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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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山田兼士『高階杞一論 詩の未来へ』・・・・・・・・・・・木村草弥
山田

──山田兼士の詩と詩論──(8)

     山田兼士『高階杞一論 詩の未来へ』・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・澪標2013/06/01刊・・・・・・・

山田兼士先生が詩誌「びーぐる」に連載されてきた文章に加筆して、この本にまとめられた。
先ず、この本の「あとがき」を引いておく。
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        あとがき

 本書は「びーぐる 詩の海へ」第三、五、六、七、八、九、十、十三、十五、十七、十九号と、十一回に渡って掲載した論考を十二章に再構成し加筆修正を施したものです。執筆にあたって、詩集『ティッシュの鉄人』については「別冊・詩の発見」創刊号(二〇〇五年四月)に書いた論考を、『桃の花』については詩誌「交野が原」六〇号(二〇〇六年五月)に書いた書評を、また『雲の映る道』については神戸新聞(二〇〇八年五月十六日)に書いた書評を、それぞれ前提にしています。また、全体のバランスを考えて、第四章には大幅な加筆を施しました。「付録1」に収めた対談は「活字倶楽部」二九号(雑草社、二〇〇三年春号)に掲載されたもの、「付録2」の論考は当初「河南文學」一〇号(大阪芸術大学文芸学科研究室、二〇〇一年三月)掲載のものを改稿の上「詩学」六三一号(二〇〇三年三月)に掲載、さらに改稿して『現代詩人文庫・高階杞一詩集』(砂子屋書房、二〇〇四年)に収録したものです。

『キリンの洗濯』を初めて読んだ時の衝撃は忘れられません。一九九〇年、友人に勧められて一読、たちまち高階ワールドに引き込まれました。同じ大阪府在住ということもあって、いつか作者に会うことができればと、漠然と考えていましたが、なかなかその機会には恵まれませんでした。
 生身の高階杞一との出会いは今から十五年ほど前、故寺西幹仁さんが主宰していた「詩マーケット」の会場だったと記憶しています。敬愛してきた詩人に会うことができて、大変うれしかったことを覚えています。その後、縁あって私が勤務する大学に出講していただくことになり、現在も毎週一度、研究室で顔を会わせる習慣が続いています。季刊詩誌「びーぐる 詩の海へ」の編集同人としての付き合いもすでに五年近くなりました。
 そうした身近にいる人の作品を客観的に論じることができるのか、という危惧を私自身抱かなかったわけではありません。しかし、考えてみると、高階杞一は当初から私の自然発生的な知己であったわけでなく、作品を通しての敬愛と親近感が先にあったわけで、いつか論じてみたいと念じていたところに、それこそ縁があって出会うことができたのでした。身近な人だから論じないというのも、身近な人だから論じるというのと同じ程度にアンフェアな態度だと、私は考えています。あえて断言するなら、客観的かつ普遍的に考えて、今後の日本詩を牽引していく使命を担った詩人の一人が高階杞一だと、私は信じています。その期待を前提にする本書が、少しでも多くの人の共鳴に恵まれることを願っていますが、結果は読者の判断に委ねるしかありません。

 本書の刊行によって、ボードレールからシュルレアリスムまでのフランス詩サイクルと、萩原朔太郎から宮澤賢治、中原中也、小野十三郎を経て谷川俊太郎に到る日本詩サイクルからなるボードレール・プログラムが、さらに同世代詩人にまで延びたことになります。自分と同年代の詩人(正確には私が二歳年少)を一冊の書物として全面的に論じることによって、いよいよ現代詩への自己投入が切実になってきた、というのが偽らざる本音といったところです。自らの詩論のさらなる広がりと深まりを期して、本書を世に送り出す次第です。
 今回も、澪標の松村信人さんには大変お世話になりました。大学時代からの先輩の期待に僅かでも応えることができているようにと、願わずにいられません。

