K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(12月)月次掲示板
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昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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本年も十二月、最終となりました。
泣いても笑っても「師走」の到来です。

 葦べ行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・志貴皇子
 夜半すぎて天心ちかく月照るを雲は戯(そば)へて過ぐる時のま・・・・・・・・・・・・・・・岡井隆
 「かがなべて夜は九夜 日には十日」の留守居の翁は鍋を焦がしぬ・・・・・・・・・・・・西村尚
 この国に生れ来しなり明日もまた生きむわられの拠るべき国土・・・・・・・・・・・・・・橋本喜典
 堤よりときをりとどく白鳥の声を窓辺にききてくれゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 板宮清治
 ながくながく滑走路ゆく冬の夜孤独な機体はよだかとなりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・小島なお
 舞ひたつは愉しからむよ木枯しに吹かれて飛ぶはけやきの落葉・・・・・・・・・・・・・・三井ゆき
 待つてて、と言はなかつたね びんかんな空気冷えゐる朝に気がつく・・・・・・・・ 河野美砂子
 凍蝶という語が翅を立てている 樹皮に捺された枯葉の影に・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤弓生
 赤の飯炊かば佳き日のよき思ひかへらむか小豆煮えつつぞある・・・・・・・・・・・・蒔田さくら子
 いつぱしの貌をしてゐるわが猫が鏡の前で化粧はじめる・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 亡き母を知る人来たり十二月・・・・・・・・・・・・長谷川かな女
 落ちてゐるからたちの実や十二月・・・・・・・・・・吉岡禅寺洞
 武蔵野は青空がよし十二月・・・・・・・・・・・・・・・・・細見綾子
 わが生死食思にかかる十二月・・・・・・・・・・・・・・・相馬遷子
 御岳に雲の荒ぶる 十二月・・・・・・・・・・・・・ ・・伊丹三樹彦
 冬銀河ゆるぶあたりのねずみ色・・・・・・・・・・・・・・佐藤文香
 くさぐさに名付けいづれも枯さうび・・・・・・・・・・すずきみのる
 騒がしき鍋に沈むや寒卵・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高井楚良
 ソムリエの金のカフスや師走の夜・・・・・・・・・・・深田やすお
 自転車よりもの転げ落ち師走かな・・・・・・・ D・J・リンズィー
 茶の花や煙の匂ふ服を吊り・・・・・・・・・・・・・・・・ 森賀まり
 なにもかも吹雪その中に息づく・・・・・・・・・・・・・・ 福田若之
 銭湯の番台に煮るおでんかな・・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 深鉢に茹で汁ながら烏貝・・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 ペットボトル積まれて雪の朝となる・・・・・・・・・ 飯島葉一郎
 泡雪や数かぎりなくアカリウム・・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 同じマスクがずっと落ちてゐる夢のやう・・・・・・・・上田信治
 実家てふ不思議なところ布団干す・・・・・・・・・・・あかさたな
 スナックに煮凝りのあるママの過去・・・・・・・・・・・小沢昭一
 銃声のとどまる空に冬の虹・・・・・・・・・・・・・・・嵯峨根鈴子
 薄氷はそろそろ水にもどりたく・・・・・・・・・・・・・・・神山朝衣
 淡雪の憂ひを底に届かざる・・・・・・・・・・・・・・・・・中塚健太
 ゴーグルの焦点ずれてぼたん雪・・・・・・・・・・・・・谷口鳥子
 コンテナの陸揚げしづか雪催・・・・・・・・・・・・・・・・ 村越敦
 それ以上言へば死なむと雪をんな・・・・・・・・・・利普苑るな
 アイロンの息白ければ立ててやる・・・・・・・・・・・・・藤幹子
 恋は過去形エッチングなんて手法・・・・・・・・・ 原田否可立
 雪つかむバニーガールの尻尾ほど・・・・・・・・・・・藤尾ゆげ
 流氷の上なる人に礼をなす・・・・・・・・・・・・・・・・川奈正和
 手を振られ手を振り返す冬木立・・・・・・・・・・・・山下つばさ
 冬銀河ほろと男根垂らしたり・・・・・・・・・・・・・・・・・糸大八
 美しき白紙冬野を子ははみ出す・・・・・・・・・・・・・柴田千晶
 いろいろの文鎮を載せ暦売り・・・・・・・・・・・・・・・清水良郎
 フンフンとお好み焼を裏返す・・・・・・・・・・・・・・・・寺西文子
 ナポリタン食いつつ年を惜しみけり・・・・・・・・・・・ 大穂照久
 いろはにほ捨てては拾う骨の骸(から)・・・・・・・・・・七風姿


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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。

本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第五歌集『昭 和』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
一般書店からの取り寄せは、角川書店の配本部門・角川グループパブリッシング発売、と指定されたい。
ネット書店ではセブンネットショッピングLivedoor.Books紀伊国屋書店BookWeb、 楽天ブックスブックメール倶楽部、全国書店ネットワークe-hon でも買えるようになっています。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
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湯豆腐を食ひ尽くしたるメディア論・・・・・・・・・・・・・秋尾敏
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   湯豆腐を食ひ尽くしたるメディア論・・・・・・・・・・・・・秋尾敏

「湯豆腐」の句としては

   ■湯豆腐やいのちのはてのうすあかり・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

が人口に膾炙して有名である。
久保田万太郎は昭和38年73歳で没した。
晩年、子供を亡くし、それを機に家を出て赤坂に隠れ住んだ。起居のかたわらに一人の女性がいたが、彼女は37年末に急死した。万太郎は深い孤独に陥り、自らも半年後に急逝した。
彼の死のいきさつについて書いたことがあるので、参照されたい。
この句は相手の女性の死後詠んだ句のひとつ。湯豆腐の白い揺れを見つめつつ、一場の夢に過ぎない人生を眼前に見ているような気配を伝える句である。
「いのちのはてのうすあかり」が句の眼目だが、空漠かつ幽遠である。
こういう句の深い「読み」については、若い頃には思い及ばないことで、人生の晩年に至って、ようやく思いに辿りつくことが出来るのである。
昭和38年刊遺句集『流寓抄以後』所載。
この句は何度となく引いてきたので遠慮して、今回は掲出句を引いた。

掲出句は、文化人であろうか、湯豆腐を食いながら「メディア論」を戦わしているという現代的な句である。
「湯豆腐を食い尽くして」も、なお口角泡を飛ばして議論している、という青っぽい連中の、微笑ましい光景であろう。
若い頃には私にも、こういう熱中した時期があった、と懐かしい感慨を持って、この句を抽出した次第である。
今しも年も押し詰まって、遅い忘年会の風景と受け取ってもらっても結構であろう。

湯豆腐は冬の暖かい味覚として、親しみふかいものである。今では季節を問わず食べられるが、やはり冬のものであろう。
京都南禅寺順正の湯豆腐などが有名だが、京都には「豆腐」の老舗がいくつかあり、この頃では宅急便を利用して全国に宅配されているようだ。
以下「湯豆腐」を詠んだ句を少し引いておきたい。

 湯豆腐や澄める夜は灯も淡きもの・・・・・・・・渡辺水巴

 湯豆腐の一と間根岸は雨か雪・・・・・・・・長谷川かな女

 湯豆腐や障子の外の隅田川・・・・・・・・吉田冬葉

 湯豆腐にうつくしき火の廻りけり・・・・・・・・萩原麦草

 湯豆腐に箸さだまらず酔ひにけり・・・・・・・・片山鶏頭子

 湯豆腐やみちのくの妓(こ)の泣き黒子・・・・・・・・高橋瓢々子

 混沌として湯豆腐も終りなり・・・・・・・・佐々木有風

 湯豆腐や紫檀の筥(はこ)の夫婦箸・・・・・・・・日野草城

 湯豆腐や男の嘆ききくことも・・・・・・・・鈴木真砂女

 永らへて湯豆腐とはよくつき合へり・・・・・・・・清水基吉

 鳥羽僧正湯豆腐食べに下りけり・・・・・・・・鈴木栄子

 さりげなき話湯豆腐煮ゆるまで・・・・・・・・山本一歩

 湯豆腐や差し向かひといふ幸不幸・・・・・・・・安藤美保

 湯豆腐のふつふつそつけなき白さ・・・・・・・・日向和夫


リルケ死にし日なりき冬の薔薇の辺に・・・・・・・・・・・・・・・脇村禎徳
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    リルケ死にし日なりき冬の薔薇の辺に・・・・・・・・・・・・・・・脇村禎徳

今日12月29日はドイツ人の作家・リルケの忌日である。
掲出句は、そのリルケと冬薔薇とを情趣ふかく描いて秀逸である。
リルケには薔薇を詠んだ24篇の詩があり、それに因んで詩集の表紙を出しておいた。

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ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke、1875年12月4日~ 1926年12月29日)は、オーストリアの詩人、作家。
シュテファン・ゲオルゲ、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールとともに世紀転換期を代表するドイツ語詩人として知られる。

プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などに学び、早くから詩を発表し始める。
当初は甘美な旋律をもつ恋愛抒情詩を発表していたが、ロシアへの旅行における精神的な経験を経て『形象詩集』『時祷詩集』で独自の言語表現へと歩みだした。
1902年よりオーギュスト・ロダンとの交流を通じて彼の芸術観に深い感銘を受け、その影響から言語を通じて手探りで対象に迫ろうとする「事物詩」を収めた『新詩集』を発表、
それとともにパリでの生活を基に都会小説の先駆『マルテの手記』を執筆する。

第一次大戦を苦悩のうちに過ごした後スイスに居を移し、ここでヴァレリーの詩に親しみながら晩年の大作『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』を完成させた。
『ロダン論』のほか、自身の芸術観や美術への造詣を示す多数の書簡もよく知られている。

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以下は「冬薔薇」について書いておく。

   冬薔薇を剪(き)るためらひは何事ぞ貴きものを奪ふここちす・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので小項目名「薔薇」というところに、バラを詠った歌をまとめてあるものの一つである。
バラは何と言っても「花の女王」であることは間違いない。在来種の野バラから、さまざまな改良が加えられて、今ではハイブリッドや遺伝子レベルの技術を駆使して新品種が産出されている。
写真②も「レッドヒロシマ」というハイブリッドによる品種物である。

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バラには痛い棘(とげ)があるのが難点だが、今ではトゲのない品種もあるのではないか。
バラの中でも、人それぞれ好みがあろうが、私は写真②のような「真紅」のバラが好きである。豪華なレディーという印象である。
妻の入院中にはあちこちからバラの花束をいただいたことがある。妻の大学の時の友人の某大学教授N女史から、お見舞いの花のアレンジが贈られてきたことがある。
バラが主体のアレンジであって、そんなことから、今日はバラの花のことを書いてみる気になった。

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写真③もハイブリッドものの新品種である。なんとも色合いが華麗である。ついでに、写真④にもハイブリッドもののバラを掲出しておく。これも色合いが鮮やかな花である。

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このバラには「ジーナ・ロロブリジーダ」の名がついている。そう言えばロロブリジーダの雰囲気が出ているバラである。
書き遅れたが写真③のバラの名は「マダム・ビオーレ」とある。N女史などは、まさに、そういう雰囲気にふさわしいとも言える。
そのN女史だが、先年、急性の脳梗塞に罹り半身不随で闘病の末、いまは車椅子の生活を余儀なくされている。

長年、歌作りをやっているとバラを詠み込んで、あちこちに歌を発表しているもので、歌集にする場合には、
それらを「薔薇」という項目にまとめる、というようなことをする。
以下、ここにまとめた「バラ」の歌一連を引いておきたい。
掲出した歌の主旨は「冬薔薇」を剪る時には、万物の命の休止している冬の季節に、せっかく咲いた花を切り取るということに、
極端にいうと「生き物の命」を奪うような気が一瞬した、ということである。

         薔 薇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

     キーボード打てるをみなの傍(かた)へにはコップに挿せる紅薔薇にほふ

     老いびとにも狂気のやうな恋あれと黒薔薇みつつ思ふさびしさ

     飲みあけしミニチュア瓶に薔薇挿せばそこより漂ふスコッチの香り

     鬱屈のなきにもあらず夕つかた何もなきごとく薔薇に水やる

     喪に服し静もる館は薔薇垣を結界として何をか拒む

     冬薔薇を剪るためらひは何事ぞ貴きものを奪ふここちす

     冬薔薇を剪る妻の手に創(きず)ありぬ薔薇のいのちの棘の逆襲

     ほのぼのとくれなゐ淡き冬薔薇にそそのかさるる恋よあれかし

     薔薇図鑑見つつし思ふ園生には緋の花責めの少女ゐたりき

     たまさかに鋏を持てばことごとく刺す意あらはに薔薇は棘見す

     言へばわが心さびしもしろたへに薔薇咲き初めて冬に入りたり

「冬薔薇」を詠んだ句を引いて終る。薔薇は「さうび」(そうび)とも発音する。

 尼僧は剪る冬のさうびをただ一輪・・・・・・・・・・・・山口青邨

 冬薔薇(さうび)石の天使に石の羽根・・・・・・・・・・・・中村草田男

 冬の薔薇すさまじきまで向うむき・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 冬ばら抱き男ざかりを棺に寝て・・・・・・・・・・・・中尾寿美子

 冬さうび咲くに力の限りあり・・・・・・・・・・・・上野章子

 冬薔薇や賞与劣りし一詩人・・・・・・・・・・・・草間時彦

 ぎりぎりの省略冬薔薇蕾残す・・・・・・・・・・・・津田清子

 夫とゐて冬薔薇に唇つけし罪・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 孤高とはくれなゐ深き冬の薔薇・・・・・・・・・・・・金久美智子

 冬薔薇や聖書に多き科の文字・・・・・・・・・・・・原田青児

 ふと笑ふ君の寝顔や冬の薔薇・・・・・・・・・・・・マブソン青眼



ゆきふるといひしばかりの人しづか・・・・・・・・・・・・室生犀星
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──<雪>の句─3態──オムニバス風に──
   
   ■ゆきふるといひしばかりの人しづか・・・・・・・・・・・・室生犀星

この句の「場」を考えてみると「雪が降っていますね」と言った「人」も、それを聞いている相手、つまり句の作者自身も、部屋の中にいて、
おそらくは障子も閉めきったまま静かに対座しているのだろう。
あるいは別の情景も考えられるだろうが、いずれにせよ、雪が降るのを、じかに目撃しているのではない。
障子の外の世界を鋭敏に感じとって、ひとこと発したまま、また黙ってしまった人。
そのため、部屋の中に満ち足りた情感の世界が、一層濃く形づくられてゆく。
「人」は女性でなければなるまい。
昭和18年刊の『犀星発句集』所載。

こういう短詩形の中に、極めて凝縮された、みづみづしい感性の表現の妙は俳句ならではのもので、余白の部分を、読者にさまざまに想像させる表現の妙、と言える。

こんな句は、いかがだろうか。

   ■降る雪や明治は遠くなりにけり・・・・・・・・・・・・中村草田男

草田男の数多い句の中でも、とりわけ有名な句。今では作者名さえ知らずに、この句を口にしている人も多かろう。
この句の由来は、昭和6年、作者が20年ぶりに東京で小学校上級生当時通学した母校青南小学校(東京、青山高樹町在住当時)を訪ね、往時を回想して作ったものという。
初案は「雪は降り」だった。
「降る雪や」という上句が、「明治は遠く」という中七に、離れつつ大きく転じてゆくところに、この句の秘密があり、有名になり過ぎたにもかかわらず、
或る「ういういしい」感慨が紛れずに保たれているのも、その所為だろう。
「明治は遠く」というが昭和6年であるから、大正の15年をいれても丁度20年の年月である。「十年ひと昔」というから「ふた昔」ということになる。
その伝でいうと、今は平成24年であるから「昭和も遠くなった」という感慨を抱いても、まんざら言いすぎでもあるまい。この句は前にも引いたことがある。

雪に因んで、こんな句も、ある。

   ■雪はげし抱かれて息のつまりしこと・・・・・・・・・・橋本多佳子

多佳子は杉田久女に俳句の手ほどきを受けたのち、山口誓子に学んだ。
彼女は女性の情感のほとばしりや揺らぎを的確にとらえて表現した。
対象を即物的に鋭くとらえる厳しさと、句の表情の豊かさでは、近代女流中、有数の人と言ってよい。
30代後半に夫に先立たれたが、追慕の句に優れたものが多く、この句もその一つである。
はげしく雪の降りしきるのを見つめながら、その景色に呼び覚まされるように、かつて強く抱かれて息がつまるようであった、と当時のことを思い出している。
この句も彼女の代表作で、私も以前に引用したことがある。
昭和26年刊『紅糸』所載。

「雪」にまつわる秀句3つを、オムニパス風に採り上げてみた。
京都では年内に雪の降ることは近年では滅多にないが「竜安寺」の石庭の雪の写真を出してみた。

老いざまのかなしき日なり実千両・・・・・・・・・・・・・・草間時彦
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    老いざまのかなしき日なり実千両・・・・・・・・・・・・・・草間時彦

「千両」「万両」は初冬に赤や黄の実を見せる。極めて日本的な景物である。
同じような実だが、少しづつ微妙に違う。 掲出写真は「千両」の実である。
白い実のものもある。
manryo29白千両の実

同じようなものに「南天」がある。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)にも、こんな歌の一連がある。

    妻病めばわれも衰ふる心地して南天の朱を眩しみをりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

    冬の午後を病後の妻と南天の朱実を見つつただよふごとし

    古稀となる妻を見てゐる千両と万両の朱実はなやぐべしや

妻亡き今は哀切な気分になる旧作である。
南天という木はどこにでも生える強い木で、赤い実は野鳥の冬の絶好の餌で、みんな啄ばまれてしまうが、
その未消化の糞の中の種が、あちこちにばら撒かれて繁茂するのである。
南天の赤色はさむざむとした冬景色の中に点る「一点景」ではあるが、病む身を養う妻を抱えての、
私の愁いは、まことに深いものがあったのである。そんな心象を歌にしたのが、この歌である。
「千両」「万両」の実も、同様の扱いをしてもよいものである。

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以下、歳時記に載る南天、千両、万両の句を引いておく。

 実南天二段に垂れて真赤かな・・・・・・・・富安風生

 あるかなし南天の紅竹垣に・・・・・・・・滝井孝作

 南天軒を抽(ぬ)けり詩人となりにけり・・・・・・・・中村草田男

 南天の実に惨たりし日を憶ふ・・・・・・・・沢木欣一

 いくたび病みいくたび癒えき実千両・・・・・・・・石田波郷

 千両の実だけが紅し日照雨過ぎ・・・・・・・・細田寿郎

 かけ足で死がちかづくか実千両・・・・・・・・石田貞良

 千両や筧の雫落ちやまず・・・・・・・・水谷浴子

 万両や癒えむためより生きむため・・・・・・・・石田波郷

 実万両女がひそむ喪服妻・・・・・・・・高萩篠生

 雪染めて万両の紅あらはるる・・・・・・・・鈴木宗石

 いにしへを知る石ひとつ実千両・・・・・・・・伊藤敬子

 清貧は夫の信条実千両・・・・・・・・有保喜久子

 授乳といふ刻かがやけり実千両・・・・・・・・猪俣サチ

 万両を埋めつつある落葉かな・・・・・・・・山本梅史

 万両の実にくれなゐのはいりけり・・・・・・・・千葉皓史

 千両より万両赤し東慶寺・・・・・・・・中村勢津子

 抱くたびに子の言葉増え実万両・・・・・・・・野田禎男
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こうして見てくると、南天、千両、万両ともに、明るいイメージの句は少なくて、むしろ「沈潜」した句が多いことに気付く。
それは、私の歌のイメージとも重なることに驚くとともに、共感するのである。



松宮煇『風力発電 挑戦から未来へ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
松宮

──新・読書ノート──

     松宮煇『風力発電 挑戦から未来へ』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・東洋書店2012/12/01刊・・・・・・・・

私の旅友で、元・出版社編集者・翻訳家の阿部行子さんから、この本が贈られてきた。著者は彼女の夫である。
かねて旅中などで、彼のことは少しは聴いていたが、風力発電に関する日本でのパイオニアである。彼の経歴を出しておく。

■著者略歴
松宮 煇 (まつみや・ひかる)
1943年東京都生まれ。1974年東京大学工学系大学院博士課程機械工学科修
了、工学博士。1974年通商産業省工業技術院機械技術研究所入所、2001年
(独)産業技術総合研究所に組織替え、2004年同研究所退職„九州大学大学院
工学研究院教授を経て、現在、産業技術総合研究所招聘研究員。2007年設
立の㈱HIKARUWIND.LAB代表取締役。
団休委員として、国際エネルギー機関(IEA)風力・執行姿員会・日本代
理委員、(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)技術委員、同・
洋上風力発電技術研究開発委員、同・次世代風力発電技術研究開発委員な
ど。
主な著書に『ここまできた風力発電』改訂版、工業調査会、1998年。主な
共著に『技術と自然の未来を探る』新日本出版社、 2004年。『風力発電の
すべて』工業調査会、2005年がある。

この本は、書き方が、いかにも学者らしく一般向きではない。
文系の巧い人にリライトしてもらったら、時代向きだからベストセラーになるのにと、惜しい。
数式や写真なども豊富で、日本のエネルギー政策の一貫性の無さ、福島原発事故以後の対応の拙さ、など鋭い指摘がある。
ドイツ人の論理的な思考と対応は立派だが、それと比較して日本の拙さが指摘されている。

