとふハンザ商館のつつましき家
 ○ゴム林を列なし進むオートバイわれ見し兵ら半島(マレー)を攻めき

   Ⅲ 花籠
 ○冬眠より覚めて幾月くちなはは早も脱ぎたり去年の衣を
 ○手づくりの柏餅とて志野の皿納戸に探しぬ母の日なれば
 ○しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
 ○昼ふかき囀りやがて夢になり欅は今し木語を発す

   Ⅳ やつてみなはれ
 ○おろかにも日々を過ごしてゐる我に葉もくれなゐの炎ゆる鶏頭
 ○磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東の冬
 ○こだはらず肥れる女がシクラメン抱きて過ぐる聖夜(きよしよ)の街
 ○わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ

   Ⅴ エピステーメー
 ○何せむといふにもあらぬ日めくりを剥げば日曜の朱色の数字
 ○闇ばかり土の暮しの長ければ喉かれるまで蝉は啼くなり
 ○茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき

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     辰っちゃんblogより抄出

・木村草弥氏の「昭和」について
「あとがき」によるとこの歌集は氏の第五歌集で「嬬恋」を出したあと「九年も放置していたので、たくさんの歌が溜まってしまい、前歌集の発刊の際に歌の数が多くなり過ぎて削除した旧作にも愛着があり、捨て難いので、いくつか拾った」とあるからはっきりしているのは前歌集出版から最近までの作品ばかりではなさそうだということである。そこに氏の最近の心境の一端が見えるような気がする。文学的にもきっと高い評価を受けるだろう歌集でありながら敢えてメモリアルなものに執着されているのはどうなんだろうという思いもあるが氏もとうに八〇歳を越えておられるはずだ。そこに私は気むずかし屋?の木村氏の人間性の暖かさを感じるのだ。そして少し安心する。
「〇〇君 歌集は生きている内に出すもんだよ」と、かつて私に言われたことがある。
今 思うとそれは氏の生き様を直に教えていただいた私にとっては最初の大切な忠告なのでありまた多様な人生哲学を感じさせた一瞬でもあった。
どこか超越したような風貌と言動は時に人を寄せ付けないような厳しさを感じさせるが内なるものはさびしく 少年のような純粋さと憧憬を持った夢見る やさしくて義理堅い人なのだ。そうでなかったらあの奥様亡き後の連綿とした思いは説明が付かないのである。
この歌集はⅥ章からなっている。そのうち大部分は(歌集より後記に曰く)「歌集出版の際削除したもののうち捨て難いと思う歌を拾った」とあるように大部分は旧作が占めているのであろうか。
つまり私はある目的を持ってこの歌集を読み始めたのであった。
たとえばこの歌集の作品の中には先に出版された詩集「免疫系」と重複する部分がかなりあるのだ。
それは何か意図的なものがあるのだろうが私には少しだけ見えるような気がしている。それは具体的なものではなく情緒的な観測なのだが。
しかし 私は木村氏の家近くに住まいながら実はあまり木村氏を知っているとは言えないのに気づく。
    (Ⅰ)
  ・祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡り行く
ペ-ジを繰るとまずこの何とも言えぬはじめの一首にどきりとさせられる。いつ頃の作品であろうか。不思議な世界に引き込まれるような一瞬である。
おそらくまだ奥様存命中の歌なのだろうがこの歌の沼の不気味さは異様だ。
木村氏の内側深く巣くうあらゆる負の連鎖に繋がるかなしみの原点を見るような心象風景にちがいない。
如何ともしがたい人間が負っている業の象徴としてこの沼がある。しかし氏はただの傍観者ではない。
「一つの橋渡り行く」が実に力強く 夢想的、情緒的ではあるが強情的な意志を示している。
不思議な異次元に入り込んだような気持ちの良い感動が襲う。このあたりの表現が何とも言えず巧なのだ。
この初出の歌が示すごとくこの歌集は人生の奥深い何かに向かってまだ見ぬ普遍性を見極めようとする木村氏の渾身のかなしみを表現しようとしているような いわば鎮魂歌にさえ見える。それは恣意的でありながら文学に嵌ってしまった者の宿命なのだが木村氏の場合あまりにも次の空間が見えてしまうのではないかとさえ思われるのだ。
今 一つの例歌を上げたがこの歌集全体をを貫いているのはまさにそのことなのである。
しかし その歌ですらいつ発表されたものなのか私は知らない。多分奥様の亡くなるずっと前のことなのかも知れない。そしてそれは最後まで分からなかった。
先にも書いたがこの歌集は木村氏の単なる記念碑的な記録誌ではないのだ。
常識的に見るならばそれは木村氏の自分史でもあろうが自分史に止まらない品格と重量感をもっているのだ。
つまりこれは木村氏の気力と気迫を込めた至高の文芸作品を目指したもので木村氏の豊かな資質を遺憾なく見せつけた いわばそれに値するような優れた歌集なのだ。
ある一つのことに拘らない姿勢が見て取れるのだ。いつ出来た作品など どうでも良いことなのだから。
   (Ⅱ)
先に私は「氏も八十歳を過ぎ・・・」と書いたがいたって意気軒昂なのである。
いま最近長く御会いしていないが昔の歌仲間がその元気さにあきれていたのであった。
以下私が気に入ったものを記しておきたい。
・まみどりの宙(そら)を孕みし雨蛙野あざみ色に黄昏は来る(Ⅰ)
・ひとすぢの鈍き流れの果てにゐるときめくあたまじゃくしの尻尾
・春の陽は子午線に入る歓びにきらりきらりと光を放つ
・あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
・ぶらんこをもう漕がぬ娘よ中年の齢となれる桜月夜か
・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ
・春くれば辿り来し道 巡礼の朝の色に明けてゆく潮(Ⅱ)
・サンチァゴ・デ・コンポステ-ラ春ゆゑに風の真なかに大地は美しく
・睦みあひ光るものらの返り梅雨さかる水馬の真昼がありぬ
・ほむら立つまでに勢へる水馬たち無音の光の恋のかけひき
・吉凶のいづれか朱き実のこぼれ母系父系のただうす暗し
・しぐれたるグリ-クの墓に佇めば<ソルベ-グ>流るる幻聴に居る
・激つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水(Ⅲ)
・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す
・藤咲くや温き触覚たのしみて水をざぶざぶ使い慣れゆく
・愛しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙しをり
・鬱屈の想ひを宙に放たんと山巓に来しが菜種雨ふる
・道をしへ去りにしかなた鶺鴒は尾羽を水に石たたきゆく(Ⅳ)
・方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
・きりぎしの垂水のしぶくつはぶきの黄の花よりぞたそがれにける
・わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
・追憶の大きな布を拡げれば白線引きが向こうから来る
・四十から四十も齢かさね来つ曲がり角などとつくに過ぎた(Ⅴ)
・茫ばうと芒の生ふる原みえてさやけき月の供華となりゐき
・振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな
        2012/04/04

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      村島典子私信と『昭和』抄

いつの間にか晩春の候となりました。お茶の新芽も美しいことでしょう。
沖縄から帰り、御歌集再読いたしました。
「昭和」という歌集名は少し、意外な感触があり、ああそうなのだ、木村さんは昭和一桁のお生まれだったのだ、と、その時代へのスタルジーを改めて感じた次第です。
だからこそ、詩人であられるのだろうと、納得いたします。
東洋と西洋、ギリシャ神話から 、記紀万葉集、と、三井さんも語られていますように、時空のはるけさが、木村さんの世界。
ときどき私は置いてくらいますが、この迷路は何篇かの短編小説を愉しむように、従来の歌集にはない、きらきらした世界であると思います。
はがきにて申し上げました通り、長歌と散文「プロメテウスの火」は迫力あるお作品。
とりわけ、長歌という詩形の、訴える力に感動いたしました。
お歌を抄出して感想に代えさせていただきます。

◆家族図鑑のページめくれば蘇る田の橋わたる大祖母の翳(かげ)
◆白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
◆あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて
◆繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◆ものなべて光らぬもののなかりけりのれそれは海を光らせて 夏
◆戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◆三本の高き茎立ち夕顔は百余の蕾つけゐて嬉し
◆青桐は夜も緑なす夏なれば顔(かんばせ)あをく端居に睡る
◆激(たぎ)つ瀬に綱はりわたす蜘蛛の脚ひらきつくして暮れてゆく水
◆小手毬は花虻の群れさそひつつ虻が去りぬと揺れ戻しけり
◆うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく
◆うたた寝の贅のひととき許されて蜜柑の花のにほふならずや
◆いづこより母の声するあすときか隧道の向ういまだ見え来ず
◆あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◆何もない何も持たない人やある心やさしき愛もてる人

          四月二十三日

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   木村草弥歌集『昭和』 愛惜の三十首・・・・・・・・・石山淳(詩人)

◇祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
◇どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
◇君が代にめでたく今年も桜咲き夜ごと読みつぐ『西行花伝』
◇ひつそりと白き夕顔の咲き初めて女陰徐(しづ)かにうるほひにけり
◇わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ごししなりな青春、玄冬
◇もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り
◇楽の音に沈んでゐる 遠ざかる愛はみだらにゴッホ忌
◇繭玉の静かにほどけゆく未明ひとり方舟にゐるごとくして
◇レモン一顆のやうなる愛か花火果て夏終章のオルガスムスか
◇「壁」取れし歓喜の日々も遠のきて物の値あがりてビールが苦し
◇ワルシャワのショパンの館に来て聴くは祖国追はれし<別れの曲(しらべ)>
◇戦争が幾度かあつて百年はあざなふ縄のうねるごとしも
◇との曇る明日香の春はつつじ咲き妻の愁ひは触れがてに措(お)く
◇一山をもやひて蔽ふ花梨の無限の白に入りきてまどふ
◇愛(かな)しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙(もだ)しをり
◇この広野まつ黄に染むる菜の花をうちひらき顕(た)つ女体は幻
◇柔らかで快いものそは汝(なれ)の秘め処なる火口(ほくち)が叫ぶ
◇沙羅の花ひきずるものがあるゆゑに生は死の一部かと真昼間
◇言霊(ことだま)の蛻(ぬけがら)のごと夏逝きて月に盈欠(えいけつ)見る季節なり
◇春の夜に奈良墨にほふ街ゆけば大和ことばの「おいでまし」浴ぶ
◇磨崖仏みゆるかなたに赤き芽の枝さしかはす国東(くにさき)の冬
◇仏性の火炎のごとくつつじ燃え暗きところに獣の目あり
◇わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
◇老後つてこんなものかよ二杯目のコーヒー淹れる牧神の午後
◇しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
◇人の死も犬の死もまたおぼろにて磨ガラス越しの風景となる
◇一冊の作品集にまとめた、まるで自らの手で撒く散華のやうに
◇あかときにわが妻の鰓(えら)あぎとへば土曜の朝はいのち虔(つつ)しむ
◇フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ

以上30首、抄出の楽しみとむつかしさを学ばせていただきました。
詩集『愛の寓意』の流れが、いまもたゆたう、亡きご令室様への想いが胸を打ち、
私にも近いうちに訪れるであろう「死」との対峙を照らし合わせて味読させていただきました。
崇高な愛の形が、私の心のうちを駆け巡っていきます。
密度の高い感性と個性豊かな思考に感動いたしました。   2012年4月23日

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   木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・・・・・光本 恵子

  ・わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に過ししなりな青春、玄冬

「昭和」はこのテーマでもあり、木村草弥の経歴を考えると、納得するのである。
下の句の「青春、玄冬」のとくに玄冬は冬とか暗い、黒の意ではあるが、辞書によれば、五行説からとある。
そもそも五行説とは、漢代に陰陽説が説かれたが、そのなかの教えに「宇宙の満物のすべては五行の相生、相克によって生成される、の説で一生は「青春、朱夏、白秋、にして玄冬でおわる」という。
木村の青春時代は、大阪外語──現在の大阪大学外国語学部で、後には京都大学文学部を専攻しているが、中途で結核という病で療養した。
本人曰く「文芸など遊学に没頭し同校に七年間在籍するが」一九五六年には在籍期間満了のため余儀なく中途退学をしている。
 いずれにしても、勉学や文芸、旅をして、自由に学んだ時代であった。そしては玄冬の時代にさしかからんとするところで昭和は終わった。
木村は一九三〇年(昭和五)に京都府下(現在の城陽市)の宇治茶問屋に生まれた。
姉兄妹六人きょうだいの四番目に生まれているにも拘らず、結局、親の茶問屋を継ぐことになったようである。
それは文芸好きな茶問屋のおっさんなのである。

京都には江戸時代から文人茶が隆盛し、文人気質の知的な人が大勢いた。
江戸の政治に口出ししても詮無いと決めては、茶を呑みながら、道具を手の平で愛で、文学を語り、旅の思い出をぼつぼつ喋っては随想を書き、茶道具を自らの手でひねった文人ら。
まさに木村はそういった京都人の血を引く文人である。

 ・どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり  p12

文人気質の 木村草弥は自己意識の強い人である。ちょっとやそっとでは妥協しない、妥協したくない。
結局あれこれ他者という壁にぶつかっては、また自分のところに戻ってくる。結局どこにも従わず、所属せず、自分で自己を探そうとする。
自己鍛錬は欠かさない。それが「存在論を抱へて行き来するばかり」であろう。
 また、木村の短歌にエロス的な歌が多いのはなぜか。

 ・金髪のビルギュップ女史きらきらと腋毛光らせ「壁」さし示す
 ・ブラジャーとビキニの農婦が大鎌を振りて牧草(くさ)刈るドイツの夏は

大らかで、合理的なドイツ女性のさっぱりした気性が垣間見える作である。
木村の作はエロスとはいえ、じめじめしたところはなく、自由で大らかな点が特徴だ。
それはフランス文学を学んだ人だからいえる洗練されたロマンチシズムが流れている。
その上、彼は若くして病気に罹り、学校を中退せざるを得なかった。それだけに身体への関心たかく、「生きる」「生ききる」ことへの思いは強い。
生きることは人や自然を愛することだとの意識が強くて愛情の深い人である。

