K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(11月)月次掲示板
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東日本大震災から五年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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 ↑ ツワブキ

十一月になりました。
いよいよ冬に入ります。文化の香りも。

 国と国揉み合ふあはひ七十年なほ裸なり従軍慰安婦・・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 歳をいへばはやはや一期一会ぞと思へど心ふらふら遊ぶ・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 あれは秋の死のくるめきか澄みのぼる鳥を目守りき点となるまで・・・・・・・・・長岡千尋
 にすぎてるあなたとわたし鍋の中にくだけてゆける牡蠣のはらわた・・・・・・・薮内亮輔
 しづかなる寒きあしたをよしとして目覚めたりけりわが幸せや・・・・・・・・・・・・・宮 英子
 歩み来し最後の一歩をここに止め死せるカマキリ落ち葉の上に・・・・・・・・・・北沢郁子
 あっけなく終わるものありおとろえず残る執あり花の場合も・・・・・・・・・・・・・・小高 賢
 句の中の戦後間もなき青空よ 林檎も雁も晩秋の季語・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 晩秋の沼の面の水馬は微かな光の輪を踏みて立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井修
 走るしかないだらうこの国道がこの世のキリトリセンとわかれば・・・・・・・・・・・山田 航
 日常の貌保ちつつ足早に歳月は去り再びあはず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川恭子
 からすうりの赤きが枝に二つ三つ裏山の冬の木はやわらかし・・・・・・・・・・・・ 斎藤芳生
 結論を述べる男の強張りし眉間の皺の歳月の溝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 晩秋の長い林道ゆくうちに獣めきたる禁漁区かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 十一月あつまつて濃くなつて村人・・・・・・・・・・・阿部完市
 十一月いづくともなき越天楽・・・・・・・・・・・・・・・滝沢和治
 花野にて死因問ふ人振り払ふ・・・・・・・・・・・・・ 吉川千早
 難民はムンクの叫び冬が来る・・・・・・・・・・・・山上樹実雄
 夜歩けば朱き月影たぷたぷと・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 猿を見て人を見て秋風の中・・・・・・・・・・・・・・きくちきみえ
 目礼を交はしてゆける水の秋・・・・・・・・・・・・・小林すみれ
 紅葉するさくら卵の中の街・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 秋の薔薇行けばどこまで同じ町・・・・・・・・・・・・・上田信治
 木星に似る喉飴を舐めて秋・・・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 色町の音流れゆく秋の川・・・・・・・・・・・・・・・・・・生駒大祐
 サングラス誰そ彼の世に紛れたる・・・・・・・・・・・中塚健太
 秋雨やふるえるわかめとコンドーム・・・・・・・・・・・・榊陽子
 菊を見て菊のひかりを見て菊を・・・・・・・・・・・・・小池康生
 向き合はない道路標識秋の暮・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 酒蔵はピートの香り蔦紅葉・・・・・・・・・・・・・・・・・栗山麻衣
 頭痛薬一錠二錠秋となる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 ネクタイのキリンこぼれて秋の電車・・・・・・・・・・ わだようこ
 小鳥来る解体される給水塔・・・・・・・・・・・・・・・・・倉田有希
 逆光に町のありたる刈田道・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 しぐるるや紅き表紙の「遊女考」・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 秋冷をただよう雲の飛行船・・・・・・・・・・・・・・・・・・工藤定治
 身を寄せて十一月の水餃子・・・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 菊焚くや綺麗な灰もおのづから・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 団栗のこつんと撥ねる目を醒ます・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 一線に野焼の炎空濁す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 銀匙のくもり訝る秋思かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 サンダルの斜めに減りし夜の秋・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
 銀杏のにほひたつ道キャンパスへ・・・・・・・・・すずきみのる
 いちじくや宇宙の闇に星あまた・・・・・・・・・・・・・・・北畠千嗣
 これほどに何故にまっすぐ彼岸花・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 道一つ違えたかしら穴惑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 山手線は里芋の煮転がし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 粘菌の迷路のような展開図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・七風姿


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いてください。コメントには必ず返事いたします。 ただし不穏当なものは勝手ながら削除いたします。
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私はこのブログを、WebのHP「木村草弥の詩と旅のページ<風景のコスモロジー>」と一体としたものとして運営しています。
このblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
本文の中で「色の変っている」部分は「リンク」になっていることを意味します。クリックで当該記事へ飛びます。
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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
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今日のアクセス数:617件
総アクセス数:764957件

この日が私のン十回目の誕生日というのも何か皮肉な暗合である。

★─My Works─★
著書──
 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
お求めはamazonをはじめオンライン書店や、一般書店からの取次ぎでお願いしたい。
アマゾンには在庫してもらってあるので、即刻の配達が可能の筈です。
◆私の「旧作」は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。amazon「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

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香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

    香山雅代編集・詩誌「Messier」48号・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・・2016/11/26発行・・・・・・・

香山雅代氏から、いつも発行の都度ご恵贈いただきながら、このブログで採りあげるのは初めてである。
いつもはお礼状を差し上げて失礼している。
香山氏は西宮にお住まいで、かの地の文化界でも、また「能」や「日本歌曲関西波の会」というところなどで、詩に曲をつけたものなどを発表されている異色の作家である。
掲出した図版でも読み取れるが同人四人で活躍されている。
今回は同人・内藤恵子氏の短い作品を紹介したい。   ↓

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          デコポン       内藤恵子

        白い平面に
        橙色の球体
        緑のでこぼこ
        テーブルの上の陰影
        壁に並ぶ果実二つ
        重い
        慌てて両手で受ける
        丸く突び出す先端
        中へ落ち込み
        まわりは盛り上がる
        胴体につく突起

        皮をむく
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代表である香山雅代氏の作品を引かなかったことは、お詫びしたい。
香山氏の作品は長いし、かつ高踏的であり、拙ブログの読者には難しすぎると思って、平易な内藤氏の作品を引かせてもらった。
お許しいただきたい。
内藤氏の作品は、ご存じの「デコポン」の特徴を簡潔に表現し得ている。
ご恵贈に感謝いたします。 益々のご健詠を。 有難うございました。




いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた/雲海の中に・・・・・/・・・・・・大岡信
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      さむい夜明け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた
     雲海の中に・・・・・・
     となかいたちは氷河地帯に追いやられ
     微光の中を静かな足で歩んでいた

     いくたびか古城をめぐる伝説に
     若い命がささげられ
     城壁は人血を吸ってくろぐろとさび
     人はそれを歴史と名づけ蔦で飾った

     いくたびか季節をめぐるうろこ雲に
     恋人たちは悲しくめざめ
     いく夜かは
     銀河にかれらの乳が流れた

     鳥たちは星から星へ
     おちていった
     無法にひろがる空を渡って
     心ばかりはあわれにちさくしぼんでいた

     ある朝は素足の女が馳けさった
     波止場の方へ
     ある朝は素足の男が引かれてきた
     波止場の方から

     空ばかり澄みきっていた
     溺れてしまう 溺れてしまうと
     波止場で女が
     うたっていた

     ものいわぬ靴下ばかり
     眼ざめるように美しかった
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この詩は、学習研究社『うたの歳時記』冬のうた(1985年12月刊)に載るものである。
「いくたびか」という詩句の3回のルフランなども詩作りの常套手段とも言えるが、この一篇で「初冬」の「さむい夜明け」の、さむざむしさを表現し得たと言えるだろう。



草弥の詩作品「柊の花」─「詩と思想」誌2016/12月号掲載・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品──(87)
    
        柊の花・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・「詩と思想」誌2016/12月号掲載・・・・・・・

  柊(ひいらぎ)は、悪魔を祓うとかいう言い伝えで、
  家の玄関脇に植えられていたりする地味な木だが、
  鋭いノコギリ状の葉を持っている。
  この木は初冬に、その鋸歯の葉の蔭に小さな白花をつける。
  季節が寒い冬であり、しかも皆いそがしい十二月だから、
  この花に気づく人も少ないだろう。
  今この花の花盛りで十一月下旬から咲きはじめた。
  傍を通ると、すずやかな佳い香りがする。
  人によってはスズランに似た香りだという。
  花言葉は「用心」「歓迎」
  雌雄異株で、
  雄株の花は二本の雄蕊が発達し、
  雌株の花は花柱が長く発達して結実する。
  実は長さ十二~十五ミリになる核果で、
  翌年六─七月に暗紫色に熟す。
  その実が鳥に食べられることにより、
  種が散布されることになるのである。

  結構かわいらしい清楚な花である。
  図鑑を見るとモクセイ科の常緑小高木と書いてある。
  柊という名前の由来は疼(ひいらぐ)で「痛む」という意味である。
  疒(やまいだれ)に旁(つくり)に冬と書く。
  熟語に「疼痛(とうつう)」があるのをご存じだろう。
  葉の棘に触れると疼痛を起こすことから言う。
  「いら」とは「苛」で棘を意味する。
  本来、この木は関西以西の山地に自生する暖地性の木らしい。
  この頃に咲く花としては「枇杷」の花などもある。
  さざんか、茶の花などは、よく知られているものである。
  この頃に咲く花は初夏の頃に実をつける習性がある。
  年が代って節分になると、
  この木の小枝に鰯の頭を刺して、
  魔除けの縁起かつぎをする木として、一般に知られているが、
  この頃では家が小さくなって、
  この木が植えられる家が見られなくなって、
  この風習も廃れる一方であろう。

  私の第二歌集『嘉木』に
  こんな歌があるので、それを引いて終わる。

       ひひらぎの秘かにこぼす白花は
          鋭き鋸歯(きよし)の蔭なるゆふべ    木村草弥
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かねて「詩と思想」編集部から投稿の依頼があって、すみやかに提出済であったが、本日、掲載誌が発売されたので披露しておく。



雑器の美はどこにでも転がつてゐる、もと溲瓶とは見えませんなあ・・・・・木村草弥
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     雑器の美はどこにでも転がつてゐる、
            もと溲瓶(しびん)とは見えませんなあ・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
掲出の写真①は韓国の昔の「溲瓶」と言われるものである。私の歌に詠っている物も、まさに朝鮮の「尿瓶」からの歌である。

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写真②は「染付け古便器」(陶磁器製)である。写真に写っているものは男性の立ち小便用の便器で、古いものだが、収集されて展示されているもの。これらの展示の中に、問題の「シビン」があるのである。今では常用漢字に、この字がないので、先に書いたように「尿瓶」と書いて「シビン」と訓(よ)ませている。
写真③に、現在の「尿瓶」なるものを掲げておく。

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私が歌に詠んだ時の現物は写真に撮っていないので、代りに掲出した写真を掲げたものであることを、お断りしておきたい。
この写真は民間テレビの人気番組「お宝なんでも鑑定団」HPから見つけたものである。
このHPに載る記事をそのまま紹介する。

神奈川県の菊地広十志氏(35歳)の鑑定依頼である。
5、6年前に父が韓国に行った時、ホテルの骨董店で焼き物を物色中、あまり見たこともない焼き物に引かれ、店員に尋ねると「水などを入れて使っていたものです」とのこと。花瓶か水差しだと思い4万円で購入。帰国の際、空港の手荷物検査で一もんちゃく。係官がわんさか集り、サイズは測るは、焼き物の絵を描くは、何故か笑い出す人まで・・・・・。不安になった父が尋ねると「おそらく600年ほど前の文化遺産かも知れない」とのこと。驚く父に係官は「これは尿瓶です」。
現在、床の間にお気に入りの一品として飾っている父。なんとかやめさせたいのだが・・・・・、と息子が鑑定を依頼。本人鑑定額1000円。
鑑定結果は、1000年から900年前のもの。酒や液体を入れて使われていた。依頼品は日本人が好む形。鑑賞陶器としては評価されるもの。鑑定額は6万円。

この鑑定のように、この陶器は「酒」などを入れていたものだが、私も見た「シビン」は、実に、これに似た形をしているから、紛らわしいのである。
事実、中世の茶人たちは、これを「花器」として珍重し、花を生けて茶室に置いたりしたのである。私の歌は、そういうのを詠んでいるのである。お騒がせしました。
因みに、私の歌は「結界」という項目名のところに収録してあるが、長くなるので引用は控えておく。


山の神留守のあけびを採りにけり・・・・浅井紀丈
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  山の神留守のあけびを採りにけり・・・・・・・・・・・・・・・浅井紀丈

「あけび」は漢字では「通草」と書く。
雑木林などに生える落葉の蔓低木である。栽培のものもあるかも知れないが、野生のものであろう。
今ではアケビなんて言っても、知る人も少ないし、むかし食べたときは甘くておいしかったが、いまなら食べても美味とは思わないのではなかろうか。
写真①が熟して果皮が裂けた実である。黒い実のまわりの白い果肉を食べる。

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アケビは春4月に写真②のように花を咲かせる。
名前の由来は、裂けた「開け実」が転じてアケビになったと言われている。
果肉は甘くて、山の味覚として賞味されたが、果皮のことは、私は何も知らなかったが、干しアケビや塩漬けにしたりするらしい。
山形地方には春の彼岸の決まり料理として干しアケビを食べる習慣があるらしい。
また秋の彼岸には、先祖がアケビの船に乗って来るという言い伝えから仏壇に供え、あとキノコ類を詰めて焼いて食べるという。

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夏に写真③のように緑色の若い実になり、秋になって熟して、果皮は紫色に熟して、果皮が縦に裂けて果肉が見えるようになる。
茎は「木通」モクツウ、果実を「肉袋子」ニクタイシと言うらしい。漢方では生薬として使われるし、蔓は籠などを編み、葉や茎は草木染の染料となる。
俳句にも詠まれているが、カラスなどが食べているのを見て、そこにアケビがあることが判明したりするらしい。
写真④は果皮が裂ける前のアケビの実である。

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以下、俳句に詠まれる句を引いて終りたい。

 鳥飛んでそこに通草のありにけり・・・・・・・・高浜虚子

 むらさきは霜がながれし通草かな・・・・・・・・渡辺水巴

 主人より烏が知れる通草かな・・・・・・・・前田普羅

 垣通草盗られて僧の悲しめる・・・・・・・・高野素十

 通草食む烏の口の赤さかな・・・・・・・・小山白楢

 夕空の一角かつと通草熟れ・・・・・・・・飯田龍太

 滝へ行く山水迅き通草かな・・・・・・・・山口冬男

 採りたての通草を縁にぢかに置く・・・・・・・・辻田克己

 もらひ来し通草のむらさき雨となる・・・・・・・・横山由

 通草垂れ藤の棚にはあらざりし・・・・・・・・富安風生

 何の故ともなく揺るる通草かな・・・・・・・・清崎敏郎

 あけびの実軽しつぶてとして重し・・・・・・・・金子兜太

 通草熟れ消えんばかりに蔓細し・・・・・・・・橋本鶏二

 山の子に秋のはじまる青通草・・・・・・・・後藤比奈夫

 あけびの実親指人差指で喰ふ・・・・・・・・橋本美代子

 通草手に杣の子山の名を知らず・・・・・・・・南部憲吉

 口あけて通草のこぼす国訛・・・・・・・・角川照子

 山姥のさびしと見する通草かな・・・・・・・・川崎展宏

 のぞきたる通草の口や老ごころ・・・・・・・・石田勝彦

 八方に水の落ちゆく通草かな・・・・・・・・大嶽青児

 一つ採りあとみな高き通草かな・・・・・・・・嶋津香雪

 あけび熟る鳥語に山日明るくて・・・・・・・・・福川ゆう子

 あけびなぞとりて遊びて長湯治・・・・・・・・阿久沢きよし




白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ/自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った・・・・・オルダス・ハックスリー
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    白 鳥・・・・・・・・・オルダス・ハックスリー・・・・『レダ』より

