K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(1月)月次掲示板
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東日本大震災から四年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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     謹 賀 新 年・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

2016年となりました。
昨年は日本では自然災害、世界的にはテロなどありました。政治の動きのことはともかく、健康には留意したいものです。 
老来、冬の寒さが身にこたえるようになってきて、すっかり意気地なしになってしまった。
しかし昨年四月には念願の第六歌集『無冠の馬』を上梓できたのが第一の悦びであります。
拙ブログは十年一日のような記事ですが、よろしくお付き合いください。

 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大伴家持
 春にあふと思ふ心はうれしくて今一年の老ぞそひける・・・・・・・・・・・・・・・・・・凡河内躬恒
 ファシズムの影濃くなりてすでにわが帰る国にはあらず日本は・・・・・・・・・・・・・渡辺幸一
 海域と言うときいっそう広域の海に浮かんだ列島は冬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 花山周子
 ゆふぞらを無人機が飛び無人機を撃つ無人機が来る 夕明かり・・・・・・・・・・・ 高野公彦
 後につづく者はなかれ と言ひおきて 発ちゆきにけり。征きて還らず・・・・・・・ 岡野弘彦
 くすり服むたびにおもへり一兵の柊二が師より賜びし「薬」を・・・・・・・・・・・・・・・ 武田弘之
 部屋ぬちにゐて木枯しの音を聞く少しづつ壊れ始める身体よ・・・・・・・・・・・・・・ 新井瑠美
 塩焼きの海老に酢橘を絞りたり海老の怒りが深いほど旨し・・・・・・・・・・・・・・・・・小島なお
 で、鍋はひとつの戦場鍋奉行裃をつけた詩語は控えよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柳沢美晴
 竹馬にのるおもしろさ楽しさに雪降る路を遠く行きたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市村八洲彦
 あたたかき体温持てる人間のペン握る手と銃握る手と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・香川ヒサ
 銃より本を──マララさん受賞のことば平和憲法ゆらぐ地に聞く・・・・・・・・・・・・・ 高尾文子
 雪の上にけもののあしあとてんてんとつづきてをりぬ母のなづきへ・・・・・・・・・・ 萩岡良博
 内戦で壊滅したるアレッポの石鹸日本にまだまだ売らる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前田康子
 あけぼのの光おごそかに世を開き凍ったまなこ射し貫けり・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 初富士の朱の頂熔けんとす・・・・・・・・・・・・・山口青邨
 恵方へとひかりを帯びて鳥礫・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房
 えんぶりの笛恍惚と農夫が吹く・・・・・・・・・・・草間時彦
 境内に入る一礼や初鴉・・・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 アイスホッケー構へて眉を鉤形に・・・・・・・・・・・岬光世
 書初や真白な子をあづかりぬ・・・・・・・・・・・・岡田幸彦
 冬帝に体毛といふ体毛を・・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武
 太陽はもはや熟れごろ初詣・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 人日やただまつすぐにバス通り・・・・・・・・・・・青木ともじ
 冬蜂の死よ天井の高くあり・・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 冬さうび抱かれて白き息となる・・・・・・・・・・・・大中博篤
 凍鶴のわりにぐらぐら動きよる・・・・・・・・・・・・・西村
麒麟
 寒林に向かふを知られてはならず・・・・・・・・・青本柚紀
 塞ぎたる北窓と仮面の指紋・・・・・・・・・・・・・・ 青山青史
 男湯と女湯代はる去年今年・・・・・・・・・・・・・・ 小池康生
 洞窟の画は初夢に狩りしもの・・・・・・・・・・・・・中村清潔
 マフラーに大き黒子の隠さるる・・・・・・・・・・・山下つばさ
 冬麗や平らな靴に足ほてる・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 スケートや渦抜けたくて抜けられず・・・・・・・・・杉原祐之
 霜柱係累にまた一祠づつ・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 大さむ小さむ音なく数行削除・・・・・・・・・・・・・・・ 高梨章
 お団子は串に粘つて道に雪・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 初日の出中継エデンの東より・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 裏面に粉雪溶けてゐる割符・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 冬銀河縄文土器と京友禅・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 一年が眠り歌留多に金ひとすじ・・・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 空きビルの落書き消えず越年す・・・・・・・・・・・ 工藤定治
 麻雀のルールを賀詞に続けをり・・・・・・・・・・・ 津野利行
 借景の冬のポプラはなほ高く・・・・・・・・・・ ・・ きしゆみこ
 初扇静かに閉ぢて仕舞とす・・・・・・・・・・・・すずきみのる
 二両車の初日はさみて曲りをり・・・・・・・・・・・ 薮内小鈴
 冬銀河子が減り子守唄が減り・・・・・・・・・・・・ 折勝家鴨
 寒苺累々と乳を垂れあへり・・・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 ホと息が前へ連なる寒の内・・・・・・・・・・・・・・・ 北川美美
 杖買うて使はずかへる初弘法・・・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 雪折の雪に溺れてゆくごとし・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮士
 膝を抱く胸のふくらみ寒牡丹・・・・・・・・・・・・・・・下楠絵里
 大寒にサムといふ名を付けにけり・・・・・・・・・・・吉川わる
 さよならはLEDの青に降る雪・・・・・・・・・・・・・・・・奥村明
 関節に冬日をこぼしカルテット・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 名を呼べば膝に来る猫冬はじめ・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 それぞれの高さに折れて枯蓮(はちす)・・・・・・ 桑田佳穂
 蝋梅は人を傷つけたく震え・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 冬ざるる空き箱に紐ただかける・・・・・・・・・・・・・・ 七風姿


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下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

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 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
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茶圃の施肥はじめむとする頃ほひは三寒四温北風さむし・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
茶園

    茶圃の施肥はじめむとする頃ほひは
       三寒四温北風さむし・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集「嬬恋」(角川書店)に載るものである。
「寒」に入った寒さも、一本調子ではなく、強弱のリズムを刻んで進んでゆくものである。こういうのを中国の古人は「三寒四温」と呼んだ。
峻烈を極めていた寒さも、この言葉通り「三寒」と「四温」が交互に来るようになってきた。 嬉しいことである。

木津川堤 003

写真②が私たちの「木津川」沿いの「冬」の茶園の集団である。朝なので霜が降りている。
この茶園は玉露、抹茶原料の碾茶用の高級茶の茶園で「手摘み」である。

茶の芽が動き出す前の冬季に「寒肥」という油粕などの有機質の肥料を与える。
大半の肥料は晩秋から初冬にかけての「秋肥」の時期に与えてしまうが、その補助的な施肥である。茶の樹の場合には化学肥料は殆ど与えない。
特に最近は「有機栽培」ということが、やかましく言われるが、茶に関しては昔から魚粕や油粕などを与えてきた。これらの肥料は茶の樹を養うためのものである。
お茶は他の農作物と違って、茶の葉を摘み取るものであるから、茶の樹をしっかり生育させなければならない。

「三寒四温」を詠んだ句は多くはないが、それらを引いて終る。

 凍てつぎて四温たまたま石蕗の濡れ・・・・・・・・飯田蛇笏

 軒しづく頻りに落つる四温かな・・・・・・・・・・白 樹

 三寒の心小さく炭をつぐ・・・・・・・・・・洲 風

 藁かごに乳のみ児あそぶ四温かな・・・・・・・・・・青水草

 三寒の日は蒼かりし山おもて・・・・・・・・・・三宅一鳴

 白珠の四温の星のうるむなり・・・・・・・・・・白葉女

 胎中の胎児三寒四温越ゆ・・・・・・・・清水基吉

 三寒四温ゆゑ人の世の面白し・・・・・・・・大橋越央子

 三寒の四温を待てる机かな・・・・・・・・石川桂郎

 雪原の三寒四温浅間噴く・・・・・・・・相馬遷子

 四温の日低き歓語の碁石たち・・・・・・・・吉田銀葉

 三寒のくらがりを負ふ臼一つ・・・・・・・・八重津苳二

 父の日の花買ひに出し四温かな・・・・・・・・細田寿郎



京言葉もて寄鍋の世話をする・・・・・・・・・・・・・・・・奥田可児
P1010510寄せ鍋

──季節の一句鑑賞──季節の鍋2態──

     ■京言葉もて寄鍋の世話をする・・・・・・・・・・・・・・・・奥田可児

冬の団欒の食べ物としては「鍋」ものがいい。
今日は「寄せ鍋」と「鍋焼きうどん」を採り上げる。
「寄せ鍋」に入れるものは何でもよいのである。
魚、貝、鶏肉、野菜などを味付けした汁で煮て食べてもよいし、「水炊き」にしたものを「ポン酢」とおろし大根で食べても、おいしい。
地域によっては「たのしみ鍋」とも呼ばれたらしい。季節のいろいろな材料をとりまぜて煮て食べる鍋料理である。
海鮮の材料が多いものは「沖なべ」「沖すき」などと称する。

image01寄せ鍋

 又例の寄せ鍋にてもいたすべし・・・・・・・・高浜虚子

 寄鍋やたそがれ頃の雪もよひ・・・・・・・・杉田久女

 寄鍋や剥き蛤のふくむつゆ・・・・・・・・関谷嘶風

 寄鍋の湯気やはらかし家長たり・・・・・・・・戸川稲村

 寄鍋や酒は二級をよしとする・・・・・・・・吉井夏生

 よせ鍋や松葉模様のちりれんげ・・・・・・・・塩川星嵐

 沸々と寄鍋のもの動き合ふ・・・・・・・・浅井意外

 寄せ鍋や酔へば口つく国訛・・・・・・・・森野敏子
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085-l鍋焼きうどん

      ■鍋焼や芝居で泣いて来たばかり・・・・・・・・・・・・・・三宅絹子

「鍋焼き」は本来、土鍋に鶏肉や魚を入れ、野菜を加えて醤油で味付けして煮て食べるもの。
「土手焼き」というのは土鍋に味噌を塗り、魚、せりなどを入れて煮ると味噌が焦げて香りとなり、また汁と溶けて、よい味になる。
この頃では「鍋焼きうどん」の方を専ら指すようになった。
饂飩(うどん)に、かまぼこ、ねぎ、ほうれん草、鶏肉などを加えて、汁をたくさんにして土鍋で煮る。真ん中に生卵をひとつ落したりする。

udon豆乳鍋焼き

写真④は「豆乳鍋焼きうどん」である。
水の代りに「豆乳」を使うところがミソで、豆乳特有の甘みがあり、大豆なので極めて健康的である。

 鍋焼の火をとろくして語るかな・・・・・・・・尾崎紅葉

 鍋焼ときめて暖簾をくぐり入る・・・・・・・・西山泊雲

 酒よりも鍋焼を欲り老い兆す・・・・・・・・滝春一

 なべ焼食べて子は子の家に戻るべし・・・・・・・・安住敦

 鍋焼を吹いて食べさす子守婆・・・・・・・・滝沢伊代次

 ねもごろに鍋焼饂飩あましけり・・・・・・・・村上麓人

 鍋焼の屋台に細き煙出し・・・・・・・・・富永ひさし


藤原光顕の歌「あとさきもなく③」・・・・・・・・・・・木村草弥
芸自_NEW

──藤原光顕の歌──(24)

       藤原光顕の歌「あとさきもなく③」・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・・「芸術と自由」誌2016/No.303所載・・・・・・・・

      あとさきもなく ③      藤原光顕

 兎の形から石ころでええに替わる墓などどうでもいいほどに苦しいのか

 点滴は鎮痛剤と鎮静剤 見守るしかない時間 ドラマではない

 冷えてゆく頬を撫でる 包み込む 撫でる どこへ行くんや

 するすると吸い込まれる棺 どんづまり これが最後だ

 切羽詰まった訴えが誰にも聞きとれないまま黙ってしまったあの時

 遅かった庭のランタナ待ちわびて見ぬまま妻は逝ってしまった

 咲き盛るランタナの横へ立たせてみる あの笑顔で佇たせてみる

 卵焼きの色は淋しい 少しずつひとり暮らしに慣れていくのか

 今にして難病の保険のつもりだったと知る若いのに買い急いだ墓のこと

 陽ざし白い京の街 風がぬけるとなにもかもこんなに遠い
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妻を亡くした藤原さんの「嘆き」の一連である。
終りから三行目の歌の「少しずつひとり暮らしに慣れていくのか」の詩句が哀切である。
私事だが、この四月が来ると私の妻が亡くなってから丸十年になる。
ようやく私も「一人暮らし」が身につくようになった昨今である。
藤原さん、どうぞ、奥さんとの追憶に浸ってください。


急流のごとき世なれどおでん酒・・・・・・・・・・・・百合山羽公
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       急流のごとき世なれどおでん酒・・・・・・・・・・・・百合山羽公

「おでん」は外でも家でも、冬の代表的な、あたたかい料理である。
『語源由来辞典』によると、「おでん」は「田楽(でんがく)」の「でん」に、接頭語の「お」をつけた女房詞、だという。
つまり、もともとは「煮込み田楽」の略称だった。東京が本場で味付けも濃いが、関西では「関東煮」(かんとだき)と言われていたが、今では、どこでも「おでん」で通る。
もともとは焼き豆腐に味噌をつけたものだったというが、こんにゃくが使われ、菜飯田楽になり、やがて煮込みのこんにゃくとなって、今日の煮込みおでんに変わったという。
焼き豆腐、こんにゃく、がんもどき、はんぺん、竹輪、すじ、だいこん、鶏卵などを煮込んだもので、芥子をつけて食べる。

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屋台やおでん屋では、おでんに燗酒、茶めしなどを組み合わせて食べられる。今では晩秋の頃から「コンビニ」のカウンターでも、おでんがクツグツ煮えている。
私の家の近所に大きな蒟蒻製造会社があるが、そこは先年から、コンビニのセブンイレブンに、おでん材料を売り込んでいるらしい。
とにかく、いろいろの種や具があり、冬の季節には、温まる、庶民的なたべものである。

掲出の句は「急流のごとき世」という出だしが、今の世相にぴったり合うのでいただいた。

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以下、おでんを詠んだ句を引いて終わる。

 戸の隙におでんの湯気の曲り消え・・・・・・・・高浜虚子

 人情のほろびしおでん煮えにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 亭主健在おでんの酒のよいお燗・・・・・・・・富安風生

 おでん食ふよ轟くガード頭の上・・・・・・・・篠原鳳作

 おでん屋の月夜鴉の客ひとり・・・・・・・・龍岡晋

 すべて黙殺芥子効かせておでん食ふ・・・・・・・・佐野まもる

 おでん酒うしろ大雪となりゐたり・・・・・・・・村山古郷

 煮えたぎるおでん誤診にあらざるや・・・・・・・・森総彦

 大根細く侘しきことやおでん鍋・・・・・・・・中江百合

 おでんやは夜霧のなかにあるならひ・・・・・・・・久永雁水荘

 おでん屋に同じ淋しさおなじ唄・・・・・・・・岡本眸

 おでん鍋の湯気を小さく皿に頒つ・・・・・・・・手塚七木

 おでん屋の背の灯のいまだ更け足らず・・・・・・・・・久米正雄

 おでん屋に溜る払も師走かな・・・・・・・・日野草城

 おでん酒酌むや肝胆相照らし・・・・・・・・山口誓子

 雨だれにおでんのゆげのすぐもつれ・・・・・・・・阿波野青畝

 例へばやおでんの芋に舌焼く愚・・・・・・・・安住敦


中西弘貴詩集『虫の居所』と『右原厖全詩集』を読む・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
中西弘貴
 ↑ 『虫の居所』外箱

