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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(11月)月次掲示板
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東日本大震災から七年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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 ↑ ツワブキ

十一月になりました。
いよいよ冬に入ります。文化の香りも。

 国と国揉み合ふあはひ七十年なほ裸なり従軍慰安婦・・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 歳をいへばはやはや一期一会ぞと思へど心ふらふら遊ぶ・・・・・・・・・・・・・馬場あき子
 あれは秋の死のくるめきか澄みのぼる鳥を目守りき点となるまで・・・・・・・・・長岡千尋
 にすぎてるあなたとわたし鍋の中にくだけてゆける牡蠣のはらわた・・・・・・・薮内亮輔
 しづかなる寒きあしたをよしとして目覚めたりけりわが幸せや・・・・・・・・・・・・・宮 英子
 歩み来し最後の一歩をここに止め死せるカマキリ落ち葉の上に・・・・・・・・・・北沢郁子
 あっけなく終わるものありおとろえず残る執あり花の場合も・・・・・・・・・・・・・・小高 賢
 句の中の戦後間もなき青空よ 林檎も雁も晩秋の季語・・・・・・・・・・・・・・・佐佐木幸綱
 晩秋の沼の面の水馬は微かな光の輪を踏みて立つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井修
 走るしかないだらうこの国道がこの世のキリトリセンとわかれば・・・・・・・・・・・山田 航
 日常の貌保ちつつ足早に歳月は去り再びあはず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石川恭子
 からすうりの赤きが枝に二つ三つ裏山の冬の木はやわらかし・・・・・・・・・・・・ 斎藤芳生
 結論を述べる男の強張りし眉間の皺の歳月の溝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 晩秋の長い林道ゆくうちに獣めきたる禁漁区かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・武藤ゆかり
 路地裏にひとり老婆はあきなひす 明石のたこ焼きあつあつの十・・・・・・・・久我田鶴子
 クレパスで描ききれない洋梨の 歪み ふくらみ はにかみ たくらみ・・・・・・・阪森郁代
 十一月あつまつて濃くなつて村人・・・・・・・・・・・阿部完市
 十一月いづくともなき越天楽・・・・・・・・・・・・・・・滝沢和治
 花野にて死因問ふ人振り払ふ・・・・・・・・・・・・・ 吉川千早
 難民はムンクの叫び冬が来る・・・・・・・・・・・・山上樹実雄
 夜歩けば朱き月影たぷたぷと・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 猿を見て人を見て秋風の中・・・・・・・・・・・・・・きくちきみえ
 目礼を交はしてゆける水の秋・・・・・・・・・・・・・小林すみれ
 紅葉するさくら卵の中の街・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 秋の薔薇行けばどこまで同じ町・・・・・・・・・・・・・上田信治
 木星に似る喉飴を舐めて秋・・・・・・・・・・・・・・・三島ちとせ
 色町の音流れゆく秋の川・・・・・・・・・・・・・・・・・・生駒大祐
 サングラス誰そ彼の世に紛れたる・・・・・・・・・・・中塚健太
 秋雨やふるえるわかめとコンドーム・・・・・・・・・・・・榊陽子
 菊を見て菊のひかりを見て菊を・・・・・・・・・・・・・小池康生
 向き合はない道路標識秋の暮・・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 酒蔵はピートの香り蔦紅葉・・・・・・・・・・・・・・・・・栗山麻衣
 頭痛薬一錠二錠秋となる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 ネクタイのキリンこぼれて秋の電車・・・・・・・・・・ わだようこ
 小鳥来る解体される給水塔・・・・・・・・・・・・・・・・・倉田有希
 逆光に町のありたる刈田道・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 しぐるるや紅き表紙の「遊女考」・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 秋冷をただよう雲の飛行船・・・・・・・・・・・・・・・・・・工藤定治
 身を寄せて十一月の水餃子・・・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 菊焚くや綺麗な灰もおのづから・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 団栗のこつんと撥ねる目を醒ます・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 一線に野焼の炎空濁す・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前北かおる
 銀匙のくもり訝る秋思かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・片岡義順
 サンダルの斜めに減りし夜の秋・・・・・・・・・・・・・・・・岬光世
 銀杏のにほひたつ道キャンパスへ・・・・・・・・・すずきみのる
 いちじくや宇宙の闇に星あまた・・・・・・・・・・・・・・・北畠千嗣
 これほどに何故にまっすぐ彼岸花・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 道一つ違えたかしら穴惑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 山手線は里芋の煮転がし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 山羊の匂いの白い毛糸のような性・・・・・・・・・・・ 金原まさ子


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☆─Doblogの過去記事について─☆
Doblogでは2009/05/30付けをもってサービスが廃止されました。
ここには丸五年間にわたって記事を書いてきましたので、その量は厖大になります。
Doblogの廃止に伴い、急遽とりあえず未整理のまま、こちらに移しました。追々整理して記事としてアップすべきものは、して参ります。

Doblogでは特別の設定をしなくても自動的にアクセスカウンターが表示された。
下記の数字はハードディスクに障害を起す前日─2009/02/07の数値である。

アクセス数
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 歌集 『茶の四季』 『嘉木』 『嬬恋』 『昭和』(以上4冊、角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

木村草弥の本について
◆第六歌集『無冠の馬』は、下記のところで買えます。   
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本(歌集、詩集)の詳細はWebのHPをご覧下さい。よろしく。

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いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた/雲海の中に・・・・・・/微光の中を静かな足で歩んでいた・・・大岡信
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      さむい夜明け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     いくたびか冷たい朝の風をきって私は落ちた
     雲海の中に・・・・・・
     となかいたちは氷河地帯に追いやられ
     微光の中を静かな足で歩んでいた

     いくたびか古城をめぐる伝説に
     若い命がささげられ
     城壁は人血を吸ってくろぐろとさび
     人はそれを歴史と名づけ蔦で飾った

     いくたびか季節をめぐるうろこ雲に
     恋人たちは悲しくめざめ
     いく夜かは
     銀河にかれらの乳が流れた

     鳥たちは星から星へ
     おちていった
     無法にひろがる空を渡って
     心ばかりはあわれにちさくしぼんでいた

     ある朝は素足の女が馳けさった
     波止場の方へ
     ある朝は素足の男が引かれてきた
     波止場の方から

     空ばかり澄みきっていた
     溺れてしまう 溺れてしまうと
     波止場で女が
     うたっていた

     ものいわぬ靴下ばかり
     眼ざめるように美しかった
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この詩は、学習研究社『うたの歳時記』冬のうた(1985年12月刊)に載るものである。
「いくたびか」という詩句の3回のルフランなども詩作りの常套手段とも言えるが、この一篇で「初冬」の「さむい夜明け」の、さむざむしさを表現し得たと言えるだろう。



埴輪の目ほんのり笑ふ土こねし古墳時代の庶民が笑ふ・・・群馬県・熊沢峻
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      埴輪の目ほんのり笑ふ
           土こねし古墳時代の庶民が笑ふ・・・・・・・・・・・・群馬県・熊沢峻


この歌は、角川書店「短歌」十月号の題詠「土」に載るものである。
この歌に照応するものとして、当該画像を引いてみたが、いかがだろうか。
どこの場所からの出土品か知らない。
かなり壊れた状態で出土したらしく、欠けた部分を復元した跡が、なまなましい。

ここには、中西洋子氏選による作品が載っているので、そのうちの、いくつかを引いておく。

 手を合はせ祈りしままによみがへる土偶が月の光を宿す・・・・・青森県・木立徹
 凍てし土に転びて泣きしわが顔の涙も洟も凍りし大陸・・・・・埼玉県・中門和子
 黒土の下層に眠る関東ローム天地返しにさむる万年・・・・・神奈川県・滝沢章
 ふるさとの共同墓地の墓じまい土葬の祖母の土を拾いき・・・・・神奈川県・大和嘉章
 土の匂ひやがて濃くなる気配あり東南東から雨雲ちかづく・・・・・千葉県・渡辺真佐子
 病院のベッドで雨をながめてる氷雨村雨時雨土砂降り・・・・・茨城県・小野瀬寿
 緑陰の土のしめりにふり返る夏の夕ぐれ 訪問者はだれ・・・・・茨城県・吉川英治
 ひんやりと湿った土に胸をあて蜥蜴のように眠りたき昼・・・・・京都府・山口直美
 耕せば畝に蜥蜴のはね上がる目鼻をもたぬ土神様よ・・・・・大阪府・北井美月
 南天は小さな白き花散らす泥土に未知の星図ひろげて・・・・・秋田県・長尾洋子
 白土の茶碗の欠片累々と久々利荒川豊蔵の庭・・・・・岐阜県・三田村広隆
 田には田の一枚一枚名がありき亡母は土の違ひを知りき・・・・・和歌山県・植村美穂子
 知らぬ間に更地になった一画の土は初めて夏の風知る・・・・・福岡県・原口萬幸
 白蓮の散りたるのちも香りつつ腐れつつ土に還らんとする・・・・・北海道・土肥原悦子



花岡カヲル歌集『枯葉のみやげ』・・・木村草弥
花岡_NEW

──新・読書ノート──

      花岡カヲル歌集『枯葉のみやげ』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・未来山脈社2018/11/20刊・・・・・・・

標記の本が届いた。 未来山脈叢書202編
花岡カヲルさんは、こういう人である。
1935年長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。
1956年 信州大学教育学部を修了。諏訪地区の小中学校に勤務する。
1960年 花岡清雄と結婚して岡谷市に住む。 二人の娘に恵まれる。
1993年 立野行雄に誘われ「未来山脈」入会。

花岡カヲルの受賞歴 を引いておく。

①平成13年 第八回口語短歌全国大会佳作に入選
  地上に灼熱の暑さを残し 真赤な太陽がビルの中に吸い込まれて行く
②短歌四季(平成15年1月号~12月号)の四季吟詠で特選となり、「現代歌人俊英選集Ⅳ」短歌招待席に参加
  胃にやさしい白い粥 緑の色に映えて今生きるのだと我は噛みしむ
③平成24年度 未来山脈健詠賞 受賞
④平成26年新春読者文芸で口語短歌一席となり、長野日報社から楯を頂く
  筆おろし馬と一文字描く 墨の香が仄かに流れてゆく年初め

この本のはじめに主宰・光本恵子の7ページに及ぶ「序文」が載っている。
そこには花岡さんの歌の主要な部分が述べ尽くされているので、私が余計なことを書く必要もないが、敢えて書いてみる。

題名になった「枯葉のみやげ」の意味である。

  *玄関に枯葉のみやげをつけて二つ並んだ大きな靴小さな靴

次女さち子は千葉大学の薬学部を卒業し、キッセイ製薬から外資系のダイナボットに転職、選ばれてアメリカの本社に行ったあと、高校の同期だった人と結婚。その後、結婚相手とイタリアへ渡る。
この歌は、結婚した二人が広尾の自宅マンションに帰宅した時の玄関の様子を詠ったものという。
男物の大きな靴と娘の小さな靴、その靴には枯葉が乗っていた。赤く色づいたケヤキの葉が仲のよい二人の靴についてきたのだろう。
その葉を「お土産」と捉える母の想い。この歌から歌集名が採られた、という。

