K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(7月)月次掲示板
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東日本大震災から四年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
FI249257_2E未央柳
 ↑ 未央柳(びようやなぎ)

七月になりました。
梅雨が明けたら、輝く夏が始まります。


 月ほそくうすく見ゆるを子は言ひて獣あまた載る絵本をひらく・・・・・・・・・・・・・・・・・大口玲子
 三振りを五振りに七味で気合ひ入れ狐も狸もわれも目覚めよ・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 熊鷹の一羽を鴉の群れが追ふ集団的自衛権の行使かあれは・・・・・・・・・・・・・・・・真鍋正男
 耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川宏志
 逝く秋に読み返したる一冊の『白痴』は遠き回転木馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 さはあれど比喩は間接の域を出ずまして暗喩は奢りが臭ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来嶋靖生
 風渡る聖河のほとり人と人睦みて大悲分けあえるとぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷岡亜紀
 「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか・・・・・・・・・・・・・・・・森山良太
 糸吐きて繭を裡よりつくり出す蚕の声きこゆ夏白き昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜野ムツ
 立ちて百日紅坐りては見る千年紅われ息長にその紅を吸ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 エゾイチゲの花が咲いたと妻が言ひさうかと花を覗きにゆきぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
 つと視野を過ぎし蛍のかの夜よりこの世を夢と思ひ初めにき・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋眞理子
 その身美しきこと知りゐるや知らざるや黒揚羽無心に舞ふ夏の朝・・・・・・・・・・・・・・ 石川恭子
 まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあつた戦争の前・・・・・・・・・・・・・・永田和宏
 始めしは縄文人か奥久慈の炭火であぶる鮎の塩焼き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 ひと雨に胡瓜の太る貸し農園・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤栄子
 一・五・十・五十・百円小判草・・・・・・・・・・・・・・・・北畠千嗣
 噴水に人は無口になりに来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 かなしからずや殻の中まで蝸牛・・・・・・・・・・・・・・ 山田露結
 囀りやサラダの御代わりは自由・・・・・・・・・・・・・・・越智友亮
 緑蔭や脇にはさみて本かたき・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田哲史
 サングラスあたまひと振りして外す・・・・・・・・・・・・・山口優夢
 ががんぼは腕立て伏せして老いてゆく・・・・・・・・・・・・永井幸
 枇杷甘く合はせ鏡に溺れけり・・・・・・・・・・・・・・・・・外山一機
 急用のわたしが走る雉走る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池弘子
 まなうらに新樹流れてひっそり寝息・・・・・・・・・・・・わだ ようこ
 平和な夢だ平和は夢だ鳴かぬ蝉・・・・・・・・・・・・・・・瀬川泰之
 つまみたる夏蝶トランプの厚さかな・・・・・・・・・・・・・・高柳克弘 
 水の面に蜂の垂り足触れにけり・・・・・・・・・・・・・・・・村上鞆彦
 黒揚羽旅は罅より始まりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冨田拓也
 全身を触覚にしてシャワー浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・ 北大路翼
 夏橙その手ざわりの過去を言う・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤淳子
 屋根裏に蛇這う音の昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・・奥山津々子
 蕗十杷漬け置く桶の水の色・・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐義知
 モナリザの微笑の先の水羊羹・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 夏木立つばさもちちふさも楽器・・・・・・・・・・・・・・・・・中村安伸
 避暑家族鳥とも違ふ会話して・・・・・・・・・・・・・・・・・・田中亜美
 大ぶりの蜘蛛の巣いい仕事してるなあ・・・・・・・佐々木香代子
 耳朶染まる多肉植物むんむんと・・・・・・・・・・・・・・・・榎本祐子
 こゑふたつ同じこゑなる竹の秋・・・・・・・・・・・・・・・・ 鴇田智哉
 撫でるごとトマト湯むきす子は遠し・・・・・・・・・・・・・・森岡佳子
 さざなみ今もすこしずつ砂になる・・・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 恋愛が模型の丘に置いてある・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 岩礁の苔のぬめりの深き夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石井薔子
 山の蛾のひとり網戸に体当たり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田仁
 あられもなき五体ありけり大夕焼・・・・・・・・・・・・・・・・ 秦夕美
 軍艦島かごめかごめでいなくなり・・・・・・・・・・・・・・ 河西志帆
 ハッカ飴ゴールはみんな正解さ・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 でで虫やきのふのこともはや虚(うつけ)・・・・・・・・・・ 七風姿 


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
昨日のアクセス数:282件
今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

木村草弥─Wikipedia

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 これも戯れですが、結構おもしろいです。日々↑↓ します。アクセス数によるのでしょう。 ご覧ください。


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 日本国憲法九条
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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童話読むことも看とりや遠花火・・・・・・・・・・・・・・・・・及川貞
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    童話読むことも看とりや遠花火・・・・・・・・・・・・・・・・・及川貞

夏の風物詩と言えば、何といっても「花火」だろう。花火は何となく「はかない」。
それは華やかにパッと咲いては消えてゆくからである。

この句を見て思い出すことがある。
亡妻はガンとの闘病で末期には、うつらうつらと夢幻のうちに寝ていることが多かったが、私は傍で本などを読んでいたが、一週間に一晩だけ次女が付き添いを替ってくれた。
次女は妻に本の「読み聞かせ」をしたらしい。 
だから妻は「あなたは自分だけ本を読んでいるが、次女は本の読み聞かせをしてくれる」と苦情を言った。
掲出の及川貞の句は、恐らく病気の子供に童話の読み聞かせをしている景だろうが、その連想から、こんなことを思い出した次第である。

花火という季語は元来は秋のものであったというが、やはり夏がふさわしく、今では夏の季語として定着している。
花火大会というと昔から東京の隅田川の両国の花火大会が有名でカギヤ、タマヤという花火師がいたらしく、花火が揚がるたびにタマヤ、カギヤの掛け声がかかったという。
tamura花火①

関西では、PL花火大会、琵琶湖花火大会、7月25日の天神祭の後、8月はじめに大川で挙行される花火大会などが有名である。
花火は火薬を使用するので花火師に危険は、つきものである。
今ではテレビなどの映像で知るだけでも、みんな会社組織になっている。国際的に活躍している人たちも多い。
日本の花火は一つ一つが芸術的に出来ているが、外国のものは数にまかせて一度にたくさん打上るものが多い。
日本の二尺玉、三尺玉などの単発の芸術作品もいいが、外国の数で押す手法と混合するのも、よいのではないか。
20000914_099_99n花火

ここに掲げた写真は、いずれもWeb上から拝借したものだが、これだけ鮮明に花火を撮るのは難しい。これらの写真は、よく撮れている。
ootutu②尺玉打上筒

四番目の写真には「尺玉打上筒」の説明がある。私は初めてお目にかかるもので、その大きさに改めてびっくりする。
今では打上げはコンピュータ制御で操作するらしいが、その制御に至る準備が大変だろう。
昔は打上げの際の爆発事故で目や手足を損傷した花火師もいた。今でも花火工場の爆発事故などもある。
打上げの際の華やかさに比べて、花火の製造や準備は地味なもので、ご苦労が偲ばれる。
であるから、花火を見る際には、それらのご苦労に対して、一瞬でも心を致したい。
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以下、花火を詠んだ句を古今を通じて引いてみたい。

 小屋涼し花火の筒の割るる音・・・・・・・・・・・・宝井其角

 物焚いて花火に遠きかかり舟・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

 宵々の花火になれて音をのみ・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 空に月のこして花火了りけり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 子がねむる重さ花火の夜がつづく・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 ねむりても旅の花火の胸にひらく・・・・・・・・・・・・大野林火

 花火あがるどこか何かに応へゐて・・・・・・・・・・・・細見綾子

 半生のわがこと了へぬ遠花火・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

 黒き蔵王全し花火一瞬に・・・・・・・・・・・・杉本寛

 犬の舌したたかに濡れ揚花火・・・・・・・・・・・・荒谷利夫
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五番目の大野林火の句だが、私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)の中で、「辞世」①というコラージュ風の作品として

「ねむりても旅の花火の胸にひらく」冬の花火ってさみしくていいもんだよ・・・・・・・・木村草弥
                 *大野林火

という歌を作ったことがある。こういうコラージュの手法は絵画の世界では市民権を得ているが、歌の世界では、なかなか理解を得られず苦労した。

少年は樹液饐えたる甘き香をにほはせ過ぎぬ露けき朝を・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
010704aokanabun1アオカナブン

    少年は樹液饐(す)えたる甘き香を
        にほはせ過ぎぬ露けき朝を・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


学校の夏休みが始まり、いよいよ少年たちの楽しい夏だ。
掲出の写真は樹の樹液に集る虫である。  写真①はカナブンである。
樹液は甘い香りがして、実際は酢と甘さとアンモニア臭と色々のものが混ざったものらしい。
とにかく、昆虫採集をして樹液の近くに居ると、体に樹液の匂いが沁みつくもので、私の歌は、そんな少年の情景を詠んでいる。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたものである。
樹液の沁み出す樹の傷には、いろいろの虫が集ってくる。
虫にも強弱があり、力の強いカブトムシなどはズカズカと樹液に到達するが、弱い虫は遠慮がちにオズオズと周辺から辺りをみながら近づいてくるから面白い。
写真②はカブトムシの雌雄である。
kb-kabu2カブトムシ

私は少年の頃は虚弱児で、活動的な子ではなかったが、田舎ですぐ近くには雑木林があるような環境だったから上級生に連れられて虫を捕まえに行ったりした。
水泳なんかも、上級生に無理に川に突き落とされて、溺れまいと必死で泳ぎを覚えたものである。
三番目はミヤマクワガタの雄である。
miyamatarouミヤマクワガタ

四番目の写真はミヤマクワガタの雌である。

040629miyamaミヤマめす

おおよそ昆虫は雄が大きく牙も大きい。少年の頃は何も知らずに牙の大きいのを源氏、小さいのを平家などと呼んでいた。
(昆虫の雄が大きい、というのは正確ではない。バッタ、イナゴ、カマキリなどは雄が小さく、雌が大きい)
樹液の出る傷のある樹が見当たらない場合は、上に書いたように樹液に似た液を作って樹の洞などに置いておくと虫が集ってくるものである。
その辺は少年なりの知恵と言えようか。
蝉などは幾つもの種類が朝早くから、やかましく鳴いていた。あまり蝉採りなどはしなかった。
蝉の名前が思い出せない小さな蝉でじーじーと鳴くのがうるさかった。
夏の終りに近づくとかなかなと蜩(ひぐらし)が鳴き出す。ツクツクボウシも秋口の蝉である。

先日、暑いさなかをゴルフしていたら、何年も年月を経た大きなポプラの木に羽化した蝉の抜け殻があり、木の周りに地下から幼虫が出てきた穴が、
いくつもあった。日本の蝉は地下に数年棲んでいるから、幼木にはまだ蝉は棲みつかない。
nokogirikun.jpg

五番目はノコギリクワガタという立派なクワガタで、体の色が赤銅色に光っているのが特徴。この虫が子供たちにも人気があった。
昔はクヌギ、ナラなどの雑木は薪として利用されたので数年の更新期を経て伐採された。
そんなタキギとしての用途もなくなって、雑木林はうち捨てられた。
クヌギやナラは数年で更新されるから再生するのであって、切られなくなっては雑木林は衰退するばかりである。
琵琶湖のほとりに住む今森光彦さんは琵琶湖周辺を丹念にカメラに収めてきた人だが、琵琶湖周辺でも棚田や雑木林は、もう殆ど見られなくなった。
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虫などにまつわる私の歌を少し引いてみる。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)から

   沙羅の寺(抄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

楢の木の樹液もとめて這ふ百足(むかで)足一本も遊ばさず来る

かたつむりの竹の一節越ゆるを見て人に会ふべき顔とりもどす

蟻の国の事も知らずで箒もて掃くも殺すもガリバーの我
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新潮社の読書誌『波』2004年8月号の連載コラム「猫の目草」103回で、日高敏隆氏が「カブトムシたちの苦労」というのを書いてらっしゃる。
それを読むと、交尾の済んだカブトムシの雌は卵を生みつける手ごろな「腐葉土」を見つけて産卵すると、雌の一生は終る。カブトムシの幼虫は腐葉土を食べて育つ。
カブトムシと並んで子供たちの関心の的であるクワガタムシは、親はカブトムシと同じく樹液を唯一の食物としているのに、どういうわけか朽木に産卵し、幼虫は朽木を食べて育つ。朽木により腐り方がいろいろあり、クワガタムシの種類によって好みも違うが、総じて朽木は腐葉土に比べて栄養価がずっと低い。だからクワガタムシの幼虫が親になるには、少なくとも2、3年はかかる。けれど、その代わり、親は、カブトムシと違って2年以上生きられる。同じ樹液に集る虫なのに、カブトムシとクワガタムシは、まるで違った一生を過ごしているのである。
──こんなことは、今はじめて知ったことである。自然は一面、公平なところがあるのだ。
感心して追記しておく。

この記事を元にして『愛の寓意』(角川書店)に「樹液と甲虫たち」の題名で載せた。

空蝉は靡ける萱にがつしりとすがりて残る 青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    空(うつ)蝉は靡ける萱(かや)にがつしりと
        すがりて残る 青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


先日のBLOGの中で、蝉の抜け殻(うつせみ)について少し触れたので、今日は空蝉を詠った私の歌を載せる。
写真の蝉はアブラゼミかと思う。
二番目の写真から三枚つづけてアブラゼミの羽化の様子を載せる。
ll0021.kuma羽化①

二番目の写真は地中から這い出てきて、羽化するために足場をがっしりと固めた様子。
地中から這い出て来るのは目撃者によると夜8時頃からという。
羽化の途中は蝉の肌も弱く、敵に襲われたら一発でアウトなので慎重らしい。
羽化に失敗するのが、いくつもあるらしい。
一番目の写真のように葉っぱにすがって羽化するのもあり、地中から出て来た環境なりに羽化する足場を探すらしい。
いよいよ羽化がはじまり、幼虫の背中が割れて蝉が外に半身を乗り出した様子。
ll0031.kuma羽化②