──新・読書ノート──

     中西弘貴詩集『虫の居所』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・・・・思潮社1999/11/20刊・・・・・・・・・

この人「中西弘貴」については ← この記事に書いたことがある。リンクになっているのでお読みいただきたい。
長らく「右原厖(うはら・ぼう)」に師事して作品を磨いて来られたが、大阪文学学校などにも関わって来られた。
先年亡くなった三井葉子さんとも親しく、「三井葉子詩集『灯色醗酵』を読む」評を書いたりされた。
今回、アマゾンの中古本で、この詩集を買い求めた。新品同様のものである。
画像で見られるが、この本の装丁は本人がやられたそうで、カット画なども面白いものである。
この詩集の後に出された『飲食』は2008年度の第19回富田砕花賞を受賞している。
私は、この受賞の前に出た本書『虫の居所』こそ受賞に至る伏線として重視したい。 先ずは題名になっている「虫の居所」の詩を引いてみる。

     虫の居所・・・・・・・・・中西弘貴

   かわいそうに と
   祖母がいう
   お前の気立が悪いのは
   お前の身中に
   悪い虫が棲んでいるからだ

   だからおまえは と
   かさねていう
   朝飯の前
   毎日 門口に立って
   外に向って
   悪い虫をば吐き出さねばならん

   ハァーと吐いた
   グォアーと出した
   ときには
   声を殺して
   白い息だけ吹いて

   以来
   なんじゅうねん
   祖母が喝破したわが内なる虫は
   出たか
   出たか
   いまだ出てはおるまい
   それが証拠に
   理由(わけ)もなく渡世の怒りが胃袋をせり上り
   名状しがたい哀しみが胸を絞めるのだ

   虫よ
   ここか
   それとも ここか
----------------------------------------------------------------------------
俗に「虫の居所が悪い」などという「気分」のことであろう。
彼はかなりの激情家らしいと私は見る。

彼・中西弘貴は1942年京都生まれ、と詩集の略歴に書いてある。
著書として
  詩集『消息』(1978年10月)
  詩集『水獄』(1984年月)
  詩集『花街』(1990年10月)
  詩集『虫の居所』(1999年11月)
  詩集『飲食』(2007年8月1日)
がある。
この本『虫の居所』の「あとがき」に

< 九年前、『消息』『水獄』に続く『花街』を出し、三部作を完結した。
  そのあとがきにこう記した。
  「私自身の存在に付着する〈花街〉の吐瀉に、三冊の詩集を必要とした」と。
  二十六年の歳月がかかった。
  以後詩作を断ったが、実生活上に思いがけない変化があって、初めて京都を
  離れ、相模湾に面したかつての魚村でのひとり暮しを重ねることとなった。
  静かな時間、〈花街〉の〈人〉が花のかたちに変幻して、私のなかを去来した。
  私のなかに棲む虫がさわいで火のかたちを求めた。
  もう詩集を編むことはあるまいと、と思っていたのだが、ぼちぼちの連作が本
  稿である。
  『花街』で果せなかった《遊び》と《祈り》のただなかを浮遊する軽みのよう   
  なものを書きとめたいと希っているが、・・・・・・ >

と書いている。
『花街』以前の詩集が今てもとにないまま、何かここに書くのは適当ではないと思うので控えておく。
ただ「私自身の存在に付着する〈花街〉の吐瀉に、三冊の詩集を必要とした」という記述は重い表白だろうと思う。

     虫のかたちで・・・・・・・・・中西弘貴

   ひと以上と
   だいそれたことは
   よう云わんが

   ひとなみに
   何事かを為そうとし

   ひとなみの
   労も苦もなめてもきた


   ひとしれず
   歯ぎしりの
   憂き世の取捨も選択も

   為しえなかった何事かは
   語らず
   まあ ええやないか
   事も無く
   こはこれでよしとせにゃ と
   ささやくカミもホトケもいて

   老いた虫は得心した。

   なればこそ
   ここはいちばん
   事の始末はつけねばならん

   ドウジャ と
   あおむけに寝転んで
   手足で印を結んで

   ひとなみではない
   虫のかたちで

この詩集には全部で34篇の作品が載っているが、ⅡとⅢには、いわゆる「花街」のことが詠われている。
つまり前詩集の後を引いているということである。
先に引いた「あとがき」の「私自身の存在に付着する〈花街〉の吐瀉に、三冊の詩集を必要とした」という部分は、「相模湾に面したかつての魚村でのひとり暮しを重ね」ても、
「吐瀉」は終わっていなかったように見える。
人間だれしも、簡単に「線を引ける」ものではない。
作者以上に馬齢を重ねてきた私なぞには、よく判るのである。「過去」「現在」「未来」は、ひと連なりのものである。
作者が、花街で、どういう役割の生活をしてきたのかは知らないが、次の詩集『飲食』では、それらを乗り越えたように感じる。
その「走り」になったのが、本書の巻頭にのる「虫」の一連九つであろう。
「花街」から『飲食』に至る「橋」になっている作品群かと思うのである。
その意味では、この詩集を『虫の居所』と題されたのは成功しているだろう。

Ⅱ.から二つほど作品を引いておく。

     花客・・・・・・・・・中西弘貴

   花を求めて来たと
   言ってよいか
   両手に余る歳月をかけて
   宿借り継いで来たと
   語ってよいか
   およそ暮れ急ぐ方角を見定めて
   橋渡って来たと
   謡ってもよいか

   時なるかな 客
   いかなる花の
   いかなる風体を
   おもいめぐらせたか

   切実には
   花に時節なく
   花に情事なく
   花 客を待たず

   客 過ぎゆくのみ
   遠方へ

      花の始末・・・・・・・・中西弘貴

   咲きかたは知らず
   咲かせかたには思案およばず

   秘せねば花になるべからず   
   と
   思いの深さも
   約束の固さもあり

   トンと背中を突かれて
   この身ひとつの
   花への捨身

   湯舟に浸る
   裸身をはんなり染め
   散りかたは
   何事かを秘することによって
   始末をつける
-----------------------------------------------------------------------------
私のような多弁な、散漫な叙述ではなく、言葉を吟味した寡黙な詩である。
右原厖に師事して作品を磨いて来られたことが伺われるような作品である。

     『右原厖全詩集』を読む・・・・・・・・・木村草弥

右原
 ↑ 2004/05/19編集工房ノア刊

中西弘貴の関連と言っては何だが、厚さ五センチもある『右原厖全詩集』というのをアマゾン中古本で格安に買った。
「編集」者として名前の出ている「日高てる」「中西弘貴」「田子登代子」の三人のうちの著者の長女である田子登代子の名前の載る謹呈札が入っている。
本にかかっている硫酸紙が手摺れしている他は新本同様の本である。
この全詩集は、生前、右原厖さんが熱望していたということで刊行されたもののようだが、「謹呈」された本が、碌に読まれずに売り払われる現実が悲しい。

巻末の「年譜」によると、本名・中井愛吉。1912年奈良県・現・橿原市生まれ。1934年奈良師範学校卒業。1973年深江小学校を退職するまで教職にあった。
先に、日高てるさんの文章に「エンジニア」とあったので、そう信じていたが、本職は教師だったと判明。
エンジニアというのは、「推進者」という意味の日高さんによる比喩だったと知る。 2001年10月1日90歳で死去。
それにしても「右原厖(うはら・ぼう)」などという難しいペンネームをつけたものである。
小野十三郎の始めた「大阪文学学校」の講師を長らく勤められた。中西弘貴は、ここでの通信教育の生徒であったという。
この大阪文学学校の関係から三井葉子さんとも親しかったのであろう。

この本は膨大な内容のものなので、どこから手をつけたらいいか判らないので、二、三私の好きな詩を引いておく。

     村・・・・・・・・・右原厖

   一列ポプラが立ち並び
   村では兎を飼つていた。
   廂につるした千頭葱の光沢もまばらに
   ひとかたまりの雲の下、
   子とははは
   当来のきのこのじくを裂いていた。
   世は 時は また何事もなかつた。
   首を弓にして啼くにわとりにこたえ
   雞舎を覗けば
   うみおとしたばかりの卵子を
   赤腹の夜守の奴が抱き占めていた。
   往還とおく、 人往かず
   ひと来らず、
   三里四方を立ちのぞむ屋根に上から
   抜きとつたぺんぺん草を風に捨てる。
   梯を倒す横木の中。
   かすかな櫛目できんの微雨は光るのだが
   ねつからつちは濡れてない。
   微恙の身は。
   日没を逐うて草野にひろがるかの大きい耳雲のうしろ   
   オパールの馬を見た。                    詩集『砦』より

      いちじくの木の下に・・・・・・・・右原厖

   バイブルの一頁をひらくように
   一日があけ あさの雨に
   いちじくの木の枝股がぬれている
   バイブルの一頁よりも小さな裏庭の
   隣家ざかい
   いちじくの木の下に闇が存在する
   ははの遺髪をそこに埋めた日からだ
   たばねてまいた毛髪の
   闇はいくすじそだっている
   闇は土中にそだっている
   一日は一日として 一年は一年として
   百年 千年
   砂漠にそだった呪詛と狂気
   の うらがえしの書
   バイブル
   花なくて実となりふくらんで自ら裂けては鳥けだものの餌食となる
   そのいちじくの木の中で
   そだっているまっくら闇
   血の闇
   わたしはぶあついバイブルを持たない
   いちじくの木のあるところ
   禁欲をかたくまもって根土のうえを踏むことはない
   樹液が闇を吸いあげる 日毎
   ぬれ 又
   さらにかわき
   砂漠に砂をまきかえすように
   バイブルにまきちらされた活字どもだ          詩集『それとは別に』より

      ノラの貞節・・・・・・・・右原厖
   
   樹木たちがかたくかたく夜をかい抱いてはなさないので
   昼は どうしても時間の内部へ這入れない
   おちてくる陽ざしはハガネの飛沫となってくだけとび
   すずしい樹影は賢明に身をかわして逃げのびる
   一の枝から二の枝へ 三の枝から四の枝へ
   樹木は垂直な階段だから きみはかけ上る
   きみは鳥となって 飛びたつ
   その羽根櫛を折るために ケシ粒大の二つの眼をついの盲とするために
   見上げる紫紺のそらのまん中に解放されるのは
   誰だろう 眼くらみ ─── ノラは素裸になりだがっている        詩集『神々のフラスコ』より


この詩集の「栞」に中西弘貴が「師・右原厖」という文章を書いている。8ページ半に及ぶものだが、何年間にもわたって数十篇の詩を提出し、厳しい反応にあったと書いている。
その甲斐あっての今の自分があるというが、厳しい中にも心温まる師弟愛である。
不完全ながら紹介を終わりたい。








     
冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥
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       冬日よりあをしイエスを描きたる・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

「冬日」とは、冬の太陽のこと、とも、冬の一日のこと、を指すこともある。
冬至が過ぎたので、昼の長さもどんどん長くなり、日差しも斜めから差していたものが、だんだん中天に向かって高くなってくる。
とは言え、まだまだ弱々しい太陽光線である。冬日というものを映像的に示すのは難しい。だから、掲出の野見山朱鳥(あすか)の句を挙げることにした。

rouault_20ルオー キリスト

写真はジョルジュ・ルオーの連作<ミゼレーレ>の描く「キリスト」像である。
野見山朱鳥という人については私は多くを知らないが、先にも引用したが

 北風へイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・野見山朱鳥

の句にもある通り、或る拘りがあるのは確かだろう。クリスチャンかも知れない。
「冬日よりあをし」という把握の仕方が独特である。ルオーの<ミゼレーレ>の連作のキリストは、確かに「青いキリスト」を描いているのである。

ここでジョルジュ・ルオー Georges Rouault について少し書いておきたい。
ルオーは1871年パリ北東部のラ・ヴィレット街で生れる。はじめステンドグラス職人の徒弟になる。1890年エコール・デ・ボザールに入学、エリ・ドローネの教室に入る。
92年ドローネの後任としてギュスターヴ・モローが教授に就任、ルオーはモローに師事。
98年モローが亡くなり悲嘆にくれるが、5年後の1903年モロー邸がモロー美術館になり、ルオーは初代館長となる。同年サロン・ドートンヌの創設に参加。
1924年レジオン・ドヌール勲章を受章。1958年2月13日、パリの自宅で死去。87歳だった。国葬がサン・ジェルマン・デ・プレ教会で営まれた。
フランスは熱心なカトリックの国であり、ルオーが生涯をかけてキリストを描いたという縁で絶大な国民的支持を得ていたからである。
キリストの生涯を Miserere ミゼレーレという把握の仕方で描く、という独特の視点を持った画家であり、世俗的にもレジオン・ドヌール勲章受賞や国葬という最高の待遇を受けたのであった。

ルオーの紹介が長くなったが、話を「冬日」に戻したい。

 冬の日や馬上に氷る影法師・・・・・・・・松尾芭蕉

という句が、総じて、日照時間の短い、弱々しく、うすぐらい太陽のことを描いた典型として知られている。
以下、冬日ないしは冬日和、冬晴、冬麗(うらら)などを詠んだ句を引いて終わる。

 冬の日の刈田のはてに暮れんとす・・・・・・・・正岡子規

 山門をつき抜けてゐる冬日かな・・・・・・・・・高浜年尾

 冬の日や前に塞がる己が影・・・・・・・・村上鬼城

 翔けるものなく天城嶺の冬日かな・・・・・・・・五所平之助

 冬の日を鴉が行つて落して了ふ・・・・・・・・橋本多佳子

 死や生や冬日のベルト止むときなし・・・・・・・・加藤楸邨

 冬落暉檻のけものら声挙げて・・・・・・・・三谷昭

 遺書父になし母になし冬日向・・・・・・・・飯田龍太

 山国や夢のやうなる冬日和・・・・・・・・阿波野青畝

 父の死顔そこに冬日の白レグホン・・・・・・・・森澄雄

 寒入日影のごとくに物はこばれ・・・・・・・・桂信子

 冬晴れの晴着の乳を飲んでをる・・・・・・・・中村草田男

 冬日和心にも翳なかりけり・・・・・・・・星野立子

 冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ・・・・・・・・大野林火

 冬麗口紅のこる微笑仏・・・・・・・・古館曹人

 冬麗の微塵となりて去らんとす・・・・・・・・相馬遷子


誰彼の生死気になる冬ごもり・・・・・・・・・・・・・・古賀まり子
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    誰彼の生死気になる冬ごもり・・・・・・・・・・・・・・古賀まり子

「立春」を目前にして、今に「冬ごもり」の作品を挙げておかないと時期を失するので急遽のせることにする。

「冬籠」ふゆごもり、とは冬の寒さを避けて、あたたかくした一間にこもって暮らすことをいうが、現代生活においては、そういうことは不可能である。
暑くても寒くても出かけて行って仕事などをしなくてはならないからである。
北国では外に出ずに家にこもる。こたつ、いろり、ストーブの周りで寒さを避けている。
樹木は支えをつけ、花の木も雪囲いをし、家の周りには雪を防ぐ特別の囲いをする。
古代では、冬のうちは、人は静止的な物忌みの禁欲生活に入り、仮死のような状態にあり、復活によって蘇生し、物忌み状態を脱却するのが「はる」であると考えられていた。
自然物も冬には同様の状態になる。それが「冬ごもり」であった。
俳諧では専ら「人」について言うようになった。

