
──藤原光顕の歌──(22)
あとさきもなく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤原光顕
・・・・・・・「たかまる通信」No.100─2015/10/01掲載・・・・・・・・
全力は尽くしますが… まず言い訳からはじまる入院初日
雨に散り敷く病庭の桜 とりあえず病室を出てくるしかない
病院通いも二週間になった車窓気づけば花水木散りかけている
花水木が咲いて散って躑躅が咲いて散って病院の庭もう見飽きた
移植途中の庭の花を言う ちゃんとしとくと言えばかすかに笑う
終バスだから帰れと急かすひとりの夜の痛みひとしきり言ったあとで
タオル下着その他諸々持ち帰っては洗ってくるそれだけの不甲斐なさ
「治療は最善を尽くしましたがみんな裏目に出ました」肯くしかないのか
どうしても家に帰りたいと言う 思いきめた一途さに退院をせがむ
「一年と言われて三年生きたから」お願いだからさらっと言うな
この薬のまねば死ぬと言われても拒む 遠い目に何を見ているのか
戒名はいらないと言う 骨は邪魔だから捨ててしまえと言う
遺影は若いのがいいと言う かわいく見えるのがいいと言う
墓は丸い石を置いとけばいいと言う お参りはしなくていいと言う
喪服はタンスの右端上等の数珠は二階のテレビ台の左の抽斗
折々のそのつどの声「もうええ」が「死なせてくれ」とわかってからの
「もうええわ」死にたいのこととも知らず さする手を止めたりした
庭の見えるベッドで痛みの合間 花の虫を捕れと首う水を撒けと言う
膠原病の妻看とりつつ読む 膠原病「混合性結合組織病」の未闘病記・笙野頼子
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読んでもらえば判るように、藤原さんの奥さんが五月二十四日に亡くなられた。
この雑誌の巻頭に「太鼓山日記」という欄があるが、その1ページは、十余年前の発病から死に至る「いきさつ」が縷々詳しく書かれている。
ご冥福をお祈りするばかりである。
先日、歌集『椅子の時間』を出されたときに、このブログ でも紹介したが、私はご本人から洩らされていたので、死の事実だけを書いておいた。
私も妻を亡くし、数年間、闘病に付き合ったので、藤原さんの「喪失感」は理解できるつもりである。
奥さんの思い出を大切にして、歌に「作品化」されるよう願うばかりである。 合掌。
追記 ・引用した最後の歌にある「膠原病「混合性結合組織病」の未闘病記・笙野頼子」のことだが、この人の場合は軽症らしい。
いま笙野頼子の本の紹介を参照してみたのだが、私の知人にも「膠原病」と診断された人で、治療しながら十数年とか二十年も生きている人が、二人も居る。
日常生活も外目には支障がないように見える。
膠原病にも、いくつかの病態があるらしく、藤原夫人の場合は重症のようである。 余計なことを書いた。 お許しいただきたい。

「はじめに言葉ありき」てふ以後われら
混迷ふかく地に統べられつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
「エッサイの樹」というのは、「旧約聖書」に基づいてキリストの系譜に連なるユダヤ教徒の系統図を一本の樹にして描いたものであり、
西欧のみならず中欧のルーマニアなどの教会や修道院にフレスコ画や細密画、ステンドグラスなど、さまざまな形で描かれている。
掲出の写真はブロワの聖堂の細密画である。
誤解のないように申し添えるが、「ユダヤ教」では一切「偶像」は描かない。
キリストは元ユダヤ教徒だが「キリスト教」の始祖でありカトリックでは偶像を描くから、エッサイの樹などの画があるのである。
偶像を描かないという伝統を、同根に発する一神教として「イスラム教」は継承していることになる。
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、自選60首にも収録したので、Web上でもご覧いただける。「エッサイの樹」と題する11首の歌からなる一連である。