「風」と一口に言っても、いろいろあって、日本の風は風向きが一定しない上に、台風が襲来したりと、技術的に難しいところがある。
ヨーロッパの「風車」をそのまま単純に導入して失敗している。日本独自の息の長い研究開発への一貫した政府の姿勢が望まれる。
時宜的に、今日的なタイムリーな出版であり、多くの人に読まれることを希望する。
まだネット上にも書評などは出ていない。不十分ながら簡単な紹介にとどめる。
有難うございました。


十人の一人が気付き枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・高田風人子
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   ■十人の一人が気付き枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・高田風人子

「枇杷」はバラ科の常緑高木で、初冬に枝先に三角形総状の花序の花を咲かせる。花は白く香りがよい。
実は初夏に熟する。甘くて香りのよい果実である。庭木としては、めっきり少なくなった。
枇杷の木は葉が大きくて長楕円形で、葉の裏に毛がびっしりと生えている。葉の表面の色は暗緑色である。
『滑稽雑談』という本に「枇杷の木、高さ丈余、肥枝長葉、大いさ驢の耳のごとし。背に黄毛あり。陰密婆娑として愛すべし。四時凋れず。盛冬、白花を開き、三四月に至りて実をなす」とある。
簡潔にして要を得た記事だ。
冬に咲く珍しい植物のひとつである。寒い時期であり、この花をじっくりと眺める人は多くはない。
こんな句がある。

   ■蜂のみが知る香放てり枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・・右城暮石

この句などは、先に書いたことを、よく観察して句に仕上げている。こんな句はどうか。

   ■だんだんと無口が好きに枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・三並富美

   ■一語づつ呟いて咲く枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・西美知子

   ■咲くとなく咲いてゐたりし枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・大橋麻沙子

いずれも「枇杷の花」の、ひっそりと咲く様子を的確に捉えている。

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写真②にビワの実を載せる。昨年の初夏にビワの実の記事を書いた。果実として品種改良され、「茂木ビワ」が有名である。

以下、枇杷の花を詠んだ句を引いて終る。

 枇杷の花霰はげしく降る中に・・・・・・・・野村喜舟

 死ぬやうに思ふ病や枇杷咲けり・・・・・・・・塩谷鵜平

 枇杷咲いて長き留守なる館かな・・・・・・・・松本たかし

 花枇杷や一日暗き庭の隅・・・・・・・・岡田耿陽

 故郷に墓のみ待てり枇杷の花・・・・・・・・福田蓼汀

 枇杷の花子を貰はんと思ひつむ・・・・・・・・原田種茅

 枇杷の花母に会ひしを妻に秘む・・・・・・・・永野鼎衣

 枇杷の花くりやの石に日がさして・・・・・・・・古沢太穂

 枇杷の花妻のみに母残りけり・・・・・・・・本宮銑太郎

 枇杷の花柩送りしあとを掃く・・・・・・・・・庄田春子

 枇杷の花暮れて忘れし文を出す・・・・・・・・塩谷はつ枝

 病む窓に日の来ずなりぬ枇杷の花・・・・・・・・大下紫水

 花枇杷に暗く灯せり歓喜天・・・・・・・・岸川素粒子

 雪嶺より来る風に耐へ枇杷の花・・・・・・・・福田甲子雄

 枇杷の花散るや微熱の去るやうに・・・・・・・・東浦六代

 訃を告げる先は老人枇杷の花・・・・・・・・古賀まり子

 贋作に歳月の艶枇杷の花・・・・・・・・中戸川朝人

 伊勢からの恋文めいて枇杷の花・・・・・・・・坪内稔典


小池正博句集『水牛の余波』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
小池②

──新・読書ノート──

    小池正博句集『水牛の余波』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・邑書林2011/03/10刊・・・・・・・・

この本は昨年春に出たもので、知ってはいたが、取り寄せるのが今になった。
先ず、はじめに、以下、句の読み手として、よく知られている、関悦史のサイトに載る書評を引いておく。
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閑中俳句日記(別館) -関悦史-

日々つれづれの中、目にした句集などについて取り上げていきます。

2011年3 月 3日 (木)

   小池正博句集『水牛の余波』  邑書林2011年 

『水牛の余波』は川柳作家小池正博の第1句集。
先に『セレクション柳人6 小池正博集』が出ていて、今回の句集に収められているのはそれ以後の299句だが、《単独の句集として、本書をもって私の第1句集としたい》とあとがきにある。


      評定の途中で鼻が増えてゆく

「評定」「途中」で長引いているらしい気配が出て、「鼻が増え」るがゴーゴリ的な馬鹿馬鹿しさと超現実を呼び込む。

     どの箱を開ければ伊豆の海だろう

      エンタシスの柱に消える大納言

古代ギリシア発祥の「エンタシス」が法隆寺にも取り入れられているのは周知だが、こう書かれると「大納言」が途端に世界史的な文化の伝播の中に不意に置きなおされ、爽快な眩暈を生む。


     プラハまで行った靴なら親友だ

     調律は飛鳥時代にすみました

      空調機から降りてくる見知らぬおばさん

何ものだろうか、このおばさん。

     鏡台の後ろあたりで増えている

何が。

     角砂糖二つで異形のものと知る

      応仁の乱も半ばに仮縫いへ

     終末の帝国フロッタージュするかもね

「フロッタージュ」は硬貨の上に紙を乗せて鉛筆でこすると図柄が転写されるあれで、マックス・エルンストがシュルレアリスム絵画の技法として利用した。
「終末」を迎えた「帝国」が擦り出しの如くその痕跡を歴史に残すことが出来るのかとの意味にもさしあたり取れるが、「するかもね」という誰が言っているのかわからない口語調がまた微妙なずらしをかける。
「終末を迎えた帝国」なのではなく、「終末の帝国」という名前の帝国、あるいは「終末の帝国」という名を持っただけの帝国でもなんでもない別の何かなのかもしれない。

     トイレまで付いてくるなという手紙

      耳栓のありかを知らぬ三姉妹

      城跡についてきたのは相似形

     アリクイを手帖に挟み出社する

     橋ふたつ渡るあいだに脱皮する

      スポイトが秋の目玉を吸い込んだ

      ステーキを切り分けている未来仏

     高さとは少女のままでいることと

「耳栓」「脱皮」「目玉」「高さとは」などの、身体性からエロス、グロテスク、ナンセンスへと開けていく句もあくまで現代川柳ならではの軽やかさ。
言葉はイメージを呼び出しはするが物そのものではないというズレの間に、意味と無意味の響き合いを組織するのが現代川柳の言葉であり、小池正博はその優れた使い手である。
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  S/C 現代川柳を中心とした短詩ウェブサイト


     小池正博『水牛の余波』、渡辺隆夫『川柳 魚命魚辞』


今年始めから、二冊の川柳句集を前にしていろいろ考え込んでいる。
ただ読んで楽しむのなら、以下に引くように、両句集ともエンターテイメント性にも欠けておらず(むしろエンターテインメント過剰とも言える!)、
また句集評を書くにあたっても十二分な秀句を拾い上げることができる。

島二つどちらを姉と呼ぼうかな       小池正博『水牛の余波』

マッチ棒そこは木もなく草もなく

識閾に豆粒ほどの健脚者

黄昏のふくろう パセリほどの軽蔑

東雲の足からませて二艘の舟

リヤ王の真似は天文台でせよ

雨の日は厚物咲が這うてくる

ジュール・ヴェルヌの髭と呼ばれる海老の足

ブリューゲル父が大魚の腹を裂く       渡辺隆夫『川柳 魚命魚辞』

夏は京鱧の骨切るアルバイト

硬直の紡錘体が秋の魚

森敦に月山 吉岡実には湯殿山

ウンコなテポドン便器なニッポン

補聴器が悲鳴を拾う冬の月

イワシは頭ウナギは寝床

ゆる褌の日本列島みえるみえる


こうやって抜き書きした句に感想を加えて句集評としてもよいのだが、いろいろ考え込んでいると最初に書いたのは、これらの句集の評としてはそれで十分ではないという気がするからである。

通常の句集評(歌集や詩集の評でも同様だが)は、評者がとり上げるに値すると考える作品を抜粋して、そこから作者らしさを素描していることが多い。ただし、小池正博『水牛の余波』(邑書林、2011)も、渡辺隆夫『川柳 魚命魚辞』(邑書林、2011)も、総体として強い批評意識を保った句集であり、いわゆる川柳(それをどうイメージするにせよ)の中で作家性を示すところに留まらず、川柳というジャンル、さらに他の文芸、現実のありかたを問い直そうという試みである。これらの句集にはこんな良い川柳句がありますよ、と示すのも一つの行き方だが、ではその「良い」「川柳」とは何か、という問いが同時に浮かびあがってくるはずだ。上に引用した8句ずつだけでも、小池と渡辺それぞれが個性的な表現者であることははっきり伝わると思うが、それを単に作家性として示すことは、句集がもつ力を、ありがちな枠組みに填め込んでしまうのではないか。

印象の大きく異なる2句集である。しかし、川柳ジャンルの特性を問いながら、それを独自性にまで鍛え上げることで、言葉や現実を捉える一つの批評的視座を総体として示し得ているということでは共通していると思われる。それを展開してしめすのは相当に厄介なことだが、とりあえず個々の句集について表現上の特質を検討することで、自分なりに明示可能なものとしてみたい。



小池正博『水牛の余波』の特徴は、まずは引用、引喩(アリュージョン)にあると考えられる。こう書くと、教養的な、ブキッシュな側面だけを強調しているように聞こえるが、小池の句では歴史、文学、哲学といったハイカルチャーで文献的な知識だけではなく、日常的な語彙さえ、一種の引用として機能しているように見える。情報とは通常ジャンルやカテゴリー、種々の文脈によって区分されているものであるが、『水牛の余波』の頁に並べられた句を読んでいくと、すべての事象や語彙がフラットに、等分の重み(あるいは軽み)をもって表れてくるのに気付くのである。

おそらく小池の句がある種の読者にとって「難解」に映るのは、この言葉のフラットさをどう捉えてよいのか分からないからだろう。特に近現代川柳の読みにおいては、ある事象(語句)に対する(作者のものと想定される)思い入れが読解の起点であり終点であることが多いように思える。そうした視点から小池の句に作者の思い入れを読み込もうとしても、結局は読者の好みにあった句を選び出して、とりあえず納得する以上の読みは出来ないだろう。そのように句の裏側に発見したと感じた思い入れは実は読者自身のものでしかない。『水牛の余波』を読みとおすにはそれとはまったく別の構えが必要である。

鴉声だね美声だね火星だね        小池正博

逆引きのいさかい順接のトナカイ

ブラザー日本酒シスター焼酎


並列式の構成の三句を並べてみた。これらの句は「これらの組合せから答えを探しなさい」という暗号ではない。一句目で言えば、「鴉声」「美声」「火星」は「セイ」という語尾の音によって、しかも「~だね」という日常的な文末表現によって結びつけられながら、一つの背景の意味などを決して生み出さないように並べられている。この句の内容をあえて言うならば、「鴉声」「美声」「火星」という三つの言葉がそれぞれの意味内容や文脈・背景を保持したままで、お互いに干渉し合う楽しみ、であろう。「ブラザー日本酒シスター焼酎」も、別に男女差を酒の種別で表した、つまり隠喩(メタファー)の句であるわけではない。「ブラザーXXXシスターYYY」といういかにも何処にでもありそうな言い回しに填め込むことで、「日本酒」と「焼酎」がもつ語感、イメージ、また読みにおいて読者が想起する経験などを楽しませようという仕掛けなのだ。

つまり、「難解」という見方とは逆に、『水牛の余波』の句ではすべてがあっけらかんと句の表面に投げ出されているのであって、「解くのが難しい」というところの「解く」べき謎がそもそも欠けているのである。もちろん、作品として提出された時点で、読者には深読みすることが許されている。また次のような句では、国家(国語?)や宗教に対する何らかの見解が述べられていると読むように誘われている気もしてくる。

調律は飛鳥時代にすみました         小池正博

はじめにピザのサイズがあった

タクシーを呼べば仏教伝来す


ただし、これらの句であっても、言葉のフラットなつかみ方が句の印象を決めて、そこから深読みも生じてくるということは言えると思う。『水牛の余波』の句がもつ別の特質は、引用元が高等、高尚なものまで含むにも関わらず、句の構成自体は現代語のレベルでシンプル、明瞭なものに徹底されていることである。そのことによって、それぞれの言葉に過剰な価値が付加されることを回避しているのだ。この句集では、文体は、すべての言葉に通常はありえない自由を与えて、自在に交流させることに奉仕している。そこに従来型の「自己表現」や「リアリズム」を価値基準とする「文学」とは対照的な言葉の楽しみが生まれるのだ。一句として読むならどうやっても作品としての価値に疑問が残る次のような句も、そうした傾向を句集全体へ浸透させるための仕掛けなのかもしれない(これは買いかぶりかも知れないが)。

目の前に池があるから座ろうよ        小池正博

兄さんが裁判所まで来ています

その海老にお湯をかけてもいいですか


表現上でもうひとつ気になったのは、上の3句目にも出てくる「その」や「そこ」といった指示詞が散見されるところだ。成功した句もあるが、「その海老に~」の句のようにピンと来ないものが多かった。面白い読みがあり得るのか、他の評者の意見を読んでみたいところだ。



渡辺隆夫『川柳 魚命魚辞』は作者の第5句集。ファンとしてはとりあえず、これまでの句集から2句ずつ引いておきたい。

八月を泣きたい人は泣いて下さい   渡辺隆夫『川柳 宅配の馬』

原子炉でするめを焼いている男

かなでは切れぬ樋口可南子かな    渡辺隆夫『川柳 都鳥』

鶴彬以後安全な川柳あそび

わけあって両手に妻という事態     渡辺隆夫『川柳 亀れおん』

テロに吹かれて歩かいだ

散歩体とは犬に引かれて行く物体   渡辺隆夫『川柳 黄泉蛙』

ベランダを降りたらダライ・ラマになる


小池の表現も川柳のみならず文芸表現として個性的なものだったが、渡辺の場合は時事川柳や新聞川柳ととりあげる題材が重なるにも関わらず、読後感はそれらとははっきりと異なるという点で注目に値する。『川柳 魚命魚辞』の句にも同じことが言える。

廃仏毀釈 明治初年のタリバーン     渡辺隆夫『川柳 魚命魚辞』

原子力銭湯へ行っておいでバカボン

ふらふらと戦死の父が慰安所へ

八月十五日は燃えるゴミの火

鳥帰るあらまテポドンどこ行くの


読後感は、まずは、新聞川柳よりはるかに過激である、といったところだろう。ただし、ただ過激な内容を書いただけでこんなに面白い句が出来るとは思えない(出来る、と思う人はぜひ書いてみてください)。もし過激な思想をもつ人間がその思想を表現しようとして川柳を書いたとすれば、とても読めたものではないに違いない。渡辺の句が楽しく読めるのは、とり上げる事象に対する作者の「解釈」を押し売りする表現とは180度反対に、誰でもが情報として知っている主題を、ことさらな知識や意味を貼り付けることなく、あくまで軽く、あっさりと提示することで、句としての表現にしおおせているところだ。テクニック面で言えば、例えば一句目では、「廃仏毀釈」と「タリバーン」という私たちが別個の時間・場所に属するものとして認識している事象を、「明治初年の」であっさりと結び付けて、それぞれの在りかたを浮かび上がらせている。

時事川柳の弱点は、全国紙というメディアの公式見解を自分たちの認識であると錯覚して、さらに句というかたちで「解釈」を示そうとするところにある。そうした姿勢は、新聞メディアが後発メディアに比べて圧倒的に情報速度において劣っていることがはっきりとして、また、「日本国民」がほぼ同じ情報を共有しているという幻想も崩れた現在では、時代遅れもよいところだという点でも、すでに有効ではないのだ。従来のように、善悪でレッテル分けされたある事象をとり上げて、価値観の共有を確認することで喜んでいるようでは、文芸としてはもとより、娯楽としても、劣化しきったジャンルと言わざるを得ない。渡辺の表現はそうした川柳の、またこの特定ジャンルのみならず、従来型の情報共有に頼りきった怠惰な自称・表現者に対する痛烈な批判である。「廃仏毀釈」「タリバーン」「原子力」「慰安所」「八月十五日」「テポドン」、みな等しなみに情報でしかないのである。こうした語を出すだけで、何か重要なことを共有した気分になるほどバカバカしいことはない。

句集『川柳 魚命魚辞』は、時事性が決して強いとは言えない。そうした傾向を期待して読むと、これまでの句集と比べてトーンダウンしているとも感じられるかもしれない。ただし、渡辺川柳の特質を再考するには、時事性をとりあえず外してみるのもよいのではないかという気もする。すると、まず目立つのは俳句の手法として考えられることの多い「切れ字」そして「季語」を多用していること。

歳の瀬や派遣は切られ俳句は切る     渡辺隆夫

パラパラや少女は昔マッチ売り

剥落の秋は塗装のアルバイト


渡辺が俳句を川柳の一体であると公言していることは知られているが、これは、川柳が俳句より上、などという価値判断をしているのではなく、そもそもジャンルのもつ独自の価値というものをハナから相手にしていないのではないだろうか。その上で、枠組みを決めてその中で良し悪しをうんぬんする場とは無関係な表現を川柳としているのではないか。

 『川柳 魚命魚辞』の中でそうした〈何でもアリ〉な渡辺の特質がいちばん出ているのは、二つの旅中詠のセクションだろう。「フレンチカンカン」と題された章から4句。

セーヌ秋水エッフェル塔ぐらり      渡辺隆夫

悶々のモンマルトルに秋のゾラ

昔からネッシーなんて興味ないんだ

衛兵のキルトの下はノーパンツ


この部分を読むと、読者・ファンの期待がどうであれ、渡辺が川柳とは風刺であるなどとはサラサラ思っていないことがはっきりする。また、自分の視線が特別だというナルシシズムとも無縁である。時事性の高い句についても、これらの句と合わせて、面白さ、爽快さを再読してみる必要がありそうだ。



両句集に共通するのは「言葉や現実を捉える一つの批評的視座」だと書いたが、それは決して固定された枠組みではなく、それとはまったく逆の従来の価値のありかたを解きほぐすような言葉の自由さなのである。そのまま面白く読める句集に、わざわざ重っくるしい評をつけてしまった気がしないでもない。

最後に私がいちばん好きな句を一句ずつ。

その歩哨星の尻尾に撫でられる   小池正博

草津ヨイトコ二人はイトコ        渡辺隆夫
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後者は「湊圭史」のサイトの記事である。渡辺隆夫と一緒に論じられているので、紛らわしいが了承されたい。
湊圭史も当代の論客である。
実は、この本より前に、同じ邑書林からセレクション柳人6『小池正博集』というのが2005/07/15に出ているのである。  ↓
小池集

   「セレクション柳人・小池正博集」 
 
     葉脈をたどってゆけば村まつり

     地球儀の一点に触れ痣とする

     昼寝から目覚めたときのかすり傷

     逢うときは水の階段駆けてくる

     痛みからふと瞬いた星である

     花冷えのどこからが鳥どこからが顔


これらはポエジカルなもののごく一部にすぎないが、例えばここに

     君は額に流星を刺青せよ   詩集『他人の空』所収

という飯島耕一の有名な詩の一行を並べても全く違和感はない。小池正博は詩人を志しても小説家を目指してもよかったのに、何故川柳か、といえば、天然の資質と思われる批評精神の勁さのなせる業であろう。彼は何より「視る人」である。痛覚をともなうほどの視線視覚が言葉を道具として表現されるとき、必然的にそれはサタイアとなりアイロニーとなるものだ。(別所真紀子)

     鳥の素顔を見てはいけない

     吟遊詩人煙草中毒

     曲馬団へとフェロモンは飛ぶ

川柳も、大きく分けると「雑俳」と呼ばれる文芸だが、川柳は五七五の音数律だが、連句の「付け句」七七だけを抜き出した「十四字」という定型の形式がある。
小池氏は論作両面の活躍手なので、「十四字」についても詳しく、「作」の上でも実践しておられる。
それが、すぐ上にある末尾の三句が、それである。
この本の第四章に、わざわざ一章を立てて、「十四字 鳥の素顔」100句が収録されている。
上記は、その中のものである。こういう芸当は、連句作家として練達の小池氏ならではのものである。
なお、「連句」に関していうと、このブログでも何回か採り上げた神戸の鈴木漠氏が何冊もの連句集を編んでおられるが、小池氏も何度か連句を「巻かれた」ようである。
ただ、連句人には、それぞれ流儀があり、しきたりに煩い人など、色々あるので連句を「巻く」のは難しい。

他の人の記事からの引用が多くなったが、一応の鑑賞は、この辺にしたい。
書き足りなかったところは、またぼつぼつ補いたい。


寒菊も黄を寄せ合へばさみしからずさ庭の隅のひだまりの中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    寒菊も黄を寄せ合へばさみしからず
       さ庭の隅のひだまりの中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
「寒菊」というのには、特別に品種があるわけではなく、初冬に咲く晩生の菊をまとめて言っているようである。ここに掲げたものは黄色であるが、白色もあれば淡藍色のものもある。

