K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(7月)月次掲示板
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昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
img70合歓の花本命
 ↑ 合歓(ねむ)の花

七月になりました。
梅雨が明けたら、輝く夏が始まります。


 眼に見えぬもの 降りやまぬ 何もても見えざるものが 牙を剥くこと・・・・・・・・・・・・・成瀬有
 杭のやうに見えてゐたのが人だった。といふこともある。被災写真は。・・・・・・・・・・沢村斉美
 人の死の続くはこれも世の常にて離合集散の遂のかたちや・・・・・・・・・・・・・・・・・・大島史洋
 死の街といひし政治家を責め立てて瓦礫をひきとらないといふ国・・・・・・・・・・・・・米川千嘉子
 人間のための明かりを消ししのち暗闇にうごく機械七台・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 松村正直
 線量は目に見えずして目を穿つ除染されたる樹皮のなき果樹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・篠 弘
 あなどられ幾たび東北は蔑されて送電線なほ首都へ続けり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大口玲子
 わが行きし三十分の異界あり梅雨につつまれ午睡より覚む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三枝昂之
 枝ごとに婚の花束捧ぐごと百日紅のしろき花満つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大塚寅彦
 立ちて百日紅坐りては見る千年紅われ息長にその紅を吸ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 今のわが思惟の如きか砂浜を掘つても掘つても形崩るる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤岡武雄
 タワーからよく見えるだらうどこまでも広がる経済危機の世界が・・・・・・・・・・・・・・・・香川ヒサ
 卓上日記いま真二つ半夏生・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木栄子
 苦瓜を呉るるなんくるないさあと・・・・・・・・・・・・前北かおる
 新茶の香書架に読まざる記紀神話・・・・・・・・すずきみのる
 七月の孔雀の色を窺へり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飯島晴子
 麦秋や
のあたりに手の記憶・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後
 炎天に提げて行かばや提案書・・・・・・・・・・・・・・ 杉原祐之
 風呂敷をはたけば四角葱坊主・・・・・・・・・・・・・波多野爽波
 真夜覚めていて雨音か水音か・・・・・・・・・・・・・林田紀音夫
 サンダルを濡らし実梅を拾ひけり・・・・・・・・・・・・・上田信治 
 緑よりなほ濃きみどり笹粽・・・・・・・・・・・・・・・・沼田真知栖
 ごきぶりの世や王もなく臣もなく・・・・・・・・・・・・・・・ 本井英
 さやけしや毛を褒められて赤ん坊・・・・・・・・・・・三宅やよい
 祝日の風鈴市に着水す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小野裕三
 弔銃は無し草笛をただ一度・・・・・・・・・・・・・・・・・竹岡一郎
 パイナップルの切り身山盛り鳥雲に・・・・・・・・・・ 菊田一平
 炎昼のうごかぬ水とうごく水・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉田悦花
 鯛焼の尻尾の先の淑気かな・・・・・・・・・・・・・・・・内藤独楽
 虹消えて因数分解の途中・・・・・・・・・・・・・・・・・・神野紗希
 ひりひりと蚯蚓の一日はじまりぬ・・・・・・・・・・・月野ぽぽな
 巷説やさびしい兎から死ぬと・・・・・・・・・・・・・・・太田うさぎ
 青みたる花屋のガラスケースや梅雨・・・・・・・・・・高勢祥子
 淋しさは悔しくまなうらの若葉・・・・・・・・・・・・・・・ 佐藤文香
 暴力のあるかあらぬか青葉闇・・・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 風動き己を恃む狩の犬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森宮保子
 あぶらあげあるとあんしんしてしまう・・・・・・・・・・・岩根彰子
 黒南風やリボンで結わく少女像 ・・・・・・・・・・・・・・・七風姿 


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

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これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
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永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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デュフィの海のやうなる空にさやぎ 欅若葉は一会のさみどり・・・・・・・・・・・・・・島田修三
bin070326191301009デュフィ「波止場」

  デュフィの海のやうなる空にさやぎ
     欅若葉は一会(いちゑ)のさみどり・・・・・・・・・・・・・・島田修三


梅雨が上って、いよいよ照りつける太陽の季節が巡ってきた。
青葉、若葉が萌える時期である。
この島田修三の歌は、そんな季節の一風景をトリミングして見事である。『シジフォスの朝』(砂子屋書房01年刊)
掲出した画像は、デュフィ「波止場」である。

ラウル・デュフィについてWeb上から記事を引いておく。

ラウル・デュフィ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877年6月3日 ~ 1953年3月23日)は、野獣派に分類される19世紀~20世紀期のフランスの画家。「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。

画風
アンリ・マティスに感銘を受け彼らとともに野獣派(フォーヴィスム)の一員に数えられるが、その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスのリビエラのきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描く。 また本の挿絵、舞台美術、多くの織物のテキスタイルデザイン、莫大な数のタペストリー、陶器の装飾、VOGUE表紙などを手がけ多くのファッショナブルでカラフルな作品を残している。

生涯
1877年 北フランス、ノルマンディーのル・アーヴルの港街に 貧しいが音楽好きの一家の9人の兄弟の長男として生まれる。父親は金属会社の会計係で、才能ある音楽愛好家。教会の指揮者兼オルガン奏者。母はヴァイオリン奏者。兄弟のうち2人はのちに音楽家として活躍。家計を助けるため14歳でスイス人が経営するコーヒーを輸入する貿易会社で使い走りとして働くためにサン・ジョセフ中学校を離れる。後にル・アーヴルとニューヨークを結ぶ太平洋定期船、ラ・サヴォアで秘書をする。
1895年 18歳のときに美術学校ル・アーヴル市立美術学校の夜間講座へ通い始めた。生涯愛したモチーフとなるル・アーヴルの港をスケッチ。右利きのデュフィは技巧に走り過ぎることを懸念し、左手で描いた。学校の友人フリエスらと共にアトリエを借り彼らとアーブル美術館でウジェーヌ・ブーダンを模写。ルーアン美術館でニコラ・プッサン、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、テオドール・ジェリコー、ウジェーヌ・ドラクロワを学ぶ。
1898年~99年 兵役 戦争から戻り病身でヴォージュ地方のヴァル・ダジョルに滞在
1900年 兵役の1年の後にル・アーブル市から1200フランの奨学金を得て23歳のときに一人故郷を離れパリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学。モンマルトルのコルトー街で暮らす。レオン・ボナのアトリエで学ぶ。ジョルジュ・ブラックと学友だった。印象主義の画家クロード・モネ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ、カミーユ・ピサロなどに影響を受ける。
1902年 ベルト・ヴェイルを紹介されて、彼女のギャラリーにパステル作品を納入。
1903年 アンデパンダン展に出品。
1905年 アンリ・マティス、マルケと知り合い、アンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、パブロ・ピカソなどの若いアーティストの作品をサロン・デ・ザンデパンダンを見てフォービズムに関心を向けリアリズムに興味を失う。
1906年 ベルト・ヴェイル画廊で個展を開く。
1907年 34歳の時に結婚。生活の為、木版画の制作を始める。
1908年 ブラックとレスタックで制作。セザンヌ風様式を採用。フォービズムから離れていく
1909年 フリエスとミュンヘンに旅行。
1910年 ギヨーム・アポリネール と親交を結ぶ
1911年 当時豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。彼との仕事で木版刷りで布地のテキスタイルデザインをプティット・ユジーヌ工場で創る。アポリネールの動物誌の木版挿絵を制作。
1912年 フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会とデザイナー契約を結ぶ。
1913年 南仏イエールに滞在。
1914年 第一次世界大戦が起こり陸軍郵便事業に従事。
1917年 翌年まで、戦争博物館の図書室員となる。
1918年 ジャン・コクトーの舞台デザインを手がける。
1919年 ヴァンスに滞在。
1920年 パリに戻りモンマルトルのジョルジュ・ブラックの近所に居を構える。
1922年 フィレンツェ、ローマ、シチリアに旅行。
1925年 「シャトー・ドゥ・フランス」シリーズが国際装飾美術展で金賞
1936年 ロンドンに旅行。
1938年 パリ電気供給会社)の社長の依頼でパリ万国博覧会電気館の装飾に人気の叙事詩をフレスコ画の巨大壁画「電気の精」を描く。イラストレーターと兼アーティストとしての評判を得る。多発性関節炎発症。ポール・ヴィヤール博士は、デュフィの主治医
1943年~44年第二次大戦中はスペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らす
1945年 ヴァンスに滞在。
1950年~52年 リューマチのコーチゾン療法を受けるために米国のボストンへ。
1952年 ヴェネツィア・ビエンナーレの国際大賞を受賞。
1953年3月23日にフランス、心臓発作のためフォルカルキエにて死去。75歳没。ニース市の郊外にあるシミエ修道院墓地に埋葬される。

代表作
サンタドレスの浜辺(1906 年)(愛知県美術館)
海の女神(1936年)(伊丹市立美術館)
電気の精(1937年)(パリ市立近代美術館)長さ60メートル、高さ10メートルの大作
三十年、或いは薔薇色の人生(パリ市立近代美術館)

画集
小学館ウィークリーブック 週間美術館 ルソー/デュフィ 小学館
ユーリディス・トリション=ミルサーニ著 太田泰人訳 デュフィ 岩波世界の巨匠 岩波書店
島田紀夫 千足伸行編 世界美術大全集 第25集 フォービズムとエコールド・パリ 小学館
ドラ・ベレス=ティピ著 小倉正史訳 デュフィ作品集 リブロポート

収蔵
オルセー美術館
ポンピドーセンター
パリ市立美術館等の有名美術館
大谷美術館
国立西洋美術館
石橋財団ブリヂストン美術館
愛知県美術館
メナード美術館
三重県立美術館
島根県立美術館
大原美術館
ひろしま美術館
鎌倉大谷記念美術館
青山ユニマット美術館
ブリヂストン美術館
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島田修三は、こういう人である。

島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )は、歌人、日本古典研究者、愛知淑徳大学学長。

神奈川県生まれ。歌誌「まひる野」所属。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。
愛知淑徳大学文化創造学部教授、副学長を経て、2011年学長。短歌は窪田章一郎に師事。

受賞歴
2002年、『シジフオスの朝』で第7回寺山修司短歌賞受賞。
2008年、『東洋の秋』で第6回前川佐美雄賞受賞。
2009年、『東洋の秋』で第9回山本健吉文学賞短歌部門受賞。
2010年、『蓬歳断想録』で第15回若山牧水賞受賞。
2011年、『蓬歳断想録』で第45回迢空賞受賞。

著書
晴朗悲歌集 砂子屋書房 1991
離騒放吟集 砂子屋書房 1993
東海憑曲集 ながらみ書房 1995
風呂で読む近代の名歌 世界思想社 1995
古代和歌生成史論 砂子屋書房 1997
短歌入門 基礎から歌集出版までの五つのステージ 池田書店 1998
島田修三歌集 砂子屋書房 2000(現代短歌文庫)
シジフオスの朝 歌集 砂子屋書房 2001
「おんな歌」論序説 ながらみ書房 2006
東洋の秋 歌集 ながらみ書房 2007
蓬歳断想録 短歌研究社 2010

夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・・・・・・・・・千代田葛彦
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  夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・・・・・・・千代田葛彦


夾竹桃は夏の花である。私の子供の頃には夾竹桃なんていう木は、そんなには生えていなかったが、今やあちこちに盛っている。
キョウチクトウは葉が狭く、花が桃に似ているという漢名をそのまま転用している。
夾竹桃は原産地はインドだが、江戸時代に中国から渡来して、当初は仏縁の木として寺院に植えられたが、後に一般に植栽されるようになった。
花は6月頃から咲きはじめ9月一杯咲きつづける。
とにかく炎暑が好きな木であり、強健な木なので公害にも強く、高速道路や工場地帯の隔離壁の作用をする木として多用されている。
花の色は紅色、赤色、白色などさまざまである。

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炎天下に咲く花というのは限られており、夾竹桃は夏の花として欠かすことの出来ない花となった。
日本人には八月の原爆記念日、敗戦記念日など炎暑の時期に重い、辛い記憶の日々がめぐって来るが、それらの折々の風景として夾竹桃が強く脳裏に焼きつくのである。
生命力の強さに励まされるという人も居る。ただ毒を持っているので敬遠される向きもある。
明治維新の後の「西南戦役」の際に兵士が、この木で箸を作って十数人が死亡したということが伝えられている。
私の歌にも夾竹桃を詠んだものはあるが、今回は遠慮して、歳時記に載る俳句を引いて終わる。
句に詠まれるのも多く、俳人には好まれる花のようだ。

 夾竹桃戦車は青き油こぼす・・・・・・・・中村草田男

 夾竹桃旅は南へばかりかな・・・・・・・・福永耕二

 夾竹桃花のをはりの海荒るる・・・・・・・・桂信子

 夾竹桃昼は衰へ睡りけり・・・・・・・・草間時彦

 白は目に涼し夾竹桃さへも・・・・・・・・稲畑汀子

 うらごゑのどこからかして夾竹桃・・・・・・・・高島茂

 歯を抜きてちから抜けたり夾竹桃・・・・・・・・角川照子

 夾竹桃河は疲れを溜めて流れ・・・・・・・・有働亨

 夾竹桃燃ゆる揺れざま終戦日・・・・・・・・松崎鉄之介

 夾竹桃しんかんたるに人をにくむ・・・・・・・・加藤楸邨

 夾竹桃奈良のほとけの雀いろ・・・・・・・・角川春樹

 夾竹桃造船の音ぶつかり来・・・・・・・・矢島渚男

 夾竹桃直線の道空港へ・・・・・・・・宮川杵名男

 鬱勃たる夾竹桃の夜明けかな・・・・・・・・平井照敏



わが生はおほよそを昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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     わが生はおほよそを昭和といふ期(とき)に
         過ごししなりな青春、玄冬・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
しかも、歌集の題名は、実は、この歌から採ってあるのである。 そういう意味でも、この歌は、歌集にとっても、私の人生にとっても、記念碑的なものである。

「陰陽五行説」によると、季節も「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」として配置されるので、私の歌にある単語の他に「朱夏」「白秋」が挟まれている。
更に、それらは方角を指すものとしても配される。
掲出した図版を、よく見てもらいたい。中央にある「勾玉」みたいな白黒の模様こそ、陰陽五行説にいう宇宙を形象化したものである。

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 ↑ 大韓民国の国旗(だいかんみんこくのこっき)は通称太極旗(たいきょくき)と呼ばれる。
白地の中央にある円で「太極」を表し、その中に赤と青の2色からなる「陰陽」があり(青部を上に掲揚するのは逆さであり誤りである)、
その周囲四隅に「卦」が配置されたデザインとなっている。

太極旗は李氏朝鮮の高宗時代、1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として公布され、1949年10月15日に大韓民国の国旗として採用された。

「四神」というのがあるが、それは以下のような考えによる。ネット上から記事を引いておく。
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四神とは中国神話に登場する、世界の四方向を守る聖獣のことです。
四霊獣(龍、鳳凰、麒麟、亀)に数えられているものもいますね。
東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武といい、それぞれ川、海、道、山などに対応します。

この四匹が揃う土地は風水で理想的な地形配置とされ、四神相応といいます。
現実的にも、このような環境だと住みやすいですよね^^

あなたも学校で、平安京の場所は風水で決めたとか習いませんでしたか?
平安京は、東に川(賀茂川、高野川、鴨川)があり、南に開けた土地があり、西に大きな道があって、北にたくさんの山(まとめて北山という)というように、この四神相応にあたるのです。

四神について、なんとなくでもご理解いただけたでしょうか?
それでは、詳しいことは下の「四神の歴史」を見てもらうとして、こんどは四神それぞれについて見てみましょう。

青龍

東を守護する聖獣で、姿は通常の龍と変わらなく、青い色をしています。
しかし、古代の壺などに描かれている場合は、頭だけは白や黄色のものもあります。
平安後期の説話集「古今物語集」には、夢殿にこもって聖徳太子の魂だけが青龍に乗って中国に渡り、仏教の経典を取って来たという話があります。対応するのは、色では青、季節では春、青春、五行では木、方位では東、臓器では肝臓、食べ物では酸っぱいもの、環境では川。

朱雀

南を守護する聖獣で、四霊獣の鳳凰のこと。
普通は5色の羽を持つ美しい鳥ですが、江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では背丈が1m以上で、コウノトリ、ツバメ、ニワトリ、蛇、魚、オシドリ、龍などが混じり合った姿をしているとされています。
天下太平のときだけ出現し、鳥の王のような存在で、飛べば多くの鳥がその後に従って飛ぶといいます。
対応するのは、色では赤、季節では夏、朱夏、五行では火、方位では南、臓器では心臓、食べ物では苦いもの、環境では開けた土地。

白虎

西を守護する聖獣で、白い虎の姿をしています。
江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では虎が500才になると白虎になるといいます。
白は五行思想で西の他、土も表すため土の精であるという説もあります。
対応するのは、色では白、季節では秋、白秋、五行では金、方位では西、臓器では肺、食べ物では辛いもの、環境では大きな道。

玄武

北を守護する聖獣で、亀と蛇を合成したような姿をしていて、四霊獣の一つとされます。
五行思想で北は黒を表すため玄(黒)、甲羅を背負い防御に長けていることから武と呼ばれます。
古代の壺などではしばしば蛇を体に巻き付けた亀の姿で描かれます。
のちに真武玄天上帝という神になります。
対応するのは、色では黒、季節では冬、玄冬、五行では水、方位では北、臓器では腎臓、食べ物ではしょっぱいもの、環境では山や丘。

みてのとおり、四神は方角や地形にだけ対応しているのではありません。
これを利用して、あなたも四神相応の土地に住んでみませんか?

