K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(7月)月次掲示板
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東日本大震災から五年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
FI249257_2E未央柳
 ↑ 未央柳(びようやなぎ)

七月になりました。
梅雨が明けたら、輝く夏が始まります。


 月ほそくうすく見ゆるを子は言ひて獣あまた載る絵本をひらく・・・・・・・・・・・・・・・・・大口玲子
 三振りを五振りに七味で気合ひ入れ狐も狸もわれも目覚めよ・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 熊鷹の一羽を鴉の群れが追ふ集団的自衛権の行使かあれは・・・・・・・・・・・・・・・・真鍋正男
 耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川宏志
 逝く秋に読み返したる一冊の『白痴』は遠き回転木馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 さはあれど比喩は間接の域を出ずまして暗喩は奢りが臭ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来嶋靖生
 風渡る聖河のほとり人と人睦みて大悲分けあえるとぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷岡亜紀
 「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか・・・・・・・・・・・・・・・・森山良太
 糸吐きて繭を裡よりつくり出す蚕の声きこゆ夏白き昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜野ムツ
 立ちて百日紅坐りては見る千年紅われ息長にその紅を吸ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 エゾイチゲの花が咲いたと妻が言ひさうかと花を覗きにゆきぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
 つと視野を過ぎし蛍のかの夜よりこの世を夢と思ひ初めにき・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋眞理子
 その身美しきこと知りゐるや知らざるや黒揚羽無心に舞ふ夏の朝・・・・・・・・・・・・・・ 石川恭子
 まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあつた戦争の前・・・・・・・・・・・・・・永田和宏
 始めしは縄文人か奥久慈の炭火であぶる鮎の塩焼き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 かなしからずや殻の中まで蝸牛・・・・・・・・・・・・・・ 山田露結
 囀りやサラダの御代わりは自由・・・・・・・・・・・・・・・越智友亮
 緑蔭や脇にはさみて本かたき・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田哲史
 サングラスあたまひと振りして外す・・・・・・・・・・・・・山口優夢
 ががんぼは腕立て伏せして老いてゆく・・・・・・・・・・・・永井幸
 枇杷甘く合はせ鏡に溺れけり・・・・・・・・・・・・・・・・・外山一機
 急用のわたしが走る雉走る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池弘子
 まなうらに新樹流れてひっそり寝息・・・・・・・・・・・・わだ ようこ
 平和な夢だ平和は夢だ鳴かぬ蝉・・・・・・・・・・・・・・・瀬川泰之
 つまみたる夏蝶トランプの厚さかな・・・・・・・・・・・・・・高柳克弘 
 水の面に蜂の垂り足触れにけり・・・・・・・・・・・・・・・・村上鞆彦
 黒揚羽旅は罅より始まりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冨田拓也
 全身を触覚にしてシャワー浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・ 北大路翼
 夏橙その手ざわりの過去を言う・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤淳子
 屋根裏に蛇這う音の昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・・奥山津々子
 蕗十杷漬け置く桶の水の色・・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐義知
 モナリザの微笑の先の水羊羹・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 夏木立つばさもちちふさも楽器・・・・・・・・・・・・・・・・・中村安伸
 避暑家族鳥とも違ふ会話して・・・・・・・・・・・・・・・・・・田中亜美
 大ぶりの蜘蛛の巣いい仕事してるなあ・・・・・・・佐々木香代子
 耳朶染まる多肉植物むんむんと・・・・・・・・・・・・・・・・榎本祐子
 こゑふたつ同じこゑなる竹の秋・・・・・・・・・・・・・・・・ 鴇田智哉
 撫でるごとトマト湯むきす子は遠し・・・・・・・・・・・・・・森岡佳子
 さざなみ今もすこしずつ砂になる・・・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 恋愛が模型の丘に置いてある・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 岩礁の苔のぬめりの深き夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石井薔子
 山の蛾のひとり網戸に体当たり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田仁
 あられもなき五体ありけり大夕焼・・・・・・・・・・・・・・・・ 秦夕美
 軍艦島かごめかごめでいなくなり・・・・・・・・・・・・・・ 河西志帆
 白極む父のようなるアマリリス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・乾志摩
 竹は秋の夢二の女猫を抱き・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 ハッカ飴ゴールはみんな正解さ・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 でで虫やきのふのこともはや虚(うつけ)・・・・・・・・・・ 七風姿 


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このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
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この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

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 日本国憲法九条
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永久にこれを放棄する。
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愛し合つた 滅びるといふ語感にも似て炎のユーホルビア・・・・・・・木村草弥
30791475ユーフォルビア紅彩閣
 ↑ ユーフォルビア紅彩閣

     愛し合つた 滅びるといふ語感にも似て
             炎のユーホルビア・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

この歌ではユーホルビアとなっているが、ユーフォルビアと表記するのが正しい。
多肉植物である。サボテンと似ているが産地も属も別のものである。いろんな種類がある。
先ずWikipediaの記事を引いておこう。
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img58560146ユーフォルビア紅葉彩雲閣
 ↑ ユーフォルビア紅葉彩雲閣
img58261045ミルクブッシュ
 ↑ ミルクブッシュ
img59052487ハナキリン
 ↑ ハナキリン
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 トウダイグサ属

トウダイグサ属 Euphorbia

トウダイグサ属(トウダイグサぞく、Euphorbia)はトウダイグサ科に属する一群の植物で、園芸植物などについては学名の英語風読みのユーフォルビアで呼ばれることが多い。

代表的な種としては、日本に野生するトウダイグサ(灯台草: 形が燭台に似ることから)、タカトウダイやノウルシ、観賞用に栽培するポインセチア、ショウジョウソウ、ハツユキソウ、ハナキリン、ミドリサンゴ(ミルクブッシュ)などがある。

学名のEuphorbiaは、ヌミディア王ユバ2世に仕えたギリシャ人医師エウポルボス (Euphorbos) に由来する。
ユバ2世の一人目の妻はマルクス・アントニウスとクレオパトラ7世の娘クレオパトラ・セレネである。
エウポルブスはサボテンに似たユーホルビア植物が強力な瀉下薬となることを記した。
紀元前12年、ユバ2世は、侍医のアントニウス・ムーサ(英語版)の像を作ったアウグストゥスに応えて、この植物の名前をエウポルブスから名付けた。
植物学者のカール・フォン・リンネはエウポルブスを顕彰し、この「Euphorbia」を属名として採用した。

ユバ2世自身は、芸術および科学の著名なパトロンであり、いくつかの探検や生物学的研究の後援をしていた。彼はまた著名な作家であり、博物学に関する論文や最もよく売れたアラビアへの旅行案内といったいくつかの専門書や一般向けの学術書を書いている。Euphorbia regisjubae(ユバ王のEuphorbia)は、博物学におけるユバ王の貢献とこの属を表に出した彼の役割を称えて命名された。

世界の熱帯から温帯に広く分布し、約2000種の草本または低木からなる巨大な属である。

花は退化傾向が著しく、雄蕊または雌蕊1本だけからなる。これら(雌花1個、雄花数個)が集まり苞に囲まれた杯状花序という特有の花序を形成する。苞には蜜腺があり、花序全体が1つの花のように見える。さらにポインセチアなどでは花序近くの包葉が赤・黄・白などに着色して目立つ。
切ると乳液を出すが、有毒物質(ホルボールエステルやインゲノールエステル等)を含み、皮膚につくとかぶれることもある。
砂漠から湿地まで様々な環境に適応進化し形態的に多様である。特に砂漠に生育するものでは葉が退化し茎が多肉となってサボテンに似ているものもあり、収斂進化の好例である。

分類
形態のやや異なるニシキソウ亜属を独立の属とすることも多いが、分子系統学的には必ずしも支持されていない。
日本には約20種があるが、どれも草本で、直立して飾りの包葉の付いた複雑な花序を広げるトウダイグサの類とやや這う草本のニシキソウの類がある。

トウダイグサに類するもの:立ち上がる草本で、葉は茎の周りにつき、先端は多数枝分かれして広がり、飾りの包葉に囲まれて花序が付く。

ニシキソウに類するもの:やや這う草で、茎にそって水平に葉を多数だし、花序は葉の基部に小さく付く。

このほかに園芸植物として栽培されているものに、
ショウジョウソウ E. cyathophora Murr.
ショウジョウボク(ポインセチア) E. pulcherrima Willd.
ハツユキソウ E. marginata Pursh

特に多肉植物として栽培されるものには
ハナキリン E. milii Des Moulin var. splendens Ursch et Leandri
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いま辞典や植物に当たってみて、この歌を作ったときの花が、どれだったのか分からなくなった。しかし「炎」とあるから「真っ赤」な色をしていたに違いない。
だから出来るだけ多くの写真を出しておく。
a0096800_15405481ユーフォルビア
 ↑ ユーフォルビア 何とか? 
03459ユーフォルビア桜子
 ↑ ユーフォルビア桜子
hanakirin-rキスミークイック
 ↑ キスミークイック
 milkbush_02ユーフォルビア・ティルカリー
 ↑ ユーフォルビア・ティルカリー

今や、こういうサボテンのような、ある程度乾燥に強くて、鉢の小さいものが好まれるようだ。

この歌の載る一連は、こんな風になっている。

     ゴッホ忌・・・・・・・・・・・・木村草弥

  ひといろで描けといふなら田園は春の芽吹きの今やさみどり

  顔の高さに黄の花抱いて歩いてく夕べゴッホを貪ったから

  楽の音に沈んでゐる 遠ざかる愛はみだらにゴッホ忌

  愛し合つた 滅びるといふ語感にも似て炎のユーホルビア

  放物線の最高点にゐる時を噴水は知ってきらめき落ちる
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つまり、こういう一連の中の歌であることを知ってもらうと、鑑賞もまた一寸ちがってくるのではないか。
いかがだろうか。





「芸術新潮」2014/08号・特集<女と男のヌード>・・・・・・・木村草弥
芸術新潮8

──新・読書ノート──(再掲載・初出2014/07/29)

     「芸術新潮」2014/08号・特集<女と男のヌード>・・・・・・・・・・・・木村草弥

「芸術新潮」2014/08号は、特集<女と男のヌード>ということである。
表紙の画像も、一見すると写真のようだが、諏訪敦の「Sleepers」シリーズのもので「油彩」である。
昨年の十二月号の「春画」特集のときには、俳人でもある「高山れおな」は一介の編集者だったが、この号では「副編集長」としてスタッフに名前が出ている。

この雑誌の「目次」だけ載せておく。

特集・女と男のヌード
  1 諏訪敦 モデルという事件を描く  諏訪敦的偏愛ヌード12選─多くのヌードを描いてきた画家が明かす、古今東西の気になるヌード、忘れえぬヌード

ここでは、エドヴァルト・ムンク、バルテュス、フランシスコ・デ・ゴヤ、アントニオ・ロペス・ガルシア、ルカ・シニョレッリ、ルシアン・フロイド、長谷川サダオ、鳥居清長、エレン・アルトフェスト、ミヒヤエル・ボレマンス、ジョン・カリン、佐藤允 などの絵が引かれて、解説される。

  2 小林正人 “この星の恋人たち”
  3 梅津庸一 自画像の美術史
  4 会田誠 すっぽんぽんの絵筆
  5 木村了子 イケメン礼賛 女だって脱がせたい
  
裸婦たちのおもかげ
  戦後日本のヌード

ここでは1946~2014のヌードについて、宮本三郎、杉山寧、寺内萬治郎、石本正、島村信之、三嶋哲也、森本草介、小尾修 などの絵が紹介される。見事な、綺麗なヌードである。

ヨーロッパ最新ヌード事情
  2つの展覧会を遠望する

  男のハダカ・女のハダカ─裸体美をめぐる誤解と真実 文・高橋明也

女体を実践し、模っ糊りを研究する 森村泰昌×木下直之

小特集 写真と人生のリアリズムを伝え続ける <荒木経惟の往生写集> 

炎暑のみぎりだが、消夏の一冊として、恰好のものである。 ぜひ、ご一読を。


桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・草間時彦
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  桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・・・・草間時彦