この姿勢から下の方にのけぞり、全身が外に出た後、足で殻に捕まって、のけぞり姿勢を正し、ゆっくりと時間をかけて羽や全身を伸ばす。
羽にも血液が流れ、蝉の成虫の羽の大きさと色になってゆく。
この姿勢の時間は一晩をかけて、ゆっくりと行われる。
こうしてアブラゼミならアブラゼミなりの大きさと色に変わってゆくのである。
昆虫の場合には「変態」という用語を使うこともあるが、蝶や蝉など羽が生えて空を飛ぶものには「羽化」という言葉がふさわしい。
ll0011.kuma羽化③

四番目の写真では、羽化が終った蝉が抜け殻から離れたところに静止しており、右側に抜け殻が見えている。
写真で見るかぎり、まだ体の色はアブラゼミにはなり切ってはいない。
朝になれば羽化した蝉は餌(樹液など)や配偶者を求めて飛び立たなければならないから、それまでに全身を成虫の体にしておかなければならない。
蝉の成虫の命はせいぜい10日か2週間と言われている。
地中で木の根から樹液を吸って生きる数年の期間のことを考えると、誠にはかない命と言うべきだろう。
その故に日本人は古来から多くの詩歌に詠んできたのである。
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以下、私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載る一連の歌を引用する。
これらはWeb上のHPでもご覧いただける。

    青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   別離とは白き紙かも夏逝くといのちの影をうつしてゐたり

   かるかやにすがりて羽化を遂げし蝶あしたの露にいのち萌え初む

   空蝉は靡ける萱(かや)にがつしりとすがりて残る 青蝉よ翔べ

   青蝉は野仏の耳をピアスとし脱皮の殻を残しゆきけり

   野仏の遠まなざしのはたてなる笠置山系に雲の峰たつ

   <汗匂ふゆゑにわれ在り>夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ

   ひたすらに地に生くるもの陽炎(かぎろ)ひて蟻の行列どこまでつづく

   罪いくつ作り来しとは思はねど差しいだす掌(て)に蟻這はせをり

   蟻の列孜々(しし)と励みし一日は日の昏れたれば巣穴に戻る

   呵責とも慰藉(いしゃ)ともならむ漂白の水に漉かれて真白き紙は

   翔べるものわが身になくて哀しめば蜻蛉(あきつ)は岸の水草を発つ

   身も影もみどりとなりて畦(あぜ)渉る草陽炎の青田つづける

   法師蝉去(い)んぬる夏を啼きゆくははかなきいのちこそ一途なれ


睡蓮の咲くも閉づるも夢寐のうち和上の言ひし朱き蓮よ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
a0019858_2277睡蓮②

    睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち
       和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。しかし自選の中には収録していないのでWeb上ではご覧いただけない。
掲出した写真の一番目、二番目のものは、いずれも「睡蓮」であり、素朴な可憐な蓮である。フランス人画家・モネの絵も、この蓮である。
a0019858_22541睡蓮

蓮には多くの種類があり、花を観賞するだけでなく、食用の「蓮根」として地下茎の部分を極端に太らせる品種改良したものなど、さまざまである。
鑑賞用の蓮にも古代の蓮「大賀蓮」のように古代の古墳から出た蓮の種から発芽させたものなど色々ある。
私の住む辺りは昔から地下水が豊富に「自噴」する地域として、その水を利用した「花卉」(かき)栽培が盛んで、
海芋(かいう)──カラーや、花菖蒲などが栽培されるが、これからのお盆のシーズンの花として「花蓮」が水田で栽培され、
夏の強い日差しの中にピンクの鮮やかな花を咲かせる。
a0019858_194529花蓮②

a0019858_191621花蓮

もちろん商品として出荷するものは「つぼみ」のうちに切り取り、葉っぱも添えて花市場に出荷される。
摘採は太陽のあがる前の早朝の作業である。月遅れ盆の8月上旬が出荷のピークであり、この時期には臨時に多くの人を雇って、早朝から作業する。

私の歌に戻る。
作歌の場面は、奈良の唐招提寺である。説明する必要もなく一連の歌の中に詠み込んであるので、歌を見てもらえば判ることである。
唐招提寺の一連の歌は「夢寐」と題して詠んでいる。
「夢寐」は、漢和辞典にも載るれっきとした熟語で「寐」=「寝」の字に同じである。
その後に引続いて「西湖」と題する一連から蓮に関するものを引用しておく。
いずれも『嬬恋』(角川書店)に載るもの。

    夢寐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 

   睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ

   くれなゐの蓮は鑑真のために咲き朝日さしたり安心(あんじん)の池

   結跏趺坐和上のおはす堂の辺の蓮に朝(あした)の日照雨(そばへ)ふるなり

   <蓮叢を出て亀のゆく苦界あり>さわさわと開花の呼吸整ふ
           *丸山海道

   くれなゐの蓮群れ戯(そば)ふ真昼間の風はそよろと池を包みぬ

   睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたび過(よ)ぎる

      西湖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   <睡蓮の中に西施が舫(もや)ひ舟>西湖の蓮にわれ逢ひ得たり
               *堀古蝶

   睡蓮の花閉ぢむとして水曇る金色の夕べ波立ちゆらぐ

   睡蓮にぴりぴり雷の駆けゆけり花弁をゆらし騒だつ水面

   声明(しやうみやう)に湖の明けゆく水面には岸にむかひて日照雨ふるなり

   てのひらに蓮の紅玉包みたし他郷の湖を風わたりゆく

   湖に真昼の風の匂ふなり約せしごとく蓮と向きあふ

   手にすくふ水に空あり菖蒲田の柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ

   戻り来しいのち虔(つつ)しみ菖蒲田を妻と歩めば潦(にはたづみ)照る
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「日照雨」(そばえ)とは、陽が差しているのに小雨がはらはらと降ること。別名「きつねの嫁入り」などという。
「潦」(にわたずみ)とは俄か雨などで一時的に出来た水溜りのこと。




角川書店「短歌」2015年8月号『無冠の馬』評・・・・・・・・・・・魚村晋太郎
短歌
mukannouma (2)
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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     角川書店「短歌」2015年8月号『無冠の馬』評・・・・・・・・・・・魚村晋太郎(「玲瓏」会員)

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木村草弥歌集
『無冠の馬』


平成27年4月25日
KADOKAWA
2800円(税別)
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 ・十戦十勝かつ英国首位種牡馬─セントサイモンは《無冠馬》だつた

 ・午年生まれ ましてや無冠のわれながら馬齢を重ね八十五となる

著者の第六歌集である。三部構成の I 部は「無冠の馬」と題されている。
十九世紀末に活躍した競走馬のセントサイモンは、馬主の死亡という不運によりクラシックを戦うことができなかったが、
出場したレ—スでは十戦十勝の成績を収めた。
その後、伝説的な種牡馬となり、現在ではサラブレッドでセントサイモンの血を引かない馬は存在しないほどだという。
作者は不運の名馬に自らの人生を重ねる。「無冠のわれ」とはむしろ作者の矜恃であろう。

 ・三椏の花はつかなる黄に会ふは紙漉きの村に春くればゆゑ

 ・八ツ手の花ひそと咲く白昼凩や ネルソン•ホリシヤシャ・マンデラ氏逝く

三椏は高級和紙の原料になる。
八ツ手はいかにも日本的な植物だが、反アバルトへイト運動の指導者で元大統領のマンデラ氏が亡くなったのは、丁度その花が咲く十二月だった。
作者にとって自然の風景も、歴史や文化と切り離せない存在である。

「テラ・インコグニタ」つまり未知なる土地と題されたⅡ部には、東洋から西洋にわたる夥しい海外詠を収める。

 ・シンハラ人に言ひ伝へあり「ライオンを殺した者」とふ建国神話

 ・見学証三日通用にて四十米ドルなんでも米ドルが通用する国

 ・歯を見せて笑ふ女神めづらしと見れば豊けき乳房と太腿

 ・水牛に水浴びさせる少年の総身に水滴したたりやまず

スリランカを舞台にした一首目には「六世紀編纂の本『マハーワンサ』王権神話」と詞書がある。
続く三首は力ンボジアが舞台で、通貨に見られる内戦の痕跡から、神話世界のエロスまで、悠久の時間を作者は見つめている。

 ・マンスリー ・マンション三階、病室より持ち帰り洗ふ妻の下着を

自身も癌を患いながら、作者は妻の最期を看取った。Ⅲ部にはそのかなしみが切切と詠われている。
老いや愛する人との別れからは誰しも逃れることができないが、世界を識り、世界を記述することに対する作者の旺盛な情熱に圧倒される一冊である。
〈魚村晋太郎・評〉
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本日発売の「短歌」誌に、魚村晋太郎氏が、私の作歌の意図を汲んだ、ご懇篤な批評を書いていただいた。
有難く厚く御礼申し上げる。 
このように作者の意図を的確に突いた批評をいただくというのは、作者冥利に尽きる、というものである。
この批評の掲載を手配下さった編集長・石川一郎氏と担当の内田翼氏に感謝申し上げる。
有難うございました。


百日を咲きつぐ草に想ふなり離れゆきたる友ありしこと・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
hyakun3百日草②

    百日を咲きつぐ草に想ふなり
        離れゆきたる友ありしこと・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

「百日草」は名前の通り夏の間、百日間も秋まで咲きつづける草花である。病気などにも罹らず極めて強い花である。
この歌は「花言葉」をネタに歌の連作を作っていた時のものであり、百日草の花言葉は「不在の友を想う」である。
花言葉のことだが、私の歌の「離れゆきたる友」というのは正確ではなく、私の方から何となく離れていった、というべきだろうか。
私の性癖として、友人、知人の何らかが鼻につくと身を引くところがあるのである。
一種の潔癖主義というか、包容力のなさ、ということであろうか。

hyakun2百日草③

百日草に戻ると、この草は私の子供の頃からある草で日本の草のように思っていたが、外来種らしい。外国では「薬用」として栽培されていたという。
地味な花で、今では余り盛んに植えられては居ないようだ。

nichin6日日草

今では、これも秋まで百日以上も咲きつづける写真③の「日日草」が、これに取って代わるだろう。
極めて安価な草で、病気にも強く、広く植えられている。私の方でも植えている。
いま調べたところ「百日草」はメキシコ原産でキク科の一年草で、「日日草」は西インド原産でキョウチクトウ科の一年草という。
歳時記にも、両方とも載っているので、それらを引いて終わりたい。

 百日草ごうごう海は鳴るばかり・・・・・・・・三橋鷹女

 蝶歩く百日草の花の上・・・・・・・・高野素十

 これよりの百日草の花一つ・・・・・・・・松本たかし

 一つ咲き百日草のはじめかな・・・・・・・・瀬野直堂

 病みて日々百日草の盛りかな・・・・・・・・村山古郷

 心濁りて何もせぬ日の百日草・・・・・・・・草間時彦

 朝の職人きびきびうごき百日草・・・・・・・・上村通草

 毎日の百日草と揚羽かな・・・・・・・・三輪一壺

 母子年金受く日日草の中を来て・・・・・・・・紀芳子

 働かねば喰えぬ日々草咲けり・・・・・・・・佐伯月女

 日日草なほざりにせし病日記・・・・・・・・角川源義

 紅さしてはぢらふ花の日日草・・・・・・・・渡辺桂子

 日日草バタ屋はバタ屋どち睦び・・・・・・・・小池一寛

 嫁せば嫁して仕ふ母あり日日草・・・・・・・・白川京子

 些事多し日日草の咲けるさへ・・・・・・・・・増島野花

 出勤の靴結ふ日ざし日日草・・・・・・・・鶴間まさし

神戸新聞2015/7/23付朝刊『無冠の馬』評・・・・・・・・・・・・楠田立身
mukannouma (2)
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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神戸①

     神戸新聞2015/7/23付朝刊『無冠の馬』評・・・・・・・・・・・・楠田立身(「象」主宰)

木村草弥『無冠の馬』 「未来」 「地中海」同人の第6歌集。京都府城陽市在住。

 ・午年生まれ ましてや無冠のわれながら馬齢を重ね八十五となる

歌集名となった歌。
10戦10勝の英国の首位馬セントサイモンを紹介して、午年で馬齢を重ねたと謙譲の意をうたっているが、
その旺盛な行動力、創作意欲は瞠目すべきで、悍馬(かんば)のごとくして駿馬(しゅんめ)である。

 ・白もくれん手燭のごとく延べし枝の空に鼓動のあるがに揺るる
 ・チューリップはらりと散りし一片にゴッホの削ぎし耳を想ひつ

木蓮の枝の揺らぎに空の鼓動を、チューリップの花びらにゴッホの耳を想起した繊細な叙情歌。85歳とは思えない、否、高齢者ゆえに感得できるイメージなのだ。

 ・子を産みて母となる子よ山茶花の蕾の紅の膨らみ初めつ
 ・桜ちる頃に死にたる母と妻、お供にと母が連れたまひけむ

山茶花のつぼみに娘の出産を、桜の花びらに母と妻の他界を思うなど猛ることを知らぬ優しい駿馬である。
夫婦して癌を病んでの闘病の歌や広域に及ぶ海外詠など多岐にわたる素材を自在に歌いこなした練達の歌集である。
(角川学芸出帆)
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畏敬する楠田立身氏が、拙歌集評を書いてくださった。心から厚く御礼申し上げる。
楠田氏については「神戸新聞NEXT」2014/11/30付という電子版で、昨年上梓された歌集が紹介されている。 ここでは楠田氏の写真も見られる。

  < 姫路市在住の歌人・楠田立身氏
     8年ぶりの歌集『白雁』出帆

    癌病みて死なざりし身にむず痒く蓮華畑の香がよみがへる     >

楠田氏は平成二年に季刊誌「象」を創刊・主宰される。会員数73名の超結社誌という。創刊100号を数える。
益々のご健筆をお祈りして感謝の念を捧げるものである。 有難うございました。





昼顔のあれは途方に暮るる色・・・・・・・・・・・・・飯島晴子
hamahiru021浜昼がお

    昼顔のあれは途方に暮るる色・・・・・・・・・・・・・飯島晴子

「昼顔」は、およそ野生のもので、よく目にするものとしては「浜昼顔」であろうか。
ヒルガオ科の蔓性多年草で、各地の海岸の砂地に自生する。
砂の中に地下茎が横に走り、地上茎も長く伸びて砂の上を這い、丸くて厚く、光沢のある葉を互生する。
旺盛な繁殖力で、ときに広い面積に群生しているのを見かけることがある。
地域によって異なるが5、6月ごろ葉腋に長い柄を出し、淡い紅色の花を上向きに開く。

