
冬山の青岸渡寺(せいがんとぢ)の庭にいでて
風にかたむく那智の滝みゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤佐太郎
佐藤佐太郎は斎藤茂吉に師事し、茂吉に関する著書も多い。
西国三十三所第一番の札所青岸渡寺から那智の滝を遠望すると、ちょうど夢の中ででも見るような感じで、一筋の白い滝が崖から流れ落ちる。
作者は折からの冬景色の中で、滝が風を受けて、ふっと傾くのを見たのである。
「庭にいでて」とあれば文法的には、結句は「那智の滝(を)みる」となるのが自然だと思われるが、佐太郎が、
それを「みゆ」とした時、滝は言わば見る者と、見られる物という対比を超えて、ごく自然に見る者の中に入りこんで来たのである。
昭和45年刊『形影』所載。

佐太郎の歌に描かれた風景を写真に表すならば、写真②のようになる。手前の三重の塔が青岸渡寺のものである。
遠景に那智の滝が白く見える。この滝そのものが那智大社の御神体である。

↑ 熊野那智大社
もともとは神仏混交であって那智大社も寺も一体のものであったが、明治初期の神仏分離によって分けられたものである。今日、寺は天台宗に属する。
開基は仁徳天皇(313-399)の御代にインドから裸形上人が(釈尊入滅後882年頃)一行6人と共に熊野灘に漂着し、熊野の各地を巡歴した。
上人は今の那智大滝のところにおいて観世音を感得し、今の御堂の地に庵を作り、その後、推古天皇(593-629)の時に、大和より生き仏と言われる聖(ひじり)が来て、玉椿の大木に如意輪観世音を彫り、前の観世音を胸に納めたと寺伝されている。
↓ 写真④は青岸渡寺である。

この寺は西国三十三所観音霊場の第一番札所である。巡礼は、先ず、この寺から巡礼をはじめ、笈(おいづる)や集印帖ないしは御詠歌の本に寺の朱印を押してもらうのである。
この第一番札所の御詠歌は
ふだらくや岸うつ波は三熊野の那智のお山にひびく滝つせ
と詠われているが、作者は花山法皇と言われている。西国三十三所のほとんどの歌が花山法皇の歌である。
今や「熊野古道」は世界歴史遺産としての指定を受けるに至り、日本中の注目を集めることになった。
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