K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(2月)月次掲示板
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東日本大震災から四年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
2009.02.28ポンポン山の福寿草
↑ 高槻ポンポン山の福寿草(藤目俊郎氏撮影)

今年も、はや二月になりました。 
「二月は逃げる」と言われて早く経ちます。

 月日は行くにまかせて微かなる身なれば過ぎゆく人も追はずに・・・・・・・・・・・・・・北沢郁子
 いずこかに銀河の生れていずこかに銀河が滅ぶ 冬の陽穏し・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井修
 下総の小さき村を訪ひてをり一人の歌人の伝記書くべく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 神作光一
 乗りたくて後先みずにバスに乗るいづれこの世のどこかに着かむ・・・・・・・・・・蒔田さくら子
 限界の高さに伸びて樹木らはひれぞれの天に触れてよろこぶ・・・・・・・・・・・・・・・橋本喜典
 人の世の手放す時間ゆたかなる時のたっぷり 囲炉裏かこめば・・・・・・・・・・・・・ 玉井清弘
 恐ろしき老の世界に迷ひこみ昨日の顔が破壊されたり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前川佐重郎
 顔の横へ手をふりあげる答礼はヒトラーにおなじ安倍首相なり・・・・・・・・・・・・・・一ノ関忠人
 いつの間にか武器売る国となり居しか逃れなくここに塊として・・・・・・・・・・・・・・大河原惇行
 御旗振り立て都市常民を脅迫す、かかる「愛国」にわれは与せず・・・・・・・・・・・・・・・高島裕
 塚本邦雄いまさばいかに歌ひますや 苦艾は淡黄の花つけるとふ・・・・・・・・・・・・雨宮雅子
 ひとつぶの種にも
あることの形にこもる意志を思えり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中・・・・・・・・・・・・・・・ 三橋敏雄
 冬枯や熊祭る子の蝦夷錦・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 正岡子規
 滴りてしんがりの透く氷柱かな・・・・・・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 ふたつみつ咲き初む梅やアラビア語・・・・・・・・・・薮内小鈴
 漕ぎ出しは獣の目してスキーヤー・・・・・・・・・・・・青木ともじ
 懐手して旧友に会わぬよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮子
 爪先を辺境と思ふ霜柱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青島玄武 
 ストーブの近く雲母の棚の冷え・・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 塞ぎたる北窓と仮面の指紋・・・・・・・・・・・・・・・・・・青山青史
 冬帽のてつぺんどうしても余る・・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 武器捨てよ聴け寒昴視よ静寂・・・・・・・・・・・・・・・・岡田幸彦
 それぞれに回りつづけるスケート場・・・・・・・・・・・・・奥村明
 鳥飼つて二月の空を明るくす・・・・・・・・・・・・・・・・ 青本柚紀
 関節に冬日をこぼしカルテット・・・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 勝独楽の立ちたるままを鷲摑む・・・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 水仙花空家の芝のまんなかに・・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 隣人に挨拶をする梅日和・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北川美美
 あかあかとてのひら舞へり雪兎・・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 描きかけの消防車なり出動す・・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 だんご虫発見の報寒明けぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川わる
 自転車の轍にじみて斑雪道・・・・・・・・・・・・・・ すずきみのる
 水仙の固まり咲や頭痛せり・・・・・・・・・・・・・・・・・・折膝家鴨
 探梅や寄り来る猫の縞模様・・・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 けふよりはびつこの黒き恋の猫・・・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 巫女赤く神主白く梅見頃・・・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 二ン月の谷や小さく鳥も見え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・堀下翔
 梅が香やガスのほのほを細くする・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 熊の湯は谷の深雪に五六軒・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 早梅や湯島の岡の暮れなづむ・・・・・・・・・・ ・・・・・ 杉原祐之
 冬光の膨らむほとり膝近く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
 傘をさす雪となるかも知れぬ雨・・・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 水鳥の群れて水面をほしいまま・・・・・・・・・・・・・・・ 西村恭子
 月欠けてレノンは呼んでいるレノン・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 二股の大根ごろりマリア来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
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 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
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◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
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原田マハ『楽園のカンヴァス』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
原田マハ

──新・読書ノート──再掲載・初出2012/02/16

      原田マハ『楽園のカンヴァス』・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・・・新潮社2012/01/20刊・・・・・・・・・・

     ニューヨーク近代美術館(MoMA)の学芸員ティム・ブラウンは、スイスの大邸宅でありえない絵を目にしていた。
     ルソーの名作『夢』とほとんど同じ構図、同じタッチ。持ち主の富豪は真贋を正しく判定した者に作品を譲ると告げる。
     好敵手(ライバル)は日本人研究者、早川織絵。リミットは七日間――。
     カンヴァスに塗り籠められた真実に迫る渾身の長編!

新潮社の読書誌「波」 2012年2月号より、著者のインタビュー記事を引いておく。
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     [原田マハ『楽園のカンヴァス』刊行記念特集インタビュー]

          二十五年間ずっと書きたかった小説       原田マハ

――このたび刊行される美術鑑定ミステリー『楽園のカンヴァス』は、なんと構想二十五年とうかがいました。構想のきっかけを教えてください。
 美術と私との関わりの最初は小学校二年生の時でした。この小説の舞台でもある倉敷の大原美術館で、ピカソの〈鳥籠〉を見たんです。衝撃的でした。「なんて下手なんだろう、これならあたしでも描ける!」って(笑)。巨匠の名画が一気に身近な存在になりました。その時から、ピカソとはもう四十年ぐらいのお付き合いがあることになります。
 作品そのものの構想が浮かんだのは大学三年生のころ。年上の友人からルソーの画集を見せてもらって、また思ったんです。「なんて下手なんだ」と。でも小学生のときとは全く違う感情でした。技術的には優れていないように見えるけれど、どうしても心にひっかかる。人間の感情に素手で触れるような、見てはいけないものを無理やり見せられたような、むずむずする感じを受けました。その画集にはピカソの言葉も書かれていました。二十世紀初頭の美術界を「今はすごく新しい時代だ」と語った、と。そこでずっと心の中にあったピカソとルソーが繋がり、彼らの時代をいつか書けるんじゃないか、と予感めいたことを思ったのです。当時はまだ自分が作家になるとは考えてもいませんでした。
――本書では、二人の若き研究者が名画の真贋論争とともに、ある物語を読み解いてピカソとルソーの生涯を追いかけます。
 ルソーの作品世界とミステリアスな人生を自分の手でつまびらかにしたいという欲望がずっとありました。革新的なものが生まれる瞬間に立ち会ってみたかったのです。主人公の二人が少しずつ読み解いていくルソーの謎は、私自身が知りたかったことでもあります。ただ、画家たちが生きた時代のどこを切り取るべきかとても迷いました。何よりもまず、小説として読んで面白くないといけない。二人の間に流れる温かい感情のやりとりを表現するため、キュレーターとしての自分は脇に置いて、一作家として思い切って書きました。
――その一方、有名美術館の裏側や大展覧会のからくりなど現代の美術界の様子が実に生々しく描かれています。
 美術界の描写については徹底的にリアルを追求しました。個人的にはニューヨーク近代美術館に勤務した経験が大きかった。同館はさすがに世界的な美術館だけあって、展覧会の完成度が素晴らしく、一キュレーターとしてはとてもかないません。でもその美の裏側にはドロドロした人間関係や、保守的でエリート主義の塊のような人たち、利権にからむ複雑な力学がうごめいていました。それはそれはショックでしたけれど、もしかしたら本書を書くために私はニューヨークに行ったのかも、と今はポジティブに考えています(笑)。
――主人公の一人、早川織絵は美術館の監視員を務めています。なぜこの職業を選ばれたのでしょうか。
 同じ美術に関わる仕事でも、作品を前にしたときの態度はそれぞれの立場で違います。コレクターはその作品をいかにして手に入れるかを考えるでしょうし、画商はいくらで売れるかを、キュレーターはまず展覧会のことを考えるでしょう。その中で、監視員は作品を守って伝えることをもっとも真摯に考えている職業だと思います。でもひょっとすると、一番幸せなのは、一人の観客として美術館を訪れる人かもしれませんね。
 私にとって美術品は決して研究対象ではなく、行けば何かを語りかけてくれる友達のようなものです。だから美術館は友達の家。旅をしていても、いつも世界中に友達の家があって、それぞれに違う物語を話してくれるのです。この小説を読んだ方が、私の友達の家を訪れて、絵画を、そしてルソーやピカソを友達のように親しく思ってくださるならば、それ以上の歓びはありません。    (はらだ・まは 作家)

原田マハ/ハラダ・マハ

1962年、東京都小平市生まれ。中学、高校時代を岡山市で過ごす。関西学院大学文学部日本文学科および早稲田大学第二文学部美術史科卒業。マリムラ美術館、伊藤忠商事、森ビル森美術館設立準備室にそれぞれ勤める。森ビル在籍時、ニューヨーク近代美術館に派遣され同館にて勤務。その後フリーのキュレーター、カルチャーライターに。2005年「カフーを待ちわびて」で第1回日本ラブストーリー大賞受賞、デビュー。同作は映画化され、35万部を超える大ヒットとなる。その他の著作に『一分間だけ』『さいはての彼女』『キネマの神様』『翼をください』『インディペンデンス・デイ』『星がひとつほしいとの祈り』『本日は、お日柄もよく』『風のマジム』『まぐだら屋のマリア』『でーれーガールズ』『永遠をさがしに』など。『楽園のカンヴァス』は著者の本領とも言うべき美術の分野に初めて真っ向から挑んだ長編小説。

目次
第一章 パンドラの箱 二〇〇〇年 倉敷
第二章 夢 一九八三年 ニューヨーク
第三章 秘宝 一九八三年 バーゼル
第四章 安息日 一九八三年 バーゼル/一九〇六年 パリ
第五章 破壊者 一九八三年 バーゼル/一九〇八年 パリ
第六章 予言 一九八三年 バーゼル/一九〇八年 パリ
第七章 訪問―夜会 一九八三年 バーゼル/一九〇八年 パリ
第八章 楽園 一九八三年 バーゼル/一九〇九年 パリ
第九章 天国の鍵 一九八三年 バーゼル/一九一〇年 パリ
第十章 夢をみた 一九八三年 バーゼル
最終章 再会 二〇〇〇年 ニューヨーク
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「波」 2012年2月号より

      [原田マハ『楽園のカンヴァス』刊行記念特集]

       前代未聞の“鑑定対決”エンターテインメント      大森 望

『楽園のカンヴァス』は、素朴派の巨匠、アンリ・ルソーの幻の名画が物語の焦点。「夢をみた」のタイトルで《小説新潮》連載が始まった当初から評判を呼んでいたそうですが、寡聞にして知らず、ゲラで読んで仰天した。原田マハがこんな堂々たるエンターテインメントを書こうとは……。
 絵画をネタにしたミステリーなら、それこそダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』から、一昨年の日本ミス>テリー文学大賞新人賞に輝く望月諒子『大絵画展』まで無数にある。贋作ネタも珍しくない。だがしかし! 本書の趣向は前代未聞。いやはや、こんな絵画ミステリーは初めてだ。
 ……と、興奮のあまり話が先走ったが、もう少し詳しく中身を紹介しよう。物語は二〇〇〇年の倉敷で幕を開ける。四十三歳の早川織絵は、若い頃、パリ在住の美術研究者だったが、日本に帰って、母親の住む岡山で未婚のまま子供を産み、いまは大原美術館の監視員をしながら、母と十六歳になる娘の真絵と平穏無事に暮らしている。そんなある日、思いがけない話が舞い込んだ。大手全国紙の文化事業部が大規模なアンリ・ルソー展を企画し、MoMA(ニューヨーク近代美術館)からルソー最晩年の代表作「夢」を借りようとしたところ、先方のチーフ・キュレーターのティム・ブラウンが、「オリエ・ハヤカワを交渉役にするなら考えよう」と返答したというのである。一介の監視員である織絵が、なぜそんな大役に指名されたのか?
 と、ここまでが第一章。わずか三十数ページのこの章を読むだけで小説世界に深く入り込み、抜けられなくなる。だがもちろん、本番はこのあと。第二章に入ると、物語は一九八三年のニューヨークに飛び、織絵にかわって、若き日のティム・ブラウンが主人公となる。当時の彼は、アシスタント・キュレーター五年目の三十歳。下っ端の雑用係だが、そん
なティムのもとに、ある日、伝説の大物コレクター、バイラーの代理人だという弁護士から、ルソーの知られざる名画
を調査してほしいとの手紙が届く。よく似た名前の上司トム・ブラウンと宛名を書き違えたのだろうが、ティムは千載一遇の好機とばかりに依頼を受け、スイスのバーゼルへ向かう。
 バイラー邸に着いたティムは、もうひとりの鑑定役と引き合わされる。二十六歳の若さでソルボンヌの博士号を取得したルソー研究者、オリエ・ハヤカワだ。そして、やがてふたりの眼前にあらわれた幻の名画とは、「夢」とほぼ同一のモチーフを描いた未発表の大作、「夢をみた」だった。はたしてこれは真作か贋作か。バイラーいわく、今日から七日間かけてこの絵を調べ、判定結果を発表してほしい。その勝者に、「夢をみた」の取り扱い権利を与えよう……。
 おお、まさかの鑑定対決! これだけでもわくわくしてきますが(「開運!なんでも鑑定団」の鑑定中BGMが頭の中で鳴りはじめるあたりが我ながら情けない)、本書の眼目はさらにその先。鑑定の材料として、ふたりは七章から成る物語を一日に一章ずつ読むことを求められる。作中に挿入されるその物語は、一九〇六年のパリに始まり、ルソーの晩年の日々を、まるで見てきたように綴ってゆく。いったいこの物語は何なのか? 「夢をみた」の正体とは? 謎が謎を呼ぶ展開が読者をつかまえて放さない。絵画に関する数々の蘊蓄や美術論も(奥泉光の『シューマンの指』が音楽論と小説をなめらかに融合させていたように)無理なく物語にとりこまれ、小説を読むだけでルソーに(ついでにピカソにも)どんどん詳しくなり、ルソーのことがどんどん好きになる。
 ご承知のとおり、著者は実際にMoMAに勤務し、その後フリーのキュレーターになったという経歴の持ち主。みずからの専門分野を初めて正面から題材に選び、同時にエンターテインメント作家として一大飛躍を果たしたことになる。
「眠れるジプシー女」や「戦争」に魅せられた人はもちろん、ルソーといえばジャン=ジャックでしょ、という人にも(美術の鑑定といえば「なんでも鑑定団」でしょ、という私みたいな人にも)ぜひ読んでほしい、年頭を飾る傑作だ。 (おおもり・のぞみ 書評家)

「立ち読み」も出来るので、アクセスされたい。


星乃 真呂夢「千年の哀歌」第30回國民文化祭 現代詩の祭典・ 文部科学大臣賞受賞作 ・・・・・・・・・・・木村草弥
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↑ 星乃真呂夢さん 2016新年を迎えて 能舞台で (FBから転載)

     星乃 真呂夢「千年の哀歌」第30回國民文化祭 現代詩の祭典・ 文部科学大臣賞受賞作 ・・・・・・・・・・・木村草弥

        千年の哀歌     星乃真呂夢

     老いに しずかに雪の降る
      父の老いという時間に
      しずかに やさしく雪が降る

     夏なのに なぜ こんなに雪が降るのだろ う

      96歳の父は 遠い目をしてつぶやいた
      父には たぶん 見えていたのだ
      とめどなく 舞い降りてくるものが

     70年前のあの日
      沈まないといわれた航空母艦が
     南洋の海に 消えたあの日
      寝食を共にした戦友たちが
     次々と大きな渦に呑み込まれていく
     「おかあさん おとうさん......」
      声だけが 何もない水面に響いていた

     お父さんは 生き残ってしまったからな
      草むしりを 休みなく続けながら
      父は 何かを刈り取っていた
     庭に 日々水を撒きながら
      父は 何かを鎮めていた

     父のたましいの深いところに
      語れない静けさがあり
     それ故 父は 笑うことを好んだ
     父のたましいの深いところに
     語れない怒りがあり
     それ故 父は 季節ごとの花を愛でた
     晩年は特に 桜の花を こよなく愛した
     若き日 水兵さんだった頃の
     消えない嗚咽のようなもの
     それら すべてを一年に一度
     透き通るさくら色にして
      さくらの花は咲ききる
      父の中の すべての名状しがたいものを
      さくら色の花びらのかたちにして
     力強く ひらく
      願いのように 祈りのように
      消えてしまった ひとりひとりを超えて
      いのち全体を 映して
      満開になっていくさくらの樹々よ

     さくらの花びらは雪に似ているな
     夏のある日 父は言った
      人間の愚かさに 人間のはかなさに
     雪と さくらが
      重なり合い どんどん透き通り
     父のなかで降り積んでいるらしい

     ある夏の暑い日 父は肺炎で逝った
      レントゲン写真の父の肺には
      真っ白な雪とも花びらともいえない斑 点が
      振り積み 振り積み
     咳き込みながらも
     しずかに おだやかに
     それでも笑って 父は逝った
      雪と さくら 見えない祈りのなかへ      
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星乃 真呂夢さんは、私の第六歌集『無冠の馬』評を月刊詩誌「詩と思想」2015年10月号で執筆していただいた。
星乃 真呂夢さんのことは何も分からなかったのだが、同氏もFBをやっておられることが今日わかって、そのページを拝見した。
山梨県甲府市にお住まいのようである。
画像として出しておいたが、星乃さんは「第30回国民文化祭・かごしま2015現代詩の祭典in南九州市」の一般の部で、最高賞の文部科学大臣賞を受賞された。
受賞作「千年の哀歌」をFBから転載しておく。
お父上のことを詠みながら、現代に生きるわれわれに考えるべき重いものを提示する。 しみじみと味わいたい。
星乃氏はFBの自己紹介によると「著述業、詩人、エッセイスト。能楽、能や狂言の名人へのインタビュー」と書かれている。
佳い詩を読ませていただいた。 感謝申し上げる。