  *覚えたてのイタリア語で「ボナセーラ」娘と国際電話する夫

そんな幸せの絶頂にあった次女が病に侵されて、そして不帰の人となってしまった。

  *病む娘を庇い気遣う婿 言葉や仕草の端ばしにしみでるいたわり
  *近代医療の粋 最善の治療もむなしく次女さち子逝く
  *娘編みかけのセーターを私の手で仕上げる 婿は喜んで着る

悲しみの渕に立たされた花岡さんは一年間ほど歌が詠めなかったという。
そして、立ち直った彼女が作品を発表した「全国口語短歌大会」の歌が冒頭に引いた歌である。

「ただならぬ轟音」と題される一連がある。
住んでおられた岡谷市湊地区を襲った土石流の災害である。2006年7月19日のことである。

  *早朝四時半ただならぬ轟音 天変地異かと驚愕し身がちぢむ
  *一気に家も人も車も石も大きな木さえ根こそぎ押し流す濁流
  *小田井澤川の思いがけぬ土石流 心に痛くきざまれた爪痕
  *我家のある小田井岬を遠くから望む 八千年前土石流で作られたという
     < 土石流汗した畑を流しけり >──原天明に師事したときの俳句である。  

長い人生の中には、予想もしないことが起こるものである。

  *ぶっつかる 食器を壊す 転ぶ 私の中で何かが壊れてゆく
  *三月二十日は吟の発表会 独吟の初舞台が刻一刻と迫る緊張のルツボ
  *高齢者学級で原天明師と出会う 俳句の学びの世界へ導かれ

短歌以外にも、さまざまなことに挑戦する花岡さんである。
そんな中でも、冒頭に挙げた歌の入選が光っている。

  *新春文芸「口語短歌」一席の楯が長野日報社から届けられる
  *楯を胸に抱きしめてしみじみと二十年短歌に歩みきた熱き思いに浸る

御夫君の病みや死去に関する歌が少ないのが、私には不満である。

  *退職後夫は何時も傍らに 助け合って生きてきた二人三脚の夫婦
  *病の検査治療加療を繰り返した夫と共に十三年二人で通った大学病院

すこし引いたが、詠み方が概念的である。具体的な、生き生きした表現が欲しかった。
不十分ながら、いよいよ巻末の歌である。

  *二十余年ひたすら紡ぎ積み上げた短歌の束 歩みきた証を綴る

ここで一巻を通読して感じた私の、ささやかな違和感を敢えて申しあげる。
「歩みきた」は「文語」の表現である。口語短歌というからには、ここは「歩んできた」としたい。
他にも、こういう表現があるので敢えて書いてみた。ご了承をお願いしたい。

六百余の膨大な歌の中から、いくばくの秀作を拾い得たか覚束ないが、これで拙い鑑賞を終わる。
私よりは五歳ほどお若いが、益々ご壮健で過ごされるようお祈りいたします。
率直な物言いをお詫びする。  有難うございました。           (完)




山の神留守のあけびを採りにけり・・・浅井紀丈
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  山の神留守のあけびを採りにけり・・・・・・・・・・・・・・・浅井紀丈

「あけび」は漢字では「通草」と書く。
雑木林などに生える落葉の蔓低木である。栽培のものもあるかも知れないが、野生のものであろう。
今ではアケビなんて言っても、知る人も少ないし、むかし食べたときは甘くておいしかったが、いまなら食べても美味とは思わないのではなかろうか。
写真①が熟して果皮が裂けた実である。黒い実のまわりの白い果肉を食べる。

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アケビは春4月に写真②のように花を咲かせる。
名前の由来は、裂けた「開け実」が転じてアケビになったと言われている。
果肉は甘くて、山の味覚として賞味されたが、果皮のことは、私は何も知らなかったが、干しアケビや塩漬けにしたりするらしい。
山形地方には春の彼岸の決まり料理として干しアケビを食べる習慣があるらしい。
また秋の彼岸には、先祖がアケビの船に乗って来るという言い伝えから仏壇に供え、あとキノコ類を詰めて焼いて食べるという。

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夏に写真③のように緑色の若い実になり、秋になって熟して、果皮は紫色に熟して、果皮が縦に裂けて果肉が見えるようになる。
茎は「木通」モクツウ、果実を「肉袋子」ニクタイシと言うらしい。漢方では生薬として使われるし、蔓は籠などを編み、葉や茎は草木染の染料となる。
俳句にも詠まれているが、カラスなどが食べているのを見て、そこにアケビがあることが判明したりするらしい。
写真④は果皮が裂ける前のアケビの実である。

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以下、俳句に詠まれる句を引いて終りたい。

 鳥飛んでそこに通草のありにけり・・・・・・・・高浜虚子

 むらさきは霜がながれし通草かな・・・・・・・・渡辺水巴

 主人より烏が知れる通草かな・・・・・・・・前田普羅

 垣通草盗られて僧の悲しめる・・・・・・・・高野素十

 通草食む烏の口の赤さかな・・・・・・・・小山白楢

 夕空の一角かつと通草熟れ・・・・・・・・飯田龍太

 滝へ行く山水迅き通草かな・・・・・・・・山口冬男

 採りたての通草を縁にぢかに置く・・・・・・・・辻田克己

 もらひ来し通草のむらさき雨となる・・・・・・・・横山由

 通草垂れ藤の棚にはあらざりし・・・・・・・・富安風生

 何の故ともなく揺るる通草かな・・・・・・・・清崎敏郎

 あけびの実軽しつぶてとして重し・・・・・・・・金子兜太

 通草熟れ消えんばかりに蔓細し・・・・・・・・橋本鶏二

 山の子に秋のはじまる青通草・・・・・・・・後藤比奈夫

 あけびの実親指人差指で喰ふ・・・・・・・・橋本美代子

 通草手に杣の子山の名を知らず・・・・・・・・南部憲吉

 口あけて通草のこぼす国訛・・・・・・・・角川照子

 山姥のさびしと見する通草かな・・・・・・・・川崎展宏

 のぞきたる通草の口や老ごころ・・・・・・・・石田勝彦

 八方に水の落ちゆく通草かな・・・・・・・・大嶽青児

 一つ採りあとみな高き通草かな・・・・・・・・嶋津香雪

 あけび熟る鳥語に山日明るくて・・・・・・・・・福川ゆう子

 あけびなぞとりて遊びて長湯治・・・・・・・・阿久沢きよし




白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ/柔らかな光の陰の白いテントを張った・・・オルダス・ハックスリー
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    白 鳥・・・・・・・・・オルダス・ハックスリー・・・・『レダ』より

      白鳥はその閉じた壮麗な翼をゆっくりとふるわせ

      自分のうえに、柔らかな光の陰の白いテントを張った

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この詩は、ジェイナ・ガライ『シンボル・イメージ小事典』(社会思想社・現代教養文庫、中村凪子訳1994年)に「白鳥」という項目のはじめに載るものである。
原題はJana Garai THE BOOK OF SYMBOLS である。

シンボル事典

この本については先に採り上げた。図版②にその写真を出しておく。
以下、この項目の全文を長いが引用する。
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詩人のシンボルであり、詩人のインスピレーションの源であり、ウェルギリウスとアポロンの魂そのものである白鳥は、美しい姿と優雅な動きが忘れがたい印象を与える。
ウェヌス(ヴィーナス)は水に映った白く柔らかく、ふくよかな自分の体を見て、白鳥を自分の鳥とした。
そこで白鳥は、官能的な裸身を持ち、しかも貞節な処女というイメージで詩にうたわれた。
しかし、白鳥はいま一つ別の意味をもつ。
水にさしのばされる力強く長い首は男性としての意図をもつものとされ、両性を表わす二重の意味をもつことによって、白鳥は満たされた欲望を象徴するようになった。
この不思議な両性具有という相反する二つの性質のゆえに、白鳥は神話のなかではもっとも深い尊敬の念をもって扱われ、また呪術的な意味をもつものとされた。
騎士も、そしてまた処女も、ともに白鳥の羽をまとって変身する。ユピテルは白鳥となってレダのもとへ飛び、ローエングリーンはエルザのもとへ飛ぶのである。
ケルト神話によればケールはある年ケルトの乙女に、次の一年は白鳥に姿を変えて、貴公子アンガスを誘惑する。
瀕死の白鳥が歌うという神秘の歌は、プラトンやアリストテレスさえ信じたが、いま一つ欲望の充足という隠された意味をもち、その欲望は死を代償とするものであった。
王家の紋章、あるいは居酒屋の看板に、竪琴とともに描かれた白鳥をしばしば見るが、これは白鳥の歌についてさらに深い説明を与えている。
竪琴の音は熱情的でもの悲しく、地上の苦しみへの哀歌を奏でる。
情熱的な白鳥はこの切々とした旋律と結びついて、詩人の悲劇的な死や、芸術に身を捧げた人びとのロマンティックな自己犠牲の精神を象徴するのである。
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 ↑ コレッジョの絵 (ベルリン 絵画館)
西洋の絵に見られる「レダ」には必ず白鳥が共に描かれる。
これはギリシア神話に由来するが、上に書かれたことが頭に入っていれば、その絵が象徴する意味が、理解できるというものである。
しかも、それが「両性具有」という深い二重の意味を胚胎している、と知れば、絵画といえども、なおざりには見過ごせない、ということである。

今しも、白鳥が日本に避寒のために飛来しはじめているらしい。越冬地では、しばらく優雅な白鳥の姿が見られるのである。
歳時記に載る白鳥の句も多いので、少し引いて終わる。

 一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす・・・・・・・・・・橋本多佳子

 白鳥といふ一巨花を水に置く・・・・・・・・・・中村草田男

 白鳥見て海猫見て湖に安寝する・・・・・・・・・・角川源義

 亡き妻を呼び白鳥を月に呼ぶ・・・・・・・・・・石原八束

 八雲わけ大白鳥の行方かな・・・・・・・・・・沢木欣一

 霧に白鳥白鳥に霧というべきか・・・・・・・・・・金子兜太

 千里飛び来て白鳥の争へる・・・・・・・・・・津田清子

 白鳥のふとこゑもらす月光裡・・・・・・・・・・きくちつねこ

 写真ほど白鳥真白にはあらず・・・・・・・・・・宇多喜代子

 白鳥のこゑ劫(こう)と啼き空(くう)と啼く・・・・・・・・・・手塚美佐

 白鳥の黒曜の瞳に雪ふれり・・・・・・・・・・鈴木貞雄

 白鳥の野行き山行きせし汚れ・・・・・・・・・・行方克己

 白鳥の大きさ頭上越ゆる時・・・・・・・・・・吉村ひさ志

 白鳥の仮死より起てり吹雪過ぐ・・・・・・・・・・深谷雄大

 白鳥の岸白鳥の匂ひせり・・・・・・・・・・小林貴子

 白鳥の首の嫋やか冒したり・・・・・・・・・・福田葉子

 群青をぬけ白鳥の白きわむ・・・・・・・・・・蔵巨水

 白鳥の頸からませて啼き交す・・・・・・・・・・小谷明子


おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・飯名陽子
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    おもざしの思ひ出だせず貴船菊・・・・・・・・・・・・・・・・・飯名陽子

