K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(10月)月次掲示板
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東日本大震災から五年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
c0085874_23145441ホトトギス
 ↑ ホトトギス草

十月になりました。
の季節です。味覚の秋、体育の秋です。

 そよや風われはその声知らねども百舌鳴くやうな夕暮れ来たる・・・・・・・・・・・・・・・内藤明
 ひと隅を占めて咲きいる慎ましさつゆの乾ぬまのむらさきしきぶ・・・・・・・・・・・・・三枝浩樹
 うから集ふ法要のなか父の子のわれはもつとも濃き血の嚢(ふくろ)・・・・・・・・小島ゆかり
 ほしいままに生きてきたとわれのことを言ふか さう見えるのか・・・・・・・・・・・・・・真中朋久
 歳月をひとめぐりして立ち寄ればぬすびと萩に種の実れり・・・・・・・・・・・・・・・・横山未来子
 かへらざる人を思へばこの幾日記憶の断片をてのひらに置く・・・・・・・・・・・・・・・・・外塚喬
 たくさんの失意の果てにひろがれる老年といふ荒野に立つか・・・・・・・・・・・・・・・・・岡井隆
 帰巣本能われにあるなら老耄のはてにいづくに戻りゆくならむ・・・・・・・・・・・・杜沢光一郎
 声の限り心の限り大泣きの児はあかあかと紅葉に並ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 晩秋の沼の面の水馬は微かな光の輪を踏みて立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井修
 耳も目も衰ふる老いのただなかに春に十七になる犬がゐる・・・・・・・・・・・・・・・・・中野昭子
 年増とかいかず後家とか出戻りとか地下鉄後尾の揺れにまかせて・・・・・・・・・・・松平盟子
 こころざし忘じ果てたるしずけさか岬の端に陽のあたる見ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・奥田亡羊
 天心のあれは失くしたおっぱい、と虚にささめく声ある月夜・・・・・・・・・・・・・・・・・ 佐藤弓生
 追憶の彼方の恋や夕暮の空へ振るため人は手を持つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋眞理子
 萩もみぢとらへがたなきあかるさの 窓辺に充ちて、仮の世この世・・・・・・・・・・・ 中西洋子
 霧立ちてふいに涼しくなりにけり牛の体も濡れてゆくべし・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 十月や
顳顬さやに秋刀魚食ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・石田波郷
 十月や見上げて駅の時刻表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬場公江
 石の上に秋の鬼ゐて火を焚けり・・・・・・・・・・・・・・・ 富沢赤黄男
 山畑に
蒟蒻育て霧に寝る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金子兜太
 独語して夜にぶつかる羊歯胞子・・・・・・・・・・・・・・・・・榎本祐子
 空ばかり見ている地べた もう昏い・・・・・・・・・・・・・・・河西志帆
 あかあかと在りたき晩年烏瓜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・小池弘子
 紙魚走るカミュを跨ぎサルトルへ・・・・・・・・・・・・・・・・・塩野谷仁
 街灯の暗さにありて秋の月・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉浦圭祐
 ハツカネズミを窺う風神雷神図・・・・・・・・・・・・・・・・・・武田伸一
 衰えてたまるか刻の尾を摑め・・・・・・・・・・・・・・・・・野間口千賀
 カーンと晴れ風の出て来し銀杏黄葉・・・・・・・・・・・・・・森田緑郎
 はたた神ひとりぼっちを見つけたぞ・・・・・・・・・・・・・・・山中葛子
 大ぶりの蜘蛛の巣いい仕事してるなあ・・・・・・・・・佐々木香代子
 ぼーっと灯り一重瞼を閉じにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・三井絹枝
 印度カレーとナン完食の清涼感・・・・・・・・・・・・・・・・・・相馬澄枝
 路地裏におぼろの墓ある那覇の街・・・・・・・・・・・・・・岸本マチ子
 母死後の記憶のなかに蕎麦の花・・・・・・・・・・・・・・・鈴木八駛郎
 毛虫焼く空気一切朝なり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野千代子
 晩節や恋など知らで胡麻叩く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・山中伸
 直進の鬼やんまの瞳の少年・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤和
 齢とは今まといつく蚋払う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・稲葉千尋
 顛末は消えてしまった蟻の列・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・榎本愛子
 殿様の馬暴れた原にソーラー発電・・・・・・・・・・・・釈迦郡ひろみ
 爽やかや語らずとも母の鼻歌・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わだようこ
 出棺の警笛野分おしあげよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・則包秀子
 水害地虫は語れど皆無言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・米岡清四郎
 身にしむや胸に罅持つ微笑仏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑野恵
 口笛の忘れし顔や赤とんぼ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・佳夕能
 風の盆掌を裏返しうらがえし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 足留める叢にふと吾亦紅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西村恭子
 秋遍路杖の響きを守護として・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤林昭子
 秋祭男の
艶めいて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川澄枝
 曼珠沙華咲いたわループタイを出す・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 秋風と突堤少し遠くまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 七風姿


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ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

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 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
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藤原光顕の歌「あんまりな日々(1)」16首・・・・・・・・・・・木村草弥
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──藤原光顕の歌──(30)

     藤原光顕の歌「あんまりな日々(1)」16首・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・「芸術と自由」No.306/2016.11.01所載・・・・・・・・

      あんまりな日々(1)        藤原光顕

 汗拭いパソコンに対う あのひとのいないこの世で何しているのか

 「ポジティブ」が今日は出てこない「ネガティブ」が出てこない日もある

 ミックスサラダとあれば刻んだキャベツを買うひとりで食えばまさしく餌だ

 「一・五分でちょうどよかった」写真に言う そうめんの茹で加減のはなし

 押入の奥から谷内六郎が出てきて 空飛ぶ夢はまだ見るかいと聞く

 夢に出たてきたあのひとは なんにも言わず 迷う私に従いてくる

 それがとっておきの芸らしく繰り返し叫ぶ「こわい こわい こわい」
  
 遠く来てたったこれだけのものだったのか思い果たした虚しさにいる

 けっこう探したんだ 横から見たらこれは杓文字のかたちではない

 ほとんどはなくても生きていけるもの除けては戻し今日も探す

 ああこんなところにあったと拾い上げて あれはどこに置いたのだろう

 35℃の午後が3時になる異化とか回収とかベクトルとか そんな文脈で

 どうでもええ明日の予定二つメモして とりあえず就眠儀式終わる 

 何かがありそうだった遠い夏 眩しい速さで新幹線は消える

 ひたすら喘ぐだけだった夏「のちの日々」というフレーズのこる

 「歌書いてなければパパはダメになるかも」今頃になって人づてに聞く
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いつもながらの光顕節だが、老いの哀歓が偲ばれて、わが身につまされる。
最後の歌の<「歌書いてなければパパはダメになるかも」>のところは、私のことを言われたのかと、思わずドキリとした。
藤原さん。夏には適当にクーラーを使ってください。私も日中はなるだけクーラーを使わないようにしていましたが、老人には毒らしいですよ。
この号の「あとがき」で編集者の梓志乃が書いているが

<藤本さん、星野さんと主要同人を亡くして淋しい限りである。
 言葉にこだわった藤本さんや社会に厨の窓から対峙した星野さんを考えるとき、
 口語で歌を作ればそれでいいといった安住に居座りたくはないという思いは強い。>

という発言は貴重である。口語短歌を詠んでいる者への警鐘として受け取りたい。



 

 
ひともまた弧影曳きをり穴まどひ・・・・・・・鈴木孝一
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  ひともまた弧影曳きをり穴まどひ・・・・・・・・・・・・・・鈴木孝一

夏の間活動してきた蛇は、「変温動物」なので、気温が低くなると活動が鈍くなる。
晩秋になると「冬眠」のために穴に入る。秋の彼岸頃と言われているが、実際にはもっと遅い。
数匹から数十匹がどこからともなく集まり一つ穴に入り、からみあって冬を過ごすという。
固まることによって、体温を維持し、体温の極端な低下を防ぐためである。
彼岸過ぎても穴に入らないものを俳句では「穴惑い」という。
沖縄では十二月まで活動するらしい。
写真①は「ジムグリ」というナミヘビ科の日本に棲む蛇である。

写真②は、シマヘビのうち、色が真っ黒に特化したものでカラスヘビ黒化型という。

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春の季語に「啓蟄」とか「蛇穴を出る」とかいうのがあるが、これらは蛇や爬虫類、両棲類、虫などが、暖かくなってぞろぞろ地中から這い出てくることをいうが、
秋になって冬眠のために穴探しをするのを「蛇穴に入る」という現象である。
蛇は自分では穴を掘ることが出来ないので、蟻などの掘った穴を利用するらしい。

世の中には蛇嫌いの人が多くて、見つけると狂気のように打ちのめしたりする人が居るが、マムシなどの毒蛇でない限りは、概して野ネズミなどを食べる有益な生物である。
古来、日本では「巳成金」と言って蛇は利殖の神様として扱われ、蛇の脱皮した「抜け殻」を財布などに仕舞う風習がある。

掲出句は、そんな秋の蛇の行動を、人の姿に引きつけて詠んでおり、面白いと思って、いただいた。

以下、冬眠前の秋の蛇、穴惑いを詠んだ句を引いて終る。

 穴撰みしてやのろのろ野らの蛇・・・・・・・・小林一茶

 今日も見る昨日の道の穴まどひ・・・・・・・・富安風生

 蹤き来る妹には告げぬ秋の蛇・・・・・・・・山口誓子

 身を結び身を解き孤り穴惑ひ・・・・・・・・中村草田男

 穴惑刃(やいば)の如く若かりき・・・・・・・・飯島晴子

 フォッサ・マグナの南端を秋の蛇・・・・・・・・原田喬

 穴惑ひ畦をまたぎてゆくところ・・・・・・・・清崎敏郎

 真二つに折れて息する秋の蛇・・・・・・・・宇多喜代子

 落胤のやうに去にけり秋の蛇・・・・・・・・伊藤白潮

 穴惑ばらの刺繍を身につけて・・・・・・・・田中裕明

 落日に影を曳きゆく穴まどひ・・・・・・・・秋篠光広

 耳遠き世はこともなし穴まどひ・・・・・・・・奥野桐花

 うろたへてあとはすらりと秋の蛇・・・・・・・・広瀬直人

 追はれては水を走れり穴まどひ・・・・・・・・岡村寿美

 身の丈に若さ残せり秋の蛇・・・・・・・・笠原興一

 百匹の蛇穴に入る楢木山・・・・・・・・御崎敏枝

 落日の刻はかりゐる穴まどひ・・・・・・・・松本節子



木曽川の今こそ光れ渡り鳥・・・・・・・高浜虚子
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    木曽川の今こそ光れ渡り鳥・・・・・・・・・・・・・・・・・高浜虚子

海を越えて渡る「候鳥」(こうちょう)の渡りの時期は春と秋と二回あるが、春の渡りは集団となっての渡りではなく、小規模でばらばらとやって来る、
と言われるのに対し、秋の渡りは集団なので注目される。
ツバメなどが南に去ると、ツグミ、アトリ、マヒワなどが、シベリア、カムチャツカから大群をなして飛来する。

