K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(5月)月次掲示板
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東日本大震災から三年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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 ↑ 伸びはじめた茶の新芽──宇治・堀井七茗園

新緑の五月になりました。
新人は五月病にならないようにストレスに気をつけましょう。 旧人はのんびりと。

手に摘みしやはらかき葉よ軒先に新茶一服いただいてゐる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・内藤明
あけぼののいろにもみづる楓の時間しづかに熟れてゐるなり・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
亡きひとが作りし薔薇の乾燥花崩るるときのおとのかそけさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池光
シャガールの「サーカス」のごとく浮遊する 船の上なるこのひとときは・・・・・・・・・中川佐和子
にんげんに尾があったなら性愛はもっとさびしい 風を梳く草・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大森静佳
きみからの手紙はいつも遠浅の海が展けてゆくようだ 夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 小島なお
行く春のひかりとなりて 柿稚葉。標なき終焉へ 皆、ひた向かふ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 成瀬有
黒糖のようなる鬱がひろがりてからまる髪をほどいておりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・野口あや子
水溶性まぶたとおもふカーテンに漉されし朝のひかりを受けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・福井和子
みづからが飛べざる高さを空と呼び夕陽のさきへ鳥もゆくのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・光森裕樹
横穴墓掘られた頃の野やいかに田んぼの水に映る青空・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
水の上五月の若きいなびかり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大野林火
プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ・・・・・・・・・・・・・・・石田波郷
少年の素足吸ひつく五月の巌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦
おそるべき君等の乳房夏来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西東三鬼
少し渦巻いて大きな春の川・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西村
麒麟
春宵や石鹸に透く果実片・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・野口る理
ここに祖母の磨いた飴色廊下・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・正木士易
「倒れてはる」て、鉢の椿に敬語やなぁ・・・・・・・・・・・・白井健介
遮断機の音とけてゆく春おぼろ・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤好美
蟻の本気が群がる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本山

陣痛は大気圏突入のやうだ春・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山口優夢
母の息思はぬ近さ石鹸玉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山崎祐子
亀鳴くやこのごろ買はぬ角砂糖・・・・・・・・・・・・・・・・・大川ゆかり
カーソン忌舟になる木の下にをり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
牡蠣買うて愛なども告げられてゐる・・・・・・・・・・・・・・・・阪西敦子
鼻のあなに舌はとどかずヒヤシンス・・・・・・・・・・・・・・・山田耕司
父の爆発山脈をみちづれに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷雄介
風がゆくビルごとに屋上がある・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤文香
一葉づつ鰡の跳びたる光かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・依光陽子
陽物(ファロス)出て悲の海照らす朝飯まへ・・・・・・・・高山れおな
春暁や凄味ある夢また見たし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・風間博明
春愁を紡ぐ指先ハープ抱き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小沢麻結
くちづけの粘度 ミルクティー揺れる・・・・・・・・・・・・・・・藤田めぐみ
春昼の部屋に鈍器の二つ三つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・斎藤朝比古
春愁をいだくすべなきトルソかな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺竜樹
会議中ふと独活よぎる塵取りも・・・・・・・・・・・・・・・・・・川名つぎお
リラの雨監視カメラの前でキス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渕上信子
水温むふと口笛が吹けさうと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
パックリと壺が割れてるアンパンマンだ・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
三分後失う記憶春の風・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 七風姿


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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第五歌集『昭 和』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
ネット書店ではセブンネットショッピングLivedoor.Books、 楽天ブックスブックメール倶楽部、全国書店ネットワークe-hon でも買えるようになっています。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

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 これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓ します。アクセス数によるのでしょう。 ご覧ください。


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宗鑑の雨の軸かけ五月尽・・・・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫
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     宗鑑の雨の軸かけ五月尽・・・・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

松尾芭蕉は、それまで流行していた「連歌」よりも、もっと短縮した「俳句」と言う形で、あらゆる事を五感で感じる儘を簡素簡潔に表現したので、
「俳句の祖」と崇められているが、その芭蕉よりも180年ほど遡って、「山崎宗鑑」と言う、これまた大小を捨てて、世捨て人となり、連歌を好み、
よって、連歌師の祖とまで言われる様になった人である。
もっとも、お断りしておくが「俳句」と言ったのは明治になってから正岡子規が唱えたもので、芭蕉自身は「発句」と言ったので、念のため。
掲出したのは彼の自刻による像と伝来するもの。
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山崎宗鑑(やまざきそうかん)について、ネット上から転載しておく。

 1465~1553(寛正6~天文22)室町時代末期の連歌師・俳人。近江佐々木氏の後裔。足利義尚に仕えた武士。本名を志那弥三郎範重ともいう。
山城国の大山崎惣中とのつながりで,洒脱な連歌・俳諧をつくったのでこの名あり。
飯尾宗祇や荒木田守武らとも親交があり,かつ柴屋軒宗長とともに山城薪の酬恩庵で俳諧の連歌を競ったりしている。
そして新文学としてのジャンルに定着した。
晩年の1540年ごろの編で『犬筑波集』と称する「俳諧連歌抄」には著名な専門連歌師の俳諧も収録されていたが,
素朴で生命力をもつ生々とした作品は,山崎宗鑑らの大山崎惣中の戦国に生きる自治的惣中の背景から即興性をもつ濶達な作風をつくっている。
座結合の文学のはしりといっていい。
讃岐国観音寺の興昌寺一夜庵で没する。旅に生きた,そして宗鑑流の書風の祖ともいわれる。
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別の記事には、こう書かれている。

山崎宗鑑句碑と霊泉連歌講跡

山崎宗鑑は室町時代の連歌師で、近江国志那(現在の草津市)の出身です。
もとは九代将軍義尚に仕える武士でしたが、その主人の突然の死に無情を感じ身分を捨てて風狂の道に入り、この大山崎にきたのが30歳のころでした。
それ以後、この地で人生の大半を過ごすことになりました。
 若い頃から連歌になじみ、反骨精神と滑稽を身につけていた宗鑑は、八幡宮社頭での月例連歌講と、
ここ舟橋川畔の観音堂にあった霊泉連歌講の二つのリーダーとなり、当時の大山崎の神人・商人の俗なエネルギーに後押しされて、
雅の道の連歌を離れ、俗の世界の俳諧を推奨するようになりました。その結果の選集が『犬筑波集』です。

 天王山登り口にある句碑の

    〈うずききてねぶとに鳴や郭公〉

という句は、「卯月が来て声太く鳴いているのはホトトギスですよ」という表の意味の他に
「根太(=腫瘍)が疼いてきて泣いているホトトギスさんよ」という裏の意味をこめた俳諧で、
親しかった伊勢の神官の荒木田守武が根太にかかっていたのを揶揄したものと言われています。
 この句碑の側の解説立札にはもう一つ宗鑑の句〈風寒し破れ障子の神無月〉が載っていますが、これは歴史資料館に展示されています。
この句も、破れ障子=紙がない=神無しと掛けた言葉遊びです。
 
所在地 大山崎町大山崎上ノ田1 JR山崎駅東の踏切北側
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掲出の句は、洛西の「光明寺」で詠まれた、とだけ判っているが、上の記事に引いた「大山崎」とは近いので、この寺に彼の「雨」の軸があるのかも知れない。
作者の後藤比奈夫は大阪の人だから、この寺の「軸」を見た、ということは可能性として大変高いと言えよう。
「五月尽」とは、五月末日のことである。

作者の後藤比奈夫は大阪の人で、父親は後藤夜半といって、親子ともに高名な俳人であった。
本名日奈夫。大正6年大阪生まれ。神戸一中・一高を経て昭和16年阪大理学部物理学科卒。
昭和27年父夜半につき俳句入門、「ホトトギス」「玉藻」にも学ぶ。同29年より「諷詠」編集兼発行人。
同36年「ホトトギス」同人。同51年父の没後「諷詠」主宰。昭和62年より俳人協会副会長など歴任。

2006年度の第40回蛇笏賞(角川文化振興財団主催)の受賞者である。彼の句集「めんない千鳥」(ふらんす堂)に与えられた。賞金は100万円。

作者の句の中で、私の好きな句を挙げる。

 齢(よはひ)にも艶といふもの寒椿・・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 首ながききりんの上の春の空

 蛞蝓(なめくじ)といふ字どこやら動き出す

 十景の一景も見ず牡丹見る

 数珠玉をさはにつなぎてまだ軽し

 日本語の優しすぎたるゆすらうめ

 サングラス掛けて妻にも行くところ

 雲は行き懸大根はとどまれり

 花了へてひとしほ一人静かな

 光らねば冬の芒になり切れず

 真弓の実その他心を開くもの

 睡蓮の水に二時の日三時の日

 瀧の上に空の蒼さの蒐り来

 鶴の来るために大空あけて待つ

 東山回して鉾を回しけり

 年玉を妻に包まうかと思ふ

 白魚汲みたくさんの目を汲みにけり

 矢のごとくビヤガーテンへ昇降機

 涅槃図に赤が使はれすぎてゐし


生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
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   生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

今日5月29日は橋本多佳子の忌日である。
生まれは東京の本郷で、明治32年に杉田久女に会い、はじめて俳句を作った。
のち山口誓子に師事し「天狼」同人だった。昭和38年大阪で没する。64歳だった。
彼女の句は命に触れたものを的確な構成によって詠いあげた、情熱的で抒情性のある豊麗の句境だった。

「浴衣」と書いて「ゆかた」と訓(よ)ませるのは、この着物が本来は「入浴」の時に着たことに由来する。
風呂は「蒸し風呂」が初めだったので「湯帷子」を着て入った。
近世以降、浴槽に湯を入れて裸で入浴するようになり、そのため出てから汗のあるまま単衣を浴衣として着るようになった。
それが外出用にも着られるようになったというのである。
だから人によっては「浴衣」はあくまでも家の中のものである、と主張する人も居るらしい。
写真は京都の祇園祭の時の浴衣の写真。
この頃では色彩もとりどりの浴衣が出てきたが、はじめは「藍」一色で染められた。
梅雨の前から気候が蒸し暑くなると、さらさらした肌さわりの浴衣が愛用される。
この頃では関西が発祥のものである「甚平」というものが、これは男性専用であるが着用されるようになってきた。
また、本来は修行僧の作業衣であった「作務衣(さむえ)」なるものを着用する人も増えてきた。

掲出の橋本多佳子の句は「藍」一色の浴衣を詠んでいるが、この句は夫に先立たれて生きてきた「女」としての情念を感じさせる名句である。

俳句にもたくさん詠まれて来たので、それを引いて終わる。

 爽やかな汗の上着る浴衣かな・・・・・・・・野村喜舟

 わきあけのいつほころびし浴衣かな・・・・・・・・久保田万太郎

 雨の日は色濃き浴衣子に着せる・・・・・・・・福島小蕾

 張りとほす女の意地や藍ゆかた・・・・・・・・杉田久女

 夕日あかあか浴衣に身透き日本人・・・・・・・・中村草田男

 かいま見し浴衣童の今逝くと・・・・・・・・中村汀女

 浴衣あたらしく夜の川漕ぎくだる・・・・・・・・大野林火

 湯上りの浴衣を着つつ夫に答ふ・・・・・・・・星野立子

 浴衣着て竹屋に竹の青さ見ゆ・・・・・・・・飯田龍太

 ゆるやかに着ても浴衣の折目かな・・・・・・・・大槻紀奴夫

 浴衣着て素肌もつとも目覚めけり・・・・・・・・古賀まり子

 浴衣裁つ紺が匂ひて夜深まる・・・・・・・・矢島寿子

 浴衣着て水得し花のごとくなり・・・・・・・・中田葉月女



葉桜の翳る座敷に滴りの思ひをこらし利茶をふふむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   葉桜の翳(かげ)る座敷に滴りの
     思ひをこらし利茶(ききちゃ)をふふむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