桔梗(ききょう)あるいは漢字の音読みにして「きちこう」とも発音される。
この時彦の句ではキチコウの読みである。

キキョウ科の多年草で「秋の七草」の一つであるから、俳句では秋の季語となるが、実際には六月中旬には咲きだすところが多い。
青みがかった紫のものが多いが、栽培種も多く、白、紫白色、二重咲きなどいろいろである。
矮性の小さな種類もあるが、在来の50センチくらいの高さで、紫色のものが一番ふさわしい。

kikyou4キキョウ白

この句は旅に出て、飛騨の地酒を口に含んでの寸感であろうか。
私も老来、日本酒を嗜むことが多い。ビールなどは夏場しか飲まないようになった。

「万葉集」にいう「あさがお」は桔梗のこととされている。

小林一茶の句に

 きりきりしやんとしてさく桔梗かな

というのがあるが、きっぱりと、すがすがしい野性味のある花と言えるだろう。
私の歌にも桔梗を詠んだものがあるが、昨年に採り上げたので遠慮して、歳時記に載る句を引いて終わる。

yado33kikyouキキョウ矮性

 桔梗の紫さめし思ひかな・・・・・・・・高浜虚子

 仏性は白き桔梗にこそあらめ・・・・・・・・夏目漱石

 かたまりて咲きし桔梗のさびしさよ・・・・・・・・久保田万太郎

 桔梗の花の中よりくもの糸・・・・・・・・高野素十

 桔梗やまた雨かへす峠口・・・・・・・・飯田蛇笏

 桔梗には鳴る莟あり皇子の墓・・・・・・・・平畑静塔

 桔梗いまするどき露となりゐたり・・・・・・・・加藤楸邨

 桔梗一輪死なばゆく手の道通る・・・・・・・・飯田龍太

 桔梗挿す壺の暗さをのぞいてから・・・・・・・・桂信子

 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ・・・・・・・・森澄雄

 おもかげをさだかにしたり白桔梗・・・・・・・・細見綾子

 技芸天桔梗花びら露むすび・・・・・・・・沢木欣一

 誰やらの死をたとふれば桔梗かな・・・・・・・・石原八束

 桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・石田波郷

 百本の桔梗束ねしゆめうつつ・・・・・・・・藤田湘子

 桔梗の色を見てゐる麻酔の前・・・・・・・・宮岡計次

 桔梗咲く母のいのちのあるかぎり・・・・・・・・小桧山繁子
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写真③は矮性のキキョウである。




黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・・・・・・・・阿片瓢郎
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   黄檗の寺の駄犬や花ざくろ・・・・・・・・・・阿片瓢郎

ザクロは3メートルほどの高さになる落葉樹で、細長い艶のある葉が対生している。
梅雨の頃に赤橙色の六弁の花が咲く。肉の厚い筒型の赤い萼がある。

zakuro5石榴落花

写真②が落花である。先に書いたように厚い筒型のガクであるのがお分かりいただける。八重咲きや白、薄紅、紅絞りなど色々あるらしい。
中国から古くに渡来してきたもので、花卉として育てられてきたが、原産地はペルシアだという。
梅雨の頃に咲く印象的な美しい花である。
ザクロと言えば、花よりも「実」が知られているが、実は徳川時代から食べるようになったという。
ザクロは種が多いことから、アジアでは子孫繁栄、豊穣のシンボルとされてきた。実を煎じた汁でうがいをすると扁桃腺炎にいいと言われる。

zakuro3石榴実
zakuro9.jpg

写真③がザクロの実である。この中には朱色の外種皮に包まれた種がぎっしりと入っている。
種は小さく外種皮を齧るように食べるのだが、甘酸っぱい果汁を含んだものである。果皮は薬用になる。
写真④のように実が熟してくると実の口が裂けて種が露出するようになる。実が熟するのは8、9月の頃である。

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に

  梅雨空にくれなゐ燃ゆる花ありて風が点(とも)せる石榴(ざくろ)と知りぬ・・・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。降りみ降らずみの梅雨空に紅く点もる一点景である。


以下、歳時記に載る石榴の花を詠んだ句を引いて終わる。
花は夏の季語だが、実は秋の季語である。

 花柘榴また黒揚羽放ち居し・・・・・・・・中村汀女

 花柘榴病顔佳しと言はれをり・・・・・・・・村山古郷

 ざくろ咲き織る深窓を裏におく・・・・・・・・平畑静塔

 妻の筆ますらをぶりや花柘榴・・・・・・・・沢木欣一

 花柘榴の花の点鐘恵山寺・・・・・・・・金子兜太

 深爪を剪りし疼きや花石榴・・・・・・・・鈴木真砂女

 掃いてきて石榴の花が目の前に・・・・・・・・波多野爽波

 花石榴階洗はれて鬼子母神・・・・・・・・松崎鉄之介

 花石榴子を生さで愛づ般若面・・・・・・・・鍵和田柚子

 妻の居ぬ一日永し花石榴・・・・・・・・辻田克己

 
上目つかひ下目つかふも面倒なり遠近両用眼鏡ままならず・・・・・・木村草弥
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     上目つかひ下目つかふも面倒なり
            遠近両用眼鏡ままならず・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

私は小学校の最終年度から眼鏡をかけている。
近眼は五十歳頃までは、どんどん「近眼」は進行するもので、しかも四十代半ばからは「老眼」も加わってくるから厄介である。
私は左目が特に視力がなく、0.05ぐらいしかない。右目は0.1ぐらいであろうか。
ところが近眼は老化につれて、どんどん緩くなり、その逆に老眼はどんどん進む、というのが曲者である。
「遠近両用眼鏡」を使っていると、物を読む場面によってメガネを使い分けなければならない。
新聞やパソコン画面を見たりするときには、画像②に出したような「老眼用のタマ」の入ったメガネは不自由である。
こういうときには「老眼が全面に入った」メガネが楽である。首を振らなくても目玉を動かすだけで端の方も読める。
だから私は眼鏡を四つ持っている。外出用のチタンフレームの軽いもの。普通の「老眼用のタマ」の入ったフレームの丈夫なもの。陽ざしのきついときの屋外用の度つきのサングラス。
それと先に挙げた「老眼が全面に入った」メガネ、の四つである。
近眼の度数と左右のアンバランスと、いちいちレンズ調節が必要だから、レンズだけで五万円はかかる。物入りである。
度数をきっちり合わせ過ぎると肩が凝ったりするから度数は緩めの方が、いい。
ものすごく細かい字をみるときには「近眼」者は、メガネを外して目を近づければいいから簡単である。

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この一連には、こんな歌がつづいている。

   先の世も来る世も儚(はか)な躓きて現(うつつ)に返る老眼鏡は

   もはや視力矯正かなはぬ目借り刻(どき)ねむりの刻と思ふたまゆら
・・・・・・・・木村草弥

いかがであろうか。


角川書店「短歌」誌・特集所載「近隣諸国とは仲良く」・・・・・・・・・木村草弥
角川_NEW
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品「草の領域」──(85)
         
           近隣諸国とは仲良く・・・・・・・・・・・・・・・ 木村草弥
               ・・・・角川書店「短歌」誌2016年8月号・特集「戦争体験者が今伝えたいこと」所載・・・・

 確かに最近の中国による南方でのやり方には違和感を感じざるを得ない。
それは一種の覇権主義とも受け取れる。私は先年のベトナム観光中に反中
デモに遭遇して深く感じるものがあった。
 「越南」とは中国南部の「越」国よりも南という意味だろう。そういう意味で都合
のよい時だけ「領有」宣言をする嫌いはある。 
 だが最近のアベ政権による、あからさまな反動路線には反対の声を挙ざるを
得ない。戦中戦後を生き抜いて来た世代の一人として、また日本の侵略を事実
として現認して来た一人として、また国内外の悲惨な被害を体感した一人として、
侵略の事実は率直に認め、その上に立って近隣諸国とは仲良くして付き合って
もらいたい。
 威勢の良いことを言い格好よいアドバルーンを上げるだけに終始する姿勢は改
めてもらいたい。
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角川書店「短歌」誌2016年8月号・特集「戦争体験者が今伝えたいこと」という企画に私の文章を求めてきたので、かねて提出してあったのが、本日発売になったので、ご披露する。


身籠りて子の手花火をまぶしがる・・・・・・・・遠藤とみじ
WindowsLiveWriter_28bb01dea4b0_7C04_hanabi_2線香花火②

   身籠りて子の手花火をまぶしがる・・・・・・・・・・・・・・・遠藤とみじ

さて、私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)にも次のような歌がある。

   手花火が少し怖くて持ちたくて花の浴衣(ゆかた)の幼女寄り来る

   手花火の匂ひ残れる狭庭には風鈴の鳴るほど風は通らず
・・・・・・・・・・・木村草弥

一体として鑑賞してもらいたい。

この頃では、線香花火というような単純なものよりも、ロケット花火のような派手なものが好まれるようだが、危険も伴い、音も高く「幼女」向きではない。
私の歌のように手花火を「持ちたい」気持ちはあるが、といって「怖い」という幼女の心理状態を、少しは表現できたかと思っている。
線香花火はパチパチと弾けた後に赤い火の玉が夕日のように、しばらく残っているのが面白い。
手花火は幼い頃の郷愁の火の色と言えるだろう。
掲出した句は、里帰りか何かで「身籠った」娘か何かの感情を巧く捉えて句にしている。

以下、手花火を詠んだ句を引いて終わる。

 手花火に妹がかひなの照らさるる・・・・・・・・山口誓子

 手花火のこぼす火の色水の色・・・・・・・・後藤夜半

 手花火の声ききわけつ旅了る・・・・・・・・加藤楸邨

 手花火を命継ぐごと燃やすなり・・・・・・・・石田波郷

 手花火に明日帰るべき母子も居り・・・・・・・・永井龍男

 手花火にらうたく眠くおとなしく・・・・・・・・中村汀女

 手花火のために童女が夜を待ち待つ・・・・・・・・山口浪津女

 手花火にうかぶさみしき顔ばかり・・・・・・・・岡本眸

 
海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり・・・・・・木村草弥
e0016267_815090浜木綿

  海へ出る砂ふかき道浜木綿(はまゆふ)に
     屈めばただに逢ひたかりけり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。 初出は同人雑誌「かむとき」に発表したもの。

浜木綿の歌としては、古くは「万葉集」巻4(歌番号496)に柿本人麻呂の

   み熊野の浦の浜木綿ももへなす心は思へどただに逢はぬかも

という有名な歌があり、浜木綿の歌と言えば、この柿本人麻呂のものが本意とされてきた。
私の歌も、この人麻呂の歌を多分に意識した歌作りになっている。
この一連15首を全部再掲する。なお、この歌はWeb上でもご覧いただける。

       神の挿頭(かざし)・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  失せもののいまだ出でざる夜のくだち和紙の吸ひゆくあはき墨の色

  海へ出る砂ふかき道浜木綿に屈めばただに逢ひたかりけり

  わだつみの神の挿頭(かざし)か浜木綿の嬥歌(かがひ)の浜ぞ 波の音を聴け

  ぞんぶんに榎の若葉空にありただにみどりに染まる病む身は

  昂じたる恋のはたてのしがらみか式子の墓の定家葛の

  そのかみの恋文は美(は)し暮れがたの朴の花弁の樹冠に光(て)れる

  蝦夷語にてニドムとぞ言ふ豊かなる森はしろじろ朴咲かせけむ

  くちびるを紫に染め桑の実を食みしも昔いま過疎の村

  よき繭を産する村でありしゆゑ桑摘まずなりて喬木猛る

  桑実る恋のほめきの夜に似て上簇(じやうぞく)の蚕の透きとほりゆく

  絹糸腺からだのうたに満ちみちて夏蚕(なつご)は己をくるむ糸はく

  桑の実を食みしもむかし兄妹(きやうだい)はみんなちりぢり都会に沈む

  六地蔵の導く墓にとべら咲き海鳥の来て石碑(いしぶみ)穢す

  海女のもの脱ぎすててありとべらなる白花黄花照り翳る昼

  節分(しんねん)にとべらの枝を扉(と)に挿せる慣はしよりぞトビラと称(よ)べる


季節くれば花を求めて飛んでゆく美しき翅よ うす青き蝶・・・・・・・・木村草弥
image013ヒメシジミ
 
    季節(とき)くれば花を求めて飛んでゆく
       美しき翅よ うす青き蝶・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌も、先に挙げた歌のつづきに載るもので私の第二歌集『嘉木』(角川書店)所載。

