FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201209<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201211
上田吟子歌集『つばめの射程』・・・・・・・・・・・・木村草弥
上田吟子

──新・読書ノート──

     上田吟子歌集『つばめの射程』・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・ながらみ書房2012/09/25刊・・・・・・・・・

上田さんとは二十年来の知合いだが、第一歌集『日輪の原』から久しぶりに第二歌集である本書を上梓され、恵贈された。
著者は飛鳥宮跡の奈良県明日香村に住んでいる。 「あとがき」に著者は書く。

    <飛鳥の宮跡に住み、大和三山・二上山・三輪山をのぞみながら棚田をめぐるつばめを見つめて
     いますと、私自身がおぼろになっていくようです。
     第一歌集『日輪の原』から二十余年という月日が経ってしまいました。
     その間、姑の看取りがあり、ようやくパソコンに二千余首を入力し、これから編集をというとき、
     突然の圧迫骨折で入院。療養の日を送ることになり、・・・・・・・・
     飛鳥住みならではの古代の声に耳をかたむけ、変わらぬ風土を見守りながら草木虫魚と語り合う
     日々です。>

ここに歌集をまとめるに当たっての動機が要約されていると言えるだろう。

*ひるがへりひるがへりつつ空を斬るつばめの射程にわが家はありて
*蔵四つ東西南北守りゐて明治の風格保つわが家
*土地神に背中押されて夫と二人筍掘りす朝風のなか
*われといふみなもといづく大和三山をはるかに見つつ明日香風聴く

一番はじめの歌から、この歌集の題が採られている。けだし一巻を代表する歌として秀逸である。
それにつづく歌群を見ると、上田家が当地の旧家として飛鳥の地に根づいていることが判る。
これらの歌が巻頭に置かれているのも、読者の印象に強烈に残って快い。

*石床の女神の陰石見上げたりをみなと生れてをみなと死なむ
*病みあがりのまなこにやさしく揺れゐるは寒を耐へゐるみつまたの花
*わが家の伝来の提灯出番なく剣かたばみの家紋も古りぬ
*山辺の御井かと記せり和銅五年石積みの井戸の石に触れみる
*生きいそぎしものの形見か石舞台骨なく土なく夕霧まとふ
*死者生者へだてて光る青銅鏡吉祥の文字今に伝へて
*「國」といふ文字木簡のいでし田に千年むかしの泥の匂ふも

作者の住む大和は、どこに行っても風土記の里である。
いまアトランダムに引いてみたが、これらの歌には、それらへの想いが綴られている。
郷土を詠った歌は多いので引ききれないので、ご了承を。

*死者の食む黄泉戸喫の儀式など思ひて寂し香川進師
*蒿雀の影頭上を低く啼きとべば師の御魂かと見送るばかり
「地中海社」主宰者として君臨した香川進を詠んだ歌である。亡くなって何年になるだろうか。
その後を支えた美智子夫人も亡くなって幾年かが経つ。

歌集の章建てのⅢ、Ⅳには内外の羈旅の歌がまとめて載っているが省かせてもらう。

*産土の神の大き掌のなかに夕ひぐらしは身をしぼり啼く
*さなぶりの祭に捧げし小麦餅 杳き日差しの麦秋匂ふ
*朴の葉に盛る古代食 山の芋、鮎のひしほ煮、くくみら、赤米

「うぶすな」を詠った歌がとても多いので、その中から少し引いておく。

*おもて鬼門うら鬼門などと母は言ひ稲荷神を守りて長し
*雲のなか生きまどふごとほうほうとひとり遊びの母九十五歳
*みどりごのまとふ脂漏は湯に洗はれ産声をあぐこの世の声を
*歩くのが愉快、愉快の顔をしてみどりごゆらゆら歩きはじむる
ここに詠われるのは厳密には姑のことであろうか。
私も田舎暮らしなので農村共同体の行事・祭祀のことは幾ばくかは理解できる。
引いた歌の後段二首は作者の孫にあたる「みどりご」であろう。愛情ふかく詠われている。

*父の名づけし吟といふ字よ佳き歌をうたへ口遊め こころにひそめ
*父亡くて二十年過ぐ メソジスト教会史のなか父の名見付く
*大阪の牧師となりて人々に信仰説きしちちのみのちち

ここには自らの「吟子」という命名に因む歌が載っている。自分の名前に対する深い愛着が、ほのぼのと詠われて秀逸である。
牧師であったという父君のことを誇りに思う作者の気持が伝わり快い。