いのち噴く季の木ぐさのささやきをききてねむり合ふ野の仏たち・・・・・・・・・・・・・・・生方たつゑ
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    いのち噴く季(とき)の木ぐさのささやきを
         ききてねむり合ふ野の仏たち・・・・・・・・・・・・・・・生方たつゑ


冬の間の固い殻を破って、さまざまな木草が新たな命を噴きあげる春。
それを作者は「いのち噴く季」と表現する。
目覚めたのち、ささやき合う木草。その傍らに野仏が、風化して目鼻も定かでない顔だちで、うつらうつらと眠っている。
路傍に野仏をたてた昔の人は、悲しみや祈りをこめて石仏に手を合わせたことだろう。
野仏はそれらの時間を、すべて閉じ込めて、じっと動かずに立っている。
そこには、時の移ろいと、時の停止を同時に語るものがある。

この歌は生方たつゑさんの歌集『風化暦』(昭和49年刊)にあるもの。2000年1月18日に亡くなったが、歌集だけでも20冊に及ぶ。
少し歌を引用してみる。

  草の汁浸みてこはばる手をひたす清きまみづを犯すがごとく

  紅絹(もみ)裂けば紅絹のあやしさにほひ充つ透きとほるまでの嫉妬をもてば

  「平凡に生きよ」と母が言ひしこと朱の人参刻めば恋ふる

  北を指すものらよなべてかなしきにわれは狂はぬ磁石をもてり

  かかる夜ひそかに隕石の墜ちゐむかみづうみ濡らす冬の月かげ

  潮のいろ美しきかな痣のごとき珊瑚礁あるを原点として

  結氷の季も生きゐる魚(いを)のこと羨望しつつ雪の夜点(とも)す

作者は三重県宇治山田(今の伊勢市)生まれの人。「女人短歌」結成に参加した才媛。
家庭的にも育ちのよい境遇の人で、大らかな、女らしい情感のある歌を残す。

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私の住む南山城や奈良盆地は、大陸や朝鮮半島からの渡来人が、早くから住みついて、かの地の先進的な文化をもたらした。
掲出した写真のような野仏も多い。
こういう風物も、すっかり影をひそめて来たが、先人たちの、こういう自然に対する畏敬の念は尊っとんでゆきたいものである。

白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう・・・・・・・・・・・・・・・斎藤史
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   白い手紙がとどいて明日は春となる
     うすいがらすも磨いて待たう・・・・・・・・・・・・・・・斎藤史


今日は2月26日である。昭和11年の、この日に、いわゆる2・26事件が起った。
掲出の歌は昭和15年刊行の第一歌集『魚歌』に載るものだが、初々しい感覚の春の歌である。

この『魚歌』の中に「二月廿六日、事あり、友ら、父、その事に関はる」の前書きで、次のような歌がある。

  春を断る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ

  濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ


これらの歌については後に

「意識してカモフラージュしたところがあるんです。そうしなきぁ発表できない情勢の中、苦しみを吐きたい。しかしリアリズムで書けば通るはずはありません。あの手法しかなかったのです」(「ひたくれなゐの生」樋口覚との対談)

という本人の談話がある。詩で多用する「暗喩」という手法である。
長くなるので、皆さんなりに読み解いて頂きたい。

2.26事件は陸軍の青年将校たち皇道派が、降りしきる豪雪の中、天皇親政を求めて決起して、歩兵第一、第三、近衛歩兵第三の各連隊の部下1400名を率い、内大臣斎藤実、蔵相高橋是清、教育総監渡部錠太郎を殺し、侍従長鈴木貫太郎に重傷を負わせた事件である。
昭和天皇が激怒し、徹底的な鎮圧を命じたため、彼らは「反徒」となり、首謀者は碌な弁護もなく、逮捕から僅か3か月で結審して、首謀者は死刑となった。
事件そのものについては、色々の著書があるので、ここで詳しくは書かない。

ただ斎藤史の父・斎藤劉予備少将も、心情的に彼らを支持したとして「禁固5年」の判決をうけた。
その上、死刑となった栗原安秀中尉や坂井直中尉は、史とは同年輩で、旭川師団長として劉が赴任していた頃から兄妹のように親しくしていた間柄であり、そんな諸々の関係が、斎藤親子のめぐりには存在したのである。
したがって、史には昭和天皇に対する「恨み」のような感情があり、昭和天皇生存中は、史の心は解けることはなかった。
歌集『渉りかゆかむ』に

  ある日より現神(あらひとがみ)は人間となりたまひ年号長く続ける昭和

という歌があるが、これは戦争中は「あらひとがみ」とされていた天皇が、敗戦後マックアーサーとの会見などを経て、詔書を出して、これを否定し、いわゆる人間宣言をされたこと、などへの痛烈な皮肉とも言えよう。

昭和天皇没後、平成の代になって一月の「歌会始」に召人として招かれ、ようやく心の箍が取れたのか、出席したが、

  「おかしな男です」といふほかはなし天皇は和(にこ)やかに父の名を言ひませり

という歌が残っている。宮中の歌会始の会場で天皇から声をかけられた時の情景である。
因みに、父・斎藤劉も若い頃からの歌人で結社「短歌人」に拠って活躍した人である。史は戦後、短歌結社「原型」を起して多くの歌人を育てた。

斎藤史の歌は晩年には自在な境地に達し、たとえば

  ぐじやぐじやのおじやなんどを朝餉とし何で残生が美しからう

  携帯電話持たず終らむ死んでからまで便利に呼び出されてたまるか


のような歌がある。

記憶の茂み

『斎藤文歌集・記憶の茂み』(和英対訳)選歌・英訳 ジェイムズ・カーカップ 玉城周(2002/01/25三輪書店刊) という本があり、斎藤文の珠玉の700首の歌が収録されている。
この本の中に、今回掲出した、この<白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう>があり、その英訳として次のように載っている。

  With arrival of

  the white letter, tomorrow

   will surely turn to

  spring ─ so I wait, and meanwhile

  polish my windows' frail glass.


この英訳が技術的に、どの程度のものか知らないが、日本の大学で長らく教鞭をとり日本語の生理に通暁し、詩人としてまた多くの翻訳を手がけてきたジェイムズ・カーカップと、その良き協力者である玉城周の努力の賜物である。
この本のはじめの部分で「五行31音節という短歌の形式には特にこだわることにした」と書かれている。
この部分は、斎藤文の良き理解者であり、インタヴュアーでもあった樋口覚が翻訳している。
拙速ではなく長年にわたって準備されてきたものと言うべく、相当のレベルの域には達しているだろう。
この本は最近になって私も知って取り寄せたものであり、急遽ここに披露することにした。

松岡正剛の「千夜千冊」の中に彼女に触れたものがあるので参照されたい。
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なお、2・26事件に駆り出された下級兵士の、その後だが、懲罰的に戦地の最前線に送られ、殆どが悲惨な最期を遂げた、という。澤地久枝さんの本など見てもらいたい。






東風ふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ・・・・・・・・・・・・・・・・・菅原道真
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     東風(こち)ふかばにほひおこせよ梅の花
         あるじなしとて春な忘れそ・・・・・・・・・・・・・・・・・菅原道真


今日は2月25日である。この日は菅原道真の命日として、古くは寺子屋などでも絵像を掲げて礼拝したという。
関西では、今も、この祥月命日だけでなく、毎月25日を「天神さん」の日として天満宮にお参りにゆくのは勿論、縁日が出て賑わうのである。
因みに、21日は「弘法さん」の日と言って、空海の忌日で京都の東寺境内ではお参りだけでなく、賑やかな縁日(露店)が出る。骨董品の掘り出し物があったりする。
毎年、1月には初天神、初弘法の日として、一段と混雑する。また12月は、終い(しまい)天神、終い弘法として、一年の無事を感謝し、来年への期待を願うのである。
しめ飾りなどの正月用品も、ここで買う人が多い。
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菅原道真は平安初期の詩人、文章博士。右大臣の位にまで昇ったが、摂関家藤原一族の讒言に遭い(901年天皇の廃位をはかったという無実の讒言)、太宰権帥に左遷され、配所で死んだ。(845年-903年)
道真が梅を愛したことは有名で、この歌は太宰府の地に赴くとき、庭の梅に詠みかけた歌として『大鏡』の藤原時平伝に語られる道真失脚悲話と共に伝承する。

道真の死後、「たたり」と称する異変が相次いで起り、923年罪を取り消して本官に復し、のち993年には正一位太政大臣を贈られた。
その前から民間では祠を北野に建て、天満天神として祭られ、文道の神として今日まで崇敬を受けている。
道真は、行路の危険、唐の戦乱の様子などから「遣唐使」の派遣中止を進言し、以後遣唐使は遣わされないことになったのは、有名な話である。
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ここは「梅」の名所としても有名で、神社の境内には何千本もの梅林がある。写真④は、その一例。
梅の花が盛りの時期は、ここ北野天満宮には多くの人が探梅に訪れるが今年は開花が早い。
この梅園で採れた梅は梅干にされて来年の正月に「大福梅」の縁起物としてお参りの人に授けられる。
今日は「梅花祭」が催行され、野点などが楽しめる。

掲出の「東風(こち)」のことだが、日本の気象は、台風などの特殊な時期でない限り、西から変化する。
「春一番」「春二番」などの時期は、北にある低気圧に向かって東南風が吹き込むことがある。これが「こち」であり、この歌は気象学的にも正しいと言われている。

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京都北野の北野天満宮だけでなく、大阪北野の天満宮など、天満宮、天神社は全国に5000余社に及ぶ。私の住む青谷村にも中天満宮、市辺天満宮と2社もある。
天満宮は、牛が神のお使いとして社頭にうずくまる。
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この歌の結びの「春な忘れそ」のことだが、ご存じのない方のために解説しておく。
「な・・・・そ」という文章の構成法があって、この場合の意味は「春を忘れてくれるな」ということである。
「な」と「そ」で或る動詞を挟むと、その動作を「禁止する」意味を表す。「どうか・・・してくれるな」という意味の強い「結び」の詩句が出来上がるのである。
だから、この歌のように、強いメッセージ性あふれる詩句となるのであった。
「な・・・そ」に挟む動詞は連用形(カ変、サ変動詞は未然形)にする必要がある。
応用として一例を挙げる。「私の傍を離れずにいてほしい」という意味の場合「わが傍な離れそ」というような具合になる。
ただし、これは「文語」の場合だけであって、現代の口語には一切使わない。


菜の花や月は東に日は西に・・・・・・・・・・・・・・・与謝蕪村
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     菜の花や月は東に日は西に・・・・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

日本は春夏秋冬の四季が、はっきり分かれていて、季節の推移が日本人の心に大きく投影している、と思う。
ここに採りあげた蕪村の句は、よく知られた句である。
菜の花の季節は、ちょうど今ころと言えるだろう。
日本列島は南北に長いから、九州では、もう過ぎたかも知れないし、北国では、まだ雪も深い。
ここに書く感覚は、あくまでも京都に住む私の感覚とお許し願いたい。

「菜の花や」と季語と切れ字を冒頭に置いて、見渡す限りの一面の菜の花の姿を読者に想像させる。
そして「月は東に日は西に」である。
ちょうど夕暮れどきで、西に落ち行く日と、東に上る月が、同時に見られる、という場面設定である。
こういうのは、いつも見られるわけではない。
調べてみたわけではないが、興味のある方は、日没と月の出の時刻を調べて頂くと有難い。おそらく、この季節の中で二、三日もあれば、よい方であろう。


現代の我々は、物質文明に毒されて、自然を、ゆっくり見つめるということがない。
田舎に住む私としても、微妙な季節の移り変わりを、自然の風物や風のそよぎに身を任せて感じるという機会が少ない。
どうしても、頭の中で何事も処理し勝ちである。
この句を読むと、春の夕暮れの、のんどりとした田舎の景を目の辺りに、するようではないか。

蕪村は摂津国東成郡毛馬村(現・大阪市)の生れだが、毛馬の閘門と言われる堰のある辺りの生れである。
絵にも才能を持っていて、いわゆる俳画の面でも優れた作品を残している。
故郷の毛馬の辺りを詠った「春風馬堤曲」という連作もあるが、この題名自体が、そのことを、よく物語っている。
蕪村とて裕福な生活をしていたわけではなく、常に「旦那」という「贔屓筋」が必要だった。
私の住むところから数キロ行った宇治田原にも、商家の旦那衆がいたらしく、蕪村筆の作品があるらしい。
蕪村の年譜を覗いてみると、1783年(天明3年)8月風雨のなかを「太祇十三回忌追善俳諧」に出席し、晩秋、宇治奥田原の門人毛条に招かれてキノコ狩りにゆき、初冬から病に倒れた。

 しら梅に明る夜ばかりとなりにけり・・・・・・・・・・・与謝蕪村

が最後の句と言われている。

池西言水という俳人に、

<菜の花や淀も桂も忘れ水>

という句があるが、「淀」というのは宇治川沿いの京都の南はずれ。現在、京都競馬場のあるところ。
「桂」というのは、どなたもご存知だろう。
京都の西郊外を流れて来た桂川と木津川と宇治川が三川合流して淀川となるが、その合流寸前の地が淀である。
豊臣秀吉の側室「淀君」の居城・淀城があったところである。

 菜の花の黄のひろごるにまかせけり・・・・・・・・・・・久保田万太郎

という句も、菜の花の咲く田園の様子を、よく観察して佳い句になっている。
私は久保田万太郎の句が好きである。
京都、滋賀の名産に「菜の花漬」というのがあり、菜の花を蕾のうちに摘み取り、浅い塩漬けにしたもの。
黄色の花の色と緑の葉や茎の配色が鮮やかで、見た目にも食欲をそそる。
季語では5音になるので「花菜漬」と詠まれることが多い。

 人の世をやさしと思ふ花菜漬・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

という句もある。この漬物など、日本人の細やかな感性の賜物であろう。


心臓が「ぽっぺん」と鳴ればそれは恋・・・・・・・・・・・・・・・坂崎重盛
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──再掲載─初出・Doblog2007年2/21──

    心臓が「ぽっぺん」と鳴ればそれは恋・・・・・・・・・・・・・・・坂崎重盛

「ぽっぺん」という長崎由来の玩具がある。「びーどろ」とも呼ばれる。
図版①は歌麿の「びいどろを吹く女」という浮世絵である。
この「ぽっぺん」は何と、俳句の世界では「新年」の季語として歳時記にも載っているのである。
「ポッペン」が、どうして「新年」の季語になったかの経緯は判らない。
角川俳句大歳時記には「正月に吹いて厄を祓う」とあるから、これが妥当な由来かも知れない。

掲出の坂崎重盛はエッセイストで、俳号を「露骨」というらしい。
私はまだ未見だが、石田千『ぽっぺん』という本が出て、その本の紹介記事として新潮社「波」2007年2月号に彼の「ぽっぺん讃句」というのが載って、私は見たのである。
「ぽっぺん」とは薄いガラス製で、細い管と、その先が、お尻の平たい丸い月。
管の先に唇をつけて、息を吹き入れると「ぽっぺん」と乾いたような、くすぐったいような音がする。
オランダかポルトガル由来の西洋のものらしい。
新潮社「波」の記事には、坂崎氏のぽっぺんの句が50近く載っている。
そのうちのいくつかと、歳時記に載る句とを引いておきたい。

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写真②が「ぽっぺん」。
長崎みやげの郷土玩具として、いろいろの柄の「ポッペン」が見られる。
その中のいくつかを載せてみる。

■ぽっぺんの生まれは長崎ぶらぶら節・・・・・・・・・・・・・・・坂崎重盛

 ぽっぺんはタートルよりも鶴の首

 情無や指切りぽっぺん牛蒡切り

 「ぽっぺん」と時のめくれる音がする

 ぽっぺんと果報は寝て待て三日待て

 「今どこに?」ぽっぺん只今迷子中

 鈴は鳴るぽっぺんは吹く人は去る

■ぽっぺんを吹かずに包むたなごころ・・・・・・・・・・・・・・・坂崎重盛

 生き選ぶ、たとえばぽっぺん、無地、格子

 ぽっぺんを吹く瞬(ま)に大人になりにけり

 ぽっぺんのぺこんと凹む色気かな

 ぽっぺんや犬の鼻唄冬の歌

 ぽっぺんの一吹の間のセ・ラ・ヴィかな

以上、ここまでが坂崎氏の「川柳句」である。
「ぽっぺん」という季語は入ってはいるが、彼の句の場合、私はこれを季語だと思わない。
「俳句」ではなく「川柳」だろう。「川柳」には季語という拘束はない。
私が、こう言う根拠は、この坂崎の文章に「これがなぜか新年の季語らしい」とあるからである。
彼が「俳人」ならば、まさか、こういう書き方はしないだろうから。
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2004.12popen三つ組

以下は、歳時記に載る俳句である。

 ぽつぺんは口より遠くにて鳴れり・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 ぽつぺんを吹いて佳きことあるらしき・・・・・・・・・・・・松本旭