★四神の歴史

四神の起源は周代には存在していたが、四神の姿が定まり盛行したのは漢代の頃で、そのころ役割も定まったといわれています。
青龍と白虎は天の精を得たり、四方の方角を司る働きがあり、朱雀と玄武は天の星を象っていて、陰陽を順調にする働きがあるという説もあります。
中国だけでなく、日本にも四神の考えは広まっていて、平安京などの遷都のほか、奈良県で発見された高松塚古墳やキトラ古墳の壁画に四神図(四神相応図)があります。

★四霊獣について

四霊獣(龍、鳳凰、麒麟、亀)は古代中国で、この世の動物たちの長だと考えられた特別な4つの霊獣のことです。

この世には魚のように鱗を持つ鱗虫、鳥のように羽を持つ羽虫、獣類のように毛を持つ毛虫、甲殻類のように固い殻や甲羅を持つ甲虫が、それぞれ360種類ずついるとされ、それぞれの軍団の長が、龍、鳳凰、麒麟、亀だといいます。
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私の歌集に話を戻す。 この一連は、このようになっている。

          昭 和・・・・・・・・・・・・木村草弥

   わが生はおほよそを昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬

   かぐはしき水仙の香の清(すが)しさは夜半にめざめしこころに足らふ

   春の陽は子午線に入る歓びにきらりきらりと光を放つ

   自噴する井筒の水は冷たくて田芹は青しみづみづ青し

   あと幾年生きたしなどと数ふまじ耳ひらひらと仔鹿あそびて

   (以下、省略)


  
朝顔を培ふは多けれど夕顔は珍しと言ひて人は褒めをり・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ↑ 俗称・夕顔─正しくは「ヨルガオ」の花

     朝顔を培ふは多けれど夕顔は
         珍しと言ひて人は褒めをり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
「夕顔」と「ヨルガオ」とは混同されて言われるので、注意したい。
私の歌に詠ったのは「ヨルガオ」である。干瓢の原料になる「ユウガオ」のことではない。
私も俗称の「夕顔」としての使用法で詠っていることになる。 混乱させて、ゴメンなさい。
Wikipediaには下記のように載っている。
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ヨルガオ

ヨルガオ(夜顔)とはヒルガオ科の植物の一種。学名Ipomoea alba(シノニムI. aculeata 、I. bona-nox、Calonyction aculeatum)。

 特徴
白花で、熱帯アメリカ原産のつる性植物。原産地においては多年草であるが、日本では春まきの一年草として扱う。4~5月頃に種をまく(発芽には約20度程度必要なので、一般にはゴールデンウィークを目安に蒔くのが望ましい)と、7~10月頃(暖地では11月頃まで)に開花する。花はロート形で夕方から咲き始め翌朝にしぼむ。 日本には明治の始め頃に渡来し、観賞用として栽培された。

ヨルガオのことを「ユウガオ」という人も多いが、標準和名のユウガオ(学名Lagenaria siceraria var. hispida)はウリ科の野菜(かんぴょうの原料となる)で全く別種である。

花言葉は「夜」。

その他
園芸種としては「白花夕顔」や「赤花夕顔」などがあり白花夕顔は直径15cm程の大輪咲きである。上手に開花させるためには水切れしないように朝晩に水を与えて、しおれないように注意しなければならない。 赤花夕顔は和名「ハリアサガオ」といい、茎に多くの突起があることにちなむ。直径5cmほどで極小輪で花の中心が淡い紅紫色に染まる。 どちらも芳香があるので人気が高い。
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また「夕顔」とは「源氏物語」の中の登場人物としても有名である。ただし、植物としては今でいう「ヨルガオ」の花を指さない。
干瓢の原料になる「ユウガオ」の植物のことである。その理由は、この頃には「ヨルガオ」はまだ日本に伝来していないからである。
 これもWikipediaの記事を抄出しておく。

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 ↑ 「夕顔の心あてに」の物語に因む絵

夕顔 (源氏物語)

夕顔(ゆうがお)とは、
1.『源氏物語』五十四帖の巻の一つ。第4帖。帚木三帖の第3帖。
2.『源氏物語』に登場する作中人物の女性の通称。「常夏(ナデシコの古名)の女」とも呼ばれる。

巻名及び人物名の由来はいずれも同人が本帖の中で詠んだ和歌「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」による。

夕顔の人物像
三位中将の娘で、頭中将の側室と言う立場にあったが、その後市井にまぎれて暮らしている。
若い光源氏の愛人となるも、互いに素性を明かさぬまま、幼い娘を残して若死にする。

父の死後、頭中将(当時は少将)と結ばれて一女(後の玉鬘)をもうけるが、本妻の嫉妬を恐れて姿を消した。「帚木」巻で語られた「雨夜の品定め」で、「常夏の女」として名前が出てくるがその時は聞き流される。

登場する回数こそ少ないものの、佳人薄命を絵に描いたような悲劇的な最後が印象に残る女性。
儚げながら可憐で朗らかな性格で、源氏は短い間であったが彼女にのめりこみ、死後も面影を追う。

後には彼女の娘の玉鬘が登場し、物語に色を添える。

あらすじ
源氏17歳夏から10月。
従者藤原惟光の母親でもある乳母の見舞いの折、隣の垣根に咲くユウガオの花に目を留めた源氏が取りにやらせたところ、邸の住人が和歌で返答する。
市井の女とも思えない教養に興味を持った源氏は、身分を隠して彼女のもとに通うようになった。
可憐なその女は自分の素性は明かさないものの、逢瀬の度に頼りきって身を預ける風情が心をそそり、源氏は彼女にのめりこんでいく。

あるとき、逢引の舞台として寂れた某院(なにがしのいん、源融の旧邸六条河原院がモデルとされる)に夕顔を連れ込んだ源氏であったが、深夜に女性の霊(六条御息所とも言われるが不明)が現れて恨み言を言う怪異にあう。夕顔はそのまま人事不省に陥り、明け方に息を引き取った。
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yorugaoBヨルガオつぼみ
 ↑ ヨルガオつぼみ

歌集に載る私の歌の一連を引いておく。

       夕 顔・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  かの人に賜(た)びし夕顔ほのかにも門(かど)べに宵を白く灯りぬ

  三本の高き茎立(くくた)ち夕顔は百余の蕾つけゐて嬉し

  昨夜(よべ)咲きて萎れし花はひと日経てはたりと花殻落つるも哀れ

  朝夕に注ぎやる水吸ひあげて競ひて咲ける夕顔いとほし

  鉢に培(か)ふ茎立ち高く二メートル賜びたる人の手数偲ばる

  門に置く夕顔の花みごとにて道ゆく人は歩みとどむる

  朝顔を培ふは多けれど夕顔は珍しと言ひて人は褒めをり

  朝けには早や萎れゐる夕顔に昔語りの姫おもひいづ  

一番後の歌は「源氏物語」の姫「夕顔」のことを指しているのは、言うまでもない。

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珍しい「ヨルガオの開花」の動画 ↓




桃の実のほのぼのと子を生まざりし・・・・・・・・・・・・・きくちつねこ
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   桃の実のほのぼのと子を生まざりし・・・・・・・・・・・・・きくちつねこ


白桃と言っても早生から晩生までいろいろ種類があるので一概には言えないが、そろそろ桃が出回る季節になってきた。
「白桃」というのは文学的なイメージの世界では「女性の臀部」を象徴するものとして知られている。
桃のもつ特有のなだらかな丸い形。それに胴に入るくびれの線から、そのように概念づけされて来た。
「シンボル・イメージ小事典」などにも、そう書かれている。

掲出した、きくちつねこ氏の句は、そういう「桃」のイメージでありながら、自身としては「子を産まなかった」と言っている。
女としては「子」を産む、というのが、ひとつの大事業であろう、と私なんかは思ってしまう。
男には子を産むということが出来ないから、羨ましいという気分もあって、そう思ってしまうのである。
  
私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、こんな歌がある。自選にも採っているものでWebのHPでもご覧いただける。

   かがなべて生あるものに死は一度白桃の彫りふかきゆふぐれ・・・・・・・・・・・・木村草弥

いま私の座っている座敷机の前の床の間に、この歌を吉川美恵子さんが書いていただいた軸が掛かっている。
吉川美恵子さんについては、ここで詳しく書いたので参照されたい。
この歌は、私の最近の「死生観」を濃密に反映したものと言えるだろう。
人間だれでも一度は死ぬものである。一世を風靡する権力者も市井の凡人も、すべて等しく「死」は免れない。
われわれは、そのことを忘れて過ごしがちである。
特に、若い時や健康に恵まれて順調な時には「死」は意識の中にないのが普通であろう。
だが、古来、賢人たちは、このことに何度もメッセージを発してきた。ヨーロッパにおけるキリスト教にいう「メメント・モリ」然りである。
私の歌は、先に書いた「白桃」というイメージを踏まえて「メタファー」を含んでいると理解いただきたい。
白桃という「生」に対応する「死」ということである。
字句の解説をしておくと「かがなべて」というのは、「かが」=日々である。
この言葉には歴史があって「古事記」の倭建命と御火焼の老人との会話

    新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる・・・・・
    日日なべて夜には九夜 日には十日を

というくだりに出てくるフレーズを踏まえている。「なべて」=並べて、であり、「かがなべて」=日々をかさねて、という意味になろうか。
意識して古代の文学的な伝統に連なりたい、というところから、こういう古語を使うことになる。

以下に歌集に載る当該の私の歌8首を引用する。

      かがなべて ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  臥す妻に紅ほのかにも合歓の花のこよひ咲き初む つぎねふ山城

  白桃に触れたる指をいとしみてしばらく宙にかざしゐる宵

  唇(くち)を吸ふかたちにも似て水蜜桃(すいみつ)をすする夕べはほのあかりせり

  かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫り深きゆふぐれ

  わが味蕾すこやかなるか茱茰(ぐみ)ひとつ舌に載すれば身に夏の満つ

  執着を離れ得ざればかたつむり寝ても覚めても殻の中なる

  この夏の去りゆくものを追ひたてて炎となりて夾竹桃もゆ

  夕つかた虹の脆さを哀しめばわが痩身をよぎるものあり

一番はじめの歌の終りの部分「つぎねふ」というのは「山城」にかかる「枕詞」である。
ここに引用した歌の小見出しの全体の章名を「つぎねふ山城」としてある。

私のことを喋るのに多言を費やした。お許しあれ。

歳時記から「桃」の句を引いて終わる。
なお俳句では「桃」は秋の季語である。今日では季節感とズレがある。

 さえざえと水蜜桃の夜明けかな・・・・・・・・加藤楸邨

 白桃を洗ふ誕生の子のごとく・・・・・・・・大野林火

 中年や遠くみのれる夜の桃・・・・・・・・西東三鬼

 朝市の雨沛然と桃洗ふ・・・・・・・・中島斌雄

 白桃に触れたる指を愛しみをり・・・・・・・・斎藤空華

 白桃に入れし刃先の種を割る・・・・・・・・橋本多佳子

 水蜜や足を清しく婚を待て・・・・・・・・秋元不死男

 白桃をすするや時も豊満に・・・・・・・・能村登四郎

 白桃や満月はやや曇りをり・・・・・・・・森澄雄

 白桃の浮きしが一つづつ沈む・・・・・・・・小松一人静

 桃冷す水しろがねにうごきけり・・・・・・・・百合山羽公

 乳房ある故のさびしさ桃すすり・・・・・・・・菖蒲あや

 と見かう見白桃薄紙出てあそぶ・・・・・・・・赤尾兜子

 白桃に触れてはがねの薄曇る・・・・・・・・松本秀子

 

「魂は痛みを越えて」── 木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・・武藤ゆかり
りいふ

   魂は痛みを越えて──木村草弥歌集『昭和』を読む・・・・・・・・武藤 ゆかり
             ・・・・・・歌誌「りいふ」6号 2012/07 所載・・・・・・・・・
 
 『昭和』は木村草弥の第五歌集である。『茶の四季』『嘉木』『樹々の記憶』『嬬恋』に続き、二〇一二年四月一日に角川書店より発行された。
前作から九年の歳月を経ており、四百九十首を収めている。著者は昭和五年生まれ。
「生涯の大半を『昭和』という年号と共に過ごしたことになるので、この歌集の題名を『昭和』とすることにした」とあとがきに記されている。
詩人でもあり、『免疫系』『愛の寓意』という二冊の詩集と、他に紀行歌文集三冊を出版している。他にも何らかの著書があるかもしれない。
 本書の構成は順番に「昭和」「順礼」「花籠」「やつてみなはれ(エトヴァス・ノイエス)」「エピステーメー」「プロメーテウスの火」である。
各章の冒頭には他の歌人の歌が一首掲げられ、章全体を暗示する構成となっている。最終章は短歌ではなく、東日本大震災に触発された長歌と散文である。
 
一、 旅行と歴史を詠う

 学生時代に仏語仏文学を専攻した著者の国際色豊かな一面を物語る第二章「順礼」から見ていきたい。
なお、章の番号はローマ数字のみであるが、便宜上本稿ではこのように表記する。

  銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程
  順礼は心がすべて 歩きつつ自(し)が何者か見出ださむため
  丈高き草むらの道 その愛がまことのものと順礼は知る
  わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨
  サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく

 ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつで、スペイン・ガリシア州の州都サンチアゴ・デ・コンポステーラ。
フランス側からは四本の主要な道がピレネー山脈を越え、聖地へと続いている。
「順礼は心がすべて」と歌う木村草弥にとって、行程は単なる観光旅行以上のものであるだろう。
草や雨や風と一体となり、無辺の大地を一歩一歩あゆむ人の群れ。作者が注目するのは人や風物ではなく、自らの心の内である。
海外では気候風土の違いからか、日本的な抒情を保ちつつ平常心で歌うのは難しいが、この一連は見聞中心の旅行詠とは違う、深いおもむきを宿しているように思う。
なお、作者は「順礼」と表記するが、「巡礼」との違いは何だろうか。
「順」には道理、したがう、素直、穏やかなどの意味があるので、ただ巡り歩くだけではなく、物事の道理を究めたいとの含意があろうか。

  金色の腋毛光れりベルリンの壁跡指して苦難は言はず
  ブレジネフとホーネッカーが抱き合へる絵を描きたり峻(きび)しき皮肉
  ロシアから来たる香具師(やし)らが売りつくる「壁」とふ破片一つ五マルク
  ヒロシマの原爆ドームのごとくしてウィルヘルム教会廃墟を残す
  シュプレー川の青みどろ浮く川の面に緑青の屋根うつす大聖堂

 冷戦の最中に東西ベルリンを分断し、多くの犠牲者を出した後、一九八九年に破壊されたベルリンの壁。
作者は一九九〇年夏、ちょうど東西ドイツ統一直前にこの地に立ったようだ。
過去を糾弾したり、壁の消滅を歓喜したりする表層的正義感からは遠く、複雑な歴史の一こまを大観する態度がここにある。
苦難を口にしない市民や、壁の破片を土産物にする香具師(やし)、芸術家の描いた風刺画などに状況を語らせている。
逃亡を企て射殺された最後の人、クリス・ゲフロイに思いを馳せた歌もある。

  心臓を納むる聖十字架教会見ゆ、生きては祖国に帰れざりしショパン
  をちこちの塔に鳴り出づる鐘の音にプラハの街は明け初めんとす
  夏霧の途切れて蒼き水見ゆるカレルの橋はヴルタヴァ川に架かる
  強き酒トカイ・ワインにほろ酔ひてジプシーの楽チャルダーシュ聴く
  皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとし ビン・ラディン斃(たふ)る

