
──新・読書ノート──
松永智子歌集『川の音』・・・・・・・・・・・木村草弥
・・・・・・本阿弥書店2016/03/30刊・・・・・・・
この本は、松永さんの第六歌集になる。
「あとがき」によると、平成15年から26年までの作品から407首を収録したという。
松永さんは短歌結社「地中海」の重鎮でいらっしゃるから、この期間に1200首にのぼる歌があったという。
偶然にも、数日前に山本登志枝さんの歌集『水の音する』が届き、拝見したばかりであった。
しかも松永さんは「川の音」といい、山本さんは「水の音する」である。
詠まれる対象も、詠みぶりも、大変よく似ている。
短歌名鑑によると、松永さんは昭和四年のお生まれで、私より一歳年長であられる。 山本さんは、ずっとお若く昭和22年のお生まれとある。
松永智子さんには、私が「地中海」に在籍中は大変お世話になった。
「地中海」は、グループ制を執っており、松永さんは広島の「青嵐」グループを率いておられる。香川進の直接の謦咳に接した古参の幹部であられる。
さて、歌集のことである。
掲出した画像でも読み取れると思うが、「帯」文には
<耳をすます。
遠く音のはてたるその先に
なお聞こえくるものは。
目を凝らす。
あかときのゆくりなく
見上ぐる空に広がる世界は。
自在なる精神の飛翔。
第六歌集。>
とある。
「帯」裏には誰の選かはわからないが六首が引いてある。
・とほくなり近くなりまたとほくなるひびきのありて秋天たかし
・ゆれやまぬふうせんかづらかの夏のとほくなりつつまぼろしならず
・にんげんのかわきの無慙さらしつつ原爆ドームいまふかきかげ
・紅葉より紅葉へかかる吊橋 寥寥としてひびく水の音
・はるかなり啄木鳥の樹をたたく音ブナの林をふきすぐる風
・星のふるひびきの底なる夜の川闇ふかくして音なくながる
この歌集の題名を「川の音」という。 ここに引かれる歌にも「水の音」「夜の川」などの言葉が見られる。
この「水」また、五首目の歌に見られる「風」が、一巻を通じての通奏低音として読者の耳に響くのである。
また四首目の歌「吊橋」が四音で切れていること、次に一字分スペースを置いて補ってあるとは言え、わざと「字足らず」にするところなどに松永さんのレトリックがあると指摘しておく。
そういえば、松永さんから以前にいただいた歌集からも、この「水」「風」というのが作者の特徴として挙げられると思う。
巻頭にあるのは「ひびき」という一連である。この一連は独りぐらしの松永さんの「心象」を巧みに描いてあり秀逸である。
・秋の日のふかくさし入る畳のうへあまりにさびし立ちあがりたり
・ふいにして落ちゆくひびきとおければ双の手を垂れ秋天にきく
・とほくなり近くなりまたとほくなるひびきのありて秋天たかし
・なぜこんなにしづかですかと問ふてみる応へはない風のない夜 ←応へはない の字足らずの作為
・こぼれ出ることばがこぼれ こぼれ出ることのなかつた泪がこぼれ
・端坐して書いてゐるかげしづかですさびしすぎます夜があけます
・お月さんさびしくないの野に立つて呼んだやうにいまならいへさう
・雨の音に目ざむる夜ふけいづくにか濡るるをこばむ石のあるべし ←あるべし というキッパリとした断定または推量
これらを見てみると、これらの歌を巻頭に置いた作者の編集意図を明確にくみ取ることが出来よう。
巻頭の歌につづく「春山」という一連。
・しづかなる胎動さながらかなしめばいま茫茫と芽ぶく春山 ←かなしめば は「愛しめば」と私は読む
・山の春まひるあかるしそこはかとなくただよふは梅の花の香
・備前の甕にしづもる梅の花山のくぼみさながらにして ←私は桜よりも梅の花が好きである
・身のうちの「散華」の一語置き去りにことしの桜花終りたり
「項目」に拘っていては前に進まない。以下、私の好きな歌を列挙する。
・さぬき野は麦のうれどき見のかぎり靄ばかりなり靄ふみてゆく ←靄ふみて という表現が独特で秀逸
・刈るまへの麦おもげなるさぬき野「同行二人」のこゑとほくして ←私も過年、四国巡礼の真似ごとをした
・かなしみのこぼれさうなるいぬふぐり 花は空のふかさやしれる ←花は空の が字足らずなので前に空白をひとつ
・男泣きに香川進の死を悼み逝きし東籬男 うたのこりたり