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写真②のものは白い色をしている。これも寒菊の一種とされている。
私の歌は寒さの中に、けなげに咲く寒菊に寄せて、私の心象を盛ったもので、単なる写生と受け取ってもらっては、困る。

古い俳句を見てみると

   寒菊や粉糠のかかる臼の端・・・・・・・芭蕉

   泣く中に寒菊ひとり耐(こた)へたり・・・・・・・・嵐雪

   寒菊や日の照る村の片ほとり・・・・・・・・蕪村

   寒菊や臼の目切りがぼんのくぼ・・・・・・・・一茶

などの作品がある。
冬の景物には「ものがなしさ」の心象が盛られることが多い。寒菊も、同様である。
以下、寒菊を詠った句を引いておきたい。

 寒菊を憐みよりて剪りにけり・・・・・・・・高浜虚子

 寒菊の雪をはらふも別れかな・・・・・・・・室生犀星

 寒菊や世にうときゆゑ仕合せに・・・・・・・・岩木躑躅

 弱りつつ当りゐる日や冬の菊・・・・・・・・日野草城

 冬菊のまとふはおのがひかりのみ・・・・・・・・水原秋桜子

 寒菊の霜を払つて剪りにけり・・・・・・・・富安風生

 寒菊や母のやうなる見舞妻・・・・・・・・石田波郷

 わが手向(たむけ)冬菊の朱を地に点ず・・・・・・・・橋本多佳子

 冬菊の乱るる色を濃くしたる・・・・・・・・鹿野佳子

 寒菊の空の蒼さを身にまとひ・・・・・・・・渡辺向日葵

 寒菊や耳をゆたかに老い給へ・・・・・・・・越高飛騨男

 冬菊の括られてまたひと盛り・・・・・・・・横沢放川



振り返ることのむなしさ腰下ろす石の冷えより冬に入りゆく・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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  振り返ることのむなしさ腰下ろす
   石の冷えより冬に入りゆく・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
写真①は、私の歌とは何の関係もないが、「腰下ろす石」ということで、ネット上で検索して発見した「義経の腰掛石」というものである。
頼朝に追われて逃げる義経が、休息のために腰かけたとされる石。京都の郊外の山科の京都薬科大学の校内にある。

 ■躓きし石にものいふ寒さかな・・・・・・・・野村喜舟

という句を先に紹介したが、「つまづく」石か、「腰かける」石かの違いはあるが、こういうように、無機物で、しかも自分とは何ら縁故のない、
いわば「路傍の石」というものをも、詩歌の世界では、おのが対象物として作品化することが出来るのである。
私の歌しかり、この野村氏の句しかりである。
「冷たい」とか「冷える」という冬の寒さをいう言葉だが、これらは肌の感覚で捉えた「即物的」な表現である。
「京の底冷え」というが、これは底の方から、しんしんと冷えてくる感じである。
「石」や「水」という無機物は、冷え切ると、物凄く冷たいものである。

 ■なつかしき京の底冷え覚えつつ・・・・・・・・高浜虚子

という句があるが、虚子は南国の四国・松山の人であるから、何かの機会に訪れた京都の底冷えはひどく身に堪えて「記憶」にとどめられたのであろう。
その意識が、この句の表現になっている。

  ■底冷の洛中にわが生家残る・・・・・・・・村山古郷

  ■底冷えの底に母病むかなしさよ・・・・・・・・井戸昌子

これらの人々は京都生まれだということが判る。
寒さが厳しくなると、水や土、室内のものまで凍ることがある。
若い頃に京都の北の「鞍馬」寺の門前の友人の家に泊めてもらったことがあるが、そこは寒くて、朝起きたら、寝ている肩口に粉雪がかすかに積もっていたことがある。
障子の隙間から入ったものである。
家のすぐ裏に谷川が流れていたが、この辺りでは、撃ち取った猪の体は、そのまま谷川にロープでつないで水に漬けて置いておくのだそうである。
いわば天然の冷蔵庫ということだが、そうすることによって猪についているダニなどの虫が死んで、ちょうど都合がよいのだ、ということだった。
今は暖冬化したので、一概には言えないが、京都市内でも、同志社大学のある「今出川」通より北では、比叡おろしの風に乗って粉雪がちらちら降るのが厳寒の常だった。
京都大学のある辺りも今出川通に面しているので、比叡おろしがまともに吹くので寒い。

「凍る」「氷る」「凍(こご)ゆる」「凍(い)てる」などの言葉を使った句もたくさんある。

 ■月光は凍りて宙に停れる・・・・・・・・山口誓子

 ■晒桶古鏡のごとく氷つたり・・・・・・・・阿波野青畝

 ■凍らんとするしづけさを星流れ・・・・・・・・野見山朱鳥

 ■折鶴のごとくに葱の凍てたるよ・・・・・・・・加倉井秋を

 ■馬の瞳も零下に碧む峠口・・・・・・・・飯田龍太

このように「自然現象」をも「人事」つまり人間にかかわるものとして作品化出来るのである。
今日は私の歌をきっかけにして、冬の寒さの表現の言葉を、さまざまに「敷衍」してみた。
いかがだろうか。

花八つ手生き残りしはみな老いて・・・・・・・・・・・・・草間時彦
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     花八つ手生き残りしはみな老いて・・・・・・・・・・・・・草間時彦
  
八つ手の花は冬の今の時期に、ひっそりと咲く。日面ではなく、北向きの蔭のところに植えられていることが多い。
草間時彦の句は、人生の盛りを過ぎた者どもの哀歓を湛えて秀逸である。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、こんな歌がある。

  ひともとの八つ手の花の咲きいでて霊媒(れいばい)の家に灯りつき初む・・・・・・・・・・・・木村草弥

  霊(たま)よせの家のひそけきたまゆらを呼びいださるる幼な子の頃

この「霊媒」とか「霊よせ」ということについては、少し説明が必要だろう。
今では青森県の下北半島の「恐山」のイタコなどに、その名残りをとどめるに過ぎないが、昔と言えば昭和初年の頃までは、こういう「霊媒」「霊よせ」というのが、まだ伝統的に各地に残っていたのである。
大都市では、いざ知らず、私の生れたのは純農村であったから、「あの家は霊媒の家だ」という風に職業としてやっている人がいたのである。
もっとも当時は「神さん」とか「お稲荷さん」とかいう名で呼ばれていた。「コックリさん」という呼び名もあった。
科学的な解明というよりも、神がかりな「加持、祈祷」が幅を利かせていた時代である。

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「八つ手」の木というのは家の裏の日蔭の「鬼門」とかに、ひそやかに植えられているもので、八つ手の花はちょうど今頃12月頃に咲くのである。
そういう冬のさむざむとした風景の中に咲く八つ手の花と「霊よせ」の家というのが合うのではないかと思って、これらの歌が出来上がった、ということである。

八つ手の葉は文字通り八つ前後に裂けていて「天狗のうちわ」という別名もある。

八つ手の花を詠んだ句を引いて終りにしたい。八ツ手の花言葉は「分別」。

 たんねんに八手の花を虻舐めて・・・・・・・・山口青邨

 八ッ手咲け若き妻ある愉しさに・・・・・・・・中村草田男

 一ト時代八つ手の花に了りけり・・・・・・・・久保田万太郎

 遺書未だ寸伸ばしきて花八つ手・・・・・・・・石田波郷

 八ッ手散る楽譜の音符散るごとく・・・・・・・・竹下しづの女

 花八つ手貧しさおなじなれば安し・・・・・・・・大野林火

 踏みこんでもはやもどれず花八ツ手・・・・・・・・加藤楸邨

 花八つ手日蔭は空の藍浸みて・・・・・・・・馬場移公子

 寒くなる八ッ手の花のうすみどり・・・・・・・・甲田鐘一路

 すり硝子に女は翳のみ花八つ手・・・・・・・・中村石秋

 かなり倖せかなり不幸に花八ツ手・・・・・・・・相馬遷子

 みづからの光りをたのみ八ツ手咲く・・・・・・・・飯田龍太

 花八ッ手さみしき礼を深くせり・・・・・・・・簱こと

 どの路地のどこ曲つても花八ッ手・・・・・・・・菖蒲あや

 人に和すことの淋しさ花八つ手・・・・・・・・大木あまり


入江敦彦『秘密の京都』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
秘密

──新・読書ノート──

    入江敦彦『秘密の京都』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・・・・新潮文庫平成20/06/01刊・・・・・・・・・・・

先に紹介した本と同じ著者による「京都本」である。
「まえがき 京都の四季を散歩するなら」を引いておく。
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       秘密の京都


まえがき 京都の四季を散歩するなら


 春は葵橋。水汀に花の集うとき

 花見がしたいんだけど、京都らしい桜の名所ってどこですか?
 そやねえ、やっぱり円山公園あたりがよろしんちゃいますか?
 返事しながら京都人は目が泳ぐ。よそさんから訊ねられる《京都らしさ》ほど京都人を困惑させるものはない。
問いが“京都らしいお寺”なら、金閣寺でっしゃろねえ? と、“京都らしいお菓子”なら、おたべがええんかなあ? と、付加疑問形で答えて曖昧に微笑んでいる。
 がっかりを絵に描いたような質問者の顔が見える。落胆もわかんなくはないけれど、昔はよかった。
よそさんは何の疑問も挟まずに円山で桜を観賞し、金閣寺を回って、おたべをお土産に帰っていったものだ。
《京都らしさ》を発見したがるよそさんはいったいなにを期待しているのだろう。
「それやったら、ええとこがありますわ」と、交通の便がよく人が少なく“京都人だけが知っている”アナ場、カクレ家、
ツウの店に手引きしてもらえると本気で思ってるのだろうか。
 そんな期待に根拠などないが、なんとなく京都にはそういった“秘密の花園”が隠されているような気がしてしまうのもあながち理解できなくはない。
千年の古都的イメージ戦略の成果かもしれない。
またこの都市の住人たちがいかにも腹にイチモツ呑んでいそうな印象なので、よそさんは余計「なんかありそー」と勘繰る。
それゆえありきたりの返答に「なあんだ」と肩を落とすのである。
 しかし、たとえば洛中の春を歩きながら、観光地でもなんでもない場所で、そこらの煙草屋で番をしているジーサンや買物かごを下げているようなオバサンをつかまえて、
こんなふうに訊いてみるといい。
「このあたりに、どこか桜が綺麗なところをご存知ありませんか」。彼ら彼女らは喜んでガイドブックには載っていない情報を提供してくれるだろう。
魔術師のように手をひらめかせ、思いも寄らない景色を出現させてくれるに違いない。
 もし誰かが花の盛りにその質問をしてくれたら……そうだなあ、私なら「葵橋」を挙げるだろうか。
「ついでに近所の『ふたば』で豆餅買わはったらええわ。ほんで食べもって(食べながら)上のほう見てみよし。最高え。
あ、恵方とちゃうし笑わいでもええよ」。
 出雲路橋の向こう、遠くに溶ける北山の稜線。ドラマティックに広い空。空を映す賀茂川の浅い流れ。
洲に枯れ残った葦原から慇懃な足取りで歩み出る五位鷺。そして両岸を覆う庇のように堤防に咲き競う桜、桜、桜の並木。
それぞれのリズムで花陰を散歩する人。ベンチに座って対岸の花を楽しむ人。自転車に乗って肩越しに眺める人。
豆餅の穏やかな甘さと、しっとりしっかりした歯ごたえ、鼻腔を抜ける塩気を含んだ赤エンドウの香ばしさが目の前にある風景と一体となり、
葵橋の上のひとときはきっと忘れられないものになるはずだ。
 葵橋から見渡す桜のパノラマは、町家や社寺といった判り易い記号がないという点で京都らしいとは言えないのかもしれない。
「はんなり」や「雅」といった形容詞とも無関係。ただ、そこには京都人にとって極めて京都を感じる“らしさ”がある。
京都にしかない美が象嵌されている。
そういった京都人にとって京都的な情緒、この土地でしか京都人が感じられない安寧、いわば《京都人らしさ》とでも表現するべき感性を宿した景色を、
他のどんな美観よりも彼らは愛する。
だから、京都人は京都らしさには不案内でも《京都人らしさ》のある場所の情報なら数え切れず持っている。
そして――そして、それを人に教えたいと思っている。
 基本的に京都人は京都に詳しい。マニアといって構わない。ただし彼らの知識はふだん散歩する範囲に限られることも多い。早い話が近所しか知らない。
『オズの魔法使い』のドロシーみたいに「おうち(の辺り)が一番」と信じているのだ。
が、またその自信を裏付けるようなえもいわれぬ美しさが露地の懐に、無名の祠に、路傍の昏がりにさえ何食わぬ顔で息づいていたりするのも本当なのだ。
 さて、私も京都人ではあるが、散歩の範囲がもう少し広い。子供のころから放っておくと際限なく歩いてしまうクセがあった。
なので、くだんの質問を京都駅のあたりでされたら「梅小路公園」などを教えてさしあげることもできる。
 梅小路といえば蒸気機関車館が有名だが、ここには建都一二〇〇年事業のなかで唯一の成功例と公言できる九千平米にも及ぶ池泉回遊式庭園があるのだ。
有料の場所も充分に二百円の価値はあるし、レストラン『ん』も悪くない。
けれど、白眉は東側の大きな芝生広場。周囲が森林風の散歩道になっており、山桜、八重桜、紅枝垂れこき混ぜて配され、なんとも風流なのだ。
暗くなると足元からライトアップされて夜桜も楽しめる。
「やはり野に置け、れんげ草」と同じ理由で、京都人によって丹精され改良が重ねられてきた桜は人間の暮らしに近い環境で、
人間の手で整えられた場所でこそその魅力が増す。
 阪急嵐山線『松尾駅』なども、いい例だろう。
松尾大社そのものも桜の名所だが、プラットフォームを真綿でくるむように咲く花のなかに葡萄茶色の電車が滑り込むさまは夢の中の情景めいて平和である。
遠くに真朱の鳥居が浮かんでいる。この場を去ることを惜しむようにゆっくりと乗降する人々はみんな幸せにみえる。「今宵逢ふ人、みな美しき」か。
法外な値段をふっかけられたので写真が撮れずお見せできないのが残念だ。
まあ、大阪人の電鉄会社だから仕方がなかろう(撮影に立会う阪急社員の交通費を請求されたのは驚いたケド)。
 ともあれ満開の季節だからといって利用客から別料金を取ることは(たぶん)ないだろうから、松尾参詣の際は阪急をお薦めしたい。

(中略)

 京都時間はランダムに流れているので相対化が難しい。具体的には京都人の“食”による季節認識などが理解しやすい例かもしれない。
 江戸っ子が初鰹を食べて初夏を寿いだように、旬の食材で季節を感じるのは全世界共通。
だが、京都人はこの数が異様に多い。
さらにはそこに元旦の雑煮や端午の節句の粽といった儀式的に暦の役割を果たす味覚が加わり、まさしく京都は食によって時間が移ろう。
つまり折々の恵みを舌に乗せることによって京都人は四季を感じるだけではなく能動的に季節を決定するのである。
 ゆえに「去年は夏がなかったわ。鱧、食べへんかったもん」なんて勝手なことを言う京都人がいてもおかしくない。
もし天変地異かなにかで、ある夏に鱧が一匹も捕れなかったとしたら、その年、京都時間では夏は存在しなくなってしまう。
実は鱧という魚は秋でも大変に美味なのだが、そんなこたカンケーないのである。
 まあ夏は鱧でなく加茂茄子やわらび餅で降臨させることも可能だが、京都人が秋を迎えるには何を措いても栗を食さねばならぬ。
そして最高の秋をと願うなら迷わず『中村軒』へ行くことだ。
 壺庭が美しい中村軒は、桂離宮から川沿いに歩いて三分もかからない。
一年のほとんどを京都で過ごしていた頃は節目節目に伺って、こちらでその季節を迎えるならいだった。だが、とりわけ秋は頻繁になった。
まだ夏の気配が残る時期に、落し文、菊慈童、月見だんご、うさぎ薯蕷。秋たけなわに栗もち、栗ちゃきん、栗大福、栗あんころ。
冬が兆すころ、栗むし羊羹、柿羊羹、黒豆大福、亥の子餅。少なくとも三度は中村軒の和菓子を味わい、京都時間で季節の深まりゆくを追っていた。
 むろん、いちどでもここの栗ちゃきんを口にすれば、それに秋を招喚するだけの力が秘められていることは誰にでも納得できる。
時代のついた黄瀬戸みたいにしっとりした栗餡を口にふくめば、それはさらりとほどけ、暖かな甘味がふわり広がる。
遠くの焚き火の煙が風の悪戯で届いたように、絞ったあとに軽くつけられた焼き目がふと香ばしく鼻先を掠める。
目を閉じれば、ついさっき見た桂離宮外苑の綾錦が浮かぶ。「あ、いま、秋が来た」。きっと誰もが実感するだろう。
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この人の文章は名文である。 そりゃ、エッセイストと自称するからには当然だろうか。
この本には「洛北を歩く」とかの項目ごとに綺麗な写真が挟んである。ヴィジュアル的にも読んでいて楽しい。

「目次」

まえがき 京都の四季を散歩するなら
洛北を歩く
洛西を歩く
洛中を歩く
洛東を歩く
洛南を歩く
あとがき リアリティの歩き方
所在地リスト
解説 酒井順子

ところで、この人の名前のローマ字表記の仕方だが、ヘボン式ではなく「Ilye Athico」 になっているのに気づかれただろうか。
ヘボン式ローマ字では、外国人は正しく発音してくれないからである。
日本人でも「あ・つ・ひ・こ」と、一字一字区切って発音することはない。日本語は「子音と母音」で一つの発音になっている、というのは誤解である。
彼が「敦」を「At」と表記しているのには感心した。「彦」も「hico」である。私も英語には詳しくはないけれど、この表記の仕方には教えられる。
ただし、フランス式ならば、当然、別の表記になることを了承されたい。
蛇足だが、書いておく。


ポインセチア愛の一語の虚実かな・・・・・・・・・・・・・・・角川源義
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   ポインセチア愛の一語の虚実かな・・・・・・・・・・・・・・・角川源義

掲出した角川源義の句は、「愛」と呼ばれる言葉に含まれる諸々の諸相を「虚実」と表現していて秀逸である。
この人は一代で角川書店を築いた人である。「愛」の遍歴でも有名だが、また後日に書きたい。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも、こんな一連の歌がある。

   ひととせを描ける艶(ゑん)の花画集ポインセチアで終りとなりぬ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   ポインセチアの一鉢に似て口紅を濃くひく妻は外出もせず

   あかあかと机辺を光(て)らすポインセチア冬の夜長を緋に疲れをり

という歌が載っている。

ポインセチアは学名をEuphorbia pulcherrima というが、原産地は中央アメリカ──メキシコである。赤い花の部分は正確には苞(ほう)である。
品種改良がすすみ、多くの花があるが写真②は2003年に産出されたばかりの「アヴァンギャルド」という新品種。

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あと二つほど色違いをお見せするが、私などにはポインセチアと言えば、やはり「真紅」のものが好ましい。
すっかりクリスマスのシンボルのように扱われているポインセチアだが、その歴史は、こんな経緯である。
むかし、メキシコにアズテク族というインディアンが住んでいて、生活の中で、この植物を上手に利用していた。苞から赤紫色の色素を採り、切った時に出る白い樹液からは解熱作用のある調剤が作られた。現在のタスコ(Taxco)付近の地域を起源地とするポインセチアはインディアンにCuetlaxochitlと呼ばれて、その輝くような花は「純粋性のシンボル」とされていた。
17世紀に入り、フランシスコ修道会の僧たちが、この辺りに住み着き、その花の色と咲く時期から「赤はピュアなキリストの血」「緑は農作物の生長」を表していると祭に使われるようになった。
1825年、メキシコ駐在のアメリカ大使Joel Robert Poinsett氏(1779-1851)は優れた植物学者でもあったため、アメリカの自宅の温室から植物園などへポインセチアが配られた。「ボインセチア」の名はポインセット氏の名前に由来する。
1900年代はじめから、ドイツ系の育種家アルバート・エッケ氏などの尽力で、市場向けの生産などがはじまった。
ポインセチアは「短日性」の植物で、1日のうちで夜のように暗い状態が13時間以上になると開花する。
写真③④はマーブルとピンクの改良種である。

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歳時記に載る句を少し引いて終りにしたい。

 小書斎もポインセチアを得て聖夜・・・・・・・・富安風生

 ポインセチア教へ子の来て愛質(ただ)され・・・・・・・・星野麦丘子

 時計鳴り猩々木の緋が静か・・・・・・・・阿部筲人

 ポインセチア愉しき日のみ夫婦和す・・・・・・・・草間時彦

 ポインセチアの色溢れゐる夜の花舗・・・・・・・・宮南幸恵

 ポインセチアや聖書は黒き表紙かな・・・・・・・・三宅絹子

 ポインセチア独りになれ過ぎてはならず・・・・・・・・鈴木栄子

 ポインセチアその名を思ひ出せずゐる・・・・・・・・辻田克己

 ポインセチアどの窓からも港の灯・・・・・・・・古賀まり子

 星の座の定まりポインセチアかな・・・・・・・・奥坂まや

 ポインセチア画中に暗き聖家族・・・・・・・・上田日差子

 寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ・・・・・・・・小路智寿子

 休日をポインセチアの緋と暮るる・・・・・・・・遠藤恵美子

 ポインセチア抱いて真赤なハイヒール・・・・・・・・西坂三穂子



入江敦彦『イケズの構造』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
いけず

──新・読書ノート──

     入江敦彦『イケズの構造』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 
                  ・・・・・・新潮文庫平成19年初版平成23/02/10三刷・・・・・・・   