 人間は戦争に翻弄され、思想に身を投じ、考えてもみなかった人生を送る。
東欧の町を眺める作者の目には、重層的な時間が画像処理のレイヤーのように映り、その耳には悲哀の旋律が辻音楽師のアコーディオンのごとく響くのではないだろうか。
外国の地名や固有名詞の入った歌を多く抽出してみたが、いずれも素直な韻律に乗せており、片仮名のストレスを感じさせない。
「くらやみに悪夢のごとし」と詠うビン・ラディンの一首は、世界を震撼させた男の最期を短歌に刻印したもので、同時代を生きる我々に忘れ難い印象を残す。

  黒き顔、緋の胴体、白き胸のシンガのゐたる都の由来
  京都にてオートバイ隊の演習をわれは見てゐし昭和十五年
  ゴム林を列なし進むオートバイわれ見し兵ら半島(マレー)を攻めき
  使役可か不可かは皇軍の恣意にして働けざる華人みな撃たれしといふ
  フィリピンの出稼ぎメイド処刑せるリ・クワンユウの裔(すえ)信念曲げず
  米少年むちたたき百の刑罰はファー・イーストの儒教の教へ
  夫への永遠(とは)の操の証とて額に赤き印(しるし)つけたり
  ケンタッキーフライドチキンは「背徳基家郷鶏」たり、背徳とはいかに
  イングリッシュを公用語とせるシンガポール話す抑揚は福建なまり
  ムルタバなるお好み焼風のもの旨しアラブ人街のムスリムフード

 獅子の都シンガポールを訪れた時、第二次世界大戦を知る作者の胸中は大きく波打ったに違いない。
ゴム林を走っているオートバイを見て、少年の日に見たオートバイ隊の演習を想起する。
大戦が勃発し、当時イギリスの植民地であったマレー半島とシンガポールは日本軍によって陥落。
列強から解放された一方で、運命を狂わされた現地人の数は計り知れない。
「半島(マレー)を攻めき」「みな撃たれしといふ」と、判断を交えない抑制された口調で詠われ、静かな意志が読み手の側に染み出してくる気がする。

二、 地震と原発を詠う

 第六章「プロメーテウスの火」では、長歌の韻律に乗せた木村草弥の詩的感受性がより際立っているように思われる。
あとがきに「私は被災者でもなく、したがって臨場性には欠けるので、この歌集を編むに際しても、せめて同時代に生きた者として歌集に留めて記録したい」と記している。
むしろ遠方から状況を観察し、主情に客観性を加えた歌にいい作品がある場合があって、東北ほどではないにせよ、被災地に暮らす本稿の筆者にすれば忸怩たる思いである。
各長歌の冒頭に他の歌人の一首が置かれる。長歌と呼応関係にあるので併せて引用する。

  —─わたなかを漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし 福島泰樹—─

  大地震(なゐ)に 地(つち)は割(さ)けにき 大壁なして 押し寄する水
  大津波に 家は流れき 人も流れき 流さるる 家また車 犬猫はた牛
  こんなにも 凄まじき景 こんなにも 仮借なき水
  一万九千七百四十八人と 数へられつつ 死者たちは 何を思ひて 死んでゆきしか
  巨大波が 仙台湾を 平たくす そして某市を 某集落を 某港湾を

  ─—騎乗疾駆す苦艾よりフクシマへ嘶きながら戦慄きながら 佐々木六戈—─

  プロメーテウスの 「第二の火」とて もてはやされし 「原子力の火」が
  数日ののち 水素爆発起し 暴発せり
  ああ、恐ろしや 「炉心溶融」!
  meltdown(メルトダウン)ぞ meltthrough(メルトスルー)ぞ
  沃素一二九、セシウム一三七、ストロンチウム九〇 大放出
  君知るや 放射性物質の半減期とふを
  沃素一二九=一五七〇万年、セシウム一三七=三〇年、
  プルトニウム二三八=八七・七年、ストロンチウム九〇=二九・一年
  測らるる ベクレルはたはシーベルト 換算ややこし ああ難しや
  原発を 妖火(あやしび)と呼ぶ人ありぬ
  まさに 現代の妖火 フクシマ原発の謂ひぞ
  放射能の 数値は チェルノブイリ超えき

  ─—黙示録に燃え落ちし星にがよもぎ ロシア原発苦艾(チェルノブイリ)も 春日真木子—─

  雑草も 野菜も花も 放射能まみれぞ
  牧草も 稲藁も牛も 汚染されたり
  牛肉も食べず 牛乳も飲めぬ お茶も飲めざり
  永劫に 人の住めざる 海辺もあらむ
  先は長いぞ!
  おとなしきニホンの民よ 怒れ、怒れよ!
  安全神話 ふりまきし輩(やつはら)に!

  ─—余震やまぬ一枚の国苦しみつつ放射能濃き水を吐き出す 米川千嘉子—─

  三陸の 死者と生者を 憶(おも)ひつつ
  すべての死者に 手を合はせ
  すべての生者に 祈り捧げむ

 これが長歌の全文で、以後散文が続く。作者はなぜ、五七五七七の短歌形式ではなく、長歌の形で詠嘆したのだろうか。
恐らく短歌も作ったであろうが、未曽有の大震災に直面した時の心情に最もふさわしかったのが、長い気息と独特のうねりを持つ長歌だったのかも知れない。
また、核種の名称や半減期なども克明に記述したい場合は、短歌では字数が足りない。
俳人が短歌を選び震災を詠んだように、歌人もまた、津波が堤防を越えるごとく、馴染んだ定型の枠を打ち破り、慟哭を存分にあふれさせたのではないか。
冒頭の三首の、姿整った名歌と共に鑑賞することで、この大事件の衝撃と作者の煮えたぎる感情が相乗効果を持って迫ってくる。

三、 昭和と人生を詠う

 木村草弥の真骨頂のひとつは、大小の自然を見つめながら、縁ある人々へ愛の波長を声低く送るところにあると思う。
もうひとつの味わいは口語自由律短歌である。
第一章「昭和」には歌自身がうきうきと散歩するような感じの作品が混じっていて、しがらみを取り去った軽みと、少年のみずみずしいまなざしを感じる。

  空はコバルト 昆虫少年は網を持つて野原を駆ける
  ああ秋の風船の快さ 少年はしばし虫を捕る
  見上げる空には何もなくなつた ヘリコプタが一機とび去つた
  ちぎれ雲がひとつ へうへうと少年の心の中をとび交つた
  ああ昆虫少年には夢がある 展翅板に載る秋の黄蝶よ

 この一連は「昆虫少年」と題されている。
口語短歌とは、発した言葉をそのまま記述したものではないとの、歌人の美意識が現れているような作品群である。
文学を経由した詩語と言い回しを大切に扱う、独特の甘やかな味わいが顕著だ。一行の詩とはこのような作品を言うのだろう。
口語自由律短歌はあと数首あるのみで、歌数としては少ないが、本集の一角を成しているのではないだろうか。

  祈らばや薄明のわが胸中の沼の一つの橋渡りゆく
  私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい

 長歌と散文を除く歌集の最初と最後を飾る歌である。
薄闇に揺らめく魂が、祈るような気持ちで人生という危なげな橋を渡ってゆく。
もうじき陸にたどり着こうというのに、摑もうとしたものの正体は知れない。
そして我が身を育んできた偉大なる地球はもろく壊れそうである。
人間と地球は等しく弱い、痛々しい生命体であるとの洞察。命の始まりと終わり、その間にさまざまな出来事があり、思いがあり、別れがあり、一生がある。

  どの橋を渡つてみても存在論を抱へて行き来するばかりなり
  白魚を呑みたるゆふべ散りなづむ桜よこの世は行きつ放しぞ
  一病をもちては永きたそがれか野の豌豆の花の白さや
  みたりめを身ごもりをりし妻はるか胡麻の花淡く咲きゐたりけれ
  放たるる心に寝れば短夜の夢美しく果てなかりけり
  しやくなげの花のゆるぎの揺れやまず響きを異に滝ふたつあり
  わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ
  闇ばかり土の暮しの長ければ喉かれるまで蟬は啼くなり

 第一章ほか「花籠」「やつてみなはれ(エトヴァス・ノイエス)」「エピステーメー」から引いた、ルビや記号、片仮名のない作品である。
歌うためにはどれだけの言葉と表記法を手に入れなければならないのだろう。
夢に花に山吹に、空海に土に蟬。歌人木村草弥の、ここにひとつの回答がある気がする。歌に自らを歌わせて本稿の締めくくりとしたい。 (完)


軽く飲む筈の深酔さるすべり・・・・・・・・・・・・・・・大牧広
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  軽く飲む筈の深酔さるすべり・・・・・・・・・・・・・・・大牧広


百日紅──「さるすべり」は漢字読みして「ひゃくじっこう」とも呼ばれるが、この木もインド原産という。
最初は仏縁の木だったという。インド=お釈迦様という連想になるのであろうか。だから、はじめは寺院に植えられ、次第に一般に普及したという。
百日紅というのは夏の間、百日間咲きつづけるというところからの意味である。
和名はサルスベリで、木肌がつるつるで、木登りの得意な猿でも滑りそうな、という意味の命名であろうか。
写真の木肌を見てもらいたい。
プロである「植木職人」でも、木から落ちることがある(実際に転落事故が多く体を痛めることがある)ので、験(げん)をかついで植木屋は「さるすべり」とは呼ばず「ひゃくじっこう」と言う。
元来、南国産であるから春の芽立ちは遅く、秋には早くも葉を落してしまう。
この木も夾竹桃と同じく、夏の代表的な花木である。

以下、歳時記に載る句を引く。

 炎天の地上花あり百日紅・・・・・・・高浜虚子

 さるすべり夏百日を過ぎてもや・・・・・・・・・石川桂郎

 いつの世も祷(いのり)は切や百日紅・・・・・・・・中村汀女

 朝よりも夕の初心百日紅・・・・・・・・後藤比奈夫

 さるすべり百千の花観世音・・・・・・・・松崎鉄之介

 一枝はすぐ立ち風のさるすべり・・・・・・・・川崎展宏

 さるすべりしろばなちらす夢違ひ・・・・・・・・飯島晴子

 さるすべり懈(ものう)く亀の争へり・・・・・・・・角川春樹

 秘仏見て女身ただよふ百日紅・・・・・・・・黛執

 いふならば余燼の生や百日紅・・・・・・・・能村登四郎

 百日紅ちちははひとつ墓の中・・・・・・・・上野燎


愛し合つた 滅びるといふ語感にも似て炎のユーホルビア・・・・・・・・・・・木村草弥
30791475ユーフォルビア紅彩閣
 ↑ ユーフォルビア紅彩閣

     愛し合つた 滅びるといふ語感にも似て
             炎のユーホルビア・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

この歌ではユーホルビアとなっているが、ユーフォルビアと表記するのが正しい。
多肉植物である。サボテンと似ているが産地も属も別のものである。いろんな種類がある。
先ずWikipediaの記事を引いておこう。
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img58560146ユーフォルビア紅葉彩雲閣
 ↑ ユーフォルビア紅葉彩雲閣
img58261045ミルクブッシュ
 ↑ ミルクブッシュ
img59052487ハナキリン
 ↑ ハナキリン
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 トウダイグサ属

トウダイグサ属 Euphorbia

トウダイグサ属(トウダイグサぞく、Euphorbia)はトウダイグサ科に属する一群の植物で、園芸植物などについては学名の英語風読みのユーフォルビアで呼ばれることが多い。

代表的な種としては、日本に野生するトウダイグサ(灯台草: 形が燭台に似ることから)、タカトウダイやノウルシ、観賞用に栽培するポインセチア、ショウジョウソウ、ハツユキソウ、ハナキリン、ミドリサンゴ(ミルクブッシュ)などがある。

学名のEuphorbiaは、ヌミディア王ユバ2世に仕えたギリシャ人医師エウポルボス (Euphorbos) に由来する。
ユバ2世の一人目の妻はマルクス・アントニウスとクレオパトラ7世の娘クレオパトラ・セレネである。
エウポルブスはサボテンに似たユーホルビア植物が強力な瀉下薬となることを記した。
紀元前12年、ユバ2世は、侍医のアントニウス・ムーサ(英語版)の像を作ったアウグストゥスに応えて、この植物の名前をエウポルブスから名付けた。
植物学者のカール・フォン・リンネはエウポルブスを顕彰し、この「Euphorbia」を属名として採用した。

ユバ2世自身は、芸術および科学の著名なパトロンであり、いくつかの探検や生物学的研究の後援をしていた。彼はまた著名な作家であり、博物学に関する論文や最もよく売れたアラビアへの旅行案内といったいくつかの専門書や一般向けの学術書を書いている。Euphorbia regisjubae(ユバ王のEuphorbia)は、博物学におけるユバ王の貢献とこの属を表に出した彼の役割を称えて命名された。

世界の熱帯から温帯に広く分布し、約2000種の草本または低木からなる巨大な属である。

花は退化傾向が著しく、雄蕊または雌蕊1本だけからなる。これら(雌花1個、雄花数個)が集まり苞に囲まれた杯状花序という特有の花序を形成する。苞には蜜腺があり、花序全体が1つの花のように見える。さらにポインセチアなどでは花序近くの包葉が赤・黄・白などに着色して目立つ。
切ると乳液を出すが、有毒物質(ホルボールエステルやインゲノールエステル等)を含み、皮膚につくとかぶれることもある。
砂漠から湿地まで様々な環境に適応進化し形態的に多様である。特に砂漠に生育するものでは葉が退化し茎が多肉となってサボテンに似ているものもあり、収斂進化の好例である。

分類
形態のやや異なるニシキソウ亜属を独立の属とすることも多いが、分子系統学的には必ずしも支持されていない。
日本には約20種があるが、どれも草本で、直立して飾りの包葉の付いた複雑な花序を広げるトウダイグサの類とやや這う草本のニシキソウの類がある。

トウダイグサに類するもの:立ち上がる草本で、葉は茎の周りにつき、先端は多数枝分かれして広がり、飾りの包葉に囲まれて花序が付く。

ニシキソウに類するもの:やや這う草で、茎にそって水平に葉を多数だし、花序は葉の基部に小さく付く。

このほかに園芸植物として栽培されているものに、
ショウジョウソウ E. cyathophora Murr.
ショウジョウボク(ポインセチア) E. pulcherrima Willd.
ハツユキソウ E. marginata Pursh

特に多肉植物として栽培されるものには
ハナキリン E. milii Des Moulin var. splendens Ursch et Leandri
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いま辞典や植物に当たってみて、この歌を作ったときの花が、どれだったのか分からなくなった。しかし「炎」とあるから「真っ赤」な色をしていたに違いない。
だから出来るだけ多くの写真を出しておく。
a0096800_15405481ユーフォルビア
 ↑ ユーフォルビア 何とか? 
03459ユーフォルビア桜子
 ↑ ユーフォルビア桜子
hanakirin-rキスミークイック
 ↑ キスミークイック
 milkbush_02ユーフォルビア・ティルカリー
 ↑ ユーフォルビア・ティルカリー

今や、こういうサボテンのような、ある程度乾燥に強くて、鉢の小さいものが好まれるようだ。

この歌の載る一連は、こんな風になっている。

     ゴッホ忌・・・・・・・・・・・・木村草弥

  ひといろで描けといふなら田園は春の芽吹きの今やさみどり

  顔の高さに黄の花抱いて歩いてく夕べゴッホを貪ったから

  楽の音に沈んでゐる 遠ざかる愛はみだらにゴッホ忌

  愛し合つた 滅びるといふ語感にも似て炎のユーホルビア

  放物線の最高点にゐる時を噴水は知ってきらめき落ちる
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つまり、こういう一連の中の歌であることを知ってもらうと、鑑賞もまた一寸ちがってくるのではないか。
いかがだろうか。





三井修発行・歌誌『りいふ』6号から・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
りいふ

──新・読書ノート──

     三井修発行・歌誌『りいふ』6号から・・・・・・・・・・・木村草弥

敬愛する三井修氏の発行する歌誌「りいふ」6号 2012/07 が贈られてきた。佳い作品が揃っている。
いくつかを書き出してみる。

     乾板の空・・・・・・遠藤由季

   線路わき枝を伸ばして立つけやきその煩悩の下をくぐりぬ

   傘を差す人まばらなる霧雨の坂道すでに黒く染みおり

   ふじ色にハンドル濡るる自転車が置かれてありぬ藤棚の翳

   皐月ならつばめとならむひと言を鱝(えい)の昏さに留め置きたり

   めじろ見ぬままにはつ夏スカートの履きこなし方すこしあやうく

   結婚の決まりそうなる女子社員日ごとうなじの透きとおりゆく

   マウス操る手につらなりてあるからだ声を奏でず淀んでいたり

   「霖機」(りんき)という社名静けし台湾ゆ訪れし人呉れたる名刺に

   資本主義もう空気にてドーナツを食みつつなにかを思わぬ心

   飛び立てばすぐ逃げられる鳩なのにわれの歩幅に合わせて逃げる

   足もとにエコバッグ置き電車待つ躑躅が尖る夕闇のなか

   モナリザは誰なのだろう夕暮れのレンガに遠くわれの影あり

   伸べるべき腕を垂らせり ががんぼは走り出したる車窓の向こう

   いま心こぼれそうなり揺れている桐の葉擦れの音が聴こえず

   新しきオーブンレンジが届きたる夕べそこのみ治外法権

   地震(ない)のたび泡立つように鴉鳴き母は止めおり運針の指

   百年をひそと星空ひろがりぬ壊れ物なる乾板のうえ

         陸前高田の一本松
   砕かれし船の散らばる星空をひとり担げり一本松は

   天地なくもがく苦しさ満ちる喉ぐらつきながら空を見上げる

    クラシックに詳しくはないけれど、シベリウス「フィンランディア」が好きでよ
    く聴く。歌に向きあいたい情熱と、向きあわなければならない切迫感とがない交ぜ
    になっているとき、「フィンランディア」の旋律がすっと入り込んでくるよう
    に感じる。言葉が興に乗ってくると、ふっとその旋律が消えてしまう感覚になるが、
    心の底では流れ続け、やがて目覚めたように甦る。その時、聴き慣れたはずの旋律
    を新鮮なものと感じるのだ。