・うつくしき欲望といへば幻想と笑ひかへり来そしてまた闇
・ふれたればふりむく蟷螂目のひかりうすみどりなり瞬時たぢろぐ
・いのちのをはりみてゐる背中とは思ひみざりきかげしづかなりき
・かなしめばつつむものなきてのひらにひえひえとしてただ白き花置く
・うたがふをしらぬ目なれば寄りきたる子鹿の目なれば雲うつりをり ←「なれば」のリフレインが秀逸
・いのちの終りみるごとくして六月をはりの落日を見き
・みどりごのいのちさながらひつそりと竹藪の奥に産着の乾され
・きさらぎは風の音ばかりといふなかれ塀のうへなる梅の木の花
巻末の歌から
・後を飛ぶ数羽の鴉向きかはるその度ふためきおくれととのふ ←精細な観察眼が秀逸
・ながるるごと飛びゆく鴉数十羽なにや見つらむ朝あけはてたり
・旋回のかたちのままなり声たてぬ鴉ひとむれ視界より去る
たくさんの歌が収録されているので見落とした歌も多いと思うが、この辺で鑑賞を終わりたい。
「ひらがな」の多用などで流れるようなリズム感を創出された。
長い歌歴の賜物と言えるが、いつもながらの松永さんの佳い歌群を楽しませてもらった。
時しも、私の親しい人の死に遭って、ふかく沈潜していた私の心を慰めていただいた。 深く感謝いたします。
ご本のご恵送有難うございました。
ご健康に留意され、益々のご健筆の程を。

桜草買ひ来このごろ気弱にて・・・・・・・・・・・・・・・・安住敦
サクラソウ科の多年草。
江戸時代、武士の内職として、サクラソウの栽培が流行し300種類もの品種があったという。その品種の一部が小石川植物園などに維持されているらしい。
サクラソウは、日本種のサクラソウと、プリムラと呼ばれる西洋サクラソウがあり、本来は違うものであるが、
今では、どちらをも桜草と一くくりにして呼ばれている。
掲出した画像は西洋サクラソウ──いわゆるプリムラのものである。
掲出した安住敦の句は、丁度この頃なんとなく気鬱で「気弱」だったのであろうか。
自分の心象を詠んでいて秀逸である。
桜草は湿地に群落をなす花で、今では野生のものは絶滅しかかっており、
「田島が原サクラソウ自生地」に自生するものが特別天然記念物として保存されており、有名である。埼玉県の郷土の花になっている。
写真②が、その「ニホンサクラソウ」である。 ただし、これが咲き揃うのは、四月中頃であるから念のため。


ただし、↑ この写真は軽井沢町植物園のもの。町花になっている。
葉の様子もよく判る。
我国は草もさくらを咲きにけり・・・・・・・・小林一茶
の句があるが、山桜の花に似て、清純な可憐な美しさの花である。
桜草は亡妻が株を大切にして来たが、病気中に私の不注意で枯らしてしまい、新しい苗を買ってきて、今に至っている。私の買ってきた株は、色が少し濃い。
桜草ないしはプリムラとして多くの句が詠まれているので、下記に引いて終りたい。
葡萄酒の色にさきけりさくら艸・・・・・・・・永井荷風
桜草灯下に置いて夕餉かな・・・・・・・・富田木歩
咲きみちて庭盛り上る桜草・・・・・・・・山口青邨
そはそはとしてをりし日の桜草・・・・・・・・後藤夜半
わがまへにわが日記且(かつ)桜草・・・・・・・・久保田万太郎
桜草の野に東京の遥かかな・・・・・・・・富安風生
少女の日今はた遠しさくら草・・・・・・・・富安風生
まのあたり天降(あも)りし蝶や桜草・・・・・・・・芝不器男
一杯のコーヒーの銭さくら草・・・・・・・・細見綾子
プリムラやめまひのごとく昼が来て・・・・・・・・岡本眸
カーテンと玻璃とのあひだ桜草・・・・・・・・森田峠
桜草寿貞はそつと死ににけり・・・・・・・・平井照敏
プリムラや母子で開く手芸店・・・・・・・・高橋悦男
下に鍵かくして桜草の鉢・・・・・・・・木内怜子
さくら草入門のけふ男弟子・・・・・・・・古賀まり子
これからのこの世をいろに桜草・・・・・・・・和知喜八
三鉢買って二鉢は子へ桜草・・・・・・・・大牧広
卓上は文字の祭壇桜草・・・・・・・・馬場駿吉
鉄橋を貨車ことことと桜草・・・・・・・・中丸英一
泣くときは見する素顔や桜草・・・・・・・・平賀扶人
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