K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(2月)月次掲示板
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一昨年の東日本大震災により被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
2009.02.28ポンポン山の福寿草
↑ 高槻ポンポン山の福寿草(藤目俊郎氏撮影)

今年も、はや二月になりました。 
「二月は逃げる」と言われて早く経ちます。

 花散れば花を忘るる人間の悲なるやヒロシマののちのフクシマ・・・・・・・・・・馬場あき子
 村の名の一つ消えたる被災地にうぶ声乗せて外は雪降る・・・・・・・・・・・・・・辺見じゅん
 怒りすらかなしみに似て口ごもる この国びとの 性を愛しまむ・・・・・・・・・・・岡野弘彦
 誰が前世あるいは後生 穏やかな冬日を浴びて目つむる老猿・・・・・・・・・・・・・ 三井修
 やわらかに陽はさしているつちのうえ母さんぼくのぼくの骨だよ・・・・・・・・・・・福島泰樹
 暁闇のもの音の無き真暗闇ひとり覚めゐついつもこのままよ・・・・・・・・・・・・・・ 宮英子
 人間の命が海にかえるとき風が生まれる光をともない・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 沖ななも
 今は昔 昔をわすれけふを忘れ きのふも忘れ 忘れ雪降る・・・・・・・・・ 山埜井喜美枝
 耐え切れぬ思い然れどもこの先の悲惨場面をもう少し見る・・・・・・・・・・・・・・ 浜田康敬
 老体の一樹の方にめつむればその声透きて野末雪降る・・・・・・・・・・・・・・ 百々登美子
 腸(はらわた)に春滴るや粥の味・・・・・・・・・・・・・・夏目漱石
 雨の中に立春大吉の光りあり・・・・・・・・・・・・・・・・・高浜虚子
 立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・・・・・・・・・ 秋元不死男
 われら一夜大いに飲めば寒明けぬ・・・・・・・・・・・・ 石田波郷
 早春の湾パスカルの青き眸よ・・・・・・・・・・・・・・・・・多田裕計
 薄紙に大吉を刷る印刷所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤文香
 火宅無常へ赤煉瓦ひとつ足す・・・・・・・・・・・・・・ 林田紀音夫 
 渡良瀬は利根につづけり柚子は黄に・・・・・・・・・・・・・高島茂
 むめがかや昼寝の猫の耳たてて・・・・・・・・・・・・・・高島征夫
 人生に大寒小寒という睾丸・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 清水哲男
 待春や一樹せり出す水の上・・・・・・・・・・・・・・・・・ 松永浮堂
 梟の声するあの辺りが昔・・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋眞理子
 ふりかけの魚の固きそぞろ寒・・・・・・・・・・・・・・・ 小野あらた
 用もなく人に生まれて春の風邪・・・・・・・・・・・・・・ 山田露結
 夕焼けやウイルスを美しく飼い・・・・・・・・・・・・・・・ 岡村知昭
 齎(たまもの)のごとく小雪や朝寝して・・・・・・・・・・高橋睦郎
 江東区なれば冬草佳かりけり・・・・・・・・・・・・・・・・ 依光陽子
 黒髪に触れ初雪となりにけり・・・・・・・・・・・・・・・・山下つばさ
 宇宙から来たような加湿器が噴く・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 しほたれておでんの湯気の当たるまま・・・・・・・・・太田うさぎ
 生きのびてセーターやはり黒選ぶ・・・・・・・・・・・・・渋川京子
 着ぶくれてマストロヤンニふうにハグ・・・・・・・・・・・・ 今井聖
 枯原の中の灯台ならば抱く・・・・・・・・・・・・・・・・・・高勢祥子
 はるばると涸滝に来てしまうかな・・・・・・・・・・・・・ 岡野泰輔
 火を恋ふるとは口笛のとぎれとぎれ・・・・・・・・・・嵯峨根鈴子
 静かでしょうよくないことをしているの・・・・・・・・・・ 久保田紺
 ササキサンを軽くあやしてから眠る・・・・・・・・・・・・・・榊陽子
 あてどころ無くまいもどる風の花・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第五歌集『昭 和』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
一般書店からの取り寄せは、角川書店の配本部門・角川グループパブリッシング発売、と指定されたい。
ネット書店ではセブンネットショッピングLivedoor.Books紀伊国屋書店BookWeb、 楽天ブックスブックメール倶楽部、全国書店ネットワークe-hon でも買えるようになっています。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

ランキングを確認する 登録ジャンル:学問・文化・芸術>小説・詩
これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓します。アクセス数にもよるのでしょうか。 ご覧ください。

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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
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つきぬけて虚しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が降り来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安永蕗子
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    つきぬけて虚しき空と思ふとき
      燃え殻のごとき雪が降り来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安永蕗子


安永蕗子は熊本の人。父の創刊した歌誌「椎の木」を主宰していたが2012年3月17日、膵臓癌により死去。92歳。
昭和31年「棕櫚の花」50首で第2回角川短歌賞を受賞。
この歌は、「つきぬけて」と表現されるのだから「虚しい」とでも言うような、ポワンと何もない空だと思っていたら、突然、空から「燃え殻」と言われるように、
一般には「牡丹雪」と呼ばれる大きな雪がはらはらと降ってきた、という意味であろうか。
自然のあり様をよく観察して歌にされている。昭和37年刊『魚愁』所載。
川野里子の「短歌とエッセイ」に安永蕗子第二歌集『草炎』に触れたものがあるので、ご覧になるとよい。

以下、安永の歌をひいておく。

   何ものの声到るとも思はぬに星に向き北に向き耳冴ゆる

   かすかなるものに見をれど降る雪の当然にして虎杖(いたどり)を博つ

   飲食(をんじき)のいとまほのかに開く唇(くち)よ我が深淵も知らるる莫けむ

   紫の葡萄を運ぶ舟にして夜を風説のごとく発ちゆく

   街上にさるびあ赤きひとところ処刑のごとき広場見えゐる

   かへり来てたたみに坐る一塊の無明にとどく夜の光あり

   死を越ゆる方途たまはらざりしかば今の現つのくれなゐ椿

   文芸は書きてぞ卑し書かずして思ふ百語に揺れたつ黄菅(きすげ)

   西安と呼びてほのかに翳りくる四声悲泣の音あるらしも

   いづくにか水をついばむ嘴(はし)の音一尾呑まれてゐる水の音

   もろともに愛(を)しき命は満月に遠く礼(いや)して吾と吾が犬

   薄明の西安街区抜けてゆく奥のかまどに粥煮ゆる頃
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「雪」も、いよいよ終わる季節である。
内村直也作詞、中田喜直作曲になる♪「雪の降るまちを」♪という歌があるが、私はこの歌が大好きで、
カラオケで歌えと言われれば、冬ならば、この歌を選ぶ。
このサイトはメロディーと歌詞と楽譜が出るので、ご覧いただきたい。

動画を出しておくが、削除されたらゴメンなさい。 ↓


牡丹の芽萌えむとすなりひたに見む・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
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   牡丹の芽萌えむとすなりひたに見む・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

牡丹の花は四月から六月にかけて咲くが、牡丹の芽は例年だと一月下旬から二月中旬には芽を出すようになるが、今年は寒さが厳しいので、遅れているようだ。
この頃には色々の木や草が芽吹いてくる。
牡丹はキンポウゲ科の落葉低木で中国原産だが、たいへん寒さには強く、晩冬、早春の今の時期に芽を覗かせる。
まだ辺りが枯れ一色の中に、その赤みがかった明るい芽は印象的であり、一種の潔さを感じさせる。

写真①のような芽は、三月頃に成長した芽らしい芽になったものである。

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今の時期では、まだ芽が出始めたもので、せいぜい写真②の程度である。↑

「起てば芍薬、坐れば牡丹・・・」という譬えがある通り、日本でも豪華な花とされるが、中国では古来、牡丹の花が国を代表するものとして珍重される。
写真①と写真②との間に

    折鶴のごとくたためる牡丹の芽・・・・・・・・・山口青邨

というような時期があるのであるが、写真③のような芽である。↓
35753092_v1291497006牡丹の芽

俳句の世界では、「春先の、その逞しい炎のような芽の勢い」を賞するのである。
いわば春の勢いの象徴とも言えよう。
以下、牡丹の芽を詠んだ句を引いて終わる。

 牡丹の芽或ひと日より伸びに伸ぶ・・・・・・・・菅裸馬

 ゆるがせにあるとは見えぬ牡丹の芽・・・・・・・・後藤夜半

 牡丹の芽ほぐるるは刻かけて待つ・・・・・・・・安住敦

 牡丹の芽当麻の塔の影とありぬ・・・・・・・・水原秋桜子

 牡丹の芽一つ二つを雪つつむ・・・・・・・・山口青邨

 咲かねばならず待たねばならず牡丹の芽・・・・・・・・加藤楸邨

 牡丹の芽すでに紅糸をほぐしたる・・・・・・・・安住敦

 ゆつくりと光が通る牡丹の芽・・・・・・・・能村登四郎

 うごくかと思ひ見てゐる牡丹の芽・・・・・・・・斎藤玄

 人ごゑの遠巻きにして牡丹の芽・・・・・・・・岸田稚魚

 牡丹の芽青ざめながらほぐれけり・・・・・・・・加藤三七子

 日にちから風にちからや牡丹の芽・・・・・・・・大嶽青児

 よろこびのきわまるときの牡丹の芽・・・・・・・・高橋沐石

 南面の仏の視座に牡丹の芽・・・・・・・・北沢瑞史

 牡丹の芽まだ火の匂ひなかりけり・・・・・・・・坂本俊子

 むきだしの力を見せて牡丹の芽・・・・・・・・青柳照葉

そして五月になれば ↓ のような見事な牡丹の花ざかりとなるのである。

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詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女
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   詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

もう二月も終わりに近づいてきたので「二月」「如月」「余寒」「冴え返る」などの季語に因む記事を急いで書くことにする。
二月とか如月とかを映像で示すのは、どうしてよいか判らない。
そこで写真には「冬の渚─砂浜に残る人の足跡」を掲出することにした。

掲出した三橋鷹女の句は、季語として二月という言葉はあるけれども、極めて観念的な句で、そこがまた、類句を超えていると思って出してみた。
「詩に痩せて」というところなど、今の私のことを言っているのではないか、とドキリとした。

 うすじろくのべたる小田の二月雪・・・・・・・・松村蒼石

 竹林の月の奥より二月来る・・・・・・・・飯田龍太

 雪原の靄に日が溶け二月尽・・・・・・・・相馬遷子

 枯れ伏せるもののひかりの二月かな・・・・・・・・遠藤悠紀

 山彦にも毀れるひかり二月の樹・・・・・・・・速水直子

 二月果つ虚空に鳩の銀の渦・・・・・・・・塚原岬

「二月」という季語を使った句を挙げてみた。
「如月」というのは陰暦の二月のことであるから、陽暦では二月末から三月に入るだろう。
「衣更着」の字を宛てるのは、寒さが戻って衣を更に着るからで、「きぬさらぎ」を誤って「きさらぎ」と使ったのだという。
したがって、この言葉は「余寒」のあることを念頭に置いて使うべきだという。

 きさらぎのふりつむ雪をまのあたり・・・・・・・・久保田万太郎

 如月や十字の墓も倶会一処(くゑいつしよ)・・・・・・・・川端茅舎

 きさらぎの水のほとりを時流れ・・・・・・・・・野見山朱鳥

 きさらぎやうしほのごとき街の音・・・・・・・・青木建

 きさらぎは薄闇を去る眼のごとし・・・・・・・・飯田龍太

二十四節気あるいは季語の上では「立春」以後は「春」である。
だから、立春以後、まだ残る寒さを「余寒」という。「冴え返る」という季語も、そういう時に使う。
「春寒」という季語と違うのは、力点が残る寒さの方にあるのである。

 鎌倉を驚かしたる余寒あり・・・・・・・・高浜虚子

 鯉こくや夜はまだ寒千曲川・・・・・・・・森澄雄

 余寒晴卵を割つて濁りなし・・・・・・・・青柳菁々

二月の終わりを「二月尽」という。この「尽」というのは毎月の終わりの日に使える。
もうすぐ三月だという季節感が盛られている季語である。

 ちらちらと空を梅ちり二月尽・・・・・・・・原石鼎

 束の間のかげろふ立てば二月尽・・・・・・・・森澄雄

 風邪の眼に雪嶺ゆらぐ二月尽・・・・・・・・相馬遷子

 よべの雨に家々ぬれて二月尽・・・・・・・・内田百間



芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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     芝点(しばたて)の茶事の華やぎ思ひをり
       梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いただける。