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       片道切符・・・・・・岸原さや

   鈴虫に西瓜の皮をあげました盆の終わりの家は森閑

   広縁の木板は素足にひんやりと金平糖をコリと噛む夏

   子ども用赤いサンダルつるつると打ち水の庭よこぎる真昼

   あれはもう遠いまぼろし広縁のひなたの匂い青田のさやぎ

   夏草のざわめきやまぬ道にいてはかりしれない空の深さを

   鳳仙花はじけたあとの茎の斑は切り傷のよう蟻が行き交う

   おつかいの母の帰りを裏木戸で待つ夕暮れのこころもとなさ

   寒い朝吐いてしまったほいくえん暗くてひろいお堂の廊下

   漂泊の托鉢僧にあこがれた少女期だった 今は漂流

   七月の術後の部屋のがらんどうマスクメロンの網目に触れる

   吹きぬけのラウンジ高く迷い込み黄金虫がぶつかる硝子

   シュレッダーに不要文書がるうるうと吸われて消える深夜のオフィス

   タワービルの右端ほそく架かる月(遥かなるかな)駅までの道

   抒情する機能をもたぬ実直な冷蔵庫から麦茶をもらう

   映画館の座席のふかいくらがりで或る人生の涯(はて)をみつめる

   休日の眠りの底にうずもれる朽ち葉の温さ秋が深まる

   熱のある身はいちまいの笹の舟眠ればとおく運ばれてゆく

   わたされた片道切符 誕生の日付け押されたちいさな切符

   メビウスの輪の波ひかる海原を信徒のように歩み来たれり

   今日眠るふとんあります明日食べるパンもあります祈りのゆびも

     キース・ジャレットのピアノ・ソロ作品集『The Melody At Night ,With You』を
     聴く。キースは一九九六年コンサート中に激しい疲労感に襲われ、以後人と会話もできぬほ
     どの暗い闘病生活を送った。数年後復調の兆しが見え、自宅スタジオで録音されたのがこの
     アルバム。彼を献身的に支えた妻に捧げられた。一連の曲は内面的。深いところで人
     を癒す力がある。初めてこれを聴いた時、私は不覚にも涙をこぼした。

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      十五郎穴・・・・・・武藤ゆかり

   この道は正倉院へ続く道刀子(とうす)出でたる十五郎穴

   眠りより覚めてまなこをしばたたく古墳時代の権力者かな

   那珂川の波の名残りをとどめたる崖のひむかし陰宅風水

   あおによし奈良の都をくだり来た国司いくたり十五郎穴

   晴れた日は海風わたる馬渡に埴輪づくりの里ありしこと

   里長と久慈の旨酒酌み交わし武人は骨となりにけるかも

   あてびとの蕨手刀も盗掘の難をのがれた十五郎穴

   かわらけに海山の幸盛り上げてひねもす歌う村のおまつり

   春は水夏は緑のこしひかり打ち広がりて勝田うるわし

   玄室の死者より見れば桜花ちたびも散りし十五郎穴

     仏具のおりんに似た金属のお椀、シンギングボウル。木の棒でこすると倍音を発生す
     る。心身の浄化をもたらすといい、ヨガや瞑想に使われている。聴くうちに私の短歌
     はいよいよ迷走、その名の通りの呻吟具である。


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まだまだあるが、一応この辺で引用は止める。
「りいふ」とひらがな書きになっているが、reef 鉱脈、leaf 葉っぱ、lief いとしい・・・他にアラビア語では何とかいう意味になるという。
この号は「音楽」を題詠にした作品作りになっているようであり、各作品末にはショート・エッセイが付加されている。
面白い試みであり、歌作りの修練として役に立つと思われる。
実は、この号には武藤ゆかり氏による16ページにわたる懇切丁寧な拙歌集『昭和』の批評文「魂は痛みを越えて」が執筆されている。
長いし、また拙歌の引用が多いので、ページを改めて転載したい。心より厚く御礼申し上げる。
仄聞するところによると、武藤さんは、東京外国語大学卒で新聞記者をなさっていたらしい。


桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦
yun_448桔梗本命

  桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦


桔梗(ききょう)あるいは漢字の音読みにして「きちこう」とも発音される。
この時彦の句ではキチコウの読みである。

キキョウ科の多年草で「秋の七草」の一つであるから、俳句では秋の季語となるが、実際には六月中旬には咲きだすところが多い。
青みがかった紫のものが多いが、栽培種も多く、白、紫白色、二重咲きなどいろいろである。
矮性の小さな種類もあるが、在来の50センチくらいの高さで、紫色のものが一番ふさわしい。

kikyou4キキョウ白

この句は旅に出て、飛騨の地酒を口に含んでの寸感であろうか。
私も老来、日本酒を嗜むことが多い。ビールなどは夏場しか飲まないようになった。

「万葉集」にいう「あさがお」は桔梗のこととされている。

小林一茶の句に

 きりきりしやんとしてさく桔梗かな

というのがあるが、きっぱりと、すがすがしい野性味のある花と言えるだろう。
私の歌にも桔梗を詠んだものがあるが、昨年に採り上げたので遠慮して、歳時記に載る句を引いて終わる。

yado33kikyouキキョウ矮性

 桔梗の紫さめし思ひかな・・・・・・・・高浜虚子

 仏性は白き桔梗にこそあらめ・・・・・・・・夏目漱石

 かたまりて咲きし桔梗のさびしさよ・・・・・・・・久保田万太郎

 桔梗の花の中よりくもの糸・・・・・・・・高野素十

 桔梗やまた雨かへす峠口・・・・・・・・飯田蛇笏

 桔梗には鳴る莟あり皇子の墓・・・・・・・・平畑静塔

 桔梗いまするどき露となりゐたり・・・・・・・・加藤楸邨

 桔梗一輪死なばゆく手の道通る・・・・・・・・飯田龍太

 桔梗挿す壺の暗さをのぞいてから・・・・・・・・桂信子

 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ・・・・・・・・森澄雄

 おもかげをさだかにしたり白桔梗・・・・・・・・細見綾子

 技芸天桔梗花びら露むすび・・・・・・・・沢木欣一

 誰やらの死をたとふれば桔梗かな・・・・・・・・石原八束

 桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・石田波郷

 百本の桔梗束ねしゆめうつつ・・・・・・・・藤田湘子

 桔梗の色を見てゐる麻酔の前・・・・・・・・宮岡計次

 桔梗咲く母のいのちのあるかぎり・・・・・・・・小桧山繁子
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写真③は矮性のキキョウである。
黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・・・・・・・・・・・・・阿片瓢郎
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   黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・・・・・・・・・・・・・阿片瓢郎

ザクロは3メートルほどの高さになる落葉樹で、細長い艶のある葉が対生している。
梅雨の頃に赤橙色の六弁の花が咲く。肉の厚い筒型の赤い萼がある。

zakuro5石榴落花

写真②が落花である。先に書いたように厚い筒型のガクであるのがお分かりいただける。八重咲きや白、薄紅、紅絞りなど色々あるらしい。
中国から古くに渡来してきたもので、花卉として育てられてきたが、原産地はペルシアだという。
梅雨の頃に咲く印象的な美しい花である。
ザクロと言えば、花よりも「実」が知られているが、実は徳川時代から食べるようになったという。
ザクロは種が多いことから、アジアでは子孫繁栄、豊穣のシンボルとされてきた。実を煎じた汁でうがいをすると扁桃腺炎にいいと言われる。

zakuro3石榴実
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写真③がザクロの実である。この中には朱色の外種皮に包まれた種がぎっしりと入っている。
種は小さく外種皮を齧るように食べるのだが、甘酸っぱい果汁を含んだものである。果皮は薬用になる。
写真④のように実が熟してくると実の口が裂けて種が露出するようになる。実が熟するのは8、9月の頃である。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  梅雨空にくれなゐ燃ゆる花ありて風が点(とも)せる石榴(ざくろ)と知りぬ・・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。降りみ降らずみの梅雨空に紅く点もる一点景である。


以下、歳時記に載る石榴の花を詠んだ句を引いて終わる。
花は夏の季語だが、実は秋の季語である。

 花柘榴また黒揚羽放ち居し・・・・・・・・中村汀女

 花柘榴病顔佳しと言はれをり・・・・・・・・村山古郷

 ざくろ咲き織る深窓を裏におく・・・・・・・・平畑静塔

 妻の筆ますらをぶりや花柘榴・・・・・・・・沢木欣一

 花柘榴の花の点鐘恵山寺・・・・・・・・金子兜太

 深爪を剪りし疼きや花石榴・・・・・・・・鈴木真砂女

 掃いてきて石榴の花が目の前に・・・・・・・・波多野爽波

 花石榴階洗はれて鬼子母神・・・・・・・・松崎鉄之介

 花石榴子を生さで愛づ般若面・・・・・・・・鍵和田柚子

 妻の居ぬ一日永し花石榴・・・・・・・・辻田克己

 
上目つかひ下目つかふも面倒なり遠近両用眼鏡ままならず・・・・・・・・・・・・木村草弥
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     上目つかひ下目つかふも面倒なり
            遠近両用眼鏡ままならず・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

私は小学校の最終年度から眼鏡をかけている。
近眼は五十歳頃までは、どんどん「近眼」は進行するもので、しかも四十代半ばからは「老眼」も加わってくるから厄介である。
私は左目が特に視力がなく、0.05ぐらいしかない。右目は0.1ぐらいであろうか。
ところが近眼は老化につれて、どんどん緩くなり、その逆に老眼はどんどん進む、というのが曲者である。
「遠近両用眼鏡」を使っていると、物を読む場面によってメガネを使い分けなければならない。
新聞やパソコン画面を見たりするときには、画像②に出したような「老眼用のタマ」の入ったメガネは不自由である。
こういうときには「老眼が全面に入った」メガネが楽である。首を振らなくても目玉を動かすだけで端の方も読める。
だから私は眼鏡を四つ持っている。外出用のチタンフレームの軽いもの。普通の「老眼用のタマ」の入ったフレームの丈夫なもの。陽ざしのきついときの屋外用の度つきのサングラス。
それと先に挙げた「老眼が全面に入った」メガネ、の四つである。
近眼の度数と左右のアンバランスと、いちいちレンズ調節が必要だから、四つで安くても十万円はかかる。物入りである。
度数をきっちり合わせ過ぎると肩が凝ったりするから度数は緩めの方が、いい。
ものすごく細かい字をみるときには「近眼」者は、メガネを外して目を近づければいいから簡単である。

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この一連には、こんな歌がつづいている。

   先の世も来る世も儚(はか)な躓きて現(うつつ)に返る老眼鏡は

   もはや視力矯正かなはぬ目借り刻(どき)ねむりの刻と思ふたまゆら
・・・・・・・・木村草弥

いかがであろうか。


海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
e0016267_815090浜木綿

  海へ出る砂ふかき道浜木綿(はまゆふ)に
     屈めばただに逢ひたかりけり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。 初出は同人雑誌「かむとき」に発表したもの。

浜木綿の歌としては、古くは「万葉集」巻4(歌番号496)に柿本人麻呂の

   み熊野の浦の浜木綿ももへなす心は思へどただに逢はぬかも

という有名な歌があり、浜木綿の歌と言えば、この柿本人麻呂のものが本意とされてきた。
私の歌も、この人麻呂の歌を多分に意識した歌作りになっている。
この一連15首を全部再掲する。なお、この歌はWeb上でもご覧いただける。

       神の挿頭(かざし)・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  失せもののいまだ出でざる夜のくだち和紙の吸ひゆくあはき墨の色

  海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり

  わだつみの神の挿頭(かざし)か浜木綿の嬥歌(かがひ)の浜ぞ 波の音を聴け

  ぞんぶんに榎の若葉空にありただにみどりに染まる病む身は

  昂じたる恋のはたてのしがらみか式子の墓の定家葛の

  そのかみの恋文は美(は)し暮れがたの朴の花弁の樹冠に光(て)れる

  蝦夷語にてニドムとぞ言ふ豊かなる森はしろじろ朴咲かせけむ

  くちびるを紫に染め桑の実を食みしも昔いま過疎の村

  よき繭を産する村でありしゆゑ桑摘まずなりて喬木猛る

  桑実る恋のほめきの夜に似て上簇(じやうぞく)の蚕の透きとほりゆく

  絹糸腺からだのうたに満ちみちて夏蚕(なつご)は己をくるむ糸はく

  桑の実を食みしもむかし兄妹(きやうだい)はみんなちりぢり都会に沈む

  六地蔵の導く墓にとべら咲き海鳥の来て石碑(いしぶみ)穢す

  海女のもの脱ぎすててありとべらなる白花黄花照り翳る昼

  節分(しんねん)にとべらの枝を扉(と)に挿せる慣はしよりぞトビラと称(よ)べる


季節くれば花を求めて飛んでゆく 美しき翅よ うす青き蝶・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
image013ヒメシジミ
 
    季節(とき)くれば花を求めて飛んでゆく
       美しき翅よ うす青き蝶・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌も、先に挙げた歌のつづきに載るもので私の第二歌集『嘉木』(角川書店)所載。

私の歌に「美しき翅よ うす青き蝶」と詠ってあるので「ヒメシジミ」という蝶の写真を出しておく。
以下に触れる「尺取虫」とは無関係であるから念のため。

Geometrid_caterpillar尺取虫

私の手持ちの写真を活用して書いてみる。
写真の虫は「尺取虫」と言われるもの。
尻尾を木に固定して、頭を上げ、草木に取り付いたら、尻尾を持ち上げて半分くらいのところに持ってゆき、着地したら、また頭を持ち上げて前に進む。
という動作を繰り返して進む。
掲出した写真は、この虫の移動する(進む)様子を二つの画面で見られるので、我ながら、うまく撮れていると思う。
「尺取り」とは寸法を取るという意味だが、人間が手を使って長さを計ったりするときの指の使い方を考えてもらうと判りやすいと思う。うまい命名だ。
この虫は「擬態」が巧妙で、取り付く草木の色にも合わせる「保護色」になっているので、よく観察しないと食害に気づかないことが多い。

aomusi-komayubatiアオムシコマユバチ
aomusi-komayubati3コマユバチ成虫

先に書いた普通の青虫──モンシロチョウの幼虫(大根やアブラナなどに着く)の天敵として「アオムシコマユバチ」(青虫小繭蜂)というのがいて、
これが青虫の幼虫の体に卵を生みつける。青虫の体内で卵は孵り、虫の体を食べて成長する。
そして時期がくると青虫の体外へ出て、サナギになる。二番目の写真が、その状態である。
三番目の写真が「アオムシコマユバチ」の成虫である。
小さな蜂であるが、人間にとっては「益虫」ということになる。
こういう「天敵」を利用して、大量に「サナギ」を量産し、それを「生物農薬」として販売するというのが、現実に農作業の分野では、やられている。
農薬を使うわけではなく、かつ自然界の生き物を利用しているので生態系を破壊することもない。
これからは益々こうした研究は進んでゆくものと考えられる。結構なことである。


ここで掲出した歌が載る個所の歌を全部ここに採録しておく。

       標本室 ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  温室に緑を育て蝶を飼ふ少年の日よ記憶のはたて

  青虫がひたすら茎をのぼりゆく新芽の色の何とおいしさう

  季節(とき)くれば花を求めて飛んでゆく美しき翅よ うす青き蝶

  展翅板にうす青き翅と触角が固定されゆく指先を見つ

  感性の両眼をつき刺し飛び去るは標本室の昏き二十五時

  原色昆虫図鑑の中に引かれたるアンダーラインの蝶とびたちぬ

  いつだつて夢と現(うつつ)はうりふたご追伸のやうに思ひ出づるも



入浴剤こよひは「有馬」あすは「別府」せめては家居の夜々を楽しむ・・・・・・・・・・・木村草弥
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     入浴剤こよひは「有馬」あすは「別府」
          せめては家居の夜々を楽しむ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