松尾芭蕉の

     冬籠りまたよりそはん此の柱

     折々に伊吹を見ては冬籠り

     金屏の松の古さよ冬籠り

与謝蕪村の

     桃源の路地の細さよ冬籠り

黒柳召波の

     住みつかぬ歌舞伎役者や冬籠り

などの句が「冬籠り」の典型的なものであるとされている。
今日では、多分に「比喩」的な意味で「冬ごもり」という表現を捉えた方がよいだろう。
中国からもたらされた表現だが、「一陽来復」という言葉があるように、それまでの季節は、せいぜい忍耐の、雌伏の季節だろうということである。
その方が、「春」になつたときの開放感、喜びも大きい、というものである。

去年の夏は記録的な酷暑だったので、暑気を越せなくて、老人がたくさん死んだ。
私のような齢になると、一年一年が勝負である。 まさに掲出のような心境である。

以下、「冬籠り」を詠んだ句を引いて終わる。

 書きなれて書きよき筆や冬籠・・・・・・・・正岡子規

 冬籠人を送るも一事たり・・・・・・・・高浜虚子

 冬籠座右に千枚どほしかな・・・・・・・・高浜虚子

 人間の海鼠となりて冬籠る・・・・・・・・寺田寅彦

 いまは亡き人とふたりや冬籠・・・・・・・・久保田万太郎

 死んでゆくものうらやまし冬ごもり・・・・・・・・久保田万太郎

 鏡とりて我に逢はばや冬籠・・・・・・・・原月舟

 読みちらし書きちらしつつ冬籠・・・・・・・・山口青邨

 香の名をみゆきとぞいふ冬籠・・・・・・・・竹下しづの女

 夢に舞ふ能美しや冬籠・・・・・・・・松本たかし

 木の洞にをる如くをり冬籠・・・・・・・・上野泰

 相寄りしいのちかなしも冬ごもり・・・・・・・・安住敦

 冬籠伴侶の如く文机・・・・・・・・上野泰

 戦へる闇と光や冬籠・・・・・・・・・野見山朱鳥

 もう急がぬ齢の中の冬籠・・・・・・・・村越化石

 冬ごもり鶏は卵を生みつづけ・・・・・・・・鈴木真砂女

 冬籠文来ぬは文書かぬゆゑ・・・・・・・・高木時子



みぞるるとたちまち暗し恐山・・・・・・・・・・・・・・・・・五所平之助
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──季節の一句鑑賞──冬の風雨3態──

       ■みぞるるとたちまち暗し恐山・・・・・・・・・・・・・・・・・五所平之助

「霙」ミゾレとは、雨と雪が同時にまざり降るのをいう。冬のはじめや春のはじめに降ることが多い。
ちょっとした気温の変化で、雨になったり、雪になったりするし、同じ町の山手は雪なのに、下町ではミゾレのこともある。
掲出の句は映画監督の五所平之助の作品で、私も初めて目にするものである。
私も一度だけ、ここ陸奥(みちのく)の下北半島の「恐山」(おそれざん)には行ったことがある。
ここの祭事のときでもない限り、ただの茫漠とした荒地という感じである。ただ硫黄の匂いが鼻をつき、噴火口なのだと実感する。
霊よせの「いたこ」などが集う時期だけが、おどろおどろしい雰囲気になるのだと思う。
写真①はその風景のひとつ。

「霙」という名詞に対して、この句では「みぞるる」という「動詞」になっている。

 おもひ見るや我屍にふるみぞれ・・・・・・・・原石鼎

 霙るるや灯(ともし)華やかなればなほ・・・・・・・・臼田亜浪

 霙るると告ぐる下足を貰ひ出づ・・・・・・・・中村汀女

 みぞれ雪涙にかぎりありにけり・・・・・・・・橋本多佳子

 霙るるや小蟹の味のこまかさに・・・・・・・・松本たかし

 夕霙みんな焦土をかへるなり・・・・・・・・下山槐太

 みちのくの上田下田のみぞれけり・・・・・・・・角川源義

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       ■樹には樹の哀しみのありもがり笛・・・・・・・・・・・・木下夕爾

冬、風が吹いて、垣根の竹や竿竹などに当たるとき発するひゅーひゅーという音のことを「虎落笛」(もがりぶえ)という。
「もがる」というのは「反抗する」「さからう」「我を張る」「だだをこねる」などの意味を表す言葉で、竿や棒にあたる風が笛のように立てる音である。

 虎落笛子供遊べる声消えて・・・・・・・・高浜虚子

 日輪の月より白し虎落笛・・・・・・・・川端茅舎

 胸郭の裡を想へば虎落笛・・・・・・・・日野草城

 みちのべの豌豆の手も虎落笛・・・・・・・・阿波野青畝

 虎落笛吉祥天女離れざる・・・・・・・・橋本多佳子

 余生のみ永かりし人よ虎落笛・・・・・・・・中村草田男

 虎落笛叫びて海に出で去れり・・・・・・・・山口誓子

 虎落笛ひとふしはわが肺鳴れり・・・・・・・・大野林火

 虎落笛こぼるるばかり星乾き・・・・・・・・鷹羽狩行

 灯火の揺れとどまらず虎落笛・・・・・・・・松本たかし

 来ずなりしは去りゆく友か虎落笛・・・・・・・・大野林火

 牛が仔を生みしゆふべの虎落笛・・・・・・・・百合山羽公

 今日と明日の折り目にふかきもがり笛・・・・・・・・永作火童

001冬景色本命

       ■北風やイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

冬の季節風は北風で、強く、かつ寒い。シベリア高気圧が発達して、アリューシャン大低気圧に向かって吹く風だと今までは言われてきたが、
今では地球規模の気圧変動が北半球では「偏西風」に乗ってやって来るのだという。
昨年の冬のはじめにヨーロッパに寒波をもたらしたものが、どれだけかの日時を経て、日本に到達したのが、昨年暮からの寒波だという。
おまけに、この偏西風が大きく南に蛇行して寒気を南まで吹き降ろしたものだという。
その偏西風の蛇行の結果、アメリカでは中西部に続いて、北東部でも激しい豪雪に見舞われて大変である。
とは言え、日本海側は吹雪、太平洋側は空っ風というのは変わりないことである。

「北風」と書いて、単に「きた」と読むこともある。
この句で詠まれている「イエスの言葉」というのは、どんな言葉だろうか、読者の方、お教え願いたい。

 北風(きた)寒しだまつて歩くばかりなり・・・・・・・・高浜虚子

 北風にあらがふことを敢へてせじ・・・・・・・・富安風生

 くらがりやくらがり越ゆる北つむじ・・・・・・・・加藤楸邨

 北風(きた)の丘坂なりにわが庭となる・・・・・・・・加藤楸邨

 北風や青空ながら暮れはてて・・・・・・・・芝不器男

 耳傾く北風より遠き物音に・・・・・・・・大野林火

 北風荒るる夜のそら耳に子泣くこゑ・・・・・・・・森川暁水

 北風鳴れり虚しき闇につきあたり・・・・・・・・油布五線

 北風の砂丘を指す馬ならば嘶かむ・・・・・・・・金子無患子


温石の抱き古びてぞ光りける・・・・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏
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──季節の一句鑑賞──冬の暖房3題──

      ■温石(をんじゃく)の抱き古びてぞ光りける・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏

温石オンジャクとは昔なつかしいものである。
写真①は「蛇紋石」を細工して磨き上げ、いわゆる「温石」用にしたもの。
石を熱湯で暖め、布で包んで身体にあてて暖めたのである。この句の作者は山梨県の昔の人であるから、この頃には普通に見られたものであろうか。
歳時記を見ると、長野県高遠辺で採れる黒い石─その名も温石石も広く用いられたという。また石の代りに「こんにゃく」なども茹でて使われたという。
これを器具化したものが「懐炉」であり、これにも色々のものがあった。
私の母も懐炉のことを「おんじゃく」と呼んでいた。これも「温石」の本来のものの呼び名が変化して使われていたものである。

 草庵に温石の暖唯一つ・・・・・・・・高浜虚子

 温石のただ石ころとさめにけり・・・・・・・・野村喜舟

 温石や衾に母のかをりして・・・・・・・・小林康治

 温石の冷えて重しや坐薬了ふ・・・・・・・・木附沢麦青

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       ■みたくなき夢ばかりみる湯婆(たんぽ)かな・・・・・・・・久保田万太郎

「ユタンポ」は今でも使われているもので、ブリキ製、プラスチック製、ゴム製などさまざまある「保温器具」である。 掲出したのは「銅」製で高価なもの。
中に入れるのは熱湯だから、それ以上には過熱しないから、安全で、むっくりした温さのものであった。
『和漢三才図会』には「湯婆 太牟保(たむぽ)。唐音か。按ずるに湯婆は、銅をもつてこれを作る。大きさ、枕のごとくして、小さき口あり。湯を盛りて褥傍に置き、もつて腰脚を暖む。よりて婆(うば)の名を得たり。竹夫人とこれと、もつて寒暑懸隔の重器たり」と書かれている。寒さの折の身辺の必要品であったことを面白く記している。
折しも厳しい寒さの今冬とあって、しかも節電も言われて「ユタンポ」が見直されて、よく売れているらしい。
私は二月七日生まれだが、この年は大変寒い年で、私は病弱でもあったから、「陶」製の、かまぼこ型のユタンポを体の両脇に二個抱えて寝かされていたらしい。
上部に穴があって、お湯を注ぐ式のものである。 母から、よく聞かされた。

 碧梧桐のわれをいたはる湯婆かな・・・・・・・・正岡子規

 湯婆の一温何にたとふべき・・・・・・・・高浜虚子

 寂寞と湯婆に足をそろへけり・・・・・・・・渡辺水巴

 老ぼれて子のごとく抱くたんぽかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 湯婆や忘じてとほき医師の業・・・・・・・・水原秋桜子

 湯婆抱く余生といふは侘しくて・・・・・・・・栗生純夫

 ゆたんぽに足あたたかく悲しかり・・・・・・・・三浦ふみ

I01091817122648手あぶり

       ■手あぶりや父が遺せる手のぬくみ・・・・・・・・・・・北さとり

「手焙」とは小さな個人用の火鉢で、手をあぶるのに使うが、膝に乗せるほどのものもある。陶器、金属などで作る。形も色々である。
蓋がついて穴の開いているもの、つるや紐をつけて持ち運びできるようにしたもの、籐のかごをかぶせたものなどある。
数人から十数人の宴席などでは、その人数分の「手あぶり火鉢」を各人の席の横に配置する。
昔は建物や部屋全体を暖めるということはしなかったから、「火鉢」というのが唯一の暖房器具だった。「手炉」とも言う。
今では、こういう小さな火鉢は室内装飾用に売られていて、一個数千円からある。

 ぼんのくぼ夕日にむけて火鉢かな・・・・・・・・小林一茶

 手あぷりに僧の位の紋所・・・・・・・・高浜虚子

 かの巫女の手焙の手を恋ひわたる・・・・・・・・山口誓子

 彫金の花鳥ぬくもる手炉たまふ・・・・・・・・皆吉爽雨

 かざす手の珠美しや塗火鉢・・・・・・・・杉田久女

 手あぶりや雪山くらき線となりぬ・・・・・・・・大野林火

 縁談や手焙の灰うつくしく・・・・・・・・・萩原記代

 手炉の火も消えぬお経もここらにて・・・・・・・・森白象





瀬田川の霧も立木の観世音峰吹く風に晴るる身の憂さ・・・・・・・・新西国三十三ケ所霊場第20番ご詠歌
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   瀬田川の霧も立木の観世音
     峰吹く風に晴るる身の憂さ・・・・・・・・新西国三十三ケ所霊場第20番ご詠歌


立木観音は京都府と滋賀県の府県境─厳密に言うと大津市域にある。
瀬田川洗堰(南郷洗堰)から瀬田川沿いに南に2キロほど下がると、右手に立木観音(正式名は安養寺=浄土宗)の登り口が見えてくる。

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鹿跳(ししとび)渓谷に向かって聳える立木山、その斜面の急な石段を約700段ほど登りつめると、小さいながら落ち着いた雰囲気の立木観音の境内が広がる。
700段の階段というと、四国の金毘羅さんの石段の数より多いと、同行のS君は言う。私は金毘羅さんは知らないが、彼は行ったことがあるので間違いなかろう。
ここで立木観音の由来について。
石段途中に説明文が立っており、そこに詳しく書いてある。
弘仁6年(815年)、諸国を修行中の弘法大師が、瀬田川のほとりに立ち寄ったところ、対岸の立木山に光を放つ「霊木」があるのが目にとまった。
しかし急な流れの瀬田川を渡りあぐねていると、突然白鹿が現われ、その背に弘法大師を乗せて、霊木の前まで導き、そこで観世音菩薩に変化し、虚空の中に消え去った。

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 ↑境内にある「白鹿に乗る弘法大師」の像。

この奇蹟に感じ入った弘法大師が、霊木に観世音菩薩像を刻んだのが、立木観音の始まりという。
弘法大師が観音さまを刻んだのが、ちょうど42歳の厄年ということで、古くから厄除け観音として親しまれているという。
これらの伝承は、現在も「地名」などに残っており、少し下流に架かる橋は「鹿跳橋」(ししとびばし)と呼ばれる。この橋の辺りから下流は「宇治川」と名前が変わる。
新年に厄除けの初詣に参詣する人が多く、松の内は登りも下りも混雑する。

前年にいただいた「お札」を返納し、ご祈祷をしてもらい、新しいお札をいただいて帰る。
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 ↑ 本堂の裏側

ここから急な狭い石段を二百メートルほど行くと「奥の院」がある。

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↑ 奥の院

掲出した和歌だが、ここは新西国三十三ケ所霊場の第20番にあたり、このお寺を詠んだものである。
「霧も立木の」という言葉は「懸けことば」になっており、「霧も立ち」の意味を懸けてあるのである。
西国ご詠歌にも同様の趣向の歌が多い。
ついでに言うと、「西国三十三ケ所霊場」の寺は天台宗、真言宗が殆どである。
それらに含まれない他宗派の寺を集めて「新西国三十三ケ所霊場」が発願されたものと思われる。


大寒の茜消ゆるに間ありけり・・・・・・・・・・・・・・・河合未光
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     大寒の茜消ゆるに間ありけり・・・・・・・・・・・・・・・河合未光

今日1月21日は二十四節気の「大寒」である。寒さの最もきびしい時である。
例年ならば1月20日が大寒なのだが、本年は「閏年」なので一日ずれる。
とは言え、そろそろ梅、沈丁花、水仙、椿などが咲きはじめる。
もちろん日本列島は南北に長いから、場所によっては遅速があるのは当然である。
私の記事は、住んでいる「京都」を基準としているので了承されたい。

この頃の寒さを形容して、『年浪草』には、「栗烈として極まれり」という。
そのような峻烈な寒さの中で、寒さに強い花から咲きはじめて、春が用意されてゆく。
日本人の感性というのは、寒さに対しても、さまざまの表現を見せる。

「寒」に関していうと、寒に入って4日目が「寒四郎」、9日目を「寒九」と表現する。
北陸では「寒の入り」の日に「あずき餅」を食べ、これを「寒固」(かんがため)と称するらしい。
これは寒の入りに小豆を食えば、寒気にあたらず、という験(げん)かつぎらしい。

