K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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香山雅代編集・詩誌「messier」49号から・・・・・木村草弥
メシエ_NEW

      香山雅代編集・詩誌「messier」49号から・・・・・・・・・・・木村草弥

          羽音を聴いた日       香山雅代

  宙を 歩んでいる風(ふう)だった
  ふたりは
  ひろい階段の上から 半ばまで
  夢みるように
  手を 携え
  ほとんど 宙に浮かんでいるといった具合に 軽く ふぅわり 風を摑んで
  降りてゆくのだ
  消えゆくように こころに微笑を浮かべながら その微笑で いっそう軽くなって
  透けた翼に 風圧を 孕んでゆく
  祝祭の 気風が あたりに立ちこめ
  振り返り みあげると
  段上のそこに 現れた幻像こそ
  頭部の欠けた 大理石の 考古の憂い
  かの サモトラケのニケの
  渦巻く 息吹き 芬芳の乱れ

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          金継教室        佐伯圭子

    (前略)
  それぞれが
  ひび割れたもの欠けたものを
  胸に抱いて辿りつき
  前にならべている
  
  落とされ 当てられ
  ほうり投げられ
  ぶつかり損なわれた
  器たちが
  今 待っている

     (中略)
  整えられて 
  塗られ付けられ
  磨かれたあと
  金粉をふりかけられて
  そっと待っている

  ひと晩 風呂の端に置いて
  眠らせてと 教えられ
  携えて帰る
  ふと見るとわたしの躰も
  繋がって ヒトに返っている

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          色彩幻想      安部由子

  ヴァイオリンを弾きながら
  昏い舗道に
  あなたは立ち尽くす
  放射する遠心力を指先に集め
  眩い光のなかに疾走する感性を
  そこだけ明るく溶かして
  あなたがある
  色彩は退嬰する街を投影して
  日々の祭りが続く

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          好日     内藤恵子

  天空に
  火星の笑窪をつけた
  新月が浮ぶ

  茜色の残照に
  斜形のシルエット
  深紫を深め
  波うつ鋭角の稜線も
  眼下に引きつれて
  浮ぶ雲を手繰り寄せ
  胸に抱き
  頭にかざし
  裾を覆い
  姿を隠す

  だが あけぼの
  すっぱり全身を曝け出す
  白色の潔さが
  紺碧の空にそびえ立つ

    (後略)
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佐伯圭子の「金継教室」が、言いたいことと選択した言葉との調和という点で秀逸である。
内藤恵子の作品の最終連「今日日是好日」は蛇足であるから (後略)とした。

これらは、もとより私の独断であるが、もっと厳しい批評会があったことを書いて、終わりたい。
ご恵贈ありがとうございました。



   

茶師なれば見る機もなき鴨祭むらさき匂ふ牛車ゆくさま・・・・木村草弥
g08葵祭

   茶師なれば見る機(をり)もなき鴨祭
     むらさき匂ふ牛車(ぎつしや)ゆくさま・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
この歌は塚本邦雄氏が読売新聞の「短歌時評」で採り上げて下さった2首のうちの一つである。
葵祭5月15日(雨天順延)に行われるが、この歌の主旨は、私が「茶」を生業としていたので、丁度その頃には新茶の製造時期であり、
それどころではない忙しい日々を過ごしていたので、じっくりと祭を見物する機会もなかった、ということである。
この祭は古来、俳句などでは五音に収まるというので「鴨祭」と通称されてきたのである。
京都には三大祭といって、葵祭、祇園祭、時代祭のことだが、一番古いのが、この葵祭である。もともと京の先住民とも言える賀茂氏の祭だった。
現在の上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)という賀茂氏の神社で五穀豊穣を祈願する祭が、平安遷都を境に国家的な祭になって行った。
さわやかな新緑匂う皐月の頃、藤の花で飾られた牛車(ぎっしゃ)や輿に乗った「斎王代」を中心にした行列が、
御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する祭の光景は、
平安の昔をそのままに、都の雅(みやび)そのものを展開すると言える。