この飯島晴子の句は、他の「存在感」を誇示するような花ではなく、地味に生きているヒルガオを「途方に暮れる色」と表現したのが秀逸である。

飯島晴子については ← いろいろ書いたので、ここを見てもらいたい。

私には昼顔や浜昼顔を詠んだ歌はないので、歳時記から句を引いて終わる。

 きらきらと浜昼顔が先んじぬ・・・・・・・・中村汀女

 浜昼顔咲き揃ひみな揺れちがふ・・・・・・・・山口草堂

 浜昼顔風に囁きやすく咲く・・・・・・・・野見山朱鳥

 はまひるがほ空が帽子におりてきて・・・・・・・・川崎展宏

 浜昼顔タンカー白く過ぎゆける・・・・・・・・滝春一

 浜ひるがほ砂が捧ぐる頂きに・・・・・・・・沢木欣一

 つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・・・・・・清崎敏郎

 海高し浜昼顔に跼む吾に・・・・・・・・森田峠

 浜昼顔鳶が落とせし魚光り・・・・・・・宮下翠舟

 浜昼顔廃舟錨錆び果てぬ・・・・・・・・小林康治

 潮泡の音なく崩れ浜昼顔・・・・・・・・稲垣法城子

 天日は浜昼顔に鬱(ふさ)ぎつつ・・・・・・・・中村苑子

 浜昼顔島の空港影もたず・・・・・・・・古賀まり子

 風筋は浜昼顔を駈け去りし・・・・・・・・加藤三七子

 這ひながら根の消えてをり浜昼顔・・・・・・・・高橋沐石

 海鳴りや浜昼顔の引けば寄り・・・・・・・・下鉢清子

 浜昼顔に坐すやさしさの何処より・・・・・・・・向笠和子


「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」デビュー作が『鼻』であったことを思い出してくれたまえ・・・・・・・・・木村草弥
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     「水洟(みずばな)や鼻の先だけ暮れ残る」
      デビュー作が『鼻』であったことを思い出してくれたまえ・・・・・・・・・木村草弥


昭和2年7月24日午後1時すぎ、芥川龍之介は伯母の枕元に来て、明日の朝下島さんに渡して下さいと言って、この句<水洟や鼻の先だけ暮れ残る>を書いた短冊を渡した、という。
彼の辞世の句である。

短冊には「自嘲」と前書きしてあったことから、芥川の文業の終末を象徴せしめる凄絶な辞世の句となって了った。

この歌は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)にコラージュ風の作品「辞世②」に載せたものである。この歌は「口語、自由律、現代かなづかい」を採っている。

chirashi芥川ポスター
二番目の写真は2004年4.24~6.6神奈川近代文学館で開かれた「芥川龍之介展」のポスターである。彼の生涯は1892年から1927年の35年間であった。

三番目の写真は『侏儒の言葉』の復刻版の函である。
931akutagawa1しゅじゅの言葉(函)

芥川龍之介は1892年に東京市京橋区入船町で出生、辰年辰月辰日辰の刻に生まれたというので「龍之介」と命名されたという。東大在学中に同人雑誌「新思潮」に大正5年に発表した『鼻』を漱石が激賞し、文壇で活躍するようになる。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物、事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材を採り、スタイルや文体を使い分けた、たくさんの短編小説を書いた。
体力の衰えと「ぼんやりした不安」から自殺。その死は大正時代文学の終焉と重なると言える。
彼の死の8年後、親友で文芸春秋社主の菊地寛が、新人文学賞「芥川賞」を設けた。

931akutagawa5羅生門
四番目の写真は『羅生門』だが、先に書いたようにいろいろの時代を題材にした中でも、これは有名な作品。後年、映画化などの際のネタ本となった。
芥川は、晩年『文芸的、余りに文芸的』という評論で「新思潮」の先輩・谷崎潤一郎と対決し「物語の面白さ」を主張する谷崎に対して、「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、
これがずっと後の戦後の物語批判的な文壇のメインストリームを予想させる、と言われている。
芥川は「長編」が書けなかった、などと言われるが、それは結果論であって、短編小説作家として、「賞」と相まって新しい新進作家を誕生させる記念碑的な存在である。


akutagawa-tokyo30w我鬼先生
五番目の写真は「樹下の我鬼先生」という自画像である。彼は俳号を「我鬼」と称し、多くの俳句を残している。
 
 人去ってむなしき菊や白き咲く

これは夏目漱石死後一周忌の追慕の句。同じ頃、池崎忠孝あての書簡には

 たそがるる菊の白さや遠き人

 見かえるや麓の村は菊日和


の句が見られるが、これも漱石追慕の句。 以下、すこし龍之介の句を引く。

 稲妻にあやかし舟の帆や見えし

「あやかし」は海に現れる妖怪をいう。謡曲「船弁慶」や西鶴の「武家義理物語」に登場する。俳句にも、こういう昔の物語に因むものが詠まれるのも芥川らしい。

 青蛙おのれもペンキぬりたてか

大正8年3月の「ホトトギス」雑詠のもの。友人がルナール『博物誌』に「とかげ、ペンキ塗りたてにご用心」があると指摘したら即座に、だから「おのれも」としてあると答えたという。

掲出の句 <水洟や鼻の先だけ暮れ残る> は『澄江堂句集』所載。そのイキサツは先に書いた。

 唐棕櫚の下葉にのれる雀かな

大正15年7月の「ホトトギス」に芥川は「発句私見」を書き、「季題」について「発句は必ずしも季題を要しない」としている。こうした論は芭蕉の「発句も四季のみならず、恋、旅、離別等無季の句有たきものなり」に影響されたものと言えよう。

先に掲げた『侏儒の言葉』の中には

 人生はマッチに似てゐる。重大に扱ふには莫迦々々しい。重大に扱はなければ危険である。

という「箴言」が載っている。これは芥川らしい「箴言」で、正と負の両方に1本のマッチを擦ってみせている。彼の説明によれば「論理の核としての思想のきらめく稜線だけを取り出してみせる」という技法に傾倒していた。
ということは、芥川にはもともと箴言的なるものがあり、この箴言の振動力を、どのように小説的技法となじませるかを工夫し続けてきたのだった。こうした箴言だけをアフォリズムとして書き連ねたのが、この本だと言える。

931akutagawa8全集
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私の掲出の歌で「デビュー作」としているのは正確ではない。
処女作は、この3年前に「新思潮」に出ているが、有名になったのは、この『鼻』であるので、ご了承願いたい。
今日7月24日が芥川の「忌日」であるので、日付にこだわって載せた。


聖女ベルナデッタゆかりのサン・ジルダール修道院教会・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
110521-lourdes7601サン・ジルダール修道院
↑ サン・ジルダール修道院教会
110521-lourdes7261ベルナデッタの棺が安置されている聖堂
 ↑ 聖女ベルナデッタの棺が安置されている聖堂
110521-lourdes6631サン・ジル 水の聖母
 ↑ 「水の聖母」像

──巡礼の旅──(15)─再掲載・初出2013/07/28

     聖女ベルナデッタゆかりのサン・ジルダール修道院教会・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この修道院は、奇跡の水で有名なルルドの聖女ベルナデッタが後半生の身を寄せたところであり、彼女は、ここで亡くなった。
ここ、ブルゴーニュ地方ニエーヴル県の県庁所在地ヌヴェールは、パリ南方約200キロのロワール川とヌヴェール川の交わるところにある。
ここには現在は、ルルドと同じように奇跡の洞窟が再現され、そこに湧く水もルルドから運ばれてきているという。
詳しくは、→ 「ベルナデッタの奇跡」のページに詳しい。

私は何も「奇跡」を信じているわけではないが、先に「ルルド」のことを書いたので、その延長線上のものと理解されたい。
「病を癒す奇跡の泉「聖地ルルド」への旅」については ← を参照されたい。

110521-lourdes7711聖ベルナデッタの遺体
 ↑ 聖ベルナデッタの遺体

ここでは聖女ベルナデッタの遺体も拝めるようになっているが、まるで生きて眠っているかのようだが、これはミイラ化した遺体の顔と指先を「蝋細工」加工したものである。

蛇足だが、
教会という単語は、カトリック教会といった意味の大きな概念から、個別の聖堂共同体(小教区)という意味まで、
かなり使い方に幅があると思われるが、後者の地元教会的な意味としては、

教会とは、多くの一般信者からなる信仰共同体で、司祭(神父)が奉仕職として司牧するところ、ミサに一般信者が集う。
他方、修道院とは、修道者による共同体で、それぞれの修道会の目的による修道生活を行なうところ。
一般信者の共同体である小教区(教会)を委託されている場合、教会への司牧も行なうが、 本質的には、修道生活を行なうことが本分だといえる。
修道会は多数あるが、大きく分類すると観想修道会と活動修道会の二種類があり、 前者は基本的に祈りを中心とした修道生活を行なう。
後者は教育など修道会それぞれの社会活動を通して、神の愛を告げ知らせる活動をする。

勉強に例えると、
教会とは皆が集まる教室のようなところ、修道院とは研究者による研究室のようなところ...といえるかも知れない。
「修道院も教会みたいにミサや冠婚葬祭などの儀式を行」なうが、それは修道活動の中で行なうものである。

修道会は修道者による会であり、男性の修道会と女性の修道会がある。
修道者とは「貞潔」「清貧」「従順」という誓願を立て、奉献生活を行なう人を言う。
家族を持たず、私有財産を放棄し、長上の指導に従い、徹底的にイエスに倣って生きる。
男性の修道者には、司祭(神父)に叙階された修道司祭と、司祭以外の形で修道生活を生きる修道士がいる。
女性の修道者(修道女)の場合、司祭叙階はない。
別の切り口からいうと、司祭には、教区司祭(一般の司祭)と修道司祭(上記の修道者である司祭)の二種類があることになる。

カトリックの場合は僧職者は、昔の仏教のように「妻帯禁止」である。
聖母マリアは大工である夫が居たが、処女懐胎によってキリストを産んだことになっている。
つまりキリスト教にとっては肉欲は「罪」なのであり、童貞、処女が清らかなものとされる。
修道者は、その理想を体現しているものとされるわけである。

そんなキリスト教にあっても、世の中、せちがらくなって、修道院入りをめざす人はめっきり減ってしまった。
入り手が無くなって閉鎖される修道院も珍しくない昨今である。


藤目俊郎氏撮影「草花画像」4点・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
イワヒゲ
 ↑ イワヒゲ
今年の捩花
 ↑ 「捩花」 大阪・高槻市の「芥川」堤防にて
花浜千振
 ↑ 「花浜センブリ」 大阪・高槻市の「芥川」堤防にて
釜無ホテイアツモリソウ
 ↑ 釜無ホテイアツモリソウ
 
     藤目俊郎氏撮影「草花画像」4点・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

旅友の藤目俊郎氏から見事な草花の画像を送っていただいた。 ご恵贈に厚く御礼申し上げる。原画像は大きいサイズだが、私のブログに合うように縮小した。
私は草花には詳しくないので、メールに書かれた藤目氏のコメントを転載しておく。
写真の掲載順に説明する。

「イワヒゲ」─6/24に行った富士見パノラマリゾートで「お土産」に持ち帰ったものだが、7/6に咲いた。
高山植物なので、おそらく来年は暑い大阪では咲かないだろう。

二番目、三番目の画像は、藤目氏の散歩コースである「芥川」に6/27に咲いていたもの。
二番目が「捩花」。三番目が「花浜センブリ」 だという。
この「ハナハマセンブリ」はもともとは地中海沿岸からの渡来植物とのことである。日本には1988年に神奈川県で発見されたのが最初という。

四番目の画像は富士見パノラマリゾートで咲く「釜無ホテイアツモリソウ」だという。 ただし「栽培種」だという。
原種は、採り尽くされてしまって、無いとのこと。


烈日に緑蔭つくる高槻の垂るる細枝のこともなげなる・・・・・・・・・・・・・・窪田章一郎
img39141b0azik6zjケヤキ

   烈日に緑蔭つくる高槻の
      垂るる細枝(え)のこともなげなる・・・・・・・・・・・・・・窪田章一郎


「槻」の木とはケヤキの高木のことであるらしい。
写真にケヤキ並木を出してみたが、このくらいの樹木になれば「緑蔭」も豊かであろうし、この歌のように「細枝」も何ということもない「こともなげ」な光景だろう。
今しも「烈日」の容赦ない暑い日々である。
父の窪田空穂の短歌結社の名が「槻の木」だった。この歌は歌集『定型の土俵』(94年刊)所載。

窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 ~ 2001年4月15日)は、歌人。窪田空穂の長男として長野県東筑摩郡島立村に生まれる。旧制豊山中学校(四年修了)を経て早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師、教授、名誉教授を歴任。国文学者としては西行研究の第一人者であった。

1980年、「素心臘梅」で第14回迢空賞受賞。1988年、「窪田章一郎全歌集」で第11回現代短歌大賞受賞。1995年、「定型の土俵」で第2回短歌新聞社賞および第10回詩歌文学館賞受賞。

門下に馬場あき子、岩田正、篠弘、島田修三などが居る。

掲出歌の「烈日」に因んで、次のような歌を選んでみた。

  透きとほる枝さき宙を射す白日(まひる) 一途に山毛欅(ぶな)の木の芽炎え立つ・・・・・・・・鈴木実

  にほひたつ舗装道路の炎昼を戸籍抄本いつぽん取りぬ・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎

  入り日にもなほ落日の瞬間がありてたまきはる内に沈みぬ・・・・・・・・・・・・・・岡井隆

  素はだかの入り日砂漠に見届けて城去る時を尖る三日月・・・・・・・・・・・・・・田中成彦

  こんなにも赤いものかと昇る日を両手に受けて嗅いでみた・・・・・・・・・・・・・・山崎方代

  落日は一天四海の光吸ひかく燿ふや炎と燃えて・・・・・・・・・・・・・・・・比嘉美智子

  むらさきに砂を焦がして炎上すメソポタミヤの大き落日・・・・・・・・・・・・・篠 弘

  焔立ち大き日輪のゆるぎ出づるたまゆら地球自転を速む・・・・・・・・・・・・植松寿樹

  アナトリアに今沈みゆく太陽の器となりて湖輝きぬ・・・・・・・・・・・・・大原輝子

  けさ首里の太陽(テイダ)はおぼろ顔のない女のように日傘をひろげ・・・・・・・・・佐野豊子

  太陽も滅びに向かふと読みて知り心ふるへき少年の日に・・・・・・・・・・・・宮地伸一

  ビルのうへの雲輝けり彼方にはあらむ太陽の灼熱の球・・・・・・・・・・・・浜田棟人

  没つ陽の大きたゆたひにめくるめくにんげんといふこの身もてあます・・・・・・・・・成瀬有


京響第592回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・・木村草弥
京響①
京響②

──京都市交響楽団を聴く──(3)

