K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(11月)月次掲示板
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昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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十一月になりました。
いよいよ冬に入ります。文化の香りも。

 万葉の蟹が哀しくうたう歌 万葉人も食っていた蟹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・奥村晃作
 冬ぞらを錐揉みて立つ樅の木の末(うれ)は流るる雲を梳きつつ・・・・・・・・・・恩田英明
 あれは秋の死のくるめきか澄みのぼる鳥を目守りき点となるまで・・・・・・・・・長岡千尋
 十歩ほど互みに過ぎて気づき合ふ秋の半ばのすずめいろどき・・・・・・・・・・・高旨清美
 舞ひたつは愉しからむよ木枯しに吹かれて飛ぶはけやきの落葉・・・・・・・・・・三井ゆき
 涙もろくなりし秋かな耳もとに閑吟集の小歌ささめく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・島津忠夫
 白玉か何ぞと問はむひとなくて露もひさしき秋をおそるる・・・・・・・・・・・・・・・ 水原紫苑
 句の中の戦後間もなき青空よ 林檎も雁も晩秋の季語・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 負け方も大事のひとつ風の尾が路上の落葉を攫いて行けり・・・・・・・・・・・・・・・三井修
 渋皮のなかなか剥けぬ爪汚しつつ中年期に入りたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 駒田晶子
 わたしよりうつくしい眼のそのひとに如雨露のような性欲だろう・・・・・・・・・・・ 大森静佳
 からすうりの赤きが枝に二つ三つ裏山の冬の木はやわらかし・・・・・・・・・・・・ 斎藤芳生
 十一月あつまつて濃くなつて村人・・・・・・・・・・・阿部完市
 十一月いづくともなき越天楽・・・・・・・・・・・・・・・滝沢和治
 山の子が独楽をつくるよ冬が来る・・・・・・・・・ 橋本多佳子
 難民はムンクの叫び冬が来る・・・・・・・・・・・・山上樹実雄
 冬がくるドレッシングの分離層・・・・・・・・・・・・・ふけとしこ
 冬ざれや瀬音ま近く湯にひたる・・・・・・・・・・・・・角川源義
 たはごとや芒はなびくばかりなる・・・・・・・・・・・・油布五線
 信じてはいけない熊に月あかり・・・・・・・・・・・・・・・東直子
 立ちざまに足の触れ合ふ十三夜・・・・・・・・・・・・太田うさぎ
 民草の吾にとんぼの止まりけり・・・・・・・・・・・・・中塚健太
 トラックの胴に歌麿冬ざるる・・・・・・・・・・・・・・・・山下和子
 抒情詩ではあるまいかいわし雲・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 海を北に山を南に秋惜しむ・・・・・・・・・・・・・・・・田島風亜
 蟋蟀や明朝体の脚持てり・・・・・・・・・・・・・・・・・高勢祥子
 纏ひつくものけざやかに紅葉なす・・・・・・・・すずきみのる
 病む人の爪透きとほるしらが葱・・・・・・・・・・・・・藤山直樹
 牛の尻並べ勤労感謝の日・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後
 発泡酒ばかりを飲みて神楽舁・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 母の手を振り解く子や七五三・・・・・・・・・・・・ 小早川信義
 芋菓子と栗菓子とあり一つづつ・・・・・・・・・・・・・上田信治
 ラグビーを観ながら非常階段を・・・・・・・・・・・・・・・今村豊
 椅子に待つ蚕豆の茹でおはりかな・・・・・・・・・・生駒大祐
 新神輿金銀よりも白木美し・・・・・・・・・・・・・・・・中西夕紀
 長き夜のはじめに窓枠のありぬ・・・・・・・・・・・・・茅根知子
 警告が出て押す理容院の椅子・・・・・・・・・・・・・井上一筒
 口中に一枚の舌神の留守・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩永佐保
 東京の讃岐うどんや秋の雨・・・・・・・・・・・・・・・・和倉左京
 百舌さけぶ悲劇は晴れた日に起こる・・・・・・・・・ 福田若之
 唇を咬めばはぐれの鳥渡る・・・・・・・・・・・・・・・・・ 七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第五歌集『昭 和』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
一般書店からの取り寄せは、角川書店の配本部門・角川グループパブリッシング発売、と指定されたい。
ネット書店ではセブンネットショッピングLivedoor.Books紀伊国屋書店BookWeb、 楽天ブックスブックメール倶楽部、全国書店ネットワークe-hon でも買えるようになっています。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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「角川書店」話題の新刊書籍
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白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ/柔らかな光の陰の白いテントを張った・・・・・・・ハックスリー
kohakucyou02-1コハクチョウ飛翔

    白 鳥・・・・・・・・・オルダス・ハックスリー・・・・『レダ』より

      白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ

      自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った

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この詩は、ジェイナ・ガライ『シンボル・イメージ小事典』(社会思想社・現代教養文庫、中村凪子訳1994年)に「白鳥」という項目のはじめに載るものである。
原題はJana Garai THE BOOK OF SYMBOLS である。

シンボル事典

この本については先に採り上げた。図版②にその写真を出しておく。
以下、この項目の全文を長いが引用する。
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詩人のシンボルであり、詩人のインスピレーションの源であり、ウェルギリウスとアポロンの魂そのものである白鳥は、美しい姿と優雅な動きが忘れがたい印象を与える。
ウェヌス(ヴィーナス)は水に映った白く柔らかく、ふくよかな自分の体を見て、白鳥を自分の鳥とした。
そこで白鳥は、官能的な裸身を持ち、しかも貞節な処女というイメージで詩にうたわれた。
しかし、白鳥はいま一つ別の意味をもつ。
水にさしのばされる力強く長い首は男性としての意図をもつものとされ、両性を表わす二重の意味をもつことによって、白鳥は満たされた欲望を象徴するようになった。
この不思議な両性具有という相反する二つの性質のゆえに、白鳥は神話のなかではもっとも深い尊敬の念をもって扱われ、また呪術的な意味をもつものとされた。
騎士も、そしてまた処女も、ともに白鳥の羽をまとって変身する。ユピテルは白鳥となってレダのもとへ飛び、ローエングリーンはエルザのもとへ飛ぶのである。
ケルト神話によればケールはある年ケルトの乙女に、次の一年は白鳥に姿を変えて、貴公子アンガスを誘惑する。
瀕死の白鳥が歌うという神秘の歌は、プラトンやアリストテレスさえ信じたが、いま一つ欲望の充足という隠された意味をもち、その欲望は死を代償とするものであった。
王家の紋章、あるいは居酒屋の看板に、竪琴とともに描かれた白鳥をしばしば見るが、これは白鳥の歌についてさらに深い説明を与えている。
竪琴の音は熱情的でもの悲しく、地上の苦しみへの哀歌を奏でる。
情熱的な白鳥はこの切々とした旋律と結びついて、詩人の悲劇的な死や、芸術に身を捧げた人びとのロマンティックな自己犠牲の精神を象徴するのである。
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757px-Correggio_038コレッジョ
 ↑ コレッジョの絵 (ベルリン 絵画館)
西洋の絵に見られる「レダ」には必ず白鳥が共に描かれる。
これはギリシア神話に由来するが、上に書かれたことが頭に入っていれば、その絵が象徴する意味が、理解できるというものである。
しかも、それが「両性具有」という深い二重の意味を胚胎している、と知れば、絵画といえども、なおざりには見過ごせない、ということである。

今しも、白鳥が日本に避寒のために飛来しはじめているらしい。越冬地では、しばらく優雅な白鳥の姿が見られるのである。
歳時記に載る白鳥の句も多いので、少し引いて終わる。

 一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす・・・・・・・・・・橋本多佳子

 白鳥といふ一巨花を水に置く・・・・・・・・・・中村草田男

 白鳥見て海猫見て湖に安寝する・・・・・・・・・・角川源義

 亡き妻を呼び白鳥を月に呼ぶ・・・・・・・・・・石原八束

 八雲わけ大白鳥の行方かな・・・・・・・・・・沢木欣一

 霧に白鳥白鳥に霧というべきか・・・・・・・・・・金子兜太

 千里飛び来て白鳥の争へる・・・・・・・・・・津田清子

 白鳥のふとこゑもらす月光裡・・・・・・・・・・きくちつねこ

 写真ほど白鳥真白にはあらず・・・・・・・・・・宇多喜代子

 白鳥のこゑ劫(こう)と啼き空(くう)と啼く・・・・・・・・・・手塚美佐

 白鳥の黒曜の瞳に雪ふれり・・・・・・・・・・鈴木貞雄

 白鳥の野行き山行きせし汚れ・・・・・・・・・・行方克己

 白鳥の大きさ頭上越ゆる時・・・・・・・・・・吉村ひさ志

 白鳥の仮死より起てり吹雪過ぐ・・・・・・・・・・深谷雄大

 白鳥の岸白鳥の匂ひせり・・・・・・・・・・小林貴子

 白鳥の首の嫋やか冒したり・・・・・・・・・・福田葉子

 群青をぬけ白鳥の白きわむ・・・・・・・・・・蔵巨水

 白鳥の頸からませて啼き交す・・・・・・・・・・小谷明子


同人誌「りいふ」7号より・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
りいふ

──新・読書ノート──

     同人誌「りいふ」7号より・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

三井修氏編集の同人誌「りいふ」7号が出て、私のところにも贈られてきたので、ご紹介する。


       砂の幻    三井修

   歌書くと 真夜に開ける わがVA1O 小さく鳴りたり そは何と
   クリックすれば 遥かなる 古き友より 久々の  e-mailにて 簡潔
   な メッセ—ジあり、今彼は その母の国 シリアとう 豊かなる国
   密やかに 逃れ来りて 隣りたる ヨルダン国に うから等と 住みて
   いるとぞ、半世紀 近くを我が かく深く 関わりきたる アラビアの
   古き友らが 苦しみて いることを知る あるものは その血を流し
   あるものは 獄に繋がれ あるものは 彼のごとくに やむを得ず 祖
   国逃れて その生活(たつき) ままにならずと、 一途なる そのe-mailは 我
   が理解 また支援など かくひたすらに 訴えいたり。

   日本に 歌の輩(ともがら) 数多ある 中の一人の その名前 千種創一 彼
   もまた かのアラビアに 我のごと 深く関わり 近々に 赴任すると
   ぞ 彼のため その友垣が 宴の座 設(しつら)えんとす 我もまた 呼ばれ
   てあれば 新宿の 夜を歩みつつ 望の月 仰ぎてみたり 彼の往く
   かのアラビアの 砂と人 われの裡にて また不意に 甦りくる その
   砂に 陽炎立ちて  一発の 鋭き銃声 響きては のけぞれる友 あり
   ありと 浮かびてきたり かかる幻

        千種君の名を詠み込みて贈る反歌二首

   千粒の種また万粒の種が地に散ればかの日のなかりしごとし

   『種の起源』その初版本幾千部刷られたりけむ百五十年前

   歌、又は歌の断片を最初に書き留めるのは、以前勤務していた会社から今も送られ
   てくる「社員手帳」である。筆記用具は鉛筆かシャープペンシル。手帳は毎年一冊
   使うので、もう三十冊ほどになるはずである。

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三井修氏も、よく「長歌」を作られる。 叙事を綴るには、この形式が向いている。
私も何度か採用したことがある。
三井氏は長年、商社の駐在員として、かの地に勤務されたことがある。そんなことから、かの地の友や、かの地に赴任する友への「想い」がこもる佳い作品である。
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       ス卜ローハッ卜に花を飾って      野原亜莉子

   遠雷は夏の足音 いつ来るか分からないひとなんて待たない
   天に向きグリーンカーテン伸びゆきて葡萄のごとくトマトが実る
   はじめての夏を迎へる犬の仔は大きな瞳に光映して
   「胡瓜つて夏の匂ひ」と言ひながら毎度毎度の冷やし中華を
   作りかけのドレスや人形散らばりて花咲くごとし夏のわが部屋
   予告篇だけで泣いちやう涙腺の壊れ加減が微妙に困る
   やはらかき耳を撫でればふるふると震へてゐたり小さき犬の仔
   ごはんだのデザートだのつて引き留める母よわたしにだって〆切はある
   もう泣いていいよいいよと云ふやうな蝉時雨なり七月の果て
   がらくたに埋もれて眠るわたくしを探してほしい光れよ、ココロ
   アン・シャーリーの気分で歩く夏の午后ストローハットに花を飾つて
   去年の夏はたいへんだつた。だからもうなんにもしない夏日和なり
   カナカナの雑木林を抜けてきて橋の袂で夕暮れに会ふ
   幼子のポケットからバラパラと飛び出してきた西瓜の手紙
   パラソルで陽を遮りて帰る道いつかは終はる夏と思へり
   われの後ばかりついて歩きたる犬の仔ちひさき妹のやう
   恋のこと考へぬ夏があつていい秋の予定は白紙のままに
   留守番がひとりでできぬ犬の仔のお守りに行けば指嚙まれたり
   夕暮れにふつとため息つくときはチョコ茶の秋が傍にきてゐる
   メトロまで虹色の雨のなかを行く 今日も明日もたぶん夏なり

外出中でも在宅中でも、歌が浮かんだら携帯電話(今はiphone)にメモって
おく。その後、パソコンの画面上で歌の順番を入れ替え、連作を作る。推敲はほと
んどしない。最初に発表するのは、プログ「森の苺曰記」のことが多い。写真、文
章、短歌を一セットにして、二曰に一度更新している。プログ更新のために即興で
短歌を作ることもある。とにかくiphoneがないと、何もできない毎日なのだ。

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この作品は「りいふ」の巻頭を飾る特別作品である。
この人はブログを持っている。アクセスしてみられよ。 ↓
「野原亜莉子の森の苺日記」という。 念のために書いておくが、名前は「のばら・ありす」と読む。若い人である。
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       お帰りなさい    武藤ゆかり

   低速で铫子大橋渡るとき夏の陽射しは瞳に痛し
   いらっしゃいお帰りなさい空港に電光掲示板の富士山
   比類なき庭園などと銘打って良き日本を売る書店かな
   水筒を置いてきたこと飛行機の遅延の文字を見て悔いにけり
   鳥肌の寒き機内にしだり尾の長々し夜を震えているか
   ある者は携帯電話ある者は英字新聞待ち合い席に
   世の中に五輪報道ある時は次の火種に身構えるベし
   番号制拒むすべなき家畜人われら今こそ辞世の歌を
   大陸の果ての国より帰り来し妹はもう友のごとしも
   中東の砂漠の都市に過ごしたる一夜のことを熱く語りぬ

縁の黄ばんだレポート用紙だとか、昔もらったノートだとかに、シャーペンで下書きの
歌を書き、推敲する。なぜかこのたぐいの用紙が私に集まってくる。紙としての天命を
全うさせるため、全部のページに歌を書き散らし、淸書してから処分する。これが紙
に対する私なりの供養である。

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武藤さんは、元・新聞記者だった。
そんなことで彼女の歌には、その時どきに生起する事どもが描かれる。時事性に優れた作品である。
彼女には、私の第五歌集『昭和』について、この「りいふ」6号で精細な批評を賜った。改めて御礼を申し上げる。



草むらにみせばやふかく生ひにけり大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
misebaya4ミセバヤ紅葉

   草むらにみせばやふかく生(お)ひにけり
     大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

今日は「紅葉」を採り上げることにする。
写真①は「みせばや」の紅葉である。ミセバヤは別名を「玉の緒」とも言う。この細かい、丸い葉が薄紅色に紅葉する様子は、あでやかなものである。
「ミセバヤ」については2009/10/06に載せたので参照されたい。

いよいよ11月も終わりになって、いろんな木や草が紅葉の季節を迎える。
写真②は「夏椿」の紅葉である。
natutubaki6夏椿紅葉

ナツツバキというのは「沙羅の木」として梅雨の頃に禅寺などの庭で「落花」を観賞する会が行われる木であるが、もみじの季節には、また美しい紅葉が見られるのである。
緑の季節には落花に儚さを感じ、紅葉の季節には、くれないの葉の散るのを見て、人の世の無常に涙する、という寸法である。
「夏椿」については2009/06/20に載せたので参照されたい。

①と②に、平常は余り見ることの少ない草と木の紅葉を出してみた。
いかがだろうか。
写真③は普通の「カエデモミジ」の紅葉である。
aaookaede01カエデモミジ

「紅葉」は、また「黄葉」「黄落」とも書く。
京都は紅葉の季節は一年中で一番入洛客の多い時期だが、今年は夏が終っても暑い日が多く、11月中に紅葉の盛りが来るかどうか心配されてきたが、
果たして染まり具合は、どうだろうか。

以下、紅葉を詠んだ句を引いて終りたい。

 山門に赫つと日浮ぶ紅葉かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 障子しめて四方の紅葉を感じをり・・・・・・・・星野立子

 夜の紅葉沼に燃ゆると湯を落す・・・・・・・・角川源義

 紅葉に来文士は文を以て讃へ・・・・・・・・阿波野青畝

 近づけば紅葉の艶の身に移る・・・・・・・・沢木欣一

 紅葉敷く岩道火伏神のみち・・・・・・・・平畑静塔

 すさまじき真闇となりぬ紅葉山・・・・・・・・鷲谷七菜子

 やや傾ぐイエスの冠も紅葉す・・・・・・・・有馬朗人

 恋ともちがふ紅葉の岸をともにして・・・・・・・・飯島晴子

 城あれば戦がありぬ蔦紅葉・・・・・・・・有馬朗人

 天辺に蔦行きつけず紅葉せり・・・・・・・・福田甲子雄

 黄葉はげし乏しき銭を費ひをり・・・・・・・・石田波郷

 黄葉樹林に仲間葬りて鴉鳴く・・・・・・・・・金子兜太

 へくそかづらと言はず廃園みな黄葉・・・・・・・・福田蓼汀

 黄落や或る悲しみの受話器置く・・・・・・・・平畑静塔

 黄落の真只中に逢ひえたり・・・・・・・・・小林康治

 黄落や臍美しき観世音・・・・・・・・堀古蝶

 ゆりの木は地を頌め讃へ黄落す・・・・・・・・山田みづえ

 黄落やいつも短きドイツの雨・・・・・・・・大峯あきら



福岡伸一『ルリボシカミキリの青』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
ルリボシ

──新・読書ノート──

     福岡伸一『ルリボシカミキリの青』・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・文芸春秋社2010第一刷2012/01/15第三刷・・・・・・・・・・

本書は「週刊文春」に連載中のコラム「福岡ハカセのパラレルターン・パラドクス」の最初から七十回分ほどを再構成したものである。
先日から福岡伸一の本を集中的に読んでいるので、今日は、この本である。豊富な研究、知識を素人にも分かるように平易に書いてあり、よく判る。
この本の題名になっている、巻末に載る部分を引いておく。

ルリボシカミキリの青
福岡ハカセの好きな色は青。よく利用する二子玉川の駅は、ホームがとても高い位置にあり、
おまけに多摩川に向って大きくせり出している。端の方にいくと視界が開け、上流から下流まで
多摩川のきらきらした流れと広い河川敷が一望のもとに見渡せる。川風に吹かれる。こんなに開
放感あふれる駅が他にあるだろうか。
今日の空は、高く澄んで雲ひとつない。東京にもこんな青がある。西の方を眺めると、丹沢山
系の稜線の淡い青が連なっている。その向こうにくっきりと白い富士山が頭を出している。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」がまいているターバンの青。このつややかな青は、フ
エルメールがこの絵を描いたときから三百五十年を経た今も、ほとんど色褪せていない。なぜか。
細かく砕いた宝石で描かれているからである。フェルメールはこの青色を描きだすために高価な
ラピスラズリを用いた。
ラピスラズリは、アフガニスタン奥地の山峡に産出される青い宝石。ツタンカーメンのマスク
にはめ込まれるなど紀元前三千年の昔から高貴で希少なものとして珍重されてきた。その価値は
金と並び称され、時には純金よりも高かった。フェルメールは、このラビスラズリの粉を惜しげ
もなく使って、少女のターバンの青を塗った。
『青の歴史』(ミツシェル・パストゥロー著、筑摩書房)というとても面白い本がある。スカイブル
ー、マリンブルー。今日、青は、さわやかで、若々しく、美しいイメージの色となっている。だ
が、昔からそうだったわけではない。古代ローマ・ギリシャ時代には青は、蛮族が好む野卑で不
快な色だったという。それが絵の具としてのラピスラズリの利用などによって、聖母マリアを描
くときの衣装の色となり、高貴な雰囲気を帯びていく。技術的にも青を出すために、さまざまな
顔料や染料が求められ、工夫され、発展していった。やがて青は、フランスの三色旗の自由を象
徴する色となり、ジーンズを染める色になってポピュラーな人気を勝ち得る。特殊な青の色素に
は特許が出願されるまでになった。そういえば、この本にはないけれど、青色発光ダイオードは
確かに特許技術である(おしむらくは、原著のカラ—図版の大半が邦訳ではモノクロ掲載だとい
うこと。色の本なのだからもっと贅沢に作ってほしかった)。
でも、福岡ハカセがもっともあこがれた青は、空の青さでもなく、海の青さでもなかった。フ
エルメール・ブルーでもない。それはルリボシカミキリの青だった。ビロードのような輝きをた
たえた深い青。それは塗られた青ではなく、金属のように内部から放たれる青。こんな青はフェ
ルメールだって作りだすことができない。その青の上に、くっきりとしも漆黒の斑紋が散ってい
る。長く優美に伸びる触角。そこにも青と黒が交互におかれている。あきるほど図鑑で眺め、ず
っと恋い焦がれた。一度でいいから実物がみたい。何日も、何シーズンも、野山をさまよった。
しかしこの小さなカミキリムシを採集することはできなかった。
ある年の夏の終わり、楢の倒木の横を通り過ぎたとき、目の隅に何かがとまった。音を立てな
いようゆっくりと向きをかえた。朽ちかけた木の襞に、ルリボシカミキリがすっとのっていた。
嘘だと思えた。しかしその青は息がとまるほど美しかった。しかも見る角度によって青はさざ波
のように淡く濃く変化する。それは福岡ハカセがハカセになるまえの、まぎれもないセンス・オ
ブ・ワンダーの瞬間だった。こんな青さがなぜこの世界に存在しているのだろう。
福岡ハカセがハカセになったあと、ずっと続けてきたことも基本的には同じ問いかけなのだと
思う。こんな鮮やかさがなぜこの世界に必要なのか。いや、おそらく私がすべきなのは、問いに
答えることではなく、それを言祝(ことほ)ぐことなのかもしれない。
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全部を引くことは出来ないので、こういう内容だということで「目次」を載せておく。