一昨日、新茶の審査のことを書いたので、その関連として、今日は「利茶」のことを書いてみる。
掲出の歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店刊)に載る歌である。
Web上のHPに収録した自選50首にも入っているので、アクセスしてもらえば、見ていただける。
「ふふむ」は「含む」の古い形の言葉である。

「利茶」とは、茶の審査と同じ意味だが、「ききちゃ」という言葉は古くから茶業界では使われて来たものである。
動詞にすると「茶を利(き)く」と言う。「利茶」の適当な写真がないので古い抹茶碗を出しておく。

茶の購入─仕入れに当っては神経を使うことは、一昨日書いた。
普通、茶の審査には事務所の一角に「拝見場」というものがあり、ここは幅3、4メートルぐらいで、前後左右みな黒色に塗った場所で、採光は天窓式になった天上のガラス窓からの一方的なものになっている。
審査対象の茶その他を載せる広い台も真っ黒で、見やすいように、腰をまっすぐに伸ばしてみる適当な高さになっている。
これは審査対象の茶を見誤らないように、余計な乱反射光を避けるための知恵である。
昨日も言ったが、こういうやり方は、イギリスの紅茶審査の「拝見場」と同じ構造になっているので、日本が近代になって、かの地の進んだやり方を取り入れたものと思われる。ガスこんろがあり、大薬缶に、しゅんしゅんと沸騰する湯をたぎらせ、精妙なグラム数を計れる秤で茶を計り、審査対象の茶10点20点を横に並べて、磁器の真っ白い審査茶碗に茶を入れ、熱湯を注いで、すぐに小さな網杓子で湯にひたる茶の葉を嗅ぎ、茶碗の中の「水色」を見、匙で掬って滲出液を口に含んで「味」をみる。熱湯で滲出したものだから、熱い。啜るようにして、バケツに吐き出す。何でも「比較」しなければ品質の優劣などは判らないから、必ず、複数の茶を審査する。この場合に「格見本」と言って、審査の基準になる茶が必要である。その「格見本」の茶と比較して、この茶は渋いとか、水色が悪いとか、製造段階での欠点(茶の芽の保管が悪くて「むれ香」がするとか、燃料の重油や薪の煙などが混入する「煙臭」がするとか)も、この「嗅ぐ」ことで瞬時に判定する。茶の製造時期は季語でいう「青嵐」の時で、風のために煙突からの逆流で作業場に煙が紛れ込むことがあるのである。茶は湿気や匂いを極めて吸収しやすい難しい商品である。
茶農家あるいは茶仲買業者が持ち込む見本を、こうしてシーズンには毎日、審査する。
会社によって、仕入れの審査日を限定しておくこともある。
この「仕入れ」関係の仕事を身につけるのに、最低10年はかかる。
売る方は原価がわかっていれば、一定の「口銭」を上乗せするだけだから、そんなに難しくないがーー。

掲出の歌の場面だが、通常、座敷で茶の審査をすることはないが、父が体調を崩して隠居所で長く静養していたので、その座敷で朝食までに鉄瓶一杯の湯を空っぽにしてしまうほど、茶好きだった。父のように茶商としてたたき上げてきた人にとっては拝見場であろうと、座敷であろうと、茶の利茶を誤ることはなかった。
そんなことで、この歌の情景描写が生まれたと考えてもらっても、よい。情景的に、何となく絵になっているではないか。
同じ『茶の四季』から「野点」(のだて)と題する歌を引いておく。

      野点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  芝点(しばだて)の茶事の華やぎ思ひをり梅咲き初むる如月の丘

  毛氈に揃ふ双膝(もろひざ)肉づきて目に眩しかり春の野点は

  野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛(はぎ)の白さよ無明のうつつ

  香に立ちて黒楽の碗に満ちてゐる蒼き茶の彩(いろ)わが腑を洗へ




揉みあがる新茶の温み掌にとれば溢るる想ひ思慕のごとしも・・・・・・・・・・・木村草弥
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   揉みあがる新茶の温み掌(て)にとれば
     溢るる想ひ思慕のごとしも・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
半生を茶とともに過ごしてきた者として、今やたけなわの「新茶」シーズンを黙過することは出来ないので、今日は新茶のことを採り上げる。
写真①は茶の木の新芽である。
これは単なる植物の新芽というのではなく、飲料にする「茶」の元であるから、ここまで来るのに肥料をやったり害虫防除のために苦心したりと一年間の苦労が、
この新芽に凝縮しているのである。だから、掲出した歌のような「想い」になるわけである。
私の方の茶園は「玉露」「碾茶(抹茶原料の茶)」という高級な茶製造に特化してやってきたので、茶のうちで大半を占める「煎茶」製造とは違っているが、
製茶の過程そのものは一緒である。

watch-4茶の芽

写真②の上の方に黒い帯状のものが見えるが、これは「覆下園」といって高級茶を製造するために日光を遮断するものであり、
昔は「葦簾」の上に「菰」を敷き、稲藁をばら撒いていたが、今では化学繊維のクレモナという布を敷くように変っている。
この「日光遮断」というのは経験的な知恵として昔からやられてきたことなのだが、近年の研究で、こうすることによって茶の旨みである「テアニン」というアミノ酸系の化合物の含有が上がることが判ってきたのである。
こういう労働集約的な茶栽培は手間がかかる上に「玉露」というようなものは、世の中がせちがらくなって飲まれなくなり、今や茶の消費の主流は「煎茶」それも中級品以下のものに集中してしまった。その上にペットボトルに入った「緑茶ドリンク」の時代になってしまった。

watch-3茶園

写真③は大規模な煎茶園である。茶園の中に電柱のように立っているのは晩霜を防ぐための「防霜扇」というものである。
これは新茶時期に襲う晩霜を防ぐもので、その原理は冷気は地上の低いところにたまるが、地上5メートルくらいのところの空気は暖かいので、
その空気を地表に吹き付けて霜を防ごう、というものである。
詳しくはWikipedia─防霜ファンを参照されたい。

この頃では茶園栽培も機械化によって人手を省き、栽培面積を広げてコストを下げようとする規模拡大が進んでいる。
写真④のように茶園を跨ぐような「乗用型摘採機」が取り入れられてきた。

kabuse11乗用型摘採機

写真⑤に示すように、もっと大型の乗用型摘採機も導入されてきた。

p1_001_05乗用摘採機

世界的に茶というと「紅茶」のことだが、ロシアも紅茶を生産するが、ここはソ連の時代から茶栽培も大型の摘採機械を使ってきた。
そのような趨勢が、日本でも緑茶生産に取り入れられてきたと言える。
いわゆる「トラクター」と称するものの一種である。
このくらいの機械になると乗用車などよりも遥かに高価なものだが、農作物の中では茶の価格は比較的に安定しているので、十分にペイすると思われる。

茶専門店にとって、先に書いたペットボトルの茶の普及が一番のガンなのである。
このペットボトルなどの「緑茶ドリンク」の流通は、茶専門店とは完全に別の販売ルートになっており、
自販機やスーパー、コンビニにメーカーから直接に流れるので、これが普及すればするほど茶専門店は苦境に陥る。
「緑茶ドリンク」が出回りはじめて、もう十数年になるが、私は同じ歌集『嘉木』の中で「緑茶ドリンク」の題で詠んでおいたのでWebのHPでご覧いただける。

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       緑茶ドリンク・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  「おーい、お茶」缶ドリンクがごろりんと自販機の穴から出づる便利さ

  温めても冷たくしてもおいしおす緑茶ドリンクは春夏秋冬

  茶流彩々・爽健美茶・十六茶お茶専門店はあがつたりどす

  ビタミンC添加したれば酸化防止できると知りて茶ドリンク奔流

  ビタミンC添加の清涼感ありて若者は好む緑茶ドリンク

  勝敗は自動販売機の数で決まるルートセールスの車疾駆す

  流通の様変りして「茶葉」ならぬ「液体の茶」に苦しめられつ


のような歌を詠んでおいた。
この趨勢は年とともに強まり、今や緑茶ドリンクは日本茶流通の半分近くを占めるに至っている。
原料は、いずれも同じ茶葉であり、生産段階でドリンクパッカーが原料を多量に買い付けしようとするので、原料の奪い合いになり、ここでも専門店側は不利である。
茶業界にも、いろいろ悩みはあるのである。
おまけに先年の東電福島原子力発電所の爆発事故による放射能の広範囲にわたる飛散で関東、静岡などで大きな被害が出た。
つまり放射能によって茶の木が汚染され、「飲用茶」としての出荷が制限されたのである。
今では、そんな危惧も解決して安心して飲めるようになってきたのは喜ばしいことである。




しぼり出すみどりつめたき新茶かな・・・・・・・・・・・・・・・・鈴鹿野風呂
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   しぼり出すみどりつめたき新茶かな・・・・・・・・・・・・・・・・鈴鹿野風呂

新茶の季節である。
もっとも私は引退した身であるから今の茶況などについては疎いが少し一般的なことを書いてみよう。
茶業にたずさわるものにとって、今が茶の仕入れ時期として一番いそがしく、かつ、その年の豊作、不作、製品の出来栄え、などを勘案し、仕入れ金額に頭を悩ます時である。
「利は元にあり」というのが商売の鉄則であり、品質の悪い茶や高値掴みをすると、その一年、利益どころか、損をすることになる。

茶の審査というのは、茶の葉っぱを熱湯で滲出して、真っ白い磁器の審査茶碗と称する器で行う。
いま適当な「審査茶碗」の写真がないのでお許しを乞う。
審査に使う一件あたりの茶の量も厳密に計る。
これはイギリスなどでの「紅茶」の審査でも同じ方法を採る。
現在の緑茶の審査方法も、あるいは、このイギリス式の紅茶審査法を近代になって見習ったものかも知れない。
熱湯と言っても、文字通り沸騰した湯を使う。こうしないと、欠点のある茶を見分けることが出来ない。
このようにして、毎日、多くの茶を審査するので、全部飲み込むわけではないが、胃を悪くしてアロエの葉の摺り汁などの厄介になることもある。

掲出の句は「みどりつめたき」と言っているのは、新茶の青い色を表現したもので、今どき夏に流行る「水出し」のことを言ったものではない。
この「みどりつめたき」という表現が作者の発見であって、これで、この句が生きた。
鈴鹿野風呂は京都の俳人で、この人の息のかかった俳人は、この辺りには多い。
ネット上から紹介記事を引いておく。 ↓
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鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)は明治20(1867)4月5日、京都市左京区田中大路八に生まれる。本名登。
生家は吉田神社の神官を継承している家柄。幼い頃に母親を亡くしたため、京都を離れ中学は斐太中学に学ぶ。後京都一中に戻り卒業、鹿児島の七高、京都大学の国文科に入学。
大正5年、京都大学国文科を卒業後、鹿児島の川内中学校に勤務。後に京都の武道専門学校、西山専門学校で教鞭をとる。戦後は京都文科専門学校長を勤めた。
俳句は中学時代に小説に興味を持ち「ホトトギス」を購入。大学時代に古今集を卒論とし、また俳諧を藤井乙男(紫影)に学んだ事より句作。鹿児島の川内中学校に勤務時代、同僚の佐藤放也と「ホトトギス」に投句。高浜虚子に師事し、大正9年「散紅葉かさりこそりと枝を伝うふ」で初入選。当時、無味乾燥的な瑣末主義に陥っていたホトトギスの中にあって、叙情的で清新な野風呂の作風は、当時若くして名を成していた日野草城と並んで「草城・野風呂」時代と謳われた。
武道専門学校教授時代に日野草城、五十嵐播水らと「京大三高俳句会」を発足。
大正9年11月、日野草城、岩田紫雲郎、田中王城らとともに、俳誌「京鹿子」を創刊した。
「京鹿子」は「京大三高俳句会」を母体とし、後に山口誓子、五十嵐播水らも加わって、関西ホトトギスの中心をなしていく。
後に「京鹿子」に対し池内たけしが提唱し、水原秋桜子、高野素十、山口誓子、富安風生、山口青邨らの東大出身者を中心とした「東大俳句会」が発足し、この二つの流れが、ホトトギスの二大系統となっていく。
やがて「京鹿子」は草城、播水が京都を離れたことより、野風呂の主宰となり関西の「ホトトギス」の中軸となって発展していく。
野風呂は多作で知られ「連射放」と呼ばれた。それによってやがて平淡な事実諷詠の句が野風呂の特徴となる。
昭和46年3月10日没。