      白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ

      自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った

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この詩は、ジェイナ・ガライ『シンボル・イメージ小事典』(社会思想社・現代教養文庫、中村凪子訳1994年)に「白鳥」という項目のはじめに載るものである。
原題はJana Garai THE BOOK OF SYMBOLS である。

シンボル事典

この本については先に採り上げた。図版②にその写真を出しておく。
以下、この項目の全文を長いが引用する。
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詩人のシンボルであり、詩人のインスピレーションの源であり、ウェルギリウスとアポロンの魂そのものである白鳥は、美しい姿と優雅な動きが忘れがたい印象を与える。
ウェヌス(ヴィーナス)は水に映った白く柔らかく、ふくよかな自分の体を見て、白鳥を自分の鳥とした。
そこで白鳥は、官能的な裸身を持ち、しかも貞節な処女というイメージで詩にうたわれた。
しかし、白鳥はいま一つ別の意味をもつ。
水にさしのばされる力強く長い首は男性としての意図をもつものとされ、両性を表わす二重の意味をもつことによって、白鳥は満たされた欲望を象徴するようになった。
この不思議な両性具有という相反する二つの性質のゆえに、白鳥は神話のなかではもっとも深い尊敬の念をもって扱われ、また呪術的な意味をもつものとされた。
騎士も、そしてまた処女も、ともに白鳥の羽をまとって変身する。ユピテルは白鳥となってレダのもとへ飛び、ローエングリーンはエルザのもとへ飛ぶのである。
ケルト神話によればケールはある年ケルトの乙女に、次の一年は白鳥に姿を変えて、貴公子アンガスを誘惑する。
瀕死の白鳥が歌うという神秘の歌は、プラトンやアリストテレスさえ信じたが、いま一つ欲望の充足という隠された意味をもち、その欲望は死を代償とするものであった。
王家の紋章、あるいは居酒屋の看板に、竪琴とともに描かれた白鳥をしばしば見るが、これは白鳥の歌についてさらに深い説明を与えている。
竪琴の音は熱情的でもの悲しく、地上の苦しみへの哀歌を奏でる。
情熱的な白鳥はこの切々とした旋律と結びついて、詩人の悲劇的な死や、芸術に身を捧げた人びとのロマンティックな自己犠牲の精神を象徴するのである。
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 ↑ コレッジョの絵 (ベルリン 絵画館)
西洋の絵に見られる「レダ」には必ず白鳥が共に描かれる。
これはギリシア神話に由来するが、上に書かれたことが頭に入っていれば、その絵が象徴する意味が、理解できるというものである。
しかも、それが「両性具有」という深い二重の意味を胚胎している、と知れば、絵画といえども、なおざりには見過ごせない、ということである。

今しも、白鳥が日本に避寒のために飛来しはじめているらしい。越冬地では、しばらく優雅な白鳥の姿が見られるのである。
歳時記に載る白鳥の句も多いので、少し引いて終わる。

 一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす・・・・・・・・・・橋本多佳子

 白鳥といふ一巨花を水に置く・・・・・・・・・・中村草田男

 白鳥見て海猫見て湖に安寝する・・・・・・・・・・角川源義

 亡き妻を呼び白鳥を月に呼ぶ・・・・・・・・・・石原八束

 八雲わけ大白鳥の行方かな・・・・・・・・・・沢木欣一

 霧に白鳥白鳥に霧というべきか・・・・・・・・・・金子兜太

 千里飛び来て白鳥の争へる・・・・・・・・・・津田清子

 白鳥のふとこゑもらす月光裡・・・・・・・・・・きくちつねこ

 写真ほど白鳥真白にはあらず・・・・・・・・・・宇多喜代子

 白鳥のこゑ劫(こう)と啼き空(くう)と啼く・・・・・・・・・・手塚美佐

 白鳥の黒曜の瞳に雪ふれり・・・・・・・・・・鈴木貞雄

 白鳥の野行き山行きせし汚れ・・・・・・・・・・行方克己

 白鳥の大きさ頭上越ゆる時・・・・・・・・・・吉村ひさ志

 白鳥の仮死より起てり吹雪過ぐ・・・・・・・・・・深谷雄大

 白鳥の岸白鳥の匂ひせり・・・・・・・・・・小林貴子

 白鳥の首の嫋やか冒したり・・・・・・・・・・福田葉子

 群青をぬけ白鳥の白きわむ・・・・・・・・・・蔵巨水

 白鳥の頸からませて啼き交す・・・・・・・・・・小谷明子


おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・飯名陽子
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    おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・・・・・・・・・・・・飯名陽子

この花は「秋明菊シュウメイギク」と言うのだが、音数が多いので俳句などでは、掲出句のように「貴船菊キブネギク」と五音で詠まれることが多い。
ただし「菊」と名がついているが、キク科ではなく、キンポウゲ科アネモネ属の植物である。 念のため。
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事典には、次のように載っている。

■シュウメイギク キンポウゲ科アネモネ属
学名:Anemone hupehensis var. japonica(=Anemone japonica)
 別名:キセンギク(貴船菊),キブネギク(貴船菊)
 花期:秋

白く見えるのは花ではなく,萼です。花(萼)が散った後,黄色くて丸いものが残っているのもおもしろいです。葉は根本に大きいのがあり,花をつける茎には小さな葉しかありません。

中国と日本の本州、四国、九州に分布します。日本のものは古い時代に中国から渡来したという説が有力になっています。
大型の多年草で高さ0.5~1.0mになり、9~10月頃に咲くので秋明菊といいます。また、京都市北部の貴船に多く見られることから貴船菊(キセンギク・キブネギク)の別名があります。
花は紅色の八重咲で5~7cm位です。

1844年にフォーチュンにより、中国の上海からイギリスに送られ、1847年にアネモネ・ビィティフォリア(ネパール原産で30~90cmの多年草。白花、ピンク花等があり、シュウメイギクに似ている)と交配され、多くの園芸品種ができました。日本ではその後、一重で白花、ピンク花が知られていました。しばらくこの3種類(八重・紅色、一重・白、ピンク)しか栽培されていなかったのですが、近年、ピンクの矯性品種や、濃紅一重、白八重など、徐々に増えてきています。
また、この仲間(アネモネ属)は、花びらに見えるものは花びらではなく、萼片が花弁状になったもので花弁はありません。
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俳句にも詠まれていると思ったが、歳時記にも、少ししか載っていない。

 露霜にしうねき深し貴船菊・・・・・・・・・・・・我里

 菊の香や垣の裾にも貴船菊・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 観音の影のさまなる貴船菊・・・・・・・・・・・・阿部みどり女

 貴船菊一茎活けし直指庵・・・・・・・・・・・・右城暮石

 貴船菊活けて鏡にみどり差す・・・・・・・・・・・・岡本差知子

 山水を厨に引くや貴船菊・・・・・・・・・・・・坂巻純子

 寺の田も水を落とせり貴船菊・・・・・・・・・・・・大岳水一路

 こと艸にまじりてのびし貴船菊・・・・・・・・・・・・山本竹兜

 水をゆく真白なる雲貴船菊・・・・・・・・・・・・竹下白陽

 夕月に細き首のべ貴船菊・・・・・・・・・・・・関木瓜

 秋明菊カレーを食べし息に触れ・・・・・・・・・・・・大林清子
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「秋明菊」ということで掲出句を選びはじめたが、「キブネキク」という5音が俳句作りには適しているので、圧倒的に「貴船菊」の例句が多いので、ご了承を。


草むらにみせばやふかく生ひにけり大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・木村草弥
misebaya4ミセバヤ紅葉

   草むらにみせばやふかく生(お)ひにけり
     大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

今日は「紅葉」を採り上げることにする。
写真①は「みせばや」の紅葉である。ミセバヤは別名を「玉の緒」とも言う。この細かい、丸い葉が薄紅色に紅葉する様子は、あでやかなものである。
「ミセバヤ」については2009/10/06に載せたので参照されたい。

いよいよ11月も終わりになって、いろんな木や草が紅葉の季節を迎える。
写真②は「夏椿」の紅葉である。
natutubaki6夏椿紅葉

ナツツバキというのは「沙羅の木」として梅雨の頃に禅寺などの庭で「落花」を観賞する会が行われる木であるが、もみじの季節には、また美しい紅葉が見られるのである。
緑の季節には落花に儚さを感じ、紅葉の季節には、くれないの葉の散るのを見て、人の世の無常に涙する、という寸法である。
「夏椿」については2009/06/20に載せたので参照されたい。

①と②に、平常は余り見ることの少ない草と木の紅葉を出してみた。
いかがだろうか。
写真③は普通の「カエデモミジ」の紅葉である。
aaookaede01カエデモミジ

「紅葉」は、また「黄葉」「黄落」とも書く。
京都は紅葉の季節は一年中で一番入洛客の多い時期だが、今年は秋が急速らやってきて、冷たい日々があり、紅葉も順調なようである。

以下、紅葉を詠んだ句を引いて終りたい。

 山門に赫つと日浮ぶ紅葉かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 障子しめて四方の紅葉を感じをり・・・・・・・・星野立子

 夜の紅葉沼に燃ゆると湯を落す・・・・・・・・角川源義

 紅葉に来文士は文を以て讃へ・・・・・・・・阿波野青畝

 近づけば紅葉の艶の身に移る・・・・・・・・沢木欣一

 紅葉敷く岩道火伏神のみち・・・・・・・・平畑静塔

 すさまじき真闇となりぬ紅葉山・・・・・・・・鷲谷七菜子

 やや傾ぐイエスの冠も紅葉す・・・・・・・・有馬朗人

 恋ともちがふ紅葉の岸をともにして・・・・・・・・飯島晴子

 城あれば戦がありぬ蔦紅葉・・・・・・・・有馬朗人

 天辺に蔦行きつけず紅葉せり・・・・・・・・福田甲子雄

 黄葉はげし乏しき銭を費ひをり・・・・・・・・石田波郷

 黄葉樹林に仲間葬りて鴉鳴く・・・・・・・・・金子兜太

 へくそかづらと言はず廃園みな黄葉・・・・・・・・福田蓼汀

 黄落や或る悲しみの受話器置く・・・・・・・・平畑静塔

 黄落の真只中に逢ひえたり・・・・・・・・・小林康治

 黄落や臍美しき観世音・・・・・・・・堀古蝶

 ゆりの木は地を頌め讃へ黄落す・・・・・・・・山田みづえ

 黄落やいつも短きドイツの雨・・・・・・・・大峯あきら



しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり・・・・・・和泉式部
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izumi和泉式部画探幽

──和泉式部<恋>のうた鑑賞──四題

   ■しら露も夢もこのよもまぼろしも
     たとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部


今回は、和泉式部の<恋>の歌を四つ採り上げる。
はじめの歌は、前書に「露ばかりあひそめたる男のもとへ」とある。
ある男と一夜を共にした。しかし実に短い逢瀬だった。
それに比べると「白露」も「夢」も「現世」も「幻」も、すべてなお久しいものに思えるという。
白露以下すべて「はかない」瞬時の譬えである。それさえも「たとへていへば」久しく思われるほど、夢のごとくに過ぎた情事だったのだ。
「たとへていへば」という表現は平安朝とも思えぬ大胆な言い回しで、男の歌人でもこれほどの斬新な用法はなし得なかった。
相手に贈った歌で、文語の中に突然として口語を入れたような表現だが、これがぴたっと決まっている。天性の詩人の作である。

     ■黒髪の乱れも知らず打伏せば先づ掻き遺りし人ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「浮かれ女(め)」とまで戯れに呼ばれたほどの和泉式部は、また人一倍悲しみの深さを知っていた女でもあった。
激しい情事のあとの一情景を思い出して詠ったと思われる、この歌でも、相手がすでに儚くなっている人だけに、移ろう時間の無惨さが一層鮮烈だ。
足かけ五年ほど続いた年下の恋人・敦道親王の死を悲しんで詠んだ挽歌の中の一首で、黒髪の乱れも知らず打ち伏していると、いとしげに髪の毛を掻きやってくれたあの亡き人と生きて、肌身に接していた折の濃密な感覚、そして時間が、永遠に失われてしまったことへの痛恨を詠っている。
表現の率直さが、そのまま詩美を生んでいる。

     ■とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものかいのちは・・・・・・・・・・・・・和泉式部

平安女流歌人の中でも随一の天性の「うたびと」であった和泉式部は、なかんずく恋のうたびとであった。
恋の「あわれ」をこの人ほど徹底して生き、かつ歌った人は稀だろう。
その人にして、こういう歌があった。
これは、男からたまには「あはれ」と言って下さい、その一言に命をかけています、と言ってきたのに答えた歌。
恋のあわれとあなたは言うが、かりにあわれを永久に尽してみても、限りある人間の身で、この心の無限の渇きを癒すことなど出来るのでしょうか。心はついに満たされはしないのです、というのである。
情熱家は反面、驚くほど醒めた人生研究家でもあった。

     ■つれづれに空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「つれづれに空ぞ見らるる」は何も手につかず、恋の想いが鬱屈して、ふと気がつけば空を見ているといった状態。
特定の相手が今はいないということかも知れないが、また相手がいても少しも自分のもとへは訪れては来てくれない日々の憂鬱というものも、当時は男性の「通い婚」という結婚形態では、しばしばあった。
平安女流文芸に最も一般的な恋の想いも、そこにあったとさえ言える。
和泉式部は恋多き女性だったから、そういう気分も、またよく知っていたのである。
彼女の恋愛と、そこから生じる思想には、散文には盛り切れぬ濃厚な気分の反映があった。

「和泉式部」については、10/1付けのBLOGで詳しく書いたので、参照してもらいたい。

なお、これらの歌は『和泉式部集』『後拾遺集』『和泉式部続集』から拾った。
ここに掲げる図版は狩野探幽が百人一首のために描いた「和泉式部」像である。



家毎に柿吊るし干す高木村住み古りにけり夢のごとくに・・・・・久保田不二子
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     家毎に柿吊るし干す高木村
        住み古りにけり夢のごとくに・・・・・・・・・・・・・久保田不二子


「高木村」は長野県諏訪郡下諏訪町高木。作者の久保田不二子は同地で生まれ、昭和40年79歳で没した。
同じ高木村の久保田家の養子・俊彦、つまりアララギ派歌人の島木赤彦と結婚し、みずからも「アララギ」に参加している。

彼女は本名・ふじの、であり、赤彦(旧姓・塚原俊彦)はもともと彼女の姉・うた、と結婚したのだが、明治35年に死去したため、義妹の「ふじの」と再婚したものである。
赤彦の上京中は一緒に東京に出て暮らしたこともあるが、赤彦は病を得て帰郷、そこで病没した。
彼女は生涯の大部分を、この故郷で過ごすことになる。
「吊るし柿」は初冬の山村の風物詩、その柿がいたる所に吊るされている故郷の村で「住み古りにけり夢のごとくに」と詠んでいる。
「夢のごとくに」というところに、若くして赤彦と死別して79歳まで故郷に生きつづけた感慨が出ている。調べは滑らかだが、思いは深い。
『庭雀』所載。