 うす壁にづんづと寒が入りにけり・・・・・・・・小林一茶

 宵過ぎや柱みりみり寒が入る・・・・・・・・小林一茶

のような句は、寒の感じをよく捉えている。
大陸高気圧が強いか弱いかによって、寒さや雪の程度が決まる。
この寒さの最もきびしい30日間の中に、小寒、大寒と呼び名を定めて、心の身構えをしたわけである。
以下、寒、大寒などの入った句を引いて終る。

 禽獣とゐて魂なごむ寒日和・・・・・・・・西島麦南

 背にひたと一枚の寒負ふごとし・・・・・・・・原子公平

 寒きびし一刀彫のごとくなり・・・・・・・・鈴木青園

 胎動を夫と分つや寒ゆるむ・・・・・・・・上田紀代

寒三日月凄しといひて窓を閉づ・・・・・・・・藤田烏兎

 松籟も寒の谺も返し来よ・・・・・・・・小林康治

 大寒の埃の如く人死ぬる・・・・・・・・高浜虚子

 大寒や転びて諸手つく悲しさ・・・・・・・・西東三鬼

 大寒や老農死して指逞し・・・・・・・・相馬遷子

 大寒の一戸もかくれなき故郷・・・・・・・・飯田龍太

 大寒の牛や牽かれて動き出す・・・・・・・・谷野予志

 薄日さし荒野荒海大寒なり・・・・・・・・福田蓼汀

 大寒の力いつぱい落つる日よ・・・・・・・・下村非文

 大寒ののつしのつしと来る如く・・・・・・・・中嶋音路

 大寒の堆肥よく寝てゐることよ・・・・・・・・松井松花

 大寒の鶏目を張つて摑まるる・・・・・・・・芦内くに



霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・・・・・・・・油布五線
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       霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・・・・・・・・油布五線

この句は、霜柱を踏むと、ざくりと崩れる様子を、人間が「犯した」と表現して秀逸である。
こういうのを「擬人化」した描法というが、きわめて的確な表現である。

「霜柱」は、寒さがきびしい冬でないと見られない。
土の中に含まれる水分が凍って、毛細管現象によって、その下にある水分が次々と供給されて氷の柱が成長し、厚さ数センチから10センチ以上にもなるのである。
霜柱は、土があるところなら、どこでも発生するものではない。
私の子供の頃には、今よりも寒さが厳しかったので、学校へ行く道すがらの脇の畑などでも、よく見かけて、わき道に逸れてザクザクと踏んでみたものである。
総体として「暖冬化」の傾向が進んでいるので、霜柱は段々見られなくなってきた。

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写真②は発生した霜柱がカール(反った)したものである。
関東ローム層の土粒の大きさが、霜柱の発生に丁度よいそうである。
岩波書店刊の「中谷宇吉郎全集」第2巻に、自由学園で行われた「霜柱の研究」について書かれたものが載っている。
それによると紅殻の粉や、澱粉類、ガラスを砕いた粉などを用いた霜柱の発生実験をしているが、赤土だけから霜柱が発生したそうである。
その赤土も、粒の粗いもの、細かいものに分けてやったところ、粒が粗くても、細かくても霜柱は発生しなかったという。
なお、中谷宇吉郎は、世界で初めて雪の人工結晶を作った学者で、これらの文章は戦前に書かれたものである。文筆上では夏目漱石に私淑した。
雪のエッセイなどは私の子供の頃に読んだ記憶がある。

simoba1植物シモバシラ

写真③は「シモバシラ」という名の植物である。
この草はしそ科の植物で学名を keiskea japonica という。これは明治時代の日本の本草学者の伊藤圭介氏に因むものである。
秋10月頃に枝の上部の葉の脇に片側だけにズラッと白い花を咲かせる。
冬になると、枯れた茎の根元に霜柱のような氷の結晶が出来ることから、この名になったという。
冬に枯れてもなお水を吸い上げるが、茎がその圧力に耐えきれずに破裂してしまい、水が外にブワッと出て凍る、という。

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植物のシモバシラの凍結した写真を見つけたので④に載せておく。
写真はリンク ↑ に貼ったサイトから拝借したものである。気象条件によって「氷」の形も、いろいろあるらしい。

以下、霜柱を詠んだ句を引いて終る。

 掃きすてし今朝のほこりや霜柱・・・・・・・・高浜虚子

 霜柱ここ櫛の歯の欠けにけり・・・・・・・・川端茅舎

 落残る赤き木の実や霜柱・・・・・・・・永井荷風

 霜柱しらさぎ空に群るるなり・・・・・・・・久保田万太郎

 飛石の高さになりぬ霜柱・・・・・・・・上川井梨葉

 霜柱枕辺ちかく立ちて覚む・・・・・・・・山口誓子

 霜柱俳句は切字響きけり・・・・・・・・石田波郷

 霜柱倒れつつあり幽かなり・・・・・・・・松本たかし

 霜柱顔ふるるまで見て佳しや・・・・・・・・橋本多佳子

 霜柱傷つきしもの青が冴え・・・・・・・・加藤楸邨

 霜柱兄の欠けたる地に光る・・・・・・・・西東三鬼

 霜柱歓喜のごとく倒れゆく・・・・・・・・野見山朱鳥

 亡き友は男ばかりや霜柱・・・・・・・・秋元不死男

 霜柱深き嘆きの声に溶け・・・・・・・・野見山朱鳥

 霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・油布五線

 霜柱踏み火口湖の深さ問ふ・・・・・・・・横山房子




みちのくの町はいぶせき氷柱かな・・・・・・・・・・・・・・・・山口青邨
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   みちのくの町はいぶせき氷柱(つらら)かな・・・・・・・・・・・・・・・・山口青邨

もうすぐ「大寒」であり、一年中で一番寒い時期である。
京都も連日、日中の最高気温も4度、5度という冷たさで、冷蔵庫、冷凍庫の中にいるような日がつづく。
今日は、そんな寒さに因んで、「氷」「氷柱つらら」「氷湖」などについて書きたい。

掲出句については、少し解説が必要だろう。
青邨の句には「いぶせき」という、あまりなじみのない表現がある。
古語辞典を引くと「いぶせし」という「ク活用の形容詞」は
①気が晴れない。うっとうしい。②様子がわからず気がかりだ。気が休まらない。③不快である。の意味だと書かれている。
言葉の意味は、①②③のように挙げられているが、一番元の意味は①であり、番号が増える順に派生した用法ということになる。
この句の場合の「いぶせき」というのは、「いぶせし」の連体形ということだが、意味としては、②の「気が休まらない」辺りがぴったり来るだろうか。

われわれ暖地に住むものは、雪が何メートルも積もる映像を見ては、「こんなところに住んでみたい」などと簡単に言うが、
そんな豪雪地帯に毎日居住する人にとっては、雪との格闘の毎日であり、深刻な「気が休まらない」「鬱陶しい」ことなのである。
話は飛ぶが、台湾の人は亜熱帯であるから、平生に雪は知らないわけで、台湾からの観光客には北海道の冬は人気があるらしい。
というのは、先に私が書いたことと同じ心理状態ということになる。地元の悩みも知らずに、珍しいもの見たさ、ということである。

 櫓の声波を打つて腸(はらわた)氷る夜や涙・・・・・・・・松尾芭蕉

 氷上や雲茜して暮れまどふ・・・・・・・・原石鼎

 蝶墜ちて大音響の結氷期・・・・・・・・富沢赤黄男

これらの句は「凍てる」風物を単に写生するのではなく、鋭く「心象」に迫るものがある。
三番目の赤黄男の句は「前衛」俳句と呼ばれるものである。
以下、「つらら」を詠んだ句を引いて終る。

 遠き家の氷柱落ちたる光かな・・・・・・・・高浜年尾

 一塊の軒の雪より長つらら・・・・・・・・高野素十

 楯をなす大き氷柱も飛騨山家・・・・・・・・鈴鹿野風呂

 絶壁につららは淵の色をなす・・・・・・・・松本たかし

 夕焼けてなほそだつなる氷柱かな・・・・・・・・中村汀女

 月光のつらら折り持ち生き延びる・・・・・・・・西東三鬼

 胃が痛むきりきり垂れて崖の氷柱・・・・・・・・秋元不死男

 嫁ぐ日来て涙もろきは母氷柱・・・・・・・・・中尾寿美子

 ロシア見ゆ洋酒につらら折り入れて・・・・・・・・平井さち子

 みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ・・・・・・・・鷹羽狩行



火事を噴きあげては町の密集す・・・・・・・・・・・・・・百合山羽公
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   火事を噴きあげては町の密集す・・・・・・・・・・・・・・百合山羽公

「火事」というのは「冬」の季語である。そう言われると、冬には火事が多いから、なるほど、と納得する。
一年中、火事はどこでも起こっているし、化学的な火災もあるが、俳句の題材になるのは、何と言っても「人家」の火事だろう。
近年は民家の火事が多い。暖房器具の不始末か、焼け死ぬ人も多発しており、消防が広報の車を出して注意を呼びかけている昨今である。
逃げ遅れて死ぬのは老人と子供が多い。可哀そうなことである。

kasai5s火事

私の住む所には、今は常設の「消防署」があるが、昔の村のときには、そんなものはなく、 「消防団」が唯一のものであった。
僅かな金額の手当ては出たが、基本的にはボランティアであったが、土着の住民にとっては青年期に達すると半ば強制的に入らざるを得ない性質のものだった。
少年期を脱したばかりの頃は「前髪」と称する使い走りをさせられるのであった。農村青年にとっては、一種の「通過儀礼」のようなものであった。
私は学校に行っていたので、そういう「前髪」的なことは経験したことがない。
私が家に帰って「消防団」に入ると、すぐ役員をさせられた。二三年後には旧村単位の「分団」長をさせられた。
私たちの「市」(当時は「町」であった)には分団が四つあったのである。私の下には副分団長以下、支部長四人、総勢約100名が居たのだった。
私の任期は一年だけで助かった。火事は任期中に一度あっただけだが、この仕事は火事だけではなく、水害などにも狩り出された。
治安を保つ一面も担わされていたのだった。
分団長の上には本団の団長、副団長が居た。
昔は田舎では、それらの役に就くことは名誉なこととされていたから、分団長クラスから上は、もっぱら飲み食いや遊興が主な仕事で、30代の血気盛んな頃であるから、
よく飲み歩いたものである。
その頃から私は酒には弱く、付き合いには閉口したが、逃げるわけにはゆかず、今から考えると、よく勤めたものだと思う。

以下、歳時記に載る「火事」の句を引いて終る。

 火事鎮むゆらめきありて鼻のさき・・・・・・・・飯田蛇笏

 火事見舞あとからあととふえにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 粥腹はうつつの夢によべの火事・・・・・・・・石川桂郎

 火事といへば神田といへば大火かな・・・・・・・・岡本松浜

 寄生木やしづかに移る火事の雲・・・・・・・・水原秋桜子

 遠き火事哄笑せしが今日黒し・・・・・・・・西東三鬼

 火事を見る脳裡に別の声あげて・・・・・・・・加藤楸邨

 焼跡の夜火事の雲や押しこぞり・・・・・・・・石田波郷

 泣く人の連れ去られゐし火事明り・・・・・・・・中村汀女

 火事遠し白紙に音のこんもりと・・・・・・・・飯田龍太

 暗黒や関東平野に火事一つ・・・・・・・・金子兜太

 また青き夜天にかへる火事の天・・・・・・・・谷野予志



鰤網に縋る蟹あり夜明けつつ・・・・・・・・・・・・・・・・・吉沢卯一
352鰤網漁

    鰤網に縋る蟹あり夜明けつつ・・・・・・・・・・・・・・・・・吉沢卯一

鰤(ぶり)のおいしい季節になってきた。
鰤の産地としては「富山」湾が有名である。「鰤網」という大きな定置網で捕えるのである。
鰤は「出世」魚と言われて、関西ではツバス→ハマチ→メジロと大きくなってブリとなる。
念のために書いておくが、関東では呼び名が異なり、同じ時期のものが、ワカシ→イナダ→ワラサからブリとなるという。
掲出写真は「鰤網漁」の体験催しのものである。玄人の漁師は救命胴衣などはつけない。

6f4397f3f4c4659bfacee095c623922a鰤

ブリは、ぶり科の魚で、紡錘形の体形、青緑の体色で、体の中央に黄色い線が走っている。
秋から春にかけて、産卵のために陸地沿いに回遊する。
先に書いたように成長して「出世」し、90センチ以上になって、はじめてブリと呼ぶのである。
寒中に獲るので「寒鰤」と称する。漁期にあたる12月、1月に鳴る雷を「鰤起し」と呼ぶ。
『本朝食鑑』に「およそ冬より春に至るまで、これを賞す。夏時たまたまこれあるといへども、用ふるに足らず。かつて聞く、鰤連行して東北の洋より西南の海をめぐりて、丹後の海上に至るころ、魚肥え脂多くして味はなはだ甘美なり。ゆゑに丹後の産をもつて上品となす」とある。
当時は都が京都であったから、最寄りの海というと丹後ということになるので、ここの産が珍重されたのであろう。

鰤の料理としては、刺身のほかに照り焼き、ブリ大根、鰤の「沖すき」鍋なども季節の味覚である。

20080224_434337鰤大根

鰤ないしは鰤網を詠んだ句は多くはないが、それを引いて終る。

 鰤網を越す大浪の見えにけり・・・・・・・・前田普羅

 鰤網を敷く海くらし石蕗(つは)の花・・・・・・・・水原秋桜子

 鰤敷や隣鰤場も指呼の中・・・・・・・・鈴鹿野風呂

 血潮濃き水にしなほも鰤洗ふ・・・・・・・・山口誓子

 鰤が人より美しかりき暮の町・・・・・・・・加藤楸邨

 二三言言ひて寒鰤置いてゆく・・・・・・・・能村登四郎

 大き手もて鰤つかみ佇つ老いし漁婦・・・・・・・・柴田白葉女

 青潮のもまれ躍れり鰤と見ゆ・・・・・・・・出羽里石

 鰤と蜜柑夕日どやどや店に入る・・・・・・・・小原俊一

 虹の脚怒涛にささり鰤湧く湾・・・・・・・・楠美葩緒

 鰤来るや大雪止まぬ越の岬・・・・・・・・羽田岳水

 鰤網に月夜の汐のながる見ゆ・・・・・・・・原柯城

 鰤敷や海荒れぬ日は山荒るる・・・・・・・・西本一都

 
千種創一歌集『砂丘律』・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      千種創一歌集『砂丘律』・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・青磁社2015/12/07刊・・・・・・・

この人は、1988年生まれの若い人だが私には未知の人だった。この歌集が出たことは承知していたが、掲出画像②のような案内が届いたのでアマゾンから取り寄せた。
先ず、スキャナの調子が悪いので、裏表紙に載る三人のコメントを画像として出しておく。   ↓
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一見して「変わった」編集の本である。
画像でも見られるように右側にガーゼの網目のような部分が見えるが「綴じ布」である。
それに紙質が、うす黒い色をしたザラ紙のようである。経費を節約するために紙の質を落としたのか。
いずれにしても著者の執着が色濃く出た本である。
批評会のパンフに「口語短歌の新たな地平」とあるが、こんにち、短歌に於いて「口語」使用は珍しいことではないから、私には違和感がある。
一読してみて、この作者の作品は短歌というよりも「短詩」というべき表現が多い。
「短歌」の世界では、まだまだ、作者=私という拘りや、作品に「意味」を読み取ろうとする、あるいは「意味」が辿れなけれはならない、という風潮が強い。
しかし今では短歌賞の作品でも「詩人」気質の人が増えてきている。佐藤弓生なども、そうである。
「詩」を読むときは、意味を辿ってはいけない。この人の歌には、このことを意識して読まないといけないものが多い。
私は、それが悪い、と言っているのではない。
現代詩を作ったり、読んだりするのに慣れた人間には、それらの作品に違和感がない、と言いたいのである。
この人は「塔」所属だが、本質的に、この結社は出自的に「リアリズム」であるから、結社の中では批評などで色々と言われていることだろうと推察される。

