
春潮のあらぶるきけば丘こゆる
蝶のつばさもまだつよからず ・・・・・・・・・・・・・・坪野哲久
この歌は敗戦翌年の春の歌。
かよわい蝶の翼と、荒らぶる春潮との対比の中には、単に自然界の描写にとどまらず、当時のきびしい時代相の、おのずからなる心象風景も含まれるように思われる。
「丘こゆる」という簡潔な描写が、この歌では、よく生きている。
重圧に耐えつつ、挑む生まれたばかりの小さな生命が、この飛びゆくものの描写の中に、可憐に、しかも雄々しく表現し尽されている。
能登生まれの作者は孤高詰屈の調べを持っているが、その中にも孤愁がにじみ、浪漫的な郷愁が流露するところに、独特の魅力がある。
知らない読者のために、坪野哲久の経歴を少し書いてみよう。
「アララギ」から出発し、「ポトナム」などで戦前活躍した人だが、昭和初年、新興歌人連盟に参加、プロレタリア短歌運動で活躍したが、第一歌集『九月一日』が発禁処分を受ける。
獄中生活など苦難を体験。夫人は、その頃知り合った山田あき、である。この夫人も名のある歌人。
こういう経歴の持ち主と知れば、さまざまな「くびき」から解放された作者の心象が、掲出した歌には、十全に表出されている、と知ることが出来よう。
坪野哲久の歌を少し引用してみよう。
憂ふれば春の夜ぐもの流らふるたどたどとしてわれきらめかず
春さむきかぜ一陣の花びらがわが頬をうち凝然と佇つ
春のみづくぼめて落ちし遺響ありおもく静かに水は往きにき
たんぽぽのはびこる青に犬は跳びきりきりと排糞の輪をかきはじむ
にんげんのわれを朋とし犬の愛きわまるときにわが腓(こむら)噛む
百姓の子に生れたるいちぶんを徹すねがいぞ論理にあらず
ほら聞けよぶんぶん山から風がきて裏の蕪がただ太るぞえ
残り生が一年刻みとなりしこと妻とわらえりあとさきいずれ
死ぬるときああ爺ったんと呼びくれよわれの堕地獄いさぎよからん
つまどいの猫のさわぎも生きもののうつくしさにて春ならんとす
無名者の無念を継ぎて詠うこと詩のまことにて人なれば負う
老人のぼくだけですね雨のなか生ごみという物を運ぶは
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