プロローグ

第一章 ハカセの研究最前線

放蕩息子の帰還
ミールワームの大仕事
謎の物質の物語
空目
超難問への道
GP2の謎

第二章 ハカセはいかにつくられたか
海のおばけ
はらぺこあおむしの想い出
スズメバチとの邂逅
百名山
シガコン奇譚
少年ハカセの新種発見
料理修業
鳩山議員と蝶の美しさ
ボストンの優雅な休日
光陰矢のごとし仮説

第三章 ハカセをいかに育てるか
新学期の憂鬱
健全なる懐疑心を!
語りかけるべきこと
先輩から後辇へ
ものづくりの未来
鈴木少年の大発見
高校生たちのまなざし
入試問題頻出著者
出題者の悪夢
恥多き物書き
才能の萌芽
プロセス・オブ・パラレルターン

第四章 理科的生活
狂牛病は終わってない
コラーゲンの正体
神隠し殺人事件の一考察
なぜ私たちは太るのか
天才は遗伝するか?
アサギマダラの謎
ある「わらしベ長者」伝
ほたてとえびのあいだ
そばvs.うどん
エコ力ーデビュー
ロハス・スパイラル

第五章 『IQ84』のゲノムを解読する
『1Q84』と生物学者
夏空の日食
自殺急増の真の意味
金印の由来
卑弥呼の墓!?
活字の未来
虫の虫、鉄の虫、本の虫
紙をめくる感覚

第六章 私はなぜ「わたし」なのか?
わたくし率
トポロジー感覚
「脳始」問題
日本一高い家賃
風鈴と脳とホ夕ル
全体は部分の総和?
なつかしさとは何か
一九七〇年のノス夕ルジー

第七章 ルリボシカミキリの青
プラークコントロリアンの襲来
霧にかすむサミット
臓器移植法改正への危惧
花粉症から見える自己
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しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部
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izumi和泉式部画探幽

──和泉式部<恋>のうた鑑賞──四題

   ■しら露も夢もこのよもまぼろしも
     たとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部


今回は、和泉式部の<恋>の歌を四つ採り上げる。
はじめの歌は、前書に「露ばかりあひそめたる男のもとへ」とある。
ある男と一夜を共にした。しかし実に短い逢瀬だった。
それに比べると「白露」も「夢」も「現世」も「幻」も、すべてなお久しいものに思えるという。
白露以下すべて「はかない」瞬時の譬えである。それさえも「たとへていへば」久しく思われるほど、夢のごとくに過ぎた情事だったのだ。
「たとへていへば」という表現は平安朝とも思えぬ大胆な言い回しで、男の歌人でもこれほどの斬新な用法はなし得なかった。
相手に贈った歌で、文語の中に突然として口語を入れたような表現だが、これがぴたっと決まっている。天性の詩人の作である。

     ■黒髪の乱れも知らず打伏せば先づ掻き遺りし人ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「浮かれ女(め)」とまで戯れに呼ばれたほどの和泉式部は、また人一倍悲しみの深さを知っていた女でもあった。
激しい情事のあとの一情景を思い出して詠ったと思われる、この歌でも、相手がすでに儚くなっている人だけに、移ろう時間の無惨さが一層鮮烈だ。
足かけ五年ほど続いた年下の恋人・敦道親王の死を悲しんで詠んだ挽歌の中の一首で、黒髪の乱れも知らず打ち伏していると、いとしげに髪の毛を掻きやってくれたあの亡き人と生きて、肌身に接していた折の濃密な感覚、そして時間が、永遠に失われてしまったことへの痛恨を詠っている。
表現の率直さが、そのまま詩美を生んでいる。

     ■とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものかいのちは・・・・・・・・・・・・・和泉式部

平安女流歌人の中でも随一の天性の「うたびと」であった和泉式部は、なかんずく恋のうたびとであった。
恋の「あわれ」をこの人ほど徹底して生き、かつ歌った人は稀だろう。
その人にして、こういう歌があった。
これは、男からたまには「あはれ」と言って下さい、その一言に命をかけています、と言ってきたのに答えた歌。
恋のあわれとあなたは言うが、かりにあわれを永久に尽してみても、限りある人間の身で、この心の無限の渇きを癒すことなど出来るのでしょうか。心はついに満たされはしないのです、というのである。
情熱家は反面、驚くほど醒めた人生研究家でもあった。

     ■つれづれに空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「つれづれに空ぞ見らるる」は何も手につかず、恋の想いが鬱屈して、ふと気がつけば空を見ているといった状態。
特定の相手が今はいないということかも知れないが、また相手がいても少しも自分のもとへは訪れては来てくれない日々の憂鬱というものも、当時は男性の「通い婚」という結婚形態では、しばしばあった。
平安女流文芸に最も一般的な恋の想いも、そこにあったとさえ言える。
和泉式部は恋多き女性だったから、そういう気分も、またよく知っていたのである。
彼女の恋愛と、そこから生じる思想には、散文には盛り切れぬ濃厚な気分の反映があった。

「和泉式部」については、10/2付けのBLOGで詳しく書いたので、参照してもらいたい。

なお、これらの歌は『和泉式部集』『後拾遺集』『和泉式部続集』から拾った。
ここに掲げる図版は狩野探幽が百人一首のために描いた「和泉式部」像である。
これは10/2付けの記事にも使ったものである。


山本万里書作展・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
山本
山本②

──新・読書ノート──

     山本万里 『現代詩歌句墨集 生きてあり』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・京都新聞出版センター2012/10/30刊・・・・・・・・・・

この人については未知であったが、先日、掲出したような案内が来て、紅葉の美しい一日2012/11/25に建仁寺の塔頭・西来院に出向いた。
ちょうど作者も居られたので、私の名刺を渡して挨拶した。 私の住所と名前は詩人の田中国男氏が選ばれたらしい。
先ず、作者の経歴を引いておく。

山本万里(やまもと まり)
一九四〇年、満州国撫順市に生まれる。一九六三年、京都教育大学美術科書道卒業。
一九五一年より仮名を日比野五鳳先生に師事する。一九六〇年より漢字を小坂奇石先生に師事する。現在、
日比野光鳳先生に師事する。二〇〇一年、京都府立高校退職。退職後、佛教大学非常勤講師(二〇一一年まで)、
龍谷大学非常勤講師(二〇一二年まで)。
日展、読売書法展、京展、日本書芸院展、現代京都書作家展、水穂展などに出品。万葉歌碑(宇治市)、
百人一首歌碑(京都市)を揮毫。日本書道美術館(東京都)、春日井市道風記念館(愛知県)、安芸市立書道
美術館(高知県)に作品収蔵。一九九八年、詩墨集『墨女』原書展(京都・堺町画廊、ジュンク堂京都店)。
一九九九年、個展『墨女』原書展(宇治•万福寺松隠堂)。二〇〇九年、個展〈近現代詩文〉書作展(京都•
建仁寺西来院)。二〇一二年十一月、個展〈現代詩歌句〉書作展(京都•建仁寺西来院)。
主要著書に詩墨集『花季の舟』『五月の水鏡』『地上の愛』『墨女』、随筆集『淡墨の清韻 日比野五鳳
先生の思い出』、対談集『詩の旅 心の旅』、詩集『撫順』、月刊「詩と思想」、月刊「国語教育」などに詩、
エッセイを執筆。
 現在、水穂会副理事長、日展会友、読売書法展理事、日本書芸院参与、現代京都書作歌協会参与。
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これによると、私も会員になっている詩誌「詩と思想」に詩作品を出しておられるらしい。

書展と共に、会場で売っていた『現代詩歌句墨集・生きてあり』を買ってきたので、その中のいくつかを、ご披露する。

金子
 ↑ 金子兜太 「谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな」
この句は、よく知られている句で、晩春の夜に鯉が産卵期を迎えて雌雄が激しくもみ合う様子から或る生命の躍動感を巧く作品化してある。
この私のブログでも採り上げたことがある。

伊丹
 ↑ 伊丹三樹彦 「正視されしかも赤シャツで老いてやる」
この句も、いかにも三樹彦らしい作品で、老人でありながら派手な赤シャツを着込んで、それで、どうなんだ、と居直っているところが面白い。

坪内
 ↑ 坪内稔典 「三月の甘納豆のうふふふふ」
この句も坪内の句の中でも有名な句である。こういう滑稽味のある句を彼は得意とする。 このブログでも採り上げたことがある。

河野
 ↑ 河野裕子 「もの言はず疲れて寂しくゐる人に椅子の背にまはり紅茶を淹れる」
目下、注目されている河野の歌である。「人」とは、もちろん夫君の永田和宏のことである。こんなさりげない夫への思いやりが、ほのぼのと暖かい。
 
永田
 ↑ 永田和宏「たつたひとり君だけが抜けし秋の日のコスモスに射すこの世の光」 
亡くなった妻・河野裕子への想いがコスモスに寄せて、しみじみと詠われている。こんな夫婦愛が、いま話題を呼んで歌集が広く読まれている。

この本には、他に、大岡信、馬場あき子、新川和江、串田孫一、島田陽子、武田隆子、森澄雄、高良留美子、吉野弘、川崎洋、山本耕一路、大石悦子、松永伍一、新井豊美、工藤直子、矢島渚男、高木護、安水稔和、田中国男、杉山平一の詩、歌、句が採られている。
なお、詩人としては
2007年 詩集『撫順』により第17回「紫式部市民文化賞」(宇治市)を受賞されている。



家毎に柿吊るし干す高木村住み古りにけり夢のごとくに・・・・・・・・・・・・・久保田不二子
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  家毎に柿吊るし干す高木村
   住み古りにけり夢のごとくに・・・・・・・・・・・・・久保田不二子


「高木村」は長野県諏訪郡下諏訪町高木。作者の久保田不二子は同地で生まれ、昭和40年79歳で没した。
同じ高木村の久保田家の養子俊彦、つまりアララギ派歌人の島木赤彦と結婚し、みずからも「アララギ」に参加している。

彼女は本名・ふじの、であり、赤彦(旧姓・塚原俊彦)はもともと彼女の姉・うた、と結婚したのだが、明治35年に死去したため、義妹の「ふじの」と再婚したものである。
赤彦の上京中は一緒に東京に出て暮らしたこともあるが、赤彦は病を得て帰郷、そこで病没した。
彼女は生涯の大部分を、この故郷で過ごすことになる。
「吊るし柿」は初冬の山村の風物詩、その柿がいたる所に吊るされている故郷の村で「住み古りにけり夢のごとくに」と詠んでいる。
「夢のごとくに」というところに、若くして赤彦と死別して79歳まで故郷に生きつづけた感慨が出ている。調べは滑らかだが、思いは深い。
『庭雀』所載。

「吊るし柿」と言っても、さまざまな柿の形がある。写真②は丸い形の柿である。

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私の方の南山城地方の柿は「鶴の子」柿といって大振りでない砲弾形の柿である。
専門的に作る農家では竹や杭で骨組みを立ち上げ、菰などで周りを囲い、風通しは良くした素通しの「柿屋」というものに柿を吊るさずに、藁で編んだ菰や莚の上に平らに並べて干す。
柿を剥く時に、柿の「蔕」(へた)も取り去る。「古老柿」ころ柿と称している。
冷たい風が吹きすぎるようになると、順調に白い粉のふいた干し柿になるが、気候が暖かいと、よい製品が出来ないという。
自家消費の場合は量が限られているので、納屋の窓の外などに「吊るし柿」にして陽にあてることが多い。
以下、吊るし柿を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 吊し柿すだれなしつつ窓を占む・・・・・・・・和知清

 吊し柿作りて老婆いつまで生く・・・・・・・・長井哀耳

 干柿を軒に奥美濃雪を見ず・・・・・・・・塩谷小鵜

 甘柿の粉を吹く風の北となる・・・・・・・・梅田久子

 軒端より起れる恵那や柿を干す・・・・・・・・大橋桜坡子

 干柿や同じ日向に猫がゐて・・・・・・・・榎本虎山

 夜空より外しきたりぬ吊し柿・・・・・・・・八木林之助

 干柿の緞帳山に対しけり・・・・・・・・百合山羽公


雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
d0056382_20162867クヌギの実

   雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

団栗ドングリは、本来は櫟クヌギの実のことを指すが、一般的には落ちる木の実を言うようである。
時には樫の実のように「常緑樹」の実も含められるが、せいぜい譲っても、クヌギと同属の落葉樹、コナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワなどまでに留めた方がよいだろう。
掲出写真のように、クヌギの実は丸い。
P1070816-11クヌギ青実
↑ 写真①はクヌギの実の青いものである。実の周りにトゲトゲの萼で包まれている。

写真②は、そのクヌギの新芽である。
ha02クヌギ新芽

雑木林の典型的な木である。昔は、この木でタキギ薪を作った。
今では燃料としての用途はなくなり、コナラなどの木とともに椎茸栽培の「ホダ木」に使われるに過ぎない。
こういう雑木はほぼ十数年のサイクルで伐採され、伐採された株元や落ちたドングリから次の世代が芽を出して、更新して新しい雑木林が出来るという循環になっていたのである。
こういう人の手の加わった人工林を「里山」という。

mizunara582ミズナラ実
↑ 写真③はミズナラの実である。
『和漢三才図会』に「槲(くぬぎ)の木、葉は櫧子(かし)の木に似て、葉深秋に至りて黄ばみ落つ。その実、栗に似て小さく円きゆゑに、俗呼んで団栗と名づく。蔕(へた)に斗ありて、苦渋味悪く食すべからず」とある。
小林一茶の句

     団栗の寝ん寝んころりころりかな

は、その実の可愛らしさを、よくつかんでいる。

konara4コナラ青
↑ 写真④はコナラの青い実である。

いま広葉樹の森が有用でないとかの理由で伐採され、面積が減少しているので、復活させようとドングリ銀行なるものを提唱して団栗を大量に集めて、
森を作る運動がおこなわれている。
針葉樹の森は生物の生きる多様な生態系から見て、単純な森で、多様性のある生態系のためには広葉樹の森が必要であると言われている。
常緑樹である樫(かし)の木も広葉樹であり、常緑か落葉かは問わず、広葉樹には違いはないし、樫の木にもドングリは生るのである。
↓ 写真⑤はマテバシイの葉である。この木からも団栗が採れる。
ha03マテバシイ葉
mi02マテバシイ

以下、団栗を詠んだ句を引いて終りたい。

 団栗を掃きこぼし行く箒かな・・・・・・・・高浜虚子

 団栗の己が落葉に埋れけり・・・・・・・・渡辺水巴

 団栗に八専霽(は)れや山の道・・・・・・・飯田蛇笏

 樫の実の落ちて駆けよる鶏三羽・・・・・・・・村上鬼城

 団栗を混へし木々ぞ城を隠す・・・・・・・・石田波郷

 孤児の癒え近しどんぐり踏みつぶし・・・・・・・・西東三鬼

 しののめや団栗の音落ちつくす・・・・・・・・中川宋淵

 どんぐりが乗りていやがる病者の手・・・・・・・・秋元不死男

 抽斗にどんぐり転る机はこぶ・・・・・・・・田川飛旅子

 どんぐりの坂をまろべる風の中・・・・・・・・甲田鐘一路

 どんぐりの頭に落ち心かろくなる・・・・・・・・油布五線

 どんぐりの山に声澄む小家族・・・・・・・・福永耕二

 どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・・藤野智寿子



「死顔の布をめくればまた吹雪・・・・石部明」川柳作家・石部明が死んだ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
石部
 ↑ 第二句集『遊魔系』─2002/02/28詩遊社刊

──新・読書ノート──

   「死顔の布をめくればまた吹雪・・・・・・・・・・・・石部明」
       ──川柳作家・石部明が死んだ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


川柳作家で、連句作者であり、精細な批評家でもある小池正博氏のサイトを読んでいて、石部明が死んだことを知った。
ここには、こう書いてある。 ↓
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10月27日(土)、石部明が亡くなった。享年73歳。
昨年11月に倒れて、入院・闘病生活を続けていたが、退院して自宅療養していると聞いていたので、訃報の衝撃は大きかった。
28日に岡山県和気町までお通夜に行く。

29日の葬儀に私は仕事の都合で出席できなかったが、参列した方々のブログによってそのときの様子がうかがえる。
弔問は「一般」「川柳関係」「建設関係」に分かれ、会場に入りきれないほどの参列者があった。樋口由紀子が弔辞を読んだ。
樋口の弔辞は参列者の涙を誘ったようだ。樋口自身も震えていた。
出棺のとき、くんじろうは「アキラッ」と叫び泣き、その声は確かに棺の中まで届くように感じられたという。

石部明の本名は石部明(いしべ・あくる)であるが、川柳界では明(あきら)で通していた。
『セレクション柳人・石部明集』から略歴を紹介しておく。
1939年1月3日、岡山県和気郡に生まれる。
1974年から川柳を始め、「ますかっと」「川柳展望」「川柳塾」「ふあうすと」「川柳大学」などの同人・会員として活躍した。1998年、「MANO」創刊、2003年「バックストローク」創刊。実作者としてはもちろん、川柳界のリーダーとしても大きな存在であった。句集に『賑やかな箱』『遊魔系』『石部明集』がある。
また「第3回BSおかやま川柳大会」の対談「石部明を三枚おろし」では、時系列に従って石部の川柳人生が語られているので、詳しいことはそちらの方をご覧いただきたい(「バックストローク」31号収録)。

『川柳総合大事典・第1巻・人物編』(雄山閣)の石部明の項は私が書かせていただいたのだが、そこでは次のように述べている。
「その作品において、日常の裏側にある異界はエロスと死を契機として顕在化され、心理の現実が華やぎのある陰翳感でとらえられる。川柳の伝統の批判的継承者として現代川柳の一翼を担う」
このような評価の仕方でよかったのかと思うこともあり、石部本人からは何のコメントもなかったが、人づてに聞いたところでは、「川柳の伝統の批判的継承者」というフレーズが気に入ってもらったようだ。

石部は座談の名手で彼のまわりには常に談笑の輪ができたが、過剰なサービス精神は彼自身を疲れさせることもあっただろう。彼はけっこう複雑な人物であり、心の中ではさまざまな思いが渦巻いていたことだろう。
私が最後に彼と会ったのは、今年4月のBSfield岡山川柳大会の翌日で、岡山労災病院にお見舞いに行った。そのとき彼は思ったより元気で、川柳界のあれこれについて語った。病室にいても各地の川柳の動向を気にかけていたのだ。

闘病生活の中でも体調の良い日はあって、「川柳カード」創刊号のために石部明は10句を書いてくれた。気迫のこもった石部らしい作品になっている。彼の川柳人生の掉尾を飾る川柳作品だろう。11月25日に発行予定の創刊号をお待ちいただきたい。
また、たぶん「MANO」で追悼号を出すことになるだろうが、いまは具体的なことを云々する気持の余裕もない。