掲出した句に木曽川という川の名が入っているので写真①には、渡り鳥の「メダイチドリ」を出してみた。
この写真は雌雄であろうか。恋人同士のように、しぐさが仲むつまじく微笑ましい。
この鳥はカムチャツカ以北のロシア、アラスカで繁殖するらしい。左側が雌である。
俳句で「渡り鳥」という場合には「主として小鳥のことを言う」という但し書きが書かれているので、それにふさわしく写真②には「鶫」(つぐみ)を出しておく。
15922529ツグミ

これらの小鳥は日本の中を移ってゆくときも群れをなしてゆくという。
ヒヨドリ、シギ、チドリ、などのものも渡り鳥と言うが、それらの大群の羽音高く過ぎゆくことを鳥雲、鳥風などと表現されている。
なお、シギ類は越冬地は、もっともっと南の国だということで、日本は通過地に過ぎないらしい。
シギ類は通過の途中で川や海の干潟が採食地で、ゴカイやカニなどを啄ばんで食べているらしい。
掲出した句の「木曽川」の河口に、そんな干潟があるかどうか判らないが、間違いがあれば指摘してもらいたい。訂正いたします。
雁や鴨などのやや大型の鳥も渡り鳥には違いないが、別の季語の表現として「雁渡る」「鴨来る」などとして別に分類されるようだ。
中秋から晩秋にかけての集団をなしての渡り鳥は、空が暗くなり、雲が動くようで、大きな音を立てるという。
私の住む辺りは海に面してはいないし、盆地なので、このような大群の鳥の渡りを目にすることはないのではないか。
この推測も、もし間違っていたら指摘してもらいたい。
ツグミなどはミミズや虫などの動物性の餌を食べているから、雪の降った朝など木の根元などを雪を取り除いておくと餌を求めてやってくるのであった。
今はどうか知らないが、私の子供のころは、器用な友人などは、そうやって罠を仕掛けてはツグミを獲っていた。
今では環境保護の立場から鳥獣についても保護され、各地に「禁猟区」が設けられている。
私の近くでは琵琶湖は全面的な禁猟区に指定されている。
秋になって本州に「渡ってくる」ものと、南に「去る」ものと両方の「渡り」があるので、念のため。

以下、歳時記に載る「渡り鳥」の句を引くが、上に書いた「但し書き」に触れるかどうか私には判らない。

 四つ手網あがる空より渡り鳥・・・・・・・・水原秋桜子

 鳥渡る大空や杖ふり歩く・・・・・・・・大谷碧雲居

 むさし野は鳥こそ渡れ町つづき・・・・・・・・林原耒井

 渡鳥仰ぎ仰いでよろめきぬ・・・・・・・・松本たかし

 渡り鳥微塵のごとしオホーツク・・・・・・・・大野林火

 渡り鳥がうがうと風明るくて・・・・・・・・加藤楸邨

 渡り鳥空搏つ音の町にしづか・・・・・・・・太田鴻村

 鳥わたるこきこきこきと缶切れば・・・・・・・・秋元不死男

 鳥渡る終生ひとにつかはれむ・・・・・・・・安住敦

 樹海晴れてはや渡り来る小鳥かな・・・・・・・・中川宋淵

 佐渡の方より一沫は渡り鳥・・・・・・・・篠田悌二郎

 大空の美しきとき鳥渡る・・・・・・・・深川正一郎

 渡り鳥消えて欅の空残す・・・・・・・・石塚友二

 鳥渡り夕波尖りそめしかな・・・・・・・・勝又一透

 わが息のわが身に通ひ渡り鳥・・・・・・・・飯田龍太

 渡り鳥幾千の鈴ふらし過ぐ・・・・・・・・赤城さかえ

 胸ポケットの老眼鏡や鳥渡る・・・・・・・・菱沼杜門


秋風に運ばれてゆく蜘蛛の子は空の青さの点となりゆく・・・・・・木村草弥
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   秋風に運ばれてゆく蜘蛛の子は
     空の青さの点となりゆく・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

掲出写真は、俗に「黄金蜘蛛」と呼ばれる大型の蜘蛛の雌である。正式には「ナガコガネグモ」というらしい。

写真②は「草蜘蛛」である。
kusagumo178草蜘蛛

写真③に、その草蜘蛛の巣をお見せするが、名前の通り、草などに巣を張るクモである。
83N83T83O8382草蜘蛛の巣

クモというと身近にいる虫だが、嫌がる人が多い。しかし飛ぶ虫などを食べてくれる「益虫」といえる。
農作物などでも害虫を食べてくれる貴重な存在であるが、農薬を使うと、クモなども一緒に駆除されてしまうので、天敵が居なくなり、悪循環に陥りがちである。
この頃では「生物農薬」というような名前で、こういう益虫を利用するのが出はじめてきた。

秋は、そういうクモの子の「旅立ち」のシーズンである。
どんな種類の蜘蛛も、こういう巣立ち方をする訳ではないが、掲出した草蜘蛛などは晩秋の雨あがりの、カラッと晴れた風の強くない日で、
肌をかすめる大気の流れの感じられる日に、クモの子の旅立ちが始まる。
草蜘蛛の子は高い草の先端に登り、まず、尻から糸を出し、風に流し、次に自分も風に乗る。
空に糸がキラキラ光って飛んでゆく。文字通り、どこに着くか風まかせである。
冒頭に挙げたナガコガネグモの子も、風まかせの飛翔をするらしい。

e0032399_185844蜘蛛の子
写真④は孵化したばかりのクモの子である。左側の丸い塊が「巣」で、その中から巣立ってきたのである。
この後、クモの子はちりぢりになって、先に書いたような方法で風に乗ってゆくのである。
こんなクモの子の巣立ちは、田舎でないと見られない。
蜘蛛にも多くの種類がおり、このような巣立ち方をしないクモもたくさん居る。
そんな蜘蛛は、孵化した近くに新しい縄張りを張り、一本立ちしてゆくのであるが、私はクモに関しても詳しくないので、それ以上のことは書けない。
なお、基本的なこととして「蜘蛛」は「昆虫」ではないことを確認しておいてほしい。
昆虫は「脚が6本」だが、蜘蛛は「脚が8本」で、別の分類をする。
普通のクモは、ネットを毎日張り直すが、コガネグモ、ジョロウグモの仲間の網の張り方は大雑把で、蜘蛛の巣の形は汚らしい。
ジョロウグモ、コガネグモは大きく、強いので獲物が引っかかったら、すぐにとんで行って獲物を捕らえられるからであろうか。
網の糸も、とても強くて、釣り糸ほどの太さもある。こんなものに人間が引っかかると、体に糸がからみついて取れない。
クモが夕方に網を張るのを見ていると、まさに芸術的とも言える作業である。
クモの脚は、張った糸のネバネバにもくっ付かない構造になっているらしい。
私は昆虫少年でもなかったが、内向的な少年で、そんなクモの作業を、じっと見つめているのが好きだった。

haya109_asinagakumoアシナガグモ
写真⑤はアシナガグモである。
蜘蛛の種類によっては全然巣を張る習性のないものもあり、そこらじゅうを歩きまわって獲物を探すものもある。
家の中に入ってきて、みんなを驚かすのも、こういう種類のクモであり、びっくりするような大きさになるものもある。
蜘蛛類は、捕らえた虫は糸でがんじがらめにした後、口から「消化液」を獲物の体内に注入して、液体状に半消化したものを吸い込んで取り入れる。
だから、掛かった獲物の体の形は残っているが、カラカラに乾いて中身はカラツポである。
蜘蛛の巣のあちこちに、体液を吸われた虫の残骸が引っかかっているのが見られる。

↓ 写真⑥は巣を作らず、屋内などを歩きまわって獲物を探す「ハエトリグモ」と呼ばれる蜘蛛の種類。
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女郎蜘蛛の生態については ← オス、メスの区別のことなど、ここが詳しい。
昆虫写真家の海野和男さんのサイトによると、スズメバチがナガコガネグモを襲ってくるらしい。

掲出した私の歌は、私の少年の頃の幼い観察の記憶を濃厚に止めている記念碑的な作品と言える。


檀の実爆ぜて色濃くなりにけり・・・・・・小泉良子
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   檀の実爆ぜて色濃くなりにけり・・・・・・・・・・・・・・・・小泉良子 

私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)にも「檀」を詠った歌がある。
  
  真実とはいかなる象(かたち)なすものか檀(まゆみ)のまろき実くれなゐ深く・・・・・・・・・・・木村草弥

檀(まゆみ)の実は晩秋にかけて熟す。
『和漢三才図会』に「生るは青く、熟すれば淡赤、裂ければ内に紅子三四粒あり。その葉、秋に至りて紅なり」とある。
↓ 写真②は「まゆみ」の春の開花の様子である。
mayumi2まゆみ開花

↓ 写真③は、秋になって実が割れて中身が露出したところ。
mayumiまゆみ

実の色が美しいだけでなく、葉の紅葉が美しい、という。
「真弓」とも書くが、これは昔、この木から弓を作ったことに由来する。

   秋くればくれなゐ深く色づきて檀の喬木山をいろどる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は先に掲出した歌につづくものである。
寒い土地ほど、この檀の紅葉は美しい、と信州の友人は言う。紅葉の写真を出しておく。↓
b0068793_82538マユミ紅葉

以下、檀の実を詠った句を引いて終る。

 旅にをり旅の日和の檀の実・・・・・・・・森澄雄

 檀の実遠景は日のとどかざる・・・・・・・・鷲谷七菜子

 大工老いたり檀の実ばかり見て・・・・・・・・六角文夫

 まゆみの実寄りくるものをいとほしむ・・・・・・・・きくちつねこ

 奉納の神楽に高き檀の実・・・・・・・・・横山仁子

 檀の実ひそかに裂けし月夜かな・・・・・・・・菅原鬨也

 檀の実圧し来る如く天蒼し・・・・・・・・望月たかし

 檀の実まぶしき母に随へり・・・・・・・・岸田稚魚

 真弓の実華やぐ裏に湖さわぐ・・・・・・・・杉山岳陽

 檀の実割れて山脈ひかり出す・・・・・・・・福田甲子雄

 泣きべそのままの笑顔よ檀の実・・・・・・・・浜田正把




十月二十六日午後十一時四十二分、私はなと書く。なの意味するところは・・・・・・谷川俊太郎
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    な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷川俊太郎

十月二十六日午後十一時四十二分、私はなと書く。なの意味するところ

は、一、日本語中のなというひらがな文字。二、なという音によって指示

可能な事、及び物の幻影及びそこからの連想の一切。即ちなにはなに始ま

り全世界に至る可能性が含まれている。三、私がなと書いた行為の記録。

四、及びそれらのすべてに共通して内在している無意味。

十月二十六日午後十一時四十五分、私は書いたなを消しゴムで消す。なの

あとの空白の意味するところは、前述の四項の否定、及びその否定の不可

能なる事。即ちなを書いた事並びに消した事を記述しなければ、それらは

他人にとって存在せず従ってその行為は失われる。が、もし記述すれば既

に私はなを如何なる行為によっても否定し得ない。

なはかくして存在してしまった。十月二十六日午後十一時四十七分、私は

私の生存の形式を裏切る事ができない。言語を超える事ができない。ただ

一個のなによってすら。
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日付と時間の入っている谷川俊太郎の詩なので、今日の日付で載せた。
これは『定義』という24篇の散文詩風の作品で構成される詩集で1975年思潮社刊に載るもの。
物事を「定義する」ということに拘って24もの詩をものした詩才に脱帽したい。
こういう詩の作り方は詩作りのトレーニングになる。