写真②はルーマニアのヴォロネッツ修道院の外壁の南面に描かれた「エッサイの樹」のフレスコ画である。
ルーマニア、ブルガリアでは、こういう風に修道院の外壁にフレスコ画が描かれることが多い。西欧では、先ずお目にかかれない。
「ステンドグラス」に描かれたものとしてシャルトルの大聖堂の写真を次に掲げておく。
右端のものが「エッサイの樹」。


写真④に掲げたのは、今治教会のエッサイの樹で、シャルトルのブルーといわれるシャルトル大聖堂のエッサイの樹の複写である。細かいところが見てとれよう。
なお先に言っておくが「エッサイ」なる人物がキリストと如何なる関係なのか、ということは、後に引用する私の歌に詠みこんであるので、
それを見てもらえば判明するので、よろしく。
いずれにせよ、昔は文盲の人が多かったので、絵解きでキリストの一生などを描いたものなのである。

写真⑤はブラガ大聖堂の「エッサイの樹」の祭壇彫刻である。
こういう絵なり彫刻なり、ステンドグラスに制作されたキリストの家系樹などはカトリックのもので、プロテスタントの教会には見られない。
とにかく、こういう祭壇は豪華絢爛たるもので、この「エッサイの樹」以外にもキリストの十字架刑やキリスト生誕の図などとセットになっているのが多い。
私の一連の歌はフランスのオータンの聖堂で「エッサイの樹」を見て作ったものだが、ここでは写真は撮れなかったので、失礼する。
以下、『嬬恋』に載せた私の歌の一連を引用する。
エッサイの樹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
「エッサイの樹から花咲き期(とき)くれば旗印とならむ」とイザヤ言ひけり
エッサイは古代の族長、キリストの祖なる家系図ゑがく聖堂
ダビデ王はエッサイの裔(すゑ)、マリアまたダビデの裔としキリストに継ぐ
その名はもインマヌエルと称さるる<神われらと共にいます>の意てふ
聖なる都(エルサレム)いのちの樹なる倚(よ)り座(くら)ぞ「予はアルパなりはたオメガなり」
樹冠にはキリストの載る家系樹の花咲きつづくブルゴーニュの春
オータンの御堂に仰ぐ「エッサイの樹」光を浴びて枝に花満つ
とみかうみ花のうてなを入り出でて蜜吸ふ蜂の働く真昼
大いなる月の暈(かさ)ある夕べにて梨の蕾は紅を刷きをり
月待ちの膝に頭(かうべ)をあづけてははらはら落つる花を見てゐし
「はじめに言葉ありき」てふ以後われら混迷ふかく地に統べられつ
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ここに掲出した歌の中の「はじめに言葉ありき」というのは、聖書の中の有名な一節である。あらゆるところで引き合いに出されたりする。
それが余りにも「規範的」である場合には、現在の地球上の混迷の原点が、ここから発しているのではないか、という気さえするのである。
だから、私は、敢えて、この言葉を歌の中に入れてみたのである。
前アメリカ大統領のブッシュが熱心なクリスチャンであったことは良く知られているが、彼は現代の「十字軍」派遣の使徒たらんとしているかのようであった。
中世の十字軍派遣によるキリスト世界とアラブ世界との対立と混迷は今に続いている。
はっきり言ってしまえば「十字軍派遣」は誤りだった。今ではバチカンも、そういう立場に至っている。
頑迷な使徒意識の除去なくしては、今後の世界平和はありえない、と私は考えるものであり、
この歌の制作は、ずっと以前のことではあるが、今日的意義を有しているのではないか、敢えて、ここに載せるものである。
2007年に起こったアフガニスタンでの韓国人「宣教団」の人質事件なども同様の短慮に基づくものと言える。
イスラム教徒はコーランに帰依して敬虔な信仰生活を営んでいるのであり、それを「改宗させよう」などという「宣教」など、思い上がりもいいところである。
誘拐、人質と騒ぐ前に、お互いの信仰を尊重しあうという共存の道を探りたいものである。
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