  内裏雛冠を正しまゐらする
  ついと来てついとかかりぬ小鳥網
  水洟や一念写す古俳諧
  鯨割く尼も遊女も見てゐたり
  秋海棠嵐のあとの花盛り

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いま手元に鈴鹿野風呂の作品が他に見当たらないので、歳時記に載る新茶の句をひいておく。

 生きて居るしるしに新茶おくるとか・・・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 雷おこしなつかし新茶澄みてあり・・・・・・・・・・・・・土方花酔

 夜も更けて新茶ありしをおもひいづ・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 新茶汲むや終りの雫汲みわけて・・・・・・・・・・・・・杉田久女

 新茶淹れ父はおはしきその遠さ・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 天竜の切りたつ岸の新茶どき・・・・・・・・・・・・・・皆吉爽雨

 無事にまさるよろこびはなき新茶かな・・・・・・・・・・・川上梨屋

 筒ふれば古茶さんさんと応へけり・・・・・・・・・・・・赤松蕙子

 新茶汲む母と一生を異にして・・・・・・・・・・・・・野沢節子

 新茶濃し山河のみどりあざやかに・・・・・・・・・・・・橋本鶏二

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新茶が出回ると、前年の茶は「古茶」となるわけで「陳(ひね)茶」という。「陳腐」の陳の意味である。
むしろ古茶を好む人もある。ここに挙げた終りから三つ目の句は、それを詠んでいる。 
こんな古茶の句もある。

 女夫(めをと)仲いつしか淡し古茶いるる・・・・・・・・・・・・松本たかし

 古茶好む農俳人ら来たりけり・・・・・・・・・・・・麦草



みづからを思ひいださむ朝涼しかたつむり暗き緑に泳ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山中智恵子
403otomおとめまいまい

   みづからを思ひいださむ朝涼し
        かたつむり暗き緑に泳ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山中智恵子


いま二行に分けて書いてみたが、もちろん原歌は、ひと連なりの歌であるが、二行に分けて書いてみると、その感じが一層強くするのが判った。
この歌の上の句と下の句は、まるで連句の付け合いのような呼吸をもって結びついている。
事実、作者は一時期、連句、連歌に凝っていた時期がある。
この歌の両者は微妙なずれ、あるいは疎遠さを保って結びついているので、却って、結びつきが新鮮なのである。
この歌は字句を追って解釈してみても、それだけでは理解したことにはならないだろう。
叙述の飛躍そのものの中に詩美があるからである。
みずからを思い出すという表現は、それだけで充分瞑想的な世界を暗示するので、下の句が一層なまなましい生命を感じさせる。
大正14年名古屋市生まれの、独自の歌境を持つ、もと前衛歌人であったが平成18年3月9日に亡くなられた。
この歌は昭和38年刊『紡錘』所載。

以下、山中智恵子の歌を少し引く。
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道の辺に人はささめき立春の朝目しづかに炎えやすくゐる

わが戦後花眼を隔てみるときのいかにおぼろに痛めるものか

ああ船首 人は美し霜月のすばるすまろう夜半めぐるらう

さやさやと竹の葉の鳴る星肆(くら)にきみいまさねば誰に告げむか

淡き酒ふくみてあれば夕夕(ゆあべゆふべ)の沐浴ありときみしらざらむ

この世にぞ駅てふありてひとふたりあひにしものをみずかありなむ

未然より未亡にいたるかなしみの骨にひびきてひとはなきかな

秋はざくろの割れる音して神の棲む遊星といふ地球いとしき

こととへば秋の日は濃きことばにてわれより若きガルシア・マルケス

こもりくの名張小波多の宇流布志弥(うるぶしね) 黒尉ひとり出でて舞ふとぞ

ああ愛弟(いろせ)鶺鴒のなくきりぎしに水をゆあみていくよ経ぬらむ

ながらへて詩歌の終みむことのなにぞさびしき夕茜鳥

意思よりも遠く歩める筆墨のあそびを思ひめざめがたしも

きみとわれいかなる雲の末ならむ夢の切口春吹きとぢよ

その前夜組みし活字を弾丸とせし革命よわが日本になきか

くれなゐの火を焚く男ありにける怪士(あやかし)の顔ふりむけよいざ

ポケットに<魅惑>(シャルム)秋の夕風よ高原に棲む白きくちなは



洗礼名マリアなる墓多ければ燭ともす聖母の花アマリリス・・・・・・・・・・・・木村草弥
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 ↑ イタリアの墓地

    洗礼名マリアなる墓多ければ
         燭ともす聖母の花アマリリス・・・・・・・・・・・・木村草弥


私は 、第四歌集『嬬恋』(角川書店刊)で、このような歌を載せた。
「花」という小見出しのところに収録したが、ヨーロッパの墓地を尋ねた時の印象を、このような歌にしてみたのである。

アマリリスは初夏の花である。
今年は寒かったので、5月後半になって、ようやく私の家のプランターのアマリリスも一斉に開花し始めた。
大柄な華やかな花で、花壇が一気に賑やかになる。
アマリリスは中米、南米原産のヒガンバナ科の球根植物だという。
わが国へは嘉永年間に渡来し、その頃はジャガタラズイセンと呼ばれたという。
花の時期は短くて、一年の後の季節は葉を茂らせ、球根を太らせるためにある。
強いもので球根はどんどん子球根が増えて始末に終えないほどである。
うちの球根も、あちこちに貰われて行ったり、菜園の隅に定植されたりして繁茂している。

以下、アマリリスの句を少し抜き出してみる。

 燭さはに聖母の花のアマリリス・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 病室の隅の未明やアマリリス・・・・・・・・・・・・石田波郷

 ウエートレス昼間はねむしアマリリス・・・・・・・・・・・・日野草城

 温室ぬくし女王の如きアマリリス・・・・・・・・・・・・杉田久女

 アマリリス跣の童女はだしの音・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 太陽に烏が棲めりアマリリス・・・・・・・・・・・・福田蓼汀

 アマリリス過去が静かにつみかさなる・・・・・・・・・・・・横山白虹

 原爆の地に直立のアマリリス・・・・・・・・・・・・横山白虹

 アマリリス泣き出す声の節つけて・・・・・・・・・・・・山本詩翠

 アマリリス貧しい話もう止そう・・・・・・・・・・・・川島南穂

 アマリリス眠りを知らずただ真紅・・・・・・・・・・・・堀口星眼

 アマリリス心の窓を一つ開け・・・・・・・・・・・・倉田紘文

 あまりりす妬みごころは男にも・・・・・・・・・・・・樋笠 文

 アマリリス描く老画家の師はマチス・・・・・・・・・・・・皆吉司

 アマリリス耶蘇名マリアの墓多き・・・・・・・・・・・・古賀まり子


万緑の中や吾子の歯生えそむる・・・・・・・・・・・・・・・中村草田男
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   万緑の中や吾子(わこ)の歯生えそむる・・・・・・・・・・・・・・中村草田男

「万緑」(ばんりょく)は夏の見渡すかぎりの緑を言う。
元来は季語ではなかった。
草田男は、中国の古詩、王安石の詩の一節 <万緑叢中紅一点> 
から「万緑」の語を得て、これを季語として用い、現代俳句の中に定着させた点で、記念碑的な作品である。
一面の緑の中で、生え初めた我子の赤ん坊の歯の白さが健気に自己を主張している。
生まれ出るもの、育ちゆくものへの讃歌が「万緑」の語に託されている。

満目の緑と小さな白い歯、この対比が鮮やかで、俳句的に生きたので、たちまち俳句界に共感を呼ぶ季語となった。
しかし、季語として流行することは、また安易な決まり文句に堕する危険をも含んでいて、この万緑の句も例外ではない。
昭和14年刊『火の鳥』に載る。
ちなみに、高浜虚子は死ぬまで、この万緑を季語としては認めなかった、というのも有名な話である。

   葉桜の中の無数の空さわぐ・・・・・・・・・・・・・・篠原梵

初夏、花の去った後の葉桜が、風にゆれつつ透かして見せる様々な形の空の断片を「無数の空」と表現した。
それを「さわぐ」という動態でとらえたところに、この句の発見がある。
掲出の写真を取り込みながら、草田男の句に添えて、この句を載せたいという気になった。
写真のイメージが、この句にぴったりだと思ったからである。
誰でもが見る、ありふれた光景を的確な言葉で新鮮にとらえ直すという、詩作の基本的な作業を行なって成功した句である。
篠原は明治43年愛媛県生まれ。昭和50年没。「中央公論」編集長を経て、役員を務めた。
昭和6年臼田亜浪に師事して以来、斬新な感覚を持って句誌「石楠」に新風を起こした。俳句の論客としても活躍。
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ここで「万緑」「新緑」の句を少し引く。

 万緑やわが掌に釘の痕もなし・・・・・・・・・・・・山口誓子

 万緑やおどろきやすき仔鹿ゐて・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 万緑や血の色奔る家兎の耳・・・・・・・・・・・・河合凱夫

 万緑に蒼ざめてをる鏡かな・・・・・・・・・・・・上野泰

 万緑や死は一弾を以て足る・・・・・・・・・・・・上田五千石

 動くもの皆緑なり風わたる・・・・・・・・・・・・五百木瓢亭

 恐ろしき緑の中に入りて染まらん・・・・・・・・・・・・星野立子

 水筒の茶がのど通る深みどり・・・・・・・・・・・・辻田克巳

 まぶたみどりに乳吸ふ力満ち眠る・・・・・・・・・・・・沖田佐久子

 新緑やうつくしかりしひとの老い・・・・・・・・・・・・・日野草城

 新緑に紛れず杉の林立す・・・・・・・・・・・・山口波津子

 新緑の山径をゆく死の報せ・・・・・・・・・・・・飯田龍太



鼻の穴涼しく睡る女かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日野草城
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   鼻の穴涼しく睡る女かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日野草城

草城は中学5年(今の高二)の時から「ホトトギス」に投句し、21歳で巻頭掲載をかちとった程の早熟の才だったという。
この句も初期作品だが、対象把握の即物的かつ感覚的間合いの良さは抜群である。夏の昼寝であろう。
女の健康な寝息まで聞こえて来そうな午後の静けさ。
一見、簡単に詠んでいるようだが、こういう端的に爽やかな印象の句は意外なほど少ない。昭和7年刊『青芝』所収。

掲出の絵はピカソの「夢─赤い椅子に眠る女」である。

夏は暑くて体力を消耗するので、午後のしばらくを昼寝して元気を回復させる。 
三尺寝という言葉があるが、これは日影が三尺移るぐらいの時間を眠るので、こういう。
植木屋や大工などの職人は、いたるところで場所をみつけて昼寝する。これも生活の知恵である。
ラテン・ヨーロッパや南方ではシエスタと称して店も役所も閉める習慣がある。

以下、昼寝または午睡の句を挙げてみよう。
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 ひやひやと壁をふまへて昼寝哉・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

 我生の今日の昼寝も一大事・・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 うつぶせにねるくせつきし昼寝かな・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 稍固き昼寝枕や逗留す・・・・・・・・・・・・松本たかし