 二〇一三年四月二十二日     山田兼士
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   第五章 『早く家(うち)へ帰りたい』──亡き子をしのぶ詩

 高階杞一の五冊目の詩集『早く家へ帰りたい』(一九九五年)は、これまで出ている十一冊の中で最も特別な一冊である。高階自身、これに続く『春’ing』(一九九七年)のあとがきに書いているように、特別なテーマで書かれた詩集だからだ。帯を見てすぐ分かるように、全篇が「レクイエム」なのである。高階が詩を書き始めてから最も重大なできごとであり、その後の詩作に大きな意味を持たせることになった「こどもの死」について今回は考えたい。

 高階杞一の長男雄介は一九九〇年九月に生まれた。生まれつき腸に障害があって何度も手術を受け、なんとか育ちそうな気配を見せてはいたが、一九九四年九月四日に世を去った。その後、多くの作品のモチーフとなり(最近では『雲の映る道』収録の「春の港」は秀作)「雄介詩篇」と呼ぶべき作品群を形成する契機になったこのできごとの意味を、作品から検討してみたいと思う。

 詩集『早く家へ帰りたい』の巻末に付された「創作日」一覧によれば、冒頭から八作目まではこどもの生前の作、九作目からが追悼詩で、最後の「永遠」まで、ほぼ制作順に並べられていることが分かる。それら十一篇の追悼詩の中で、最も制作時期の早い(つまりこどもの死からまだ日が経っていない)作品を引用する。

  ゆうぴー おうち

      平成六年九月四日、雄介昇天、享年三。

せまい所にはいるのが好きだった

テレビの裏側
机の下
本棚とワープロ台とのすきま
そんな所にはいってはよく
ゆーぴー おうち
と言っていた
まだ助詞が使えなくて
言葉は名詞の羅列でしかなかったけれど
意味は十分に伝わった
最近は
ピンポーン どうぞー というのを覚え
「ゆうぴー おうち」の後に
ピンポーン と言ってやると
どうぞー
とすきまから顔を出し
満面笑みであふれんばかりにしていたが……

今おまえは
どんなおうちにいるんだろう
ぼくは窓から顔を出し
空の呼鈴を鳴らす

  ピンポーン

どこからか
どうぞー というおまえの声が
今にも聞こえてきそうな
今日の空の青

「創作日」一覧によればこどもの死から十日ほどしか経っていない「1995.9.15」に書かれたということだが、そしてその分、未だ生々しい悲しみが直截な痛々しさを伴って書かれているが、後半、一行空きに続く部分は高階杞一ならではの透明感あふれる抒情に満ちている。「空の呼鈴を鳴らす」とは、簡単なようでいて、実は誰にでも書ける一行ではない。最後の五行には「昇天」(サブタイトルに注意)したこどもの天使的な姿さえ――はやくも――にじみでてはいないだろうか。

 亡き子をしのぶ最初の作品から二ヶ月後、高階は全四章一〇六行から成る詩「早く家へ帰りたい」を書く。この詩は、愛児追悼作品として中原中也「春日狂想」に比肩する名作である。高階作品になじみの薄い読者にも読んでもらいたいので、全文を引きながら鑑賞していきたい。まず、その冒頭――

   1

旅から帰ってきたら 
こどもが死んでいた
パパー と迎えてくれるはずのこどもに代わって
たくさんの知った顔や知らない顔が 
ぼくを 
迎えてくれた
ゆうちゃんが死んだ 
と妻が言う
ぼくは靴をぬぎ 
荷物を置いて
隣の部屋のふすまをあけて
小さなフトンに横たわったこどもを見
何を言ってるんだろう 
と思う
ちゃんとここに寝ているじゃないかと思う

 詩集刊行時、「旅から帰ってきたら/こどもが死んでいた」などと突き放したような書き出しに驚いた記憶があるが(当時私自身が子育て真っ最中だった)、重大かつ悲惨な事実を事実としてすぐには認識できない心情を、この上なく正確に写し出した表現であることに気づくのに、それほど時間は要しなかった。悲劇を目前にして、人がまず最初に覚えるのは違和感なのだ。そして――