「京都本」だが、著者の入江敦彦とは、こういう人である。
   <1961年京都市西陣、髪結いの長男に生まれ、機の音に囲まれて育つ。
    多摩美術大学染織デザイン科卒業。1991年渡英、ロンドン在住。エッセイスト。
    主な著書として、生粋の京都人ならではの視点と鋭い筆致で京都の深層を描き
    話題を呼んだ『京都人だけが知っている』シリーズをはじめ、『イケズの構造』
    『秘密の京都』など。ほかにも英国の文化と生活に関する著作も多数。>

新潮社のホームページに載る紹介記事を引いておく。
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       イケズの構造

     誘って、拒んで、迷わせる……ほんまにイケズな京のひとびと
     よそさん、イケズに出会う

 京都の暖簾をくぐると、そこにはかならずイケズが待ち受けている。と、よそさんはいいます。
 が、果たしてそれは真実でしょうか。
 
■老舗編
 創業ン百年という笄屋さんへ、英国の女友達にあげるプレゼントを買いに行ったとき、
ちょうどそこのご主人が若い女性客へにっこりと最後通告を言い渡しているのに行き当たったことがあります。
「申し訳ありまへんなあ。うちにはお宅さんに売らせていただけるようなもんは置いてへんみたいですわ。また、なんぞの際に寄っとくれやす。おおきに」
 彼女が店を辞したあと思わず吹き出してしまった私に、彼は困ったような笑顔で話し掛けてきました。
「誰ぞに頼まれはったとかでおいやしたんやけど、さっぱり要領を得えしまへんのですわ。
梳かはるんか結い髪に飾らはるんか、自宅で使わはんのか携帯用か、柘植か塗りか。欲しがったはる人の趣味もようわからん言わはるし。
しまいには三千円くらいで適当に何でもええて明後日向いたはるさかいね。すんまへんけどて申し上げたんです」。
 きっと、くだんの子はイナカに帰ってから櫛の依頼人と一緒に「やっぱ、京都ってちょーイケズ」と憤慨するんでしょうね。
「信じらんないよねー。売ってくれないんだよ!」とか愚痴っているに相違ありません。
でも、どう考えたって私には店に非があるとは思えない。
どころか「その先の百円ショップにプラスチック製のがありまっさかい、それにしとかはったらどないです? ご予算で三十本買えまっせ」
くらい言ってやっても全然オッケーですね(彼女には、いっそそのほうが親切に感じられたかもしれません)。
そんなふうに思うのは私が京都人だからでしょうか。
それとも「お客様は神様」的対応から外れたら、それはもう、シキタリに縛められた特異な世界=イケズに分類されてしまうのでしょうか。
 客によって売り物を売らない。これは京都に来たよそさんが遭遇する確率の比較的高い出来事です。
むろん本当にナイ袖は振れナイだけの場合もありますが。
「たったいま売り切れてしまいましてん。すんませんねえ」「ちょうど品切れしてるんですわ。こんどはいつでけるかわかりまへん」
 とやんわりお断りする。
これは「相応しくない」と判断した客から自分たちの扱う商品を護るための手段であり、
本当に必要としてくれているお得意様のためにそれらを確保する方法論でもあります。
バブルの頃、群がる日本人客(よそさん)に向かって商品を床にばら撒き漁らせたパリのブランド店があったそうです。
それに比べて京老舗のなんと奥床しいことでしょう。
  
■訪問編
 数々のシキタリを体で覚えてゆくなかで、販売拒否の次によそさんたちが出会うのが《誘惑のイケズ》です。
早い話が「ぶぶづけ」のバリエーションですね。
「ぶぶづけ」自体は前述したように幻のイケズですが、これに類する“本意でない接待”はあらゆる場所で奈落の口を開けています。
それらに足を突っ込まないように歩くのは骨の折れる作業。
好意の見極めは恋愛というシチュエーションでなくとも失敗すると怪我します。要は距離感とバランス感覚なんですけどね。
 商家が基本のこの街では、ごく最近まで鍵をかける習慣がありませんでした。夏ともなれば玄関は開けっ放し。
そして、そんな物理的な敷居の低さが手伝ってか、彼ら彼女らは些細なことで実に頻繁に行き来します。もちろんアポなし。
けれどまた、それゆえに京都人は「ぶぶづけ」を出されないよう訪問や辞去のタイミングに細かく気を配るようになります。
もちろんその背景には、子どもの頃からの経験の積み重ねがあります。京都人は相手が幼いからって無礼や不躾を容赦しませんからね。
みんな辛ぁーい“ぶぶづけ”を啜りながら人間関係の機微を学んでゆくのです。

「取材先でコーヒーを勧められて、お願いしたんですけどいつまで待っても出てこなかったんですが、これってイケズですか」と、
インタビューを受けたライターさんから訊ねられて困ったことがあります。
ものを書く仕事をしていても近頃は情況を分析して的確に捉える作業なんてしないんですねえ。
 相手が忙しそうかどうか。相手のステイタス。どのくらいの時間を割いてもらったのか。取材の時間帯。取材中の雰囲気。
コーヒーは出前になるのか、その場で淹れるのか。ご挨拶なのか厚意なのか。自分が好かれているかどうか。相手に関する知識がどれくらいあるのか。
これからの付き合いは存在するのか。両者に利害関係はあるのか。あるなら、その程度はいかばかりか。取材のギャランティは発生しているのか。
誰か仲介者があったのか。アポのときの様子はどうだったのか。どんな文脈で「コーヒー」という言葉が登場したのか。
なにより、どんな言い方だったのか。そういう情報がなければ判断のしようがありません。

A ただ単に「コーヒー飲まはりますか」と言われたのか。
B あるいは「そない急かんでもコーヒーなと一杯あがっておいきやす」か。
C それとも「喉渇きましたなあ。コーヒーでもどないです」だったのか。
D もしくは「コーヒーでよろしか」と訊かれたのか。
 仮に、初対面に近い京都人があなたというよそさんにコーヒーを勧めるとしたら、その表現は大きく分けて以上四つのバリエーションに分かれます。

 もしAならば、ただの挨拶の可能性が高いです。ほぼ無意識ですからコーヒーがやってくることは、まずありません。
「おはようさん。どこ行かはんの」と声をかけた京都人が期待してる返事は「ちょっとそこまで」であって詳しい日程ではありません。
あなたが答えるべきは「へえ、おおきに」。そう口にしておいて頃合を見計らい暇を告げるのが定石です。
もし、これが会話を始める前のオファーなら言葉通りの質問。それでいてコーヒーが運ばれてこなければイワズモガナでしょう。
手際よく切り上げる必要があります。

 Bも挨拶の一種なのですが、これは京都人の悪癖でもありますね。
あなたは絶対に「いや嬉しいわあ。そやけど、そんなん結構です」と遠慮せねばならないのですが、いっぺんくらいでは許してもらえません。
「なんでですのん。よろしやん」「コーヒーお嫌いやったら紅茶にしまひょか」「もう淹れかけてまっさかい。な」と執拗です。
しかしどんなに執拗でも断り続けねばならぬ蟻地獄のような、これは風習なのです。
京都人ですらいい加減鬱陶しいと思っています。が、やめられない。
「これはぶぶづけで言うてるのんとちゃいまっせ」とまで迫られても固辞が原則。当然ながらコーヒーの出る幕はナシ。

 怖いのがC。なぜならこの台詞は京都人にとって精一杯のストレートな「撤収!」の合図。
この台詞には脊髄反射で鞄を抱え直さねばなりません。
喉渇きましたなあと“疲れ”を強調したうえで訊ねるのは、辞退してくれというメッセージだからです。しかもコーヒーでもといっている。
このでもは「なんでもええし」と突き放すでも。あとには無言の「ちゃっちゃと済ませとくれやす」がついています。
「こんど時間のあるときに、また呼ばれまっさ」と席をたちましょう。

 唯一誘いに乗ってもよさそうなのがDです。
(後略……この先は本書でおたしかめください)
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「京都人」と付き合うのは難しいですぞ!!!
では、続編をお楽しみに。



黒猫に白毛混じりて猫にくる老いをながむる感動はあり・・・・・・・・・・・・・・高田流子
k0655黒猫

──<猫>の歌いくつか──

    ■黒猫に白毛混じりて猫にくる
        老いをながむる感動はあり・・・・・・・・・・・・・・高田流子


私は猫は嫌いなので飼ったことがないが、この歌は、黒猫も老いると白毛混じりになる、という理(ことわり)を面白く、かつ諧謔的に歌にしてある。
この一連に載る歌を、もうふたつ挙げておく。

   ■猫の歳十四はすでに大婆と言ひやればばたり床にたふれる

   ■秋の夜の膝にきたれる黒猫と白髪多きをともに嘆きぬ・・・・・・・・・・・・・高田流子

長年、生活を共にして来たので、この猫は「人語」を解するらしい。この歌も愉快である。
この作者は「年譜」によると昭和15年生まれとあるから、さほど老齢ということもないが、女の人にとっては「白髪」というのは、嫌なものらしい。
猫に向って「お前も白髪が目立つようになったわね」と呟く様子が見えるようである。
「描写」というものは、かくあらねばならない。

私の方の家は猫どもの「通りみち」になっていて、臭い臭いおしっこはするわ、ぐんにゃりとしたウンコをするわ、で大被害なので、猫を可愛がる人の気が判らない。
こんな歌がある。

     ■五日まり行方不明の親猫が霧ふかき朝鳴きつつ帰る・・・・・・・・・・・・関根栄子

この猫は、恐らく交尾期の盛りの時期だったのではないか。
この時期の猫の狂ったような嬌声は安眠妨害である。私はバケツに水を張ったものを用意しておいて、やかましい猫の叫び声がしたら窓からぶっかけることにしている。

     ■立ちどまり現在位置をたしかめて方向音痴のわが猫がゆく・・・・・・・・・・・西海隆子

「犬は人につき、猫は家につく」と、よく言われることである。この歌のように、方向音痴の猫が居るのであろうか。

     ■この電車地下を這ひつつゆくからにうかがふやうな猫の形だ・・・・・・・・・・・池田はるみ

この歌は直接には電車を詠っている。這う形の猫の姿勢のようだ、という比喩になっている。

     ■隣家はこぼたれ小さき闇となり麻布猫族夜な夜な集う・・・・・・・・・・・・千家統子

     ■だれにでも抱かれるわたしのネコはもうわたしのネコであるはずはなく・・・・・・・・・・武藤雅治

「猫」の歌をよく目にすると思っていたが、こうして選り出してみると、なかなか見つからないものだ。
この辺にする。



とぢし眼のうらにも山のねむりけり・・・・・・・・・・・・木下夕爾
001冬景色本命

      とぢし眼のうらにも山のねむりけり・・・・・・・・・・・・木下夕爾

「山眠る」という季語についてだが、春の山は「山笑ふ」、秋の山は「山粧ふ」と擬人法で言うが、冬の山は「山眠る」と言う。
しずかに枯れて、動きのない様子を表している。
『臥遊録』に「冬山惨淡として眠るが如し」とある。この表現を紹介して『改正月令博物筌』という本に「春山淡冶トシテ笑フガ如シ、夏山蒼翠トシテ滴ルガ如シ、秋山明浄ニシテ粧フガ如シ、冬山惨淡トシテ眠ルガ如シ」と書いたあと「冬の山はものさびしうて、しづまつたこころなり」と釈している。
また「山笑ふ」「山粧ふ」「山眠る」の三つを季語に用いて、夏の「山滴る」を季に用いないのは、「俳の掟」だとしている。その当否は別にして、ともあれ冬山の印象の形容である。
この季語を用いた句を引くと

   ■大いなる足音きいて山眠る・・・・・・・・前田普羅

の「大いなる足音」というのは、大自然という畏敬の対象である「季節の歩み」ということであろうか。
そうだとすれば、まことに大きな句意の句であると言える。

   ■眠る山或日は富士を重ねけり・・・・・・・水原秋桜子

この句の趣も壮大なものである。
眠る山に富士山を重ねて想起する、というのであるから何とも大きい句と言うべきだろう。
はじめに掲出した夕爾の句にも、あるいは富士山を重ねることも出来ようか。

   ■水べりに嵐山きて眠りたる・・・・・・・・後藤夜半

この句の場面は京都の嵐山である。
大堰川(保津川)の水辺に対岸の山(嵐山)が映って眠っている、という景である。せせこましくない、大らかな俳意の句である。

   ■山眠る最中(もなか)に我を現じたる・・・・・・・・松本たかし

この句は眠る山に、生臭い、生身の人間を置いたところに「配合」の妙がある。
「現じたる」の「現」=うつつ、である。人間の生きる「うつつ」には、さまざまの魑魅魍魎の跋扈する「現し世」があるのである。

   ■山眠る大和の国に来て泊る・・・・・・・・山口青邨

「大和は国のまほろば」と称せられるところであり、古い神々が鎮座するところでもある。
冬の大和は、まさに「山眠る」というにふさわしい邦(くに)ではないか。
おそらく作者の心の中に去来するものは、そういう心情であろうと推察される。

   ■硝子戸にはんけちかわき山眠る・・・・・・・・久保田万太郎

この句の「山」がどこかは判らないが、この句は、また何と人間臭い句であろうか。
山に向かって開いた窓のガラス戸にハンケチが干されている、という景である。前夜から干されていたのか、ガラス戸のハンケチが、もう乾いている、というのである。
万太郎は、こういうささやかな人事の匂いのする句に秀句がある。

   ■眠りつつ山相怒る妙義かな・・・・・・・・轡田進

「眠る山」は、どこでもよいが、この句の場合には「妙義山」と特定されている。
浅間、妙義辺りの山は活火山で、時折はげしく「怒って」噴火したりする。この句は、そういう事実を踏まえているのは確かだろう。
こういう「地名」の喚起力というものがあり、うまく固有名詞を使うと、句に現実味が出て強い句が出来る。


しばらくはその香に酔ひてをりにけり晩白柚風呂に浸るひととき・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    しばらくはその香に酔ひてをりにけり
       晩白柚風呂に浸るひととき・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
この歌の前に

  賜ひたる晩白柚まろく大きかり男手借りてむき分かちたり・・・・・・・木村草弥

という歌が載っているが、晩白柚を下さったのは「コスモス」の古参の安立スハル氏である。

写真①は贈答用箱に鎮座した晩白柚(ばんぺいゆ) 。
この果物は、一般に知られる赤い実のザボン(白柚)の一種で、その実は淡い黄緑色である。
柑橘類の中では最大級で直径は20~25センチ、重さは1.5~2.5㎏にもなる。
原産地はマレー半島。白柚より完熟期が遅いことから晩生白柚→晩白柚と命名された。
発見者は、当時の台湾の農業技師で植物研究家の島田弥市氏である。
晩白柚の父として知られる同氏は熊本県八代郡東陽村の出身で、同村を全国有数のショウガ産地に育てて「ショウガの父」としても知られる他「ポンカン博士」としても有名で、
その生涯を植物研究に燃焼し尽くした人である。

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写真②には、晩白柚の大きさを示すために手に持った人物の顔と対比してもらいたい。
晩白柚の産地の八代地方は、かなり以前からザボンが栽培されていたが、晩白柚は熊本県果樹試験場を経て、一般農家にも広まるようになり、独特の香りと柔らかな食味を持つことから、昭和40年代に入ると急速に栽培量が多くなった。
現在では、昭和52年にハウス栽培に成功して以来、露地よりも1カ月以上早く収穫できるようになり、正月前に出荷できるので、お歳暮やお年始に引っ張りだこ、という。

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写真③はハウスの中に整然と並ぶ収穫された晩白柚の壮観さである。

掲出した私の歌のように、香りが爽やかなので、皮を風呂に入れると絶妙の晩白柚風呂になる。
柑橘類特有の果油によって肌がツルツルになる。柚子湯のデラックス版と考えてもらえばお判りいただけよう。
私の歌のように皮を剥くのも一苦労で、力の強い男手が必要である。
身の味は、やはり酸味が強いので、実のまま玄関などに飾って鑑賞してから熟するのを待って食味すると、おだやかな酸味となる。
晩白柚のもてはやされ方をみると、食料の不自由な時期には見向きもされなかったかも知れないと思われる。
世の中に物が満ちあふれ、少しでも変わった贈答品を、という時代になって、もの珍しさも手伝って今日に至っているように見える。
安立氏が、これを下さったのは、もう数年も前で、以後、安立氏は帯状疱疹でお苦しみで、歌壇との交際も断っておられ私にも音信がなかったが、
音信不通のまま2006年春にお亡くなりになってしまった。
安立氏は、私を歌の道に導いて下さった恩師であった。


(転 載)週刊・川柳時評「2012年・川柳作品ベストテン」・・・・・・・・・・如月和泉
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──新・読書ノート──

 (転 載)週刊・川柳時評「2012年・川柳作品ベストテン」・・・・・・・・・・如月和泉

私の敬愛する川柳・連句作家であり怜悧な批評家である小池正博氏のサイト週刊「川柳時評」2012年12月14日号に載ったものを、そのまま転載する。
なお如月和泉とは同氏のペンネームである。
文章を読みやすくするために、段落や「点罫線」などを補ったので了承されたい。 (草弥)
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     2012年・川柳作品ベストテン

今年発表された川柳作品の中から秀句10句を選んで、簡単なコメントを付けてみたい。
もとより私の読んでいる限られた範囲の中で選んでいるので、客観性もなく極私的なものであることを御断りしておく。

   想い馳せると右頬にインカ文字・・・・・・・・・・内田万貴(第63回玉野市民川柳大会)

時空を越えた過去のできごとに想いを馳せる。たとえば、インカ帝国の滅亡。
スペイン人によって略奪され滅ぼされたインカの都。パチャカマの落日。さまざまなイメージが連想される。
けれども、この句は恋句としても読める。恋しい人に想いを馳せると、右頬に秘められた想いが文字となって浮かび上がってくるのだ。
もちろん、それはインカ文字だから簡単には読めない。ひそかに解読されるのを待っている。
ここで私はふと歴史の知識を思い出す。確かインカには文字がなかったはずではないか。
縄をくくってあらわす縄文字というのは聞いたことがあるが、インカは無文字社会なのだ。
そうするとインカ文字そのものが虚構に思えてくる。右頬に浮かんだのは何だろう。

   ぎゅうっと空をひっぱっている蛹・・・・・・・・・・加藤久子(「MANO」17号)

昆虫の蛹にはいろいろなタイプがあるが、蝶の蛹はおおむね草木に二本の糸を張って固定されている。
そうでないと羽化するときにきちんと殻から抜け出して成虫になれないのだ。
そのような蝶の蛹はまるで空を引っ張っているように見える。
仙台在住の加藤久子は東日本大震災で被災した。この句にはその体験が反映されているようだ。

   短律は垂れる分け合う空の景・・・・・・・・・・清水かおり(「川柳カード」創刊準備号)

タの音の繰り返しが律を生みだしている。
「垂れる」「分け合う」の動詞の繰り返しに一瞬とまどうが、「短律は垂れる/分け合う空の景」という二句一章と読むとすっきりする。
「分け合う」というところに一句の主意があると読んだ。
川柳のフィールドで詩的イメージを書くことの多い清水が珍しく主情的になっていることに少し感動したりする。

   キリンの首が下りてくるまでここに居る・・・・・・・・・・佐藤みさ子
                    (大友逸星・添田星人追悼句会・平成24年3月11日)

「低い」という兼題に対して「キリンの首」をもってくる。キリンの首は高いところにあって、いつまでもそのままかも知れない。
けれども、「私」は低いところに居る。そこが自分の居る場所だからだ。キリンの首は下りてくるだろうか。
別に下りてこなくてもいいのだ。「私」は「私」なのだから。

   静脈注射静脈を避けて刺す・・・・・・・・・・井上一筒(「ふらすこてん」22号)

悪意の句である。静脈注射なのに静脈を避けて注射して大丈夫なんだろうか。
注射する側の視点に立つと、相手に致命的なダメージを与えるほどではないからストレス発散になるかも知れない。
気づかれ咎められても、ちょっと失敗しましたと言えばいいのだろう。
注射をされる側から事態を眺めてみると、この看護師の注射は大丈夫だろうかと思うことはよくある。血管に空気でも入れられたら大変である。
この句、医療の場面を外れても通用するところがある。実際に行為に移さなくても人は頭の中でこの程度のことは考えているものである。

   遠雷や全ては奇より孵化をした・・・・・・・・・・きゅういち(「ふらすこてん」23号)

遠くで雷が鳴っている。「全ては奇より孵化をした」という認識がある。
俳句の取り合わせの手法を取り入れつつ、断言の強さは川柳人のものである。
「奇」は「奇妙」「奇人」「奇跡」「奇貨」などさまざまな語が考えられるが、ここではマイナス・イメージではなく、プラス・イメージでとらえられている。
虫や鳥が卵からうまれるように、すべては「奇」から生まれるのだと。即ち、川柳も「奇」から生まれるわけだ。

   マンドリンクラブで憩うモモタロー・・・・・・・・・・くんじろう(「川柳カード」創刊号)