掲出の写真は野外で茶をたてる時に使う「野点(のだて)セット」というもので、この携帯用のものの中に茶をたてる最低必要なものが入っている。
「芝点」と称して芝に毛氈を敷いて茶会をやる時には、もう少し道具類を用意するのが普通である。
寒い風の吹く季節をやり過ごして、うららかな春になると、家の中ではなく、野外に出て「野点(のだて)」をやりたくなる。芝生の上でやるのが「芝点(しばたて)」である。
「芝点」では「旅箪笥」などを使って茶を点てるのが普通である。
その由来についてWEB上では、次のような記事が出ているので貼り付けておく。

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<旅箪笥(写真②)は桐木地・ケンドン扉・鉄金具の鍵付きの小棚で、小田原出陣の折、陣中にて茶を点てる為に、利休居士により創案されたものだそうです。
道具を中にしまって背中にしょって出掛けたのでしょうか。

旅箪笥を使って「芝点て」の稽古です。
準備は地板に水差しを、2枚ある棚板の下方に棗と茶碗を飾り、上方の棚の左端の切り込みに柄杓を掛け、柄杓の柄の元に蓋置を飾り、ケンドン扉を閉めます。
建水だけを持ち手前座に入り、扉を開け(この開け方もなめらかに静かに行います)道具を取り出しお茶を点てるのですが、棚板の1枚を抜き出し、
その上に棗・茶筅を置く「芝点て」は、花見時の野点の光景が目に浮かぶ様な気がします。その雰囲気を楽しむ為か旅箪笥はよく釣り釜とあわせられるそうです。
特に季節を選ぶ棚ではないと言われますが、その風情から早春~春に用いられることが多いそうです。風炉との取り合わせはないそうです。>
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上の記事にあるように、本来は野外で点てるのを、後世になると、「芝点」と称して家の中でお点前をするようになったものであり、
ここまで来ると、「先ず茶道の作法ありき」という気がして嫌である。
私が「芝点」というのは文字通りの芝生の上での野点である。
私の歌は、梅が咲き初めた如月の丘に居て、もうしばらくすると芝点の時期がやって来る、楽しみだなあ、という感慨である。

以下、掲出の歌につづく一連の歌を下に引いて、ご覧に入れる。

      野 点

   芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・木村草弥

   毛氈に揃ふ双膝肉づきて目に眩しかり春の野点は

   野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛(はぎ)の白さよ無明(むみやう)のうつつ

   香に立ちて黒楽の碗に満ちてゐる蒼き茶の彩(いろ)わが腑を洗へ




冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    冷えまさる如月の今宵
     「夜咄(よばなし)の茶事」と名づけて我ら寛ぐ・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので、「夜咄の茶事」という11首からなる一連のはじめの歌である。
WebのHPでも自選に採っているので、ご覧いただける。

「夜咄の茶事」というのは伝統的な茶道の行事で、作法としても結構むつかしいものだが、私たちは、歌にも「寛ぐ」と書いたように略式にして楽しんだものである。
千利休などが茶道の基礎を固めはじめた頃は、茶道は、もっと融通無碍の自由なものであった。
それが代々宗匠の手を経るに従って、それらの形式が「教条主義」に陥ってしまった。
そういう茶道界の内実を知る私たちとしては、そういう縛りから自らを解放して、もっと自由な茶道をめざしたいと考えた。
だから先人にならって「番茶道」を提唱したりした。
利休語録として有名な言葉だが、

  「茶の湯とはただに湯を沸かし茶をたてて心静かにのむばかりなる」

というのが、ある。これは、まさに先に私が書いた利休の茶道の原点なのである。

この「夜咄の茶事」の一連は、私にとっても自信と愛着のあるものなので、ここに引用しておく。

     夜咄の茶事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ

   風化せる恭仁(くに)の古材は杉の戸に波をゑがけり旧(ふる)き泉川

   年ごとに替る干支の香合の数多くなり歳月つもる

   雑念を払ふしじまの風のむた雪虫ひとつ宙にかがやく
   
   釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの湯を注ぐとき茶の香り立つ

   緑青のふきたる銅(あか)の水指にたたへる水はきさらぎの彩(いろ)

   恭仁京の宮の辺りに敷かれゐし塼(せん)もて風炉の敷瓦とす

   アユタヤのチアン王女を思はしむ鈍き光の南鐐(シヤム)の建水

   呉須の器の藍濃き膚(はだへ)ほてらせて葩餅(はなびらもち)はくれなゐの色

   釉薬の白くかかりて一碗はたつぷりと掌(て)に余りてをりぬ

   手捻りの稚拙のかたちほほ笑まし茶盌の銘は「亞土」とありて


さらさらとまたさらさらと崩れゆく砂の粒粒春をふふめり・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    さらさらとまたさらさらと崩れゆく
       砂の粒粒春をふふめり・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「風二月」という言葉があるように、二月も半ばを越すと季節は確実に春に向かって進んでゆく。
二十四節気に「雨水」というのがあり、先日二月十八日がそうだった。
雨水」とは、これからは一雨ごとに春に向かってゆくという意味の節気であるが、今年は寒い真冬のようである。

私は子供の頃から内向的な性格で、砂や虫をじっと見ているというようなことが多かった。
もっと季節が進んで暖かくなると、家の縁側の下の砂地に、すり鉢形の「蟻地獄」があったりした。
これは「ウスバカゲロウ」の幼虫が、このすり鉢形の砂の斜面に蟻などの虫が差し掛かると、下から砂をさらさらと掻いて、すり鉢の底に引きずり込んでパクリと頂戴するという仕掛けである。
そんなのを、何するというのでもなく、また昆虫少年というのでもなく、ただ、じっと見つめていたものである。
ただ、今の季節では、そういう光景には早く、さらさらと崩れてゆく砂の粒粒に春の足音を私は、見たのであった。
「ふふむ」というのは「含む」の動詞の古い形である。
この歌のつづきに

   如月に幽(かす)かに水を欲るらむか祖(おや)ねむる地に雪うすらつむ・・・・・・・・・木村草弥

という歌が載っているが、この歌のように二月には雪の降る日もあるが相対的に雨は少ない時期であり、
先祖の眠る墓地に、うっすらと雪が積もる様が、祖先が水を欲しがっているかのようである、という歌である。
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掲出した写真は鳥取砂丘の砂浜のもの。かすかに「風紋」が見える。

私の歌に合わせて、寒さの中にも「春」が動いている様子を表す句を引いてみたい。

 春立ちてまだ九日の野山かな・・・・・・・・・・松尾芭蕉

 われら一夜大いに飲めば寒明けぬ・・・・・・・・・・石田波郷

 ブローニュに怒涛のごとく春来たる・・・・・・・・・・本井英

 渦巻ける髭と春くる郵便夫・・・・・・・・・・高島征夫

 立春の樹幹の水を聴きにゆく・・・・・・・・・・山本千舟

 立春へ笛吹きケトルのファンファーレ・・・・・・・・・・北川逸子

 白き皿に絵の具を溶けば春浅し・・・・・・・・・・夏目漱石

 空も星もさみどり月夜春めきぬ・・・・・・・・・・渡辺水巴

 春めくと百済観音すくと立ち・・・・・・・・・・和田悟朗

 バラ窓の真中に聖母春きざす・・・・・・・・・・福谷俊子

 春めくや波は光を巻きこみて・・・・・・・・・・飯尾婦美代

 春浅き耳洗ふとき音聴こゆ・・・・・・・・・・林 桂

 兵馬俑軍団無言春寒し・・・・・・・・・・磯直道

 蓋開けて電池直列春寒し・・・・・・・・・・奥坂まや

 春めくや足の裏なる歩き神・・・・・・・・・・泉紫像

 うりずんのたてがみ青くあおく梳く・・・・・・・・・・岸本マチ子

 うりずん南風がじゆまる太き根を垂るる・・・・・・・・・・三原清暁

 美しき奈良の菓子より春兆す・・・・・・・・・・殿村莵絲子

 
<地の意思を空に刻みて冬木立つ>男ごころと言ふべし 冬木・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    <地の意思を空に刻みて冬木立つ>
          男ごころと言ふべし 冬木・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


< >内の俳句は馬場駿吉の作品である。
馬場は名古屋市立大学病院の教授で医師であるが、前衛的な俳句作者としても著名な人である。
馬場の句は「地の意思」を「空に刻み」という立体的な句作りが独特である。
このような他人の作品を、歌なり句なり詩の中などに取り込むのを「コラージュ」という。

私の歌も、それを採用している。
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、「阿音の形而上学」という13首からなる一連の中の一首である。
冬のきびしい空気の中に立つ冬木に「男ごころ」を読み取ったというのである。

「冬木」という冬の季語には、冬の間の、息をひそめたような木々を表わすものがあるのである。
以下、少し冬木の句を引いて終りたい。

 大空にのび傾ける冬木かな・・・・・・・・高浜虚子

 冬木中一本道を通りけり・・・・・・・・臼田亞浪

 夢に見れば死もなつかしや冬木風・・・・・・・・富田木歩

 つなぎやれば馬も冬木のしづけさに・・・・・・・・大野林火

 その冬木誰も瞶めては去りぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 わが凭れる冬木ぞ空の真中指す・・・・・・・・八木絵馬

 みちのくの夕日あまねき冬木かな・・・・・・・・五所平之助

 猫下りて次第にくらくなる冬木・・・・・・・・佐藤鬼房

 冬木伐り倒すを他の樹が囲む・・・・・・・・武藤不二彦

 大冬木鹿の瞳何にうるほふや・・・・・・・・松野静子

 冬木の手剪られ切り口鮮しき・・・・・・・・稲垣きくの


奪ひ得ぬ夫婦の恋や水仙花・・・・・・・・・・・・・・・中村草田男
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      奪ひ得ぬ夫婦の恋や水仙花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中村草田男

「水仙」はいろいろの品種があるが、日本水仙は12月頃から咲きはじめて、春先まで息の長いものである。
『山の井』に「霜枯れの草の中に、いさぎよく咲き出でたるを、菊より末の弟ともてはやし、雪の花に見まがひて」云々とあるのも、簡潔にして要を得た水仙の紹介である。
写真②は黄水仙である。

narsissus黄水仙

わが家の庭の一角にも1月中ごろから日本水仙が咲きはじめ、今も寒風の中に、けなげに咲いている。
水仙の集団的な自生地としては、越前海岸や淡路島南端などが有名で、観光バスを連ねて見物に大勢が来る。
水仙の球根は植えっぱなしでよく、変にいじくらない方がよい。数年に一度くらい掘りあげて植えなおしする程度でよい。
夏になると、地上部の葉は、すっかりなくなり、他の植物の陰に隠れてしまうが、寒くなると葉が地上に出てくる。
水仙は学名を Narissus というが、これはギリシア神話で美少年ナルシッサスが水面に映るわが姿に見とれ、そのまま花になってしまったのが水仙だという。
自己陶酔する人を「ナルシスト」というのも、これに由来する。
なお「水仙の隠喩」というのがあるので、「シンボル・イメージ」の世界では、こういう象徴的な捉え方をするので、参照してもらいたい。 

 水仙や白き障子のとも映り・・・・・・・・松尾芭蕉

 水仙に狐遊ぶや宵月夜・・・・・・・・与謝蕪村

のような古句があるが、この両句は、ともに水仙をじかに見て詠んだのではなく、「障子」を通して、障子に映る影からの印象を句にしている。
何分、水仙の咲く頃は厳寒だから、それも当然であろうか。