 やみつきのぽつぺんを吹くばかりかな・・・・・・・・・・・・岡井省二

 ぽつぺんの闇の深さを計りたる・・・・・・・・・・・・岡田史乃

 ぽつぺんを吹いて浮世絵いろの空・・・・・・・・・・・・中尾杏子

 ひとしきりぽつぺん吹いて母子眠し・・・・・・・・・・・・石垣青葙子

 ぽつぺんと鳴りぬ力を抜きしとき・・・・・・・・・・・・金田志津枝

 ぽつぺんを吹けば夢二の女に似・・・・・・・・・・・・大森扶起子
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koubougiyaman2_1928_17077368三つ組

この記事を載せたら阿佐谷みなみ氏が「ポツペン」を詠んだ次のような漢詩があるとお知らせいただいた。
下記に載せておく。

「倒掖戯」・・・・・・・・・・・・太田玩鴎

玲瓏恰比水晶清。奇韻殊憐玉振声。豈啻揺唇呼吸巧。還縁合掌抑揚鳴。
春風未見携市遊。夏夜初聞吹満城。愛玩多親雛妓袂。涼棚月榭独縦横。

訓読すれば。

玲瓏あたかも比す 水晶の清/奇韻ことに憐れむ 玉振の声
あにただ揺唇 呼吸の巧のみならんや/また合掌 抑揚に縁りて鳴る
春風いまだ見ず 市に携へて遊ぶに/夏夜はじめて聞く 吹きて城に満つるを
愛玩おほく親しむ雛妓の袂/涼棚 月榭 ひとり縦横

鮮やかな美しさは水晶のように清らか。珍しい音は玉振のようで、とりわけ心を引かれる。
唇の呼吸の巧みさだけではなく、てのひらを合わせて抑揚によって音を立てる。
春風のころには街に携え遊ぶ人を見ることはないが、夏の夜になると町中に吹く音が聞こえる。
半玉がもっぱら愛玩し親しみ、涼み棚や月見台で吹くのはこれに限るよ。

詳しいことは阿佐谷みなみ「近代詩探偵の事件簿」の記事を見てください、とは言えない。
阿佐谷さんとは連絡がつかないし、Doblogはサービスを停止していて見られないからである。
ここに記して、御礼申し上げておく。

その後調べてみたら Wikipedia─坂崎重盛 が出ているので参照されたい。



釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの湯を注ぐとき茶の香り立つ・・・・・・・・・・・・木村草弥
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    釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの
          湯を注ぐとき茶の香り立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので、「夜咄の茶事」という11首からなる一連の中の歌である。
WebのHPでも自選に採っているので、ご覧いただける。

「夜咄の茶事」というのは伝統的な茶道の行事で、作法としても結構むつかしいものだが、私たちは、歌にも「寛ぐ」と書いたように略式にして楽しんだものである。
千利休などが茶道の基礎を固めはじめた頃は、茶道は、もっと融通無碍の自由なものであった。
それが代々宗匠の手を経るに従って、それらの形式が「教条主義」に陥ってしまった。
そういう茶道界の内実を知る私たちとしては、そういう縛りから自らを解放して、もっと自由な茶道をめざしたいと考えた。
だから先人にならって「番茶道」を提唱したりした。
利休語録として有名な言葉だが、

  「茶の湯とはただに湯を沸かし茶をたてて心静かにのむばかりなる」

というのが、ある。これは、まさに先に私が書いた利休の茶道の原点なのである。

この「夜咄の茶事」の一連は、私にとっても自信と愛着のあるものなので、ここに引用しておく。

     夜咄の茶事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   冷えまさる如月の今宵「夜咄の茶事」と名づけて我ら寛ぐ

   風化せる恭仁(くに)の古材は杉の戸に波をゑがけり旧(ふる)き泉川

   年ごとに替る干支の香合の数多くなり歳月つもる

   雑念を払ふしじまの風のむた雪虫ひとつ宙にかがやく
   
   釜の湯のちんちんと鳴る頃あひの湯を注ぐとき茶の香り立つ

   緑青のふきたる銅(あか)の水指にたたへる水はきさらぎの彩(いろ)

   恭仁京の宮の辺りに敷かれゐし塼(せん)もて風炉の敷瓦とす

   アユタヤのチアン王女を思はしむ鈍き光の南鐐(シヤム)の建水

   呉須の器の藍濃き膚(はだへ)ほてらせて葩餅(はなびらもち)はくれなゐの色

   釉薬の白くかかりて一碗はたつぷりと掌(て)に余りてをりぬ

   手捻りの稚拙のかたちほほ笑まし茶盌の銘は「亞土」とありて


詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女
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   詩に痩せて二月渚をゆくはわたし・・・・・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

もう二月も終わりに近づいてきたので「二月」「如月」「余寒」「冴え返る」などの季語に因む記事を急いで書くことにする。
二月とか如月とかを映像で示すのは、どうしてよいか判らない。
そこで写真には「冬の渚─砂浜に残る人の足跡」を掲出することにした。

掲出した三橋鷹女の句は、季語として二月という言葉はあるけれども、極めて観念的な句で、そこがまた、類句を超えていると思って出してみた。
「詩に痩せて」というところなど、今の私のことを言っているのではないか、とドキリとした。

 うすじろくのべたる小田の二月雪・・・・・・・・松村蒼石

 竹林の月の奥より二月来る・・・・・・・・飯田龍太

 雪原の靄に日が溶け二月尽・・・・・・・・相馬遷子

 枯れ伏せるもののひかりの二月かな・・・・・・・・遠藤悠紀

 山彦にも毀れるひかり二月の樹・・・・・・・・速水直子

 二月果つ虚空に鳩の銀の渦・・・・・・・・塚原岬

「二月」という季語を使った句を挙げてみた。
「如月」というのは陰暦の二月のことであるから、陽暦では二月末から三月に入るだろう。
「衣更着」の字を宛てるのは、寒さが戻って衣を更に着るからで、「きぬさらぎ」を誤って「きさらぎ」と使ったのだという。
したがって、この言葉は「余寒」のあることを念頭に置いて使うべきだという。

 きさらぎのふりつむ雪をまのあたり・・・・・・・・久保田万太郎

 如月や十字の墓も倶会一処(くゑいつしよ)・・・・・・・・川端茅舎

 きさらぎの水のほとりを時流れ・・・・・・・・・野見山朱鳥

 きさらぎやうしほのごとき街の音・・・・・・・・青木建

 きさらぎは薄闇を去る眼のごとし・・・・・・・・飯田龍太

二十四節気あるいは季語の上では「立春」以後は「春」である。
だから、立春以後、まだ残る寒さを「余寒」という。「冴え返る」という季語も、そういう時に使う。
「春寒」という季語と違うのは、力点が残る寒さの方にあるのである。

 鎌倉を驚かしたる余寒あり・・・・・・・・高浜虚子

 鯉こくや夜はまだ寒千曲川・・・・・・・・森澄雄

 余寒晴卵を割つて濁りなし・・・・・・・・青柳菁々

二月の終わりを「二月尽」という。この「尽」というのは毎月の終わりの日に使える。
もうすぐ三月だという季節感が盛られている季語である。

 ちらちらと空を梅ちり二月尽・・・・・・・・原石鼎

 束の間のかげろふ立てば二月尽・・・・・・・・森澄雄

 風邪の眼に雪嶺ゆらぐ二月尽・・・・・・・・相馬遷子

 よべの雨に家々ぬれて二月尽・・・・・・・・内田百閒



格子戸を開けると外は雪/桜色がよく映えた・・・・・・・・・・・・・中原道夫(春の雪)より抄出
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    春の雪──京都嵐山にて・・・・・・・・・・・・・・中原道夫

       行きずりのその店の
       それは女将であったか
       仲居であったか
       女の笑顔が
       桜色の着物によく映えた
       迷ったあげくのことであったが
       ぼくはこの店を選んだことが嬉しかった
        ──どうぞ、お茶を
       一口、志野焼きの湯飲みに口をつけたものの
       料理ができるまで少々時間がかかるらしい

       ──ちょっと、用を足してきますから
       ──そちらの奥どすが
       指差す桜色の襟元が旅情をひとしおかきたてた

       ──お戻りやしたか
       席にもどるぼくに新しい茶を出す女の手は美しかった
       ──今日は、よう冷えますので、熱いのを
       ぼくはこの店を選んだことがふたたび嬉しかった
        ──料理もおいしくいただけたけれど、
       お茶がとてもおいしくて
       京女に東男というけれど
       ぼくはこの店を選んだことがまたまた嬉しかった

       格子戸を開けると外は雪
       桜色がよく映えた

(北溟社刊『滋賀・京都 詩歌紀行』より)
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写真は「花灯路」という行事の時の嵐山・渡月橋である。
京都は観光地として根強い人気があり、私の首都圏に住む知人など、折にふれて一年に何度も京都に通っている。
そんな中では「冬」はオフシーズンではあるが、「通」の人には、この冬場こそ京都観光の穴場なのだという。
オン・シーズンの時は観光客で混んでしまって、ゆっくりすることも出来ないが、冬なら、ゆつくり見て歩くことが出来よう。
平素は公開しない所も、冬場に公開されることもあり、それが「穴場」と称される所以である。
お試しあれ。


一二輪まことに紅濃き梅の花かなしきかなや若き死者のこゑ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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  一二輪まことに紅濃き梅の花
    かなしきかなや若き死者のこゑ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


いよいよ梅の花が咲きはじめる季節になった。
「梅」の花の時期になると、私には忘れられない亡姉・登志子の忌日が巡ってくる。

この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いただける。
この歌は私の亡長姉・登志子を詠んだもので『嬬恋』をはじめ、第一歌集『茶の四季』(角川書店)にも、姉のことを詠った歌がある。
先に、それらの歌を引用しておく。

  紅梅を見つつ独りの酒に酔ふけふは姉の忌と思ふたまゆら・・・・・・・・・・・・木村草弥

  紅梅が美しく咲けばよみがへる血喀(は)きしときの姉の悲鳴が

  めつむれば紅梅匂ひをしたたらす月に絹暈(けんうん)かかる夜明り

  一二輪まことに紅濃き梅の花さびしきかなや若き死者のこゑ

  梅の香に抱かれて死なむと言ひし姉いまだ寒さの厳しかりしを

  うら若き処女(をとめ)のままに姉逝きて忌日の二月十九日かなし

  満開の梅の下にてわれ死なむと言ひし姉逝き五十年過ぐ

姉・登志子とは私は十歳の年齢の開きがある。上の歌に詠んだように姉が結核で「喀血」したとき、私は同じ二階の部屋に寝ていたのである。
長兄・木村庄助が結核に感染して帰郷して来て以来、わが家は次々と結核に罹った。
長兄が昭和18年5月に死んで、姉は、その翌年19年2月19日に死んだ。
姉は喀血したとき、私にすぐに階下に降りるように悲痛な声をあげた。私は中学一年生であった。
そのような体験は私の少年期の記憶として鮮明に残ることになった。
これらのことは何度もあちこちに書いたので、ここでは詳しくは書かない。
ただ肉親として姉弟としての関係のほかに、上に書いたようなことがあるので私には忘れがたい悲痛な思い出として残っているのである。
念のために書いておくが、死んだのは庄助が先だが、私たち兄姉では、姉・登志子が一番上である。
5首目と7首目の歌については、もうあちこちに何度も書いたことだが、西行の有名な歌があり、それは「桜」を詠ったものだが、私の村は鎌倉時代以来、「梅」の名所でもあるので、姉は、明らかに西行の「ーー花のもとにてわれ死なむーー」の願望を踏まえた上で、「梅」に置き換えて言った心境だったのである。
引用した終りの歌では五十年となっているが、この歌を作ったときが五十年だったわけで、今では、もう六十年を過ぎてしまった。まさに、嗚呼というほかない歳月の速さである。
今日は登志子の祥月命日にあたるので、ここに記事を記して、姉に捧げるものである。
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梅の花は桜と並んで代表的な春の花だが、当地・青谷は鎌倉時代から梅林で有名なところであり、私たちには、ゆかりのある花なのである。
その所以については、上に書いた通りである。
梅は香気が高く、気品のある清楚な花であり、桜のようにわっと咲いて、わっと散ることもなく、まだ寒さの残る気候の中で、長く咲きつづけるから、私などは、どちらかというと、梅の方が好きである。
古くから日本人には親しまれ、「万葉集」では、花と言えば梅のことであった。
以下、梅を詠んだ句を引いておく。

 梅一輪踏まれて大地の紋章たり・・・・・・・・・・中村草田男

 勇気こそ地の塩なれや梅真白・・・・・・・・・・中村草田男

 悲しめば鱗のごとく梅散りしく・・・・・・・・・・原コウ子

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ・・・・・・・・・・石田波郷

 梅白しまことに白く新しく・・・・・・・・・・星野立子

 梅が香に襲はれもする縋られも・・・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅咲けば父の忌散れば母の忌で・・・・・・・・・・安住敦

 梅挿すやきのふは酒のありし壜に・・・・・・・・・・石川桂郎

 梅二月ひかりは風とともにあり・・・・・・・・・・西島麦南

 静けさのどこか揺れゐて梅白し・・・・・・・・・・鷲谷七菜子

 月光に花梅の紅触るるらし・・・・・・・・・・飯田蛇笏

 うすきうすきうす紅梅によりそひぬ・・・・・・・・・・池内友次郎

 紅梅の燃えたつてをり風の中・・・・・・・・・・松本たかし

 紅梅や熱はしづかに身にまとふ・・・・・・・・・・中村汀女

 厄介や紅梅の咲き満ちたるは・・・・・・・・・・永田耕衣

 白梅のあと紅梅の深空あり・・・・・・・・・・飯田龍太

 紅梅の天死際はひとりがよし・・・・・・・・・・古賀まり子
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今日は暦の上では「雨水」ということである。
これからは、一雨ごとに暖かくなっていくという、ひとつの指標である。こういう季節感を大切にしたい。








枯蓮となりてののちの日数かな・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
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       枯蓮となりてののちの日数かな・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦

普通、「ハス」は蓮根を採るための農作物だが、この頃では「生け花」用に「花蓮」が栽培されている。
私の方の近所でも花卉栽培農家があちこちに「蓮田」を作っている。
もっとも忙しい時期は、月遅れ盆の前10日間くらいである。お盆の行事に蓮の花を仏前に供えるからである。

「枯れ蓮」というのが冬の季語で、葉や蓮の実が残骸のように転がっているのが「あわれ」を催すというので、古くからの季語になっている。
掲出の句は、「枯蓮」が春になって新芽を出し、緑もつややかな蓮になるまでの日々を思って詠んでいる。
以下、枯れ蓮を詠んだ句を引いておく。

 枯蓮の銅(あかがね)の如立てりけり・・・・・・・・高浜虚子

 蓮の骨日日夜夜に減りにけり・・・・・・・・青木月斗

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し・・・・・・・・水原秋桜子

 湖の枯蓮風に賑かに・・・・・・・・高野素十

 ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる・・・・・・・・秋元不死男

 枯蓮をうつす水さへなかりけり・・・・・・・・安住敦

 枯蓮のうごく時きてみなうごく・・・・・・・・西東三鬼

 枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・・・・・・松尾いはほ

 白くさむく枯蓮の裾透きにけり・・・・・・・・草間時彦

 枯蓮の敵味方んく吹かれゐる・・・・・・・・清水昇子

 枯蓮(はちす)考へてゐて日が動く・・・・・・・・岸田稚魚

 枯蓮の折れたる影は折れてをる・・・・・・・・富安風生

 枯蓮をめぐり一生を経しごとし・・・・・・・・鷹羽狩行

 われを消すものほうほうと蓮枯れて・・・・・・・・手塚美佐

 繋がっているを悦び枯蓮(はちす)・・・・・・・・久保純夫

 蓮枯れて風の放埓はじまりぬ・・・・・・・・浅沼艸月



石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも・・・・・・・・・・・・・・・・志貴皇子
warabi17さわらび

     石(いは)ばしる垂水の上のさ蕨の
        萌え出づる春になりにけるかも・・・・・・・・・・・・・・・・志貴皇子


歌いぶりは率直、歌意も単純明快である。垂水=滝と言っても小さなものだろうか。
その滝の傍らに生えているわらびが、芽を出す春になった、という喜びを述べている。
立春から多少日を経たころの景色だろう、爽やかに、心のはずむ春の到来が、快い調べになっている。

この歌は「万葉集」巻8、春の雑歌の巻頭にある有名な歌だが、実景に即して、感動や情感を写し取るように描写する「万葉集」の表現方法は力づよい。
これ以上の余計な雑言は不要だろう。

わらび、ぜんまいの類は山野草摘みの代表的なもので、早春の風景と切り離せない。
地下茎から春に芽が出て、こぶしを丸めたような形をしている。この頃の若芽が食べ頃である。
「さわらび」の「さ」は「早い」という意味の「接頭語」である。わらび、ぜんまいの類は早春の今ごろに新芽が萌え出てくる。
昔の本には旧暦の一月の頃に出ると書かれているから、今の陽暦に直すと二月頃ということになる。

 みちのくのわらび真青に箸に沁む・・・・・・・・・・・・・ 島みえ

という句にもある通り、山里の季節のものとして珍重される。
「ぜんまい」(薇、狗背と書かれる)も同じ羊歯類の植物である。
以下、「わらび」「さわらび」「蕨狩」を詠んだ句を引いて終る。