(問い)桃太郎は鬼退治をしたあと、どうなったのでしょう。
(答え)マンドリンクラブで憩っているところですよ。
けれども、主人公はあの桃太郎ではないかも知れない。モモタローという別のキャラクターかも知れないのだ。
だから犬・猿・雉も見当たらない。このモモタローは萩原朔太郎のようにマンドリンが好きなのである。

   紫の天使突抜六丁目・・・・・・・・・・佐々馬骨(「ふらすこてん」句会・平成24年1月7日)

「天使突抜」は「てんしつきぬけ」と読むのだろう。
紫の天使が六丁目を突きぬけていった?
「天使突抜」という町名は京都に実在するという。地図で見ると三丁目・四丁目はあるが六丁目はない。
「天使突抜六丁目」とは山田雅史監督の映画のタイトルである。存在しない異界に迷い込む話。
さて、この日の句会は「紫」という題だった。兼題と映画のタイトルを結びつけるところに馬骨の機知があった。

   正方形の家見て帰る女の子・・・・・・・・・・樋口由紀子(「川柳カード」創刊号)

「正方形の家」というものがあるのかどうか分らないが、その家の前まで来た女の子がただその家を見ただけで、その家の住人に会うこともなく帰ってゆく。
「見て帰る」は外側から見ただけで中へ入ることもなく帰る、というふうに私には受け取れる。
女の子はその家の中には入れなかったのである。そもそも「正方形の家」などは嫌いなのである。
ゆがみやいびつのない「正方形の家」なんて面白みがないのである。
読者はこの「女の子」の視点に同化する。
ポール・デルボーの絵では駅で汽車を見ている女の子の後ろ姿がよく描かれている。絵を見る者は後ろ姿の女の子に同化しているのだ。

   血液は鋭く研いだ鳥の声・・・・・・・・・・石部明(「川柳カード」創刊号)

石部明の最後の作品のひとつ。
静脈瘤破裂をくり返し、闘病を続けた彼にとって、この句の認識は痛切なものであったろう。
けれども、石部は体験をナマのままではなく、完成された作品として提出した。
血液からは鳥の声が聞こえる。それは病のためではない。
川柳の血が鳥の声をあげさせるのだ。
石部明の言葉の切れ味は最後まで衰えなかった。

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如月和泉 プロフィール

本名・小池正博。川柳人・連句人。
句集にセレクション柳人『小池正博集』『水牛の余波』(邑書林)
評論集に『蕩尽の文芸―川柳と連句』(まろうど社) がある。


冬山を仰ぐ身深く絹の紐・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本眸
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──冬山女流三態──

  ■冬山を仰ぐ身深く絹の紐・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本眸

冬の山は、草木が枯れて、しーんとしずまりかえって眠っている。枯れ山であり、雪を積もらせていれば雪山となる。
今では冬山登山やスキーが盛んになって、冬の山の中には、却って冬に賑やかになる山もある。
昔は、一般人は、冬には山には入るものではなく、眺めるものだった。だから「遭難」とかいうものは無かったから

   心隈なくぞ覚ゆる冬の山・・・・・・・・才麿

   めぐりくる雨に音なし冬の山・・・・・・・・蕪村

   あたたかき雨にや成らん冬の山・・・・・・・・召波

など、静かな、澄んだ、なごやかな冬山が詠われてきたのが多い。
掲出した岡本眸の句は、どこの山か知らないが、白く雪の積もる山を眺める温泉か何で、身支度をする景を詠んでいる。
句には何も書かれていないが、句の言外に漂う雰囲気が何となく「艶っぽい」ものである。
こういう句は「女句」と言うべく、男には作れない領域である。
静かなとは言っても、やはり「厳しい」冬山である。それに対比して、たおやかな女体を配するという作句の妙、とも言うべきものを的確に表現された秀句と言えるだろう。

 ■この雪嶺わが命終に顕ちて来よ・・・・・・・・橋本多佳子

という句があるが、これは晩年の作品であるが、一点の汚れもない白亜の雪嶺を前にして多佳子は心洗われる想いがしたのだろう、命終の際には山容を見せてほしい、というのである。
彼女の句には、また

    箸とるときはたとひとりや雪ふり来る・・・・・・・・橋本多佳子

というような、夫に先立たれた、たよりなげな女身の不安な心理を詠った優れた句もある。

季語には「冬の山」「冬山」「枯山」「雪山」「雪嶺」「冬山路」などがある。

 ■冬山のさび藍色のこひしさに・・・・・・・・細見綾子

この句も女流ならではの句というべきだろう。男ならば山「恋しい」とは詠わないだろうと思う。
彼女にとっては、何かの思い出が、かの山にはあり、特に冬山の「さび藍色」に想いが籠っているとみるべきだろう。
この人は俳人の沢木欣一の夫人である。今の季節の句を引くと

    雪渓を仰ぐ反り身に支へなし・・・・・・・・細見綾子

という佳作もある。
今日は、岡本眸の句を皮切りにして、女流の目から見た「冬山」の句を中心に書いてみた。いかがだろうか。
冬山を前にしても「人事」の艶っぽさを滲ませた「女句」の冴えを鑑賞してみて、寒い季節ながら、ほのぼのとした肌の温もりみたいなものを感得したことである。

柿沼徹詩集『もんしろちょうの道順』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
もんしろ

──新・読書ノート──

     柿沼徹詩集『もんしろちょうの道順』・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・・思潮社2012/06/30刊・・・・・・・・・

この詩集は、先に採り上げた柴田千晶の詩集とは真反対の、ささやかな、静かな、短い詩篇である。
この本の題名になっていると思われる詩を、先ず引く。


       もんしろちょう

    もんしろちょうは
    不可解な過去をもっている

    蛹

    もんしろちょうには
    もんしろちょうではなかった過去がある
    切って落とされたかのように
    あとかたも残っていないが

    青虫
    卵

    ヒメジョオンの咲く空き地のなかで
    一羽のもんしろちょうが いっしんに
    ヒメジョオンのあたりを舞っている

    それは立ち止まることとはちがう
    考えることとはちがう
    語りかけることとはちがう
    それは流れることですらない

    切って落とされたような
    白い今が
    ひらひらと宙に浮いている

    ビルの谷間の、人目につかない
    この空き地のなかで
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       やり方

    蟻には蟻のやり方があるから
    土を這い、茎をつたわり
    土を這い、触角で伝え合う
    お互いの名前を知らないままに

    枝には枝のやり方があるから
    土の上に微細な影を作っている
    ときおり風が吹くと
    影をゆする
    だれかへの合図みたいに

    不意に名前を
    ひとつの名前を思い起こす
    その人がいなくなったあとも
    空気がゆっくりとながれている
    だれも残つていない校庭に
    用水路の水面に……

    石ころには石ころのやり方があるから
    いつのまにか道ばたに落ちている
    なにひとつ言わず
    蹴られると
    自分の音をたてて転がる
    そして動かなくなる

    私たちは
    名前を呟くことができる
    二度と会うこともないので
    名前のまえに立ってみる
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       しわくちゃ

    もうだいぶ歩いたのに
    医師のひと言ふた言が
    頭の中で
    わんわんと鳴っている
    どこまで来てもこの道路は
    ありふれた商店街に沿っている
    背後から
    母の相貌が追ってくる

    赤信号で
    従順に停止する自動車たち
    夕方の空には
    疵ひとつ見あたらない

    こなごなに砕けずに整列して
    バスを待つ人びとの顔があった
    石塀の上で
    夥しいツボミが
    色を滲ませ
    いっせいにこちらを見つめている

    なぜそこにあるのか
    かたちを整えたまま壊れないのか

    バスがやってくる
    へッドライトの
    しわくちゃな光が
    こちらに向かってくる

    わたくしの両目にへばりつこうとして
    みるみる迫ってくる
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    とおい煤煙のように
    木立がけぶっている

    私のいない場所に
    行ってみたい

    記憶の外から
    太陽が照りつけてくる
    山裾の段々畑の
    畝と畝のあいだ

    言葉のない昼夜を
    知り尽くした下草たちの戦い
    だがとおい煤煙のように
    木立はけぶっている
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この詩集には全部で24篇の詩が載っているが、みんな、こういう感じの詩である。
作者は1957年、東京都北多摩郡生まれ。 今までに三冊の詩集を出しているらしい。

この本の出版社である思潮社の発行する「現代詩年鑑2013」に「詩と空間について」と題して阿部嘉昭が書いている。

<詩には「哲学詩」と呼ぶべきジャンルがあるように思う。
著名な例ではまど・みちおの詩篇「りんご」をイメージできるが(中略)今年はそうした哲学詩集に二冊の目覚ましい成果があった。
柿沼徹『もんしろちょうの道順』(思潮社)と大橋政人『26個の風船』(榛名まほろば出版)。前者には樹木と自身の対峙が顕著だ。
だが詩篇「敵」の冒頭、
《とおい煤煙のように/木立がけぶっている//私のいない場所に/行
ってみたい》は樹木との対話を超えて、読み過ごせない恐
怖をも喚起する本質的なフレーズだった。そう、「私のい
ない場所に/行」くことはありえないのだ。場所に行くこ
とはたえず不自由にも「私」を伴うから。ところがそうい
う場所への志向がたしかにあって、想像裡に無化された
「私」は指標となった空間と事物に「けぶり」を感覚する
しかない。それはきっと時間の「けぶり」だろう。いずれ
にせよ柿沼の時空把握には不吉とも渺茫ともいえる穴が穿
たれる。かつて飼った愛犬「コロ」とともに死んでいる
(死につづけている)家族の質的差異。マンション建設予
定地の消滅と母の消滅をかさねることで、「在るもの」が
消失の穴を前提にしていることへの気づき。空間が消失に
より静かに壮麗化されているこの逆転が再読を促す。
「在るもの」によって詩句が先行される鉄則がつらぬかれ
ている。だから柿沼詩は「写生」概念にも隣接して、視覚
の奥深さと一如になる。詩篇「ハナミズキ」—— ≪空間の
割れやすいすきま/を縫うようにして/すきまを追いかけ
るように/流れ出している//空中にばらまかれた枝枝
が/乾いた亀裂をかたどっている// 一樹のたたずまい
が/私たちの挙動を/眺めかえしてくる//幹は/地面か
ら垂直にたち上がり/とつぜん水平に枝を差し出し/枝先
を/すくい上げている/それらあわただしい枝枝の/挙動
の素早さを/目に見ることができない≫(全篇)。 >

と書いている。 何とも「哲学的な」読みである。
私には、読み解けないことなので、当該部分を引いてみた。


木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
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     木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

木には常緑樹と落葉樹とがあって、落葉樹は冬には葉を落して、春の芽吹きを待つ。落ちかかる葉や、地に落ちている葉を「落葉」と言う。
樹の種類にもよるが、落葉というのは、一時に集中して、ハラハラと落ちる。
美しい眺めであるが、掲出の楸邨の句は擬人的に「いそぐないそぐなよ」と言っている。これは明らかに、人間の一生になぞらえて、「散り急ぐな」と言っているのは確かだろう。

ここで、俳句や短歌などの「句切り」のことについて、少し書きたい。
この楸邨の句は、一読すると「破調」のように見える。「意味」の上から「句切り」をすると、確かに5、7、5というリズムからはみ出そうだが、この句の場合は
 木の葉ふり/やまずいそぐな/いそぐなよ と区切って読めば5、7、5という「定型」のリズムに乗るのである。
こういうのを「句またがり」と言う。
昔は、こういう「句またがり」などは、リズムを崩すとして忌み嫌われたが、前衛短歌、前衛俳句華やかなりし時期に多用され、以後は一つの技法として認められるようになった。
確かに日本語の、こういう5音7音などの「音数律」はリズムを作るものとして重要である。というのは、日本語は、その特性として「音韻」を踏めないから西洋の詩や中国の詩(いわゆる漢詩)のように「韻」や「平仄」でリズムを取れないから、その代用として「音数律」という特有のリズムが発見されたのである。
交通標語などに採用されるものの多くが、この5音7音などの「音数律」によって作られているのが、その実証といえようか。
何度もあちこちに書いたので気が引けるが、ポール・ヴァレリーの言葉に

 <散文は歩行であるが、詩はダンスである>

という一節がある。この一節は私が大学生の頃に、文芸講演会があって、三好達治から聞いて、以後、私の座右の言葉として日々ふりかえっている言葉である。これは「散文」と「詩」との違いを簡潔に言い表した言葉であり、過不足がない優れた表現である。

「落葉」「木の葉」「枯葉」などの句を引いて終る。

 寂寞を絢爛と見る落葉かな・・・・・・・・松根東洋城

 風といふもの美しき落葉かな・・・・・・・・小杉余子

 木曽路ゆく我れも旅人散る木の葉・・・・・・・・臼田亜浪

 多摩人の焚けば我もと落葉焚く・・・・・・・・水原秋桜子

 ごうごうと楡の落葉の降るといふ・・・・・・・・高野素十

 わが歩む落葉の音のあるばかり・・・・・・・・杉田久女

 野良犬よ落葉にうたれとび上り・・・・・・・・西東三鬼

 ニコライの鐘の愉しき落葉かな・・・・・・・・石田波郷

 落葉踏みさだかに二人音違ふ・・・・・・・・殿村莵糸子

 子の尿が金色に透き落葉降る・・・・・・・・沢木欣一

 からまつ散る縷々ささやかれゐるごとし・・・・・・・・野沢節子

 本郷の落葉のいろの電車来る・・・・・・・・伝田愛子

 宙を飛ぶ枯葉よ麦は萌え出でて・・・・・・・・滝春一

 一葉づつ一葉づつ雨の枯葉かな・・・・・・・・八幡城太郎

 落柿舎は煙草盆にも柿落葉・・・・・・・・阿部小壺

 その中に猫うづくまり朴落葉・・・・・・・・佐佐木茂索

 朴の落葉わが靴のせるべくありぬ・・・・・・・山口青邨

 朴落葉うれしきときも掃きにけり・・・・・・・・村田とう女

 落葉して凱歌のごとき朴の空・・・・・・・・石田勝彦


草弥の詩作品「 畢詩  あとがきに代えて」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
627px-Emperor_Go-Mizunoo3後水尾院
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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<後水尾院>シリーズ──(28)

    畢詩  あとがきに代えて・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

それは突然のことだった。
宗政五十緒(龍谷大学文学部教授・近世文学専攻)が大学院生の女の子を連れて私の家を訪問された。
この頃、宗政は「都をどり」の台詞の作詞を担当していて、今年は宇治茶の茶摘み風景を取り入れたいので参考にと来訪されたものである。
今から二十年も前のことで平成に入ってすぐの頃か。
話しているうちに彼と大学の同学年であることが判明。何しろ一学年には約二百人くらい居るから交友があるのは限られている。
茶園や茶摘み道具の竹製の茶摘み籠を見せたりした。都をどりの場面では茶摘み籠に当家の屋号である○京の印が入っていたりした。
宗政は短歌結社「あけぼの社」という小さな会を主宰して弟子たちに歌や文章を執筆させていた。
その中に森川知史(現・京都文教短期大学教授・コミュニケーション論)という人がいて、この人が何と私たちの従姉の子なのだった。
都をどりの関連でいうと、猪熊兼繁(京都大学法学部教授・法制史専攻)先生に一般教養の法学概論の講義を受けたが京都弁丸出しの漫談のような講義だった。
この猪熊兼繁が先任の都をどりの作詞家だったのが亡くなられて、その後任が昭和五五年から宗政五十緒ということで因縁話のように繋がるのだった。
都をどりは「甲部歌舞練場」を本拠にする格式高いもの。祇園乙部というのはいわゆる遊郭であって、一口に祇園と言っても、いろいろあるのである。
宗政五十緒『江戸時代の和歌と歌人』(同朋社出版、平成三年刊)という本で後水尾院に触れたのが、そもそもの始まりだった。
彼はハーバード大学研究員としてアメリカの大学に居たりして、その筋では名の知られた学者のようである。
彼は一九七七年に「江戸時代前期における宮廷の和歌」という論文で、いくつかの近世和歌史が近世初期の和歌の環境面について触れるところの少ない不満を述べ、
後水尾・後西・霊元三院の文学活動の一端を明らかにしたのが発端となり各氏が研究を始めたらしい。
もっとも昭和五年には、すでに 吉沢義則『頭註後水尾院御集』(仙寿院刊)のような詳しい研究書が存在する。
彼は心筋梗塞で心臓バイパス手術を受けたことがあり、後に私の亡妻も同じ手術を受けたことで、これも因縁めいている。その彼も二○○三年に心筋梗塞の再発で死んだ。
今でこそ龍谷大学は理科系の学部も揃った総合大学になっているが、私たちが学生の頃は龍谷大学は僧侶養成の学生数も数十人という文学部のみの学校だった。
西本願寺の敷地の一番南端のところが校舎だったらしい。
心臓バイパス手術というのは大手術で何時間もかかるので、その時に、彼は「臨死体験」をした、と西本願寺の雑誌に書いていた。

後水尾院に関する記録は膨大なものがあり、近衛家に伝わる『陽明文庫』の文書などを基に、よく研究されている。
『後水尾院御集』(久保田淳監修・鈴木健一著 明治書院刊「和歌大系68」平成十五年)
『後水尾天皇』(熊倉功夫 中公文庫2011年再版)
『後水尾天皇 千年の坂も踏みわけて』(久保貴子 ミネルヴァ書房2003年)
『お公家さんの日本語』(堀井令以知 グラフ社2008年)
『御所ことば』(井之口有一・堀井令以知 雄山閣2011年)
小説『花と火の帝 上・下』(隆慶一郎 新潮社2010年)作者死亡のため未完

などがあるが、 隆慶一郎の小説は実在の人物─たとえば近衛信尋などが登場するが猿飛佐助なども出てくる怪奇的エンターテインメントの作品で、また八瀬童子などを中心とする親衛隊「天皇の隠密」というような者を設定して描写している。
敵方の襲撃者として白玄理なる中国人の術者なども登場する。
エンターテインメント、読み物としては面白いが虚構性が強すぎるのでサスペンス小説として受容した。しかし資料をよく読み込んだ形跡があり、さすがである。
御所ことばの件だが、その頃、宮中の一角に「お湯殿」という女官たちの溜り場のようなところがあり、そこで日常のことを記録した『お湯殿の上の日記』というのが残っていて、それらを堀井令以知らが調べたものなどが知られる。
堀井令以知は一九二五年生れだが、私の住む青谷村の中村という集落出身である。もっとも先代のときに村を出ているから当地の学校には行っていないらしい。
彼は「御所ことば」の専門家としてテレビドラマなどの考証に名前が出ている。
当時の宮廷は、まさに「身分制度」の典型であった。公家と言っても上は五摂家から下級の公家まで、ピンからキリの身分があった。
臍の緒を切った家が身分が高ければ、生まれながらにして摂政、関白などの官位につくことが出来た。一方、下級公家の家に生まれた者は、一生ずっと下級の官位のままである。
本文中にも、その一端を描写しておいたが、こういう本人の実力によらない身分制度が時代の変化に対応できずに統治能力を麻痺させ、制度崩壊を招くことになった。
それが明治維新という形で実現し、新しい立憲君主国家を始めることとなった訳である。

後水尾院は五代四十年にわたって強力な「院政」を布いたことにも象徴されるように、江戸時代全般を通ずる先例を築かれたようである。
そういう、いわば巨象のような後水尾院を、盲人が体の一部分を撫でているようなのが、私のこの詩である。
小説でもない、論文でもない、エッセイでもない、──まさに詩としか名づけようのない一片の木の葉である。
もっと虚構のフィクションに徹した詩にしたかったが、何しろ記録に残るものが多くて、それらを無視できなかった。
全くの虚構と言えば「お夏」「お秋」「お冬」「お春」の一連などだが、現代詩は何でもありだから「見てきたような」虚構で彩ってみた。

後水尾院の三十七人にのぼる皇子や内親王の数を見ていると、今の皇位継承者の断絶云々という騒ぎは何なんだという気がするが、
明治天皇を最後として「後宮」「側室」制度というのが無くなり、これも時代の移り変わりかと、うたた感慨深いものがある。
年長に生まれても「儲君」にもなれず「法親王」として寺院に追いやられた皇子たちの悲嘆も思いやられた。
後水尾院が『禁中並公家諸法度』によって統治や行動に厳しい枠をはめられ「学問・諸芸能」に役割を限定されたのを見ていると、
今の「象徴天皇」そっくりなのに感心する心境になったものである。一方は強制したのが徳川幕府であったが、他方はアメリカ占領軍であった。
歴史的に見て、この両者は、これで良かったのだという気がする。
明治維新の「皇国史観」の強制によって、天皇は「現人神」(あらひとがみ)とされ、「天皇の名」によって悪いことが圧政として強いられた。
たとえば日清、日露戦争をはじめとして第二次世界大戦に至る、当時の世界列強の帝国主義に倣った侵略戦争への突入などがそれである。
その意味では、天皇には戦争責任があったと言えるが、アメリカ占領軍は天皇制を残すことによって占領政策を円滑に進める道を選んだのだった。
先に第五歌集『昭和』を出したが、その読後感の中に「昭和という時代へのノスタルジー」というようなものがあったが、私の中では、もっと「にがい」記憶として存在するのであった。
この詩とも言えないものを書きながら、脳裏にはさまざまなことが想起した。これもいい勉強をさせてもらったと思っている。



ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/うらぶれて異土の乞食となるとても・・・・・・・・室生犀星
001冬景色本命
  
   小景異情 その二・・・・・・・・・・・・・・・・室生犀星

     ふるさとは遠きにありて思ふもの

     そして悲しくうたふもの

     よしや

     うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても

     帰るところにあるまじや

     ひとり都のゆふぐれに

     ふるさとおもひ涙ぐむ

     そのこころもて

     遠きみやこにかへらばや

     遠きみやこにかへらばや

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この有名な詩は『抒情小曲集』の巻頭に載るもので、年譜によると

<二十歳頃より二十四歳位までの作にして、就中「小景異情」最も古く・・・・・>と書かれている極く初期の作品である。初出は『朱欒』大正2年2月、となっている。

    故郷にて冬を送る・・・・・・・・・・・・・室生犀星

     ある日とうどう冬が来た
     たしかに来た
     鳴りひびいて
     海鳴りはひる間も空をあるいてゐた
     自分はからだに力を感じた
     息をこらして
     あらしや
     あらしの力や
     自分の生命にみち亘つてゆく
     あらい動乱を感じてゐた
     木は根をくみ合せた
     おちばは空に舞ふた
     冬の意識はしんとした一時(とき)にも現はれた
     自分は目をあげて
     悲しさうな街区を眺めてゐた
     磧には一面に水が鋭どく走つてゐた

『愛の詩集』所載。初出は『詩歌』大正4年1月。

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という詩もある。
最初に掲げた詩は有名なもので、特に、はじめの短歌のリズムの二行だけを取り出して引用されることもある。
私の持っている『定本・室生犀星全詩集』(昭和53年・冬樹社刊)は全三巻で、一冊の厚さは5センチもあるものである。
近代詩の巨人として、その後の現代詩に繋がる偉業を成し遂げた。
むつかしい語句もないので、年末の忙しい時期だが、ゆっくり鑑賞してもらいたい。

柴田千晶詩集『生家へ』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
柴田

──新・読書ノート──

     柴田千晶詩集『生家へ』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・思潮社2012/10/01刊・・・・・・・・・・

先ずは下記のようなサイトに載る書評を見てもらいたい。
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瀬崎祐の本棚より

詩集「生家へ」  柴田千晶  (2012/10)  思潮社

 作者は詩人であると同時に俳人でもある。「赤き毛皮」という句集も出版している。
 この詩集では詩作品の冒頭、途中に俳句が置かれている。「あとがき」によれば、「俳句が内包するイメージと格闘するように詩を書き続けてきた。」とのこと。
 たとえば、「顔」という作品の冒頭に置かれた句は、「銅鏡に映らぬ目鼻梅真白」。
この句につづく世界で、誰も「ほんとうの顔を知らない」わたしは夕子と呼ばれ、無念だ無念だとつぶやく嬰児を産み落としていく。
次の句が挟みこまれるとわたしは路子と呼ばれ、その次には和江と呼ばれ、幸江にもなる。
暗くどんよりとした澱のようなものから生えた四つの句を、詩作品が浸している。
 そうして形づくられる世界には、夥しい数の死者ばかりがあらわれる。
拾いあつめた流木で焚いた風呂に一緒に入った拝島さんも死者のようだし(「雁風呂」)、
見知らぬ女が「あなたの男をお返しします。」「少し弱っていますが、まだ生きています。」といって置いて行った甕の中の鰻も、もう元には戻れないのだ(「鰻」)。
いつも背後に寄り添っているような死を感じ続けることによって生を(それは性とも同義なのだろう)確かめているようだ。

   窓の下を廃品回収車が通過してゆく。壊れたものたちを満載して、夜の底を攫っ
   てゆく。私も急がなければ。片羽根の白い蛾が畳で羽搏いている部屋の隅から、
   黒い影がいざり寄ってきて、仰臥している私の足もとからゆっくり這い上がって
   くる。私の男が帰ってきたのだ。男は私の腿を抱きしめ頬を擦り寄せている。愛
   しいひと。指先に触れた男の眦が深く裂け廃棄物の祭明かりが見える。男の中に
   鳥居があり、小さな地蔵たちがうねりながら赤く灯っている。
                             (「青葉木菟」より)

 作者は「詩と俳句が遙かなところで強く響き合う、そんな世界を目指し」たとしている。二つの短詩形によって構築された世界が、より陰影に富んで奥行きのあるものになっていることは間違いないだろう。
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柴田千晶は本職はシナリオ・ライターらしい。
この本の「あとがき」で、こう書いている。

<あとがき
俳句との出会いは偶然だった。一九九六年、シナリオの師である馬場當さんの
鶴見の仕事場で俳人の今井聖と出会った。今井さんも馬場先生からシナリオを学
ぶ弟子の一人だった。軽い気持ちで「街」の句会に参加したのだが、私はあっと
いう間に俳句に嵌った。型があり季語があることの安心感、句会の楽しさ、講評
の面白さ。そのまま今井聖に師事し、いつの間にか十五年が経っていた。
深入りするうちに俳句が恐ろしい詩型であることに気づいた。俳句は定型の枠
に従順に収まることを望まず、定型を簡単に破ることも望まない。一句の中で風
景、肉体、記憶、時間、イメージ、色彩、観念などが犇めき合い爆発寸前で屹立
している。充満するエネルギーが定型の枠と拮抗し、ついには枠を超えて遥かな
ものに届くことを、俳句という詩型は望んでいるのではないか。
定形という枠のない詩もまた怖ろしい。果てしなく増殖してゆくイメージに溺れ
てしまえば帰る岸を見失う。この二つの詩型が私を鍛えてくれた。>

彼女は、こう書いてはいるけれど、導入部として置かれる俳句から、実に怪奇な、さまざまのイメージを膨らませて一篇に仕立てあげられている。
この構成のプロットは、シナリオ作家ならではのものである。
はじめに置いた瀬崎祐の紹介などは、殆ど「的」を射ては、いない。

この本を読めば、みな、怪奇映画か何かを見ているような異様な感覚に陥るだろう。
はじに出した表紙絵も、おどろおどろしい印象のものである。
次に詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)を引いておく。少し長いが。 ↓
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柴田千晶『生家へ』(思潮社、2012年10月01日発行)

 柴田千晶『生家へ』は俳句と散文(帯には「散文詩」と書いてある)が組み合わさった詩集である。俳句を短歌(和歌)にすれば「歌物語」になる。そういう「形式」の作品である。
 「春の闇」の冒頭部分。


   春の闇バケツ一杯鶏の首

「食品加工原料・豚脂牛脂」とペイントされた室井商店のトラックが、早朝の駐
車場に並んでいる。青いフェンスの網目一面に獣たちの血や脂が染み付いた軍手
が差し込まれ、朝の陽に晒されている。室井商店の前を通りかかると、きまって
大きなバケツを提げた短躯の男が店の奥の暗がりから現れた。男が引きずるよう
に運搬しているバケツには豚や牛の臓物らしきものが入っている。男はいつもす
れ違う一瞬、私の顔を盗み見て店脇の路地に薄ぼんやりと消えてゆく。いつの頃
からか、出勤前にこの光景を見ることが私の日課となっている。いや、この一瞬、
男に見られることが私の日課となっているのかもしれない。


 この冒頭に俳句と散文の関係は?
 散文を読みはじめた瞬間、俳句のなかにある「詩」が「詩」ではなく「物語」になる。俳句は基本的に「一瞬=永遠」という構造をもっている。遠心・求心といいかえてもいいが、柴田のこの句と散文の場合は、「時間」を軸に見ると、関係がつかみやすくなる。
 「詩」が「物語」になるとき、そこに「時間」が浮かび上がる。柴田が書いているのは、朝の出勤という「一瞬」のつもりかもしれないが、「一瞬」というのは「詩」のなかにあっても「散文(柴田は映画のシナリオも書いているようだから、それを例にとればシナリオも--これは、あとで触れるかもしれない)」のなかには「一瞬」は存在しない。というか、散文というのは時間(期間)のなかで人間が動くとき、初めて散文になる。散文とは「ひと」そのものなのだ。「いきる」ことそのものなのだ。
 映画(芝居の方がもっと極端だが)では、ある存在がそこに登場するとき、その存在(人間でも、ものでも)は「過去」をもっている。この作品で言えば「室井商店」というのは「食品加工原料」をあつかっているという「過去」をもっている。その「過去」とは簡単に言えば食肉を解体することである。解体の過程で、牛や豚の血が流れる。解体の作業をするときひとは軍手をはめている。作業が終われば、軍手を洗って干すということが必要になる。フェンスの軍手はそういう「過去」をもっている。「過去」をもっているとは「過去」を説明するということでもある。
 この詩では、その「過去」とつながる男があらわれる。人間は出会うと、その瞬間に、それぞれの「過去」がぶつかりあう。自分とは違った「過去」を他人に見てしまう。柴田は、男が食肉の解体作業に従事している「過去」を、それが正しいかどうかは別にして、見てしまう。バケツのなかの鶏の頭。赤い鶏冠。
 「過去」を説明されると、「いま/ここ」がとてもわかりやすくなる。
 「散文」は柴田にとっては、いわば「過去」の説明なのである。

 で、これが、問題である--と私は思う。
 詩は「過去」の説明によって明確になるものなのか。明確にすべきものなのか。柴田の冒頭の俳句(詩)は「過去」の説明によって、「わかる」、とてもわかりやすくなる。
 春の朝、柴田はバケツに鶏の首がいっぱい入っているのを見た。それは食肉加工を商売とする店先であり、毎朝、そのバケツをもった男があらわれ、店の脇の薄くらがり(春の闇)に消えていく。そういう光景を書いていることが、とてもよくわかる。すべての存在が「時間」のなかで、一連の動きをもって(一連の動きだから、どうしてもそこに時間が登場する)、くっきりと見えてくる。
 問題は。
 そのときほんとうに見たのは何? 「時間」になってしまわないか。
 詩は時間を超える。時間を超えるというより、出合った瞬間に、実は「過去」が解体し、そこからいままでなかった時間が誕生するというのが詩である--これは私の定義だけれどね。
 柴田の詩では、それが正反対になる。
 俳句(詩)が、「過去」の時間によって説明される。「いま/ここ」がこういう状態であるのは、こんな「過去」があるからだ、と説明される。
 これでは詩の否定である。

 柴田は、このことにうすうす勘づいているかもしれない。だから、そうやって説明される「過去」を否定すようとする。


    出勤前にこの光景を見ることが私の日課となっている。いや、この一瞬、
男に見られることが私の日課となっているのかもしれない。


 「私が見る」という「構図」を「私が見られる」という構図に瞬時に置き換える。そうすると、「私が見ていた時間(男の過去)」が消え、そこに「私の時間(私の過去)」が突然噴出する。
 物語の逆転の大トリックみたいなものだ。映画の大逆転のようなものだ。
 ここには正確には書かれていないが(というか、説明はされていないが)、柴田はなぜ様々な風景のなかから、朝の光景として食肉加工商店に目を止めたのか。なぜバケツのなかのものが「鶏の首」であるということに気づき、それを書くことになったのか--その「根拠」というか「理由」のようなものが、ほんとうはこの作品のテーマ(?)であり、そういうものをこそ柴田は物語として「未来」の方向へ投げ出していくことになる。
 「未来」というのは、まあ、ことばの進む方向なのだが、その「未来」は実はこれまでの体験(過去)を語るのだから、この「散文」の動きは、一種の「逆向き」の動きである。「謎解き」といえばいいのかも。
 作品のつづきを引いて説明するとわかりやすくなるかな?


   夜の梅鋏のごとくひらく足

かつて京急黄金町の線路沿線の路地には「ちょんの間」と呼ばれるショートプレ
イが出来る店が建ち並んでいた。


 「かつて」が明確にしているように、ここから始まるのは「過去」のことである。「過去」の記憶があって、それがバケツのなかの鶏の首を浮かび上がらせるのである。柴田が、「かつて」を知らなければ、柴田はバケツの鶏の首を見なかった。見たとしても、それは意識に残らないか、あるいは意識から締め出してしまっていただろう。朝からそんなむごたらしいものを見て、気分がいいわけがないからね。でも、柴田はそれを意識から追い出さない。逆に意識にしっかり組み込む。
 詩(俳句)にして、特別な意識として屹立させる。

 で、この「過去」は、さらに解体された肉、血からセックス、殺人へと「物語」を展開していくことになる。(これは、もう書かなくてもいいね。)

 こうした「構造」の読んでいると、私はなんだかいやな気持ちになる。
 うまく言えないが、詩が消えていくのを感じる。
 俳句は、解説された瞬間、「要約」になってしまう。「意味」になってしまう。それが「物語」のなかに組み込まれた瞬間、それは「象徴」ということになるのかもしれないが、これって、いやだなあ。
 柴田は映画のシナリオも書いているから映画もたくさん見ていると思うけれど、何といえばいいのか、俳句は、フラッシュバックの一瞬の映像、しかもストーリーの凝縮した瞬間のスチール写真のようになってしまう。
 こういうのは、私は嫌いだ。古くさい--というか、なんだか「教科書」のように見えてしまう。「教科書」は読みたくないなあ。
 映画で私が見たいのは、もっと「不安定」な「いま/ここ」そのものである。「過去」を失って、どう動いていいかわからない。わからないのに、肉体があるために動いてしまう。存在してしまう。そのとまどいのなかから始まる何かである。
 散文(小説でも哲学でもいいけれど)は、そういうものだと思う。これからどうなるの? わけがわからない。でも、ことばは動いていく。それが散文。
 その散文を俳句はある瞬間へと「要約」する。俳句を「要約」するかたちで散文が動いている。

 きっと別な言い方をすると、この詩集は俳句と散文が競合するように互いを補いながらことばの世界を豊饒にする、ということなんだろうなあ。
 でも、私はそういうふうには言いたくないなあ。
 で、ケチだけをつけてみた。



 作品全体としてではなく、気に入った「行」や「部分」をあげておくと。


無念だ無念だとつぶやきながら嬰児は遅い春へと流れ落ちてゆく。
                                  (「顔」)


 「無念だ無念だとつぶやきながら」は「なみあむだぶつ」(なんまいだ)の音を含んでいて、遠いところから情念が復讐してくるような感じがあり、とてもおもしろい。あとの方にも「無念だ」の繰り返しはあるが、「無念だ、無念だ」と読点「、」で区切られてしまったうえに「つぶやく」とつながらないので、暗い情念が消えてしまって残念だ。
 「斑猫」の「足の親指を丹念に口に含まれていると、」から始まるセックス描写も、「男の声のようにも、私の声のようにも聞こえる」までのことばが大好きである。「含まれていると」の「いる」がおもしろい。そうか、「持続」か、と私はそこから「深読み」というか「誤読」を楽しむことができる。「聞こえる」というところにセックスが落ち着くのも、とても気に入っている。セックスは聴覚である、と私は思う。肉体の遠近感だと思う。
 まあ、これは余談だから、ここまで。

 柴田千晶『生家へ』はどんなふうに読むことができるのか。「俳句+散文詩」というのが出版社(柴田?)の「売りことば」なのだが、まあ、宣伝だね。こういうものを気にしなければいいのかもしれない。
 「俳句」ではなく「1行現代詩」、「散文詩」ではなく「散文」。いや、そういう枠をとっぱらって、「5・7・5」という「定型」と「否定形」。それもとっぱらって、ただの「ことば」。そう読むといいのかもしれない。
 私は「俳句」ということば、その「定義」にひっかかってしまうのである。「俳句」を「散文」で「これは、こういう背景のあることばなのです、と説明するときの、そのことばの構図にひっかかってしまうのである。

 俳句とは何か。
 たとえば、「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」。ここには「法隆寺」という「固有名詞」がある。だから、ここに書かれている寺が「法隆寺」であることはたしかなのだが、そのほかのことは、どうだろう。「柿」はどんな柿? 鐘は法隆寺の鐘? それともどこか遠くの寺の鐘? だいたいこのとき子規はどこにいたんだろうか。法隆寺で柿を食った? まさかね。では、どこ? 自分の家、というか、逗留先?
 わからないことはいっぱいある。いっぱいあっても、子規が柿を食ったということはわかる。鐘が鳴ったということもわかる。法隆寺を思っている(?)ということもわかる。こんな句なんて、「ありのまま」じゃないか。その「ありのまま」がわかってしまうので、それ以外は、まあ、関係がない。そこにどんな「過去」があるか、これからどんな「未来」が始まるか、まったく関係ない。子規という人間さえ関係がない。そういう無関係の関係のなかに、そのことばを読むと誘い込まれ、読者(私)とことばがひとつになるということが俳句なのだと思う。
 芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」。これだって、池に蛙が飛び込めば水の音がするなんて「ありのまま」。「ありのまま」すぎて、わかりすぎて、そのことが不安になると、この「古池」がどこの池なのか、蛙は一匹なのか複数なのか、水の音はどぼんなのか、ぽちゃんなのか。時間は何時ごろなのか--というようなことを気にしはじめる。つまり、芭蕉は「いつ/どこで」この句を詠んだのか。でも、そういうことは、関係がない。どこだっていい。どの池であっても「古池」であり、どんな蛙であっても「蛙」、どんな水の音であっても「水の音」。「ありのまま」なのだから、そしてその「ありのまま」という「ありかた」というのは、あらゆる「古池」、あらゆる「蛙」、あらゆる「水の音」でありながら、たったひとつの古池、蛙、水の音である、ということだ。「あらゆる」が「ひとつ」という矛盾が俳句なのである。
 「あらゆる・ひとつ」というのは矛盾であるからこそ、ほら、学校で初めて「古池や蛙飛び込む水の音」という句を「名句」であると習ったとき、変な気持ちになったでしょ? 何これ? 蛙が池に飛び込んで水の音がした--それがどうしたの? 「あたりまえ」でしょ? 「ありのまま」でしょ? 「ありのまま」では、どこがいいのか子どもにはわからない。しかも、その「ありのまま」というのは「矛盾」していることなのだから、こどもにはわからない。子どもには「矛盾」がわからない。というか、「矛盾」を受け入れることができない。知らないことを、知っていることに置き換えて、知っていることを少しずつ増やしていくことが、子どもにとって「わかる」ということなのだ。
 「矛盾」がわかるようになるのは、おとなになって、自分の肉体のなかに「矛盾」がたまってきたときである。「矛盾」があっても、「いま/ここ」にこうして人間が生きているということが納得できるようになって、ようやく「矛盾」を受け入れることができる。あらゆることが「矛」であり「盾」であり、それは「表裏一体」である。「わかる」は「理解する」ということではないのだ。受け入れることなのだ。
 「古池や蛙飛び込む水の音」のことばのなかには、そのことばだけではなく、あらゆることばが同時に存在している。ひとつと無数が「表裏一体」になっている。そして、それが「表裏一体」だからこそ、私たちはそこに私自身の「古池や蛙飛び込む水の音」を溶け込ませることができる。というか、読んだ瞬間に、そこに「私」が溶け込んでしまい、そのことばを境目(?)にして、私と芭蕉が「表裏一体」になる。
 だから--というのは変かな?
 この句を読んだ瞬間、これが俳句なら自分にでも書ける、そう思わなかった?
 古池やどんぐり落ちる水の音
 古池や緑の水に赤い鯉
 どこが違うのか、小学生にはわからない。
 つまり、小学生であっても「古池や蛙飛び込む水の音」は、そのまま自分の世界そのものになる。「ありのまま」にのみこまれ、同化してしまう。「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」も同じだね。読んだ瞬間に、そのことばが自分のものになり、どこが特別なのかわからないというのが、きっと俳句の真骨頂である。そして、そこには「無数」と「ひとつ」の「表裏一体」がある、というのが「俳句の正直」なのだ。「無数」と「ひとつ」が「表裏一体」であるから、そこには「私」は存在しないという形でしか存在できない。存在しないことが存在することなのだ。つまり、「矛盾」が俳句なのだ。
 だから。
 この「だから」というのは、一種の「飛躍」なのだが、


袋綴ぢのヌード春の鉄匂ふ                   (「汐まねき」)


 というような、「わからない」ことばがあると、それは俳句ではないのだ。
 言い換えると。
 この柴田の俳句を小学生に読ませてみるといい。なぜ「春の鉄」なの、それが「わからない」というだろう。思春期の男子なら「袋綴ぢのヌード」に反応して教室に笑い声がひろがるかもしれない。つまり、それは「わかる」からだ。けれど、やっぱり「春の鉄匂ふ」につまずく。「これ、いったい何?」
 こういう組み合わせを「おもしろい」(わかる)と感じる(錯覚する)のは、ひねくれた「現代詩」愛好家だけである。詩とは異質なものの出会いである、ということを唯一の真理と信じている「現代詩人」だけである。
 ここにあるのは「作為」(わざと)だけである。(わざと、が詩である--というのは、西脇順三郎の詩の定義である。)

 で、私がきのう書いたのは、そういう「俳句」の感覚と柴田の書いている「俳句」が相いれないだけではなく、「俳句」を「散文」によって解説してしまうと、「表裏一体」が完全に分離する、分離してしまって、「俳句」は完全に否定されてしまうということなのだ。
 私は俳句をつくっているわけではないが、そこのところにつまずく。
 これを俳句ではなく「一行詩」ととらえなおせば、少し、違った感じになる。--なるかな、と少しは思うので、その方向にことばを動かしていってみようか。