私の歌に「美しき翅よ うす青き蝶」と詠ってあるので「ヒメシジミ」という蝶の写真を出しておく。
以下に触れる「尺取虫」とは無関係であるから念のため。

Geometrid_caterpillar尺取虫

私の手持ちの写真を活用して書いてみる。
写真の虫は「尺取虫」と言われるもの。
尻尾を木に固定して、頭を上げ、草木に取り付いたら、尻尾を持ち上げて半分くらいのところに持ってゆき、着地したら、また頭を持ち上げて前に進む。
という動作を繰り返して進む。
掲出した写真は、この虫の移動する(進む)様子を二つの画面で見られるので、うまく撮れていると思う。
「尺取り」とは寸法を取るという意味だが、人間が手を使って長さを計ったりするときの指の使い方を考えてもらうと判りやすいと思う。うまい命名だ。
この虫は「擬態」が巧妙で、取り付く草木の色にも合わせる「保護色」になっているので、よく観察しないと食害に気づかないことが多い。

aomusi-komayubatiアオムシコマユバチ
aomusi-komayubati3コマユバチ成虫

先に書いた普通の青虫──モンシロチョウの幼虫(大根やアブラナなどに着く)の天敵として「アオムシコマユバチ」(青虫小繭蜂)というのがいて、
これが青虫の幼虫の体に卵を生みつける。青虫の体内で卵は孵り、虫の体を食べて成長する。
そして時期がくると青虫の体外へ出て、サナギになる。二番目の写真が、その状態である。
三番目の写真が「アオムシコマユバチ」の成虫である。
小さな蜂であるが、人間にとっては「益虫」ということになる。
こういう「天敵」を利用して、大量に「サナギ」を量産し、それを「生物農薬」として販売するというのが、現実に農作業の分野では、やられている。
農薬を使うわけではなく、かつ自然界の生き物を利用しているので生態系を破壊することもない。
これからは益々こうした研究は進んでゆくものと考えられる。結構なことである。


ここで掲出した歌が載る個所の歌を全部ここに採録しておく。

       標本室 ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  温室に緑を育て蝶を飼ふ少年の日よ記憶のはたて

  青虫がひたすら茎をのぼりゆく新芽の色の何とおいしさう

  季節(とき)くれば花を求めて飛んでゆく美しき翅よ うす青き蝶

  展翅板にうす青き翅と触角が固定されゆく指先を見つ

  感性の両眼をつき刺し飛び去るは標本室の昏き二十五時

  原色昆虫図鑑の中に引かれたるアンダーラインの蝶とびたちぬ

  いつだつて夢と現(うつつ)はうりふたご追伸のやうに思ひ出づるも



入浴剤こよひは「有馬」あすは「別府」せめては家居の夜々を楽しむ・・・・・・・・木村草弥
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     入浴剤こよひは「有馬」あすは「別府」
          せめては家居の夜々を楽しむ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

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暑くなってくると、夏場は私は専ら「シャワー」派である。
毎朝、散歩で大汗をかくので、帰るとすぐにシャワーを浴びる。
私は自宅では、日中はクーラーをつけない主義であり、「節電」でやかましい今どきの生活を実践しているようなものである。
これは私が「体」のことを考えての処置であって、昼間には出来るだけ汗を出すことに留意している健康法である。
だから夏場は、汗をかいたら一日に三回ぐらいもシャワーを浴びることがある。
その代り、夜は宵のうちから寝室はクーラーを利かし、ぎんぎんに冷やしておく。就寝時にはクーラーを半時間または一時間後に「切る」タイマーにして寝る。
これでほぼ朝まで快適に寝られることが実証済みである。

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ところで、私のようなシャワー派ではなく「浴槽」に浸からなければ嫌だという人も多い。
私の知人にも何人も居る。
そういう人たちが愛用するのが、画像にも挙げた「入浴剤」なのである。
有名な温泉地、たとえば別府などに行くと、「湯の花」という温泉成分の粉を売っているが、それを商品にしたのが、これらのものなのだ。
私の知人などは夏場から浴槽に、これを入れている。
風呂に浸かると、どうしても汗をかくので、体のほてりを取るのに苦労するから、私は夏場はシャワーなのである。
さあ、あなたは今年の夏は、どちらで乗り切るのであろうか。


蓮實重彦『伯爵夫人』・・・・・・・・・・・木村草弥

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──新・読書ノート──

      蓮實重彦『伯爵夫人』・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・新潮社2016/06/22刊・・・・・・・

      帝大入試を間近に控えた二朗は、謎めいた伯爵夫人に誘われ、性の昂ぶりを憶えていく。
       そこに容赦なく挑発を重ねる、従妹の蓬子や和製ルイーズ・ブルックスら魅力的な女たち。
       しかし背後には、開戦の足音が迫りつつあるらしい――。
       蠱惑的な文章に乗せられ、いつしか読者は未知のエクスタシーへ。
           著者22年ぶりとなる衝撃の長編小説。


どういう本?

タイトロジー(タイトルの意味)
伯爵夫人とは何者なのか? 同じ“夫人”という呼称を持ちながら、「ボヴァリー夫人」(フローベール)や「サド侯爵夫人」(三島由紀夫)とは異なる、出自不明の魅力を湛えたファム・ファタール。
「この世界の均衡」に関わる彼女の正体が気になる方は、ぜひご一読を!

メイキング
「向こうからやってきたものを受け止めて、好きなように、好きなことを書いたというだけなんです」(三島賞受賞記者会見より)

装幀
カバーにあしらったのは、本作における重要な“助演女優”、ルイーズ・ブルックスのポートレート(1928年撮影)。
表面に光を吸収する特殊加工を施し、深みのある美しさを表現しましたが、読者から「人肌のように艶めかしい」という感想を多数いただくとまでは予想しておらず、嬉しい誤算でした。

著者プロフィール
蓮實重彦 ハスミ・シゲヒコ
1936(昭和11)年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。教養学部教授を経て1993年から1995年まで教養学部長。1995年から1997年まで副学長を歴任。1997年から2001年まで第26代総長。
主な著書に、『反=日本語論』(1977 読売文学賞受賞)『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』(1989 芸術選奨文部大臣賞受賞)『監督 小津安二郎』(1983 仏訳 映画書翻訳最高賞)『陥没地帯』(1986)『オペラ・オペラシオネル』(1994)『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』(2007)『随想』(2010)『「ボヴァリー夫人」論』(2014)など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。
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新潮社の書評誌「波」七月号に載る書評などを引いておく。
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       元東大総長にして話題の新鋭作家による本年度三島由紀夫賞受賞作――。
        この優雅で退嬰的で巧緻極まる長編小説を筒井康隆、黒田夏子、瀬川昌久の三氏が読む。



[蓮實重彦『伯爵夫人』刊行記念特集]
        情強調文欲と戦争・・・・・・・・筒井康隆

 江戸切子のグラスで芳醇なバーボンをロックで飲んだ。そんな読後感の作品である。
 主人公の二朗は旧制の高等学校に通い東大を目指している晩稲の青年で、作中にも暗示されるプルーストの少年時代のように、女性と抱擁しただけで射精してしまうという純真さだ。時代は戦前、舞台は主に帝国ホテル。ロビーに入ると「焦げたブラウン・ソースとバターの入りまじった匂い」が漂ってくるというあたりでたちまちかの良き時代に引き込まれてしまう。タイトルの「伯爵夫人」も貴族でありながら突然傳法肌になったりして驚かせてくれる。ここから先は二朗や伯爵夫人その他の人物の回想との入れ子構造になっての展開となるのだが、挿入されるのは丸木戸佐渡ばりの情欲場面と、憚り乍らわが「ダンシング・ヴァニティ」が先鞭をつけた繰り返される戦争場面である。
 奇妙で魅力的な人物が次つぎと登場するのが嬉しい。宝塚かSKDかという男装の麗人だの、友人の濱尾が投げたボールをワンバウンドで股間に受けてしまった二朗を介抱してしきりにその金玉を弄り回したがる女中頭や女中たちだの、正体は伊勢忠という魚屋のご用聞きなのだが病的に変装が好きな男だの、名前だけだが「魔羅切りのお仙」だの「金玉潰しのお龍」だのが出てきて笑ってしまう。他にもヴァレリーや吉田健一や三島由紀夫の陰が見え隠れする。当時はボブ・ヘアと呼ばれていた断髪の従妹蓬子も魅力的だが、そのスタイルで有名だったルイーズ・ブルックスよりも、キャラクターとしてはクララ・ボウに近い。さらに嬉しいことには懐かしい映画や俳優たちが続出。伯爵夫人に出逢う最初のシーンで二朗はアメリカ映画の「街のをんな」を見てきたばかりなのだが、伯爵夫人と抱き合う時にその演技をなぞるケイ・フランシスとジョエル・マクリーの主演者に加えて往年のギャングスターであるジョージ・バンクロフトまで登場させているので笑ってしまう。この二朗はずいぶんと映画好きで、全部上映すると六時間かかるという気ちがいじみたシュトロハイムの「愚なる妻」まで見ている。シュトロハイムが偽伯爵を演じた故の連想である。情欲場面ではヘディ・キースラーが絶頂に達する演技で有名になったチェコの映画「春の調べ」(原題「エクスタシー」)を思い出したり、戦争がらみでは主演ヘレン・ヘイズ、ゲイリー・クーパー、アドルフ・マンジュウの「戦場よさらば(武器よさらば)」が出てきたり、なんと無声映画時代の小津安二郎「母を恋はずや」における吉川満子の母と大日方伝の兄と三井秀男の弟との微妙な確執が死んだ兄の思い出に繋がったりもする。さてこの辺で、いったいこの話、時代はいつなのか、二朗の年齢はいくつなのかという疑問に囚われる。というのも前記の映画はいずれも昭和六年から十年あたりに公開されたものであり、そして二朗が一日の記憶を語った最後、「ふと夕刊に目をやると、『帝國・米英に宣戰を布告す』の文字がその一面に踊っている」、つまり昭和十六年十二月八日なのである。ここでやっとこの一篇、目醒めたばかりの二朗が一瞬にして思い出した夢だったのだなと納得するのだ。
 戦争と愛欲の場面が入れ子構造の中で交錯するうち似たような表現が繰り返され、金玉に打撃を受けるたびに「見えているはずもない白っぽい空が奥行きもなく拡がっているのが、首筋越しに見えているような気が」し、そしてまた「ぷへー」とうめいて失神するのはエクスタシーの場合と同じで、ホテルの回転ドアは常に「ばふりばふり」と回っている。前記わが「ダンヴァニ」で用いて自信がなかった繰り返しが他でもないこの作者によって文学的になり得た上、しかも笑いさえ伴うのだと教えられ、安心させられた。
 たとえいつの時代を描こうと小説作品は常に現代を表現している。作者が現代に生きているのだから何を書こうがそうなのだ。大正時代から昭和初期にかけて性的頽廃が徐徐に充満しつつあったあの時代の中、次第に軍人や憲兵の姿が何やらきな臭く彷徨しはじめ、そして破滅に繋がる戦争へと突入していくのはまさに現代に重なる姿であろう。そしてあの時まだ子供だった小生が楽しくエノケン映画を見ながらも、近づいてくる戦争に、戦争は悪いものなどとは夢にも思わずなぜか胸ときめかせわくわくし、面白がっていたことが今のように思い出されてならないのだ。 (つつい・やすたか 作家)

        危険な感情教育・・・・・・・・・黒田夏子

 息つぎのすきもないことばの勢いに乗ってあちこちを長い年月にわたって引きまわされたようにおもうのだが、じつのところこの作中時間は、冒頭「傾きかけた西日を受けて」から終景「…時間が時間でございますから、今日は夕刊をお持ちしました…」までちょうど一昼夜、しかもその大半を中心人物は熟睡してすごし、そのあいだに戦争が始まっていたという鮮やかな設定になっている。
 この朝、ラヂオの臨時ニュースは、つぎつぎと“大本営発表”を伝えていたはずで、作品全体の背中に戦争が重く貼りついていることは随所に書きこまれてもいるとおりだが、読み手としては、せっかく睡らせてもらえた作中人物にあやかって、“諜報機関”だの“特務工作”だのはあくまでも裏側にひそませ、その前夜の実質わずか数時間の個人としての激動のほうに素直にかまけていることにする。
 そうたどれば全篇は、極度に凝縮された成人儀礼の時間であり、“伯爵夫人”による手荒な授業時間である。
 この、翌年に帝国大学法科の入学試験を、翌々年に徴兵検査をひかえた旧制高等学校生にとって、“伯爵夫人”とは、異性すなわち他者すなわち全ての外界であり、それゆえ極端な怖れと憧れの対象、謎の塊、虚実の不分明として現前する。そしてその言動と、語り聞かす経歴中の所業とは、その妄想を埒を超えて拡大し、方図もない強烈さで二面性をつきつけ、あげく、両親の寝所から聞こえる嬌声の“レコード”のそもそもの音源はだれのものかとか、“伯爵夫人”が産んだという祖父の子“一朗”と自分“二朗”とはどちらがどちらかとか、自己同一性さえゆさぶりつくして、突如、手のとどかない闇世界に去っていってしまう。「…正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて保たれているあぶなっかしいこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねませんから…」と言いつつ、迫る危難の時代に備えて“ココア缶”と“絹の靴下”とのひとかかえを置きみやげとして託していったりするのが、この苛酷な両極性の教師の情の形なのだ。
 二朗が“伯爵夫人”と最後に一緒にいたのは、作中現実としては冒頭の回転扉のあるビルヂング地下二階の“茶室”だが、そこの風景は「…さる活動写真の美術の方が季節ごと作り変えている」人工物で、ここは「どこでもない場所」「存在すらしない場所」「何が起ころうと、あたかも何ごとも起こりはしなかったかのように事態が推移してしまった場所」、「…だから、わたくしは、いま、あなたとここで会ってなどいないし、あなたもまた、わたくしとここで会ってなどいない」と“伯爵夫人”は言う。
 この“場所”は、ごく初めのほうで“級友”が“同級生”として言及する“あの虚弱児童”の原型らしい実在の作家の、最終長篇最終景での八十老の感慨である「記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった」とまっすぐにひびきかわす。ちなみにこの“同級生”の広く知られている実年齢によって作品の時代の空気が早くから特定できるなど、人も事もさりげなく適切な布置それ自体で説明ぬきに納得されるのは端的に“活動写真”の手法で、それらおびただしい語句章句、視覚的聴覚的形象はいずれも単独に放置されることなく、反復や相似や対比をかさね、たてよこななめに照応し、読み手がともすれば流れの速さに足を取られ、重層する虚構に踏みまよう構造を、限定してしまうのではない微妙な律儀さで支えていく。
 この律儀さは、もうさっさと睡らせてやれと言いたくなる疲労困憊のはずの帰宅の寝間に届いていた“従妹”の長手紙に「さっそく返事をしたため」る作中人物のありようにもかよって、読み手がつい楽しくなるほどの律儀さで、とても一度読んだだけでは拾いきれない、また読もうと誘ってくる蠱惑として、この作品をいっそう豊かに充実させている。 (くろだ・なつこ 作家)

