K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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印刷活字には鉛の重さがあった 今では目に見えぬハードディスクの中に言葉は囲われる・・・・木村草弥
namarikuzu04_b活字

     印刷活字には鉛の重さがあった 今では目に見えぬ
        ハードディスクの中に言葉は囲われる・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社)に「言葉②」に載せたもの。

私は家業の商売のカタログの印刷などで印刷屋の仕事場に幼い頃から出入りしていた。
活字拾い(植字チョクジという)なども面白く観察していたりしたものである。
bunsen文選①

日本語の活字の場合には活字を拾う「文選」という工程が必要で、原稿に合わせて活字を木枠に拾ってゆく。
「植字」(ちょくじ)と独特な発音で、この工程を呼ぶ。これが済めば「組版」ということになる。

kessoku-han文選③

活版印刷の場合は、組み付けは平面であるから原稿の大きさに合わせて、どんどん組んでゆく。
試し刷りを経て本印刷にかかるわけだが、インクの載せ具合とか、いろいろ難しいものである。
印刷活字と紙の隙間の関係も微妙で、どこかの活字が飛び出ていると、その字だけ太く濃くなる。

sudare.case植字

漢字の活字は「部首」毎にまとめて分類して棚のケースに入っているのを拾い出すわけである。
私は6冊の歌集を出したが活版印刷は第二歌集『嘉木』までで、第三歌集からは、活版をやるところが無くなってコンピュータ写植になってしまった。
活版には独特の刷り上りの趣があって文人と呼ばれる人は、その手づくりの味を尊んだが、今では、もう仕方がない。

──アジアと活字の長い関係──
実はグーテンベルクよりも早く世界で最初の活字は中国や朝鮮で生れている。
しかし、アジアに広く広まることはなく、活字文化がアジアで花ひらくのは500年後、ヨーロッパから最新の活版印刷技術が渡来してからのことである。


活字は中国ではじまった
作られた年代がハッキリしている世界最古の印刷物は、法隆寺に伝わる『百万塔陀羅尼』(760年代後半)と言われる。
この技術は中国からの輸入であろう。東アジア文化圏の中で、中国は最も早くから印刷が発達していたからである。
それは中国には拓本や押印の習慣があったからである。これは技術的には木版印刷と共通のものと言える。
その後、唐代(618~907年)にはお経や暦、占いの本などが木版で刊行された。
宋代(960~1279年)には科挙の制度のために受験参考書なども多数出版される。
活字の発明は11世紀半ば、畢昇が膠泥を用いて陶製活字を作ったのが最初とされる。
13世紀末には王禎が木活字を作成し、1313年に刊行した『農書』で、その様子と考案した活字を納める回転式の台について触れている。
明代(1368~1644年)には畢昇の方法を受け継いで銅活字が生まれ、清朝の康煕(こうき)帝の治世(1661~1722年)以降、
これを用いて中国最大の百科全書『古今図書集成』が印刷された。

朝鮮で金属活字が花ひらく
中国の活字文化は隣国の朝鮮に伝わり花ひらく。
14世紀末以降には木、銅、鉄、鉛など、さまざまの素材の活字鋳造が太宗、成宗の時代には合計300万本以上が鋳造された。
科挙制度を推進し、抑仏崇儒の政策を採った太宗には、儒教教典などを整備する必要があったのである。
写真④が朝鮮の金属活字である。
3-04朝鮮王朝の活字

しかし1592年以降、2度にわたる豊臣秀吉の侵攻により、大量の活字と技術者を奪われて衰退する。
荒廃の中から立ち上がった朝鮮印刷の伝統は17世紀後半の顕宗時代に金属活字が復活する。
1680年~1800年頃にかけて、明朝体の美しい印刷本が多数上梓され、近世の朝鮮印刷文化の精華とされている。

西洋印刷がやってきた
16世紀の中国の銅活字は朝鮮の影響が強いが、その頃、イエズス会によって西洋印刷術が伝来するが、
宣教師たちの布教活動には中国伝統の木版印刷が適していると判断され、西洋の金属活版術は広まらなかった。
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以上、東アジアの印刷術について書いたが、ここで私の第三歌集『樹々の記憶』の中の「言葉①」の一連の歌を引いておく。
これらはWeb上でもご覧いただける。
これは一行づつの歌としてではなく、一連の詩として鑑賞してほしい。

   言葉 ①・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

言葉を友にしたいと思った あれは一人旅でのことだ

確かに言葉の肩をたたくこと、言葉と握手すること、は出来ない

だが言葉には言いようもない旧友のようななつかしさがある

「はじめに言葉ありき」人間は言葉と出会ったときから思想的である

人間は 一つの言葉、一つの名のためにさすらう動物だ

だから、ドラマで最も美しいのは、人が自分を名乗るときだ

人は言語によってしか自由になれない──言葉を言語へと高めよ

どんな桎梏からの解放も言語化されねば、ただの「解放感」に過ぎない

いまや標準語は政治を語る言葉に堕した、人生を語る言葉は方言しかない

例えば、平和という言葉を蒐集している人達は大量殺戮だってやってのける

印刷活字には鉛の重さがあった 今では目に見えぬハードディスクの中に言葉は囲われる



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