K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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米満英男・遺詠『地に杖を』9首・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
米満

        地に杖を・・・・・・・・・・・・・・米満英男
               ・・・・・・同人誌「黒曜座」67号(2012年5月)掲載・・・・・・・・・

   家といふこの大き柩のなか眠りては醒めいつかは目覚めず

   髭が生え爪伸ぶる間は大丈夫生きてゐるのだと励ましてゐる

   地に杖を刺しつつ歩むその行方真赤な夕日が黝くなるまで

   雪の下雪を仰ぎて雪を飲みきあの咽を過ぎし雪は今どのあたり

   川を泳ぐ犬あり首をたかく上げ誰もゐない彼岸へ急ぐ

   人の夢まさに儚しその夢を見ずなりたればさらに儚し

   悲しみの器とふにんげんに蓋あらざるは涕涙を零すため

   芯のなきトマト食ひつつ芯のない脳味噌をもて歌を考ふ

   影法師ひとり連れきてここ掘れと唆(そそのか)されて掘る深き墓穴(あな)

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なお、同人誌「黒曜座」67号(2012年5月)の編集後記全文は、下記の通り。  ↓

★本誌編集代表米満英男が二月二十日亡くなりました。
自宅での穏やかな最期でした。この世の息をゆっくり大きく吐いてから、発っていきました。
苦しみも痛みもなかったその最期に、医師は老衰という死因を記入していました。
あと一ケ月ばかりで八十四歳の誕生日を迎えるはずでした。書きかけの原稿用紙とペンを棺に入れました。
あの世に着いたら、早速読み且つ書いていることでしょう。
★次号六十八号を米満英男の追悼号とします。詳細については、後日お知らせします。
そして、この「黒曜座」は六十八号をもって終刊といたします。一九九四年七月創刊以来、十八年の歳月が過ぎました。
長かったのか短かったのか、いずれにしても重い歳月です。
★最初は「鴉・a」次いで「海馬」、そして「黒曜座」と、米満は短歌同人誌を編集、発行し続けてきました。「鴉・a」を発行したのは三十五歳の時でした。
爾来、決して“宗匠”になることなく、一歌人として仲間たちと共に一途に歌を愛し、歌に遊び、同人誌発行に関わってきました。
最期の、あの穏やかな表情はそうした生涯を自ら納得したからなのでしょうか。
★天野律子歌集『空中の鳥かご』が発刊されました。次いで小西美根子歌集も近く発刊予定です。さらに歌集発刊を準備中の幾名もあるやに聞いております。
「黒曜座」の仲間たちが、これからも益々、いい歌人として活躍していくことを願います。(a)
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米満英男氏が亡くなった。
彼は昭和三年三月十九日の生まれである。
上に引いた「編集後記」の末尾にある(a)というのは、令夫人の天野律子さんの執筆になる、ということだろう。
私とは二つ上の短歌の上での先輩、先達だった。前衛短歌はなやかなりし頃の活動家だったらしい。
その頃は私は短歌界には縁がなかったので、よくは知らない。
米満氏の同行者であった、当地に住んでいる新井瑠美さんから話はよく聞かされた。
個人的には浅い付き合いだったが、今はもう無くなったが「短歌現代」の新年会が関西であったとき、誘われて出席したことがあり、
会の後、米満氏などと酒杯を交わしたことがある。
私の歌集について的確な「批評」をしていただいたことが二度ある。 以下に引いておく。

*書評*
   定型・自由律ニ刀の手練れ・・・・・・・・・・米満 英男


       (短歌新聞社「短歌現代」平成11年11月号所載)

   先に上梓された定型歌集『嘉木』に次いで出された口語自由律短歌の
   第三歌集。
   その「あとがき」に記されているように、著者にあっては、文語定型も、
   口語自由律も<韻文>という点において、差別のない同根の存在
   として認識され、かつ作り分けられている。
      ・蜂たちは飛んで味覚を知覚する「女王はどこだ、火口をさがせ」
      ・わたくしが愛するものは仮借なき攪拌だとは挑発的ね
                  挑発的=プロヴォカティヴ
   など、見事に定型に収まりきっている。が声に出して再読すると、さらに
   見事に「口語自由律短歌」としての今日的言語表現に転化して響いて
   くる。 その逆の歌い方の作品もある。
      ・悲しいお便りでした 善意に囲まれて晴ればれと暮らしていた鳩には
   の歌など、<完全自由律>のようだが、57577にきっちり読み下すこと
   ができる。
      ・ここに二匹のカメがいる 一匹は質問という名でもう一匹は答という名だ
   別して上の類の<直覚的思想>にこめられたエピグラム風の軽さと重さの
   絶妙の均衡の前に立つ時、その手練れの技にただ息をのむ。