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暑くなってくると、夏場は私は専ら「シャワー」派である。
毎朝、散歩で大汗をかくので、帰るとすぐにシャワーを浴びる。
私は自宅では、日中はクーラーをつけない主義であり、「節電」でやかましい今どきの生活を実践しているようなものである。
これは私が「体」のことを考えての処置であって、昼間には出来るだけ汗を出すことに留意している健康法である。
だから夏場は、汗をかいたら一日に三回ぐらいもシャワーを浴びることがある。
その代り、夜は宵のうちから寝室はクーラーを利かし、ぎんぎんに冷やしておく。就寝時にはクーラーを半時間または一時間後に「切る」タイマーにして寝る。
これでほぼ朝まで快適に寝られることが実証済みである。

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ところで、私のようなシャワー派ではなく「浴槽」に浸からなければ嫌だという人も多い。
私の知人にも何人も居る。
そういう人たちが愛用するのが、画像にも挙げた「入浴剤」なのである。
有名な温泉地、たとえば別府などに行くと、「湯の花」という温泉成分の粉を売っているが、それを商品にしたのが、これらのものなのだ。
私の知人などは夏場から浴槽に、これを入れている。
風呂に浸かると、どうしても汗をかくので、体のほてりを取るのに苦労するから、私は夏場はシャワーなのである。
さあ、あなたは今年の夏は、どちらで乗り切るのであろうか。


青虫がひたすら茎をのぼりゆく新芽の色の何とおしいさう・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
030917kityou2黄蝶幼虫

   青虫がひたすら茎をのぼりゆく
     新芽の色の何とおしいさう・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、歌作りとしては、「青虫の目」になって作っている。

予めお断りしておく。
こんな虫の写真を何枚も見せられて、気持ちが悪いという人は、無理して見てもらって体調を崩されては、私の意にそぐわないので、即刻みるのを中止してほしい。

青虫と言っても、ものすごい種類がある。
一番はじめに載せたのは、一般に「青虫」と呼ばれるもの、成虫は「モンシロチョウ」などの幼虫である。
掲出写真のものは「黄蝶」の幼虫。
この種類は皮膚に「毛」がなく、そんなに気持ち悪くはない。

aomushi青虫②

二番目の写真の虫は、もう「青虫」と呼ぶのは、はばかられる。
写っている植物はパセリなどの匂いの強い「香草」類で、これにつく虫は「アゲハチョウ」類のものである。
この写真の虫は長さ5センチ、太さ1.5センチにもなる摑むのも怖いような大きな虫。
小鳥も食べない。ホトトギスなどは好んで食べるという。
蝶や蛾は卵を産んで、孵化して、その葉を食べる対象植物が、予め蝶の種類ごとに決っているのである。
いまアゲハチョウと言ったが、同じ属の幼虫でも、子細に観察すると姿かたちが少しづつ違っているものである。
かんきつ類の木につくもの、山椒の木につくもの、香草につくもの、など皆少しづつ違いがある。
それにアゲハチョウ系の虫は触ると角のようなものを出し、特有の嫌な匂いを出す。
油断すると小さな木や草など数日で坊主にされてしまう。孵化したての頃の幼虫は、みな黒い色をしている。

a-1s青虫アゲハ①

三番目の写真の虫がアゲハチョウ類の幼虫の一般的な形と色である。
もちろん先に書いたように、食べる植物によって虫の種類が少しづつ違っている。

四番目の虫は、クロアゲハの「終齢」期のもの。
kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

私は、特別に「昆虫少年」だったわけではないが、田舎に住んでいれば、こんな虫をいちいち怖がっていては暮らせない。
こういう虫たちとも、自然の付き合いをしてゆくのが「田舎暮らし」というものである。

kuroageha4クロアゲハ蛹

五番目の写真はクロアゲハの幼虫が成育して「サナギ」になったもの。
この中でじっとしていて、その間に「変態」する準備が進み、殻を破って出て成虫の「蝶」の姿になるのである。

以上、手元にある写真を並べて解説してみた。
ただし、私のは学習して専門的に正しく集積した知識ではないので「虫」に詳しい方は、ぜひ間違いを指摘してほしい。よろしくお願いする。


銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
img70合歓の花本命

     銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

合歓(ねむ)の木はマメ科ネムノキ属。
北海道を除く日本および東アジアから南アジアに広く分布し、山の浅いところに見かける落葉高木。
「ねむの木」というのは夜、羽状複葉の葉がぴったりと合わさるからで、眠るように見える。
葉の付け根の細胞に水分が少なくなるからという。七月ころ牡丹刷毛のような、先がほんのり紅い花を開く。
今となっては少し時期が過ぎたかも知れない。
刷毛のようなところが雄しべで、花弁や萼はその下にある。
花は夕方開花し、日中は萎む。
芭蕉の句に

 象潟や雨に西施がねぶの花

というのがあるが「西施」というのは中国の女で異国に嫁いだ悲運の人。この句はそれを踏まえており、夜咲き、昼つぼむ花は悲運の女性を象徴する。
葉が逆に夜閉じ、昼ひらくのも面白い。「ねむ」という名は、この葉の習性から名づけられたものである。

私にも合歓を詠んだ歌があるが、先に6/22付けで書いたので今は遠慮しておく。以下、句を引く。

 うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花・・・・・・・・松瀬青々

 総毛だち花合歓紅をぼかし居り・・・・・・・・川端茅舎

 雲疾き砂上の影やねむの花・・・・・・・・三好達治

 黒髪を束ねしのみよ合歓挿さな・・・・・・・・佐々木有風

 合歓の花夜は蠍(さそり)座を掲げたり・・・・・・・肥田埜勝美

 合歓咲いてゐしとのみ他は想起せず・・・・・・・・安住敦

 合歓の花底なき淵の底あかり・・・・・・・・中川宋淵

 合歓の花沖には紺の潮流る・・・・・・・・沢木欣一

 どの谷も合歓の明りや雨の中・・・・・・・・角川源義

 風わたる合歓よあやふしさの色も・・・・・・・・加藤知世子

 花合歓に夕日旅人はとどまらず・・・・・・・・大野林火

 花合歓や補陀落といふ遠きもの・・・・・・・・角川春樹

 葉を閉ぢし合歓の花香に惑ひけり・・・・・・・・福田甲子雄

 花合歓の下を睡りの覚めず過ぐ・・・・・・・・飯田龍太

 合歓咲けりみな面長く越後人・・・・・・・・森澄雄

 花合歓の夢みるによき高さかな・・・・・・・・大串章

 日本に小野小町や合歓の花・・・・・・・・辰巳あした

 合歓の花不在の椅子のこちら向く・・・・・・・・森賀まり



蛸壺やはかなき夢を夏の月・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉
007タコツボ

   蛸壺やはかなき夢を夏の月・・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

芭蕉は貞享5年(1866年)4月20日、兵庫から須磨、明石へ脚を伸ばした。その夜は須磨に泊ったが、これは、その時の旅に基づく句。
「明石夜泊」と題があるのは、月の名所である明石に泊ったことにして詩情を深める芭蕉一流の「虚構」。


写真は、現在の蛸漁に使われる「タコツボ」である。
昔は瀬戸物製の壺型のものであったが、今ではプラスチック製で、重しに、底にセメントが深く塗りこめてある。
下の写真は、そのタコツボに長いロープをつけて結わえて、何百個と漁船で沈めにゆく。
tako1たこつぼ

芭蕉の句に戻ると、句も最終的に元禄3、4年に至って、この形に定まったと言われている。
明石の浦は蛸の名産地。激しい明石海峡の流れにもまれて、明石の蛸は、よく身が締まっていて、旨い。
その海底で何も知らずに蛸壺に入り夏の夜の短夜の月光のもと、はかない夢を結んでいる蛸。
その命も、また、はかない夢である。
そこには無常の命の「あはれ」があるが、また達観した目で眺めれば、一種の「をかし」の気分も湧いて、この句の忘れ難い複雑な味わいも生れる。
『笈の小文』所載。
先に書いたように、この芭蕉の句は、場所も、季節も変えて作られている。
文芸表現というものは、こういう「虚構」をさりげなく、巧みに取り込みながら、いかにも真実らしく作品を仕上げるか、というのが文芸作者の本領である。
この句の場合、考証に値いする日記などの裏づけがあるので、このように解明されている。
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蛸壺の話から、いま思い出したことがある。
昔、地方へ茶の売り込みに出張していた頃。
鉄道もSLがまだ健在だった頃、移動時間も今とは倍も三倍もかかって各地の得意先を廻っていたので、何泊も「宿屋」に泊った。
今のようにビジネスホテルがあるわけでもなく、旅費を節約するために、いわゆる「商人宿」というところにも泊った。
家庭的な雰囲気の宿で、常連さんというのが決っていて、身の廻りのものを置いている人もいた。
そんな同宿者の中に「蛸壺のセールスマン」という人もいたのである。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)の中に、次のような歌がある。ただしWeb上では、ご覧いただけない。

  秋草にまろべば空も海に似て泊り重ねし波止の宿おもふ

  秋草の波止場の旅籠(はたご)に蛸壺のセールスマンと泊りあはせし
・・・・・・・・・・・・木村草弥

第四歌集に入れてあるが、実際に制作したのは、もう随分まえのものである。
今となっては、なつかしい思い出の1ページになってしまった。
詳しい話は聞かなかったが、漁協などを廻って蛸壺の注文を取っていたのだろう。
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いま歳時記を繰ってみたが、「蛸」という季語は、僅かに山本健吉のものに夏の季語で「章魚」として載っているだけである。

 章魚突の潜(かづ)けり肢体あをくゆれ・・・・・・・・草堂

 章魚沈むそのとき海の色をして・・・・・・・・占魚

 祭の蛸祭の蛸と呼んで行く・・・・・・・・寒月

 章魚干せば天の青さの炎ゆるなる・・・・・・・・まもる

関東では、どの程度、蛸を賞味するのか知らないが、真蛸の旬は夏で、関西では殊に6、7月の祭の頃に鱧(はも)と並んで賞味する。
「酢たこ」など、あっさりして、さっぱりして美味なものである。
もっとも今では海外産のものが一年中でまわり、わが家では、よく食する。



順礼は心がすべて 歩きつつ自が何者か見出さむため・・・・・・・・・・・・木村草弥
サンチアゴ標識
 ↑ サンチアゴ遍路の標識

     順礼は心がすべて 歩きつつ
          自(し)が何者か見出さむため・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

遍路道標識
 ↑ 遍路道標識

この歌の一連は、以下のようなものである。

       順 礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ──PILGRIM TEMPUS VERNUM──

  春くれば辿り来し道 順礼の朝(あした)の色に明けてゆく道

  銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程

  順礼は心がすべて 歩きつつ自が何者か見出さむため

  目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ

  丈高き草むらの道 その愛がまことのものと順礼は知る

  わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨

  雨のなき一日(ひとひ)を恋ふる心根に春は音なく来る気配する

  日と月と星と大地と火と水と時だげが知る「道」はいづこへ

  サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく

  北、南、東に西に順礼が帰りゆく道 交はる道と道

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サンチァゴ帆立貝の巡礼者
 ↑ サンチァゴ帆立貝の巡礼者 

この歌をつくるきっかけの旅は2008/05/10~05/22に行ったものだが、詳しくは こちらの紀行文を読んでもらいたい。
この旅ならびに、この歌に込めた私の「想い」なども、この紀行文には詳しく書いてあるので、ぜひご覧いただきたい。

私は妻が死んだ後に「四国八十八か所」遍路も経験したが、「なぜ人は洋の東西を問わず遍路の旅を歩くのだろうか」という問いがなされる。
それは前にも書いたことがあるが、要は、掲出した私の歌のように「自分が何者かを一度みつめるための旅」と言っていいかと思う。
その「きっかけ」は何でもいいのである。 私の場合は直接的には、妻の死であったが、同行した後の二人の人の思いが、どうであったか、は詳しくは聞いていない。
私の場合は、この紀行文のはじめのところにも書いておいたが、亡・親友のフランス文学者・田辺保から「遍路道」の本を貰ったりして予備知識があった。
なお、私の歌の一連の「副題」として掲げた<PILGRIM TEMPUS VERNUM>というラテン語の意味だが、「春の季節の巡礼」とでも訳せるところである。

写真の説明をしておくと、三番目のリュックにつけられた「ホタテ貝」は、サンチアゴ巡礼者が身につける「標識」なのである。
かの地では、これを付けている人は巡礼者として敬意を持って遇されるということである。
四国遍路が「杖」と「白衣」を纏うのと同じ扱いである。




一鳥声有り 人心有り / 声心雲水倶に了了 ・・・・・・・・・・・・・・空海
tropicalscreech-owl-1コノハズク

    後夜に仏法僧の鳥を聞く・・・・・・・・・・・・空海

        閑林に独り座す草堂の暁

        三宝の声一鳥に聞こゆ

        一鳥声有り 人心有り

        声心雲水倶に了了

この詩は、真言宗の開祖・空海(弘法大師)の詩文集『性霊集』巻十の漢詩・七言絶句「後夜に仏法僧の鳥を聞く」である。
(原文は漢字ばかりの詩、訓み下しにして漢字かなまじりにした)

「後夜(ごや)」つまり未明=夜半から朝にかけて、の勤行中ブッポウソウと鳴く鳥声を聞いたのである。
ブッポウソウは仏と法と僧、いわゆる「三宝」を言う。
ブッポウソウと鳴く仏法僧という鳥がいると考えられていたが、姿を見た人がなく、長く、そう信じられて来た。
しかし近代になってブッポウソウと鳴くのは、実はコノハズクというフクロウ科の鳥であることが判った。
しかし、その鳴き声に三宝(仏・法・僧)を聞き取って尊ばれた。
空海が独り座して夜を徹して勤行する山中の夜明け、仏法僧の声に心は澄みわたる。
鳥声と人心、雲と水(大自然)は一体となり、一点の曇りもなく(了了)心眼に映る、と。
「倶」は「共に」の意味である。

空海は中国から「密教」を日本に伝え、天台宗の開祖・最澄とともに、南都仏教の政治介入を排したくて平安京を開いた桓武天皇を宗教の面から強力に支えた思想家・宗教者であった。
彼が書き残した文章も、いずれも特異なものに満ちている。
たとえば

    三界の狂人は狂せることを知らず。
    四世の盲者は盲なることを識らず。
    生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、
    死に死に死に死んで死の終りに冥し。────空海

この詩について詩人の富岡和秀氏は、次のように解説している。

 <この詩は、コスモロジーへの契機となる消滅の途方もない暗さを暗示しているように聞こえる。 自らを含めて、あらゆる存在が消滅に向かっているとするならば、空恐ろしさも、また無限に近いと言えるだろう>

後の空海の漢詩は、極めて哲学的で、かつ宗教的であって難しいが、じっくりと熟読、玩味するならば、われわれに多くの示唆を与えてくれていると思うのである。
面白おかしく、この世を生きるばかりが人生ではない。時に、人生に頭を打ち、ふかく自他を見つめ直すことも必要である。
なぜなら、生あるものは必ず滅ぶことを知るのが、人というものであるからだ。
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俳句では「仏法僧」「三宝鳥」「木葉木莵」などで詠まれている。ブッポウソウと鳴くのはコノハズクだと判ったのは、昭和10年のことだと言われている。
愛知県の鳳来寺山でのNHKの録音がきっかけだという。三宝鳥の鳴き声は、ギャー、ゲアであるという。写真はコノハズク。

 杉くらし仏法僧を目のあたり・・・・・・・・・・杉田久女

 仏法僧鳴くべき月の明るさよ・・・・・・・・・・中川宋淵

 仏法僧こだまかへして杉聳てり・・・・・・・・・・大野林火

 木葉木莵月かげ山をふかくせる・・・・・・・・・・山谷春潮

 仏法僧青雲杉に湧き湧ける・・・・・・・・・・水原秋桜子



しどろもどろと言ふ語を「源氏」に見出しぬ只それのみにて本日愉し・・・・・・・・・・・・・・米満英男
遊歌乃巻
wakamurasaki源氏物語

──(再掲)──米満英男氏追悼・原文は2010/12/11掲載

   しどろもどろと言ふ語を「源氏」に見出しぬ
       只それのみにて本日愉(たの)し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・米満英男


米満英男氏が、2012/02/20にお亡くなりになった。
その死のいきさつについては先に書いたが、旧記事があることを思い出し、ここに「再掲」するものである。 ↓
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米満英男(よねみつひでお)氏は私の兄事する歌人である。
長らく教師生活をして来られた後は、今はあちこちで文学関係の講師などをされている。
よみうり文化センター「神戸校」では、「短歌」と「随筆と小説の書き方」の講座を受け持っておられるらしい。
私の第三歌集『樹々の記憶』と第四歌集『嬬恋』 には懇切な批評文を賜った。

掲出の歌は角川書店「平成19年度版・短歌年鑑」に載る「自選作品5首」のうちのものである。
因みに私の歌「幽明」5首も収録されている。

米満氏の歌は源氏物語の中に「しどろもどろ」という言葉の使い方が、すでに存在するということを発見して、この言葉の使い方が今も生きている、ということの喜び、嬉しさ、懐かしさを表現していて微笑ましい。
掲出画像は歌集『遊歌之巻』(雁書館刊)と引用歌に因んで「源氏物語」絵巻の一場面を出しておく。

ここで1996年に刊行された彼の歌集『遊歌之巻』から引いてみる。

       白き骸 五情

   喜びの果たてのごとし山巓に出逢ひたるま白き骸(むくろ)は鷹か

   怒りのすべては乱、変ま近きこの<大和朝廷>の底にずんと溜めおけ

   哀れとはみづから発しみづからへ戻りくる咳(しはぶき)のこだまか

   楽しみのひとつなり孤り酌む酒の肴にこぼす濃口(こいくち)の愚痴

   怨むほどひと頼み来し訳でなしさはさりながら夜半(よは)の雷鳴

この一連5首は「喜怒哀楽怨」という「五情」を歌の頭に据えて作られている
この歌集の題名のように「遊び歌」として自在に作られている一巻なのである。
次のような一連は、いかが?