画像として出した三人のコメントの中では、ミュージシャンという岸田繁の言葉が極めて的確だ。
意味にこだわらずに作品を「詩」として批評していて秀逸である。なまじ歌壇という「塵」にまみれていないだけに新鮮である。

二番目のコメントに三井修が執筆していることから、作者は東京外国語大学の出身だろう。三井も、ここの出身である。
因みに私は大阪外語フランス語に居たことがある。
余談だが、同じ国立とは言っても東京外語と大阪外語では「成り立ち」が違う。前者は政府が作ったが、後者─大阪外語は民間が資金を出して設立し、後に国に「寄付」したのである。
今では大阪外語は大阪大学外国語学部として再編成されてしまった。
初代校長は中目覚という人で、この人も皆で選んだのである。
アラビア語つながりでいうと、大阪外語のアラビア語の先生で、後に大阪外語の学長もされた田中四郎という人の本『やわらかなアラブ学』(新潮選書) 『駱駝のちどりあし』(新潮社)という本を面白く読んだことがあるので披露しておく。
  筆が滑った。本題に戻ろう。

「あとがき」に記してあるが、この本は19歳から27歳までの間に作った421首が収められている。
その中には2013年の「塔新人賞」を得た「keep right」30首。2015年の「第26回歌壇賞」次席の「ザ・ナイト・ビフォア」30首などが含まれる。

この本の「項目」建てはⅠからⅥに分けられ、「項目名」は無く、項目の裏ベージに「引用」やらコメントやらが書かれている。
例えば、Ⅵの裏ページには
<砂漠を歩くと、関係がこじれてもう話せなくなった人と、
            死んだ人と、何が違うんだろって思う。>

書かれている。
こういう極めて「ブッキッシュ」な編集の仕方は私も好きで、私の歌集の中でも試みてみたので、嬉しい。 私好みである。
アラビア語の文章が筆記体で載っていたり、Ⅳのところには村上春樹がイスラエルで賞を得たときの受賞の言葉
               <本日、私は小説家として、
すなわち嘘を紡ぐプロとしてエルサレムへ来ました。>

という言葉が原文の英語と一緒に載っている。
この言葉は、文学というものが「嘘を紡ぐ」という表現で言われていて、実に「示唆的」である。
作者も「あとがき」で <ほとんどの連作において事実ではなく真実を詠おうと努めた> と書いているのに私は感動した。
「事実ではなく真実を」というのが、これこそが文学者としてあるべき姿である。
事実に捉われ過ぎると、真実を見誤ることがあるのである。
このことは、とかく歌壇では理解されず孤立することがあるが、負けずに振舞っていただきたい。

私の好きな歌を引いてみる。

巻頭の歌
  ■瓦斯燈を流沙のほとりに植えていき、そうだね、そこを街と呼ぼうか

石川美南も引いているが、巻頭にこの歌を据えたというところに、作者の「覚悟」があるというべきだろう。
瓦斯燈というのは或る種の比喩というべく、地中から噴き出すガスを燃やす産油国特有の風景とも受け取れよう。
この歌など既成の短歌の概念からは、はみだした作品と言える。まさに「短詩」と私の言う所以である。

巻末の歌
  ■指こそは悪の根源 何度でも一本の冬ばらが摘まれて

この歌には「悪について」という前書きがついている。 これも極めて比喩的な歌と前書きというべきものであり、秀逸である。
ここに引いた歌などはキチンと定型に収まっているが、作者の歌には定型に収まり切らないものも多い。
現代短歌では珍しいことではないし、非難すべきことでもない、と私は受容する。

  ■爽健美茶とBOSSを買って河口でふたりは蟹をみつけた
 
この歌は、淡い恋人との逢瀬を連想させる若い頃の作品だろう。非定型の歌のようでありながら、下句ではキチンと定型に収まっているところも面白い。

連作の中では、私はⅣの「或る秘書官の忠誠」の一連に注目した。この一連には英文で「カインとアベル」のエピソードが、さりげなく配されている。
中東での或る出来事の「喩」であろうが読む者の心の底に澱(おり)のように沈んで澱(よど)むものがある。
  ■アヴォカドをざつくりと削ぐ(朝の第一報の前のことである)
  ■実弾はできれば使ふなといふ指示は砂上の小川のやうに途絶へる
  ■忠誠を花に譬へちやいけないぜ 高速道路、夏盛り

作者は新カナ表記を執るが、この一連だけは歴史的かなづかいになっているのも何かの意図があってのことと推察される。
佳い一連である。

Ⅲの裏ページに岑参の漢詩が載せられている。
<馬を走らせて西東 天に到らんと欲す
   家を辞して月の両回 円なるを知る
    今夜知らず 何れの処にか宿せん
           平沙万里 人煙を絶つ>

時代も場所も違うが、中東の沙原に置き換えて見事である。また作者の読書量の豊かさをも想起させる。
ペダンチックだが、こういうところも私好みである。

歌壇賞応募作という「ザ・ナイト・ビフォア」の一連は私には物足りなかった。
先に書いたⅢの中の「秋、繰り返す」の一連などの方が、ずっと、いい。

  ■秋冷、という言葉を選ぶとき西南西に死海は碧い
  ■羽に黒い油をつけて換気扇とまる 失意と呼べなくもない
  ■靴スークとおり抜けつつ靴たちのこれから歩く砂地をおもう

二首目の歌など、俳句でいう「二物衝撃」を思わせて秀逸である。

以上、総括的なことを書いたので、後は私の好きな歌を思いつくままに列挙する。

  ■だれひとり悲しませずに林檎ジャムをつくりたいので理論をください

  ■三日月湖の描かれている古地図をちぎり肺魚の餌にしている

  ■わたしたち秋の火だからあい (語尾を波はかき消す夜の湖岸に

  ■梨は芯から凍りゆく 夜になればラジオで誰かの訃報をきいた

  ■煙草いりますか、先輩、まだカロリーメイト食って生きてるんすか

  ■口移しで夏を伝えた いっぱいな灰皿、置きっぱなしの和英

  ■イヤホンをちぎるように外す、朝焼ける庁舎の屋根の旗をみあげて

  ■見事 むしろ 花束のたえない、お出で、たえない町だ 花束

  ■声が凍えているな、秋、何度でもマグダラのマリア愛してしまう

  ■Marlboroの薫りごと君を抱いている、草原、というには狭い部屋

  ■どうしてもオリンピックに興味がなくBBCの声を落とした

  ■かといってナショナリズムを離れれば杉の木立はやや肌寒い
           辞令と魚
  ■にっぽんを発つというのに心臓が仙人掌みたい、メキシコみたい

  ■昼過ぎの通りは沙と光であって猫一匹とすれ違うかな

  ■会いたさは来る、飲むための水そそぐとき魚の影にような淡さに

  ■夜の窓をあけて驚く、砂まじる風が柳とこすれる音に

  ■虐殺を件で数えるさみしさにあんなに月は欠けていたっけ

  ■深く息を、吸うたび肺の乾いてく砂漠は何の裁きだろうか
             keep right
  ■北へ国境を越えればシリアだが実感はなくジャム塗りたくる

  ■召集の通知を裂いて逃げてきたハマドに夏の火を貸してやる

  ■映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる

  ■君の村、壊滅らしいとiPhoneを渡して水煙草に炭を足す

  ■川というものをわたらない生活 ハンガーはあるけど掛けるかい

  ■アンマンの秋を驚く視野の隅、ぎんやんまだったろう、今の

  ■来た。 砂色の5JD札ねじ込んでハマドは部屋からいなくなる

  ■僕もそのひとりであって東洋系が風の遠くでライター灯す

  ■中国人ではないと告げる、告げるとき蔑してないと言いきれますか

  ■骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな

  ■沙に埋れつつも鈍さをひかってる線路は伸びる旧帝都(イスタンブール)へ

  ■予備役が召集されたとテロップの赤、画面の下方を染める

  ■戦況も敵もルールも知らされずゲームは進む 水が飲みたい
     よいか汝ら、報復死刑制度の中にこそ生命がある。(クルアーン牡牛章 第179章より)
  ■サイダー瓶、埃に曇る。絶対にゆけない春の柵の向こうで

  ■そもそもが奪って生きる僕たちは夜に笑顔で牛などを焼く

  ■iPhoneに蛍のような灯をともしあなたは絹のシャツを拾った

  ■告げている、砂漠で限りなく淡い虹みたことを、ドア閉めながら

  ■さよならが一つの季節であるならば、きっと/いいや、捨てる半券
                 スペインのアンダルシアにはかつてアラブ人がいて、
                                 アル=アンダルスという地名だった。

  ■仙人掌を蔦のさみどりのぼりゆくスペイン、夏の、スペイン、夏野

  ■この雨の奥にも海はあるだろう きっとあなたは寝坊などして

とりとめもない抽出になってしまった。歌の数が多いので、見逃した歌も多いだろうからお許しいただきたい。
まだまだ若いし、才能がはじけ満ちる歌集を前にして、あなたの作品がこれからも大きく開花することを祈って筆を置きたい。

三井修氏とは、私の第四歌集『嬬恋』の合同出版記念会で批評いただいて以来の仲で、第五歌集『昭和』を読む会を東京で開いてもらったりして大層お世話になった恩のある人である。
三井氏の歌集『海図』が出たとき、私は彼を現代のマルコポーロになぞらえたことがある。
千種創一氏も前途洋々たる未来を期待される逸材である。
私は批評会には出られないが、ご盛会をお祈りするばかりである。 佳い歌集を読ませていただいた快い昂ぶりに浸っていることをお伝えしたい。
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著者からのメールを引いておく。

< 各章扉の言葉に絡めて歌集を批評頂いたのは、木村様が初めての方ですので、とても嬉しく存じます。
また、私の文学意識まで正確に汲み取ってくださり、実に作家冥利に尽きます。
恐縮ながら一点だけ申し上げれば、実はこの名前は本名です。よく言われますが、地名はチクサで私はチグサです。 >

私としても、とても嬉しい。 好漢ご自愛され益々のご健筆を期待する。 以上、蛇足ながら付記する。 2月4日朝 記。








古暦雑用帖にまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規
暦

     古暦雑用帖にまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

昨日は1月15日いわゆる「小正月」であった。7日までを「松の内」というが、昔は「小正月」までが、お正月だった。
戦後の一時期、この日が「成人の日」となったことがあるが、近年では「成人の日」は移動休日になって、「第二月曜日」が、この日となって、何だか締まりのない休日になってしまった。
私の地方では、1月14日の夜に町内の者が寄って「日待講」を催し、小正月の朝を迎え、当日の朝に「注連飾り」や「古暦」、神社や寺院の「お札」などを持ち寄って
「とんど」という焚火を焚いて、それらを燃やしたものである。
「小正月」には「小豆かゆ」を炊いて、その中に鏡餅の固くなったものを刃物で細かく切って食べたものである。

掲出した子規の句は、無用になった昨年の「暦」が、うち捨てられて粗末に扱われる様を、うまく描いている。

    古暦吹かるるや三輪の町はづれ・・・・・・・・与謝蕪村

この蕪村の古句は大和の三輪明神の町はずれの風景を心象ふかく描出している。三輪山を御神体とする「三輪」ならではの心象である。他の町の名には置き換えがたいものである。

    一日もおろそかならず古暦・・・・・・・・高浜虚子

この句も「古暦」への、なみなみならぬ愛着を盛っている。今は「古暦」になったとは言え、旧年中は、さんざお世話になった暦なのである。
現代は、こういう「暦」などにも世話になることはないが、昔は何事をするにも「暦」にはお世話になったのである。農事なども旧暦でする方がぴったり来たものらしい。

    大安の日を余しけり古暦・・・・・・・高浜虚子

この句は、まだ正月前の暮のことであろう。年内に、まだある「大安」の日のことが気になって「古暦」を捨てられずに居る、という意味であろうか。

    古暦日々の消えゆくたしかさに・・・・・・・・井沢正江

光陰矢のごとし、というが「日々の消えゆくたしかさ」という把握の仕方が秀逸である。

    古暦ひとに或る日といふ言葉・・・・・・・・長谷川照子

歳月というものは水の流れのようで、堰き止められるものではないが、人は誰しも「或る日」というのを記憶に留めたがるものである。そんな心象に迫るものとして非凡である。

    古暦焚く束の間の焔なりけり・・・・・・・・菊地久城

この句も「古暦」に多分の愛着を示して、それを燃やした後になっても「束の間の焔」というところに未練を残していて忘れがたい。
みなさん、いかがだろうか。


オモシロク狂ツテ舞ヘバ/身ハ幽谷ニ浮ク鶴ノ/声ハ大気ヲツン裂イテ/スガタハ空ノ青ニ染ム・・・・・・・・・大岡信
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       閑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     ハツ春ノ
     空ニタチマチ湧キイデテ
     羽音モタテズ狂ヒタツ
     雪サナガラノ思ヒカナ

     オモシロク狂ツテ舞ヘバ
     身ハ幽谷ニ浮ク鶴ノ
     声ハ大気ヲツン裂イテ
     スガタハ空ノ青ニ染ム

     閑閑タリ
     ヒトリ遊ビノ
     小宇宙

     巌ニ星モ エイ
     咲カシテミシヨウ
----------------------------------------------------------------------
この詩は学習研究社1985年12月刊の「うたの歳時記」─冬のうた、に載るものである。
5、7という日本の伝統的な音数律に則った詩作りになっている。
日本の現代詩作家も、こういう日本古来の韻律に時には立ち返ることもあるのである。

掲出した写真は北海道の鶴居村で舞う鶴の姿である。
鶴は春の繁殖期を前にして、もう番いの間で愛を確かめる愛技ともいえる「舞い」をはじめるのである。
涙ぐましい自然の摂理とも言えようか。
今日は「小正月」というハレの日であるから、「瑞鳥」である鶴に因む詩を掲げる日として、ふさわしい、と思って出しておく。



干鮭も空也の痩せも寒の中・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉
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     干鮭も空也の痩せも寒の中・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

1月6日に二十四節気の「小寒」に入った。いわゆる「寒の入り」であり、大寒の1月21日を経て、節分(立春の前日)までの30日間を「寒」という。
この間を「寒の内」と言い、寒さの一番きびしい頃である。
今年は暖冬だが、一月中旬になって急に寒くなった。東北、北海道は吹雪嵐になり、今年一番の寒さとなっているが、例年のような「三寒四温」とはなっていない。これは、しばらく続くと言われている。

