
──イスラエル紀行(2)──
--------「わが神、わが神、いかで余を見捨てしや」
------------------------(マルコ伝15章33-39)
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」声高く
イエス叫びて遂に息絶えぬ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
かぎ括弧内の言葉はイエスが息絶える最後の言葉として有名だ。
前書きの形で引用した部分が日本語にしたものである。
一般的には「エリ、エリーー」のように翻訳されているものが多いが、私がイスラエルから持ち帰った資料には「エロイ」の言葉が使われていたので、私はそれに従った。
この言葉はイエスの「人間的」な生の声として私たちの心を打つものがある。
写真①はゴルゴダの丘の「聖墳墓教会」の内部である。
写真②は聖墳墓教会内の、十字架から降ろされたイエスに葬りのための香油を塗ったとされる塗油台である。

この歌の前に
ゴルゴダは「されかうべ」の意なりイエスは衣を剥がれ真裸とされし
という歌を載せている。ゴルゴダの丘というのは、そういう意味を含んでいるのである。
10/10付けで載せたものに続くものとして私の第四歌集『嬬恋』からのものであるが、紀行文としての「ダビデの星」もお読みいただきたい。
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写真③はエルサレム近郊にある町・ベツレヘムの「聖生誕教会」の中のイエスが生まれた場所とされている所。今は銀の星型が地面にはめこまれている。
このベツレヘムの町はパレスチナ自治区の管轄下にありパレスチナ警察が厳重に固めている。
聖地巡礼のキリスト教徒の、凄い行列が出来ている。ガイドが警備員に便宜を図ってもらって、行列に並ばずに横から入れてもらった。
この教会も丘の上に位置している。
主イエス、をとめマリアから生れしと生誕の地に銀の星形を嵌む
一人では生きてゆけざる荒野なり飼葉桶には幼子入れて
私のベツレヘムでの歌である。
言いおくれたが、ゴルゴダの丘の聖墳墓教会は、キリスト教各派がそれぞれの管理権を主張する世俗的空間である。
ローマカトリックやギリシア正教、コプト派などが内部を分割管理している。詳しくは「ダビデの星」の解説文を読んでほしい。
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写真④はイスラエル北部にあるガリラヤ湖畔のナザレにある「受胎告知教会」の外観である。

イエスの母マリアは、このナザレでイエスを身籠った啓示を受けたとされる。
なお「ナザレ」とは「守る」「信仰を守る」の意味である。
この教会は世界各地からの信徒の寄進で建てられた新しいモダンな教会で、内部には世界各地の信徒の画家が描いたいくつものイエス像のモザイクや絵が壁面を埋めている。
詳しくはリンクに貼った ↑ ところをクリックしてご覧ください。
主イエスを日本の姿(なり)に描きたる長谷川ルカの真珠のモザイク
という私の歌にある通りである。つまりイエスを日本の着物姿で長谷川ルカは描いたのであった。
詳しくは、リンク設定したページにアクセスしてもらえば見られる。
イエスは伝承によれば、
ベツレヘムで生まれ、このナザレをはじめとするガリラヤ湖周辺で育ち、数々の説教と奇蹟を起したイエスは、次第に民心を捉え、一部で熱狂的な支持を得ていた。
大き瓶(かめ)六つの水を葡萄酒に変へてイエスは村の婚礼祝ふ─カナ婚礼教会─
サボテンと柘榴のみどり初めなる奇蹟にひたるカフル・カナ村
この地での私の歌である。
イエスはもともとユダヤ教徒である。しかしユダヤ教の律法学者はイエスの説く教義が律法をないがしろにするものだと考えた。
それはイエスが自分を「神の子」と称したからである。そして、人々の心を捉えたイエスの力を脅威と感じ、結果的に十字架磔刑へと導いて行ったのである。
ローマ提督ピラトから死刑の宣告を受けてから、
十字架を背負って歩くゴルゴダへの道はヴィア・ドロローサ Via Dolorosa 悲しみの道(正しくは痛みの道)と称する約1キロメートルである。
新約聖書の記述にしたがって道すじには、歴史的場所として「ポイント」(英語ではステーション)が置かれている。
毎週金曜日にはフランシスコ会の修道士が十字架を担ぎながらイエスの行進を再現する。詳しくは私の「ダビデの星」の叙事文を見られたい。
異教徒われ巡礼の身にあらざるもヴィア・ドロローサ(痛みの道)の埃に塗(まみ)る
の私の歌の通りである。
今まではローマ提督ピラトはイエスを捕らえて磔刑に処した極悪人とされてきたが、
今日では、先に書いたようにユダヤ教の律法学者たちが、イエスを捕らえ、処刑するように仕向けた、というのがキリスト教内部での通説となっている。
「視よ、この人なり」(エッケ・ホモ)ビラト言ひきユダヤの律法に盲(めし)ひし民に
だから私は、このように歌に詠んでみたのである。
今日はエルサレム及び近郊のキリスト教に因む聖地を辿りながら、少しキリストについて書いてみた。
エルサレムの地は一昨日にも書いた通り、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖地である。
したがって、ユダヤ教の聖地も多いというより、ユダヤ教の聖地は最近のユダヤ迫害による歴史的事物の展示が主となっている。
ユダヤ教とキリスト教は切り離せない。新約聖書はキリスト教の聖典であるが、旧約聖書はユダヤ、キリスト教共通の聖典である。
更に言うと、イスラム教も、この旧約聖書は教典として認めているのである。こういうところから、これらの3つの宗教は「同根に発する」と言われる所以である。
------------母ラケルが難産の末いまはの際に、その子をベン・オニと名づけたが
------------------------父ヤコブは彼をベン・ヤミンと呼んだ(創世記35-18)
行く末を誰にか問はむ生れきたる苦しみの子(ベン・オニ)はた幸ひの子(ベン・ヤミン)
私は、この歌で旧約聖書の創世記に載る、このエピソードを元に、現下のイスラエルの置かれている厳しい現実を、この歌の中に盛り込んだ。
それは「行く末を誰にか問はむ」という呼びかけの形である。こういうのを「比喩」表現と言える。
「永遠に続く思ひ出」(ヤド・ヴェシェム)と名づけたるホロコースト記念館に「子の名」呼ばるる
現下のホロコーストの哀しい思い出の、「ホロコースト記念館」での歌である。スピーカーから幼くして虐殺された子供たちの名前が読み上げられて流される。
写真⑤は、ユダヤ教会──シナゴーグに掲げられる幕である。

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聖墳墓教会や聖生誕教会、聖受胎告知教会など「リンク」を貼ったページは、私の記事に不足する写真などを補足してくれると思う。
「前のページ」や「リンク」など、次々と検索できるので、ご覧になっていただきたい。
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