この花は「秋明菊シュウメイギク」と言うのだが、音数が多いので俳句などでは、掲出句のように「貴船菊キブネギク」と五音で詠まれることが多い。
ただし「菊」と名がついているが、キク科ではなく、キンポウゲ科アネモネ属の植物である。 念のため。
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事典には、次のように載っている。

■シュウメイギク キンポウゲ科アネモネ属
学名:Anemone hupehensis var. japonica(=Anemone japonica)
 別名:キセンギク(貴船菊),キブネギク(貴船菊)
 花期:秋

白く見えるのは花ではなく,萼です。花(萼)が散った後,黄色くて丸いものが残っているのもおもしろいです。葉は根本に大きいのがあり,花をつける茎には小さな葉しかありません。

中国と日本の本州、四国、九州に分布します。日本のものは古い時代に中国から渡来したという説が有力になっています。
大型の多年草で高さ0.5~1.0mになり、9~10月頃に咲くので秋明菊といいます。また、京都市北部の貴船に多く見られることから貴船菊(キセンギク・キブネギク)の別名があります。
花は紅色の八重咲で5~7cm位です。

1844年にフォーチュンにより、中国の上海からイギリスに送られ、1847年にアネモネ・ビィティフォリア(ネパール原産で30~90cmの多年草。白花、ピンク花等があり、シュウメイギクに似ている)と交配され、多くの園芸品種ができました。日本ではその後、一重で白花、ピンク花が知られていました。しばらくこの3種類(八重・紅色、一重・白、ピンク)しか栽培されていなかったのですが、近年、ピンクの矯性品種や、濃紅一重、白八重など、徐々に増えてきています。
また、この仲間(アネモネ属)は、花びらに見えるものは花びらではなく、萼片が花弁状になったもので花弁はありません。
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俳句にも詠まれていると思ったが、歳時記にも、少ししか載っていない。

 露霜にしうねき深し貴船菊・・・・・・・・・・・・我里

 菊の香や垣の裾にも貴船菊・・・・・・・・・・・・水原秋桜子

 観音の影のさまなる貴船菊・・・・・・・・・・・・阿部みどり女

 貴船菊一茎活けし直指庵・・・・・・・・・・・・右城暮石

 貴船菊活けて鏡にみどり差す・・・・・・・・・・・・岡本差知子

 山水を厨に引くや貴船菊・・・・・・・・・・・・坂巻純子

 寺の田も水を落とせり貴船菊・・・・・・・・・・・・大岳水一路

 こと艸にまじりてのびし貴船菊・・・・・・・・・・・・山本竹兜

 水をゆく真白なる雲貴船菊・・・・・・・・・・・・竹下白陽

 夕月に細き首のべ貴船菊・・・・・・・・・・・・関木瓜

 秋明菊カレーを食べし息に触れ・・・・・・・・・・・・大林清子
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「秋明菊」ということで掲出句を選びはじめたが、「キブネキク」という5音が俳句作りには適しているので、圧倒的に「貴船菊」の例句が多いので、ご了承を。


草むらにみせばやふかく生ひにけり大きな月ののぼるゆふぐれ・・・木村草弥
misebaya4ミセバヤ紅葉

   草むらにみせばやふかく生(お)ひにけり
     大きな月ののぼるゆふぐれ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

今日は「紅葉」を採り上げることにする。
写真①は「みせばや」の紅葉である。ミセバヤは別名を「玉の緒」とも言う。この細かい、丸い葉が薄紅色に紅葉する様子は、あでやかなものである。
「ミセバヤ」については2009/10/06に載せたので参照されたい。

いよいよ11月も終わりになって、いろんな木や草が紅葉の季節を迎える。
写真②は「夏椿」の紅葉である。
natutubaki6夏椿紅葉

ナツツバキというのは「沙羅の木」として梅雨の頃に禅寺などの庭で「落花」を観賞する会が行われる木であるが、もみじの季節には、また美しい紅葉が見られるのである。
緑の季節には落花に儚さを感じ、紅葉の季節には、くれないの葉の散るのを見て、人の世の無常に涙する、という寸法である。
「夏椿」については2009/06/20に載せたので参照されたい。

①と②に、平常は余り見ることの少ない草と木の紅葉を出してみた。
いかがだろうか。
写真③は普通の「カエデモミジ」の紅葉である。
aaookaede01カエデモミジ

「紅葉」は、また「黄葉」「黄落」とも書く。
京都は紅葉の季節は一年中で一番入洛客の多い時期だが、今年は秋が急速らやってきて、冷たい日々があり、紅葉も順調なようである。

以下、紅葉を詠んだ句を引いて終りたい。

 山門に赫つと日浮ぶ紅葉かな・・・・・・・・飯田蛇笏

 障子しめて四方の紅葉を感じをり・・・・・・・・星野立子

 夜の紅葉沼に燃ゆると湯を落す・・・・・・・・角川源義

 紅葉に来文士は文を以て讃へ・・・・・・・・阿波野青畝

 近づけば紅葉の艶の身に移る・・・・・・・・沢木欣一

 紅葉敷く岩道火伏神のみち・・・・・・・・平畑静塔

 すさまじき真闇となりぬ紅葉山・・・・・・・・鷲谷七菜子

 やや傾ぐイエスの冠も紅葉す・・・・・・・・有馬朗人

 恋ともちがふ紅葉の岸をともにして・・・・・・・・飯島晴子

 城あれば戦がありぬ蔦紅葉・・・・・・・・有馬朗人

 天辺に蔦行きつけず紅葉せり・・・・・・・・福田甲子雄

 黄葉はげし乏しき銭を費ひをり・・・・・・・・石田波郷

 黄葉樹林に仲間葬りて鴉鳴く・・・・・・・・・金子兜太

 へくそかづらと言はず廃園みな黄葉・・・・・・・・福田蓼汀

 黄落や或る悲しみの受話器置く・・・・・・・・平畑静塔

 黄落の真只中に逢ひえたり・・・・・・・・・小林康治

 黄落や臍美しき観世音・・・・・・・・堀古蝶

 ゆりの木は地を頌め讃へ黄落す・・・・・・・・山田みづえ

 黄落やいつも短きドイツの雨・・・・・・・・大峯あきら



月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十二回・・・・木村草弥
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──月刊「茶の間」連載──(12)

   月刊「茶の間」連載「木村草弥の四季のうた」第十二回・・・・・・・・・木村草弥

    ひととせを描ける艶(ゑん)の花画集ポインセチアで終りとなりぬ

 秋の期間、茶の木はたっぷりと秋肥(あきこえ)を与えられて、十二月の今は冬眠に入っている。
だから今月は茶からは離れて季節を詠んだ歌を採り上げようと思う。
 今の時期は花の彩りに欠ける。
そんな中にあって鮮やかな緋色を 見せつけるのがポインセチアだ。
最近は品種改良されてマーブル模様のものなどがあるが、私は緋色が好きである。

   黄落(こうらく)を振り返りみる野のたひら 野はゆく年の影曳くばかり

   野仏の翳(かげ)れば野には何もなくすとんと冬陽落ちてゆきたり


 黄落とは紅葉(こうよう)の別名である。歌の場面では平素は使わないような単語を使って趣向を凝らす。
 古い歴史を有する山城の地にはあちこちに石の野仏が見られ、動乱や戦に巻き込まれた人々の鎮魂の祈りが偲ばれるのである。
今では開発が進み変貌著しい当地だが古(いにしえ)人の情感を想起したい。

   雷鳴が記憶をつんざく夜明けにてまほろばの紙となりたる冬蝶

 冬の夜明けなどに突然、雷が鳴ったりする。これを「寒雷」と呼ぶが、れっきとした俳句の季語だ。
冬の間にいつの間にか家の隅などに蝶が越冬しているのが見られる。
紙のように静止して、じっと耐える蝶の姿は何ともいじらしいものである。

   垢じみたこころ洗ひたし 冴えわたる極月(ごくげつ)の夜に月の利鎌(とかま)だ

   振り返ることのむなしさ腰下ろす石の冷えより冬に入りゆく


 長い年月を生きて来ると心が垢じみてくる気がするものだ。そんな心境を詠んでみた。
 
一年間の連載のページを与えていただき、拙い歌と文章にお付き合い有難うございました。
 読者の皆様の健康と幸運をお祈りしてペンを置く。            

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一年間の連載が終わって、ほっとした気分と、一抹の寂しさも覚える。
それにしても、担当者がネットを調べ、アマゾンから私の歌集を買い求めて、拙宅を訪ねて来られたのは昨年の晩秋のことであった。
これらの営為に対して有難く御礼を申しあげたい。
この雑誌は、当地だけではなく、定期購読者など広く読まれているもので公称発行部数は40万部だと言われている。
その上に、一回の執筆料として15000円も戴ける。
短歌雑誌と比べると破格の高さである。 このことにも厚く御礼申し上げたい。
私のブログの読者の皆様も、お付き合いいただき有難うございました。
いよいよ十二月─師走である。 向寒の折から御身ご自愛くださるようお祈り申し上げる。   (完)




        
やはらかき身を月光の中に容れ・・・桂信子
450-20051109115426129満月

    やはらかき身を月光の中に容れ・・・・・・・・・・・・桂信子

秋は月が美しい。空気が澄んでいるからである。
今日は「望月」つまり満月なので、「月光」の句を採り上げる。 

桂信子は、大正3年大阪市生まれの俳人。
以前にも採り上げたことがあるが、結婚して2年にして夫と死別。
女盛りの肉体の「いとおしさ」「わりなさ」が「やはらかき」の一語にこもっているようだ。
澄んだ光をまるで大きな器のように溢れさせている秋の月。
その中に歩み入る成熟したひとりの女性。孤独感を根にして、みずみずしい心と体の揺らぐ思いを詠みすえている。『月光抄』昭和24年刊所収。2004/12/16死去。行年90歳。

以前にも採り上げた句と重複するかも知れないが桂信子の句を少し引く。

   ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ

   クリスマス妻のかなしみいつしか持ち

   閂(かんぬき)をかけて見返る虫の闇

   ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜

   ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

   衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く

   窓の雪女体にて湯をあふれしむ

   ゑんどうむき人妻の悲喜いまはなし

   ひとり臥てちちろと闇をおなじうす

   暖炉ぬくし何を言ひ出すかも知れぬ

   虫しげし四十とならば結城着む

   寒鮒の一夜の生に水にごる

   さくら散り水に遊べる指五本

   きさらぎをぬけて弥生へものの影

   忘年や身ほとりのものすべて塵

   地の底の燃ゆるを思へ去年今年


しら露も夢もこのよもまぼろしもたとへていへば久しかりけり・・・和泉式部
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izumi和泉式部画探幽

──和泉式部<恋>のうた鑑賞──四題

   ■しら露も夢もこのよもまぼろしも
     たとへていへば久しかりけり・・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部