ここで私はお別れの言葉を述べることはしない。石部明は私たちの心の中に生き続けているからである。「小池さん、あなたはそう言うけどね…」という彼の声は今でも聞こえてくる。お通夜のときに柴田夕起子に「何か言い残したことはなかったか」と尋ねると、そのような言葉はないということだった。彼はまだ死ぬつもりはなかったのである。石部明が川柳界に残したこと、成し遂げようとしたことは継承していかなければならない。
最後に『石部明集』の解説で壺阪輝代も引用している石部自身の句を手向けよう。

       死顔の布をめくればまた吹雪     石部明
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彼・石部明は、どんな病気だったのかと思って、彼のブログにアスセスしてみたら、昨年の発症時の記事があったので、下記に引いておく。 ↓
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昨年11月1日の突然の食道静脈瘤破裂と、発症時の転倒による脊髄の一部損傷による手足の痺れは、一命を取り留めたものの思いがけず長期の療養を必要とした。

そして、ほぼ治療も落ち着いた2月21日、検査入院の予定が、当日、食道静脈瘤の出血が発見され治療のための入院となる。病名―特発性肺線維症、肝硬変症、食道静脈瘤。

肝機能低下による腹水が認知されたが、抜くと体調の著しい低下が懸念され、利尿剤による治療が始まる。3月8日退院。

今度は腰臀部帯状疱疹発疹(何でつぎつぎこうなるんや・・)。通院治療も可能とのことであったが、一日5時間の点滴治療のため、3月13日同じ病院に入院。5日間の点滴治療を受ける。

点滴治療が終了した時点の3月21日、腹水収まらず2000ccの水抜き工事敢行。2時間かけて腹水を抜き、さらにそれを精製ろ過し、再度点滴によって身体に戻すという。

点滴によって再び身体に戻すとき、拒否反応のでるおそれがあるということで5分ごとに血圧を測りながらの点滴であったが無事終了。
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「食道静脈瘤破裂」とか「腹水を三リットル抜く」とか、深刻な症状だったことが判る。

川柳

もとより私は川柳も俳句も「実作者」ではないが、短詩形文芸として、このブログでも採り上げているし、ずっと以前に入っていた同人誌の企画で、
俳人、柳人(川柳作家のことを、こう略称する)と一堂に会したことがあり、小池氏や樋口由紀子氏にはお会いしたことがある。
小池氏は「連句」作家・批評家としても著名な方である。
ここに掲出した『現代川柳の精鋭たち』は図版でも見られるように西暦二千年に出たものであり、その中に石部明の句100句が載っている。
またはじめに掲出した第二句集『遊魔系』に載る作品も多くが、重複するが、前者は石部の自選であり、後者は樋口由紀子、倉本朝世の選による。
いくつか引いてみる。

 記憶にはない少年が不意にくる

 フラスコへ一滴たらす父祖の土地

 いもうとは水になるため化粧する

 水掻きのある手がふっと春の空

 春北斗指さすポルノ映画館

 栓抜きを探しにいって帰らない

 軍艦の変なところが濡れている

 彼岸花銀行員が家出する

 水だけで描く近親姦の朝

 春の服吊られたままに衰える

 死ぬということうつくしい連結器

 花札をめくれば死後の桐の花

 死者となり菊と菊との間に揺れる

 桃色になるまで月を撫でている

 どこからも見えて性器の睡る空

 君が代を唄う娼婦を「はる」という

 蜂起せよ癌病棟の月見草

 くちびるは鉄棒好きの少女です

 死者の髭すこうし伸びて雪催い

 ごしごしと渚で洗う毛の神話

 国境は切手二枚で封鎖せよ

 あかんべえしてするすると脱ぐ国家

私の恣意で引いてみたが、「現代川柳」というのは、こんなものである。
この本の編集の中心人物だった樋口由紀子は、この『現代川柳の精鋭たち』の「へんしゅう後記」で、
<本来、川柳は言葉の意味で屹立する文芸である。>と書いているが、ここに載る句は、みな前衛的な<否>意味、の作品である。
極論すると<ナンセンス>な、<意味を超越した>作品である。
それは難解な言葉を羅列した現代詩に似ている。
こういう作品が、一般的に受け入れられるか、どうかはギモンがある。
難解な、ひとりよがりな現代詩が、ひとにぎりの「仲間内」の文芸に終始しているのと似ている。仲間内のマスターベーションとも言える。

一番はじめに掲出した「死顔の布をめくればまた吹雪・・・・・・・石部明」は小池正博氏の選んだものだが、これなどは素直な佳い句である。
一般的な、いわゆる川柳の作品が、常識的な<予定調和>的なものが多いので、それに対する<反・措定>としての現代川柳が在るというのは判るし、
また現代川柳作家が意識して<反・措定>と唱えることもあるので理解するが、その度合いが問題であろうか。
<一般の人には判らなくても、いいのだ>というのであれば何をか言わんやである。

『遊魔系』には、藤原龍一郎の「幽の昼悠の夜」という八ページにわたる解説が付いている。
少し引いてみる。

<石部明の目に映る世界には常に不安の翳が射しているように思う。
 その陰翳はこの時代の危機感の予兆であり、自己への鋭い内省の視力ともなっている。
 一句一句の作品のベクトルが、読者の心理の奥底へ向っている。
 その力をどれたげ受け止められるかは、読み手の感受性にかかっている。>
<「軍艦の変なところが濡れている」の句は、この作品集の中でも代表句となるべき一句ではないかと思う。
 軍艦とは何か?変なところとは何処か?濡れているのは何故か?読者はそんな疑問を連続的に抱かせられながら、この句の世界へ引き摺り込まれてしまう。
 それは黒い諧謔に満ちた不安の世界なのだ。何の寓意もない。それゆえに不安は増幅する。ここには純粋な作品世界が成立している。>

「軍艦の変なところが濡れている」の句が優れているのは間違いないが、<何の寓意もない。それゆえに不安は増幅する。>と言い切ってしまっていいのか、と私は思う。
藤原龍一郎の解説は、キレイ過ぎる。 石部の句は、万事が、こういう調子なのであり、それを<不安の増幅>と捉えるのはキレイゴト過ぎる。
「寓意」のオンパレードではないのか。

ここで参考までに、小池正博氏の発行する『週刊「川柳時評」』から、ひとつの過去記事を引いておく。 ↓
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2010年11月26日金曜日 石田柊馬の川柳史観
現代川柳の「いま、ここ」を明らかにしようとする場合、現在の短詩型文学の状況に目配りすると同時に、川柳の歴史的展開をも踏まえておくことが必要である。よく言われる言葉で言えば、共時性と通時性の切り結ぶところに川柳の現在があるのだ。そこで問われるのが川柳史観である。「川柳」という単一のものがあるのではなくて、史的展開をふまえた「様々な川柳の可能性」がある。川柳の「いま」を論じるときに、どのようなパースペクティヴをもって現代川柳を捉えているのかが問われることになる。
石田柊馬はそのような「川柳史観」を感じさせる数少ない批評家の一人である。今回は「バックストローク」32号に掲載された「詩性川柳の実質」をもとにしながら、石田柊馬の川柳史観について検討してみたい。
「詩性川柳の実質」は「バックストローク」に連載されている長編評論である。30号・32号では石部明論の形をとりながら、その背後に柊馬の川柳史観が明瞭に読み取れる。一人の川柳人を論じることが、現代川柳の史的展開を論じることとなるのは川柳批評の醍醐味と言ってよいだろう。
さて、柊馬はこんなふうに述べている。

「第一句集から第二句集への道程で、石部は主題を初発点にする書き方を心得つつ、言葉を初発点にする書き方に体重が掛かってゆく。川柳的な共感性の担保であった現実感が、書かれた句語の後追いをすることになる」

石部明の第一句集『賑やかな箱』から第二句集『遊魔系』への展開を、石田柊馬はまずおおざっぱに「主題を初発点にする書き方」から「言葉を初発点にする書き方」へと規定してみせる。「句語の後追い」とは何であろうか。意味があって言葉が書かれるのではなくて、言葉が先にあって意味があとからついてくるような書き方を念頭においていることは間違いない。したがって柊馬は次のように続けている。

「一句の意味性は、句の書かれたあとからついて来るものとなるので、川柳的な飛躍の錘であったリアリズムから作句が解放されたのである。意味性は、句語や言葉と言葉の関係性へ直感的に飛来してくる。つまり、まだ意味性や作者の思いを背負わされていない素の言葉、あるいは、言葉と言葉の関係性が作者のアンテナに触れてスパークする手応えが一句を創り上げる」

「意味なんてあとからついてくるのよ」とは本間三千子の言葉だと伝え聞いている。作品の意味は何かと問われて、本間は意味なんてあとからついてくるのだとタンカをきったのである。言葉には意味があるが、言葉は意味そのものではない。言葉は意味よりももっと広いものであるはずだ。「川柳の意味性」と言われているものは、川柳の持ち味を「言葉の意味」という一点に集中することによって強度なインパクトをめざす一方法だったのである。それを意味という一点に封じ込めてしまうことは、川柳の可能性を限定してしまうことになる。しかし、同時に「意味性」は野放図な「川柳的な飛躍」を制御するための安全弁の役割をも果たしていた。どこへ飛んでいくか分からない言葉の飛躍を制御するために、「意味性」の錘は有効だったのである。少なくとも従来の川柳はそういう書き方をされていた。
それでは「意味の錘」を外したとすれば、言葉はどこへ飛躍していくのだろうか。それはおそらく「言葉と言葉の関係性」の世界へ入っていくのである。

「前句附けというシステム、七七という問いに五七五で答えるルールを書き方の原初とする川柳では、言葉と言葉の関係性に敏感であったはずだが、およそ百年の近代化の中で作者の思いを書くことだけが重視されて、言葉との付き合いの自由を軽視する狭いリアリズムが横行した。しかし古川柳は折口信夫に言語遊戯と断じられるほど、川柳は言語との関係に自由であったはずなのだ」

このあたりから柊馬の川柳史観が明瞭になっていく。前句付をルーツとする川柳が「言葉と言葉の関係性」に敏感であったという指摘は新鮮である。川柳は雑俳の一種と考えられるが、雑俳のさまざまな形式は「言葉と言葉の関係性」によってのみ成立していると言っても過言ではない。それを「言語遊戯」として退け、「作者の思い」の表現に限定してしまったのは「川柳」の特殊事情であり、「近代」という時代の要請である。

「戦後の革新派が句会を嫌った理由には、ダンナ芸や膝ポン川柳などの俗物性への批判があったが、俗物性の中にも流れている言語遊戯の性状については思考の対象としなかった。河野春三の言う『人間諷詠』が川柳の近代化であったが、近代化のなかで書かれた佳作は、多くの場合、古川柳から受け継がれた人情という共感要素を現実から抽出したものであり、結果、私川柳の飽和に至って袋小路に突き当たったのであった」

河野春三が「川柳における近代」の代表的存在であったことは、現在の眼から見てますます明らかになりつつある。春三の近代とは川柳における「私」の確立であり、その実質が「人間諷詠」であったのだ。そこから「思いを書く」という川柳観へはわずかに一歩の距離にすぎない。
川柳は近代化を急ぐあまりに大切なものを見落としてきたのではないか。近代的自我の確立というテーゼは「思いの表現」に矮小化されたが、「私」の表現はもっと深く広い領域を含んでいる。石田柊馬の川柳史観をたたき台にして、さらに複眼的な川柳史観を構築することが後発の世代には求められている。
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この『遊魔系』は新本はないのでアマゾンの中古品で買ったので、「帯」は無く、したがって「帯」に載っていた「堀本吟」の文章は読めないのが残念。
『現代川柳の精鋭たち』にも彼女は荻原裕幸と共に解説を執筆しているので、旧知の仲でもあり、読んでみたかった。
いずれにしても、現代川柳界の一翼を担い、柳誌「MANO」「バックストローク」などで活躍した有力な戦士であったのは間違いなく、ここに、ご冥福を祈りたい。合掌。


吾が影を踏めばつめたし草紅葉・・・・・・・・・・・・・・角川源義
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   吾が影を踏めばつめたし草紅葉・・・・・・・・・・・・・・角川源義


草紅葉クサモミジは野草や低木が初冬になって色鮮やかに色づくことを、こう形容する。特別に「草紅葉」という名の草や木がある訳ではない。
写真①のような鮮やかな場所は、どこにでもあるものではない。オトギリソウ、オカトラノオ、トウダイグサなどは特に美しい。

草紅葉を、古くは「草の錦」と呼んだが、『栞草』には「草木の紅葉を錦にたとへていふなり」とある。
けだし、草紅葉の要約として的確なものである。
そして、その例として

  織り出だす錦とや見ん秋の野にとりどり咲ける花の千種は

という歌を挙げている。霜が降りはじめる晩秋の、冷えびえとした空気を感じさせる季語である。

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秋芳台のように草原と露出した岩石のコントラストが見られる所の草紅葉が趣があって面白い。(写真②③)
この季語は、小さく、地味で目立たない草が紅葉することによって、集団として錦を織り成す様子を表現しているのである。
その結果として、「荒れさびた」感じや「哀れさ」を表すのである。
古来、詩歌にたくさん詠まれてきたが、ここでは明治以降の句を引いておく。

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 猫そこにゐて耳動く草紅葉・・・・・・・・高浜虚子

 くもり日の水あかるさよ草紅葉・・・・・・・・寒川鼠骨

 帰る家あるが淋しき草紅葉・・・・・・・・永井東門居

 草紅葉へくそかつらももみぢせり・・・・・・・・村上鬼城

 大綿を逐うてひとりや草紅葉・・・・・・・・渡辺水巴

 内裏野の名に草紅葉敷けるのみ・・・・・・・・水原秋桜子

 たのしさや草の錦といふ言葉・・・・・・・・星野立子

 草紅葉磐城平へ雲流れ・・・・・・・・大野林火

 絵馬焚いて灰納めたり草紅葉・・・・・・・・吉田冬葉

 白根かなしもみづる草も木もなくて・・・・・・・・村上占魚

 山芋の黄葉慰めなき世なり・・・・・・・・百合山羽公

 鷹の声青天おつる草紅葉・・・・・・・・相馬遷子

 菜洗ひの立ちてよろめく草紅葉・・・・・・・・小野塚鈴

 草もみぢ縹渺としてみるものなし・・・・・・・・杉山岳陽

 酒浴びて死すこの墓の草紅葉・・・・・・・・古館曹人

 草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・・・・・・桂信子

 良寛の辿りし峠草紅葉・・・・・・・・沢木欣一

 屈み寄るほどの照りなり草紅葉・・・・・・・・及川貞

 学童の会釈優しく草紅葉・・・・・・・・杉田久女

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2008年初夏に旅した「能取湖畔のサンゴ草の紅葉」 ← も有名なところなので、ここにリンクに貼っておく。

福岡伸一『動的平衡2』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
福岡③

──新・読書ノート──

     福岡伸一『動的平衡2』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・木楽舎刊2011/12/07初版2012/01/30第3刷・・・・・・・

福岡伸一の本『生命と記憶のパラドクス』『動的平衡』と採り上げてきたが、読み物として面白いのは、ここに採り上げる『動的平衡2』である。
これは、いくつかのところに連載したものに加筆、修正を加えて再構成したもので、文章の繋がりも見事に仕上がっている。
初出となった紙誌は次の通りである。
  ・日本経済新聞連載「動的な美 十選」(美は、動的な平衡に宿る──まえがきにかえて)
  ・ソトコト連載「等身大の科学へ」「生命浮遊」
  ・SIGNATURE連載「科学者のつむじ」
  ・集英社クオータリー「kotoba」創刊号
  ・モンキービジネス第12号 (生命よ、自由であれ──あとがきにかえて)

彼の別の著作に『フェルメール 光の王国』というのがあるが、読む前には、ここになぜフェルメールが出てくるのか分からなかった。
この本の「まえがき」の中にこんな描写がある。

<自作の顕微鏡で微生物、血球、精子を発見して生物学史にその名をとどめるアントニ・ファン・レーウェンフックは1632年10月、オランダのデルフトで生まれた。
 画家フェルメールも同じ年、同じ場所で生まれた。二人の交流を示す文献的な記録はない。
 しかし、二人はある意味を共有していたのではないだろうか。光の科学。光がどのように見え、その粒たちをいかに表現すべきか。
 レーウェンフックのごく初期の観察記録にはこう記されている。自分は絵が上手に描けない。
 だから顕微鏡のスケッチは熟達の画家に頼んで代わりに描いてもらったと。
 それはいったい誰だろう。そして、それはどんな絵だったのだろう。 (注・本には図版2点が載る)
 オリジナル手稿を閲覧した私は息を呑んだ。素描はあまりにも鮮やかであり、あまりにもつややかだった。
 ここに意外な事実がある。レーウェンフックの観察スケッチは1676年になると、急にそのタッチに変化が生じているのだ。
 絵は細い線だけで描かれるようになり初期のスケッチに見られたような動的な勢いは完全に消え去ってしまう。
 私は、ある偶然の一致を指摘しておきたい。フェルメールは1675年1月15日、43歳の若さでこの世を去った。
 私が、フェルメールに魅せられるのは、彼こそが、動的な平衡の上に美が宿ることを示し続けてくれるからである。
 小さな虫の爪の先の粒として、それは一瞬、輝かしい光を放つ。>

エッセイストとしての文章も巧い人である。

全文を引くことが出来ないのだから、この本を読み解くために「目次」を掲げておくので、全体を俯瞰してもらいたい。
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「目次」

美は、動旳な平衡に宿る──まえがきにかえて

第1章 「自由であれ」という命令
──遺伝子は生命の楽譜にすぎない

生命体は遺伝子の乗り物か
働きアリにみる「パレー卜の法則」
ホモ・ル—デンスかロボッ卜機械か
サブシステムは自然選択の対象にならない
生命の律動こそ音楽の起源
演奏家それぞれの「変奏曲」
生命を動かしている遺伝子以外の何か
遺伝子は音楽における楽譜
卵環境は子孫に受け継がれる

第2章 なぜ、多様性が必要か
──「分際」を知ることが長持ちの秘訣

子孫を残せないソメイヨシノ
植物は不死である
進化で重要なのは「負ける」こと
センス・オブ・ワンダーを追いかけて
なぜ、蝶は頑ななまでに食性を守るか
動旳だからこそ、恒常性が保たれる
多様性が動的平衡の強靭さを支えている

第3章 植物が動物になった日
──動物の必須アミノ酸は何を意味しているか

なぜ食べ続けなければならないか
なぜ、動物が誕生したか
グルタミン酸においしさを感じる理由
「うま味」を探り当てた曰本人
地球を支配しているのは卜ウモロコシ
アミノ酸の桶の理論
運動、老化にはBCAAが効果旳
窒素固定のプロセスは細菌が担っていた
Cの時代からNの時代へ

第4章 時問を止めて何が見えるか
──世界のあらゆる要素は繁がりあっている

昆虫少年の夢
曰本最大の甲虫ヤンバルテナガコガネ
ファーブルの言明
人間は時間を止めようとする
この世界に因果関係は存在しない

第5章 バイオテクノロジーの恩人
──大腸菌の驚くベき遺伝子交換能力

タンパク質研究の最大の困難
大腸菌が邇伝子組み換え技術を可能に
大腸菌とヒ卜の共生
風土に合ったものを食べる知恵
大腸菌の驚くべきパワー
細菌たちのリベンジ
遺伝情報を水平伝達するプラスミッド

第6章 生命は宇宙からやって来たか
──パンスペルミア説の根拠

地球外生命体の証し
DNAが先かタンパク質が先か
チェック博士のRNAワールド
「生命誕生までに八億年」はあまりにも短い
パンスペルミア説

第7章 ヒトフェロモンを探して
──異性を惹き付ける物質とその感知器官

ファーブルが探した誘引物質
ブーテナン卜とシェーン八イマー
なぜ「生理は伝染る」か
ヒ卜にもあるフェロモン感知器官
フェロモン香水を作った人たち

第8章  遺伝は本当に遺伝子の仕業か?
──エピジェネティックスが開く遺伝子の新時代

トリプレッ卜暗号とは何か
なぜ、生命の起源は単一だと言えるか
生物は不変ではなく、動的なものだ
ダーウィンの予言
遺伝子以外によっても遺伝現象は生じる
ヒ卜とチンパンジーの違い
遺伝の鍵を握っているマターナルRNA

第9章 木を見て森を見ず
──私たちは錯覚に陥っていないか

花粉症は、薬では治らない
生命は水でエン卜ロピーを捨てている
達成できそうにないCO2削減目標
排出権取引の胡乱さ
相関性と因果性は異なる
DNAの傷にどんな意味があるか
生命現象から長持ちするシステムを学ぶ
常に分解していることの大切さ
細胞は相互補完的に役割を決める