 一片舟昼寝の足裏涛のむた・・・・・・・・・・・・中村草田男

 浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねいやい」・・・・・・・・・・・・中村草田男

 昼寝覚凹凸おなじ顔洗う・・・・・・・・・・・・西東三鬼

 父の齢しみじみ高き昼寝かな・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 昼寝覚うつしみの空あをあをと・・・・・・・・・・・・川端茅舎

 昼寝ざめ剃刀研ぎの通りけり・・・・・・・・・・・・西島麦南

 よき昼寝なりし毛布をかけありし・・・・・・・・・・・・堺梅子

 やまひなきひとの昼寝を羨しめり・・・・・・・・・・・・山口波津子

 光陰の流るる音に昼寝覚・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

 さみしさの昼寝の腕の置きどころ・・・・・・・・・・・・上村占魚

 麦の青樹の青赫と昼寝さむ・・・・・・・・・・・・野沢節子

 午睡たのしげ乳ぽつちりと釦はづし・・・・・・・・・・・・中山純子

 いづくより手足しびれて昼寝覚・・・・・・・・・・・・森澄雄



石楠花に渓流音をなせりけり・・・・・・・・・・・・・・・清崎敏郎
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    石楠花(しゃくなげ)に渓流音をなせりけり・・・・・・・・・・・・・・・清崎敏郎

石楠花シャクナゲはツツジ科の常緑低木だが、別にシャクナゲ科を立てて分類する学者も居る。
高山性の花木で、日本では亜高山帯と周辺に自生する。
はじめに書いておくと「石楠花」の字は漢名を誤用したもので、中国でいう石楠花は全く別の植物である。
シャクナゲは葉が厚く、革質で光沢があり、花とあいまって美しい。淡紅色を主として白花や黄花もあり、日本列島にはおおよそ10種類あるという。
シャクナゲはヒマラヤ地方、中国、北アメリカ、ヨーロッパにも分布するが、ヨーロッパでは早くから品種改良に取り組み、日本へも西洋シャクナゲの名で来ている。
一般家庭のシャクナゲはほとんどが西洋シャクナゲだという。

050520_001シャクナゲ②

050520_003シャクナゲ③

家庭で鑑賞するシャクナゲもよいが、写真②③で見るように広大なシャクナゲ園や山の自然環境の中で群生するシャクナゲを見るのは、また格別の風情があるものである。
今では全国各地に競って「石楠花園」が開設されている。

以下、歳時記に載るシャクナゲの句を引いて終わる。

 石楠花に手を触れしめず霧通ふ・・・・・・・・臼田亜浪

 石楠花や山深く来て雲の雨・・・・・・・・吉田冬葉

 白石楠花夜になり夜の白さなる・・・・・・・・加藤知世子

 しやくなげは天台ぼたん雲に咲く・・・・・・・・百合山羽公

 石楠花の摘花浮かべし庫裏の水・・・・・・・・右城暮石

 石楠花の花一巒気(らんき)一巒気・・・・・・・・後藤比奈夫

 石楠花の一花残りて籠堂・・・・・・・・村越化石

 石楠花や鳥語瞭(あきら)か人語密(ひそ)か・・・・・・・・滝春一

 石楠花や水櫛あてて髪しなふ・・・・・・・・野沢節子

 石楠花の咲く寂けさに女人講・・・・・・・・角川春樹

 石楠花や那智大神に子は抱かれ・・・・・・・・斎藤夏風

 石楠花にかくれ二の滝三の滝・・・・・・・・宮下翠舟

 薬湯をたてて石楠花ざかりかな・・・・・・・・吉本伊智朗
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「シャクナゲ」については、このWikipediaに詳しい。参照されたし。



村島典子歌集『地上には春の雨ふる』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
典子

──村島典子の歌──(19)

     村島典子歌集『地上には春の雨ふる』・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                       ・・・・・・・ながらみ書房2014/05/29刊・・・・・・・・・

この歌集は、私が敬愛する村島典子さんの第五歌集である。
本日ご恵贈されてきたので、ご披露する。
村島さんの歌については、発表される度に、ここで紹介してきたが、この歌集には、それらの作品がほぼ収められている。
即ち、2007年早春から2013年初冬までの作品四百首が、ほぼ年代順に収録されている。
先ず、題名の採られている一連を引いておく。

          地上には春の雨ふる

   きさらぎの淡海かすむ琵琶のうみ万(よろづ)の鳥のこの世にあそぶ

   朝もやの水面に降りてあそびたり父ははそしてこぞ逝きしひと

        武田百合子『富士日記』を読みつつ五首。
   本の中のことにてあれど犬が死にわたしは哭きぬ机に伏して

   著者の日々読みつぎくればその夫、娘、その犬身内のごとし

   日に三度の献立よむも面白し濃やかなりし百合子の暮し

   泰淳の死は近づくか、死の予感「日記」にあふる胸つまりたり

   ただ過ぎに過ぎゆくものと記されし春夏秋冬しみじみとして

   ☓ 父ははも師もいませねば夜に爪切りて咎めらるることなしさみし

   ☓ 秋埋めし球根なれば芽を出せりはや忘れゐしところにも出づ

   ☓ 水の中歩かむとして出できたり雨しげきなか傘さしながら

   ☓ きさらぎの水中ウオーク雨の日も春です雨を見ながらあるく

   立ち話する肩ごしに見えゐたり美容室に髪洗はるるひと

   ☓ 此の月は修繕月となりぬべし外科歯科内科医者めぐりする

   ☓ 待ち時間二時間にしてぐらぐらと生身のわれ石となるまへ

   ☓ 神経を殺すとたやすく言ひきられ麻酔の口がまず従へり

   「この歳になつても死にたいと思ふ日があるのよ」晩年に言ひしか白洲正子

   かくありて春はめぐりぬひと日づつ死者にちかづくわれと思へり

   地上には春の雨ふる雲上は快晴である昨日もけふも

   ☓ 父ははの位牌にならび微笑みます至誠院釈道登居士こぞの春より

ここに書き抜いたのが「晶」に載る初出の歌だが、その中から「☓」をつけた歌が削除されている。
そして、別のところから、下記の歌が持って来られて繋がれている。

   花二三分咲くとし聞けば落ちつかずさむき夕べの川辺まで来つ

   さりながらなづなたんぽぽほとけのざ可憐な花は野に揃ひたり

   朝なさな鳴くウグヒスに声あはせ鳴かずにをれずほゝほゝほきい

これが歌集の「編集」ということである。
また私には初見の歌の一連もある。 「アリラン碑」という一連である。

            アリラン碑

   山羊の頭蓋波に洗はれゐたりけり遠世のごとし渡嘉敷の浜
                  ・
                  ・
                  ・
      渡嘉敷島南方の山の中腹に、朝鮮人従軍慰安婦の碑がある。
        この島への配置は七人。内四人は戦時中非業の死を遂げ、二人が終戦時に脱出。
        一人は残留の後孤独死なせると言ふ。


   ハングルの詩文刻みし陶器盤のいしぶみありぬアリランの碑なり

   鱗もつごとくに光るアリラン碑この島に死にたりき慰安婦四人

   和名にて呼ばれたりしよハルエ、カツコ、キクマル、スズラン、ミツコ、アキコ

   韓国名ペ・ホンギ、アキコ残留の後ニッポンに孤独死なせり

   朴ハルモニこの渡嘉敷の浜に立ち故国おもひき海のかなたの

   コンペイトウ恵みもらひし少年の語るアリラン慰霊モニュメント

今しも韓国女性慰安婦の問題が論議されている。日本人としての「恥部」の記憶として、これらの女性たちには十分な補償がなされなければならないだろう。
ましてや、「従軍慰安婦の問題は存在しない」かのようなことを言う輩は論外である。
ここに村島さんが一項目を設けて歌を発表された「良心」に最大の敬意と賛意を表するものである。
そして、ここに「アリラン碑」を建てられた島の皆さんにも感謝を捧げたい。
また、下記のような一連もある。

                  秘匿特攻艇壕

         渡嘉敷島の渡嘉志久ビーチに秘匿特攻艇壕が一つ遺されありき。
            このビーチから米兵は上陸せり。敵戦艦に体当たりし、撃沈させる目的ら造られしベニヤ板のボートは、
            一艇も使はれず、米兵の上陸に至りぬ。


   くろぐろと離島(ぱなり)のいくつ洋上にすがた現る船にゆくとき

   かの人の母国ならむかまぼろしの半島あらはれ消ゆるつかの間

   島々のあひだにすごき朱を曳きて夕日ありけり林間ゆみゆ

   光の帯ひきつつ慶良間の海に入る凄まじきかなこの世の落暉

   海浜の丘を穿ちて造られしとふ壕のひとつが遺されにける

   秘匿特攻艇隠されし壕のまへに立つ上陸戦は幻影ならず

   自沈せし特攻艇はベニヤ製爆雷二個を装備されたり

   隊員の生還不可といはれたり挺身隊は出撃せざりき

沖縄の地は日本本土を守る前線基地として、あまたの人の血にまみれた戦場だった。
我らは、このことを深く脳裏に刻み、身を処すべきだろう。 これらの一連を歌にされた村島さんに改めて敬愛の念を捧げたい。

この歌集に収録された多くの歌については、先に書いたように、発表される都度、ここで紹介してきたので、多くは繰り返さない。
ここに、ご恵贈に感謝して披露申し上げる次第である。 有難うございました。   



   
ががんぼの五体揃ひてゐし朝・・・・・・・・・・・・・・・平山邦子
gaganbo2ガガンボ

     ががんぼの五体揃ひてゐし朝・・・・・・・・・・・・・・・平山邦子

「ががんぼ」は極めて弱い虫で、ちょっと触れるだけで、すぐ足がもげてしまう。
この句は、そういう様子を巧く句にまとめている。

私の歌にも、こんなものがある。

    ががんぼを栞となせる農日記閉ざして妻は菜園に出づ・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
ガガンボというのは「蚊とんぼ」という場合もあるが、蚊の姥(うば)からなまったもので、「かがんぼ」が正しいとも言われている。
蚊を大きくしたような虫で、細くて長い足を持ち、その足もすぐにもげる。人には害は与えない。

この歌に詠っているのは、まだ妻が元気で菜園に出ていた頃の作品で、農日記と称する手帳をつけていて、たまたま、
そのページにガガンボが止まったまま閉じたので、栞のようにガガンボが挟まれている、という情景である。
妻は都会育ちの人で農作業に関しては全くの素人であるが、農村育ちの私の母などから教えられて、農作業を覚えていった。
素人だから、何ごともメモしておく習慣がつき、ひところは狭いながら菜園を作っていた。
同じ歌集に

   母よりも姑(はは)と暮らすが長しと言ひ妻は庭べの山椒をもぐ

という歌が載っている。
このようにして農作業に従事してゆくうちに、ものを「育てる」「収穫する」という喜びを体験して、だんだん農作業が面白くなってきて、
ナスやキュウリ、トマトなどを育ててきたのである。
いっぱし農作業に精通しているかのように、私に手伝いの指示を出したりするようになった。
農作業についての妻を詠ったものは、まだたくさんあるので、またの機会に書きたい。
それらのことも妻が死んだ今となっては、懐かしい思い出である。
花や植物の名前などは、私は妻に教えられたものが多いのである。

ガガンボを詠んだ句を引いて終わる。

 ががんぼの脚の一つが悲しけれ・・・・・・・・高浜虚子

 ががんぼのかなしかなしと夜の障子・・・・・・・・本田あふひ

 蚊とんぼの必死に交む一夜きり・・・・・・・・山口誓子

 ががんぼのタップダンスの足折れて・・・・・・・・京極杞陽

 ががんぼに熱の手をのべ埒もなし・・・・・・・・石橋秀野

 ががんぼの悲しき踊り始まりぬ・・・・・・・・伊藤いうし

 ががんぼにいつもぶつかる壁ありけり・・・・・・・・安住敦

 ががんぼの音のなかなる信濃かな・・・・・・・・飯田龍太

 蚊の姥の竹生島から来りしか・・・・・・・・星野麦丘人

 ががんぼの一肢かんがへ壁叩く・・・・・・・・矢野渚男

 ががんぼの脚を乱して外の闇へ・・・・・・・・星野恒彦

 ががんぼを恐るる夜あり婚約す・・・・・・・・正木ゆう子

 ががんぼの溺るるごとく飛びにけり・・・・・・・・棚山波郎

 