     京響第592回定期演奏会を聴く・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・於・京都コンサートホール 2015/07/19・・・・

時しも七月二十日は「海の日」記念日ということで、演目も「海」に因むものが選ばれた。 図版を参照されたい。
図版に出したが、読みにくいので「指揮者」の経歴を出しておく。

ジョン・アクセルロッドは現代曲を含む幅広いレパートリー、革新的なプログラミング、そしてその力リスマ性で世界各国のオーケストラから常に共演を望まれている指揮者のひとりである。
ルツェルン交饔楽団・歌劇場の音楽監督兼首席指揮者、フランス国立口ワール管弦楽団音楽監督を歴任、現在はミラノ・ジュゼッぺ・ヴェルディ交響楽団首席指揮者を務めており、2015/16年シーズンからスペイン王立セヴィリア交響楽団芸術監督に就任する。また、2009年から2012年にはウイ一ン-コンツェルトハウスでのORFウィーン放送交響楽団との映画音楽ガラ•コンサート「ハリウッド・イン・ウィーン」の音楽監督も務めた。
これまでにベルリン放送交響楽団、北ドイツ放送交響楽団、ケルン•ギュルツェニッヒ管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴアントハウス管弦楽団、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団、フランス国立リヨン管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤルフィルハーモニック、フィルハーモニァ管弦楽団、ローマ・サンタチェチーリア管弦楽団、トリノ RAI国立交響楽団,ロイヤル・ストックホルム管弦楽団,デンマーク国立管弦楽団,オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、スウェーデン放送交響楽団、グルベンキアン管弦楽bfl、ウィーン放送交響楽団、ザルツブルク-モーツアルテゥム管弦楽団、シンフォニア・ヴァルソヴィア、さらにワシントン・ナショナル交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニック、フィラデルフィア管弦楽団、シカゴ交響楽団、NHK交響楽団、京都市交響楽団、上海交響楽団等、これまでに150以上の世界各地のオーケストラを指揮、度々再招聘されている。

オペラ指揮者としても意欲的な活動を展開、ルツェルン歌劇場での数々のプロダクション、ブレゲンツ音楽祭でのクルシェネクの新作『聖ステフアン大聖堂の周りで』に加えて、ロバート・カーセン演出の『キャンディ一ド』でのパリ・シャトレ座、ミラノ ・スカラ座、オリヴイエ・ピィ演出の『トリスタンとィゾルデ』でのアンジェ=ナント歌劇場での成功は特筆される。
とりわけ現代作品の紹介には積極的に取り組み、ミシェル・ファン・デル・アー、カリム・アル=ザンド、マノレク=アンドレ・ダルバヴィ、アヴネル・ドルマン、パスカル・デュサバン、マイケル・ゴードン、ヴォイチェフ・キラール、ガブリエル・プロコフィエフ、ヴオルフガング・リーム、力イヤ•サーリアホ、マルコ・スト口ッパ、ヨルグ・ヴィトマン等の初演を手掛けている。

レコーディングも数多く、グレツキ《悲歌のシンフォニー》、そして最新盤の"Brahms Beloved""(ブラ一ムスの交饔曲全集、クララ・シューマンの歌曲を収録)は特に高い評価を得ている。

アクセルロッドは、1988年ハーヴァード大学を卒業、指揮をレナード・バーンスタインとイリャ・ムーシンに学んだ。
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Program Notes    増田良介(音楽評論家)• Ryosuke MASUDA

海と人間のかかわりは深い。海を描く絵画や物語や音楽は世界中に数え切れないほどある。そして、美しかったり優しかったり恐ろしかったり、海はたくさんの顔を持つ。だから芸術家たちの描く海も多様だ。海軍軍人として海をよく知っていたリムスキー=コルサコフは、《シェエラザード》で、どんな不思議なことも起こりうる遙かな異世界として海を描いた。対照的なのがドビュッシーで、彼は、豊かに表情を変えていく海の色彩と運動に着目し、それをそのものとして精緻に捉える。
そして、プリテンの歌劇《ピーター・グライムズ》に登場する海は、人々の心理と運命を敏感に反映する存在だ。

本日指揮をするジョン•アクセルロッドは京響に3度目の登場となるが、毎回筋の通ったプログラムを組んでくれるマエストロだ。初登場は2009年、ラヴェルやリムスキー=コルサコフなどの「スペイン」にちなんだプログラムだった。2回目は2013年、ベートーヴェンとワーグナ一の重厚なドイツ•プログラムを聴かせてくれた。大好評だった2度の演奏会に続く今回は、三人の大作曲家が描いた「海」がテーマだ。まさに海を越えて世界中を飛び回るアクセルロッド、極めつけの名曲3曲でどのような演奏を聴かせてくれるだろうか。

■プリテン:歌劇「ビータ一・グライムズJから「4つの海の間奏曲J op.33a
20世紀イギリスを代表する作曲家べンジャミン・プリテン(1913 — 1976)は多くの分野に作品を残したが、本領と言うべき分野は全15曲に及ぶオペラだ。ヴェルディやワーグナ一のオペラはどうも馴染めないという人がいたら、ぜひ一度、20世紀のオペラを試してみてほしい。ブリテンのほかヤナーチェク、ベルク、R・シュトラウスといった作曲家たちのオペラは、19世紀の名作オペラよりも近代演劇近く、我々の心をつかむリアリティのある物語が多い。ブリテンの最も有名な才ペラ、1944年から45年にかけて作曲されたくビータ一'グライムズ〉はまさにその典型だ。
イギリス東海岸の小さな村に住む漁師ピーターは、偏屈で粗暴な性格で、村の人々との付き合いもほとんどなく、 孤独に暮らしている。あるとき、ピーターのもとにいた徒弟が、二人連続で事故死してしまう。村人たちから虐待と殺人を疑われたピー夕一は錯乱状態になり、居場所のない村を出て、夜明け前の暗い海に一人漕ぎ出す…。このオペラは、そんな暗鬱な物語だ。ごく普通の村人たちの集合的な悪意(日本的に言えば「村八分」)によって破滅に追い込まれるビータ一の物語には,我々が観ても他人事とは思えない生々しさがある。
オペラは、プロローグと全3幕からなり、それぞれの幕は各2場に分かれている。
つまり、全部で7つの場面があり、それらの間にはオーケストラだけによる間奏曲が置かれている。ブリテンは、その6つの間奏曲から4曲を選び、《4つの海の間奏曲》として出版した。「海に依って生きる人々の絶えざる闘争に対する私の認識」を表現しようとしたというこのオペラにおいて、海はもう一人の重要な登場人物とも言える存在感がある。
これらの間奏曲は、海のさまざまな表情を描くと同時に、人々の心理や運命を映し出し、物語にいっそうの深みを与えている。

1 - 「夜明け」レント・エ・トランクィロ
第1幕への間奏曲。夜明けの静かな海を描く。かもめの声が波と対話する。

2 - 「日曜の朝」アレグロ・スピリトゥォーソ
第2幕への間奏曲。明るい光の中、教会の鐘が鳴り、人々が教会へ向かう。

3- 「月の光」アンダンテ・コモド・エ・ルパート
第3幕への間奏曲。静かな夜の海を月光が照らす。

4- 「嵐」プレスト・コン・フォーコ
第1幕第2場への間奏曲。荒れ狂う嵐の海を描く。

初演:1945年6月13日チェルトナム作曲者指揮 ロンドン•フィルハーモニー管弦楽団
編成:フルート2 (両者ピッコロ持ち替え),オーボエ2、クラリネット2 (第2は小クラリ
ネット持ち替え)、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、
トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、タムタム、チューブラーベル、木琴、シン
バル、大太鼓.小太鼓,タンブリン、ハーブ、弦五部

■ドビュッシー:交響詩「海」
クロード・ドビュッシー (1862〜1918)は、一作ごとに過去の自分を乗り越えなければ意味がないと考えていた作曲家だ。1903年夏に着手され、1905年3月5日に完成した《海》は、千変万化する海の色彩や運動を、大胆な響きと自由な形式によって描き出した傑
作で、いわゆる印象主義的な音楽の代表作と見なされている。
デュラン(楽譜出版社)宛の手紙(1907年)でドビュッシーは「音楽とは、その本質からして、厳格で伝铳的な形式の内«で流れることのできるようなものではないと、ますます感じています。それは、色彩と、リズム化された時間とから構成されているのです」と書いた。この「色彩と、リズム化された時間とからなる音楽」という考え方は、く海〉に最もよく当てはまるように思われる。
ところで、そのデュラン社から出版された《海》の楽譜の表紙には、北斎の版画『神奈川沖浪裏』の大きな波がデザインとして使われた。これについて、同社の経営者ジャック・デュランは、ドビュッシーの死後、次のように回想している。「…私はまた、大きな波を描いた北索の版画がこの書斎に飾られていたことを思い出す。
ドビュッシーはこの波に特別に魅了されていた。《海》を作曲する際、この波が霊感を与えたので、彼は我々に、楽譜の表紙にこの絵を使うよう求めた」具体的にどのように、そしてどの程度の影響があったかは不明だが、北斎の大胆な海の捉え方が、ドビュッシーにヒントを与え、あるいは少なくとも勇気づけたということはあったかもしれない。

1- 「海の夜明けから真昼まで」非常に遅く〜少しずつ活気づき
神秘的な暗い海に日が昇り、やがて壮麗な真昼のクライマックスに至る。

2- 「波の戯れ」アレグロ〜生き生きと
小さな音域を往復する動機が次々に姿を変え、尽きることのない波の変容が描かれる。

3- 「風と海との対話」生き生きと、そして、騒然と〜わずかに遅く
時には静かに、時には激しく、風と海との相互作用が繰り返され、激しいクライマックスを築く。

初演:1905年10月15日パリ力ミーユ・シュヴィヤール指揮ラムルー管弦楽団
編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、ファ
ゴット3、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、コルネット2、トロン
ボーン3,テューパ、ティンパニ,大太鼓、トライアングル、シンバル、タムタム、
グロッケンシュビール、ハープ2、弦五部

■リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザードJ op.35
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844 ~ 1908)が1888年に完成した交響組曲≪シェエラザード≫は、『千一夜物語(アラビアン•ナイト)』の心躍る世界を描いている。といってもこの曲は、特定の物語を説明的に描写する音楽というわけではない。作曲者が4つの楽章に付けた標題も,便宜的に使われ続けてはいるが、実は最終的に撤回されているのだ。
とはいえ、作曲者の語り口は実に巧みだ。r千一夜物語』では、暴君シヤーリヤール王に対して、聡明な王妃シヱェラザードが毎晚いろいろな物語を聞かせる。
全曲の冒頭に出てくる威圧的な旋律が王で、それに続くヴアイオリン•ソロの楚々とした主題がシヱェラザードだ。二人の主題は全曲を通じて随所に顔を出すが、これは、物語の「地の文」にあたると考えればわかりやすいだろう。しかし、ただそのまま顔を出すのではなく、テンポや強弱が変わったり、出てくる場所も物語の最初だったり途中だったりと、実に表情豊かなのだ。このころリムスキー=コルサコフは《小ロシア幻想曲》、序曲〈ロシアの復活祭>、(スペイン奇想曲〉と、独奏ヴァイオリンが活躍する管弦楽曲を多く書いているが、《シェエラザ一ド》での独奏ヴァイオリンの扱いの巧みさは格別だ。
もう一つ重要なのが、華麗なオーケストレーシヨンだ。リムスキー=コルサコフは、クラシック音楽の歴史の中でも屈指のオーケストレーションの名手だった。
彼がいなければ、ストラヴインスキーの三大バレエもレスピーギのローマ三部作も生まれなかっただろう。
《シェェラザード》は、彼のオーケストレーシヨン技術の精髄というべき傑作だ。一つの旋律が、楽器の組み合わせだけを変えて繰り返され、多彩な表惰を見せる様子は、何度聴いても驚嘆させられる。

1- 「海とシンドパッドの船」ラルゴ・エ・マエストーソ〜アレグロ・ ノン・トロッポ
不機嫌そうな王も、シェエラザードが語り始めると、すぐに物語に引き込まれる。
そこに広がるのはシンドバッドの冒険する大海原だ。

2- 「カランダール王子の物語」レント〜アンダンティーノ
ファゴットの吹く東洋舞曲風の主題と、王の主題に似たもう一つの主題が、表情を変えながら繰り返される。

3- 「若い王子と王女」アンダンティーノ・クヮジ・アレグレット
優しさに満ちた甘美な弦の主題と、やや速く明るい舞曲主題が交代に現れ、のどかな物語が語られる。

4- 「バグダッドの祭り。海。船は靑銅の騎士のある岩で難破。終曲」アレグロ.モルト
心はやる王に促されてシェエラザードが語る物語は、息もつかせぬドラマティックなものだ。物語が余韻を残して終わり、静かに現れる王の主題からは、残虐さも消えている。

初演:1888年10月22日 サンクトペテルブルク 作曲者指揮マリインスキー劇場管弦楽団
編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2 (第2はイングリッシュホルン持ち替え),クラリ
ネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボ一ン3、チューバ
ティンバニ、タンブリン,大太鼓、小太鼓、シンバル、トライアングル、夕ムタム、
ハープ、弦五部
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貰ってきたパンフレットの増田良介が書いているように、リムスキー・コルサコフの見事なオーケストレーションに尽きる、と言っていいだろう。
バイオリン、チェロ、オーボエ、トランペット、ドラム、ハープなどの「ソロ」の演奏も見事だった。
十九世紀の華麗なオーケストラに酔ったマチネーだった。 現代音楽もいいが、この時代のオーケストレーシヨンの確かさを再確認した。
祇園祭の前祭が済んで、時しも梅雨が明けるという、蒸し暑い午後であった。