生命よ、自由であれ——あとがきにかえて


福岡伸一『動的平衡』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
福岡②

──新・読書ノート──

     福岡伸一『動的平衡』・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・木楽舎刊2009初版2012/05/01第14刷・・・・・・・・・・

昨日、『生命と記憶のパラドクス』を載せたのだが、この本は余りにもエッセイ的であり過ぎたので、ここに『動的平衡』のエッセンス部分を引いておく。

可変的でありながらサスティナブル
カレティジアンに対する新しいカウン夕ー・フォースとして、私は今、二つの可能性を
考えている。一つは生命が本来持っている動的な平衡、つまりイクイリプリアムの考え方
を、生命と自然を捉える基本とすることである。
生命とは何か?
この永遠の問いに対して、過去さまざまな回答が試みられてきた。DNAの世紀だった
二十世紀的な見方を採用すれば「生命とは自己複製可能なシステムである」との答えが得
られる。確かに、これはとてもシンプルで機能的な定義であった。
しかし、この定義には、生命が持つもう一つの極めて重要な特性がうまく反映されてい
ない。それは、生命が「可変的でありながらサスティナブル(永続的)なシステムである」
という古くて新しい視点である。
二十一世紀、環境の世紀を迎えた今、生命と環境をめぐる思考の中にあって、この視点
に再び光を当てることは、私たちに様々なヒントをもたらしてくれる。
生命力分子レベルにおいても(というよりもミクロなレベルではなおさら)、盾環的でサス
ティナブルなシステムであることを、最初に「見た」のはルドルフ・シェーンハイマーだ
つた。DNAの発見に先だつこと一〇年以上前(一九三〇年代後半から一九四〇年にかけて)
のことだった。この、生命観のコペルニクス的転回は、今ではすつかり忘れ去られた研究
成果である。
日本が太平洋戦争にまさに突入せんとしていた頃、ユダヤ人科学者シェーンハイマ—は
ナチス・ドイツから逃れて米国に亡命した。英語はあまり得意ではなかったが、どうにか
二ューヨークのコ口ンビア大学に研究者としての職を得た。
彼は、当時ちょうど手に入れることができたアイソトーブ(同位体)を使って、アミノ
酸に標識をつけた。そして、これをマウスに三日間、食べさせてみた。アイソトープ標識
は分子の行方をトレ—スするのに好都合な目印となるのである。
アミノ酸はマウスの体内で燃やされてエネルギーとなり、燃えカスは呼気や尿となって
速やかに排泄されるだろうと彼は予想した。結果は予想を鮮やかに裏切っていた。
標識アミノ酸は瞬く間にマウスの全身に散らばり、その半分以上が、脳、筋肉、消化
管、肝臓、膵臓、脾臓、血液などありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部
となっていたのである。そして、三日の間、マウスの体重は増えていなかった。
これはいったい何を意味しているのか。マウスの身体を構成していたタンパク質は、三
日間のうちに、食事由来のアミノ酸に置き換えられ、その分、身体を構成していたタンパ
ク質は捨てられたということである。
標識アミノ酸は、ちょうどインクを川に垂らしたように、「流れ」の存在とその速さを
目に見えるものにしてくれたのである。つまり、私たちの生命を構成している分子は、プ
ラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズ
ムの中にあるという画期的な大発見がこの時なされたのだった。
まったく比喩ではなく、生命は行く川のごとく流れの中にあり、私たちが食べ続けなけ
ればならない理由は、この流れを止めないためだったのだ。そして、さらに重要なのは、
この分子の流れが、流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保って
いるということだった。
個体は、感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミ
クロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない
のである。

「動的平衡」とは何か
生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換
えられている。身体のあらゆる組繳や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され
続けているのである。
だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数力月前の自分とはまったく別物にな
っている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間
にはまた環境へと解き放たれていく。
つまり、環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表
現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけで
はなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一
時的に形作っているにすぎないからである。
つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は
変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」という
ことなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異的なありようをダイナミック・ス
テイト(動的な状態)と呼んだ。私はこの概念をさらに拡張し、生命の均衡の重要性をよ
り強調するため「動的平衡」と訳したい。英語で記せばdynamic equilibrium (equi =等し
い、librium =天枰)となる。
ここで私たらは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命と
は動的平衡にあるシステムである」という回答である。
そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブルを特徴
とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存して
いるのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造で
はなく「効果」なのである。
サスティサブルであることを考えるとき、これは多くのことを示唆してくれる。サスティ
ナブルなものは常に勛いている。その動きは「流れ」、もしくは環境との大循環の輪の
中にある。サスティナブルは流れながらも環境との間に一定の動的平衡状態を保っている。
一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ、平
衡を維持できるのだ。サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を
作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる。
このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを物質的•制度的に保存し
たり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。
サスティナフルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保
ち、かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって
「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。

多くの失敗は何を意味するか
シェーンハイマーは、それまでのデカルト的な機械論的生命観に対して、還元論的な分
子レベルの解像度を保ちながら、コペルニクス的転回をもたらした。その業績はある意味
で二十世紀最大の科学的発見と呼ぶことができると私は思う。
しかし、皮肉にも、このとき同じニューヨークにいた、ロックフェラー大のエイプリー
によって遺伝物質としての核酸が発見された。そして、それが複製メカニズムを内包する
二重らせんをとっていることが明らかにされ、分子生物学時代の幕が切つて落とされる。
生命と生命観に関して偉大な業績を上げたにもかかわらず、シェーンハイマーの名は次
第に歴史の澱に沈んでいった。
それと軌をーにして、再び、生命はミクロな分子パーツからなる精巧なプラモデルとし
て捉えられ、それを操作対象として扱いうるという考え方がドミナントになっていく。必
然として、流れながらも関係性を保つ動的な平衡系としての生命観は捨象されていった。
ひるがえって今日、外的世界としての環境と、内的世界としての生命とを操作しつづけ
る科学・技術のあり方をめぐって、私たちは重大な岐路に立たされている。
シェーンハイマ—の動的平衡論に立ち返って、これらの諸問題を今一度、見直してみる
ことは、閉塞しがちな私たちの生命観・環境観に古くて新しいヒントを与えてくれるので
はないだろうか。
なぜなら、彼の理論を拡張すれば、環境にあるすベての分子は、私たち生命体の中を通
り抜け、また環境へと戻る大循環の流れの中にあり、どの局面をとっても、そこには動的
平衡を保ったネットワークが存在していると考えられるからである。
動的平衡にあるネットワークの一部分を切り取って他の部分と入れ換えたり、局所的な
加速を行うことは、一見、効率を髙めているかのように見えて、結局は動的平衡に負荷を
あたえ、流れを乱すことに帰結する。
実質的に同等に見える部分部分は、それぞれが置かれている動的平衡の中でのみ、その
意味と機能をもち、機能単位と見える部分にもその実、境界線はない。
遣伝子組み換え技術は期待されたほど農産物の増収につながらず、臓器移植はいまだ決
定的に有効と言えるほどの延命医療とはなっていない。ES細胞の分化機構は未知で、増
殖を制御できず、奇跡的に作出されたクロ ーン羊ドリーは早死にしてしまった。
こうした数々の事例は、バイオテクノロジーの過渡期性を意味しているのではなく、動
的平衡としての生命を機械論的に操作するという営為の不可能性を証明しているように、
私には思えてならない。
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この本は啓蒙書でありながら、結構手ごわいものなので、こんな形で「切り取り」するのは危険だとはわかっているが、一応、引いてみた。
この本は2009年に出されているし、その後ES細胞やiPS細胞の分野で画期的な研究の進展があったので、これらの成果は、すぐに取り入れられるだろう。

いずれにしても生命現象を「動的平衡」と捉えたことは、彼の理論の根幹であるから、これからの理論的発展を注視したい。
敢えて、昨日に続いて採り上げる所以である。





福岡伸一『生命と記憶のパラドクス』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

    福岡伸一『生命と記憶のパラドクス』・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・・・・文芸春秋社2012/09/15刊・・・・・・・・・・・

この本は「週刊文春」2010年3月11日号から2011年9月8日号まで連載されたものである。
彼については前にも「新・読書ノート」に書いたことがある。
『せいめいのはなし』 『トリプトファン』など、参照されたい。
はじめにWikipediaに載る彼の経歴を引いておきたい。
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福岡 伸一(ふくおか しんいち、1959年9月29日 - )は、日本の生物学者。青山学院大学教授。専攻は分子生物学。農学博士(京都大学、1987年)。東京都出身。

略歴
1982年3月 京都大学農学部食品工学科卒業
1987年3月 京都大学大学院農学研究科食品工学専攻博士後期課程修了
1988年7月 ロックフェラー大学ポストドクトラル・フェロー(分子細胞生物学研究室 1989年2月まで)
1989年3月 ハーバード大学医学部ポストドクトラル・フェロー(1991年7月まで)
1991年8月 京都大学食糧科学研究所講師
1994年4月 京都大学食糧科学研究所助教授
2001年4月 京都大学大学院農学研究科助教授
2004年4月 青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授
2011年4月 青山学院大学総合文化政策学部教授

活動
狂牛病問題などで新聞・雑誌に頻繁に登場している。雑誌の随筆や新聞の文化面、読書面の常連筆者でもある。また、有限責任中間法人ロハスクラブ理事も務めている。また、一般に向けた科学書の翻訳・執筆を行っている。2007年の「生物と無生物のあいだ」は65万部を超えるベストセラーとなった。

生命観
同位体でマークしたアミノ酸を用い、タンパク質など生体を構成する物質は極めて素早く入れ替わり、作り替えられていることを実証したルドルフ・シェーンハイマー(Rudolph Schoenheimer)の実験に強く共鳴し、再評価を行った(ただし、「生物と無生物のあいだ」で書かれているように、シェーンハイマーが決して無視されていたわけではないことには注意)。これに基づき、「生命は流れの中のよどみ」という考え方を自著で繰り返し述べている。また、「世界は分けてもわからない」などでホーリズムを主張している。

動的平衡
ルドルフ・シェーンハイマーの発見した「生命の動的状態(dynamic state)」という概念を拡張し、生命の定義に動的平衡(dynamic equilibrium)という概念を提示し、「生命とは動的平衡にある流れである」とした。生物は動的に平衡状態を作り出している。生物というのは平衡が崩れると、その事態に対してリアクション(反応)を起こすのである。そして福岡は、(研究者が意図的に遺伝子を欠損させた)ノックアウトマウスの(研究者の予想から見ると意外な)実験結果なども踏まえて、従来の生命の定義の設問は浅はかで見落としがある、見落としているのは時間だ、とし、生命を機械に譬えるのは無理があるとする。機械には時間が無く原理的にはどの部分から作ることもでき部品を抜き取ったり交換することもでき生物に見られる一回性というものが欠如しているが、生物には時間があり、つまり不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度おりたたんだら二度と解くことのできないものとして生物は存在している、とした。

プリオンについて
コッホの三原則を満たしていないなどの理由から、現在の世の中では主流となっているBSEのプリオン原因説に懐疑論を投げかけている。著書『プリオン説はほんとうか?』ではBSEのウイルス原因説を提示して話題を呼んだが、これに関しては多くの生物学者から反論を受けている。

進化論
チャールズ・ダーウィンの進化論に対して、完全ではないという考えを持っている。 文學界2008年8月号で、川上未映子との対談において、進化を説明するための一つの説としてジャン=バティスト・ラマルクの用不用説を持ち出している。用不用説は学会において批判の多い学説であるが、福岡本人も「そのためのメカニズムがない」「後天的に獲得した形質は遺伝しない」として、現在では否定されているとしながらも、二つの説明の仕方の内の一つとして挙げている。

その他にも、進化には「複合的な要因」が考えられるのではないかといった議論、またニッチを引き合いに出して今西進化論へ共感を示すなど、進化論以外の道に注目する姿勢を見せている。

人物
愛用している時計は、シチズン社のカンパノラ。
スキーが趣味である。
独特の風貌を持ち、友人の小黒一三からは「世に二人といない不思議な顔」と評され、爆笑問題からはNHKの教養番組で「くいだおれ人形そっくり」と弄られている。

受賞歴
朝日学術奨励金(1987年度)
2006年 第1回科学ジャーナリスト賞
2006年 『プリオン説はほんとうか?』で講談社出版文化賞科学出版賞(平成18年度)
2007年 『生物と無生物のあいだ』で第29回サントリー学芸賞<社会・風俗部門>
2008年 『生物と無生物のあいだ』で第1回新書大賞

著書

単著
『もう牛を食べても安心か』(文春新書、2004年)
『プリオン説はほんとうか? タンパク質病原体説をめぐるミステリー』(講談社・ブルーバックス、2005年)
『ロハスの思考』(木楽舎・ソトコト新書、2006年)
『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書、2007年)
『生命と食』(岩波ブックレット、2008年) 
『できそこないの男たち』(光文社新書、2008年)
『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(木楽舎、2009年)
『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書、2009年)
『ルリボシカミキリの青』(文藝春秋、2010年)
『フェルメール 光の王国』(木楽舎、2011年)

共著
生物が生物である理由 分子生物学 太田光,田中裕二 (講談社 2008年、 爆笑問題のニッポンの教養)
盛山正仁(著), 福岡伸一(編) 『生物多様性100問』 (木楽舎、2010年 )

翻訳
ヒューマンボディショップ 臓器売買と生命操作の裏側 A.キンブレル 化学同人 1995.7
七つの科学事件ファイル 科学論争の顛末 H.コリンズ,T.ピンチ 化学同人 1997.2
キャリー・マリス『マリス博士の奇想天外な人生』早川書房、2000 のちハヤカワ文庫
リチャード・ドーキンス『虹の解体 いかにして科学は驚異への扉を開いたか』早川書房、2001 
マッキー生化学 分子から解き明かす生命 Trudy McKee,James R.McKee 市川厚監修 監訳 化学同人 2003.10
Yの真実 危うい男たちの進化論 スティーヴ・ジョーンズ 岸本紀子共訳 化学同人 2004.8
モッタイナイで地球は緑になる ワンガリ・マータイ 木楽舎 2005.6
築地 テオドル・ベスター 和波雅子共訳 木楽舎 2007.1
エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか ライアル・ワトソン 高橋紀子共訳 木楽舎 2009.6
思考する豚 ライアル・ワトソン 木楽舎 2009.11

対談集
『エッジエフェクト 界面作用』(朝日新聞出版、2010年)

出演

テレビ
スタジオパークからこんにちは(2010年5月17日、NHK総合)ゲスト出演。
歌うコンシェルジュ(2011年1月24日、NHK総合)ゲスト出演。
カズオ・イシグロを探して(2011年4月17日、NHK教育)
いのちドラマチック(NHK-BS)レギュラー出演。

ラジオ
上柳昌彦・山瀬まみ ごごばん!フライデースペシャル(2012年1月13日、ニッポン放送)ゲスト出演。

CM
日本エイサー「AS1410シリーズ」
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この経歴を見てわかる通り、彼は京都大学農学部を出ている。
昔は「農学部」というと文字通り農業に関係する学問とか林業に関する実学に携わる人の行くところだった。
しかし今では、この学部の扱う分野は、とても広く、世界的に活躍する科学者が、ここを出ている。
特に、京都大学は著名な学者を輩出している。こういう科学者は、以前なら「理学部」出身者が多かったのだが、今は違う。

おまけに、この本の巻末の辺りに書いてある「ナチュラリスト宣言」というところで、このように書いてある。

<そういう福岡ハカセも、実は2011年の春、理系を卒業しました。
 同じ大学内で「文転」することにしたのです。
 これまでずっとマウスを殺し、細胞をすりつぶし、遺伝子を切り貼りしてきた。
 そこで学んだことも多かったけれど、これからはミクロに分けるだけではなく、
 もっと統合的に生命のことを考えたい。
 文化や社会とのかかわりの中で生命観を深めたいと思った。
 もともと福岡ハカセは昆虫少年としてファーブルやドリトル先生や今西錦司にあこがれていた。
 彼らは自らのことをナチュラリストと名乗っていた。
 だからここで私もちょっとライフチェンジして、分子生物学者からふつうの生物学者(ナチュラリスト)に戻ろう。
 そう思うに至ったのです。
 時は春。終わることから新たに始まることがあるのではないかなと。
 ささやかながら、福岡ハカセのナチュラリスト宣言。>

もう一度、彼の経歴のところに戻ってもらいたい。

2011年4月 青山学院大学総合文化政策学部教授      と書いてある。これこそ彼の「文転」である。
今西錦司先生は、「文転」こそしなかったけれど、山に登り(ヒマラヤにも登った)霊長類研究所の創設にかかわったり、科学の啓蒙書を書いたりした。

この本は、本の性格としては「エッセイ」 である。カバーに書いてある通り66篇の短い文章から成る。
目次を引いてみると、

   ハカセの記憶
   ハカセの旅
   ハカセの進化
   ハカセのIT
   ハカセの読書
   ハカセの芸術
   ハカセのナチュラリスト宣言

などとなっている。
「まえがき」と「あとがき」には、アメリカのロックフェラー大学での「ポスドク」としての悲惨な研究者生活の一端が書かれている。
「ポスドク」とは「ポスト・ドクター」大学院の博士課程の単位を満了した学者の卵──今や、このポスドクが掃いて捨てるほど存在し、
中には就職口もなく悲惨な存在となっている一面がある。

この本は短い記事が一回分「読み切り」になっている。 三つほど引いておこう。

     働きバチは不幸か

まだまだ暑いけれど、空を見上げるとこまかいうろこ雲が広がっている。ふと足元に目をやる
と、道端に、黄色いハチのむくろが千からびてころがつていた。力つきて地面に落ちたのだろう
か。今夜、私が帰ってくる頃には、アリたちにきれいに運ばれてしまっていることだろう。小さ
な生命のかけらを見ると夏の終わりを感じる。
子どもの頃、.ある夏の終わり、クモの巣にひっかかってもがいているミツバチをみつけた。あ
っ、かわいそう。そう思った私は、すぐに近寄って指先で縦糸を切り(クモの巣の縦糸は、クモ
自身が通路として使うのでベタつかない)、ミツパチをクモの巣から救いだした。そして絡まっ
た横糸をはずしてやろうと手のひらに乗せた。そのとたん、それまでおとなしくしていたミツバ
チは、思い切り私の指の付け根を刺した。激痛がはしった。びっくりした私は思わずミツバチを
振り払い、わっと泣き出した。指はみるみる間に赤く腫れ上がった。ミツバチの黒い針が突き刺
さったままそこに残っていた。
針はミツバチにとって最後の手段である。針を使えばミツバチは死ぬ。結局、私は、ミツジチ
を助けようとして、ミツバチを死に追いやってしまった。いのちを救おうとして、いのちをそこ
なう。おまけに、せっかく張ってあったクモの巣を壊し、クモの獲物をうばったことにもなる。
ひょっとすると私はクモの生存までおびやかしたかもしれない。私が行おうとしたことは一体な
んだろう。自然に対する勝手なおせっかいにすぎない。おせっかいどころか、大迷惑、あるいは
犯罪行為かもしれない。
私は、指の付け根に刺さっていたハチの針をそっと引き抜いた。赤い小さな穴と鈍い痛みが残
った。ミツバチの針は、ミツバチの産卵管の先端が変化してできたもの。内臓とつながっている。
だから針で敵を刺し、針がちぎれると、内臓もちぎれ、そこから体液が漏れでてミツバチは死ん
でしまう(スズメバチのように針がちぎれず、何度も出し入れして使えるハチは、刺しても死な
ない)。
外へ出て、花を探しているうちにクモの巣にかかってしまうようなミツバチは働きパチであり、
一生、卵を産むことのないメスである。だから產卵管を産卵管としてつかうこともない。それは
毒針のついたひもでしかない。働きバチの寿命はほんの数通間。多くの働きパチは毒針で敵を剌
す機会もなく、いのちが尽きてしまう。そして生きている数週間は文字通り働き詰めだ。最初は
内勤として、巣の掃除や幼虫の世話係をする。ついで外へ出ることを許される。外勤である。花
のあるところに行って蜜と花粉をせっせと集める。最後は地に落ち、あるいはクモやアリの餌食
になる。でもそれは,かわいそうなことだろうか。たぶん違う。
働きバチたちは、女王が君臨する王国の奴隷のように見えるけれど、実は、そんなことはない。
役の割り振りは人間の勝手な見立てにすぎない。ハチの国の主権者は、働きバチそのものである。
女王バチは、実は女王でもなんでもなく、巣の奥に幽閉された産卵マシーン。働きバチは必要が
あれば女王を殺し、必要があれば新しい女王を作り出す。僅かな数だけ生み出される雄のハチも
また働きバチの支配下にあり、用が済めば餌ももらえず捨てられる。働きバチだけが、よく食べ、
よく学び、 労働の喜びを感じ、世界の広さと豊かさを知り、天寿を全うして死ぬ。おまけにしん
どい産卵は他人まかせ。働きバチこそが生の時間を謳歌しているのである。
子どもの頃には、気づかなかったことがもうひとつ。自然を大切にする、あるいは生物の多様
性を保全するということは、死ぬべきものを、死から救い出すことではない。死は自然であり、
死は生命そのものである。福岡ハカセは今になってようやくそう思う。