今回は、和泉式部の<恋>の歌を四つ採り上げる。
はじめの歌は、前書に「露ばかりあひそめたる男のもとへ」とある。
ある男と一夜を共にした。しかし実に短い逢瀬だった。
それに比べると「白露」も「夢」も「現世」も「幻」も、すべてなお久しいものに思えるという。
白露以下すべて「はかない」瞬時の譬えである。それさえも「たとへていへば」久しく思われるほど、夢のごとくに過ぎた情事だったのだ。
「たとへていへば」という表現は平安朝とも思えぬ大胆な言い回しで、男の歌人でもこれほどの斬新な用法はなし得なかった。
相手に贈った歌で、文語の中に突然として口語を入れたような表現だが、これがぴたっと決まっている。天性の詩人の作である。

     ■黒髪の乱れも知らず打伏せば先づ掻き遺りし人ぞ恋しき・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「浮かれ女(め)」とまで戯れに呼ばれたほどの和泉式部は、また人一倍悲しみの深さを知っていた女でもあった。
激しい情事のあとの一情景を思い出して詠ったと思われる、この歌でも、相手がすでに儚くなっている人だけに、移ろう時間の無惨さが一層鮮烈だ。
足かけ五年ほど続いた年下の恋人・敦道親王の死を悲しんで詠んだ挽歌の中の一首で、黒髪の乱れも知らず打ち伏していると、いとしげに髪の毛を掻きやってくれたあの亡き人と生きて、肌身に接していた折の濃密な感覚、そして時間が、永遠に失われてしまったことへの痛恨を詠っている。
表現の率直さが、そのまま詩美を生んでいる。

     ■とことはにあはれあはれはつくすとも心にかなふものかいのちは・・・・・・・・・・・・・和泉式部

平安女流歌人の中でも随一の天性の「うたびと」であった和泉式部は、なかんずく恋のうたびとであった。
恋の「あわれ」をこの人ほど徹底して生き、かつ歌った人は稀だろう。
その人にして、こういう歌があった。
これは、男からたまには「あはれ」と言って下さい、その一言に命をかけています、と言ってきたのに答えた歌。
恋のあわれとあなたは言うが、かりにあわれを永久に尽してみても、限りある人間の身で、この心の無限の渇きを癒すことなど出来るのでしょうか。心はついに満たされはしないのです、というのである。
情熱家は反面、驚くほど醒めた人生研究家でもあった。

     ■つれづれに空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに・・・・・・・・・・・・・・・和泉式部

「つれづれに空ぞ見らるる」は何も手につかず、恋の想いが鬱屈して、ふと気がつけば空を見ているといった状態。
特定の相手が今はいないということかも知れないが、また相手がいても少しも自分のもとへは訪れては来てくれない日々の憂鬱というものも、当時は男性の「通い婚」という結婚形態では、しばしばあった。
平安女流文芸に最も一般的な恋の想いも、そこにあったとさえ言える。
和泉式部は恋多き女性だったから、そういう気分も、またよく知っていたのである。
彼女の恋愛と、そこから生じる思想には、散文には盛り切れぬ濃厚な気分の反映があった。

「和泉式部」については、10/1付けのBLOGで詳しく書いたので、参照してもらいたい。

なお、これらの歌は『和泉式部集』『後拾遺集』『和泉式部続集』から拾った。
ここに掲げる図版は狩野探幽が百人一首のために描いた「和泉式部」像である。



家毎に柿吊るし干す高木村住み古りにけり夢のごとくに・・・久保田不二子
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     家毎に柿吊るし干す高木村
        住み古りにけり夢のごとくに・・・・・・・・・・・・・久保田不二子


「高木村」は長野県諏訪郡下諏訪町高木。作者の久保田不二子は同地で生まれ、昭和40年79歳で没した。
同じ高木村の久保田家の養子・俊彦、つまりアララギ派歌人の島木赤彦と結婚し、みずからも「アララギ」に参加している。

彼女は本名・ふじの、であり、赤彦(旧姓・塚原俊彦)はもともと彼女の姉・うた、と結婚したのだが、明治35年に死去したため、義妹の「ふじの」と再婚したものである。
赤彦の上京中は一緒に東京に出て暮らしたこともあるが、赤彦は病を得て帰郷、そこで病没した。
彼女は生涯の大部分を、この故郷で過ごすことになる。
「吊るし柿」は初冬の山村の風物詩、その柿がいたる所に吊るされている故郷の村で「住み古りにけり夢のごとくに」と詠んでいる。
「夢のごとくに」というところに、若くして赤彦と死別して79歳まで故郷に生きつづけた感慨が出ている。調べは滑らかだが、思いは深い。
『庭雀』所載。

参考までに赤彦の旧居・「柿蔭山房」 ← のリンクを貼っておくので参照されたい。

私が敬慕する自由律歌人で、同じ下諏訪町にお住まいの光本恵子さんにお聞きしたところ、下記のようなメールをいただいたので転載しておく。 ↓

< 久保田不二子については、先妻(うた)の子である政彦を育て、さらに自分(不二子)と赤彦との間に3男2女を育てた。政彦は1917年に十八歳で死去。
不二子との長男の建彦には、私の夫の垣内敏広が伊那北高校時代に漢文の先生として習ったと言っています。
次男の夏彦さんには私もお目にかかったことがあります。
赤彦は先妻のうたさんのことをあまりに愛していたので、再婚した不二子さんは哀しい思いをされたようですね。
二人で養鶏所をなさっていたころはよかったのでしょうか。
まあ赤彦は大正15年に50歳で亡くなり、不二子さんは昭和40年(1965年)まで長く生きられたので、子供様は教師として、お母様を守ったのでしょうね。
高木は我が家から割と近いです。昔の甲州街道筋にあり、赤彦の暮らした柿蔭山坊は多くの人が今も訪ねます。またお出かけください。私がご案内させて戴きます。 >

島木赤彦については ← を参照されよ。

「吊るし柿」と言っても、さまざまな柿の形がある。写真②は丸い形の柿である。

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私の方の南山城地方の柿は「鶴の子」柿といって大振りでない砲弾形の柿である。
専門的に作る農家では竹や杭で骨組みを立ち上げ、菰などで周りを囲い、風通しは良くした素通しの「柿屋」というものに柿を吊るさずに、藁で編んだ菰や莚の上に平らに並べて干す。
柿を剥く時に、柿の「蔕」(へた)も取り去る。「古老柿」ころ柿と称している。
冷たい風が吹きすぎるようになると、順調に白い粉のふいた干し柿になるが、気候が暖かいと、よい製品が出来ないという。
自家消費の場合は量が限られているので、納屋の窓の外などに「吊るし柿」にして陽にあてることが多い。
以下、吊るし柿を詠んだ句を引いて終りにしたい。

 吊し柿すだれなしつつ窓を占む・・・・・・・・和知清

 吊し柿作りて老婆いつまで生く・・・・・・・・長井哀耳

 干柿を軒に奥美濃雪を見ず・・・・・・・・塩谷小鵜

 甘柿の粉を吹く風の北となる・・・・・・・・梅田久子

 軒端より起れる恵那や柿を干す・・・・・・・・大橋桜坡子

 干柿や同じ日向に猫がゐて・・・・・・・・榎本虎山

 夜空より外しきたりぬ吊し柿・・・・・・・・八木林之助

 干柿の緞帳山に対しけり・・・・・・・・百合山羽公


どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・藤野智寿子
d0056382_20162867クヌギの実

      どんぐりの拾へとばかり輝けり・・・・・・・・・・・・・・・・藤野智寿子 
  
団栗ドングリは、本来は櫟クヌギの実のことを指すが、一般的には落ちる木の実を言うようである。
時には樫の実のように「常緑樹」の実も含められるが、せいぜい譲っても、クヌギと同属の落葉樹、コナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワなどまでに留めた方がよいだろう。
掲出写真のように、クヌギの実は丸い。
P1070816-11クヌギ青実
↑ 写真①はクヌギの実の青いものである。実の周りにトゲトゲの萼で包まれている。

写真②は、そのクヌギの新芽である。
ha02クヌギ新芽

雑木林の典型的な木である。昔は、この木でタキギ薪を作った。
今では燃料としての用途はなくなり、コナラなどの木とともに椎茸栽培の「ホダ木」に使われるに過ぎない。
こういう雑木はほぼ十数年のサイクルで伐採され、伐採された株元や落ちたドングリから次の世代が芽を出して、更新して新しい雑木林が出来るという循環になっていたのである。
こういう人の手の加わった人工林を「里山」という。

mizunara582ミズナラ実
↑ 写真③はミズナラの実である。
『和漢三才図会』に「槲(くぬぎ)の木、葉は櫧子(かし)の木に似て、葉深秋に至りて黄ばみ落つ。その実、栗に似て小さく円きゆゑに、俗呼んで団栗と名づく。蔕(へた)に斗ありて、苦渋味悪く食すべからず」とある。

小林一茶の句

     団栗の寝ん寝んころりころりかな

は、その実の可愛らしさを、よくつかんでいる。

konara4コナラ青
↑ 写真④はコナラの青い実である。

いま広葉樹の森が有用でないとかの理由で伐採され、面積が減少しているので、復活させようとドングリ銀行なるものを提唱して団栗を大量に集めて、森を作る運動がおこなわれている。
針葉樹の森は生物の生きる多様な生態系から見て、単純な森で、多様性のある生態系のためには広葉樹の森が必要であると言われている。
常緑樹である樫(かし)の木も広葉樹であり、常緑か落葉かは問わず、広葉樹には違いはないし、樫の木にもドングリは生るのである。
↓ 写真⑤はマテバシイの葉である。この木からも団栗が採れる。
ha03マテバシイ葉
mi02マテバシイ

以下、団栗を詠んだ句を引いて終りたい。

 団栗を掃きこぼし行く箒かな・・・・・・・・高浜虚子

 雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる・・・・・・・・・橋本多佳子

 団栗に八専霽(は)れや山の道・・・・・・・飯田蛇笏

 樫の実の落ちて駆けよる鶏三羽・・・・・・・・村上鬼城

 団栗を混へし木々ぞ城を隠す・・・・・・・・石田波郷

 孤児の癒え近しどんぐり踏みつぶし・・・・・・・・西東三鬼

 団栗の己が落葉に埋れけり・・・・・・・・渡辺水巴

 しののめや団栗の音落ちつくす・・・・・・・・中川宋淵

 どんぐりが乗りていやがる病者の手・・・・・・・・秋元不死男

 抽斗にどんぐり転る机はこぶ・・・・・・・・田川飛旅子

 どんぐりの坂をまろべる風の中・・・・・・・・甲田鐘一路

 どんぐりの頭に落ち心かろくなる・・・・・・・・油布五線

 どんぐりの山に声澄む小家族・・・・・・・・福永耕二

 
草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・桂信子
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      草紅葉ひとのまなざし水に落つ・・・・・・・・・・・・・桂信子

草紅葉クサモミジは野草や低木が初冬になって色鮮やかに色づくことを、こう形容する。特別に「草紅葉」という名の草や木がある訳ではない。
写真①のような鮮やかな場所は、どこにでもあるものではない。オトギリソウ、オカトラノオ、トウダイグサなどは特に美しい。