         随想 『伯爵夫人』の時代と私のかかわり・・・・・・・・瀬川昌久

 かねがね敬愛する蓮實重彦さんが「新潮」四月号に「伯爵夫人」という小説を書いて評判になっている、と聞いて早速本屋に走ったが、既にどこも品切れだった。間もなく第29回三島由紀夫賞を受賞された時の記者会見で、小説を書くきっかけの一つに、「ある先輩が日米開戦の夜にジャズをきいていたこと」を上げられた、という情報を友人たちが連絡してきて、「あれは貴方のことだよ」と告げてくれた。どういう意味でか判らぬながらも、受賞そのものは非常に嬉しく思っていたところ、やっと本を入手して急いで目を通してみると、主人公の二朗が長い遍歴の末帰宅して眠り込みやっと目をさますと、夕刊に米英との開戦が報じられている、と末尾に書いてある。
「新潮」七月号の受賞インタビューの中で、蓮實さんは、私の名前を出して「トミー・ドーシー楽団による『Cocktails for Two(愛のカクテル)』のレコードを派手にかけられたら、ご両親から『今晩だけはおやめなさい』とたしなめられた」ことを引用して、私が戦争中もジャズをずっときいていたのは、戦前の日本に豊かな文化的環境があった証左だと述べておられる。これを読んで、今度は私の方が深い感銘を受けた次第であるが、小説「伯爵夫人」の中には、残念ながら音楽の話は出てこない。しかし蓮實さんは、映画を通じて、音楽にも極めて造詣が深く、昨年映画と音楽について対談した時に、日本映画がいかにアメリカのモダンな手法を採り入れていたかの例として、エディ・カンター主演の「突貫勘太」(一九三一年)の冒頭の歌が、PCL映画「ほろよひ人生」(一九三三年)にそっくり流され、更にエノケンの「青春酔虎伝」(一九三四年)のオープニングに、ダンサーやエノケン、二村定一らの長々と歌い踊っている場面を映像を通じて説明された。その時エディ・カンターを囲んで華麗に歌い踊るゴールドウィン・ガールズのまばゆいばかりの大群舞の場面を指して、「みんな背中は何もつけてないガールズの一糸乱れぬグループを使ってこんな題材を作っちゃうんだから、そんな国との戦争など勝てるはずもない」と申されたので皆大笑いした。
 次に文中出てくる二朗の数人の級友の中に、「文士を気どるあの虚弱児童」の「平岡」の名が出てくる。「新潮」のインタビューでも「仮面の告白」評が出てくるので明らかに三島由紀夫(本名平岡公威)のことであろう。私はたまたま三島とは初等科から大学まで同級で、文学面を離れて親しく友達付き合いを重ねた。彼が体育や教練を好まず見学することが多かったのは事実だが、病弱で休むことはなかった。勿論作文の才には秀で、高校時代から小説を書いて注目されていた。大学にも一緒に入ったが、兵役は丙種不合格で、私の新調したばかりの制服を彼に貸した覚えがある。小説にはよくいわれる彼の変質性が強調されている嫌いがあるが、それは彼の一種の遊び心であったと思う。戦後学生のダンスパーティが盛んになった時は、我々の仲間の常連になって、きれいな女性パートナーを追っかけ廻したものだ。彼の著書「旅の絵本」にも出てくるが、彼が昭和32年夏にニューヨークに来た時私も前年から滞在していたので、始終顔を合わせた。彼は戯曲「近代能楽集」をブロードウェイで上演する話がすすんで、プロデューサーを決めて出演俳優のオーディションや劇場の手配を行うのに立ち会い、年内オープニングを目指していた。親友のドナルド・キーンの手配によるものだったが、その手順が次々に延びてしまって、彼はイライラしていた。流石の彼も資金を節約するためグリニッチ・ヴィレッジの安宿に引っ越して耐乏生活を始めたので、慰労の意味で、彼の好きなスパニッシュダンスを見せるスペインレストランに誘ったりした。「何故これ程芝居公演にこだわるのか」と訊ねると、彼はいたずらっぽく笑って答えた。――「先ずニューヨーク・タイムズ紙の日曜日の演劇欄に、僕の芝居の記事がいかに書かれるかを読みたい。それは芝居の初日、芝居がハネると、プロデューサーや劇評家たちが続々と集まる「サーディス」というレストラン・バーで、彼等が作品について議論する結果によって、作品の運命が決るんだ。僕は当日「サーディス」の片隅にそっと座って、彼等の議論に耳を傾けるスリルを味わいたいんだ。それだけだよ」。残念ながらその時は上演に至らず、彼は失意のまま帰国した。その彼は結婚して白い塔のある豪奢な自宅に、ドナルド・キーンと私共夫妻をよんで会食しながら、あの時のことを語ったものだ。「仮面の告白」にある「下司ごっこ」などについては、何れ蓮實さんと二人だけでワインでも飲みながらお互いの体験を語り合う機会を楽しみにしたい。 (せがわ・まさひさ 評論家)
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担当編集者のひとこと

「文学的事件」の意味するところ

    担当者の特権で本作の原稿をいち早く読ませていただいた際、すぐさま「これは文学的事件だ!」と直感しました。
    構想40年に及ぶ大著『「ボヴァリー夫人」論』を完成させ、映画時評からの引退すら宣言したばかりの著者が、なお語彙レベルで新たな表現領域に踏み込んだことに強く衝撃を受けたのです。
    三島賞受賞により作品を取り巻く状況が大きく変化した現在も、その気持ちは変わりません。
    『伯爵夫人』の事件性は、まずもってテクストにこそ宿っています。  2016/07/06
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守宮かなし灯をいだくときももいろに・・・・・・・・服部京女
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   守宮かなし灯をいだくときももいろに・・・・・・・・服部京女

はじめにお断りしておく。掲出の写真はネット上でeco.gooの「ようちゃんの風景」2003/5/24から拝借したものである。
この写真はガラスに張り付いた守宮を撮ったものだが、グロテスクな感じを与えないので、丁度よいと思う。

そろそろ夜にガラス窓などに「ヤモリ」の姿が見られるようになってきた。
守宮は主に人家に棲み、壁や天井、ガラスなどに張り付いて明りに寄ってくる虫を捕らえて食べている爬虫類である。
指には吸盤があって、どんなところにも留まることができる。
体の色は環境によって変化するらしいが、私は夜に家で見かけるので灰色の時しか知らない。
毒はなく、害虫を捕らえる有益な生き物と居えよう。

ガラスに張り付いている場合は、守宮の腹の中の様子が少し透けて見えるので興味ふかい。
呼吸に応じて喉がひくひくと動くところなど面白い。
それにガラスに張り付いている場合は裏面から見えているわけで、守宮の目からは、こちらは見えないので、彼は気がつかないから、ゆっくり観察できる。
名前の由来は、だいたい家の中に居るので「家守」の意味で、この名がついたと言われている。
鳴声が嫌だと言われるが、私はまだ聴いたことがない。
守宮は家の壁や地下の暗いところに10個ほどの卵を生む。これは私は一度みたことがある。

この句は、ヤモリが外灯の笠なんかに張り付いているときには、ヤモリの体が灯に透けて「ももいろ」に見える、という設定が秀逸である。
「かなし」は「愛しい」「いとしい」に通じるだろう。

以下、守宮を詠んだ句を引いて終わる。

 河岸船の簾にいでし守宮かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 壁にいま夜の魔ひそめるやもりかな・・・・・・・久保田万太郎(カルカッタの飛行場にて)

 硝子戸の守宮銀河の中に在り・・・・・・・・野見山朱鳥

 灯を待てる守宮雌を待つごときかな・・・・・・・・阿波野青畝

 芭蕉葉に二重写しの守宮かな・・・・・・・・阿波野青畝

 獄いたるところに守宮の夫婦愛・・・・・・・・大喜多冬浪

 静かなるかせかけ踊守宮鳴く・・・・・・・・高浜年尾

 膝に蒲団はさみて寝るや守宮鳴く・・・・・・・・沢木欣一

 守宮ゐて昼の眠りもやすからず・・・・・・・・上村占魚

 昼守宮鳴く経蔵に探しもの・・・・・・・・能仁鹿村

 玻璃に守宮眠れぬ夜の星遠く・・・・・・・・長島千城



藤原光顕の歌「いつからだろう」・・・・・・・・・・・木村草弥
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──藤原光顕の歌──(28)

     藤原光顕の歌「いつからだろう」・・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・・・「芸術と自由」誌NO.305/2016/07/01掲載・・・・・・・・・

   柿若葉の陽が眩しい また出会えたというそんな眩しさ

   ベランダの視野のかなたは久御山町か 知らない町はいつも晴れている

   光や風が五月になった あんたはもっといいところにいるのだろうか

   生きてみたいと思う日もある (AIが神の不在を証明するかも)

   西日の交差点渡って 仕遂げれば死んでもいいというものがない

   明日のことはわからないがポケットを探るポケットにはタバコがある

   昨夜残しておいたトンカツ三切れのせちょっと丼は便利だ ホント

   いつからだろう 気がつけばしっかりと手摺り握って踏み出す階段

   これとこれはクリーニングに出して─選ぶ冬物 来年も着るつもり

   傘寿ですか傘なんですか雨ですか 八十ももう一年過ぎて
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おなじみの藤原節だが、一番後の歌

<傘寿ですか傘なんですか雨ですか 八十ももう一年過ぎて>

この歌の上句が面白い。極めて「詩的」である。 「傘」という字を分解して遊んでいる。
こういう知的遊びが私は好きである。
そして

<生きてみたいと思う日もある (AIが神の不在を証明するかも)>

という歌など哲学的である。
これからも藤原さん、文芸の世界で「遊んで」ください。 酷暑の折から御身ご自愛を。








青虫がひたすら茎をのぼりゆく新芽の色の何とおしいさう・・・・・・・木村草弥
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   青虫がひたすら茎をのぼりゆく
     新芽の色の何とおしいさう・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、歌作りとしては、「青虫の目」になって作っている。

予めお断りしておく。
こんな虫の写真を何枚も見せられて、気持ちが悪いという人は、無理して見てもらって体調を崩されては、私の意にそぐわないので、即刻みるのを中止してほしい。