掲出の中村草田男の句は、水仙の清楚さを引きながら「夫婦愛」と把握したところに私は同感を覚えて、いただいた。

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以下、水仙の句を少し引いておく。

 水仙を剣のごとく活けし庵・・・・・・・・山口青邨

 海明り障子のうちの水仙花・・・・・・・・吉川英治

 水仙花紙に干しある餅あられ・・・・・・・・滝井孝作

 水仙や古鏡の如く花をかかぐ・・・・・・・・松本たかし

 水仙花三年病めども我等若し・・・・・・・・石田波郷

 水仙花眼にて安死を希はれ居り・・・・・・・・平畑静塔

 水仙の花のうしろの蕾かな・・・・・・・・星野立子

 水仙や捨てて嵩なす蟹の甲・・・・・・・・大島民郎

 水仙や老いては鶴のごと痩せたし・・・・・・・・猿橋統流子

 水仙花死に急ぐなと母の声・・・・・・・・古賀まり子

 牛追ふや磯水仙を手にしつつ・・・・・・・・山田孝子

 水仙やカンテラに似て灯はともり・・・・・・・・飴山実

 水仙のりりと真白し身のほとり・・・・・・・・橋本多佳子

 水仙の吾を肯へり熟睡せむ・・・・・・・・石田波郷

 水仙や時計のねぢをきりきり巻く・・・・・・・・細見綾子

 水仙やたまらず老いし膝がしら・・・・・・・・小林康治

 水仙のしづけさをいまおのれとす・・・・・・・・森澄雄

 抱かねば水仙の揺れやまざるよ・・・・・・・・岡本眸

 水仙は一本が佳しまして予後・・・・・・・・鈴木鷹夫

 水仙の香や一睡の夢の後・・・・・・・・高橋謙次郎

 水仙は八重より一重孤に徹す・・・・・・・・西嶋あさ子

 水仙花私淑は告ぐることならず・・・・・・・・山田諒子

 水仙の切り口に夜の鮮しき・・・・・・・・野崎ゆり香

 日の果てに水仙立ち止れば岬・・・・・・・・吉田透思朗



赭土の坂をのぼれば梅の香はすがすがしかり肺を満たして・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   赭(あか)土の坂をのぼれば梅の香は
     すがすがしかり肺を満たして・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
私の住む「青谷」という所は鎌倉時代からの梅の名所である。
今では「城州白」という品種の梅が「梅酒」の原料としてピカ一であるとかで珍重されているらしい。
「梅」の歌は、私はいくつも作ったし、BLOGにも再三載せてきた。
特に2月19日は私たちの長姉・登志子の死んだ日であり、このこともBLOGに書いたことがある。

梅の花は、その香気と花の姿が万葉集の頃から愛でられた。その頃は「花」と言えば梅のことであった。
桜が花の代表のようになるのは「古今和歌集」になってからである。
それに、梅の花は花期が長く、桜のように、わっと咲いて、わっと散ることはないから趣がある。
私は梅の名所に住んでいるから言うのではなく、梅の方が好きである。

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紅梅は白梅よりも花の開花がやや遅いのが普通である。
濃艶な感じがする。
尾形光琳の「紅白梅図」の絵の紅梅、白梅の対照の美しさが思い出される。

梅の花は古典俳句にもたくさん作られてきた。

 梅が香にのつと日の出る山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 むめ一輪一りんほどのあたたかさ・・・・・・・・服部嵐雪

 二もとの梅に遅速を愛すかな・・・・・・・・・与謝蕪村

などの句が、それである。
その香気、春を告げる開花の時期に、句眼がおかれている。
以下、梅を詠んだ句を引いて終わる。

 山川のとどろく梅を手折るかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 梅一枝つらぬく闇に雨はげし・・・・・・・・水原秋桜子

 勇気こそ地の塩なれや梅真白・・・・・・・・中村草田男

 悲しめば鱗のごとく梅散りしく・・・・・・・・原コウ子

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ・・・・・・・・石田波郷

 てのひらを添え白梅の蕾検る・・・・・・・・大野林火

 梅白しまことに白く新しく・・・・・・・・・星野立子

 梅が香に襲はれもする縋られも・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅咲けば父の忌散れば母の忌で・・・・・・・・安住敦

 梅挿すやきのふは酒のありし壜に・・・・・・・・石川桂郎

 梅二月ひかりは風とともにあり・・・・・・・・西島麦南

 静けさのどこか揺れゐて梅白し・・・・・・・・鷲谷七菜子

 月光に花梅の紅触るるらし・・・・・・・・飯田蛇笏

 うすきうすきうす紅梅によりそひぬ・・・・・・・・池内友次郎

 紅梅に雪かむさりて晴れにけり・・・・・・・・松本長

 伊豆の海や紅梅の上に波ながれ・・・・・・・・水原秋桜子

 一本の紅梅を愛で年を経たり・・・・・・・・・山口青邨

 紅梅の燃えたつてをり風の中・・・・・・・・松本たかし

 紅梅や熱はしづかに身にまとふ・・・・・・・・中村汀女

 梅紅し雪後の落暉きえてなほ・・・・・・・・西島麦南

 厄介や紅梅の咲き満ちたるは・・・・・・・・永田耕衣

 紅梅や一人娘にして凛と・・・・・・・・上野泰

 白梅のあと紅梅の深空あり・・・・・・・・・飯田龍太

 紅梅の紅のただよふ中に入る・・・・・・・・吉野義子

 紅梅の天死際はひとりがよし・・・・・・・・古賀まり子



だまり食ふひとりの夕餉牡蠣をあまさず・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨
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    だまり食ふひとりの夕餉牡蠣をあまさず・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

冬の季節には「牡蠣」(かき)が美味なるものの一つである。
写真①は「焼き牡蠣」である。

掲出の楸邨の句の牡蠣は何だろうか。句からだけでは何か判らない。
フランス人も牡蠣をよく食べることは知られている。
Web上で見つけた「フランス落書き帳」というサイトによると、ボルドー(正確にはアルカッション)の牡蠣生産は有名らしい。
フランス国内需要の元になるチビ牡蠣の約70%を供給しているという。

a0008105_19524フランス牡蠣
↑ 写真②の、牡蠣9個、白ワイン、パン、海を見ながらのロケーションを含めて6ユーロ(約1000円)くらいだという。
(もっとも、これは産地で食べる値段であって、パリのそこそこの店で食べたら20ユーロ以上取られるらしい)
日本でも酢牡蠣にして食べるが、フランスでは生牡蠣にレモンをしぼって食べる。
また、この地方では焼いたソーセージと一緒に食べることも多いと言い、その場合は赤ワインとともに賞味するらしい。
私はオランダで「ムール貝」を食べたことがあるが、フランスで「牡蠣」を生食したことはない。

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↑ 写真③は「牡蠣フライ」だが、外食しても、家庭でも、この牡蠣フライが一番ポピュラーではないかと思う。
牡蠣は「海のミルク」と表現されるように、栄養素を豊富に含んでいる。出来れば、海の汚染されていない、きれいな海の産地のものが望ましいだろう。
写真①に載せた「焼き牡蠣」は適当に水分が飛んで、しかも海水のほのかな塩気が食欲をそそる。
先年の1月下旬に安芸の宮島に遊んだが、そこで「焼き牡蠣」を食べた。
目の前で網で焼いてくれて熱々を食べる。ふーふー言いながらの美味で2個で400円だった。

写真には載せないが土鍋での水炊きもおいしいものである。冬の季節には暖かい鍋物は、体が温まって、ほっこりした気分になる。
妻が元気な時は、家でも、よく食べたが、妻が亡くなった今では鍋物はほとんど姿を消した。

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↑ 写真④は牡蠣とホーレン草のクリームパスタである。
このように和風、洋風さまざまに料理は工夫できよう。今は年代によって料理の好みもさまざまであるから、ある料理法に固執する必要はないのである。
年配者向きには、牡蠣の使い残りで「牡蠣のしぐれ煮」なども喜ばれる。ご飯が少し余った時など、こんな佃煮も重宝なものである。
牡蠣雑炊なども水炊きの後のエキスの入った汁の活用として、おいしくいただける。
何だか、料理番組みたいになってしまったが、冬の味覚として私の大好きな食品である。

以下、牡蠣を詠んだ句を少し引いて終りたい。

 牡蠣はかる水の寒さや枡の中・・・・・・・・高浜虚子

 牡蠣鍋の葱の切つ先そろひけり・・・・・・・・水原秋桜子

 牡蠣の酢に和解の心曇るなり・・・・・・・・石田波郷

 牡蠣むきの殻投げおとす音ばかり・・・・・・・・中村汀女

 灯の下に牡蠣喰ふ都遠く来て・・・・・・・・角川源義

 母病めば牡蠣に冷たき海の香す・・・・・・・・野沢節子

 牡蠣好きの母なく妻と食ひをり・・・・・・・・杉山岳陽

 牡蠣そだつ静かに剛き湾の月・・・・・・・・柴田白葉女

 夕潮の静かに疾し牡蠣筏・・・・・・・・打出綾子

 亡き友も五指に余るや牡蠣すする・・・・・・・・本多静江

 牡蠣殻が光る鴉の散歩道・・・・・・・・藤井亘
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今日18日は「雨水」である。
立春から14日経ち、これからは、この二十四節気の字の通り、一雨こどに暖かくなって、春に刻々と季節が移ってゆくことになる。
「雨水」の名の通りに雨の一日になったが、ただし、今日は冷たい雨である。

凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人
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──京の冬の庭の句いくつか──

   ■凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人

「凍蝶」については何度も書いた。最近にも載せたが、成虫のまま冬を越す蝶のことである。
写真①のムラサキシジミも、成虫のまま越冬することが知られている本州に棲む蝶である。
「築地」とは築地塀とも言うが、泥土を固めて作った塀で上に瓦を乗せてある。
京都の寺院の塀などは、みな築地造りである。
この句は、冬の季節の今、そんな築地を眺めながら、「凍蝶は、この庭のどこかで越冬しながら春を待ちこがねて、やがて春になれば、
この高くはない築地を越えてゆくのだろう」と思いをめぐらしているのである。
しみじみとした情趣のある句である。

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   ■如月の水にひとひら金閣寺・・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏

俳句は17字と短いので語句を省略することが多い。この句も「ひとひら」ということについては何も書いてない。
この句の場合、「ひとひら」というのが、今の季節の梅の花びらが浮いているのか、あるいは水に映る金閣を花に譬えて「ひとひら」と言ったのか、
読者にさまざまに想像させる言外の効果をもたらすだろう。
何もかも言い切ってしまった句よりも、「言いさし」の句の方が趣があるというものである。

   春雪や金閣金を恣(ほしいまま)・・・・・・・・松根東洋城

   池にうつる衣笠寒くしぐれけり・・・・・・・・・名和三幹竹

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   ■寒庭に在る石更に省くべし・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

   梅天やさびしさ極む心の石・・・・・・・・・・中村汀女

   みな底の余寒に跼み夕送る・・・・・・・・・宮武寒々

これらの句は龍安寺で詠まれたものである。
写真③には雪の石庭を出してみた。
掲出の誓子の句は「石更に省くべし」という大胆なことを言っている。
この寺は臨済宗妙心寺派の古刹だが、応仁の乱の東軍の大将・細川勝元が創建したが応仁の乱で消失し、勝元の子・政元が再興したが
寛政9年(1797)の火災で方丈、仏殿、開山堂などを失い、現在の方丈は、西源院の方丈を移築したものという。
因みに、最初に掲出した相生垣瓜人の句は、ここ龍安寺で詠まれたものである。

kakura-nisonin35w愛新覚羅浩(嵯峨)家

  ■僧も出て焼かるる芝や二尊院・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

   雪解(ゆきげ)水ここだ溢れて二尊院・・・・・・・・・波多野爽波

二尊院は嵯峨野の西の小倉山の山懐にある。
ここには正親町三条を源とする「嵯峨」家30代にわたる菩提寺で、写真④に掲出する嵯峨家の墓がある。
愛新覚羅浩という、元の満州国皇帝の弟に嫁いだ浩は嵯峨家の出身である。

    からくにと大和のくにがむすばれて永久に幸あれ千代に八千代に

昭和53年(1978)8月、日中平和友好条約が成立したとき、愛新覚羅浩が、わが身を顧みて、心からその喜びを歌に詠んだ。まな娘・慧生の23回忌であった。
小倉山というのは「百人一首」で知られるところである。

giouji1祇王寺

   ■祇王寺と書けばなまめく牡丹雪・・・・・・・・・・・・・・・高岡智照尼

    句を作る尼美しき彼岸かな・・・・・・・・・吉井勇

    祇王祇女ひそかに嵯峨の星祭・・・・・・・・・岡本綺堂

    声のして冬をゆたかに山の水・・・・・・・・・鈴木六林男

    祇王寺の暮靄(ぼあい)の水の凍てず流る・・・・・・・丸山海道

    しぐるるや手触れて小さき墓ふたつ・・・・・・・・・貞吉直子

「祇王寺」とは平家物語で知られる白拍子祇王ゆかりの寺である。寺というよりも庵であろうか。
平清盛の寵愛を受けていたが、仏御前の出現によって捨てられ、母と妹とともに嵯峨野に庵を結んで尼となった。
後に仏御前も祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしたという。
この庵は法然上人の門弟・良鎮によって創められた往生院の境内にあったが、
今の建物は明治28年に、時の京都府知事・北垣国道が嵯峨にあった別荘の一棟を寄付したものである。
所在は嵯峨鳥居本小坂町である。
この句の作者高岡智照尼については←ここを参照されたい。