萩の花/尾花 葛花/瞿麦の花/女郎花/また 藤袴/朝貌の花・・・・・山上憶良
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   萩の花/尾花 葛花/瞿麦(なでしこ)の花/
       女郎花/また 藤袴/朝貌(あさがほ)の花・・・・・・・・・・・・・山上憶良



憶良は奈良時代の歌人。遣唐使として渡唐、後に筑前守(ちくぜんのかみ)となった。
人生の苦悩、社会の階級的矛盾を多く詠った歌人であったが、稀には、この歌のように、ふと目にとまった懐かしい景物をも詠った。
この歌は577、577のリズムの旋頭歌(せどうか)形式で秋の七草を採り上げている。念のために区切りを入れておいた。
尾花はススキ、藤袴はキク科の多年草で、秋、淡紫色の小さな筒状の袴を思わせる花を多数散房状に開く。
朝貌はアサガオ、ムクゲ、キキョウ、ヒルガオなどの諸説がある。
『万葉集』巻8に載る歌。

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藤袴というのが、どんな花か知らない人のために写真②にフジバカマを載せる。おおよそ、日本古来の「七草」というのは派手さのない地味な花である。
現代人は西洋や新大陸あるいは熱帯の派手な花に慣れているので、いかにも地味な感じを受けるのである。
写真③にナデシコの花を紹介しておく。
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先に山上憶良は万葉集の中ではめずらしく、社会の階級的矛盾を詠った、と書いたが、以下、憶良について書いてみたい。
その歌の典型的なものは『万葉集』巻5(歌番号892、893)に載る有名な「貧窮問答の歌」1首(長歌)と反歌のことである。
この歌を作って上官に差し出した時、聖武天皇が即位してからもう10年以上が経つ天平という年号の時代のはじめの頃のことである。
伯耆、筑前の国守の経歴を踏んだ老いた官人・憶良にして、ようやく出来た歌である。長いのではじめのところのさわりの部分と反歌を引用するにとどめる。
問うのは冬の夜の貧者、つまり作者と、それに応える極貧者の隣人という問答の形を採る。

風雑(まじ)り 雨降る夜の 雨雑(まじ)り 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜ろひて 咳(しはぶ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚かき撫でて ・・・・・・寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(こ)ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る・・・・・・・
(反歌)
世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

山上(山於)の家については、よくわからない。
憶良の名前が『続日本紀』に登場するのは701年(大宝1年)のことで、そこには「無位山於憶良」と書かれている。
没年から逆算すると、この時42歳。この頃は、臣(おみ)という姓(かばね)も有していなかったのではないかと言われている。
701年に文武天皇の政府は唐との通交を再開することを決め、粟田真人以下の遣唐使を任命した。
その随員の末席に「無位山於憶良」の名が見え、その役目は「少録」つまり書記であった。
随分おそすぎるとは言え「少録」に抜擢されたことは42歳にしてつかんだ幸運と言える。
彼は翌702年に渡航し、704年(慶雲1年)に帰朝したようである。研究者によると、これらにまつわる記述もあるが省略する。
帰朝後、彼は、せいぜい六位くらいになって、中央官庁の下っぱ官人の地位を得た筈である。
714年(和銅7年)1月に正六位下から従五位下に昇進し、ようやく716年(霊亀2年)4月に伯耆国守に任ぜられ山陰の地に赴いた。
こういう地方長官としての経験が「貧窮問答の歌」というような画期的な歌の制作の前提になっていると言えよう。
721年(養老5年)に呼び戻されて、東宮(のちの聖武天皇)に近侍するようになり、中国の学問などについて進講したようである。
東宮は724年(神亀1年)に即位して聖武天皇になる。
これらの間に長屋王や大伴旅人をはじめ当代の碩学たちとの交流によって、その学識を深めたと思われる。
彼には『類聚歌林』という編著があって、『万葉集』には同著からの引用があることで、そのことが判るが万葉集の編者が、それを活用したと言える。
726年(神亀3年)に筑前国守に任命されたが、もはや老年で栄転とも言えないが、かの地では上官として赴任してきた大伴旅人などと交流している。
彼の「沈痾自哀の文」という長い漢文の文章や、万葉集巻6の天平5年(733年)のところに配列されている「彼、口述」という次の歌(歌番号978)

        ・・・・・・・・・・山上臣憶良の沈(おも)き病の時の歌1首
     士(をのこ)やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして

の歌は辞世の歌として悲哀に満ちた響きを持っている。同年没の様子である。



この美しさを/「食べる?」/私はそれにあたいするかしら/花のまえに はじらうばかり・・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(18)再掲載・初出Doblog2005/10/25

        菊の花・・・・・・・・・・高田敏子

     菊の花の
     紅をふくんだうす紫が
     箱にいっぱい

     ──さっとゆがいて召し上がって──
     友のことばがそえられて

     こんなにたくさん
     菊畑がそのまま
     送られて来たような
     花のまぶしさ
     花の香り

     この美しさを
     「食べる?」
     私はそれにあたいするかしら
     花のまえに はじらうばかり

     お盆に盛って
     棚においでの観音様に
     まずお供えして
     ご近所にもおすそわけしましょう

(詩集『こぶしの花』1981年花神社刊より)
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掲出した画像は、食用菊「もってのほか」である。
普通の菊よりも苦味が少ない。 他にも、いろいろの品種があるようである。
この詩にも書かれているように、さっと茹でて「おひたし」のように食べるらしい。
「らしい」と言ったが、私は食べたことがない。




露の世は露の世ながらさりながら・・・・・・・小林一茶
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  露の世は露の世ながらさりながら・・・・・・・・・・・・・小林一茶

江戸後期の代表的俳諧師の一茶は、信州柏原から15歳の時に江戸に出て、奉公生活にも俳諧修業にも辛酸をなめた。
異母弟との13年にも及ぶ遺産争いが解決し、51歳で帰郷、妻帯した。三男一女を得たが、長男、長女、それに次男と次々に幼くて死に、妻をも失った。
この句は溺愛していた長女・さと が、1歳余で天然痘のため死んだ時のもの。
この世ははかない露の世という。そんなことはよく知っている。よく知ってはいるが、知っていることが何になろう。
くりかえし、くりかえし、私は悲しくてたまらないよ。 ということであろうか。
『おらが春』所載だが、「露の世」というフレーズの繰り返しが秀逸であり、かつ痛切である。
「露」の句としては代表的な秀句として、よく知られている。
以下、「露」を詠んだ句を引いておく。

 露とくとく試みに浮世すすがばや・・・・・・・・松尾芭蕉

 甘からむ露を分かてよ草の虫・・・・・・・・石川桂郎

 白露や死んでゆく日も帯締めて・・・・・・・・三橋鷹女

 露なめて白猫いよよ白くなる・・・・・・・・能村登四郎

 われもまた露けきもののひとつにて・・・・・・・・森澄雄 

露今宵生るるものと死ぬものと・・・・・・・・岡本松浜

 芋の露連山影を正うす・・・・・・・・・飯田蛇笏

 蔓踏んで一山の露動きけり・・・・・・・・原石鼎

 露の道高野の僧と共に行く・・・・・・・・池内たけし

 露けさの弥撒のをはりはひざまづく・・・・・・・・水原秋桜子

 落ちかかる葉先の露の大いさよ・・・・・・・・星野立子

 金剛の露ひとつぶや石の上・・・・・・・・川端茅舎

 露燦々胸に手組めり祈るごと・・・・・・・・石田波郷

 露の中つむじ二つを子が戴く・・・・・・・・橋本多佳子

 露の夜の一つのことば待たれけり・・・・・・・・柴田白葉女

 露の戸を敲く風あり草木染・・・・・・・・桂信子

 草の露繁し柩を下ろすべく・・・・・・・・高橋睦郎

 「母」の字の点をきつちり露けしや・・・・・・・・片山由美子

 まるきものに乳房心根露の玉・・・・・・・・鳥居真里子


いつの頃からか、/薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、/それは、紗の服かなんかを着込んで、/月光を浴びてゐるのでした。・・・・・・中原中也
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         幻 影・・・・・・・・・・・・・・・中原中也

     私の頭の中には、いつの頃からか、
     薄命さうなピエロがひとり棲(す)んでゐて、
     それは、紗(しや)の服かなんかを着込んで、
     そして、月光を浴びてゐるのでした。

     ともすると、弱々しげな手付をして、
     しきりと 手真似をするのでしたが、
     その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
     あはれげな 思ひをさせるばつかりでした。

     手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
     古い影絵でも見てゐるやう───
     音はちつともしないのですし、
     何を言つてるのかは 分りませんでした。

     しろじろと身に月光を浴び、
     あやしくもあかるい霧の中で、
     かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
     眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。

     ・・・・・・中原中也詩集『在りし日の歌』から・・・・・・・
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今日、10月22日は中原中也の忌日であるから、それを記念して、この詩を載せる。
山口市にある「中原中也記念館」のリンクを貼っておくのでアクセスされたい。

Wikipedia「中原中也」にも詳しい経歴などがある。今に至るも、よく読まれている詩人である。

→ 「山羊の歌」に載る詩をいくつか読める。

大正12年(1923年)3月 - 落第。京都の立命館中学第3学年に転入学。晩秋、高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』に出会い、ダダイズムに傾倒するようになる。
冬、劇団表現座の女優で広島出身の長谷川泰子を知り、翌年より同棲。
大正13年(1924年)- 富永太郎と出会い、フランス詩への興味を抱く。
大正14年(1925年)- 小林秀雄と出会う。
3月 - 泰子とともに上京。早稲田大学予科を志すも果たさず。
11月 - 泰子が小林の元に去る。富永太郎病没。
大正15年(1926年)4月 - 日本大学予科文科へ入学するも9月に退学する。
11月頃、アテネ・フランセへ通う。『山繭』に『夭折した富永』を寄稿。
昭和2年(1927年)12月 - 作曲家諸井三郎と出会い、音楽団体「スルヤ」に出入りするようになる。
昭和3年(1928年)5月 - 「スルヤ」第2回発表会にて、諸井三郎が中也の詩に作曲した『朝の歌』『臨終』が歌われる。父謙助死去。葬儀に帰省参列しなかった。
昭和4年(1929年)4月 - 河上徹太郎、大岡昇平らとともに同人誌『白痴群』を創刊。翌年終刊するまでに6号を刊行。

ざっと若い頃の経歴を見ても、長谷川泰子をめぐる小林秀雄とのことなど、いかにも一頃の文学者の典型のような情景である。
一流の文化人、芸術家というのは「平凡」ではあってはならない、という気がする。

↓ YouTube動画・町田康×中原中也『汚れっちまった悲しみに』を貼り付けておくので聴いてみてください。





ぶどう棚を渡る風に/葉は枝を離れて落ちる/実りを終えて/安堵の心をみせての/静かな落下・・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(16)再掲載・初出2005/10/23