すぎし時もきたる日も/わすれたる昼の夢なれや/ただ今宵/君とともにあるこそ 真実なれ・・・・・・・・・・・・竹久夢二
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    すぎし時もきたる日も
   わすれたる昼の夢なれや
   ただ今宵
   君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ・・・・・・・・・・・・竹久夢二


夢二は、いつも満たされぬ心を抱き、郷愁を抱いてさまよいつづけた「永遠の旅びと」である、と言われている。
茂(も)次郎という泥くさい名前が本名であるが、この名前を嫌い「夢二」というペンネームに替え、名前の通り、常に夢を追いつづけたと言える。

この詩は夢二の夢の通い路を詠んでいるが、しかし「真実」もまた、瞬時ののちには、虚しい夢となってしまうことを、一番よく知っていたのも、夢二自身であったろう。
どの時代においても、恋も人生もすべては夢、そう知りながら、やはり人は、恋をし、人生をひたすら歩いてゆかなければならないようである。

この詩を引用している私の心中にも、亡妻とともに過ごして来た日々を振り返って、それらの日々が、ああ夢のように過ぎ去ったのか、という深い感慨に満たされるのである。
太閤秀吉は死に際して「夢のまた夢」と呟いたというが、私の心中にも深く共感するものがある、と告白せざるを得ないだろう。

夢二の詩の終連の

     <君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ>

という表白を忘れないように心に刻みたい、と念じて・・・・・。


神田川祭の中をながれけり・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
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   神田川祭の中をながれけり・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

夏祭の、五穀の生産暦とは無縁な、いわゆる都市型の祭礼の華やかさは、江戸の山王権現(日枝神社)と神田明神(神田神社)の祭に典型が見られたという。
この二神社の祭は天下祭と呼ばれ幕府公認の祭事だった。
今の日本橋の川筋がひとつの境になっていたという。

久保田万太郎は浅草生まれだが、この句は神田明神の祭を詠んだものか。
神田川もコンクリートで岸を固められて細くなったり暗渠になったりしている。
昔の神田川の風情を詠んだ懐かしい句として、この句は鑑賞したい。
どの祭を指すか判らないまま、江戸の夏祭に触れてみたい。

浅草三社祭は古くは陰暦三月だったが、今は5月の第3日曜を最終とする3日間(2014年は5月16~18日)に催行される。今日は、その日に因んで、この句を載せることにした。

ご存じかと思うが浅草寺と浅草神社は神仏習合の頃からの仕来りで、浅草神社の祭礼とある。
浅草寺の縁起は古く、本尊観音が宮戸川(今の隅田川)で漁師に拾われたのは推古朝のことだという。
三社とは、その時の漁師、浜成、武成の兄弟と土師直中知(はじのあたいなかとも)を指す。
人の名前に「社」という字が宛てられる理由は知らない。
とにかく、この観音の出現により、武蔵野の片隅だった江戸湾近くの寒村が次第に江戸の盛り場として、人の通う所となっていったのだという。

 三社まつり山王まつりともに雨・・・・・・・・・・・・・室積徂春

折角、山車や神輿を飾ったのに、という江戸っ子の舌打ちが聞こえてきそうである。
今年のお祭は、どうであろうか。

庶民の夏にかかせない行事に縁日があることを忘れては片手落ちである。
都市生活に伴い、江戸中期以降、日中勤務する商人や職人にとって夜の市(いち)は憩いの場で、参詣によるご利益と市の立つ賑わいは、庶民の夢と実用が重なっていた。
もっと先のことになるが、7月10日に観音様に参詣すれば4万6000日分の参詣に相当するということと、夜市で楽しむということは、まことに一挙両得の感があったのではないか。

 朝顔を見にしののめの人通り・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 夫婦らし酸漿(ほほづき)市の戻りらし・・・・・・・・・・・・高浜虚子

これらの句は朝顔市、酸漿市の描写だが、夏の夜の路傍に、アセチレンガスを点けて、飴や綿菓子、小亀やヒヨコなどの小動物、草花、金魚などを売っていた夜店は懐かしい風物詩であった。夕食後、家族そろって夕涼みをかねて出掛けた思い出を持つ人は多いだろう。
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三社祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三社祭(さんじゃまつり)は、毎年5月に行われる東京都台東区浅草の浅草神社の例大祭である。江戸三大祭は通説では神田祭、山王祭、深川祭の事であるが、深川祭に代えてこちらを加える学説もある。

旧幕以来の江戸文化の中心であった神田とも、隅田川以東の下町文化圏とも浅草は別個であるが巧妙に両者のイメージを利用してきた背景がある。文化圏について鈍感な行政やマスコミの影響もあり、その中心部は土地持ちの富裕層が多かったにも関わらず下町イメージで語られる不思議な町「浅草」の魔力といっても過言ではない。

但し、「観光宣伝色が強い」「浅草の内部での結束が悪すぎる」「各町神輿連合をヤクザが組の宣伝に利用している(昔は酒をタカリにしか来なかったが、現在では同好会を主催)」など問題点も多く、地元都民の全面的支持は受けていない。参加者のモラルの低下も指摘される処であり、このため自治体としての台東区も万が一に火の粉を被りたくないためか、暖かく見守りはするが積極的に関わろうとしない「隣の話」という態度を崩していない。この背景には「祭り」でありながら「氏子」が中心としての求心力をもち得ない特殊な事情があり、何かあっても責任の押し付け合いに終始する浅草の悪癖が根底にある。

現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は浅草神社例大祭。

かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。

本来ならば氏子が担ぐのが正当であるが、一時期、担ぎ手不足の時代に他所から担ぎ手を募った歴史はある。現在は人員は足りているが、神輿同好会が参加している。ふんどしを穿いてる担ぎ手も結構多い。


祭りの構成
1日目(金):名物大行列(浅草芸者、田楽、手古舞、白鷺の舞、等が登場)
2日目(土):氏子各町神輿連合渡御
最終日(日):宮だし・本社神輿各町渡御・宮入り



石畳 こぼれてうつる実桜を/拾ふがごとし!/思ひ出づるは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土岐善麿
さくらんぼ

     石畳 こぼれてうつる実桜を
    拾ふがごとし!
    思ひ出づるは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土岐善麿


これは土岐善麿のローマ字三行書きの歌集の巻頭の作で、原文はローマ字。
明治43年刊『NAKIWARAI』に載るもの。
短歌三行書きは親友・石川啄木、また「アララギ」派から出た釈迢空らに影響を与えた。

「実桜」はサクランボのこと。
思い出すことの内容は描写せず、ただそれが石畳に散る実桜を拾う感じだと、直截な気分の感触だけを記述する。
きびきびした語の動きは感傷をも律動感に溶かし込んでいる。
2行目の末尾に感嘆符!を打つなど新機軸を打ち出そうとしたことは、明らかだった。
土岐善麿は新聞記者としての経歴も長く、その幅ひろい視野に立って、戦後になっても国文学者として、漢学者として、またエスペランティストとして活躍した。能の新作も試みた。
青年時代の号は「哀果」で、この詩を作った頃は哀果だった。昭和55年没。

三行書きの詩(歌というべきか)を少し書き抜く。

    指をもて遠く辿れば、水いろの
    ヴォルガの河の
    なつかしきかな。

    おほかたの、わかきむすこのするごとき
    不孝をしつつ、
    父にわかれぬ。

    手の白き労働者こそ哀しけれ。
    国禁の書を
    涙して読めり。

    焼跡の煉瓦のうへに、
    小便をすれば、しみじみ、
    秋の気がする。

    りんてん機今こそ響け。
    うれしくも、
    東京版に雪のふりいづ。
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大正末期から昭和ひと桁、10年代にかけての「自由律」短歌運動にも深くかかわった。その頃の歌

   上舵、上舵、上舵ばかりとつてゐるぞ、あふむけに無限の空へ

   いきなり窓へ太陽が飛び込む、銀翼の左から下から右から

   あなたをこの時代に生かしたいばかりなのだ、あなたを痛々しく攻めてゐるのは

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敗戦後の歌に作者の歌として有名なものがある。それを少し引く。

   ふるき日本の自壊自滅しゆくすがたを眼の前にして生けるしるしあり

   鉄かぶと鍋に鋳直したく粥のふつふつ湧ける朝のしづけさ

   あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ
------------------------------------------------------------------
xhwa00101善麿ほか

写真②は、銀座カフェ・ヨオロッパにて、大正3年4月。
前列右より若山牧水、土岐善麿
後列右より古泉千樫、前田夕暮、斎藤茂吉、中村憲吉。

土岐善麿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

土岐 善麿(とき ぜんまろ1885年6月8日 ~ 1980年4月15日)は、日本の歌人・国語学者。

略歴・人物
東京・浅草の真宗大谷派の寺院の息子に生まれる。府立一中を経て、早稲田大学英文科に進み、島村抱月に師事。窪田空穂の第一歌集『まひる野』に感銘をうけ、同級の若山牧水とともに作歌に励んだ。

卒業の後、読売新聞記者となった1910年に第一歌集『NAKIWARAI』を「哀果」の号で出版、この歌集はローマ字綴りの一首三行書きという異色のものであり、当時東京朝日新聞にいた石川啄木が批評を書いている。同年啄木も第一歌集『一握の砂』を出し、文芸評論家の楠山正雄が啄木と善麿を歌壇の新しいホープとして読売紙上で取り上げた。これを切っ掛けとして善麿は啄木と知り合うようになり、雑誌『樹木と果実』の創刊を計画するなど親交を深めたものの翌年啄木が死去。その死後も、善麿は遺族を助け、『啄木遺稿』『啄木全集』の編纂・刊行に尽力するなど、啄木を世に出すことに努めた。

その後も読売に勤務しながらも歌作を続け、社会部長にあった1917年に東京遷都50年の記念博覧会協賛事業として東京~京都間のリレー競走「東海道駅伝」を企画し大成功を収めた(これが今日の駅伝の起こりとなっている)。翌1918年に朝日新聞に転じるが自由主義者として非難され、1940年に退社し戦時下を隠遁生活で過ごしながら、田安宗武の研究に取り組む。

戦後再び歌作に励み、1946年には新憲法施行記念国民歌『われらの日本』を作詞する(作曲・信時潔)。翌年には『田安宗武』によって学士院賞を受賞した。同年に窪田の後任として早大教授となり、上代文学を講じた他、杜甫の研究や能・長唄の新作をものにするなど多彩な業績をあげた。他に紫綬褒章受賞。

第一歌集でローマ字で書いた歌集を発表したことから、ローマ字運動やエスペラントの普及にも深く関わった。また国語審議会会長を歴任し、現代国語・国字の基礎の確立に尽くした。



はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は をゆび の うれ に ほの しらす らし・・・・・・・・・・・・・会津八一
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   はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は
     をゆび の うれ に ほの しらす らし・・・・・・・・・・・・・・・・・会津八一


会津八一の歌は「ひらがな」書きで、しかも単語と助詞などを間隔を空ける独特の表記の仕方に特色のある歌である。
初夏の風になってきたなぁ、と、み仏は「をゆび」=小指の「うれ」=末端=先で、ほのかにお感じになったようだ。
という意味の歌であり、み仏と一体になるような感じで、作者がいわば言葉によって、ひたと寄り添おうとしている仏の温容、その慈悲に満ちたたたずまいが、おのずと浮びあがってくるようである。