一文字に引き結びたる唇の地蔵よ雷雨の野づらをゆくか・・・・・・・・・・・木村草弥
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    一文字に引き結びたる唇の
       地蔵よ雷雨の野づらをゆくか・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

「地蔵菩薩」は五十六億七千万年先に弥勒下生、という仏教説話に基づいて衆生を救いにやって来るという。
特に、子供の守り神として古くから庶民に信仰されている親しみのある仏様である。
だから路傍や墓地の入り口に鎮座する「六体地蔵」などで目にするものである。
掲出した歌の一つ前に

風化の貌(かほ)晒せる石が記憶する蜜蜂の羽音と遠雷の響きと

という歌があるが、これも一体のものとして鑑賞してもらいたい。
時まさに「雷雨」の季節であるから、ふさわしいと思う。
私の歌のイメージは、雷雨の中もいとわずに子供たちを引き連れて地蔵が野づらを渡ってゆく、という空想である。
thumb_1085912032稲妻

「雷」を「いかづち」と言うが、これは元は「いかつち」で、「いか(厳)」「つ(の)」「ち(霊)」の意味であり、「いかめしく、おそろしい神」の意であった。
だから古くから「いみじう恐ろしきもの」(枕草子)とされてきた。そんな恐ろしい雷雨でも、地蔵には何ら支障はないのである。
そんなことを考えながら、以下の雷雨の句を見てもらいたい。雷は「はたた神」とも言う。

 はたた神過ぎし匂ひの朴に満つ・・・・・・・・川端茅舎

 夜の雲のみづみづしさや雷のあと・・・・・・・原石鼎

 はたた神下りきて屋根の草さわぐ・・・・・・・・山口青邨

 赤ん坊の蹠(あなうら)あつし雷の下・・・・・・・・加藤楸邨

 遠雷や睡ればいまだいとけなく・・・・・・・・中村汀女

 遠雷のいとかすかなるたしかさよ・・・・・・・・細見綾子

 激雷に剃りて女の頚(えり)つめたし・・・・・・・・石川桂郎

 遠雷やはづしてひかる耳かざり・・・・・・・・木下夕爾

 真夜の雷傲然とわれ書を去らず・・・・・・・・加藤楸邨

 鳴神や暗くなりつつ能最中(さなか)・・・・・・・・松本たかし

 睡る子の手足ひらきて雷の風・・・・・・・・飯田龍太

 大雷雨国引の嶺々発光す・・・・・・・・鬼村破骨


『無冠の馬』─私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・・高橋初枝
mukannouma (2)
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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      『無冠の馬』─私信と抽出歌・・・・・・・・・・・・・高橋初枝(「純林」編集委員)

(前略)
とても博識で読み応えのある御歌集でした。
外国詠ではよく調べられ、読み手も一緒に旅行をしている気分になりました。
この旅行の調査資料はいつまでも残しておきたい程です。
また、硬いお歌ばかりではなく縦横無尽の柔軟性があり、やさしさと細やかでユーモアのある心根に惹かれました。
多くの秀逸に中から私の好きな十首を選歌させて頂きました。   (後略)

  木村草弥歌集『無冠の馬』十首選
                            高撟初枝


   白鳥の帰る頃かもこぶし咲き白き刹那を野づらに咲ふ

   三椏の花はつかなる黄に会ふは紙漉きの村に春くればゆゑ

   白もくれん手燭のごとく延べし枝の空に鼓動のあるがに揺るる

   七十の齢を越えざりし父のこと思へば十五歳われは超えたり

   蛍火の消えしかなたに目をやりぬ無音の闇に耳が冴えつつ

   数ふれば小判草百両ほどあらむ殖えてもさびし中空の穂の

   太陽へ真つすぐ伸びる石蕗の花ひそやかな黄にまた出逢ひたり

   子を産みて母となる子よ山茶花の蕾の紅の膨らみ初めつ
 
   茶の花の咲き初めにけり茶一筋に生き来し父の一生なりしか

   幼子の髪三つ編みに草の花つけて歩めば菊日和なり
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高橋初枝さんには、前歌集『昭和』上梓の際に詳しい批評をいただいた。 ←
心より御礼申し上げ、ここに披露する次第である。 有難うございました。


かがなべて生あるものに死は一度白桃の彫りふかきゆふぐれ・・・・・・・・・・・・木村草弥
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      かがなべて生あるものに死は一度
          白桃の彫りふかきゆふぐれ・・・・・・・・・・・・木村草弥

  
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
白桃と言っても早生から晩生までいろいろ種類があるので一概には言えないが、そろそろ桃が出回る季節になってきた。
いま私の座っている座敷机の前の床の間に、この歌を吉川美恵子さんが書いていただいた軸が掛かっている。
吉川美恵子さんについては、ここで詳しく書いたので参照されたい。

この歌は、私の最近の「死生観」を濃密に反映したものと言えるだろう。
人間だれでも一度は死ぬものである。一世を風靡する権力者も市井の凡人も、すべて等しく「死」は免れない。
われわれは、そのことを忘れて過ごしがちである。特に、若い時や健康に恵まれて順調な時には「死」は意識の中にないのが普通であろう。
だが、古来、賢人たちは、このことに何度もメッセージを発してきた。ヨーロッパにおけるキリスト教にいう「メメント・モリ」然りである。

一方の「白桃」というのは文学的なイメージの世界では「女性の臀部」を象徴するものとして知られている。
桃のもつ特有のなだらかな丸い形。それに胴に入るくびれの線から、そのように概念づけされて来た。
「シンボル・イメージ小事典」などにも書かれている。
私の歌は、そういうことを踏まえて「メタファー」を含んでいると理解いただきたい。
白桃という「生」に対応する「死」ということである。

字句の解説をしておくと「かがなべて」というのは、「かが」=日々である。
この言葉には歴史があって「古事記」の倭建命と御火焼の老人との会話

 新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる・・・・・
 日日なべて夜には九夜 日には十日を

というくだりに出てくるフレーズを踏まえている。「なべて」=並べて、であり、「かがなべて」=日々をかさねて、という意味になろうか。
意識して古代の文学的な伝統に連なりたい、というところから、こういう古語を使うことになる。

以下に歌集に載る当該の私の歌8首を引用する。

      かがなべて

  臥す妻に紅ほのかにも合歓の花のこよひ咲き初む つぎねふ山城

  白桃に触れたる指をいとしみてしばらく宙にかざしゐる宵

  唇(くち)を吸ふかたちにも似て水蜜桃(すいみつ)をすする夕べはほのあかりせり

  かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫り深きゆふぐれ

  わが味蕾すこやかなるか茱茰(ぐみ)ひとつ舌に載すれば身に夏の満つ

  執着を離れ得ざればかたつむり寝ても覚めても殻の中なる

  この夏の去りゆくものを追ひたてて炎となりて夾竹桃もゆ

  夕つかた虹の脆さを哀しめばわが痩身をよぎるものあり

一番はじめの歌の終りの部分「つぎねふ」というのは「山城」にかかる「枕詞」である。ここに引用した歌の小見出しの全体の章名を「つぎねふ山城」としてある。

歳時記から「桃」の句を引いて終わる。
なお俳句では「桃」は秋の季語である。今日では季節感とズレがある。

 さえざえと水蜜桃の夜明けかな・・・・・・・・加藤楸邨

 白桃を洗ふ誕生の子のごとく・・・・・・・・大野林火

 中年や遠くみのれる夜の桃・・・・・・・・西東三鬼

 朝市の雨沛然と桃洗ふ・・・・・・・・中島斌雄

 白桃に触れたる指を愛しみをり・・・・・・・・斎藤空華

 白桃に入れし刃先の種を割る・・・・・・・・橋本多佳子

 水蜜や足を清しく婚を待て・・・・・・・・秋元不死男

 白桃をすするや時も豊満に・・・・・・・・能村登四郎

 白桃や満月はやや曇りをり・・・・・・・・森澄雄

 白桃の浮きしが一つづつ沈む・・・・・・・・小松一人静

 桃冷す水しろがねにうごきけり・・・・・・・・百合山羽公

 乳房ある故のさびしさ桃すすり・・・・・・・・菖蒲あや

 と見かう見白桃薄紙出てあそぶ・・・・・・・・赤尾兜子

 白桃に触れてはがねの薄曇る・・・・・・・・松本秀子

 桃の実のほのぼのと子を生まざりし・・・・・・・・きくちつねこ


ランス「フジタ礼拝堂」Chapelle Foujita à Reims・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
800px-ChapelleFoujitaフジタ礼拝堂
↑ フジタ礼拝堂
p9251915フジタ礼拝堂①
 ↑ フジタ礼拝堂・聖母子
fujita_maria_lフジタ礼拝堂・祭壇画の聖母子
↑ フジタ礼拝堂・祭壇画の聖母子 拡大図
p1011138フジタ礼拝堂④ゴルゴダの丘への道行き
 ↑ キリスト・ゴルゴダの丘への道行き
f0095128_235273フジタ礼拝堂
 ↑ ステンドグラスが少し見える

──巡礼の旅──(14)─再掲載初出2013/07/23

      ランス「フジタ礼拝堂」Chapelle Foujita à Reims・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この礼拝堂については田中久美子さんが書いた → 「フジタ礼拝堂」というページがあるので、先ず、それを読んでもらいたい。 ↓
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     シャンパンの財が育んだランスのアートスポット
            フジタ礼拝堂
      ──平和を望んだ藤田嗣治晩年の傑作──


1913年、27歳の時に画家になることを夢見てフランスにやってきた藤田嗣治(Tsuguharu Fujita/Léonard Foujita)は、エコール・ド・パリのひとり としてパリのモンパルナス(Montparnasse)で大輪の花を咲かせます。
フジタは2度の大戦の後の1959年、ランスの大聖堂で君代夫人とともに洗礼を受けました。
そのときの代父はシャンパン・メーカー、マムの社長であるルネ・ラルー(René Lalou)。
そしてフジタは、マムの敷地内に平和の聖母に捧げる礼拝堂を作ることを思い立ったのです。

1966年初夏、80歳の画家は礼拝堂内部のフレスコ画に着手しました。
フレスコ画は漆喰を塗った壁が乾ききらないうちに素早く描かなければならないため、失敗が許されません。
大変な集中力を必要としますが、フジタは毎日12時間、壁と向かい合い、全部で200m²にもおよぶ空間をわずか90日間で仕上げました。
こうして秋に完成した礼拝堂は、ランス市に寄贈されることになりました。
正面の壁画にはキリストを抱いた聖母が描かれ、その右側のサインの部分に君代夫人が描かれています。
f0095128_23563772フジタ礼拝堂・君代夫人
 ↑ 君代夫人
君代夫人は2009年4月に逝去され、最愛の夫が眠る礼拝堂右側、≪最後の晩餐≫の絵の下に葬られました。

f0095128_23585717フジタ礼拝堂・最後の晩餐⑥
 ↑ 「最後の晩餐」 藤田夫妻は、この絵の下に眠る。

f0095128_23385616フジタ礼拝堂・磔刑図
 ↑ キリスト磔刑図

入り口上のキリスト磔刑図の右側には、ひざまずくラルーとフジタの自画像が描かれています。
f0095128_23523023フジタ礼拝堂・藤田の顔
 ↑ メガネの人が藤田。その左がマム社の社長ルネ・ラルー

ステンドグラスがある出窓の部分の壁には、この土地にふさわしくシャンパンの樽に腰掛ける聖母とキリスト、その向こうにはぶどう畑や大聖堂が見えます。
聖母を樽の上に腰掛けさせるという斬新な図像を描くにあたって、フジタは法王に許可を取ったと伝えられています。
ステンドグラスはフジタの下絵を、ランスの名匠シャルル・マルク(Charles Marq)の手によって仕上げられました。
その主題は、洗礼を受けたフジタの想いを表すかのように、「天地創造」や「アダムとイヴ」、「ノアの箱船」など『旧約聖書』からとられました。

f0095128_191295フジタ礼拝堂・七つの大罪
 ↑ 「七つの大罪」をテーマにした画は、傲慢、嫉妬、暴食、色欲、怠惰、貪欲、憤怒 が描かれている。

また聖具室の扉にも注目してください。
16枚の小さな絵がありますが、イタリア・ルネサンスのボッティチェリ(Sandro Botticelli)、ドイツ・ルネサンスのクラナハ(Lucas Cranach)やデューラー(Albrecht Dürer)など、美術史を飾る巨匠にフジタが捧げたオマージュになっています。

このように礼拝堂には、見るべきたくさんのディテールがありますが、礼拝堂奥の左右にあるステンドグラスは、故国日本に対するフジタのまなざしを感じ取ることができる作品です。
テーマは広島――。ヨーロッパとアジアで大戦を経験したフジタは、戦争の悲惨さを身にしみて痛感していたのでしょう。
この礼拝堂を平和の聖母に捧げたのも、穏やかな世界を希求してのことです。小さい空間のなかには、画家の強いメッセージがあふれています。

田中久美子(Kumiko Tanaka/文)
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彼については → Wikipedia 藤田嗣治 に詳しい。

こういう壁画の絵の中に作者やパトロンなどを描き込むのは画家の特権であって、古来いくつかの作例がある。
藤田は、それに倣ったのである。
田中さんも書いているように、シャンパン・メーカーとして功なったマム社の社長もパトロンとして金を出した代りに、絵の中に顔を永遠に残すことになった。

田中久美子さんの文章の途中に挿入した写真は、田中さんのものではない。私が、田中さんの文章に合わせて挟んだもので了承されたい。
なお、堂内は撮影禁止であり、写真は撮れないから、掲出の堂内の写真はネット上から引いたものである。