       ぶどう棚の下・・・・・・・・・・高田敏子

     ぶどう棚を渡る風に
     葉は枝を離れて落ちる
     実りを終えて
     安堵の心をみせての
     静かな落下

     葉は落ちて
     地から見上げているよう
     光のよさを
     光を受けて紫の色増す
     実りのよさを

     ぶどう棚の下に座って
     落ち葉の一枚を
     ひざにのせている私

     風は少し冷たくても
     秋の深まりを素直に受けて
     落葉からまなぶ
     心の静けさ

(詩集『こぶしの花』1981年花神社刊より)


夕日の赤/あれは ほおずきの赤/風車の赤/糸につるした折鶴の赤の色・・・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(15)再掲載・初出Doblog2005/10/22

         夕日・・・・・・・・・・高田敏子

     すすきの穂のまねく
     秋の道
     まねかれ
     歩みつづけて
     岬のはずれまで来てしまった

     もう先へは行きようもないけれど
     ひろがる海はおだやかで
     やさしい小舟を浮かばせている

     水平線もはっきり見えて
     海上近くに落ちかかる
     夕日の赤
     あれは ほおずきの赤
     風車の赤
     柿の実の赤
     糸につるした折鶴の赤の色

     夕日は刻々海に近づいて
     円のはしが
     水平線に接したと思うと
     刻々の 時の早さを見せて
     沈んでいった

     沈みきったあとも
     私はまだ 赤の色を追っている
     母が髪に結んでくれたリボンの
     赤の色も思い出され

(詩集『こぶしの花』1981年花神社刊より)




こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶かしましき日の暮れなむとする・・・・・・木村草弥
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    こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶(きよほうへん)
     かしましき日の暮れなむとする・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、自選60首にも採っているのでWeb上でもご覧いただける。
「うた作り」というのは、連作として、はじめから作るものもあるが、ある程度ばらばらに作った歌を、後から一定の小章名のもとにまとめる、ということもする。
この歌を含む一連を後で引用するが、その中では、掲出の歌は、どちらかと言うと異質かも知れない。
しかし、この歌の持っている雰囲気は、季節で言うと、やはり「秋」のもので、決して気分の浮き立つ春のものではないし、まして夏のものでもない。
私の、この歌は歌会で、私の他の歌のことで「的を射ていない」ような批評を小半日聴かされて、うんざりした気分の時の作品である。咄嗟に出来た歌かと思う。
以下、この歌を含む一連を引く。

     雌雄異株・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  なきがらを火の色つつむ頃ほひか盃を止めよ 声を絞れよ

  須勢理比売(すせりひめ)恋せし色かもみぢ散る明るむ森を遠ざかりきぬ

  いつか来る別れは覚悟なほ燃ゆる色を尽して蔦紅葉せる

  こめかみのわびしき日なり毀誉褒貶かしましき日の暮れなむとする

     ・・・・・・・・・・・聖武帝の皇子・安積王 17歳で744年歿
   わがおほきみ天知らさむと思はねばおほにそ見ける和豆香蘇麻山
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(大伴家持・万葉集第三・476)
   秋番茶刈りゆく段丘夭折の安積(あさか)親王葬られし地(つち)

   このあたり黄泉比良坂(よもつひらさか)といふならむ通夜のくだちに文旦を剥く

     ・・・・・・・・白鳳4年(676年)役行者42歳厄除けのため・・・・
   役小角(えんのをづぬ)の開きし鷲峰山金胎寺平城(なら)の都の鬼門を鎮めし

   無住寺に人来るけはひ紅葉に視界がよくなつたといふ声聞こゆ

   日おもてにあれば華やかもみぢ葉が御光の滝に揺るる夕光(ゆふかげ)

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・正安2年(1300年)建立の文字・・
   宝篋印塔うするる文字のかなたより淡海の湖(うみ)の見ゆる蒼さや

   つくばひの底の夕焼けまたひとり農を離るる転居先不明

   いくたび病みいくたび癒えし妻なるか雌雄異株の青木の雌木

   古唐津で茶を飲むときにうら悲し妻が横向き涙を拭きぬ

   厨べの灯が万両の実を照らすつねのこころをたひらかにせよ

   億年のなかの今生と知るときし病後の妻とただよふごとし
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この一連の舞台回しになっている金胎寺は京都府南部の山間部にあり、聖武天皇が一時造営された恭仁京のすぐ近くであり、平城京の鬼門にあたる北東に位置している。
だから、ここに役行者(えんのぎょうじゃ)が、この寺を建てたことになっている。
鷲峰山は高山というのではないが、この辺りでは最高峰ということになっている。
もっとも当地では「じゅうざん」と発音する。「じゅうぶざん」では言いにくいからである。
ここは昔、「行者」が修行したところで、今でも「行者道」と称するところがあり、このサイトでは写真入りで詳しく書いてあるから参考になる。「東海自然歩道」の一部になっているらしい。
ついでに言うと有名な「関が原」も地元では「せがら」と呼んでいるのと同様の扱いである。

この一連は、舞台回しにかかわらず、小章名の通り、私としては妻との間の心の揺れを描いたものが中心になっている。
歌というのは一連として鑑賞してもよいし、一首づつ単独で鑑賞してもらっても、よい。
この一連などは一首づつ、あるいは「一塊」の歌群を別々に鑑賞してもらっても、よい。



猫と生れ人間と生れ露に歩す・・・・・・・加藤楸邨
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     猫と生れ人間と生れ露に歩す・・・・・・・・・・・・・・・・・加藤楸邨

「露」は、夜晴れていて風のないとき、放射冷却によって地面が冷えると、それに接する空気が冷えて、大気中に含まれる水蒸気が水滴になるものである。
秋に多いので秋の季題になっている。
一面に降り、しぐれのように見えるのを「露時雨」という。
「古今集」に

       啼き渡る雁の涙や落ちつらむ物思ふ宿の萩の上の露

という歌があるが、「涙の露」「白露」「露けき」などの「思い」にかかわる用例とともに、「消ゆる」「徒(アダ)なる」のような「はかなさ」の一面が強調されてきた。
情感の深さにひびくとともに、「むなしい」ところが詠われる。

    露とくとく試みに浮世すすがばや・・・・・・・・松尾芭蕉

    しら露やさつ男の胸毛ぬるるほど・・・・・・・・与謝蕪村

    露の世は露の世ながらさりながら・・・・・・・・小林一茶

などが古句の名句とされている。
因みに言うと、一茶の句は長女を乳児のうちに死なせたときの句である。
掲出の楸邨の句は現代俳句として、古句とは違った心象の世界を描いて秀逸である。

以下、明治以後の句を引いて終る。

 病牀の我に露ちる思ひあり・・・・・・・・正岡子規

 露今宵生るるものと死ぬものと・・・・・・・・岡本松浜

 疾くゆるく露流れ居る木膚かな・・・・・・・・西山泊雲

 露の道高野の僧と共に行く・・・・・・・・池内たけし

 露けさの弥撒のをはりはひざまづく・・・・・・・・水原秋桜子

 巨杉の露の日筋を十方に・・・・・・・・高野素十

 落ちかかる葉先の露の大いさよ・・・・・・・・星野立子

 金剛の露ひとつぶや石の上・・・・・・・・川端茅舎

 露の花圃天主(デウス)を祈るもの来る・・・・・・・・山口誓子

 ショパン弾き了へたるままの露万朶・・・・・・・・中村草田男

 露の野やふとかはせみを見失ふ・・・・・・・・五十崎古郷

 露燦々胸に手組めり祈るごと・・・・・・・・石田波郷

 露踏んで相聞の句をつくらばや・・・・・・・・京極杞陽

 露の中つむじ二つを子が戴く・・・・・・・・橋本多佳子

 露の夜の一つのことば待たれけり・・・・・・・・柴田白葉女

 露の土踏んで脚透くおもひあり・・・・・・・・飯田龍太

 幾万の露けき石とわれひとり・・・・・・・・白石蒼羽

 白露や死んでゆく日も帯締めて・・・・・・・・三橋鷹女

 白露の瞳はかなしみの鈴をふる・・・・・・・・石原八束

 露の戸を敲く風あり草木染・・・・・・・・桂信子

 白露の世尊寺道をつくりをり・・・・・・・・大峯あきら



うつしみは欠けゆくばかり月光の藍なる影を曳きて歩まむ・・・・・・・木村草弥
十七夜 立待月
↑ 十七夜 立待月

   うつしみは欠けゆくばかり月光の
     藍なる影を曳きて歩まむ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

「月」は天象としては、いつも我々の身近にあるものだが、太陽のように自ら光を発するものではなく、
太陽の光を反映するものとして、昔から「寂しい」存在として詩歌に詠まれてきた。
掲出した私の歌も老境に入って「欠けて」ゆくだけの「我が身」を「月光」の影になぞらえて詠んだものである。
「月」は「花」と並んで、古来、日本美の中心に置かれるものである。
「花」とは花一般ではなく「桜」のことを指す決まりになっている。
「花」=桜は春を代表するもの。「月」は秋を代表するもの。
月は一年中みられるものではあるが、秋の月が清明であるために、秋を月の季節とするのである。

陰暦朔日は黒い月だが、二日月、三日月、弓張月と光を得て大きくなって満月になり、また欠けて有明月になり、黒い月になる。
朔日の月を新月と言い、新月から弦月(五日目)頃までの宵月の夜を夕月夜という。
夕方出た月は夜のうちには沈んでしまうので夕月という。月白は月の出る前の空のほの白い明るさをいう。

因みに、今日は暦を見ると「十七日月」である。この頃の月を「立待月」という。
満月から二日経って、少し欠けはじめたところである。
これから月は欠けが進み新月(朔日)は十月三十日となっている。

「万葉集」には

     わが背子が挿頭(かざし)の萩に置く露をさやかに見よと月は照るらし

と詠まれ、
「古今集」には

     月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど

     木の間より漏り来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり

と詠まれる。
このように、日本の古典には、月は秋の美しいものの頂点に置かれ、「さびしさ」「物思い」「ものがなしさ」などの気持のこもるものとされてきた。
俳句でも、松尾芭蕉の句に

    月はやし梢は雨を持ちながら

    義仲の寝覚の山か月悲し

    月清し遊行の持てる砂の上

    其のままよ月もたのまじ伊吹山

    秋もはやばらつく雨に月の形

などがあり、月を詠んだ秀句と言われている。

与謝蕪村にも

    月天心貧しき町を通りけり

の秀句がある。
このように「月」は歴史の厚みのある代表季題中の代表と言われている。

以下、明治以後の私の好きな句を引いて終わる。

 月明や山彦湖(うみ)をかへし来る・・・・・・・・水原秋桜子

 月光のおもたからずや長き髪・・・・・・・・・篠原鳳作

 東京駅大時計に似た月が出た・・・・・・・・池内友次郎

 徐々に徐々に月下の俘虜として進む・・・・・・・・平畑静塔

 少年が犬に笛聴かせをる月夜・・・・・・・・・富田木歩

 月の中透きとほる身をもたずして・・・・・・・・桂信子

 つひに子を生まざりし月仰ぐかな・・・・・・・・稲垣きくの

 なにもかも月もひん曲つてけつかる・・・・・・・・栗林一石路

 月明のいづこか悪事なしをらむ・・・・・・・・岸風三楼

 農夫われ来世は月をたがやさむ・・・・・・・・蛭田大艸

 三日月や子にのこすべきなにもなし・・・・・・・・白井郷峰
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 ↑ 新井優氏撮影─皆既前の月
この画像に添えたコメントで、新井さんは、こう書かれている。 ↓