八一については前回に少し書いたので、ここでは繰り返さない。大正13年刊の『南京新唱』に載るもの。
南京とは、北の京都に対して奈良を指して言ったもの。

DSC_8803-A-600八一色紙
 ↑ 会津八一 色紙

会津八一の歌を二、三ひいておく。

あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ

あまごもる やど の ひさし に ひとり きて てまり つく こゑ の さやけさ 

かすがの の しか ふす くさ の かたより に わが こふ らく は とほ つ よ の ひと

このごろ は もの いひ さして なにごと か きうくわんてう の たかわらひ す も

さをしか の みみ の わたげ に きこえ こぬ かね を ひさしみ こひ つつ か あらむ

いちじろく ひとき の つぼみ さしのべて あす を ぼたん の さかむ と する も



つちふるや日輪たしかに黄に変じ・・・・・・・・・・・・・山口素逝
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  つちふるや日輪たしかに黄に変じ・・・・・・・・・・・・・山口素逝

「つちふる」を漢字で書けば「霾」となる。なんて難しい字だが、今でいう「黄砂」のことである。
昔は「黄沙」と書いたが、常用漢字では「砂」を採用している。
黄砂については今さら言うまでもないが、中国北部やモンゴルの砂塵が偏西風によって日本まで運ばれてくるもの。
朝鮮半島では、距離的に近いので、その被害もひどいらしい。学校が休校になったりするらしい。
「霾」の字は雨かんむりに狸という字がくっついているが、昔は古代中国ではタヌキが悪さをして、こんな変な天気になると信じられていたのであろう。
とにかく「黄砂」「霾る」というのが春の季語になっている。
例年、黄砂の襲来は五月になるとひどくなる。日によっては激しく降る日がある。黄砂アレルギーの人も出る始末である。
ところが今では、PM2.5というような微細な化学物質が降ってくるから始末が悪い。
中国では何でも金になることなら何でもするという風潮で、しかも地方政府や共産党の幹部が、そういう企業の幹部を兼ねているから公害として追及するのも妨害される。
マッチポンプのような形だから、日本でやられるように、裁判を起こして追及するというのも効果が無いことになる。
日本の公害のことを「反面教師」にして前に進んでほしいのだが、どっこい、こういう事情で期待薄ということになりかねない。

黄砂の句は多くはないが、少し引いておく。

 青麦にオイルスタンド霾る中・・・・・・・・・・・・富安風生

 真円き夕日霾なかに落つ・・・・・・・・・・・・中村汀女

 つちふりしきのふのけふを吹雪くなり・・・・・・・・・・大橋桜坡子

 幻の黒き人馬に霾降れり・・・・・・・・・・・・小松崎爽青

 驢馬の市つちふるままに立ちにけり・・・・・・・・・・三篠羽村

 霾ぐもり大鉄橋は中空に・・・・・・・・・・・・山崎星童

 黄塵のくらき空より鳩の列・・・・・・・・・・・・鈴木元

 鉢の蘭黄塵ひと日窓を占む・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 黄沙濃し日冰輪(ひょうりん)となりて去る・・・・・・・しづの女

 喪の列や娶りの列や霾る街・・・・・・・・大橋越央子



舞へ舞へかたつぶり、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏みわらせてん、・・・・・・・・・『梁塵秘抄』
sizen266カタツムリ

    舞へ舞へかたつぶり、
   舞はぬものならば、
   馬の子や牛の子に蹴させてん、
   踏みわらせてん、
   まことに美しく舞うたらば、
   花の園まで遊ばせん・・・・・・・・・・・・・・・・ 『梁塵秘抄』


蝸牛かたつむりは陸産の巻貝で、でんでんむし、まいまい、とも言われる。
関東地方の森や野に多いのはミスジマイマイで殻の直径が3.5センチ、2センチほどの高さで黒っぽい三本の帯斑がある。
暖かくなると活動をはじめ、農家にとっては農作物を害するので困り者である。
いろいろの種類があり、ヒダリマキマイマイは貝殻を前から見て口が左にあり、黒い帯は一本である。
他にクチベニマイマイ、セトウチマイマイ、ツクシマイマイなどがよく見られる種類だという。
大きいのはアワマイマイで四国の山地に居る。
雌雄同体だが、交尾は別の個体とする。

403otomおとめまいまい

写真②はオトメマイマイという名前らしい。かわいい小さい種類である。
童謡に歌われる「角」というのは「目」である。突くとひょいと引っ込める。

芭蕉の句に

 かたつぶり角ふりわけよ須磨明石

というのがあるが、この角というのも、もちろん目であり、古来、角──争う、という連想から詠われたものが多い。どこか遊び心の湧く季語だったようである。
古句を引くと

 蝸牛の住はてし宿やうつせ貝・・・・・・・与謝蕪村

 蝸牛見よ見よおのが影法師・・・・・・・・小林一茶

などがある。明治以後の句を引いて終わりたい。

402tukuかたつむり

 蝸牛(ででむし)の頭もたげしにも似たり・・・・・・・・正岡子規

 雨の森恐ろし蝸牛早く動く・・・・・・・・高浜虚子

 蝸牛や降りしらみては降り冥み・・・・・・・阿波野青畝

 やさしさは殻透くばかり蝸牛・・・・・・・・山口誓子

 あかるさや蝸牛かたくかたくねむる・・・・・・・中村草田男

 蝸牛喪の暦日は過ぎ易し・・・・・・・・安住敦

 蝸牛いつか哀歓を子はかくす・・・・・・・・加藤楸邨

 蝸牛遊ぶ背に殻負ひしまま・・・・・・・・山口波津女

 蝸牛や岐れ合ふ枝もわかわかし・・・・・・・石田波郷

 かたつむり日月遠くねむりたる・・・・・・・・木下夕爾

 悲しみがこもるよ空(から)の蝸牛・・・・・・・・鷹羽狩行

 かたつむりつるめば肉の食ひ入るや・・・・・・・・永田耕衣

 かたつむり甲斐も信濃も雨の中・・・・・・・・飯田龍太

 妻の疲れ蝸牛はみな葉の裏に・・・・・・・・沢木欣一



柿若葉愛静かなる日を照るも・・・・・・・・・・・・岩崎富美子
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   柿若葉愛静かなる日を照るも・・・・・・・・・・・・岩崎富美子

今しも「柿若葉」のうす緑が美しい季節である。
私の地方では、柿の若葉が茂りはじめて来て、枝に止まるスズメなどの小鳥の姿が隠れるようになると、お茶摘みが出来る頃になると言われている。
「柿若葉」の適当な写真がないので、もう少し先になるが、柿の花の写真を掲げておく。
それにしても、この句のように「愛静かなる」などと言われると、この作者は、この句を詠んだとき「静かな愛」に包まれていたのだなぁと思う。
なかなか、こういう句や歌は詠めないものであり、羨ましい。

昔は「柿」の木は民家の敷地には必ず一本くらいはあったものだが、この頃では見かけなくなった。今は昔ほど「柿」の実を食べなくなった。
他に、いくらでも「食べるもの」が豊富にあって、第一、ナイフで皮を剥いて、小分けにして、種を出して食べなければならない、というのが面倒らしい。
その点、指だけで剥いて食べられる「みかん」や「バナナ」などには衰えない人気があるのと好対照である。

初夏に「柿の若葉」は、つややかに光る萌黄色をしていて、さわやかで新鮮である。
みずみずしくデリケートに、のびのびした「命」そのもののような若葉であり、初夏の心にひびく眺めのひとつであるのは、確かであろう。
以下、「柿若葉」の句は多くはないので、「柿の花」の句も引いて終わる。

 柿若葉雨後の濡富士雲間より・・・・・・・・・・渡辺水巴

 柿若葉重なりもして透くみどり・・・・・・・・・・富安風生

 節目多き棺板厚し柿若葉・・・・・・・・・・中村草田男

 まだ柿のほか月かへす若葉なし・・・・・・・・・・篠原梵

 柿若葉嬰児明るき方のみ見る・・・・・・・・・・鎌田容克

 父の代の風が吹きをり柿若葉・・・・・・・・・・高橋沐石

 柿若葉すこし晴れ間を見せしのみ・・・・・・・・・・川口益広

 こぼるるもくだつも久し柿の花・・・・・・・・・・富安風生

 柿の花農婦戸口に入る背見ゆ・・・・・・・・・・大野林火

 柿の花あまたこぼれて家郷たり・・・・・・・・・・岸風三楼

 飲食に腋下汗ばむ柿の花・・・・・・・・・・岡本眸

 葬式に従兄弟集まる柿の花・・・・・・・・・・広瀬直人

 総領は甚六でよし柿の花・・・・・・・・・・高橋悦男

 ふるさとへ戻れば無官柿の花・・・・・・・・・・高橋沐石

 行宮跡ひそかに守りて柿の花・・・・・・・・・・築部待丘



享けつぎて濃く蘇るモンゴル系ゐさらひの辺に青くとどめて・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   享けつぎて濃く蘇るモンゴル系
     ゐさらひの辺に青くとどめて・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

よく知られていることだが、いわゆる「モンゴリアン」という人種のお尻には尾骶骨の上の方に、特有の「蒙古斑」という青い「あざ」の模様が幼少期には見られる。
大きくなると、それは薄れて見えなくなる。
ハンガリー人なども源流はモンゴリアンと言われているが、その後白人との混血も進んでいるのだが、今でも「蒙古斑」は見られるのだろうか。
現在の南北アメリカ大陸に渡ったネイティヴ・アメリカンは、ずっと昔にベーリング海峡を渡って辿り着いたモンゴリアンだと言われているが、そう言われているからには、
この「蒙古斑」が彼らにも認められるということなのだろうか。

念のために申し添えると「ゐさらひ」というのは「尻」のことを指す「やまとことば」古語である。
お尻というところを「いさらい」と言えば、何となく非日常化して来るではないか。
これは「おむつ」というところを「むつき」と言い換えるのと同様のことである。いわば「雅語」化するのである。
これらは詩歌の世界においては常套的な手段である。

ずっと昔に、うちの事務所にいた子育て中の事務員さんと雑談していて、話がたまたま「蒙古斑」のことになったところ、
その人は真顔になって「うちの子には、そんなアザはない」と反論して来たことがある。
われわれ日本人はモンゴリアンといって必ず「蒙古斑」があるのだと説明したことである。もちろん人によってアザの濃淡はあるから気づかなくても不思議ではない。

この辺で、終わりにする。



からころも/着つつなれにし/妻しあれば/はるばる来ぬる/旅をしぞおもふ・・・・・・・・・・・・在原業平
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   からころも/着つつなれにし/妻しあれば
        はるばる来ぬる/旅をしぞおもふ・・・・・・・・・・・・在原業平


先ず掲出した歌のことを書く。
この歌は当代一の色男であった在原業平が三河──今の愛知県の「八橋」というカキツバタの名所で詠ったもので有名なもの。
今は八橋ゆかりの「無量寿寺」の中で継承されている。← 知立市のHPである。

原文には「/」のようなものは無いが、この歌の成り立ちを説明するために、敢えて区切りを入れてみた。
この歌には趣向がこらされていて、5、7、5、7、7の各フレーズの頭に「かきつばた」の字を置いて作ったもので「冠」作りという歌遊びになっている。
「折り句」と言われることもある。
詳しくは、↑ リンクになっているWikipediaの記事を参照されたい。

「からころも」というのは「着る」にかかる「枕詞」であるが、この「からころも」という言葉自体にも「衣」としての意味がある。
衣を身にまとうように馴れ親しんできた妻だが、思えばはるばると旅をつづけてきたものだなあ、いとしい妻が思われてならぬ、という意味である。

ところで写真①は「かきつばた」であるが、「いずれがアヤメ、カキツバタ」という文句があるように、この二つはとてもよく似ていて、区別が難しい。
img_shoubuden菖蒲田本命