参考までに赤彦の旧居・「柿蔭山房」 ← のリンクを貼っておくので参照されたい。

私が敬慕する自由律歌人で、同じ下諏訪町にお住まいの光本恵子さんにお聞きしたところ、下記のようなメールをいただいたので転載しておく。 ↓

< 久保田不二子については、先妻(うた)の子である政彦を育て、さらに自分(不二子)と赤彦との間に3男2女を育てた。政彦は1917年に十八歳で死去。
不二子との長男の建彦には、私の夫の垣内敏広が伊那北高校時代に漢文の先生として習ったと言っています。
次男の夏彦さんには私もお目にかかったことがあります。
赤彦は先妻のうたさんのことをあまりに愛していたので、再婚した不二子さんは哀しい思いをされたようですね。
二人で養鶏所をなさっていたころはよかったのでしょうか。
まあ赤彦は大正15年に50歳で亡くなり、不二子さんは昭和40年(1965年)まで長く生きられたので、子供様は教師として、お母様を守ったのでしょうね。
高木は我が家から割と近いです。昔の甲州街道筋にあり、赤彦の暮らした柿蔭山坊は多くの人が今も訪ねます。またお出かけください。私がご案内させて戴きます。 >

島木赤彦については ← を参照されよ。

「吊るし柿」と言っても、さまざまな柿の形がある。写真②は丸い形の柿である。

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私の方の南山城地方の柿は「鶴の子」柿といって大振りでない砲弾形の柿である。
専門的に作る農家では竹や杭で骨組みを立ち上げ、菰などで周りを囲い、風通しは良くした素通しの「柿屋」というものに柿を吊るさずに、藁で編んだ菰や莚の上に平らに並べて干す。
柿を剥く時に、柿の「蔕」(へた)も取り去る。「古老柿」ころ柿と称している。
冷たい風が吹きすぎるようになると、順調に白い粉のふいた干し柿になるが、気候が暖かいと、よい製品が出来ないという。
自家消費の場合は量が限られているので、納屋の窓の外などに「吊るし柿」にして陽にあてることが多い。
以下、吊るし柿を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 吊し柿すだれなしつつ窓を占む・・・・・・・・和知清

 吊し柿作りて老婆いつまで生く・・・・・・・・長井哀耳

 干柿を軒に奥美濃雪を見ず・・・・・・・・塩谷小鵜

 甘柿の粉を吹く風の北となる・・・・・・・・梅田久子

 軒端より起れる恵那や柿を干す・・・・・・・・大橋桜坡子

 干柿や同じ日向に猫がゐて・・・・・・・・榎本虎山

 夜空より外しきたりぬ吊し柿・・・・・・・・八木林之助

 干柿の緞帳山に対しけり・・・・・・・・百合山羽公


どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・藤野智寿子
d0056382_20162867クヌギの実

      どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・・・・・・・・・・藤野智寿子 
  
団栗ドングリは、本来は櫟クヌギの実のことを指すが、一般的には落ちる木の実を言うようである。
時には樫の実のように「常緑樹」の実も含められるが、せいぜい譲っても、クヌギと同属の落葉樹、コナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワなどまでに留めた方がよいだろう。
掲出写真のように、クヌギの実は丸い。
P1070816-11クヌギ青実
↑ 写真①はクヌギの実の青いものである。実の周りにトゲトゲの萼で包まれている。

写真②は、そのクヌギの新芽である。
ha02クヌギ新芽

雑木林の典型的な木である。昔は、この木でタキギ薪を作った。
今では燃料としての用途はなくなり、コナラなどの木とともに椎茸栽培の「ホダ木」に使われるに過ぎない。
こういう雑木はほぼ十数年のサイクルで伐採され、伐採された株元や落ちたドングリから次の世代が芽を出して、更新して新しい雑木林が出来るという循環になっていたのである。
こういう人の手の加わった人工林を「里山」という。

mizunara582ミズナラ実
↑ 写真③はミズナラの実である。
『和漢三才図会』に「槲(くぬぎ)の木、葉は櫧子(かし)の木に似て、葉深秋に至りて黄ばみ落つ。その実、栗に似て小さく円きゆゑに、俗呼んで団栗と名づく。蔕(へた)に斗ありて、苦渋味悪く食すべからず」とある。

小林一茶の句

     団栗の寝ん寝んころりころりかな

は、その実の可愛らしさを、よくつかんでいる。

konara4コナラ青
↑ 写真④はコナラの青い実である。

いま広葉樹の森が有用でないとかの理由で伐採され、面積が減少しているので、復活させようとドングリ銀行なるものを提唱して団栗を大量に集めて、森を作る運動がおこなわれている。
針葉樹の森は生物の生きる多様な生態系から見て、単純な森で、多様性のある生態系のためには広葉樹の森が必要であると言われている。
常緑樹である樫(かし)の木も広葉樹であり、常緑か落葉かは問わず、広葉樹には違いはないし、樫の木にもドングリは生るのである。
↓ 写真⑤はマテバシイの葉である。この木からも団栗が採れる。
ha03マテバシイ葉
mi02マテバシイ

以下、団栗を詠んだ句を引いて終りたい。

 団栗を掃きこぼし行く箒かな・・・・・・・・高浜虚子

 雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・橋本多佳子

 団栗に八専霽(は)れや山の道・・・・・・・飯田蛇笏

 樫の実の落ちて駆けよる鶏三羽・・・・・・・・村上鬼城

 団栗を混へし木々ぞ城を隠す・・・・・・・・石田波郷

 孤児の癒え近しどんぐり踏みつぶし・・・・・・・・西東三鬼

 団栗の己が落葉に埋れけり・・・・・・・・渡辺水巴

 しののめや団栗の音落ちつくす・・・・・・・・中川宋淵

 どんぐりが乗りていやがる病者の手・・・・・・・・秋元不死男

 抽斗にどんぐり転る机はこぶ・・・・・・・・田川飛旅子

 どんぐりの坂をまろべる風の中・・・・・・・・甲田鐘一路

 どんぐりの頭に落ち心かろくなる・・・・・・・・油布五線

 どんぐりの山に声澄む小家族・・・・・・・・福永耕二

 
草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・・・・桂信子
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      草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・・・・・・・・・・・桂信子

草紅葉クサモミジは野草や低木が初冬になって色鮮やかに色づくことを、こう形容する。特別に「草紅葉」という名の草や木がある訳ではない。
写真①のような鮮やかな場所は、どこにでもあるものではない。オトギリソウ、オカトラノオ、トウダイグサなどは特に美しい。

草紅葉を、古くは「草の錦」と呼んだが、『栞草』には「草木の紅葉を錦にたとへていふなり」とある。
けだし、草紅葉の要約として的確なものである。
そして、その例として

  織り出だす錦とや見ん秋の野にとりどり咲ける花の千種は

という歌を挙げている。霜が降りはじめる晩秋の、冷えびえとした空気を感じさせる季語である。

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秋芳台のように草原と露出した岩石のコントラストが見られる所の草紅葉が趣があって面白い。(写真②③)
この季語は、小さく、地味で目立たない草が紅葉することによって、集団として錦を織り成す様子を表現しているのである。
その結果として、「荒れさびた」感じや「哀れさ」を表すのである。
古来、詩歌にたくさん詠まれてきたが、ここでは明治以降の句を引いておく。

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 猫そこにゐて耳動く草紅葉・・・・・・・・高浜虚子

 くもり日の水あかるさよ草紅葉・・・・・・・・寒川鼠骨

 帰る家あるが淋しき草紅葉・・・・・・・・永井東門居

 草紅葉へくそかつらももみぢせり・・・・・・・・村上鬼城

 大綿を逐うてひとりや草紅葉・・・・・・・・渡辺水巴

 内裏野の名に草紅葉敷けるのみ・・・・・・・・水原秋桜子

 たのしさや草の錦といふ言葉・・・・・・・・星野立子

 草紅葉磐城平へ雲流れ・・・・・・・・大野林火

 絵馬焚いて灰納めたり草紅葉・・・・・・・・吉田冬葉

 白根かなしもみづる草も木もなくて・・・・・・・・村上占魚

 山芋の黄葉慰めなき世なり・・・・・・・・百合山羽公

 鷹の声青天おつる草紅葉・・・・・・・・相馬遷子

 菜洗ひの立ちてよろめく草紅葉・・・・・・・・小野塚鈴

 草もみぢ縹渺としてみるものなし・・・・・・・・杉山岳陽

 酒浴びて死すこの墓の草紅葉・・・・・・・・古館曹人

 吾が影を踏めばつめたし草紅葉・・・・・・・・角川源義

 良寛の辿りし峠草紅葉・・・・・・・・沢木欣一

 屈み寄るほどの照りなり草紅葉・・・・・・・・及川貞

 学童の会釈優しく草紅葉・・・・・・・・杉田久女

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2008年初夏に旅した「能取湖畔のサンゴ草の紅葉」 ← も有名なところなので、ここにリンクに貼っておく。

熱き血のなほ潜みゐむ現身のうすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・木村草弥
p2_ra乳房

   熱き血のなほ潜みゐむ現身(うつしみ)の
     うすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』((角川書店)に載るものである。
この歌は、亡妻がまだ元気であったときの思い出の作品であり、今となっては記念碑的なものであり愛着がある。

日本文学では、古来、乳房のことを、私の歌のように「垂乳」(たりち)と表現する。
散文的には「胸乳」(むなち)と言うこともあるが、私は「垂乳」の方が好きである。これは加齢によって「垂れてきた」乳房の意味ではないので、ご留意を。
「たらちねの母」という表現がある。これは母という言葉にかかる「たらちねの」という「枕詞」(まくらことば)であり、これは漢字で書くと「垂乳根」となり、乳房のことから転化して、母または親を修飾する「枕詞」になったものである。
近代短歌の頃には、枕詞なんて古臭いなどと言われたときもあったが、現代短歌では歌に深みを増すために最近は枕詞の使用が見直されてきているのである。
以下、百科事典に載る記事を転載して、お茶を濁したい。
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 乳房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

人間の乳房(にゅうぼう、ちぶさ)は、多くの哺乳類のメスに存在する、皮膚の一部がなだらかに隆起しているようにみえる器官で、その内部には、乳汁(母乳、乳)を分泌する機能を持つ外分泌腺の乳腺(にゅうせん)が存在する。幼児語ではおっぱいとも呼ばれる。

乳房の表面には、乳汁が外部に分泌される開口部を含む乳頭(にゅうとう)が存在する。哺乳類では、産まれてから一定期間の間の乳児は乳汁を主たる栄養源として与えられ、生育する。哺乳類の名前は、ここから来ている。オスの乳房、乳腺はその生産機能と分泌の機能を持たないため通常、痕跡的である。

哺乳類でもあるヒトの乳房は、通常は胸部前面に左右1対にて存在する。地球上に人類が誕生して以来、ヒトの乳房の存在意義は、出産後母乳を分泌し、乳児を育てることであるが、文明が発達した現代においては、母乳を代替品の粉ミルクにより置き換えることも可能ではあるが、医学的に考察すれば その与えられた免疫機能の重要性は極めて高く、代替品では近似してはいても、その本来の成分には遠く及ばない。免疫の極めて低い状態で出生する新生児に確実に免疫を獲得させる目的からも、母乳が勧められる。 また、ヒトの乳房は、乳首をはじめ刺激を受けると性的興奮を得やすい。

乳房の構造
乳房の構造乳房の表面は皮膚で覆われる。ヒトの女性では、通常は胸部の大胸筋の表面の胸筋筋膜上に左右1対が存在し、およその位置は、上下が第3肋間~第7肋間、左右は胸骨と腋窩の間である。乳房は第一次性徴期は性差がなく男児と同じ(第1段階)であるが、第二次性徴期に脂肪組織が蓄積する(特に脂肪組織が蓄積するのは第2段階第3段階の間)。乳房の脂肪組織の形は人種差や個人差が非常に大きい。高齢者になると乳房の中身が徐々に衰退するため乳房が徐々に下垂する。

乳房の内容は、その容積の9割は脂肪で、1割が乳腺である。乳腺は、乳房一つあたり15~25個の塊として存在し、乳頭の周囲に放射状に並ぶ。それぞれの塊を葉(よう)と呼ぶ。それぞれの乳腺の葉からは乳管が乳頭まで続き、乳腺より機能し分泌された乳は、乳管、乳頭を通して体外へ出る。乳房組織の脂肪組織は乳の生産には全く関係しない。

乳房の成長
Tannerの分類によれば、両性において共通するのが第1段階である。その後、女性は第2・3・4段階の課程を経、第5段階において女性成人型に変化する。また、男性は第1段階を維持し、男性成人型になる。

女性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第2段階 乳輪下に脂肪組織が蓄積し始める。乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化。(定義上では、ここから思春期)
第3段階 脂肪組織が蓄積し外見差が出てくる
第4段階 乳輪が隆起し、ほぼ成人型になる
第5段階 女性成人型となる
男性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第1段階 乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化し、男性成人型となる。

乳汁の分泌とその調節
乳児に母乳を与える様子血液を原料に乳を作る。乳房組織の脂肪は乳の生産自体には関係がないため、その大きさと母乳の量・質には因果関係はない。乳(ちち)は、乳汁(にゅうじゅう)ともいい、ヒトや動物のうち哺乳類が幼児に栄養を与えて育てるために母体が作りだす分泌液で、乳房組織で作られ乳首から体外に出てくる。乳房組織は血液の赤みをフィルターして乳にする。出産直後に母体から出る乳は初乳と呼ばれ、幼児の免疫上重要な核酸などの成分が含まれている。

どんな哺乳類も本来子供を出産した後、数ヵ月から数年の哺乳期間だけ母体は乳を作り出す。タバコの喫煙習慣のある女性は脂肪組織に蓄えられたダイオキシンなどの極めて毒性の高い物質が母乳に混じり、排出される。

平時は母乳は決して出ないが、妊娠・分娩後には脳下垂体から泌乳刺激ホルモン(プロラクチン)、オキシトシンが分泌され、このときだけは母乳が生産されるようになる。まれにホルモン異常などの疾患により、妊娠しなくとも母乳が出る場合がある。稀に、男性から出ることもある。

他の哺乳類の乳房
仔豚に母乳を与える豚哺乳類の乳腺の発達する部位は、左右対称に前足の腋の下から後ろ足の間、恥骨に続く乳腺堤と呼ばれる弓状の線上にある。この上の発達部位の中で、それぞれ哺乳類の種によって、特定のいくつかが発達する。前の方が発達する場合、子供は前足の腋の下に口を突っ込むことになるし、後ろが発達すれば、腹部下面に乳房が並ぶことになる。