     風呂場イスひとりじめ

とある休日。気持ちの良い風が吹く夕暮れ時、久しぶりに近くの銭湯に出かけてみた。昔、こ
のあたりにあった寿湯、玉川湯ともに姿を消してしまった。今ではマンションや駐車場になって
いる。当時の様子を思い出そうとしても、もううまく思い出せない。屋根の向こうにひよろっと
高い煙突があったっけ。
仕方がないので少し離れた阿見湯に行く。番台のおばさんにお代を払って板張りの脱衣場に入
る。今日はすいているようだね。ガラリとガラス戸をあける。湯けむりがあたたかい。ふと見る
と、いつも入り口に積み重ねてあるイスがない。あれ、おかしいなあ。洗い場を回り込んでみて
びっくり。奥に、イスをひとりで全部とりこんで使っている奴がいるではないか。風呂場イスひ
とりじめ、ってあんた、いったいどういう了見だ。
フロバイスヒトリジメ。ここまで真面目に読んでくれた方、ごめんなさい。こういうほっこり
した夕暮れのひとときがあったことは事実なのだが、この呪文は、私たち生物学を学ぶ者が、必
ず覚えなければならない必須アミノ酸暗記用の語呂合わせなのである。タンパク質を構成する二
十種のアミノ酸のうち、フェニルアラニン、ロイシン、バリン、イソロイシン、スレオニン、ヒ
スチジン、トリブトファン、リジン、メチオニンの頭文字をつないだもの。この九つのアミノ酸
は、ヒトが自分で合成することができない。だから必ず食品として外部から摂取しなければなら
ない。これが必須アミノ酸。生物学や栄養士の試験などによく出題される。
フェ二ルアラニンやトリブトファンは、祌経活動を伝達する重要な物質、ドーパミンやセロト
ニン、メラトニンの原料でもある。リジンはタンパク質にプラスの電荷を与える数少ないアミノ
酸のひとつ。メチオニンはタンパク質合成が開始される信号にもなる(だからすベてのタンパク
質の先頭はメチオニンである)。こんなに大切なアミノ酸をどれも人間は自ら作り出すことがで
きない。ヒトよりずつと昔から存在していた微生物はほとんどのアミノ酸を自前で作り出すこと
ができる。植物もしかり。
ヒトだけでなく動物にも、それぞれ食物として摂取しなければならない必須アミノ酸がある。
いったいなぜ、重要なアミノ酸の合成能力を失ってしまったのだろう。かつてはその能力を持つ
ていたのだから、進化の過程で、動物はその能力をあえて捨てたことになる。
食べ物のなかにたくさんアミノ酸が含まれているから、わざわざ自分で合成する必要がなくな
った? この説明は一見、合理的に見えるが違う。進化のプロセスでは、失うこと、捨てること
にも積極的な理由が必要である。そうでなければ淘汰の中でその形質が選択されることはなかっ
たはずだから。
しかもアミノ酸のうち、自然界に豊富にあるものではなく、むしろ特に重要なものをあえて合
成できないようにしたのだ。
特定の重要アミノ酸が合成できなくなることは生物にとってどのような「有利さ」をもたらし
たのか。必須アミノ酸は喑記させられるけれど、その存在理由を教科書は教えてくれない。これ
が学校教育の問題点でもある。どんどん仮説を作ることが生物学を面白くするのにね。
福岡ハカセは次のように考えている。あるアミノ酸が生命に必須となった瞬間、生物は「動
物」になりえたのだと。食べ物を探査し、追い求め、獲得すること。これはすべての行動の原型
である。必須アミノ酸が生まれたことによって、生物は自ら動くことを求められ、自ら行動しう
るものが選抜された。そしてそのことが生命にさらなる発展をもたらした。視覚や嗅覚や味覚も
このプロセスで獲得されたのではないか。自前で合成できないこと、つまりウォント(want)
が、生命の進化にとってにわかに輝かしい鍵となったのである。


     ふっくらブラジャー

水兵リ—ベ、ぼくの船・・・・・いう語呂合わせ、聞いたことありますよね。元素の暗記方法。軽
いものから重い順にならベると、H (水素)から始まって、He、Li、Be、 B、 C、 N、 O、 F、
Neと続く。
リ—ベはドイツ語で愛する(ラブ)の意味だが、なぜここに出てくるかは意味不明。とはいえ、
これはほとんどの人が学校時代に聞いたことがあり、時代的にもかなり古くから人口に膾炙して
いる(ってほどのことでもないか)ようだ。
当然のことながら日本独自のもの。昔、アメリカで研究をしていた頃、諸外国から来ていた友
人たちに「なにかそういうメモライズする方法ある?」と聞いてみたことがあったが、まったく
反応がなかった。思うに、これはなかなかに美しい言葉の文化ではないだろうか。
たとえばこんなのも思い出した。「産医師、異国に向こう。産後厄なく産婦、御社(みやしろ)に虫さんざ
ん闇に鳴くころにや、弥生も末の七日、あけむつのころ草の戸をくぐるに皆いつかはと小屋に送
る・・・・・・」。
これは一時は、たんに3でもよいことになっていた円周率ですね。
さて、水兵リーベの方は、ぼくの船のあとに続くいくつかのバリエーションがある。時代の変
化や地域差かもしれない。一般的なのは、「そう曲がーる、シップス、クラーク......」というパ
ターン。「そうだ、間がある、競輪行こう縁がある、貸し借り好かん……」という無頼(?)パ
ターンもある。
これで地球上に存在する元素を二十ほど丸暗記することはできるわけだが、実は、元素は一覧
表にならべてこそ意味がある。Li、Be、B、 C、 N、 O、 F、 Neの八つで一つの行が終わり。次
の八つ、Na、Mg、Al、Si、 P、 S、Cl、Ar (Na[ナトリウム]はソ—ダと読む)は、その下の行
に書く。
大事なのはこのように行を連ねて書いたときの、縦の列なのである。縦の列にある元素は互い
に性質が似る、というのが化学の大原則。LiとNa、 CとSiは性質が似ている(地球の生物はC
〔炭素〕でできているが、宇宙にはSi〔ケイ素〕生物がいるかもしれない)。つまり元素は重さの
順にならベて改行して書くと、周期的に似た性質のものが繰り返し出現する。
たとえば、F (フッ素)の縦列を見ると、Cl (塩素)、Br (臭素)、I (ヨウ素)、At(アスタ
チン)となる。これはハロゲンという仲間で、マイナスイオンになりやすく、いろいろな反応に
関わる。
だから理系の受験には元素の表を縦に憶えることの方が重要で、そのための語呂合わせも細か
く存在している。福岡ハカセが知っているのは、Fの列だと、ふっくらブラジャーわたし(I)
にあてて、というもの。なぜか縦列暗記法にはエッチなものが多く、その隣の列は、幼いセック
ス照れてポっ。こんなのばかり紹介していると紙幅がすぐ尽きてしまうのだが、おそらくは受験
生の鬱屈が込められているのだろう。
さて、元素にはどうして周期的な性質があるのか。
元素は中心に原子核、そしてその周りを運動している電子からなっている。ちょうど太陽系の
ように。
電子はそれぞれ固有の軌道をもっている。内側の軌道が満員になるとひとつ外側の軌道にはい
る。炭素は一番外側の軌道に四つの電子をもつ。ケイ素はこの軌道を電子で満たして、さらに外
側の軌道に四つの電子をもつ。最外殻の軌道の電子数が一致すると元素の性質も似る。これが元
素の周期性の源。
このことが後に元素の内部構造を解明することへの鍵となったのだが、最初にこの周期性に気
づいたロシアの科学者メンデレーエフは、惜しくもノーベル賞を逃した。
そのせいかどうかは定かでないが、彼はウオッカを愛し、後にそのアルコール濃度を四〇%と
制定した。

福岡②
福岡③

「学ぶ」という意味からすれば、ここに掲げた本『動的平衡』『動的平衡2』の方が意味があると思うのだが、後日に採り上げる。





熱き血のなほ潜みゐむ現身のうすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
p2_ra乳房

   熱き血のなほ潜みゐむ現身(うつしみ)の
     うすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』((角川書店)に載るものである。
この歌は、亡妻がまだ元気であったときの思い出の作品であり、今となっては記念碑的なものであり愛着がある。

日本文学では、古来、乳房のことを、私の歌のように「垂乳」(たりち)と表現する。
散文的には「胸乳」(むなち)と言うこともあるが、私は「垂乳」の方が好きである。これは加齢によって「垂れてきた」乳房の意味ではないので、ご留意を。
「たらちねの母」という表現がある。これは母という言葉にかかる「たらちねの」という「枕詞」(まくらことば)であり、これは漢字で書くと「垂乳根」となり、乳房のことから転化して、母または親を修飾する「枕詞」になったものである。
近代短歌の頃には、枕詞なんて古臭いなどと言われたときもあったが、現代短歌では歌に深みを増すために最近は枕詞の使用が見直されてきているのである。
以下、百科事典に載る記事を転載して、お茶を濁したい。
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 乳房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

人間の乳房(にゅうぼう、ちぶさ)は、多くの哺乳類のメスに存在する、皮膚の一部がなだらかに隆起しているようにみえる器官で、その内部には、乳汁(母乳、乳)を分泌する機能を持つ外分泌腺の乳腺(にゅうせん)が存在する。幼児語ではおっぱいとも呼ばれる。

乳房の表面には、乳汁が外部に分泌される開口部を含む乳頭(にゅうとう)が存在する。哺乳類では、産まれてから一定期間の間の乳児は乳汁を主たる栄養源として与えられ、生育する。哺乳類の名前は、ここから来ている。オスの乳房、乳腺はその生産機能と分泌の機能を持たないため通常、痕跡的である。

哺乳類でもあるヒトの乳房は、通常は胸部前面に左右1対にて存在する。地球上に人類が誕生して以来、ヒトの乳房の存在意義は、出産後母乳を分泌し、乳児を育てることであるが、文明が発達した現代においては、母乳を代替品の粉ミルクにより置き換えることも可能ではあるが、医学的に考察すれば その与えられた免疫機能の重要性は極めて高く、代替品では近似してはいても、その本来の成分には遠く及ばない。免疫の極めて低い状態で出生する新生児に確実に免疫を獲得させる目的からも、母乳が勧められる。 また、ヒトの乳房は、乳首をはじめ刺激を受けると性的興奮を得やすい。

乳房の構造
乳房の構造乳房の表面は皮膚で覆われる。ヒトの女性では、通常は胸部の大胸筋の表面の胸筋筋膜上に左右1対が存在し、およその位置は、上下が第3肋間~第7肋間、左右は胸骨と腋窩の間である。乳房は第一次性徴期は性差がなく男児と同じ(第1段階)であるが、第二次性徴期に脂肪組織が蓄積する(特に脂肪組織が蓄積するのは第2段階第3段階の間)。乳房の脂肪組織の形は人種差や個人差が非常に大きい。高齢者になると乳房の中身が徐々に衰退するため乳房が徐々に下垂する。

乳房の内容は、その容積の9割は脂肪で、1割が乳腺である。乳腺は、乳房一つあたり15~25個の塊として存在し、乳頭の周囲に放射状に並ぶ。それぞれの塊を葉(よう)と呼ぶ。それぞれの乳腺の葉からは乳管が乳頭まで続き、乳腺より機能し分泌された乳は、乳管、乳頭を通して体外へ出る。乳房組織の脂肪組織は乳の生産には全く関係しない。

乳房の成長
Tannerの分類によれば、両性において共通するのが第1段階である。その後、女性は第2・3・4段階の課程を経、第5段階において女性成人型に変化する。また、男性は第1段階を維持し、男性成人型になる。

女性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第2段階 乳輪下に脂肪組織が蓄積し始める。乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化。(定義上では、ここから思春期)
第3段階 脂肪組織が蓄積し外見差が出てくる
第4段階 乳輪が隆起し、ほぼ成人型になる
第5段階 女性成人型となる
男性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第1段階 乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化し、男性成人型となる。

乳汁の分泌とその調節
乳児に母乳を与える様子血液を原料に乳を作る。乳房組織の脂肪は乳の生産自体には関係がないため、その大きさと母乳の量・質には因果関係はない。乳(ちち)は、乳汁(にゅうじゅう)ともいい、ヒトや動物のうち哺乳類が幼児に栄養を与えて育てるために母体が作りだす分泌液で、乳房組織で作られ乳首から体外に出てくる。乳房組織は血液の赤みをフィルターして乳にする。出産直後に母体から出る乳は初乳と呼ばれ、幼児の免疫上重要な核酸などの成分が含まれている。

どんな哺乳類も本来子供を出産した後、数ヵ月から数年の哺乳期間だけ母体は乳を作り出す。タバコの喫煙習慣のある女性は脂肪組織に蓄えられたダイオキシンなどの極めて毒性の高い物質が母乳に混じり、排出される。

平時は母乳は決して出ないが、妊娠・分娩後には脳下垂体から泌乳刺激ホルモン(プロラクチン)、オキシトシンが分泌され、このときだけは母乳が生産されるようになる。まれにホルモン異常などの疾患により、妊娠しなくとも母乳が出る場合がある。稀に、男性から出ることもある。


他の哺乳類の乳房
仔豚に母乳を与える豚哺乳類の乳腺の発達する部位は、左右対称に前足の腋の下から後ろ足の間、恥骨に続く乳腺堤と呼ばれる弓状の線上にある。この上の発達部位の中で、それぞれ哺乳類の種によって、特定のいくつかが発達する。前の方が発達する場合、子供は前足の腋の下に口を突っ込むことになるし、後ろが発達すれば、腹部下面に乳房が並ぶことになる。

一般的に多産の動物ほど乳房の数は多く、牛は4つ、犬は8つ、豚は14個存在する。乳頭と子が産直後に固定されるものもある。

なお、ヒトにおいても極く稀に本来の発達部位より前(主に脇の下の部分に生じるが、同様に乳腺堤上にあたる腹部の左右から股関節にかけての部位に生じる場合もある)に1対(複数発生例もあり、最大で9対生じる事もあるという)の乳頭を持つ例があり、「副乳」と称される。稀に膨らむ場合もあるが、ほとんどの場合が発達せずホクロのように見える。これは現在、哺乳類でもある人類の、地球上での出現・進化と深く関連していると推測されている。

社会的存在 
一方、女性特有の器官である乳房の大小は、1970年代以降より女性の身体的魅力の一要因とされており、現代においては関心も高い(#関連を参照)。
また、大小にかかわらず、均整の取れた美しい乳房を美乳と呼ぶ。



吾が贈りし口紅それは夢の色ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   吾が贈りし口紅それは夢の色
      ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「化粧」の一連の歌を採り上げたので載せておく。

亡妻は国産のものでは資生堂の化粧品を使っていたようだが、私が海外旅行の土産として買って帰った「シャネル」の製品も、よく常用していた。
香水やオーデコロンなどは「シャネル」の5番を愛用していた。マリリン・モンローがネグリジェ代わりに身につけて寝たというものである。
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以下に百科事典に載る記事を転載しておく。

 口紅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

口紅(くちべに、lipstick)とは、人が顔に着彩する目的で唇に塗るために使われる化粧品の一種である。

一般的に、ベニバナを原料とし、ワックスや顔料を溶かして型に入れ固めて作られるが、製品としての口紅にはこれらのほかにも色素、界面活性剤、酸化防止剤、香料など多数の成分が含まれる。

なお、口紅の訳語としてしばしば使われる「ルージュ(rouge)」とは、フランス語で赤という意味である。しかし、昨今では赤色でない口紅も存在するようになり、オレンジ系・ピンク系・ベージュ系など様々な色味に大別される。 唇に質感だけを加える半透明なグロスと呼ばれる物もある。

形状はスティック状の物が一般的で、フタをとり直接あるいは一旦口紅用の筆(リップブラシともいう)に取って唇に塗布する。スティック状でないものは直接唇には塗りにくいので、筆に取って塗布する。

なお、英語では「リップスティック(lipstick)」といい、略して「リップ」と呼ぶことがある。しかし、日本ではそのように略すと口紅より、主に唇の乾燥を防ぐために用いられる薬用リップクリームを連想させる。業界では、両方扱っているメーカーが多いために、この2つは使い分ける傾向にある。

歴史
約、7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが、始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、約、紀元前3000年の頃のエジプト人が使用されたと思われる口紅が発見され、約紀元前1200年頃のエジプトで、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている。

効果
現代において、化粧のうちでも重要な要素とされ、色、質感などが重要である。光沢も重要であり、光彩を放つパールやラメが混入されていることがある。
保湿機能などが付加され、冬期の乾燥した環境に使用できる製品も開発されている。
夏期には紫外線防止効果のあるものも選ばれる。

口紅にまつわるエピソード
男性が女性に口紅を贈る場合に、「少しづつ取り戻したい」などという気障な言葉が添えられることがある。
本来の意図と反して、ワイシャツなどに付着した口紅は、浮気の証左としての痕跡とされるが、満員電車などで意図せずにつく場合もある。
食器などに付着すると、成分の関係で落ちにくい汚れとなる。最近では付着しにくいものも多い。
口紅を塗る動作そのものを「紅を引く(べにをひく)」と表現することがある。
かつて春先の化粧品のキャンペーンやプロモーションの中心商品といえば、口紅であった。
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掲出の私の歌だが「口紅それは夢の色」なんて、甘ったるい表現で、今となっては冷や汗ものだが、これも亡妻の元気なときの仲のいい夫婦の一点景として大目に見てもらいたい。


べに刷きてブラシにはつか残れるを目元にも刷く汝の朝化粧・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   べに刷きてブラシにはつか残れるを
     目元にも刷く汝(な)の朝化粧(けはひ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
私は男で化粧には弱いし、また、お化粧の仕方も時代とともに変遷するので、詳しいことは判らない。

以下に事典に載る記事を転載しておく。
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tvcmpic01化粧
写真は化粧品会社のコマーシャルのサイトから

 化粧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

化粧(けしょう)とは、主に顔や体に白粉や口紅などの化粧品をつけて、人間が美しく粧うこと。祭礼など儀式の化粧や舞台用の化粧もある。メイクアップ、メイキャップ、メイクともいう。

古代
口や耳などの穴から悪魔などが進入するのを防ぐために、赤色の物体を顔面に塗りつけるという、約7万年前に行われていた習慣が始まりだと推測されている。このことは、出土した当時の人骨の口に付着していた赤色の顔料の痕跡から判明した。また、紀元前1200年代頃のエジプトでは、人々が目や唇に化粧を施している絵画も見つかっている。ツタンカーメンの黄金のマスクを例にとると、目の周囲にアイラインを施していることが見てとれる。当時のアイラインの原料は、紺色の鉱石であるラピスラズリであり、それを微細な粉にして液体に溶かして使用していた。現在でも中近東地域ではこのようなアイラインを日常に行っている。

中世ヨーロッパでは、顔に蜜蝋を塗り、その上に白粉を叩くという化粧方法が流行した。この化粧のはじまりはイギリスの女王エリザベス1世とされ、戴冠式などの教会の儀式で聖性を高める目的で行われた。また、貴族達もそれに倣うようになった。
この化粧の問題点は蝋が溶け、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったことである。
当時の白粉は白鉛などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる(鉛中毒)。これを誤魔化すために、付けボクロが一時期貴族の間で流行した。

日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。
口紅は紅花を原料にしたものが使われていたが、極めて高価な品とされていた。また、江戸時代にはメタリックグリーンのツヤを持った口紅「笹色紅」が江戸や京都などの都会の女性に流行した。
日本の白粉は液状の水白粉であり、西洋と同じく主な成分に鉛を含んでいた。長期的な使用者には「鉛中毒」による死亡が多くみられ、戦後に規制されてからも、このような死者は後を絶たなかったといわれている。

舞台用
舞台で演技を行なう者は、通常より濃い化粧を行なう。目・眉・口などの顔のパーツや、鼻筋や頬など顔の陰影を強調し、離れた観客にも表情などが判りやすいよう、工夫がされている。また歌舞伎や京劇などでは「隈取」と呼ばれる独特の化粧を施す。表情や感情を伝える目的というだけでなく、隈取の種類によって役どころ(二枚目・悪役・娘役など)を見分ける一助としての役割を果たしている。
テレビ用
テレビ、特にCMやドラマなどでは、通常以上に顔の皮膚がアップで映るため、特にファンデーションやその下地に重点を置いた化粧がなされる。