   袋綴ぢのヌード春の鉄匂ふ

黒崎課長が死んだ。四日前、課長はすでに死んでいた。赤髪町のビジネスホテル
の一室で、黒崎課長は服を着たまま、浅く湯を張ったバスタブに浸かっていた。
死因は心不全と伝えられたが、なぜ服を着たままだったのか、なぜ着てきたはず
の背広だけがどこにも見つからなかったのか、不可解なことだらけの黒崎課長の
死だった。


 この「汐まねき」の「一行詩」と「散文」の関係は、ここまで読んだだけではわからない。「わざと」が、さらに「わざと」を呼び寄せている。「課長の死」という事件を「わざと」向き合わせている。
 しかし、そこには「死んでいた」「服を着たまま」「不可解」ということばが「ヌード」と呼びあい、そこに「セックス」が浮かび上がる。「袋綴ぢ」と「服を着たまま」の呼応など、作為(わざと)が見え透いていて、あざとい感じすらするが、見方によっては「ていねいな伏線」ということになる。(これを「伏線」と感じるひとには、柴田のことばは「巧み」だなあ、という印象を与えると思う。いい詩だなあ、という印象をあたえると思う。)
 さらに「鉄匂ふ」は「血の匂い(鉄分があるからね)」を連想させし、課長とビジネスホテルの組み合わせは、なるほどね、ラブホテルじゃなくてビジネスホテルをつかっていたんだね、というようなことも連想させる。今度はそうしよう、ポケットから領収書がでてきても言い訳がしやすいからね、とか……。(このありりの工夫にも、「柴田はうまいなあ」と思うひとがいると思う。)
 で、この連想のなかに、「一体感」はあるのかな?
 まあ、そうだね。ここにも、強引に言えば、個別のセックス(黒崎課長)と複数のセックスの「表裏一体」があり、その「表裏一体」のなかに、読者(私)が融合し、「一体感」を感じると言えないこともない。
 そんな具合に、実際、柴田のことばは動いていくのだけれど。
 でも、柴田って「黒崎課長」と同性? つまり、男?
 私は柴田に会ったことはないのでよくわからないけれど。

 まあ、この「むり」には柴田自身が気づいて、


   茫茫と牛乳流す春の川

ひと月前に黒崎課長が宿泊した606号室は、まるで何事もなかったかのように
客室として使用されていた。課長が浸かっていたというバスタブに触れると耳鳴
りがして、排水口からゴボッゴボと水が逆流してきた。課長はまだここにいるの
かもしれない。裸のままベッドに俯せて私を待っているのかもしれない。


 という具合に、なんだかわけのわからない俳句を挟んで、強引に「女」をわりこませる。事件(?)のなかの「女」と柴田の性を「一体化」する。
 この「わざと」は「現代詩」の「わざと」を超えるね。
 つまり。
 手術台の上のミシンとこうもり傘の出会い、美術館と便器と「泉」の出会いは「無意味」によって「驚き」を引き起こす。「笑い」を引き起こすが、柴田がここに書いている「わざと」は「無意味」とは正反対。「意味」でありすぎる。男と女がビジネスホテルでセックスをするというのは「わざと」というよりは、あまりにも常識的すぎる。つまり「悪趣味」ということになる。
 こうなってしまうと、もう俳句どころではない。
 どうやって「わざと」のなかに「現代」を盛り込み、「意味」を「悪趣味」から「現実」(実感)に変えていくかということが、ことばの課題になってしまう。
 柴田はそれを一生懸命にやっている。
 で、一生懸命にやればやるほど、それが「物語」になってしまう。「流通可能なストーリー」になってしまう。そして、その結果、「一行詩」は、やはり「流通可能な象徴詩」にかわってしまう。
 何といえばいいのかよくわからないが、「一行詩」と「散文」が出会い、それが一生懸命に互いをふくらませようとしているのだが、どうも私には、それが「相乗効果」というよりは「相殺効果」のように思えてしまう。
 「詩」が強烈に浮かび上がるというよりも、「一行詩」がもっていたはずの「詩」がそぎ落とされ「流通言語」が残る、「風俗」が浮かび上がってくる、という感じがする。

 「わざと」をたくさん含んだ「一行詩」を「俳句」と呼ぶのは、それはそれでおもしろいと思う。でも、その「俳句」を「散文」と組み合わせ、向かい合わせにすることで「流通可能なストーリー」に仕立てるというのは、どうも、俳句に申し訳ない感じがするなあ。
 俳句を専門につくっているひとは、この詩集をどんな具合に読むのかな?
 それを聞いてみたい感じがする。
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次に、この本についての書評ではないが、同じ作者の『句集・赤き毛皮』を論じたもので、大いに関連すると思うので引いておく。

「阿部嘉昭のブログ」より

柴田千晶・『赤き毛皮』 
 
書評用に読み進めている本に疲れて
柴田千晶さんの句集『赤き毛皮』(金雀枝舎刊)をひもといてみる。
先週はじめ柴田さんご自身から寄贈いただいたもので
見るのは二度目。もう印は打ってある。

この句集は女性の内在的身体観の発露において「独特」で
(この傾向は柴田さんの詩集でも同じ)、
たぶんこの最も小説に向く柴田さんの資質を
俳句という最短詩型がどう支えているかにまず興味が行く。
このときの効果は多重に迫ってくると感じるが、
先を急がずに少し以下にしるしてみよう。

第一章「躯」が俳句的身体観の前面化という点で
タイトルどおりの働きをしている。

慌てていうが、
むろん柴田さんの句眼が身体のみに集中するわけでもない。
家族詠も職場詠もあり、
前者では家族を俳句的配剤のうちに描いて人間的悲痛を醸すし、
後者では労働疎外にどこか近未来的光景の感触が混ざるという、
これは僕の知る柴田さんの詩の資質と共通性を描く。

ところで女性句の拉鬼体というと
やはり三橋鷹女を想起するひとが多いだろうか。
となると代表句《この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉》に
やはり評価も集中するだろう。

謡曲「紅葉狩」に発想を得たということだが
僕はその謡曲自体を知らない。
ただ「鬼女」という語そのものの妖気が
「夕」「紅葉」という赤の二乗によって荘厳され
同時に「登らば」という仮定によって
意思の奇異よりもさらに
身体が上方に揮発してゆくような危うさを覚える。

それらが相俟って、男性としてはとんでもないもの
(たとえば情感)に直面させられたような気にもなるのだが
検証してみると「拉鬼」の実体(具体)はない。
手捌きはじつは抽象的で、ひとは崇高な事後に接しているだけなのだ。

前置きが長くなったが、柴田千晶の句は
拉鬼に迫る手続きとして、この抽象を許さない。
だからときに俳句が許容できない女体的鮮やかさと強度を得てしまう。

夜の梅鋏のごとくひらく足

葡萄滲むシーツの裏に千の夜

抱かれし後の花野へわが野性

腋剃りし昼の暗がり白薔薇

四句め、下五の詠みは「しろさうび」。
(剃毛後の)腋、昼の暗がり、白薔薇が
すべて物質的微差を連接させながら
喩的に同時(並列)化してゆく。
それしかない句の構造によって
剃毛という女性的行為が白く圧倒化されてゆき、
これが男性的句発想と対照を描くということだ。

鰯雲の不思議な日暮排卵日

ここでも鰯雲と排卵に感覚的類似性が架橋されながら
排卵という女性内在要素によって
たんなる外界の一自然、鰯雲が規定を受けることに
読み手は脅威を感じてしまう。
女性性が脅威として出現する――これが柴田千晶の個性だ。

しかし上述「白薔薇」の句は
同時に白を基盤に「腋」「昼の暗がり」「薔薇」が
相互溶融してゆくあわれさをもふくむ。
女性的営みの慎ましさはそういう生活の場所へ折れ、
自らを消尽していって残余をしめさないのだ。
となって「白」が特権色ともなる。
中村苑子にもそういえば次の秀句があった。

白地着て己れよりして霞むかな

この「白地」には死装束との複合があって
女体はその死後の相から霞まされるのだった。
柴田千晶にもこの系譜に属する佳句が陸続していて
それらに接すると
読み手のおもいも無常境に遊び、はかなく主情化する。

銅鏡に映らぬ目鼻梅真白

女てふ鋳型ありけり白木槿

天井に我を見る我春の闇

こうした自己を起点にした幽玄化によって
その視界も渺茫さを帯びてゆく。

天上に男は四人花樗

「樗(あふち)」の花盛り、
空にはその四隅を支える四柱の男、あるいは四君子がいたが
それが支えをやめて飛翔している図を感じた。
しかしここでは「男」の語によって
その対比「女」こそが
感性的な大団円を迎えているのではないか。

以上しめした句は第一章「躯」にふくまれているが、
その後の章の句でも同じ運動をすることがある。
「銅鏡」の「消滅」ならば

冬桜感熱紙の文字みな消えし

「女てふ鋳型」はその素朴形を土偶に再発見され
そこから清潔で豊饒な春の匂いがたってくる。

あたたかや土偶の陰〔ほと〕は一本線

「天上に」の幻視は縦に流れる、
より女性的な幻に逢着する。

日照雨誰にも見えぬ滝を見る

これらの句では柴田千晶の句発想=躯発想が「鋳型」となって
そこに読者は躯を容れ
柴田のやさしく、普遍にもつうじる感覚を追体験する。
これが至福につながる。

その柴田が絶対に馴致できない、
完全な「拉鬼体」を実現する。
そこでは脱論理=拉鬼という図式が成立するのだが
永田耕衣的ではなく柴田独自的なのが凄い。

白さるすべり女の躯使ひ切る

青梅雨の体に百眼描かれたる

「百眼」は鈴木清順による『殺しの烙印』のセルフリメイクに
出てきたキャラでもあるが、その意識はないだろう
(柴田さんは映画のシナリオも手がけている)。
ただ身体がアーガス化し、青梅雨の前方を百乗に視ている。
そうした身体が怖いのだが、それが女の身体だとは。

この「百」が「算定不能」にまで昇華されて
柴田的「拉鬼」の特権的天文、「銀漢=天河」が登場してくる。三句。

まはされて銀漢となる躯かな

銀漢や髪洗ふ手の一つ増ゆ

銀漢に菌糸めくもの延びゆけり

二句めの脱論理が凄い。
ただし柴田さんの所属結社「街」は加藤楸邨系の流れだろうから
僕が最近の日記で引用した楸邨の次の句が念頭にあるかもしれない。

天の川後脚を抱き犬ねむる

眠る犬の躯の円型がウロボロスとなって
終末と発端が噛みあう永久をつくりあげる。
それで天の川との対照を導引できる。
となると髪を洗うべく頭に置かれ円をつくりあげた双腕も
そのまま手の増幅を予感させ
女の躯も髪を洗うごと千手観音化してゆくのかもしれない。
そこにも天の川を導引できる。

ならば一句めは何だろうか。
初五《まはされて》の解釈に誰もが戸惑うとおもう。
「輪姦〔まは〕されて」とまで読んで、
たんに躯が回転させられただけだと考え直すのではないか。

たとえばそれも独楽のようにではなく
観覧車に乗るように、であっていい。
ともあれ身体に加えられた回転によって
身体はそれ自体の星を粉のように噴き上げる
――この脱論理は躯を起点にしているから綺麗なのだ。

このように柴田さんは発想の人だ。空間発想も素晴らしく
何か数学的鬼才をおもわせる。
そうした句は拉鬼ではないが愉しい。最後に二句を転記打ち。

花冷のジャングルジムの中に鶏

捨てられし冷蔵庫開く桜山

いや、転記打ちして考えが変わった。やっぱり柴田的拉鬼だ。
そう、この二句では描かれている空間性そのものが
女性身体を暗喩しているのではないか
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引用ばかりになって申し訳ないが、下記のような記事もある。 ↓ 「週刊俳句」より。

「湿ったもの」の正体
柴田千晶『生家へ』を読む     三宅やよい



柴田千晶の『生家へ』所収の「狢」「錆色の月」は詩人松下育男中心に発行する詩誌「生き事」五号で読んだ覚えがある。その詩誌の企画で柴田の作品は「しめっている」を意識して作られた詩だったように思う。今回一つの詩集として編まれるのにそのときの意図とは違っているだろうが、今回の詩集と同様に俳句と詩によって構成されている。まずは「俳句と詩」の組み合わせに注目したい。

同じように俳句と詩を組み合わせた詩集に辻征夫の『俳諧辻詩集』がある。「詩は簡単に言えば滑稽と悲哀ではないだろうか」〔※1〕と言う辻は冒頭の一句を詩に組み入れつつ詩を構成している。そこに収録されている句は詩人の集まる「余白句会」で作った俳句であるが、句についてこの詩集について次のように語っている。


かつて現代詩は、伝統的な文芸である短歌俳句とは別の地点に独自な詩の世界を確立しようとしたが、私たちはすでに<別の地点>という力みからも自由であることを自覚している。これは同時に、詩の成熟の自覚といってもいい。
―中略―
冒頭に、(句会の参加者は)みな詩を書く連中ばかりと書いたが、この句会から詩になにを持ち帰るかは各自の勝手ということになる。私は二年前の春から自作の句を突き飛ばすような感じで「俳諧辻詩集」という連作を試みているが、これも元をただせば現代詩は痩せすぎたのではないかという思いから来ている。江戸以来の俳句は簡潔な認識と季節感の宝庫であり、それは気がついてみれば現代詩にとっても貴重な遺産だった〔※2〕。
辻が俳句に現代詩にはないものを俳句に見出し、自らの詩に組み込んだ。しかしそれは俳句をノスタルジックに扱うのではなく、「自作の句を突き飛ばすような感じ」で詩を生み出したのであって、俳句はそこを通り抜け詩の未知の領域へ踏み込むトバ口のようなものだったのだろう。自分が本気でかかわる小説、あるいは詩とは別の位相に俳句を置く、文人俳句に多く見られる余技としての俳句とは明らかに違う。

かたや柴田千晶は俳句に何を見たのか。

俳句は定型の枠に従順に収まることを望まず、定型を簡単に破ることも望まない。一句の中で風景、肉体、記憶、時間、イメージ、色彩、観念などが犇めき合い爆発寸前で屹立している。
―中略―
定型という枠のない詩もまた怖ろしい。果てしなく増殖してゆくイメージに溺れてしまえば帰る岸を見失う。この二つの詩型が私を鍛えてくれた〔※3〕。
辻が俳句に現代詩にはない風通しの良さと季語を中心に織りなす言葉の体系に魅惑されたのに対し、柴田は俳句の言葉にみっちりと折り畳まれたイメージの豊穣さに惹かれた。それぞれが俳句に求めるものは違っていても、俳句と詩の関係を模索する過程で新たな詩を生み出していった点については同じといえよう。

柴田は自身の俳句が内包するイメージと格闘するように『生家へ』の詩を書き綴ったという。一見、冒頭の俳句を軸に展開する散文詩の構成に思える。題でもなく、始まりの一行でもなく、この俳句の位置は何を意味するのだろう。

詩が次の行へ飛び移るに似た余白を眺めながら考える。節目、節目に置かれた俳句が物語の展開の軸になっているようだ。この物語を語っている作中主体と俳句の語り手の視点は同じ立ち位置にあるように感じられる。自らの俳句に触発されて動き出した詩が今度は逆に全体の象徴ともいえる俳句の言葉を嘗め尽くし崩壊させてゆく。

  春の闇バケツ一杯鶏の首

暗く沈む厨房の一角に置かれた鶏の首が盛られたバケツは「室井商店の前を通りかかると、きまって大きなバケツを提げた短軀の男が店の奥の暗がりから現れた」という描写から動きだす。一つのショットから物語が始まる映画と同じ構造だといえる。各章、それがグロテスクなまでの男女の性愛になだれこんでゆく。まるで私たちの日常が淫靡なものを隠す仮構の入れ物であるかのように、街角を、家をビルの一室にいる人間をめくりあげ「湿ったもの」を引き出してゆく。

その語り口は話の主体である女性を凌辱するかのようで、俳句を契機に詩で発情してみせるのだ。柴田の作品は無名性の強い俳句にも自己演出された「作者」の影が濃いが、詩ではさらに「自己もどき」の濃度が増している。というより、あえて読者の誤解を誘うよう挑発しているとも言える。表出の過激さにおいて詩においても俳句においても柴田は甘やかな抒情と手を切っている。

柴田が表す体は男性が女性の「身体性」と語るとき頭に思い描く女性らしき身体または、女性が男性を引き付けるために差し出す媚を含んだ「身体性」とは明らかに違う。見せられると嫌な女の性欲があからさまな「身体性」である。しかしそのぬめった性欲も交錯する死と隣合わせであるがゆえに滅びを予感させ、肉体があることの悲哀さえ感じさせる。

  廃棄物の祭始まる梅雨夕焼

俳句を節目に展開する世界は性の淫靡さを言葉で突きつめながら展開してゆくが、週刊誌の見出しや日常的なニュースが興味本位でしか取り上げない血なまぐさい現実や、残酷と言ったものを前面に押し出してくる。目をそらすな、見ろ。フィクションであるはずの言葉が悪夢のようなイメージを膨らませ、読むものの肉体にすがってくる。白っぽい日常に隠ぺいされた世界を過剰なまでに読者に突き付けてくる。人が人であることを裏切り続けながら生きている日常の欺瞞を知らされるのだ。

しかし、一つ不満を述べれば話が面白すぎる。

ストーリーテラーとしての柴田の資質が踏みとどまるべき言葉を追い抜かして話を形づくってしまったように感じる部分がいくつかあった。ここまで書いてしまうと小説に手がかかっているのでは、そんなことも予感した。

「俳句」と「詩」性格の異なる二つの詩型を抱え込みながらどちらにも手を緩めない柴田千晶渾身の第五詩集である。
----------------------------------------------------------------------------
私は思うのである。
挿入される俳句を「一行詩、短い詩」が挿入されている、と思えばいいのである。
「俳句」とか言うから、伝統がどうのこうの、とか、ややこしくなるのである。
彼女は本来、シナリオ作家であり、「ストーリー・テラー」である、と理解すれば判りやすい。

柴田千晶は 「ロンリー・ウーマン」 というブログを持っている。 アクセスされたい。


草弥の詩作品「ひよどり越え──お春の巻」・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
Griechen31.png
↑ 古代ギリシアの壺の絵つけ

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──<後水尾院>シリーズ──(27)

      ひよどり越え──お春の巻・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

     あたたかくなってきた
     お春は その名の通り 春が好きだった
     まして お上に呼ばれて いそいそとやってきた
     
     <ぬくうなってきたからナ
      お春の お得意の
      ひよどり越え を所望してみよう>

     と お上が呼ばれたのである

     ひよどり越え とは
     今どきの言葉で言えば 後背位である
     これは『平家物語』の一ノ谷の戦いで
     背後の山越しに後方から攻撃をかけたのに見立てたのだ
     因みに
     古代ギリシャの喜劇『女の平和』には
     「チーズ削りの上の雌ライオン式に立ち」というせりふがあり
     この体位だと 言われている

     もっとも お上は 繋がるまでに
     口吸い に始まり 
     豆なめ と続き
     お上の一物への 尺八などを
     お求めになって 徐々に
     ご気分を高めてゆかれた

     <貴(あて)も もう齢じゃからのう>
     と仰言(おうせ)られたが
     秘め事では お元気そのものであった
     ただ いろいろと趣向が多いのである

     この体位では 
     乳房や乳首 尻なども 空いている手で
     思い通り 愛撫することも出来る

     お上は 知識旺盛であられたから
     お春を相手にしても
     寝物語りに こんな話をなさった

     <『日本書紀』という本にはのう
      イザナギとイザナミの神さんが
      鶺鴒(ニハクナブリ)が交尾する様をみて
      子を成す方法を知ったとあるのじゃ>
     と 薀蓄を披露されたりした

     こんな伝説のため 古来日本では
     結婚と鶺鴒の縁は深く
     セキレイは結婚と交接を象徴する鳥となっている

     人間の場合 生物学的に様々な性交体位を取ることができる
     男性が女性の上から被さる形の正常位が一般的と考えられるが
     哺乳類のほとんどは雌の後ろから雄が覆い被さる後背位である
     人間以外では ピグミーチンパンジー(ボノボ)や
     オランウータンが正常位による交尾を行うことが知られている
     コンドームメーカーのDurex社の調査によれば
     世界で最もよく行われる体位は騎乗位で全体の29%
     続いて後背位が28% 正常位(正しくは対面男性上位)が20%となっている
     現代日本では 正常位が一般的と考えられているかも知れないが   
     実は 後背位が日本古来の姿だったと考えられている

     男性が女性との結合部や肛門を眺めながら深い挿入を行える体位でもあり
     腕が自由になるので女性の身体を摑みながら腰を使いやすい
     いわば 挿入のためだけの体位 と言う面もあろう
     膣口が背中側に近い下付き女性にとっては楽な姿勢だ

     古くは「枕を交わす」「情を交わす」といった奥ゆかしい言葉を使った
     「肌を合わせる」「体を重ねる」なども そうである

     お春のような 床上手な遊女は 
     お上にとっては 師匠のようなもので
     技(わざ)には疎い禁中の女たちを相手にしておられる お上には
     目からウロコのような 秘戯を たくさん覚えられた