一般的に多産の動物ほど乳房の数は多く、牛は4つ、犬は8つ、豚は14個存在する。乳頭と子が産直後に固定されるものもある。

なお、ヒトにおいても極く稀に本来の発達部位より前(主に脇の下の部分に生じるが、同様に乳腺堤上にあたる腹部の左右から股関節にかけての部位に生じる場合もある)に1対(複数発生例もあり、最大で9対生じる事もあるという)の乳頭を持つ例があり、「副乳」と称される。稀に膨らむ場合もあるが、ほとんどの場合が発達せずホクロのように見える。これは現在、哺乳類でもある人類の、地球上での出現・進化と深く関連していると推測されている。

社会的存在 
一方、女性特有の器官である乳房の大小は、1970年代以降より女性の身体的魅力の一要因とされており、現代においては関心も高い(関連を参照)。
また、大小にかかわらず、均整の取れた美しい乳房を美乳と呼ぶ。



久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』第七歌集『雨を見上げる』・・・・・・・・・・木村草弥
鳥恋行_NEW
 ↑久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』砂子屋書房2007/12/06初版刊 2011/03/03再版刊
雨を見上げる_NEW
 ↑久我田鶴子第七歌集『雨を見上げる』ながらみ書房2011/07/15刊

──新・読書ノート──

     久我田鶴子第六歌集『鳥恋行』第七歌集『雨を見上げる』・・・・・・・・・・木村草弥
      ・・・『鳥恋行』砂子屋書房2007/12/06初版刊 2011/03/03再版刊 『雨を見上げる』ながらみ書房2011/07/15刊・・・・・・・

先に久我田鶴子歌集『菜種梅雨』の恵贈を受けて、その鑑賞を、このブログに載せたが、折り返し久我さんから先行する二冊の本が送られてきた。
いずれも大部の本である。
砂子屋書房の社主・田村雅之、ながらみ書房の社主・及川隆彦ともに前衛短歌はなやかなりし頃に編集者として活躍された人である。
そして今ともに出版社経営者として活躍されている。
この二冊を通読してみて、歌集の鑑賞という面からだけではなく、「エピソード」風に書いてみたい。
先ず『雨を見上げる』の「あとがき」を読んでいたら

<及川さんには、同郷のよしみと若い頃から何かと心にかけていただいてきた。
 お互いにながらみを食べて育ったというだけでなく・・・・・>

というくだりに目を止めた。(注・アンダーラインは筆者)
「ながらみ」というのは食べ物だったのか、とWikipediaなどで調べてみた。
久我さんの故郷である九十九里浜で獲れる巻貝で美味、とある。学問的には「ダンベイキサゴ」というらしい。
同郷である及川さんは、これを自分の出版社の名前にされたのである。 よく判りました。
私は遊び心に満ちた人間で、何にでも好奇心旺盛なのである。 お許しあれ。

*「胡乱」なる言葉の具体 湯上がりのビールの酔ひが五体をめぐる
久我さんとは「地中海」の全国大会などで顔を合わせ、すこし言葉をやりとりしたに過ぎないが、酒は殆ど呑まれない印象があったのだが、いくつか飲酒の歌があるので意外な気がした。
この二冊の本の頃、久我さんは「コンピュータ管理のマンモス校」へ転勤された。コンクリート打ち放しとガラスの多い現代風の学校に戸惑われた様子が見てとれる。
もともと久我さんはインターネットには弱い人だった記憶がある。
*存在を証すカードを受けしより03T001Fが私らしき
*先進的教育といふがあるごとく指先ばかり小器用になる
*愚痴となる歌をひそかに反故にして三十六計笑ふに如かず
*耳奥のリンパのゆらぎ朝床に人となるべくかたちひき寄す
*鍼治療うけつつ聞けばひとのこゑ滋味あるものとし身内に入り来
*声が来て神経叢をさやがせり無限自在のわれゐるどこか
*パソコンをつかふ俊敏スマート氏にふるひおとされ消ゆるが必定
*ひそやかに歌詠みゐるさへ脅かし職場といふが息止めにくる
*寄せくるる子らの傷みに苛立ちに生かされありし教師の日々は
*ペン胼胝の消えたる指がうれしげに操るならねノート型バイオ

私事ながら私も使っているのは、ここ何台もソニーのノートパソコン─ヴァイオである。

そんな、馴染めない戸惑いから「鳥を求め、花を求めて、森や湿原に出かけることが多かったのは、相応の理由があったのだと思う」と書かれている。
第六歌集の題名を『鳥恋行』とされたことが、その証左であろう。
*傷を負ひゆきしものあり雪に血の擦りあとはつか残る森のみち
*蝶型の足跡なれば栗鼠と知る胡桃の木から森へと向かふ
*用心の仕方がいかにも貂らしく摺り足ぎみに雪上をゆく

観察の精細な叙景の行き届いた歌群である。
また他に琵琶湖西岸の滋賀県高島郡マキノ町 などというと京都に住む私などには、すぐに判る土地だが、こんなところにも出向いて歌にされた行動力の広さに感服する。

*熊臭し されば熊領こころして登るにしかずわが登山靴
*さきほどの緑一塊の落とし主 なるほど猿も笹を食ふなり
*うちつぱなしのコンクリートに巣をかけし燕が今朝は偉く見えたり
*彫像になりたる樟がなほにほふ女の頸から胸のあたりを
*樟にほふ乳房と腹をまろまろと彫りいだしたる船越桂

この二首からは、ほのかなエロティシズムが薫りたつのを感じる。

*口開くとけぽつと魚を吐き出せり宇治平等院屋根にかはせみ

「わが水系」などの項目の歌には「ふるさと」が詠われている。

*鼻濁音の有無と信仰に境して流るる川やふるさとの川
*真言と日蓮を分け海に入る川といへども幅数メートル
*川渡り鼻濁音来て鼻濁音なきわれらのことばにまじる

日蓮が生まれたのは上総小湊である。その地域では日蓮宗が信仰されているだろう。
因みに、私宅の宗教も日蓮宗・身延派である。この地域は浄土宗が占めているが、わが先祖は幕末の頃に布教があって一族を挙げて改宗したという。
久我さんの歌に詠まれる川は「作田川」で、この川を隔てて、宗教と鼻濁音が違うということである。
この川は境川とも言われているらしく、地形が宗教や言葉の境になっていくというのは、昔の文化の成り立ちとして面白い。
簡潔ながら中身の深い佳い歌である。
このごろはNHKのアナウンサーなども「鼻濁音」の指導が厳しくないらしいが、「鼻濁音」の中でも「が」の音は何とも奥ゆかしい気がするのである。
方言の尊重もいいが、日本語の共通語として、この鼻濁音は尊重してほしいものである。 私は、そういう主義である。

*もみぢならぬやつでのなどとわらひつつわがてのひらを愛でくれし母
*幾人もの精液にまみれ死ににけり<解放軍>が訪れし昼
*アゴタ・クリストフ、ジャン・クリストフ わが内にずれて重なる名前の記憶
歌の対象は多岐にわたって展開する。「回想」から「現代」へで、ある。それらから少し引いてみた。

弔歌にも触れてみよう。春日井建を詠った一連もあるが、
*みづからを褒めてやりたいと全歌集まとめたるのち言ひし忘れず
この歌は「地中海」長老として香川進を助け、また香川進の代理の先兵として「前衛狩り」に角川書店「短歌」編集長に乗り込んだ山本友一の死を詠んでいる。
私も船田敦弘の「いじめ」に耐え切れずグループを抜けたときに手を出してもらったのが山本友一であった。その挨拶のために新宿の山本宅を訪れたことを思い出す。
ご子息は三菱商事の幹部として活躍しておられたが、同居されており、朝食のために焼かれた干物の魚の匂いが部屋に残っていたのを思い出す。
船田亡き今となっては、こんな回想をしても許されよう。
私は一概に「前衛狩り」に走った香川たちを責めるつもりはない。前衛の提灯持ちをした編集者の独走を抑えたいという守旧派の歌壇や社主たる角川源義の意向を香川が含んだものであろう。
ついでに書いておくと、塚本邦雄や岡井隆などはアクの強い人間で今なお強い影響力を持っている。
前衛短歌はなやかなりし頃、塚本の取巻きとして活躍されていた人が酒席で私に洩らされたことがある。何か塚本の説に異を唱えると、とたんに歌壇から「干された」と。
また岡井隆も同様で「未来」の中でも彼に異を唱える人間は排除された。私も「未来」に席を置いていたが私は川口美根子門下であったが、それらにまつわる話を聞かされたことがある。
岡井隆は本来、左翼なのだが、老来、勲章ほしさに皇室にすり寄り「皇室御用掛」などを務めている。その論功行賞で文化功労者に選出された。
斎藤茂吉や土屋文明らが文化勲章受章者であるから、彼らに肩を並べたいという欲望が岡井隆にはあるのだろう。俗物臭ぷんぷんである。 閑話休題。

*昨夜よりのあめ葬送の昼もなほやまず銚子の潮の香ひそめ

この歌は『雨を見上げる』に載るものだが、青柳猛氏のことを詠んでいる。青柳氏とは私にも思い出がある。
どこの全国大会であったか、班別歌会の司会を仰せつかったことがあり、その中に青柳氏が居られ、たしか「ら抜き」の乱用を言われ、言語学者の金田一春彦が「許容」するような発言をしているのはケシカランと激しく攻撃した発言をされた。私が「金田一さんは寛容ですからね」と言ったら、私も激しく攻撃されたのを覚えている。
言語というものは絶えず揺れ動いているもので、概して言語学者などは寛容である。「ら抜き」言葉にも一定の法則性があり、将来、正当と認められるのは近い、という。私には言語学者の友人たちが居り、彼らは皆そういう意見である。 閑話休題。

この二冊の本には父親の体調不良から死に至る歌が縷々詠われている。
特に第七歌集『雨を見上げる』には、父の歌が多い。
*かたはらの椿に蛇が潜めると確かにゐると父の指さす
*二、三日前より目白来てゐると父の指さすさざん花の方
*飲み方を忘れし父か生きむためコップ一杯の水に身構ふ
*身を起こしこころゆくまで脚を掻きひとしごとせりと言ひたりけふは
*指折りてなにかぞへゐる父ならむポータブルトイレにまたがれるまま
*ふたたびを点滴につなぐいのちなり「かあさんは」とは妻呼ぶことば
*いくたびも娘に子なきを嘆きしかどこにもをらぬ孫の名をいふ
引きだしたらきりがない。項目名「青葉ほととぎす」「たなばた」「脱ぎうるならば」「潮騒」「とんちんかん」「夢、うつつ」「手ぶくろ」「二月三月」など、ずっと病む父の看取りの歌である。
*柿好きの父に食ませむ三月はイスラエルの柿シャロンフルーツ
*七十九歳になりたる母の髪に触れ「おめでたう」いふ父の指さき
*血圧の高きに怯ゆる母が越え熱に苦しむ父の越えし二月
*一月の八日未明を一期とし帰れる天の星のまたたき
*呼気のにほひ変はりたりしは三日前その父を置きわが訪はざりき
*肯ひつ否みつ父に来るはずの死を待ち迎へし新年なるも
*梅一枝たづさへし日を境としこの世の父に逢ふことのなき

『雨を見上げる』の巻末近くに「十月の想念」─香川進先生の十三回忌に寄せて、という項目がある。
*たまたまのめぐりあはせもえにしにて地中海わが漕ぎわたる海
*ゆづらざるわがもの言ひにウィスキーダブルを手にしはだかりもせり
*かはしたる約束ならね「地中海」編集しばし吾が預かるも

身内のこと、「族うから」のことを全く詠わない人も多いが、久我さんは、ここに見てきたように多くの族の歌を、特に「父」の歌を詠まれた。
人が死んで、偲んで詠む歌は感動が薄い。同時進行で、現在形で読まれる歌は勁い。本人にとっても、生涯の記念となる。だから私なども、どんどん詠む主義である。
掲出した図版で読み取れるが、本の「帯文」は出版社が知恵をしぼって書きだしたもので、編集の意図が凝縮して出ている。
改めて、眺めてもらいたい。
ご恵贈に感謝して、不十分ながら鑑賞を終わりたい。 有難うございました。   (完)






吾が贈りし口紅それは夢の色ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・木村草弥
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   吾が贈りし口紅それは夢の色
      ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「化粧」の一連の歌を採り上げたので載せておく。

亡妻は国産のものでは資生堂の化粧品を使っていたようだが、私が海外旅行の土産として買って帰った「シャネル」の製品も、よく常用していた。
香水やオーデコロンなどは「シャネル」の5番を愛用していた。マリリン・モンローがネグリジェ代わりに身につけて寝たというものである。
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以下に百科事典に載る記事を転載しておく。

 口紅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

口紅(くちべに、lipstick)とは、人が顔に着彩する目的で唇に塗るために使われる化粧品の一種である。

一般的に、ベニバナを原料とし、ワックスや顔料を溶かして型に入れ固めて作られるが、製品としての口紅にはこれらのほかにも色素、界面活性剤、酸化防止剤、香料など多数の成分が含まれる。

なお、口紅の訳語としてしばしば使われる「ルージュ(rouge)」とは、フランス語で赤という意味である。しかし、昨今では赤色でない口紅も存在するようになり、オレンジ系・ピンク系・ベージュ系など様々な色味に大別される。 唇に質感だけを加える半透明なグロスと呼ばれる物もある。

形状はスティック状の物が一般的で、フタをとり直接あるいは一旦口紅用の筆(リップブラシともいう)に取って唇に塗布する。スティック状でないものは直接唇には塗りにくいので、筆に取って塗布する。

なお、英語では「リップスティック(lipstick)」といい、略して「リップ」と呼ぶことがある。しかし、日本ではそのように略すと口紅より、主に唇の乾燥を防ぐために用いられる薬用リップクリームを連想させる。業界では、両方扱っているメーカーが多いために、この2つは使い分ける傾向にある。

歴史
約、7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが、始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、約、紀元前3000年の頃のエジプト人が使用されたと思われる口紅が発見され、約紀元前1200年頃のエジプトで、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている。

効果
現代において、化粧のうちでも重要な要素とされ、色、質感などが重要である。光沢も重要であり、光彩を放つパールやラメが混入されていることがある。
保湿機能などが付加され、冬期の乾燥した環境に使用できる製品も開発されている。
夏期には紫外線防止効果のあるものも選ばれる。

口紅にまつわるエピソード
男性が女性に口紅を贈る場合に、「少しづつ取り戻したい」などという気障な言葉が添えられることがある。
本来の意図と反して、ワイシャツなどに付着した口紅は、浮気の証左としての痕跡とされるが、満員電車などで意図せずにつく場合もある。
食器などに付着すると、成分の関係で落ちにくい汚れとなる。最近では付着しにくいものも多い。
口紅を塗る動作そのものを「紅を引く(べにをひく)」と表現することがある。
かつて春先の化粧品のキャンペーンやプロモーションの中心商品といえば、口紅であった。
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掲出の私の歌だが「口紅それは夢の色」なんて、甘ったるい表現で、今となっては冷や汗ものだが、これも亡妻の元気なときの仲のいい夫婦の一点景として大目に見てもらいたい。


べに刷きてブラシにはつか残れるを目元にも刷く汝の朝化粧・・・・・木村草弥
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   べに刷きてブラシにはつか残れるを
     目元にも刷く汝(な)の朝化粧(けはひ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
私は男で化粧には弱いし、また、お化粧の仕方も時代とともに変遷するので、詳しいことは判らない。

