
初炬燵開く亡き妻在るごとく・・・・・・・・・・・・・・・沢木欣一
もう、この時季になれば、どこの家でも「炬燵」(こたつ)を出しただろう。
もっとも、この頃では全くの洋風暮らしをしている家もあるので、一概には言えない。
炬燵には「置き炬燵」と「掘り炬燵」の二種類があるが、床板をくりぬいた「掘り炬燵」の方が、絶対に足が楽だ。
この頃では和風料理屋などでも年中、掘り炬燵式のものにテーブルを置いてあるのが増えてきた。
正座をしたり、アグラをかくのに苦手な外人などにも好評である。
わが家でも10数年前に家を建て替えた時に、座敷に「掘り炬燵」を設置した。
夏も天板を、そのまま座卓にして、足は下に垂らせるようにした。天板も和風に合うように、落ち着いた、少し立派なものにした。
冬には下半身を暖めると全身が、ほっこりする。
「書斎」にも、三面が天井までとどく万冊に及ぶ本に囲まれているが、冬になると真ん中に「置き炬燵」を据えて、そこからテレビを見たりする。
書斎は椅子式の部屋だが、出入りの大工さんに頼んで椅子から足を伸ばせる台を特注で作ってもらい、
その板の上に「置き炬燵」を乗せるので、一人かけのソファーから足が伸ばせるのである。

写真②は昔の浮世絵の炬燵の図である。鈴木春信画とか書いてあるが真偽のほどは判らない。
うら若い娘が仲良く炬燵を囲んで、「あやとり」をしながら語らっているという構図である。
江戸の日常暦によると、神無月の行事として、上亥、中亥、下亥とある亥の日のうち、武家では上亥の日に、商家では二の亥(中亥)の日に「炬燵開き」をした、という。
コタツには蜜柑が、よく似合う。これは何と言っても季節の風物詩である。
掲出の沢木欣一の句は、妻を亡くした感慨が盛られた句なので、私の今の心情に近いものとしていただいた。
腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな・・・・・・・・・・・・与謝蕪村
というのがあるが、これは炬燵で温まった細君が腰抜けのようなしどけない状態になってしまった、という光景であろうか。以下、コタツを詠んだ句を引いて終りにしたい。
淀舟やこたつの下の水の音・・・・・・・・炭太祇
思ふ人の側に割り込む炬燵かな・・・・・・・・小林一茶
句を玉と暖めてをる炬燵か・・・・・・・・高浜虚子
炬燵の間母中心に父もあり・・・・・・・・星野立子
横顔を炬燵にのせて日本の母・・・・・・・・中村草田男
淋しくもなにもなけれど昼炬燵・・・・・・・・永井龍男
編み飽いて炬燵の猫をつつき出す・・・・・・・・原田種茅
炬燵出づればすつくと老爺峰に向ふ・・・・・・・・加藤知世子
切炬燵夜も八方に雪嶺立つ・・・・・・・・森澄雄
炬燵嫌ひながら夫倚る時は倚る・・・・・・・・及川貞
熱き炬燵抱かれしころの祖母の匂ひ・・・・・・・・野沢節子
どつぷりとつかりてこその炬燵かな・・・・・・・・中嶋秀子
炬燵して向ひに誰も居らぬ母・・・・・・・・千葉浩史
調法に散らかしてある炬燵の間・・・・・・・・小畑けい
活断層の真上に住みて炬燵かな・・・・・・・・安達光宏
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