<月食時に地球に届く微少の青色の光、今回ばかりは青色LEDの開発によりノーベル賞を受賞された三氏(赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さん)を祝福しているように感じているのは、私だけでしょうか。
BlueBeltの参照URL: http://www.astroarts.co.jp/photo-gallery/photo/6733.html > ──借用に感謝する。
 


かきなぐる墨絵をかしく秋暮て・・・・史邦/はきごころよきめりやすの足袋・・・・凡兆
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  かきなぐる墨絵をかしく秋暮て・・・・・・・・・・・史邦

    はきごころよきめりやすの足袋・・・・・・・・・凡兆


これは発句と付句という連句遊びの一対である。
史邦の発句の575に対して、凡兆が付句で77と応じたもので、連句特有の約束事があり、簡単には説明できないが、見事な受答えと言える。

少し解説してみよう。
史邦の句の「墨絵」は15世紀なかば宋元画がわが国に流入して以来興った水墨画で、禅宗とも深いかかわりが生じた。
この句が詠まれた頃には、中国伝来という意味で、異国風な新鮮さがあった。
一方、凡兆の付け句の「メリヤス」は長崎などを通じて入ってきた紅毛の舶来品である。
つまり、この付け合いは、二様の異国情緒を取り合わせ、両句あいまって、晩秋ひとり心ゆくままに墨絵に没頭して楽しむ人物を描き出している。
風雅を解する豪商か、それとも脱俗の隠士か。
これは『芭蕉七部集』の『猿蓑』はつしぐれの巻、の一部である。

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写真に掲げたように「足袋」というのは日本の履物で二本指に分れ、「こはぜ」という独特の「留め金」で足首に留めるというものであるが、
その材質を西洋渡来の「メリヤス」の生地で仕立てると、何ともしっとりとした感じの足袋に仕上がり、足になじむのである。
こういう「言葉あそび」が歌仙などの「連句」遊びなのである。
芭蕉の頃から盛んに遊ばれたが、現代になって甦り、あちこちで歌人、俳人、詩人などが連句遊びをやっている。
私も一時期、誘われて「付け合せ」てみたことがある。これらは私のWebのHP「連句の巻」を参考に見てもらえば、多少はご理解いただけると思う。
ついでに説明すると「歌仙」というのは、ここに見るような一対が18対つまり合計36の句で出来ているのが、それである。時間の都合で「半歌仙」という18句の一連もある。
こういう連句は、基本的に「座の文芸」であるが、
今では「捌き手」を置いて、Web上で投稿を募り、捌き手が一番適当と思われるものを採用して、次に進むという催しも行なわれている。
連句に興味のある方には、新潮選書に入っている 高橋順子『連句のたのしみ』をおすすめする。もう10年も前の出版だが、在庫はあるはずである。高橋は詩人で、小説家の車谷長吉の夫人である。
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掲出の写真に「メリヤス」の足袋のものが手に入らなかったのが残念である。


添水鳴る遠ざかり来てあきらかに・・・・・・・・清崎敏郎
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     添水鳴る遠ざかり来てあきらかに・・・・・・・・・・・・・清崎敏郎

「添水」(そうづ)はまたの名を「猪おどし」シシオドシとも言う。
竹筒の中央に支点を作り、一方を削って水が溜まるようにした装置である。
水が溜まって重くなると竹が下がり水が流れ出て軽くなり、はねあがる。
すると、他端が急に下がり、石や金属を打って、コンと音を発する。
この音により山田を荒らす鳥獣を驚かして追い払う、という仕掛けである。
それから派生して、庭園などに設けて、流水を利用して、音を楽しむようにしたものである。
写真は、庭園にしつらえたものである。
添水というのは、字義からいうと「走り水」に添う、つまり「水路」のことから派生したものであろう。
水を引いて来て、その水を利用して「威し」の仕掛けを作る。

玄賓僧都が

    山田守るそほづの身こそあはれなれ秋果てぬれば訪ふ人もなし

と詠んだのが本意と言われている。
九州では兎鼓とか左近太郎とか呼ばれ、山口では「さこんた」とも言い、また訛って「迫の太郎」とも言われていたという。
水による、しゃれた動物おどしだが、実用には、ほど遠い音だと言える。

こういう音の威しの他に、「添水唐臼」といって、杵を仕掛け、米や稗を搗くものがある。
「水車」の類と言えば判りやすいだろう。

以下、添水を詠んだ句を引いて終る。

 ぎいと鳴る三つの添水の遅速かな・・・・・・・・河東碧梧桐

 ばつたんこ水余さずに吐きにけり・・・・・・・・茨木和生

 ばつたんこまた山の水受け始む・・・・・・・・朝妻力 

 添水かけて木々からびゆく響かな・・・・・・・・大須賀乙字

 添水鳴ると気のつきしより添水鳴る・・・・・・・・西山誠

 闇ふかく添水は己が音を待つ・・・・・・・・有働亨

 京鹿の子咲くと添水のはずみけり・・・・・・・・佐野青陽人

 闇中に声あるものは添水かな・・・・・・・・山中北渚

 ふるさとや添水かけたる道の端・・・・・・・・吉田冬葉

 あれ聞けと尼のかけたる添水かな・・・・・・・・前川舟居

 詩仙堂花なき庭の添水かな・・・・・・・・貞永金市

 失ひし時の重さに添水鳴る・・・・・・・・高橋謙次郎

 手に掬ふ添水に音を生みし水・・・・・・・・大岳水一路

 ばつたんこ法鼓のごとくこだませり・・・・・・・・山本洋子

 次の音自づと待たるばつたんこ・・・・・・・・脇坂豊子

 落柿舎の静けさとまる添水かな・・・・・・・・荒木千都江


短歌に詠まれるものを見つけるのが難しいのだが、こんな歌をひとつ見つけた。

  竹叢に淡く日の射す寺の庭思はぬ方に添水の音す・・・・・・・・・・・・・・神作光一 『未来都市』02年より



笠原真由美歌集『幻想家族』・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     笠原真由美歌集『幻想家族』・・・・・・・・・・木村草弥
            ・・・・・現代短歌社2016/10/07刊・・・・・・・

笠原真由美さんは1960年の生まれで東京の短大の国文科を出られ、2012年に光本恵子さん主宰「未来山脈」に入って会員になられた。
下諏訪町立図書館に勤務していて、2002年頃「口語の短歌の作り方」と題して話す光本を聴講したのが、短歌に接するきっかけだったようである。
この本には「序」として10ページにわたって光本恵子が詳しく述べている。
この文章は、この本の要約として的確なもので過不足がなく、私が此処に改めて書くことは何もないのであるが、そう言ってしまっては実も蓋もないので少し書いてみたい。

読書や音楽やサッカーの松本山雅FCを愛する笠原さんだが、そういう豊富な読書や音楽鑑賞などが身に付いていることが読み取れる。
この歌集では、彼女の一代記が時系列ではなく、かつ過去形ではなく現在形で綴られる。
故郷の信州を出て東京の大学を出て就職し、会社で経理の仕事をしていて、あと帰郷して、同じ中学校の彼と結婚するが、彼の生家は精密機械の工場を経営していた。
そんな葛藤が「Ⅱ幻想家族」に描かれる。彼女が題名とした一章である。だから私は此処に並ぶ50首の歌に彼女の思いが凝縮している、と思うのである。

 *優雅ね、と言われて優雅に暮らしてみせる ジャスミンの影に幻想家族
 *リビングにレース模様の影ゆれて 失望のなかの幻想家族
 *ネクタイは色別にして収納する その赤い実を食べてはいけない
 *四人家族在るべきかたちにととのえて もう求めるな、人生は私物
 *見ぬふりをしてきたものたち一斉に衣ぬぎすてて襲いくる春
 *冷たいね、と言われてこたえる「そうかもね」 手放しはしない幻想家族

その後に並ぶ歌からも読み取れるように、彼女が今もこの「幻想家族」というものに捉われていると、私は言うつもりはない。
彼女は「あとがき」の中で、こう書く。
  <「本当の話がしたい」と、いつも思っていた。・・・・>
  <私はようやく長年の精神的酸欠状態から脱し、深い呼吸ができるようになった。>
  <この歌集のなかには二十代から五十代までの“わたし”がいる。>
  <光本恵子先生はいつも私に「短歌があれば生きられます」と言う。>

ここに「幻想家族」の域を脱して辿りついた彼女の「今」が語られている。

ここで、一般的には余り触れられないことだが、「詩句」としての日本語の「韻律」のことを書いてみたい。
上古から日本語の韻律は、さまざまに試みられてきた。
それらは五音、七音の繰り返しによる「音数律」の創造として結実した。
それらは「和歌」定型詩として今に至るまで機能している。
「口語短歌」を標榜する非定型の歌とて例外ではない。「散文」と「詩」との違いは、どこにあるのか。それは「韻律」─美しい詩としての「調べ」があるかどうか、であろう。
だから現代の口語短歌と言えども、この韻律を無視できない。限りなく「五音」「七音」の流れに「沿う」ものが美しい。
笠原さんの作品に即して見てみよう。

 リビングに/レース模様の/影ゆれて/ 失望のなかの/幻想家族
 ネクタイは/色別にして/収納する/ その赤い実を/食べてはいけない
  四人家族/在るべきかたちに/ととのえて/ もう求めるな、/人生は私物

いま便宜的に歌の区切りを入れてみた。見事に五音、七音の韻律に近いものにまとまっている。だから「美しい」。流麗である。
私は此処に彼女の豊富な読書の裏付けを感じるのである。
短歌は「詩」である。「日常」とは違う。「非日常」であるから、歌を詠むときには工夫が要る。
笠原さんの歌からは、そういうことを深く感じ取ることが出来て秀逸である。
ついでに書いておくと「その赤い実を/食べてはいけない」 「もう求めるな、/人生は私物」などのフレーズは、見事に詩句と化している。

この歌集を読んでいて気付くことに独特の「ルビ」が付られていることである。
例えば、「花群」─むれ。 「削除して」─けして。 「家庭」─いえ。 「背後」─せなか。 「起立つ」─たつ。 「坂道」─さか。 「現在」─いま。 
これらを読んだときに違和感があったが、じっくりと見てみると、先に私が書いた韻律を整えるための「読み」であることに気づいたが、その良し悪しについては人それぞれだろう。

先に書いたように「序」の光本恵子の文章に主たる要約は尽きているが、私の好きな歌をいくつか引いて終わる。

 *わけもなく岬という字に憧れる 果てない私の脱出願望
 *雨に顔を打たれ銀色の空を見る 無数の粒になり私は消える 
 *“ママ”だから私は帰る丘の上 ライラックの香のまつわる家に
 *叱られて「ニセモノのママはあっちいけ!」と泣いた息子がスーツを着る
 *名古屋風味噌おでんにて地酒を呑む 夫の学生時代聴きつつ
 *樹影ゆれ鳥のひと啼きに風炉点前が一瞬止まる 和敬清寂
 *丘の上から光る湖を見わたして人生と和解した ここで生きてゆく
 *山雅が好きアルウィンが好きそれだけで名も知らぬ人と二時間話した
 *東京ヴェルデイ戦にかけつけた山雅サポーターが京王線をジャックする
 *この手から叩き落とされた台本を冬野に拾う まだ終われない
 *短歌はいい 読めば似た人を見つけられる 一緒に泣ける
 *フォーマット作業を託すものとしてハイドロアクアを飲んでいる朝
 *ちがう生き方もあったのだろう 高地に生まれて蛇行する川を知らず
 *みずうみにヨットを教える君がいて光ふくらみまた夏がくる
 *はつ夏の光のなかにキンレンカが晴ればれと咲く 逢えてよかった