以下に事典に載る記事を転載しておく。
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写真は化粧品会社のコマーシャルのサイトから

 化粧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

化粧(けしょう)とは、主に顔や体に白粉や口紅などの化粧品をつけて、人間が美しく粧うこと。祭礼など儀式の化粧や舞台用の化粧もある。メイクアップ、メイキャップ、メイクともいう。

古代
口や耳などの穴から悪魔などが進入するのを防ぐために、赤色の物体を顔面に塗りつけるという、約7万年前に行われていた習慣が始まりだと推測されている。このことは、出土した当時の人骨の口に付着していた赤色の顔料の痕跡から判明した。また、紀元前1200年代頃のエジプトでは、人々が目や唇に化粧を施している絵画も見つかっている。ツタンカーメンの黄金のマスクを例にとると、目の周囲にアイラインを施していることが見てとれる。当時のアイラインの原料は、紺色の鉱石であるラピスラズリであり、それを微細な粉にして液体に溶かして使用していた。現在でも中近東地域ではこのようなアイラインを日常に行っている。

中世ヨーロッパでは、顔に蜜蝋を塗り、その上に白粉を叩くという化粧方法が流行した。この化粧のはじまりはイギリスの女王エリザベス1世とされ、戴冠式などの教会の儀式で聖性を高める目的で行われた。また、貴族達もそれに倣うようになった。
この化粧の問題点は蝋が溶け、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったことである。
当時の白粉は白鉛などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる(鉛中毒)。これを誤魔化すために、付けボクロが一時期貴族の間で流行した。

日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。
口紅は紅花を原料にしたものが使われていたが、極めて高価な品とされていた。また、江戸時代にはメタリックグリーンのツヤを持った口紅「笹色紅」が江戸や京都などの都会の女性に流行した。
日本の白粉は液状の水白粉であり、西洋と同じく主な成分に鉛を含んでいた。長期的な使用者には「鉛中毒」による死亡が多くみられ、戦後に規制されてからも、このような死者は後を絶たなかったといわれている。

舞台用
舞台で演技を行なう者は、通常より濃い化粧を行なう。目・眉・口などの顔のパーツや、鼻筋や頬など顔の陰影を強調し、離れた観客にも表情などが判りやすいよう、工夫がされている。また歌舞伎や京劇などでは「隈取」と呼ばれる独特の化粧を施す。表情や感情を伝える目的というだけでなく、隈取の種類によって役どころ(二枚目・悪役・娘役など)を見分ける一助としての役割を果たしている。
テレビ用
テレビ、特にCMやドラマなどでは、通常以上に顔の皮膚がアップで映るため、特にファンデーションやその下地に重点を置いた化粧がなされる。

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↑ 写真は「アカバナユウゲショウ」という花である。野草のように、どこにでも生えている花である。

私は先に2009/08/11に「化粧」について下記のような記事を載せたので、再掲しておく。

   私は化粧する女が好きだ
     虚構によって切り抜けるエネルギー・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この詩は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)に載せた「化粧」と題する一連の中の一行である。ただしWeb上では、ご覧いただけない。
以下、この一連を引いておく。

    化 粧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー

   虚構を持たない女なんて退屈な家政婦にしか過ぎない

   お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕

   化粧はエロチックだ 女のナルシスムと決めつけてはいけない

   化粧する女は淋しがりやだ。化粧なしの素肌では不安なのだ

   素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか

   化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相

   女の体はお城である、中に一人の甘えん坊の少女がかくれている

   女の体はお城である、中に一人のセックス上手が住みついている

   旅をする 風変りなドレスを着てみる 寝てみる 腋の下を匂わせる女

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「化粧」を「虚構」と把握するのは、詩の上ならばこその表現である。詩の場合には、こういう極端な飛躍した物言いを、よくする。それが「非日常」ということである。

この一連を発表したとき、今はもう亡くなった人だが、関西に住む或る女性歌人から女性差別の思想だと、あらぬ攻撃を受けたことがある。
この一連の、どこに「女性差別」の思想があるというのだろうか。的外れもいいところである。
その人も、その後、言いすぎたと思ったのか、的外れの指摘だったと思ったのだろう。
一緒にお酒を飲みたい、などと手紙が来たが、私は深く傷ついたので、以後、絶交した。
詩の判らない人である。


 

ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・文挟夫佐恵
image1銀杏の実

     ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

銀杏(ぎんなん)の実の採れるシーズンになってきた。
関西では、大阪のメインストリートである御堂筋の街路樹にイチョウの木がたくさん植えられており、茂った枝を刈り込むのに邪魔になるギンナンの実のふるい落としが年中行事として行われるので、例年多くの人が手袋と袋持参で下で待ち構えている。一つの風物詩である。

事典には、次のように書かれている。
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ギンナンは、つややかで半透明の深い緑色、ねちねちした歯ざわり、香ばしい木の香りとほろ苦い野生の味。 都会に住む私たちへの自然からの贈り物です。

鎌倉の鶴岡八幡宮では、有名な大銀杏(おおいちょう)があるせいか、露店で焼きぎんなんを売っています。 アツアツの殻を苦労して割って中身を食べるのは最高ですね。

イチョウの種子。イチョウの木は古生代末期に出現。
今から一億5000万年前のジュラ紀には世界中に大規模な森林を作るほど栄えていましたが、 その後滅んだと欧米では考えられていました。
しかし日本に存在するという事が知られ、 ダーゥインはこれを「活きている化石」と呼びました。
樹皮のコルク質のおかげで害虫や火災にも強いのが特徴です。
コルク質に水を含んでいるので火事になると木から水を噴出すそうで、 大火の時に水を噴出して周りの人を救ったという水噴きイチョウの伝説が日本各地に残っています。
イチョウには雄の木と雌の木があり、10月頃に雌の木に実がなります。 オレンジ色の実の中の硬い殻に守られた胚乳がぎんなんです。

原産は中国。日本全国に植わっています。(ほとんどは人間が植樹したもの)
旬は 10月頃の採れたてから3ヶ月間ぐらいがおいしいです。半年も経つと実が縮み、 黄色くなって弾力も無くなって味が落ちてきます。
調理 ゆでる場合:まず、ペンチなどで殻を割って中身を取り出します。
薄皮が付いたまま、 浅い鍋にヒタヒタの水を入れてゆでながら、玉じゃくしの底で転がすようにして薄皮を剥いていきます。
焼く場合 :軽く殻に割れ目を付けておいて、フライパンで空炒りするかオーブントースターで焼きます。

食べ方 焼いたぎんなんをそのまま食べてもいいし、茶碗蒸しやガンモドキのパーツに欠かせません。
ぎんなんの入っていない茶碗蒸しは、食べる者の期待を裏切りますよね。

秋も深まり、山々が色付く頃、葉っぱが黄色い樹木がイチョウです。
その木の実を【ぎんなん】(銀杏)といって、木には、雄(オス)と雌(メス)があり、雄の木には実がなりません。
街路樹に植えられているところも少なくありませんが、実には独特の強烈なにおいがあるので 雄の木を用いているところが多いようです。
「イチョウの木なのに、何故か実が付かない。」という経験のある方もいると思いますが それは、きっと雄の木だからでしょう。

雄の木と雌の木の違いは、葉に切り込みが入っているのが雄の木で、入っていないのが雌の木だという説や、雄の木の枝は立ち、雌の木の枝は横に広がるという説がありますが、確かなところは分かっていないのが現状のようですので、花や果実で識別するのが良いでしょうね。

街路樹だけではなく、神社の境内とか、結構身近にある木なので、機会がありましたらよ~く観察してみてください。

イチョウの実 を取り出す?!
ぎんなんは、店に売っているような形のまま、木に実ってるわけではありません。
ぢつは、ぎんなんは種なんです!

地面に落ちた実を拾い、バケツのような容器の中で果肉を腐らせてから流水でよく洗い、中の種を取り出します。
(これは匂いがきつく、果肉の油脂が白くかたまり手が荒れる作業、ぎんなん作りでもっともきつい。)

取り出された種は、天気のいい日を選んで天日に干されて何日も何日もかけ、じっくりと乾燥していきます。
(毎日のように空とにらめっこ。晴れたら出して雨が降ったら引っ込めて…。)

仕上げは、居間の薪ストーブの横に広げておいて、最後の乾燥作業を行います。
(部屋の中に、キョーレツなぎんなんの香りが充満するのは、言うまでもありません。
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↑ 樹になるギンナンの実

ぎんなんは「茶碗蒸し」や「がんもどき」の中に入れたりする。
上の文章にもある通り、ギンナンの実の「果肉」は熟すと、とても臭いし、おまけにウルシかぶれのようなひどい症状を呈するので皮膚にじかに触れるのは危険である。
おいしい実を取り出すのが、ひと苦労である。

折角、嵯峨野の句を出したので、関連する句を少し引いておく。

 薮中にある四辻や嵯峨の秋・・・・・・・・・・・・・・・森桂樹楼

 嵯峨硯(すずり)摺つて時雨の句をとどむ・・・・・・・・・・・・・青木月斗

 残る音の虫や嵯峨野に母を欲り・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 初紅葉日の斑を踏みし奥嵯峨野・・・・・・・・・・・・・・明石真知子

 お薄所望嵯峨野の茶屋の竹床几・・・・・・・・・・・・・・有木幸子


目覚むれば露光るなりわが庭の露団々の中に死にたし・・・・・・宮柊二
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    目覚むれば露光るなりわが庭の
      露団々の中に死にたし・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二


この歌は『忘瓦亭の歌』(1978年刊)に載るものである。
宮柊二とは、こんな人である。

宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。妻は同じく歌人の宮英子。

経歴
新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)に書店の長男として生まれる。父は宮保治、俳号を木語といい俳句もやった。
1919年堀之内尋常高等小学校に入学。
1925年旧制長岡中学に入学し、在学中から相馬御風主宰の歌誌「木蔭歌集」に投稿を行っていた。
1930年に卒業後は家業を手伝う。
1932年に上京し東京中野の朝日新聞販売店に住み込みで働き、翌年北原白秋を訪ね、その門下生となり、歌作に磨きをかけた。
1939年日本製鐵入社。途中、兵役に応召し、中国山西省で足掛け5年兵士として過ごす。出征中に第1回多磨賞を受賞するが、授賞式には出られず父が代理出席した。
1946年処女歌集『群鶏』を刊行。
1953年にはコスモス短歌会の代表として、歌誌「コスモス」を創刊する。
1947年、加藤克巳、近藤芳美らと「新歌人集団」を結成。

生涯で13冊の歌集を刊行し、宮中歌会始の他、新聞・雑誌歌壇の選者をする。
1976年に第10回迢空賞を受賞
1977年に日本芸術院賞を受賞。
1979年堀之内町名誉町民の称号を贈られる。
1983年、日本芸術院会員。

一方で病(糖尿病や関節リウマチ、脳梗塞等。召集された時も疾患により一時入院していて、また晩年は、転倒して左大腿骨頸部骨折で手術を受けている)を患い、入退院を繰り返しながら、東京都三鷹市の自宅で急性心不全のため74歳の生涯を閉じる。

門下には島田修二、中西進、奥村晃作、高野公彦、桑原正紀、小島ゆかりなど。


さて、「露」のことである。 今しも明け方には、露がしとどに置いている季節である。

「露」を詠んだ文芸作品としては

     露の世は露の世ながらさりながら・・・・・・・・・・・・・・・小林一茶

という句が何と言っても、ピカ一であろう。
宮柊二の歌を掲出しながらではあるが、小林一茶のことに少し触れてみることを許されよ。

江戸後期の代表的俳諧師の一茶は、信州柏原から15歳の時に江戸に出て、奉公生活にも俳諧修業にも辛酸をなめた。
異母弟との13年にも及ぶ遺産争いが解決し、51歳で帰郷、妻帯した。三男一女を得たが、長男、長女、それに次男と次々に幼くて死に、妻をも失った。
この句は溺愛していた長女・さと が、1歳余で天然痘のため死んだ時のもの。
この世ははかない露の世という。そんなことはよく知っている。
よく知ってはいるが、知っていることが何になろう。くりかえし、くりかえし、私は悲しくてたまらないよ。ということであろうか。
『おらが春』所載だが、「露の世」というフレーズの繰り返しが秀逸であり、かつ痛切である。
「露」の句としては代表的な秀句として、よく知られている。
以下、「露」を詠んだ句を引いておく。

 露今宵生るるものと死ぬものと・・・・・・・・岡本松浜

 芋の露連山影を正うす・・・・・・・・・飯田蛇笏

 蔓踏んで一山の露動きけり・・・・・・・・原石鼎

 露の道高野の僧と共に行く・・・・・・・・池内たけし

 露けさの弥撒のをはりはひざまづく・・・・・・・・水原秋桜子

 落ちかかる葉先の露の大いさよ・・・・・・・・星野立子

 金剛の露ひとつぶや石の上・・・・・・・・川端茅舎

 露燦々胸に手組めり祈るごと・・・・・・・・石田波郷

 露の中つむじ二つを子が戴く・・・・・・・・橋本多佳子

 露の夜の一つのことば待たれけり・・・・・・・・柴田白葉女

 露の戸を敲く風あり草木染・・・・・・・・桂信子

 われもまた露けきもののひとつにて・・・・・・・・・・・・森澄雄

 牛の眼が人を疑ふ露の中・・・・・・・・・・・・福田甲子雄

 骨壷を抱きしこと二度露の山・・・・・・・・・・・・矢島渚男

 露の世の江分利満氏の帽子かな・・・・・・・・・・・・星野石雀

 「母」の字の点をきつちり露けしや・・・・・・・・・・・・片山由美子

 まるきものに乳房心根露の玉・・・・・・・・・・・・鳥居真里子


やはらかき身を月光の中に容れ・・・・・桂信子
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    やはらかき身を月光の中に容れ・・・・・・・・・・・・桂信子

秋は月が美しい。空気が澄んでいるからである。
今日は「望月」つまり満月なので、「月光」の句を採り上げる。 
おまけに「スーパームーン」である。 ← 詳しくは、ここにリンクにしたのでアクセスして読んでほしい。

桂信子は、大正3年大阪市生まれの俳人。
以前にも採り上げたことがあるが、結婚して2年にして夫と死別。
女盛りの肉体の「いとおしさ」「わりなさ」が「やはらかき」の一語にこもっているようだ。
澄んだ光をまるで大きな器のように溢れさせている秋の月。
その中に歩み入る成熟したひとりの女性。孤独感を根にして、みずみずしい心と体の揺らぐ思いを詠みすえている。『月光抄』昭和24年刊所収。2004/12/16死去。行年90歳。