 負ふた子に蕨をりては持せける・・・・・・・・・・・・暁台

 天城嶺の雨気に巻きあふ蕨かな・・・・・・・・・・・・渡辺水巴

 早蕨は愛(かな)しむゆゑに手折らざる・・・・・・・・・・・・富安風生

 道ばたに早蕨売るや御室道・・・・・・・・・・・・高野素十

 月日過ぐ蕨も長けしこと思へば・・・・・・・・・・・・山口誓子

 早蕨の青き一と皿幸とせん・・・・・・・・・・・・成田千空

 早蕨や地下錯綜の上に立ち・・・・・・・・・・・・和田悟朗

 良寛の天といふ字や蕨出づ・・・・・・・・・・・・宇佐美魚目

 落ちかけて日のとどまりし蕨かな・・・・・・・・・・・・藤田湘子

 早蕨や蔵王の見える厨窓・・・・・・・・・・・・星野椿

 早蕨や若狭を出でぬ仏たち・・・・・・・・・・・・上田五千石

 堰かれては水のはばたく初蕨・・・・・・・・・・・・三田きえ子

 早蕨や野川鳴りつつ光りつつ・・・・・・・・・・・・山田美保

 野に惚けゐるは吾とも蕨とも・・・・・・・・・・・・藤村瑞子

 窯焚きへ湯気あたたかき蕨飯・・・・・・・・・・・・武田稜子

 丘にきて風のうごかす蕨摘む・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 八ヶ岳仰ぐやわらび手にあまり・・・・・・・・・・・・及川貞

 ぜんまいののの字ばかりの寂光土・・・・・・・・・・・・川端茅舎

 ぜんまいの渦巻きて森ねむくなる・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

 ぜんまいの渦の明るさ地をはなれ・・・・・・・・・・・・岸霜陰



如月の水にひとひら金閣寺・・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏
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──京の冬の庭の句いくつか──

   ■如月の水にひとひら金閣寺・・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏

俳句は17字と短いので語句を省略することが多い。この句も「ひとひら」ということについては何も書いてない。
この句の場合、「ひとひら」というのが、今の季節の梅の花びらが浮いているのか、あるいは水に映る金閣を花に譬えて「ひとひら」と言ったのか、
読者にさまざまに想像させる言外の効果をもたらすだろう。
何もかも言い切ってしまった句よりも、「言いさし」の句の方が趣があるというものである。

   春雪や金閣金を恣(ほしいまま)・・・・・・・・松根東洋城

   池にうつる衣笠寒くしぐれけり・・・・・・・・・名和三幹竹


muraムラサキシジミ

   ■凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人

「凍蝶」については何度も書いた。最近にも載せたが、成虫のまま冬を越す蝶のことである。
写真②のムラサキシジミも、成虫のまま越冬することが知られている本州に棲む蝶である。
「築地」とは築地塀とも言うが、泥土を固めて作った塀で上に瓦を乗せてある。
京都の寺院の塀などは、みな築地造りである。
この句は、冬の季節の今、そんな築地を眺めながら、「凍蝶は、この庭のどこかで越冬しながら春を待ちこがねて、やがて春になれば、
この高くはない築地を越えてゆくのだろう」と思いをめぐらしているのである。
しみじみとした情趣のある句である。

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   ■寒庭に在る石更に省くべし・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

   梅天やさびしさ極む心の石・・・・・・・・・・中村汀女

   みな底の余寒に跼み夕送る・・・・・・・・・宮武寒々

これらの句は龍安寺で詠まれたものである。
写真③には雪の石庭を出してみた。
掲出の誓子の句は「石更に省くべし」という大胆なことを言っている。
この寺は臨済宗妙心寺派の古刹だが、応仁の乱の東軍の大将・細川勝元が創建したが応仁の乱で消失し、勝元の子・政元が再興したが
寛政9年(1797)の火災で方丈、仏殿、開山堂などを失い、現在の方丈は、西源院の方丈を移築したものという。
因みに、二番目に掲出した相生垣瓜人の句も、ここ龍安寺で詠まれたものである。

kakura-nisonin35w愛新覚羅浩(嵯峨)家

  ■僧も出て焼かるる芝や二尊院・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

   雪解(ゆきげ)水ここだ溢れて二尊院・・・・・・・・・波多野爽波

二尊院は嵯峨野の西の小倉山の山懐にある。
ここには正親町三条を源とする「嵯峨」家30代にわたる菩提寺で、写真④に掲出する嵯峨家の墓がある。
愛新覚羅浩という、元の満州国皇帝の弟に嫁いだ浩は嵯峨家の出身である。

    からくにと大和のくにがむすばれて永久に幸あれ千代に八千代に

昭和53年(1978)8月、日中平和友好条約が成立したとき、愛新覚羅浩が、わが身を顧みて、心からその喜びを歌に詠んだ。まな娘・慧生の23回忌であった。
小倉山というのは「百人一首」で知られるところである。

giouji1祇王寺

   ■祇王寺と書けばなまめく牡丹雪・・・・・・・・・・・・・・・高岡智照尼

    句を作る尼美しき彼岸かな・・・・・・・・・吉井勇

    祇王祇女ひそかに嵯峨の星祭・・・・・・・・・岡本綺堂

    声のして冬をゆたかに山の水・・・・・・・・・鈴木六林男

    祇王寺の暮靄(ぼあい)の水の凍てず流る・・・・・・・丸山海道

    しぐるるや手触れて小さき墓ふたつ・・・・・・・・・貞吉直子

「祇王寺」とは平家物語で知られる白拍子祇王ゆかりの寺である。寺というよりも庵であろうか。
平清盛の寵愛を受けていたが、仏御前の出現によって捨てられ、母と妹とともに嵯峨野に庵を結んで尼となった。
後に仏御前も祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしたという。
この庵は法然上人の門弟・良鎮によって創められた往生院の境内にあったが、
今の建物は明治28年に、時の京都府知事・北垣国道が嵯峨にあった別荘の一棟を寄付したものである。
所在は嵯峨鳥居本小坂町である。
この句の作者についてはWikipedia─高岡智照 ← を参照されたい。

金原まさ子句集『カルナヴァル』 『遊戯の家』 エッセイ集『あら、もう102歳』・・・・・・・・・木村草弥
金原_0001
 ↑ 第四句集『カルナヴァル』草思社2013/10/08第三刷
金原_0002
 ↑ 第三句集『遊戯の家』金雀枝舎2010/10/12刊
金原
 ↑ エッセイ集『あら、もう102歳』草思社2013/10/11第三刷

──新・読書ノート──

     金原まさ子句集『カルナヴァル』 『遊戯の家』 エッセイ集『あら、もう102歳』・・・・・・・・・木村草弥

金原まさ子さんは、最近たいへん話題になっている人である。
今年105歳になられる。
本の出版年月や版などについては画像の下に書いておいた。 はじめの二冊などは、よく売れて増刷されている。
というのはテレビの「徹子の部屋」などに出られてマスコミ的にも話題になったからである。
「100歳ではじめたブログ」と書かれているが、これは本人が全部やっているというものではなく、「管理者」が居て、金原さんがほぼ毎日新作の句をファックスで送ってくるもの。
『カルナヴァル』の「あとがき」によると、この「管理者」というのは小久保佳世子さんという編集者らしい。
「金原まさ子 百歳からのブログ」 ← はネット上で読める。
「週刊俳句」2/9号の103歳のお誕生会 ← の記事が面白い。ぜひお読みを。

前置きが長くなった。
作者の作品の紹介に入りたい。

    春暁の母たち乳をふるまうよ

    囀りのごときに耽り神々は

    真空に入り揚雲雀こなごな

    水を歩いて水に置き去り春日傘

第三句集『遊戯の家』の巻頭から引いた。
並の俳句とは違う「前衛的」な、敢えて言えば「短詩」「象徴詩」とも言える作風である。
この句集の作品の大半は定型通り575で詠まれているが、徐々に「破調」が頭を出してくる。
定型に収まりきらずになってくる。 それだけ作者は「自由」を求めている。
ここに引いた三番目の句の結句「こなごな」に、その片鱗が出ている。ここは普通なら「こなごな・に」となるところだが、金原さんは、それでは面白くないと「拒んだ」。

    梅咲いて腐乱はじまる遊戯(ゆげ)の家

この句から句集の題名が採られているようである。

    虹の根で抱きあうよユニクロとランバン

    金魚玉透かすとマチュ・ピチュが見える

    スワヒリ語もて雷を怖がれり

    白玉をきれいに丸め悪人よ

    スカラベの王位をねらう肢づかい

    老酒やテキーラや赤い目の虻や

    チンザノとミシマと鮎のハラワタと

    先ずウニやアワビやトロや草田男忌

カタカナ語の駆使が絶妙である。 それに、この頃すでに百歳だが、関心のある対象が時事的で、気持ちが若い。
これらの句を眺めていると、余計な解釈が馬鹿げてくる。
俳句の良質の「二物衝撃」の典型のような句もある。

    指一本挿してありライムジャムの壺

    すいつちょの髭触れている不整脈

    象色の象のかなしみ月下のZOO

    生牡蠣を朝食う貴族には勝てぬ

    耳袋一個鑑識に廻り来る

    夕顔はヨハネに抱かれたいのだな

    庭師老いヨルザキアラセイトウに憑きぬ

    月光中毒丁字花蒜花煙草

    薄荷油を塗りあってヨハネ・ルカ・マルコ

百歳まで生きてきたからというのではなく、深い読書による知識の蓄積と、何事にも「好奇心」を持って接する作者の「生きざま」が彷彿とする一巻である。
「奇想」とも言うべき着想のキラメキがあちこちに、ある。

第四句集『カルナヴァル』から引いてみよう。

    ひな寿司の具に初蝶がまぜてある

    ヒトはケモノと菫は菫同士契れ

    猿のように抱かれ干しいちじくを欲る

    貝塚氏ドトールを出て斑雪野(はだれの)へ

    衆道や酢味の淡くて酢海鼠の

    雲の峯まっしろ食われセバスチャン

「カルナヴァル」とはカーニバル(謝肉祭)のフランス語である。 あちらでは乱痴気騒ぎをするので、この句集は、それに因んであるらしい。
いささか乱痴気騒ぎ風である。 この句集では、金原さんの詠みたいように、一層「自由」度が増しているようである。
この本の装丁が凄い。
奥付によると装丁デザインはMalpu Designの清水良洋と佐野佳子によるものらしい。

    エスカルゴ三匹食べて三匹嘔く

    責めてどうするおおむらさきの童貞を
           「ひとつおとりよ。
              お星さまのかけらだ。
              空から落ちたんだよ」
                     シベールの日曜日


    鶴帰るとき置いてゆきハルシオン
            うつせみの世は夢にすぎず
                死とあらがいうるものはなし   (ヴイヨン「遺言詩集」)


    拝んでしまうキノコをお告げと思うので
     もう「韜晦」のねこ暮しよ

    テキーラをあびせよこんがらがった蛇に
              より目になるほど飲んでみたい。

    山羊の匂いの白い毛布のような性
                モリ・マリは「恋人たちの森」を
                     たった一枚のグラビア写真を見ただけで書いた。


    いなびかり乞食(かたい)とねむる妃にて
         うすの契りや はなだの帯の ただ片むすび  「閑吟集」

    少し狂いながく狂いて天の川
        「姉さん あなたの名は・・・・・」
                        「マリヨン」      「ふらんす物語」より


    冬バラ咥えホウキに乗って翔びまわれ
           天寿を二百年とすると青春も倍増だ。

Ⅱ章になると、こんな風に、しゃれたキャプションが句に付いている。
これはブログに毎日送られてくる作者の句にコメントとして付いてくる文章である。
これらには作者の深い読書と教養の片鱗が見えて、瞠目する。
ペダンティックな気風の持ち主である私など、面白くて、ゾクゾクする。

Ⅲ章の扉には<度を過ぎた好奇心は禍のもとですって。> というキャプションが付けられている。
百歳を超えての、この好奇心こそ金原さんの長寿の秘訣と言えるだろう。

    わが足のああ堪えがたき美味われは蛸

    眉青く剃って炎昼を着くずれて

    豊饒の首抱くカリンの木の下で

Ⅳ章はⅡ章と同じく句にキャプションが付く。

    凍蝶は天才イエズスを流眄(ながしめ)に
           ブルーシートの中。

    オムスクトムスクイルスノヤルスクチタカイダラボ春の雪
           シベリア鉄道

    カタツムリたちのこわいお遊戯長廻し
                グリーナウェイ「ZOO」より

    ちくちくするからスイカズラの垣根
        肉親への愛を断ち我を愛せ     マタイ伝六章 25-34

    アウラヒステリカ見開きに・あ・えび反りの蝦
         パリ精神病院の写真図像集

    青鮫が「美坊主図鑑」購いゆきぬ
              上半身が考え下半身が運命をきめるのですって。

    突発難聴むささびの爪ひかりだす
       音がしないのに
         扉がひらくしまる。


これらのキャプションの一つ一つが極めて的確であることに驚く。

Ⅴ章は、キャプションは付けられてはいないが、映像的な句が多い。

    藤房の重なりあって薄目して

    鶴に化(な)りたい化りたいこのしらしら暁の

    春帽子買いにふらりと往ったきり

    ない・ある・孔雀の肉を食う時間

    蛇衣を脱ぐ太陽を真つ向に

    月光で干された腕の血が青い

    二〇一二年三月十一日
    七十にんの赤い蝶々が、ネ、今日来るのです

この句集の「あとがき」に

< 目下の悩みといえば、昨年発症した突発性難聴のあと、聴覚の不具合が進み、音楽と無縁の日々になったことでしょうか。
 「東風」(とんぷう)を聴きながら、ねむりたかったのに。 >

と書かれている。 幸いなことに家族に囲まれて暮らせていることだろう。

エッセイ集『あら、もう102歳』に触れる余裕がなくなってきた。
実生活のこと、俳句とのなれそめ、などいろいろ書かれている。
草思社は、特色のある本を出す出版社で、金原まさ子という特異な才能を、旨く掬いあげるのに成功している。

金原さんについては、Wikipedia─金原まさ子 に詳しい。


<明星の出でぬる方の東寺>などて迷ひを抱きませうぞ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
24最御崎寺
 ↑ 四国霊場第24番札所「最御崎寺」

  ■<明星(あかぼし)の出でぬる方の東(ひがし)寺>
     などて迷ひを抱きませうぞ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


昨日付けで玉井さんの本を採り上げた関連で私の「四国遍路」の歌を出しておく。
角川書店「短歌」2007年2月号に「艸木茂生」のペンネームで「明星の」14首の歌を編集部寄稿依頼として発表した。
全文は、詩集『免疫系』(角川書店)で読んでほしいが、「四国遍路」に関する部分を、今日は書いてみる。 
自歌解題の形になる。

先ず、掲出歌のことから。
高知県室戸岬の突端に、四国霊場第24番札所「最御崎寺」(ほつみさきじ)というのがある。
下記に、そのお寺の簡単な説明文を貼り付けておく。

本尊: 虚空蔵菩薩
真言: 「のぅぼう、 あきゃしゃ、 きゃらばや、 おん あり、きゃまり、 ぼり 、そわか」
詠歌: 「明星の 出でぬる方の 東寺 暗き迷いは などかあらまじ」
縁起: 正しくは最御崎寺と言うのですが、普通、東寺と呼ばれており、室戸岬の突端の山の上にあります。
弘法大師が19才の時、仏法の迷いを払わんとして、大和の国大峰山から高野山ヘ、更に阿波の太龍寺へ登り、命がけの難行苦行をされましたが、悟りを開くことができませんでした。そして次に来られたのが、この室戸だったのです。果てしなく広がる太平洋の自然を前にして、雨の日も風の日も勤行を続け、ついに悟りを開かれたのでした。「法性の 室戸と言えど 我住めば 有為の波風 立たぬ日ぞなし」と詠まれたように、東の空に光を放つ明星の暗示により悟りを開かれました。そこで山の上にお寺を建てられましたのが、この24番東寺で、本尊の虚空蔵菩薩はお寺の創建と共に大師が刻まれたものです。

この歌の前に

     ■最御崎(ほつみさき)いづれば虚空に風立ちて御厨人窟(みくろど)といふ洞の見えつつ・・・・・・・・木村草弥

という歌がある。
私の歌は、上記の説明文にあるように、ご本尊の虚空蔵菩薩の名前をいただいて「虚空に風立ちて」と表現している。
<>の中には、ご詠歌にある「明星の出でぬる方の東寺」をコラージュとして引用させてもらい、かつ、「迷いはなどかあらまじ」を私なりに砕いて歌の中に取り込んだものである。
この辺りのくだりは千数百年の謂れのあるものであり、その謂れに素直に私の歌を添わせた方がいいと思って作ったのが私の表現になっている、と理解してほしい。

ここは、文字通り「室戸岬」の突端の岩の上にある寺で、いつ行っても風が強い。
ここには野生の椿の林があり、そのトンネルの中をくぐって室戸岬灯台に行けるようになっている。椿のトンネルが防風林となって、椿の林の中は風もなく穏やかである。
この寺を出て少し行くと、空海も籠ったという洞窟がある。
私の歌では「御厨人窟」としてあるが、これは現地での説明文によるものだが、こう書いてある。

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↑ 御厨人窟 (みくろど) 

  < 岬から1キロほど離れた海岸に、「御厨人窟 (みくろど) 」という海食洞穴があります。
  この洞穴にこもり、虚空蔵菩薩への祈りを唱え続けていた真魚の口に、ある日突然“光り”が
  飛び込みました。

  その瞬間、世界のすべてが輝いて見えたらしいのです。
  洞穴から見える外の風景は、「空」と「海」だけでしたが、その二つが、今までと全く違って、
  光り輝いて見えました。そのときから、真魚は「空海」を名乗るようになりました。