参考までに、写真②は花菖蒲あやめである。
カキツバタとアヤメの見分け方は、先ずカキツバタは葉の幅が3センチほどあるのにアヤメは幅が1センチほどしかない、ということ。
またカキツバタは4月末から5月中旬、下旬にかけて咲くが、アヤメは露天では6月にならないと咲かない。というところであろうか。
菖蒲というと五月五日の端午の節句に合せて花菖蒲を飾るが、これはビニールハウスで保温して促成栽培したものであり、
私の住む地域で盛んに栽培されている。

kakitu10かきつばた

写真③はカキツバタの田の様子である。
学名によると両方ともアイリスの種類で、属が異なるだけである。
菖蒲は Iris ensata というが、杜若は laevigata と属名が異なる。
菖蒲の属名は「剣形の」の意味であり、杜若は「無毛の、平滑な」の意味である。
因みに言うと「アイリス」とはギリシア語で「虹」の意味である。鮮やかな紫色をしているからだろう。
この頃では西洋品種の「アイリス」という花が一般に栽培されるようになった。紫色が一段と濃い花である。
他にもジャーマンアイリスとか何とか、とりどりの色と柄の品種がある。
カキツバタは、明後日5月13日の「誕生花」であり、花言葉は「幸運」「雄弁」である。

はじめに書いた三河の八橋は杜若の名所で、今でも4月下旬から5月下旬まで、カキツバタにまつわるイベントが開催されている。
なお愛知県の県花はカキツバタになっている。

カキツバタの花の姿が飛燕の紫を思わせるので燕子花とも書く。
杜若を詠んだ句を引いて終わる。

 杜若語るも旅のひとつかな・・・・・・・・松尾芭蕉

 赤犬の欠伸の先やかきつばた・・・・・・・・小林一茶

 杜若切ればしたたる水や空・・・・・・・・高浜虚子

 よりそひて静かなるかなかきつばた・・・・・・・高浜虚子

 垣そとを川波ゆけり杜若・・・・・・・・水原秋桜子

 燕子花咲くや桂の宮寂びて・・・・・・・・水原秋桜子

 降り出して明るくなりぬ杜若・・・・・・・・山口青邨

 杜若けふふる雨に莟見ゆ・・・・・・・・山口青邨

 地図になき沼に霧湧く杜若・・・・・・・・児玉小秋

 妻の脛妖しき日ありかきつばた・・・・・・・・佐藤いさむ

 ベレー帽おしやれ被りに杜若・・・・・・・・遠藤梧逸

 声とほく水のくもれる杜若・・・・・・・・桂信子



藤目俊郎氏撮影・奈良県御杖村「クマガイソウ」画像・・・・・・・・・・木村草弥
クマガイソウ3

     藤目俊郎氏撮影・奈良県御杖村「クマガイソウ」画像・・・・・・・・・・・・木村草弥

旅友の藤目俊郎氏から、この画像が贈られてきたので、ご披露する。
名前だけは聴いたことがあるが、なんだか異様な花である。
ご恵贈に感謝して、ご披露する次第である。
ブログの規格に合うように縮小したので、ご了承を。 有難うございました。



老いびとにも狂気のやうな恋あれと黒薔薇みつつ思ふさびしさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   老いびとにも狂気のやうな恋あれと
     黒薔薇みつつ思ふさびしさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
バラに関しては、このBLOGにも何度か書いてきたが、四季咲きの薔薇があるとは言え、やはり今の時期が薔薇のシーズンである。
私の歌では「狂気」=黒、という連想のイメージから黒バラとしたが、何と言ってもバラは「真紅」が好きだ。情熱的な真っ赤が一番ふさわしい。
もっとも「黒」バラとは言っても、掲出した画像のような色のものを黒バラと称しているらしい。
薔薇は紀元前から北半球の各地に自生しているバラ科の植物だが、いまバラとして鑑賞されているのは、ほとんど「近代バラ」である。

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近代バラの歴史は古くはなく、その黎明はナポレオン一世の皇后ジョゼフィーヌによって、ヨーロッパ原産の一季性大輪のものと、中国産の四季咲き庚申バラを交配させたことに始まる。
1867年にフランスの園芸家ギヨが、ラ・フランスという名花を作り出し、近代バラの主流の地位を確立して以来、今日までおびただしい新種が国際登録されてきた。
世界的に、それほど芸術の場に採りあげられた花はないし、どれだけ多くの男性が、バラを捧げて愛を告げたことであろうか。
花言葉は「愛」。単純、明快である。

今みつけた句に、こんなのがあった。

   薔薇大輪稚ければ神召されしや・・・・・・・・・・角川源義

この句は源義が、誰か肉親の死に際して詠んだものであろうが、私には身に沁みるものである。

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歳時記にもバラを詠んだ句は多い。
それらの中からいくつか選んで終わる。

 薔薇に付け還暦の鼻うごめかす・・・・・・・・・・・・西東三鬼

 タイピストコップに薔薇をひらかしむ・・・・・・・・・・・・日野草城

 咲き満ちて雨夜も薔薇(さうび)のひかりあり・・・・・・・・水原秋桜子

 手の薔薇に蜂来れば我王の如し・・・・・・・・・・・・中村草田男

 憂なきに似て薔薇に水やつてをり・・・・・・・・・・・・安住敦

 薔薇垣の夜は星のみぞかがやける・・・・・・・・・・・・山口誓子

 雨の伊豆海暗けれど薔薇赤し・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

 薔薇剪れば夕日と花と別れけり・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

 睡る嬰児水あげてゐる薔薇のごとし・・・・・・・・・・飯田龍太

 薔薇咲かせ心の奢り失はず・・・・・・・・・・・・稲畑汀子

 薔薇挿せど空瓶になほ洋酒の香・・・・・・・・・・・・桂信子

 おうおうと金春家いま薔薇のとき・・・・・・・・・・・・森澄雄

 足袋に散る薔薇の花びら更年期・・・・・・・・・・・・横山房子

 バラ垣をもて一切を拒みけり・・・・・・・・・・・・徳永山冬子


手にすくふ水に空あり菖蒲田の柵に病後の妻と凭りゐつ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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  手にすくふ水に空あり菖蒲田の
    柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
私の地方は、豊富な地下水を利用して花菖蒲、かきつばた、海芋(かいう)カラーなどの花卉栽培の盛んなところで、この時期になると「花菖蒲」田が見ごろになる。
この歌は数年前の亡妻の大手術の後の小康の頃の様子を詠っている。

手にすくった水に空の青さが映っている、という歌の意味であるが、今となっては、妻との思い出として忘れられない歌になってしまった。

「菖蒲」の句を少しひいて終わる。

   白菖蒲過去なくて人生きられず・・・・・・・・・・・・稲垣きくの

この句なども、作者にいかなる事情があったか分からないが、私の心象に激しく迫るものがある。

   菖蒲見しこころ漂ふ如くなり・・・・・・・・・・・・・藤田湘子

文芸のいいところは、読者が、作者の意図を離れても、さまざまに解釈し得るということである。
花菖蒲の群生を見ても、私の場合、妻に心が行って、「こころ漂う」というフレーズに心動かされるのであった。

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   白菖蒲剪つてしぶきの如き闇・・・・・・・・・・・・鈴木鷹夫

この句なんかも私の身にびんびん響くものがある。それは、受け取る私の心が、そういう受動の個所に居るというからに他ならない。

   風渉りゐて菖蒲田の白ばかり・・・・・・・・・・・・篠崎圭介

この「叙景」は、何ともない情景のようであるが、心象に迫るものを持っている。

   ほぐれそめ翳(かげ)知りそめし白菖蒲・・・・・・・・・・・・林 翔

菖蒲が心を持つ筈もないのだが、人というものは、何につけても、心を盛りたがるものである。「翳知りそめし」という表現が秀逸である。


大いなる月の暈ある夕べにて梨の蕾は紅を刷きをり・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   大いなる月の暈(かさ)ある夕べにて
          梨の蕾は紅を刷きをり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
写真は蕾でなく開いた梨の花だが、「二十世紀」という種類である。
ほぼ真白だが、心持ち少しピンクがかっていると言えようか。
写真②が純白の梨の花である。

CIMG22711梨の花

梨の栽培は、外国では芸術的な大きな梨は余り作らないので、なるべく手間のかからない栽培をするが、日本では労働集約的な手間をかけて立派な果実を作ろうとする。
梨の受粉も、花粉を人手で一つ一つ雌蘂に付けるという大変な手間をかける。
受粉が済んだら、よい実だけを残して、あとは全部もぎとる「摘果」という作業をする。
その後には一つづつ紙袋をかぶせるという手間をかける。
この頃では「無袋」栽培というのも一部では行なわれてはいるが、主流は「袋」ありである。
写真③が受粉作業の様子。

CIMG22701梨の受粉

筆の先に雄しべの花粉をつけて、花の雌蘂に一つ一つつけてゆく大変な作業。
梨の木は落葉する木で冬には幹と枝だけである。冬の間に徒長枝などを剪定して活かす枝だけを残す。
先年秋に、梨の実で、このBLOG記事に 梨の実 のことで少し書いた。二十世紀という梨の株の最初の開発者のことなども書いたので、参照してもらいたい。
写真④が広い梨畑に一斉に花が咲いた様子である。

CIMG23251梨の花畑

古来、梨の花は俳句に詠まれてきたので、それを引く。

 梨棚の跳ねたる枝も花盛り・・・・・・・・松本たかし

 青天や白き五弁の梨の花・・・・・・・・原石鼎

 梨咲くと葛飾の野はとのぐもり・・・・・・・・水原秋桜子

 梨の花わが放心の影あゆむ・・・・・・・・山下淳

 多摩の夜は梨の花より明けにけり・・・・・・・・斎藤羊圃

 能登けふは海の濁りの梨の花・・・・・・・・細見綾子

 梨の花郵便局で日が暮れる・・・・・・・・有馬朗人

 はてしなき黄土に咲いて梨の花・・・・・・・・青柳志解樹

 キリストの蒼さただよふ梨の花・・・・・・・・福田甲子雄

 梨の花白にはあらず黄にあらず・・・・・・・・信谷冬木


杭いつぽん打ちこみをれば野の蕗が杭の根もとに淡き香はなつ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
f5b67ba27ba54689447d3393b21db5cd花のついた野蕗
   
   杭いつぽん打ちこみをれば野の蕗が
     杭の根もとに淡き香はなつ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第三歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌のつづきに

   ほろ苦き野蕗の茎は蒼々と生味噌まぶせばはりはり旨し・・・・・・・・・木村草弥

という歌が載っているので、一体として鑑賞してもらいたい。
蕗(ふき)は本来、野生していたものを人間が栽培して野菜用に改良したものが出回っている。
写真は花のついた野蕗である。食用には花のつく前の新芽の茎を摘む。
新しい茎を採って売られているが、季節の味覚として、ちよっとほろ苦いところが美味なものである。

fuki001蕗のとう

この蕗の新芽が写真②の「蕗のとう」である。
これは少し大きくなったもの。ほんの新芽は砲弾型している。
それは早春の野草狩で見られる。
これらの野生のものでなく山形県などでは、大型の2メートルにも達する蕗を栽培している。
いずれも茎だけを食用にする。
もっとも子供の頃は、このほろ苦さが嫌で、食べられなかったものである。いわば大人の味といえようか。
ここで写真③にフキノトウの芽だし直後の写真を出しておく。

fuki007蕗のとう

蕗は俳句にも詠まれているので、それを少し引いて終る。

 うすうすと日は空にあり蕗の原・・・・・・・・田村木国

 あらはれて流るる蕗の広葉かな・・・・・・・・高野素十

 蕗切つて煮るや蕗畠暮れにけり・・・・・・・・石田波郷

 母の年越えて蕗煮るうすみどり・・・・・・・・細見綾子

 風みどり母が蕗煮る時かけて・・・・・・・・古賀まり子

 言ひ勝ちて妻ほきほきと蕗を折る・・・・・・・・庄中健吉

 母とあれば風ゆづり合ふ蕗円葉・・・・・・・・神林信一

 よろこびの淡くなりたり蕗茂る・・・・・・・・本宮銑太郎

 きやらぶきを煮つめ短き四十代・・・・・・・・大島龍子

 夜の蕗むく父母の墓ねむりをらむ・・・・・・・・寺島京子



豊作を願う石楠花採りて来し学徒の戦死語りつぐべし・・・・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子
050520_001シャクナゲ②