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↑ 写真は「アカバナユウゲショウ」という花である。野草のように、どこにでも生えている花である。

私は先に2009/08/11に「化粧」について下記のような記事を載せたので、再掲しておく。

   私は化粧する女が好きだ
     虚構によって切り抜けるエネルギー・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この詩は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)に載せた「化粧」と題する一連の中の一行である。ただしWeb上では、ご覧いただけない。
以下、この一連を引いておく。

    化 粧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー

   虚構を持たない女なんて退屈な家政婦にしか過ぎない

   お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕

   化粧はエロチックだ 女のナルシスムと決めつけてはいけない

   化粧する女は淋しがりやだ。化粧なしの素肌では不安なのだ

   素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか

   化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相

   女の体はお城である、中に一人の甘えん坊の少女がかくれている

   女の体はお城である、中に一人のセックス上手が住みついている

   旅をする 風変りなドレスを着てみる 寝てみる 腋の下を匂わせる女

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「化粧」を「虚構」と把握するのは、詩の上ならばこその表現である。詩の場合には、こういう極端な飛躍した物言いを、よくする。それが「非日常」ということである。

この一連を発表したとき、今はもう亡くなった人だが、関西に住む或る女性歌人から女性差別の思想だと、あらぬ攻撃を受けたことがある。
この一連の、どこに「女性差別」の思想があるというのだろうか。的外れもいいところである。
その人も、その後、言いすぎたと思ったのか、的外れの指摘だったと思ったのだろう。
一緒にお酒を飲みたい、などと手紙が来たが、私は深く傷ついたので、以後、絶交した。
詩の判らない人である。


 

ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵
image1銀杏の実

     ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

銀杏(ぎんなん)の実の採れるシーズンになってきた。
関西では、大阪のメインストリートである御堂筋の街路樹にイチョウの木がたくさん植えられており、茂った枝を刈り込むのに邪魔になるギンナンの実のふるい落としが年中行事として行われるので、例年多くの人が手袋と袋持参で下で待ち構えている。一つの風物詩である。

事典には、次のように書かれている。
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ギンナンは、つややかで半透明の深い緑色、ねちねちした歯ざわり、香ばしい木の香りとほろ苦い野生の味。 都会に住む私たちへの自然からの贈り物です。

鎌倉の鶴岡八幡宮では、有名な大銀杏(おおいちょう)があるせいか、露店で焼きぎんなんを売っています。 アツアツの殻を苦労して割って中身を食べるのは最高ですね。

イチョウの種子。イチョウの木は古生代末期に出現。 今から一億5000万年前のジュラ紀には世界中に大規模な森林を作るほど栄えていましたが、 その後滅んだと欧米では考えられていました。しかし日本に存在するという事が知られ、 ダーゥインはこれを「活きている化石」と呼びました。樹皮のコルク質のおかげで害虫や火災にも強いのが特徴です。 コルク質に水を含んでいるので火事になると木から水を噴出すそうで、 大火の時に水を噴出して周りの人を救ったという水噴きイチョウの伝説が日本各地に残っています。 イチョウには雄の木と雌の木があり、10月頃に雌の木に実がなります。 オレンジ色の実の中の硬い殻に守られた胚乳がぎんなんです。

原産は中国。日本全国に植わっています。(ほとんどは人間が植樹したもの)
旬は 10月頃の採れたてから3ヶ月間ぐらいがおいしいです。半年も経つと実が縮み、 黄色くなって弾力も無くなって味が落ちてきます。
調理 ゆでる場合:まず、ペンチなどで殻を割って中身を取り出します。薄皮が付いたまま、 浅い鍋にヒタヒタの水を入れてゆでながら、玉じゃくしの底で転がすようにして薄皮を剥いていきます。
焼く場合 :軽く殻に割れ目を付けておいて、フライパンで空炒りするかオーブントースターで焼きます。

食べ方 焼いたぎんなんをそのまま食べてもいいし、茶碗蒸しやガンモドキのパーツに欠かせません。 ぎんなんの入っていない茶碗蒸しは、食べる者の期待を裏切りますよね。

秋も深まり、山々が色付く頃、葉っぱが黄色い樹木がイチョウです。
その木の実を【ぎんなん】(銀杏)といって、木には、雄(オス)と雌(メス)があり、雄の木には実がなりません。
街路樹に植えられているところも少なくありませんが、実には独特の強烈なにおいがあるので 雄の木を用いているところが多いようです。
「イチョウの木なのに、何故か実が付かない。」という経験のある方もいると思いますが それは、きっと雄の木だからでしょう。

雄の木と雌の木の違いは、葉に切り込みが入っているのが雄の木で、入っていないのが雌の木だという説や、雄の木の枝は立ち、雌の木の枝は横に広がるという説がありますが、確かなところは分かっていないのが現状のようですので、花や果実で識別するのが良いでしょうね。

街路樹だけではなく、神社の境内とか、結構身近にある木なので、機会がありましたらよ~く観察してみてください。

イチョウの実 を取り出す?!
ぎんなんは、店に売っているような形のまま、木に実ってるわけではありません。
ぢつは、ぎんなんは種なんです!

地面に落ちた実を拾い、バケツのような容器の中で果肉を腐らせてから流水でよく洗い、中の種を取り出します。
(これは匂いがきつく、果肉の油脂が白くかたまり手が荒れる作業、ぎんなん作りでもっともきつい。)

取り出された種は、天気のいい日を選んで天日に干されて何日も何日もかけ、じっくりと乾燥していきます。
(毎日のように空とにらめっこ。晴れたら出して雨が降ったら引っ込めて…。)

仕上げは、居間の薪ストーブの横に広げておいて、最後の乾燥作業を行います。
(部屋の中に、キョーレツなぎんなんの香りが充満するのは、言うまでもありません。
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ginnanギンナン実
↑ 樹になるギンナンの実

ぎんなんは「茶碗蒸し」や「がんもどき」の中に入れたりする。
上の文章にもある通り、ギンナンの実の「果肉」は熟すと、とても臭いし、おまけにウルシかぶれのようなひどい症状を呈するので皮膚にじかに触れるのは危険である。
おいしい実を取り出すのが、ひと苦労である。

折角、嵯峨野の句を出したので、関連する句を少し引いておく。

 薮中にある四辻や嵯峨の秋・・・・・・・・・・・・・・・森桂樹楼

 嵯峨硯(すずり)摺つて時雨の句をとどむ・・・・・・・・・・・・・青木月斗

 残る音の虫や嵯峨野に母を欲り・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 初紅葉日の斑を踏みし奥嵯峨野・・・・・・・・・・・・・・明石真知子

 お薄所望嵯峨野の茶屋の竹床几・・・・・・・・・・・・・・有木幸子


藤井貞和詩集『春楡の木』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
藤井

──新・読書ノート──

   藤井貞和詩集『春楡の木』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・思潮社2011/10/20刊・・・・・・・・・・


          春楡の木・・・・・・・・・・・・・藤井貞和

     聖伝のなかに、
     すっくと萌え立つ春楡の木です。
     「その昔、
     そのかみ、
     国造りの大神、
     村造りするとて、
     国造りするといって、
     この人間の国土へ、
     降りてくる。
     ついに村を造り終え、
     国を造り終える。
     さて、その後になって───」
     (これこそわたしの、
     ふるさとの山、
     その名はオプタテシケという、
     神のみ岳)
     「そのみ岳の、
     山頂より、
     神雲の空に、
     国造りの大神の、
     昇天する。 そのときに、
     春楡の木の柄を、
     置き忘れて」
     (鍬をすげて揮い、
     国造り、
     村造りして、
     造り終えると、
     その柄を、
     オプタテシケの神岳の、
     山頂に、
     置き忘れて)
     「昇天する大神が、
     手づから作る、
     鍬の柄の、
     むなしく土とともに、
     朽ち果てることの、
     もったいなさに、
     ちいさな  いのちとなって、
     生い出る 春楡の木。」

(七月八日、「私は非転向だ」という、一通の手衹とともに、蛍石が送られてきた。十七曰(海の日)には、通りの街路樹にムササビ(現代詩)と、
ユリカモメ (短歌)、それにくるり黒板に一回転半をえがき、ビ—タ—パン(俳句)がやってきて、ひとつの枝に寄るとしばらく、さんざめくトークを
して去った。 二十四日の終日、ハワイに滞在していたころの、草野心平さんについて調べていると、『ハワイイ紀行』(池澤夏樹、一九九六)にメハメ
ハメの巨木をみつけた、ハメハメハではない。 きのうはずっと春楡の木について調べた。 書き写しているうちに、事件は「その昔、そのかみ」と
あっても一か月以内に起こったことだと気づいた。 一か月以内に起きたことだけが現代なのだと思うと、ア—トも、現代詩も、六月から向こうはも
う現代でなくなってゆくのだとわかった。 前後二か月だけがたいせつなのだな、その範囲内にあるのが現代詩なのだとすると、これからさき一か月な
ら現代詩は持ちこたえられると知られた。 ここまで書き写してきたとき、春楡の木がもう枯れはじめていると私は感得する。)

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この詩集の冒頭に載る、題名になった詩を引いた。
この詩は、句読点がやたらに多く、なんだか読み下すのに難渋するが、これは作者の師匠である釈迢空(折口信夫)のやり方を踏襲しているのである。

藤井 貞和(ふじい さだかず、1942年4月27日 - )は詩人・日本文学者。東京大学名誉教授、立正大学教授。博士(文学)(東京大学、1992年)。東京生まれ。

人物

父は折口信夫門下の国文学者で國學院大學名誉教授の藤井貞文。姉は歌人の藤井常世。1972年、『源氏物語の始原と現在』で注目される。
2001年、『源氏物語論』で角川源義賞受賞。
詩人として、1999年『「静かの海」石、その韻き』で第40回晩翠賞受賞、2002年『ことばのつえ、ことばのつえ』で藤村記念歴程賞と高見順賞受賞。
2006年、『神の子犬』で現代詩花椿賞と現代詩人賞を受賞。2007年『甦る詩学』で伊波普猷賞、2008年『言葉と戦争』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。
2012年『春楡の木』で第3回鮎川信夫賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

1991年、湾岸戦争の際の『鳩よ!』の戦争詩特集を批判した瀬尾育生と論争をおこなった。      

略歴
1966年 東京大学文学部卒業
1972年 東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専門課程博士課程単位取得満期退学
1972年 共立女子短期大学専任講師
1975年 共立女子短期大学助教授
1979年 東京学芸大学助教授
1992年 東京学芸大学教授
1995年 東京大学教養学部教授
2004年 立正大学文学部文学科(日本語日本文学専攻コース)教授
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藤井は、現代詩作家としても現役であり、多くの賞を得ているが、その詩の作り方は、資料を読み込んで、それを「換骨奪胎」する手法を得意とする。
この詩でも、後半の部分は活字を小さく組んで解説風に載せてある。
この詩集の後ろに出ている 注、そして初出の覚え書き を引いておくので、これでよく判るだろう。

•春楡の木(『現代詩手帖』2006/9)
ややわかりにくいので、物語ふうに理解する。最初は美しい人間の国土を造って天上に戻ろうと
した神が、斧を置き忘れる。その柄からちいさな春楡の木が生まれたという〈誕生〉の話。「わたし」
は神話のなかでプタテシケ=大雪山に仕える女神。後書き(=かっこの部分)はこの作の制作途上で
の出来事類。「わたし」はだれでもよく、出来事のなかの〈私〉であってよいだろう。聖伝は久保寺逸
彦『(アイヌ叙事詩)神謡.聖伝の研究』〈聖伝3〉より。

他の作品も、万事このように構成されている。名づければ「構成詩」という手法である。資料の「コラージュ」。
岡井隆が詩集『注解する者』でやった「注解詩」という手法に似通ったものと言えるだろう。

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ここで、判りやすい詩を一篇引いておく。

          神田駅で・・・・・・・・・・藤井貞和

     夜明けがやさしいなら、
     きっとわたしは、
     きょう一日を耐えられると思う。
     ここは夜明けの準備室、
     まだ暗い駅。
     わたしはぼくは、
     精神を出られない、
     置き去りのプラットホームで、
     始発のチャイムが、
     どこかから鳴りつばなし。
     立ち上がれるさ、
     まえにすすむ。
     神経はこなごな、
     よわいんだから、お前。
     けさのくるのが怖いひと──

     夢のあとさきの、
     希望がつながるならよいのに。
     聖なる、
     おりたたまれた、
     棚田のように見える下町。
     駅舎の向こうにひろがる下町。
     ななめのそらをえがいて、
     夜明けがやつてくる。
     神 神さまの手が、
     田 田植えしている?
     夢のなかではつたう水。
     穂明かりして、
     しばらくすると、わたしは、
     一本の稲でした。

この詩は「神田駅」を「神」「田」に分解して、神様に仕える国学院出身らしい詩に仕立て上げた。

この詩集には全部で二十四篇の作品が、長いもの短いもの、とりまぜて載っている。



目覚むれば露光るなりわが庭の露団々の中に死にたし・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二
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    目覚むれば露光るなりわが庭の
      露団々の中に死にたし・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二


この歌は『忘瓦亭の歌』(1978年刊)に載るものである。
宮柊二とは、こんな人である。

宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。妻は同じく歌人の宮英子。

経歴
新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)に書店の長男として生まれる。父は宮保治、俳号を木語といい俳句もやった。
1919年堀之内尋常高等小学校に入学。
1925年旧制長岡中学に入学し、在学中から相馬御風主宰の歌誌「木蔭歌集」に投稿を行っていた。
1930年に卒業後は家業を手伝う。
1932年に上京し東京中野の朝日新聞販売店に住み込みで働き、翌年北原白秋を訪ね、その門下生となり、歌作に磨きをかけた。
1939年日本製鐵入社。途中、兵役に応召し、中国山西省で足掛け5年兵士として過ごす。出征中に第1回多磨賞を受賞するが、授賞式には出られず父が代理出席した。
1946年処女歌集『群鶏』を刊行。
1953年にはコスモス短歌会の代表として、歌誌「コスモス」を創刊する。
1947年、加藤克巳、近藤芳美らと「新歌人集団」を結成。

生涯で13冊の歌集を刊行し、宮中歌会始の他、新聞・雑誌歌壇の選者をする。
1976年に第10回迢空賞を受賞
1977年に日本芸術院賞を受賞。
1979年堀之内町名誉町民の称号を贈られる。
1983年、日本芸術院会員。

一方で病(糖尿病や関節リウマチ、脳梗塞等。召集された時も疾患により一時入院していて、また晩年は、転倒して左大腿骨頸部骨折で手術を受けている)を患い、入退院を繰り返しながら、東京都三鷹市の自宅で急性心不全のため74歳の生涯を閉じる。

門下には島田修二、中西進、奥村晃作、高野公彦、桑原正紀、小島ゆかりなど。


さて、「露」のことである。 今しも明け方には、露がしとどに置いている季節である。

「露」を詠んだ文芸作品としては

     露の世は露の世ながらさりながら・・・・・・・・・・・・・・・小林一茶

という句が何と言っても、ピカ一であろう。
宮柊二の歌を掲出しながらではあるが、小林一茶のことに少し触れてみることを許されよ。

江戸後期の代表的俳諧師の一茶は、信州柏原から15歳の時に江戸に出て、奉公生活にも俳諧修業にも辛酸をなめた。
異母弟との13年にも及ぶ遺産争いが解決し、51歳で帰郷、妻帯した。三男一女を得たが、長男、長女、それに次男と次々に幼くて死に、妻をも失った。
この句は溺愛していた長女・さと が、1歳余で天然痘のため死んだ時のもの。
この世ははかない露の世という。そんなことはよく知っている。
よく知ってはいるが、知っていることが何になろう。くりかえし、くりかえし、私は悲しくてたまらないよ。ということであろうか。
『おらが春』所載だが、「露の世」というフレーズの繰り返しが秀逸であり、かつ痛切である。
「露」の句としては代表的な秀句として、よく知られている。
以下、「露」を詠んだ句を引いておく。

 露今宵生るるものと死ぬものと・・・・・・・・岡本松浜

 芋の露連山影を正うす・・・・・・・・・飯田蛇笏

 蔓踏んで一山の露動きけり・・・・・・・・原石鼎

 露の道高野の僧と共に行く・・・・・・・・池内たけし

 露けさの弥撒のをはりはひざまづく・・・・・・・・水原秋桜子

 落ちかかる葉先の露の大いさよ・・・・・・・・星野立子

 金剛の露ひとつぶや石の上・・・・・・・・川端茅舎

 露燦々胸に手組めり祈るごと・・・・・・・・石田波郷

 露の中つむじ二つを子が戴く・・・・・・・・橋本多佳子

 露の夜の一つのことば待たれけり・・・・・・・・柴田白葉女

 露の戸を敲く風あり草木染・・・・・・・・桂信子

 われもまた露けきもののひとつにて・・・・・・・・・・・・森澄雄

 牛の眼が人を疑ふ露の中・・・・・・・・・・・・福田甲子雄

 骨壷を抱きしこと二度露の山・・・・・・・・・・・・矢島渚男

 露の世の江分利満氏の帽子かな・・・・・・・・・・・・星野石雀

 「母」の字の点をきつちり露けしや・・・・・・・・・・・・片山由美子

 まるきものに乳房心根露の玉・・・・・・・・・・・・鳥居真里子


わたしはななしのことばです/よしなしはなしにみをうかべ/ひとからひとへとながれゆく・・・・・・・・・四元康祐
四元

──四元康祐の詩──(3)

     四元康祐詩集『日本語の虜囚』・・・・・・・・・・・木村草弥   
             ・・・・・・・・思潮社2012/08/31刊・・・・・・・・・・・

ドイツはミュンヘンに在住しながら、日本語にこだわり現代詩作家として活躍、その存在感を誇示する四元康祐の新詩集である。
長い詩が多いので、短い詩を選んで引いてみる。

          ことばうた

     わたしはななしのことばです
     よしなしはなしにみをうかべ
     うれしかなしのなみにゆられ
     ひとからひとへとながれゆく

     わたしははだしのことばです
     したにおわれみみへにげこみ
     こころのふかみにうずくまる
     やみがわたしのふるさとです

     わたしはだましのひかりです
     かたりあざむきめくらまして
     こくうにおりなすしんきろう
     まいちるなまえのはなふぶき

     あかんぼうのよだれにまみれ
     こいびとたちのむねにやかれ
     としおいたといきにたえいり
     けれどもなおしぬにしなれず

     わたしはあさましことばです
     とうすみとんぼのゆうぐれこ
     じょうどのしじまおもいつつ
     あなたとともにいきています

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          こえのぬけがら

     もじにかかれたことばはさみしい
     のどもさけよとさけんでも
     とじたベえじのうえにはさざなみひとつたちはしない
     しらじらとはくしのひかりをあびるだけ

     こえをなくしたことばはかなしい
     にくのぬくもりわすれられず
     ひとめすがってやせたあばらをあらわにさらし
     きこえないこえのこだまにむねをこがす

     いみよりもふかいためいき
     りづめをときほぐすふくみわらい
     おぎゃあからなんまいだまでのしどろもどろ
     そのあとさきをみたすやみりのしずけさ

     もじはただもどかしげにゆびさすばかり
     ゆびをくわえてみつめるばかり
     つないだてのぬくもりの そのくちびるのやさしさの
     いろはにおえどちりぬるを

     ひととわかれたことばはうつろ
     ひとなつにふりそそぐこえのせみしぐれ
     そのいさぎよいしにざまにうっとりとあこがれながら
     もじはちじょうにしがみつく

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彼については「四元康祐の詩」に収録した旧作のところを参照してほしい。