 ・萩の碗に新茶を呑めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ  p113
 ・昼ふかき囀りやがて夢となり欅は今し木語を発す    p113
 ・もはや夢みることもなき此の我に眩しき翳を見する藤波  p114

「人間学」というのか、人間探求を怠らない作者・木村草弥は常に夢をもち夢を追い求めてきた。

<私が掴まうとするのは何だらう 地球は青くて壊れやすい>

の歌のように、追求して追い求めても、それを手にしたとたん、シャボン玉のようにパッと弾けてしまう。
まさにパスカルの言う「人は無限の偉大さと無限の卑小の中間にある存在」だからだろうか。

 ・「夢なんて実現しない」といふ勿れ「夢しか実現しない」と思へ  p178
 ・老いてゆく不毛の日々を掬ひとるひとすぢの光 それはあなただ  p195

「夢を持たないと実現もしない」と言い切る強さを持つ。
木村はアイロニーの強い人と思ってきたが、本書の短歌は率直で若やいでいる。人は夢を追いかけ、青い鳥を尋ね、捜し求める生き物だから。
最後に少年の日の歌を。

 ・母在りし日には見ざりし母子草やさしき名なり黄に咲き初めて  p22
 ・空はコバルト 昆虫少年は網を持つて野原を駆ける  p23
 ・ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた  p24
 ・しばらくは梨の重さを手にのせて木の恵みなるいのちを見つむ  p35
 ・もくせいの香を部屋ぬちに引き入れて今宵すがしき独りの眠り  p38

                            (2012/05/18)
葭切のさからひ鳴ける驟雨かな・・・・・・・・・・・・渡辺水巴
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   葭切のさからひ鳴ける驟雨かな・・・・・・・・・・・・渡辺水巴

葭切はウグイス科の小鳥でオオヨシキリコヨシキリがいるが、普通、オオヨシキリの方を言う。
5月に南方から飛来し、主に葭原などの直立する高い草に棲む。
「行々子」とも書くが、これはギョギョシ、ギョッ、ギョッという鳴声から来るものである。
葭の茎に横止まりする。茎を裂いて髄に居る虫を食べるために、この名前がついたという。
初夏から秋まで日本に居て、冬は東南アジアに渡ってゆく。
掲出の写真では昨年の古い葦の茎に止まっているので姿がはっきり見えているが、子育て、営巣の頃は葉が茂って彼らの声はすれども、姿は見えないのが普通である。
新緑の葭に止まって啼く時の写真を出しておく。
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念のために書いておくと「葦」と「葭」とは同じ草で呼び方が違うだけである。

古来、俳句には多く詠まれてきたので、それを引いて終わる。

 能なしの眠ぶたし我を行々子・・・・・・・・松尾芭蕉

 行々子大河はしんと流れけり・・・・・・・・小林一茶

 行々子どこが葛西の行き留まり・・・・・・・・小林一茶

 トロッコの過ぎて静やよし雀・・・・・・・・高浜虚子

 葭切のをちの鋭(と)声や朝ぐもり・・・・・・・・水原秋桜子

 揚げ泥の香もふるさとよ行々子・・・・・・・・・木下夕爾

 月やさし葭切葭に寝しづまり・・・・・・・・松本たかし

 葭雀二人にされてゐたりけり・・・・・・・・石田波郷

 葭切や蔵書のみなる教師の死・・・・・・・・大野林火

 葭切も眠れぬ声か月明し・・・・・・・・相生垣瓜人

 葭切の鳴き曇らしてゆく空よ・・・・・・・・波多野爽波

 葭切や未来永劫ここは沼・・・・・・・・三橋鷹女



生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
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   生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

今日5月29日は橋本多佳子の忌日である。
生まれは東京の本郷で、明治32年に杉田久女に会い、はじめて俳句を作った。
のち山口誓子に師事し「天狼」同人だった。昭和38年大阪で没する。64歳だった。
彼女の句は命に触れたものを的確な構成によって詠いあげた、情熱的で抒情性のある豊麗の句境だった。

「浴衣」と書いて「ゆかた」と訓(よ)ませるのは、この着物が本来は「入浴」の時に着たことに由来する。
風呂は「蒸し風呂」が初めだったので「湯帷子」を着て入った。
近世以降、浴槽に湯を入れて裸で入浴するようになり、そのため出てから汗のあるまま単衣を浴衣として着るようになった。
それが外出用にも着られるようになったというのである。
だから人によっては「浴衣」はあくまでも家の中のものである、と主張する人も居るらしい。
写真は京都の祇園祭の時の浴衣の写真。
この頃では色彩もとりどりの浴衣が出てきたが、はじめは「藍」一色で染められた。
梅雨の前から気候が蒸し暑くなると、さらさらした肌さわりの浴衣が愛用される。
この頃では関西が発祥のものである「甚平」というものが、これは男性専用であるが着用されるようになってきた。
また、本来は修行僧の作業衣であった「作務衣(さむえ)」なるものを着用する人も増えてきた。

掲出の橋本多佳子の句は「藍」一色の浴衣を詠んでいるが、この句は夫に先立たれて生きてきた「女」としての情念を感じさせる名句である。

俳句にもたくさん詠まれて来たので、それを引いて終わる。

 爽やかな汗の上着る浴衣かな・・・・・・・・野村喜舟

 わきあけのいつほころびし浴衣かな・・・・・・・・久保田万太郎

 雨の日は色濃き浴衣子に着せる・・・・・・・・福島小蕾

 張りとほす女の意地や藍ゆかた・・・・・・・・杉田久女

 夕日あかあか浴衣に身透き日本人・・・・・・・・中村草田男

 かいま見し浴衣童の今逝くと・・・・・・・・中村汀女

 浴衣あたらしく夜の川漕ぎくだる・・・・・・・・大野林火

 湯上りの浴衣を着つつ夫に答ふ・・・・・・・・星野立子

 浴衣着て竹屋に竹の青さ見ゆ・・・・・・・・飯田龍太

 ゆるやかに着ても浴衣の折目かな・・・・・・・・大槻紀奴夫

 浴衣着て素肌もつとも目覚めけり・・・・・・・・古賀まり子

 浴衣裁つ紺が匂ひて夜深まる・・・・・・・・矢島寿子

 浴衣着て水得し花のごとくなり・・・・・・・・中田葉月女



萩岡良博歌集『禁野』抄・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
禁野

──新・読書ノート──

       萩岡良博歌集『禁野』抄・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・角川書店・平成二十四年五月二十五日刊・・・・

*薬狩りのこゑをしづめて夕映ゆる隠沼ありぬわが禁野には

この歌集は、この「禁野」という字に凝縮される。
記紀・万葉の古典に載る宇陀の地の名という「禁野」には、言外に世人を寄せつけぬ「結界」が引かれているようだ。
この言葉は一見やたらには無さそうだが、私には遠い記憶がある。
私の住む処から西の生駒山系の山を越えたところに今の枚方市「禁野」というところがあって、昔、陸軍の火薬庫があった。
それが何が原因か昭和十年代に大爆発事故を起こし、その爆風が十数キロも離れた当地でも火柱が見えたという。私の子供の頃の記憶である。
そんなことで「禁野(きんや)」という名は幼い私の頭に刷り込まれたのであるが、「宇陀」の禁野は推古の御世の薬狩りの地─いわゆる禁裏御用の地なのであった。
私が書いた枚方の禁野は平安京の禁裏御用の地だったのだろう。 また、こんな歌もある。

*榛原ははざまの駅なり長谷の牡丹室生の石楠花咲く頃さみし
作者は、これらの地名の喚起する、ゆかしい地を「うぶすな」として生まれ、棲んでいるのだ。
*うぶすなは選べざりけり水漬きつつ新芽を噴ける河川敷の木木
*天上の一枝に糸懸け睡らむかみどりの楕円にひとを忘れて
*墓掘りて白骨出で来、骨となりし父祖ことほぎて御酒をそそぎぬ
*やまざくらこともなく咲き夕暮れの言葉そよがせくれなゐ深む
*目より入り胸処の奥にあをき灯をともせるほたる幾夜か飼ひぬ
*目も耳もおぼろになりたる地蔵佇つ宇陀が辻昏れなづみ、行きなづみ
*あたたかき距離と言ふべしさ牡鹿は母仔の鹿に少し離れて
*もみぢする忍坂をくだり下げ美豆良揺らして明日香のみやこへ急ぐ
*赤人の墓に詣でぬ野づかさに雪踏みしめて歌踏みしめて
*おほかみに喰らはせてをりしろがねのこゑあげ炎ゆる冬の昴を
*太郎岳次郎岳無きわが村の三郎岳を冬空が研ぐ
*怒りさへみどりをふふむ麦秋の国原ふかく火を育てつつ
これらの歌の紡ぎだすものこそ「地名」の喚起力というものである。
作者のいうように我々に「うぶすなは選べ」ない存在である故に、また、我々は「うぶすな」と結ばれるのである。
昔はみな土葬であった。私なども町内で死人があると、共同墓地の穴掘りに行ったものである。
キリスト教、イスラム教なども土葬である。火葬はヒンズー教などから伝わる習俗に過ぎない。
そして「天上の一枝に糸懸け睡らむかみどりの楕円」というのは「ヤママユガ」の紡ぎだす世界であり、そこから引きだされる短歌結社「ヤママユ」の前登志夫へと繋がってゆく。
「やまざくらこともなく咲き」という捉え方が秀逸である。万物は「こともなく」推移しているのであり、人に見せるためではない。
われわれ人間は、それらの風物に仮託して心を詠んでいるに過ぎない。
父祖の想いのこもる「宇陀が辻」が「昏れなづみ、行きなづみ」という畳句が利いている。こういうルフランの効用は西欧詩でも必須の技法である。
「三郎岳」を言いたいために「太郎次郎」を持ってきたり、麦刈りのあとの麦藁を焼く火のことを「麦秋の国原ふかく火を育て」というところなど、
これぞ「比喩」表現の典型として秀でている。
そういう「記紀・万葉の古典」を曳揺しながら、作者の「歌作り」は情趣深く進んでゆく。

*わが母の真白き奈落ふかきかな忘れわすれて自分さへをらず
*曼珠沙華くしやと凋るる失せたるは妻盗りしゆゑと言ひつのる母
*家事をせしことなき父がほほけたる母の朝餉の茶粥炊きをり
*息殺し見つめゐるらし八十歳の父母の見つむる呆けの映像
*風呂場にてわが父うたふ下手くそな「戦友」を雪木枯らしにまぎる
*母に言ふ妻のことばに棘あるをさびしみをれば曼珠沙華咲く
*手なぐさみに妻の編みたるキューピーの緋の帽子また脱げ落ちてゐる
*なめらかな女体を恋へりなだらかな雪山なだり月照らしゐて
*蒼き闇に夕顔咲けり死に際に思ひ出づるか汝がしろき胸
呆けゆく母をめぐる家族の哀歓、妻への想い、その他の歌を引きだしてみた。
我々もいつか行く道かも知れず、これらの歌の趣きは深い。
そして作者は管理職として学校経営に心を砕くが、それらの歌を引いてみよう。

*溶接の面をかぶりて日蝕を並び観てをり生徒とともに
*雄・雌の区別螺子にあり黙黙と雄螺子を削る機械科生徒
*千鳥足に法則あるとぞ幾何解析学のにはかに親し
*こつぴどく部下叱る夢にめざめたり無意識の菌糸伸びゆく朝明
*さくら散る 少年少女のさみしさに寄り添ふことを職として来つ
*酔ひつぶれ乗り過ごしたり終点の廃墟のやうな終バスの中
*二日酔ひの頭蓋に蝉をとまらせて陽に灼かれつつ溶けてゆくらし
*アルコール依存者ユトリロのくれなづむパリの街並み観つつ酒欲る
*なにもかも厭になる夜がある酔ひて顔よりどつと倒れぬ地面に
好きな酒だが、これからは夫婦和合の酒にするよう努められたい。
*ひと恋ふる樹液ときをり汲みあげて空に噴きをり唐変木は
*孤悲と書く万葉仮名を思ひをり朝日にゆるぶ霜柱踏み
*いくたびもさくらをあふぐいくたびも叱られて来つこころざし低きを
*真夜の風呂に背中流せば巨根とは巨き詩魂と言ひたまひけり
亡師・前登志夫に言われた歌を二つ挙げた。 
これからは「志」高く、夫婦和合して世界に羽ばたいて雄飛されたい。
 最後に昨年の大震災・大津波にまつわる歌を引く。

*想定外を想定するは想定内・・・・さくら舞ふ空鵯かまびすし
*大津波、娘のわかれ話 かなしみを膨らませつつ来るこの春は
*その日忘れしらつと凪ぎてゐる海ようちひしがれしことばを返せ
*呑みこまれ語られぬまま海の底にふるへてをらむことばはいまも
*残酷なまでに美しき逝く春の瓦礫のむかうの海の夕映え
*逃げ遅れしことばよ睡れ海ふかくあをき睡りをしづかに睡れ
*うなさかの蒼穹裂けてその割れ目にあまたの蝶の飛び発つを見つ
赤と黒の色づかいも鮮明な歌集を賜って、読み進む裡に「宇陀」の「禁野」に群れ飛ぶ蝶のような心地の「幻視」の境に居るようであった。
佳き歌集を読んだ軽い昂ぶりの初夏の一日である。感謝して筆を擱く。
二〇一二年五月二十八日

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萩岡氏の歌とは直接の関係はないが、文中で私が触れた「禁野火薬庫」という記事がWikipediaに載っているので参照されたい。周囲にも延焼するなど、ひどい被害だったことが分かる。