      青き水 五彩

   青き水の果てよりひとつ帆柱の徐徐に伸び来て空に創(きづ)生む

   黄の花畑とほくにありて近く見ゆこの距離感即(そく)われの望郷

   赤赤と燃えたつ焚火に詩歌焚く愉悦のさまにたかぶりながら

   白みゆくにつれて稜稜(かどかど)しき峰の現(あ)れ来ぬ述志の定座のごとく

   黒き夜の信濃は八坂 金熊(かねぐま)の湯につかりやをら肉をふやかす

この一連は「青黄赤白黒」の「五彩」という言葉で作られている。原文は()の中のふりがなの通りである。


      土の坂 五行

   木づくりの首の欠けたる仏にてまざまざと目鼻涼しく佇てり

   火の中をかいくぐり来し秘色(ひそく)とふ青き壺生死(しやうじ)の外に覚めをり

   土の坂のわづかにたわむ中程に宙映しかつと開(あ)く水たまり

   金泥の経文の文字鮮らけく匂へり念願さへわづらはし

  水流るる時の間ふいにくらみたる素志置き去りにしなほ水流る

この一連は陰陽「五行」説にいう「木火土金水」に基づいてつくられている
一つ一つのそれぞれの歌も自立して佳いものである。


       惑星系 新枕詞

   をのへなす空まどかなるあかね空この惑星のまどひ深めて

   みつゆけし現身を曲げ祈りゐる前に素透しのままの神据ゑ

   さむしろの<私>にもどり靴下を脱げば青白き足のあらはる

   ははくろの肉老(ふ)けたればためらはずまつ先に刺せ己れの芯を

   きりきらふ若者らくらき目としろき歯を見せあひて何を嗅ぎあふ

   おきあをむはるけき異土に今もなほ<皇統(すめろき)のたてがみ>を刈る戦没兵

   よろひうつ火の芒空(のぎくう)をなぶりつつその上のくらやみに届かぬ

   たかとほる樹上に憩ふ死者ひとり否やからすがねずみ食ふ影

   もろはまひ乱れて互みに殺しあふホモ・サピエンス?ホモ・エレクトス?

   からふさの猛るけものをとらへたるカメラアイずずいとその目に迫る

   あやめくさ生まるるものと生ふるものこの星の土と水わかちあひ


      鬱の字 漢字種種愚歌等稿

   鬱の字のうつうつ茂る画のなかひそけく二本の木の立てる見ゆ

   人の字の右のつつかへ棒なくしノのまま傾ぎ立つ人もあり

   虱はいつ風のもつノの一画を失ひてあはれシラミと化ししや

   母の中に小さく抱へらるる乳わが垂乳根のはまことたらちね

   鬼は人の帰せし者ゆゑその鬼の下半身まさしく人の形す

   雨の中の雨だれ四つ古代文字には六つ十二もありて土砂降り

   頁(けつ)をページと読めば年齢がわかるといふ思へば随分頁をめくりぬ

   便は尻を開きまたは鞭を打つさまと説きありあな不埒なる姿態

   寺はもとハベルの意にて寺人とは宦官の謂と知ればいやはや

   井戸の中にもの投げ入れしその擬音通りドンブリと読むは丼

   尸(しかばね)部の尻屁尿屎とならぶ字の中にて突如尼と出遭へり

   女偏の字の中奸妄妖妙姥わけても姦姚嫋などよろし

   はらはらと落つるは涙したたるは涕と聞けば涙選ばむ

   草の化したるもの花といふそれにしても何と美しき化け様もある

   人が姿をかへるを以て化となせり左様バケルは狐狸ならず人

   黒の字クロシ白の字シロシひとみなの思ひこみとはかくのごときか

   人の形と月とによりてつくりたる夜と知ればたまに夜に月を見む

   啼鳴哭啾涕泣とナク意の漢字を思案してやはり 氵(さんずい)の字が湿つぽい

   凡人の凡の字いささか風に似て虫よりちひさき<、>かかへをり

   漢字と永く馴染み来たりしわが人生前半疎外後半昵懇

いかがだろうか。「言葉遊び」のさまざまの諸相を楽しませてくれるではないか。
まだまだあるが、今日は、この辺で。
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はじめに掲出した『遊歌之巻』の画像が巧くないが、題字や著者名などは「金色」なのである。
真っ黒になってしまうので、少し明るくしてみたが気に入らないが、お許しを。 スキャナの限界である。


仏桑華あかあかと咲く城跡の日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
20070321013714イグアナ

   仏桑華(ハイビスカス)あかあかと咲く城跡の
      日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、メキシコのユカタン半島のマヤの遺跡で作ったものである。
ただし自選60首には入れてないのでWeb上ではご覧いただけない。

hibiscusハイビスカス①

ハイビスカスにも色々の改良種があり、色もさまざまなものがあるようだ。
しかし、何と言っても真紅のハイビスカスがメキシコの大地には、似つかわしい。
「ハイビスカス」は学名をHibiscusと言い、学名通りに呼ばれているもの。
アオイ科フヨウ属と言い、「仏桑華」というのは葉が桑の葉に似ているからという和名である。
三番目の花は改良種のピンクのものである。

hibiscus7ハイビスカス③

ハワイでは州の花とされ、レイにされる。
インドが原産地とされるようで、暑いところでは、地中海沿岸、東南アジア、南太平洋など広範な地域に分布する。
熱帯性気候にマッチした鮮やかな花である。

   ハイビスカス子は沖縄の娘を愛す・・・・・・・・・・森信子

というようなハイビスカスにぴったりの句も生れたりする。

「イグアナ」と一口に言っても、さまざまな種類があるらしい。
メキシコのユカタン半島に棲息するイグアナは、恐ろしげな姿はしていない。
灰緑色をしていて、変温動物なので日向で日光浴をしていたりするのが見受けられる。私の歌に詠んである通りのものである。
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以下、私の歌集に載る「マヤ」にまつわる一連の歌を再録する。

       マヤの落暉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   はるばるとユーラシアより来しマヤ人も蒙古斑持つと知れば親しも

   マヤ人は「暦の民」なり一年を三六五・二四日割りいだしたる

   蝸牛(カラコル)と呼ばるる円き天蓋の天文台跡半ば崩えをり

   仏桑華(ハイビスカス)あかあかと咲く城跡の日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ

   日本より三ヶ月経て此処に着きし支倉常長が見しアカプルコ

   トゥルムとは城壁の意なり群青のカリブの海に白く映えゐる

   神殿を西向きに建てしは落日が次の日も昇れと祈りしならむ

   ───マヤはBC3世紀にはすでにゼロの概念を発見してゐた──
   マヤ編める二十進法は十進法より大き数計算すばやく可能

   ユカタンは石灰土壌「セノーテ」は地下水脈の湧きいづる井戸

   午後四時ゆプラサ・メヒコは闘牛を見んと集へる六万の人

   巨大なるすり鉢なせるコンクリート赤きマントに牛突っ込めり

   信篤きインディオ、ディエゴ見しといふ褐色の肌黒髪の聖母

   カトリック三大奇蹟の一つといふグアダルーペの聖母祀れり

   聖母の絵見んと蝟集の群集をさばくため「動く歩道」を設置す


米満英男・遺詠『地に杖を』9首・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
米満

        地に杖を・・・・・・・・・・・・・・米満英男
               ・・・・・・同人誌「黒曜座」67号(2012年5月)掲載・・・・・・・・・

   家といふこの大き柩のなか眠りては醒めいつかは目覚めず

   髭が生え爪伸ぶる間は大丈夫生きてゐるのだと励ましてゐる

   地に杖を刺しつつ歩むその行方真赤な夕日が黝くなるまで

   雪の下雪を仰ぎて雪を飲みきあの咽を過ぎし雪は今どのあたり

   川を泳ぐ犬あり首をたかく上げ誰もゐない彼岸へ急ぐ

   人の夢まさに儚しその夢を見ずなりたればさらに儚し

   悲しみの器とふにんげんに蓋あらざるは涕涙を零すため

   芯のなきトマト食ひつつ芯のない脳味噌をもて歌を考ふ

   影法師ひとり連れきてここ掘れと唆(そそのか)されて掘る深き墓穴(あな)

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なお、同人誌「黒曜座」67号(2012年5月)の編集後記全文は、下記の通り。  ↓

★本誌編集代表米満英男が二月二十日亡くなりました。
自宅での穏やかな最期でした。この世の息をゆっくり大きく吐いてから、発っていきました。
苦しみも痛みもなかったその最期に、医師は老衰という死因を記入していました。
あと一ケ月ばかりで八十四歳の誕生日を迎えるはずでした。書きかけの原稿用紙とペンを棺に入れました。
あの世に着いたら、早速読み且つ書いていることでしょう。
★次号六十八号を米満英男の追悼号とします。詳細については、後日お知らせします。
そして、この「黒曜座」は六十八号をもって終刊といたします。一九九四年七月創刊以来、十八年の歳月が過ぎました。
長かったのか短かったのか、いずれにしても重い歳月です。
★最初は「鴉・a」次いで「海馬」、そして「黒曜座」と、米満は短歌同人誌を編集、発行し続けてきました。「鴉・a」を発行したのは三十五歳の時でした。
爾来、決して“宗匠”になることなく、一歌人として仲間たちと共に一途に歌を愛し、歌に遊び、同人誌発行に関わってきました。
最期の、あの穏やかな表情はそうした生涯を自ら納得したからなのでしょうか。
★天野律子歌集『空中の鳥かご』が発刊されました。次いで小西美根子歌集も近く発刊予定です。さらに歌集発刊を準備中の幾名もあるやに聞いております。
「黒曜座」の仲間たちが、これからも益々、いい歌人として活躍していくことを願います。(a)
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米満英男氏が亡くなった。
彼は昭和三年三月十九日の生まれである。
上に引いた「編集後記」の末尾にある(a)というのは、令夫人の天野律子さんの執筆になる、ということだろう。
私とは二つ上の短歌の上での先輩、先達だった。前衛短歌はなやかなりし頃の活動家だったらしい。
その頃は私は短歌界には縁がなかったので、よくは知らない。
米満氏の同行者であった、当地に住んでいる新井瑠美さんから話はよく聞かされた。
個人的には浅い付き合いだったが、今はもう無くなったが「短歌現代」の新年会が関西であったとき、誘われて出席したことがあり、
会の後、米満氏などと酒杯を交わしたことがある。
私の歌集について的確な「批評」をしていただいたことが二度ある。 以下に引いておく。

*書評*
   定型・自由律ニ刀の手練れ・・・・・・・・・・米満 英男


       (短歌新聞社「短歌現代」平成11年11月号所載)

   先に上梓された定型歌集『嘉木』に次いで出された口語自由律短歌の
   第三歌集。
   その「あとがき」に記されているように、著者にあっては、文語定型も、
   口語自由律も<韻文>という点において、差別のない同根の存在
   として認識され、かつ作り分けられている。
      ・蜂たちは飛んで味覚を知覚する「女王はどこだ、火口をさがせ」
      ・わたくしが愛するものは仮借なき攪拌だとは挑発的ね
                  挑発的=プロヴォカティヴ
   など、見事に定型に収まりきっている。が声に出して再読すると、さらに
   見事に「口語自由律短歌」としての今日的言語表現に転化して響いて
   くる。 その逆の歌い方の作品もある。
      ・悲しいお便りでした 善意に囲まれて晴ればれと暮らしていた鳩には
   の歌など、<完全自由律>のようだが、57577にきっちり読み下すこと
   ができる。
      ・ここに二匹のカメがいる 一匹は質問という名でもう一匹は答という名だ
   別して上の類の<直覚的思想>にこめられたエピグラム風の軽さと重さの
   絶妙の均衡の前に立つ時、その手練れの技にただ息をのむ。

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  *書評*
   木村草弥歌集『嬬恋』──感応・・・・・・・・・・・・米満英男(黒曜座)

           その多様な発想と表現に向けての恣意的鑑賞

 今、眼前に、四八二首を収載した歌集『嬬恋』がある。
まずその歌の抱える幅の広さと奥行の深さに圧倒された。
東はユカタン半島から、西はエーゲ海に到る<規模雄大> なる覊旅の歌にも目を瞠ったが、その現地体験もなく、宗教や風習にも全く疎いと気付き直し、
敢えてそれらの歌からは、紙数の関係もあって降りることにした。
 私が平素上げている専用のアンテナに、強く優しく伝わってくる歌からの電波をとらえて、私なりの気ままな読み取りを行い、それを返信の言葉に代えて述べてみることにする。
   ①目つむれば菜の花の向うゆらゆらと揺れて母来るかぎろひの野を
   ②父を詠みし歌が少なし秋われは案山子(かかし)やうに立ちてゐたりき
   ③うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり
   ④夜の卓に土筆の吐ける胞子とび我死なば土葬となせとは言へず
   ⑤石ひとつ投げし谺がかへりくる花の奈落の中に坐れば
   ⑥うつしみは欠けゆくばかり月光の藍なる影を曳きて歩まむ
 いずれの作品も、まさに現代短歌の本筋とも言うべき、肉眼と心眼、写実と抽象、正視と幻視が一元化した上で、さらに濃密性と透明感を秘めた歌に仕上がっている。
 一首ずつ、恣意的に味わってみる。
 ①の歌、目つむれば常に花の向うから現れる母の姿。おそらくは母が纏う甘い匂いも嗅ぎ分けていよう。
②の作品、父と同様、作者自身も、父となった以後は、子から見れば孤独な存在に過ぎない。
③真昼間の春爛漫のさくらではない。若気の至りを越えた後をふり返りつつ、その回想を子に聞かせている。
④上句にこめられている妖気が、下句の願望を妨げ作者の口を閉ざさしめる。
⑤花にかこまれて坐っている自分の姿を、奈落の中と観じた刹那、投げた石の谺のひびきがわが身を禊ぐ。
⑥の歌、白い月光の下、藍色の影を曳きゆくほどに、うつしみの欠落部分が、いよいよつよく感じられると詠じている。
 次に、上掲の歌とがらりとかわって、何とも言えぬユーモア、あるいは洒脱な語り口からくる、本音に近い発想の楽しさを湛えている作品を抜き出してみよう。
   ⑦重たげなピアスの光る老の耳<人を食った話> を聴きゐる
   ⑧手の傷を問ふ人あれば火遊びの恋の火傷と呵々大笑す
   ⑨クールベのゑがくヴァギナの題名は「源」(スールス)といふいみじくも言ふ
   ⑩春くれば田んぼの水に蝌蚪(おたまじやくし)の語尾活用を君は見るだらう
   ⑪園芸先進国オランダ開発のミディトマト「レンブラント」と名づけられた
 ⑦の作品、車内で見た<老婦人>であろう。
隣の老人の語る<人を食った話>、つまり人を馬鹿にした話をじっと聴いている。そしてその話をまた作者自身も、思わず聴いてしまう。
⑧は、これまた、何とも鮮やかな応答である。結句の<呵々大笑>の締めがよく効いている。
⑨読み下した瞬間に「なるほど」とうなずく外はない愉快な歌である。下句の<いふ><言ふ>の駄目押しが決まっている。
⑩さてさて、こういう発見もあったのかと頷き返す。<君> が何者かと思案する楽しさも残されている。
⑪<レンブラント>という重々しい命名のトマト─是非食べてみたい。
こういう、絶妙な軽みを持つ歌を随所に据え置いているのも、作者のすぐれた<芸> の内であろう。
 さて、ここら辺りで、題名の『嬬恋』にぴたりと即した作品をとり上げてみよう。
   ⑫雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵(こうしよくき)まぬがれがたく病む人のあり
   ⑬億年のなかの今生と知るときし病後の妻とただよふごとし
   ⑭生き死にの病を超えて今あると妻言ひにけり、凭れてよいぞ
   ⑮ゆるやかに解(ほど)かれてゆく衣(きぬ)の紐はらりと妻のゐさらひの辺に
   ⑯水昏れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら
ありきたりの感想など入れる隙間などない、まさに絶唱としか言いようのない作品である。が、それではいささかこちらが無様すぎるので、敢えてひとこと述べてみる。
 ⑫雷鳴が葵というはかない存在を経て、病む人につながるその緊迫感。
⑬永遠の時間に比べれば、人のみならずすべての生き物は瞬間の命しか持ち得ないという詠嘆。
⑭四句から結句に至るその間に付けられた<、>の重さによって、<凭れてよいぞ>という作者の肉声が何とも切なく伝わって来る。
⑮若かりしころの艶なる妻の姿態がふと浮かぶ。歳月の流れ。
⑯一歩踏み出せば一種の惚気とも取られかねない際どい線の手前に踏みとどまって、己れの身をその<女>(ひと)に委ねている。