  「光り」が入ったときに、空海は“悟った”のでした。求聞持法を会得し、無限の智恵を手に
  入れたのです。 求聞持法会得に至るまで、空海は四国のけわしい山々で修行をするのですが、
  このとき修行したといわれるところが、「四国八十八ヶ所」のお寺になりました。 >

玉井清弘さんの『時計回りの遊行』では「御蔵洞」(みくろど)と表記してあるが、玉井さんの本の記述の方が訓み方が自然であると思う。

26金剛頂寺
 ↑ 第26番札所「金剛頂寺」

  ■薬師(くすし)なる本尊いまし往生は
      <月の傾く西(にし)寺の空>・・・・・・・・・・木村草弥


掲出歌につづいて、この歌が載っている。室戸岬から少し戻ったところにあるのが第26番札所「金剛頂寺」である。

本尊: 薬師如来
真言: 「おん ころころ せんだり まとぅぎ そわか」
詠歌: 「往生に 望みをかくる 極楽は 月の傾く 西寺の空」
縁起: 大同二年(807年)、勅願により弘法大師が開基した寺です。本尊の薬師如来は弘法大師が刻まれたもので、現在まで一度も人の目に触れたことのない秘仏です。
海抜160mの山の上にありますが、室戸岬の最御崎寺と相対しているところから、最御崎寺を東寺、こちらを西寺と呼んでいます。昔は沢山の僧侶や修験者などがいた大きいお寺でした。
今から500年前の文明年間、火災のため焼け、再建されましたが、明治時代に再び火災に遭い、全焼しました。しかしすぐ又再建され、現在も諸堂備わる立派なお寺です。宝物館や鯨館も新しく建てられています。これらは西寺の檀家で、太洋漁業の南氷洋の捕鯨船の砲手となり、やがて会社の重役さんにまで出世した人が、鯨1万頭を捕った記念にこちらに寄贈したものです。
明治時代までは室戸沖でも沢山の鯨が捕れたそうです。よく、「鯨一頭、七浦栄える」と言われていますが、大漁の時には浜は大変な景気で、道行くお遍路さんにも鯨の肉を接待したそうです。ところがお遍路さんには肉類は禁物で、折角もらってもお大師様の手前食べるわけにいかず、民家に持って行ってお米と替えてもらったそうです。

上記の説明文にもある通り、ご本尊は薬師如来であり、私の歌は、ご詠歌の「往生」と「月の傾く西寺の空」のフレーズを借用している。
因みに、四国88ケ寺のうち、ご本尊が一番多いのが薬師さんであり、全部で23ケ所ある。これを見ても、昔は如何にも病気などが多かったので、その平癒のために「お薬師さま」を祀って祈願したかが判るのである。

henro遍路

これらの歌の前には

 ■渦潮を見つつ辿れる海道は落花しきりの鳴戸の春ぞ ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 ■さまざまの過去を抱きて来し人ら菜の花の黄に鈴鳴らしゆく

 ■鎮魂の念(おも)ひやまずも南(みんなみ)の里べの土を踏みて歩めば

などの歌が連なっているが、四国霊場巡りは阿波・徳島から始まるのだが、折しも桜の季節の終りで、菜の花の咲く頃だったということである。
先年にも書いたが、この千二百キロとも千四百キロとも言われる「四国遍路」は、阿波の「発心の道場」、土佐の「修業の道場」、伊予の「菩提の道場」、讃岐の「涅槃の道場」と繋がっている。
ここで「四国八十八箇所」のリンクを貼っておくので参照されたい。

私の行程は、2008年一月で伊予(愛媛県)を打ち終えて、二月からは最後の讃岐(香川県)を二回に分けて辿ることになった。
巡拝することを「打つ」というが、これは昔は「納め札」に「片木」を使っていたことに由来するという。
俳句の季語では遍路は「春」の季語だが、前にも書いたように、夏は梅雨の季節をはじめとして「降雨」に遭うのが巡礼には辛く、また夏の「酷暑」も苦しい。また冬も外歩きは寒くて辛いものである。私たちのようなバスによる略式の巡拝でも、一日中寒気の中を歩くのは身にしみるものがある。
今まで書いてきた中に「空海」「虚空蔵菩薩」などが出てきたが、仏教ないしは「密教」というのは深い智慧を有したものであり、軽々しく語ることは出来ないが、ネット上で見られる教義のさわりを、以下に貼り付けておく。

 虚空の音を聞く、虚空を見る

虚空蔵求聞持法

----「虚空蔵」とは

弘法大師空海は、若い時に「虚空蔵求聞持法」というマントラ・ヨーガの瞑想修行を
海辺の洞窟の中で体験しました。この修行により、彼は抜群の記憶力が得られ、
その後の成功につながったと信じられています。

この「虚空蔵」とは、サンスクリット語のアーカーシャガルバのことで、
神智学のブラバッキー女史や人智学のシュタイナーが「アーカーシャに参入する」
と語っているところでもあるのです。

「虚空」とはなんでしょうか? 一般的には空間には何もないと信じられています。
しかし、真言密教ではその
「虚空」にこそすべてのものが収められており、虚空蔵、虚空蔵菩薩がいる
と述べているのです。
 
----「求聞持(ぐもんじ)法」とは

ビックバンという宇宙創造の時は、何もない虚空から物質が産み出されたのです。
密教では物質の構成要素として地・水・火・風の物質性を考え、
そこに重々無尽(融通無碍)に浸透している、虚空(空・エーテル・氣)を考えました。

弘法大師空海は、その虚空の空間に入ると
「五大に響きあり、十界に言語を具す」
(物質と精神には響きがあって、それぞれに言葉を用意している。声字実相義)と述べています。

求聞持法とはアーカーシャの音を聞くという体験なのでしょう。
同じ体験をした行者(ヨギ)がインドにいます。
パラマハンサ・ヨガナンダは自署「あるヨギの自叙伝」の中で 
「創造の波動オームとして、宇宙に鳴り響いている宇宙原音に意識を合わせたヨギ(ヨガ行者)は、
 その音を直ちに自分の理解できる言葉として聞くことが出来るのである」と述べています。

虚空の音を聞く

あなたも雑踏の中でさまざまな音を聞いているうちに、自分の携帯電話の音が聞こえてきた経験はありませんか?
ケイタイを取り出すと鳴っていないのに、音が聞こえた経験です。
私たちの脳内には今までに記憶していた音が残っているのです。

この記憶が感覚器官に伝わることにより、音を聞いたという意識になるのです。
つまり耳の記憶を引き出して来ることができれば、音がなくても音を聞いたという体験が得られるのです。

臨済宗を復興した白隠禅師は、隻手(せきしゅ)の声という公案を考えました。
隻手とは片手のことです。この隻手の声がわずかでも耳に入る時には、超能力(六神通)を得るというのです。

心理学者カール・ユングの言うように、心の奥に人類の叡智が集まった集合無意識があれば、
そこに入って音を聞くことができるのではないでしょうか?
ちなみに空海は、「乾坤は経籍の箱なり(宇宙はお経の本箱)」と言っています。
あなたも虚空の音を聞いて見ませんか?

虚空を見つめる
---青空を見つめる修行法

チベット仏教の修行法には、岩山の洞窟に登り、青空を見つめる修行法があります。
オーストラリアの原住民アボリジニにも同じような修行法があります。
アボリジニは岩山の上で青空を見つめると、過去の先祖の記憶がよみがえってくるといいます。

私も何度かこの瞑想法に挑戦しました。
最初は遠方の山や町を眺めていました。視線を前方に向けると静かに雲が流れています。
雲に焦点を会わせ前方を見つめたままでいると、視界から雲が消えてしまいます。
雲のあった位置に視線を固定しようとしているうちに、自分の目の機能、
焦点を合わせようとする機能があることを発見しました。

眼球を支える筋が顔の横にあり眼の焦点を動かしているのです。
この筋に意識を置くと、目が開いているのに外部の状況を見ないことができるのです。
その状態を保つと視野は180度に広がりますが、意識は外には行かず内部を見つめるようになります。
コツは、意識が外の動きに引っ張られないように、意識を呼吸に置くことです。

この瞑想法はネパールのミルクババジをインタビューしている時学びました。
小さな祠に突然入ってきた一人の若者が、ババジの顔の前でカメラのフラッシュを焚きました。
ババジは瞬き一つせずにフリーズしたようになっていました。気配を察し心を内側に向けたのです。
残念ながらそのときの若者は、日本人でした。

意識によって欲望をコントロールする

感覚対象(色・声・香・味・触・法)は感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)が感じるから存在するだけではなく、
感覚の記憶を思い出すだけでも感覚対象があるように思えるのです。

高野山の修行中、仏さまの観想が難しかったので、観想の対象を食べ物に切り替えました。
禁酒禁煙・肉類なしの食生活でしたので真っ先にビールを観想しました。
コップに滴る水滴やビールの泡など微細に観想できるのです。
のど越しのよいイメージも観想でき、ついでにすし屋に入りトロなどを・・・・・!

私達は日々の生活の中でこのように観想しているのでしょう。その欲求がつのると欲望になります。
意識によってこれをコントロールすることが出来れば、一段上の意識になれるのです。

真言密教の月輪観・瞑想法は、このイメージ瞑想の基本です。
心に真実の象徴である月・光明・蓮・阿字のイメージを刷りこむことにより、
心身を変容させようとするテクニックなのです。
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四国遍路でお寺を巡拝するときに 「般若心経」 を唱えるが、この般若心経というのは、「観自在菩薩」=観世音菩薩=お釈迦様が、「舎利子」=舎利弗という弟子に語るという体裁を採ったものであり、仏教教義のエッセンスであると言われている。
以下は、その解説文のはじめの部分である。

■「磨訶般若波羅密多心経、これをつづめて、般若心経という経文は、わずか266字から成り立っています。これは、釈迦牟尼仏が、十大弟子の一人舎利弗に対して、観世音菩薩が深い最高の統一に入って、正しい覚り、つまり正覚を得た宇宙観、人間観を説いたものです。」とありますように、「般若心経」は、お釈迦さんが舎利弗に対して説かれたもので、一般の初心者を相手にした教えではありません。十大弟子である舎利弗は、もともとすごく頭のいい人で、霊能力もあり霊性高く悟りが非常に高い、そういう心境のお弟子さんに対して説いた教えですから、理解するのは容易ではありません。・・・・・・・・

■この般若心経の中で、一番の極意は、「色即是空 空即是色」という言葉で表現されています。「色即是空 空即是色」というのは、いろんなお坊さんや宗教学者が解釈していますが、「空」については虚無的な解釈が多くて、わかっているようでわかっていない、と五井先生はおっしゃっています。

■「色」とはどういう意味かというと、物には色がついていますから、あらゆるものを総称して「色」と言います。目に見える物質だけでなく、目に見えない想念も、すべての現象も「色」に含まれます。「色は空に異ならず、空は色に異ならず」ということは、この世のすべての物質や想念や現象は空なんだ、という意味です。言い方を変えれば、この世の不完全な現象は実在するものではない、という意味です。・・・・・・・


人生はすなわち遍路 しみじみと杖を握りて山を越えゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・玉井清弘
時計回りの遊行

  人生はすなわち遍路 しみじみと
    杖を握りて山を越えゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・玉井清弘


玉井さんは著名な歌人で昭和15年生まれ。国学院大学文学部卒。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の書評を角川「短歌」誌上でいただいたのが、お付き合いのはじまりである。
その「書評」は上記のリンク先で読める。

Wikipediaから引いておく。  ↓
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玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は、歌人。歌誌「音」選者・編集運営委員会代表。香川県高松市在住。

経歴
愛媛県生まれ。國學院大学文学部日本文学科卒業。香川県立高松高等学校などの教諭を務める。玉井の影響を受けて作歌を始めた教え子に棚木恒寿などがいる。
1965年、窪田章一郎の「まひる野」に入会、1982年、武川忠一の「音」に参加。
四国を拠点とし、自らの住む所を詠み続ける、地方歌人の代表的存在である。四国新聞、愛媛新聞、朝日新聞香川版歌壇選者。

受賞歴
1966年 - 『青年期』でまひる野賞受賞
1987年 - 歌集『風筝』で芸術選奨新人賞受賞
1999年 - 歌集『清漣』で第26回日本歌人クラブ賞受賞
2002年 - 歌集『六白』で第2回山本健吉文学賞および第2回短歌四季大賞受賞
2006年 - 香川県表彰 『文化功労者』
2014年 - 歌集『屋嶋』で第29回詩歌文学館賞[1]および第48回迢空賞[2]受賞
2014年 - 文部科学大臣表彰 『地域文化功労者』[3]

著書
久露 歌集 角川書店 1976 (新鋭歌人叢書)
風筝 歌集 雁書館 1986
鑑賞・現代短歌 8 上田三四二 本阿弥書店 1993
麴塵 歌集 雁書館 1993 (音叢書)
玉井清弘歌集 砂子屋書房 1995 (現代短歌文庫)
清漣 歌集 砂子屋書房 1998
六白 歌集 ながらみ書房 2001  
谷風 歌集 短歌研究社 2004 (音叢書)
時計回りの遊行 歌人のゆく四国遍路 本阿弥書店 2007
天籟 歌集 短歌研究社 2007 (音叢書)
屋嶋 歌集 角川書店 2013
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掲出歌は、2009年上梓された『時計回りの遊行』─歌人のゆく四国遍路(本阿弥書店刊)に載るものである。
この本は、平成17年1月から18年12月にかけて「四国新聞」に週一回連載されたものである。
先生は正式の「歩き遍路」を始められ、二度目の遍路も終えられたようである。

tabibito巡礼者

この本の「帯」にも書かれているが、そもそも四国遍路というものは「何のために歩くのか?」という疑問を投げかけられる人も多いだろう。
この本が、それに応えるものであるとは言えないが、全88項目に及ぶエッセイの中には、さまざまな動機を抱いて四国遍路にやってきた人々の哀歓が描かれる。

この中の(38)に「なにのために歩くのか」という項目がある。少し引いておく。

< 室戸岬を回りこんだ時、苦しい道中に去来したのが芭蕉の『奥の細道』。
芭蕉は何のために、何を考えながら歩いたのだろうか。芭蕉の時代の東北の地は、宿などが整備されていたわけではなく、宿を探す苦労も書き止めている。多くはその土地の俳諧の仲間を頼っての旅だったようだが、・・・・・門人曾良を連れての旅、文学の深化のためとはいえ、病弱の身には命懸けのものだった。ずぶ濡れで歩きながら芭蕉が私の頭を去来していた。
途中から引き返そうという思いはもう湧かなかったが、しかし幾度も「なにのために歩くのか」という問いは自分の脳裏から離れなかった。一週間か、十日ほどの区切り。切り上げて戻って来ると翌日には次回の計画を練り始めていた。土佐の道場は寺と寺との間隔が開いていて、自己との対話の時間がたっぷりと確保できる。

  なにのために歩くのかと問いて答えなし 笑うのみにてまた歩き出す

各自さまざまな悩みを抱えて四国を巡拝している遍路が多いだろうが、出会うどの顔もどこかきりっとしていた。どの顔もどの顔も悩みから解放されたすがすがしい日焼けした顔で挨拶を交わしてくれた。

  一歩ずつ何に近づく 無にちかくなりゆく心に草木の触れて >

玉井さんは、このように書いているが、しいて結論めいたことは言っていない。
それが本当のところであろう。
「自分を見つめ直す」というのが、四国遍路の一つの到達点ではないかと私は思う。
私も略式だが遍路の真似ごとをしたが、私の場合は、長年、妻の病気と伴走してきて、特に妻の死期を看取ったものとして「鎮魂」ということが、主たる目的と言えるだろうか。
また玉井さんは、この本の中で

< 遍路の旅では、相手に遍路に出た動機を聞くのはマナー違反だとされている。
人生途上抱えきれない悩みに人は遭遇する。そのような時、思いつく一つが四国遍路なのではないだろうか。これを思いつき実行できる人は幸福かも知れない。時間と金と体力を必要とする。歩いてとなればなおさらである。 >

と書いている。

私の最近作「明星の」にも遍路の歌があるので、それらについては次回に書いてみたい。

天ライ

玉井さんには2010年12月に出た第七歌集『天籟』(短歌研究社刊)があるが、ここにも多くの遍路を詠った歌がある。
「天籟」という難しい題名は、作者の「あとがき」によると

< 空海の『遍照発揮性霊集』を開いていた時出会った「地籟天籟如筑如箏」の一句による >

とある。この「籟」という字は辞書を引くと、竹かんむりに「賴」と書くが、意味は「笛」ということである。
(注・この「賴」という字は「たのむ」という常用する字だったが、当用漢字策定の際に「頼」にされてしまったので、変換で消えてしまうことが多い、のでご了承を)
ここにも書かれているが、「遊行」の本と時期的に重なるものであり、遍路の歌も多い。
いくつか引いて終りにしたい。

  菅笠のしたかげくらしからだより抜けたるこころ草木に遊ぶ

  おかげさまの祖霊地霊に声かわし露しとどなる蓬野をゆく

  家にあれば笥に盛る酒をカップにて飲めば眠たし紫雲英野に寝る

  ふんどしはくらしっくぱんつと名をかえて遍路の使う我も使いぬ

  さすらいて岬の果てまでたどり着き最御崎寺の古き道ゆく

  食うと寝る排泄をする明快な遍路の旅の七日を経たり

  ポケットに賽銭三つ坂ゆくにちりちりちりと魂の泣く

  四万十のさだちを浴びぬしろがねの五寸釘降るまことますぐに

三首目の歌の「家にあれば笥に盛る・・・」の部分は「万葉集」に、このフレーズの歌があり、玉井さんの歌は、その「本歌取り」ということであり、元歌を知っている者にとっては思わずニヤリとするところであり、こういうさりげないところに玉井さんの教養が滲みでていると言える。