草紅葉を、古くは「草の錦」と呼んだが、『栞草』には「草木の紅葉を錦にたとへていふなり」とある。
けだし、草紅葉の要約として的確なものである。
そして、その例として

  織り出だす錦とや見ん秋の野にとりどり咲ける花の千種は

という歌を挙げている。霜が降りはじめる晩秋の、冷えびえとした空気を感じさせる季語である。

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秋芳台のように草原と露出した岩石のコントラストが見られる所の草紅葉が趣があって面白い。(写真②③)
この季語は、小さく、地味で目立たない草が紅葉することによって、集団として錦を織り成す様子を表現しているのである。
その結果として、「荒れさびた」感じや「哀れさ」を表すのである。
古来、詩歌にたくさん詠まれてきたが、ここでは明治以降の句を引いておく。

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 猫そこにゐて耳動く草紅葉・・・・・・・・高浜虚子

 くもり日の水あかるさよ草紅葉・・・・・・・・寒川鼠骨

 帰る家あるが淋しき草紅葉・・・・・・・・永井東門居

 草紅葉へくそかつらももみぢせり・・・・・・・・村上鬼城

 大綿を逐うてひとりや草紅葉・・・・・・・・渡辺水巴

 内裏野の名に草紅葉敷けるのみ・・・・・・・・水原秋桜子

 たのしさや草の錦といふ言葉・・・・・・・・星野立子

 草紅葉磐城平へ雲流れ・・・・・・・・大野林火

 絵馬焚いて灰納めたり草紅葉・・・・・・・・吉田冬葉

 白根かなしもみづる草も木もなくて・・・・・・・・村上占魚

 山芋の黄葉慰めなき世なり・・・・・・・・百合山羽公

 鷹の声青天おつる草紅葉・・・・・・・・相馬遷子

 菜洗ひの立ちてよろめく草紅葉・・・・・・・・小野塚鈴

 草もみぢ縹渺としてみるものなし・・・・・・・・杉山岳陽

 酒浴びて死すこの墓の草紅葉・・・・・・・・古館曹人

 吾が影を踏めばつめたし草紅葉・・・・・・・・角川源義

 良寛の辿りし峠草紅葉・・・・・・・・沢木欣一

 屈み寄るほどの照りなり草紅葉・・・・・・・・及川貞

 学童の会釈優しく草紅葉・・・・・・・・杉田久女

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2008年初夏に旅した「能取湖畔のサンゴ草の紅葉」 ← も有名なところなので、ここにリンクに貼っておく。

熱き血のなほ潜みゐむ現身のうすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・木村草弥
p2_ra乳房

   熱き血のなほ潜みゐむ現身(うつしみ)の
     うすぎぬ剥ぎて垂乳さぐりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』((角川書店)に載るものである。
この歌は、亡妻がまだ元気であったときの思い出の作品であり、今となっては記念碑的なものであり愛着がある。

日本文学では、古来、乳房のことを、私の歌のように「垂乳」(たりち)と表現する。
散文的には「胸乳」(むなち)と言うこともあるが、私は「垂乳」の方が好きである。これは加齢によって「垂れてきた」乳房の意味ではないので、ご留意を。
「たらちねの母」という表現がある。これは母という言葉にかかる「たらちねの」という「枕詞」(まくらことば)であり、これは漢字で書くと「垂乳根」となり、乳房のことから転化して、母または親を修飾する「枕詞」になったものである。
近代短歌の頃には、枕詞なんて古臭いなどと言われたときもあったが、現代短歌では歌に深みを増すために最近は枕詞の使用が見直されてきているのである。
以下、百科事典に載る記事を転載して、お茶を濁したい。
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 乳房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

人間の乳房(にゅうぼう、ちぶさ)は、多くの哺乳類のメスに存在する、皮膚の一部がなだらかに隆起しているようにみえる器官で、その内部には、乳汁(母乳、乳)を分泌する機能を持つ外分泌腺の乳腺(にゅうせん)が存在する。幼児語ではおっぱいとも呼ばれる。

乳房の表面には、乳汁が外部に分泌される開口部を含む乳頭(にゅうとう)が存在する。哺乳類では、産まれてから一定期間の間の乳児は乳汁を主たる栄養源として与えられ、生育する。哺乳類の名前は、ここから来ている。オスの乳房、乳腺はその生産機能と分泌の機能を持たないため通常、痕跡的である。

哺乳類でもあるヒトの乳房は、通常は胸部前面に左右1対にて存在する。地球上に人類が誕生して以来、ヒトの乳房の存在意義は、出産後母乳を分泌し、乳児を育てることであるが、文明が発達した現代においては、母乳を代替品の粉ミルクにより置き換えることも可能ではあるが、医学的に考察すれば その与えられた免疫機能の重要性は極めて高く、代替品では近似してはいても、その本来の成分には遠く及ばない。免疫の極めて低い状態で出生する新生児に確実に免疫を獲得させる目的からも、母乳が勧められる。 また、ヒトの乳房は、乳首をはじめ刺激を受けると性的興奮を得やすい。

乳房の構造
乳房の構造乳房の表面は皮膚で覆われる。ヒトの女性では、通常は胸部の大胸筋の表面の胸筋筋膜上に左右1対が存在し、およその位置は、上下が第3肋間~第7肋間、左右は胸骨と腋窩の間である。乳房は第一次性徴期は性差がなく男児と同じ(第1段階)であるが、第二次性徴期に脂肪組織が蓄積する(特に脂肪組織が蓄積するのは第2段階第3段階の間)。乳房の脂肪組織の形は人種差や個人差が非常に大きい。高齢者になると乳房の中身が徐々に衰退するため乳房が徐々に下垂する。

乳房の内容は、その容積の9割は脂肪で、1割が乳腺である。乳腺は、乳房一つあたり15~25個の塊として存在し、乳頭の周囲に放射状に並ぶ。それぞれの塊を葉(よう)と呼ぶ。それぞれの乳腺の葉からは乳管が乳頭まで続き、乳腺より機能し分泌された乳は、乳管、乳頭を通して体外へ出る。乳房組織の脂肪組織は乳の生産には全く関係しない。

乳房の成長
Tannerの分類によれば、両性において共通するのが第1段階である。その後、女性は第2・3・4段階の課程を経、第5段階において女性成人型に変化する。また、男性は第1段階を維持し、男性成人型になる。

女性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第2段階 乳輪下に脂肪組織が蓄積し始める。乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化。(定義上では、ここから思春期)
第3段階 脂肪組織が蓄積し外見差が出てくる
第4段階 乳輪が隆起し、ほぼ成人型になる
第5段階 女性成人型となる
男性
第1段階 第一次性徴期(第一次性徴は性別差なし)
第1段階 乳頭、乳輪(乳暈)が広くなり、乳首・乳輪の色が変化し、男性成人型となる。

乳汁の分泌とその調節
乳児に母乳を与える様子血液を原料に乳を作る。乳房組織の脂肪は乳の生産自体には関係がないため、その大きさと母乳の量・質には因果関係はない。乳(ちち)は、乳汁(にゅうじゅう)ともいい、ヒトや動物のうち哺乳類が幼児に栄養を与えて育てるために母体が作りだす分泌液で、乳房組織で作られ乳首から体外に出てくる。乳房組織は血液の赤みをフィルターして乳にする。出産直後に母体から出る乳は初乳と呼ばれ、幼児の免疫上重要な核酸などの成分が含まれている。

どんな哺乳類も本来子供を出産した後、数ヵ月から数年の哺乳期間だけ母体は乳を作り出す。タバコの喫煙習慣のある女性は脂肪組織に蓄えられたダイオキシンなどの極めて毒性の高い物質が母乳に混じり、排出される。

平時は母乳は決して出ないが、妊娠・分娩後には脳下垂体から泌乳刺激ホルモン(プロラクチン)、オキシトシンが分泌され、このときだけは母乳が生産されるようになる。まれにホルモン異常などの疾患により、妊娠しなくとも母乳が出る場合がある。稀に、男性から出ることもある。

他の哺乳類の乳房
仔豚に母乳を与える豚哺乳類の乳腺の発達する部位は、左右対称に前足の腋の下から後ろ足の間、恥骨に続く乳腺堤と呼ばれる弓状の線上にある。この上の発達部位の中で、それぞれ哺乳類の種によって、特定のいくつかが発達する。前の方が発達する場合、子供は前足の腋の下に口を突っ込むことになるし、後ろが発達すれば、腹部下面に乳房が並ぶことになる。

一般的に多産の動物ほど乳房の数は多く、牛は4つ、犬は8つ、豚は14個存在する。乳頭と子が産直後に固定されるものもある。

なお、ヒトにおいても極く稀に本来の発達部位より前(主に脇の下の部分に生じるが、同様に乳腺堤上にあたる腹部の左右から股関節にかけての部位に生じる場合もある)に1対(複数発生例もあり、最大で9対生じる事もあるという)の乳頭を持つ例があり、「副乳」と称される。稀に膨らむ場合もあるが、ほとんどの場合が発達せずホクロのように見える。これは現在、哺乳類でもある人類の、地球上での出現・進化と深く関連していると推測されている。

社会的存在 
一方、女性特有の器官である乳房の大小は、1970年代以降より女性の身体的魅力の一要因とされており、現代においては関心も高い(関連を参照)。
また、大小にかかわらず、均整の取れた美しい乳房を美乳と呼ぶ。



吾が贈りし口紅それは夢の色ほの明りつつ唇に映ゆ・・・木村草弥
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   吾が贈りし口紅それは夢の色
      ほの明りつつ唇に映ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「化粧」の一連の歌を採り上げたので載せておく。

亡妻は国産のものでは資生堂の化粧品を使っていたようだが、私が海外旅行の土産として買って帰った「シャネル」の製品も、よく常用していた。
香水やオーデコロンなどは「シャネル」の5番を愛用していた。マリリン・モンローがネグリジェ代わりに身につけて寝たというものである。
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以下に百科事典に載る記事を転載しておく。

 口紅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

口紅(くちべに、lipstick)とは、人が顔に着彩する目的で唇に塗るために使われる化粧品の一種である。

一般的に、ベニバナを原料とし、ワックスや顔料を溶かして型に入れ固めて作られるが、製品としての口紅にはこれらのほかにも色素、界面活性剤、酸化防止剤、香料など多数の成分が含まれる。

なお、口紅の訳語としてしばしば使われる「ルージュ(rouge)」とは、フランス語で赤という意味である。しかし、昨今では赤色でない口紅も存在するようになり、オレンジ系・ピンク系・ベージュ系など様々な色味に大別される。 唇に質感だけを加える半透明なグロスと呼ばれる物もある。

形状はスティック状の物が一般的で、フタをとり直接あるいは一旦口紅用の筆(リップブラシともいう)に取って唇に塗布する。スティック状でないものは直接唇には塗りにくいので、筆に取って塗布する。