揉みあがる新茶の温み掌にとれば溢るる想ひ思慕のごとしも・・・・・・・・・・・木村草弥
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   揉みあがる新茶の温み掌(て)にとれば
     溢るる想ひ思慕のごとしも・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
半生を茶とともに過ごしてきた者として、今やたけなわの「新茶」シーズンを黙過することは出来ないので、今日は新茶のことを採り上げる。
写真①は茶の木の新芽である。
これは単なる植物の新芽というのではなく、飲料にする「茶」の元であるから、ここまで来るのに肥料をやったり害虫防除のために苦心したりと一年間の苦労が、
この新芽に凝縮しているのである。だから、掲出した歌のような「想い」になるわけである。
私の方の茶園は「玉露」「碾茶(抹茶原料の茶)」という高級な茶製造に特化してやってきたので、茶のうちで大半を占める「煎茶」製造とは違っているが、
製茶の過程そのものは一緒である。

watch-4茶の芽

写真②の上の方に黒い帯状のものが見えるが、これは「覆下園」といって高級茶を製造するために日光を遮断するものであり、
昔は「葦簾」の上に「菰」を敷き、稲藁をばら撒いていたが、今では化学繊維のクレモナという布を敷くように変っている。
この「日光遮断」というのは経験的な知恵として昔からやられてきたことなのだが、近年の研究で、こうすることによって茶の旨みである「テアニン」というアミノ酸系の化合物の含有が上がることが判ってきたのである。
こういう労働集約的な茶栽培は手間がかかる上に「玉露」というようなものは、世の中がせちがらくなって飲まれなくなり、今や茶の消費の主流は「煎茶」それも中級品以下のものに集中してしまった。その上にペットボトルに入った「緑茶ドリンク」の時代になってしまった。

watch-3茶園

写真③は大規模な煎茶園である。茶園の中に電柱のように立っているのは晩霜を防ぐための「防霜扇」というものである。
これは新茶時期に襲う晩霜を防ぐもので、その原理は冷気は地上の低いところにたまるが、地上5メートルくらいのところの空気は暖かいので、
その空気を地表に吹き付けて霜を防ごう、というものである。
この頃では茶園栽培も機械化によって人手を省き、栽培面積を広げてコストを下げようとする規模拡大が進んでいる。
写真④のように茶園を跨ぐような「乗用型摘採機」が取り入れられてきた。

kabuse11乗用型摘採機

写真⑤に示すように、もっと大型の乗用型摘採機も導入されてきた。

p1_001_05乗用摘採機

世界的に茶というと「紅茶」のことだが、ロシアも紅茶を生産するが、ここはソ連の時代から茶栽培も大型の摘採機械を使ってきた。
そのような趨勢が、日本でも緑茶生産に取り入れられてきたと言える。
いわゆる「トラクター」と称するものの一種である。
このくらいの機械になると乗用車などよりも遥かに高価なものだが、農作物の中では茶の価格は比較的に安定しているので、十分にペイすると思われる。

茶専門店にとって、先に書いたペットボトルの茶の普及が一番のガンなのである。
このペットボトルなどの「緑茶ドリンク」の流通は、茶専門店とは完全に別の販売ルートになっており、
自販機やスーパー、コンビニにメーカーから直接に流れるので、これが普及すればするほど茶専門店は苦境に陥る。
「緑茶ドリンク」が出回りはじめて、もう十数年になるが、私は同じ歌集『嘉木』の中で「緑茶ドリンク」の題で詠んでおいたのでWebのHPでご覧いただける。

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       緑茶ドリンク・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  「おーい、お茶」缶ドリンクがごろりんと自販機の穴から出づる便利さ

  温めても冷たくしてもおいしおす緑茶ドリンクは春夏秋冬

  茶流彩々・爽健美茶・十六茶お茶専門店はあがつたりどす

  ビタミンC添加したれば酸化防止できると知りて茶ドリンク奔流

  ビタミンC添加の清涼感ありて若者は好む緑茶ドリンク

  勝敗は自動販売機の数で決まるルートセールスの車疾駆す

  流通の様変りして「茶葉」ならぬ「液体の茶」に苦しめられつ


のような歌を詠んでおいた。
この趨勢は年とともに強まり、今や緑茶ドリンクは日本茶流通の半分近くを占めるに至っている。
原料は、いずれも同じ茶葉であり、生産段階でドリンクパッカーが原料を多量に買い付けしようとするので、原料の奪い合いになり、ここでも専門店側は不利である。
茶業界にも、いろいろ悩みはあるのである。
おまけに昨年の東電福島原子力発電所の爆発事故による放射能の広範囲にわたる飛散で関東、静岡などで大きな被害が出た。
つまり放射能によって茶の木が汚染され、「飲用茶」としての出荷が制限されたのである。
このことの解決が、今年の茶で図られるかが見所である。 みんな注視しているところである。




フェロモンを振りまきながら華やぎて粧ひし君が我が前をゆく・・・・・・・・・・・・・木村草弥
androstanアルファ・アンドロスタンディオール

   フェロモンを振りまきながら華やぎて
     粧(よそほ)ひし君が我が前をゆく・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
この歌にいう「君」とは誰でもよいが、残念ながら私の妻のことではない。

フェロモンというのは、ファーブルの「昆虫記」にも登場する古くから知られる物質であって、昆虫などが雄とか雌を誘引するのに分泌するホルモンである。
今では害虫を駆除する農薬の代わりに、このホルモンが実用化されている。
茶の葉を害するチャカクモンホソガというのが居るが、この駆除にホルモンが開発され実用化されている。
農薬は人間にも害を及ぼすが、こういう生物農薬と言われるものは何らの害もないので有益である。
従来の学説では、人間には器官の退化によりフェロモン効果はないとされてきたが、最近の研究により、
人間にも、その器官の存在が認められため、ここ2、3年の間にフェロモンが急速に脚光を浴びてきた。
フェロモンは鼻の中にある「ジョビ器」という器官で感知するため、本来は匂いとは無関係の物質である。
写真①はヒトフェロモンと称される物質アルファ・アンドロスタンジオール誘導体の模式図である。

この頃では「フェロモン系女優」というような形容詞を使われるようになって来たが、実験の結果では、確かにヒトフェロモンは有効らしいが、人間は、もっと他の、たとえば映像とか視覚とかいうものに左右されることが多いので一筋縄ではゆかないものであろう。

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写真②は、そういうフェロモン香料化粧品の宣伝に使われているものである。
これも、いわゆる「イメージ広告」である。実際の効果とは関係がない。
最近の研究成果を見ると、いろいろ興味ふかいことが載っている。

ナシヒメシンクイという害虫の小さな蛾の雄が出すフェロモンにエピジャスモン酸メチルMethyl epijasmonateというのがあるが、
これは面白いことに、香水の女王と呼ばれるジャスミン香の主要な香り成分でもある。
写真③は、そのフェロモンの模式図。
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人間と蛾が同じ匂いに引きつけられるというのも興味ふかい話ではないか。

私の歌の関連で言うと、女の人に、いわゆる「フェロモン系」と言い得る人は確かに居る。
それがヒトフェロモンのせいばかりとは私は言わないが、そういう魅力たっぷりの人には男性を惹きつけるフェロモンのもろもろが濃厚に発散されているのだろう。
そんな意味で私がメロメロになった女性が(もちろん美貌である)我が前をゆくのであった。


重たげなピアスの光る老いの耳<人を食った話>を聴きゐる・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   重たげなピアスの光る老いの耳
     <人を食った話>を聴きゐる・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
この歌の前には

   一つ得て二つ失ふわが脳(なづき)聞き耳たてても零すばかりぞ・・・・・・・・・・・木村草弥

というのが載っているので、一体として鑑賞してもらいたい。
この歌については私が兄事する米満英男氏が同人誌「かむとき」誌上に批評文を書いていただいた中で触れて下さっている。
リンクにしたWebのHPでもご覧いただけるので読んでもらえば有難い。
敢えて、ここに書き抜いてみよう。

 <何とも言えぬユーモア、あるいは洒脱な語り口からくる、本音に近い発想の楽しさを湛えている作品を抜き出して みよう。・・・・・車内で見た<老婦人>であろう。
隣の老人の語る<人を食った話>、つまり人を馬鹿にした話を  じっと聴いている。そしてその話をまた作者自身も、思わず聴いてしまう>

というのである。場面設定については読者によって違っていて、よいのである。
米満氏の批評は、私がユーモアないしは皮肉を込めて描きたかったことを、ほぼ書いていただいたと思う。
この歌で私が表現したかったのは<人を食った話>というのが眼目である。

ピアスその他の装飾品を身にまとうのは古代の風習であった。
今でも未開な種族では、こういう装飾品をどっさりと身につける習俗が残っているが、文明世界でも、この頃は装飾品が大はやりである。
耳ピアスどころか、ボディピアスとか称して臍のところにピアスはするわ、鼻にするわ、脚にはアンクレットというペンダント様のものを付けるなど、ジャラジャラと身にまとっている。
中には、ヴァギナのクリトリスの突起にピアスをするようなのも見られる。
こんなものをしてセックスのクライマックスの時に支障がないのかと、余計な気をもんだりする始末である。

私の歌にも描写している通り、この頃では老人も耳ピアスなどは普通になってきた。
最初には違和感のあったものが、このように一般的になると、そういう気がしないのも「慣れ」であろうか。




草弥の歌・ 新作「ゴッホの耳」12首・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
短歌六月号
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の歌<草の領域>──(74)

       ゴ ッ ホ の 耳 ・・・・・・・・・・・・・・・・木 村 草 弥
         ・・・・・・・・・角川書店月刊誌「短歌」6月号掲載・・・・・・・・・

     白鳥の帰る頃かもこぶし咲き白き刹那を野づらに咲(わら)ふ

     三椏(みつまた)の花はつかなる黄に会ふは紙漉きの村に春くればゆゑ

     沈丁の香の強ければ雨ならむ過去は過去なり今を生きなむ

     誰に逢はむ思ひにあらず近寄ればミモザの花の黄が初々し

     生憎の雨といふまじ山吹の花の散り敷く狭庭また佳し

     白もくれん手燭のごとく延べし枝(え)の空に鼓動のあるがに揺るる

     松の芯が匂ふおよそ花らしくない匂ひ──さうだ樹脂(やに)の匂ひだ

     ひと冬の眠りから覚めたか剪定した葡萄の樹液したたり止まぬ

     天上天下唯我独尊お釈迦様に甘茶をかける花祭 ひとすぢに生きたい
    
     チューリップはらりと散りし一片にゴッホの削ぎし耳を想ひつ

     <チューリップの花には侏儒が棲む> といふ人あり花にうかぶ宙(そら)あり

     ブルーベリージャムを塗りゆく朝の卓ワン・バイ・ワンとエンヤの楽響(な)る

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かねてから角川書店「短歌」編集部からの投稿依頼があり、提出済みの新作の歌が、本日発売の「短歌」誌2012/06月号に掲載されたので披露しておく。
これには安いが原稿料が支払われる。
こうして横書きに載せるしかないが、原文は縦書きで、日本語の表記として「趣き」のあるものである。
大きな書店の店頭には配本されているので、「立ち読み」でも、ぜひ読んでみていただきたい。
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この歌を見た私の友人・玉村文郎君から、下記のような手紙をもらったので披露しておく。
彼は国語学というより「日本語学」の権威である。
『日本語学を学ぶ人のために』という著書もあり、中国などでも活躍する有名な人である。(同志社大学名誉教授)
私はいろいろ教えてもらって、以前に「ケンタッキー・フライドチキンの中国語表記は」の記事を書いたことがある。参照されたい。
持つべきものは「友」である。
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はや水無月に入り、紫陽花が咲き始めました。
あっという間に今年も半ば近く過ぎ、驚いております。
角川の『短歌』誌に掲載されました「ゴッホの耳」の短歌ありがたく拝読いたしました。

自然のたたずまい、人生のことを鋭く描かれた十二首、おもしろく共感を覚えました。
文語調あり、口語調あり、混ざりありで、いろとりどりですが、
「三椏の」と「沈丁の」について、少し感想を述べさせてもらいます。

A:三椏の ①「春くればゆゑ」の部分
文語では「春くれば」のように、已然形で表現しますと
<確定条件>になりますので「春くればなり」もしくは
「春来たるゆゑ」あるいは「春さりしゆゑ」(万葉風)
にした方がよかったと考えます。
②「紙漉きの村に」は、字余りですので(ダメというわけではありませんが)
定型のリズムの方が好もしいと考える小生には、「村に」→「村」
もしくは「紙漉き村に」としたくなります。
B:「沈丁の」の第五句
「生きなむ」は「生きむ」よりも少々間接的な感を伴うと思います。
「今を生きむ」とすると強すぎるでしょうか。
堀辰雄の誤解による「いざ生きめやも」(『風立ちぬ』)
正しくは「生きざらめやも」です、などを連想しました。

歌詠まざる散文的思考による感想ですので、気になさらぬようお願いいたします。

今年は、いつも気温乱調、多雨、五月も雨がよく降りました。
くれぐれも、ご自愛くださいますよう、お願い申します。 妄言多謝。
     六月二日         玉村文郎
  
葉桜の翳る座敷に滴りの思ひをこらし利茶をふふむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   葉桜の翳(かげ)る座敷に滴りの
     思ひをこらし利茶(ききちゃ)をふふむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


昨日、新茶の審査のことを書いたので、その関連として、今日は「利茶」のことを書いてみる。
掲出の歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店刊)に載る歌である。
Web上のHPに収録した自選50首にも入っているので、アクセスしてもらえば、見ていただける。
「ふふむ」は「含む」の古い形の言葉である。

「利茶」とは、茶の審査と同じ意味だが、「ききちゃ」という言葉は古くから茶業界では使われて来たものである。
動詞にすると「茶を利(き)く」と言う。「利茶」の適当な写真がないので古い抹茶碗を出しておく。