 好き勝手な、自己流の鑑賞──というよりも、一方的な受容と合点を行って来た。
そこであらためて気付いたのは、この歌集のもつ多様性であった。しかもそれは、歌の表層部分の言葉の置き換えから来るものではなく、
作者自身のその場その時における情念と直感が導き出す重厚にして膨みのある、ユニークな詠嘆であった。 
 その詩的詠嘆の、さらなる充溢と進展に向けて、惜しみなき拍手を送りたい。 (完)

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はじめに掲げた「地に杖を」の一連は、何だか自分の死を予感したようで、せつせつと胸に迫るものがある。佳い歌である。

掲出した本は、彼が豊富な歌人たちとの交友の中から選んだ古今の14人にまつわるエッセイである。
奥付けを見ると、2000/03に出ている。
この文章は「黒曜座」に連載されたものを一冊にまとめて出されたものである。
他にも歌集などがあるが、本が多すぎて書架から見つけられないので、この本を掲出するにとどめる。
私より二歳上に過ぎないのに、精力を使い果たしたのか、まだ早い死である。
私は亡妻の介護に没頭していた数年があり、その間、歌壇とも縁を切っていた時期があり、彼や「黒曜座」とも縁遠くなってしまったのが悔やまれる。
ここに、この文章を載せて、ご冥福を祈りたい。 合掌。

なお、彼の死は藤原光顕氏の「たかまる通信」87号で知って、藤原氏には、この歌の全文などを知らせてもらった。厚く御礼申し上げる。

仏桑花真紅の声を挙げて基地・・・・・・・・・・・・・山田みづえ
hibiscusハイビスカス①

     仏桑花真紅の声を挙げて基地・・・・・・・・・・・・・山田みづえ

仏桑花(ぶっそうげ)とは「ハイビスカス」のことである。
この前の戦争では多くの人が敗戦国民として戦勝国に支配されて辛酸をなめたのである。
その頃、戦争は南の国で行なわれたので、南方系の植物──ハイビスカスに想いは繋がるのであった。
一昨年の春に沖縄本島に旅した。
以前にも訪れたことがあるが、今では激戦地だった南部の丘に「平和の礎(いしじ)」や記念館の立派なのが出来て、国内外の戦没者の名に拝して戦争の悲惨さに想いを馳せたのだった。
ここにも「ハイビスカス」は赤く色あざやかに咲いていた。
「基地」が沖縄の広い面積を占有し今も騒音その他に悩まされている。
この句の「真紅の声を挙げて基地」というのが内地人である我々の心に突き刺さる。

歳時記の句を引いて終わる。

 仏桑花爆心に咲き喪の季節・・・・・・・・下村ひろし

 口笛は幼くかなし仏桑花・・・・・・・・塚原麦生

 海の紺ゆるび来たりし仏桑花・・・・・・・・清崎敏郎

 島人の血はかくも濃し仏桑花・・・・・・・・青柳志解樹

 ひめゆりの塔に火種の仏桑花・・・・・・・・井口荘子

 天に入る熔岩原風の仏桑花・・・・・・・・古賀まり子

 仏桑花咲けば虜囚の日の遠き・・・・・・・・多賀谷栄一

 仏桑花咲く島に来る終戦日・・・・・・・・北沢瑞史

 ひめゆり塔声を挙げゐる仏桑花・・・・・・・・田口一穂

 仏桑花供華としあふれ自決の碑・・・・・・・・岩鼻十三女


ものなべて光らぬもののなかりけり<のれそれ>は海を光らせて 夏・・・・・・・・・・木村草弥
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 ↑ レプトケファルス幼生

      ものなべて光らぬもののなかりけり
          <のれそれ>は海を光らせて 夏・・・・・・・・・・木村草弥

                   *のれそれ─魚の穴子の稚魚

この歌は最新刊の私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
原文では「のれそれ」の部分は「傍点」を振ってあるのだが、ここでは出来ないので<>で囲んだので、ご了承を。

Wikipediaに載る記事を引いておく。
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レプトケファルス
レプトケファルス(Leptocephalus、「レプトセファルス」とも)は、ウナギ目、カライワシ目、ソコギス目など、カライワシ上目の魚類に見られる平たく細長く透明な幼生で、大きさは5 cm前後かそれ以下から1 mを超す場合もある。ウナギやアナゴ、ハモなどのウナギ目のものが有名でウナギは成長後にはレプトケファルス期の約18倍、アナゴは約30倍の大きさになる。

概要

ウナギの場合、産卵場所の南方の海で孵化した仔魚は、レプトケファルスに成長し、さらに日本沿岸まで黒潮に乗って北上してから変態してシラスウナギと呼ばれる稚魚に成長し、河川などの淡水に上って成魚になる。変態時にゼラチン質の体が脱水収縮して体組織の濃縮が起こるため、変態の前後で体は小さくなる。

また、多くの魚類で口の奥に向いている歯が、レプトケファルスでは前方に向いており、様々な動物プランクトンを与えてもほとんど捕食しないことから、食性が謎に包まれていた。その後、海で採集したレプトケファルスの胃の中からオタマボヤ類が植物プランクトンを採食するために分泌する、ゼラチン質の使い捨て式フィルターである包巣の残骸が見付かった。これをきっかけに、オタマボヤ類の廃棄された包巣などに由来するマリンスノーを摂食していることが判明し、これを模した人工飼料で飼育できることも明らかになった。ハモのレプトケファルスではエビのすり身、ウナギのレプトケファルスではサメの卵黄を原料とした人工飼料による餌付けが成功している。

のれそ~1
090515-2のれそれ

のれそれ
マアナゴのレプトケファルスは、高知県などでのれそれと呼ばれ、食用にされる。主に生きたまま土佐酢、三杯酢などにくぐらせて、踊り食いにされることが多い。大阪などの消費地でものれそれと呼ばれることが多いが、兵庫県淡路島では洟垂れ(はなたれ)、岡山県では「ベラタ」と呼ばれている。

巨大なレプトケファルス

1928年から1930年にかけてデンマークの調査船ダナ号による海洋調査が行われた。1930年1月31日、そのダナ号によってセント・ヘレナ島付近で1.8 mもある非常に大きなレプトケファルスが捕獲され、大きな反響を呼んだ。それまで知られていたウナギ類のレプトケファルスは成長後には数十倍の大きさになることから、この巨大なレプトケファルスが成体になった場合には体長が数十mにもなると予想され、伝説のシーサーペント(大海蛇)の正体がこれで判明した、と報じる新聞もあった。その後も巨大なレプトケファルスの標本はたびたび採取されたが、その成体の姿は謎のままだった。

事態が好転したのは最初の発見からおよそ30年後のことだった。1960年代半ばになって、偶然にも変態途中の巨大レプトケファルスが採取されたのである。そしてその身体の特徴は、この幼生がソコギス目魚類の仔魚である可能性を強く示唆していた。あらためて詳細な調査と研究が行われた結果、
ソコギス目魚類もレプトケファルス期を経て成長する。
そのためウナギ目とソコギス目には近い類縁関係が認められる。
ウナギ類はレプトケファルス幼体からの変態後に大きく成長する一方で、ソコギス類はレプトケファルス期において成体サイズまでの成長を行い.変態後はほとんど成長しない。

などの事実が判明した。それまで見つかった巨大レプトケファルス標本も再調査の結果、ソコギス目魚類の幼体であることが明らかになり、シーサーペントは再び伝説上の存在となった。

その後、同じくレプトケファルス期を持つことがわかったカライワシ類などと共に、これらの仲間はレプトケファルス期を持つことを共通形質とするカライワシ上目という分類群にまとめられている。
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私の歌は、この 「のれそれ」を食べるところを描いたものではないが、「旬の食べ物」として下記のような記事が出ている。 ↓

★「のれそれ」というのは穴子の稚魚です。
春から秋が旬になります。生で三杯酢などで食べます。身は細長く平たく透き通っています。
高知市付近ではノレソレ、高知県西部ではタチクラゲと呼ばれることもあります。地引網を引くと、ドロメは弱いのですぐにペタッと網にくっついてくるのですが、ノレソレは、そのドロメの上にのったり、それたりしながら網の底に滑っていきます。
この「のったり、それたり」という地引網の中の様からこう言われているようです。
高知はもちろん、四国では一般的な酒の肴、珍味なのですが、全国的にはあまり一般的ではないようですね。県外から赴任された方でこの味にはまる人も多いようです。

【召し上がりかた】
●自然解凍(急ぐときは流水解凍)して生を三杯酢で召し上がっていただくのが一般的です。生しらす(どろめ)はたまり醤油におろしショウガとネギをいれて食べたりもします。
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春先の時期に捕獲して急速冷凍してあり、価格も100グラム1200円くらい、と、さほど高いものではない。




山田兼士詩集『家族の昭和』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
山田

──山田兼士の詩と詩論──(3)

      山田兼士詩集『家族の昭和』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・澪標2012/07/04刊・・・・・・・・・

私の畏敬する山田兼士先生が、詩集を上梓された。
家族の昭和という時代にまつわる詩20篇が収録されている。
その中から、令夫人にまつわると思われる作品を引いておく。

   生も死も人は誰でも一度だけ・・・・・・・・・・・山田兼士

     長い四畳半生活
     しかも使用電気上限三百ヮット
     古いアパートを脱出して
     念願の2 L D Kをゲット
     兄の車で引つ越しも終わり
     親しい友人に
     オ—ディオラックも作つてもらい
     快適空間
     その矢先

     本日よりお世話になります

     君が住み着いて
     突然の共同生活
     独身貴族は一週間で消えて
     困惑する君の家族と葛藤
     母のえびすスマイルの出番
     なんとか結婚までの道のりが決まった
     夏
     昭和五二年

     その秋
     腫瘍が癌化して
     母は死んだ
     喪中の悲しみを紛らすように
     兄弟それぞれの婚約者と
     大垣のカラオケ喫茶で歌うキャンディ—ズ

     ──人は誰でも一度だけすベてを燃やす時が来る(「アン・ドウ・トロワ」)

     本当に燃えてしまった……
     呟きながら、
     次の家族への長い道のりの始まり。
     母の命日は君の誕生日と同じ、
     一生忘れられない、
     忘れない。
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詩は、スキャナで取り込んだので、どうしても「文字化け」が起こる。 修正したが、もし見つかれば、ご指摘いただきたい。修正します。
Wikipediaから略歴を引いておく。
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山田 兼士(やまだ けんじ、1953年7月4日 -)は日本のフランス文学者、評論家、詩人。

略歴

1953年、岐阜県大垣市生まれ。関西学院大学文学部仏文科卒。同大学院文学研究科博士課程満期退学。1986年大阪芸術大学に着任し、2004年より教授。大阪文学学校講師。大阪文学協会理事。日本フランス語フランス文学会、日本近代文学会、京都フランス歌曲協会、中原中也の会、ボードレール研究会の会員。詩誌「別冊・詩の発見」主宰。高階杞一、四元康祐、細見和之らとともに季刊詩誌「びーぐる-詩の海へ」編集同人。

フランス近代詩を専門とするが、中原中也、福永武彦、小野十三郎、谷川俊太郎など日本の近現代詩人も研究対象とする。

著作及び参考文献

単著
ボードレール《パリの憂愁》論 砂子屋書房、1991.11
小野十三郎論―詩と詩論の対話砂子屋書房、2004.6
ボードレールの詩学砂子屋書房、 2005.9
抒情の宿命・詩の行方―朔太郎・賢治・中也思潮社、2006.8
百年のフランス詩―ボードレールからシュルレアリスムまで澪標、2009.5
微光と煙(詩集)思潮社、2009.10
谷川俊太郎の詩学 思潮社、2010.7
詩の現在を読む2007-2009 澪標、2010.7
家族の昭和(詩集)澪標、2012.7

共著
萩原朔太郎の世界(長野隆編・共著) 砂子屋書房、1987.6
歌う!ボードレール―ドビュッシー/フォーレ/デュパルク(CDブック・編著)同朋舎出版,1996.3
対訳フランス歌曲詩集(編訳著)彼方社、2002.4
谷川俊太郎《詩》を語る(共著)澪標、2003.6
谷川俊太郎《詩》を読む(共著)澪標、2004.10
谷川俊太郎《詩の半世紀》を読む(共著)澪標 、2005.8
小野十三郎を読む(共編著)思潮社、2008.9
対論 この詩集を読め 2008-2011 (細見和之共著)澪標、2012.4

訳書
ボードレールと『パリの憂愁』(J.A.ヒドルストン著)沖積舎、1989.7
オレゴンの旅  セーラー出版社   1995.11
エヴァー花の国ー セーラー出版社  2000.5
Le Pont jete Poesie japonaise d'aujourd'hui 詩学社、 2003.6(谷川俊太郎はじめ15人の日本詩人のフランス語訳アンソロジー、Olivier Birmannとの共訳)
フランス歌曲の珠玉―深い理解と演奏のために(フランソワ・ル・ルー/ロマン・レイナルディ著、美山節子と共訳)春秋社、2009.4

外部リンク
山田兼士の研究室

おのづから陥穽ふかく来しならむ蟻地獄なる翳ふかき砂・・・・・・・・・・・木村草弥
arijigoku-su13蟻地獄

    おのづから陥穽(かんせい)ふかく来しならむ
        蟻地獄なる翳(かげ)ふかき砂・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

掲出の写真は見難いかも知れないが、画面に四つほど「蟻地獄」のすり鉢状の凹みが見えると思う。

arinotiwosutta2蟻地獄幼虫

写真②は、この蟻地獄の持ち主である「ウスバカゲロウ」の幼虫(左側)と、右側は食べた「獲物」の殻である。というのは捕らえた虫の体液を吸い取るのが、この幼虫の食事の仕方なのである。用済みの虫の殻は顎の力で巣の外に放り飛ばしてしまう。写真は、もちろん判りやすいように巣からつまみ出して並べてみたものである。

この蟻地獄は寺院や神社などの雨の掛からない軒下(縁側の下など最適)の砂地に穴を掘る。
この虫の生態については内外で詳しく観察している研究者が居て、ネット上でもエッセイなどが載っている。因みに英語ではAnt-lion という。
そのうちの三輪茂雄氏のエッセイMedical Pharmacy.Vol.20.May.114-115(1986)をもとに少し書いてみよう。

蟻地獄の陣地構築はどうするのか。
彼は先ず大きな輪を描きながら後ずさりしてゆく。その輪の直径は次第に小さくなり、最後に中心に潜り込んで完成する。陣地の斜面の角度は、いわゆる「安息角」。もし蟻などの獲物が斜面に足を突っ込むと、安定が崩れて地獄の底へ転落する。湿度の変化によって「安息角」が変化するので、ときどき修正することも忘れない。
頭にあるハサミは、よく見るとスリバチの底にぐっと広げ、斜面の下端を器用に支えている。だから、このハサミのセンサーで斜面に起る微妙な変化を感知できるのである。
粒ぞろいの砂がある場所ならともかく、一見、とても陣地が作れそうにもない荒地でも、整地作業する。つまり粒ぞろいに整地するのだ。アメリカの動物学の雑誌に、この陣地構築に関する論文が出た。(An1m.Behav.30巻、P651.1982)「アントライオン幼虫の陣地構築に関するバイオフィジックス」。
この整地作業の際に彼は砂の粒を揃えるのに「風力分級」という作業をする。「風力分級」というがニュートン域と層流域の中間域が丁度よいのである。