以前にも採り上げた句と重複するかも知れないが桂信子の句を少し引く。

   ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ

   クリスマス妻のかなしみいつしか持ち

   閂(かんぬき)をかけて見返る虫の闇

   ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜

   ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

   衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く

   窓の雪女体にて湯をあふれしむ

   ゑんどうむき人妻の悲喜いまはなし

   ひとり臥てちちろと闇をおなじうす

   暖炉ぬくし何を言ひ出すかも知れぬ

   虫しげし四十とならば結城着む

   寒鮒の一夜の生に水にごる

   さくら散り水に遊べる指五本

   きさらぎをぬけて弥生へものの影

   忘年や身ほとりのものすべて塵

   地の底の燃ゆるを思へ去年今年
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今日の満月は、→「スーパームーン」と言われる。ここにリンクにした記事に詳しいのでアクセスされたい。
その原理は、地球の周りを公転している月の軌道は楕円形であることから、地球と月との距離が刻々と変化している。
そのため、最も月が地球に近づくタイミングと満月のタイミングが重なると、ひときわ大きく見えるというわけ。
ただ、「スーパームーン」というのは判断基準が定まっておらず、天文学の正式な名称ではない。
今年(2016年)4月22日に見られた最も小さかった満月と比較すると、(14日:月曜日)の満月は見かけの大きさが直径で約14%、面積で約30%も大きくなる。

あいにく今夜は雨が確実で月は見られそうにないのが残念である。


むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり・・・・草間時彦
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   むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦

この句に詠まれているのは「ムラサキシキブ」の実のことである。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも、秋の花のところに次のような歌がある。

  才媛(さいゑん)になぞらへし木の実ぞ雨ふればむらさきしきぶの紫みだら・・・・・・・・・・・・木村草弥

私宅にもムラサキシキブの小さい株が一つあるが、今年は太い虫(名前不詳だが、揚羽蝶の種類の毛のない毛虫)に、油断していたら、葉がすっかり食べられて、結局、実は一つもつかなかった。
事典を読むと、俗にムラサキシキブと呼ばれているものは正しくは「コムラサキ」というのが多いそうである。白い実のものもあるそうだ。 
ネット上から、下記の文章を載せておく。
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1734450コムラサキシキブ実
↑ コムラサキの実

 ムラサキシキブとコムラサキ
朝から冷たい雨の降る休日は、先日本屋の店先で見つけた毎日新聞社発行の「東京の自然」のページを繰って過ごす一日になりました。 「コムラサキの小さな秋」と題した項には、コムラサキがムラサキシキブと呼ばれることが多く、その名前に混乱があるとあり、千代田区大手町の北の丸公園でも「ムラサキシキブ」と名札を付けられた植物が、コムラサキのようだったと紹介しています。

牧野植物図鑑に「優美な紫色の果実を才媛紫式部の名をかりて美化したものである」
と牧野博士は述べています。 コムラサキは実のつきがが良いことから最近では生け
垣用に多く植えられているようですので、こうした記事を読むと、私達がムラサキシ
キブと称し果実の美しさを愛でているものには意外にコムラサキが多いような気がし
てきました。

   ムラサキシキブ最も早く実を持てど最も早く鳥の食い去る・・・・・・・・・・・・・土屋 文明

以前に発行された「趣味の園芸」11月号(NHK)に「ムラサキシキブとコムラ
サキ」と題して、園芸店でムラサキシキブを買ってきて楽しんでいたらこれは「コ
ムラサキ」だといわれたが、どう違うのかとの問があり答えが載っています。
回答では、園芸店ではコムラサキを通りが良いのでムラサキシキブとして売っている
ようだとの前談から、日本にはムラサキシキブ属(クマツヅラ科)のものには数種が
あり、このうち園芸店では、コムラサキ、ムラサキシキブ、シロシキブ(正確には白
実のコムラサキ)の三種が良く売られていること、そしてわりにコンパクトに仕立て
られて実つきが良く見栄えがするという点でコムラサキに人気があると記してます。
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Callicarpa20japonica20f_20albibacca20m1白式部
 ↑ 「白式部」と呼ばれる白いムラサキシキブ

別の事典には、次のような記載がある。

学名:Callicarpa japonica
 別名:ミムラサキ(実紫),コメゴメ
 花期:夏

 山野に生える落葉低木です。庭などに植えられて「ムラサキシキブ」と呼ばれるのはコムラサキ(小紫)のことが多いと思います。コムラサキに比べて実のつき方がまばらで,素朴な感じです。
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murasakisikibuL3ムラサキシキブ花

写真③はムラサキシキブの花である。6月頃に咲き始める。花言葉は「聡明」。

俳句にも多く詠まれているので引いておく。

 冷たしや式部の名持つ実のむらさき・・・・・・・・・・・・長谷川かな女

 うち綴り紫式部こぼれける・・・・・・・・・・・・後藤夜半

 渡されし紫式部淋しき実・・・・・・・・・・・・星野立子

 うしろ手に一寸(ちよつと)紫式部の実・・・・・・・・・・・・川崎展宏

 胸焦がすほどの詩欲し実むらさき・・・・・・・・・・・・・小沢克己

 地の冷えの色に出でてや実紫・・・・・・・・・・・・林 翔

 実むらさきいよいよものをいはず暮れ・・・・・・・・・・・・菊池一雄

 眼(まなこ)よりこぼれて紫式部かな・・・・・・・・・・・・鈴木鷹夫

 倖あれと友が掌に置く実むらさき・・・・・・・・・・・・石田あき子

 室の津の歌ひ女の哀実むらさき・・・・・・・・・・・・志摩知子

 寺に駕籠寺領にむらさきしきぶかな・・・・・・・・・・・・嶋野国夫

 月光に夜離れはじまる式部の実・・・・・・・・・・・・保坂敏子

 休日は眠るむらさき式部の実・・・・・・・・・・・・津高里永子

 ゆづり合ふ袖摺坂や実むらさき・・・・・・・・・・・・由木まり

 象牙玉小粒かたまり白式部・・・・・・・・・・・・石原栄子



妥協とは黙すことなり冬ざれのピラカンサなる朱痛々し・・・・木村草弥
aaoopirakaピラカンサ本命

     妥協とは黙(もだ)すことなり冬ざれの
          ピラカンサなる朱(あけ)痛々し・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

ピラカンサはPyracantha と言うが、誤ってピラカンサスと書かれているものもあり、私も原作はピラカンサスと間違って歌集にも載せたが、
塚本邦雄氏の文章を読んで、間違いに気付き、改作した。
ピラカンサは写真②のように5月はじめ頃、このように白い花をたくさんつける。

FI2618558_2E.jpg

ピラカンサは樹高せいぜい2メートルまでの低木で、枝にはバラのように鋭いトゲがたくさんついている。
写真のように晩秋になると真っ赤な実がびっしりと生るが、野鳥たちの冬の絶好の餌となり、冬中には、すっかり食べ尽くされてしまう。
補足して書いておくと、ピラカンサ=「火+トゲ」を意味するギリシア語からの造語、と言われている。
ピラカンサはバラ科の常緑低木。中国が原産地だが、日本へは明治中期に、フランスから輸入されたという。
高さ1、2メートルで刺のある枝を密生し、葉は革質で厚い。庭木としてよく見られるが、生垣になっている場合が多い。
晩秋に球状の実が黄橙色に色づいて枝上に固まって着く。だんだん赤橙色になり、冬になっても、その色を失わない。
南天なども、そうだが、冬ざれの中の「赤」は冬の一点景とは言え、却って「痛々しい」感じが、私には、するのである。
この歌の一つ前には

  沈黙は諾(うべな)ひしにはあらざるを言ひつのる男の唇(くち)の赤さよ・・・・・・・木村草弥

という歌が載っているので、これと一体のものとして鑑賞してもらえば、ビジネスマンの人などにも、共感してもらえるのではないか。
そういう、生々しい「人事」の歌である。

いま歳時記を開いてみたが、ピラカンサの句は殆ど載っていない。
僅かに、次の一句だけが見つかったが、これも「ピラカンサス」と誤って使われている。

 界隈に言葉多さよピラカンサス・・・・・・・・・・・・森澄雄




久我田鶴子第八歌集『菜種梅雨』・・・・・・・・・・木村草弥
久我①_NEW
 ↑ 第八歌集『菜種梅雨』─2016/06/05刊
久我②_NEW
↑ 第五歌集『雨の葛籠』─2002/06/10刊

──新・読書ノート──

     久我田鶴子第八歌集『菜種梅雨』・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・砂子屋書房2016/06/05刊・・・・・・・

短歌結社「地中海」の編集長である久我田鶴子さんから、この歌集が恵贈されてきた。
私は縁あって一頃この会に席を置いていたので久我さんとも旧知の仲であるが、個人的に親しいということはなかった。
久我さんを知ったのは「地中海」に入った直後に、才能ある若手として教えてもらって第一歌集『転生前夜』を買い求めてからである。
その頃「地中海」編集長は椎名恒治で、私は最近亡くなった船田敦弘の紹介で同誌上に、香川進の第一歌集『太陽のある風景』論をほぼ一年間にわたって書かせてもらった。
先日「香川進研究Ⅱ」という大部の本が送られてきて読んだばかりで、その読後感を久我さんに送ったところだった。
そのお返しに今回この歌集をいただいたという次第である。
書架を探してみると、二番目に図版を出しておいた第五歌集『雨の葛籠』を恵贈されており、十首の歌を抽出して久我さんに返信している。
この本は2002年に出ており、その頃は私はまだブログをやっていないので、ここで紹介することもなかった。ご参考までに図版のみ出しておく。

久我さんは高校の国語の先生であられた。数年前に早期退職され、今は「地中海」編集長専従として、かつ文法と教科書の指導書の仕事をされているようである。
「あとがき」に、それらのことが触れられている。
この歌集には、2011年3月から2015年までの350首が収録されている。年齢にして55歳から60歳に至る、という。
「あとがき」を少し引いてみよう。

<2011年の年明けに父が死に、暫くぼんやりしていたところに遭遇した東日本大震災。・・・・それまでに体験したことのない地震は、いっしゅん死を覚悟させるほどであった。
 それでも私にはまだ、9・11の同時多発テロの衝撃に比べれば、なんとか乗り越えられるかと思われた。・・・・・
 だが3・11の衝撃は、あとからボディブローのようにきた。・・・・・この歌集は、まったく「あの日」以後の産物である。
 “以後”の私の日常は、週に二日のペースで高速道路を使って父のもとへ通っていた二年間。・・・・・
 毎月、仲間たちと「地中海」を発行し、歌集をまとめたいという人がいればそのお手伝いをした。
 そんな中で、福島、とりわけ郡山との縁が深まったのは、そこにいる「地中海」の会員たちがつぎつぎと歌集出版にむけて動きだしたからである。
 理由のないことではない。短歌は、生きることと繋がっている。・・・・・
 また、菜種梅雨の季節がくる。死んでしまったものも元素にかえり、どこかでなにかに再生されてゆくだろう。・・・・・
 受け容れがたい死に戸惑ったたましいも、どこかで安らいでいてほしい。>

久我さんは千葉市にお住まいで、千葉市は、この震災で液状化現象などで埋立地は大きな被害があり、コスモ石油の貯蔵タンクが炎上するなどニュースになった。
久我さんも当然大きなショックをお受けになったと思われ、それらのことが上記の文章になっている。

歌を見てゆきたい。
ここに書かれている通り彼女の父親の介護に携わっておられたが、それらにまつわる歌が詠まれている。
『雨の葛籠』の中に

  <誕生日になにがほしいと言ひやれば「いのち」とおどけて父は言ひたり>

というのがあり、私は十首抄の中に、この歌を引いている。
今回の歌集にも巻頭近くに「父」を詠った歌が並んでいる。

*こゑにしてことば発するちからさへ息の領域 うしなはれゆく
*誤嚥性肺炎なるが父の息しだいに細めつひに止めし日
*吐きつくすやうに発せし言の葉の父にうなづき問ひ返さざり
*ちちのみの父の手帳を火につつみ送りぬ春の彼岸のそらへ
*降る 何が 降る菜種梅雨 亡きひとの芽吹きどこかではじまつてゐる
*誕生日に何がほしいと訊けるとき「いのち」と言ひしは何歳の父か

一番最後に引いた歌が、先に引いた第五歌集の歌と照合するのである。
また五首目の歌に<降る菜種梅雨 亡きひとの芽吹きどこかではじまつてゐる>と詠まれているように、歌集の題名の「菜種梅雨」は父親への追慕の念へと繋がってゆくのである。

この歌集には「亡き人」を偲ぶ歌が多い。結社の主軸として、また豊かな才能の持ち主として若いときから嘱望されてきた久我さんにとっての交友の広さを窺わせる。
*<ヴィルゴ>にて最後に茂樹のつかひたるグラスの行方まなざしに追ふ
  *ヴイルゴ・・・ここで小中英之とともに飲んだのが、小野茂樹の最後の夜であった。
*なつかしく茂樹を語りみづからを<隠れ羊>と言ひたりかの日
                 小野茂樹がつくったグループ「羊の会」
ここに詠まれるのは藤井常世さんである。その藤井さんは2013年10月30日に亡くなられたので、この歌がある。
*あかねさす『水葬物語』に殉じしか 鬣は銀、水になびける (藤田武)
*この夏の三平峠に出逢ひたる渡辺松男 ああ、衣笠草
 沢瀉は夏の水面の白き花孤独死をなぜ人はあはれむ (雨宮雅子『水の花』)
*水の花おもだか土中に冬を越す会へざり人はやがての春に
*いちにんのために捧ぐるそれはそれ さらにこころは自在にありき (関原英治)
*かん高きこゑに目玉の父親が子の危機すくふ水木のしげる
*をさへやうのなきを放ちてあかはだか村山槐多ある日の香川 (香川進)

このように列記しては趣がないが、歌集の中では連作として詠われていて哀切である。
ここに引かれる雨宮雅子の「孤独死」の歌が発表されたときには、私も慄然としたのを覚えている。私のような老年に達すると、むしろ孤独死に憧れのような感情を抱くから不思議である。

とりとめのない「採りあげ方」で失礼するが、この歌集には意識して「ひらがな」表記がなされているのに気づく。
香川進もひらがなの歌が多かった。もちろん日本語は「漢字カナまじり文」表記で成り立つ言語であるから、一概に「ひらがな」を推奨するつもりはないが、「ひらがな」は優しい。
巧く使うと歌に趣が出る。その意味で久我さんの作歌の仕方に賛成する。
少し歌を引いてみよう。
*いきどほりもの言ふひとのかたはらにちやらんぽらんの息継ぎをする
*とめどなくわけのわからぬにんげんのはつろはつろにまきこまれつつ
*踊り場にたまりてをりぬわたぼこりわたぐもわたがしわたぼうしわたし
*さやうなら 言の葉しろくゆくものをつなぎとめむとするにはあらず
*ざらついて心に触れくるこゑなるをよみがへらせてはあぢはひ尽くす
*ひとが死にあきたる穴に嵌めらるるひとつのピース くちをつぐみな
*きざみこみきたへたる皺すくと立てジョージア・オキーフ晩年の顔
*たうとつの死よりひととせあらがへるたましひの顔とほざかりゆく
*かはいさうなんかぢやないと泣きゐしが気がすんだやうに立ち上がりたり
*ごろすけほう あ、いや、ごろごろわあおおわ 俺が何者かなんてどうでも

アトランダムに引いてみたが、ヒラガナにしたところと、漢字にしたところの必然性の選択が秀逸であり、非の打ちどころが無い。
そして「言葉遊び」に興ずる久我さんが居る。「踊り場」の歌などが、そうである。私も「言葉遊び」が好きである。
久我さんの歌集すべてを読んだわけではないが、以前の歌と比べて、久我さんの「歌づくり」が自在になった気がするのである。

