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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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村島典子の歌「かりゆし遊び」・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶

──村島典子の歌──(13)

     村島典子の歌「かりゆし遊び」・・・・・・・・・・・・・木村草弥

       かりゆし遊び     村島典子

     六月六日、向ひ隣の家解体はじまる。故ありて、生活せし日のまま一切が処分さる。
   春の夕べ歌をうたひてありし窓生贄となる前線(フロント)として
   それはもはやホロコースト、家毀たるる日の六月の朝
   屋根瓦を男ら剥がすクレーンの長く黄色き首を操り
   降ろされし瓦いちまいいちまいをハンマーをもて壊す男あり
   老犬もわれも心底脅えたり破壊はある日脳におよぶ
   形あるもののなべては毀るると犬にもの言ひおのれを諭す
   三年間はむくどりの家軒先に子育ての賑やかな春がありけり
   窓硝子取り除かれてくろぐろと眼窩あらはる二階正面
   解体の玄関脇のあぢさゐの浅黄の鞠を雨があらへり
   静寂はひとときなれど雨なかに解体工夫らの休憩に人る
   崩落の後のしづもりただ黒き地とぞなりぬる夏至の雨ふる
   杖つきて君がきませる夢を見きをぐらき雨の湖をわたりて
   ふるさとは水口あたりと聞きしより水口あたりに降る雨おもふ
   うつそみの人なるわれや雨中にまつぶさに見つ家の滅ぶを
   一斉に梅雨に入りたる列島を磔刑の島と言ひし弘彦
          *
   くらみつつ空あふぎたり何処からか懷かしきひとの声は降りくる
   鴉一羽雀をしたがへ翔ぶところ奇妙なものにわれ行き会ひし
   かやつり草あそこにあると思ひつつひとまづ犬の行く方へゆく
   ざんざんと七月の雨すでにはや道は流れの下にありたり
   いつしんに電車を待ちて風を待つとほいところへ行きたしと思ふ
   ひかりあふれこぼるる桝ありわたくしの脳の迷路の伝達物資
   セロトニン木の橋わたれわたくしがわたくしとなるこの朝の森
   薬袋をさげてゆつくり歩く人を追ひ越しにけり薬袋さげて
   箱あけて見てしまひたり赤ん坊のあたまぐらゐの梨の実ななつ
   人類の祭典なれど夜をこめし二百余の国の民は平和か
   「かりゆし」の琉歌を教へくるる子は口三味線に風をつまびく
   節回しむつかしければ歩きつつかりゆしかりゆしかりゆし遊(あし)び
   北辰をめぐる星々常ならむわが生の緒の時間のそとに
   「孔子」読む晚夏の暑き夜のそらに星あつまれり天命とはなにか
   蝉ひとつ長啼きしのち沈黙す雨後の街路のひなたのにほひ
   ぬけがらをひとつ梢に掛けおかむわが晩年の紗の夏ごろも
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「晶」80号が贈呈されてきた。
いつもながら、村島さんの歌は心象にひびくものがあり、感銘ふかい。
形あるものは、遅かれ早かれ「滅びる」ということを情趣ふかく一連の歌にされた。
娘さんが沖縄の男性と結婚されたことは先に歌を引いて書いたが、今回も題名に「かりゆし」とある。

因みに「かりゆし」とは、こんな意味である。 ↓  また、これを冠した企業名その他がある。

かりゆし - 嘉利吉。沖縄方言で、「めでたい」「自然との調和」などの意味。
かりゆし (企業) - 沖縄県の企業。リゾートホテル等を運営。
かりゆし(貨物船) - 琉球海運が運航するRO-RO船。
かりゆし(貨客船) - 八重山観光フェリーが運航するフェリー。
かりゆしウェア - 沖縄県などで主に夏に着用されるアロハシャツに似たシャツ。
沖縄かりゆしフットボールクラブ - 沖縄県那覇市をホームタウンとするサッカーのクラブチーム。九州サッカーリーグ所属。
八月のかりゆし - 2003年に公開された日本映画。
かりゆしクラブ - 沖縄の地域政党。旧琉球独立党。

ここに転記して御礼としたい。
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これをご覧になった「2000円札マスター」氏から、こんなコメントをいただいた。 ↓

<あと「かりゆし58」というバンドもあります。二千円札からみで数日前渋谷公会堂の公演を見に行きました。
YouTubeで見られます。会場は若い人たちでいっぱいでした。そのうち記事にするかもしれません。>





「かりゆし58 Wikipedia」
 ↑ 彼らのことは、ここに詳しい。

ここに紹介し、感謝申し上げる。

われわれはどこからきたか われわれは どこへゆくのか ランプをかざす・・・・・・・・・・・・・・・栗城永好
Woher_kommen_wir_Wer_sind_wir_Wohin_gehen_wir.jpg