多くの歌が並んでいるので佳い歌を漏らしたかも知れない。 お詫びする。
豊かな才能に恵まれた作者の今後の精進に期待して、ご恵贈の御礼を申しあげて筆を置く。 有難うございました。



 
父を詠みし歌が少なし秋われは案山子のやうに立ちてゐたりき・・・・・・・・木村草弥
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   父を詠みし歌が少なし秋われは
      案山子(かかし)のやうに立ちてゐたりき・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

この頃では、農民が鳥よけのために実用に立てるものは殆ど見かけなくなった。
昔は、写真のような素朴な案山子が立っていたのだが、今ではネットを張ったり、「爆音器」でプロパンガスを爆発させたりして鳥を威すようになり、メルヘンはなくなってしまった。
この頃では廃棄された古いマネキン人形を田んぼに立ててあるのを見ることがある。
変になまめかしいもので、スズメなどの鳥が、どう感じるかは判らない。

私の歌は、もちろん案山子を詠んだものではなく、「父を詠んだ歌」が少ないというのが主眼であるから、ここで案山子のことを、あれこれ書くのも語弊があるかも知れない。
私の父は厳しい人で、反抗しては、よく、こっぴどく叱られたものである。
そんなときは、歌のように私は「案山子」のように突っ立っていたものである。
そんな回想が、この歌には込められているのである。
「案山子」かかしというのは、田畑の収穫を鳥獣から守る仕掛けだが、「嗅がし」から出た言葉だという。
古名は「曾富騰」(そぼと)で、『古事記』に「少毘古那神を顕はし白(まを)せし謂はゆる久延毘古(くえびこ)は、今に山田の曾富騰といふぞ。この神は、足は行かねども、ことごとに天の下の事を知れる神なり」と書かれている。
この「そぼと」は「そぼつ」に変り、案山子と添水の二つに分かれて用いられてゆく。そめ、しめ、とぼし、がんおどし、鳥かがしなどと各地で使われている。

以下、案山子、鳥威しを詠った句を引いて終る。

 水落ちて細脛高きかがしかな・・・・・・・・与謝蕪村

 案山子たつれば群雀空にしづまらず・・・・・・・・飯田蛇笏

 倒れたる案山子の顔の上に空・・・・・・・・西東三鬼

 案山子運べば人を抱ける心あり・・・・・・・・篠原温亭

 案山子翁やあち見こち見や芋嵐・・・・・・・・阿波野青畝

 夕空のなごみわたれる案山子かな・・・・・・・・富安風生

 胸うすき案山子舁がれゆきにけり・・・・・・・・只野柯舟

 案山子相知らず新顔ばかりにて・・・・・・・・天野莫秋子

 抱へゆく不出来の案山子見られけり・・・・・・・・・松藤夏山

 かの案山子もつとも睨みきかせをり・・・・・・・・・河野白村

 鳥おどしこれより秋のまことかな・・・・・・・・小杉余子

 鳥威し簡単にして旅に立つ・・・・・・・・高野素十

 鳥おどし動いてをるや谷戸淋し・・・・・・・・松本たかし

 母恋し赤き小切の鳥威・・・・・・・・秋元不死男

 山風にもまるる影や鳥おどし・・・・・・・・西島麦南

 結び目だらけにて鳥威しの糸・・・・・・・・加倉井秋を

 金銀紙炎のごとし鳥威し・・・・・・・・加納流笳

 威し銃たあんたあんと露の空・・・・・・・・田村木国

 強引に没日とどめて威し銃・・・・・・・・百合山羽公

 怺へゐしごとくに威し銃鳴れり・・・・・・・・古内一吐



牧神の午後ならねわがうたた寝は白蛾の情事をまつぶさに見つ・・・・・・・木村草弥


    牧神の午後ならねわがうたた寝は
        白蛾の情事をまつぶさに見つ・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

秋の季節は生き物の世界でも越冬に備えて、卵の状態で冬を越すものが多いから交尾をして卵を産むのに忙しい繁殖期だと言えるだろう。
「白蛾の情事」というのも実景としても見られるものである。
しかし、この歌ではそれは添え物であって、私の詠いたかったのは「牧神の午後」というところにある。
はじめに、ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲(ピアノ独奏) 演奏:土佐礼佳(全音版)のさわりの部分を出しておく。
この動画は「全音」企画のYouTube版らしいので、削除されることはないと思われる。

 シュテファヌ・マラルメについては ← が詳しい。
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 ↑ポール・パレェ指揮による「ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲」CDのジャケット。
 
『牧神の午後』 L'Après-Midi d'un Faune はフランスの詩人シュテファヌ・マラルメの「長詩」である。
着想そのものはギリシァ神話に基づいている。
物語自体は非常に単純なものである。水辺でニンフたちが水浴びをしている。
そこへ彼女たちの美しさに目を奪われた牧神パンが仲間になりたいとやって来るが、ニンフたちはパンが半獣半人の姿なので驚いて逃げてしまう。
追っかける、逃げる、の繰り返しの中で、一人のニンフだけがパンに興味を示し、パンも求愛の踊りをする。
愛は受け入れられたかに見えたが、パンが彼女を抱きしめようとするとニンフは逃げてしまう。
パンは取り残されて悲しみにくれたが、彼女が落としていったスカーフを見つけ、それを岩の上に敷いて座り「自慰」(オナニー)する。
マラルメは、これを劇として上演したかったが無理と言われ、マネの挿絵付の本として自費出版した。
これに感動したドビュッシーが、マラルメへのオマージュとして『牧神の午後への前奏曲』を作曲する。
マラルメの夢のバレエ化が、20年後にニジンスキーによって実現されることになったのである。
初演は1912年5月29日、ディアギレフ・ロシア・バレエ団で、パリのシャトレ劇場において、ワスラフ・ニジンスキーの主演で催行された。
当時、このラストシーンで、ニジンスキーは舞台の上で恍惚の表情を見せ、しかも最後には「ハー」と力を抜く仕草までして見せたと言い、
彼の狙い通り「スキャンダル」の話題を引き起こしたという。

 ↓ 写真は牧神パンとニンフのイメージである。
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↓ 写真に「蚕蛾」を出しておく。
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この蛾は、人間が改良したもので、飛ぶ力は、全く、ない。羽根は退化して体重に比べて極めて小さい。
蚕蛾の場合は、ここまで蛹から成虫になること自体が人工的であって、普通は繭から糸を取り出す段階で熱湯で茹でられてしまって死んでしまうのである。
蛾は雌雄が引き合うのに雌が出す「フェロモン」を雄が感知して、羽根を震わせながら狂ったように寄ってくる。
今では、こういう蛾の習性を利用して、「生物農薬」として、特有のフェロモンを合成して、特定の蛾の害虫の誘引に使っている。
蛾にとっては交尾は「本能」であって「情事」との認識はないのだが、この歌の中では「擬人化」して、情事と詠ってみた。擬人化は文芸の常套手段である。

黒猫が狭庭をよぎる夕べにてチベットの「死の書」を読み始む・・・・・・木村草弥
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    黒猫が狭庭をよぎる夕べにて
      チベットの「死の書」を読み始む・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
この歌自体は季節に関係はないが、「死の書」というので、ちょうど秋の彼岸も過ぎたことなので季節の歌と受け取ってもらっても構わない。

430976018X.09.LZZZZZZZエジプト死者の書

関連はないが、同じ「死者の書」(ウォリス・バッジ著)というのが古代エジプトにも存在した。
写真②が、それであるが、チベットにおける「死者の書」の扱いと同じようなことをしたらしい。

チベットの「死者の書」はいくつかのヴァージョンがあるらしいが、説くところは同じである。
チベットでは宗派を問わず、一般に「死者の書」という経典を臨終を迎えた人の枕元でラマ僧が読む習慣がある。
死者がこの世に執着しないように肉親、親類は遠ざけられる。
その経典には、死者が死後に出会う光景と、その対処法が書かれている。
この本の「曼荼羅」に現れる神々は男女交合の姿で描かれるという。(写真③)

yabマンダラ交合図

青い仏に抱きつくようにして交合している髪の長い、白い体の女の姿が見えるだろう。女は「口づけ」しているようだ。
これは歓喜仏(ヤブユム)と呼ばれているが、これは神々の合体の姿の中に、究極的な境地の至福の状態である「大楽」が保持されているからだという。
日本に伝えられた仏教の「理趣経」がそれに当るが、これこそ密教の最も密教的な部分である。
日本では「聖天」さんとして祀られているところで見られる。

死者は49日間バルドゥと呼ばれる生の中間的な状態に留まるが、その間に死者は、死の瞬間に眩しく輝く光を体験する。
最初の一週間で死者は平和の様相の神々の、次の一週間で怒り狂った神々の来迎や襲撃を受け、遂には閻魔大王の前に引き出され、人によっては灼熱地獄に投げ込まれたりする。
そして死者は、それぞれのカルマに従い、六つの世界のいずれかに再誕生してゆく。

今日、仏教(場合によっては「神道」も、これらの影響を受けているという)の色々の行事──たとえば、四十九日の忌明、満中陰の決まりなどは上に書いたバルドゥの考えそのものである。「生れ変り」「輪廻転生」などの考え方も、上に書いたことの表れである。また「地獄、極楽」あるいは「エンマ様」のことなど、われわれ仏教徒が子供の頃から親に言われてきたことを思い出せば、よくお判りいただけよう。
こういう俗事はわかり易いが、哲学的にいうと、深い思想を含んでいると言われている。
哲学者の浅田彰氏の本など、結構むつかしいものである。
写真④の歓喜仏は1900年頃チベットで作られたと思われる金銅製のもので高さ15センチくらいの小さいもの。
00892side1歓喜仏1900頃

このような「歓喜仏」はチベット特有のものではなく、ヒンドゥー教には古くからあるものである。
北インドのカジュラホに行くと、寺院の外壁一杯にレリーフが大小さまざまの交合スタイルで彫刻されている。ズームカメラがあれば鮮明な写真を撮ることが出来る。

kan9ガネーシャ歓喜仏宮城県

写真⑤はガネーシャという象の頭の格好をした神の歓喜仏である。
このようなスタイルは珍しいが、インドはヒンドゥー教が主流を占める国である。
ヒンドゥー教は多神教で、一神教のような「禁忌」は殆ど、ない。
ガネーシャというのは主神シヴァ神の子供だが、父親の言いつけに背いて罰をうけ、このような象の頭に首をすげ替えられた。
ガネーシャに組み敷かれた女の表情も、むしろ嬉しそうで、エクスタシーの境地にあり、ガネーシャの首に手を廻しているほどである。 
書き遅れたが、この像は宮城県のお寺にあるという。
こういう性に関する大らかさが特徴であると言えるだろう。
余談になるが、インドに行くと、このガネーシャ神を祀った寺院がある。
どうも、このガネーシャは金儲けの神様でもあるらしく、お金持ちの事業家が金ピカの大きな寺院を喜捨して建てているのである。