呼吸すれば、/胸の中にて鳴る音あり。/凩よりもさびしきその音!・・・・・・・・・・石川啄木
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  呼吸(いき)すれば、
   胸の中にて鳴る音あり。
   凩(こがらし)よりもさびしきその音!・・・・・・・・・・石川啄木


石川啄木は短歌というジャンル分けには納まらない詩人である。
写真は、同郷人で終生親友であった金田一京助(左)とのもの。

この歌も三行分かち書きであり、かつ句読点も打ってあり、横文字の感嘆符!まで付けてある。
 ↑彼についてはリンクにしてあるので、ご覧ください。

「胸の中にて鳴る音」というのは、肺を出入りする呼吸音のことであろうか。啄木はいつも貧窮のうちにあったから、身のうちの呼吸音にも「さびしさ」を感じたというのである。
啄木には
  <働けど働けど、わが暮らし楽にならざり。ぢつと手を見る>
というような作品もあるが、ここは、そういう身すぎ世すぎを書きたいとは思わないし、今日は石川啄木について書くつもりは無いので、「木枯し」を詠んだ句を引いて終りたい。

 木枯の果てはありけり海の音・・・・・・・・池西言水

 凩や何に世わたる家五軒・・・・・・・・与謝蕪村

 木枯や鐘に小石を吹きあてる・・・・・・・・与謝蕪村

 凩や広野にどうと吹きおこる・・・・・・・・・与謝蕪村

 木がらしや地びたに暮るる辻諷(つじうた)ひ・・・・・・・・小林一茶

 木がらしや目刺にのこる海のいろ・・・・・・・・芥川龍之介

 海に出て木枯帰るところなし・・・・・・・・山口誓子

 木枯や水なき空を吹き尽す・・・・・・・・・河東碧梧桐

 こがらしや女は抱く胸をもつ・・・・・・・・加藤楸邨

 死は深き睡りと思ふ夜木枯・・・・・・・・相馬遷子

 木枯と星とが知つてゐるばかり・・・・・・・・矢田部芙美

 凩や馬現れて海の上・・・・・・・・松沢昭

 妻へ帰るまで木枯の四面楚歌・・・・・・・・鷹羽狩行

 木枯らしに暮れてモンドリアンの木々・・・・・・・・高橋謙次郎

 木枯やいつも前かがみのサルトル・・・・・・・・田中裕明

 木枯のあとの大いなる訃がひとつ・・・・・・・・堀米秋良

咳をしても一人・・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎放哉
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  咳をしても一人・・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎放哉

ご存じの通り、尾崎放哉は「自由律」の俳人である。この句は「せきをしてもひとり」というかな書きばかりのテキストもあるが、今回は掲出のような表記にした。
放哉は東京大学法学部出のインテリで、生命保険会社や火災海上保険会社の支配人などを歴任したが、酒癖が悪くて退職に追い込まれたという。
須磨寺などの下働きのあと、小豆島西光寺南郷庵の堂守となる。
大正4年から荻原井泉水の「層雲」に句を発表し、その個性は自由律俳句によって存分に発揮された。

syuzouko尾崎放哉資料館収蔵庫

香川県の小豆島に尾崎放哉記念館がある。写真は資料館の収蔵庫である。
放哉については余り資料がないが、彼の句を少し引いておきたい。

Hosai2尾崎放哉

 夕日の中へ力いつぱい馬を追ひかける

 一日物云はず蝶の影さす 

 氷がとける音がして病人と居る

 仏にひまをもらつて洗濯してゐる

 こんなよい月を一人で見て寝る

 淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る

 つめたい風の耳二つかたくついてる

 糸瓜が笑つたやうな円右が死んだか

 大雪となる兎の赤い眼玉である

 底がぬけた柄杓で水ほ呑まうとした

 なんにもない机の抽斗(ひきだし)をあけて見る

 蛙たくさん鳴かせ灯を消して寝る

 淋しいからだから爪がのび出す

 昼寝の足のうらが見えてゐる訪ふ

 漬物石になりすまし墓のかけである

 すばらしい乳房だ蚊が居る

 足のうら洗へば白くなる

 畳を歩く雀の足音を知つて居る

 爪切つたゆびが十本ある

 入れものが無い両手で受ける

 月夜の葦が折れとる

 枯枝ほきほき折るによし

 渚白い足出し

 肉がやせて来る太い骨である

 春の山のうしろから煙が出だした

今日は楽しいバレンタイン・デー。あなたはチョコを貰いました?・・・・・・・・・・・・木村草弥
chocotop02抹茶チョコ

──エッセイ──

   今日は楽しいバレンタイン・デー。
     あなたはチョコを貰いました?・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


写真①は宇治茶の茶問屋さん発売の「抹茶濃厚生チョコ」である。

今日2月14日は、女の人が男性にチョコレートを呉れる日とされている。
しかし、案外、なぜそうなったかを知る人は少ない。
「義理チョコ」なんていう奇妙な習慣まで出来てしまった。歴史的沿革をひもといてみよう。
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 バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。
つまり、バレンタインというのは、人の名前なのです。どんな人だったかというと・・・。

 西暦3世紀のローマでのことです。皇帝クラウディウス二世(在位268-270)は、若者たちがなかなか戦争に出たがらないので、手を焼いていました。その理由は彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、ついに結婚を禁止してしまったのです。

 ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みではバレンタイン)は、かわいそうな兵士たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったから大変です。しかも、当時のローマでは、キリスト教が迫害されていました。皇帝は、バレンチノに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたが、バレンチノはそれを拒否しました。そこで、投獄され、ついには西暦270年2月14日に、処刑されてしまったということです。(269年という説もあります)。

Q) バレンタインデーはどのように始まったの?

A) ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になると、また同じようにくじ引きをします。

 496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を禁じました。代わりに、違った方法のくじ引きを始めたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますものです。そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンチノを、新しい行事の守護聖人としたのです。

 次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。

Q) バレンタイン・カードの始まりは?

A) バレンチノは、獄中でも恐れずに看守たちに引き続き神の愛を語りました。言い伝えによると、ある看守に目の不自由な娘がおり、バレンチノと親しくなりました。そして、バレンチノが彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになったのです。これがきっかけとなり、バレンチノは処刑されてしまうのですが、死ぬ前に「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。

 そのうち、若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをつづった手紙を2月14日に出すようになり、これが次第に広まって行きました。現存する最古のものは、1400年代初頭にロンドン塔に幽閉されていたフランスの詩人が妻に書いたもので、大英博物館に保存されています。

 しばらくたつとカードがよく使われるようになり、現在では男女とも、お互いにバレンタイン・カードを出すようになりました。バレンチノがしたように「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)と書いたり、「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりすることもあります。現在アメリカでは、クリスマス・カードの次に多く交換されているとか。

Q) どうしてチョコレートをあげるの?

A) 実は、女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣です。欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。

 では、チョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。そして、今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまいました。クリスマスもそうですが、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられて、セールスに利用されがちのようですね。

 自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンチノ・・・。今年のバレンタイン・デーは、そんな彼のことを思い出してください。
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layer4_118ロイズ生チョコ
写真②は北海道の「ロイズ」ROYCE’の「生チョコレート<山崎シェリーウッド>」735円、である。
写真①のような抹茶を使った変り種(定価1050円)もいいが、私はオーソドックスに生チョコと行きたい。
数年前に「ロイズ」の生チョコをもらってから、すっかり、ここの贔屓になった。北海道では他にも「六花亭」のものも有名ではある。
ROYCE'と書いてロイズと読ませるのも印象に残る。

バレンタイン・デーには、何もチョコをあげるばかりが能ではない。
ネット上では、さまざまのギフトが載っている。中には男性下着を贈るというのがあり、なまめかしい「Tバック」を贈る人もあるらしい。
「一緒に旅行に行く」というギフトもあるというが、これなど、まさに本命中の彼氏であり、身も心も捧げようという、いじらしい女心の発露と言えるだろう。

私のことだが、つい先日2/7が誕生日だったので、先取りで娘から散歩用の靴とチョコをもらった。生チョコがROYCE’のものであるのは、言うまでもない。



はんなりと京都ことばは耳に沁む奈良びととして街を歩めば・・・・・・・・・・・・・・・・櫟原聰
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──京都に因んで──

    ■はんなりと京都ことばは耳に沁む
      奈良びととして街を歩めば・・・・・・・・・・・・・・・・櫟原聰


先ののBLOGで「京言葉」の句を採り上げたので、その関連というのもおかしいが、「京都に因んだ」歌を挙げてみることにする。
掲出画像は『折々の京ことば』(堀井令以知・著)という本。

また、こんな本もある。
↓ 先に紹介した入江敦彦の本。 『KYOのお言葉』である。
入江

この本は京都人が使う言葉を短い項目にして、たくさん載せてある。
この本の中身については、後日、稿を改めて書きたい。
 
掲出した歌の作者・櫟原聰 は奈良在住の日本文学専攻の人である。
この歌は「奈良びと」として京の街を歩きながら「はんなりとした京都ことば」を聴いている、という面白い歌である。
「奈良」「平城」は京都に都が設営される前の宮都であった。一昨年は「平城京遷都1300年」ということで盛大な通年のイベントが催された。
だが、その都のあった期間は京都に比べると長くはない。それは地理的なものも大いに関係しているようだ。
藤原京、平城京とも、大きな川に恵まれなかった。今でも現地に行ってみられたらよい。
やはり日本の宮都として大きく発展するためには、相当の「川」が──つまり「水」が必要なのである。
奈良朝の末期に聖武天皇が、九州で叛乱があったためとは言え、「恭仁京」を木津川沿いに造営されようとしたが、
平城京に家、屋敷があって狎れてしまった宮人に背かれて、それは叶わなかったが残念なことであった。

daisinin大洗院庭

    ■炎ゆるもの心に持たぬ身はひとり
      白砂の庭にながく遊びぬ・・・・・・・・・・・・・・・・永井聿枝


俳句と短歌の違いは、575と57577というフレーズの長短ばかりではない。
俳句でも「心象」を盛ることは出来るが、短歌はフレーズの多さの分だけ「心象」としての抒情を深めることが出来るということである。
この歌などは、読者にさまざまの感懐を心のうちに引き起こす。

    ■秘めし思ひ熱きわが頬濡れながら
        歩む河原町雪降りしきる・・・・・・・・・・・・・中埜由季子


この歌も、上の歌と同様である。
「秘めし思ひ」とは、どんなことなのだろうか、「わが頬濡れながら」というのだから、心の痛む悲恋か何かだろうか、などと言外に読者の想念を誘うのである。
まして「河原町」という京都のショッピング街としての地の道具立ても出ている。そこに「雪降りしきる」である。
余りにもお膳立てが出来すぎているとも言えるが、こういう芸当は俳句には出来ないことである。
反面、短歌は冗長に堕してしまいがちで、だから心ある歌人は、俳句の持つ「衝撃性」に学ぼうとしたりするのである。

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   ■今しばし夕やけてゐよ比良・比叡 
      寒の入陽はひとを優しくす・・・・・・・・・・・・・・・・広瀬範子


    ■噛みつかれし如くにわが額痛むまで
      北山おろし吹く京の町角・・・・・・・・・・・・・・・・山野井珠几


    ■町寺の白壁冬の日を浴ぶる
      ところ通りて素直になりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・山野井珠几


これらの歌も「比良・比叡」とか「北山」とかの地名のもたらす効果が一首の歌の中に生きている。これこそ「地名」の持つ「喚起力」というものである。
短歌の発する「抒情性」というものが余すところなく、発揮された歌群と言えるだろうか。