10空也上人像

芭蕉の句に因んで、写真①には「干し鮭」を、写真②には「空也上人像」を載せた。
空也上人像については、多少の説明が必要だろう。
「空也」上人は「念仏行者」の始祖と言われる人で「南無阿弥陀仏」と唱えながら京の町や、日本中の村々を歩いて「念仏」行を提唱して回ったという人である。
上人像はあちこちにあるらしいが、この像は、京都の北西の端に聳える愛宕山の尾根を東に30分ほど下る月輪寺にある。
この寺は、寺伝によると藤原京時代の大宝4年(704年)に泰澄が開山した寺で、空也はここで修行したという。
像の口の前に変なものが出ているが、これは「仏」さまが数体、空也の口から出ているもので、その意味は、空也が「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えて行をしたので、有難い仏さまが空也の口から出て来る、ということを表しているらしい。
どこの像も、みなこのようになっているという。

芭蕉の句にある空也の像が、どこのものかは判らないが、芭蕉の旅日記があるから、恐らく解明済みであろうと思われる。
諸国を行乞して歩いた空也であるから、像の上人も、ひどく痩せている。芭蕉の句は、その「痩せ」を寒の歳時として峻しく捉えて句にしている。

結城音彦氏からお聞きしたところによると、この句の制作場所について、参考になるかとお知らせいただいたので載せておく。
それにによると、元禄13年12月、48歳、京都での作、ということである。

また、この句の出だしは「乾鮭」となっている。私の読んだ資料には「干鮭」となっていたので、こう引用したが、「乾鮭」が原典に合致しているのであろう。
また、結城氏の意見では「空也」=「空也僧」とされており、この句には
「都に旅寝して、鉢叩きのあはれなる勤めを夜毎に聞き侍りて」という前書きがあるようで、この解釈が正確なのであろう。
だから、掲出句は「空也」像を見ての作句ではないのである。

その結城音彦氏も先年、突然亡くなられてしまって寂しい限りである。
ここに結城氏の御教示を載せて、ありし日を偲ぶよすがとしたい。

「寒の入り」あるいは「小寒」「寒」を詠んだ句を引いて終わりたい。

 きびきびと万物寒に入りにけり・・・・・・・・富安風生

 校正の赤きペンもつ寒の入り・・・・・・・・山口青邨

 寒の入り心あやふき折には旅・・・・・・・・中村草田男

 寒に入るわが跫音は聴くべかり・・・・・・・・加藤楸邨

 百はある鶏卵みがく寒の入り・・・・・・・・及川孤雨

 中年のどれも足早や寒に入る・・・・・・・・宮尾苔水

 小寒のひかり浸して刷毛目雲・・・・・・・・火村卓造

 一切の行蔵寒にある思ひ・・・・・・・・高浜虚子

 捨水の即ち氷る寒に在り・・・・・・・・池内たけし

 黒き牛つなげり寒の真竹原・・・・・・・・水原秋桜子

 乾坤に寒といふ語のひびき満つ・・・・・・・・富安風生

 約束の寒の土筆を煮て下さい・・・・・・・・川端茅舎

 痩せし身をまた運ばるる寒の内・・・・・・・・石田波郷

 寒の日の爛々とわれ老ゆるかな・・・・・・・・中川宋淵


一人退き二人よりくる焚火かな・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
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    一人退(の)き二人よりくる焚火かな・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

この頃では「焚火」も簡単には出来なくなってしまった。
条例で「野焼き」が規制されているのに表れているように、ダイオキシン規制の影響でもあろうし、「火」を焚くことに世の中が神経質になっているからである。

「たきび」という童謡の風景は、今や死語と化してしまった。

00376巽聖歌
 ↑ 巽聖歌

この歌は、作詞は巽聖歌、作曲は渡辺茂。(今風の表記になっているので了承を)

     <かきねの かきねの まがりかど
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      きたかぜぴいぷう ふいている>

     <さざんか さざんか さいたみち
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      しもやけ おててが もうかゆい>

     <こがらし こがらし さむいみち
      たきびだ たきびだ おちばたき
      「あたろうか」「あたろうよ」
      そうだん しながら あるいてく>

という唄などは、もはや郷愁の中の一風物となってしまったのである。

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この童謡「焚き火」の作詞者・巽聖歌に因む土地として伝えられるのが ↑ ここである。
中野区上高田にある『たきび』の歌発祥の地。一般人の住居であるが、中野区による説明板がここの傍にある。
歌詞冒頭の垣根の風情が現在も見ることができる。

当時、巽は東京都中野区上高田に在住していたが、自宅の近辺には樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家があった。その家にはケヤキの他にもカシやムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていた。「ケヤキ屋敷」の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。
同年の9月に、「幼児の時間」のコーナーの「歌のおけいこ」12月分で放送するために巽の詞に曲を付けて欲しいと、NHK東京放送局から渡辺のもとに依頼があった。詞を見て「ずっと捜し求めていた詞」だと感じた渡辺は、「かきねのかきねの」「たきびだたきびだ」などの繰り返す言葉を気に入り、詞を口ずさんでいるうちに自然にメロディが浮かび、10分ほどで五線譜に音符を書き込み完成させた。

今でも「行事」としての「どんど」「とんど」という大掛かりな焚火もあるが、これらは予め届け出て許可をもらったものである。
この唄にもある通り、「落葉焚き」というのは自然現象とは言え、降り積もる落葉という厄介ものを処分する良い方法だったのである。
この燃えた灰の中にサツマイモを入れて「焼き芋」にして、ほかほかの熱いのを食べるのは、冬の子供の楽しみのひとつだったのに。。。
古来、洋の東西を問わず、「火」というものは「穢れ」を浄化するものとして崇められてきた。

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 ↑ 写真に掲げる「那智の火祭り」などは、その一例である。
ヒンズー教や仏教における「火葬」の風習なども「穢れ」を浄化する意味以外の何ものでもない。
京都の夏を彩る「大文字の送り火」なども、そういう意味であり、それに「鎮魂」「魂送り」の意味も含まれる。
「火」はあたたかい。万物を焼き尽くすものでありながら、「冷たく」はない。
輪廻し転生する思想が「火」には含まれているのである。

「焚火」を詠んだ句も、古来たくさんある。それらを引いて終る。

 焚火かなし消えんとすれば育てられ・・・・・・・・高浜虚子

 燃えたけてほむらはなるる焚火かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 離れとぶ焔や霧の夕焚火・・・・・・・・原石鼎

 夜焚火に金色の崖峙(そばた)てり・・・・・・・・水原秋桜子

 道暮れぬ焚火明りにあひしより・・・・・・・・中村汀女

 紙屑のピカソも燃ゆるわが焚火・・・・・・・・山口青邨

 とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな・・・・・・・・松本たかし

 ねむれねば真夜の焚火をとりかこむ・・・・・・・・長谷川素逝

 焚火火の粉吾の青春永きかな・・・・・・・・中村草田男

 隆々と一流木の焚火かな・・・・・・・・西東三鬼

 安達太郎の瑠璃襖なす焚火かな・・・・・・・・加藤楸邨

 若ものとみれば飛びつく焚火の秀・・・・・・・・能村登四郎

 夕焚火あな雪ぞ舞ひ初めにけり・・・・・・・・石塚友二

 わめきつつ海女は焚火に駈け寄りぬ・・・・・・・・稲垣雪村

 焚火中身を爆ぜ終るもののあり・・・・・・・・野沢節子

 ひりひりと膚にし響かふ焚火かな・・・・・・・・青木敏彦




凍仏小にしてなお地にうもれ・・・・・・・・・・・・・・・鈴木六林男
2701ac241df72953e782a5738387d041化野念仏寺

    凍仏(いてほとけ)小にしてなお地にうもれ・・・・・・・・・・・・・・・鈴木六林男

嵯峨野の化野(あだしの)念仏寺の辺りは千年前には「風葬」の地であった。
風葬とは、今でもチベットなどで行われる死体を野っぱらに放置して、獣や鳥に肉を食わせ、あるいは腐るに任せる葬送の方法である。
この寺は現在は浄土宗に属する寺だが、およそ1000年前、空海が、ここに五智山如来寺を開創し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したことにはじまるという。
「あだし野」というと『徒然草』にも「あだし野の露消える時なく、鳥辺野の烟立さらでのみ住み果る習なれば、如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ」と書かれている、
かつての葬送の地に建ち、境内に集められたおびただしい数の石仏が、葬送地としての過去を彷彿とさせる。
寺の本尊は阿弥陀如来で、湛慶の作。本堂は江戸時代に再興されたもの。
夏の8月23~24日の地蔵盆のときの「千灯供養」は有名である。
この寺の地番は 京都市右京区嵯峨鳥居本化野町 という。

写真②に夏の「千灯供養」の様子を出しておく。

PN2010082301000790_-_-_CI0003千灯供養

掲出句は、夏の千灯供養が、凄絶ではありながら、火の力によって温もりを感じるのに対して、きびしく凍てる京都の冬の名も無き石仏のみじめな姿を、
よく活写しているというべきだろう。

 石くれ仏ひしめく限り冬茜・・・・・・・・文挟夫佐恵

 あだし野に日の一すぢの霰かな・・・・・・・徳永山冬子

 石仏の首から首へ虎落笛(もがりぶえ)・・・・・・・・鷹羽狩行

 冬ざれの片寄せ小さき仏たち・・・・・・・・二橋満璃

 化野のひとつづつ消ゆ冬灯・・・・・・・・間中恵美子
 
 鼻寒きわれに鼻なき餓死仏・・・・・・・・秋元不死男

 風葬の明るさの原ひかりは凍(し)み・・・・・・・・榎本冬一郎

のような句も、同じく冬の季節のあだし野の石仏を描いて秀逸である。
他の季節の、あだし野を詠んだ句は、また後日。
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長い間、都の置かれてきた京都の地には土塁をめぐらせた「街区」が仕切られていた。そのなごりが、豊臣秀吉によって再整備された「お土居」である。
この区域より外は人間の住む場所ではなく、その「お土居」の外は「葬送」の地であった。
庶民の死者は、この「お土居」の外に置かれ、いわゆる「隠亡」(おんぼう)と呼ばれる葬送の専門職の人間が、
ここ、あだし野や、東山の鳥辺野、洛北の蓮台野などに死体を放置(風葬)したのであった。
今では京都市北区に「蓮台野町」という地番があり、住宅地になっていて、人々は何も知ることもなく平気に暮らしているが、
もともとは葬送地であったから、地名にそれが残っているのである。

冬つばき世をしのぶとにあらねども・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
c0007122_7415486寒椿

      冬つばき世をしのぶとにあらねども・・・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

久保田万太郎の句は私も大好きなので何度も採り上げてきた。
万太郎は夫人を亡くされてから「隠棲」された。
身辺には或る女の人が寄り添っていたが、その人にも先立たれて沈潜した生活をしていた時期があるが、この句はその頃のものであろうか。

「寒椿」または「冬椿」とも書かれるが、この花はツバキ科で、山茶花や茶とは同じカメリア属である。
椿は、なかでも「薮椿」と呼ばれるものは、学名をCamellia japonica と言うように、日本の固有種である。
日本では、初冬から晩冬にかけて寒中に咲くものを「寒椿」と称している。
寒椿の学名はCamellia sasanqua cv. Fujikoana と言うが、ラテン語の学名の付けかたの世界では「cv」とは「園芸品種」とされている。
藪椿が、日本固有の椿の原種ということであろうか。詳しいことは学名のページを見てもらいたい。

写真①は、「獅子頭」(ししがしら)という品種の寒椿で、物の本によっては「山茶花」に分類されているのもあるとのことで、まことに紛らわしい。
椿や山茶花については先に詳しく書いたが、椿と山茶花との区別の仕方として、ツバキは花が散るときに萼(がく)のところから、花がポロッと全体が落ちるのに対して、
サザンカは花びらが一枚づつばらばらと落ちる、という違いがあるとされている。
しかし、寒椿の花は、サザンカと同じように花びらがばらばらに散るものもある、というから、余計にややこしい。
一般的にツバキは、いま書いたように花全体がポロッと落ちるので、昔の武士は縁起が悪いと嫌がったという。
先に書いたように、学名でもCamellia sasanqua までならサザンカなのである。
なお、Camellia というのは17世紀のチェコの宣教師Kamell氏の名に因んでいることも、椿のところで書いたと思う。

123450987245516312944寒椿・白

写真②は白の寒椿である。山茶花か寒椿か、紛らわしいと追求されても私には判定は出来ない。
歳時記を見ると、一重咲きの早咲きには白に紅の絞りの「秋の山」、桃色の「太郎冠者」があり、
八重のものには白の牡丹咲きの「白太神楽」、紅絞りの「白露錦」というような品種があると書いてあるが、
それらの写真がないのは残念である。

寒椿を詠んだ句を引いて終わりたい。

 竹薮に散りて仕舞ひぬ冬椿・・・・・・・・前田普羅

 冬椿落ちてそこより畦となる・・・・・・・・水原秋桜子

 寒椿つひに一日の懐手・・・・・・・・石田波郷

 寒椿落ちたるほかに塵もなし・・・・・・・・篠田浩一郎

 山の雨やみ冬椿濃かりけり・・・・・・・・柴田白葉女

 寒椿朝の乙女等かたまりて・・・・・・・・沢木欣一

 白と云ふ艶なる色や寒椿・・・・・・・・池上浩山人

 妻の名にはじまる墓碑や寒椿・・・・・・・・宮下翠舟

 海女解けば丈なす髪や冬椿・・・・・・・・松下匠村

 寒椿嘘を言ふなら美しく・・・・・・・・渡辺八重子

 花咲いておのれをてらす寒椿・・・・・・・・飯田龍太

 寒椿月の照る夜は葉に隠る・・・・・・・・及川貞



十日戎所詮われらは食ひ倒れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・中本圭岳
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      十日戎所詮われらは食ひ倒れ・・・・・・・・・・・・・・・・・・中本圭岳

「十日戎」は大阪の今宮戎神社の祭礼である。
一年はじめの1月10日は「初戎」として何十万の人が、一説では百万人が、さほど広くはない境内に押すな押すなの様相を見せる。 ↑ 今宮戎のホームページを見てもらいたい。
前日の9日夜は「宵えびす」、11日は「残り福」と称して、わざと、この日に参詣する人もある。社殿の裏に廻って、羽目板をどんどん叩いて「えべっさん、頼んまっせ」と大声で言うのが上方風である。
掲出した写真が当日の神社の境内の様子である。参拝のあと、「福笹」という笹の枝に小判やらをぶらさげたものを買い求めて、肩にかついで帰る。笹は笹だけで売られ、それにつける小判などは、別途金を払って追加するのである。東京の「熊手」に福面をつけたりするのと同様のことである。

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写真③が福笹。
『年浪草』という本に「諺にいふ、この神は聾にましますとて、参詣の諸人、社の後の板羽目を敲く。その音、昼夜にかまびすし。これ、今日参詣して諸願を訴ふる謂ひなり。」とある。
近年は「福娘」と称して公募して福笹の売り子を募っているが、応募者が多いので、なるべく美人を選ぶという。今年は45人採用したという。
1月10日前後には南地の花柳界の芸妓の綺麗どころを「宝恵かご」と称する駕籠に乗せて近在を練り歩く行事がある。これも神社の宣伝のためとは言え、人気がある。

