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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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村島典子の歌「踏絵」31首・・・・・・・・・・・・木村草弥
晶_NEW

──村島典子の歌──(24)

      村島典子の歌「踏絵」31首・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・「晶」91号2015/09所載・・・・・・・

       踏絵      村島典子

   ある日ふとわたしを束ね旅に出む地上は春だ装ひをせよ

   子育ての季節となりて鉄塔の上にカラスの家が建ちたり

   頓馬なるムクドリたちが換気扇に巣を営むと藁をはこび来

   犬は犬のことばもつらむすれ違ふとき鼻よせあひて何か語れり

   とりあへず三回飲まさむと獣医師とわれは額を寄せて言ひあふ

   衰へて文句を言はなくなりましたと告げたるとたん二ャーンと言ひつ

   永別はいつの日かくる起きいでて濡れたる鼻を手に包みたり

   けさの足きのふの足にあらざるや文明言ひしをわが犬に問ふ
                                 * 土屋文明
   ほいほいとハウ酸だんごを置き回るゴキブリになりし気持せりけり

   牡丹ざくら校舎のうらの丘にあり秘密のわれの花の基地なり

   学校のうらのごみ焼却場ゆきてエンピツの屑など探しき

   一途なる思ひをもちしわれなりき若き日先生は持て余されき

   いまならば分る気がせり先生のきびしさは存在の深きさびしさ

   「わたしつて成つていく者」と言ひたりし高橋たか子もうゐず

   東寺なる弘法市にひしめきてアジアびとあり古物あがなふ

   二千四百万円の李朝の壺の商談も古物商らの筵のうへで

   その下の花台十万と声がとぶ欧州の人戸惑ふばかり

   弘法市にて踏絵売られてゐたりけりちかぢか寄りゆくキリシタン遣品

   キリシタン踏絵のイエス・キリスト像息を呑みわれ吸はれゆくなり

   ブロンズのマリアの像の枠板に嵌められてあり小さな踏絵

   大いなる独逸あやめもつぎつぎに花ひらき花つぼみそして了りぬ

   ハルノノゲシ、オニノノゲシとわき見して麺麭買ひにゆく雨の上がれば

   だんだんに歳とることに在り慣れて夕べは小さな段差につまづく

   刑死まへの幸徳秋水の遺言の如是而生如是死(かくのごとくにしていきかくのごとくにしす)

   幸衛といふ秋水の甥ゑかきにて普通に生きしと書物に知れり

   訳もなくかなしくなりぬ歩きつつ無人の家のムラサキクンシラン

   訳ありてかなしくなりぬスパゲッティ・ナポリタンを犬と分かちて

   あれは何時のことだつたかとふと思ふとほいとほい前世の夏

   ああ一生は不可思議なるよ生れ生れて初めを知らず終りを知らず

   新しき眼鏡つくると来しわれは百のめがねに見つめられをり

   角めがね丸めがねあり真ん中にやさしき力ーブの桃色めがね
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村島典子さんの新作の歌群である。
いつもながらの練達の歌作りに瞠目して鑑賞した。 隠れキリシタンの「踏絵」が弘法市に出ているとは、値打を知らない、ひどい仕打ちである。
摂津辺りは高山右近の関係もあり、キリシタンが多かったというから、恐らくは、それらに因む遺品であろう。
みなさんも、じっくりと読んでもらいたい。
ご恵贈ありがとうございました。
スキャナで取り込んだので「文字化け」があれば指摘してください。 すぐに直します。




桔梗の紫さける夕べにておもかげさだかに母の顕ちくる・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
yun_448桔梗本命

     桔梗(きちかう)の紫さける夕べにて
        おもかげさだかに母の顕(た)ちくる・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


キキョウも秋の七草のひとつで、古来から詩歌によく詠まれてきた。
派手さはないが清楚な花である。もっとも秋の七草に数えられる草は、みな地味なものである。
『万葉集』にいう「あさがお」は、キキョウのこととされる。
この花は漢字の音読みをして「キチコウ」と呼ばれることも多い。
私の歌もキチコウと読んでいる。
小林一茶の句に

    きりきりしやんとしてさく桔梗かな

というのがあるが、キキョウの特色を見事に捉えている。
きっぱりと、すがすがしい感じの花である。
写真②は白いキキョウである。
kikyou4キキョウ白

掲出した私の歌は第二歌集『嘉木』(角川書店)に載せたもので、母への思いを詠んでいる。
この歌のつづきに

   乳ごもる肉(いきみ)の背(せな)に吾(あ)は負はれ三十路の母はまだ若かりき

という歌が載っている。私は母の30歳のときの子である。そんな感慨を歌に込めてあるのである。

この頃では品種改良で、色々のキキョウがあるが、やはりキキョウは在来種のものが、よい。
以下、キキョウを詠んだ句を引いて終わりたい。

 桔梗の紫さめし思ひかな・・・・・・・・高浜虚子

 仏性は白き桔梗にこそあらめ・・・・・・・・夏目漱石

 かたまりて咲きし桔梗のさびしさよ・・・・・・・久保田万太郎

 桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・石田波郷

 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ・・・・・・・・森澄雄

 桔梗挿す壺の暗さをのぞいてから・・・・・・・・桂信子

 我が身いとしむ日の桔梗水換へる・・・・・・・・富田木歩

 桔梗の露きびきびとありにけり・・・・・・・・川端茅舎

 姨捨の畦の一本桔梗かな・・・・・・・・西本一都

 桔梗や信こそ人の絆なれ・・・・・・・・野見山朱鳥

 桔梗やいつより過去となりにけむ・・・・・・・・油布五線





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