少し文章を付け加えておきたい。
このフレスコ画制作中から藤田は下腹部痛を訴えていたが、「冷え」によるものと見られていたが、絵の完成後、病院で診察の結果「膀胱がん」が見つかる。
あちこち手を尽くしたが治療の見込みのつかないほど進行していて、パリの病院を転々としたあと、スイスのチューリッヒ州立病院に転院した。
チューリッヒ湖のほとりにある病院は静かで、窓辺にはよくカモメがやってきた。激しい痛みの伴う治療の中、カモメに餌を与えるときだけ心をなごませた。
1968年1月29日、凍てつくような寒さが続く日に、藤田は八十一歳の生涯を閉じた。
遺体はフランスへ運ばれ、かつて洗礼をうけたランスの大聖堂で葬儀が行われ、藤田が絵を描いたランスの「礼拝堂」に安置された後、
終の棲家となったヴィリエ・ル・バルクに葬られたが、今では礼拝堂の≪最後の晩餐≫の絵の下に夫婦ともに眠っている。
二か月後、日本政府は藤田の功績を称え、勲一等瑞宝章を授与する決定を下した。

DSC_2102フジタ礼拝堂
 ↑ フジタ礼拝堂への入口のアーチ・奥にチャペルが見える

フランスはカトリック信仰の強い国で、文化人なども若い頃にはカトリシスムに反抗したりしていても、死ぬときには、カトリックに和解を求めて死ぬという。
藤田も晩年には夫婦でカトリックの洗礼を受けて、聖母マリアに抱かれて安息に入ったということである。
田中さんの言うように、シャンパンで儲けた財力によって、このチャペルが成ったことは喜ばしいことである。

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──新・読書ノート──として、下記に追記する。

フジタ①
 ↑ 「藤田嗣治エッセイ選─腕一本 巴里の横顔」近藤史人・編─講談社文芸文庫2008/12/01第八刷刊
フジタ②
 ↑ 近藤史人「藤田嗣治─異邦人の生涯」講談社文庫2008/01/15刊

この記事の関連で、ここに挙げた二冊の本を読んだ。
編者の近藤史人という人は

1956年愛媛県生まれ。1979年東京大学文学部独文科卒。同年NHKにディレクターとして入局。
教養番組部、スペシャル番組部などを経て現在NHKエデュケーショナル統括部長。
制作した主な番組は、NHKスペシャル「革命に消えた絵画──追跡ムソルグスキー『展覧会の絵』」。同「故宮」。
同「空白の自伝・藤田嗣治」など。

藤田夫人・君代さんなどにも信頼されて色々のエピソードなどを聴かせてもらうなど、貴重な裏付けに満ちている。
詳しくは引かないが、広く読まれるべき本である。


原田亘子詩集『バンソウコウください』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
原田

──新・読書ノート──

      原田亘子詩集『バンソウコウください』・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・・・・私家版2015/05/25刊・・・・・・・

この詩集の「あとがき」で、原田さんは、こう書いている。

<国分寺の小さなキャラリーで一人の女の子に会いました。
 一目見て、この子と一緒に詩集をつくりたい、つくられたらいいな、と思いました。
 その思いがかないました。生きているって、なんとありがたいことでしょう。
 誰のこころの中にも棲んでいる少女(少年)と手を離さなければ、風も樹も草も、空の青さや白い雲も、
 洗いたての自分にしてくれる。風と風のすきまから愛がそよいでくる。
 そんなことを、国分寺のギャラリーで出会った少女におしえられた気がしています。
 その少女を描いてくださった版画家の三好まあやさん、
 そしてオロオロしながら詩(のようなもの)を書きつづけてきた私にとってのミューズである高橋順子さんに、
 こころから感謝申しあげます。>

図版で出した表紙絵などは三好まあやさんのものである。

この本については「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」に採り上げられている。 ↓
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原田亘子『バンソウコウください』

2015-07-14 10:42:58 | 詩集

原田亘子『バンソウコウください』(私家版、2015年05月25日発行)

 原田亘子『バンソウコウください』のタイトルになっている詩は、ひざ小僧をすりむいた子どもが「バンソウコウくれませんか」と家を訪ねてきたときのことを書いている。
見知らぬ子だけれど手当てをしてやる。子どもは手当てが終わると、「戦士のような勢いで」ぱっとは帰っていく。「とり残されたわたしは/束の間のナイチンゲール」。
そのことを「いい夢をみたのかしら」と思う。その「内容」よりも、

 あのぉ
 バンソウコウくれませんか

 という子どもの口語とタイトルの「バンソウコウください」が違うことが、私にはとてもおもしろかった。子どもの「声(ことば)」はそのまましっかり聞き取っている。
しかし、原田はそれを「タイトル」にしていない。自分で言い換えている。
 ここが、とてもおもしろい。
 「……くれませんか」と「……ください」と、どちらがていねいな言い方か、地方によって(個人によって)受け止め方は違うだろうけれど、私は「……くれませんか」の方が、「もし……していただけるなら」という前提を含んでいると感じるので好きである。店で物を買うときも「……はありますか」よりも「……はありませんか」という方が相手を気づかっているとは思うのだが、九州では「……はありませんか(……はないですか)」と言うと「ありませんか(ないですか)、とは失礼だ。ないと思うなら聞くな」という反応がかえってくる。「……はありますか」だと、もし、ない場合に、相手を傷つけることになると私は考える方なのだが……。
 原田はどっちだろう。そして、子どもはどっちだろう。
 私には、子どもの方には、もしあるならば、という気持ちがあると思う。こんなことを知らない人に頼んで申し訳ないのだけれど、「できるなら」助けてくださいという気持ちがあると思う。
そのおずおずとした感じが「あのぉ」という呼びかけにも含まれている。そう感じる。
 原田も、それを聞き取ったと思う。聞き取ったけれど、そしてそのことばをそのまま書き留めもしたのだけれど、タイトルにするときちょっと気持ちが変わった。そんなに気をつかわなくてもいいのに。「バンソウコウください」で大丈夫なんだよ。私の方がナイチンゲールになることができてうれしかったんだよ。助けられたのは私なんだよ。ありがとう。そういう気持ちがバンソウコウ「くれませんか」を、バンソウコウ「ください」に変えたのだ。自然に、そう変わってしまったのだ。
 原田のことばのなかには、そういう動き(変化)が自然に起きている。他人のなかで動いたこころをそのまま正確に受け止めるだけではなく、受け止めたあと、そのこころがもっと自由に動いていくのを支えるような力がある。少年の喧嘩を描いた「折れた樹の枝」にもそういうことを感じだ。
 でも、ここで引用するのは、そういう子どもとの対話、人間との対話ではなく、少し違った「出会い」。「花大根」という作品。

春になると
散歩道の側溝に
きまって咲く花大根
今年は赤まんまも
となりでいっしょに咲いている

どうして?
お日さまもあたりにくいのに
聞いてみようと
のぞきこんだら

ヌッ、と
大きな白い猫が顔をだした
自分の家のドアを開けるような
顔をしている

大切な庭先に
入り込んでしまったのかしら

「気をつけてよ」
少し汚れたお尻をふって
花大根のむこうを
歩いて行った

 猫だから「気をつけてよ」というような「日本語」を話すわけではない。けれども原田には、そう聞こえた。原田は瞬間的に猫になっている。
そのとき、そこには猫だけがいるのではなく、原田が出会ったひとの姿も重なっているのだが、この瞬間的な変化のなかに原田の「反省」のようなものが含まれる(他人との対応の仕方が含まれる)のがおもしろい。「そうか、他人の領分にはかってに踏み込んではいけないのだな。知らず知らずに他人の領分に踏み込んでしまうことがあるのだな。申し訳ないことをしたなあ」と振り返っている。人柄が、滲み出ている。
 そして、このこころの動きは、実は猫に出会う前からはじまっている。


今年は赤まんまも
となりでいっしょに咲いている


 この「となりでいっしょに」が原田の生き方の基本なのだ。だれかのとなりでいっしょに生きている。
いっしょに生きているひとのこころを受け止めながら、それを支えると言ってしまうとおおげさだし、なにか違ったものになるのかもしれないけれど、しっかりと受け止め、自分の生き方をととのえる(自分の行動のあり方を振り返る力)にしている。「お日さまもあたりにくいのに」とかってに考えたけれど、そこに生きている草花、猫にとっても「大切な」場所なんだと気づく。そして、ことばが変わっていく。
 自然に、そういうことをしてしまう人なのだろう。文学の価値は作者の「人柄」によって決まるものではないけれど、私は「人柄」が感じられる作品が好きだ。
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この本には全部で37篇の詩が収録されているが、その中から、いくつか私の目にとまったものを引く。

    スイートコーン

  とれたての
  とうもろこしは
  太陽からもらった歯並び
  ひと粒ひと粒が
  黄金にかがやいて

  口にふくむと
  大地の甘さと
  空の逞しさを
  語りだす

  歯切れよく
  スイートに

    手と手

  霧の深い朝は
  手をつないで
  登校した

  一人では
  生きられない

  小さな手と手は
  よくわかっていた


    真紅の女(ひと)

  角をまがって
  思わず
  後退りした

  目の前に
  真紅の女がいる

  帽子もスーツも
  ストッキングもハイヒールも
  帽子に付いている花までも
  赤一色に染まっている

  その姿で
  何事もなく、と言いたげに
  悠然と歩いて行った

  見まちがえたのかしら わたし
  ポインセチアの花の精を

  十二月の空の下だもの


    恐山のかざぐるま

  かざぐるまは
  風とはあそびません
  ここでは
  かざぐるまは
  かなしみの井戸から
  涙をくみあげる
  風車(ふうしゃ)です

  いろとりと゜りの
  かなしみが
  天にとどいて
  救われますように

  祈りのこころを
  絶えまなく
  くみあげています
  風が強ければ 強いほど
  空にむかって

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原田さんについては、拙ブログで『忘れてきた風の街』 ← で採り上げたので参照されたい。



山椒の葉かげに卵を生みゐたる黒揚羽蝶わらわらと去る・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
kuroageha-omoteクロアゲハ雌

    山椒の葉かげに卵(らん)を生みゐたる
        黒揚羽蝶わらわらと去る・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

掲出の写真①は黒揚羽蝶の雌の羽の表の様子である。裏側の模様は少し違うが省略する。写真映りは白っぽいが、色は真っ黒である。

ageha032クロアゲハ

黒揚羽蝶の成虫は葉っぱを食べているわけではない。写真②のように花の蜜を吸って生きているのである。
揚羽蝶には色々の種類があるが、概して卵を生む植物は「香り」の強い草木に限定されているが、その中でも黒揚羽蝶は山椒、金柑などの柑橘類の木、パセリなどのハーブ類に卵を生む。
ハーブと言っても種類は多いので、その中でもパセリ類に限定される。
揚羽蝶の種類も色々あり、羽の模様もみな違うように取り付く草木も、それぞれ違う。黒揚羽と並揚羽とは取り付く木も共通するものが多い。
ここでは要点を絞って黒揚羽蝶と、その幼虫に限定する。
kuroageha-youchu01クロアゲハ威嚇

気持が悪いかも知れないが、写真③は幼虫の蛹になる直前の終齢の頃のもので、頭の先に赤い角状のものを出して「威嚇」しているところ。
独特の臭気も発する。これも威嚇のためである。
この写真の一日後には、この幼虫は「蛹」(さなぎ)になった。
写真④に、その蛹の様子を載せる。
kuroageha4クロアゲハ蛹

糸を一本吐いて柑橘類の木の茎に体を固定して蛹の様態に入ったもの。
この段階で捕食者から襲われないように、周囲の木と同じ色になって保護色を採るというから、その知恵には恐れ入る。
幼虫は夏の間に何度も孵るが、晩秋に蛹になったものは、この蛹の状態で「越冬」して、翌年の春に「羽化」して黒揚羽蝶の成虫になり、
雄、雌が交尾して、雌が産卵して新しい年度の命が発生する。
卵は纏めては生まない。ちょうど鰊の「かずのこ」の一粒のような大きさの卵を木の葉っぱのあちこちに、ポツンポツンと産み付ける。
色は葉っぱに似せて緑色をしている。この卵の段階でつまんで取り去ることも出来る。
この卵から孵ったものは黒っぽいが、黒揚羽も普通の揚羽も、とてもよく似ている。
この段階では緑と黒の保護色なので、葉っぱに紛れて見つけにくい。
写真⑤は蛹になる直前の終齢の幼虫を角度を変えて撮ったもの。
kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

黒揚羽の幼虫は、ここまで来ると、写真③も同様だが、いかにも気味の悪い毒々しい姿になったところである。

「蝶」は春の季語だが、春以外の季節にも居るので、その時は季をつける。
夏の蝶の代表は揚羽蝶である。これには十種類ほど居るという。一番よく目に止まるのは黒と黄色の縦じまの普通の(並)揚羽蝶ということになる。
黒揚羽蝶は夏らしい強さ、激しさを持っていると言われている。
以下、それらを詠んだ句を少し引いて終わりたい。

 黒揚羽花魁草にかけり来る・・・・・・・・高浜虚子

 渓下る大揚羽蝶どこまでも・・・・・・・・飯田蛇笏

 夏の蝶仰いで空に搏たれけり・・・・・・・・日野草城

 碧揚羽通るを時の驕りとす・・・・・・・・山口誓子

 乱心のごとき真夏の蝶を見よ・・・・・・・・阿波野青畝

 山の子に翅きしきしと夏の蝶・・・・・・・・秋元不死男

 夏の蝶一族絶えし墓どころ・・・・・・・・柴田白葉女

 日蝕のはげしきときに揚羽とぶ・・・・・・・・百合山羽公

 賛美歌や揚羽の吻を蜜のぼる・・・・・・・・中島斌雄

 夏蝶の風なき刻を飛べりけり・・・・・・・・池上浩山人

 黒揚羽舞ひ来て樹下に風起す・・・・・・・・茂恵一郎

 好色の揚羽を湧かす西行墓・・・・・・・・安井浩司

 黒揚羽黒と交わる神の前・・・・・・・・出口善子

 熟睡なすまれびととあり黒揚羽・・・・・・・・久保純夫

 魔女めくは島に生まれし黒揚羽・・・・・・・・大竹朝子

 摩周湖の隅まで晴れて夏の蝶・・・・・・・・星野椿

 乱心のごとき真夏の蝶を見よ・・・・・・・・阿波野青畝

 磨崖仏おほむらさきを放ちけり・・・・・・・・黒田杏子

『無冠の馬』─私信と抽出歌・・・・・・・・・・・藤井幸子
mukannouma (2)
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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      『無冠の馬』─私信と抽出歌・・・・・・・・・・・藤井幸子(「水甕」選者)