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  *書評*
   木村草弥歌集『嬬恋』──感応・・・・・・・・・・・・米満英男(黒曜座)

           その多様な発想と表現に向けての恣意的鑑賞

 今、眼前に、四八二首を収載した歌集『嬬恋』がある。
まずその歌の抱える幅の広さと奥行の深さに圧倒された。
東はユカタン半島から、西はエーゲ海に到る<規模雄大> なる覊旅の歌にも目を瞠ったが、その現地体験もなく、宗教や風習にも全く疎いと気付き直し、
敢えてそれらの歌からは、紙数の関係もあって降りることにした。
 私が平素上げている専用のアンテナに、強く優しく伝わってくる歌からの電波をとらえて、私なりの気ままな読み取りを行い、それを返信の言葉に代えて述べてみることにする。
   ①目つむれば菜の花の向うゆらゆらと揺れて母来るかぎろひの野を
   ②父を詠みし歌が少なし秋われは案山子(かかし)やうに立ちてゐたりき
   ③うすべにのゆく手に咲ける夕ざくら父なる我の淡きものがたり
   ④夜の卓に土筆の吐ける胞子とび我死なば土葬となせとは言へず
   ⑤石ひとつ投げし谺がかへりくる花の奈落の中に坐れば
   ⑥うつしみは欠けゆくばかり月光の藍なる影を曳きて歩まむ
 いずれの作品も、まさに現代短歌の本筋とも言うべき、肉眼と心眼、写実と抽象、正視と幻視が一元化した上で、さらに濃密性と透明感を秘めた歌に仕上がっている。
 一首ずつ、恣意的に味わってみる。
 ①の歌、目つむれば常に花の向うから現れる母の姿。おそらくは母が纏う甘い匂いも嗅ぎ分けていよう。
②の作品、父と同様、作者自身も、父となった以後は、子から見れば孤独な存在に過ぎない。
③真昼間の春爛漫のさくらではない。若気の至りを越えた後をふり返りつつ、その回想を子に聞かせている。
④上句にこめられている妖気が、下句の願望を妨げ作者の口を閉ざさしめる。
⑤花にかこまれて坐っている自分の姿を、奈落の中と観じた刹那、投げた石の谺のひびきがわが身を禊ぐ。
⑥の歌、白い月光の下、藍色の影を曳きゆくほどに、うつしみの欠落部分が、いよいよつよく感じられると詠じている。
 次に、上掲の歌とがらりとかわって、何とも言えぬユーモア、あるいは洒脱な語り口からくる、本音に近い発想の楽しさを湛えている作品を抜き出してみよう。
   ⑦重たげなピアスの光る老の耳<人を食った話> を聴きゐる
   ⑧手の傷を問ふ人あれば火遊びの恋の火傷と呵々大笑す
   ⑨クールベのゑがくヴァギナの題名は「源」(スールス)といふいみじくも言ふ
   ⑩春くれば田んぼの水に蝌蚪(おたまじやくし)の語尾活用を君は見るだらう
   ⑪園芸先進国オランダ開発のミディトマト「レンブラント」と名づけられた
 ⑦の作品、車内で見た<老婦人>であろう。
隣の老人の語る<人を食った話>、つまり人を馬鹿にした話をじっと聴いている。そしてその話をまた作者自身も、思わず聴いてしまう。
⑧は、これまた、何とも鮮やかな応答である。結句の<呵々大笑>の締めがよく効いている。
⑨読み下した瞬間に「なるほど」とうなずく外はない愉快な歌である。下句の<いふ><言ふ>の駄目押しが決まっている。
⑩さてさて、こういう発見もあったのかと頷き返す。<君> が何者かと思案する楽しさも残されている。
⑪<レンブラント>という重々しい命名のトマト─是非食べてみたい。
こういう、絶妙な軽みを持つ歌を随所に据え置いているのも、作者のすぐれた<芸> の内であろう。
 さて、ここら辺りで、題名の『嬬恋』にぴたりと即した作品をとり上げてみよう。
   ⑫雷鳴の一夜のあとの紅蜀葵(こうしよくき)まぬがれがたく病む人のあり
   ⑬億年のなかの今生と知るときし病後の妻とただよふごとし
   ⑭生き死にの病を超えて今あると妻言ひにけり、凭れてよいぞ
   ⑮ゆるやかに解(ほど)かれてゆく衣(きぬ)の紐はらりと妻のゐさらひの辺に
   ⑯水昏れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら
ありきたりの感想など入れる隙間などない、まさに絶唱としか言いようのない作品である。が、それではいささかこちらが無様すぎるので、敢えてひとこと述べてみる。
 ⑫雷鳴が葵というはかない存在を経て、病む人につながるその緊迫感。
⑬永遠の時間に比べれば、人のみならずすべての生き物は瞬間の命しか持ち得ないという詠嘆。
⑭四句から結句に至るその間に付けられた<、>の重さによって、<凭れてよいぞ>という作者の肉声が何とも切なく伝わって来る。
⑮若かりしころの艶なる妻の姿態がふと浮かぶ。歳月の流れ。
⑯一歩踏み出せば一種の惚気とも取られかねない際どい線の手前に踏みとどまって、己れの身をその<女>(ひと)に委ねている。