ネット上では、他にも動画などがたくさん見られる。お試しあれ。
今年は1月9日に盛大に練られた。

以下、十日戎を詠んだ句を引いて終る。

 福笹をかつぎ淋しき顔なりし・・・・・・・・高浜年尾

 地下道を華やぎ通る福笹持ち・・・・・・・・橋詰沙尋

 初戎ねがひのうなじうつくしく・・・・・・・・牧野多太士

 残り福得んと人出に押されけり・・・・・・・・吉川一竿 

 大阪を好きも嫌ひも宵戎・・・・・・・・吉田すばる

 小火騒ぎありて今宮宵戎・・・・・・・・後藤鬼橋

 福笹にきりきり舞の小判かな・・・・・・・・倉西抱夢

 きらきらと賽銭舞へり初戎・・・・・・・・金田初子

 福笹の大判小判重からず・・・・・・・・嶋杏林子

 凶くれて残り福とは面白し・・・・・・・・細見しゆこう

 雑踏を夫にかばはれ初戎・・・・・・・・上野美代子

 残り福疲れし声をあげて売る・・・・・・・・大戸貞子

 吉兆や佳人に足を踏まるるも・・・・・・・・大野素郎

 初戎笹の葉一枚づつの福・・・・・・・・三島敏恵





蝋梅が咲くとろとろととろとろと・・・・・・・・・・・・青柳志解樹
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       蝋梅が咲くとろとろととろとろと・・・・・・・・・・・・青柳志解樹

蝋梅は年末から年始にかけて咲くが、花期は長いので今がポツポツ咲きはじめたというところである。
この句の「とろとろと とろとろと」というオノマトペが秀逸である。
この句に添えた彼のコメントには「老人がローバイの花を見ながら、日向でとろとろと、うたた寝している」様という。
蝋梅は、丁度いま年末から新年の時期にかけて咲く花である。
花期は寒い時期なので満開になるには一ヶ月くらいは綺麗に見られる。
昨年末からプレ・クリスマス寒波が来たりしたが、まだ葉が残っていて、葉が残っていると、黄色の花が見え難いので葉をむしって落したりする。
蝋梅は学名をChimonanthus praecoxというが、中国には広く分布している。
花びらが芯まで黄色一色なのが「素心蝋梅」という。花びらが「蝋」に似ているので蝋梅という。
いかにも蝋細工で出来ているという感じの花である。

sosin-roubai3蝋梅

花は下向きにつく。
下から見上げると青空に花びらが少し透けて見える。

sosin-roubai2蝋梅の実

写真③は蝋梅の実である。この実が地に落ちて新芽が出てきて新しい幹が育つ。日当たりのよい場所を好むが、条件が整えば、やたらに増える木である。
梅と同じく、花は旧い枝につき、その年に伸びた徒長枝にはつかない。放っておくと木はどんどん大きくなって始末に負えないので、成長期には徒長枝は、どんどん切る。
中国から渡来したので「唐梅」の名もあるが、梅とは別種のもの。
きわめて香りの強いもので、屋内であれば頭痛を起すのではないかと思われる。
私の家の庭の一角にも、他所から頂いた蝋梅が位置を占めているが、樹形を大きくしないように維持するのに苦心している。
放っておくと大きくなりすぎて、他の木を日蔭にしてしまうので始末に悪い。
しかし花の少ない冬の景物として貴重な存在である。
以下、蝋梅を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 蝋梅のこぼれ日障子透きとほす・・・・・・・・菅裸馬

 蝋梅のかをりやひとの家につかれ・・・・・・・・橋本多佳子

 蝋梅の咲くゆゑ淡海いくたびも・・・・・・・・森澄雄

 蝋梅に斎庭(ゆには)は雪を敷きにけり・・・・・・・・宮下翠舟

 蝋梅やいつか色ます昼の月・・・・・・・・有馬朗人

 蝋梅の光沢といふ硬さかな・・・・・・・・山上樹実雄

 蝋梅のぬかるみ匂ふ鯖の道・・・・・・・・吉田鴻司

 蝋梅の蕾の数が花の数・・・・・・・・倉田紘文

 蝋梅に虻は上向きつつ移る・・・・・・・・高木石子

 蝋梅につめたき鳥の貌があり・・・・・・・・岸本尚毅

 蝋梅の蕾ながらも黄の目立つ・・・・・・・・江口竹亭

 蝋梅の咲く日溜りを皆好む・・・・・・・・佐藤兎庸

 蝋梅の花びら重し花透けて・・・・・・・・安田建司
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なお蛇足だが、橋本多佳子の句にあるように、「香る」という言葉の歴史的かなづかいは「かをる」が正しい。「香り」ならば「かをり」である。
布施明が歌ってヒットした歌 「シクラメンのかほり」 というのがあるが、なまじ大ヒットしたが故に、この仮名づかいが正しいように誤解されているが、
これは作者の小椋佳の勘違いによる間違いであり、いつまでも恥を曝しているようなものである。
知ったかぶりをして、歴史的かなづかい(旧かな)にしたために間違ったのである。ここは素直に「新」かなづかいにしておいたら、恥をかかずに済んだのである。
ブログ上でも、これにつられて「かほり」と書いてあるのを時々見かける。念のために申し上げておく。
ただし「人名」である場合は、この限りではない。


喪中欠礼の葉書数葉脇に置き生ける人らに賀状書き継ぐ・・・・・・・・・・米満英男
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──季節の歌鑑賞──年頭の歌風景いくつか

     ■喪中欠礼の葉書数葉脇に置き
           生ける人らに賀状書き継ぐ・・・・・・・・・・米満英男


米満氏は私の兄事する歌人であった。昭和三年生まれ。先年亡くなられた。
亡くなられたときにブログに記事を書いた。
この歌は角川書店「短歌年鑑」の過年度(2008年)の「自選作品集」に載るもので、
「賀状欠礼」と題する5首のうちのものである。
前後に載る歌を引くと

   ・しんかんと大根抜かれし畑の穴満月の下いよよ冥(くら)かり・・・・・・・・・米満英男
   ・朝夕に向かふ食卓この狭く温き平面を日常と呼ぶ
   ・目頭が目尻を詰(なじ)り言ふことにお前すこしはその尻拭へ
   ・この歳まで生くればついで百歳まで生くるべしなんて はい冗談冗談

とあり、何とも洒脱なものである。以下、引用は同じところから。

  ■新(にひ)年のふるさとの山明けそめて
    はろばろとおもふ <春はあけぼの>・・・・・・・・・・・・・・・志野暁子

  ■波の穂に止(とど)まれるかにかもめ飛び
    沖ほの暗し冬の日本海・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子正男

  ■無尽数の雪片意思をもつごとく
    海に降り陸(くが)に降り人間(じんかん)に降る・・・・・・・・橋本喜典

前後に載る歌を引く。

   ・この年の初の買物ずつしりと上下二冊の『道元禅師』・・・・・・・・・・・橋本喜典
   ・白き葉を紅がつつめる寒椿眼を遣るたびにわれをみつむる
   ・初出勤の朝戴きしチョーク箱いづれはわれの柩に入れよ
   ・少(わか)き日の疑問の奥に在りしもの解らねばいまだ老いに到らず

この人は早稲田高校の校長をされた人である。

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     ■ふるふると宇宙に地球が浮いてゐる
          サッカーボールのやうな淋しさ・・・・・・・・・・・・・・由良琢郎


地球は、まさに宇宙に宙づりに浮いているのであるが、それを「サッカーボール」のような「淋しさ」と捉えたところが凄いと思う。
いつも言うことだが、詩というのは陰影を深めるためには「比喩」表現に尽きる。
そういう観点から見ても、この歌は詩として自立し得ているだろう。

「凄い」と言えば、この歌の前に載る作品を引く。

   ・このごろのわれの自在は一瞬に物忘れする凄さもち初む・・・・・・・・・・・・・・・由良琢郎
   ・夜半覚めてふとかなしめり抽出しに余分の時計刻(とき)きざみつぐ

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     ■いつの日か惚け行くらむ素焼の皿に
          盛らるる夢のはんなりとあり・・・・・・・・・・・・・・・山中加寿


ここに引く何人かの人の歌群は、いずれも「老い」の寂寥を湛えていて、それぞれの様相の違いはありながら、いずれも秀逸である。
この山中さんの歌は「素焼きの皿に盛られる夢」という表現が、何とも「詩的」である。
この後につづく歌には

   ・箒持つをりに嗚咽の始まりぬ梅雨のさなかに南瓜はな持つ・・・・・・・山中加寿

この歌は、2008年春四月に亡くなった師・前登志夫の死を思っての「嗚咽」であろう。

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 ↑ モンブラン万年筆

     ■パイロットインクをずっと使ってた
         あなたに遭えたころのブルーよ・・・・・・・・・・・・・・・上野久雄


上野久雄氏は2008年秋9月17日に亡くなった。
この一連は死の前に投稿されていたものである。
上野氏は昭和二年生まれ。短歌結社「未来」創刊以来の同人で、「みぎわ」という自分の歌誌を創刊して才能ある歌人を育てられた。
私なども若い頃は万年筆のインクはパイロットの「ブルーブラック」のインク壺を愛用していた。ご冥福を祈りたい。
この歌は、「未来」の主宰者だった近藤芳美の若い頃の「相聞歌」そっくりの趣を湛えている。

この歌の前後につづく一連を引いて、終りたい。

   ・一切れのロールケーキを食いて立つ死はたしか四時過ぎであるから・・・・・・・上野久雄
   ・午後からは編集会に行くのだと晴れた球場の空に手を振る
   ・稀にしてああ病感のなき目覚め味噌汁の具に今朝はしじみを
   ・西空に集まっている雲たちや一番知っているのは俺さ


人日の日もて終りし昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・稲畑汀子
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↑ 新年の賀を受ける昭和天皇(撮影年度など不詳)

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    ■人日の日もて終りし昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・稲畑汀子

     ■人日(じんじつ)や江戸千代紙の紅づくし・・・・・・・・・・・・・・木内彰志  


冒頭に掲出した稲畑汀子の句について言うと、昭和天皇の亡くなったのは昭和64年の1月7日だった。
翌日1989/01/08をもって、元号は「平成」と改まったのであった。
私は、その時、ニュージーランドのオークランドからオーストラリアのシドニーへの飛行機の中に居て、そのニュースを聞いたのだった。
思えば、昭和も遠くなったものである。
なお「元号一覧」について考えてみるのも面白いので見てみてください。

先に書いたように元日から六日まで「六日年取り」として過し、七日は年改まる日と考えられていた。
今日、七日は七種(ななくさ)粥を食べる風習が平安時代から行われ、今に続いている。
一年の無病息災を祈りつつ粥を食べる日であり、七日に門松などの正月飾りを外す地域も多い。
「人日(じんじつ)」 という呼称の由来については、五日付けで先に書いた。
「七種粥」についても、昨年までに何度も書いたので参照されたい。↓ 参考までに「春の七草」の画像を出しておく。

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さて「七草」のことである。
正式には、七日の前日に、今日七日朝に食べる七種の草の材料として用意したものを賞味するのである。
昨日付けで書いたものを再録すると、天明頃の本『閭里歳時記』に「七種の菜を採りて明朝の粥にまじへ食ふこと、旧きならはしなり。城下にてはわづかに芹・菘等を用ひて、必ずしも七草を用ひず。今夕、かの菜を魚板に置き、桶の上にあげ、擂木(すりこぎ)・魚箸(まなばし)等をも載せて、菜を割りながら節あり、<七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に>と、はやすなり。時々にはやして暁に至る。家々にすることなり」とある。

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     ■人日や古き映画に原節子・・・・・・・・・・・・・・・木内満子

「原節子」は往年の大スターだった。キリッとした美貌が、まぶしかった。
「永遠の処女」と呼ばれた彼女だが、2015/9/05に肺炎のために95歳で亡くなった、という。
一時代を画した彼女の写真を掲げておく。

1949年の『青い山脈』では女性教師役を演じ、服部良一作曲の主題歌「青い山脈」とともに大ヒットとなった。また同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ6作品は、日本映画を代表するものとして、国際的にも有名になった。
1962年の『忠臣蔵』を最後に映画界を引退。1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現さないように隠棲。その後は神奈川県鎌倉市で妹夫婦と暮らしていたらしい。

ここでは、「人日」に因む句を引いて終る。

 何をもて人日の客もてなさん・・・・・・・・・・高浜虚子

 人の日や読みつぐグリム物語・・・・・・・・・・前田普羅

 人日のこころ放てば山ありぬ・・・・・・・・・・長谷川双魚

 人日の厨に暗き独言・・・・・・・・・・角川源義

 人日の夕凍み頃をふらり行く・・・・・・・・・・佐藤鬼房

 人日やにぎたまもまた臓のうち・・・・・・・・・・野沢節子

 人日の納屋にしばらく用事あり・・・・・・・・・・山本洋子

 人日の肝胆沈む枕かな・・・・・・・・・・宇多喜代子

 人日や粥に小匙の塩加減・・・・・・・・・・伊藤白雲

 人日の空のぼりつめ観覧車・・・・・・・・・・星野恒彦

 人日の暮れて眼鏡を折り畳む・・・・・・・・・・岩城久治

 人日や日暮れて鯛のすまし汁・・・・・・・・・・秋篠光広

 人の日の墓に備への竹箒・・・・・・・・・・熊田侠邨

 人日や昭和を楯のわれも老ゆ・・・・・・・・・・江ほむら

 人日や海鵜は高き杭を得て・・・・・・・・・・玉木郁子

 人日の日を分け合ひし烏骨鶏・・・・・・・・・・天野きく江





藤原光顕の歌「あとさきもなく②」・・・・・・・・・・・木村草弥
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──藤原光顕の歌──(23)

     藤原光顕の歌「あとさきもなく②」・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・「たかまる通信」No.101/2016.1.1所載・・・・・・・

        あとさきもなく②   藤原光顕

   骨箱の軽さありありと覚えている手 生きておれば歯を磨く

   もう痛みに呻くこともあるまい 燃え尽きる際の蠟燭の揺らぎ

   はにかんだ遗影の口許「だってー」が口癖だったと聞かされている

   ぼつんと言った須磨のこと六甲山のこと 亡くなる前のいつだったか

   灯の下の独りの食卓 待機時間のような一日もおおかた過ぎて

   もぐもぐかいやもさもさか思う間に独りの夕餉たちまち終わる 
  
   五か月経って夢に出てくる いつものように「まだァ」と言う

   冬物を探すクロ—ゼット もういないひとのスカート奥へ移して

   とりあえず三周忌までは迷うつもり 言いのこした石ころの墓は

   喪中葉書ポストに落ちた音たしかめて 半年が過ぎた径を戻る
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藤原さんの奥様が亡くなられて数か月が過ぎた。
この作品は前作と同じ表題になっているので、私の独断で「②」を付け加えたので、ご了承いただきたい。
夫人を亡くされた哀しみに満ちた一連である。
奥様も、かつて住まいされた神戸の地のことを懐かしく思っておられたようで心に沁みる。
終りから二首目の歌に「三周忌」とあるが、正しくは「三回忌」である。お節介ながら申し上げておく。
私も粛然とした気分で読ませていただいた。 合掌。




祓はれて馬の嘶く六日かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・原茂美
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↑ 北野天満宮2014年「午年」絵馬
 
  ■祓はれて馬の嘶(いなな)く六日かな・・・・・・・・・・・・・・原茂美

    ■一きほひ六日の晩や打薺(なづな)・・・・・・・・・・・・・鬼 貫


節日である七日正月の前夜である。
文化五年刊の『改正月令博物筌』に「今日を馬日とす。○六日年越し、七日は式日なれば、今日をいふにや」とある。
「馬日」に因んで、北野天満宮2014年「午年」絵馬の写真を出してみた。