茶の購入─仕入れに当っては神経を使うことは、昨日書いた。
普通、茶の審査には事務所の一角に「拝見場」というものがあり、ここは幅3、4メートルぐらいで、前後左右みな黒色に塗った場所で、採光は天窓式になった天上のガラス窓からの一方的なものになっている。
審査対象の茶その他を載せる広い台も真っ黒で、見やすいように、腰をまっすぐに伸ばしてみる適当な高さになっている。
これは審査対象の茶を見誤らないように、余計な乱反射光を避けるための知恵である。
昨日も言ったが、こういうやり方は、イギリスの紅茶審査の「拝見場」と同じ構造になっているので、日本が近代になって、かの地の進んだやり方を取り入れたものと思われる。ガスこんろがあり、大薬缶に、しゅんしゅんと沸騰する湯をたぎらせ、精妙なグラム数を計れる秤で茶を計り、審査対象の茶10点20点を横に並べて、磁器の真っ白い審査茶碗に茶を入れ、熱湯を注いで、すぐに小さな網杓子で湯にひたる茶の葉を嗅ぎ、茶碗の中の「水色」を見、匙で掬って滲出液を口に含んで「味」をみる。熱湯で滲出したものだから、熱い。啜るようにして、バケツに吐き出す。何でも「比較」しなければ品質の優劣などは判らないから、必ず、複数の茶を審査する。この場合に「格見本」と言って、審査の基準になる茶が必要である。その「格見本」の茶と比較して、この茶は渋いとか、水色が悪いとか、製造段階での欠点(茶の芽の保管が悪くて「むれ香」がするとか、燃料の重油や薪の煙などが混入する「煙臭」がするとか)も、この「嗅ぐ」ことで瞬時に判定する。茶の製造時期は季語でいう「青嵐」の時で、風のために煙突からの逆流で作業場に煙が紛れ込むことがあるのである。茶は湿気や匂いを極めて吸収しやすい難しい商品である。
茶農家あるいは茶仲買業者が持ち込む見本を、こうしてシーズンには毎日、審査する。
会社によって、仕入れの審査日を限定しておくこともある。
この「仕入れ」関係の仕事を身につけるのに、最低10年はかかる。
売る方は原価がわかっていれば、一定の「口銭」を上乗せするだけだから、そんなに難しくないがーー。

掲出の歌の場面だが、通常、座敷で茶の審査をすることはないが、父が体調を崩して隠居所で長く静養していたので、その座敷で朝食までに鉄瓶一杯の湯を空っぽにしてしまうほど、茶好きだった。父のように茶商としてたたき上げてきた人にとっては拝見場であろうと、座敷であろうと、茶の利茶を誤ることはなかった。
そんなことで、この歌の情景描写が生まれたと考えてもらっても、よい。情景的に、何となく絵になっているではないか。
同じ『茶の四季』から「野点」(のだて)と題する歌を引いておく。

      野点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  芝点(しばだて)の茶事の華やぎ思ひをり梅咲き初むる如月の丘

  毛氈に揃ふ双膝(もろひざ)肉づきて目に眩しかり春の野点は

  野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛(はぎ)の白さよ無明のうつつ

  香に立ちて黒楽の碗に満ちてゐる蒼き茶の彩(いろ)わが腑を洗へ




しぼり出すみどりつめたき新茶かな・・・・・・・・・・・・・・・・鈴鹿野風呂
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   しぼり出すみどりつめたき新茶かな・・・・・・・・・・・・・・・・鈴鹿野風呂

新茶の季節である。
茶業にたずさわるものにとって、今が茶の仕入れ時期として一番いそがしく、かつ、その年の豊作、不作、製品の出来栄え、などを勘案し、仕入れ金額に頭を悩ます時である。
「利は元にあり」というのが商売の鉄則であり、品質の悪い茶や高値掴みをすると、その一年、利益どころか、損をすることになる。
ところで今年は作柄としては余り豊作ではないらしい。
「らしい」というのは、いかにも頼りなさそうに聞こえるが、農産物の統計というようなものは、「アテ」にならないもので一年終ってみて、ようやく判るという性質のものである。
静岡県などでは、厳しい晩霜の被害を受けたところもみられたからである。

茶の審査というのは、茶の葉っぱを熱湯で滲出して、真っ白い磁器の審査茶碗と称する器で行う。
いま適当な「審査茶碗」の写真がないのでお許しを乞う。
審査に使う一件あたりの茶の量も厳密に計る。
これはイギリスなどでの「紅茶」の審査でも同じ方法を採る。
現在の緑茶の審査方法も、あるいは、このイギリス式の紅茶審査法を近代になって見習ったものかも知れない。
熱湯と言っても、文字通り沸騰した湯を使う。こうしないと、欠点のある茶を見分けることが出来ない。
このようにして、毎日、多くの茶を審査するので、全部飲み込むわけではないが、胃を悪くしてアロエの葉の摺り汁などの厄介になることもある。

掲出の句は「みどりつめたき」と言っているのは、新茶の青い色を表現したもので、今どき夏に流行る「水出し」のことを言ったものではない。
この「みどりつめたき」という表現が作者の発見であって、これで、この句が生きた。
鈴鹿野風呂は京都の俳人で、この人の息のかかった俳人は、この辺りには多い。
ネット上から紹介記事を引いておく。 ↓
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鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)は明治20(1867)4月5日、京都市左京区田中大路八に生まれる。本名登。
生家は吉田神社の神官を継承している家柄。幼い頃に母親を亡くしたため、京都を離れ中学は斐太中学に学ぶ。後京都一中に戻り卒業、鹿児島の七高、京都大学の国文科に入学。
大正5年、京都大学国文科を卒業後、鹿児島の川内中学校に勤務。後に京都の武道専門学校、西山専門学校で教鞭をとる。戦後は京都文科専門学校長を勤めた。
俳句は中学時代に小説に興味を持ち「ホトトギス」を購入。大学時代に古今集を卒論とし、また俳諧を藤井乙男(紫影)に学んだ事より句作。鹿児島の川内中学校に勤務時代、同僚の佐藤放也と「ホトトギス」に投句。高浜虚子に師事し、大正9年「散紅葉かさりこそりと枝を伝うふ」で初入選。当時、無味乾燥的な瑣末主義に陥っていたホトトギスの中にあって、叙情的で清新な野風呂の作風は、当時若くして名を成していた日野草城と並んで「草城・野風呂」時代と謳われた。
武道専門学校教授時代に日野草城、五十嵐播水らと「京大三高俳句会」を発足。
大正9年11月、日野草城、岩田紫雲郎、田中王城らとともに、俳誌「京鹿子」を創刊した。
「京鹿子」は「京大三高俳句会」を母体とし、後に山口誓子、五十嵐播水らも加わって、関西ホトトギスの中心をなしていく。
後に「京鹿子」に対し池内たけしが提唱し、水原秋桜子、高野素十、山口誓子、富安風生、山口青邨らの東大出身者を中心とした「東大俳句会」が発足し、この二つの流れが、ホトトギスの二大系統となっていく。
やがて「京鹿子」は草城、播水が京都を離れたことより、野風呂の主宰となり関西の「ホトトギス」の中軸となって発展していく。
野風呂は多作で知られ「連射放」と呼ばれた。それによってやがて平淡な事実諷詠の句が野風呂の特徴となる。
昭和46年3月10日没。

  内裏雛冠を正しまゐらする
  ついと来てついとかかりぬ小鳥網
  水洟や一念写す古俳諧
  鯨割く尼も遊女も見てゐたり
  秋海棠嵐のあとの花盛り

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いま手元に鈴鹿野風呂の作品が他に見当たらないので、歳時記に載る新茶の句をひいておく。

 生きて居るしるしに新茶おくるとか・・・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 雷おこしなつかし新茶澄みてあり・・・・・・・・・・・・・土方花酔

 夜も更けて新茶ありしをおもひいづ・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 新茶汲むや終りの雫汲みわけて・・・・・・・・・・・・・杉田久女

 新茶淹れ父はおはしきその遠さ・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 天竜の切りたつ岸の新茶どき・・・・・・・・・・・・・・皆吉爽雨

 無事にまさるよろこびはなき新茶かな・・・・・・・・・・・川上梨屋

 筒ふれば古茶さんさんと応へけり・・・・・・・・・・・・赤松蕙子

 新茶汲む母と一生を異にして・・・・・・・・・・・・・野沢節子

 新茶濃し山河のみどりあざやかに・・・・・・・・・・・・橋本鶏二

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新茶が出回ると、前年の茶は「古茶」となるわけで「陳(ひね)茶」という。「陳腐」の陳の意味である。
むしろ古茶を好む人もある。ここに挙げた終りから三つ目の句は、それを詠んでいる。 
こんな古茶の句もある。

 女夫(めをと)仲いつしか淡し古茶いるる・・・・・・・・・・・・松本たかし

 古茶好む農俳人ら来たりけり・・・・・・・・・・・・麦草



みづからを思ひいださむ朝涼しかたつむり暗き緑に泳ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山中智恵子
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   みづからを思ひいださむ朝涼し
        かたつむり暗き緑に泳ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山中智恵子


いま二行に分けて書いてみたが、もちろん原歌は、ひと連なりの歌であるが、二行に分けて書いてみると、その感じが一層強くするのが判った。
この歌の上の句と下の句は、まるで連句の付け合いのような呼吸をもって結びついている。
事実、作者は一時期、連句、連歌に凝っていた時期がある。
この歌の両者は微妙なずれ、あるいは疎遠さを保って結びついているので、却って、結びつきが新鮮なのである。
この歌は字句を追って解釈してみても、それだけでは理解したことにはならないだろう。
叙述の飛躍そのものの中に詩美があるからである。
みずからを思い出すという表現は、それだけで充分瞑想的な世界を暗示するので、下の句が一層なまなましい生命を感じさせる。
大正14年名古屋市生まれの、独自の歌境を持つ、もと前衛歌人であったが平成18年3月9日に亡くなられた。
この歌は昭和38年刊『紡錘』所載。

以下、山中智恵子の歌を少し引く。
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道の辺に人はささめき立春の朝目しづかに炎えやすくゐる

わが戦後花眼を隔てみるときのいかにおぼろに痛めるものか

ああ船首 人は美し霜月のすばるすまろう夜半めぐるらう

さやさやと竹の葉の鳴る星肆(くら)にきみいまさねば誰に告げむか

淡き酒ふくみてあれば夕夕(ゆあべゆふべ)の沐浴ありときみしらざらむ

この世にぞ駅てふありてひとふたりあひにしものをみずかありなむ

未然より未亡にいたるかなしみの骨にひびきてひとはなきかな

秋はざくろの割れる音して神の棲む遊星といふ地球いとしき

こととへば秋の日は濃きことばにてわれより若きガルシア・マルケス

こもりくの名張小波多の宇流布志弥(うるぶしね) 黒尉ひとり出でて舞ふとぞ

ああ愛弟(いろせ)鶺鴒のなくきりぎしに水をゆあみていくよ経ぬらむ

ながらへて詩歌の終みむことのなにぞさびしき夕茜鳥

意思よりも遠く歩める筆墨のあそびを思ひめざめがたしも

きみとわれいかなる雲の末ならむ夢の切口春吹きとぢよ

その前夜組みし活字を弾丸とせし革命よわが日本になきか

くれなゐの火を焚く男ありにける怪士(あやかし)の顔ふりむけよいざ

ポケットに<魅惑>(シャルム)秋の夕風よ高原に棲む白きくちなは



洗礼名マリアなる墓多ければ燭ともす聖母の花アマリリス・・・・・・・・・・・・木村草弥
アマリリス

    洗礼名マリアなる墓多ければ
         燭ともす聖母の花アマリリス・・・・・・・・・・・・木村草弥


私は 、第四歌集『嬬恋』(角川書店刊)で、このような歌を載せた。
「花」という小見出しのところに収録したが、ヨーロッパの墓地を尋ねた時の印象を、このような歌にしてみたのである。

アマリリスは初夏の花である。
5月半ばというのに私の家のプランターのアマリリスも一斉に開花した。
大柄な華やかな花で、花壇が一気に賑やかになる。
アマリリスは中米、南米原産のヒガンバナ科の球根植物だという。
わが国へは嘉永年間に渡来し、その頃はジャガタラズイセンと呼ばれたという。
花の時期は短くて、一年の後の季節は葉を茂らせ、球根を太らせるためにある。
強いもので球根はどんどん子球根が増えて始末に終えないほどである。
うちの球根も、あちこちに貰われて行ったり、菜園の隅に定植されたりして繁茂している。

以下、アマリリスの句を少し抜き出してみる。

 燭さはに聖母の花のアマリリス・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 病室の隅の未明やアマリリス・・・・・・・・・・・・石田波郷

 ウエートレス昼間はねむしアマリリス・・・・・・・・・・・・日野草城

 温室ぬくし女王の如きアマリリス・・・・・・・・・・・・杉田久女

 アマリリス跣の童女はだしの音・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 太陽に烏が棲めりアマリリス・・・・・・・・・・・・福田蓼汀

 アマリリス過去が静かにつみかさなる・・・・・・・・・・・・横山白虹

 原爆の地に直立のアマリリス・・・・・・・・・・・・横山白虹

 アマリリス泣き出す声の節つけて・・・・・・・・・・・・山本詩翠

 アマリリス貧しい話もう止そう・・・・・・・・・・・・川島南穂

 アマリリス眠りを知らずただ真紅・・・・・・・・・・・・堀口星眼

 アマリリス心の窓を一つ開け・・・・・・・・・・・・倉田紘文

 あまりりす妬みごころは男にも・・・・・・・・・・・・樋笠 文

 アマリリス描く老画家の師はマチス・・・・・・・・・・・・皆吉司

 アマリリス耶蘇名マリアの墓多き・・・・・・・・・・・・古賀まり子


2012金環日食!雲間からバッチリ・・・・・・・・・・・・・木村草弥

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     2012金環日食!雲間からバッチリ・・・・・・・・・・・木村草弥