青虫と言っても、ものすごい種類がある。
一番はじめに載せたのは、一般に「青虫」と呼ばれるもの、成虫は「モンシロチョウ」などの幼虫である。
掲出写真のものは「黄蝶」の幼虫。
この種類は皮膚に「毛」がなく、そんなに気持ち悪くはない。

aomushi青虫②

二番目の写真の虫は、もう「青虫」と呼ぶのは、はばかられる。
写っている植物はパセリなどの匂いの強い「香草」類で、これにつく虫は「アゲハチョウ」類のものである。
この写真の虫は長さ5センチ、太さ1.5センチにもなる摑むのも怖いような大きな虫。
小鳥も食べない。ホトトギスなどは好んで食べるという。
蝶や蛾は卵を産んで、孵化して、その葉を食べる対象植物が、予め蝶の種類ごとに決っているのである。
いまアゲハチョウと言ったが、同じ属の幼虫でも、子細に観察すると姿かたちが少しづつ違っているものである。
かんきつ類の木につくもの、山椒の木につくもの、香草につくもの、など皆少しづつ違いがある。
それにアゲハチョウ系の虫は触ると角のようなものを出し、特有の嫌な匂いを出す。
油断すると小さな木や草など数日で坊主にされてしまう。孵化したての頃の幼虫は、みな黒い色をしている。

a-1s青虫アゲハ①

三番目の写真の虫がアゲハチョウ類の幼虫の一般的な形と色である。
もちろん先に書いたように、食べる植物によって虫の種類が少しづつ違っている。

四番目の虫は、クロアゲハの「終齢」期のもの。
kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

私は、特別に「昆虫少年」だったわけではないが、田舎に住んでいれば、こんな虫をいちいち怖がっていては暮らせない。
こういう虫たちとも、自然の付き合いをしてゆくのが「田舎暮らし」というものである。

kuroageha4クロアゲハ蛹

五番目の写真はクロアゲハの幼虫が成育して「サナギ」になったもの。
この中でじっとしていて、その間に「変態」する準備が進み、殻を破って出て成虫の「蝶」の姿になるのである。

以上、手元にある写真を並べて解説してみた。
ただし、私のは学習して専門的に正しく集積した知識ではないので「虫」に詳しい方は、ぜひ間違いを指摘してほしい。よろしくお願いする。


銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・加藤楸邨
img70合歓の花本命

     銀漢やどこか濡れたる合歓の闇・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

合歓(ねむ)の木はマメ科ネムノキ属。
北海道を除く日本および東アジアから南アジアに広く分布し、山の浅いところに見かける落葉高木。
「ねむの木」というのは夜、羽状複葉の葉がぴったりと合わさるからで、眠るように見える。
葉の付け根の細胞に水分が少なくなるからという。七月ころ牡丹刷毛のような、先がほんのり紅い花を開く。
今となっては少し時期が過ぎたかも知れない。
刷毛のようなところが雄しべで、花弁や萼はその下にある。
花は夕方開花し、日中は萎む。
芭蕉の句に

 象潟や雨に西施がねぶの花

というのがあるが「西施」というのは中国の女で異国に嫁いだ悲運の人。この句はそれを踏まえており、夜咲き、昼つぼむ花は悲運の女性を象徴する。
葉が逆に夜閉じ、昼ひらくのも面白い。「ねむ」という名は、この葉の習性から名づけられたものである。

以下、歳時記に載る句を引く。

 うつくしき蛇が纏ひぬ合歓の花・・・・・・・・松瀬青々

 総毛だち花合歓紅をぼかし居り・・・・・・・・川端茅舎

 雲疾き砂上の影やねむの花・・・・・・・・三好達治

 黒髪を束ねしのみよ合歓挿さな・・・・・・・・佐々木有風

 合歓の花夜は蠍(さそり)座を掲げたり・・・・・・・肥田埜勝美

 合歓咲いてゐしとのみ他は想起せず・・・・・・・・安住敦

 合歓の花底なき淵の底あかり・・・・・・・・中川宋淵

 合歓の花沖には紺の潮流る・・・・・・・・沢木欣一

 どの谷も合歓の明りや雨の中・・・・・・・・角川源義

 風わたる合歓よあやふしさの色も・・・・・・・・加藤知世子

 花合歓に夕日旅人はとどまらず・・・・・・・・大野林火

 花合歓や補陀落といふ遠きもの・・・・・・・・角川春樹

 葉を閉ぢし合歓の花香に惑ひけり・・・・・・・・福田甲子雄

 花合歓の下を睡りの覚めず過ぐ・・・・・・・・飯田龍太

 合歓咲けりみな面長く越後人・・・・・・・・森澄雄

 花合歓の夢みるによき高さかな・・・・・・・・大串章

 日本に小野小町や合歓の花・・・・・・・・辰巳あした

 合歓の花不在の椅子のこちら向く・・・・・・・・森賀まり



神田鈴子歌集『春の蟻』・・・・・・・・・・木村草弥
神田_NEW

──新・読書ノート──

      神田鈴子歌集『春の蟻』・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・青磁社2016/07/03刊・・・・・・・・・・

 思い返せば、大阪歌会でいつもお会いする神田さんであった。
いつのことだったか、体を壊されて入院されたと聞いて山本孟さんと一緒に病院へお見舞いに行ったことがある。そんなことで個人的にも親しくお付き合いするようになった。
 私の贈呈した歌集のお礼などに何度も手作りのケーキを頂いたことがある。いつも美味しく賞味したことである。
 さて、この歌集のことだが、牧雄彦氏の装丁が印象的である。「春の蟻」という字と、それに続くカットが面白い。
 奥田清和氏、牧雄彦氏の「あとがき」などに詳しく書かれていて、私が特に付け加えることなど何もないが、それだけでは芸がないので、少し歌を引いて書いてみたい。
 奥田氏は神田さんの小学校での担任だったという。何という古い縁(えにし)だろう。それらの思い出が「序文」に書かれていて趣ふかい。
 何分、二十八年にわたる歌の中からの精選であるから、この歌集の収録されたものを更に選ぶというのは極めて難しい。年度別の歌から一つづつ引くことになるだろう。

*弱りたる終の力をふり絞り母は指輪を抜きてわが手に
*生き甲斐はケーキ作りと決めゐしを短歌の道に連なりて来ぬ
*空襲の記憶たどればまざまざと夜空をのぼる火の柱立つ
*片ひざを抱きて夫は爪を切る明日は失ふ足を撫でつつ
*さしのべし細きかひなにわれを抱き夫はいまはの口づけをせり

これらの歌には母、夫との悲痛な「訣れ」が詠まれている。四首目の歌など、まさに絶唱というべく秀逸である。

*庇ひくるる手のなきこの身晒しつつ目くらむほどの遠き坂道
*震災に倒れしままの夫の墓碑割れ目を春の蟻のぼりゆく

二首目の歌から、この歌集の題名が採られているが、この歌は「大阪歌人クラブ市長賞」を得られたという記念すべき歌である。

*夫の知らぬ孫二人増え片言のとびかふ居間を見守るうつしゑ
*母子馬のつかず離れず草食める都井の岬の朝のつゆけさ

二首目の歌は都井岬に寄り添っている母子馬に托して、神田さんの心象が投影されている。

*夫の齢はるかに越えて生くる日よ冬の星座のまたたき仰ぐ
*禁断のさくらの実を食み立たされし集団疎開の飢ゑもはるけし
*夜の道に落としし銀のイヤリングこの月光を吸ひてゐるべし

三首目の歌の放つ雰囲気を読者は何とも言えぬ沈潜さを持って共有するのである。

*母逝きし齢をつひにけふ越えぬつね護られし日を重ね来て
*おだやかな元旦の光射し初むる干支は午年駆けてもみむか
*八歳に途絶えし父の記憶なり行年三十五歳の墓碑を撫でつつ

二首目の歌の結句「午年駆けてもみむか」という表現に神田さんの非凡な歌の才能を、かいま見る思いである。
今年、神田さんは傘寿を迎えられたという。その記念すべき年に、この歌集を上梓されたのを、私も悦びを共有してお祝いしたい。
 私が付け加えることは何もないが、敢えて言葉を連ねた次第である。
 有難うございました。どうぞ、お健やかにお過ごしください。

仏桑華あかあかと咲く城跡の日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ・・・・・・・木村草弥
20070321013714イグアナ

   仏桑華(ハイビスカス)あかあかと咲く城跡の
      日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、メキシコのユカタン半島のマヤの遺跡で作ったものである。
ただし自選60首には入れてないのでWeb上ではご覧いただけない。

hibiscusハイビスカス①

ハイビスカスにも色々の改良種があり、色もさまざまなものがあるようだ。
しかし、何と言っても真紅のハイビスカスがメキシコの大地には、似つかわしい。
「ハイビスカス」は学名をHibiscusと言い、学名通りに呼ばれているもの。
アオイ科フヨウ属と言い、「仏桑華」というのは葉が桑の葉に似ているからという和名である。
三番目の花は改良種のピンクのものである。

hibiscus7ハイビスカス③

ハワイでは州の花とされ、レイにされる。
インドが原産地とされるようで、暑いところでは、地中海沿岸、東南アジア、南太平洋など広範な地域に分布する。
熱帯性気候にマッチした鮮やかな花である。

   ハイビスカス子は沖縄の娘を愛す・・・・・・・・・・森信子

というようなハイビスカスにぴったりの句も生れたりする。

「イグアナ」と一口に言っても、さまざまな種類があるらしい。
メキシコのユカタン半島に棲息するイグアナは、恐ろしげな姿はしていない。
灰緑色をしていて、変温動物なので日向で日光浴をしていたりするのが見受けられる。私の歌に詠んである通りのものである。
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以下、私の歌集に載る「マヤ」にまつわる一連の歌を再録する。

       マヤの落暉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   はるばるとユーラシアより来しマヤ人も蒙古斑持つと知れば親しも

   マヤ人は「暦の民」なり一年を三六五・二四日割りいだしたる

   蝸牛(カラコル)と呼ばるる円き天蓋の天文台跡半ば崩えをり

   仏桑華(ハイビスカス)あかあかと咲く城跡の日だまり小さきイグアナが陽を浴ぶ

   日本より三ヶ月経て此処に着きし支倉常長が見しアカプルコ

   トゥルムとは城壁の意なり群青のカリブの海に白く映えゐる

   神殿を西向きに建てしは落日が次の日も昇れと祈りしならむ

   ───マヤはBC3世紀にはすでにゼロの概念を発見してゐた──
   マヤ編める二十進法は十進法より大き数計算すばやく可能

   ユカタンは石灰土壌「セノーテ」は地下水脈の湧きいづる井戸

   午後四時ゆプラサ・メヒコは闘牛を見んと集へる六万の人

   巨大なるすり鉢なせるコンクリート赤きマントに牛突っ込めり

   信篤きインディオ、ディエゴ見しといふ褐色の肌黒髪の聖母

   カトリック三大奇蹟の一つといふグアダルーペの聖母祀れり

   聖母の絵見んと蝟集の群集をさばくため「動く歩道」を設置す


蛸壺やはかなき夢を夏の月・・・・・・・・・松尾芭蕉
007タコツボ

   蛸壺やはかなき夢を夏の月・・・・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

芭蕉は貞享5年(1866年)4月20日、兵庫から須磨、明石へ脚を伸ばした。その夜は須磨に泊ったが、これは、その時の旅に基づく句。
「明石夜泊」と題があるのは、月の名所である明石に泊ったことにして詩情を深める芭蕉一流の「虚構」。


写真は、現在の蛸漁に使われる「タコツボ」である。
昔は瀬戸物製の壺型のものであったが、今ではプラスチック製で、重しに、底にセメントが深く塗りこめてある。
下の写真は、そのタコツボに長いロープをつけて結わえて、何百個と漁船で沈めにゆく。
tako1たこつぼ

芭蕉の句に戻ると、句も最終的に元禄3、4年に至って、この形に定まったと言われている。
明石の浦は蛸の名産地。激しい明石海峡の流れにもまれて、明石の蛸は、よく身が締まっていて、旨い。
その海底で何も知らずに蛸壺に入り夏の夜の短夜の月光のもと、はかない夢を結んでいる蛸。
その命も、また、はかない夢である。
そこには無常の命の「あはれ」があるが、また達観した目で眺めれば、一種の「をかし」の気分も湧いて、この句の忘れ難い複雑な味わいも生れる。
『笈の小文』所載。
先に書いたように、この芭蕉の句は、場所も、季節も変えて作られている。
文芸表現というものは、こういう「虚構」をさりげなく、巧みに取り込みながら、いかにも真実らしく作品を仕上げるか、というのが文芸作者の本領である。
この句の場合、考証に値いする日記などの裏づけがあるので、このように解明されている。
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蛸壺の話から、いま思い出したことがある。
昔、地方へ茶の売り込みに出張していた頃。
鉄道もSLがまだ健在だった頃、移動時間も今とは倍も三倍もかかって各地の得意先を廻っていたので、何泊も「宿屋」に泊った。
今のようにビジネスホテルがあるわけでもなく、旅費を節約するために、いわゆる「商人宿」というところにも泊った。
家庭的な雰囲気の宿で、常連さんというのが決っていて、身の廻りのものを置いている人もいた。
そんな同宿者の中に「蛸壺のセールスマン」という人もいたのである。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)の中に、次のような歌がある。ただしWeb上では、ご覧いただけない。