天明頃の本『閭里歳時記』に「今日七種の菜を採りて明朝の粥にまじへ食ふこと、旧きならはしなり。城下にてはわづかに芹・菘等を用ひて、必ずしも七草を用ひず。
今夕、かの菜を魚板に置き、桶の上にあげ、擂木(すりこぎ)・魚箸(まなばし)等をも載せて、菜を割りながら節あり、<七種なづな、唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に>と、はやすなり。
時々にはやして暁に至る。家々にすることなり」とある。

今日は「寒の入り」である。二十四節季でいう「小寒」ということである。例年なら五日が寒の入りなのだが、今年は「閏年」なので、今日ということである。
今日から「寒」に入って、いよいよ寒さも本格的になるということである。
昨日の夜半には雷がゴロゴロと鳴っていた。いわゆる「寒雷」である。
これが鳴ると、間もなく天気が悪くなるという予兆だと言われているが、果たしてどんな寒さになるだろうか。
当地(京都)でも未明から電線がヒューヒューと鳴っている。この音を聞くと寒くなるなぁ、と実感させられる。

「寒の入り」に合せて本格的な冬になるということで、季節の推移というものは正直なものである。
なお「大寒」は一月二十一日ということである。


「正月六日」を詠んだ句も多くはないが、それらを引いて終る。

 六日はや睦月は古りぬ雨と風・・・・・・・・渡辺水巴

 凭らざりし机の塵も六日かな・・・・・・・・安住敦

 六日夜も灯のついてゐる手術室・・・・・・・・石井保

 眠りの森の美女を見にゆく六日かな・・・・・・・・須川洋子

 冷えきつて賀状の戻り来し六日・・・・・・・・福井隆子

 海を見に来てゐて松も六日かな・・・・・・・・中野あぐり

 活け直し六日の床を新たにす・・・・・・・・鵜飼濃尾女

 朝食をはやばらばらに摂る六日・・・・・・・・細川洋子

 賀状来し人の訃へ発つ六日かな・・・・・・・・伊藤真代

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今日の記事は短いので、週刊「川柳時評」 に載る記事を転載させてもらうことにする。

転 載─週刊「川柳時評」 2015年10月17日土曜日より─

    俳諧史への視線・・・・・・・・如月和泉

10月15日付けの新聞報道によると、これまで所在不明だった蕪村の句集が見つかったという。蕪村存命中に門人がまとめた「夜半亭蕪村句集」の写本である。
句集の存在は戦前から知られていたが、所在不明のままになっていた。数年前に天理図書館が購入した本がそうであることが確認されたということだ。
連句に関して私は蕪村に興味をもつところから出発したので、このニュースに無関心ではいられない。これまで知られていない蕪村句も含まれていて、たとえば次の句である。

傘(からかさ)も化けて目のある月夜哉    蕪村

蕪村の妖怪趣味はよく知られていて、蕪村らしい句である。

別所真紀子著『江戸おんな歳時記』(幻戯書房)が刊行された。
別所は女性俳諧史の第一人者だが、今度の書物は歳時記仕立てになっている。「季語研究会会報」などに掲載された文章もあるが、一書にまとめて読むことができるのはありがたい。
千代尼、智月、園女、諸九尼、星布、菊舎などの名の知られた女性だけではなく、無名の女性や子どもの句なども紹介されている。

春風や猫のお椀も梅の花    九歳 しう (『三韓人』寛政10年)
鶯の空見ていそぐ初音かな   長崎 十歳 易女 (『寒菊随筆』享保4年)

「春風や」の句は猫が食べ散らかしたご飯粒を梅の花に見立てているのだろう。「猫のお椀も梅の花みたい」と口ずさんだのを周囲の者が書きとめたのかも知れない。

しら菊や人に裂かせて醒めて居り  一紅

高崎在の一紅の句集『あやにしき』(宝暦11年)から。これは大人の句。どういう状況か、また何を裂くのかよく分らないが、人に裂かせて自分は醒めているというのは近代的な心情で印象に残る句である。

10月11日に大阪天満宮で「第九回浪速の芭蕉祭」が開催された。他のイベントとも重なって参加者は15名と少なかったが、参加者相互の顔が見える連句会となった。
講演は近代俳句の研究者である青木亮人氏にお願いした。「蕉門歌仙と近代俳句について」と題して、芭蕉七部集の付句と三鬼・秋桜子・青畝・虚子などの俳句を比較するという興味深いものだった。
連句では「投げ込みの月」といって、「月」の字を句の最後に置いて一種の助辞のように使うことがある。たとえば

雑役の鞍を下ろせば日がくれて   野坡
 飯の中なる芋をほる月      嵐雪
    (歌仙「兼好も」・『炭俵』)

という「月」がそれに当たる。青木はこれを次の西東三鬼の次の句と並べてみせた。

算術の少年しのび泣けり夏   三鬼

この「夏」の使い方は今では珍しくないが、当時としては新鮮で、模倣するものが増えたらしい。
三鬼が連句の影響を受けたということではなくて、近世の俳諧と近代俳句の表現がある部分で似ているという指摘をおもしろく思った。

「浪速の芭蕉祭」では連句会の前に大阪天満宮の本殿に参拝してご祈祷を受ける。学芸上達を祈願するのである。
祝詞や巫女による舞のあと代表者が玉串を捧げる。こういう儀式的な側面もはじめての参加者にはおもしろいようだ。
当日は天満宮境内で古書市が開催され、俳諧関係の欲しくなるような古書も販売されていた。「かばん関西」の吟行会も同じ場所であったそうだ。
この日、受付をしていると会員のひとりが岡本星女の訃報をもたらした。10月9日にお亡くなりになったそうである。
星女は阿波野青畝の「かつらぎ」系の俳人・連句人で、夫は岡本春人。春人が亡くなったあとは「俳諧接心」を主宰した。「浪速の芭蕉祭」を立ち上げたのは星女である。
「浪速の芭蕉祭」では例年、連句を募集して優秀作品を天満宮に奉納する。今年は募吟を行わなかったが、連句部門のほかに前句付と川柳の部門も設けている。
川柳の部門を作ったのは星女の強い勧めによる。「現代川柳はすごい。なぜなら、私にはまったく分からないから」と星女は私に言った。
現代川柳は分からない、難解だという人が多いなかで、「分からないからすばらしい」と言ったのは星女ひとりである。

人は死にへくそかずらは実となりぬ    岡本星女
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この引用にあたり筆者には厚く御礼申しあげる。

筆者プロフィール
如月和泉 本名・小池正博。川柳人・連句人。
句集にセレクション柳人『小池正博集』『水牛の余波』(邑書林)評論集に『蕩尽の文芸―川柳と連句』(まろうど社)がある。




江ノ島や五日の磯に人のせて・・・・・・・・・・・・・・・星野恒彦
IMG_1604江の島と富士山
 ↑ 江の島と富士山
  
  ■江ノ島や五日の磯に人のせて・・・・・・・・・・・・・・・星野恒彦

  ■牛日や駅弁を買いディスク買い・・・・・・・・・・・・・・・木村美智子


正月の各日に獣の名を宛て、元日=鶏日、二日=狗日、三日=猪日、四日=羊日、五日=牛日、六日=馬日とし、七日=人日つまり人を占い、人を尊ぶ日、とされていた。
人勝節などとも言い、中国の前漢時代に定められた日だという。

元日から六日まで、天候によりその年の禽獣や農作物が豊かかどうかを占い、七日は人の世界の運勢を占ったらしい。
昔の『歳時故実』という本に「牛日といふ。○木造り始め 禁裏にあり。千寿万歳ならびに猿楽等来たる」とある。
掲出した二句目に「牛日」とあるのは、その意味である。

260px-Enoshima_in_the_Sagami_province.jpg

図版②は葛飾北斎「富嶽三十六景」相州江ノ島の図である。

歳時記に載る「正月五日」の句は多くはないが、引いて終る。

 水仙にかかる埃も五日かな・・・・・・・・松本たかし

 黒燦々正月五日の護美袋・・・・・・・・林 翔

 五日まだ賀状整理に更くる妻・・・・・・・・水島涛子

 蛸干すや五日の凪を讃へつつ・・・・・・・・中村君永

 歳徳の護符の舞い落つ五日かな・・・・・・・・渋谷天眠

 五日舞ふ大袖の振り潮を呼ぶ・・・・・・・・猪俣洋子

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今日の記事は短いので、週刊「川柳時評」 に載る記事を転載させてもらうことにする。

転 載─週刊「川柳時評」 2015年10月31日土曜日より─

    石部明の世界 その一・・・・・・・・如月和泉

石部明は2012年10月27日に亡くなったので、没後三年になる。
死後には忘れられてゆく川柳人が多いなかで、石部明の作品はいまも新しい読者を獲得し、読み継がれている作者の一人である。石部の作品に慣れ親しんでいる場合でも読み直してみると新しい発見があり、それだけ充実した川柳作品であると言えよう。今回は石部の初期作品(「ますかっと」「川柳展望」の時期)を調べてゆくなかで、気づいたことを記してみたい。
まず、1970年代の石部の川柳との関わりを年譜形式でまとめておく。

1939年1月3日 岡山県和気郡三石町(現備前市)に生れる。
1967年 事業のため岡山県和気町に移住。
1974年 和気町文化祭を機に川柳を始める。
1975年 9月「ますかっと」(会員欄「百花集」)へ初投句。会員欄の選者は大森風来子。
1977年 2月「ますかっと」(岡山川柳社)同人。同人欄「黄薇句苑」の選者は延永忠美。このころ「米の木グループ」へ。
1979年 時実新子「川柳展望」会員(19号~)。

石部は「川柳展望」14号から投句を始めているが、会員になったのは19号からである。次に挙げるのは「川柳展望」19号に発表された石部の作品である。

堤防の向こうを父はまだ知らぬ 
ダムになる村がちがちと義歯鳴らす
百姓が笑う仏壇屋の表
遠景の生家を燃やすたなごころ
月光に臥すいちまいの花かるた
晩夏から追いつめられてゆくピアノ
泣き虫だった頃の娼婦の耳の傷
犬の皿すこし正義を考える
いもうとの傘に駆けこむ卑怯者
銀行の横の出口は人ごろし
たましいの揺れの激しき洗面器
神よりもすこし遅れて木にのぼる
許そうとしない猫背を刻む日々
たましいのあと先をゆく伴走者
オルガンを踏んで長女が遠ざかる

「いもうと」「猫」「オルガン」など石部作品に親しんでいる読者にとっては、その後石部の作品に登場する語がすでにいくつか使われていることに気づくだろう。また、石部の作品には二つの世界にまたがる、その境界線上の場所がしばしば選ばれるのだが、ここでも「堤防」「ダム」「仏壇」などの境界線上のトポスが詠まれている。出発のときから彼はすでに自分の世界を持っていたのだ。
第一句集『賑やかな箱』に収録されている句もいくつかある。注目すべきことは句集に収録された句の原型や発想のもとになった句が見られることである。

晩夏から追いつめられてゆくピアノ  (「展望」19号)
晩夏から追い詰められてゆく打楽器  (『賑やかな箱』)

「ピアノ」「打楽器」のどちらがよいかはすぐには決められないが、石部は句集収録に際して改作したあとがうかがえる。初期作品を読んでいると、こういう改作や同じ発想の句がしばしば見られることに気づく。

陽の当る椅子へ一歩のたちくらみ (「ますかっと」昭和53年5月)
やわらかい布団の上のたちくらみ (「展望」16号)

「陽の当る椅子」が一種の隠喩として意味性が強いのに対して、「やわらかい布団」の方は比喩的な意味を喚起しない。どちらがよいかは好みによるだろうが、「やわらかい布団」のほうに表現としての豊かさを感じる。

記憶にはない少年がふいに来る(「展望」15号)
見たことのない猫がいる枕元(「展望」46号)

どちらも『賑やかな箱』に収録されている。発想はよく似ているが、「少年」は「猫」に深化したのだろう。

もうひとつ、私が気になっているのは、「米の木グループ」のことである。そのメンバーは西山茶花・児子松恵・石原園子・行本みなみ・野口寛・平野みさ・石部明であるが、私は「米の木グループ」について石部に質問したことがあり、石部の回答は次のようなものだった。
「石部が参加するようになったのは1977年頃か。代表は特にいなかったが児子松恵が連絡など仕切っていた。しかし、中心は県下でもっとも人気があり、泉淳夫、片柳哲郎、山村祐などに高く評価されていた西山茶花で、それに過激な論客、行本みなみがからむ構図で、結構熱っぽい合評会を月に一回していた。みなみは『川柳木馬』の渡部可奈子特集に本人の望まれて『可奈子論』を執筆したこともあったが、論は過激で片柳哲郎を困らせたこともあり、県下でも交流するものはいなかったが、彼から教わることも多かった。十年ほど続いて、やがて断続的で同窓会的に1992年頃まで続いた」

次に引用する8句は行本みなみの作品である。石部の作品に通底するものを感じる。

それ以後は雨のおんなに入りびたり  (「展望」12号)
二つ転がり二つ音する雛の首
眼をあけて普段着のまま死んでいる
たましいを抜かれ花野に迷うもの   (「展望」13号)
美しい水だ飲めよと突き落とす
墓に立つ女体芯まで青である
対かい合う人形互いに抱かれたく
たんぽぽより少うし高い縊死の足  (「展望」14号)

行本の句について時実新子は次のように述べている。
「来年は遠いと思う夏の墓地/行本みなみの作品から死の匂いが払拭されることはないのだろうか。テーマとして真剣に彼が追求しているのはわかるのだが。そして、死即ち生であることも」(展望12号「前号ブロック評」)

平野みさについては石部自身が影響を受けた句として次の句を挙げている。石部自身の作品と並べて紹介しよう。

菜の花や母はときどき狂います  平野みさ
菜の花の中の激しい黄を探す   石部明(「展望」48号)

最後に石部の次の二句を並べてみたい。

夜桜を見にいったまま帰らない   (『賑やかな箱』、初出「展望」45号)
栓抜きを探しにいって帰らない  (『遊魔系』)

夜桜を見にゆくのと栓抜きを探しにゆくのとでは、ずいぶんイメージが違う。夜桜を見にいってふと行方が分からなくなってしまうというのは何となく理解できるような気がするが、栓抜きを探しにいったまま行方不明になるというのはどういう事態なのだろう。なぜ栓抜きでなければならなかったのか。つまり「栓抜き」の方に不条理性が際立つのだ。
こうして石部は自らのキイ・イメージを深化させつつ定着させていったのだということが初期作品を読むとよく分かる。
私が石部と出会ったときに彼はすでに確固とした存在感のある川柳人だったが、彼にも出発点というものがあったはずだ。出発に際しては彼をとりまく川柳環境から影響を受けただろうが、同時に石部は最初から自己の世界を持っていたとも言える。彼はそれを深化させたのであり、すぐれた表現者であればだれでもそういうプロセスをたどるのだと思う。
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石部明については、このブログでも採りあげたことがある。 この引用にあたり筆者には厚く御礼申しあげる。

筆者プロフィール
如月和泉 本名・小池正博。川柳人・連句人。
句集にセレクション柳人『小池正博集』『水牛の余波』(邑書林)評論集に『蕩尽の文芸―川柳と連句』(まろうど社)がある。



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