今度の詩集の終わりに、こう書いてある。

  日本語の虜囚    あとがきに代えて

つい最近まで、私は日本語から自由になったつもりでいた。今年で二十五年目を迎える外地暮らしの、日常
の意思疎通やら商売上の甘言詭弁は云うに及ばず、詩においてもそうなのだと髙を括っていた。個々の言語を
超えた「大文字の詩」の存在を疑わず、それこそが我が母語であり祖国であると嘯いていた。
実際、表面的なレベルでならその言葉に嘘偽りはないのである。ここ数年の私は世界各地の詩祭に足繁く通
い、英語を仲立ちにグルジア語からへブライ語まで、何十力国もの言語で詩をやりとりしてきた。文化や人種
の壁を越えた詩人という種族の存在を肌身で感じ、その共通語としての詩を、ときに辞書を引きつつ、ときに
身振り手振りを交えて味わった。そこに束の間出現する詩の共和国に、私が地上のどこよりも郷愁を感じたと
いってもあながち誇張ではなかつただろう。
だが事態はそれほど単純ではなかった。『言語ジャック』という作品集を書いたあたりから、私は日本語に
囚われてしまったらしい。自分の書きたいと思う作品が、どういうわけか翻訳することの極めて困難なものば
かりになってきたのである。ましてそういう作品を、母語以外の外国語で書くことなど到底不可能なのだった。
たとえば表題作の「言語ジャック」は、新幹線の車内案内や芭蕉の『奥の細道』の序文に、それとほぼ同じ
音数のテキストを重ねたものであるし、「魚の変奏」という作品は、即興的に書いた詩の子音(または母音)
だけを残し、母音(または子音)の部分だけを置換することによって音韻的な変奏を奏でるという趣向である。
どう逆立ちしても、こんなものが翻訳できるわけがないのである。
さては困った。これではせつかくの最新作を地球上津々浦々の詩友に伝えることができないではないか。詩
祭に行っても読むものがなく、アンソロジ—に誘われても載せるものがない。いやそれだけならまだよい。今
後の国際化を断念するだけの話だ。だが私の場合は国内路線に特化しようにも、生活の場は引き続きミュンへ
ンなのである。ここで余生を過ごすのだ。日本語の殻に籠っていては、やがて友を失い陰気で孤独な老人とな
るだろう。その日本語自体が劣化して、遂には自分にしか通じないビジン・ジャパ二ーズと成り果てよう。国
を棄て親を棄てた忘恩の徒を待ち受ける、母語の復替や恐るべし。
どうしてこんな羽目に陥ったのか。この機会に『言語ジャック』以前と以後の作品を比較検討してみよう。
以前の私の作品には、物語詩にせよ抒情詩にせよ、ナラティヴというものがあり、その語り手がいた。彼また
は彼女は平明で論理的な言辞を用いて、日常の背後にある「詩」の存在を指差していた。生活者の現実感覚と
そこへ侵人してくる超越的世界としての「詩」の対比が、私の詩の中核だった。つまりその言説はつねに詩の
外側にあったのである。
これに対して最近の作品は、日常的な現実をすっ飛ばしていきなり「詩」の内部へ入りこもうとする傾向が
ある。それは語り手を持たない。ナラテイヴというほどのものすらなくて、あるのは言語だけだ。言語による
言語のための言語についての汎言語的空間。そしてどういう因果か、私の場合、その言語は母語である日本語
でなくてはならなかったのだ。
詩の外側にあつて詩を指し示す言葉と、詩の内側から溢れ出しそれを遡行することによって詩へと到りうる
言葉。この二種類の言葉と「詩」との関係を、井筒俊彦氏の理論における分節Ⅰと分節Ⅱ、そして根源的絶対
無分節という概念によって説明することが出来そうだ。分節Ⅰとはいわゆる表層言語または論理言語。ここで
は山は山、川は川と、世界は事物の本質によって厳しく規定されている。次に根源的絶対無分節とはそこから
あらゆる意識が滑り出すその元の元、意識の最初にして最後の一点、心が全く動いていない未発の状態をいう。
仏教における無の境地である。そして分節Ⅱは、一見分節Ⅰと同じに見えて実は根源的絶対無分節を潜り抜け
てきた深層的な言説。平たく言えば「夢の言葉」だ。そこでは事物の本質結晶体が溶け出して、山は山であつ
て山でなくひょっとしたら川かもしれない。具体的には禅の公案や「一輪の花はすべての花」「二粒の砂に世
界を視る」といった詩句がこれに近い(井筒俊彦『意識と本質』参照)。
従来私の書いていた詩は、主題の如何に拘らず言説のレベルにおいては分節Ⅰとして機能していたといえる
だろう。それは事物の本質に裏打ちされ日常の論理に従っているがゆえに、外国語への翻訳も比較的容易で
あった。これに対して『言語ジャック』以降の詩は分節Ⅱの方へ引き寄せられている。分節Ⅱとは意識の始原
汰態としての絶対無分節を潜り抜けてきた言説であるが、私にとつて意識の始原は赤ん坊の喃語のごとき、あ
るいはイザナギの剣が掻き回した海のごときどろどろの日本語素(日本語の未発状態)として存在しているら
しい。つまり意識と日本語が渾然一体となって意味論理の岸辺の彼方で波に揺られている混沌状態。そういう
ところに翻訳という概念自体が成り立たない。なるほど最近の私が日本語でしか書けなくなったのは、こう
いう事情であったのか。 ・・・・・・・・

この文章はまだまだ長く続くのだが、彼の日本語への「こだわり」が、今回の『日本語の虜囚』という詩集を産んだのである。
長い詩は載せるのを止めたので、こんな作品があるというのを示すために「目次」を出しておく。

日本語の虜囚
洗面鏡の前のコギト
多言語話者のカント
歌物語 他人の言葉
旅物語 日本語の娘
島への道順
マダガスカル紀行
新伊呂波歌
ことばうた
こえのぬけがら
うたのなか
われはあわ
うみへのららばい
みずのれくいえむ
虚無の歌(からっぼソング)


胸焦がすほどの詩欲し実むらさき・・・・・・・・・・・・・・・・・小沢克己
img_629514_26200550_0ムラサキシキブ実

   胸焦がすほどの詩欲し実むらさき・・・・・・・・・・・・・・・・・小沢克己

この句に詠まれているのは「ムラサキシキブ」の実のことである。


私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも、秋の花のところに次のような歌がある。

  才媛(さいゑん)になぞらへし木の実ぞ雨ふればむらさきしきぶの紫みだら・・・・・・・・・・・・木村草弥

私宅にもムラサキシキブの小さい株が一つあるが、今年は太い虫(名前不詳だが、揚羽蝶の種類の毛のない毛虫)に、油断していたら、葉がすっかり食べられて、結局、実は一つもつかなかった。
事典を読むと、俗にムラサキシキブと呼ばれているものは正しくは「コムラサキ」というのが多いそうである。白い実のものもあるそうだ。 
ネット上から、下記の文章を載せておく。
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1734450コムラサキシキブ実
↑ コムラサキの実

 ムラサキシキブとコムラサキ
朝から冷たい雨の降る休日は、先日本屋の店先で見つけた毎日新聞社発行の「東京の自然」のページを繰って過ごす一日になりました。 「コムラサキの小さな秋」と題した項には、コムラサキがムラサキシキブと呼ばれることが多く、その名前に混乱があるとあり、千代田区大手町の北の丸公園でも「ムラサキシキブ」と名札を付けられた植物が、コムラサキのようだったと紹介しています。

牧野植物図鑑に「優美な紫色の果実を才媛紫式部の名をかりて美化したものである」
と牧野博士は述べています。 コムラサキは実のつきがが良いことから最近では生け
垣用に多く植えられているようですので、こうした記事を読むと、私達がムラサキシ
キブと称し果実の美しさを愛でているものには意外にコムラサキが多いような気がし
てきました。

   ムラサキシキブ最も早く実を持てど最も早く鳥の食い去る・・・・・・・・・・・・・土屋 文明

以前に発行された「趣味の園芸」11月号(NHK)に「ムラサキシキブとコムラ
サキ」と題して、園芸店でムラサキシキブを買ってきて楽しんでいたらこれは「コ
ムラサキ」だといわれたが、どう違うのかとの問があり答えが載っています。
回答では、園芸店ではコムラサキを通りが良いのでムラサキシキブとして売っている
ようだとの前談から、日本にはムラサキシキブ属(クマツヅラ科)のものには数種が
あり、このうち園芸店では、コムラサキ、ムラサキシキブ、シロシキブ(正確には白
実のコムラサキ)の三種が良く売られていること、そしてわりにコンパクトに仕立て
られて実つきが良く見栄えがするという点でコムラサキに人気があると記してます。
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Callicarpa20japonica20f_20albibacca20m1白式部
 ↑ 「白式部」と呼ばれる白いムラサキシキブ

別の事典には、次のような記載がある。

学名:Callicarpa japonica
 別名:ミムラサキ(実紫),コメゴメ
 花期:夏

 山野に生える落葉低木です。庭などに植えられて「ムラサキシキブ」と呼ばれるのはコムラサキ(小紫)のことが多いと思います。コムラサキに比べて実のつき方がまばらで,素朴な感じです。
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murasakisikibuL3ムラサキシキブ花

写真③はムラサキシキブの花である。6月頃に咲き始める。花言葉は「聡明」。

俳句にも多く詠まれているので引いておく。

 冷たしや式部の名持つ実のむらさき・・・・・・・・・・・・長谷川かな女

 うち綴り紫式部こぼれける・・・・・・・・・・・・後藤夜半

 渡されし紫式部淋しき実・・・・・・・・・・・・星野立子

 うしろ手に一寸(ちよつと)紫式部の実・・・・・・・・・・・・川崎展宏

 むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり・・・・・・・・・・・・草間時彦

 地の冷えの色に出でてや実紫・・・・・・・・・・・・林 翔

 実むらさきいよいよものをいはず暮れ・・・・・・・・・・・・菊池一雄

 眼(まなこ)よりこぼれて紫式部かな・・・・・・・・・・・・鈴木鷹夫

 倖あれと友が掌に置く実むらさき・・・・・・・・・・・・石田あき子

 室の津の歌ひ女の哀実むらさき・・・・・・・・・・・・志摩知子

 寺に駕籠寺領にむらさきしきぶかな・・・・・・・・・・・・嶋野国夫

 月光に夜離れはじまる式部の実・・・・・・・・・・・・保坂敏子

 休日は眠るむらさき式部の実・・・・・・・・・・・・津高里永子

 ゆづり合ふ袖摺坂や実むらさき・・・・・・・・・・・・由木まり

 象牙玉小粒かたまり白式部・・・・・・・・・・・・石原栄子



木村草弥歌集『昭和』読後感・・・・・・・・・・・・高橋初枝
純林

──草弥第五歌集『昭和』──批評

     木村草弥歌集『昭和』読後感・・・・・・・・・・・・・高橋初枝
           ・・・・・・・・短歌結社誌「純林」2012/11月号掲載・・・・・・・

この歌集は2012年の春に、角川書店から上梓された第五歌集である。
最後の歌集を上梓してから9年の歲月が経ったが、この間に最愛の奥様の介護に忙殺され、
そしてその甲斐もなくお亡くなりになられた。
氏は短歌歌誌「未来」「地中海」「新短歌」「未来山脈」「角川短歌」「草の領域」などに亘って発表され、
そのために短歌の数としては490首に達した。

*わが生はおほよそを昭和といふ期に過ごししなりな青春、玄冬

とあるように、生涯の大半を「昭和」という年号と共に過ごしたことになるので歌集名を『昭和』としたとある。
青春、玄冬に、激動の昭和を生き抜いてこられた作者像が浮かぶ。

*きみ去りて宙ぶらりんの想ひとつ熟れ麦にほふ真昼なりけり
*明けやすく淡きみどりの玻璃かげに妻は起き出で水働きす
*うらうらと晴れあがりたる昼さがりもう夏だわねと妻のつぶやく
*妻呼ぶに愛称「弥ぃちやん」久しくも呼ばざりしこと不意に憶ひぬ
*愛しさは遠浅なして満ちくるを木蓮の花は昼黙しをり

さりげなく控え目な、亡き妻を恋う眼差しが愛おしい。

*ゲルマンの民を東西に分けゐたる「壁」残す遗跡と五百メートル
*門上の勝利の女神とカドリガは統一なれる菩提樹を見放く
*イシュタルの門の獅子たち何おもふ異国の地にぞその藍の濃き
*指呼すればアウシュビッツ見ゆサリンもてシオンの民の命奪ひし
*皮一枚思想一枚くらやみに悪夢のごとしビン・ラディン斃る  ─2011秋─

東欧紀行など外国の旅行詠も多く見られ、歴史を踏まえた確かな眼が自在に飛翔していく。

*花籠を垂るる朝顔一輪の朝の茶の湯の夏茶碗晳し
*萩の碗に新茶を吞めば今宵はや八十八夜を二夜三夜過ぐ

作者は京都で家業の宇治茶問屋を経営していたが、今はリタイアしている。京都のはんなりした風情がただよう。

*日々あゆむ我が散歩みち歩数計が八千五百を示せば戻る
*方形の青田つづける目路の果て水は光れど明日は見えず
*わがいのち知り得ぬ日々のあけくれに山吹散りぬ空海忌けふ

老いに溺れず充足していない作者は、昨年の東日本大震災を、同時代を生きた者として、
28連からなる鎮魂の「プロメ —テウスの火」として、長歌と散文を記録された。
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「純林」は塩野崎宏氏の編集する月刊の短歌結社誌である。
今回執筆いただいた高橋初枝氏は、その編集委員をなさっている。
拙歌集を、よく読み込んでいただいて、ご懇篤な批評をして下さった。
心より厚く感謝申し上げ、ここに全文を掲載して御礼といたしたい。有難うございました。

(お断り)
本文は原稿をスキャナで読み込んだので、文字化けが生じる。子細に訂正したが、まだあれば指摘いただきたい。
すぐに直します。 よろしく。


柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規
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     柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

この句は多くの人の口に愛唱されるもので広く知られている。今や「古典」となった感じがある。

この句については、下記のようなエピソードがあるのである。

     < 正岡子規は夏目漱石に俳句を教えていたそうで
       漱石は、愛媛の新聞に俳句を投稿しています。

          鐘つけば銀杏ちるなり建長寺

       この漱石の作品を讃えようとして感謝と友情の印に
       子規が作った作品が

          柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

       下敷きとなる句があったとは面白いもんです。>

このいきさつについては、ネット上に次のような記事がある。引いておこう。
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坪内稔典氏いわく

「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは,これ,寺の風景として平凡です。はっとするものがありません。」
「「柿くへば鐘が鳴る」は意表を突く。あっと思うよ。」
(『俳人漱石』坪内稔典(岩波新書,2003年))

 正岡子規自身,次のように書いています。

「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので,殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。
余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた。」
(「くだもの」明治34年)

 坪内稔典氏いわく

「子規の代表句は,漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」

 「愚陀仏庵」とは,松山における漱石の住まいのことです。子規は,ここに50日余り暮らしていました。つまり,漱石と子規がいっしょに住んでいたのです。
 「柿くへば…」は,子規が松山から東京へ帰る途中,奈良に立ち寄ったときに作られました。この奈良行きが,子規にとっては最後の旅となりました。この後7年間,子規は病床に伏し,ついには亡くなるのです。
 この旅の費用を貸したのが漱石でした。つまり,「柿くへば…」は,元ネタも費用も漱石に頼っているわけです。

「個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば,子規の句は類想句,あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが,単に個人が作るのではなく,仲間などの他者の力をも加えて作品を作る,それが俳句の創造の現場だとすれば,子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる。」
(『柿喰ふ子規の俳句作法』坪内稔典(岩波書店,2005年))
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学校の教科書にもでてくるこの著名な句には「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがついています。
明治二十八年十月、病後の体を休めていた松山を立って、子規は上京の途につきます。
途中須磨・大阪に寄って奈良に入りました。大阪では腰が痛み出し歩行困難になりましたが医師の処方で軽快し、念願の奈良に赴いたのです。
このときの腰痛は、脊椎カリエスによるものだったようですが、本人は、リウマチと思っていました。
奈良の宿で「晩鐘や寺の熟柿の落つる音」とまず詠みました。奈良という古都と柿との配合に子規は新鮮さを感じたようです。
この句の改案が上掲の「柿くへば」です。この鐘の音は実際には東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺に行って、
東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したということです。
子規は写生の唱導者ではあっても事実通りの体験に固執したわけではないのでした。
評 者 村井和一  「現代俳句協会」のホームページより
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松尾芭蕉の「虚構」の句作りについては前に書いたことがある。
「リアリズム馬鹿」には堕したくないものである。

「柿」は日本原産と言われるが、16世紀にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広まった。
今では世界中「KAKI」で通用する。学名もDiospyros Kaki という。
パーシモンはアメリカ東部原生の、ごく小さなアメリカガキを指すので、日本の柿とは種が違う。
パーシモンというと、ゴルフをやる人には懐かしい名前でウッドクラブのヘッドには、このアメリカガキの硬い木が使われて来た。
今ではメタルウッドが全盛だが、パーシモンで打った時の打球音は特有の響きがあった。Powerbiltという名器があった。
柿は日本原産とは言うが、一説には、氷河期が終わった後に、中国から渡来したらしく、縄文、弥生時代の遺跡から種が出土し、時代が新しくなるほど量が増えるそうだ。
今のような大きな柿は奈良時代に中国から渡来したらしい。
中国では3000年前から柿があったそうで、BC2世紀の王家の墓から多数の柿の種が出土している。その頃は干し柿として保存していたようだ。

kaki006柿の花
写真②は柿の花である。白い花で五月下旬頃に咲く。
先に「干し柿」のことも詳しく書いたので、参照してもらいたい。
柿には「甘柿」と「渋柿」があり、干し柿は渋柿の皮を剥いて天日にあてて甘く変化させたものである。
渋柿は、結構種類が多くて、全国各地の独特の干し柿がある。
以下、柿を詠んだ句を引いて終る。

 よろよろと棹がのぼりて柿挟む・・・・・・・・高浜虚子

 渋柿のごときものにては候へど・・・・・・・・松根東洋城

 我が死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ・・・・・・・・中塚一碧楼

 柿の竿手にして見たるだけのこと・・・・・・・・池内たけし

 雲脱ぐは有明山か柿赤し・・・・・・・・水原秋桜子

 柿を食ふ君の音またこりこりと・・・・・・・・山口誓子

 柿日和浄明寺さまてくてくと・・・・・・・・松本たかし

 渋柿たわわスイッチ一つで楽(がく)湧くよ・・・・・・・・中村草田男

 柿啖へばわがをんな少年の如し・・・・・・・・安住敦

 朝の柿潮のごとく朱が満ち来・・・・・・・・加藤楸邨

 柿食ふや命あまさず生きよの語・・・・・・・・石田波郷

 柿の種うしろに吐いて闇ふかし・・・・・・・・秋元不死男

 柿うまし鶫の嘴あとよりすすり・・・・・・・・皆吉爽雨

 八方に照る柿もぐは盗むごと・・・・・・・・中川輝子

 吊鐘の中の月日も柿の秋・・・・・・・・飯田龍太

 柿の冷え掌にうけて山しぐるるか・・・・・・・・鷲谷七菜子

 少しづつ真面目になりて柿を食ふ・・・・・・・・山田みづえ



紫の斑の賑しや杜鵑草・・・・・・・・・・・・・・・轡田進
aaoohototoホトトギス花

   紫の斑の賑(にぎは)しや杜鵑草(ほととぎす)・・・・・・・・・・・・・・・轡田進

私宅に杜鵑草(ほととぎすそう)の鉢植えが一つある。恐らく妻が誰かにもらって植えたものであろう。
一年中めだたない草で、毎年10月中ごろから11月にかけて花をつける。
今年も10月18日頃からぼつぼつと花をつけはじめた。

事典には、次のように載っている。
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ホトトギス(杜鵑) ユリ科 

 学名:Tricyrtis hirta
 花期:秋

 鳥の名前を持つ花は他に,サギソウ(鷺草),キジムシロ(雉筵)などがありますが,全く同じというのは他に思い当たりません。
もっとも,鳥の方は不如帰と書くようです。花の点々が不如帰の羽の模様(胸)に似ているということです。
 高原の日陰で夏~秋に見られます
 よく庭や花壇に植えられるものはタイワンホトトギスです。色も紫,白,黄色などがあります。
 ホトトギスは,葉の付け根に一つないし二つ花がつくものです。
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hototo10ホトトギス接写

写真②は「接写」である。
他の事典によると、ホトトギス属は東アジアにしか原生しておらず、このうちの大半が日本に自生し、固有種も多く、日本の特産的植物と言われているらしい。
花名は、この花の斑紋が鳥のホトトギスの胸毛の模様に似ていることに由来する。
「杜鵑草」と書いて、単に「ほととぎす」と読むのが正式らしい。
花言葉は「永遠にあなたのもの」。
以下、これを詠んだ句を引いて終る。

 時鳥草顔冷ゆるまで跼みもし・・・・・・・・・・・・岸田稚魚

 はなびらに血の斑ちらしてほととぎす・・・・・・・・・・・・沢木欣一

 夜をこめて咲きてむらさき時鳥草・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 杜鵑草濡れて置かるる講の杖・・・・・・・・・・・・皆川盤水