  秋草にまろべば空も海に似て泊り重ねし波止の宿おもふ

  秋草の波止場の旅籠(はたご)に蛸壺のセールスマンと泊りあはせし
・・・・・・・・・・・・木村草弥

第四歌集に入れてあるが、実際に制作したのは、もう随分まえのものである。
今となっては、なつかしい思い出の1ページになってしまった。
詳しい話は聞かなかったが、漁協などを廻って蛸壺の注文を取っていたのだろう。
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いま歳時記を繰ってみたが、「蛸」という季語は、僅かに山本健吉のものに夏の季語で「章魚」として載っているだけである。

 章魚突の潜(かづ)けり肢体あをくゆれ・・・・・・・・草堂

 章魚沈むそのとき海の色をして・・・・・・・・占魚

 祭の蛸祭の蛸と呼んで行く・・・・・・・・寒月

 章魚干せば天の青さの炎ゆるなる・・・・・・・・まもる

関東では、どの程度、蛸を賞味するのか知らないが、真蛸の旬は夏で、関西では殊に6、7月の祭の頃に鱧(はも)と並んで賞味する。
「酢たこ」など、あっさりして、さっぱりして美味なものである。
もっとも今では海外産のものが一年中でまわり、わが家では、よく食する。



順礼は心がすべて 歩きつつ 自が何者か見出さむため・・・・・・・木村草弥
サンチアゴ標識
 ↑ サンチアゴ遍路の標識

     順礼は心がすべて 歩きつつ
          自(し)が何者か見出さむため・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。

遍路道標識
 ↑ 遍路道標識

この歌の一連は、以下のようなものである。

       順 礼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
            ──PILGRIM TEMPUS VERNUM──

  春くれば辿り来し道 順礼の朝(あした)の色に明けてゆく道

  銀色の柳の角芽さしぐみて語りはじむる順礼の道程

  順礼は心がすべて 歩きつつ自が何者か見出さむため

  目を閉ぢて耳を傾け感じ取る生きてゐることに理由は要らぬ

  丈高き草むらの道 その愛がまことのものと順礼は知る

  わが巡りに降るに任せて降る雨よそのまま過(よぎ)るに任せゐる雨

  雨のなき一日(ひとひ)を恋ふる心根に春は音なく来る気配する

  日と月と星と大地と火と水と時だげが知る「道」はいづこへ

  サンチアゴ・デ・コンポステーラ春ゆゑに風の真なかに大地は美(は)しく

  北、南、東に西に順礼が帰りゆく道 交はる道と道

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サンチァゴ帆立貝の巡礼者
 ↑ サンチァゴ帆立貝の巡礼者 

この歌をつくるきっかけの旅は2008/05/10~05/22に行ったものだが、詳しくは こちらの紀行文を読んでもらいたい。
この旅ならびに、この歌に込めた私の「想い」なども、この紀行文には詳しく書いてあるので、ぜひご覧いただきたい。

私は妻が死んだ後に「四国八十八か所」遍路も経験したが、「なぜ人は洋の東西を問わず遍路の旅を歩くのだろうか」という問いがなされる。
それは前にも書いたことがあるが、要は、掲出した私の歌のように「自分が何者かを一度みつめるための旅」と言っていいかと思う。
その「きっかけ」は何でもいいのである。 私の場合は直接的には、妻の死であったが、同行した後の二人の人の思いが、どうであったか、は詳しくは聞いていない。
私の場合は、この紀行文のはじめのところにも書いておいたが、亡・親友のフランス文学者・田辺保から「遍路道」の本を貰ったりして予備知識があった。
なお、私の歌の一連の「副題」として掲げた<PILGRIM TEMPUS VERNUM>というラテン語の意味だが、「春の季節の巡礼」とでも訳せるところである。

写真の説明をしておくと、三番目のリュックにつけられた「ホタテ貝」は、サンチアゴ巡礼者が身につける「標識」なのである。
かの地では、これを付けている人は巡礼者として敬意を持って遇されるということである。
四国遍路が「杖」と「白衣」を纏うのと同じ扱いである。




閑林に独り座す草堂の暁/ 三宝の声一鳥に聞こゆ/ 一鳥声有り 人心有り・・・・・空海
tropicalscreech-owl-1コノハズク

    後夜に仏法僧の鳥を聞く・・・・・・・・・・・・空海

        閑林に独り座す草堂の暁

        三宝の声一鳥に聞こゆ

        一鳥声有り 人心有り

        声心雲水倶に了了

この詩は、真言宗の開祖・空海(弘法大師)の詩文集『性霊集』巻十の漢詩・七言絶句「後夜に仏法僧の鳥を聞く」である。
(原文は漢字ばかりの詩、訓み下しにして漢字かなまじりにした)

「後夜(ごや)」つまり未明=夜半から朝にかけて、の勤行中ブッポウソウと鳴く鳥声を聞いたのである。
ブッポウソウは仏と法と僧、いわゆる「三宝」を言う。
ブッポウソウと鳴く仏法僧という鳥がいると考えられていたが、姿を見た人がなく、長く、そう信じられて来た。
しかし近代になってブッポウソウと鳴くのは、実はコノハズクというフクロウ科の鳥であることが判った。
しかし、その鳴き声に三宝(仏・法・僧)を聞き取って尊ばれた。
空海が独り座して夜を徹して勤行する山中の夜明け、仏法僧の声に心は澄みわたる。
鳥声と人心、雲と水(大自然)は一体となり、一点の曇りもなく(了了)心眼に映る、と。
「倶」は「共に」の意味である。

空海は中国から「密教」を日本に伝え、天台宗の開祖・最澄とともに、南都仏教の政治介入を排したくて平安京を開いた桓武天皇を宗教の面から強力に支えた思想家・宗教者であった。
彼が書き残した文章も、いずれも特異なものに満ちている。
たとえば

    三界の狂人は狂せることを知らず。
    四世の盲者は盲なることを識らず。
    生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、
    死に死に死に死んで死の終りに冥し。────空海

この詩について詩人の富岡和秀氏は、次のように解説している。

 <この詩は、コスモロジーへの契機となる消滅の途方もない暗さを暗示しているように聞こえる。
   自らを含めて、あらゆる存在が消滅に向かっているとするならば、空恐ろしさも、また無限に近いと言えるだろう>

後の空海の漢詩は、極めて哲学的で、かつ宗教的であって難しいが、じっくりと熟読、玩味するならば、われわれに多くの示唆を与えてくれていると思うのである。
面白おかしく、この世を生きるばかりが人生ではない。時に、人生に頭を打ち、ふかく自他を見つめ直すことも必要である。
なぜなら、生あるものは必ず滅ぶことを知るのが、人というものであるからだ。
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俳句では「仏法僧」「三宝鳥」「木葉木莵」などで詠まれている。ブッポウソウと鳴くのはコノハズクだと判ったのは、昭和10年のことだと言われている。
愛知県の鳳来寺山でのNHKの録音がきっかけだという。三宝鳥の鳴き声は、ギャー、ゲアであるという。写真はコノハズク。

 杉くらし仏法僧を目のあたり・・・・・・・・・・杉田久女

 仏法僧鳴くべき月の明るさよ・・・・・・・・・・中川宋淵

 仏法僧こだまかへして杉聳てり・・・・・・・・・・大野林火

 木葉木莵月かげ山をふかくせる・・・・・・・・・・山谷春潮

 仏法僧青雲杉に湧き湧ける・・・・・・・・・・水原秋桜子



仏桑花真紅の声を挙げて基地・・・・・・・・山田みづえ
hibiscusハイビスカス①

     仏桑花真紅の声を挙げて基地・・・・・・・・・・・・・山田みづえ

仏桑花(ぶっそうげ)とは「ハイビスカス」のことである。
この前の戦争では多くの人が敗戦国民として戦勝国に支配されて辛酸をなめたのである。
その頃、戦争は南の国で行なわれたので、南方系の植物──ハイビスカスに想いは繋がるのであった。
何年か前の春に沖縄本島に旅した。
以前にも訪れたことがあるが、今では激戦地だった南部の丘に「平和の礎(いしじ)」や記念館の立派なのが出来て、国内外の戦没者の名に拝して戦争の悲惨さに想いを馳せたのだった。
ここにも「ハイビスカス」は赤く色あざやかに咲いていた。
「基地」が沖縄の広い面積を占有し今も騒音その他に悩まされている。
この句の「真紅の声を挙げて基地」というのが内地人である我々の心に突き刺さる。

歳時記の句を引いて終わる。

 仏桑花爆心に咲き喪の季節・・・・・・・・下村ひろし

 口笛は幼くかなし仏桑花・・・・・・・・塚原麦生

 海の紺ゆるび来たりし仏桑花・・・・・・・・清崎敏郎

 島人の血はかくも濃し仏桑花・・・・・・・・青柳志解樹

 ひめゆりの塔に火種の仏桑花・・・・・・・・井口荘子

 天に入る熔岩原風の仏桑花・・・・・・・・古賀まり子

 仏桑花咲けば虜囚の日の遠き・・・・・・・・多賀谷栄一

 仏桑花咲く島に来る終戦日・・・・・・・・北沢瑞史

 ひめゆり塔声を挙げゐる仏桑花・・・・・・・・田口一穂

 仏桑花供華としあふれ自決の碑・・・・・・・・岩鼻十三女





ものなべて光らぬもののなかりけり<のれそれ>は海を光らせて 夏・・・・・・・・・・木村草弥
800px-LeptocephalusConger.jpg
 ↑ レプトケファルス幼生

      ものなべて光らぬもののなかりけり
          <のれそれ>は海を光らせて 夏・・・・・・・・・・木村草弥

                   *のれそれ─魚の穴子の稚魚

この歌は私の第五歌集『昭和』(角川書店)に載るものである。
原文では「のれそれ」の部分は「傍点」を振ってあるのだが、ここでは出来ないので<>で囲んだので、ご了承を。

Wikipediaに載る記事を引いておく。
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レプトケファルス
レプトケファルス(Leptocephalus、「レプトセファルス」とも)は、ウナギ目、カライワシ目、ソコギス目など、カライワシ上目の魚類に見られる平たく細長く透明な幼生で、大きさは5 cm前後かそれ以下から1 mを超す場合もある。ウナギやアナゴ、ハモなどのウナギ目のものが有名でウナギは成長後にはレプトケファルス期の約18倍、アナゴは約30倍の大きさになる。

概要

ウナギの場合、産卵場所の南方の海で孵化した仔魚は、レプトケファルスに成長し、さらに日本沿岸まで黒潮に乗って北上してから変態してシラスウナギと呼ばれる稚魚に成長し、河川などの淡水に上って成魚になる。変態時にゼラチン質の体が脱水収縮して体組織の濃縮が起こるため、変態の前後で体は小さくなる。

また、多くの魚類で口の奥に向いている歯が、レプトケファルスでは前方に向いており、様々な動物プランクトンを与えてもほとんど捕食しないことから、食性が謎に包まれていた。その後、海で採集したレプトケファルスの胃の中からオタマボヤ類が植物プランクトンを採食するために分泌する、ゼラチン質の使い捨て式フィルターである包巣の残骸が見付かった。これをきっかけに、オタマボヤ類の廃棄された包巣などに由来するマリンスノーを摂食していることが判明し、これを模した人工飼料で飼育できることも明らかになった。ハモのレプトケファルスではエビのすり身、ウナギのレプトケファルスではサメの卵黄を原料とした人工飼料による餌付けが成功している。

のれそ~1
090515-2のれそれ

のれそれ
マアナゴのレプトケファルスは、高知県などでのれそれと呼ばれ、食用にされる。主に生きたまま土佐酢、三杯酢などにくぐらせて、踊り食いにされることが多い。大阪などの消費地でものれそれと呼ばれることが多いが、兵庫県淡路島では洟垂れ(はなたれ)、岡山県では「ベラタ」と呼ばれている。

巨大なレプトケファルス

1928年から1930年にかけてデンマークの調査船ダナ号による海洋調査が行われた。1930年1月31日、そのダナ号によってセント・ヘレナ島付近で1.8 mもある非常に大きなレプトケファルスが捕獲され、大きな反響を呼んだ。それまで知られていたウナギ類のレプトケファルスは成長後には数十倍の大きさになることから、この巨大なレプトケファルスが成体になった場合には体長が数十mにもなると予想され、伝説のシーサーペント(大海蛇)の正体がこれで判明した、と報じる新聞もあった。その後も巨大なレプトケファルスの標本はたびたび採取されたが、その成体の姿は謎のままだった。

