FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201611<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201701
『キリンの子』─鳥居歌集・・・・・・・・木村草弥
鳥居_NEW
↑ 発行KADOKAWA 2016/02/10初版 2016/12/07第1版第6刷
鳥居②_NEW
 ↑ 岩岡千景「セーラー服の歌人 鳥居」2016/02/10初版 発行KADOKAWA
torii4.jpg
↑ 著者 近影

──新・読書ノート──

      『キリンの子』─鳥居歌集・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
        ・・・・・発行KADOKAWA 2016/02/10初版 2016/12/07第1版第6刷・・・・・・

「セーラー服の歌人」鳥居 として今や歌集はベストセラーとなっている人である。
寡聞にして私は最近まで彼女のことを知らなかった。NHK関西の「関西熱視線」で彼女のことを取り上げていて初めて知った。
そして掲出した二冊の本を読んでみた。
「母の自殺」「児童養護施設での虐待」「小学校中退」「ホームレス生活」「拾った新聞で字を覚えた」など過酷な人生を経てきた人である。
今も私生活の詳しいことは明かされていない。 謎である。 
これは多分、出版社の意図的な演出でもあろうし、壮絶な生きざまをしてきたので、私生活が明るみに出ることによって、改めてPTSDに襲われるのを避けた、とも言えようか。
「近影」はネット上から拝借したのだが、義務教育も禄に受けていないので、中学校の制服だったセーラー服に憧れがあり、最近は外出のときにはセーラー服を着るようにしているという。
歌集『キリンの子』だけを読んだだけでは鳥居を理解できない。
岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居』は2012年以来、彼女に何度もインタビューしてまとめられた本で、この本を読むと彼女のことが、よく分かるのである。

それらを読むと、なぜ「鳥居」→「短歌」なのか、という疑問が解ける。
第六章光明という個所でDVシェルターの施設に居るときに、一時的に外出して図書館に行った鳥居が、たまたま歌集の短歌の棚にあった穂村弘『シンジケート』を手に取った。
  <体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ>
「そんな温かい家庭の光景が頭の中に広がりました。そして、幸せな気持ちになりました」という。
その後、鳥居がホームレス生活を経て大阪に移り住んだ後のこと『吉川宏志集』(邑書林)との出会いがあった。
   <洪水の夢から昼にめざめれば家じゅうの壜まっすぐに立つ>
「一首の中に死と美しさ、そして違和感が果てしない広がりを持って詠み込まれている」ことに鳥居は感銘を受けた、という。
短歌には、自分と同じ「孤独のにおい」がしたのだという。以後、鳥居は、吉川あるいは結社「塔」と関係を持つことになる。

2012年、現代歌人協会が主催する「全国短歌大会」に、鳥居は自作を応募する。
    「思い出の家壊される夏の日は時間が止まり何も聞こえぬ」
の歌が穂村弘の選で佳作に入選したのである。
同じ2012年に、鳥居は短歌誌「塔」十月号の「十代・二十代歌人特集」に「攪乱」という連作を発表する。
歌集には「攪乱」の項目はないが「なんで死んだの」という名前の七首の歌が、それらしい。 引いてみる。

   *室内の宙吊りライトちりぢりにみな揺れていて我のみ気づく
   *朝焼けを見ると悲しいもうすぐに明日が来るよ眠れないまま
   *病室の壁の白さに冴えてゆく意識のすみに踏切の音
   *本好きな少女の脚に虐待の傷が静かな刺繍のように
   *揃えられ主人の帰り待っている飛び降りたこと知らぬ革靴
   *刃は肉を斬るものだった肌色の足に刺さった刺身包丁
   *あおぞらが、妙に、乾いて、紫陽花が、路に、あざやか なんで死んだの

これらを見ると、よく構成されて作られていることが判る。最後の歌なども「、」の区切りなど詩的ですら、ある。技巧的である。
虐待された過去を乗り越えてゆくことが出来れば、この人の詩才は限りなく広がる可能性を感じる。

2013年夏、鳥居は「第三回 路上文学賞」に「エンドレス シュガーレス ホーム」と題した掌編小説で応募し「大賞」を獲得する。
その全文は歌集の「あとがきにかえて」という形で収録されている。
掌編とは言っても長いので、ここに引くことはしないが、最後の部分だけ引いておく。

    危険な目に 遭わされる心配が ない、ということは、こんなにも自由です。
    家がないことは
    こんなにも のびのびとした 自分自身の心を 取り戻すことができます。
                           今夜は 月が とても綺麗です。

2013年9月、「鈴木しづ子さんに捧ぐ」という短歌の連作十首がインターネットサイト「詩客」に掲載された。
歌集では「赤い靴─鈴木しづ子さんに捧ぐ」9首として載っている。 引いてみる。

       ダンサーになろか凍夜の駅間歩く   しづ子
   履いたまま脱げなくなったと笑ってるストリッパーはみな赤い靴

   待ち受けの〈旦那と子ども〉を見やる人 緞帳あがりポールに絡まる

   姉さんは煙草を咥え笑いたくない時だって笑えとふかす

   ねっとりと膣口色に照らされて練習どおり ゆっくりと脱ぐ

   母の日の花屋は赤く染まりおりショーウィンドウにふれる指先

        娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ   しづ子
   踊りつつ太宰を浮かべ笑うとき観客からの手拍子生まる

   好きな人今はいないと聞いたのにあやとりのごと交わってしまう

   膝抱え音なしで見る天気予報知らぬ男が寝ている夜更け

   照らされていない青空ここに居る人たちはみな「夜」って呼ぶの

鈴木しづ子は「娼婦俳人」などと呼ばれて底辺の世界を生きる人の世界を詠んだ、独特の世界を俳句で表現した人である。
その作品に触れた鳥居が歌でもって再現してみたものである。 この想像力が素晴らしい。