始まる前から、やいやいと煩かった「2012金環日食」曇りがちで心配したが、ちょうど薄雲がかかっていたのが幸いした。
この時刻は私のサンポ時間である。
私はズボラで事前に観測用めがねも用意していなかったが、七時すぎから辺りが日の出前のように、うす暗くなり、七時二十分すぎから始まった。
「金環」は想像よりも環が太く、完全な環になっていた。
はじめの動画はネット上に投稿されたものである。
人吉では小雨模様だったらしいが、京都では薄曇りで、実際の明るさは、もっともっと明るい朝である。
二番目に掲出の画像は、帰宅してからネット上から見つけた「eclipse_app051」さんの提供されたもので模式図である。明記して御礼を申し上げる。
雲間から見える空は模式図のような明るい空色であった。念のために書き添えておく。
鼻の穴涼しく睡る女かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日野草城
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   鼻の穴涼しく睡る女かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日野草城

草城は中学5年(今の高二)の時から「ホトトギス」に投句し、21歳で巻頭掲載をかちとった程の早熟の才だったという。
この句も初期作品だが、対象把握の即物的かつ感覚的間合いの良さは抜群である。夏の昼寝であろう。
女の健康な寝息まで聞こえて来そうな午後の静けさ。
一見、簡単に詠んでいるようだが、こういう端的に爽やかな印象の句は意外なほど少ない。昭和7年刊『青芝』所収。

掲出の絵はピカソの「夢─赤い椅子に眠る女」である。

夏は暑くて体力を消耗するので、午後のしばらくを昼寝して元気を回復させる。 
三尺寝という言葉があるが、これは日影が三尺移るぐらいの時間を眠るので、こういう。
植木屋や大工などの職人は、いたるところで場所をみつけて昼寝する。これも生活の知恵である。
ラテン・ヨーロッパや南方ではシエスタと称して店も役所も閉める習慣がある。

以下、昼寝または午睡の句を挙げてみよう。
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 ひやひやと壁をふまへて昼寝哉・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

 我生の今日の昼寝も一大事・・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 うつぶせにねるくせつきし昼寝かな・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 稍固き昼寝枕や逗留す・・・・・・・・・・・・松本たかし

 一片舟昼寝の足裏涛のむた・・・・・・・・・・・・中村草田男

 浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねいやい」・・・・・・・・・・・・中村草田男

 昼寝覚凹凸おなじ顔洗う・・・・・・・・・・・・西東三鬼

 父の齢しみじみ高き昼寝かな・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 昼寝覚うつしみの空あをあをと・・・・・・・・・・・・川端茅舎

 昼寝ざめ剃刀研ぎの通りけり・・・・・・・・・・・・西島麦南

 よき昼寝なりし毛布をかけありし・・・・・・・・・・・・堺梅子

 やまひなきひとの昼寝を羨しめり・・・・・・・・・・・・山口波津子

 光陰の流るる音に昼寝覚・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

 さみしさの昼寝の腕の置きどころ・・・・・・・・・・・・上村占魚

 麦の青樹の青赫と昼寝さむ・・・・・・・・・・・・野沢節子

 午睡たのしげ乳ぽつちりと釦はづし・・・・・・・・・・・・中山純子

 いづくより手足しびれて昼寝覚・・・・・・・・・・・・森澄雄



万緑の中や吾子の歯生えそむる・・・・・・・・・中村草田男
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   万緑の中や吾子(わこ)の歯生えそむる・・・・・・・・・中村草田男

「万緑」(ばんりょく)は夏の見渡すかぎりの緑を言う。
元来は季語ではなかった。
草田男は、中国の古詩、王安石の詩の一節 <万緑叢中紅一点> 
から「万緑」の語を得て、これを季語として用い、現代俳句の中に定着させた点で、記念碑的な作品である。
一面の緑の中で、生え初めた我子の赤ん坊の歯の白さが健気に自己を主張している。
生まれ出るもの、育ちゆくものへの讃歌が「万緑」の語に託されている。

満目の緑と小さな白い歯、この対比が鮮やかで、俳句的に生きたので、たちまち俳句界に共感を呼ぶ季語となった。
しかし、季語として流行することは、また安易な決まり文句に堕する危険をも含んでいて、この万緑の句も例外ではない。
昭和14年刊『火の鳥』に載る。
ちなみに、高浜虚子は死ぬまで、この万緑を季語としては認めなかった、というのも有名な話である。

   葉桜の中の無数の空さわぐ・・・・・・・・・・・・・・篠原梵

初夏、花の去った後の葉桜が、風にゆれつつ透かして見せる様々な形の空の断片を「無数の空」と表現した。
それを「さわぐ」という動態でとらえたところに、この句の発見がある。
掲出の写真を取り込みながら、草田男の句に添えて、この句を載せたいという気になった。
写真のイメージが、この句にぴったりだと思ったからである。
誰でもが見る、ありふれた光景を的確な言葉で新鮮にとらえ直すという、詩作の基本的な作業を行なって成功した句である。
篠原は明治43年愛媛県生まれ。昭和50年没。「中央公論」編集長を経て、役員を務めた。
昭和6年臼田亜浪に師事して以来、斬新な感覚を持って句誌「石楠」に新風を起こした。俳句の論客としても活躍。
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ここで「万緑」「新緑」の句を少し引く。

 万緑やわが掌に釘の痕もなし・・・・・・・・・・・・山口誓子

 万緑やおどろきやすき仔鹿ゐて・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 万緑や血の色奔る家兎の耳・・・・・・・・・・・・河合凱夫

 万緑に蒼ざめてをる鏡かな・・・・・・・・・・・・上野泰

 万緑や死は一弾を以て足る・・・・・・・・・・・・上田五千石

 動くもの皆緑なり風わたる・・・・・・・・・・・・五百木瓢亭

 恐ろしき緑の中に入りて染まらん・・・・・・・・・・・・星野立子

 水筒の茶がのど通る深みどり・・・・・・・・・・・・辻田克巳

 まぶたみどりに乳吸ふ力満ち眠る・・・・・・・・・・・・沖田佐久子

 新緑やうつくしかりしひとの老い・・・・・・・・・・・・・日野草城

 新緑に紛れず杉の林立す・・・・・・・・・・・・山口波津子

 新緑の山径をゆく死の報せ・・・・・・・・・・・・飯田龍太



緑蔭に三人の老婆笑へりき・・・・・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼
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   緑蔭に三人の老婆笑へりき・・・・・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼

西東三鬼は、さいとう さんき、と読む。本名は斎藤敬直で、このペンネームの由来はアナグラムだと言える。
明治33年岡山県津山市生まれ。歯科医師。新興俳句運動にかかわり、弾圧事件で検挙された。
戦後、現代俳句協会、俳人協会設立などに奔走。「俳句」編集長も勤めたが胃がんを病んだ。昭和37年没。

この句も単なる写生と見ては、間違うだろう。
老人国家となった今日では普通の明るい日常の光景だが、この句は一種の「不気味さ」を湛えた句として鑑賞したい。
この句は昭和15年刊『旗』に載るもので、彼の戦前の新興俳句最活躍期の作品と見られるからである。
一ひねりある句として私は見る。
以下、彼の句を引くが、戦争、戦後の飢え、などに拘りを見せるほか、前衛俳句としての特徴を示す句たちである。
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 聖燭祭工人ヨセフ我が愛す

 右の眼に大河左の眼に騎兵

 梅を噛む少年の耳透きとほる

 道化師や大いに笑ふ馬より落ち

 厖大な王(ワン)氏の昼寝端午の日

 機関銃低キ月輪コダマスル

 逆襲ノ女兵士ヲ狙ヒ撃テ!

 塹壕の壁を上りし靴跡なり

 主よ我もよふけに家にかへらざり

 国飢ゑたりわれも立ち見る冬の虹

 寒灯の一つ一つよ国敗れ

 中年や独語おどろく冬の坂

 おそるべき君等の乳房夏来る(きたる)

 赤き火事哄笑せしが今日黒し

 黒蝶は何の天使ぞ誕生日

 逃げても軍鶏に西日がべたべたと

 くらやみに蝌蚪の手足が生えつつあり

 モナリザに仮死いつまでもこがね虫

 やわらかき蝉生まれきて岩つかむ

 暗く暑く大群集と花火待つ

 つらら太りほういほういと泣き男

 凶作の刈田電柱唸り立つ

 春を病み松の根っ子も見あきたり・・・・・・・(絶筆)
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Web上から彼の故郷・津山市の「西東三鬼俳句賞」の記事を転載しておく。

西東三鬼について

 新興俳句の旗手、鬼才と呼ばれた西東三鬼=本名・斉藤敬直=(1900-1962)は南新座の生まれ。津山中学に学び、両親を失った十八歳で東京の長兄に引き取られ、歯科医になる。患者に誘われて俳句を始めた。俳号、三鬼はサンキューのもじりだが、波乱の人生を送る彼のぺーソスとユーモアが潜んでいるような気がする。
 33歳で俳句入門して3年後の昭和11年、「水枕ガバリと寒い海がある」を発表、その鋭い感覚が俳壇を騒然とさせるのである。「十七文字の魔術師」の誕生であり、「ホトトギス」的伝統俳句から離れた新興俳句運動の記念碑でもあった。

戦争への道を急ぐ日本。三鬼の「昇降機しづかに雷の夜を昇る」が世情不安をあおるとして弾圧を受け、無季を容認した新興俳句は三鬼が幕を引く結果になる。
 三鬼は、弾圧のショックを胸に東京の妻子を捨てて神戸に移り住む

露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す

 そんなスナップのある安ホテルで、特高警察の刑事につけ狙われながら雌伏する。NHKテレビドラマ「冬の桃」は、その時代の三鬼の随筆をドラマ化したもので、小林桂樹が三鬼に扮して好演、再放送されるほど好評だった。
 俳句がすべてだった三鬼は、昭和17年、転居した神戸市内の西洋館(「三鬼館」と呼ばれる)の和室の畳まで売り払い、「天狼」創刊運動費にあてるほど徹底していた。

終戦。三鬼は俳句活動を開始、同志と現代俳句協会を創設、昭和23年、山口誓子を擁して俳誌「天狼」創刊の中心になった。編集長になり、自分も「激浪」を主宰し、昭和28年ぶりに帰郷する。そして昭和37年、惜しまれつつ永眠する。空前絶後の俳壇葬で三鬼を見送った。4月1日は西東忌、三鬼忌として歳時記に不滅である。

●平成4年4月5日、三鬼顕彰全国俳句大会が津山文化センターで開かれた。その朝、記念事業の三鬼句碑が生誕の地、南新座に市文化協会によって建てられ、三鬼の次男、斎藤直樹さんと孫の有哉君の手で除幕された。句は、
 枯蓮のうごく時来てみなうごく。
 昭和21年、奈良・薬師寺で詠んだ作品で、代表作の一つである。苅田龍氏所蔵の色紙の文字を拡大した。「生誕の地」の標柱を立てたが、三鬼の生家は近所にあった。文化協会は標識を立てていたが、老朽がひどく家主が平成二年、取り壊した。旧門下たちが惜しみ、三鬼が移り住んだ同町内の日笠頼助氏宅に句碑を建てることになったのである。

西東三鬼略年譜
明治33年 5月15日、岡山県津山市南新座に生まれる。本名 斎藤敬直。
大正 4年 県立津山中学校に首席入学。7年上京して青山学院に編入学したが中退。
 10年 日本歯科医専に進学する。
 14年 卒菜後、シンガポールで歯科医院を開業。
昭和 3年 帰国して歯科医院開業、のち病院に勤め、8年俳句と出会う。
 9年 同人誌「走馬燈」に加わり新興俳句運動に参加。
 10年 「京大俳句」に加わり、13年、歯科医をやめる。
 15年 「京大俳句」が反戦思想とみられ弾圧が始まる。有志と「天香」を創刊、第一句集「旗」刊行。
 17年 東京から神戸に移り、特高警察の監視下、「三鬼館」に雌伏。
 22年 石田波郷、神田秀夫らと現代俳句協会を創立。
 23年 山口誓子を擁して「天狼」を創刊、編集長となる。第二句集「夜の桃」を刊行。「激浪」主宰。春、30年ぶりに帰郷する。「激浪」の発行所を上之町、室賀達亀方に置く。
 26年 第三句集「今日」刊行。
 27年 新主宰誌「断崖」を創刊。
 31年 角川書店の「俳句」編集長になる。翌年辞職。
 34年 津山での美作婦人大会で「幸福と不幸」と題して講演。
 35年 俳壇あげて還暦祝賀会。
 36年 俳人協会設立発起人になる。10月、胃癌の手術。
 37年 第四句集「変身」を刊行。4月1日、永眠。61歳と11ヶ月だった。8日、角川書店で俳壇葬。5月27日、関西追悼祭。28日、遺骨を成道寺に納める。墓句樽銘は山口誓子筆。第二回俳人協会賞を贈られる。「断崖」は108号で終刊。
 52年 随筆「神戸・続神戸・俳愚伝」を改題「冬の桃」(毎日新聞社刊)を出版し、NHKテレビドラマ化「冬の桃」が放送される。
 53年 津山市文化協会が句碑「花冷えの城の石崖手で叩く」を建立。
平成4年 4月5日、没後三十年、三鬼顕彰全国俳句大会を津山文化センターで開く。選者は稲畑汀子、飯田龍太、金子兜太、沢木欣一、鈴木六林男、三橋敏雄、山口誓子(50音順)。南新座の旧三鬼住居(日笠家)に「生誕の地句碑」=「枯蓮のうごく時来てみなうごく」を除幕する。三鬼回顧展を西東忌の4月1日から誕生日の5月15日まで津山郷土博物館で催す。遺墨(軸11、色紙26、短冊40点)写真、遺品などを展示。


神田川祭の中をながれけり・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
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   神田川祭の中をながれけり・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

夏祭の、五穀の生産暦とは無縁な、いわゆる都市型の祭礼の華やかさは、江戸の山王権現(日枝神社)と神田明神(神田神社)の祭に典型が見られたという。
この二神社の祭は天下祭と呼ばれ幕府公認の祭事だった。
今の日本橋の川筋がひとつの境になっていたという。

久保田万太郎は浅草生まれだが、この句は神田明神の祭を詠んだものか。
神田川もコンクリートで岸を固められて細くなったり暗渠になったりしている。
昔の神田川の風情を詠んだ懐かしい句として、この句は鑑賞したい。
どの祭を指すか判らないまま、江戸の夏祭に触れてみたい。