なお、英語では「リップスティック(lipstick)」といい、略して「リップ」と呼ぶことがある。しかし、日本ではそのように略すと口紅より、主に唇の乾燥を防ぐために用いられる薬用リップクリームを連想させる。業界では、両方扱っているメーカーが多いために、この2つは使い分ける傾向にある。

歴史
約、7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが、始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、約、紀元前3000年の頃のエジプト人が使用されたと思われる口紅が発見され、約紀元前1200年頃のエジプトで、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている。

効果
現代において、化粧のうちでも重要な要素とされ、色、質感などが重要である。光沢も重要であり、光彩を放つパールやラメが混入されていることがある。
保湿機能などが付加され、冬期の乾燥した環境に使用できる製品も開発されている。
夏期には紫外線防止効果のあるものも選ばれる。

口紅にまつわるエピソード
男性が女性に口紅を贈る場合に、「少しづつ取り戻したい」などという気障な言葉が添えられることがある。
本来の意図と反して、ワイシャツなどに付着した口紅は、浮気の証左としての痕跡とされるが、満員電車などで意図せずにつく場合もある。
食器などに付着すると、成分の関係で落ちにくい汚れとなる。最近では付着しにくいものも多い。
口紅を塗る動作そのものを「紅を引く(べにをひく)」と表現することがある。
かつて春先の化粧品のキャンペーンやプロモーションの中心商品といえば、口紅であった。
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掲出の私の歌だが「口紅それは夢の色」なんて、甘ったるい表現で、今となっては冷や汗ものだが、これも亡妻の元気なときの仲のいい夫婦の一点景として大目に見てもらいたい。


べに刷きてブラシにはつか残れるを目元にも刷く汝の朝化粧・・・木村草弥
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   べに刷きてブラシにはつか残れるを
     目元にも刷く汝(な)の朝化粧(けはひ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
私は男で化粧には弱いし、また、お化粧の仕方も時代とともに変遷するので、詳しいことは判らない。

以下に事典に載る記事を転載しておく。
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写真は化粧品会社のコマーシャルのサイトから

 化粧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

化粧(けしょう)とは、主に顔や体に白粉や口紅などの化粧品をつけて、人間が美しく粧うこと。祭礼など儀式の化粧や舞台用の化粧もある。メイクアップ、メイキャップ、メイクともいう。

古代
口や耳などの穴から悪魔などが進入するのを防ぐために、赤色の物体を顔面に塗りつけるという、約7万年前に行われていた習慣が始まりだと推測されている。このことは、出土した当時の人骨の口に付着していた赤色の顔料の痕跡から判明した。また、紀元前1200年代頃のエジプトでは、人々が目や唇に化粧を施している絵画も見つかっている。ツタンカーメンの黄金のマスクを例にとると、目の周囲にアイラインを施していることが見てとれる。当時のアイラインの原料は、紺色の鉱石であるラピスラズリであり、それを微細な粉にして液体に溶かして使用していた。現在でも中近東地域ではこのようなアイラインを日常に行っている。

中世ヨーロッパでは、顔に蜜蝋を塗り、その上に白粉を叩くという化粧方法が流行した。この化粧のはじまりはイギリスの女王エリザベス1世とされ、戴冠式などの教会の儀式で聖性を高める目的で行われた。また、貴族達もそれに倣うようになった。
この化粧の問題点は蝋が溶け、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったことである。
当時の白粉は白鉛などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる(鉛中毒)。これを誤魔化すために、付けボクロが一時期貴族の間で流行した。

日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。
口紅は紅花を原料にしたものが使われていたが、極めて高価な品とされていた。また、江戸時代にはメタリックグリーンのツヤを持った口紅「笹色紅」が江戸や京都などの都会の女性に流行した。
日本の白粉は液状の水白粉であり、西洋と同じく主な成分に鉛を含んでいた。長期的な使用者には「鉛中毒」による死亡が多くみられ、戦後に規制されてからも、このような死者は後を絶たなかったといわれている。

舞台用
舞台で演技を行なう者は、通常より濃い化粧を行なう。目・眉・口などの顔のパーツや、鼻筋や頬など顔の陰影を強調し、離れた観客にも表情などが判りやすいよう、工夫がされている。また歌舞伎や京劇などでは「隈取」と呼ばれる独特の化粧を施す。表情や感情を伝える目的というだけでなく、隈取の種類によって役どころ(二枚目・悪役・娘役など)を見分ける一助としての役割を果たしている。
テレビ用
テレビ、特にCMやドラマなどでは、通常以上に顔の皮膚がアップで映るため、特にファンデーションやその下地に重点を置いた化粧がなされる。

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↑ 写真は「アカバナユウゲショウ」という花である。野草のように、どこにでも生えている花である。

私は先に2009/08/11に「化粧」について下記のような記事を載せたので、再掲しておく。

   私は化粧する女が好きだ
     虚構によって切り抜けるエネルギー・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この詩は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)に載せた「化粧」と題する一連の中の一行である。ただしWeb上では、ご覧いただけない。
以下、この一連を引いておく。

    化 粧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー

   虚構を持たない女なんて退屈な家政婦にしか過ぎない

   お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕

   化粧はエロチックだ 女のナルシスムと決めつけてはいけない

   化粧する女は淋しがりやだ。化粧なしの素肌では不安なのだ

   素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか

   化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相

   女の体はお城である、中に一人の甘えん坊の少女がかくれている

   女の体はお城である、中に一人のセックス上手が住みついている

   旅をする 風変りなドレスを着てみる 寝てみる 腋の下を匂わせる女

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「化粧」を「虚構」と把握するのは、詩の上ならばこその表現である。詩の場合には、こういう極端な飛躍した物言いを、よくする。それが「非日常」ということである。

この一連を発表したとき、今はもう亡くなった人だが、関西に住む或る女性歌人から女性差別の思想だと、あらぬ攻撃を受けたことがある。
この一連の、どこに「女性差別」の思想があるというのだろうか。的外れもいいところである。
その人も、その後、言いすぎたと思ったのか、的外れの指摘だったと思ったのだろう。
一緒にお酒を飲みたい、などと手紙が来たが、私は深く傷ついたので、以後、絶交した。
詩の判らない人である。


 

東義久『山城国一揆』 『木津川を泳いだ大仏』 『春咲き川』・・・木村草弥
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 ↑ 1991/10/25 文理閣 第一刷
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 ↑ 2006/06/10 文理閣 第一刷
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 ↑ 2003/08/10文理閣 第一刷

──新・読書ノート──

    東義久『山城国一揆』 『木津川を泳いだ大仏』 『春咲き川』・・・・・・・・・木村草弥

東義久氏の既刊の本をアマゾンの古書で求めたが、ほぼ新本のものである。

先ず『山城国一揆』は大部のもので一ページに二段組み、小さな活字で、ぎっしりと組んである。
第一部
修羅の巷
野に生きる
風雲山城
国一揆に燃ゆ

第二部
怒りの大地
国創りの譜
きらめく野の草

第三部
苦しみの大地
決戦前夜
稲屋妻城孤立無援
燃える砦

膨大な小説を簡単に要約できる力は私にはない。
主な登場人物である「多賀弥助」 「結城」 「定円」 「重蔵」などのイラストが載っていて息抜きになる。
この「山城国一揆」については郷土史家の中津川保一、敬朗氏父子などが取り組んで来られた。歴史学者・門脇禎二氏なども関わっておられる。
それらの人々に示唆を受けながら、この本が書かれたようである。
小説であるから、合戦などの場面での描写にも臨場感がある。
国一揆の成立と、その瓦解が描かれるが、私には読み解け得ない分野であることをお詫びしたい。
最後の「燃える砦」の部分の描写は、こんな具合である。

<明応二年九月十日午前、それまで不気味なほど静まりかえっていた森から、木々の葉を大きく揺るがして数羽の山鳩が逃げるように飛び立った。
引き続き、エイエイオーッ、との掛け声が城を取り囲む森のあちこちで挙がった。
そして、地を揺るがすような不気味な法螺がなり響いた。>

「奈嶋の五兵衛」「多賀弥助」なる人物が登場するので、私の住む土地のことでもあり、親近感を持って読んでみたい。

もう二十数年前、三十年近くも前の本であるから、著者の東義久氏も、まだ若かった。
これだけの大部の小説を書かれた精力に敬意を表したい。 ゆっくり読ませていただく。
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木津川を泳いだ大仏
この小説は「季刊みみ」99号から106号に掲載されたものという。
この本は『元禄村方日記 南山城「上田氏日記」を読む』(奥田修三著)を読んだことから想を得て書かれた、という。
「あとがき」で著者はいう。
<ぼくは元禄時代の山城の寺田村辺りを舞台に、男と女の物語を創ってみたくなった。
それは、哀しい男と女の古い恋の物語であり、木津川畔に立つ機会があれば思い出してもらえば幸いである。>

     奈良の奈良の大仏さん
     大きな体で
     この世のなげきを
     受けとめてござる

     奈良の奈良の大仏さん
     尊い生命わ吹き込み育てて
     見守ってござる

     奈良の奈良の大仏さん
     大きな心で
     はかなき人の世
     救うてござる

巻頭に、このようなフレーズが書き留めてある。

一巻は「未練時雨」 「五里五里の里」 「寒梅」 「光る川」 「哀しみの果て」 「お犬様」 「流転の譜」 「大仏が行く」の章分けで進行する。
「未練時雨」は弥兵衛とひさの心中の物語である。
「五里五里の里」は佐七と多佳の話である。

因みに、この話の中で「隣りの久津川村」とあるが、これは現在の地名との誤認である。
「久津川」という名は昔は存在しない。この命名は明治になってから村が出来るときに「久世」「上津屋」「平川」の集落が合併するときに一字づつ字を取って久津川としたものである。
それは私の住む青谷村でも同様で、青谷という地名は存在しない。「奈島」「市辺」「中村」が合併して青谷村になった。山手にある「粟神社」から名前が採られたという。
合併の際には、こういう無難な命名がされることが多い。
久津川にしろ、青谷にしろ、その名前は駅とか小学校とかについているに過ぎないのである。
余計なことを書いた。お詫びいたします。 閑話休題。

佐七と多佳の物語は、後の章にも続いてゆく。
最終章「大仏が行く」では、奈良の南都大仏殿造営の材木が、淀から木津まで上がってくるので川筋から人足を出せ、とのお達しのことが描かれている。
木津川の舟は、下りは流れに乗って下るが、上りは風があるときは「帆かけ」で、風がないときは人足が岸からロープで引いて上がったという。
木津川の廻船業は笠置から淀までで、それから先は淀川が大河なので大きな船、十石舟とかで運営され、廻船問屋の組織も別であった。
私宅は分家だが、本家は廻船業を営んでいたという。明治になって鉄道が開通して、この商売は立ち行かなくなり本家は、どこかへ行って消息不明である。
本家の墓は私宅が、いわゆる供養をしている。また余計な話に逸れた。 閑話休題。