ここで「京ことばカルタ」という動画を出しておく。カルタの読み手は「市田ひろみ」さんである。No.2、No.3があるようだ。
「京ことば」の発音とイントネーションの一端が聴ける。 ↓




「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・・・・・・・・・・・・・・・戸田静雄
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──京の冬の句アラカルト──

     ■「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・・・・・・・・・・・・・・・戸田静雄

立春も過ぎたので歳時記の上では、もう「春」だが、まだまだ寒いので「冬」の季語の句を、まとめて載せてみたい。
「梅」は厳密には春の季語だが、ここでは大目にみてもらおう。
「おこしやす」は「よくおいで下さいました」ということである。
「やす」とか「やして」とかいう接尾語が京言葉の特徴である。
「やす」と「やして」とは、ちょっとニュアンスが違う。「やす」は言い切りの形だが、「やして」は語尾の余韻の引いたような言い方である。
「おいでやす」は標準語の「いらっしゃい」にあたるが、「おいでやして」は「よくいらっしゃいました」とか「よく来てくれましたなぁ」とかの言い回しになるだろうか。
こういう言い方は若い人には、段々忘れられて、というか「言い回しが使いこなせなくなって」廃れる傾向にある。

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    ■凍蝶の恋に終止符仁王門・・・・・・・・・・・・・・・・・中野英歩

「凍蝶」については後にも書くが、蝶の種類によっては成虫のまま冬を越すものがいくつかある。
↑ 写真に載せる「黄蝶」も、その中のひとつである。
凍蝶が恋をする筈もないが、作者の中の恋の思い出が「仁王門」と結びついているのだろう。
面白い、ふくらみのある句である。

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   ■冴えざえと宿に非常の縄梯子・・・・・・・・・・・・・・・・中田多喜子

「冴え」が冬の季語である。
普通、旅館や病院、ホテルなどには「非常階段」というのが設置されていて、緑色の避難経路の標識がある。
ただ小規模な建物の場合、非常の場合に備えて脱出口と縄梯子があるところもあるようだ。
この句は、そういう非常の時を想定する場合のさむざむとした印象を、うまく一句にまとめている。

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    ■酢茎買ふ京の言葉にさそはれて・・・・・・・・・・・・・・・・松下セツ子

京都の冬の味覚として千枚漬や「すぐき」がある。千枚漬は初冬のものであるが、すぐきは保存が利くので一冬中ある。

      柴漬の茶づけ旨きや冬の京・・・・・・・・星野茜

      冬紅葉余韻涼しき京ことば・・・・・・・・清水雪子

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    ■なはとびにおはいりやしてお出やして・・・・・・・・・・・・・・・・西野文代

「縄跳び」が冬の季語である。
この句は「京言葉」をうまく句に取り入れて成功しているだろう。
「おはいりやして」という京言葉は「お入りになってちょうだい」ということであり、「お出やして」とは「出てください」ということである。
丁寧語の「お」が頭についているのは、言うまでもない。

     漬茄子は一夜にかぎる京の宿・・・・・・・・務中昌己

     京ことば聞こゆる街の暖簾かな・・・・・・・・松井広子

     はんなりと京の言の葉あたたかし・・・・・・・・八木沢京子

後の二句の季語がどれか、何時の季語なのかは今わからない。
京言葉に「おおきに」という感謝を表す言葉がある。
標準語でいうと「有難うございます」ということだが、この言葉の語源は「大きく有難う」の「大きく」=「大きに」という表現のうち、
後の方の「有難う」以下が省略されたものである。
大阪弁でいう「まいど」=「毎度」が「毎度有難う」の後半が脱落したのと、同じことである。

いずれにせよ、今では大阪弁というより吉本芸能系のドハデな、かつ「下品な」大阪弁というより汚い「河内弁」が、
あたかも大阪弁ないしは関西弁かのごとく振舞っているが、残念なことである。
正式の大阪弁というのは「島の内」辺りのものが純粋のものであるが、それらは今では形が崩れてしまって無くなってしまったと言える。
「知ったかぶり」をして京言葉なり関西弁を乱用してもらいたくないものである。


あおくけぶった空から/紙鳩のように/冬のひかりがおちてきた・・・・・・・・・・・苗村和正
d0054276_19415167枯れ葦

     あおい朝の湖辺で・・・・・・・・・・・・・・・・苗村和正

     あおくけぶった空から
     紙鳩のように
     冬のひかりがおちてきた

     こんな朝の
     だれも通らない湖へかたむく道は
     むきたての木の実のように固くしめっている

     こどもは
     そのひかる道を 髪をゆさぶってかけてゆく

     きくきくと風をならす
     折れ葦の中に ああ めざめている
     ちいさな太陽
     遠い距離となった
     こどもとわたしの間に
     駱駝のかたちで垂れさがっている

     まぶしい風景の
     きれぎれの寒さ

     撓みながらうごく
     遠い湖の波のうえに
     しろくしきりにうごくものはなんだろう

     あかあかと
     染まって
     こどもは まだ はしっている

(北溟社刊『滋賀・京都 詩歌紀行』から)
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この詩に出てくる湖は「琵琶湖」である。
冬の琵琶湖に行く人は、観光客では、めったにないだろう。
枯れ葦も火を放って焼かれて、春の芽だちを促すようにされているだろう。
人も自然も、みな、来ん春の用意をしているのである。



水仙が咲いている/ほの白い清らかな星のかたちで/私の生をいたわり/静かな眠りへと誘ってゆく・・・・・・・・高田敏子
aaoosuisen2水仙

──高田敏子の詩──(20)再掲載・初出Doblog2006/02/02

       水仙・・・・・・・・・・高田敏子

      水仙が咲いている
      昨年の暮れから ずっと
      ひと月余り
      水仙の花は咲いている
      私の部屋の花びんに

      花は少し疲れて
      花びらのへりを少しちぢませて
      花は私を見ている
      夜 机の前に坐る私を
      家族の目のないときの
      誰にも知られない一人のときの私を
      少し疲れた花のやさしさで

      灯を消しても
      花の視線は私の上にあるのだった
      闇の中
      ほの白い清らかな星のかたちで
      私の生をいたわり
      静かな眠りへと誘ってゆく

(詩集『こぶしの花』から)



とけて雪は/地の中にしみ入り/樹の根に吸いあげられて/樹液に変わるのだ・・・・・・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(19)再掲載・初出Doblog2006/02/01

         雪・・・・・・・・・・・・・高田敏子

     樹の根元のまわりから
     雪はとけてゆく
     樹の肌にそって まるく
     くぼみを作ってゆく
     その静かな環(わ)のかたちを見るのが
     私は好きだ

     雪はうっとりと
     とけてゆくのだろう
     とけて雪は
     地の中にしみ入り
     樹の根に吸いあげられて
     樹液に変わるのだ

      枝々の先に いっせいに
      噴きだす芽!
 
     うっとりと とけてゆく
     雪の心が
     あの環のくぼみから
     伝わってくる

(詩集『こぶしの花』から)




ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男
15832784_org_v1291646405枯れ蓮

   ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

普通、「ハス」は蓮根を採るための農作物だが、この頃では「生け花」用に「花蓮」が栽培されている。
私の方の近所でも花卉栽培農家があちこちに「蓮田」を作っている。
もっとも忙しい時期は、月遅れ盆の前10日間くらいである。お盆の行事に蓮の花を仏前に供えるからである。

「枯れ蓮」というのが冬の季語で、葉や蓮の実が残骸のように転がっているのが「あわれ」を催すというので、古くからの季語になっている。
掲出の秋元不死男の句は、見ようによっては「暗喩」の句とも読み取れよう。
以下、枯れ蓮を詠んだ句を引いておく。

 枯蓮の銅(あかがね)の如立てりけり・・・・・・・・高浜虚子

 蓮の骨日日夜夜に減りにけり・・・・・・・・青木月斗

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し・・・・・・・・水原秋桜子

 湖の枯蓮風に賑かに・・・・・・・・高野素十

 枯蓮をうつす水さへなかりけり・・・・・・・・安住敦

 枯蓮のうごく時きてみなうごく・・・・・・・・西東三鬼

 枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・・・・・・松尾いはほ

 白くさむく枯蓮の裾透きにけり・・・・・・・・草間時彦

 枯蓮の敵味方んく吹かれゐる・・・・・・・・清水昇子

 枯蓮(はちす)考へてゐて日が動く・・・・・・・・岸田稚魚

 枯蓮の折れたる影は折れてをる・・・・・・・・富安風生



「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──再掲載・私の誕生日に因んで

  草弥の詩─「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・木村草弥

   心拍の打つリズムを聴いている。
   ああ!私のいのちのリズム!
   あたたかい血のぬくもりがリズムを打っている
   時にはドキドキしたり
   落ち込んでぐったりすることもあるが─────。
   1/f のいのちの揺らぎ!

   ロウソクの炎が揺れている。
   今日は私のン十年の誕生日
   自分で買ってきたバースデーケーキのロウソクに
   火をつけて
   じっと見つめている。
   ハピーバースデー ツー ユウ!
   口の中で ぶつぶつと呟いてみる。
   ローソクの炎が揺れている。
   1/f の炎の揺らぎ!

   買って来た「物」についているバーコード。
   同じ太さの線が等間隔に並ぶというのではなく
   細かったり、太くなったりするバーコードの線のリズム!
   その線の間隔の並びが心地よい。
   もっとも バーコードとは言っても
   マトリックス型二次元コードは駄目!
   1/f のバーコードの線の揺らぎ!

   どこかで メトロノームが
   かちかちと リズムを刻んでいる
   ヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した────。
   規則正しい、ということもいいことだが
   一斉整列、一心不乱、というのは嫌だ。
   強弱、弱強の、
   寄せては返す波のようなリズムの
   波動が欲しい!
   1/f のおだやかな波動の揺らぎ!

   杉板の柾目の箱を眺めている。
   寒い年、暑い年、
   雨の多い年、旱魃の年────
   それらの気候の違いが
   柾目の間隔に刻印されている柾目。
   等間隔ではない樹のいのちのリズム!
   1/f の樹の柾目の揺らぎ!

   そよ風が吹いている。
   小川のせせらぎが聞こえる。
   自然現象は
   時には暴力的な素顔を見せることもあるが─────。
   今は
   そよ風が吹き
   小川のせせらぎの音が心地よい!
   1/f の自然のささやきの揺らぎ!

   どこかで
   ラジオの「ザー」というノイズが流れている
   周波数が合わないのか─────。
   もう片方の耳には
   妻の弾くピアノの音の合間に
   かちかちというメトロノームの
   規則正しい音が聞こえる。

   そのラジオのノイズの「ザー」という不規則な音と
   メトロノームの規則正しい音とが
   いい具合に調和するような
   ちょうど中間にあるような
   1/f の調和したリズムの揺らぎ!

   私の体のリズムと同じリズムである
   <1/f の揺らぎ>に包まれて
   <1/f のやさしさ>に包まれて
   今日いちにち快適に過ごそう!