事態が好転したのは最初の発見からおよそ30年後のことだった。1960年代半ばになって、偶然にも変態途中の巨大レプトケファルスが採取されたのである。そしてその身体の特徴は、この幼生がソコギス目魚類の仔魚である可能性を強く示唆していた。あらためて詳細な調査と研究が行われた結果、
ソコギス目魚類もレプトケファルス期を経て成長する。
そのためウナギ目とソコギス目には近い類縁関係が認められる。
ウナギ類はレプトケファルス幼体からの変態後に大きく成長する一方で、ソコギス類はレプトケファルス期において成体サイズまでの成長を行い.変態後はほとんど成長しない。

などの事実が判明した。それまで見つかった巨大レプトケファルス標本も再調査の結果、ソコギス目魚類の幼体であることが明らかになり、シーサーペントは再び伝説上の存在となった。

その後、同じくレプトケファルス期を持つことがわかったカライワシ類などと共に、これらの仲間はレプトケファルス期を持つことを共通形質とするカライワシ上目という分類群にまとめられている。
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私の歌は、この 「のれそれ」を食べるところを描いたものではないが、「旬の食べ物」として下記のような記事が出ている。 ↓

★「のれそれ」というのは穴子の稚魚です。
春から秋が旬になります。生で三杯酢などで食べます。身は細長く平たく透き通っています。
高知市付近ではノレソレ、高知県西部ではタチクラゲと呼ばれることもあります。地引網を引くと、ドロメは弱いのですぐにペタッと網にくっついてくるのですが、ノレソレは、そのドロメの上にのったり、それたりしながら網の底に滑っていきます。
この「のったり、それたり」という地引網の中の様からこう言われているようです。
高知はもちろん、四国では一般的な酒の肴、珍味なのですが、全国的にはあまり一般的ではないようですね。県外から赴任された方でこの味にはまる人も多いようです。

【召し上がりかた】
●自然解凍(急ぐときは流水解凍)して生を三杯酢で召し上がっていただくのが一般的です。生しらす(どろめ)はたまり醤油におろしショウガとネギをいれて食べたりもします。
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春先の時期に捕獲して急速冷凍してあり、価格も100グラム1200円くらい、と、さほど高いものではない。




土鈴ふる響きおもはせ驟雨きて梅雨あけ近しと知らすこのごろ・・・・・・・木村草弥
shirohige広重白雨

    土鈴ふる響きおもはせ驟雨きて
       梅雨あけ近しと知らすこのごろ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
掲出の写真①は広重の「白雨」と題するもので、白雨とは俄か雨や夕立のことである。激しく降る雨を太い線で描いてある。

20050622231029.1土鈴辰

写真②は「土鈴」(どれい)で、これは辰をかたどったもので太った辰でユーモラスである。
土鈴とは、この中に粘土の玉が入っていて、振るとごろごろという野太い音がする。
この写真のもののように干支に因んだみやげ物などにされている。

今ごろになると梅雨末期に入ってきて、各地で集中豪雨が起きたりするが、梅雨入りと梅雨明けの大まかな目安として、どちらも雷が鳴ることが多い。
気象庁の発表よりも、この雷雨の方を目安にしている人が多い。それは、掲出した私の歌の通りである。

俳句の季語にも「梅雨入り」「梅雨明け」というのがある。
以下、歳時記に載る「梅雨明け」の句を引いて終わる。

 ばりばりと干傘たたみ梅雨の果・・・・・・・・原石鼎

 葭原に梅雨あがるらし鰻筒・・・・・・・・石田波郷

 梅雨去ると全き円の茸立つ・・・・・・・・西東三鬼

 梅雨あけの雷とぞきけり喪の妻は・・・・・・・・石田波郷

 梅雨明の天の川見えそめにけり・・・・・・・・加藤楸邨

 梅雨明けし各々の顔をもたらしぬ・・・・・・・・加藤楸邨

 梅雨明けぬ猫が先づ木に駈け登る・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅雨明けのもの音の湧立てるかな・・・・・・・・・本宮銑太郎

 梅雨明けや胸先過ぐるものの影・・・・・・・・吉田鴻司

 子の目にも梅雨終りたる青嶺立つ・・・・・・・・谷野予志



佐伯泰英『死の舞い』―新・古着屋総兵衛 第十二巻―・・・・・・・・・木村草弥
佐伯_NEW

──新・読書ノート──

        佐伯泰英『死の舞い』―新・古着屋総兵衛 第十二巻―・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・新潮文庫2016/06/01刊・・・・・・・

       長崎沖に出現した妖しいガリオン船。
        謎の仮面の戦士たちが船上で舞う──。
        江戸では五回目の古着太市の準備が佳境を迎えていた。
        そんな折、ガリオン船の仮面の戦士たちが大黒屋の前に姿を現す。
        巻を措く能わざる衝撃の第十二巻。


この本の「あとがき」に佐伯が書いている。
  <十九世紀に入り、日本にどんどん異国の影が忍び寄ってくる。
    鎖国下にある徳川幕府は、漠とした外圧に曝されている。
    なんとなく現代と似通った、「不安の時代」と思える。
    総兵衛の指導力が問われる、ということはこちらの才が問われるということだ。
    ともかく頭を絞って書き上げた時代小説、いや、現代小説です。>
とある。

この本が出たとき、私の体調は最悪で、本を読むどころではなかった。
つい最近、この本が出たことを知ってアマゾンから取り寄せた。 久しぶりの佐伯ぶしに接した。

余談になるが、創刊号以来、定期購読してきた週刊「日経ビジネス」をやめることにした。
先日着いた7/11号が最後となった。前金切れを契機に止めることにした。
はじめは月二回から旬刊になり、今の週刊になった。ずっと三年分前金を払って読んできたが、この齢になって、ビジネスでもないだろう、と思ったからである。
ともあれ、この雑誌から得たものは多かったと思う。 一筆書き添えました。







       
おのづから陥穽ふかく来しならむ蟻地獄なる翳ふかき砂・・・・・・・・・木村草弥
arijigoku-su13蟻地獄

    おのづから陥穽(かんせい)ふかく来しならむ
        蟻地獄なる翳(かげ)ふかき砂・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

掲出の写真は見難いかも知れないが、画面に四つほど「蟻地獄」のすり鉢状の凹みが見えると思う。

arinotiwosutta2蟻地獄幼虫

写真②は、この蟻地獄の持ち主である「ウスバカゲロウ」の幼虫(左側)と、右側は食べた「獲物」の殻である。というのは捕らえた虫の体液を吸い取るのが、この幼虫の食事の仕方なのである。用済みの虫の殻は顎の力で巣の外に放り飛ばしてしまう。写真は、もちろん判りやすいように巣からつまみ出して並べてみたものである。

この蟻地獄は寺院や神社などの雨の掛からない軒下(縁側の下など最適)の砂地に穴を掘る。
この虫の生態については内外で詳しく観察している研究者が居て、ネット上でもエッセイなどが載っている。因みに英語ではAnt-lion という。
そのうちの三輪茂雄氏のエッセイMedical Pharmacy.Vol.20.May.114-115(1986)をもとに少し書いてみよう。

蟻地獄の陣地構築はどうするのか。
彼は先ず大きな輪を描きながら後ずさりしてゆく。その輪の直径は次第に小さくなり、最後に中心に潜り込んで完成する。陣地の斜面の角度は、いわゆる「安息角」。もし蟻などの獲物が斜面に足を突っ込むと、安定が崩れて地獄の底へ転落する。湿度の変化によって「安息角」が変化するので、ときどき修正することも忘れない。
頭にあるハサミは、よく見るとスリバチの底にぐっと広げ、斜面の下端を器用に支えている。だから、このハサミのセンサーで斜面に起る微妙な変化を感知できるのである。
粒ぞろいの砂がある場所ならともかく、一見、とても陣地が作れそうにもない荒地でも、整地作業する。つまり粒ぞろいに整地するのだ。アメリカの動物学の雑誌に、この陣地構築に関する論文が出た。(An1m.Behav.30巻、P651.1982)「アントライオン幼虫の陣地構築に関するバイオフィジックス」。
この整地作業の際に彼は砂の粒を揃えるのに「風力分級」という作業をする。「風力分級」というがニュートン域と層流域の中間域が丁度よいのである。

三輪氏は「<風力分級の極意をアリジゴクに学ぶ>など考えても見なかったことである。これもバイオの時代なのだろうか」と書いている。つまりアリジゴクは整地作業の時に砂を顎の力で刎ね飛ばすのだが、その際に「風力分級」という物理学を応用するというのである。
風力分級だのニュートン域だのと言われても、私にはチンプンカンプンなので、興味のある方は更に突っ込んでみてもらいたい。

アリジゴクはウスバカゲロウの幼虫であるが、これにも色々の種類がいるようで、水中で幼虫期を過ごす種類などは成虫になって2、3時間で死ぬものがあるから(その前に婚姻飛翔 nuptial flightという集団行動を取る)カゲロウは短命で儚いもの、という先入観があるが、このアリジゴクの幼虫と成虫に関しては、そうでもなかった。
このアリジゴクのウスバカゲロウは2、3週間生きるそうである。しかも幼虫期であるアリジゴクの期間が2、3年であることを考えると、かなり長命な昆虫ということである。

このアリジゴクは捕らえた虫の体液を吸うと、先に書いたが、体液を吸ったあとは、穴の外へボーンと放り投げて捨てる。また非常に変った体の構造をしていて、肛門がない。成虫になってから2、3年分の糞を一度に放出するらしい。
成虫のウスバカゲロウの活動期は7、8月の真夏である。

以上、専門的な記述をネット上に載る研究者の記事から紹介した。

私は内向的な性格の子供で、もちろん以上のような難しいことは知る由もなく、縁側の下で繰り広げられる蟻地獄の狩の様子を、じっと見つめるばかりであった。
アリジゴクの幼虫の成長につれて、すり鉢の穴の直径は大きくするようであった。直径1センチくらいのものが、3センチくらいにも大きくなるようであった。
そういう少年期の記憶が、後年になって、このような歌に結実したと言えるだろう。

掲出するのが遅くなったが、ウスバカゲロウの成虫の写真を出しておく。
usubakaウスバカゲロウ

俳句にも蟻地獄という夏の季語はあり、歳時記には結構多くの句が載っている。それを引いて終わる。

 蟻地獄ほつりとありてまたありぬ・・・・・・・・日野草城

 蟻地獄見て光陰をすごしけり・・・・・・・・川端茅舎

 蟻地獄みな生きてゐる伽藍かな・・・・・・・・阿波野青畝

 蟻地獄寂寞として飢ゑにけり・・・・・・・・富安風生

 むごきものに女魅せられ蟻地獄・・・・・・・・滝春一

 蟻地獄かくながき日もあるものか・・・・・・・・加藤楸邨

 蟻地獄群るる病者の床下に・・・・・・・・石田波郷

 蟻地獄孤独地獄のつづきけり・・・・・・・・橋本多佳子

 わが心いま獲物欲り蟻地獄・・・・・・・・中村汀女

 蟻地獄すれすれに蟻働けり・・・・・・・・加藤かてい

 蟻地獄女の髪の掌に剰り・・・・・・・・石川桂郎
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先に書いた水生のウスバカゲロウのことだが、この種類は私の本題とは直接には関係がないので、ここに「余談」として書いておく。
ウスバカゲロウと言えば、実生活には、むしろ、この水生のウスバカゲロウの方が関係があるかも知れない。
というのは盛夏になると特定の川沿いの道路なんかに、この水生のウスバカゲロウやトビケラの群れが密集して飛び車の運転も出来ないようになるような光景が出現する。翌朝には道の上に層をなして死骸が重なっているのである。虫の油でスリップ事故なども起る。
これは先に書いた「婚姻飛翔」nuptial flightという雄と雌のウスバカゲロウが交尾を求めて群れるのである。こういう集団発生があちこちで見られる。
余談ではあるが、念のために書いておく。
トビケラの種類も日本でも数百も居ると言い、そのうちのどの種類であるかは判らない。水生のカゲロウとトビケラは、極めて近縁の昆虫であるらしい。
「群飛」して婚姻飛翔するのは先に書いた通り、本当である。
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この記事を元にして私の第二詩集『愛の寓意』(角川書店)に「風力分級」の題にして「詩」として載せた。
風力分級という非日常的な題なので、多くの人から注目されたようだ。一言触れておく。


砂浜にひと叢さかる豌豆はるものなし 虚空に蔓を・・・・・・木村草弥
hamaendou01浜豌豆

  砂浜にひと叢(むら)さかる豌豆は
    縋るものなし 虚空に蔓を・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