歌人の「詠い方」にも、いろいろあって私などは妻とか家族とかのことを割合たくさん詠む方であるが、玉井さんの歌を見ていても、奥さんとか家族のことは全くと言っていいほど詠まれない。
『時計回りの遊行』には二箇所ほど奥さんのことが出てくる。短歌作品とエッセイの違いからであろうか。
気がついたことを少し書き添えてみた。

なお玉井さんの最新作として歌集『屋嶋』があるが、これについては私のブログ2013/10/13付で書いたので参照されたい。 ↓
玉井
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「般若心経」を横書きにしたものを、下記に貼り付けておく。読み方については、「ふりがな」をつけてあるサイトもあるので、関心のある方は探してみられるとよい。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

ここで、♪「般若心経を聴く」♪というサイトを紹介しておく。このお経を「音声」で聴くことが出来る。
ネット上を探すと、この他にも、いくつかあるが、このサイトの読経の声が一番美しい。


芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
wasai-kobo_1829_817712野点セット
       
     芝点(しばたて)の茶事の華やぎ思ひをり
        梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いただける。
掲出の写真は野外で茶をたてる時に使う「野点(のだて)セット」というもので、この携帯用のものの中に茶をたてる最低必要なものが入っている。
「芝点」と称して芝に毛氈を敷いて茶会をやる時には、もう少し道具類を用意するのが普通である。
寒い風の吹く季節をやり過ごして、うららかな春になると、家の中ではなく、野外に出て「野点(のだて)」をやりたくなる。芝生の上でやるのが「芝点(しばたて)」である。
「芝点」では「旅箪笥」などを使って茶を点てるのが普通である。
その由来についてWEB上では、次のような記事が出ているので貼り付けておく。

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<旅箪笥(写真②)は桐木地・ケンドン扉・鉄金具の鍵付きの小棚で、小田原出陣の折、陣中にて茶を点てる為に、利休居士により創案されたものだそうです。道具を中にしまって背中にしょって出掛けたのでしょうか。

旅箪笥を使って「芝点て」の稽古です。準備は地板に水差しを、2枚ある棚板の下方に棗と茶碗を飾り、上方の棚の左端の切り込みに柄杓を掛け、柄杓の柄の元に蓋置を飾り、ケンドン扉を閉めます。建水だけを持ち手前座に入り、扉を開け(この開け方もなめらかに静かに行います)道具を取り出しお茶を点てるのですが、棚板の1枚を抜き出し、その上に棗・茶筅を置く「芝点て」は、花見時の野点の光景が目に浮かぶ様な気がします。その雰囲気を楽しむ為か旅箪笥はよく釣り釜とあわせられるそうです。特に季節を選ぶ棚ではないと言われますが、その風情から早春~春に用いられることが多いそうです。風炉との取り合わせはないそうです。>
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上の記事にあるように、本来は野外で点てるのを、後世になると、「芝点」と称して家の中でお点前をするようになったものであり、ここまで来ると、「先ず茶道の作法ありき」という気がして嫌である。
私が「芝点」というのは文字通りの芝生の上での野点である。
私の歌は、梅が咲き初めた如月の丘に居て、もうしばらくすると芝点の時期がやって来る、楽しみだなあ、という感慨である。

以下、掲出の歌につづく一連の歌を下に引いて、ご覧に入れる。

       野 点

   芝点の茶事の華やぎ思ひをり梅さき初むる如月の丘・・・・・・・・・・木村草弥

   毛氈に揃ふ双膝肉づきて目に眩しかり春の野点は

   野遊びの緋の毛氈にかいま見し脛(はぎ)の白さよ無明(むみやう)のうつつ

   香に立ちて黒楽の碗に満ちてゐる蒼き茶の彩(いろ)わが腑を洗へ


終りに近きショパンや大根さくさく切る・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨


   終りに近きショパンや大根さくさく切る・・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

先年2010年はショパン生誕200年で記念のイベントなどが多かった。
はじめに、ショパン「別れの曲」の動画を出しておく。

この楸邨の句も「二物衝撃」の見本のような句で面白い。
「ショパン」の曲と、「大根」とは全く何の関係もない。それを取り合わせてある。
しかも大幅に破調である。7、8、6音になるようであるが、これを削ることは難しい。
この句の場合、大根を切っているのは奥さんで、ショパンの音楽をかけながら料理しているという図であろう。

さて、大根は春の七草の中の「スズシロ」と昔呼ばれていたものの改良種である。

Daikon_Japan青首大根
写真①は「青首大根」と呼ばれるもので「耐病総太り」という作りやすい品種で、現在では生産量の95%を占めるまでになっている。
私の家でも栽培しているが、この青首大根を9月はじめに種から蒔いて作る。
3メートルくらいの畝を2筋も作っておけば春までたっぷり食べられる。

syogoindaikon聖護院大根

写真②は京都の伝統京野菜として品種登録されて生産が奨励されている「聖護院大根」である。
これは甘みがあっておいしい大根である。他にも「守口大根」など各地に伝統野菜がある。
昔は沢庵漬に最適の品種として「宮重大根」というのがあった。
愛知県の原産で、今も作られているようだ。写真③に、それを出しておく。

6650240宮重大根

大根はアブラナ科の一年草で越冬する。春に薹(とう)がたつ。原産地は地中海沿岸と言われ、日本には中国経由で早くに入ってきたという。
大根は水分がたっぷりあり、しかもジアスターゼという消化酵素も含んでいて、体には大変よい野菜である。
私などは、どんな料理にしろ、大根おろしにしろ、大根を食べると大変消化がよいのを実感している。
私の大好きな野菜である。

     菊の後大根の外更になし・・・・・・・・松尾芭蕉

という古句があり、まさに的確に大根の性格を言い表わしている。
以下、大根を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 大根引大根で道を教へけり・・・・・・・・小林一茶

 流れゆく大根の葉の早さかな・・・・・・・・高浜虚子

 ぬきん出て夕焼けてゐる大根かな・・・・・・・・中田みづほ

 畑大根皆肩出して月浴びぬ・・・・・・・・川端茅舎

 老いの仕事大根たばね木に掛けて・・・・・・・・西東三鬼

 ダンサーに買はるしなしなと大根・・・・・・・・秋元不死男

 大根きしみかくて農婦の腰まがる・・・・・・・・米田一穂

 死にたれば人来て大根焚きはじむ・・・・・・・・下村槐太

 身をのせて桜島大根切りにけり・・・・・・・・朝倉和江

 荒縄で洗ふ大根真白きまで・・・・・・・・冨石三保

 煮大根を煮かへす孤独地獄なれ・・・・・・・・久保田万太郎

 窓が開いてをる大根畑は昼深し・・・・・・・・滝井孝作

 大根煮や夕餉の病舎さざめきて・・・・・・・・石田波郷

 大根を刻む刃物の音つづく・・・・・・・・・山口誓子

 大根洗ふや風来て白をみなぎらす・・・・・・・・大野林火



吐く息もたちまち凍る午前四時バックホーとわれは一体となる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
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 ↑ 「バックホー」アームの先を替えると溝掘りなど色々の作業が出来る
 
    吐く息もたちまち凍る午前四時
        バックホーとわれは一体となる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄


時田則雄は北海道の帯広郊外で広大な農場を営む歌人である。
掲出歌は割合新しい作で、角川書店「短歌」誌2012年新年号に載る。 その一連7首を引いておく。

      新 雪・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄

   吐く息もたちまち凍る午前四時バックホーとわれは一体となる

   腐れたるバナナのやうな列島を耕しながら今年も暮れぬ

   石の上を滑るごとくに流れゆく風ありかすかに水の音たて

   トラクター唸らせて凍土鋤きてゆく黄の満月に対ひひたすら

   星空を抱けるやうに立つ楡を見てゐる さうだ 同志だ 俺の

   野良仕事なべて終りぬ農具庫のシャッター降ろして大き息吐く

   新雪を照らして昇る太陽を見てをり細き窓を開きて
 
時田 則雄(ときた のりお)
1946年帯広市に生まれる。道立帯広農業高校卒業後、1967年帯広畜産大学別科(草地畜産)終了。父の後を継ぎ農業経営。1998年林業功労により帯広市産業経済功労賞。
高校在学中に啄木の歌に魅かれて作歌を開始し「辛夷」に入会し野原水嶺に師事。
1980年第26回角川短歌賞受賞、1982年第26回現代歌人協会賞、1999年第35回短歌研究賞他数々の賞を受賞する。
歌集『北方論』、『緑野疾走』、『十勝劇場』、(雁書館)他4冊。他にエッセイ集「北の家族」(家の光)。1992年8月より「辛夷」編集発行人となる。現在は作歌集団「劇場」を主宰する。
帯広大谷短期大学非常勤講師、日本文芸家協会、現代歌人協会会員として現在に至る。

現役で労働に従事する歌人というのは、今の歌壇では特異な存在である。
私の好きな歌人である。とにかく「土の匂い」のする歌を作る。
ネット上から「現代田んぼ生活」を引いておく。
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2007-03-08-Thu 苗箱に土を入れ始めることと時田則雄『歌集 野男伝』
昨日の朝は道には積もってなかったですが、屋根や麦の上には雪が積もっていました。気温も低いまま続いています。やれやれ。
昨日から苗箱への土入れを始める。準備すべき苗箱は1400箱ほど。ボチボチとやります。
そういえば昨日は営農組合の「男の料理教室」に参加して、ハンバーグやフルーツのサラダ、みそ汁、まぐろのカルパッチョ、ロールケーキなどなど、他にもあったような気がするを教えてもらいながら作りました。盛り沢山で少々疲れましたが、面白かったです。昆布とかつお節でダシをとってのみそ汁とか、はい、なかなか贅沢なみそ汁です。

時田則雄『歌集 野男伝』(本阿弥書店)読了。いや、すばらしいですね、これは。読んでいたら、農業に、百姓に、やる気がぐりぐりと出てきました。

 小学校校長の名は米太郎部屋の三面本あふれゐき

 「寒ければこうして金玉握れよ」とキンタマ握ってゐし米太郎

 めらめらと燃ゆる丸太の火に抱かれ老婆は荼毘に付されてをりし

 日に一升十日で一斗酒喰らひ野良仕事せりわが二十代

 PTA会長となり知りしこと若き教師の態度のでかさ

 大病を患ふ妻を家に残しひとり百姓続けぬ 黙黙

 大枚を投じて家建て山林買った 三十代半ばなんでも出来た

 借入金五千万円 凩を聴きつつ湯船に首浮べゐし

 娘が婿とりて農場を継ぐといふことの嬉しく月に乾杯

 種を播けばよいといふものではないぞ適地適作 凶作もある

いや、この辺でやめておかなければ。ページパラパラやって十首だけ紹介させてもらいました。でもその他にたくさんいいのがありました、というか、次々なんですけどね。うーむ、時田則雄さんの他の歌集も読まねば。
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050618時田則雄

上の引用部にも書かれているが、この人の歌集の題名からして、すごいではないか。
『北方論』 『緑野疾走』 『十勝劇場』 『野男伝』そして最近刊に『ポロシリ』(角川書店)がある。

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 ↑ 第九歌集『ポロシリ』

この歌集は平成20年度の第60回「読売文学賞」詩歌俳句部門を受賞している。
私はまだこの歌集は読んでいないが、ポロシリ(山の名前)を仰ぎ、農業に就いて40数年。妻の闘病、娘婿の急逝、など喜びと悲しみがこもごも押し寄せた数年を詠った349首という。
第九歌集にあたる。
因みに「ポロシリ」とはアイヌ語でポロ=大きい、シリ=山の意味で、北海道日高山脈の雄峰の一つ十勝幌尻岳(1846m)のことである。この本から二首引く。

 ポロシリは静かに座つてゐるゆゑに俺は噴火をつづけてゐるぞ・・・・・・・・・・・時田則雄

 ポロシリに向かひて二キロほど行きて戻り来ぬ明日を創り出さむと


以下、以前の刊行の歌集から少し歌を引いて終わる。

   獣医師のおまへと語る北方論樹はいつぽんでなければならぬ

   野男の名刺すなはち凩と氷雨にさらせしてのひらの皮

   指をもて選(すぐ)りたる種子十万粒芽ばえれば声をあげて妻呼ぶ

   トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧に濡れつつ野をもどりきぬ

   妻とわれの農場いちめん萌えたれば蝶は空よりあふれてきたり

   牛糞のこびりつきたるてのひらを洗へば北を指す生命線

   麦の香のしみし五体を水風呂に沈めてあれば子が潜りきぬ

   按摩機に体をゆだねて眠りゐる妻の水母のごとき午後かな

   十勝土人時田則雄がふりあふぐ部落(むら)を跨げる七色の虹

   春の水を集めて走る朝の川さうだよ俺は朝の川だよ

   とりあへず胃袋に水を注ぎ込みあしたの闇に突き刺さりゆく 『力瘤』

   どどどーんどどどどーんと轟いてゐるのはエンジンだけではないぞ

   三日三晩寝ずに稼ぎしゆゑなるか手足蒟蒻のやうにへろへろ

   スパナをぐいつと引きぬ力瘤まだまだ力の固まりである

   十トンの乾燥豚糞撒き終へて月のあかりに包まれてゐぬ

   取得せし斜面三町歩雪ふれば雪に野心の片鱗が舞ふ

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 ↑ 第10歌集『オペリケリケプ百姓譚』短歌研究社2012刊

があるが私はまだ読んでいないので画像だけ出しておく。

imageみどりの卵
 ↑ 最新刊の『みどりの卵』(ながらみ書房2015/09刊)

    今日もまだ生きてゐるらし長芋をかうして朝から掘り続けゐる

    さうだよ昔 空にはなんでも棲んでゐた 魚の目玉のみどりの涙

    野の馬の巨大の臀部輝きてゐるなり黒き太陽のごと

    石をもて野地蔵の目を潰したる遠いあの日のあの青い空

    百姓とはすなはち大らかに遊ぶ人雲を眺めてけむりになつて

この歌集は最新刊であり、本の表紙には、キヤッチコピーとして、こう書かれている。  ↓

< 響け!かなしい詩魂ゆえの、屈強にして繊細な北方の歌の磁場に。
   北の広い大地に樹木のようにどっしりと根を張り、野男として在り続ける歌びとがいる。
   トラクターで荒々しい土塊を耕し、石を砕く血と汗の労働も、どこか遠くの神話や伝承の世界へとすり替わっていく不思議さ、自在さ。 >




ルノアルの女に毛糸編ませたし・・・・・・・・・・・・・・・・阿波野青畝
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img10551124952毛糸玉本命

     ルノアルの女に毛糸編ませたし・・・・・・・・・・・阿波野青畝

「毛糸編む」というのが冬の季語である。
この頃では、昔のように毛糸を編む人を余り見かけなくなったが、「ニット手芸」は相変わらず盛んで、
亡妻の学友であった人は、今やニットサロンを経営し、NHKの趣味講座の先生をするなど大活躍している。
この頃では男のニットの先生も出て来たりしている。
この句は、ルノアールの絵に出てくる豊満な女の人に毛糸を編ませてみたい、という、いかにも男の人らしい句である。

この句については亡妻との間の会話について、私には哀しい思い出がある。
もう10年も前の今ごろ、食事も録に摂れずの最悪期から食欲も出て、体力も戻りかけた時期に、私がこの句を見つけて、病院に行って妻に見せたら、
これが大変気に入ったらしく、いろんな人に、この句を披露していた姿を思い出す。
妻の死後、家の中を整理していたら、妻の仕事部屋にしていた二階の南向きの陽のよくあたる部屋に、未使用の毛糸玉がたくさん出てきた。
私の娘たちも仕事に忙しくて、毛糸編みなどはしないし、捨てるのも忍びないので、そのままにしてある。
こういう遺品というのは、見るのも辛いものである。
昔は私たち兄妹の着るセーターは、みな母の手編みだった。着込んだセーターは解いて皺を伸ばし、また編み直して新しいセーターに仕立てたものだった。
亡妻も編み機を使って私のセーターも手作りだった。
この頃では、そういう手芸を一切しない人と、ニット手芸の趣味に生きる人との両極端に分かれてしまった。
ひと頃はニット編み機が流行って、その教室というものもあった。
私の妹なんかは手早くて、人からも頼まれて結構収入になったらしい。ニット編みの機械の先生をしたりしていたものだ。

明治30年に

  襟巻を編むべき黒の毛糸かな・・・・・・・・高浜虚子

の句があり、これは「毛糸編む」という季語のもっとも早い用例だと言われている。
以下、毛糸編む、毛糸玉の句を少し引きたい。

 久方の空いろの毛糸編んでをり・・・・・・・・久保田万太郎

 こころ吾とあらず毛糸の編目を読む・・・・・・・・山口誓子

 毛糸編む気力なし「原爆展見た」とのみ・・・・・・・・中村草田男

 毛糸編はじまり妻の黙はじまる・・・・・・・・加藤楸邨

 離れて遠き吾子の形に毛糸編む・・・・・・・・石田波郷

 編みかけの毛糸見せられ親しさ増す・・・・・・・・山口波津女

 毛糸編み来世も夫にかく編まん・・・・・・・・山口波津女

 毛糸玉幸さながらに巻きふとり・・・・・・・・能村登四郎

 時編むに似たるが愛し毛糸編む・・・・・・・・余寧金之助

 毛糸編む冬夜の汽笛吾れに鳴り・・・・・・・・細見綾子

 祈りにも似し静けさや毛糸編む・・・・・・・・戸川稲村

 母の五指もの言ふごとく毛糸編む・・・・・・・・今井美枝子

 毛糸編む幸福を編み魅力を編む・・・・・・・・上田春水子

 毛糸編みつつの考へゆきもどり・・・・・・・・竹腰朋子

 毛糸玉頬に押しあて吾子欲しや・・・・・・・・岡本眸

 白指も編棒のうち毛糸編み・・・・・・・・鷹羽狩行


少年は星座の本に夢みてゐるオリオンの名をひとつ覚えて・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
orion1オリオン座