──(2006.02.07 私の誕生日に寄せて)──
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この作品は私の詩集『免疫系』(角川書店)に収録した。
これは<1/f えふぶんのいち>という言葉に触れて、私の詩作の感受性が一気に開花したものである。
因みに申し上げると「1/f 」とは音楽用語というよりは科学用語である。関心のある方は、お調べ願いたい。
「f」=freqency周波数の略称というか、記号である。
この詩が成功しているかどうか、は読者の判定に待つほかないが、いかがだろうか。

「1/f ゆらぎ」については、このWikipediaの記事に詳しい。  
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誕生日に関していうと、今年はお祝いとして、長女からウォーキング用の靴をプレゼントされた。
先に、プレゼントとして何がいいか、と聞いてきたのでウォーキングシューズ希望と言っておいたものである。
いま履いている靴も一年前か二年前かに娘にもらったものであるが、ほぼ毎日三キロばかり歩いているので、靴も磨り減ったり、踵が片減りしたりする。
私はもう十年も前からウォーキングシューズは、ミズノの「io2」というのを愛用している。買い物に行くときも、これである。
今は妻も亡くなったし、心細い限りだが、幸い健康には恵まれているし、こうして子供たちからも気にかけてもらって感謝したい。
誕生日にあたり、感謝の一端を述べておく。



裸木の蕭条と立つ冬の木よわれは知るなり夏木の蒼を・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   裸木(はだかぎ)の蕭条と立つ冬の木よ
     われは知るなり夏木の蒼(あを)を・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
葉を落として粛然と立つ冬の木にも、緑の葉を茂らせた、華やかな夏木の季(とき)があるのである。
「冬の木よ、わたしはそれをよく知っているよ」という呼びかけである。冬木の姿を通して夏木を思い描いている歌である。

『栞草』に「夏木立は茂りたるをいひ、冬木立は葉の脱落したるさまなどいふべし」と書かれている。まさに簡潔にして要を得た言葉と言える。
俳句の季語としては「冬木」「寒木」「冬木立」「枯木」「寒林」などがあるが、この頃では「寒林」が多用されるという。
「枯木」という言葉は、葉を落としただけの冬木の表現としては適切ではない。文字通り「枯れた」木と紛らわしいからである。
掲出した私の歌のように冬木から夏木を連想するという意味では「枯木」は使いたくない。

いま「寒林」という季語を紹介したので、それを詠んだ句を引きたい。

 寒林の日すぢ争ふ羽虫かな・・・・・・・・杉田久女

 寒林の一樹といへど重ならず・・・・・・・・大野林火

 寒林を三人行くは群るる如し・・・・・・・・石田波郷

 寒林やとつくに言葉消えやすく・・・・・・・・石橋秀野

 寒林に日も吊されてゐたりしよ・・・・・・・・木下夕爾

 寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・・・・・・龍居五琅

 冬森を管楽器ゆく蕩児のごと・・・・・・・・金子兜太

 寒林に待つは若者眉根濃し・・・・・・・・星野麦丘人

 寒林の奥にありたる西の空・・・・・・・・鷲谷七菜子

 寒林の起ち上る夕日かな・・・・・・・・北野登

 寒林に海の匂ひがよぎりけり・・・・・・・・青木たけし
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南国では、本州との季節差を利用して鑑賞用の菊の栽培が盛んである。
菊は「短日性」の植物なので陽が短くなると咲き出すので、人工的に光線をあてて咲くのを遅くする。こういうのを「電照菊」という。
夜間に電気が点々と点っている風景は、温もりがあっていいものである。 そんな「かりゆし58」の音楽の動画を出しておく。 ↓




青江三奈を聴く・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──エッセイ──

      青江三奈を聴く・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

私の知人に、青江三奈を好きな男が居た。 彼女が出演するというので一緒にクラブに行ったりした。
彼は昨年亡くなったが、あのハスキーな声が今も頭のどこかに残っている。
青江三奈のニューヨークでの「伊勢佐木町ブルース」の動画を見つけたので出しておく。
「あぁ~」というセクシーさったら、堪らんねぇ。



青江 三奈(あおえ・みな、1941年5月7日 ~ 2000年7月2日)は、東京都江東区砂町出身の演歌・歌謡曲の歌手。本名は井原静子(いはら・しずこ)。
自身本来の生年月日は1941年5月7日であるが、芸能活動におけるプロフィール上では1945年7月7日としていた。成徳学園高等部卒業。

「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載していた小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来する。
高校在学時から東京・銀座の「銀巴里」でステージに立つ。
高校卒業後、西武百貨店勤務の後、クラブ歌手となり、1966年、「恍惚のブルース」でメジャーデビュー。
以後、1968年に「伊勢佐木町ブルース」、「長崎ブルース」、翌1969年には「池袋の夜」が大ヒット。
森進一と並んで「ため息路線」と呼ばれ、「伊勢佐木町ブルース」の冒頭部分は特に有名である。
「NHK紅白歌合戦」には1966年(第17回)に初出場。翌1967年(第18回)は落選するも、その後1968年(第19回)から1983年(第34回)まで、16年連続で出場した。
1990年(第41回)には、同年12月に亡くなった「恍惚のブルース」の作曲家・浜口庫之助を偲ぶという形で7年ぶりの復帰、通算18回目の出場を果たしたが、これが青江の生涯最後の紅白出演となった。

1999年1月23日、渋谷公会堂のコンサートを最後に、病気療養のため一切の歌手活動を停止。当初は膵炎と公表されたが、実際は膵臓癌であった。
その後は入退院を繰り返しながら闘病生活を送り続けていたが、翌2000年7月2日、膵臓癌により54歳(プロフィール上、実年齢は59歳)の若さで他界した。
没後に「伊勢佐木町ブルース」の歌碑が、神奈川県横浜市中区のイセザキモールに建立された。

なお、若き日の青江に大井町で同居しながら長年にわたり歌唱指導を行い 死亡直前に婚約した作曲家・花礼二と青江の兄弟との間で、激しい遺産争奪戦が起こりマスコミの話題を呼んだ。さらには後にその兄弟の間でも遺産争奪戦が起こり、訴訟沙汰になっている。


立春の風は茶原を吹きわたり影絵となりて鶸たつ真昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
7d3f2449カワラヒワ

   立春の風は茶原を吹きわたり
     影絵となりて鶸(ひは)たつ真昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌の前に

      立春の茶畑の土にくつきりと生命線のごと日脚のびたり

という歌が載っている。これらは私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
普通、「ヒワ」と呼んでいるが正しくは「カワラヒワ」というらしい。写真がそれである。
漢字で書くと「鶸」という字で、スズメくらいの大きさで、羽を広げたときの鮮やかな黄色がめだつ鳥である。
この鳥は「留鳥」ということであり、繁殖期以外は集団で行動する。
私の方の茶園は木津川の河川敷にあり、今ころになると茶畑でよく見られる。

私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の中にも

   野分のなか拝むかたちに鍬振りて冬木となれる茶畝たがやす

   固き芽の茶の畝耕し寒肥(かんごえ)を施(や)れば二月の風光るなり

という歌が載っている。これらも掲出歌と同じ時期を詠んだものである。

昨日は「立春」だった。昔の人が「春立つ」と季節分けした日が来たのである。
今年は一月は、ずっと寒かった。
二月の声を聞くと、そんな寒さが嘘のように日中は最高気温も10度を越えて12、3度を示すようになった。
さすがに朝晩は寒く、田園地帯では、まだ結氷も見られる昨今である。
「大寒」が1月20日ころで、節分、立春というと名前とは裏腹に一年でも、最も寒い頃であるが、さすがに季節は争えないもので、
「光」が全くちがって来て、光量が豊かになってきたという実感がするのである。
これらは野良で、実際に日光を浴びたものでないと実感は出来ないかも知れない。
この頃になると「日の出」の時刻は冬至の頃に比べても十数分早くなった程度だが、
「日の入り」は、ずっと遅くなって、冬至の頃に比べると一時間半ほどは太陽が長く照っている。
「春の日は暮れそうで暮れない」という言葉が昔からある。
私の歌群は、そういう季節感を実生活に則して詠んだものである。

20090215085526ヒワ群舞
↑ 掲出した私の歌の場面を写真にすると、こういう写真になる(撮影はM.N氏)。

以下、ヒワを詠んだ句を引いて終わる。 なおヒワは秋の季語である。

 鶸鳴くや杉の梢に日の残り・・・・・・・・柏後

 砂丘よりかぶさつて来ぬ鶸のむれ・・・・・・・・鈴木花蓑

 鶸渡り群山こぞり山を出づ・・・・・・・・相馬遷子

 北の空暗し暗しと鶸が鳴く・・・・・・・・飯田龍太

 鶸渡る建てしばかりの墓の辺を・・・・・・・・飯田龍太

 大たわみ大たわみして鶸わたる・・・・・・・・上村占魚

 鶸渡る比叡へ流るる霧に乗り・・・・・・・・鈴間斗史

 つと飛びし真鶸高らに天がける・・・・・・・・今牧茘枝

 鶸渡る雨の峠の草伝ひ・・・・・・・・堀口星眠

 さざめきのありて真鶸の枝うつり・・・・・・・・斎藤夏風

 群れし鶸田の土を舐め木に散りぬ・・・・・・・・城取信平

 風と来てオロフレ山に鶸の声・・・・・・・・長谷川草洲

 

春立つや愚の上に又愚にかへる・・・・・・・・・・・・・・小林一茶
12_17p4出雲大社「立春大吉」符

    春立つや愚の上に又愚にかへる・・・・・・・・・・・・・・小林一茶

「立春」は二十四節気の一つ。暦の上では今日から「春」になる。
まだまだ寒いが、これから「立夏」の前日までの90日間の季節をいう。これを「九春」という。これは「春九旬(90日間)」のことである。
春は寒暑の移り変わりの時期で、二月は寒く、三月に入って寒暖を繰り返しながら、次第にあたたかくなって、四月に暖かさが定まるということである。
昨日は「節分」だったが、この字の「節」の通り、季節がこの日をもって分かたれるのである。寒い寒い冬よ早く去れ、春よ来たれ、という「春」が動きはじめ、春の「気持」が用意されてゆく。
写真①は出雲大社の「立春大吉」の吉札である。
この「立春大吉」という字はタテ書きにすると左右対称形になるから縁起がいい、と古代中国の時代から言い慣わされてきたお目出たい字である。
『山の井』という本に「よろづのびらかに豊かなる心を仕立つ」と書かれているように、春の到来を喜ぶ気持が生まれる頃である。
「春」という字は「張る」「発る」が語源だというが、万物発生の明るい季節感を表現したものである。

harunootodure和菓子「春のおとずれ」
写真②は「春のおとずれ」という名前の立春の季節生菓子で伊勢の「赤福餅」で有名な老舗のもの。
ここは先年、日付表示のことで世間を騒がせたが、「赤福餅」は伊勢のみやげとして欠かすことの出来ないものだから、お客さまの後押しも得て、徐々に立ち直ってきたようだ。
淡い紅色のういろう生地で、こしあんを包んで折りたたみ、梅の花に見立てた菓子である。
伝統的な和菓子の世界では、こういう季節感を大切にした、ほのぼのとした情緒が賞味できる。

siratamatubaki和菓子白玉椿
写真③は、同じ老舗の「白玉椿」という季節の生菓子で、茶道の炉の季節の茶花は何と言っても椿が主役。
早春の今、色つやの美しい葉に囲まれて白一重中輪の早咲き種の白玉椿が花咲かせているのに因む。
伊勢芋を練り込んだ特製の生地で、こしあんを包み、白い清楚な花が茶席の床を飾る白玉椿に見立てている。

「立春」という抽象的な概念を表現するのは難しいもので、ならば、こういう季節感を持った具体的な「物」で視覚的に表わした方がいいと考えて、やってみた。

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写真④は日本酒の「立春搾り」という本日限りの限定版である。
日本酒は消費がじりじり減る傾向にあるので、こういう限定版の商品を発売して何とか売り上げを伸ばしたいという涙ぐましい努力である。
おかげで、こういう限定ものは、よく売れているらしい。インターネット上でも、いくつかの銘柄の立春酒が見られる。
昨年秋からの日本酒の仕込みも今が最盛期で、「蔵出し」の原酒などはおいしいものである。
左党ならぬ私なんかも美味だと思う。
このような趣向は、あちこちのメーカーが同じように採用している。

掲出の一茶の句は面白い発想のものだが、このように出られてしまうと、出鼻をくじかれて、二の句が継げない、というものである。

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写真⑤は「白椿」である。
以下、「立春」を詠んだ句を引いて終わる。

 寝ごころやいづちともなく春は来ぬ・・・・・・・・与謝蕪村

 雨の中に立春大吉の光りあり・・・・・・・・高浜虚子

 さざ波は立春の譜をひろげたり・・・・・・・・渡辺水巴

 立春や一株の雪能登にあり・・・・・・・・前田普羅

 かかる夜の雨に春立つ谷明り・・・・・・・・原石鼎

 山鴉春立つ空に乱れけり・・・・・・・・内田百閒

 春立つと拭ふ地球儀みづいろに・・・・・・・・山口青邨

 冬よりも小さき春の来るらし・・・・・・・・相生垣瓜人

 春立ちて三日嵐に鉄を鋳る・・・・・・・・中村草田男

 立春の米こぼれをり葛西橋・・・・・・・・石田波郷

 春が来て電柱の体鳴りこもる・・・・・・・・西東三鬼

 立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・・・秋元不死男

 立春の雪のふかさよ手鞠唄・・・・・・・・石橋秀野

 人中に春立つ金髪乙女ゆき・・・・・・・・野沢節子

 立春の鶏絵馬堂に歩み入る・・・・・・・・佐野美智

 立春のぶつかり合ひて水急ぐ・・・・・・・・会田保

 畳目の大きく見えて春立つ日・・・・・・・・八田和子



節分の春日の巫女の花かざし・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水
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   節分の春日の巫女の花かざし・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