山田兼士詩集『月光の背中』・・・・・・・・・・木村草弥
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──山田兼士の詩と詩論──(12)

     山田兼士詩集『月光の背中』・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・洪水企画2016/10/10刊・・・・・・・

山田先生が第四詩集『月光の背中』を上梓された。
ここに収録される作品群は、2013年9月に「交野が原」75号に発表された「1974年のムスタキ」から、2016年9月に、これも「交野が原」81号に発表された「南の電柱」を経て、巻末の未発表「ボストンテリア」に至る21篇である。
掲出した図版の文で読み取れると思うが、この詩集は、さまざまの試行によって成り立っている。
先ず、この本の装丁は巖谷純介の手になるものだが、あっさりしているようで面白い。
「あとがき」で山田氏は、こう書く。

<第一詩集『微光と煙』で試みた「詩論詩」も、かたちを変えて書き続けています。「Ⅲ」章の作品はその発展形のつもり。
 「Ⅳ」章には、追悼詩とその他の作品を集めました。
 全体を通して折句詩(アクロスティック)が多いのは、元テキストとの対話の意思によるものと考えています。
 一種の「本歌取り」のようなもので、モノローグよりむしろディアローグによる詩の可能性の探求、といえば少々おおげさに聞こえるかもしれませんが、
 いずれにせよ詩は他者との内なる対話の中から生まれるもの、という近年の思いの反映と心得ています。>

けだし、この文章は、この本の性格を簡潔に要約し得ていると言える。

この本の中でも、いくつかの「試行」がなされている。 ひとつ引いてみよう。

    詩はいつ来るのか

       夜明け前に
         詩が
         来た ─谷川俊太郎
              「襤褸」より


  あけまええにしがき
  の三行は実にすて
  はいだけはあった
  だぼくにはこない
  いえんにとどくの
  んげんはそのてま
  の少し前でつかの
  まんをしてまつだ
  もちをしずめてあ
  いせつなしがくる

「沓冠」とは、歌の頭と終わりに、任意のフレーズを配置して一連の歌を作る、という趣向である。
この詩では、谷川俊太郎の詩「夜明け前に詩が来た」という詩句が歌の頭①~⑩と、末尾⑩から①に配されている。
西欧詩で言えば「頭韻」と「脚韻」である。
こういうのを日本文芸では「沓冠」くつかぶり、と称して遊ばれてきた。

各行の「頭」に置く「頭韻」という形式には、こんなものがある。
こういうのを古来「冠付け」(かんむりづけ)と称して遊ばれてきた。

例えば、有名な在原業平の歌

   きつばた つなれにし ましあれば るばるきつる びをしぞおもふ

     (かきつばた 着つつ慣れにし 妻しあれば はるばる来つる 旅をしぞ思ふ)

の歌は、五七五七七の各々の頭に「かきつばた」の「音おん」を配置したものである。

日本語の特性として、西欧詩のような「脚韻」は、いろいろ試みられたけれど、それだけでは効果が薄いので、古来から今に伝わるのは「頭韻」なのである。
私が短歌結社「未来」に居たとき、編集長の岡井隆の弟子たちも「遊び心」旺盛な連中だから、私も編集部から誘われて「沓冠」(くつかぶり)などに参加した。
1996年9月号「未来」異風への挑戦③課題「沓冠」というものであった。
私の当該作品については「げんげ田にまろべば」 ← ここを参照されたい。
「沓冠」とは、歌の頭と終わりに、任意のフレーズを配置して一連の歌を作る、という趣向である。
頭と終わりが拘束されるので、結構むつかしいが、やってみると面白いものである。

話を山田作品に戻す。
このような試みは、先生は以前からやって来られた。セザンヌの絵にヒントを得た「岩山望景詩」という詩については、←に書いたことがある。

もっと作品を引いて論じなければならないのだが、五月、六月に体調不良になり、ようやく原因が判って治療し、軽快したばかりであり、体力が持たないので、お許しいただきたい。
今回は、この辺で終わりたい。益々の、ご健筆をお祈りいたします。 ご恵贈に感謝いたします。

先生についてはWikipedia─山田兼士に詳しい。




子がなくて白きもの干す鵙の下・・・・・・・・桂信子
モズ雄

      子がなくて白きもの干す鵙の下・・・・・・・・・・・・・・・桂信子

「鵙」モズの高鳴きがひびく季節になってきた。
モズは燕雀目モズ科の猛禽。やや大きめものでも捕食する。生餌を食べる鳥である。
掲出の写真①はモズの雄で、眼のところに横に黒い筋(過眼線)がある。
写真②はモズの雌で、雄のような黒い筋がない。色も相対的に地味である。
mozu02-2モズ雌

モズは一年中いる「留鳥」だが、秋には先に書いたように「高鳴き」をするが、これは縄張り宣言のための警戒音と言われている。
モズは「百舌」とも書くが、これは他の鳥の鳴き真似をするからで、じっと聞いていると、さまざまの鳥の鳴き声を真似している。
繁殖期も含めて、高鳴きをすることがないから、目立たないので、気がつかないだけである。
「高鳴き」のシーズンは、人が近づくだけでも、けたたましく鳴きたてる。
秋には「モズの早贄(はやにえ)」と言って、捕らえた餌を尖った枝の先などに刺しておく習性がある。
これは蓄食のためだというが、乾燥してこちこちになったものは食べないのではないか。もともとモズは生餌を食べる鳥である。
写真③はトカゲを捕らえたところ。
mozu03モズはやにえ

↓ 木の枝に刺した早贄(はやにえ)の写真。
hayanie4モズはやにえ

餌は昆虫、トカゲ、蛇、魚、野ねずみ、蛙、小鳥など多岐にわたる。猛禽と呼ばれる所以である。
モズについては私の歌を掲出して昨年に書いたことがあるので、参照してもらいたい。
このようにモズの高鳴きが目立つのが秋なので、鵙の季語は秋になっている。
すでに「万葉集」にもモズを詠んだ歌があるほど文芸の世界では、古い付き合いである。
『本朝食鑑』に「およそ鵙、つねに小鳥を摯(と)りて食ふ。その声高く喧くして、好からず」とあり、猛く喧しい鳥と考えられてきたのも秋の「高鳴き」のイメージから定着したものであろう。
俳句に詠まれる句も多い。
掲出した桂信子の句は、早くに夫に先立たれて「子を産めなかった」女の哀しみをモズに寄せて情感ふかく詠まれている。
以下、モズの句を引いて終る。

 我が心今決しけり鵙高音・・・・・・・・高浜虚子

 大空のしぐれ匂ふや百舌の贄・・・・・・・・渡辺水巴

 われありと思ふ鵙啼き過ぐるたび・・・・・・・・山口誓子

 かなしめば鵙金色の日を負ひ来・・・・・・・・加藤楸邨

 御空より発止と鵙や菊日和・・・・・・・・川端茅舎

 百舌鳥に顔切られて今日が始まるか・・・・・・・西東三鬼

 たばしるや鵙叫喚す胸形変・・・・・・・・石田波郷

 逢はざるを忘ぜしとせむ雨の鵙・・・・・・・・安住敦

 鵙は嘴なほ血塗らねば命絶ゆ・・・・・・・・中島月笠

 鵙鳴けり日は昏るるよりほかなきか・・・・・・・・片山桃史

鵙の贄叫喚の口開きしまま・・・・・・・・佐野青陽人

 鵙の贄まだやわらかき日ざしかな・・・・・・・・塩尻青茄

 生きものの形ちぢみて鵙の贄・・・・・・・・山口速

 鵙鳴いて少年の日の空がある・・・・・・・・菊池麻風

 夕百舌やかがやくルオー観て来たり・・・・・・・・小池文子



竹杭が十二、三本見えてをりその数だけの赤トンボ止まる・・・・・・・木村草弥
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  竹杭が十二、三本見えてをり
   その数だけの赤トンボ止まる・・・・・・・・・・・・・木村草弥


いよいよ赤蜻蛉の飛び交う季節になった。
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載せたものである。とりたてて巧い歌でもないが、叙景を正確に表現し得たと思っている。
赤トンボというのは竿などの先端に止まる習性をもっており、また、群れる癖もある。
よく観察してみればお判りいただけると思うが、私の歌のように立っている杭の先端すべてに赤トンボが止まって群れているという情景は、よく見られるところである。
この歌は「嵯峨野」と題する一連5首のものである。下に引いておく。

    嵯峨野・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   北嵯峨の遊女の墓といふ塚に誰が供へしか蓼の花みゆ

   竹杭が十二、三本見えてをりその数だけの赤トンボ止まる

   虫しぐれ著(しる)く響かふ嵯峨の夜は指揮棒をふる野の仏はや

   輪廻説く寂聴は黒衣の手を挙げていとほしきもの命とぞ言ふ

   さわさわと風の愛撫に任せつつうつつの愉悦に揺るる紅萩

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赤トンボの「赤」色は繁殖期の「婚姻」色らしく、赤色をしているのは「雄」だという。雌は「黄褐色」をしているらしい。
赤トンボというと、三木露風の歌が有名で、判り易く、今でも愛唱されている。
赤トンボの句を少し引いて終りにする。

 赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり・・・・・・・・正岡子規

 から松は淋しき木なり赤蜻蛉・・・・・・・・河東碧梧桐

 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉・・・・・・・・夏目漱石

 肩に来て人なつかしや赤蜻蛉・・・・・・・・夏目漱石

 洞然と大戦了り赤蜻蛉・・・・・・・・滝井孝作

 赤とんぼまだ恋とげぬ朱さやか・・・・・・・・青陽人

 旅いゆくしほからとんぼ赤とんぼ・・・・・・・・星野立子

 美しく暮るる空あり赤とんぼ・・・・・・・・遠藤湘海



かすがの に おしてる つき の ほがらか に あき の ゆふべ と なり に ける かも・・・・・会津八一
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  かすがの に おしてる つき の ほがらか に
   あき の ゆふべ と なり に ける かも・・・・・・・・・・・・・・会津八一


今日十月九日は暦によると「旧重陽の節句」─旧九月九日である。
それに因んで、有名な会津八一の歌を載せる。

明治14年新潟県に生れた作者は、歌人としてのみならず、書家として一世に名高かった。没後その名声はますます高い。号・秋艸道人。
元来は英文学者だが、東洋美術への関心が強く、とりわけ奈良美術史研究は第一人者として有名である。
早稲田大学教授。
上の歌は、初出の第一歌集『南京新唱』(大正13年刊)では漢字になっている部分も、歌の声調を重んじる立場から、後年、かな分かち書きに変えた。
奈良春日野一帯に照り輝く初秋の月。「ほがらかに」の働きひとつで風景は一挙に大きくふくらんだ。
『鹿鳴集』昭和15年刊所収。