浅草三社祭は古くは陰暦三月だったが、今年は5月18日~20日に催行される。今日は、その日に因んで、この句を載せることにした。
ご存じかと思うが浅草寺と浅草神社は神仏習合の頃からの仕来りで、浅草神社の祭礼とある。
浅草寺の縁起は古く、本尊観音が宮戸川(今の隅田川)で漁師に拾われたのは推古朝のことだという。
三社とは、その時の漁師、浜成、武成の兄弟と土師直中知(はじのあたいなかとも)を指す。
人の名前に「社」という字が宛てられる理由は知らない。
とにかく、この観音の出現により、武蔵野の片隅だった江戸湾近くの寒村が次第に江戸の盛り場として、人の通う所となっていったのだという。

 三社まつり山王まつりともに雨・・・・・・・・・・・・・室積徂春

折角、山車や神輿を飾ったのに、という江戸っ子の舌打ちが聞こえてきそうである。
今年のお祭は、どうであろうか。

庶民の夏にかかせない行事に縁日があることを忘れては片手落ちである。
都市生活に伴い、江戸中期以降、日中勤務する商人や職人にとって夜の市(いち)は憩いの場で、参詣によるご利益と市の立つ賑わいは、庶民の夢と実用が重なっていた。
もっと先のことになるが、7月10日に観音様に参詣すれば4万6000日分の参詣に相当するということと、夜市で楽しむということは、まことに一挙両得の感があったのではないか。

 朝顔を見にしののめの人通り・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 夫婦らし酸漿(ほほづき)市の戻りらし・・・・・・・・・・・・高浜虚子

これらの句は朝顔市、酸漿市の描写だが、夏の夜の路傍に、アセチレンガスを点けて、飴や綿菓子、小亀やヒヨコなどの小動物、草花、金魚などを売っていた夜店は懐かしい風物詩であった。夕食後、家族そろって夕涼みをかねて出掛けた思い出を持つ人は多いだろう。
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三社祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三社祭(さんじゃまつり)は、毎年5月に行われる東京都台東区浅草の浅草神社の例大祭である。江戸三大祭は通説では神田祭、山王祭、深川祭の事であるが、深川祭に代えてこちらを加える学説もある。

旧幕以来の江戸文化の中心であった神田とも、隅田川以東の下町文化圏とも浅草は別個であるが巧妙に両者のイメージを利用してきた背景がある。文化圏について鈍感な行政やマスコミの影響もあり、その中心部は土地持ちの富裕層が多かったにも関わらず下町イメージで語られる不思議な町「浅草」の魔力といっても過言ではない。

但し、「観光宣伝色が強い」「浅草の内部での結束が悪すぎる」「各町神輿連合をヤクザが組の宣伝に利用している(昔は酒をタカリにしか来なかったが、現在では同好会を主催)」など問題点も多く、地元都民の全面的支持は受けていない。参加者のモラルの低下も指摘される処であり、このため自治体としての台東区も万が一に火の粉を被りたくないためか、暖かく見守りはするが積極的に関わろうとしない「隣の話」という態度を崩していない。この背景には「祭り」でありながら「氏子」が中心としての求心力をもち得ない特殊な事情があり、何かあっても責任の押し付け合いに終始する浅草の悪癖が根底にある。

現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は浅草神社例大祭。

かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。

本来ならば氏子が担ぐのが正当であるが、一時期、担ぎ手不足の時代に他所から担ぎ手を募った歴史はある。現在は人員は足りているが、神輿同好会が参加している。ふんどしを穿いてる担ぎ手も結構多い。


祭りの構成
1日目(金):名物大行列(浅草芸者、田楽、手古舞、白鷺の舞、等が登場)
2日目(土):氏子各町神輿連合渡御
最終日(日):宮だし・本社神輿各町渡御・宮入り



小澤京子歌集『アウトバーン』 抄・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      小澤京子歌集『アウトバーン』 抄・・・・・・・・・・・木村草弥

この本は著者の第二歌集で、二〇〇九年四月二十三日に角川書店から刊行されたものである。
この本の「帯」で所属する同人誌「ぱにあ」主宰者・秋元千恵子が書いている。

<未曾有の大恐慌の風が、日本に波及している今年、団塊の世代の夫君が退職する。
 十七年間の単身赴任を支えてきた著者の、子育て、歌づくり、海外への夫訪いに、与謝 野晶子が重なる。
 取り残された不安と孤独、歳月の葛藤に中で、ひたすらに生き、歌を励まし、歌を変化させながら、第一歌集を超えた。
 『アウトバーン』は、前向きな著者の象徴であり、退職後の夫君と拓く時代を、次の歌集につなぐ、熱い決意である。>

けだし、この歌集を要約する文章として的確である。
以下、私の心に響いた歌を引いておく。

   *高速のバスに揺られて夫を訪う遠距離恋愛の気分にひたり
   *八尾町に長き冬を過ごしいる夫を訪ねて数日おりぬ
   *飴玉をほしがるごとくねだられて夏の一日君と過ごしぬ
   *鉄幹を追う晶子の想いにて太平洋を八時間に飛ぶ
   *夫の住むサンフランシスコの街なかに異人種の中のひとりなるわれ
   *冬空の雲ひとつなき寂しさをメールに打てば一篇のうた
これらの歌には離れ住む夫婦の心の有り様を、ほのぼのと活写しており秀逸である。
   *膝に乗せ末期の水を飲ませたり愛犬ひと声残して逝きぬ
   *身の裡に響きて止まぬ「英雄」は自負と自我との戦う一日
   *粗塩で揉みて輝くらっきょうを甕に眠らす水無月十日
   *独り居の部屋にむかえる友としてたおりて活ける一輪の百合
   *壁に貼るジグソーパズルのスヌーピー欠けておりたり耳のひとつが
   *知っているつもりに怠る匙かげん今日のポトフはちょっぴり辛い
   *天敵とひそかに思う人と会い「ここだけのこと」とりあえず聞く
   *冒険は常に身近にあるものか仕舞いおきたるジーンズを穿く
それらの日々にあっても、生活に、趣味に、歌づくりにと、作者の営為はつづく。
それらの日々に埋没せぬように、作者は人々との交流の中でも、日々新しい。
ここに挙げた歌にあっては、「日常」を「非日常」に転換する心の動きが見られて秀逸だ。
挙げた歌の末尾のものは上句と下句との二物衝撃的な歌づくりが面白くて成功している。
   *湯に浮かぶ身体の軽さ姑の言うひとぉつふたぁつと肩に手を添う
   *失せ物に姑が荒げる声を背に捜す素振りも慣れて十年
   *七草の朝に唐土の鳥鳴かす母が俎叩く音する
「看取り」は大変である。私には嫁、姑の相克の記憶はないが、よく聞くことである。
その代わりに私には亡妻の宿痾との付き合いの数年があったので、ご苦労がよく判る。
夫君の単身赴任の間にも、よく仕えられたのである。
ただ終わりに挙げた歌の「母」は実母の思い出かも知れず、予めお断りしておく。
   *身に積もる毒となるらむ子の放つ我への言葉タリウムならねど
   *かくれんぼ「もういいかい」に「まあだだよ」吾子は戻らず我のみ残る
子離れも、また難しく、哀しいものである。
   *熊野を舞う玉三郎の艶めきて書割りの桜はらりはららぐ
   *平凡な会話がふいに華やぎぬ貴腐ワインに舌あそばせ
そんな日常の中に、このような至福の刻があったりする。そんな一齣を見事に切り取られた。
もっとも後の歌は夫君との外つ国での情景かも知れない。
長い長い夫君の単身赴任も終って、二人仲良く旅を出来るのも楽しいものである。
以下、それらの歌を列挙する。
   *福岡に黄砂舞い来ぬ楼蘭の魔法にかかり夫と腕組む
   *わが夫と山形の酒「初孫」を酌みかわしおり秋の夜長に
   *万里にはまだ余りある日々ならむ長城歩む夫につきて
   *「二十一世紀」デパートを出でグラウンドゼロに佇む
   *車とめローレライの岩に耳澄ます団塊世代の夫と友らと
   *縦横に戦車走りしアウトバーン独裁者ヒットラーの遺産となりぬ
   *ドイツより戻りし身には至福の楽ひねもす雨音聞きて過ごしぬ   
   *市場に買いし林檎は酸っぱいよ遥かなる日の弁当のうさぎ
アトランダムに挙げたので順不同があるかも知れない。
これからは仲良く「旅」を続けてもらいたい。現実の旅も、人生の旅も。

終わりに、一巻を通じて私が一番好きな歌を引いて鑑賞を終る。
「かなしさ」とひらがな書きにしたところが秀逸である。「かなしさ」は「愛(かな)しさ」に通ずる。
佳い歌集を賜り、ほのかな昂ぶりのうちに時間を過ごした。 感謝して筆を措く。

   *木を離るる刹那の花のかなしさよ桜は赤き蕊をふるわす

        
すぎし時もきたる日も/わすれたる昼の夢なれや/ただ今宵/君とともにあるこそ 真実なれ・・・・・・・・・・・・竹久夢二
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   すぎし時もきたる日も
   わすれたる昼の夢なれや
   ただ今宵
   君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ・・・・・・・・・・・・竹久夢二


夢二は、いつも満たされぬ心を抱き、郷愁を抱いてさまよいつづけた「永遠の旅びと」である、と言われている。
茂(も)次郎という泥くさい名前が本名であるが、この名前を嫌い「夢二」というペンネームに替え、名前の通り、常に夢を追いつづけたと言える。

この詩は夢二の夢の通い路を詠んでいるが、しかし「真実」もまた、瞬時ののちには、虚しい夢となってしまうことを、一番よく知っていたのも、夢二自身であったろう。
どの時代においても、恋も人生もすべては夢、そう知りながら、やはり人は、恋をし、人生をひたすら歩いてゆかなければならないようである。

この詩を引用している私の心中にも、亡妻とともに過ごして来た日々を振り返って、それらの日々が、ああ夢のように過ぎ去ったのか、という深い感慨に満たされるのである。
太閤秀吉は死に際して「夢のまた夢」と呟いたというが、私の心中にも深く共感するものがある、と告白せざるを得ないだろう。

夢二の詩の終連の

     <君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ>

という表白を忘れないように心に刻みたい、と念じて・・・・・。


「王朝文化の華」─陽明文庫名宝展を見る・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   「王朝文化の華」─陽明文庫名宝展を見る・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

目下開催中の標記の展覧会を見た。
これについては昨年、京都文化博物館で一部のものを見たが、今回、大掛かりな展観とあって覗いてみた。

これについては、同じFc2に居られる → 「遊行七恵の日々是遊行」のサイトに詳しいので、ぜひ参照されたい。

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 ↑ 国宝・熊野懐紙3幅のうち後鳥羽天皇筆
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 ↑ 類聚歌合(二十巻本歌合)部分

国宝、重要文化財などに指定されているものが多い。

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 ↑ 近衛家略系譜

近衛家は藤原道長を祖とする直系で、宮廷公家として天皇家の傍に仕えた名門公卿の一族であり、
「陽明文庫」は第二十九代の近衛文麿が紀元二千六百年を記念して、京都の宇多野に保存のために開設したものである。
陽明文庫(ようめいぶんこ)は、京都市右京区宇多野上ノ谷町にある歴史資料保存施設。
公家の名門で「五摂家」の筆頭である近衛家伝来の古文書(こもんじょ)、典籍、記録、日記、書状、古美術品など約20万点に及ぶ史料を保管している。昭和13年(1938年)、当時の近衛家の当主で内閣総理大臣であった近衛文麿が京都市街地の北西、仁和寺の近くの現在地に設立した。近衛家の遠祖にあたる藤原道長(966 - 1028)の自筆日記『御堂関白記』から、20世紀の近衛文麿の関係資料まで、1,000年以上にわたる歴史資料を収蔵し、研究者に閲覧の便を図るとともに、影印本の刊行などの事業を行っている。これに匹敵するものに九条流摂関家の一条家の「桃華堂文庫」がある。
近衛家は、終始、天皇の傍に居られた筆頭公家であり、天皇家との縁戚も、ただならぬものがある。
天皇家から移って来られた方──例えば、十八代「信尋」は後陽成帝の皇子であり、また十七代「信尹」の妹・前子は後陽成帝の女御で、後水尾帝の母である。
今回の名宝を見ても、明治期以後の絵画の所蔵品などにも、当時随一の画家、横山大観、上村松園などの作品があり、それらは寄贈されたものだろう。

「陽明文庫」については、このWikipediaの記事に詳しい。



石畳 こぼれてうつる実桜を/拾ふがごとし!/思ひ出づるは・・・・・・・・・・・・・・・土岐善麿
さくらんぼ

     石畳 こぼれてうつる実桜を
    拾ふがごとし!
    思ひ出づるは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土岐善麿


これは土岐善麿のローマ字三行書きの歌集の巻頭の作で、原文はローマ字。
明治43年刊『NAKIWARAI』に載るもの。
短歌三行書きは親友・石川啄木、また「アララギ」派から出た釈迢空らに影響を与えた。

「実桜」はサクランボのこと。
思い出すことの内容は描写せず、ただそれが石畳に散る実桜を拾う感じだと、直截な気分の感触だけを記述する。
きびきびした語の動きは感傷をも律動感に溶かし込んでいる。
2行目の末尾に感嘆符!を打つなど新機軸を打ち出そうとしたことは、明らかだった。
土岐善麿は新聞記者としての経歴も長く、その幅ひろい視野に立って、戦後になっても国文学者として、漢学者として、またエスペランティストとして活躍した。能の新作も試みた。
青年時代の号は「哀果」で、この詩を作った頃は哀果だった。昭和55年没。