枕元に坐り 
顔をみる
頬がほんのりと赤い
触れるとやわらかい
少し汗をかいている
指でその汗をぬぐってやる
ぼくの額からも汗がぽたぽた落ちてくる
駅からここまで自転車で坂道を上がってきたから
ぬぐってもぬぐっても落ちる
こどもの汗よりも 
ぼくは自分の汗の方が気になった
立ち上がり 
黙って風呂場に向かう
シャワーで水を全身に浴びる
シャツもパンツも替えてやっとすっきりとする
出たら 
きっと悪い夢も終わってる
死んだはずがない

 いつもと変わらない行動によって「悪い夢」から覚めようとするのだが、ここには一種の詩的虚構がふくまれているのではないか。実際にはその場で泣き崩れたのかもしれないし、ただ狼狽してうろうろしていたのかもしれない。だが、詩人の筆はそんな気配を微塵も感じさせずに、淡々と進むことで次の展開を用意している。

  2

こどもの枕元にはロウソクが灯され 
花が飾られている
好きだったおもちゃや人形も置かれている
それを見て 
買ってきたおみやげのことを思い出す
小さなプラスチック製のヘリコプター
袋から出して 
こどもの顔の横に置く
(すごいやろ うごくんやでこれ)
ゼンマイを巻くと 
プロペラを回しながらくるくると走る
くるくるとおかしげに走る
くるくるとおかしげに走る
その滑稽な動きを見ていたら
急に涙がこみあげてきた
涙と汗がいっしょになって
膝の上に
ぽたぽた落ちてきた


 この急展開は衝撃的だ。「くるくると…」を三度繰り返すことで平常心が一挙に崩れる一瞬を描いているのだが、この繰り返しによる一瞬の展開が高階マジックの一つであることはすでに前回まで見た通りだ。こどもの死を事実として受け止めた詩人は次に――

  3

こどもの体は氷で冷やされ 
冷たく棒のようになっていた
その手や足や
胸やおなかを 
こっそりフトンの中でさする
何度も何度もさする
ぼくがそうすれば 
息を吹き返すかもしれないと
ぱっちりと目をあけ 
もう一度
パパー と
言ってくれるかもしれない、と

 九月初旬、残暑の厳しい季節なので遺体の腐敗を防ぐために「氷で冷や」す、というのはリアリズムそのものだ。だが、遺体を手でさすって生き返らせようとする親の未練は切実なセンチメンタリズムと呼ぶべきだろう。あわせて、ここにはこの上なく直截な魂のリアリズムが描かれている。

 ところで、本作の初出(「ガーネット」十四号、一九九四年十二月)では、引用最終行「かもしれない、と」のところに読点は付いていなかった。初出と詩集掲載形の間には、漢字表記をひらがなに変えたり助詞を少し変えたりといった変更は多少あるものの、全体としてそれほど大きな違いはない。そんな中にあって、この読点は非常に気になるところだ。読点による一瞬の間(ま)が、死んだこどもへの未練を断ち切っているように読まれるからである。初出時から詩集刊行時までの一年ほどのあいだに、死者への哀悼がそれだけ深まった、ということだろう。未練から哀悼への転換を示す読点なのだ。

  4

みんな帰った
やっとひとりになれて 
自分の部屋に入っていくと
床にCDのケースが落ちていた
中身がない
デッキをあけると 
出かける前とは違うCDが入っていた
出かける前にぼくの入れていたのは大滝詠一の「ビー チ・タイム・ロング」
出てきたのは通信販売で買った「オールディーズ・ベスト・セレクション」の⑩
デッキのボタンを押すたびに受け皿の飛び出してくるのがおかしくて
こどもはよくいじって遊んでいたが
CDの盤を入れ替えていたのはこれが初めてだった
まだ字も読めなかったし
偶然手に取ったのを入れただけだったのだろうが
ぼくにはそれが 
ぼくへの最後のメッセージのように思われて
(あの子は何を聴こうとしてたんだろう)