掲出した写真は春日大社の節分祭で真夜中に行われる「暁祭」の巫女の神楽奉納。

「節分」は「立春」の前日で、追儺(ついな)──おにやらい、の行事が行われる。
豆を撒いて鬼を退散させ、自分の新しい齢の数だけの豆を食べるのが一般の風習になっている。
関西では戸口に鰯の頭を刺した柊ヒイラギの枝を差したりする。
また、「太巻き寿司」をそのまま、恵方の方角(今年は南南東)を向いて黙って一気に食べる、という風習が流行りだした。
もともと節分は一年に四回あり、季節の変わり目つまり「節」の変わり目にあったが、いつしか立春の前日に集中して行われるようになった。
旧正月で行われた行事──鰯の頭や柊の枝を戸口に差すこと、あるいは十二月晦日ないしは正月の追儺の行事も、節分に移行して、節分の行事となっている。

↓ 写真②は、奈良の春日大社の節分の行事である「春日万灯籠」のもので、三千とも五千とも言われる石灯籠に火が入った様は荘厳かつ圧巻である。
46282753_v1283755338春日万灯籠

京都、奈良には神社仏閣が多いが、この日にはあちこちで盛大な豆まきが行われる。客寄せのために有名人を招いて豆まきをさせたりする。
この節分の行事は室町時代から、今のような形になったと言われている。
壬生寺では壬生狂言「節分」が上演され、参詣者は素焼きの「ほうらく」を買って氏名、年齢などを墨で書いて厄除けを祈願奉納する。
この「ほうらく」は四月の大念仏会で上演される壬生狂言の「ほうらく割り」の中で割られ、これで厄除け、開運が授けられる。
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↑ 写真③は京都の壬生寺の壬生狂言の中の「炮烙ほうらく割り」の場面である。

寺院では「星まつり」と称するところもある。
私の家の菩提寺は日蓮宗だが、特別御祈祷と称して、携帯用の小さい「お札」を呉れるので運転免許証のケースの中に入れて持ち歩くのである。
もちろん御祈祷料が要る。

なぜ節分が年一回になり立春の前日だけに集中したのか、それだけこの日が寒い冬から春に向かう日として一番印象深いからであろう。
その期待感については、明日の「立春」のところで詳しく書きたい。

掲出した句も、春日大社のものであるから、ここで春日大社について少し書いてみたい。

春日大社は710年、藤原鎌足の子、藤原不比等が平城京遷都の際に藤原氏の氏神を祀ったのが始まりとされる。
一方、春日大社の社伝によると、奈良時代後期の768年に現在地に創設されたのが始まりとされている。
このタイムラグは何なのかというと、新興氏族の藤原氏と、すでに他の神々が奈良の山々に居る中で新たに新興の神様を持ってくるためには、
関係者たちとのコンセンサスを得るのに時間がかかったという説があるらしい。(梅原猛『隠された十字架・法隆寺論』新潮文庫)
いわゆる「成り上がり」は「伝統」には弱いということである。
その後、平安時代に入って藤原氏が天皇の外戚となって強大な権力を持つと、皇族や貴族の春日大社詣が増え、庶民の間にも信仰が深まってゆく、というところである。
ついでに書いておくと「興福寺」は藤原氏の「氏寺」であり、現在の寺域は狭いが、当時は今の奈良国立博物館の辺りの奈良公園なども、すべて興福寺の寺領だったという。

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↑ 写真④は滋賀県の多賀大社の節分祭の様子。神官の撒いている豆が鬼にかかるのが見える。

話は春日大社に戻るが、毎年二月と八月に3000ある灯籠に火を入れるが、これらの灯籠の多くは庶民からの奉納であるから、民間信仰の広がりが伺える。
因みに、奈良の「鹿」のことだが、この鹿は「神鹿」として、野生だが人間が限りなく「保護」するものとして今日に至っているが、
御神体であるタケミカズチは白い鹿に乗って鹿島からやって来たとされ、現在に至るまで奈良の鹿は神のお使いということになっている。

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↑ 写真⑤は京都の八坂神社の「福鬼」である。この鬼はわざわざ「福鬼」と断ってあるように、この鬼に頭を撫でてもらうと悪魔が退散して福がもたらされるということである。
以下、節分を詠んだ句を引いて終わりたい。

 節分の何げなき雪ふりにけり・・・・・・・・・久保田万太郎

 節分や灰をならしてしづごころ・・・・・・・・久保田万太郎

 節分や家ぬちかがやく夜半の月・・・・・・・・水原秋桜子

 節分やちろちろ燃ゆるのつぺ汁・・・・・・・・村上鬼城

 節分の豆少し添へ患者食・・・・・・・・石田波郷

 節分や田へ出て靄のあそびをり・・・・・・・・森澄雄

 節分の雪の精進落しかな・・・・・・・・手塚美佐

 米洗ふみづひかりをり節分会・・・・・・・・原けんじ

 節分の陽に透き烏賊の滴れる・・・・・・・・池田和子

 節分の月傾けし軒端かな・・・・・・・・県多須良
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京都の「節分」行事では、色々の面白いものもある。
左京区聖護院の「須賀神社」では江戸時代の風俗「懸想文(けそうぶみ)売り」が出て、良縁を得る縁起物を売る。
上京区の「廬山寺」の「鬼の法楽」という演出は絵画的に面白いものである。
赤青黒三匹の鬼が踊りまわるが、護摩の火を受け、豆と餅を投げられて退散する。

節分に懸想文はいかが?・・・・・・・京都・須賀神社・・・・(転載)
kesoubumi03懸想文売り

──(転載)──

以下の文章と写真は「ディープな京都と認知療法」の中のサイトから転載させてもらったものである。いつの年の記事かは不明。転載に深く感謝するものである。
記事末尾の俳句二つは、私が見つけて来て、載せたものである。(草弥記)

  節分に懸想文はいかが?・・・・・・・京都・須賀神社・・・・(転載)

 吉田神社をはじめ京都の神社やお寺では、節分に鬼が出るところが多いのですが、懸想文(けそうぶみ)売り が出るのは、ここ聖護院を東に入った所にある須賀神社をおいてはないでしょう。「懸想文」とは聞き馴れないものですが、これは直訳するとラブレターということになります。ラブレターを「売る」とは、またどういうことなのか?疑問が湧いてきます。好奇心の虫がうずうずしてきます。

kesoubumi01須賀神社

須賀神社は小さな神社で、普段は街のなかに埋もれてほとんど目立たない存在なんですが、節分の二月2・3日になると、お琴の音や、案内を語るおばさんの声がスピーカーから流れ、がぜん活気づいてきます。参拝客も大勢こられます。この境内に入るとすぐ目につくのが、写真①と③の怪しい二人組み。
手に持つのが「懸想文」です。これを売るのが「懸想文」売りで、怪しい二人組みこそ、その正体なのです。
写真①は、その「売り人」にカメラを向けて、ポーズを取ってもらったところなのです。

kesoubumi02懸想文売り

これがうわさの「懸想文売り」なのです。懸想文とは、説明によると「縁談や商売繁盛などの願を叶える符札で、鏡台や箪笥に入れておくと容姿が美しくなり、着物が増え、良縁にめぐまれるというので、古くより町々の娘や嫁にあらかたなものとして買い求められた。この風習は明治以降はなくなり、いまは須賀神社が二月三日の行事をしている」ということなのす。そこで私もぜひ一つ買ってみなくては。もっとも私は別の良縁を求めているわけではないのですが・・・。

この姿は、懸想文の外装にも描かれていて、忠実に再現しているようです。
 
 さっそく件の懸想文を開けてみることにしました。奉書紙に包まれていたのは、梅の枝に結ばれた風情の結び文。そこにはゆかしい和歌が変体がなで書かれています。
「むすほれし 霜はうちとけ 咲く梅の 花の香おくる 文召せやめせ 」と読めます。

kesoubumi05懸想文

kesoubumi06懸想文

 写真が④と⑤に分かれてしまいましたが、④が外装、⑤が中身ということです。
さらに、結び文を解いて読むことにします。こちらは普通のかな書きなので読むだけなら苦労はありません。
「行く水の 流れは 絶えずして・・・」と、なんとラブレターが諸行無常の「方丈記」の冒頭から始まります。艶っぽい内容を期待していたのは、あてがはずれました。

「 創造や漂ひ化せしてふ地(つち)の いにしへぶりの 大地を 」とか「活人剣の像成(かたち)し」とか、なかなか難しい漢語や縁語・懸詞がちりばめられて、ちょっとやそっとでは歯が立たない内容になっています。とても女の人が書いたものとはみえません。これはどこかの大学の国文学の先生が書いているのだと聞いたことがあります。
 最後には、
「壬午(みずのえうま)の春 巳遊喜より
 春駒さままいる」

とあり、この内容は毎年変わっていること、差出人と受取人の名前はそれぞれその年の干支にちなんだ名前になっているのが解ります。あとで調べてみると、最近では
緋兎美(ひとみ)->龍比古(たつひこ)->巳遊喜(みゆき)->春駒(はるこま)

と、女男女男(女性の名前が字は古風なのに、読みは今時風なのが面白いですね)と、毎年つながっているようです。ちょっと考えてみれば、12人のとんでもない片思いの数珠つなぎが、円環をなしているわけで、シェクスピアもびっくりものなんですねぇ。こんなにレアーで、奇想天外・霊験あらたかな懸想文を、皆さんもぜひゲットされるといいと思います。ただしお代は壱千円也で、売りだしは来年の二月2・3日までまたなければならないのですが・・・。

終わりに、俳句の大家の詠んだ句を引いて終わる。

 もとよりも恋は曲ものの懸想文・・・・・・・・高浜虚子

 淡雪を讃ふることも懸想文・・・・・・・・後藤比奈夫


吉原幸子『全詩』ⅠⅡⅢ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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8c12b04f8c3cad2f1dab9bf7a231e2bb吉原幸子

──新・読書ノート──

       吉原幸子『全詩』ⅠⅡⅢ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・思潮社2012/11/28刊・・・・・・・・・

吉原幸子が死んで十年になる。
昨年末に彼女の『全詩』集が新たな資料も加えて新装刊行された。
先ずWikipediaに載る彼女の概略を引いておく。
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吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 ~ 2002年11月28日)は、日本の詩人。

東京・四谷生まれ。四人兄妹の末っ子。三陽商会の創業者、吉原信之は実兄。兄姉の影響で幼い頃から萩原朔太郎や北原白秋の詩に親しむ。高校時代には演劇・映画に熱中(演劇部の同級生に女優の荻昱子、朗読家の幸田弘子、二年後輩に宝田明がいた)、また国語教師の詩人那珂太郎の奨めで校内文芸誌に詩作を発表した。一浪の後、1952年(昭和27年)、東京大学文科二類に入学。在学中は演劇研究会に在籍し、サルトルやブレヒトなどの現代劇に出演。1956年(昭和31年)、東大仏文科卒業。初期の劇団四季に入団、「江間幸子(えま さちこ)」の芸名で第6回公演のアヌイ作『愛の條件 オルフェとユリディス』(音楽・武満徹)にて主役を務めるも同年秋に退団。1958年(昭和33年)、黒澤明の助監督であった松江陽一と結婚、一児をもうけるが1962年に離婚。同年、那珂太郎を通じて草野心平を紹介され、歴程同人となる。

1964年(昭和39年)5月、第一詩集『幼年連祷』を歴程社から350部自費出版。思潮社社主の目にとまり、第二詩集『夏の墓』を思潮社から出版。またこの年、吉行理恵、工藤直子、新藤涼子、山本道子、村松英子、山口洋子、渋沢道子ら同世代の女性詩人と8人でぐるーぷ・ゔぇが(VEGA,ベガ)を起ち上げ、1968年の休刊まで詩誌を刊行。1965年(昭和40年)、『幼年連祷』で第4回室生犀星詩人賞を受賞。1974年(昭和49年)、『オンディーヌ』『昼顔』で第4回高見順賞受賞。この頃より諏訪優、白石かずこ、吉増剛造らと共に、詩の朗読とジャズのセッション、舞踏家山田奈々子との舞踏公演など、詩と他分野のコラボレーションを手がけるようになる。1983年(昭和58年)7月、新川和江と共に季刊詩誌『現代詩ラ・メール』(思潮社, 書肆水族館)を創刊。1993年の通巻40号を以て終刊するまで広く女性詩人や表現者の活動を支援した。輩出したラ・メール新人賞の受賞者には小池昌代、岬多可子、高塚かず子らがいる。