     薀蓄ついでに 世界での言い方を 披露しておこう
     ラテン語 - coitus more ferarum(「動物のやり方」)
     英語 - doggy style(「犬のやり方」)on all four(「四つ足で」)from behind(「背後から」)
     フランス語 - levrette(「グレートハウンドの雌犬」)
     イタリア語 - pecorina(「小さい羊」)
     オランダ語 - hondjeshouding
     インド 『カーマ・スートラ』 - 「牛の結合」   などと言う

     お上は あらためて 挿入され
     お春の きんちゃくの締めも
     ますます 具合が良くなり
     お春の腰を抱いて 
     獅子のように 咆哮して 精を放って
     果てられた

のちに後水尾院は詠まれた

   <花よいかに身をまかすらんあひ思ふ中とも見えぬ風の心に>





言語とふ異形の遺伝子持ちしよりひとの生くるは複雑微妙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沢田英史
ひも

    ■言語とふ異形の遺伝子持ちしより
        ひとの生くるは複雑微妙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沢田英史


聖書に「はじめに言葉ありき」という教えがある。
これはイエス・キリストの言葉を信じよ、ということであろうが、「はじめに言葉ありき」という言葉は、さまざまにバリエーションをつけて語られてきた。
人間が他の生物と異なるのは「言語」を持っているからだと言われる。
それは正しいだろう。
だが、掲出した沢田英史の歌のように、この「言葉」というものを持っているが故に、人間は言語に縛られ、動きがとれなくなった、とも言える。
私にも、こんな旧作がある。

   ■「はじめに言葉ありき」てふ以後われら混迷ふかく地に統(す)べられつ・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)の「エッサイの樹」という連作に載る11首の中のものである。
この項目名からも分かるようにキリスト教──旧約聖書、新約聖書に因むものであるが、西欧世界に遊ぶと、キリスト教が、かの地に深く深く根を張り、
がんじがらめに支配していることを知らされる。
私の歌は、そんなヨーロッパの地を覆う、いわゆる「言葉」なるものの存在を意識したものである。

沢田英史の歌は、「異形(いぎょう)の遺伝子」という側面から「言語」「言葉」というものを捉えた秀歌である。

この歌の前に、「対」になるように、こんな歌がある。

   ■遺伝子を残さむがため生くるなり
        生物のいのちは単純明快・・・・・・・・・・沢田英史


この二つの「対」になった歌で、ひとつの主張がなされていると言うべきだろう。
秀歌という所以である。

ヨーロッパの「精神史」に触れると、この「大枠」の中で、中世以後、デカルトをはじめとして多くの知識人が苦悩してきた事実が判って来る。
そして多くの人がカトリックに回帰してゆく。唯一、回帰しなかったのはサルトルとボーボワールの夫婦だけだったのでないか、という気がする。
「中世」が今に生きている、と言えば、そんな大げさな、と言われるかも知れないが、アメリカのブッシュ大統領が、現代の「十字軍」を標榜していた事実を見られるが、よい。
そして、結果として、イスラームを敵に廻してしまい、にっちもさっちも行かなくなった、というのがイラク戦争の報いであろう。
ひと頃、前ローマ法王が、中世の十字軍は間違いだった、とイスラームに謝った、というのに、ブッシュは時計のネジを逆に廻してしまったのだった。

その後の世界の推移は、ますます混迷を深めている。
「アラブの春」と称せられる運動も、果たしてどういう方向に向かうのか行方定まらない。
独裁者も無くならない。
日本の近海も騒々しい。 中華の「覇権主義」も相当なものである。日本人はますます「内向き」になろうとしているし、気がかりである。



パウロ・コエーリョ/クリスティーナ・オイティシカ『雲と砂丘の物語』・・・・・・・・木村草弥
コエーリョ

──新・読書ノート──

   パウロ・コエーリョ/クリスティーナ・オイティシカ『雲と砂丘の物語』・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・TOブックス2012/10/31刊・・・・・・・・・

コエーリヨ①
コエーリヨi②
コエーリヨi③
コエーリヨi④


     地中海で生まれた"雲"は、

     ある日ほかの雲と別れて砂漠

     に向かった。

     そこで出会った"砂丘"に一目

     で恋に落ち、そのまま留まるこ

     とを決める。

     しかし、それは"雲"が遠から

     ず消えてしまうことを意味し

     ていた。

     自分の存在と引きかえに、砂

     漠にはある奇跡が生まれよう

     としていた——。

「雲と砂丘の物語」という絵本である。 薄い本だが、全部で20枚の絵があるが、その中から4枚だけ出しておく。

パウロ•コエーリョ(Paulo Coelho)

1947年、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。作家・
作詞家。1988年に発表した小説『ァルケミスト』はこ
れまでに全世界で6500万部以上発行され、歴史上最も
読まれた本のひとつとなっている。最も多くの言語に翻
訳された現存の作家としてギネスにも認定されている世
界的ベストセラー作家。『アルケミスト』『ベロニカは死
ぬことにした』『星の巡礼』『ビエドラ川のほとりで私は
泣いた』(すべて角川文庫)など著書多数。本書が夫婦
合作による初の作品である。

クリスティーナ・オィテイシ力(Christina Oiticica) /絵

1951年、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。ア一ティ
ス卜でありパウロ・コエーリヨの妻でもある。「エコア一
ト」 「ランドアー」と呼ばれる特殊な技法を用い、独
創的な作品を発表。世界的に高い評価を受け、日本を含
む世界各国で展覧会が開催されている。絵本の挿絵を担
当するのは本書が初となる。

コエーリョについては大分前にブログで採り上げたことがある。


村島典子の歌「かりゆし遊び」・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶

──村島典子の歌──(13)

     村島典子の歌「かりゆし遊び」・・・・・・・・・・・・・木村草弥

       かりゆし遊び     村島典子

     六月六日、向ひ隣の家解体はじまる。故ありて、生活せし日のまま一切が処分さる。
   春の夕べ歌をうたひてありし窓生贄となる前線(フロント)として
   それはもはやホロコースト、家毀たるる日の六月の朝
   屋根瓦を男ら剥がすクレーンの長く黄色き首を操り
   降ろされし瓦いちまいいちまいをハンマーをもて壊す男あり
   老犬もわれも心底脅えたり破壊はある日脳におよぶ
   形あるもののなべては毀るると犬にもの言ひおのれを諭す
   三年間はむくどりの家軒先に子育ての賑やかな春がありけり
   窓硝子取り除かれてくろぐろと眼窩あらはる二階正面
   解体の玄関脇のあぢさゐの浅黄の鞠を雨があらへり
   静寂はひとときなれど雨なかに解体工夫らの休憩に人る
   崩落の後のしづもりただ黒き地とぞなりぬる夏至の雨ふる
   杖つきて君がきませる夢を見きをぐらき雨の湖をわたりて
   ふるさとは水口あたりと聞きしより水口あたりに降る雨おもふ
   うつそみの人なるわれや雨中にまつぶさに見つ家の滅ぶを
   一斉に梅雨に入りたる列島を磔刑の島と言ひし弘彦
          *
   くらみつつ空あふぎたり何処からか懷かしきひとの声は降りくる
   鴉一羽雀をしたがへ翔ぶところ奇妙なものにわれ行き会ひし
   かやつり草あそこにあると思ひつつひとまづ犬の行く方へゆく
   ざんざんと七月の雨すでにはや道は流れの下にありたり
   いつしんに電車を待ちて風を待つとほいところへ行きたしと思ふ
   ひかりあふれこぼるる桝ありわたくしの脳の迷路の伝達物資
   セロトニン木の橋わたれわたくしがわたくしとなるこの朝の森
   薬袋をさげてゆつくり歩く人を追ひ越しにけり薬袋さげて
   箱あけて見てしまひたり赤ん坊のあたまぐらゐの梨の実ななつ
   人類の祭典なれど夜をこめし二百余の国の民は平和か
   「かりゆし」の琉歌を教へくるる子は口三味線に風をつまびく
   節回しむつかしければ歩きつつかりゆしかりゆしかりゆし遊(あし)び
   北辰をめぐる星々常ならむわが生の緒の時間のそとに
   「孔子」読む晚夏の暑き夜のそらに星あつまれり天命とはなにか
   蝉ひとつ長啼きしのち沈黙す雨後の街路のひなたのにほひ
   ぬけがらをひとつ梢に掛けおかむわが晩年の紗の夏ごろも
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「晶」80号が贈呈されてきた。
いつもながら、村島さんの歌は心象にひびくものがあり、感銘ふかい。
形あるものは、遅かれ早かれ「滅びる」ということを情趣ふかく一連の歌にされた。
娘さんが沖縄の男性と結婚されたことは先に歌を引いて書いたが、今回も題名に「かりゆし」とある。

因みに「かりゆし」とは、こんな意味である。 ↓  また、これを冠した企業名その他がある。

かりゆし - 嘉利吉。沖縄方言で、「めでたい」「自然との調和」などの意味。
かりゆし (企業) - 沖縄県の企業。リゾートホテル等を運営。
かりゆし(貨物船) - 琉球海運が運航するRO-RO船。
かりゆし(貨客船) - 八重山観光フェリーが運航するフェリー。
かりゆしウェア - 沖縄県などで主に夏に着用されるアロハシャツに似たシャツ。
沖縄かりゆしフットボールクラブ - 沖縄県那覇市をホームタウンとするサッカーのクラブチーム。九州サッカーリーグ所属。
八月のかりゆし - 2003年に公開された日本映画。
かりゆしクラブ - 沖縄の地域政党。旧琉球独立党。

ここに転記して御礼としたい。
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これをご覧になった「2000円札マスター」氏から、こんなコメントをいただいた。 ↓

<あと「かりゆし58」というバンドもあります。二千円札からみで数日前渋谷公会堂の公演を見に行きました。
YouTubeで見られます。会場は若い人たちでいっぱいでした。そのうち記事にするかもしれません。>





「かりゆし58 Wikipedia」
 ↑ 彼らのことは、ここに詳しい。

ここに紹介し、感謝申し上げる。

われわれはどこからきたか われわれは どこへゆくのか ランプをかざす・・・・・・・・・・・・・・・栗城永好
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    われわれはどこからきたか われわれは
       どこへゆくのか ランプをかざす・・・・・・・・・・・・・・・栗城永好


『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』
原題は '''D'où venons nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?  である。
この絵と言葉を日本に最初に紹介したのは大正年間の「白樺派」の雑誌であった。
ゴーギャンの絵の題名としても有名であり、現在はアメリカのボストン美術館に所蔵されている。

以下、ゴーギャンなどについてネット上から引いておく。
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ポール・ゴーギャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848年6月7日 ~ 1903年5月9日)は、フランスのポスト印象派の最も重要かつ独創的な画家の一人。「ゴーガン」とも表記・発音される。

1848年、二月革命の年にパリに生まれた。父は共和系のジャーナリストであった。ポールが生まれてまもなく、一家は革命後の新政府による弾圧を恐れて南米ペルーのリマに亡命した。しかし父はポールが1歳になる前に急死。残された妻子はペルーにて数年を過ごした後、1855年、フランスに帰国した。こうした生い立ちは、後のゴーギャンの人生に少なからぬ影響を与えたものと想像される。

フランスに帰国後、ゴーギャンはオルレアンの神学学校に通った後、1865年、17歳の時には航海士となり、南米やインドを訪れている。1868年から1871年までは海軍に在籍し、普仏戦争にも参加した。その後ゴーギャンは株式仲買人となり、デンマーク出身の女性メットと結婚。ごく普通の勤め人として、趣味で絵を描いていた。印象派展には1880年の第5回展から出品しているものの、この頃のゴーギャンはまだ一介の日曜画家にすぎなかった。勤めを辞め、画業に専心するのは1883年のことである。

1886年以来、ブルターニュ地方のポン=タヴェンを拠点として制作した。この頃ポン=タヴェンで制作していたベルナール、ドニ、ラヴァルらの画家のグループをポン=タヴェン派というが、ゴーギャンはその中心人物と見なされている。ポン=タヴェン派の特徴的な様式はクロワソニズム(フランス語で「区切る」という意味)と呼ばれ、単純な輪郭線で区切られた色面によって画面を構成するのが特色である。

1888年には南仏アルルでゴッホと共同生活を試みる。が、2人の強烈な個性は衝突を繰り返し、ゴッホの「耳切り事件」をもって共同生活は完全に破綻した。

西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに渡ったのは1891年4月のことであった。しかし、タヒチさえも彼が夢に見ていた楽園ではすでになかった。タヒチで貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し、1893年フランスに戻る。叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えるが、絵は売れなかった。(この時期にはマラルメのもとに出入りしたこともある。) 一度捨てた妻子にふたたび受け入れられるはずもなく、同棲していた女性にも逃げられ、パリに居場所を失ったゴーギャンは、1895年にはふたたびタヒチに渡航した。

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』1897-1898年(ボストン美術館) (掲出の図版①の絵)
タヒチに戻っては来たものの、相変わらずの貧困と病苦に加え、妻との文通も途絶えたゴーギャンは希望を失い、死を決意した。こうして1897年、貧困と絶望のなかで、遺書代わりに畢生の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を仕上げた。しかし自殺は未遂に終わる。最晩年の1901年にはさらに辺鄙なマルキーズ諸島に渡り、地域の政治論争に関わったりもしていたが、1903年に死去した。
死後、西洋と西洋絵画に深い問いを投げかける彼の孤高の作品群は、次第に名声と尊敬を獲得するようになる。
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図版②にゴーギャンの自画像を載せておく。
484px-Paul_Gauguin_111ゴーギャン自画像

掲出した歌の作者・栗城永好は昭和6年生まれの「沃野」という結社に所属する人であり、
この歌は、はじめに紹介した有名なゴーギャンの言葉を歌の中に取り込みながら、趣ふかい歌に仕立てあげた。
この歌につづいて、こんな連作になっている。

   ランプをかざす・・・・・・・・・・・・・・栗城永好

  希望とは待つことである ひつそりと診察を待つ二時間余り

  点滴は天のしたたり 外は雨 誰もおのれの余命は知らぬ

  サヨナラをいくたび言へどどこらまで己れさらしてゐるのだらうか

  虫けらも人間もいのち奪ひあふ地球は青き星といひつつ

何とも命を深く見つめた佳作であることか。最近こういう、しっとりとした佳い歌に出会うことが少ない。
角川書店「平成19年版・短歌年鑑」に載るものから引用した。



山本万里詩集『撫順』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
撫順

──新・読書ノート──

     山本万里詩集『撫順』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・行路社2007/09/10初版第二刷刊・・・・・・・・・

先に書展などの紹介をした山本万里さんの詩集『撫順』をアマゾン中古本で買い求めた。
先の記事で書いたように幼児のときに満州から引き揚げて来られた際の体験を詩にしたものである。
見返しのところに、みごとな水茎うるわしく山本万里の毛筆書きと判子が押してある。誰かに献呈されたものらしい。
二、三引いてみる。


  絵巻物

万里ちゃん
クラスのお友達に
満州のことをお話ししてください

私は大垣市宇留生小学校の教室で
昨夜クレパスで描きあげた絵卷物を
一年生のみんなに話しはじめた

撫順の夏の白夜の鬼ごっこ
長い冬のスケ—ト 橇遊ぴ

日嬌小学校のこと
そして
まだからだが覚えている
引揚げの朝のこと

   私たちはぎっしりと屋根のない家畜用の貨物列車に詰め込ま
  れました。足も伸ばせない窮屈さでしたが、やっと日本に帰れ
  る喜びでいっばいでした。
   汽車が広い平原の力ーブにさしかかると、何十両も連結した
  貨車の最後尾までが見渡せました。
  「おーい おーい」。
  「日本に帰るんだぞう」。
  「おーい」。
   遠くの車両から声があがりました。こちらからも、鈴なりに
  満載された大人も子供も、皆有頂天になってハンカチや帽子を
  振って、ワッーと歓声を上げて応えました。

 時々列車はわけもなく広野の真ん中で止まり、ばらばらと中
国人の物売りや子供が群がって、「茶水」、「茶水」と、コップ
一杯の水を高値で売りました。買えない人を尻目に、満州でし
か通用しないお金をどんどん使う人もいました。

 漆黒の夜が来て嵐のように雨が降り出しました。屋根のない
貨車の上で傘は風にあおられ、滝のような土砂降りに体の芯ま
で濡れ、凍えるような寒さが襲いかかりました。
「眠ったら駄目だ。眠ったら駄目だ」。
父のどなる声に何度も揺さぶられながら、足元を洗う水溜り
の中で立ったまま夜を明かしました。
苦しい一夜が明けてほっとしたのもつかの間、今度は強烈な
直射日光が私たちを苦しめました。大陸の自然は次から次へと
無防備な私たちをいたぶり、すさまじい喉の渴きに、幼い弟た
ちは泣き出しました。あちこちで赤ちゃんが泣き喚き、辛さは
ひとしお募りました。

震える声を飲み込み
目じりの涙を手の甲でぬぐう
万里ちやんがんばって
先生のやさしい声に
つつかえながら先を読む

  列車が大河にさしかかった時、前方の車両から投げ落とされ
  た小さな木の箱、それは子供の亡骸だったそうです。
  再び大きく弧を描いて長い列車の全貌が見えてきても、もう
  手を振る人はいませんでした。疲れ果て、渴きと空腹、立ち込
  める不快な匂いのせいで、誰も彼もが苛立ってどうしようもな
  く不機嫌になっていたからです。

   汽車はまたもや高粱畑のまん中で止まりした。朝まで動か
  ないということでした。高い貨車からおりて線路脇の草の上に
  座りました。
   船に乗るまであとどのくらいかかるのだろう。泣き疲れて寝
  入ってしまった弟たちの側で、私はうつろに空を見上げました。

絵卷物はどこまでを描写したのか
ただ塞き上げる思いが
六歳の私を混乱させ
級友の前で立ち往生してしまつた恥ずかしさが
今もなお何かの拍子に思い出されてきて

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
  撫順音頭

年に一度の満鉄会から
父が持ち帰った手ぬいぐい
鮮やかな赤ちょうちんに
白抜きの「炭都撫順」
踊るような墨の字の「撫順音頭」
会の余韻のご機嫌さで
父は歌う
つぶやくようにうるうると

暮れなずむ空にちょうちんの列
母の袖を握って見上げたやぐら太鼓
  日本ではね
  これとそつくりな盆踊りをするのよ
ゆらいだ声までがよみがえる

青天井の下に
階段状に切り開かれた広大な地形
ずっと底まで続く切羽の各段に
石炭を満載した大型の貨車
これが撫順炭鉱の露天掘り
写真を指さす父の口調がせつない

父たち大勢の日本人が
若い身命を賭して
懸命に働き明日を夢みた
しかし 戦後
満州で生きてきたことが
恥ずかしいことのように
後ろめたい記憶のように
口をつむぐ
侵略という史実の前に

私も来し方を振り返る時期にきて
ようやく父の心に添ってみる
満鉄会に参加する
父たちの拠り所が寂しい

  おらが撫順でヨイショヨイヨイ
  掘り出す石炭(すみ)はヨッコラサノサ
  伸びる日本の土台石

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  半紙

今はもう誰も住んでいない母の家を整理する
天井の袋戸棚から出てきた私の成績物
通信簿にまじって
とてつもなく元気に
かきくりいもと 書いてある
これはあの時の半紙
そうに違いない

  夏休みの間に干草を作ってください
  出来高に応じて半紙と交換します

新聞紙が真っ黒になるまで練習して
最後に白い半紙に清書していたあのころ

草刈を日課として姉と励む
農道のチカラグサの根元を左手で束ね
鎌に力を込める
この草には泣かされたものだ
誰かがこの草をアーチ状に結んでおく
うっかり足を踏み入れて転んだことも数知れず
日当りの良い場所ならどこにでも生え
ちょっとやそっとでは引き抜けないからチカラグサ
はや五つに分かれた花穂をゆるがせ
どつしりと野道に居座っている。

出勤前の父も応援してくれる
きらめく大川の水辺近くまで
丈高い草をすばやく刈る
シ口ツメグサやホタルブクロ
黄色い花も混じつたまま
竹籠をゆすって詰め込んでゆく

筵に広げた草は
夏の太陽にちりちり焦げる
何度も裏返して乾燥させる

ふんわり香る干草を担いで交換所に急ぐ
友達も大勢集まっている
ずっしり重い箱入りの半紙
雪白のつややかな紙に頰ずりし
半紙のにおいを吸い込む
どんな書き味がするかしら
小走りに川べりの道を戻りながら
筆を下ろした瞬間の
墨のにじみ具合がゆるゆる浮かんでくる

あれから六十年
ずっと書道を続けてきて
あの時の半紙
この時今日の半紙に
ひとりだけの決意が走る

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第一章 日本の土、七月
第二章 撫順の空
第三章 松林の風

と全部で三十三篇の詩が載っているが、その中から第二章から二つ、第三章から一つの詩を引いてみた。
引き揚げてきた大垣の小学校での「書道」に始まり、終生を「書」と関わってきた作者の想いが凝縮していると思うゆえである。
先にも書いたが、この詩集によって第十七回の紫式部宇治市民文化賞を受賞されている。
この本には長年行動を共にされてきた田中国男氏による「記憶の中のもう一つの生の光景」という33ページにわたる詳しい解説があることも書いておく。
作者の益々のご健筆を祈って稿を終えたい。

(お断り)詩の部分はスキャナで取り込んだので、どうしても文字化けなどが生じる。
子細に修正したがまだあれば指摘してください。すぐに直します。



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