終りに、私の目に留まった歌を引いて終わる。

*目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ
*大きく手を振れば大きく振り返す母が見えなくなる曲がり角
*全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る
*先生に蹴り飛ばされて伏す床にトイレスリッパ散らばっていく
*爪のないゆびを庇って耐える夜 「私に眠りを、絵本の夢を」
*早朝の八百屋は群青色をして植物だけが呼吸している
*さぎょうじょでわたしまいにちはたらいた40ねんかん 濡れる下睫毛
*お月さますこし食べたという母と三日月の夜の阪みちのぼる
*壊されてから知る 私を抱く母をしずかに家が抱いていたこと
*もう誰も知らない母の少女期をみどりの蚊帳で包めり昭和
*渡された本が読めずにルビふりを頼んだ 8日に貰いに来ます
*道端で内臓曝す猫の目はあおむけのまま空を映して
*休日は薬を飲まず過ごしてみるこんなに細い心をしていたか
*牛乳のパック開ければ1ℓの牧場の朝がゆわんと揺れる
*次々と友達狂う 給食の煮物おいしいDVシェルター
*友達の破片が線路に落ちていて私とおなじ紺の制服
*海越えて来るかがやきのひと粒の光源として春のみつばち
*私ではない女の子がふいに来て同じ体の中に居座る
*錠剤は財布のなかで押し出され欠けた薬の粉がちらばる
*手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた

長い間しいたげられてきた鳥居だが、今しも吉川や岩岡らに支えられて「陽のあたる」場所に躍り出たのだが、その故に「やっかみ」や謂れのない中傷に曝されることがあろう。
現代の短歌界は、学歴の高い、教養に満ちた学生や学者などが重用される風潮がある。
鳥居も作品が短歌誌に載った直後には「平がな表記に笑える」などと学生から嘲笑された、らしい。
それらを乗り越えて、逞しく育ってほしい。     (完)






振り返ることのむなしさ腰下ろす石の冷えより冬に入りゆく・・・・・木村草弥
FI2618985_1E.jpg

  振り返ることのむなしさ腰下ろす
       石の冷えより冬に入りゆく・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
写真①は、私の歌とは何の関係もないが、「腰下ろす石」ということで、ネット上で検索して発見した「義経の腰掛石」というものである。
頼朝に追われて逃げる義経が、休息のために腰かけたとされる石。京都の郊外の山科の京都薬科大学の校内にある。

 ■躓きし石にものいふ寒さかな・・・・・・・・野村喜舟

という句を先に紹介したが、「つまづく」石か、「腰かける」石かの違いはあるが、こういうように、無機物で、しかも自分とは何ら縁故のない、
いわば「路傍の石」というものをも、詩歌の世界では、おのが対象物として作品化することが出来るのである。
私の歌しかり、この野村氏の句しかりである。
「冷たい」とか「冷える」という冬の寒さをいう言葉だが、これらは肌の感覚で捉えた「即物的」な表現である。
「京の底冷え」というが、これは底の方から、しんしんと冷えてくる感じである。
「石」や「水」という無機物は、冷え切ると、物凄く冷たいものである。

 ■なつかしき京の底冷え覚えつつ・・・・・・・・高浜虚子

という句があるが、虚子は南国の四国・松山の人であるから、何かの機会に訪れた京都の底冷えはひどく身に堪えて「記憶」にとどめられたのであろう。
その意識が、この句の表現になっている。

  ■底冷の洛中にわが生家残る・・・・・・・・村山古郷

  ■底冷えの底に母病むかなしさよ・・・・・・・・井戸昌子

これらの人々は京都生まれだということが判る。
寒さが厳しくなると、水や土、室内のものまで凍ることがある。
若い頃に京都の北の「鞍馬」寺の門前の友人の家に泊めてもらったことがあるが、そこは寒くて、朝起きたら、寝ている肩口に粉雪がかすかに積もっていたことがある。
障子の隙間から入ったものである。
家のすぐ裏に谷川が流れていたが、この辺りでは、撃ち取った猪の体は、そのまま谷川にロープでつないで水に漬けて置いておくのだそうである。
いわば天然の冷蔵庫ということだが、そうすることによって猪についているダニなどの虫が死んで、ちょうど都合がよいのだ、ということだった。
今は暖冬化したので、一概には言えないが、京都市内でも、同志社大学のある「今出川」通より北では、比叡おろしの風に乗って粉雪がちらちら降るのが厳寒の常だった。
京都大学のある辺りも今出川通に面しているので、比叡おろしがまともに吹くので寒い。

「凍る」「氷る」「凍(こご)ゆる」「凍(い)てる」などの言葉を使った句もたくさんある。

 ■月光は凍りて宙に停れる・・・・・・・・山口誓子

 ■晒桶古鏡のごとく氷つたり・・・・・・・・阿波野青畝

 ■凍らんとするしづけさを星流れ・・・・・・・・野見山朱鳥

 ■折鶴のごとくに葱の凍てたるよ・・・・・・・・加倉井秋を

 ■馬の瞳も零下に碧む峠口・・・・・・・・飯田龍太

このように「自然現象」をも「人事」つまり人間にかかわるものとして作品化出来るのである。
今日は私の歌をきっかけにして、冬の寒さの表現の言葉を、さまざまに「敷衍」してみた。
いかがだろうか。




copyright © 2019 Powered By FC2ブログ allrights reserved.