    少年は星座の本に夢みてゐる
        オリオンの名をひとつ覚えて・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

「オリオン座」は冬の星座である。
イカロス神話によると、オリオンは海の神ポセイドンとミノス王の娘エウリュアレの間に生まれたとされる。
海の神の息子であったから、海の上をまるで陸のように歩くことができたという。
巨人オリオンは美男子で、狩の腕にも優れ、そして月の女神アルテミスの恋人でもあった。
それは、いろいろのことがあった後、クレタ島に渡って月と狩の女神アルテミスに出会い、二人は愛し合うようになるが、
アルテミスの兄・アポロンが野蛮なオリオンから引き離そうと画策し、ある日、海で泳ぐオリオンの頭に金色の光を吹きつけた。
そしてアルテミスに「いかにお前が弓の名手でも、あれほど遠くの獲物は一矢では射止められまい」とそそのかした。
その挑発的な言葉に乗せられてアルテミスは、その海上の獲物を一矢で射抜いてしまった。
打ち上げられたオリオンの死体を見て、アルテミスは悲しんで、夜空を照らすことも忘れてしまった。
アルテミスに同情した大神ゼウスは、オリオンを天に上げ、星座にした。
月は公転運動で見かけの位置を毎日変える。1ケ月に1度はオリオン座のすぐ北を通る。
月の女神アルテミスは今では1ケ月に1回だけオリオンとのデートを楽しんでいるのである。

私は天文少年でもなかったので、星座にまつわる神話の方が面白かった。
西洋占星術だが、星座表は古代バビロニアに発し、ギリシアに到達して「西洋占星術」として確立されるようになった。
12の星座が月日によって割り振られ、たとえば2月7日生まれの私は「水瓶座」ということになる。
こんにち、週刊誌などに載る「あなたの運勢」などという記事は、この星座表によって、もっともらしいことが書かれている。
冬の星座については、2005年にDoblogにいるときに記事と画像を載せたのだが失われてしまった。
星座の表だけ出しておく。 ↓
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「俳句」の世界では、私の持っている程度の歳時記には「オリオン座」などは、まだ「季語」としては少ししか載っていないが、それを引いて終わる。

 石鹸は滑りオリオン座は天に・・・・・・・・・・・正木ゆう子

 オリオンの真下に熱き稿起こす・・・・・・・・・・・・小沢実

 オリオンを頭にして百の馬 潔癖・・・・・・・・・・・・星永文夫

 またオリオンにのぞかれている冬夜・・・・・・・・・・・・住宅顕信


過呼吸の不安きはまるわが胸郭にアマデウスの鳴りやまざり、未明・・・・・・・・・・・・・・・吉田隼人
wolfgang_amadeus_mozartモーツァルト
 ↑ ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

       過呼吸の不安きはまるわが胸郭(むね)に
            アマデウスの鳴りやまざり、未明・・・・・・・・・・・・・・・吉田隼人


この人は第59回角川短歌賞に輝いた二人のうちのお一人である。
掲出の歌は短歌誌「率」3号に載るものである。

この人の経歴を書いておこう。
1989年、福島県伊達市生まれ。(つまり平成生まれ、ということ)
早稲田大学文化構想学部(表象・メデイア論系)卒業。現在は大学院文学研究科(フランス語フランス文学コース)修士課程に在学中。
「早稲田短歌」「率」に短歌や評論を発表。

この近年、高学歴の学者の卵のような才能豊かな人が受賞者になっているが、この人の作品「忘却のための試論」も知的な遊戯のような作品群である。

掲出歌に戻ろう。
「アマデウス」とは、基本的に、アマデウス(「神に愛される」の意味)だが、ここは単純に作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのミドルネームのことだろう。

ついでに書いておくと、『アマデウス』(Amadeus)は、イギリスの劇作家ピーター・シェーファーによって著された戯曲。
宮廷楽師として社会的な地位がある音楽家サリエリが、台頭してきた理解されぬ若き音楽家モーツァルトの天才を理解「できてしまった」ことによる確執と苦悩を描く。
初演は1979年のロンドンのオリヴィエ劇場(ナショナル・シアター)。演出はピーター・ホール。
翌年にはアメリカ合衆国に渡り、ニューヨーク・ブロードウェイのブロードハースト劇場で上演された。1981年には戯曲部門でトニー賞を受賞した。
映画化もされた。

作者の歌作りの底には、このような知識が底通していると知るべきだろう。
そのようなことを思い出すと、この歌の理解が一層深まるというものである。
こういう知的遊戯のような歌作りが、私は好きである。
何だか日常の些末を歌にする、なげやりな、訳の判らないような若者の歌もあるが、こういう知的遊戯の出来る才能のある新人の出現が待たれていたのである。
この人は、まだ学生であり、これからどういう方向に伸びてゆくのかは未知数だが、着実に成長してほしい。
こんな歌もある。

  あさきゆめ そのなかで聞く詩に生ふる撞着語法(オクシモオル)といふ薔薇のとげ

撞着語法(どうちゃくごほう、英語: oxymoron)とは、修辞技法のひとつ。
「賢明な愚者」「黒い光」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを指す。
形容詞や連体修飾語、句、節などが、修飾される名詞と矛盾することとしては、形容矛盾(けいようむじゅん)とも言う。
集合論・論理学的には、「Aであって、かつ、not A」であるということはありえない(矛盾律)のにもかかわらず、そうであるかのように語ることである。
狭い見方をすればつじつまがあわず、単なる誤謬にすぎないように見えるが、複雑な内容を簡潔に表現する修辞法として用いられている場合もある。

撞着語法の例
一目瞭然の撞着語法
急がば回れ
負けるが勝ち
黒い白熊
良い悪人
優しい悪魔
小さな巨人
無知の知
見えざるピンクのユニコーン

こういうことを学べるのは文学科ならではのことで、他の学部では、おそらく教えないだろう。
これらは大きくいうと「修辞法」ということになるが、ここで学んだことは後々、彼の人生に生きてくると思うので、深く学んでほしい。

角川短歌賞受賞作から少し引いておく。
この一連は、物語性のある作品で、恋人、相手は女性、その人の自死を扱ったものだろう。それで題名も「忘却のための試論」となっている。

  曼珠沙華咲く日のことを曼珠沙華咲かぬ真夏に言ひて 死にき

  わが脳に傘を忘るるためだけの回路ありなむ蝸牛のごとき

  あるひは夢とみまがふばかり闇に浮く大水青蛾も誰かの記憶

  恋すてふてふてふ飛んだままつがひ生者も死者も燃ゆる七月

  いくたびか摑みし乳房うづもるるほど投げいれよしらぎくのはな

  供花といふ言葉を供花として去ねば寺院のうへにくらむ蒼空

  すいみんと死とのあはひに羽化の蝉。翅のみどりに透いてあるはも

  あをじろくあなたは透けて尖塔の先に季節もまたひとつ死ぬ

  忘却はやさしきほどに酷なれば書架に『マルテの手記』が足らざり

  思ひだすがいい、いつの日か それまでの忘却のわれに秋風立ちぬ
-------------------------------------------------------------------------------
私的なことだが、今日二月七日は私の八十六歳の誕生日である。
歳をとるというのは、努力してなる、というものではなく、歳月が腰のうしろをぐいぐいと押して、強制的に齢を重ねるもので、有難いものでも、何でもない。
思えば、すごい歳になったものである。 年齢の数字を聞くと、そら恐ろしくなる。
今年の冬は寒くて、ずっと風邪気味で、深刻な症状ではないが、調子が悪い。
朝のウォーキングも休みがちだし、恐る恐る生きているようなものである。
風邪気味、というのが良くない、と思って慎重になっている。
ともかく春になって暖かくなるまで辛抱である。







哀しみとポテトチップスと比べつつしあはせ計れば鳴る赤ケトル・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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     哀しみとポテトチップスと比べつつ
         しあはせ計れば鳴る赤ケトル・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は、角川書店「短歌」誌2008年二月号に「艸木茂生」のペンネームで載った「明星の」14首の一連の中のものである。
亡妻の介護の日々と死にまつわる一連の歌は、プライバシーに配慮して、少しは知られている木村草弥の名ではなく、一般には知られていない「艸木茂生」のペンネームを使用した。
詩集『免疫系』(角川書店)の末尾に収録してある。

「鳴る赤ケトル」とは、お湯が沸けば鳴る「笛吹きケトル」のことである。
「哀しみ」と「ポテトチップス」を比べる、などというのは、現実には考えられないことであって、「詩」という<非日常>の世界だからこそ言えることなのである。

この一連を発表したら、私の親しい友人であり、「自由律」短歌の先生でもある光本恵子さんから、特にこの歌を引いて、メールで褒めていただいた。
そのメールの一部を貼り付けて置こう。

<艸木茂生様の短歌を読ませて頂きました。「明星の」3首目

・哀しみとポテトチップスと比べつつしあはせ計れば鳴る赤ケトル

この歌はいいですね。なにか木村様のことを思うと泣けてきました。
木村様の静謐な想い、心境がじわっと伝わって参ります。
奥様を亡くされ、さらにご自身が病を抱えながらも意思的に生きようとする姿を思い浮かべ、
「鳴る赤ケトル」にほっとして味わいました。>

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ポテトチップスにも、いろいろあるが、私はジャガイモを単純にフライしただけのものが、いい。新じゃがが収穫されると期間限定で売り出されるものもある。
外国系のものでは、じゃがいもを一旦粉にして、それを成形して、どの片も全く同じ大きさ、反り具合も同じというのがあるが、私は好まない。
如何にも「加工品」として手を加えすぎてあると思うのである。
英国では、ポテトチップスばかり食べて、結局死んだという記事が、どこかに載っていたが、口当たりがいいので、食べだすと途中で止められなくなって、
結局一袋を平らげてしまうことになる。植物油を使ってあるので、カロリーは結構あるだろう。
よく悲しいとヤケ食いするとか言われるが、私はそんなこともないが、老来カロリーの摂り過ぎは碌なことがないので注意しなければならない。

歌に戻ると、普通、短歌の世界では、この歌のような「詠み方」は、しない。
これは短歌というよりも「詩」として鑑賞した方がいいかも知れない。
私は自由詩から出発しているので短歌と言えども「詩」の一環として把握しているので、このようになる。




新井瑠美第三歌集『霜月深夜』・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

       新井瑠美第三歌集『霜月深夜』・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・青磁社2016/01/27刊・・・・・・・

新井瑠美さんは塚本邦雄が健在で前衛歌人として活躍していたころ取り巻きとして活動されていたらしい。
その頃、私は歌壇とは無縁であったので詳しくは知らない。
その頃の評論などを見た記憶があるが、いま手元にないので引き出せない。とにかく活発に執筆されていたらしい。
私と同じ市にお住まいであり、亡夫君はプロゴルファーとして高名な新井進プロであったという。
私は新井プロとも知り合ったことはない。名前を知るのみである。
『朱金の扇―新井瑠美歌集』 (1978年) (短歌世代シリーズ〈第31篇〉)というのが第二歌集であるのか審らかではない。この本も私は未見である。
今回の歌集の「あとがき」で
< 『霜月深夜』は、三十有余年振りの三集目であります。
  あまりにも過ぎ去った歳月を、惜しむものではありますが、すべては私の断念と怠惰のもたらしたことであります。
  最晩年を迎えて、詠み放った歌の数々に未練がでておりました。
  始めの結社〈短歌世代〉で十年、自由に詠ませてもらって二冊の歌集を出した後、〈椎の木〉に移籍、経緯のことは省くとして、
  二十余年会員として在籍したものの・・・・・その間、一冊も纏め得ませんでした。・・・・・・
  在籍中、詠み残した歌稿も整理不十分のため大方を散逸し、残りを生きた証として纏めることにしました。・・・・・・
  二集目の書評をして下さった、河野裕子様の生原稿が三十数年振りに現れたり、ご家族がアメリカへ行かれる前、
  現代歌人集会の理事の端っこに加えて頂き、永田和宏様のもと、広報の使い走りをさせて下さったことも、
  又、平成十年には、城陽短歌大会の選者を河野裕子様にお願いし盛り上げて下さったことなど、
  このたび、ご子息の淳様にお世話になるとは、長いご縁があったとしか思えません。・・・・・ >

などと書かれている。
この中に出てくる「城陽短歌大会」という企画に私も首を突っ込んだが、私は新井さんを立ててやって行こうとしたが、知名度もないのに田舎宗匠風に威張る女の人が居て、まとまらず、
私も匙を投げてしまって降りた記憶がある。 私との縁は、そのときからである。
新井さんも、その折から「塔」に加入されたらよかったのである。塚本邦雄に可愛がられたというプライドが許さなかったのか。
私は、その後、米満英男氏や川添英一氏と知り合ったり、三井修氏にお世話になったり「塔」の若手と交友したりして視野を広げることが出来た。
米満氏とは大阪で一度お会いして酒食を共にしたことがあり主宰された歌誌「黒曜座」を送ってもらったり、山中智恵子さんの署名入りの歌集を何冊か頂いたこともあるが先年亡くなられた。
川添氏は新井さんの文にも出てくる現代歌人集会のパネリストなどをやられたらしいから新井さんも、ご存じかも知れない。
川添氏は奈良教育大学書道科の出身で、筆跡のきれいな人である。「流氷記」を出しておられ、大阪の中学教諭をされていたが今は再任用で教えておられるらしい。
もう何年も前になるが新井さんから「蔵書を整理したい」と連絡があって自宅を訪問して何冊かを頂いた。
塚本邦雄の同行者だけあって、彼の著作の殆どが揃っていたように記憶する。
好きな本を、と言われたが著名な本で一冊切りの本をもらうのは躊躇されて遠慮したが、これは後悔している。やはり主著というべきものをもらっておけばよかったのに。

回想は、このくらいにして歌に入りたい。
この本の「帯文」が掲出画像から読み取れると思うが、ここに書き抜いてみる。

< 言葉を鍛え、磨き、削ぐ。そうして彫琢された詩句が、
  完成された美意識のもとに統べられ、
  三十一音へと収斂していく。
  日々の些事は詩化され、韻きとなって読者のなかに長く揺曳する。
  底光りする華やかな佇まいをみせる、
  熟達の第三歌集。 >

とある。 誰が書いたか知らないが、これこそ、この本の要約として的確だと言えるだろう。

巻頭に「相聞の秋」という項目があり
  ■いちまいの柿の照葉を添へながら手紙(ふみ)ぞたぬしき相聞の秋

が巻頭の歌である。この一連は7首の歌から成るが、次のような歌がつづく。
  ■カメレオンの餌は生きたる蟋蟀と花野に狩れば百の叫喚

  ■赤まんま可憐なりしが秋を祝ぐ中野重治がよぎる目の前

  ■助数詞の弱りもぞすれ一頭とよばふ揚羽のむらさきの蝶

新井さんの男孫かが爬虫類とか虫とかを飼っているらしく、それらの題材から作歌に至っていると思われるが、それらをリアリズムではなく「現代短歌」たらしめている詠み方である。
二番目の歌も中野重治の詩の「赤ままを歌うな」を踏まえていると知るべきである。
三番目の歌も昆虫類をよぶときに「一頭」というように数詞では言うということである。
これらの表現技法こそ新井さんが塚本たちの前衛短歌運動から学びとったものと言えよう。
さりげないように見えながら「言葉を鍛え、磨き、削ぐ。そうして彫琢された詩句」へと昇華されている。
だから、読者の人よ。 「素通り」してもらっては困る。
帯文にある通り「日々の些事は詩化され、韻きとなって読者のなかに長く揺曳する」するのである。


  ■時ならぬ雷のとよみに断たれたる霜月深夜夢のあとさき

「夢のあとさき」という項目の、この歌から題名が採られているようである。
この一連には次のような歌が並ぶ。
  ■落花しきりの木下に佇てば花菩薩 蓬(ほほ)けゆくのも悪くはないか

  ■われの海馬汝れの海馬がそれぞれの見当識を言ひたて始む

  ■〈芸術でメシが喰えるか !!〉夏の夜の吊広告がはためきながら

日常に目にする些事も見事に詩句として昇華されて、珠玉の作品と化している。
「迷路」という一連の終りの歌は
 ■「そして誰も居なくなるのよ」歳晩の葉書ひそりと舞ひ込みきたり

晩年を迎えた老人の身には、ちくりと刺さる警句のような歌である。

  ■〈風景は心の鏡〉 かの画家は水辺のそばに白馬置きたり

高名な日本画家の作品に、そんな絵があった。「宇治」という項目の歌だが、私は別の風景を思い浮かべた。

  ■呆けるまで生くればたぶん捨てられる 盆灯籠がくるくる廻る

「しがらみ」という項目の歌である。

  ■ぶざまなる生きかたもせむ鳥串を横に啣へて未亡人(われまだ死なず)