1990年頃から手の震えなど身体の変調を来し、1994年にパーキンソン症候群と診断される。1995年(平成7年)、新川和江によってまとめられた最後の詩集『発光』を出版。同年第3回萩原朔太郎賞を受賞。2001年(平成13年)に自宅で転倒し入院。翌2002年11月28日、肺炎で死去。

生前に「私にはふたつ秘密があるの」と語っていた秘密のひとつはレズビアンであったというもので、作品の中でそのことを抽象的に表しているが、本人の口から公式には発表されていない。

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詩集
幼年連祷 歴程社 1964(自費出版)
幼年連祷 思潮社 1964
夏の墓 思潮社 1964
オンディーヌ 思潮社 1972
昼顔 サンリオ出版 1973
吉原幸子詩集 思潮社 1973 (現代詩文庫)
魚たち・犬たち・少女たち サンリオ出版 1975
夢 あるひは… 青土社 1976
夜間飛行 思潮社 1978
新選吉原幸子詩集 思潮社 1978(新選現代詩文庫)
吉原幸子全詩 I, II 思潮社 1981
花のもとにて春 思潮社 1983
吉原幸子 中央公論社 1983(現代の詩人 12)
恋唄 沖積舎, 1983(現代女流自選詩集叢書)
ブラックバードを見た日 思潮社 1986
樹たち・猫たち・こどもたち 思潮社 1986
新編 花のもとにて春 思潮社 1988
発光 思潮社 1995
続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫), 新選吉原幸子詩集の改訂版
続続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫)
吉原幸子全詩 I, II, III 思潮社 2012
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風 吹いてゐる
 
木 立ってゐる

ああ こんなよる 立ってゐるのね 木

風 吹いてゐる 木 立ってゐる 音がする

よふけの ひとりの 浴室の

せっけんの泡 かにみたいに吐きだす

にがいあそび  ぬるいお湯

なめくぢ 匍ってゐる

浴室の ぬれたタイルを

ああ こんなよる 匍ってゐるのね なめくぢ

おまへに塩をかけてやる

するとおまへは ゐなくなるくせに そこにゐる

  おそろしさとは

  ゐることかしら

  ゐないことかしら

また 春がきて また 風が吹いてゐるのに

わたしはなめくぢの塩づけ

わたしはゐない

どこにも ゐない

わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて

流れてしまったの

ああ こんなよる

                           (吉原幸子 「無題」より)
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よく引かれる詩である。
冒頭の三行ほどは、部分的に引くと「短詩」としても自立する。
これは彼女が学んできたフランス詩のジュール・ルナールの詩などを想起させる。
ルナールの詩は、こんなものである。

◇ ジュール・ルナール(岸田国士訳)



長すぎる。





二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。


詩は削ぎ落して短いほど、鋭くなる。私も少年のころ、これらの詩に触れて、心ふるえたものである。
彼女は詩作品は、全部「旧かな」で書いたと言われているが、きわめて我流である。
旧カナでは、促音、拗音などでも字を小さくしないのが伝統的だが、彼女の場合には新カナ表記のように、小さく書く。 例 →「立ってゐる」。
だから我流という所以である。
文学作品だから、これが間違いだとは言い切れないが、これが短歌、俳句という伝統的な領域ならば、結社の主宰者などによって直されるだろう。
また彼女の詩集の題名にもなっているが『夢 あるひは』というのがあるが、この「あるひは」というのは勘違いによる誤用である。
これは「或いは」英語でいうと「or」の意味だと思われるからで、文語だから「あるひは」だろうという間違った類推によるもので、あちこちで見られる。
「あるいは」は──「あり」の連体形「ある」+間投助詞「い」+係助詞「は」──から成るもので、「あるひは」とするのは「い」の意味が不明になったための誤用、
と古語辞典に明記してある。 これらは日本語表記の約束事であるから、一定のルールの下で使ってもらわないと困る。
私が、彼女の誤用と断定するのは他のところで「或る日」という用法があって、彼女の使い分けが明確だからである。念のために言っておく。
他の詩も二、三引いてみる。
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   -小ちゃくなりたいよう!

   -小ちゃくなりたいよう!

 

 ひどく光る太陽を 或る日みた

 煙突の立ちならぶ風景を 或る日みた

 失ったものは 何だったらう

 失ったかはりに 何があったらう

 せめてもうひとつの涙をふくとき

 よみがへる それらはあるだらうか

 もっとにがい もっと重たい もっと濁った涙をふくとき

 

  わたしの日々は鳴ってゐた

   -大きくなりたいよう!

   -大きくなりたいよう!

 

  いま それは鳴ってゐる

   -小ちゃくなりたいよう!

 

 空いろのビー玉ひとつ なくなってかなしかった

 あのころの涙 もうなけなくなってしまった

 もう 泣けなくなってしまった

 そのことがかなしくて いまは泣いてる   (吉原幸子 「喪失」より)

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 雲が沈む

 そばにゐてほしい

 

 鳥が燃える

 そばにゐてほしい

 

 海が逃げる

 そばにゐてほしい

 

 もうぢき

 何もかもがひとつになる

 

  指がなぞる

  匂はない時間の中で

  死がふるへる

 

 蟻が眠る

 そばにゐてほしい

 

 風がつまづく

 そばにゐてほしい

 

 もうぢき

 夢が終る

 

 何もかもが

 黙る                    (吉原幸子 「日没」)


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 大きくなって

 小さかったことのいみを知ったとき

 わたしは”えうねん”を

 ふたたび もった

 こんどこそ ほんたうに

 はじめて もった

 誰でも いちど 小さいのだった

 わたしも いちど 小さいのだった

 電車の窓から きょろきょろ見たのだ

 けしきは 新しかったのだ いちど

 

 それがどんなに まばゆいことだったか

 大きくなったからこそ わたしにわかる

 

 だいじがることさへ 要らなかった

 子供であるのは ぜいたくな 哀しさなのに

 そのなかにゐて 知らなかった

 雪をにぎって とけないものと思ひこんでゐた

 いちどのかなしさを

 いま こんなにも だいじにおもふとき

 わたしは”えうねん”を はじめて生きる

 

 もういちど 電車の窓わくにしがみついて

 青いけしきのみづみづしさに 胸いっぱいになって

 わたしは ほんたうの

 少しかなしい 子供になれた  (吉原幸子 「喪失ではなく」)

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 純粋とはこの世でひとつの病気です

 

 ゆるさないのがあなたの純粋

 もっとやさしくなって

 ゆるさうとさへしたのが

 あなたの堕落

 あなたの愛  (吉原幸子 「オンディーヌ」より)

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 あのひとは 生きてゐました

 あのひとは そこにゐました

 ついきのふ ついきのふまで

 そこにゐて 笑ってゐました

 

 あのひとは 生きてゐました

 さばのみそ煮 かぼちゃの煮つけ

 おいしいね おいしいねと言って

 そこにゐて 食べてゐました

 

 あたしのゑくぼを 見るたび

 かはいいね かはいいねと言って

 あったかいてのひら さしだし

 ぎゅっとにぎって ゐました

 

 あのひとの 見た夕焼け

 あのひとの きいた海鳴り

 あのひとの 恋の思ひ出

 あのひとは 生きてゐました

 あのひとは 生きてゐました      (吉原幸子 「あのひと」より)
 
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もう二、三、彼女の詩の朗読の動画を出しておく。 ただし詩の文句はないが了承されたし。




いい朗読である。 あと、朗読ではないが、女声コーラス付きのものを出しておく。






太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ・・・・・・・・・三好達治
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      雪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三好達治

         太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

         次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

掲出の書は、この詩を書いた彼の「習作」である。

三好達治は、私が少年の頃から好きな詩人だった。大学に居るときに文芸講演会があって、大きな法経教室で三好達治が話をした。
題名も詳しい話の内容も忘れたが、その中でポール・ヴァレリーの言葉として
  <散文は歩行であるが、詩はダンスである>  という話が、私には数十年来、ずっと心に残っている。
このことは、あちこちに書いたし、このBLOGでも書いたかと思うが、散文と詩の違いを極めて的確に、この言葉は言い表わしている、と思う。
参考までに書いておくと、ヴァレリーの、この言葉は彼のエッセイ「詩と抽象的思考」(1939年)の中で書いていることである。
そんなことで三好達治は大好きな詩人として私の「詩」生活とともに、あった。
達治は私とは、もう二世代も前の人、というより私の母と同じ歳だが、彼の詩集は私の書架に残っている。
晩年の「駱駝の瘤にまたがって」という枯淡の境に達した作品なども、舐めるようにして読んだ。

達治の詩は難解な詩句は何もない。俳句や短歌という日本の伝統詩にも理解があり、自分でもたくさん作っている。
「詩」の中に俳句や短歌をコラージュとして含めることも、よくあった。
と、いうより、短歌とか俳句とか詩とかのジャンルの区分をしなかった。

掲出した詩は、一行目と二行目との「太郎」と「次郎」の詩句の違いだけで、字数もきっちり同じという、すっきりした詩の構成になっている。
「詩」作りの常套的な手法として「ルフラン」(リフレイン)が有効であるが、この詩の場合には、これがお手本というような見事なルフランである。

この詩を下敷きにして短歌などがいくつか作られた。
もちろん、その作者なりの必然的な表現として、ではあるが・・・・・・・。

9_photo07三好達治

三好達治(1900年8月23日 ~ 1964年4月5日)は、大阪市西区西横堀町に生まれた。
父政吉・母タツの長男。家業は印刷業を営んでいたが、しだいに没落し、大阪市内で転居を繰り返した。達治は小学時代から「神経衰弱」に苦しみ、学校は欠席がちだったが、図書館に通って高山樗牛、夏目漱石、徳冨蘆花などを耽読した。大阪府立市岡中学に入学し、俳句をはじめ、「ホトトギス」を購読した。学費が続かず、中学2年で中退し、大阪陸軍地方幼年学校に入学・卒業、陸軍中央幼年学校本科に入学、大正9年陸軍士官学校に入学するも翌年、退校処分となった。このころ家業が破産、父親は失踪し、以後大学を出るまで学資は叔母の藤井氏が出してくれた。

大正11年、第三高等学校文科丙類に入学。三高時代はニーチェやツルゲーネフを耽読し、丸山薫の影響で詩作を始める。
東京帝国大学文学部仏文科卒。
大学在学中に梶井基次郎らとともに同人誌『青空』に参加。その後萩原朔太郎と知り合い、詩誌『詩と詩論』創刊に携わる。シャルル・ボードレールの散文詩集『巴里の憂鬱』の全訳を手がけた後、処女詩集『測量船』を刊行。叙情的な作風で人気を博す。

十数冊の詩集の他に、詩歌の手引書として『詩を読む人のために』、随筆集『路傍の花』『月の十日』などがある。また中国文学者吉川幸次郎との共著『新唐詩選』(岩波新書青版)は半世紀を越え、絶えず重版されている。 

若いころから朔太郎の妹アイに憧れ、求婚するが、彼女の両親の反対にあい、断念。
が、アイが夫佐藤惣之助に先立たれると妻智恵子(佐藤春夫の姪)と離婚し、アイを妻とし、三国で暮らす。しかし、すぐに離婚する。
これを題材にして書かれたのが萩原葉子(朔太郎の娘)による『天上の花』(現在は講談社文芸文庫)である。

1953年に芸術院賞(『駱駝の瘤にまたがつて』)、1963年に読売文学賞を受賞(『定本三好達治全詩集』 筑摩書房)。翌年、心臓発作で急死。
没後ほどなく、『三好達治全集』(全12巻、筑摩書房)の刊行が開始された。

20090426110815792s三好達治墓

三好達治の墓は大阪府高槻市の本澄寺にある。三好の甥(住職)によって境内の中に三好達治記念館が建てられている。
私の畏敬するBLOG友であるbittercup氏による「三好達治記念館、墓、伝記などの記事」と写真などがあるので参照されたい。


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