   豊作を願う石楠花(しゃくなげ)採りて来し
     学徒の戦死語りつぐべし・・・・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


NHKラジオ深夜便の本『誕生日の花と短歌365日』によると、今日5月6日の誕生日の花は「シャクナゲ」ということになっている。
「花言葉」は「威厳」ということである。
「誕生日の花」については、本や著者によって、まちまちであるから、この本はあくまでも選定者の「柳宗民」氏によるものであることを付記したい。

この歌についている鳥海昭子さんのコメントによると

<ふるさとの山形県庄内地方には、シャクナゲを田の水口に供えて豊作を願う神事がありました。
 白装束の青年たちが、自生するシャクナゲを採りに鳥海山に登るのです。>

とある。植物と農耕との深い結びつきを示す神事と言えるだろう。
単なる植物観察や鑑賞の域を超えて、日本人の精神性に思いを馳せるのも無意味ではないだろう。

蛇足だが、私の持つ他の本では、今日の誕生日の花は「花蘇芳」「紫蘭」となっており、全くかけ離れている。
「シャクナゲ」に指定されている日というと「5月8日」であり、もう一誌は「シャクナゲ」の採用自体がない。
これも、どうかと思う。

シャクナゲは、ヒマラヤ地方、中国、北アメリカなどにも分布するというが、日本列島には大よそ10種類ほど種類があるという。
ヨーロッパでは早くから品種改良につとめ、日本へは「西洋シャクナゲ」の名で移入されていて、一般家庭のシャクナゲは、ほとんどこの西洋シャクナゲだという。
しかし、やはりシャクナゲは山で野生の状態で見るのが一番風情がある。

050520_003シャクナゲ③

以下、俳句に詠まれる句を引いて終わる。

 石楠花に手を触れしめず霧通ふ・・・・・・・・・・・・臼田亜浪

 石楠花や山深く来て雲の雨・・・・・・・・・・・・吉田冬葉

 白石楠花夜になり夜の白さなる・・・・・・・・・・・・加藤知世子

 しやくなげは天台ぼたん雲に咲く・・・・・・・・・・・・百合山羽公

 石楠花や鳥語瞭(あきら)か人語密(ひそ)か・・・・・・・・滝春一

 石楠花の一花残りて籠堂・・・・・・・・・・・・村越化石

 石楠花に渓流音をなせりけり・・・・・・・・・・・・清崎敏郎

 石楠花や水櫛あてて髪しなふ・・・・・・・・・・・・野沢節子

 石楠花や雨に削がれし牧の道・・・・・・・・・・・・皆川盤水

 石楠花の咲く寂けさに女人講・・・・・・・・・・・・角川春樹

 石楠花や那智大神に子は抱かれ・・・・・・・・・・・・斎藤夏風

 石楠花にかくれ二の滝三の滝・・・・・・・・・・・・宮下翠舟

 薬湯をたてて石楠花ざかりかな・・・・・・・・・・・・吉本伊智郎

 石楠花の山は高さを惜しまざる・・・・・・・・・・・・只野柯舟

 石楠花に溺れし夜の三斗小屋・・・・・・・・・・・・秋山花笠

 雲下りてくる石楠花のあたりまで・・・・・・・・・・・・北野石竜子
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この頃では、眠っても早く目が覚めたりすることが多いので、ラジオをかけて、このNHKの「ラジオ深夜便」をかける。
ここ2、3日つづけてかけている。
そうしていると、聴きながら、いつしか、またトロトロまどろむこともある。
いろいろ参考になることも放送している。


食卓に置きたる壺の山吹は散るにまかせつ黄の濃き花びら・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   食卓に置きたる壺の山吹は
    散るにまかせつ黄の濃き花びら・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

030409t井手の山吹
山吹の花は太田道灌の逸話などで有名だが、写真②は私の住む隣町の井手の玉川の山吹である。
これは聖武天皇の義弟の橘諸兄がここに住むようになって山吹を愛でて植えさせたという故事に因む。
写真②では桜の花と一緒に咲いているのが判るが、山吹の種類や場所によっては遅速があるようである。

yamabuki04松尾大社ヤマブキ
写真③は、ここも山吹の名所として有名な松尾大社の花である。水路があって回廊の橋から撮ったもの。

山吹には一重と八重の両方がある。
私の家の山吹は八重であり、今が丁度みごろである。
山吹はせいぜい高さが1メートルくらいの木であり、単独で存在を示すというものではなく、他の大きい木に寄り添う形で存在する、控えめな木であると言える。

hitoeyoko1山吹一重
写真④は一重の山吹である。
先に書いた太田道灌の故事だが、それは花は咲いても実がならないという山吹の性質に由来する。
その問題の兼明親王の歌をお見せする。

   七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき

というものである。「実の」は「蓑」に掛け合わせてあるのである。

万葉集巻10歌番号1860の「よみ人しらず」の歌にも

   花咲きて実はならずとも長き日に思ほゆるかも山吹の花

とあるように、同じ趣旨の歌は、いくつもあるようである。
というより兼明親王は、この万葉集の古歌を知っていて、本歌どりで作られたのであろうか。
時代的には、そうなる。

一番に掲出の写真は八重の山吹である。

図鑑によると山吹は日本原産だという。
・薔薇(ばら)科。
・学名 Kerria japonica
Kerria : ヤマブキ属
japonica : 日本の
Kerria(ケリア)は、19世紀のイギリスの植物学者「Kerr さん」の 名前にちなむ。

この八重ヤマブキは実がならないという。では、一重ヤマブキは実がなるのかというと、私の読んだ本には、そのことは何も書いていない。
古来、多くの句が詠まれてきたので、それらを引いて終りたい。

 山吹や宇治の焙炉の匂ふ時・・・・・・・・松尾芭蕉

 山吹にぶらりと牛のふぐりかな・・・・・・・・小林一茶

 山吹や小鮒入れたる桶に散る・・・・・・・・正岡子規

 蕎麦すする夕山吹のなつかしき・・・・・・・・渡辺水巴

 山吹の中に傾く万座径・・・・・・・・前田普羅

 あるじよりかな女が見たし濃山吹・・・・・・・・原石鼎

 濃山吹俄かに天のくらき時・・・・・・・・川端茅舎

 山吹の黄の鮮らしや一夜寝し・・・・・・・・橋本多佳子

 やすらかに死ねさうな日や濃山吹・・・・・・・・草間時彦

 わがいのち知らぬ我かも濃山吹・・・・・・・・原コウ子

 山吹や酒断ちの日のつづきをり・・・・・・・・秋元不死男

 山吹や庭うちにして道祖神・・・・・・・・石川桂郎

 山吹の黄金とみどり空海忌・・・・・・・・森澄雄

 山吹の真昼を伎芸天伏し目・・・・・・・・井沢正江

 童女とて愁ひ顔よき濃山吹・・・・・・・・倉橋羊村

 山吹や家ふかきより老のこゑ・・・・・・・・宇佐美魚目

 沢蟹の水へしだるる濃山吹・・・・・・・・市川つね子



地球儀を廻せば果てなし世界地図母国がいつも中心にあり・・・・・・・・・・・・浅井のりこ
rinomainimg地球儀

      地球儀を廻せば果てなし世界地図
               母国がいつも中心にあり・・・・・・・・・愛知県 浅井のりこ


この歌は角川書店「短歌」誌の2013年1月号の題詠「球」の応募作として入選したものである。 選者は楠田立身氏である。
この歌は「地球儀」を詠ったものとしては、正確ではない。
「平面地図」であれば、ここに詠われるように、どこの国の地図も、いつも「自国」を真ん中に描いているだろう。
しかし「地球儀」は丸い地球を模ったものであり、ほぼ地球の現実の配置図になっているもので、例えば、日本は必ずしも地球儀の真ん中にはないからである。
地球儀というのは、「地軸」の傾きに沿って軸が貫いており、それをくるくる廻して各国を見るようになっている。
作者は、平面地図と地球儀とを「錯覚」して、歌に作られたようである。 歌の意味として違和感がある。
異議を申し立てるようで恐縮だが、選者の楠田氏の間違いだろう。 私なら、正確を期して、この歌を選ばないだろう。


今しも、韓国が「日本海」を「東海」と呼称するよう求める動きが、アメリカ在住の韓国系住民から出てきたりしている。
これなども地図の「平面図」的な発想に発している。韓半島から見れば、確かに「東の海」であるからだ。
他方、日本なども「日本海」の表記にこだわる必要もないのである。
とにかく日本の苛酷な植民地支配に対する反感、反動が、いま民族感情のうねりとして噴き出ているのだ。
ついでに書いておくと、韓国に行ってみると判ることだが、「朝鮮」という言葉を使うことにも反発があり、「朝鮮半島」ではなく「韓半島」と呼ぶ、などである。

この歌を見たとき、私も一瞬、「平面地図」を思い出して、肯定しそうになったが、すぐに間違いに気づいた。
私宅にも子供たちの学習用に買ったものだろうか、いまも地球儀が一個ある。
この「題詠」の欄には全部で50余りの入選歌が載っているが、

   角のある小家具ばかりのわが部屋にけふは学習用地球儀を置く・・・・・・岩手県 加藤英治

という歌が選ばれている。
詠み方は違うが、この歌には何ら違和感はない。
こんな歌も採用されている。

   婆生まれし台湾さがすおさならは芋型よねと地球儀を見る・・・・・・兵庫県 清水勝子

この歌も面白い。台湾=フォルモサの形を「芋型」とは子供らしい表現である。
「球」という題詠の課題に対して地球儀を詠ったのは、この三つだけである。
他は野球の球やサッカーボールを詠ったものなどが多い。 では、他の歌を引いておく。

   卓球野球蹴球排球籠球と漢字は固くよく動けない・・・・・・神奈川県 越田勇俊

   青年の指黙黙と球根を育てるために花を摘みおり・・・・・・茨城県 杉山由枝

   天災に目覚めし国の団結の「絆」の文字が球に書かるる・・・・・・三重県 福沢義男

   溶ける球ぐるり回して吹きやれば丸き形の風鈴が出づ・・・・・・東京都 松永弘之

   隠し球持たぬ手の内吾が持つは少しの希望と多くの祈り・・・・・・東京都 芹沢弘子

   吹きつのる春の疾風にタンポポの綿毛は球のスクラム解かず・・・・・・和歌山県 久保みどり

   「別に」とか返す日続く反抗期言葉のボール帰らぬ九月・・・・・・神奈川県 高司陽子

   明日逝く夫の命を知らずして孫と遊びし球磨川下り・・・・・・千葉県 田中房枝

   夕暮れにボール片手に帰りゆく子等と蜻蛉に開かれしドア・・・・・・青森県 桜庭喜久枝

   何となく覚えづらくて苦手なりし球の体積・表面積を・・・・・・大阪府 遠藤八重子

   たつぷりともろてに抱き描きたるまるみなるべし球子の富士は・・・・・・千葉県 渡辺真佐子

   見逃せばホームランとなるフェンスぎは超美技となる刹那のジャンプ……静岡県 鈴木昭紀

   変化球少しは混ぜてみようかと職退きし後の生活プラン・・・・・・愛知県 藤田浩之

   石や川花に蝶々犬や猫そして私も地球のかけら・・・・・・神奈川県 ひかり

   



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