(前略)
人生と詩性の濃厚なエッセンスが凝縮されたような御一集、前集『昭和』のお作品も思い出しつつ味わせて頂きました。

  ・チューリップはらりと散りし一片にゴッホの削ぎし耳を想ひつ

  ・十戦十勝かつ英国首位種牡馬─セントサイモンは≪無冠馬≫だつた

  ・枯芒刈り取ればかの日吹かれたる風に重さのありと気づきつ

  ・夕まけて涼風たつる頃ほひに灯を点して仏歯寺混みあふ

  ・プルメリアの花咲く石階六百段はだしにて登るアムバスタレー大塔

  ・クメールの統べし五百年の栄華の跡ひそと佇む然れども峨々と

  ・ゲートあり遺跡見学証ことごとに見せつつ通る真夏日の下

  ・歯を見せて笑ふ女神めづらしと見れば豊けき乳房と太腿

  ・クメールの大平原に太陽が朱の玉となり落ちてゆきけり

  ・水牛に水浴びさせる少年の総身に水滴したたりやまず

  ・PSAの示す数値よ老い初めしうつしみに点す哀愁の翳

  ・「夫婦して癌と共生、なんちやつて笑はせるわね」妻がつぶやく

  ・ちよつと来いちよつと来いとぞ宣へど主の姿が見えませぬぞえ

  ・うつしみははかなく消えて失せにけり肉(しし)の記憶もおぼろとなりて

      (後略)

        平成二十七年七月十四日          藤井幸子
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藤井さんについては歌集『椒魚』を賜った折に、このブログで紹介したので ← 参照されたい。

私の詠みたかった歌を的確に引いていただき、心より感謝申し上げる。
有難うございました。


白炎天鉾の切尖深く許し・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子
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  白炎天鉾の切尖深く許し・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

京都の「祇園祭」は7月17日の今日、三十数基の山鉾が巡幸する。
この頃は梅雨末期で激しい雨が降ることもあり蒸し暑いが、京都では祇園祭が過ぎると梅雨が明けると言われているが、今年はどうだろうか。

「貞観大地震・大津波」についての朝廷による公式記録『日本三代実録』のことは歌集『昭和』にも載せたが、
町衆の祭である「祇園祭」も、同年は御霊鎮(みたましずめ)として催行されたと言われている


掲出の橋本多佳子の句は、スケールの大きい祇園祭を、思念ふかく描いて秀逸である。
丁度そのときは雨が上って夏の太陽が──つまり「白炎天」が照り付けていたのだろう。
だから炎帝が高い長刀鉾の切っ先が空に突き刺さるのを許している、と並の詠み方ではなく、描いているのである。

写真①は鉾の行列の先頭を切る長刀鉾である。

03s祇園祭外人

祇園祭も国際化して、写真②の「くじ改め」の塗り箱を指し出すのは外人である。
外人は、こういうイベントに参加できるのが大好きなので、選ばれたことに大感激である。
裃(かみしも)姿で正装して張り切っている。
お断りしておくが、写真は、いずれもネット上から拝借した過年度のものである。

ここで「祇園祭」のことを少し振り返ってみよう。
02s稚児

写真③は巡幸にあたり道路に張られた注連縄を太刀で切る「稚児」である。
この稚児の役は資産家の子供が選ばれ、約1ケ月間、家族と離れて精進潔斎して奉仕するが、家からの持ち出しは大変な金額にのぼるので、誰でもがなれるものではない。

祇園祭は「町衆」の祭と言われる。
この祭は八坂神社の祭礼の一環だが、貞観11年、陸奥では大地震・大津波が襲来し、各地で疫病が流行し都も荒れ果てていた時に町衆が中心になって催行したという。

詳しいことはネット上で検索してみてもらいたい。
IMG_1333-01s胴がけ

写真④は鉾や山の胴体を飾る「胴掛け」と呼ばれるタペストリーなどである。掲出した胴掛けは尾形光琳の有名な「かきつばた」図を忠実に織物にしたもので、これは最近の新作である。古いものではヨーロッパから渡来したタペストリーなども幾つかある。この辺にも当時の町衆の財力のすごさを示している。
祇園祭方向転換

写真⑤は四つ角に差し掛かった時に鉾の方向転換の引き綱の様子を上から見たものである。「辻まわし」という。
昔と比べると、巡幸のルートも大きく変わった。昔は四条通よりも南の松原通などを通っていたが、道が狭いので、道路の広い御池通(戦争末期に防火帯として道路を使用する目的で沿道の建物を強制的に引き倒した、いわゆる疎開道路で拡幅されたもの)を通るように、当時の高山義三市長が強引に替えたものだが、今では、これが正解だったと判るのである。

ここで「宵山」と当日の大きな写真を載せておく。
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終りに歳時記に載る句を少し引く。

 月鉾や児(ちご)の額の薄粧(けはひ)・・・・・・・・曾良

 祇園会や二階に顔のうづ高き・・・・・・・・正岡子規

 人形に倣ふといへど鉾の稚児・・・・・・・・後藤夜半

 鉾の灯のつくより囃子競ひぬる・・・・・・・・岸風三楼

 神妙に汗も拭はず鉾の児(ちご)・・・・・・・・・伊藤松宇

 大車輪ぎくりととまり鉾とまる・・・・・・・・山口波津女

 水打つてまだ日の高き鉾の街・・・・・・・・飯尾雅昭

 鉾の上の空も祭の星飾る・・・・・・・・樋口久兵

 鉾を見る肌美しき人と坐し・・・・・・・・緒方まさ子



桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・・・・・・石田波郷
yun_448桔梗本命

  桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・・・・・・石田波郷

桔梗(ききょう)あるいは漢字の音読みにして「きちこう」とも発音される。
この波郷の句ではキチコウの読みである。

キキョウ科の多年草で「秋の七草」の一つであるから、俳句では秋の季語となるが、実際には六月中旬には咲きだすところが多い。
青みがかった紫のものが多いが、栽培種も多く、白、紫白色、二重咲きなどいろいろである。
矮性の小さな種類もあるが、在来の50センチくらいの高さで、紫色のものが一番ふさわしい。
kikyou4キキョウ白

この波郷の句の「男も汚れてはならず」というフレーズに、老いの境地に居る私としては、ピシリと鞭うたれるような気がして、とっさに頂いた。
老いても男は身ぎれいにして、シャキッとして居なければならぬ。
「万葉集」にいう「あさがお」は桔梗のこととされている。

小林一茶の句に

 きりきりしやんとしてさく桔梗かな

というのがあるが、きっぱりと、すがすがしい野性味のある花と言えるだろう。
私の歌にも桔梗を詠んだものがあるが、昨年に採り上げたので遠慮して、歳時記に載る句を引いて終わる。
yado33kikyouキキョウ矮性

 桔梗の紫さめし思ひかな・・・・・・・・高浜虚子

 仏性は白き桔梗にこそあらめ・・・・・・・・夏目漱石

 かたまりて咲きし桔梗のさびしさよ・・・・・・・・久保田万太郎

 桔梗の花の中よりくもの糸・・・・・・・・高野素十

 桔梗やまた雨かへす峠口・・・・・・・・飯田蛇笏

 桔梗には鳴る莟あり皇子の墓・・・・・・・・平畑静塔

 桔梗いまするどき露となりゐたり・・・・・・・・加藤楸邨

 桔梗一輪死なばゆく手の道通る・・・・・・・・飯田龍太

 桔梗挿す壺の暗さをのぞいてから・・・・・・・・桂信子

 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ・・・・・・・・森澄雄

 おもかげをさだかにしたり白桔梗・・・・・・・・細見綾子

 技芸天桔梗花びら露むすび・・・・・・・・沢木欣一

 誰やらの死をたとふれば桔梗かな・・・・・・・・石原八束

 桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・草間時彦

 百本の桔梗束ねしゆめうつつ・・・・・・・・藤田湘子

 桔梗の色を見てゐる麻酔の前・・・・・・・・宮岡計次

 桔梗咲く母のいのちのあるかぎり・・・・・・・・小桧山繁子
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写真③は矮性のキキョウである。


むらさきにけぶる園生の遥けくてアガパンサスに恋の訪れ・・・・・・・・・・・・木村草弥
yagapanアガパンサス

──季節の歌鑑賞──夏の「花」三題──

   ■むらさきにけぶる園生の遥けくて
       アガパンサスに恋の訪れ・・・・・・・・・・・・木村草弥


今日は夏の花三題を採り上げることにする。
掲出する歌は、いずれも私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
「花言葉」の連作を作っていたときの作品だ。
写真①は「アガパンサス」で、このごろではあちこちに見られるようになった。
花言葉は「恋の訪れ」であるから、この言葉を元にして歌を作ってある。
ユリ科の多年草で、南アフリカ原産。強い性質で日本の風土にもよく合うらしく、各地の花壇や切花用に盛んに栽培されるようになった。
君子蘭に似ているのでムラサキクンシランの和名もある。

gabera4ガーベラ①

    ■ガーベラに照り翳(かげ)る日の神秘あり
      鷗外に若き日の恋ひとつ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


写真②のガーベラも花色はいくつもある。花言葉は「神秘」。
この花はキク科の多年草で、この花も南アフリカ・トランスバールが原産地。野生ではなく、はじめから園芸植物として開発されたらしい。
明治末にわが国に紹介されたが、今では公園などに広く植栽され、色とりどりの彩りを見せている。
花期は長く秋まで咲く。

yun_942ルピナス

    ■藤房の逆立つさまのルピナスは
       花のいのちを貪りゐたり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「ルピナス」は、マメ科ハウチワマメ属の総称。ルーピンとも言う。
世界各地に300種類もあるという。原産地は南ヨーロッパ。
藤の花を立てたようなので和名は立藤草。
私の歌は藤色の花を詠んでいるが、ルピナスは2008年、北海道の富良野でたくさん見かけた。
ただし写真は私のものではなく、yun氏の撮ったものを拝借した。
生命力旺盛な草で、花言葉は「貪欲、空想」。私の歌は、その「貪欲」を詠み込んである。

俳句に詠まれるものは、横文字の花の名で字数も多く、詠みにくいのか作品数も多くないので、省略する。


昏梅雨をつきて盛れる火の祭たいまつの男は汗みどろなる・・・・・・・・・・・木村草弥
img_1288966_38644592_0那智の火祭り

    昏(くれ)梅雨をつきて盛れる火の祭
       たいまつの男(を)は汗みどろなる・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載る「み熊野」と題する一連の中のものである。
毎年7月14日に行なわれる「那智の火祭」は熊野那智大社の例大祭である。
この祭は12体の熊野の神々が大滝の前の飛滝神社に年に一度の里帰りの様子を表したものである。12体の大松明の迫力と熱気に、みんな我を忘れての歓声である。
2004年に「熊野三山の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されて、観光客も大幅に増えて来たという。
参詣道として世界で二例目ということでスペインの「サンチアゴ巡礼の道」からの視察団も表敬訪問してくれたという。

himatsuri2那智大社

写真②が熊野三山のひとつ熊野那智大社だが、社殿の前に熊野三山の守り神、三本足の神鳥「八咫烏(やたがらす)」の像が建っている。
熊野三山というのは、この熊野那智大社のほかに熊野本宮大社、熊野速玉大社をいう。
熊野那智大社は、ご神体は那智の滝であり、自然信仰の原点のように考えられるところである。
この大社に隣接して青岸渡寺があるが、明治初期の廃仏棄釈までは、両社一体の神仏混交のものであった。
前に書いたが、この青岸渡寺は「西国三十三ケ所霊場」巡りの一番札所である。
himatsuri5那智火祭②

写真④は、この火祭で松明をかつぐ役を奉仕した男たちが勢ぞろいして役目の報告をするところである。
himatsuri7那智火祭③

中世には「熊野詣で」と称して天皇や法皇などが行列をしつらえて京の都から遥々と参詣したのである。
今それらの道程が日の目を浴びて復活してきたのであるが、「歴史遺産」というのは古いままで保存されているのが原則であるのに、
道を整備し直して批判を浴びているという笑えぬ事態も出てきているらしい。

写真⑤は、この祭の一環として、火祭の前に奉納される「稚児の舞」である。和歌山県の無形文化財に指定されている。
himatsuri1火祭稚児の舞

いま歳時記を調べてみたが、那智の火祭ないしは火祭という項目は出て来るが、例句は無い。
今でこそ「熊野那智」の地は脚光を浴びているが1980年代あるいは90年代は、ローカルな行事として採録されなかったものと考えられる。
私の持っているようなものではなく、もっと大部の歳時記であれば載っているかも知れないが、お許し願いたい。
そんなことで、この辺で終りにしたい。



木の椀に白粥さくと掬ひをり朝粥会の法話終りて・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    木の椀に白粥さくと掬(すく)ひをり
        朝粥会の法話終りて・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

京都の夏は、盆地性の気候のため、とても暑い。
この夏の間を利用して各地の寺院などで暁天座禅会や緑蔭講座などが催される。
掲出の私の歌は、もう十数年も前のものであり、どこの寺のものか、などの詮索は止めて、一般的なものと受け取ってもらいたい。
掲出の「白粥」も、その場で写せるものではないので、あくまでもイメージであることを了承されたい。

hodo法堂

写真②は建仁寺の法堂(はっとう)であるが、ここ建仁寺でも毎年7月中旬に「暁天坐禅会と緑蔭講座」が催される。
もともと昔からの行事として「夏安居」という90日間の僧の修行の行事があったが、それを庶民にも開放したのが、暁天行事として定着したと言えるだろう。
建仁寺の場合に触れると、
本年7月10日(金)~12日(日)の 3日間に亘り恒例の暁天坐禅会並びに緑陰講座を 開催された。

坐禅開始は6:30~、緑陰講座は7:10~。(終了 8:00前後)

※最終日 7月12日(日)の講座後には粥座(しゅくざ) (朝食)の 接待があった。

会場は建仁寺方丈。 拝観受付のある本坊より入る。

各日程の緑陰講座の講師は下記の通り。

7月10日(金)