三行書きの詩(歌というべきか)を少し書き抜く。

    指をもて遠く辿れば、水いろの
    ヴォルガの河の
    なつかしきかな。

    おほかたの、わかきむすこのするごとき
    不孝をしつつ、
    父にわかれぬ。

    手の白き労働者こそ哀しけれ。
    国禁の書を
    涙して読めり。

    焼跡の煉瓦のうへに、
    小便をすれば、しみじみ、
    秋の気がする。

    りんてん機今こそ響け。
    うれしくも、
    東京版に雪のふりいづ。
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大正末期から昭和ひと桁、10年代にかけての「自由律」短歌運動にも深くかかわった。その頃の歌

   上舵、上舵、上舵ばかりとつてゐるぞ、あふむけに無限の空へ

   いきなり窓へ太陽が飛び込む、銀翼の左から下から右から

   あなたをこの時代に生かしたいばかりなのだ、あなたを痛々しく攻めてゐるのは

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敗戦後の歌に作者の歌として有名なものがある。それを少し引く。

   ふるき日本の自壊自滅しゆくすがたを眼の前にして生けるしるしあり

   鉄かぶと鍋に鋳直したく粥のふつふつ湧ける朝のしづけさ

   あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
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xhwa00101善麿ほか

写真②は、銀座カフェ・ヨオロッパにて、大正3年4月。
前列右より若山牧水、土岐善麿
後列右より古泉千樫、前田夕暮、斎藤茂吉、中村憲吉。

土岐善麿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

土岐 善麿(とき ぜんまろ1885年6月8日 ~ 1980年4月15日)は、日本の歌人・国語学者。

略歴・人物
東京・浅草の真宗大谷派の寺院の息子に生まれる。府立一中を経て、早稲田大学英文科に進み、島村抱月に師事。窪田空穂の第一歌集『まひる野』に感銘をうけ、同級の若山牧水とともに作歌に励んだ。

卒業の後、読売新聞記者となった1910年に第一歌集『NAKIWARAI』を「哀果」の号で出版、この歌集はローマ字綴りの一首三行書きという異色のものであり、当時東京朝日新聞にいた石川啄木が批評を書いている。同年啄木も第一歌集『一握の砂』を出し、文芸評論家の楠山正雄が啄木と善麿を歌壇の新しいホープとして読売紙上で取り上げた。これを切っ掛けとして善麿は啄木と知り合うようになり、雑誌『樹木と果実』の創刊を計画するなど親交を深めたものの翌年啄木が死去。その死後も、善麿は遺族を助け、『啄木遺稿』『啄木全集』の編纂・刊行に尽力するなど、啄木を世に出すことに努めた。

その後も読売に勤務しながらも歌作を続け、社会部長にあった1917年に東京遷都50年の記念博覧会協賛事業として東京~京都間のリレー競走「東海道駅伝」を企画し大成功を収めた(これが今日の駅伝の起こりとなっている)。翌1918年に朝日新聞に転じるが自由主義者として非難され、1940年に退社し戦時下を隠遁生活で過ごしながら、田安宗武の研究に取り組む。

戦後再び歌作に励み、1946年には新憲法施行記念国民歌『われらの日本』を作詞する(作曲・信時潔)。翌年には『田安宗武』によって学士院賞を受賞した。同年に窪田の後任として早大教授となり、上代文学を講じた他、杜甫の研究や能・長唄の新作をものにするなど多彩な業績をあげた。他に紫綬褒章受賞。

第一歌集でローマ字で書いた歌集を発表したことから、ローマ字運動やエスペラントの普及にも深く関わった。また国語審議会会長を歴任し、現代国語・国字の基礎の確立に尽くした。



『芸術と自由』誌No.282より・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
芸術と自由

──新・読書ノート──

   『芸術と自由』誌No.282より・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

     ◆ 新・・・・・・・・・・・・・・・剣持政幸

  空白の時間がすぎあのと指せた建物が消えている

  道幅の拡張で消されてしまう家屋 百年も経たない新の軽さ

  置き去りにされた腕時計弄くられ良いことばかり浮かんでる

  純粋に生きるのも良いだろう 枯草へ火を放ち過去を炙り出せ

  情熱があることは若さの証明 歌に吐くのは過去の渇きか

  短歌とはなに──金子きみが遊びで良いと嘲笑(わら)うだろう

  唇が濡れ始め生きることに欲が出てきた 俺も男だったか

  膨らみのない腕 筋肉質でない男に寄せる花芯の囁き

  生命を育む母胎に吐き出すのはネバネバの戯れ言ばかり

  突き刺せる力が欲しい 針のように抉りたい獣の目線

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    ◆ とにかくの春・・・・・・・・・・・藤原光顕

  道を削り穴を穿ち三月は町じゅう春を掘り出している

  二月の暦を剥ぐと陽ざしが三月になる うすい汚れも見えてくる

  おそらくはそのまま消される 監視カメラへちょっと余分な動きしてみる

  一時間に二本のパスが遅れる「遅れるからバス」と言った人もういない

  そう言えば一日二本のふるさとのあのバスは今も走っているか
  
  バッグひとつ忘れなければ。財布・鍵・手帳に薬3種類ほど

  気がつけば階段の手すり持っている転ばぬ先 のつもりだったが

  CECILEのカタログが届く この雨があがれば春が来るという

  春 と見上げる雲が花水木の道に続く もう歩くこともないだろう

  何もない岬はエリモと思い出すまで しんどい朝が春である
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今日とどいた『芸術と自由』誌No.282より剣持政幸、藤原光顕両氏の作品を引いておく。

剣持政幸氏の作品は、リアリズム・オンリーだった氏には珍しく「比喩」を駆使した表現になっている。

  <唇が濡れ始め生きることに欲が出てきた 俺も男だったか

  膨らみのない腕 筋肉質でない男に寄せる花芯の囁き

  生命を育む母胎に吐き出すのはネバネバの戯れ言ばかり>

の個所などは「暗喩」として秀逸である。 彼の身の上に何かあったのか。

藤原光顕氏の一連は、いつもながらの光顕節として飄逸で、老いの哀歓を表現して面白い。

はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は をゆび の うれ に ほの しらす らし・・・・・・・・・・・・・・・・・会津八一
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   はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は
     をゆび の うれ に ほの しらす らし・・・・・・・・・・・・・・・・・会津八一


会津八一の歌は「ひらがな」書きで、しかも単語と助詞などを間隔を空ける独特の表記の仕方に特色のある歌である。
初夏の風になってきたなぁ、と、み仏は「をゆび」=小指の「うれ」=末端=先で、ほのかにお感じになったようだ。
という意味の歌であり、み仏と一体になるような感じで、作者がいわば言葉によって、ひたと寄り添おうとしている仏の温容、その慈悲に満ちたたたずまいが、おのずと浮びあがってくるようである。

八一については前回に少し書いたので、ここでは繰り返さない。大正13年刊の『南京新唱』に載るもの。
南京とは、北の京都に対して奈良を指して言ったもの。
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会津八一の歌を二、三ひいておく。

あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ

あまごもる やど の ひさし に ひとり きて てまり つく こゑ の さやけさ 

かすがの の しか ふす くさ の かたより に わが こふ らく は とほ つ よ の ひと

このごろ は もの いひ さして なにごと か きうくわんてう の たかわらひ す も

さをしか の みみ の わたげ に きこえ こぬ かね を ひさしみ こひ つつ か あらむ

いちじろく ひとき の つぼみ さしのべて あす を ぼたん の さかむ と する も



中島みゆき「歌旅」劇場版・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──映画鑑賞──

     中島みゆき「歌旅」劇場版・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

シングル「アザミ嬢のララバイ」で1975年にデビューして以来、シンガーソングライターだけでなく、さまざまな分野でも活躍している中島みゆきのコンサート・ムービー。
2007年に敢行され、大盛況のうちに幕を閉じたコンサートツアー「歌旅」のステージが映し出されていく。
1980年代から2000年代のヒット曲や人気曲をメインに構成された、新旧のファンにはこたえられないセットリストもさることながら、
ますます円熟味の増した中島の歌声と彼女しか醸し出せない詩の世界には、ただただ圧倒させられる。

全32公演が行われ、約10万人の動員をマークした、中島みゆきのコンサートツアー「歌旅」。
1980年代を代表するヒット曲「御機嫌如何」と「ファイト!」、アイドルグループTOKIOへ提供された「宙船(そらふね)」、
NHKの人気テレビ番組「プロジェクトX 挑戦者たち」のテーマ曲に用いられた「地上の星」、
東日本大震災後の東北地方を中心にUSEN音楽放送へのリクエストが集まった「糸」など、彼女の輝かしいキャリアを振り返るとともに、
アーティストとして不動の魅力を再確認できる曲目で構成されたステージが進む。

「中島みゆき」については、← Wikipediaの記事を参照してもらいたい。
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「中島みゆき・オフィシャルサイト」は ← こちら。
年譜を見ると、彼女は今年で満60歳になるらしい。
スリムなボディと言い、発声と言い、とても若々しい。
たっぷり堪能の二時間だった。

最近の彼女の活動を見てみよう。

2007年8月から新たに設立されたヤマハミュージックアーティストがマネジメントが行う。秋には2年ぶりの全国ツアー「コンサートツアー2007」が行われた。

2009年11月3日、紫綬褒章を受章。受賞に際して、うれしい気持ちを「棚から本マグロ」と表現した。
中島曰く、「ふつう、何か頂けそうでも辞退する(考える)ところだが、褒章はふつうではないため、すぐに返事をした」という。

2010年10月から2011年1月まで3年ぶりの全国ツアー「中島みゆきTOUR2010」が27公演9会場で行われた。
このツアーから各公演の様子を伝えるTwitterを開始した(ツアー終了後は、中島に関する最新情報を伝えるスタッフ公式Twitterとなった)。

メロディは 覚えやすいメロディーラインもあるが、息継ぎがし辛い曲も多い。四分の三拍子で構成された楽曲も多数見受けられる。
歌詞については、 中島みゆきの曲には、日常風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々をテーマにし、
その一人一人にスポットライトを当て、その心情を曲にのせるものが多い。
非常に巧みな比喩表現を用いており、聞き手によってそれぞれ異なった意味を受け取ることができる。
普遍的なテーマを歌詞にしていることも非常に多い。
例えば、1991年発売のアルバム『歌でしか言えない』収録曲の「永久欠番」。
この曲は、「人は誰しも唯一無二の存在である」ということをテーマにした曲で、東京書籍発行の中学校用の教科書『新しい国語3』に引用されている。
対照的に、工藤静香に提供した「MUGO・ん…色っぽい」や西田ひかるに提供した「きっと愛がある」のように軽いノリの詞も存在する。
ただし、この2曲に関しては、いずれもCMのキャッチコピー(「MUGO・ん…色っぽい」 - “ん、色っぽい”(カネボウ)、「きっと愛がある」 - “アイがある”(三菱電機))にひっかける方が望ましいと中島が指示を受けていた経緯がある。
「見返り美人」や佐田玲子に提供しセルフカバーした「くらやみ乙女」のように、悲劇に内包される喜劇性を最大限に強調したユーモラスな詞も存在する。
中島みゆきの作品世界を自己パロディ化したような内容でもある。
歌唱法は 基本的に、深いブレスと力強い声質を生かして朗々と歌い上げる。
曲によって、また曲の中でも情景や詞が含む感情によって、いくつもの声色を使い分けている。







いま掲載できる動画を挙げてみたが、はじめの二つは公式らしいので削除されることもない。
いま思い出すと、「未来」の「川口美根子」選歌欄に居たときに、合同の出版記念会を何度か開いてもらった。
先生も歌が好きで、会の終わりに、みんなで歌った曲の中に、これらの歌があった。
その川口先生も惚けられて今は老人施設におられるのである。嗚呼!


つちふるや日輪たしかに黄に変じ・・・・・・・・・・・・・山口素逝
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  つちふるや日輪たしかに黄に変じ・・・・・・・・・・・・・山口素逝

「つちふる」を漢字で書けば「霾」となる。なんて難しい字だが、今でいう「黄砂」のことである。
昔は「黄沙」と書いたが、常用漢字では「砂」を採用している。
黄砂については今さら言うまでもないが、中国北部やモンゴルの砂塵が偏西風によって日本まで運ばれてくるもの。
朝鮮半島では、距離的に近いので、その被害もひどいらしい。学校が休校になったりするらしい。
「霾」の字は雨かんむりに狸という字がくっついているが、昔は古代中国ではタヌキが悪さをして、こんな変な天気になると信じられていたのであろう。
とにかく「黄砂」「霾る」というのが春の季語になっている。
例年、黄砂の襲来は五月になるとひどくなる。日によっては激しく降る日がある。黄砂アレルギーの人も出る始末である。

黄砂の句は多くはないが、少し引いておく。

 青麦にオイルスタンド霾る中・・・・・・・・・・・・富安風生

 真円き夕日霾なかに落つ・・・・・・・・・・・・中村汀女

 つちふりしきのふのけふを吹雪くなり・・・・・・・・・・大橋桜坡子

 幻の黒き人馬に霾降れり・・・・・・・・・・・・小松崎爽青

 驢馬の市つちふるままに立ちにけり・・・・・・・・・・三篠羽村

 霾ぐもり大鉄橋は中空に・・・・・・・・・・・・山崎星童

 黄塵のくらき空より鳩の列・・・・・・・・・・・・鈴木元

 鉢の蘭黄塵ひと日窓を占む・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 黄沙濃し日冰輪(ひょうりん)となりて去る・・・・・・・しづの女

 喪の列や娶りの列や霾る街・・・・・・・・大橋越央子



舞へ舞へかたつぶり、まことに美しく舞うたらば、花の園まで遊ばせん・・・・・・・・・・・・・・・・ 『梁塵秘抄』
sizen266カタツムリ

   舞へ舞へかたつぶり、
   舞はぬものならば、
   馬の子や牛の子に蹴させてん、
   踏みわらせてん、
   まことに美しく舞うたらば、
   花の園まで遊ばせん・・・・・・・・・・・・・・・・ 『梁塵秘抄』