三輪氏は「<風力分級の極意をアリジゴクに学ぶ>など考えても見なかったことである。これもバイオの時代なのだろうか」と書いている。つまりアリジゴクは整地作業の時に砂を顎の力で刎ね飛ばすのだが、その際に「風力分級」という物理学を応用するというのである。
風力分級だのニュートン域だのと言われても、私にはチンプンカンプンなので、興味のある方は更に突っ込んでみてもらいたい。

アリジゴクはウスバカゲロウの幼虫であるが、これにも色々の種類がいるようで、水中で幼虫期を過ごす種類などは成虫になって2、3時間で死ぬものがあるから(その前に婚姻飛翔 nuptial flightという集団行動を取る)カゲロウは短命で儚いもの、という先入観があるが、このアリジゴクの幼虫と成虫に関しては、そうでもなかった。
このアリジゴクのウスバカゲロウは2、3週間生きるそうである。しかも幼虫期であるアリジゴクの期間が2、3年であることを考えると、かなり長命な昆虫ということである。

このアリジゴクは捕らえた虫の体液を吸うと、先に書いたが、体液を吸ったあとは、穴の外へボーンと放り投げて捨てる。また非常に変った体の構造をしていて、肛門がない。成虫になってから2、3年分の糞を一度に放出するらしい。
成虫のウスバカゲロウの活動期は7、8月の真夏である。

以上、専門的な記述をネット上に載る研究者の記事から紹介した。

私は内向的な性格の子供で、もちろん以上のような難しいことは知る由もなく、縁側の下で繰り広げられる蟻地獄の狩の様子を、じっと見つめるばかりであった。
アリジゴクの幼虫の成長につれて、すり鉢の穴の直径は大きくするようであった。直径1センチくらいのものが、3センチくらいにも大きくなるようであった。
そういう少年期の記憶が、後年になって、このような歌に結実したと言えるだろう。

掲出するのが遅くなったが、ウスバカゲロウの成虫の写真を出しておく。
usubakaウスバカゲロウ

俳句にも蟻地獄という夏の季語はあり、歳時記には結構多くの句が載っている。それを引いて終わる。

 蟻地獄ほつりとありてまたありぬ・・・・・・・・日野草城

 蟻地獄見て光陰をすごしけり・・・・・・・・川端茅舎

 蟻地獄みな生きてゐる伽藍かな・・・・・・・・阿波野青畝

 蟻地獄寂寞として飢ゑにけり・・・・・・・・富安風生

 むごきものに女魅せられ蟻地獄・・・・・・・・滝春一

 蟻地獄かくながき日もあるものか・・・・・・・・加藤楸邨

 蟻地獄群るる病者の床下に・・・・・・・・石田波郷

 蟻地獄孤独地獄のつづきけり・・・・・・・・橋本多佳子

 わが心いま獲物欲り蟻地獄・・・・・・・・中村汀女

 蟻地獄すれすれに蟻働けり・・・・・・・・加藤かてい

 蟻地獄女の髪の掌に剰り・・・・・・・・石川桂郎
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先に書いた水生のウスバカゲロウのことだが、この種類は私の本題とは直接には関係がないので、ここに「余談」として書いておく。
ウスバカゲロウと言えば、実生活には、むしろ、この水生のウスバカゲロウの方が関係があるかも知れない。
というのは盛夏になると特定の川沿いの道路なんかに、この水生のウスバカゲロウやトビケラの群れが密集して飛び車の運転も出来ないようになるような光景が出現する。翌朝には道の上に層をなして死骸が重なっているのである。虫の油でスリップ事故なども起る。
これは先に書いた「婚姻飛翔」nuptial flightという雄と雌のウスバカゲロウが交尾を求めて群れるのである。こういう集団発生があちこちで見られる。
余談ではあるが、念のために書いておく。
トビケラの種類も日本でも数百も居ると言い、そのうちのどの種類であるかは判らない。水生のカゲロウとトビケラは、極めて近縁の昆虫であるらしい。
「群飛」して婚姻飛翔するのは先に書いた通り、本当である。
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この記事を元にして私の第二詩集『愛の寓意』(角川書店)に「風力分級」の題にして「詩」として載せた。
風力分級という非日常的な題なので、多くの人から注目されたようだ。一言触れておく。


「たかまる通信」87号─藤原光顕・剣持政幸の歌・・・・・・・・・・・・木村草弥
たかまる

──藤原光顕の歌ほか──(7)「たかまる通信」87号掲載2012/07/01

    そういえば・・・・・・・・・・・・・・・・藤原光顕

   雨が上がって微風に暮れる薔薇 若いままのあいつが通ったような
   ベランダの健気な蜘蛛の巣次々切り捨てて あやふやな夕風にいる
   一錠ずつ切り離してゆく薬何種 楽しむような手つき見ている
   晚酌を止めて半年 そういえばひさしく刺身を食べてないなァ
   もう少し頑張ってみたらというように歩き始めの赤い靴もつれて
   三年前亡くなってます郵便物送らないでそんなかたちで訃報がくる
   七十七年連れ添ってきたんや いまさらただの偏屈と言われてもなァ
   メ—ルがトラブったので手紙にする 手紙の文案は時間がかかる
   ノンアルコ—ルビール一気に飲んで そこそこ出世できるといいね
   四五冊の推理小説など積まれ 踏み台はいつからそこに在ったか
   蟻の塊数万(たぶん)殲滅して やっぱり軽い命と思う
   十項目ほど仮名書きのメモ持って一日おきにス—パ—に行く
   車窓を流れる文字読み辛くなってあのビルはなんという会社だったか
   今、はづかし 車中からメールが来る はづかしは羽束師のこと
   いつ何が来るかあんたも知らぬと言う 西日本は晩春である
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     廃線の駅・・・・・・・・・・・・・・・・剣持政幸

   昨日まで群がった木造の駅舎にひなたぼつこの影が揺れている
   寂しいとか悲しいとか余裕がないまま往復する人混みの車内
   花散らしの雨に誘われ最後の責務を果たす田舎に届けた文明の報せ
   車社会に挟まれ自を貫いたひとすじの道 錆び付く鉄路が重すぎる
   昨日までさよならしてた人の渦 今日から運行するバスに前途多難
   逆走行に停車した珍しいホーム 百年前にすり減らした城域の跡
   いつにない風の冷たさ感じながら長い鉄路を走り抜ける
   真新しい駅の標識 せめてこれだけはと願いを込めてカメラに写す
   かっての城下町に大正浪漫が漂う90年運び続けた文明の力
   砂埃舞う平地を走り抜けいつしか高速交通網に囲まれた遺物
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おなじみの光顕節は、「老いの哀歓」を表現して、健在である。
剣持氏は、まだ若いが、歌がせっかちすぎて、第三者には、少し意味が辿れないところがある。
もう少し歌の数を増やしてみたらと思う。
スキャナで取り込んだので、どうしても文字化けが生じる。つとめて修正したが、見落としがあれば、ご指摘を。

いつものことながら、この冊子の表紙のカットが秀逸である。作者は梅木望輔さんの絵手紙である。



江夏名枝 詩集『海は近い』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     江夏名枝 詩集『海は近い』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・・思潮社2011/08/31刊・・・・・・・・

この詩集で江夏名枝さんが第二回「萩原朔太郎記念とをるもう賞」を受賞された。
その決定に関する記事を引いておく。
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NPO法人「やお文化協会」

第2回「萩原朔太郎記念とをるもう賞」決定のお知らせと贈呈式のご案内

 東日本大震災の被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。また、福島第一原発の事故も気にかかる最中ですが、皆様いかがお過しでしょうか。
 さて、去る5月26日に行われました第2回「萩原朔太郎記念とをるもう賞」の選考結果をご報告いたします。
全国から応募された64冊の詩集のなかから第2回受賞作は江夏名枝(えなつ・なえ、東京都)さんの『海は近い』(思潮社)に決定しました。
選考委員は粟津則雄、季村敏夫、暮尾淳、三井葉子の4氏です。
 受賞作の「新鮮なことばの輝き」が高く評価されました。なお、最終候補は次の6冊でした。

 江夏 名枝  『海は近い』
 河邉 由紀恵 『桃の湯』
 一方井 亜稀 『疾走光』
 カニエ・ナハ 『さよならがぼくらのほんとの名前だよ』
 にしもと めぐみ 『マリオネットのように雨は』
 橘  上   『YES (or YES)』

 贈呈式は、7月7日(土)午後2時より、八尾市文化会館(近鉄大阪線八尾駅徒歩3分)4階会議室に於いて、次の要領で開催いたします。
今回は三井葉子先生に記念講演をお願いしています。皆様のご参加を心よりお待ちしています(入場無料、どなたでも参加いただけます)。

式次第

第1部(午後2時より)
(1) 主催者挨拶    NPO法人やお文化協会理事長 西辻 豊
(2) 後援団体挨拶   八尾市長 田中誠太
(3) 後援団体挨拶   毎日新聞社代表
(4) 後援団体挨拶   ミキハウス代表取締役  木村皓一
(5) 来賓挨拶     萩原クリニック院長 萩原正久 ほか
(6) 選考結果の報告  選考委員
(7) 授与式(表彰状、河内木綿テーブルセンター、賞金50万円)
(8) 受賞者挨拶    江夏 名枝
[休憩]
第2部(午後3時より)
(1) 萩原朔太郎作品「鶏」による歌曲
     坂本曠一(作曲)坂本理穂(ソプラノ) 高見美由紀(クラリネット)
(2) 記念講演「あなたは詩が好きですか」 三井葉子
(3) 朗読と歌  葛城久美子 白鷹寿美子 萬藤照美 淡瀬敦子 吉村カオリ 川口民世
(司会 山田兼士)
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今日が、その授賞式なので、この詩集を採り上げた。
この詩集は、極めてあっさりした作りで、著者の「あとがき」も、経歴なども一切ない。
Wikipediaを引いても、個人的なことは何も分からない。

「帯」には、表に

   <くちびるの声がくちびるを濡らし、青はまた鮮やかになる。
    波打ち際に辿りついて。

     波打ち際に辿りついて、ここに現れるのは、あらゆる心の複製である。>

という巻頭に載る詩が引かれている。

この本には「栞」が挟まれていて、江夏名枝『海は近い』によせてというタイトルで

  世界との距離を計りながら     城戸朱理

  幻想性豊かな仮構詩集      倉橋健一

という二人の栞文が三ページづつ書かれている。
ここでは、「帯」裏面に引かれる、部分を引いておく。

  <たおやかな構成にくわえて、メタフアの過剰を避けた適度な意味性の採用、
   果実を思わせる弾力性もともなった言葉センス、
   さらに全体的に大きなウェーブを描いたところなど、
   本年度屈指の新生詩集であることは間違いない。   ──倉橋健一── >

  <明かしえないことがあり、語りえないことはある。
   しかし、そのすべてでもって、世界はわたしを抱擁し、
   見方を変えるならば、連続したもの、ある統一体(ユニティ)であることを、
   この詩集は、静かに物語っているのではないだろうか。  ──城戸朱理── >

  在るままの問いのかたちが世界を静かにめくりゆく、鮮烈な第1詩集。
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「海は近い」という章は全部で20篇の短い詩で構成されていて 1~20の数字が一つの詩ごとに打たれている。
「帯」の表面に載るのが、その(1)の詩である。
途中を飛ばして終わりの方三つを引いておく。

  18

   この初夏を孤児のようにしてひきとる。

   指先を繰り、牽きあう魔術が日と日を接合させ、重い鞄を持ちあげるように
  また出発する。
   丘陵を横断する貨物線を濃紺の列車が長く続く。
   目に見えるものたちに触れている、草叢から伝わる冷えた空気に触れている、
  裏庭から小道へ抜ければ、季節によって移り変わる葉の匂いを耳の奥、粘膜や
  咽喉を、めぐりのほつれを感じている。
   このままに日を過ごそう。きっと空いた腕を何ものかに奪われ、ひとりそっ
  と満たされる。
   世界の片隅に両腕でからみついて、泡のように静かにしている。
   心の置き場所が同じであることに深く目覚めている。

  19

   心の置き場所が同じであることに深く目覚めている。

   遠のいたさえずりを小瓶につめて、ゆつくり身支度を整える。
   微風のなかで淡い息のなかで。
   あなたのこころの裂け目に耳をあてて眠る夜には、無数の寝室のドアが開い
  て不眠の娘たちが髪をほどいている。

   時を過ごすことは、つつましく眼を凝らしてつつましく眼をふせる、明るさ
  への宿りだ。その場所へとわたしを向かわせる絆は名づけられなくてもいい。
   正午すぎには気難しくなる波たちも、陽の落ちた白い空に寄り添うようにお
  となしくなっていった。
   くちびるの声が唇を濡らし、青はまた鮮やかになる。

   湧き立つ不思議な雲を指さして見つめては、肌をすりよせて微笑み、そっと
  時をやすませてあげていた。時は小鳥たちのように、わたしたちによくなつい
  ていた。

   
  20

   時は小鳥たちのように、わたしたちによくなついていた。
  「いつも目覚めていたい」というもっとも深い欲望、そして深い眠りにありた
  い。均一な透明の陽に宿されて。

   波打ち際に辿りついて、ここに現れるのは、あらゆる心の複製である。
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(1)の末尾の詩句──波打ち際に辿りついて、ここに現れるのは、あらゆる心の複製である。──が
(20)の末尾に来るという、詩作りの常套技法が、巧く使われている。

こういう風に、各所に詩作りの常套手段である「ルフラン」(リフレイン)が心地よい。
あと一つ、夏という季節に合わせて引いておく。

      夏の栞・・・・・・・・・・・・・江夏名枝

     しめやかに声を重ねる葉のかすれ、
     無数の夏の葉のもとに非情を生みつけ、
     無数の時間を生みつけて
     忘却は、「忘却する」という簡素な衣装

     踏みしだかれても尽きることのない夏
     子供時代の格子戸を通って、
     午後の傾く陽が懐かしく影を延ばした
     白いガーゼの包帯が、体温を吸う匂いがする

     酸味に満ちた太陽
     軽い疲労の中で身体の中枢が晴れやかに冴え、
     色づいてゆく流転の重みが熟れる
     アカシア、あなたのなかに消えたものがある

     わたしを守護するものは、
     用いることを誤ってはいけない劇薬の小瓶
     ゆるやかな坂を過ぎたなら
     やがて明るい宵にこころをひたして

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この賞についての詳細が『びーぐる―詩の海へ 第16号』に詳しく載っている。 目次を載せておく。
当該部分を太字と下線で示しておく。

びーぐる―詩の海へ 第16号 目次

特集

関根弘を想起する

インタビュー 長谷川龍生さんに聞く 関根弘とその時代 聞き手 細見和之/山田兼士 4

論考   関根弘と現代詩の可能性

自分で自分の 関根弘小論 岡庭昇 12            関根弘の方法論 倉橋健一 16

「現代詩の会」解散への道 高良留美子 22      関根弘、回転する独楽の軸として 中川敏 27

末来予言者としての関根弘 平居謙 31

エッセイ 関根弘の肖像

関根弘のガンコ 小沢信男 38           詩は花火のようなものだ 暮尾淳 40

幻肢痛の鈍い疼きとして 下前幸一 41       関根弘と「列島」編集ノート 中村不二夫 43

関根弘の新宿 八木忠栄 44

作品抄 48   年譜 54  著作一覧 55

作品        臨界     亜久津 歩   56    言うまでは泥。   清水あすか  60

時計   野田順子 62     とかげ     和田まさ子  64

時制の研究  四元康祐 66  かたつむりの唄  細見和之  68


発表 第二回 萩原朔太郎記念とをるもう賞


[受賞詩集]『海は近い』       受賞の言葉  江夏名枝 69

選考評   選評  粟津則雄 70              光の到来   季村敏夫 71

感想一筆   暮尾 淳 73        精神の公平   三井葉子 74

特別寄稿 萩原朔太郎「鶏」作曲ノート  坂本曠一 75

詩集『海は近い』より 76

連載        石垣島通信 6 八重 洋一郎 81

四元康祐/高階杞一のフォトポエム【16】「果樹」82

細見和之/山田兼士の対論・この詩集を読め【16】江夏名枝『海は近い』 84 

高階杞一「詩歌の植物」【2】「あれは菜の花?」 92

小池昌代「シ・カラ・エ・カラ・シ」【16】「顔と顔」 96

森雅之「よそみの時間」【11】「猫」 98

PIW通信 13 「詩祭会場から」 四元康祐 100

時評         ■詩集時評 8 死を描く/死を歌う/山田兼士 101

■詩誌時評 4 芸術には引き算が似合う/北川朱実 105

■詩論時評 8 詩とは何か、詩人とは何か/細見和之 109



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