「浜豌豆」は海岸の砂浜に生える草で5月頃から見られるようになる。日本は縦に長いから北へゆくほど遅い時に見られる。
どうも日本の固有種らしく、学名はLathyrus japonicus という。白と紫の可憐な花である。
名前の通り、マメ科の多年草で海岸に生える。丈が50センチほどになるというが、その海岸の風その他の条件によって異なる。
先は蔓になるのは、私の歌の通りである。
砂浜の植物は、潮の波打ち際には生えない。いくらか離れたところに叢を作るようにかたまっているのが通常である。
何ら縋るものがないので、私は「虚空に蔓を」と表現してみた。それは私自身の心象の表白でもあろうか。
写真②は、その実である。
hamaendou04ハマエンドウ実

その可憐さを愛でられて俳句にも詠まれているので、それを引いて終わる。

 はらはらと浜豌豆に雨来たる・・・・・・・・高浜虚子

 礁の上にいつく神あり浜豌豆・・・・・・・・富安風生

 浜豌豆雨はらはらと灘光る・・・・・・・・角川源義

 風落ちしとき松籟す浜豌豆・・・・・・・阿部みどり女

 夕日荒く浜豌豆に尾を引けり・・・・・・・・大野林火

 役立たぬ蛸壺隠し浜えんどう・・・・・・・・藤田美雄

 海光に牛踏み荒らすはまゑんどう・・・・・・・・庄司とほる

 浜豌豆陽にも風にも砂丘動き・・・・・・・・野沢節子

 遊子あり浜豌豆のむらさきに・・・・・・・・森田峠



父の眸や熟れ麦に陽が赫つとさす・・・・・・・・・飯田龍太
2345ce88de1d51518c75ab54d1a23da7麦秋

    父の眸や熟れ麦に陽が赫(か)つとさす・・・・・・・・・・・・・・・飯田龍太

私の辺りでは昔は米の「裏作」として秋に種を蒔いて麦を栽培していたが、今では全く作られなくなった。
ここにも書いたが、2008年5月にスペインに行ったときには、かの地はちょうど麦秋の時期に入るところだった。
日本の何倍もの面積があるので、すでに麦の刈り取りの済んだところもあった。

   麦秋の中なるが悲し聖廃墟・・・・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

という句を思い出していた。
写真②は、まだ青い麦である。
c0042797_1424114まだ青い麦

「麦秋」と言う言葉は趣のあるもので秋蒔きの麦が初夏の頃に黄色く熟れるのを表現している。
あいにく日本では梅雨の頃に麦秋が訪れるので、雨の多い年などは大変である。
雨が多くて刈り取りが遅れると立った穂のまま湿気で発芽したりするのである。
以前に地方に出張していた頃は車窓から麦刈りの風景などが見られたものである。
九州などでは麦刈りの時期も早いので梅雨までには済んでいるようである。
私の歌にも麦を詠ったものがあり「・・・熟れ麦にほふ真昼なりけり」というようなものがあったと思って歌集の中を探してみたが、
なにぶん歌の数が多くて見つけられず、掲出の龍太の句にする。

麦にはいろいろの種類があり、用途によって品種改良がされてきた。
小麦粉にするのは「小麦」である。ご飯にまぜて食べるのは「裸麦」である。ビール原料になるのは「大麦」で、専用のビール麦というのが開発されている。
因みに言うと「裸麦」は荒い石灰と一緒に混ぜて専用の臼で表面の固い殻を摺り落す。その際に麦の割れ目の筋が褐色に残る。
昔は、そのまま押し麦にして米飯と一緒に混ぜて炊いたが、今では、その筋に沿って縦にカットして米粒のような形に加工してあるから
一見すると区別がつかないようになっている。
他に「ライ麦」や家畜の餌にする「燕麦」などがある。
むかし軍部はなやかなりし頃、「陸軍大演習」になると、私の辺りの農村も舞台になったが、空き地には軍馬が臨時の厩舎を作って囲われたが、
馬に与えられた燕麦がこぼれて翌年に麦の芽が出て穂になったりしたものである。
参考までに言うと、馬に与える草などは地面に置いた餌箱に置かれるが、麦のような細かい粒のものは零れて無駄にならないように帆布のような厚い餌袋を耳から口にかけさせて食べさせるのである。
馬は時々頭を跳ね上げて、袋の中の麦粒を口に入れようとするので、多少は辺りに飛び散るのだった。

以下、麦秋を詠った句を引いて終わる。

 麦秋や葉書一枚野を流る・・・・・・・・・山口誓子

 いくさよあるな麦生に金貨天降るとも・・・・・・・・中村草田男

 麦熟れて夕真白き障子かな・・・・・・・・・中村汀女

 一幅を懸け一穂の麦を活け・・・・・・・・田村木国

 灯がさせば麦は夜半も朱きなり・・・・・・・・田中灯京

 麦笛に暗がりの麦伸びにけり・・・・・・・・山根立鳥

 少年のリズム麦生の錆び鉄路・・・・・・・・細見綾子

 麦の穂やああ麦の穂や歩きたし・・・・・・・・徳永夏川女

 褐色の麦褐色の赤児の声・・・・・・・・福田甲子雄

 郵便夫ゴッホの麦の上をくる・・・・・・・・菅原多つを

 麦は穂に山山は日をつなぎあひ・・・・・・・・中田六郎

 会ふや又別れて遠し麦の秋・・・・・・・・成田千空

 石仏に嘗て目鼻や麦の秋・・・・・・・・広瀬直人

 麦秋のいちにち何もせねば老ゆ・・・・・・・・関成美

 クレヨンの黄を麦秋のために折る・・・・・・・・林 桂

 麦の秋男ゆつくり滅びゆく・・・・・・・・立岩利夫

 麦秋や老ゆるに覚悟などいらぬ・・・・・・・・水津八重子

 一杯の水に底あり麦の秋・・・・・・・・吉田悦花

 麦秋の中に近江の湖をおく・・・・・・・・大高霧海






ガラスを透く守宮の腹を見てをれば言ひたきことも言へず 雷鳴・・・・・・・・・木村草弥
photo54やもり

     ガラスを透く守宮(やもり)の腹を見てをれば
        言ひたきことも言へず 雷鳴・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


はじめにお断りしておく。掲出の写真はネット上でeco.gooの「ようちゃんの風景」2003/5/24から拝借したものである。
この写真はガラスに張り付いた守宮を撮ったものだが、グロテスクな感じを与えないので、丁度よいと思う。
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

守宮は主に人家に棲み、壁や天井、ガラスなどに張り付いて明りに寄ってくる虫を捕らえて食べている爬虫類である。
指には吸盤があって、どんなところにも留まることができる。
体の色は環境によって変化するらしいが、私は夜に家で見かけるので灰色の時しか知らない。毒はなく、害虫を捕らえる有益な生き物と言えよう。

ガラスに張り付いている場合は、守宮の腹の中の様子が少し透けて見えるので興味ふかい。
呼吸に応じて喉がひくひくと動くところなど面白い。
それにガラスに張り付いている場合は裏面から見えているわけで、守宮の目からは、こちらは見えないので、彼は気がつかないから、ゆっくり観察できる。
名前の由来は、だいたい家の中に居るので「家守」の意味で、この名がついたと言われている。
鳴声が嫌だと言われるが、私はまだ聴いたことがない。
守宮は家の壁や地下の暗いところに10個ほどの卵を生む。これは私は一度みたことがある。

私の歌のことだが「何々していると」という条件句と、後のフレーズとには厳密な繋がりはない、と受け取ってもらいたい。
文芸作品というものは論理的ではないことが多い。
「こうしたから、こうなる」というものではないのである。まして結句に「雷鳴」というフレーズがある、などが、それである。

以下、守宮を詠んだ句を引いて終わる。

 河岸船の簾にいでし守宮かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 壁にいま夜の魔ひそめるやもりかな・・・・・・・久保田万太郎(カルカッタの飛行場にて)

 硝子戸の守宮銀河の中に在り・・・・・・・・野見山朱鳥

 灯を待てる守宮雌を待つごときかな・・・・・・・・阿波野青畝

 芭蕉葉に二重写しの守宮かな・・・・・・・・阿波野青畝

 獄いたるところに守宮の夫婦愛・・・・・・・・大喜多冬浪

 静かなるかせかけ踊守宮鳴く・・・・・・・・高浜年尾

 膝に蒲団はさみて寝るや守宮鳴く・・・・・・・・沢木欣一

 守宮ゐて昼の眠りもやすからず・・・・・・・・上村占魚

 守宮かなし灯をいだくときももいろに・・・・・・・・服部京女

 昼守宮鳴く経蔵に探しもの・・・・・・・・能仁鹿村

 玻璃に守宮眠れぬ夜の星遠く・・・・・・・・長島千城



蝙蝠や西焼け東月明の・・・・・・・・・・・平畑静塔
koumori4アブラコウモリ

   蝙蝠や西焼け東月明の・・・・・・・・・・・・・・・・・平畑静塔

日本で人家近くで見られる蝙蝠(こうもり)は「アブラコウモリ」(イエコウモリ)と呼ばれるもので、掲出する写真は、いずれも、これである。
アブラコウモリは東アジアの人家に棲む小型のヒナコウモリ科の哺乳類。日本でもっとも普通に見られる住家性の蝙蝠。

koumori6アブラコウモリ

写真②は蝙蝠の口。
アブラコウモリは翼をひろげた長さが20センチほど。翼のように見えるのが股間膜。これで羽ばたいて飛ぶ。体長は約5センチ、前腕長3.2~3.5センチ、体重6~9グラムという。
普通は木造、プレハブなどの建物の羽目板の内側や戸袋などに棲みついたりするらしい。

先年、わが家の二階の南東角の窓のシャツターの下に大量の糞がうず高く堆積しているのを見つけた。
このシャッターケースに蝙蝠が住み着いていたのである。この窓は平常は開け閉めしないので、言わば死角になっていて気付かなかったものである。
さっそく追い払う手立てを取ったのは、言うまでもない。

鉄筋コンクリートの住宅の外に開孔する排気管の中に棲みついたりするらしい。この種類は洞窟や森林には棲まない。
夕方、街中や川の上を集団で飛びまわって飛びながら蚊や羽虫を食べている。
ツバメかと思って、よく見ると尻尾がないのでコウモリだと判る。

koumori8アブラコウモリ

私が、このイエコウモリに初めて出会ったのは戦争末期に米軍の焼夷弾爆撃から街を守るために防火帯として広い道路を作るというので人家を強制的に壊した、いわゆる「疎開道路」という政策のために京都駅南側の人家の引き倒しに動員された時である。
人家に潜んでいたイエコウモリを学友の誰かが捕まえて掌の中に包んでいたのである。掴んでみると哺乳類だから暖かかった印象が第一である。
コウモリは人には聞こえない周波数の高い声を出してレーダーのように使って、障害物を巧みに避けるという。

蝙蝠は俳句などでは「かはほり」というが、これは蚊を欲するゆえと言い、この「かわほり」が転じてコウモリとなったという。
姿や習性から気味悪い動物と思われがちだが、虫などを食べる有益な動物だということである。
とは言え、住み着かれると臭いし、衛生的に悪いので、立ち退いてもらうに越したことはない。
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掲出した平畑静塔の句のことだが、「西焼け東月明の・・・・・・・」と言われるような気象条件の日というのは年間に何日もあるわけではない。
つまり、西の空は夕焼けで、東の空には明るい月が昇ってくる、という条件である。
私も調べてみたわけではないが、関心のある方は「暦」で調べていただきたい。
季節は変わるが、

  <菜の花や月は東に日は西に     与謝蕪村>

という句がある。この句の季節は早春ということだが、条件的には同じ情景、である。
この句を引いたときにも書いたことだが、年間何日もあるわけではない。
平畑静塔の句は、この蕪村の句を念頭において作られたのは確かだろうと思われるので、念のために、敢えて書いておく。

以下、歳時記に載る蝙蝠の句を引いて終わる。

 かはほりやむかひの女房こちを見る・・・・・・・・与謝蕪村

 かはほりや仁王の腕にぶらさがり・・・・・・・・小林一茶

 蝙蝠に暮れゆく水の広さかな・・・・・・・・高浜虚子

 蝙蝠やひるも灯ともす楽屋口・・・・・・・・永井荷風

 歌舞伎座へ橋々かかり蚊食鳥・・・・・・・・山口青邨

 蝙蝠に稽古囃子のはじめかな・・・・・・・・石田波郷

 三日月に初蝙蝠の卍澄み・・・・・・・・川端茅舎

 かはほりやさらしじゆばんのはだざはり・・・・・・・・日野草城

 鰡はねて河面くらし蚊食鳥・・・・・・・・水原秋桜子

 蝙蝠や父の洗濯ばたりばたり・・・・・・・・中村草田男

 蝙蝠に浜のたそがれながきかな・・・・・・・・山下滋久

 妻の手に研ぎし庖丁夕蝙蝠・・・・・・・・海崎芳朗



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