いずれにしても哀しい物語である。
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春咲き川』 は京都の北部を流れ、舞鶴辺りで日本海に注ぐ小川・高野川の物語であり、京都から一時的に移り住んだ少年・憲太と土地の子供の知子、などの交流の物語である。
これは障害児の物語でもあり、ほのぼのとした物語になっていて、心を打つ。
初出は「京都民報」という地域紙だという。

尻すぼみのような形になったが、『春咲き川』については、この辺りにしたい。
東義久氏の作品をまとめて読む機会になり、東氏の小説家としての力量に敬意を表したい。
私などは、息が短くて、小説のような根を詰める作業は出来ない人間である。
だから短い短歌や詩でお茶を濁しているばかりである。有難うございました。

なお余談だが、私たち兄弟の長兄・「木村庄助」太宰治に私淑し、死後、結核の療養日誌が太宰に送られ、それを元にして『パンドラの匣』が書かれたのは公知のことだが、この『パンドラの匣』を終生の仕事としているのが「浅田高明」氏である。
その浅田氏の太宰関係の本は、すべて、ここ「文理閣」から出されている。
そんなことから「文理閣」は私には懐かしい出版社なので、敢えて、ここに書いておきたい。



細見和之『「投壜通信」の詩人たち』─〈詩の危機〉からホロコーストへ・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     細見和之『「投壜通信」の詩人たち』─〈詩の危機〉からホロコーストへ・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・岩波書店2018/03/14刊・・・・・・

細見和之とは、こういう人である。 Wikipedia による。 ↓
細見和之(ほそみ かずゆき、1962年2月27日 – )は、日本の詩人、京都大学教授、大阪文学学校校長、ドイツ思想専攻。

来歴

兵庫県篠山市生まれ。篠山市在住。兵庫県立篠山鳳鳴高等学校、大阪大学文学部卒業、同大学院人間科学研究科博士課程満期退学。2007年「アドルノの場所」で大阪大学から博士(人間科学)。大阪府立大学講師、助教授、教授を経て、2016年4月から京都大学 大学院 人間・環境学研究科 総合人間学部教授。専門はドイツ思想、特にテオドール・アドルノ。

2013年5月より自分の詩に曲を付けはじめるとともに、高校時代のバンド仲間とtheチャンポラパンbandを結成、篠山市を中心に大阪でもライブ活動も行ない、ソロでの展開をふくめて活動を模索している。2014年から大阪文学学校校長兼任。

著書

単著
『沈むプール――詩集』(イオブックス, 1989年)
『バイエルの博物誌』(書肆山田, 1995年)
『アドルノ――非同一性の哲学』(講談社, 1996年)
『アイデンティティ/他者性』(岩波書店, 1999年)
『言葉の岸』(思潮社, 2001年)、第7回中原中也賞候補
『アドルノの場所』(みすず書房, 2004年)
『言葉と記憶』(岩波書店, 2005年)
『ポップミュージックで社会科』(みすず書房, 2005年)
『ホッチキス』(書肆山田, 2007年、第13回中原中也賞候補)
『ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」を読む――言葉と語りえぬもの』(岩波書店, 2009年)
『「戦後」の思想――カントからハーバーマスへ』(白水社, 2009年)、第7回日本独文学会賞
『永山則夫――ある表現者の使命』(河出書房新社, 2010年)
『家族の午後――細見和之詩集』(澪標, 2010年)、第7回三好達治賞受賞
『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』(岩波書店, 2011年)、第3回鮎川信夫賞候補
『闇風呂』(澪標, 2013年)
『フランクフルト学派』(中公新書, 2014年)
『石原吉郎――シベリア抑留詩人の生と詩』(中央公論新社, 2015年)
『「投壜通信」の詩人たち <詩の危機>からホロコーストへ』岩波書店、2018

共編著
(エンゲルベールト・ヨリッセン、小岸昭)『ヨリッセン先生と言葉――出会いからはじまる異文化論』(朝日出版社, 1996年)
(崎山政毅・田崎英明)『歴史とは何か――出来事の声、暴力の記憶』(河出書房新社, 1998年)
(山田兼士共編著『小野十三郎を読む』(思潮社, 2008年)
(山田兼士)『対論 この詩集を読め 2008-2011』(澪標, 2012年)
『対論 この詩集を読め 2 (2012-2015)』山田兼士共編 澪標、2016
『ニーチェをドイツ語で読む』編著(白水社, 2017年)

訳書
アルミン・ツヴァイテ ほか『アメリカ――大恐慌時代の作品』(リブロポート, 1994年)
ショシャナ・フェルマン『声の回帰――映画『ショアー』と「証言」の時代』(太田出版, 1995年)
テオドーア・W・アドルノ『認識論のメタクリティーク――フッサールと現象学的アンチノミーにかんする諸研究』(法政大学出版局, 1995年)
ユルゲン・ハーバーマス ほか『過ぎ去ろうとしない過去――ナチズムとドイツ歴史家論争』(人文書院, 1995年)
エルネスト・ルナン ほか『国民とは何か』(インスクリプト, 1997年)
イルミヤフ・ヨベル『スピノザ異端の系譜』(人文書院, 1998年)
イツハク・カツェネルソン『滅ぼされたユダヤの民の歌』(みすず書房, 1999年)
アドルノ『社会学講義』(作品社, 2001年)
ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』(全5巻、岩波現代文庫、2003年)
カール・マルクス『マルクス・コレクション(6)フランスの内乱、ゴータ綱領批判、時局論(上)、インド・中国論』(筑摩書房, 2005年)
T・W・アドルノ『否定弁証法講義』(作品社, 2007年)
ハンス・ヨーナス『生命の哲学――有機体と自由』(法政大学出版局, 2008年)
(村岡晋一、小須田健)フランツ・ローゼンツヴァイク『救済の星』(みすず書房, 2009年、第12回レッシング翻訳賞受賞)
T・W・アドルノ『哲学のアクチュアリティ』(みすず書房、2011年)
イツハク・カツェネルソン『ワルシャワ・ゲットー詩集』(未知谷、2012年)

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この本はアマゾンで古書として買ったが新品同様のものである。
「初出」は倉橋健一主宰の詩誌「イプリス」「イプリスⅡ」などに載せたものを再編集されたもの。
岩波書店から出すだけあって、極めてアカデミックな難しい本である。
投壜通信とは、どういうことなのか。
投壜通信とは「難破船から海に放たれた瓶詰の手紙」のことだが、19世紀半ばのポーから20世紀後半のツェランまで、ヨーロッパには、この「投壜通信」をモチーフにした詩人たちの系譜があった。
ポー、マラルメ、ヴァレリー、エリオット、カツェネルソン、そしてツェラン──。
「西洋の没落」という嵐のもと、反ユダヤ主義の潮流が渦巻く中、彼らはいかに現実と対峙し、詩作を成したのか、
言語の壁を超えて展開し、西洋近代文学史に新たな補助線を引く画期的論考、と書かれている。
この「投壜通信」というイメージは、カツェネルソンが死の前に、壜に詰めて地中に埋められていた作品、という現実的なものに基づいているのである。

この人は本来はドイツ語から学び始めたらしいが、厳密には中学校以来、英語を学んでいると思われるので英語が最初だろうが、その後にフランス語、イディッシュ語、最近ではヘブライ語を学びはじめたというから驚きである。
私などは選集でパウル・ツェランの詩に膾炙したに過ぎない。
ユダヤ人は頭がいい。そして商売が巧い。学者、芸術家、企業家など西欧の中枢には彼らが居る。

この難解な本を読み解くには腰を据えなければならないが、今は私には、そのゆとりがないので「目次」の項目を記すのみにしたい。
  第一章 エドガー・ポーと美的仮象
  第二章 スタファヌ・マラルメと「絶対の書」
  第三章 ポール・ヴァレリーとドレフュス事件
  第四章 T・S・エリオットと反ユダヤ主義
  第五章 イツハク・カツェネルソンとワロシャワ・ゲットー
  第六章 パウル・ツェランとホロコースト(上)
─「死のフーガ」をめぐって
  第七章 パウル・ツェランとホロコースト(下)
        ─「エングフュールング」をめぐって 

この本を読む上で、このブログの記事が有益なので参照されよ。 → 「tomkings.exblog.jp」


ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・文挟夫佐恵
image1銀杏の実

     ぎんなんのほろほろ熱し嵯峨野ゆく・・・・・・・・・・・・・文挟夫佐恵

銀杏(ぎんなん)の実の採れるシーズンになってきた。
関西では、大阪のメインストリートである御堂筋の街路樹にイチョウの木がたくさん植えられており、茂った枝を刈り込むのに邪魔になるギンナンの実のふるい落としが年中行事として行われるので、例年多くの人が手袋と袋持参で下で待ち構えている。一つの風物詩である。

事典には、次のように書かれている。
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ギンナンは、つややかで半透明の深い緑色、ねちねちした歯ざわり、香ばしい木の香りとほろ苦い野生の味。 都会に住む私たちへの自然からの贈り物です。

鎌倉の鶴岡八幡宮では、有名な大銀杏(おおいちょう)があるせいか、露店で焼きぎんなんを売っています。 アツアツの殻を苦労して割って中身を食べるのは最高ですね。

イチョウの種子。イチョウの木は古生代末期に出現。
今から一億5000万年前のジュラ紀には世界中に大規模な森林を作るほど栄えていましたが、 その後滅んだと欧米では考えられていました。
しかし日本に存在するという事が知られ、 ダーゥインはこれを「活きている化石」と呼びました。
樹皮のコルク質のおかげで害虫や火災にも強いのが特徴です。
コルク質に水を含んでいるので火事になると木から水を噴出すそうで、 大火の時に水を噴出して周りの人を救ったという水噴きイチョウの伝説が日本各地に残っています。
イチョウには雄の木と雌の木があり、10月頃に雌の木に実がなります。 オレンジ色の実の中の硬い殻に守られた胚乳がぎんなんです。

原産は中国。日本全国に植わっています。(ほとんどは人間が植樹したもの)
旬は 10月頃の採れたてから3ヶ月間ぐらいがおいしいです。半年も経つと実が縮み、 黄色くなって弾力も無くなって味が落ちてきます。
調理 ゆでる場合:まず、ペンチなどで殻を割って中身を取り出します。
薄皮が付いたまま、 浅い鍋にヒタヒタの水を入れてゆでながら、玉じゃくしの底で転がすようにして薄皮を剥いていきます。
焼く場合 :軽く殻に割れ目を付けておいて、フライパンで空炒りするかオーブントースターで焼きます。

食べ方 焼いたぎんなんをそのまま食べてもいいし、茶碗蒸しやガンモドキのパーツに欠かせません。
ぎんなんの入っていない茶碗蒸しは、食べる者の期待を裏切りますよね。

秋も深まり、山々が色付く頃、葉っぱが黄色い樹木がイチョウです。
その木の実を【ぎんなん】(銀杏)といって、木には、雄(オス)と雌(メス)があり、雄の木には実がなりません。
街路樹に植えられているところも少なくありませんが、実には独特の強烈なにおいがあるので 雄の木を用いているところが多いようです。
「イチョウの木なのに、何故か実が付かない。」という経験のある方もいると思いますが それは、きっと雄の木だからでしょう。

雄の木と雌の木の違いは、葉に切り込みが入っているのが雄の木で、入っていないのが雌の木だという説や、雄の木の枝は立ち、雌の木の枝は横に広がるという説がありますが、確かなところは分かっていないのが現状のようですので、花や果実で識別するのが良いでしょうね。

街路樹だけではなく、神社の境内とか、結構身近にある木なので、機会がありましたらよ~く観察してみてください。

イチョウの実 を取り出す?!
ぎんなんは、店に売っているような形のまま、木に実ってるわけではありません。
ぢつは、ぎんなんは種なんです!