「すぎゆき」という項目に、こんな歌がある。
  ■我武者羅に戦ひをりし頃ほひの書房〈さんぐわつ〉みつみつの棚

熟年歌人たちには懐かしい京都寺町の三月書房のことであろう。今でも短歌関係の本を置いて頑張っておられるようである。店主は宍戸さんと言ったか。
私などは今では本屋の店頭に行くことは無い。インターネット上でアマゾンから買う。昼前に発注すれば夜には届く。私の旧著も並んで売られている。

  ■長靴はひとりで履ける二歳児は黄の長靴で晴れの日も行く

多くは引かないが、こういう孫、ひ孫の歌が散見する。お子たちが、すぐ近くにお住まいのようである。

「浴衣の足穂」という項目がある。
  ■日帰りの旅といへども充ち足りぬ自然法爾の雪月花見て

  ■湯帰りの浴衣の足穂に出会ひしよその風采を鬼才と知らず

この歌は稲垣足穂の姿を見た昔の記憶から引きだされたものだろう。無頼の稲垣足穂として有名であった。
はじめの歌も、素通りしてもらっては困る。
「自然法爾じねんほうに」とは浄土真宗でいう自力を捨て、如来の絶対他力に任せること。「法爾」はそれ自身の法則に則って、そのようになっていること、を意味する。
このように各所にブッキッシュな仕掛けが施されていると知るべきである。
巻末の項目名は「しかと見よ」だが
  ■ひこまごは寝返り始む頭(つむり)あげ老いさらぼふをしかと見てをれ

という歌など自分を客観視して、突き放して見つめ、かつ表現していて、秀逸である。

多くの歌があるので佳い歌を見過ごしたかも知れない。不十分をお詫びしておく。
遅きに失した出版だが、帯文の「底光りする華やかな佇まいをみせる、熟達の第三歌集。」ということである。
ご恵贈に感謝して紹介の一文を終わる。



つらら落つる朝の光のかがやきが横ざまに薙ぐ神経叢を・・・・・・・・・・・木村草弥
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     つらら落つる朝の光のかがやきが
         横ざまに薙(な)ぐ神経叢を・・・・・・・・・・・木村草弥

   
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
今年の冬は暖冬と言われながら、一時的に厳冬と言えるが、特に北国では1月からは厳しい寒さが訪れていた。
今日は、「つらら」を詠んだ私の歌を載せた。この時期を逃すと、この歌を載せる機会を逸するからである。
歌に合わせて「つらら」の写真をお目にかける。「萱葺き屋根」から垂れるつららである。
この歌を作った頃、私の神経は異常にぴりぴりしていて、ナーヴァスになっていた。
なんとかして、この心理状態を歌にできないものか、といろいろ考えた末に出来たのが、この歌である。
私としては「つらら」という一風あやういものと「神経叢」との取り合わせが面白いと思ったのだが、発表したときの皆の反応は、良くなかった。
もう一つ判り難いというのだった。しかし私は敢えて歌集にも収録した。
日常ばかりを詠むのが歌ではないと考えたからである。いかがであろうか。

「氷柱」と書いて「つらら」と読む。水の滴りが寒気のもとで成長して凍ったもので寒い地域での冬の風物詩と言えるだろう。
以下、「つらら」を詠んだ句を引いて終る。

 外に立ちて氷柱の我が家侘びしと見・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 みちのくの町はいぶせき氷柱かな・・・・・・・・・・・・山口青邨

 氷柱落つ音に遅れて朝日来る・・・・・・・・・・・・篠田悌二郎

 夕焼けてなほそだつなる氷柱かな・・・・・・・・・・・・中村汀女

 いま落ちし氷柱が海に透けてをり・・・・・・・・・・・・橋本鶏二

 巌つららぽつんと折れて柩通す・・・・・・・・・・・・岸田稚魚

 大文字は好きな山なり草つらら・・・・・・・・・・・・波多野爽波

 みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 人泊めて氷柱街道かがやけり・・・・・・・・・・・・黒田杏子

 日に痩せて月に太りし氷柱かな・・・・・・・・・・・・上野泰

 やがて日の雫はぐくむ草氷柱・・・・・・・・・・・・三田きえ子

 後の世に逢はば二本の氷柱かな・・・・・・・・・・・・大木あまり

 地上まであと一寸の氷柱かな・・・・・・・・・・・・荻原都美子

 木曽は木の国木の樋に氷柱して・・・・・・・・・・・・小川原嘘師

 後朝や草の氷柱の賑やかに・・・・・・・・・・・・市川葉

 白鳥の嘴の垂氷のまだ落ちず・・・・・・・・・・・・加藤未英

 軒氷柱ぐるりに垂るる宿に着く・・・・・・・・・・・・里川久美子



立春大吉絵馬堂に墨匂ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本菊絵
12_17p4出雲大社「立春大吉」符

   立春大吉絵馬堂に墨匂ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・岡本菊絵

「立春」は二十四節気の一つ。暦の上では今日から「春」になる。
まだまだ寒いが、これから「立夏」の前日までの90日間の季節をいう。
これを「九春」という。これは「春九旬(90日間)」のことである。
春は寒暑の移り変わりの時期で、二月は寒く、三月に入って寒暖を繰り返しながら、次第にあたたかくなって、四月に暖かさが定まるということである。


昨日は「節分」だったが、この字の「節」の通り、季節がこの日をもって分かたれるのである。
寒い寒い冬よ早く去れ、春よ来たれ、という「春」が動きはじめ、春の「気持」が用意されてゆく。
写真①は出雲大社の「立春大吉」の吉札である。
この「立春大吉」という字はタテ書きにすると左右対称形になるから縁起がいい、と古代中国の時代から言い慣わされてきたお目出たい字である。

『山の井』という本に「よろづのびらかに豊かなる心を仕立つ」と書かれているように、春の到来を喜ぶ気持が生まれる頃である。
「春」という字は「張る」「発る」が語源だというが、万物発生の明るい季節感を表現したものである。

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写真②は京都市上京区の鶴屋吉信(つるやよしのぶ)の「福ハ内」。
杉の箱に入った「福ハ内」。パッケージをとく前から、とにかく、杉のいい香りで、立春を祝うお菓子。水引が結ばれている。
長さ約6、7センチのお多福豆。
生地は黄身色と焼色が、つるんとして、上品できれいで、中は白餡。うっすらと自然の色がついてる。
豆をかたどった桃山生地のお菓子。
中に、富岡鉄斎の作による「このうまき大多福豆をめしたまへ よはひをますは受合申す」という歌を記した紙が入っている。
「桃山」とは、白餡に卵黄・寒梅粉などを混ぜて煉り、成型し表面を焼くという製法で作られる和菓子。
譬えるなら・・・俵型の栗饅頭をもっと優しくしたような、1904年から作られてるお菓子だそうである。
販売は12月1日~2月3日(節分)まで。
私が買ったのは一番小さい箱 8個入り、1,890円 (日持ち:20日)
私の小学校からの友人のS君の家は旧家で、いつも大晦日に京都に出て、この「福ハ内」のセットをいくつも買い求めて、年始客に振舞うのを習慣にしている。
奥床しい年中行事であることよ。

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写真③は、同じく鶴屋吉信の「追儺」(ついな)という上生菓子セット。
きんとん製の鬼と、薯蕷製お多福。
薯蕷(じょうよ)とは、大和芋、山芋、つくね芋などを指す。
この薯蕷芋を饅頭の皮に用いた蒸し菓子を「薯蕷(じょうよ)」という。 薯蕷(じょうよ)は蒸すとふくらむ性質があるので、出来上がった饅頭の皮は、フワッとした優しい食感に仕上がる。
上用と略されて書かれることがある。
「追儺」は、大晦日の夜、内裏で催されていた祓(はらえ)の行事。
別名、「儺(おにやらい)」とも言い、節分の行事のルーツである。
お多福の下にひいらぎが敷いてあるのは、これも節分にちなむ風習、「焼嗅 やいかがし」からである。
鰯の頭を焼いて柊(ひいらぎ)の枝に刺したものを家の戸口に置くと、異臭で鬼の侵入を防ぎ、ひいらぎの葉の棘が、鬼の目を刺して追い払う、と考えられていた。
鬼のツノは、ごぼうの甘煮で、なんだかちょっと、ユーモラスである。

「立春」という抽象的な概念を表現するのは難しいもので、ならば、こういう季節感を持った具体的な「物」で視覚的に表わした方がいいと考えて、やってみた。
季節や行事を大切にする気持ちとともに、こういうお菓子は毎年楽しみに味わっていきたいものである。

念のために申し上げるが、写真②③に掲げたのは「節分菓子」であり、厳密に言うと、昨日の節分のところに載せるのが本当なのだが、お許しあれ。
いずれにしても「節分」で冬は終り、「立春」から春が始まる。この両者は、切り離しがたく結びついている。


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写真④は日本酒の「立春搾り」という本日限りの限定版である。
日本酒は消費がじりじり減る傾向にあるので、こういう限定版の商品を発売して何とか売り上げを伸ばしたいという涙ぐましい努力である。
おかげで、こういう限定ものは、よく売れているらしい。インターネット上でも、いくつかの銘柄の立春酒が見られる。
昨年秋からの日本酒の仕込みも今が最盛期で、「蔵出し」の原酒などはおいしいものである。
左党ならぬ私なんかも美味だと思う。

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この酒のラベルは今年の「暦」の図柄になっていて、瓶には「立春朝搾り」のシールを斜めに貼ってある。
予約販売である。このような趣向は、あちこちのメーカーが同じように採用している。

写真⑥は「白椿」である。
以下、「立春」を詠んだ句を引いて終わる。

 寝ごころやいづちともなく春は来ぬ・・・・・・・・与謝蕪村

 春立つや愚の上に又愚にかへる・・・・・・・・小林一茶

t-konoesiro近衛白(関西)

 雨の中に立春大吉の光りあり・・・・・・・・高浜虚子

 さざ波は立春の譜をひろげたり・・・・・・・・渡辺水巴

 立春や一株の雪能登にあり・・・・・・・・前田普羅

 かかる夜の雨に春立つ谷明り・・・・・・・・原石鼎

 山鴉春立つ空に乱れけり・・・・・・・・内田百閒

 春立つと拭ふ地球儀みづいろに・・・・・・・・山口青邨

 冬よりも小さき春の来るらし・・・・・・・・相生垣瓜人

 春立ちて三日嵐に鉄を鋳る・・・・・・・・中村草田男

 立春の米こぼれをり葛西橋・・・・・・・・石田波郷

 春が来て電柱の体鳴りこもる・・・・・・・・西東三鬼

 立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・・・秋元不死男

 立春の雪のふかさよ手鞠唄・・・・・・・・石橋秀野

 人中に春立つ金髪乙女ゆき・・・・・・・・野沢節子

 立春の鶏絵馬堂に歩み入る・・・・・・・・佐野美智

 立春のぶつかり合ひて水急ぐ・・・・・・・・会田保

 畳目の大きく見えて春立つ日・・・・・・・・八田和子


(転載) 節分に懸想文はいかが?・・・・・・・・・・・・京都・須賀神社
kesoubumi03懸想文売り

──エッセイ──

以下の文章と写真は「ディープな京都と認知療法」の中のサイトから転載させてもらったものである。いつの年の記事かは不明。転載に深く感謝するものである。
記事末尾の俳句二つは、私が見つけて来て、載せたものである。(草弥記)

  節分に懸想文はいかが?・・・・・・・京都・須賀神社・・・・(転載)

 吉田神社をはじめ京都の神社やお寺では、節分に鬼が出るところが多いのですが、懸想文(けそうぶみ)売り が出るのは、ここ聖護院を東に入った所にある須賀神社をおいてはないでしょう。「懸想文」とは聞き馴れないものですが、これは直訳するとラブレターということになります。ラブレターを「売る」とは、またどういうことなのか?疑問が湧いてきます。好奇心の虫がうずうずしてきます。

kesoubumi01須賀神社

須賀神社は小さな神社で、普段は街のなかに埋もれてほとんど目立たない存在なんですが、節分の二月2・3日になると、お琴の音や、案内を語るおばさんの声がスピーカーから流れ、がぜん活気づいてきます。参拝客も大勢こられます。この境内に入るとすぐ目につくのが、写真①と③の怪しい二人組み。
手に持つのが「懸想文」です。これを売るのが「懸想文」売りで、怪しい二人組みこそ、その正体なのです。
写真①は、その「売り人」にカメラを向けて、ポーズを取ってもらったところなのです。

kesoubumi02懸想文売り

これがうわさの「懸想文売り」なのです。懸想文とは、説明によると「縁談や商売繁盛などの願を叶える符札で、鏡台や箪笥に入れておくと容姿が美しくなり、着物が増え、良縁にめぐまれるというので、古くより町々の娘や嫁にあらかたなものとして買い求められた。この風習は明治以降はなくなり、いまは須賀神社が二月三日の行事をしている」ということなのす。そこで私もぜひ一つ買ってみなくては。もっとも私は別の良縁を求めているわけではないのですが・・・。

この姿は、懸想文の外装にも描かれていて、忠実に再現しているようです。
 
 さっそく件の懸想文を開けてみることにしました。奉書紙に包まれていたのは、梅の枝に結ばれた風情の結び文。そこにはゆかしい和歌が変体がなで書かれています。
「むすほれし 霜はうちとけ 咲く梅の 花の香おくる 文召せやめせ 」と読めます。

kesoubumi05懸想文

kesoubumi06懸想文

 写真が④と⑤に分かれてしまいましたが、④が外装、⑤が中身ということです。
さらに、結び文を解いて読むことにします。こちらは普通のかな書きなので読むだけなら苦労はありません。
「行く水の 流れは 絶えずして・・・」と、なんとラブレターが諸行無常の「方丈記」の冒頭から始まります。艶っぽい内容を期待していたのは、あてがはずれました。

「 創造や漂ひ化せしてふ地(つち)の いにしへぶりの 大地を 」とか「活人剣の像成(かたち)し」とか、なかなか難しい漢語や縁語・懸詞がちりばめられて、ちょっとやそっとでは歯が立たない内容になっています。とても女の人が書いたものとはみえません。これはどこかの大学の国文学の先生が書いているのだと聞いたことがあります。
 最後には、
「壬午(みずのえうま)の春 巳遊喜より
 春駒さままいる」

とあり、この内容は毎年変わっていること、差出人と受取人の名前はそれぞれその年の干支にちなんだ名前になっているのが解ります。あとで調べてみると、最近では
緋兎美(ひとみ)->龍比古(たつひこ)->巳遊喜(みゆき)->春駒(はるこま)

と、女男女男(女性の名前が字は古風なのに、読みは今時風なのが面白いですね)と、毎年つながっているようです。ちょっと考えてみれば、12人のとんでもない片思いの数珠つなぎが、円環をなしているわけで、シェクスピアもびっくりものなんですねぇ。こんなにレアーで、奇想天外・霊験あらたかな懸想文を、皆さんもぜひゲットされるといいと思います。ただしお代は壱千円也で、売りだしは来年の二月2・3日までまたなければならないのですが・・・。

終わりに、俳句の大家の詠んだ句を引いて終わる。

 もとよりも恋は曲ものの懸想文・・・・・・・・高浜虚子

 淡雪を讃ふることも懸想文・・・・・・・・後藤比奈夫


はつとしてわれに返れば満目の草山をわが歩み居り・・・・・・・・・・・・・・・・・若山牧水
1536012枯野

   はつとしてわれに返れば満目の
     冬草山をわが歩み居り・・・・・・・・・・・・・・・・・若山牧水


若山牧水は「酒」と「旅」の詩人だと、よく言われる。確かにそうだったが、彼は今日さかんな観光旅行の旅人ではなかった。
思いつめて旅に飛び出し、山間を歩み、水辺をさまよい、常に何ものかを追いつつ、結局は「放心」の旅であるような、そういう旅をしつづけたように思われる。
「酒」にしても、ただ酒好きというだけではなく、のめり込むように酒を飲んだ人のようである。
心に何かしら満たされぬものを抱きつづけて「生き急いだ」人だったようだ。
この歌にも、そういう牧水が居る。

photo01若山牧水

解題によると、この頃、牧水はまだ若かったが、苦しくてたまらない「恋」をしていたのだった。
この歌は明治44年刊の歌集『路上』に載るものである。
初句の「はつとして」という個所など、何か思いつめて考え事をして周りの景色も目に入らなかった様子が表現されている。

    幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく

    けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴しつつあくがれて行く

この二つの歌は、掲出歌よりも3年前に出た処女歌集『海の声』に載るものだが、初期の歌集にも、すでに
「寂しさ」に満ちた歌の調子なのである。
牧水の代表作として、よく引用されるのは

    白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

    白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

などである。
牧水は「花鳥諷詠」のような景色を詠むことはしなかった。自分の「心象」にひびくものだけを詠んだと言える。
そして、牧水についてはBLOGにも載せたが、圧倒的に多いのが「酒」にまつわる歌である。
彼は44歳で亡くなっているが、「酒」によって健康を害して医師からも酒を控えるように言われても、なお、意地汚く飲酒から足を洗えない様子が歌にも見てとれる。

     酒やめてかはりになにかたのしめといふ医者がつらに鼻あぐらかけり

というような歌がある。
彼の主宰した短歌結社「創作」は、孫か曾孫かの経営で、今もつづいている。
宮崎県の出身で、それを記念して「若山牧水文学賞」というものが先年創設された。

2010/09に角川書店新書で、俳優の堺雅人と歌人・伊藤一彦による『ぼく、牧水』という本が出た。
私はまだ読んでいないが、探してみてください。

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