講  師  臨済宗福聚寺住職・作家 玄侑宗久師

演  題  『観自在』

7月11日(土)

講  師   追手門学院大学教授 佐藤 友美子氏

演  題  『成熟社会を共に生きる』

7月12日(日)

建仁寺派管長 小堀泰巌老大師

提唱  碧巌録第五十八則 『趙州分疎不下』

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このような催しはあちこちで盛んであり、京都でもたくさんあるが、朝粥の接待のあるところは、後始末が面倒なので減ってきたらしく、
朝粥の出るのは、西本願寺の法話・朝粥、智積院の法話・朝粥などである。後は「おにぎり」「点心」「そーめん」などの接待が見える。
全国各地で朝粥会は行なわれ、毎週おこなわれるところも見られる。

ここでは「夏安居」を詠んだ句を引いて終りたい。

 まつさをな雨が降るなり雨安居・・・・・・・・藤後左右

 夏行とも又ただ日々の日課とも・・・・・・・・高浜虚子

 杉深くいかづちの居る夏行かな・・・・・・・・富安風生

 食堂(じきどう)も炷きこめられし安居かな・・・・・・・・皆吉爽雨

 夏に籠る山六月の椿かな・・・・・・・・・喜谷六花

 山門に山羊の仔あそぶ夏の始め・・・・・・・・中川宋淵

 夏行僧白粥に塩落しけり・・・・・・・・土居伸哉

 土性骨敲かれて居る安居僧・・・・・・・・河野静雲

 黒揚羽絶えず飛びゐる安居かな・・・・・・・・川上一郎



七月や雨脚を見て門司にあり・・・・・・・・・・・・・・・・藤田湘子
P2020052門司港夜景

   七月や雨脚を見て門司にあり・・・・・・・・・・・・・・・・藤田湘子

一読して何のあいまいさもなく納得される句である。
しかし、句の背景をなす情緒の中身については、読者の側で、さまざまに空想できるふくらみがある。
たとえば、作者名を消し、人物を女性だとしたら、急な夕立の雨脚を見ている情感には別な映像が結びつくだろう。
出会い、別れ、若い人、老いた人、あるいは、ごく日常的なすれ違いなど、さまざまな人生模様が想像できそうである。
短詩型では、常に「何を詠むか」と同時に「何を詠まないか」の選択が決め手となる。
この句は明瞭な事実だけを詠んで、あとは読者の想像に任せている。思い切りよく「捨てて」広がりを採ったのである。
昭和51年刊『狩人』所載。
掲出画像は「門司港夜景」である。七月の雨脚の写真を出したかったが、いい写真がない。

いまや七月半ばである。陰暦の七月は文月で秋に入るが、陽暦の七月は、最も夏らしい月である。
七月を詠んだ句を少し引いてみる。

 七月のつめたきスウプ澄み透り・・・・・・・・・・日野草城

 七月の鶏の筒ごゑ朝の杉・・・・・・・・・・森澄雄

 夕月に七月の蝶のぼりけり・・・・・・・・・・原石鼎

 七月の夕闇ちちもははもなし・・・・・・・・・・平井照敏

 七月の蝌蚪が居りけり山の池・・・・・・・・・・高浜虚子

 七月の青嶺まぢかく溶鉱炉・・・・・・・・・・山口誓子

 七月や銀のキリスト石の壁・・・・・・・・・・大野林火

 少年のつばさなす耳七月へ・・・・・・・・・・林邦彦

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藤田湘子の今の季節の句を引いて、終わりにする。

 柿若葉多忙を口実となすな

 口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か

 蝿叩此処になければ何処にもなし

 干蒲団男の子がなくてふくらめり

 わが裸草木虫魚幽くあり

 真青な中より実梅落ちにけり

 朝顔の双葉に甲も乙もなし

 水草生ふ後朝(きぬぎぬ)のうた昔より

 巣立鳥明眸すでに岳を得つ

 山国のけぢめの色の青葡萄



己が花粉浴びまみれてや立葵・・・・・・・・・・・・・・・三橋敏雄
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     己(し)が花粉浴びまみれてや立葵・・・・・・・・・・・・・・・三橋敏雄

アオイ科の越年草で人間の背丈よりも高くまで伸びる。単にアオイという植物はなく、一般にタチアオイのことを葵という。
原産地は中国、小アジアで、日本には室町時代に渡来し、鑑賞用に、また薬用に植えられたという。

葵の名が日本で最初に現れるのは「万葉集」だが、これはフユアオイまたはフタバアオイ(写真②)であるらしい。
futaba-aoiフタバアオイ本命

京都の「葵祭」に用いられるのもフタバアオイで、花ではなく葉を「挿頭」(かざし)にされるのである。
この植物は葵の名はついていても全く別のものでウマノスズクサ科のものである。
徳川家の家紋に使われたのが、これで、葉を三枚組み合わせて使われた。
先に5/15付けの「葵祭」の記事を書いた時に牛車の脇に吊るされるのが「藤の花」かと書いたのは正解で、葵祭は挿頭にフタバアオイの葉をかざしたので、この名がついたことが判明した。
写真③にフタバアオイの花をお見せする。
futaba-aoi3フタバアオイ花

話は変わるが、ネアンデルタール人の埋葬骨と一緒にタチアオイの花粉が発見されているという。
中国の唐代に牡丹が台頭するまではタチアオイが花の代表選手だったという。
花言葉は「平安」「単純」。花の色には白、赤、紫などがある。中国美女の立ち姿に似ており、古い中国で花の代表だったのも頷ける。

俳句にもたくさん詠まれており、それを引いて終わる。

 ひともとの葵咲きつぎたのしけれ・・・・・・・・日野草城

 門に待つ母立葵より小さし・・・・・・・・岸風三楼

 峡深し暮をいろどる立葵・・・・・・・・沢木欣一

 立葵のぞき棚経僧来たる・・・・・・・・石原八束

 咲きのぼるばかり葵の咲きのぼる・・・・・・・・見学玄

 蜀葵人の世を過ぎしごとく過ぐ・・・・・・・・森澄雄

 呼鈴を押してしばらく立葵・・・・・・・・鷹羽狩行

 雨はゆめなり雨の夜は白蜀葵・・・・・・・・阿部完市

 立葵まつすぐに来て破顔せり・・・・・・・・金谷信夫

 呼ぶ子帰る子十二時の立葵・・・・・・・・広瀬直人

 立葵大きな雨が三日ほど・・・・・・・・矢島渚男




藤原光顕の歌「西日の納戸」12首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
たかまる

──藤原光顕の歌──(20)

       藤原光顕の歌「西日の納戸」12首・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・・・・「たかまる通信」No.99/2015/07/01所載・・・・・・・・・・・

         西日の納戸     藤原光顕

   庭ほどの御所の杜消えて半世紀 母が祈ってくれた祠まだあるはず

   タブロイド2頁の朝日新聞を知っているか 極小の活字が輝いていた

   少年倶楽部子供の科学家の光活字ならなんでもよかった昭和二十年

   本当に宇宙人はいたんだ七十年前枯れ萱原に紛れていった半透明

   五億年先のどこかの星人の見ている夢 でもつじつまは合う

   故里は西日の納戸 古い箪笥 あと先もない時間の溜まり
               o
   まず戦争であった 北風の田んぼでは戦争ごっこを強いられた

   戦いの訓練として苛め合う 叩かれたり殴られたりの弱虫だった

   殴られるのは痛かった非国民と罵られるよりも痛かった

   殺す自由は殺される自由と読んでしまう 臆病者でスミマセン

   戦いたがっている声も無視できません私が最髙責任者です

   もう一度敗戦の悲惨舐めたいのか 泣いてすぐまた忘れられるか
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藤原光顕さん主宰の季刊誌「たかまる通信」が、いよいよ次号で100号を迎えることになった。
神戸市の西部・高丸に住んでおられたので「高丸通信」として発足したのだが、ご子息の住まいする京都市西郊に同居されることになり、誌の名前を「たかまる」にされた。

今号の作品は、故里の風景へのノスタルジーから、戦争末期の新聞、雑誌「少年倶楽部」などの思い出に繋がってゆく。
そして、戦争中の「叩かれたり殴られたり」の理不尽な記憶。
いま「戦いたがっている声」が声高に叫ばれる。
今回の一連は「比喩」表現になっているので、慎重に味わっていただきたい。

特別作品として載っている、関広範「従軍短歌」10首も素通りできない。 ひとつだけ引いておく。

  *もろこしの畑を貫く弾の音いくたび聴きて逝きし兵らよ    

贈呈有難うございました。 時候がら、御身ご自愛を。


中沢新一『鳥の仏教』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      中沢新一『鳥の仏教』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・・・新潮文庫2011/06/26刊・・・・・・・・・・・

鸚鵡が尋ねる。 カッコウが答える。 鳥たちの言葉から、ブッダの教えを伝える名著。 カラー挿絵多数収録。

カッコウに姿を変えた観音菩薩がブッダの最も貴い知恵について語り、鶴、セキレイ、ライチョウ、鳩、フクロウなどの鳥たちが、幸福へと続く言葉を紡ぐ。
20世紀初頭に存在が知られるようになったこの経典は、チベットで古くから読み継がれてきた、農民や牧畜民など一般の信者に向けられた書物。
はじめてチベット語から翻訳される、仏教思想のエッセンスに満ち溢れた貴重な一冊。

この文庫版は 2008/11/28に発売された単行本の文庫化である。
最初に出た際に新潮社の読書誌「波」2008年12月号に載る書評を引いておく。
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            『鳥の仏教』・・・・・・・・・・・・中沢新一

    「苦しみから私たちを解き放つ、正しい方法を教えてください」、鸚鵡は問いかける。
     カッコウに姿を変えた観音菩薩は答える、最も重要なブッダの知恵を。
     やがて森に集まった鶴、セキレイ、ライチョウ、鳩、フクロウ、
     様々な鳥たちが真の幸福へ続く言葉を歌い出す。
     チベットの仏典を訳し、仏教の核心にある教えを優しく伝える、貴重な一冊。
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        鳥たちが伝える仏教・・・・・・・・・・・・・・養老孟司

 鳥の仏教。
 表題がいいじゃないですか。『鳥の仏教』って。
中沢新一さんがこういうとっても「わかりやすい」ものを訳すようになるってことは、もう歳だっていうことじゃないですか。
まだまだ若いと思っていたのに。

 私自身の体験のなかにも、ネズミの仏教がある。
 東大医学部で解剖学教室の助手をしているときだった。
編集者に頼まれて、岩波書店の雑誌「科学」に、当時調べていたトガリネズミについて、自分の仕事の総説を書いたことがある。
 なんでわざわざ、そんな変なネズミを調べるのか。理屈をいえば、いくらだってある。
もう古稀を越えた現在の年齢になれば、なにをいおうと、要するにそんなものは理屈、後知恵だとわかっている。
でも当時は若かったから、マジメに書いた。でも最後のところでどうしても書きたくなった。
ヒトが本当に動物を「理解する」としたら、それはどういうことになるのか。むろん理屈にはならないはずである。
いくら素朴な科学主義者でも、どこまでも「理」でネズミがわかるとはいうまい。
 じつはそう考えたわけではない。ひとりでに筆が走った。
もし私が本当にトガリネズミを理解するとしたら、それはどういうことになるのか。最終的には「共鳴」というしかないであろう、と。
 出来上がった原稿は、恩師の中井準之助先生に目を通していただいた。なにしろ学術論文ではない、はじめての文章である。
こんなこと、発表していいのか。それもあって、読んでいただくつもりだった。
やがて帰ってきた原稿には、ただ「共鳴」の部分から線が引き出してあって、その線の先に、先生の字で「合掌」と赤字で書かれていた。
思えばこれが、私の最初の信仰告白だった。中井先生もそれをちゃんと「理解」しておられたことになる。
最後まで私にとっては頭が上がらない方だった。
 先生は若いときに両親を亡くされ、親戚の家で育てられたという。
家は建物自体も二百五十年続いた近江商人の旧家である。小さいときにはお題目をあげさせられて、閉口した思い出を語っておられた記憶がある。
 私も歳だから、自分が結局は仏教で育てられていることを、しばしば認識する。現代では大方の若者がそれに気づいていないであろう。
でもこういうものは、文化の根に入ってしまって、無意識になっているから、どちらにしても仕方がないのである。本音を語ればどこかで仏教が出てくるに違いない。
「鳥の仏教」は現代チベット仏教を一般人に親しみやすいように語ったものだという。
成立はたぶん十九世紀、でもその背景には古くからのチベット民話がある。
いろいろな種類の鳥が出てきて、それぞれの鳴き声で仏教の教えを語る。
こういう本って、いいですよね。あんまり説教臭くなく、説教をするからである。
 ダライ・ラマ14世がそうである。今年ダージリンのチベット難民センターに行った。
そうしたら壁にダライ・ラマの言葉の抜粋が貼ってある。
英語だけれど、韻を踏んで面白かったから、池田清彦との共著『正義で地球は救えない』(新潮社)の「あとがき」に盗用しておいた。
 チベット仏教は殺生戒が厳しいので、虫が採りにくい。タバコもダメ。そういうことについては、もっとだらしない宗派がいい。
でもまあ、私はお坊さんではないし、要は仏教のことだから、そうやかましいことはいわないだろう。
そう思いながら、欧米の病院で書類を書かされると、宗教の欄には「仏教」と胸を張って書くのである。  (ようろう・たけし 解剖学者)

中沢新一/ナカザワ・シンイチ
1950(昭和25)年山梨県生まれ。人類学者。
妻は翻訳家の川口恵子。日本史学者網野善彦は義理の叔父(叔母の夫)。作家の芹沢光治良は親戚。林真理子は小中学校の後輩。
2006年(平成18年)から多摩美術大学美術学部芸術学科教授・芸術人類学研究所所長。
著書に『チベットのモーツァルト』『森のバロック』『フィロソフィア・ヤポニカ』『カイエ・ソバージュ』シリーズ(全五巻)『精霊の王』『僕の叔父さん 網野善彦』『アースダイバー』『芸術人類学』『ミクロコスモスI~II』など多数。
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中沢新一の本は難解で読みづらいものだが、この本はイラストなども多く、読みやすい。


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