 好き勝手な、自己流の鑑賞──というよりも、一方的な受容と合点を行って来た。
そこであらためて気付いたのは、この歌集のもつ多様性であった。しかもそれは、歌の表層部分の言葉の置き換えから来るものではなく、
作者自身のその場その時における情念と直感が導き出す重厚にして膨みのある、ユニークな詠嘆であった。 
 その詩的詠嘆の、さらなる充溢と進展に向けて、惜しみなき拍手を送りたい。 (完)

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はじめに掲げた「地に杖を」の一連は、何だか自分の死を予感したようで、せつせつと胸に迫るものがある。佳い歌である。

掲出した本は、彼が豊富な歌人たちとの交友の中から選んだ古今の14人にまつわるエッセイである。
奥付けを見ると、2000/03に出ている。
この文章は「黒曜座」に連載されたものを一冊にまとめて出されたものである。
他にも歌集などがあるが、本が多すぎて書架から見つけられないので、この本を掲出するにとどめる。
私より二歳上に過ぎないのに、精力を使い果たしたのか、まだ早い死である。
私は亡妻の介護に没頭していた数年があり、その間、歌壇とも縁を切っていた時期があり、彼や「黒曜座」とも縁遠くなってしまったのが悔やまれる。
ここに、この文章を載せて、ご冥福を祈りたい。 合掌。

なお、彼の死は藤原光顕氏の「たかまる通信」87号で知って、藤原氏には、この歌の全文などを知らせてもらった。厚く御礼申し上げる。

仏桑花真紅の声を挙げて基地・・・・・・・・・・・・・山田みづえ
hibiscusハイビスカス①

     仏桑花真紅の声を挙げて基地・・・・・・・・・・・・・山田みづえ

仏桑花(ぶっそうげ)とは「ハイビスカス」のことである。
この前の戦争では多くの人が敗戦国民として戦勝国に支配されて辛酸をなめたのである。
その頃、戦争は南の国で行なわれたので、南方系の植物──ハイビスカスに想いは繋がるのであった。
一昨年の春に沖縄本島に旅した。
以前にも訪れたことがあるが、今では激戦地だった南部の丘に「平和の礎(いしじ)」や記念館の立派なのが出来て、国内外の戦没者の名に拝して戦争の悲惨さに想いを馳せたのだった。
ここにも「ハイビスカス」は赤く色あざやかに咲いていた。
「基地」が沖縄の広い面積を占有し今も騒音その他に悩まされている。
この句の「真紅の声を挙げて基地」というのが内地人である我々の心に突き刺さる。

歳時記の句を引いて終わる。

 仏桑花爆心に咲き喪の季節・・・・・・・・下村ひろし

 口笛は幼くかなし仏桑花・・・・・・・・塚原麦生

 海の紺ゆるび来たりし仏桑花・・・・・・・・清崎敏郎

 島人の血はかくも濃し仏桑花・・・・・・・・青柳志解樹

 ひめゆりの塔に火種の仏桑花・・・・・・・・井口荘子

 天に入る熔岩原風の仏桑花・・・・・・・・古賀まり子

 仏桑花咲けば虜囚の日の遠き・・・・・・・・多賀谷栄一

 仏桑花咲く島に来る終戦日・・・・・・・・北沢瑞史

 ひめゆり塔声を挙げゐる仏桑花・・・・・・・・田口一穂

 仏桑花供華としあふれ自決の碑・・・・・・・・岩鼻十三女


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