*これの身を支へてゐるはチタンといふ異物か時に脚をゆさぶる
*チタンの存在忘るなとばかり信号を送りくるなり脚より腰より

「手術のあとさき」という項目に載る歌である。チタンという金属は人体に対する親和力がいいので安心して過ごされよ。

甚だ雑駁な鑑賞だが、許されよ。
カバー画は、明日香在住の画家・烏頭尾精(京都教育大学名誉教授)という。いい絵である。
二十年余に及ぶ多くの歌の中から選ぶのは大変だったと思うが、一巻を通じて沈静した趣が通底しており、佳い歌集に仕上がっている。
ご恵贈に感謝して筆を擱く。  (完)




黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
51jmQ40JdyL__SS500_.jpg

    黒猫が狭庭をよぎる夕べにて
      チベットの「死の書」を読み始む・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
この歌自体は季節に関係はないが、「死の書」というので、ちょうど秋の彼岸も過ぎたことなので季節の歌と受け取ってもらっても構わない。

430976018X.09.LZZZZZZZエジプト死者の書

関連はないが、同じ「死者の書」(ウォリス・バッジ著)というのが古代エジプトにも存在した。
写真②が、それであるが、チベットにおける「死者の書」の扱いと同じようなことをしたらしい。

チベットの「死者の書」はいくつかのヴァージョンがあるらしいが、説くところは同じである。
チベットでは宗派を問わず、一般に「死者の書」という経典を臨終を迎えた人の枕元でラマ僧が読む習慣がある。
死者がこの世に執着しないように肉親、親類は遠ざけられる。
その経典には、死者が死後に出会う光景と、その対処法が書かれている。
この本の「曼荼羅」に現れる神々は男女交合の姿で描かれるという。(写真③)

yabマンダラ交合図

青い仏に抱きつくようにして交合している髪の長い、白い体の女の姿が見えるだろう。女は「口づけ」しているようだ。
これは歓喜仏(ヤブユム)と呼ばれているが、これは神々の合体の姿の中に、究極的な境地の至福の状態である「大楽」が保持されているからだという。
日本に伝えられた仏教の「理趣経」がそれに当るが、これこそ密教の最も密教的な部分である。
日本では「聖天」さんとして祀られているところで見られる。

死者は49日間バルドゥと呼ばれる生の中間的な状態に留まるが、その間に死者は、死の瞬間に眩しく輝く光を体験する。
最初の一週間で死者は平和の様相の神々の、次の一週間で怒り狂った神々の来迎や襲撃を受け、遂には閻魔大王の前に引き出され、人によっては灼熱地獄に投げ込まれたりする。
そして死者は、それぞれのカルマに従い、六つの世界のいずれかに再誕生してゆく。

今日、仏教(場合によっては「神道」も、これらの影響を受けているという)の色々の行事──たとえば、四十九日の忌明、満中陰の決まりなどは上に書いたバルドゥの考えそのものである。「生れ変り」「輪廻転生」などの考え方も、上に書いたことの表れである。また「地獄、極楽」あるいは「エンマ様」のことなど、われわれ仏教徒が子供の頃から親に言われてきたことを思い出せば、よくお判りいただけよう。
こういう俗事はわかり易いが、哲学的にいうと、深い思想を含んでいると言われている。
哲学者の浅田彰氏の本など、結構むつかしいものである。
写真④の歓喜仏は1900年頃チベットで作られたと思われる金銅製のもので高さ15センチくらいの小さいもの。
00892side1歓喜仏1900頃

このような「歓喜仏」はチベット特有のものではなく、ヒンドゥー教には古くからあるものである。
北インドのカジュラホに行くと、寺院の外壁一杯にレリーフが大小さまざまの交合スタイルで彫刻されている。ズームカメラがあれば鮮明な写真を撮ることが出来る。

kan9ガネーシャ歓喜仏宮城県

写真⑤はガネーシャという象の頭の格好をした神の歓喜仏である。
このようなスタイルは珍しいが、インドはヒンドゥー教が主流を占める国である。
ヒンドゥー教は多神教で、一神教のような「禁忌」は殆ど、ない。
ガネーシャというのは主神シヴァ神の子供だが、父親の言いつけに背いて罰をうけ、このような象の頭に首をすげ替えられた。
ガネーシャに組み敷かれた女の表情も、むしろ嬉しそうで、エクスタシーの境地にあり、ガネーシャの首に手を廻しているほどである。 
書き遅れたが、この像は宮城県のお寺にあるという。
こういう性に関する大らかさが特徴であると言えるだろう。
余談になるが、インドに行くと、このガネーシャ神を祀った寺院がある。
どうも、このガネーシャは金儲けの神様でもあるらしく、お金持ちの事業家が金ピカの大きな寺院を喜捨して建てているのである。


copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.