私事で失礼するが、五月、六月に突然、体調不良に襲われ、手脚はむくみ肩、腰、下肢が痛み、全身脱力して起居もままならず、原因が判らず四苦八苦した。
私なりに調べて専門医に駆け込み、原因が判って治療し、おかげで軽快した。「リウマチ性多発筋痛症」という診断である。
これにはステロイドが著効するが副作用があるので体調を見ながら薬を減らしてゆくのがコツという。
一時は字を書くこと、キーボードを操ることも出来なかったことを考えると健康ということの有難さが身に沁みる。ご放念いただきたい。
病み上がりなので根気が続かないので失礼して、私の好きな歌を引いて終りにしたい。

*呂の字とふ突き出すをんなのおちよぼぐち紅おしろいにキスのこと言ふ
*二には二の安らかさありいちばんを風除けにして道草を食ふ
*わたくしをいでざる論の埒のそと羊が雲になりゆくところ
*昼ながらワインに生牡蠣 土曜日といふ気安さが夫にまだある
*晴れたるをよろこぶこゑは春蝉の、よろこぶ花はたてやまりんだう
*おほかたは忘れて暮らす幼年期火傷に負へるわれの聖痕(スティグマ)
*おほかた葉落とせる梢にうつり来て 六、七、八、ぱつとゐなくなる
*どこからか転がりきたる風情なり洋梨机上に追熟のとき
*くれなゐを遊びのごとく編みこめる平らなる籠ブルキナファソの
*あんとんね 背中をさする手のぬくみ上総訛りのふところに抱く
*たをたをとはたたき白く秋蝶は葉裏へまはる 生をいとなむ
*拒否すれば罪に問ふとぞ銅鑼ひびき<一億総活躍>の世に連れださる
*非情なる青やはらかく押しかへすちから恃みて拳をひらく




柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・正岡子規
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     柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

この句は多くの人の口に愛唱されるもので広く知られている。今や「古典」となった感じがある。

この句については、下記のようなエピソードがあるのである。

     < 正岡子規は夏目漱石に俳句を教えていたそうで
       漱石は、愛媛の新聞に俳句を投稿しています。

          鐘つけば銀杏ちるなり建長寺

       この漱石の作品を讃えようとして感謝と友情の印に
       子規が作った作品が

          柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

       下敷きとなる句があったとは面白いもんです。 >

このいきさつについては、ネット上に次のような記事がある。引いておこう。
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坪内稔典氏いわく

「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは,これ,寺の風景として平凡です。はっとするものがありません。」
「「柿くへば鐘が鳴る」は意表を突く。あっと思うよ。」
(『俳人漱石』坪内稔典(岩波新書,2003年))

 正岡子規自身,次のように書いています。

「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので,殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。
余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた。」
(「くだもの」明治34年)

 坪内稔典氏いわく

「子規の代表句は,漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」

 「愚陀仏庵」とは,松山における漱石の住まいのことです。子規は,ここに50日余り暮らしていました。つまり,漱石と子規がいっしょに住んでいたのです。
 「柿くへば…」は,子規が松山から東京へ帰る途中,奈良に立ち寄ったときに作られました。この奈良行きが,子規にとっては最後の旅となりました。この後7年間,子規は病床に伏し,ついには亡くなるのです。
 この旅の費用を貸したのが漱石でした。つまり,「柿くへば…」は,元ネタも費用も漱石に頼っているわけです。

「個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば,子規の句は類想句,あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが,単に個人が作るのではなく,仲間などの他者の力をも加えて作品を作る,それが俳句の創造の現場だとすれば,子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる。」
(『柿喰ふ子規の俳句作法』坪内稔典(岩波書店,2005年))
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学校の教科書にもでてくるこの著名な句には「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがついています。
明治二十八年十月、病後の体を休めていた松山を立って、子規は上京の途につきます。
途中須磨・大阪に寄って奈良に入りました。大阪では腰が痛み出し歩行困難になりましたが医師の処方で軽快し、念願の奈良に赴いたのです。
このときの腰痛は、脊椎カリエスによるものだったようですが、本人は、リウマチと思っていました。
奈良の宿で「晩鐘や寺の熟柿の落つる音」とまず詠みました。奈良という古都と柿との配合に子規は新鮮さを感じたようです。
この句の改案が上掲の「柿くへば」です。この鐘の音は実際には東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺に行って、
東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したということです。
子規は写生の唱導者ではあっても事実通りの体験に固執したわけではないのでした。
評 者 村井和一  「現代俳句協会」のホームページより
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松尾芭蕉の「虚構」の句作りについては前に書いたことがある。
「リアリズム馬鹿」には堕したくないものである。

「柿」は日本原産と言われるが、16世紀にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広まった。
今では世界中「KAKI」で通用する。学名もDiospyros Kaki という。
パーシモンはアメリカ東部原生の、ごく小さなアメリカガキを指すので、日本の柿とは種が違う。
パーシモンというと、ゴルフをやる人には懐かしい名前でウッドクラブのヘッドには、このアメリカガキの硬い木が使われて来た。
今ではメタルウッドが全盛だが、パーシモンで打った時の打球音は特有の響きがあった。Powerbiltという名器があった。
柿は日本原産とは言うが、一説には、氷河期が終わった後に、中国から渡来したらしく、縄文、弥生時代の遺跡から種が出土し、時代が新しくなるほど量が増えるそうだ。
今のような大きな柿は奈良時代に中国から渡来したらしい。
中国では3000年前から柿があったそうで、BC2世紀の王家の墓から多数の柿の種が出土している。その頃は干し柿として保存していたようだ。

kaki006柿の花
写真②は柿の花である。白い花で五月下旬頃に咲く。
先に「干し柿」のことも詳しく書いたので、参照してもらいたい。
柿には「甘柿」と「渋柿」があり、干し柿は渋柿の皮を剥いて天日にあてて甘く変化させたものである。
渋柿は、結構種類が多くて、全国各地の独特の干し柿がある。
以下、柿を詠んだ句を引いて終る。

 よろよろと棹がのぼりて柿挟む・・・・・・・・高浜虚子

 渋柿のごときものにては候へど・・・・・・・・松根東洋城

 我が死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ・・・・・・・・中塚一碧楼

 柿の竿手にして見たるだけのこと・・・・・・・・池内たけし

 雲脱ぐは有明山か柿赤し・・・・・・・・水原秋桜子

 柿を食ふ君の音またこりこりと・・・・・・・・山口誓子

 柿日和浄明寺さまてくてくと・・・・・・・・松本たかし

 渋柿たわわスイッチ一つで楽(がく)湧くよ・・・・・・・・中村草田男

 柿啖へばわがをんな少年の如し・・・・・・・・安住敦

 朝の柿潮のごとく朱が満ち来・・・・・・・・加藤楸邨

 柿食ふや命あまさず生きよの語・・・・・・・・石田波郷

 柿の種うしろに吐いて闇ふかし・・・・・・・・秋元不死男

 柿うまし鶫の嘴あとよりすすり・・・・・・・・皆吉爽雨

 八方に照る柿もぐは盗むごと・・・・・・・・中川輝子

 吊鐘の中の月日も柿の秋・・・・・・・・飯田龍太

 柿の冷え掌にうけて山しぐるるか・・・・・・・・鷲谷七菜子

 少しづつ真面目になりて柿を食ふ・・・・・・・・山田みづえ



杜鵑草人恋ふ色に咲きいでし・・・・・轡田幸子
aaoohototoホトトギス花

   杜鵑草(ほととぎす)人恋ふ色に咲きいでし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・轡田幸子

私宅に杜鵑草(ほととぎすそう)の鉢植えが一つある。恐らく妻が誰かにもらって植えたものであろう。
一年中めだたない草で、毎年10月中ごろから11月にかけて花をつける。
今年も10月18日頃からぼつぼつと花をつけはじめた。

事典には、次のように載っている。
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ホトトギス(杜鵑) ユリ科 

 学名:Tricyrtis hirta
 花期:秋

 鳥の名前を持つ花は他に,サギソウ(鷺草),キジムシロ(雉筵)などがありますが,全く同じというのは他に思い当たりません。
もっとも,鳥の方は不如帰と書くようです。花の点々が不如帰の羽の模様(胸)に似ているということです。
 高原の日陰で夏~秋に見られます
 よく庭や花壇に植えられるものはタイワンホトトギスです。色も紫,白,黄色などがあります。
 ホトトギスは,葉の付け根に一つないし二つ花がつくものです。
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hototo10ホトトギス接写

写真②は「接写」である。
他の事典によると、ホトトギス属は東アジアにしか原生しておらず、このうちの大半が日本に自生し、固有種も多く、日本の特産的植物と言われているらしい。
花名は、この花の斑紋が鳥のホトトギスの胸毛の模様に似ていることに由来する。
「杜鵑草」と書いて、単に「ほととぎす」と読むのが正式らしい。
花言葉は「永遠にあなたのもの」。
以下、これを詠んだ句を引いて終る。

 時鳥草顔冷ゆるまで跼みもし・・・・・・・・・・・・岸田稚魚

 はなびらに血の斑ちらしてほととぎす・・・・・・・・・・・・沢木欣一

 夜をこめて咲きてむらさき時鳥草・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 杜鵑草濡れて置かるる講の杖・・・・・・・・・・・・皆川盤水

 水に映りて斑をふやす杜鵑草・・・・・・・・・・・・檜紀代

 杜鵑草日差衰へはじめたる・・・・・・・・・・・・児玉輝代

 かすかなる山姥のこゑ杜鵑草・・・・・・・・・・・・小桧山繁子

 古のそばかす美人杜鵑草・・・・・・・・・・・・吉沢恵美子

 紫の斑の賑しや杜鵑草・・・・・・・・・・・・・轡田進

 杜鵑草遠流は恋の咎として・・・・・・・・・・・・谷中隆子

 死ぬ日まで男と女油点草・・・・・・・・・・・・中原鈴代

 この山の時鳥草活け手桶古る・・・・・・・・・・・・野沢節子

 ほととぎす草今日むなしき手をのべぬ・・・・・・・・・・・・八木林之助

 時鳥草三つ四つ母のうすまぶた・・・・・・・・・・・・水谷文子



山茶花は咲く花よりも散つてゐる・・・・・・細見綾子
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     山茶花は咲く花よりも散つてゐる・・・・・・・・・・・・・・細見綾子

私の家の前栽の生垣の一番西の端にあるサザンカが咲き始めた。4、5日前から咲きはじめたと思ったら、もう一斉に咲いて満開に近い。
サザンカにも遅速はあり、この木は例年一番早い。亡妻などは「あんまり早く咲きすぎる」と文句を言っていた。
というのは今なら菊などの花の彩りもあるからで、冬が深まって周りに花の色がない時に咲いてほしい、という願いである。
サザンカは「山茶花」と書くが字の通りに発音すれば「サンザカ」となるが発音し難いので、いつしかサザンカとなったという。
原産地は日本で、学名を Camellia sasanqua というが、ここでも日本の発音通りの命名になっている。
椿科というけれど椿との違いは、ツバキは花が落ちる時にはボテッと全部一緒に落ちてしまう(このことから斬首刑を連想するのか、武士は椿の花を嫌ったという)が、
サザンカは花びらが一枚一枚づつばらばらに落ちる。
サザンカは長崎の出島のオランダ商館に来ていた医師ツンベルクがヨーロッパに持ち帰り西欧で広まったという。
なお、学名の前半の Camellia は椿のことで17世紀にチェコスロバキアの宣教師 Kamell カメルさんの名に因むという。
サザンカはさまざまに改良され、もともとは5弁の茶の花に似ている花だったが今では色も花弁の枚数も多様である。

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写真には色々のものを載せてみた。
和漢三才図会』には「按ずるに、山茶花、その樹葉花実、海石榴(つばき)と同じくして小さし。その葉、茶の葉のごとく、その実円長、形、梨のごとくにして微毛あり。・・・・・およそ山茶花、冬を盛りとなし、海石榴の花は、春を盛りとなす」とある。
的確な表現である。なおサザンカは正式には「茶梅」と書いて「さざんくわ」と読むのが正しいという。
サザンカは茶に近いものであるから、この説は了解できる。

ここでネット上に載る記事を引いておく。
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サザンカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サザンカ

分類
界: 植物界 Plantae
門: 被子植物門 Magnoliophyta
綱: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
目: ツバキ目 Theales
科: ツバキ科 Theaceae
属: ツバキ属 Camellia
種: サザンカ C. sasanqua

学名
Camellia sasanqua
和名
サザンカ
英名
Sasanqua

サザンカ(山茶花)は、ツバキ科の常緑広葉樹。秋の終わりから、冬にかけての寒い時期に、花を咲かせる。野生の個体の花の色は部分的に淡い桃色を交えた白であるのに対し、植栽される園芸品種の花の色は赤から白まで様々である。童謡「たきび」(作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂)の歌詞に登場することでもよく知られる。漢字表記の山茶花は中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。

自生地
日本では野生種は山口県から九州および四国、沖縄である。なお、ツバキ科の植物は熱帯から亜熱帯に自生しており、ツバキ、サザンカ、チャは温帯に適応した珍しい種であり、日本は自生地としては北限である。

品種
園芸品種は花の時期や花形などで3つの群に分けるのが一般的。サザンカ群以外はツバキとの交雑である。

サザンカ群
サザンカ Camellia sasanqua Thunb.