写真の説明をしておくと写真①が御所をでる行列、写っているのは牛車。写真②は、牛車の側面──藤の花の房で飾られている。写真③は輿に乗る斎王代。
hyosi牛車

saio-03輿に乗る斎王代

現在の祭の主役は「斎王代」だが、この斎王代が主役となっての祭の歴史は新しい。
斎王代とは、その名の示すように、斎王に代わるもの、代理である。
斎王は伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王、女王のことである。
平安の昔、この祭が国の祭であった頃、賀茂の宮には斎王が居られ葵祭に奉仕しておられた。
お住いを斎院と言い、祭のときに出御し、勅使の行列と一条大宮で合流する習いだったという。
写真④は下鴨神社のみたらし川での斎王代の禊の様子。祭の数日前に行われる。
saio-01斎王代みそぎ

葵祭の始まりは平安時代初期、弘仁元年(810年)、嵯峨天皇が伊勢神宮にならって、賀茂社にも斎宮を置いた。
この初代斎王─有智子内親王から鎌倉時代はじめの礼子内親王(後鳥羽院皇女)まで、約400年にわたって続いたが、後鳥羽院と鎌倉幕府との政変、承久の変で途絶する。
以後、葵祭は勅使は出るものの、斎王が復活することはなかった。
saio-02女人行列

それを昭和28年に葵祭復活後、行列を華やかに盛り上げるために、葵祭行列協賛会などの努力で「斎王代」を中心にした女人行列(写真⑤)などを加えて、今日に至るのである。
斎王代は民間の未婚の女性が選ばれることになっている。
これに選ばれることは名誉なことであるが、選ばれることによる持ち出しも大変なもので一千万円にも及ぶ出費を覚悟しなければならず、
高額所得のある社長令嬢しか、なれない役目である。

参考までに申し上げると、三大祭の他の二つは、
「祇園祭」は中世に京の都が荒れ果て、病気が蔓延していた頃、「町衆」が立ち上がり世の平穏と病魔退散を願って立ち上げたのが祇園祭であり、別名を町衆の祭と言われている。
だから、この祭には勅使なども一切参ることはない。昨年にも書いたが「大文字の送り火」も町衆の発起したものである。
もう一つの「時代祭」は、明治になって平安神宮が郊外の岡崎の地に造営されたのを機会にはじめられた時代行列である。まったく新しい祭である。
都が東京に遷都して京都の町が疲弊していたのを立て直すイベントとして考案されたもの。

以下、葵祭を詠んだ句を引いて終わりたい。

 草の雨祭の車過ぎてのち・・・・・・・・与謝蕪村

 賀茂衆の御所に紛るる祭かな・・・・・・・・召波

 地に落ちし葵踏みゆく祭かな・・・・・・・・正岡子規

 しづしづと馬の足掻きや加茂祭・・・・・・・高浜虚子

 懸葵しなびて戻る舎人かな・・・・・・・・野村泊月

 うちゑみて葵祭の老勅使・・・・・・・・阿波野青畝

 牛の眼のかくるるばかり懸葵・・・・・・・・粟津松彩子

 賀茂祭り駄馬も神馬の貌をして・・・・・・・・伊藤昌子
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FI2618837_2E.jpg

FI2618837_3E.jpg

「葵祭」の名前の由来は、この儀式全体を通じて「葵」─フタバアオイの葉っぱを延一万本も飾ったり掲げたりすることによる。これを「挿頭」(かざし)という。
写真⑥がフタバアオイの葉っぱである。
今までは、この葵は神社の境内に自生しているものから摘み取って使ってきたが、枯渇してきたので神社奉賛会などの努力で、苗を各地で栽培してもらって提供していただいているという。
牛車の脇に垂らされるのが「葵」の花なのか「藤」の花なのか。フタバアオイの花は写真に写るようなものとは全然別のものであるからフタバアオイの花である筈がないのである。
だから今の季節の華やかな花である「藤」の花が垂らされているようである。
フタバアオイの花の咲くのは一ヶ月も後であり、そのフタバアオイの花の写真⑦もつづいてお目にかける。
断定はいたしかねるが、私の文章では、だから「藤」の花としておいた。ご了承願いたい。
なお掲出した写真は、いずれも過年度のものである。


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