掲出の写真は銀閣寺の光月台に照る月である。
会津八一については以前に採り上げたが重複しないように少し引く。

かすがの の みくさ をり しき ふす しか の つの さへ さやに てる つくよ かも

もりかげ の ふぢ の ふるね に よる しか の ねむり しづけき はる の ゆき かも

からふろ の ゆげ の おぼろ に ししむら を ひと に すはせし ほとけ あやし も

あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ

かすがの の しか ふす くさ の かたより に わが こふ らく は とほ つ よ の ひと

あまごもる やど の ひさし に ひとり きて てまり つく こ の こゑ の さやけさ

さをしか の みみ の わたげ に きこえ こぬ かね を さみしみ こひ つつ か あらむ

みほとけ の ひかり すがしき むね の へ に かげ つぶら なる たま の みすまる

いろづきし したば とぼしみ つゆじも に ぬれ たつ ばら の とげ あらは なり

あき ふかき みだう の のき に すごもる と かや に はね うつ はち の むれ みゆ
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

「会津八一」ならびに、「会津八一記念館」については ← を参照されたい。

なお「会津」の表記については「會津」の字が正字であり、こういうことには八一は煩かったので、念のために書いておく。

草もみぢしてそよぐなる風ばかりゑのころ草の原たれもゐず・・・・・・・藤井常世
1c8a58b0b91d80e2901386ae04e089a5エノコロ草

   草もみぢしてそよぐなる風ばかり
        ゑのころ草の原たれもゐず・・・・・・・・・・・・・藤井常世


「エノコロ草」というのは、別名「猫じゃらし」のことである。
その名の通り、この草の穂で子猫などをじゃらすと、とても面白い。
食用の「粟」は、この草を改良したものだという。
青く茂っているときは、こんな様子である。 ↓
imagesエノコロ草

古来、この草は俳句にも、よく詠まれてきた。 それを引いておく。

 秋の野に花やら実やらゑのこ草・・・・・・・・楚常

 よい秋や犬ころ草もころころと・・・・・・・・一茶

 ゑのこ草媚びて尾をふるあはれなり・・・・・・・・富安風生

 猫ぢやらし触れてけもののごと熱し・・・・・・・・中村草田男

 父の背に睡りて垂らすねこじやらし・・・・・・・・加藤楸邨

 猫じやらし子にも手触れずなりしかな・・・・・・・・石田波郷

 木曾に入る秋は焦茶の猫じやらし・・・・・・・・森澄雄

 本日の死者と負傷者ねこじゃらし・・・・・・・・森田智子

 岐路に佇ち踊り出でたる猫じゃらし・・・・・・・・高沢晶子

 どこへでも蹤いて来る愛狗尾草・・・・・・・・竹中碧水子

 行きさきはあの道端のねこじゃらし・・・・・・・・坪内稔典

 人恋へば昏るる高さにねこじゃらし・・・・・・・・横田欣子

 君が居にねこじやらしまた似つかはし・・・・・・・・田中裕明

 子が描く遊山の絵地図ねこじやらし・・・・・・・・上田日差子

 叢雨やゑのころ草は濡れてゐず・・・・・・・・小林鱒一

 猫じやらし持てばじやらさずにはをれず・・・・・・・・西宮舞

 この道を芭蕉と曾良はゑのこぐさ・・・・・・・・板藤くぢら

 振り向けば金ゑのころの道なりし・・・・・・・・かとうさきこ

 全身で少女スキップねこじゃらし・・・・・・・・永田千代

 猫じやらし不意に思い出湧いてくる・・・・・・・・石川幸子

 絶滅の狼以後を狗尾草・・・・・・・・神戸秀子
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掲出した歌の作者藤井常世さんは、先年にお亡くなりになった。
リンクにしたWikipedia ↑ が詳しい。 アクセスされたい。


芋洗ふ女西行ならば歌よまむ・・・・・・・・松尾芭蕉
Satoimo2里芋

     芋洗ふ女西行ならば歌よまむ・・・・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉

ただ「芋」というと「里芋」のことである。
里芋は東南アジアの原産で、日本でも古くから栽培されて来た。種芋を植えて親芋として太らせ、子芋、孫芋と増やさせて、十月になると収穫する。
「さつまいも」と混同する人が居るが、別のものである。写真①が収穫した「子芋」である。
satoimo里芋の葉

写真②が里芋の葉である。茎の部分も食用になるが、それを干したものが「芋茎」イモガラ、ズイキである。
「八つ頭」あるいは地方によっては九里芋と称するものは親芋を食べるものである。蝦芋と称する芋もある。

『本朝食鑑』に「近世、八月十五夜月を賞する者の、必ず芋の子、青連莢豆をもつて煮食す。九月十三夜月を賞する者の、芋子薄皮を着するものをもつて衣被(きぬかつぎ)と称し、生栗と煮食す。正月三朝、芋魁(いもがしら)をもつて雑煮の中に入れて、ともにこれを賞す。上下家家、流例となすなり」とある。
この文章のはじめの部分は旧暦八月十五日を「芋名月」として祀る慣わしのことを言っている。
九月十三日には「皮のまま茹でた子芋」=衣被きぬかつぎ、を供えて月を愛でる習慣を言っているのである。
後半の部分では、お正月の雑煮の中に入れる頭芋(かしらいも)のことで、これは地方によって異なるから一概には言えないが、
関西では、必ず入れるものとされた。特に、家長や跡継ぎの男の子は、必ずこれを食べて、一家の長たれ、と言われたものである。だから「頭(かしら)芋」という。

cook256里芋と鶏肉のそぼろ煮
写真③は里芋と鶏肉のそぼろ煮の料理だが、今は昔ほどは里芋を料理に使わないかも知れない。
歳時記を見てみると、植物としての里芋を詠んだものが殆どであって、料理になった里芋ないしは子芋を詠んだものはない。
料理する場合には写真①のような芋の皮を剥かなければならないが、その際に芋に含まれる成分によって手がかゆくなるので、
昔は小桶に芋と水を入れ、均し鍬のようなものでガシガシ動かしながら皮を、あらかた擦り落としてから刃物で仕上げをしたものである。
里芋を洗うと手が痒くなるが、これは茎や球茎にシュウ酸カルシウム結晶が含まれているためである。
食品としての芋を洗う場合では、この球茎の皮の下2-3mmほどにある細胞内に多くのシュウ酸カルシウム結晶が含まれており、
大きな結晶が僅かな外力によって壊れて針状結晶へ変わり、外部へと飛び出る。
調理者や作業者が手袋などを用いずに洗うと、皮膚にこの針が刺さって痒くなる。
里芋は極めて若い時からシュウ酸カルシウムを針状結晶や細かい結晶砂として細胞内に作り始める。
やがてこれらが集合して、大きく脆い結晶の固まりとなる。シュウ酸カルシウムは「えぐ味」の原因ともなり、
えぐ味はシュウ酸カルシウムが舌の刺さることによって起きるとする説や、化学的刺激であるとする説があり、
他にもタンパク質分解酵素によるとする説がある。
里芋は昆虫から身を守るためにこのようなものを作り出していると考えられている。

掲出の芭蕉の句は、まさに上に書いた動作をしている女を詠んだものである。
西行ならば、というところに芭蕉ならではの「滑稽味」が出ているというべきだろう。
以下、里芋を詠んだ句を引いて終わる。

 芋の露連山影を正しうす・・・・・・・・飯田蛇笏

 地の底の秋見届けし子芋かな・・・・・・・・長谷川零余子

 案山子翁あち見こち見や芋嵐・・・・・・・・阿波野青畝

 八方を睨める軍鶏や芋畑・・・・・・・・川端茅舎

 芋の露父より母のすこやかに・・・・・・・・石田波郷

 芋掘りし泥足脛は美しく・・・・・・・・・平畑静塔

 芋照りや一茶の蔵は肋あらは・・・・・・・・角川源義

 箸先にまろぶ小芋め好みけり・・・・・・・・村山古郷

 芋の葉の手近な顔も昏れにけり・・・・・・・・遠藤梧逸

 生涯を芋掘り坊主で終るべし・・・・・・・・美濃部古渓

 風の神覚むるや芋の煮ころがし・・・・・・・・野中久美子

 芋の露天地玄黄粛然と・・・・・・・・・平井照敏



藤原光顕の歌「それはないやろ」18首・・・・・・・・・・・木村草弥
たかまる_NEW

──藤原光顕の歌──(29)

     藤原光顕の歌「それはないやろ」18首・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・「たかまる通信」No.104/2016.10.1所載・・・・・・・

 色即是空空即是色 瞬間的にわかった気がする時がある 怖!
 どうしても生まれかわれと言うのなら神とかがいなくなってからがいい
 「自己評価低く生きてれば楽ですよ」もう下げようがないんです わたし
 手に負えなくなった庭の雑草見境なく刈ってゆく それぞれの花
 「わたし」になったのはいつからだったか 「ぼく」はいつきえたか
 「わかりました」は「わ」「了解」は「り」一字で出る 押してしまう
 「骨になったら似たようなもんだ」八十一年生きて心に残るひとこと
 ピチッ ペキ コン 木の家が何か話しかける息をひそめるような昼・夜
 上からも下からも手が届かない背中が痒い ひとりの夜は
 二人の灯り三人の灯り二人の灯り一人の家でひとり飯食う
 赤信号を横目にぼそっと言う「あんなことぐらい」 それはないやろ
                  〇
 黙祷されたぐらいで魂は鎮まるのか しれっとした顔が喋りだす
 選挙への影響なんて 心配するな 半年あればたぶん忘れる
 核のボタンやさしく押せそうな あの眼は右しか見てないだろう
 取り戻すニッポンってどんな国? 八十一歳の知ってる日本だったら嫌だ
 戦死してもリセットすれば生き返る? その辺もきっと読まれているよ 
 ひたすら改憲に走る人は テロもチャンスと思っている たぶん
 ファシズムの影濃い母国に帰らぬと詠う母国の短詩形で (渡辺幸一氏)
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藤原さんの歌は、味わうほどに奥が深い。
逆説的な表現になっているので、素通りしてもらっては、困る。
今しもニッポンでも、東京都でも問題山積である。 どう解決するのか、見守りたい。
ご恵贈ありがとうございました。





滝白く落ちて虚空のたそがれの滴り一つ沢蟹を搏つ・・・・・・・・・木村草弥
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    滝白く落ちて虚空のたそがれの
       滴り一つ沢蟹を搏(う)つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に「茶の神」という小項目名で9首を載せたもののうちの一つである。

沢蟹は淡水の蟹だが、水気のあるところには、たくさん居た。
今は農薬使用などで、農薬のかかるところでは見かけなくなったが、山手にゆくとたくさん居る。
沢蟹にもいろんな種類があるらしく形、色ともさまざまである。
この歌の背景は、小さな滝らしきものが落ちていて、そのなけなしの飛沫が滴りとなって沢蟹の甲羅をうつ、という叙景である。
しかも時間的には「たそがれ」だから、夕方ということになる。
この歌の一つ前には

       天高し視野の限りの京盆地秋あたらしき風の生まるる

という歌が載っている。ここに詠ったような天高い秋の季節が、ようやく訪れようとしている。
私の少年期は、もちろん戦前で、食べるものも、遊ぶものも、今の比ではなく、素朴な自然を相手にするものだった。
この歌は、そんな少年期の思い出を、現在形で歌にしている。
回想にしてしまうと歌が弱くなるので、回想の歌でも現在形にするのが、歌を生き生きさせる秘訣である。
孵化したばかりの小指の爪にも満たない子蟹の誕生など、何とも趣きのあるものである。
少年期の回想シーンを自歌自注しておく。


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