    われわれはどこからきたか われわれは
       どこへゆくのか ランプをかざす・・・・・・・・・・・・・・・栗城永好


『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』
原題は '''D'où venons nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?  である。
この絵と言葉を日本に最初に紹介したのは大正年間の「白樺派」の雑誌であった。
ゴーギャンの絵の題名としても有名であり、現在はアメリカのボストン美術館に所蔵されている。

以下、ゴーギャンなどについてネット上から引いておく。
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ポール・ゴーギャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ポール・ゴーギャン(Eugène Henri Paul Gauguin, 1848年6月7日 ~ 1903年5月9日)は、フランスのポスト印象派の最も重要かつ独創的な画家の一人。「ゴーガン」とも表記・発音される。

1848年、二月革命の年にパリに生まれた。父は共和系のジャーナリストであった。ポールが生まれてまもなく、一家は革命後の新政府による弾圧を恐れて南米ペルーのリマに亡命した。しかし父はポールが1歳になる前に急死。残された妻子はペルーにて数年を過ごした後、1855年、フランスに帰国した。こうした生い立ちは、後のゴーギャンの人生に少なからぬ影響を与えたものと想像される。

フランスに帰国後、ゴーギャンはオルレアンの神学学校に通った後、1865年、17歳の時には航海士となり、南米やインドを訪れている。1868年から1871年までは海軍に在籍し、普仏戦争にも参加した。その後ゴーギャンは株式仲買人となり、デンマーク出身の女性メットと結婚。ごく普通の勤め人として、趣味で絵を描いていた。印象派展には1880年の第5回展から出品しているものの、この頃のゴーギャンはまだ一介の日曜画家にすぎなかった。勤めを辞め、画業に専心するのは1883年のことである。

1886年以来、ブルターニュ地方のポン=タヴェンを拠点として制作した。この頃ポン=タヴェンで制作していたベルナール、ドニ、ラヴァルらの画家のグループをポン=タヴェン派というが、ゴーギャンはその中心人物と見なされている。ポン=タヴェン派の特徴的な様式はクロワソニズム(フランス語で「区切る」という意味)と呼ばれ、単純な輪郭線で区切られた色面によって画面を構成するのが特色である。

1888年には南仏アルルでゴッホと共同生活を試みる。が、2人の強烈な個性は衝突を繰り返し、ゴッホの「耳切り事件」をもって共同生活は完全に破綻した。

西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに渡ったのは1891年4月のことであった。しかし、タヒチさえも彼が夢に見ていた楽園ではすでになかった。タヒチで貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し、1893年フランスに戻る。叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えるが、絵は売れなかった。(この時期にはマラルメのもとに出入りしたこともある。) 一度捨てた妻子にふたたび受け入れられるはずもなく、同棲していた女性にも逃げられ、パリに居場所を失ったゴーギャンは、1895年にはふたたびタヒチに渡航した。

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』1897-1898年(ボストン美術館) (掲出の図版①の絵)
タヒチに戻っては来たものの、相変わらずの貧困と病苦に加え、妻との文通も途絶えたゴーギャンは希望を失い、死を決意した。こうして1897年、貧困と絶望のなかで、遺書代わりに畢生の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を仕上げた。しかし自殺は未遂に終わる。最晩年の1901年にはさらに辺鄙なマルキーズ諸島に渡り、地域の政治論争に関わったりもしていたが、1903年に死去した。
死後、西洋と西洋絵画に深い問いを投げかける彼の孤高の作品群は、次第に名声と尊敬を獲得するようになる。
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図版②にゴーギャンの自画像を載せておく。
484px-Paul_Gauguin_111ゴーギャン自画像

掲出した歌の作者・栗城永好は昭和6年生まれの「沃野」という結社に所属する人であり、
この歌は、はじめに紹介した有名なゴーギャンの言葉を歌の中に取り込みながら、趣ふかい歌に仕立てあげた。
この歌につづいて、こんな連作になっている。

   ランプをかざす・・・・・・・・・・・・・・栗城永好

  希望とは待つことである ひつそりと診察を待つ二時間余り

  点滴は天のしたたり 外は雨 誰もおのれの余命は知らぬ

  サヨナラをいくたび言へどどこらまで己れさらしてゐるのだらうか

  虫けらも人間もいのち奪ひあふ地球は青き星といひつつ

何とも命を深く見つめた佳作であることか。最近こういう、しっとりとした佳い歌に出会うことが少ない。
角川書店「平成19年版・短歌年鑑」に載るものから引用した。



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