 水に映りて斑をふやす杜鵑草・・・・・・・・・・・・檜紀代

 杜鵑草日差衰へはじめたる・・・・・・・・・・・・児玉輝代

 かすかなる山姥のこゑ杜鵑草・・・・・・・・・・・・小桧山繁子

 古のそばかす美人杜鵑草・・・・・・・・・・・・吉沢恵美子

 杜鵑草人恋ふ色に咲きいでし・・・・・・・・・・・・轡田幸子

 杜鵑草遠流は恋の咎として・・・・・・・・・・・・谷中隆子

 死ぬ日まで男と女油点草・・・・・・・・・・・・中原鈴代

 この山の時鳥草活け手桶古る・・・・・・・・・・・・野沢節子

 ほととぎす草今日むなしき手をのべぬ・・・・・・・・・・・・八木林之助

 時鳥草三つ四つ母のうすまぶた・・・・・・・・・・・・水谷文子



山茶花の落花並べば 神遊び・・・・・・・・・・・・・伊丹三樹彦
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     山茶花の落花並べば 神遊び・・・・・・・・・・・・・伊丹三樹彦

私の家の前栽の生垣の一番西の端にあるサザンカが咲き始めた。4、5日前から咲きはじめたと思ったら、もう一斉に咲いて満開に近い。
サザンカにも遅速はあり、この木は例年一番早い。亡妻などは「あんまり早く咲きすぎる」と文句を言っていた。
というのは今なら菊などの花の彩りもあるからで、冬が深まって周りに花の色がない時に咲いてほしい、という願いである。
サザンカは「山茶花」と書くが字の通りに発音すれば「サンザカ」となるが発音し難いので、いつしかサザンカとなったという。
原産地は日本で、学名を Camellia sasanqua というが、ここでも日本の発音通りの命名になっている。
椿科というけれど椿との違いは、ツバキは花が落ちる時にはボテッと全部一緒に落ちてしまう(このことから斬首刑を連想するのか、武士は椿の花を嫌ったという)が、
サザンカは花びらが一枚一枚づつばらばらに落ちる。
サザンカは長崎の出島のオランダ商館に来ていた医師ツンベルクがヨーロッパに持ち帰り西欧で広まったという。
なお、学名の前半の Camellia は椿のことで17世紀にチェコスロバキアの宣教師 Kamell カメルさんの名に因むという。
サザンカはさまざまに改良され、もともとは5弁の茶の花に似ている花だったが今では色も花弁の枚数も多様である。

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写真には色々のものを載せてみた。
和漢三才図会』には「按ずるに、山茶花、その樹葉花実、海石榴(つばき)と同じくして小さし。その葉、茶の葉のごとく、その実円長、形、梨のごとくにして微毛あり。・・・・・およそ山茶花、冬を盛りとなし、海石榴の花は、春を盛りとなす」とある。
的確な表現である。なおサザンカは正式には「茶梅」と書いて「さざんくわ」と読むのが正しいという。
サザンカは茶に近いものであるから、この説は了解できる。

ここでネット上に載る記事を引いておく。
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サザンカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サザンカ

分類
界: 植物界 Plantae
門: 被子植物門 Magnoliophyta
綱: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目: ツバキ目 Theales
科: ツバキ科 Theaceae
属: ツバキ属 Camellia
種: サザンカ C. sasanqua

学名
Camellia sasanqua
和名
サザンカ
英名
Sasanqua

サザンカ(山茶花)は、ツバキ科の常緑広葉樹。秋の終わりから、冬にかけての寒い時期に、花を咲かせる。野生の個体の花の色は部分的に淡い桃色を交えた白であるのに対し、植栽される園芸品種の花の色は赤から白まで様々である。童謡「たきび」(作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂)の歌詞に登場することでもよく知られる。漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。

自生地
日本では野生種は山口県から九州および四国、沖縄である。なお、ツバキ科の植物は熱帯から亜熱帯に自生しており、ツバキ、サザンカ、チャは温帯に適応した珍しい種であり、日本は自生地としては北限である。

品種
園芸品種は花の時期や花形などで3つの群に分けるのが一般的。サザンカ群以外はツバキとの交雑である。

サザンカ群
サザンカ Camellia sasanqua Thunb.

カンツバキ群
カンツバキ (寒椿) は、サザンカとツバキ C. japonica との種間交雑園芸品種群である。

カンツバキ Camellia sasanqua Thunb. ’Shishigashira’(シノニムC. x hiemalis Nakai,C. sasanqua Thunb. var. fujikoana Makino)

ハルサザンカ群
ハルサザンカ Camellia x vernalis (Makino) Makino
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サザンカは古来よく詠まれて来た花で芭蕉一門の連句などにも、よく登場する。
以下、サザンカを詠んだ句を引いておく。

 霜を掃き山茶花を掃く許りかな・・・・・・・・高浜虚子

 無始無終山茶花ただに開落す・・・・・・・・寒川鼠骨

 花まれに白山茶花の月夜かな・・・・・・・・原石鼎

 山茶花やいくさに敗れたる国の・・・・・・・・日野草城

 山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ・・・・・・・・加藤楸邨

 山茶花の散るにまかせて晴れ渡り・・・・・・・・永井龍男

山茶花のくれなゐひとに訪はれずに・・・・・・・・橋本多佳子

 山茶花の咲きためらへる朝かな・・・・・・・・渡辺桂子

 山茶花の咲く淋しさと気付きたる・・・・・・・・栗原米作

 白山茶花地獄絵のごと蜂群るる・・・・・・・・高木雨路

 山茶花は咲く花よりも散つてゐる・・・・・・・・細見綾子

 さざんくわにあかつき闇のありにけり・・・・・・・久保田万太郎

 さざん花の長き睫毛を蘂といふ・・・・・・・・野沢節子

 不忠不孝の人山茶花の真くれなゐ・・・・・・・・飯島晴子

 山茶花の咲きて病ひの淵に入る・・・・・・・・保坂敏子


八十歳にひとつきをあまし/ひとにほこれるものは何もなく/おのれにほこれるものは/運だ・・・・・・・・・鶴見俊輔
鶴見俊輔詩集

──鶴見俊輔の詩──(3)再掲載・初出Doblog2005/11/10

     意外になが生きして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔

     八十歳にひとつきをあまし
     ひとにほこれるものは何もなく
     おのれにほこれるものは、
     運だ。
     あれ、
     これ、
     それ、
     をさけることはできた。
     そのくらいのことか。
     そしてときに
     おやじの復讐と
     感じることがある。
     突然に
     演説をはじめるときなど。

     概してしゃべりすぎる。
     はなしたりないおやじを
     私は内にもっている。

     八十八歳まで生きて
     最後の十五年、
     言葉をうしなった彼は
     まだはなしたりなかった。
     それが突然にわたしのなかで
     エンジンがかかる。

     ばからしいことだが、
     仕方がない。
     親不孝者のわたしには、
     このくらいしか、
     不孝のつぐないはない。
     他に何か?

 (鶴見俊輔詩集『もうろくの春』より)
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全80ページという掌篇詩集とも言えるものだが、約10篇くらいのカミングズ、オウエン、エズラ・パウンドなどの「訳詩」と思われる詩を含んでいる。
また「北アメリカの先住民オマハ」の儀式の祝詞みたいなものも訳されている。
「本のなりたち」という、あとがきみたいなもので
・・・・・自己批評は、批評のむずかしい領域で、年をとるにつれ、作者本人のもうろくにあとおしされて、さらにむずかしくなる。
 これは、自選詩集ではない。
 ある日、黒川創がこの詩集をおくってきた。それに、私が前から考えていた題をそえた。
 「もうろくの春」は、私が編むことのできる詩集をしのぐ。そのことがうれしい。
 もっとも小さい出版社の出発にさいして、一言、おいわいの言葉を。
 2002年10月5日─────鶴見俊輔

と書いてある。これで、この詩集が2002年に編まれたことが判る。
だから今年で九十歳になる。
「おやじ」というのは雄弁な自由主義者の政治家だった「鶴見祐輔」である。
雄弁家でありながら、晩年に「言葉」を失った父の代りに自分が「おしゃべり」だと書いているのは「親孝行」ではないのか。




国民の都 東京は/高く立て日の丸を/ゴッド・ブレス・アメリカ・・・・・・・・・鶴見俊輔
鶴見俊輔詩集

──鶴見俊輔の詩──(2)再掲載・初出Doblog2005/11/09

       状況歌・・・・・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔

     国民の都 東京は

     日本の知識人(インテリ)を包む

     高く立て日の丸を

     ゴッド・ブレス・アメリカ

 (鶴見俊輔詩集『もうろくの春』より)
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この詩は、痛烈な「アイロニー」に満ちている。
アメリカ育ちなのに、この視線の厳しさ、諷刺、はどうだろう。
今の首相・小泉純一郎の、ブッシュべったりの姿勢を批判しているとも受け取れる。
日本が、よく言われることだが、アメリカの51番目の「州」であるかのごとき現状へのアイロニーであろうか。

言うまでもないことだが、蛇足的に書いておく。
<高く立て日の丸を>のフレーズは、戦前、戦後に日本の労働運動などの時に歌われた革命歌「高く立て赤旗を」を踏まえているのは確かであり、
また<ゴッド・ブレス・アメリカ>のフレーズは、↓ の歌に因んでいる。
念のために歌詞とYouTubeの動画を引いておく。

God Bless America, Land that I love.      
Stand beside her, And guide her,
Thru the night with a light from above.

アメリカに主の祝福あれ 我が愛する国よ
アメリカを守り 導きたもう
夜通し降り注ぎし 天上の御光

From the mountains,
To the prairies, to the oceans,
White with foam
God bless America,
My home sweet home.

解説
アーヴィング・バーリン(Irving Berlin, 1888-1989)作詞・作曲。元々は1918年の夏にブロードウェイでの小喜劇用に書かれたが、歌詞の内容が喜劇とマッチしなかったため一旦はお蔵入りとなった。1938年の冬、緊迫する世界情勢を前にバーリンは歌詞を書き改め、歌手のケイト・スミス(Kate Smith)がこれを同年の休戦協定の日に彼女のラジオ番組で歌ったところ、瞬く間にアメリカ国民の絶賛を受けることとなった。楽譜は飛ぶように売れ、バーリンはこの売り上げを元に「ゴッドブレスアメリカ基金」をボーイ/ガールスカウトのために設立した。


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はじめに書いてある通り、この詩は2005年に載せたものであるから、その当時のアメリカの大統領はブッシュ・ジュニアであり、日本の首相が小泉純一郎であった、ということである。
この私のコメントは今でも「生きている」と思っている。
もっとも現今の日本の状況は、一層の混迷を深めているというべきだろう。



きのこのあとをたぐってゆくと/もぐらの便所にゆきあたった/アメリカの学者も知らない/大発見だそうだ・・・・・・・・鶴見俊輔
鶴見俊輔詩集

──鶴見俊輔の詩──(1)再掲載・初出Doblog2005/11/08

       寓 話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鶴見俊輔

     きのこのはなしをきいた
     きのこのあとをたぐってゆくと
     もぐらの便所にゆきあたった
     アメリカの学者も知らない
     大発見だそうだ

     発見をした学者は
     うちのちかくに住んでいて
     おくさんはこどもを集めて塾をひらき
     学者は夕刻かえってきて
     家のまえのくらやみで体操をした

     きのこはアンモニアをかけると
     表に出てくるが
     それまで何年も何年も
     菌糸としてのみ地中にあるという

     表に出たきのこだけをつみとるのも自由
     しかしきのこがあらわれるまで
     菌糸はみずからを保っている
     何年も何年も
     もぐらが便所をつくるまで

 (鶴見俊輔詩集『もうろくの春』より)
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photo10鶴見俊輔

この詩集は13×15センチという、小型で変形のかわいいものである。
編集グループ<SURE>工房という京都市内の名も知らぬ出版社の発行である。
定価は3000円+税、と高いものだが、2003年3月の初版から2004年2月の3刷と版を重ねている。こんな本には珍しく700部も刷を重ね、今どき「著者検印」のハンコまで押してある。
ハンコは「狸男」というもので、人を食っている。
この詩集は出版元への直接注文でしか買えない。
写真は本を納める外箱である。

鶴見俊輔の専門は何なのだろうか。哲学者なのか心理学者なのか。もう80歳も半ばを超えた。鶴見和子の弟である。鶴見和子も先年亡くなった。
アメリカの大学で若い日々を過ごし、太平洋戦争に入る末期に在留邦人交換船で帰国したという経歴を持つ。都留重人などの次の世代にあたる。
掲出した「寓話」という詩は、とても佳いものである。引き続いて、あと二つほど詩を載せたいと思う。


天野律子歌集『空中の鳥かご』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
天野

──新・読書ノート──

     天野律子歌集『空中の鳥かご』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・砂子屋書房2012/03/10刊・・・・・・・・

天野律子さんは、先だって亡くなった米満英男氏の夫人である。
米満英男氏は先にも書いたように、私が兄事していた親しい歌人だった。
その夫人である天野律子さんには、私は会ったこともないし、角川歌人名鑑にも掲載がないので何も分からない。
お齢も分からない。
今まで米満さんと前衛短歌はなやかなりし頃から行動を共にして来られたようだが、米満氏の蔭にあって、歌も『黒曜座』に主として発表されてきたらしい。
今までに歌集『空庭』1999/02
      詞歌集『水の上の鎖』1999/05
      歌集『青漠』2007/04          
を出されていて、この本が第四歌集ということになるようだ。2003年から2011年までの428首を収録する。
図版の「帯」に載る文章が、読み取れると思うので、見ていただきたい。
このお二人の会話の「やりとり」は、夫婦して歌人であるということの典型が見てとれるような、ほのぼのとしたものである。
この本は一ページ三首組みで総数428首という多くの歌を収録するが、ここに書き抜こうとすると苦労するほど佳い歌がたくさんある。
「あとがき」によると、
<2007年6月、夫が突然の手術を受け、以後その闘病に付き添ってきた。・・・・・・
 第一章に2007年12月発表以前のものを、それ以後を第二章にまとめた。>とある。
米満氏は二月に亡くなられたので、この本をご覧になることは出来なかった。詳しくは私の当該記事を見てもらいたい。
以下、私の好きな歌をいくつか引きたい。

*汗ばみて思念がゆらぐ片隅の鏡のなかの雲の昏乱
*百年の孤独といへる焼酎を胃の腑におさめて なほうづくまる
*遠雷を肴に冷酒ひとり酌む家猫いよいよ老いを深めぬ
*足らぬのは言葉ではなくたとふれば海ゆく風の振り向く気配
*机上には砂漠も運河もあらざれど鉛の兵隊トテチテタッタ
*争ひて花うばひあふ幼な子の指は花粉の黄に染まりたり

Ⅰ、の初めの方から引いた。
米満さんも酒が好きだったが、天野さんも酒好きらしい。
そして終わりの二首は、恐らく「孫」が遊びに来たときの情景だろう。そんな子供たちが来ないときには「猫」が友だったらしい。 猫の歌が多い。
一番はじめに引いた歌は「雲の昏乱」という小項目名になっていて、いわく訳ありげに、私には見える。一種のエロスか。

*雲の髪なびきつつ消ゆ南南東はるか熊野は紺青の闇
*身の裡の記憶の傷をせうせうと秋の流水濯ぎゆくらむ
*百合の種子熟れゆく庭の中央を耳聾猫が悠然と来る
*暗闇の夜空の裏の銀泥のはつか軋みて季節が移動す
*わたくしの息を浄めて洗へるは冬の先ぶれ川にたつ霧
*<わたくし>と言ふは無名の謂ならむ一人称の平らぎ無明
*燃えあがるその瞬間を待つてゐる河原の石のながき願望

過ぎゆく外界の事象を、よく観察して歌に表現されている。 しかも、それは多分に「比喩」的である。
「川霧」は秋から初冬にかけて発生することが多い。 「比喩」も的確な「写生・観察」から始まる。秀逸である。

*かたはらに狂喜のごとくうづくまる存念ありて春の酣
*伝ふべき言葉を鎖して蔵ひ置くそのうち芽吹くか季なし桜の
*罅の入る手鏡つつむうす紙にかつて記されし言葉の痕跡
*春雷の去りたる坂を野良猫の小太郎侍尾を立てて往く
*突風の上りゆく坂ふむふむとまことしやかに猫の見送る
*ぎくしやくと老いてゆくらむ夏の浜それはさうだと波の咳く
*このことは言ふてはならぬと空蝉の背中の裂け目を雨だれが打つ
*かのやうにあるべしとしも雨脚はあなたの存念断つがに激し

私は「春」が好きではない。「春の酣」には圧倒されるからである。 だから私は春の季節には「鬱」になる。
「狂喜のごとくうづくまる存念」とか「伝ふべき言葉を鎖して」「言葉の痕跡」「ぎくしやくと老いてゆくらむ」「このことは言ふてはならぬ」
あるいは「存念断つ」というような作者の選択したコトバに、私は反応する。

*ふうはりと風のスカート膨らませかつての噂が寓話につかまる
*一杯の椀に掬へる風の嵩呑まむとするに何のさへぎる
*首振りの虎の玩具の首振りをいとほしむのか野良猫タマは
*冬帽子まぶかに被り幼きがかくんかくんと雪を蹴りゆく
*青空の奥より哭き声降りてくるわが誕生日きさらぎ朔日
*自祝にと冬薔薇一枝瓶に挿すうべなふべしと雪降るあした
*どの色の鳥を飼はうか真夜ふかく醒めて虚空の鳥かごを観る

題名の「空中の鳥かご」は、この歌から採られている。
米満氏の<短歌って、何だ>という問いかけに、作者の天野さんが<空中の鳥かご>と答えた、という。
禅問答のようでもあり、極めて前衛的な「比喩」的な受け答えと言えるだろう。

*結末はかういふことかといつぽんの沢の古木を藤が締めをり
*饒舌な足音ばかりが下りくる不眠の舗道の七折れ階段
*舌といふうごめくものを何喰はぬ顔に収めて聞き役につく
*すでにいまはその時にあらず慰撫さへもそつぽをむきてするり過ぎゆく
*たしかめるよすがもなくてただただにただよひゆける季の存念
*念入りにコーヒーを淹れ端座せり午前三時の窓あけ放ち
*日常の傍辺にありて飲食の器とならぬガラス壺愛づる
*影として庭を横切る過去の夢かくしてひとは老いてゆくのか
*酔ふことは醒めゆくことよ秋の夜半くらくら瑠璃の酒壺を盈たさむ
*まず一献にごれる酒をたつぷりと盈たさば朱盃虚空を映す

<看取り>というのは苦労の絶えないものである。 私もほぼ十年間、亡妻の癌の闘病に伴走してきた。
私は、この間は五七五七七という短歌の韻律に浸りきれなかった。散文詩を作ることで終始した。その成果は詩集『免疫系』に結実したが。。。
天野さんは、見事に短歌の韻律で、この間を詠い切られた。 お見事である。ここに引いた十首ほどの歌に見事に集約されたというべきだろう。
まだ米満氏は存命中であるから、「比喩」のオブラートにくるみながら、巧みに詠われている。

*どのやうな結末あるのか残されてたわわに朽ちゆく金柑のあり
*この真夜を凍りゆくらむ甕の水ひとつの断念呻きゐるとぞ
*ひだまりの欠伸のごとくしなしなと来るはずのない結語を待ちぬ
*靄だちて私の家の一隅はまるであらざる仮説の現世
*濃き酒をゆるゆる注がばわが内腑ゐずまひ整へ粛然と在る
*3Bの鉛筆がない このやうな些末なことを話題に選ぶ
*もういいかここらあたりで地図帳を閉ぢてしまはむ 出口はどこだ
*目的地があつたはずだがさてそこはこの世の奥の黄泉平坂

痛々しいまでに、看取りと自身の内面への描写がつづく。
引きだしたらキリがない。 そろそろ鑑賞も終わりにしなければならない。

*蝉殻をみつしり納めし紙箱を両手に捧げ幼きが来る
*石蕗の黄の花群れて真夜を咲く醒めゐるべしとの寓意に従ひ
*人生が終はると言ふてあのひとはいつしんふらんに湯浴みしてゐる
*それごらんしたり顔した風が言ふあの歳月が見つからなくて
*起き立ちて不眠の夜を散歩する虹の尻尾を追ひゆくやうに
*絶え間なく崩れゆくものたとふれば空の奥処を落下する滝
*ああそしてあなたもわたしもこのやうになしくづしといふ救済を享く
*一対の耳をそよがせ君は佇つ言葉を棄てて朝の窓辺に
*てのひらに夕陽を容れて差し出せばあなたは確と頷てゐる
*黄のてふてふ黒のてふてふそれらのみ訪れる庭しんかんと昼

はじめに書いたように採りたい歌が多すぎて散漫になったかも知れない。
これらの歌の中に、私は米満英男氏の姿を追い求めている。 つまり天野さんの歌は、ここ数年の二人の「生きざま」を活写したということである。
一人(いちにん)の死を巡って、歌が華やぐ、とは哀しいことだが、文学としては秀でたことと言わなければならない。
佳い歌集を読ませていただき感謝申し上げる。 お力落しなく、ご消光くださるようお祈りいたします。 (完)


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