カンツバキ群
カンツバキ (寒椿) は、サザンカとツバキ C. japonica との種間交雑園芸品種群である。

カンツバキ Camellia sasanqua Thunb. ’Shishigashira’(シノニムC. x hiemalis Nakai,C. sasanqua Thunb. var. fujikoana Makino)

ハルサザンカ群
ハルサザンカ Camellia x vernalis (Makino) Makino
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サザンカは古来よく詠まれて来た花で芭蕉一門の連句などにも、よく登場する。
以下、サザンカを詠んだ句を引いておく。

 霜を掃き山茶花を掃く許りかな・・・・・・・・高浜虚子

 無始無終山茶花ただに開落す・・・・・・・・寒川鼠骨

 花まれに白山茶花の月夜かな・・・・・・・・原石鼎

 山茶花やいくさに敗れたる国の・・・・・・・・日野草城

 山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ・・・・・・・・加藤楸邨

 山茶花の散るにまかせて晴れ渡り・・・・・・・・永井龍男

山茶花のくれなゐひとに訪はれずに・・・・・・・・橋本多佳子

 山茶花の咲きためらへる朝かな・・・・・・・・渡辺桂子

 山茶花の咲く淋しさと気付きたる・・・・・・・・栗原米作

 白山茶花地獄絵のごと蜂群るる・・・・・・・・高木雨路

 さざんくわにあかつき闇のありにけり・・・・・・・久保田万太郎

 さざん花の長き睫毛を蘂といふ・・・・・・・・野沢節子

 山茶花の落花並べば 神遊び・・・・・・・伊丹三樹彦

 不忠不孝の人山茶花の真くれなゐ・・・・・・・・飯島晴子

 山茶花の咲きて病ひの淵に入る・・・・・・・・保坂敏子


茶畑はしづかに白花昏れゆきていづくゆ鵙の一声鋭し・・・・・木村草弥
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──初出・Doblog2008/11/24を再編集──

  茶畑はしづかに白花昏れゆきて
        いづくゆ鵙の一声鋭し・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


昨日、十一月七日は二十四節季では「立冬」であった。
暦の上では、この日から「冬」ということになる。

今が茶の花の咲き始めるシーズンである。
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の巻頭を飾る歌である。
WebのHPでも載せているのでご覧いただける。

私は半生を「茶」と共に過ごしてきたので、これに対する思いいれは尋常なものではない。
だから、第一歌集の名を「茶の四季」とした所以である。
茶の樹はツバキ科としてサザンカなどと同じ種類の木である。晩秋から初冬にかけて花をつける。
お茶の花は主に茶樹の下の方に咲く。茶の株の上部に花が咲くようだと、その茶園はあまり管理が良いとは言えない。
植物の花や実がつく状態とは葉や茎があまり育たない状態である。
お茶は「葉」を収穫する作物だから、花や実は、むしろ好ましくない。一般に「剪定」をすると花つきは良くない。

写真②の茶樹は、まだ幼木で仕立て中なので花が多くついている。
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茶の木はツバキ科の常緑低木で、原産地は中国南部の雲南省辺りと言われている。
今でも雲南省の奥地の西双版納(シーサンパンナ)に母木という巨木の茶の木があるという。
私は雲南省の昆明までは行ったことがあるが、奥地には行かなかったので、まだ見ていない。

茶の花は秋から初冬にかけて新梢の葉腋につく。白く五弁の香りの高い花で、花の中心に黄色の雄蕊がある。
受粉した雌蕊は果となり、一年がかりで翌年の秋に丸い種を包んだ実になるのである。
茶の木は古来、関東から九州にいたる山地に自生する山茶の木があったらしいが、葉を採って「茶」にして飲用することを知らなかったらしい。
中国の宋から茶の種と製法を持ち帰ったのは「栄西禅師」であると言われている。

私の歌集の巻頭の歌につづいて

  たはやすく茶の花咲くにあらざらめ酷暑凌ぎて金色の蘂(しべ)

というのがあるが、この金色の蘂が、とても印象的な花である。

  茶の花のわづかに黄なる夕べかな・・・・・・・・与謝蕪村

の句の描くところも、同じ風雅を伝えるものである。

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写真③は茶の実である。これは昨年の初冬に花が咲いて、一年かけて実になったもので植物の中でも息の長いものである。
この実を来春に蒔けば発芽して茶の木になる。
こういうのを「実生」(みしょう)というが、他の茶樹の花粉と交雑して雑種になるので、栽培的には「挿し木」で幼木を育てるのが一般的である。
今はやりの言葉で言えば「クローン」である。
写真の実の形からすると、実は4個入っている。この実の形が三角形なら実は3個ということになる。
初冬になると、外皮が割れて、中の実が地面に落ちる。
物を作るというのは生産的で、収穫の時期など心が浮き立つものである。
掲出した歌のつづきに以下のような歌がつづいているので引いてみる。

    茶の花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  茶畑はしづかに白花昏(く)れゆきていづくゆ鵙の一声鋭し

  酷暑とて茶園に灌(そそ)ぎやる水を飲み干すごとく土は吸ひゆく

  たはやすく茶の花咲くにあらざらめ酷暑凌ぎて金色の蘂(しべ)

  ひととせの寒暖雨晴の巡り経て茶の実(さね)熟す白露の季に

  白露してみどりの萼(がく)に包まるる茶の樹の蕾いまだ固しも

  川霧の盛りあがり来てしとどにぞ茶の樹の葉末濡れそぼちゆく

  初霜を置きたる茶の樹に朝日さす葉蔭に白き花ひかりつつ


先にも書いたように私の半生をかけた「茶」のことでもあり、また第一歌集でもあるので「茶」についての歌は非常に多い。
また季節に合わせて私の「茶」にまつわる歌を採り上げたい。
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この記事をご覧になったbittercup氏から、地図の「植生記号」の「茶畑」の記号は、茶の実を横切りにしたものから採られた、とご教示いただいた。
詳しくは、「植生記号」を参照されたい。
この記号は、茶の実3個が入っているものから採られたらしいが、茶の実は一個だけのもの、二個、三個など、何でもありだが、五個というのは余り見かけないが、あるかも知れない。
記号に採られるということから3個の実が多いと言えるかも知れない。
こういう地図記号は、私も何度か目にしていると思うが、茶畑のものとして、しげしげと眺めたことがないので、忘れていたものである。ご教示に感謝したい。

茶の花を詠んだ句も古来多いが、明治以後の句を少し引いておく。

 茶の花に温かき日のしまひかな・・・・・・・・高浜虚子

 茶の花におのれ生れし日なりけり・・・・・・・・久保田万太郎

 こもり居や茶がひらきける金の蘂・・・・・・・・水原秋桜子

 茶の花のとぼしきままに愛でにけり・・・・・・・・松本たかし

 はるかなこゑ「茶の花がもう咲いてます」・・・・・・・・加藤楸邨

 茶の花やアトリエ占むる一家族・・・・・・・・石田波郷

 茶の花のほとりのいつも師の一語・・・・・・・・石田波郷

 お茶の花類句の如く咲きにけり・・・・・・・・佐野青陽人

 茶の花やさみしくなれば出てありく・・・・・・・・鈴木守箭

 茶の花をときに伏眼の香と思ふ・・・・・・・・飯田龍太

 茶が咲いて肩のほとりの日暮かな・・・・・・・・草間時彦

 茶の花を心に灯し帰郷せり・・・・・・・・村越化石

 お茶の花しあわせすぎてさみしくて・・・・・・・・北さとり

 茶の花や母の形見を着ず捨てず・・・・・・・・大石悦子

 茶が咲いて三年味噌の目覚めけり・・・・・・・・立川華子

 蕊含み切れず茶の花開きけり・・・・・・・・榑沼清子



エッセイ・肥後六花──肥後菊その他について・・・・・木村草弥
20071106_438758肥後菊

──エッセイ──

     肥後六花──肥後菊その他について・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

「肥後六花」というのは季節順に「肥後椿」「肥後芍薬」「肥後花菖蒲」「肥後朝顔」「肥後菊」「肥後山茶花」を指す。
肥後──熊本の藩主・細川家8代の細川重賢公の時代に薬草園が作られ、藩主の命によって植物の品種改良が行われ、その結果うまれたのが、これらの花である。

掲出写真は「肥後菊」である。
以下、季節の順に花の写真を出してゆく。

b0066409_147257肥後椿

↑ 写真②は「肥後椿」である。
ツバキについては寒い頃にいろいろの品種のものを紹介したことがある。そのうちの一つに、この「肥後椿」があるということである。

b0066409_1481022肥後芍薬

↑ 写真③は「肥後芍薬」である。大きな豊かな花が特長である。
古来、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と表現されるように花の代表とされてきた。これから転じて、美人の形容に使われたりした。

b0066409_1485176肥後花菖蒲

↑ 写真④は「肥後花菖蒲」である。
この花も彩りと言い、花の大きさと言い、豪華な花という感じがする。
この辺のところに藩主の派手好みが出ているというべきだろう。
ネット上に、この「肥後六花」のことも載っているが、細川家・現当主の元首相の細川護煕氏が談話を寄せて書いている文章が見られる。
細川護煕氏は今、伊豆で陶芸制作三昧の日々を送っているが、その伊豆の屋敷というのが、母方の近衛公のものであるという。
臍の緒を切ったのが高貴な生まれとは言え、優雅な世界である。

b0066409_1492581肥後朝顔

↑ 写真⑤は「肥後朝顔」である。
この朝顔も大輪で、たっぷりとした、あでやかな雰囲気を湛えている。色はいろいろあるらしい。

順番からすると、この花の後に「肥後菊」が来るのであるが、一番はじめに出しておいた。色についてはさまざまあるようである。
今の時代は海外との交流が、過剰とも思えるほどに激しく、日々あたらしい品種のものが導入されてくるが、昔は花の種類も多くはなく、
品種改良も重点的にやられたと言えようか。だから丹精の結果、花が豪華である。

b0066409_1503929肥後山茶花

↑ 写真⑥は「肥後山茶花」である。
この花もボカシ入りの大きなものである。

これで「肥後六花」と呼ばれるものを一渡り紹介したことになる。
季節としてはまだ寒い気候の「ツバキ」から、初冬の花「サザンカ」まで、ほぼ二ヶ月おきに一年を経過したことになる。
花は花ながら、こういう季節感というものを古人は、大切にしたのである。
終わりに、サザンカの句をひとつ引いて終る。

    山茶花の咲き散り呉須の手塩皿・・・・・・・・田口一穂


嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に老年といふ早き日の昏れ・・・・・木村草弥
sagagiku00嵯峨菊①

   嵯峨菊が手花火のごと咲く庭に
     老年といふ早き日の昏(く)れ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

今日は「嵯峨菊」について書く。
写真は、いずれも嵯峨菊の色違いである。
sagagiku02嵯峨菊②
sagagiku08嵯峨菊④
sagagiku03嵯峨菊③

嵯峨菊は、嵯峨天皇の御代、嵯峨御所の大沢池の菊ケ島に自生していた野菊を、永年にわたって、王朝の気品ある感覚を持ったものに洗練し、
「天、地、人」の微妙な配置が仕立てあげた,格調高い菊である。
嵯峨菊は一鉢に三本仕立て、草丈は殿上から鑑賞するのに丁度よい高さの約2メートルに仕立てられる。
花は「弥彦作り」というが、先端が3輪、中程に5輪、下手に7輪と、七五三に。
葉は下部を黄色、中程は緑、上りの方は淡緑というようにして、春夏秋冬を表すことになっている。
花弁は平弁で54弁。長さは約10センチが理想とされ、色は嵯峨の雪(白)、右近橘(黄)、小倉錦(朱)、藤娘(桃)などの淡色が多く、あまり混植をしない。
大覚寺では、毎年11月に一般公開し、多くの参観者の目を楽しませている。
先に書いた「弥彦作り」などの菊作りの作法は、他の菊でも採用されているそうであり、嵯峨菊独特の作り方と、汎用の作り方と、併用されているようである。
もちろん私は菊作りにも素人であるから、間違いがあれば指摘してもらいたい。

掲出した私の歌も、嵯峨菊に仮託して「老年」というものの悲哀を詠ったもので、嵯峨菊そのものを詠んだものではないことを言っておきたい。

このように写真を見てくると、菊作りにかけた異常とも思える情熱を知るのである。
世上の現象に囚われず、些末的とも見えることに情熱を傾けた人々があったからこそ、嵯峨菊の今日があると知るべきなのだろう。

京都は、紅葉の美しい所も多く、それらもひっくるめた歴史的遺産のおかげで、11月になると入洛客で、一年中で、最も混むシーズンとなる。
ホテル、旅館は、この期間は予約で満室である。
以下、菊を詠んだ句を少し引いて終る。

 虫柱立ちゐて幽か菊の上・・・・・・・・高浜虚子 

 腹当の紺のゆゆしき菊師かな・・・・・・・・野見山朱鳥

 菊咲けり陶淵明の菊咲けり・・・・・・・・山口青邨

 乱菊を垣に代へゐて御師の宿・・・・・・・・森田峠

 菊提げて行きいつまでも遠ざかる・・・・・・・・山口誓子

 大雅堂墓畔の黄なる菊畑・・・・・・・・石原八束

 最後まで厚物咲の弁減らず・・・・・・・・三橋敏雄



菊の香はたまゆら乳の香に似ると言ひし人はも母ぞ恋しき・・・・・・・木村草弥
aaoosyumei秋明菊大判

   菊の香はたまゆら乳の香に似ると
     言ひし人はも母ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

菊の香りにも、さまざまの香りが複合しているようである。
母の背に負われて嗅いだ乳くさい匂いは、子供にとっては懐かしい母の匂いである。
「菊の香は乳の匂いがする」と言った人は、おそらく母が恋しかったのだろう、というのが私の歌の意味であるが、私も同感して、この歌になっている。
「たまゆら」とは「一瞬」ということである。

写真①は「秋明菊」であるが、この草は別名「貴船菊」とも言い、京都の北の貴船に多く見られるという。
菊という名前がついているが、中国原産のキンポウゲ科の植物で、花が菊に似ているので、この名がついているがキク科のものではない。

20071106_438758肥後菊

↑ 写真②は「肥後菊」である。
肥後─熊本には「肥後六花」と言って、藩主細川氏が命じて薬草園で改良させた植物があるが、これについては後日、
稿を改めて書く予定だが、そのうちの一つに「肥後菊」があるのである。花弁の形が独特である。色はいろいろある。
因みに「肥後六花」とは、季節の順に「肥後椿」「肥後芍薬」「肥後花菖蒲」「肥後朝顔」「肥後菊」「肥後山茶花」のことを指す。
詳しいことは、いずれ稿を起こすときに譲りたい。

IMG_5636江戸菊

↑ 写真③は「江戸菊」である。
名前の通り、江戸で改良された品種であるが、私は美的なものとは思わない。
毎年、11月になると皇居外苑で菊花展が開かれるそうで、これらの花も展覧されるという。
江戸城ゆかりの皇居のことであるから由緒もあって、ふさわしいだろう。

4100948077_574c824c0b一文字菊

↑ 写真④は「一文字菊」という品種であり、それは花弁が16枚前後の一重の菊で大輪である。これは別名を御紋章菊ともいうという。
この菊は、江戸菊のような変な形のものではなく、シンプルなものである。

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↑ 写真⑤は「奥州菊」男咲き、というものである。
男咲き、というからには「女咲き」という花もあるのだろうが、花の写真が手に入らないが、二つに盛り上がるのを言うらしい。
女性特有の胸乳の形からの連想だろう。
「男咲き」は盛り上がりが一つで垂れた花弁が八の字になるという。大輪の菊で、一本仕立ての菊の花弁のうち、十数弁が下に長く垂れている。
こういう菊の形を総称して「大摑み」という。
奥州と言っても広いが、これは青森で開発されたものらしい。
日本人は、こういう品種改良に情熱を傾けたらしい。これは日本人のみならず、中国人にも、そういう性癖はあったらしい。
一年の半分を雪に埋もれて暮らす人々にとって、何か情熱を燃やす対象があって幸福だったというべきだろう。

ki011伊勢菊

↑ 写真⑥は「伊勢菊」である。
花弁が糸くずのように垂れているのが特長である。

他に京都の「嵯峨菊」という菊があるが、これについても、稿を改めて一日分を載せるので、ここでは触れない。
以下、菊の句を少し引いて終る。

 たましひのしづかにうつる菊見かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 わがいのち菊にむかひてしづかなる・・・・・・・・水原秋桜子

 伊豆の海星の消えゆく菊の雨・・・・・・・・角川源義

 菊日和暮れてすなはち菊月夜・・・・・・・・福田蓼汀

 きのふより後日の菊の晴れ渡り・・・・・・・・森澄雄

 我生きて在るは人死ぬ菊花哉・・・・・・・・永田耕衣

 菊匂ふ命を惜しと思ふとき・・・・・・・・小林康治


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