蝸牛かたつむりは陸産の巻貝で、でんでんむし、まいまい、とも言われる。
関東地方の森や野に多いのはミスジマイマイで殻の直径が3.5センチ、2センチほどの高さで黒っぽい三本の帯斑がある。
暖かくなると活動をはじめ、農家にとっては農作物を害するので困り者である。
いろいろの種類があり、ヒダリマキマイマイは貝殻を前から見て口が左にあり、黒い帯は一本である。
他にクチベニマイマイ、セトウチマイマイ、ツクシマイマイなどがよく見られる種類だという。
大きいのはアワマイマイで四国の山地に居る。
雌雄同体だが、交尾は別の個体とする。

403otomおとめまいまい

写真②はオトメマイマイという名前らしい。かわいい小さい種類である。
童謡に歌われる「角」というのは「目」である。突くとひょいと引っ込める。

芭蕉の句に

 かたつぶり角ふりわけよ須磨明石

というのがあるが、この角というのも、もちろん目であり、古来、角──争う、という連想から詠われたものが多い。どこか遊び心の湧く季語だったようである。
古句を引くと

 蝸牛の住はてし宿やうつせ貝・・・・・・・与謝蕪村

 蝸牛見よ見よおのが影法師・・・・・・・・小林一茶

などがある。明治以後の句を引いて終わりたい。

402tukuかたつむり

 蝸牛(ででむし)の頭もたげしにも似たり・・・・・・・・正岡子規

 雨の森恐ろし蝸牛早く動く・・・・・・・・高浜虚子

 蝸牛や降りしらみては降り冥み・・・・・・・阿波野青畝

 やさしさは殻透くばかり蝸牛・・・・・・・・山口誓子

 あかるさや蝸牛かたくかたくねむる・・・・・・・中村草田男

 蝸牛喪の暦日は過ぎ易し・・・・・・・・安住敦

 蝸牛いつか哀歓を子はかくす・・・・・・・・加藤楸邨

 蝸牛遊ぶ背に殻負ひしまま・・・・・・・・山口波津女

 蝸牛や岐れ合ふ枝もわかわかし・・・・・・・石田波郷

 かたつむり日月遠くねむりたる・・・・・・・・木下夕爾

 悲しみがこもるよ空(から)の蝸牛・・・・・・・・鷹羽狩行

 かたつむりつるめば肉の食ひ入るや・・・・・・・・永田耕衣

 かたつむり甲斐も信濃も雨の中・・・・・・・・飯田龍太

 妻の疲れ蝸牛はみな葉の裏に・・・・・・・・沢木欣一



柿若葉愛静かなる日を照るも・・・・・・・・・・・・岩崎富美子
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   柿若葉愛静かなる日を照るも・・・・・・・・・・・・岩崎富美子

今しも「柿若葉」のうす緑が美しい季節である。
私の地方では、柿の若葉が茂りはじめて来て、枝に止まるスズメなどの小鳥の姿が隠れるようになると、お茶摘みが出来る頃になると言われている。
「柿若葉」の適当な写真がないので、もう少し先になるが、柿の花の写真を掲げておく。
それにしても、この句のように「愛静かなる」などと言われると、この作者は、この句を詠んだとき「静かな愛」に包まれていたのだなぁと思う。
なかなか、こういう句や歌は詠めないものであり、羨ましい。

昔は「柿」の木は民家の敷地には必ず一本くらいはあったものだが、この頃では見かけなくなった。今は昔ほど「柿」の実を食べなくなった。
他に、いくらでも「食べるもの」が豊富にあって、第一、ナイフで皮を剥いて、小分けにして、種を出して食べなければならない、というのが面倒らしい。
その点、指だけで剥いて食べられる「みかん」や「バナナ」などには衰えない人気があるのと好対照である。

初夏に「柿の若葉」は、つややかに光る萌黄色をしていて、さわやかで新鮮である。
みずみずしくデリケートに、のびのびした「命」そのもののような若葉であり、初夏の心にひびく眺めのひとつであるのは、確かであろう。
以下、「柿若葉」の句は多くはないので、「柿の花」の句も引いて終わる。

 柿若葉雨後の濡富士雲間より・・・・・・・・・・渡辺水巴

 柿若葉重なりもして透くみどり・・・・・・・・・・富安風生

 節目多き棺板厚し柿若葉・・・・・・・・・・中村草田男

 まだ柿のほか月かへす若葉なし・・・・・・・・・・篠原梵

 柿若葉嬰児明るき方のみ見る・・・・・・・・・・鎌田容克

 父の代の風が吹きをり柿若葉・・・・・・・・・・高橋沐石

 柿若葉すこし晴れ間を見せしのみ・・・・・・・・・・川口益広

 こぼるるもくだつも久し柿の花・・・・・・・・・・富安風生

 柿の花農婦戸口に入る背見ゆ・・・・・・・・・・大野林火

 柿の花あまたこぼれて家郷たり・・・・・・・・・・岸風三楼

 飲食に腋下汗ばむ柿の花・・・・・・・・・・岡本眸

 葬式に従兄弟集まる柿の花・・・・・・・・・・広瀬直人

 総領は甚六でよし柿の花・・・・・・・・・・高橋悦男

 ふるさとへ戻れば無官柿の花・・・・・・・・・・高橋沐石

 行宮跡ひそかに守りて柿の花・・・・・・・・・・築部待丘



享けつぎて濃く蘇るモンゴル系ゐさらひの辺に青くとどめて・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   享けつぎて濃く蘇るモンゴル系
     ゐさらひの辺に青くとどめて・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

よく知られていることだが、いわゆる「モンゴリアン」という人種のお尻には尾骶骨の上の方に、特有の「蒙古斑」という青い「あざ」の模様が幼少期には見られる。
大きくなると、それは薄れて見えなくなる。
ハンガリー人なども源流はモンゴリアンと言われているが、その後白人との混血も進んでいるのだが、今でも「蒙古斑」は見られるのだろうか。

掲出した写真はネット上から拝借したもので「白人」のお尻であり、「蒙古斑」とは関係がない。
このように見事にくびれたプロポーションは黄色人種には、ない。
現在の南北アメリカ大陸に渡ったネイティヴ・アメリカンは、ずっと昔にベーリング海峡を渡って辿り着いたモンゴリアンだと言われているが、そう言われているからには、この「蒙古斑」が彼らにも認められるということなのだろうか。

念のために申し添えると「ゐさらひ」というのは「尻」のことを指す「やまとことば」古語である。
お尻というところを「いさらい」と言えば、何となく非日常化して来るではないか。
これは「おむつ」というところを「むつき」と言い換えるのと同様のことである。いわば「雅語」化するのである。
これらは詩歌の世界においては常套的な手段である。

ずっと昔に、うちの事務所にいた子育て中の事務員さんと雑談していて、話がたまたま「蒙古斑」のことになったところ、その人は真顔になって「うちの子には、そんなアザはない」と反論して来たことがある。われわれ日本人はモンゴリアンといって必ず「蒙古斑」があるのだと説明したことである。もちろん人によってアザの濃淡はあるから気づかなくても不思議ではない。

それにしても、掲出の写真の人のお尻あるいはプロポーションのすばらしさは、どうだろう。
この辺で、終わりにする。



三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む・・・・・・・・・・・・・・ 中西弘貴
わかば頃
三井葉子

──三井葉子の詩・句──

     三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む・・・・・・・・・・・・・・ 中西弘貴

<ま>の創造──三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む・・・・・ 中西弘貴

一読、甚だ突飛ですが、直感的に太宰を思いました。
なぜ太宰を思ったのか、繰り返し『灯色醗酵』を読み、まだある筈の太宰治全集を捜し
出し、何十年ぶりかで、読み返してみたりしている間に、かなりの時間が経ってしまいま
した。このまま拘っていますとお礼状も出せずじまいになりそうですので、感想を書き記
すことにしました。

  「死なうと思ってゐた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉として
  である。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられてゐた。これは
  夏に着る着物であらう。夏まで生きてゐようと思った。

太宰の『晩年』の巻頭作「葉」の書き出しです。

詩集名にもなつている「灯色醗酵」

    善人なをもちて往生をとぐ。いはんや悪人をや

  このお文章に出会ったのはわたしには大事件であった。どうしたら生き
  られるのか分からなかったわたしのむねに、とつぜん灯がついた。
  価値を作るのは世界を作ることである。
                        (「灯色醗酵」)

この、麻の布地を貰って夏まで生きようと思ったという出会いと、親鸞のお文章に出会
い生きられると思ったという、事物・事柄と生きるという思いとの出会い。親鸞のお文章
に出会ったことと、麻の布地を貰ったことの、比較ではなく、何かとの出会いにより、「生
まれられる」「生まれられる」と思ったことと、「生きてゐよう」と思った呼吸に、なんと
なく共通のものを感じたのでした。
「虚構に出会ったのよ」という詩語からも同様の呼吸を感じました。
太宰の、特に初期のころの作品は、虚構と告白が織り成す特異な文体がみられます。虚
構は告白によって支えられ、告白は虚構の妙のうちに為され、作者の眩きが導入されて告
白と虚構の一致という独特のかたちが創出されていますが、三井さんの『灯色醗酵』に同
じょうなものを感じ取つたように思えます。

虚構と告白の一致。どれが虚構でどれが告白かの詮索ではなく、虚構と告白が互いに織
り成して創出された世界。虚構が発するものと告白が発するものとの間の世界。詩集を読
んでいくと、この<間>〈ま〉が、本詩集の核となっているように思えます。
たとえば、
「現代詩」
「リンゴのひと切れを歯でたのしみ/歯から舌に渡るまを世界と呼び」の渡るまの
〈ま〉。
「夢刺し」
「地獄と極楽のあいだは川が流れていたので/わたしは川を渡るゆめをみた」という
〈あいだ〉。
「橋上」
「あの世とこの世を彼岸と呼び此岸と呼び/虚空には/橋が/懸かっているといい
ますが」の〈虚空〉。
「長雨」
「うつらうつらしているまに暮らし向きが変わるんだろうか」の〈ま〉。
「カミ笑い」
「ヒトとヒトの間にはうつすらとしたミドリの線があり/皮膚のようにヒトを守って
いる」の〈間〉。

「価値を作るのは世界を作ることである。」という「世界」は、「歯から下に渡るま」の
世界であり、その〈ま〉をもって「虚構に出会ったのよ」と断言しているように思えてなり
ません。
〈ま〉とは、時の間、であり、空の間、であり、そして人の間に他なりません。
〈ま〉の造形へ。「虚構の庭は五色の花びら」。三井さんの詩はまさにそこに咲くのでしょう。

   そんならわたしも生きられると十八のわたしは思った。生きられる、で
   はなく生まれられるとわたしは思った。死に死にて生き生きるいのちで
   ある。
虚構──価値を作る──世界を作る──生まれられる
虚構に出会った── 〈詩〉との出会い——虚構の創出——〈ま〉の造形
読者であるわたしの想像が、このような思念を巡らせ、『灯色醗酵』に〈ま〉の創造とい
うことを読み取りました。〈詩〉を語る作品が多くあります。

   詩は連続せずに
   切るので切るということがその姿のうちにあり詩を書くわたしは
   切って傷んでいたかもしれない。

   散文は山の池に写っている
   どこかに行きたかったスカ—トをひっばって
   流れて行く
   秋の雲
                (「夕雲」部分)

詩は切る。散文は流れる。これは作品「姐」でいう「そうか/詩人にとって個体こそが
自律スルが、散文では関係こそが生きると/いうことなンャなァ」に呼応し、散文は〈ま〉
を埋め詩は〈ま〉を創出する。そしてその〈ま〉は、「いのち懸けを あ、そうか/ひょうき
んというのだな」とする軽妙さをも指し示し、また「山里で暮らしていると/眼に入るも
のがゆれている//町にきて/ビルディングの大きな窓から外をみると//朝も昼も/お
んなじ/こんな力サブタを土のうえに作っていたのか」(「現代詩」)と痛烈に力サブタのよ
うなこの国の現代詩を撃ち抜きます。
粟津則雄氏が栞文でいう「秘められていたものがあらわになったことで、ことばのひと
つひとつが、その意味合いと色合いを変える。そして、それぞれ他のことばと新たな関係
を結ぶのである」とは、秘められた〈ま〉が、三井さんの手によってあらわにされたことで
あり、その〈ま〉によつて新たな関係が生み出されるのでしょう。

漢字──ひらかな——カタカナ
三井さんはこの〈ま〉を生み出すために表記の文字を縦横無尽に使い分けます。
一行の文字数から行変え、行空けによる空間の創出。句の挿入により語りと呟きの表現
効果。挿入された句や詩語の語尾に付されるカタカナ表記によって読者に作者自身の呟き
を思わせます。(この作者を思わす眩きの術にも太宰を思いました。)

   詩人か。
   ソンナモン、最低やと小説家の姐はいう。

という書き出しを持ち

   ホンマモンなんてこの世にある力イナと言われそうでアルのを、ひそ
   かにおそれているのである。
   姐よ。

と結語する作品「姐」がとても面白く、 三井さんの虚構と告白の〈ま〉を描いて絶妙と思
いました。

  「ことしも咲いて出る 梅」の、おんなとおとこの〈ま〉
  「日はまた沈む」での、日がのぼり日は沈む〈ま〉
  「断絶」でみる、断絶と共生の〈ま〉
  「踏み返し」では、ウソと実の〈ま〉

たくさんの 〈ま〉のかたちを読ませていただきました。
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今日とどいた『若葉頃』2012/No.64に載る中西弘貴氏の評論を引かせていただいた。立派な評である。
いま調べてみると、中西弘貴氏は、「富田砕花賞」の第19回 2008年(平成20年)の受賞者らしい。
中西弘貴「飲食」、松尾静明「地球の庭先で」の二人受賞となっている。

『灯色醗酵』については昨年の発行直後に書いた←私の記事を参照されたい。


(お断り)中西弘貴氏の文章はスキャナで取り込んだので、どうしても字の文字化けが生じる。
     殆どは修正したが、もし、おかしいところがあれば指摘いただきたい。直します。よろしく。



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