こどもが死ぬ前にいじっていた(らしい)CDデッキのエピソードは、死の当日かどうかはともかく、おそらく事実に基づいたものだろう。いくつかの事実の断片を集めて詩人は一つのモチーフに結晶させた。そして次――

一曲目に目をやると
サイモン&ガーファンクル「早く家へ帰りたい」
となっていた
スイッチを入れる 
と 静かに曲が流れ出す
サイモンの切々とした声が
「早く家へ帰りたい」とくり返す
それを聴きながら 
ぼくは
それがこどもにとってのことなのか
ぼくにとってのことなのか
考える
死の淵からこの家へ早く帰りたいという意味なのか
天国の安らげる場所へ早く帰りたいという意味なのか
それともぼくに  
早く帰ってきてという意味だったのか
分からないままに 
日々は 
いつもと同じように過ぎていく


S&Gの「早く家へ帰りたい」。いかにもよくできた偶然のようにも見えるが、このあたりになると、詩がどの程度事実に基づいているのかなどという疑問はどうでもよくなってしまう。詩人にとって、亡き子が最後に残したメッセージは「早く家に帰りたい」でなければならなかったのだ。なぜなら、このメッセージこそが、いくつもの答えを導くことで詩の多義性と多様性を醸し出す、魔法の呪文=詩集の主旋律であるからだ。言い換えるなら、このフレーズの発見が詩集の輪郭を決定づけた。

 詩人は答えが見つからないままに、いや、幾通りもの答えを発見しながら「日々は/いつもと同じように過ぎていく」と、平常心を取り戻しつつある自己を凝視する。そして最後――

ぼくは
早く家へ帰りたい
時間の川をさかのぼって
あの日よりもっと前までさかのぼって
もう一度
扉をあけるところから
やりなおしたい

 この「家」はもはや現実に存在する家ではなく、過去の時間の中にしかあり得ない失われた家である。では、「あの日」より過去にしかない家の「扉」とは何か。時間の扉? それとも心の? 単純なようで実はそうとうに複雑な構造が、ここには潜んでいる。その複雑さこそが、この作品が読者に繰り返しせまってくる〈詩の問いかけ〉の正体だ。答えは読者が繰り返しそれぞれに発すればいい。その問いの深さ切なさこそが〈詩〉なのだ、と。
「早く家へ帰りたい」を掲載した「ガーネット」誌第十四号(前出)には、高階杞一による連載「詩誌・詩集から」の第十二回が掲載されていて、その題名は「失っていく練習――〈悲しみ〉をめぐって」。小長谷清実や阿部恭久らの作品を引用しながら〈悲しみ〉の諸相を考察し、最後は韓国の詩人オ・セヨンの詩の一節を引用し、次のようにしめくくっている。

私たちは
一つの美しいわかれを持つために
今日も
失っていく練習をしている
(「十月」部分、なべくらますみ訳)

ぼくも失っていく練習をしなければ――。


『早く家へ帰りたい』から七ヶ月後(一九九七年六月)高階は第六詩集『春’ing』を刊行する。だが、この詩集は一九九四年までの作品を収録したもので、「雄介詩篇」は一篇も含んでいない。「失っていく練習」の成果を見るためには、さらに二年ほど後(一九九九年)に刊行される『夜にいっぱいやってくる』を待たなければならなかった。
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長い引用になったが、途中で打ち切るのが躊躇されたからである。
短い、凝縮した作品が多い高階さんにしては、愛息の死に際して、心が動顚して、削った詩には出来なかったのだろうか。

よく読みこんだ精細な評論である。
私の書いたものとしては拙いものだが → 「高階杞一の詩」があるので参照されたい。


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