K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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藤原光顕の歌「巫山戯てる場合やないで」10首・・・・木村草弥
たかまる_NEW

──藤原光顕の歌──(33)

     藤原光顕の歌「巫山戯てる場合やないで」10首・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・「たかまる通信」No.107 2017/07/01所載・・・・・・・

       巫山戯てる場合やないで      藤原光顕

  通訳不能の「忖度」 語彙豊かな日本のパソコンは一発で出る

  「忖度」の活字もめっきり見なくなってやっぱり萎縮するか新聞も

  これからはオレファーストでいけばいい どこもかしこもファースト流行り

  「おまえ何をぬかしとんねん!」うすら笑いの面へいっぺん言うてみたいな

  トランプとジョンウン、アベの三人が団結すれば・・・夢でよかった

  読まないでスルーする見出し そこから怖い時代が始まる

  雷の夜をエレベーターが上がったという句で逮捕された。 ホントの話だ

  反戦歌誌発送係Mさんを案じながら読む「共謀法」案

  歌人とか俳人は厳重注意せよ どうでもこじつけられる「結社」は

  株価動向に一喜一憂するのか地球滅亡の危機という日も 人間は
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お馴染みの光顕ぶし、であるが、最近の亡妻を詠んだ歌ではなく、痛烈な時局風刺である。 痛快である。
はじめに、見出しの題名の「巫山戯てる場合やないで」の「巫山戯てる」の部分は「ふざけてる」と訓(よ)む。
今どきの人では、これは読めないかと思うが、国語辞典にも載るレッキとした日本語である。
こういうところに藤原さんの教養がキラリと光っている。
この一連は太平洋戦争の頃に歌人や俳人たちが「治安維持法」で逮捕された歴史的事実を取り上げている。 不当逮捕や拷問などが横行して、善意の人たちが、ひどい仕打ちに遭った。
今の「共謀罪」が拡大適用されて、そんな被害に遭う危険性がある、ということである。
この一連は、「時宜を得た」作品であると申し上げておく。藤原さんの「気力」が戻ってきた、と言えるだろう。
藤原さん、有難うございました。 


シトー会修道院教会堂「プロヴァンスの三姉妹」・・・・木村草弥
800px-Senanqueセナンク修道院
↑ セナンク修道院
800px-Le_Thoronet_eglise_abbatialeル・トロネ修道院
 ↑ ル・トロネ修道院
800px-Church_of_Silvacane_Abbeyシルヴァカンヌ修道院
 ↑ シルヴァカンヌ修道院

──巡礼の旅──(12)─再掲載・初出2013/07/08

    シトー会修道院教会堂「プロヴァンスの三姉妹」・・・・・・・・・・・木村草弥

アヴィニョンから東へ50キロほど行くとセナンク修道院に着く。
途中、別荘の多いなだらかな丘にのぼり、ゴルドの町を通る。まるでイタリアの丘の上の町のような印象だ。
春には曲がりくねった露地の向こうに杏の花が咲き、夏には修道院を前にしてラヴェンダーの畑が広がり、谷一帯が匂い、強いプロヴァンスの光によって溢れている。
まるで「幸福の谷」とでも呼びたいほどである。
14世紀、アヴィニョンに教皇庁が出来たとき、教皇ベネディクトゥス十二世がシトー修道会出身であったため、この修道院の保護は厚かったという。

プロヴァンスの三姉妹(Trois sœurs provençales)とは、フランス南部のプロヴァンス地方にある三つのシトー会修道院教会堂の呼び名である。

12世紀から13世紀初頭にかけてほぼ同時期 に建設された、マザン修道院の娘修道院としての二つの修道院、ル・トロネ修道院、セナンク修道院そしてシルヴァカンヌ修道院の三つをさしてプロヴァンスの三姉妹と呼ぶ。
この呼び名は一般的に、これら三つの修道院が「よく似ている」という説明として使用され 、賛辞としてのニュアンスも含まれる。

1098年、ロベール・ド・モレーヌがブルゴーニュのシトーに創建したシトー修道院は12世紀以降急速に発展し、ヨーロッパ各地に支院(支部のこと)が創建されてゆく。
この支院のことを娘修道院と呼ぶ。
800px-Mazan_l_Abbayeマザン修道院の廃墟
 ↑ マザン修道院の廃墟
1120年、ヴィヴァレ地方にマザン修道院が創建され、そのさらに娘修道院として「三姉妹」のル・トロネ修道院とセナンク修道院が創建されることになるが、
13世紀を頂点として、以降はヴァルド派の異端勢力やフランス革命の影響により衰退してゆくことになる。
シルヴァカンヌにいたっては革命後には農場になっているという有様であった。 再発見されるのは19世紀中ごろになってからのことである。
セナンクにはこの時期に一旦は修道士たちが戻ってきたが長続きはせず、現在のような現役の修道院となるのは20世紀に入ってからであった。

なお、2002年現在でも、母修道院であるマザン修道院だけは廃墟のままであり 、2013年現在で修道院として使用されているのはセナンク修道院だけである。
Abbey-of-senanque-provence-gordesセナンク③
↑ セナンク修道院 俯瞰
Abbaye-senanque-diableセナンク
↑ セナンク修道院内部

三姉妹という呼び名
最初にこれらの修道院に対して「三姉妹」という語が使われた時期は判明していないが、「研究対象として」最初に「三姉妹」の呼称を用いたのは再発見の時期、1852年である。
これは当時、ヴァール県の記念物監査官であったルイ・ロスタンがその報告書の中で使用した時が「三姉妹」の初出であり、
現在でも一般的に使用されるようにその外見の類似性に力点を置いた記述であった。
この呼び名であるが、観光ガイドや一般の解説書向けの「非専門家」用語として使われるケースが主であり、逆に現在の研究書や専門書ではあまり用いられないと指摘される。
まず「三姉妹」はそれぞれの大体の外見や寸法は確かに似ているものの、細部においてはむしろ差異のほうが多いからである。
とはいえ、シトー会修道院の建築には一定の様式的な統一性があることも確かである。
母修道院のマザン修道院からル・トロネ、セナンクに受けつがれた側廊の傾斜尖頭トンネルヴォールトなど 、 たしかに類似性・影響はある。
あくまでもこの「プロヴァンスの三姉妹」という呼び名は「学術分野ではあまり使われない」、ということである。

 → 「女一人旅」 というサイトに写真などがある。


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