地面に落ちた実を拾い、バケツのような容器の中で果肉を腐らせてから流水でよく洗い、中の種を取り出します。
(これは匂いがきつく、果肉の油脂が白くかたまり手が荒れる作業、ぎんなん作りでもっともきつい。)

取り出された種は、天気のいい日を選んで天日に干されて何日も何日もかけ、じっくりと乾燥していきます。
(毎日のように空とにらめっこ。晴れたら出して雨が降ったら引っ込めて…。)

仕上げは、居間の薪ストーブの横に広げておいて、最後の乾燥作業を行います。
(部屋の中に、キョーレツなぎんなんの香りが充満するのは、言うまでもありません。
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ginnanギンナン実
↑ 樹になるギンナンの実

ぎんなんは「茶碗蒸し」や「がんもどき」の中に入れたりする。
上の文章にもある通り、ギンナンの実の「果肉」は熟すと、とても臭いし、おまけにウルシかぶれのようなひどい症状を呈するので皮膚にじかに触れるのは危険である。
おいしい実を取り出すのが、ひと苦労である。

折角、嵯峨野の句を出したので、関連する句を少し引いておく。

 薮中にある四辻や嵯峨の秋・・・・・・・・・・・・・・・森桂樹楼

 嵯峨硯(すずり)摺つて時雨の句をとどむ・・・・・・・・・・・・・青木月斗

 残る音の虫や嵯峨野に母を欲り・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

 初紅葉日の斑を踏みし奥嵯峨野・・・・・・・・・・・・・・明石真知子

 お薄所望嵯峨野の茶屋の竹床几・・・・・・・・・・・・・・有木幸子


目覚むれば露光るなりわが庭の露団々の中に死にたし・・・宮柊二
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    目覚むれば露光るなりわが庭の
      露団々の中に死にたし・・・・・・・・・・・・・・・宮柊二


この歌は『忘瓦亭の歌』(1978年刊)に載るものである。
宮柊二とは、こんな人である。

宮 柊二(みや しゅうじ、1912年(大正元年)8月23日 - 1986年(昭和61年)12月11日)は、昭和時代に活躍した歌人。本名は宮肇(はじめ)。妻は同じく歌人の宮英子。

経歴
新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)に書店の長男として生まれる。父は宮保治、俳号を木語といい俳句もやった。
1919年堀之内尋常高等小学校に入学。
1925年旧制長岡中学に入学し、在学中から相馬御風主宰の歌誌「木蔭歌集」に投稿を行っていた。
1930年に卒業後は家業を手伝う。
1932年に上京し東京中野の朝日新聞販売店に住み込みで働き、翌年北原白秋を訪ね、その門下生となり、歌作に磨きをかけた。
1939年日本製鐵入社。途中、兵役に応召し、中国山西省で足掛け5年兵士として過ごす。出征中に第1回多磨賞を受賞するが、授賞式には出られず父が代理出席した。
1946年処女歌集『群鶏』を刊行。
1953年にはコスモス短歌会の代表として、歌誌「コスモス」を創刊する。
1947年、加藤克巳、近藤芳美らと「新歌人集団」を結成。

生涯で13冊の歌集を刊行し、宮中歌会始の他、新聞・雑誌歌壇の選者をする。
1976年に第10回迢空賞を受賞
1977年に日本芸術院賞を受賞。
1979年堀之内町名誉町民の称号を贈られる。
1983年、日本芸術院会員。

一方で病(糖尿病や関節リウマチ、脳梗塞等。召集された時も疾患により一時入院していて、また晩年は、転倒して左大腿骨頸部骨折で手術を受けている)を患い、入退院を繰り返しながら、東京都三鷹市の自宅で急性心不全のため74歳の生涯を閉じる。

門下には島田修二、中西進、奥村晃作、高野公彦、桑原正紀、小島ゆかりなど。


さて、「露」のことである。 今しも明け方には、露がしとどに置いている季節である。

「露」を詠んだ文芸作品としては

     露の世は露の世ながらさりながら・・・・・・・・・・・・・・・小林一茶

という句が何と言っても、ピカ一であろう。
宮柊二の歌を掲出しながらではあるが、小林一茶のことに少し触れてみることを許されよ。

江戸後期の代表的俳諧師の一茶は、信州柏原から15歳の時に江戸に出て、奉公生活にも俳諧修業にも辛酸をなめた。
異母弟との13年にも及ぶ遺産争いが解決し、51歳で帰郷、妻帯した。三男一女を得たが、長男、長女、それに次男と次々に幼くて死に、妻をも失った。
この句は溺愛していた長女・さと が、1歳余で天然痘のため死んだ時のもの。
この世ははかない露の世という。そんなことはよく知っている。
よく知ってはいるが、知っていることが何になろう。くりかえし、くりかえし、私は悲しくてたまらないよ。ということであろうか。
『おらが春』所載だが、「露の世」というフレーズの繰り返しが秀逸であり、かつ痛切である。
「露」の句としては代表的な秀句として、よく知られている。
以下、「露」を詠んだ句を引いておく。

 露今宵生るるものと死ぬものと・・・・・・・・岡本松浜

 芋の露連山影を正うす・・・・・・・・・飯田蛇笏

 蔓踏んで一山の露動きけり・・・・・・・・原石鼎

 露の道高野の僧と共に行く・・・・・・・・池内たけし

 露けさの弥撒のをはりはひざまづく・・・・・・・・水原秋桜子

 落ちかかる葉先の露の大いさよ・・・・・・・・星野立子

 金剛の露ひとつぶや石の上・・・・・・・・川端茅舎

 露燦々胸に手組めり祈るごと・・・・・・・・石田波郷

 露の中つむじ二つを子が戴く・・・・・・・・橋本多佳子

 露の夜の一つのことば待たれけり・・・・・・・・柴田白葉女

 露の戸を敲く風あり草木染・・・・・・・・桂信子

 われもまた露けきもののひとつにて・・・・・・・・・・・・森澄雄

 牛の眼が人を疑ふ露の中・・・・・・・・・・・・福田甲子雄

 骨壷を抱きしこと二度露の山・・・・・・・・・・・・矢島渚男

 露の世の江分利満氏の帽子かな・・・・・・・・・・・・星野石雀

 「母」の字の点をきつちり露けしや・・・・・・・・・・・・片山由美子

 まるきものに乳房心根露の玉・・・・・・・・・・・・鳥居真里子


むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり・・・草間時彦
img_629514_26200550_0ムラサキシキブ実

   むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦

この句に詠まれているのは「ムラサキシキブ」の実のことである。

私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも、秋の花のところに次のような歌がある。

  才媛(さいゑん)になぞらへし木の実ぞ雨ふればむらさきしきぶの紫みだら・・・・・・・・・・・・木村草弥

私宅にもムラサキシキブの小さい株が一つあるが、今年は太い虫(名前不詳だが、揚羽蝶の種類の毛のない毛虫)に、油断していたら、葉がすっかり食べられて、結局、実は一つもつかなかった。
事典を読むと、俗にムラサキシキブと呼ばれているものは正しくは「コムラサキ」というのが多いそうである。白い実のものもあるそうだ。 
ネット上から、下記の文章を載せておく。
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1734450コムラサキシキブ実
↑ コムラサキの実

 ムラサキシキブとコムラサキ
朝から冷たい雨の降る休日は、先日本屋の店先で見つけた毎日新聞社発行の「東京の自然」のページを繰って過ごす一日になりました。 「コムラサキの小さな秋」と題した項には、コムラサキがムラサキシキブと呼ばれることが多く、その名前に混乱があるとあり、千代田区大手町の北の丸公園でも「ムラサキシキブ」と名札を付けられた植物が、コムラサキのようだったと紹介しています。

牧野植物図鑑に「優美な紫色の果実を才媛紫式部の名をかりて美化したものである」
と牧野博士は述べています。 コムラサキは実のつきがが良いことから最近では生け
垣用に多く植えられているようですので、こうした記事を読むと、私達がムラサキシ
キブと称し果実の美しさを愛でているものには意外にコムラサキが多いような気がし
てきました。

   ムラサキシキブ最も早く実を持てど最も早く鳥の食い去る・・・・・・・・・・・・・土屋 文明

以前に発行された「趣味の園芸」11月号(NHK)に「ムラサキシキブとコムラ
サキ」と題して、園芸店でムラサキシキブを買ってきて楽しんでいたらこれは「コ
ムラサキ」だといわれたが、どう違うのかとの問があり答えが載っています。
回答では、園芸店ではコムラサキを通りが良いのでムラサキシキブとして売っている
ようだとの前談から、日本にはムラサキシキブ属(クマツヅラ科)のものには数種が
あり、このうち園芸店では、コムラサキ、ムラサキシキブ、シロシキブ(正確には白
実のコムラサキ)の三種が良く売られていること、そしてわりにコンパクトに仕立て
られて実つきが良く見栄えがするという点でコムラサキに人気があると記してます。
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Callicarpa20japonica20f_20albibacca20m1白式部
 ↑ 「白式部」と呼ばれる白いムラサキシキブ

別の事典には、次のような記載がある。

学名:Callicarpa japonica
 別名:ミムラサキ(実紫),コメゴメ
 花期:夏

 山野に生える落葉低木です。庭などに植えられて「ムラサキシキブ」と呼ばれるのはコムラサキ(小紫)のことが多いと思います。コムラサキに比べて実のつき方がまばらで,素朴な感じです。
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murasakisikibuL3ムラサキシキブ花

写真③はムラサキシキブの花である。6月頃に咲き始める。花言葉は「聡明」。

俳句にも多く詠まれているので引いておく。

 冷たしや式部の名持つ実のむらさき・・・・・・・・・・・・長谷川かな女

 うち綴り紫式部こぼれける・・・・・・・・・・・・後藤夜半

 渡されし紫式部淋しき実・・・・・・・・・・・・星野立子

 うしろ手に一寸(ちよつと)紫式部の実・・・・・・・・・・・・川崎展宏

 胸焦がすほどの詩欲し実むらさき・・・・・・・・・・・・・小沢克己

 地の冷えの色に出でてや実紫・・・・・・・・・・・・林 翔

 実むらさきいよいよものをいはず暮れ・・・・・・・・・・・・菊池一雄

 眼(まなこ)よりこぼれて紫式部かな・・・・・・・・・・・・鈴木鷹夫

 倖あれと友が掌に置く実むらさき・・・・・・・・・・・・石田あき子

 室の津の歌ひ女の哀実むらさき・・・・・・・・・・・・志摩知子

 寺に駕籠寺領にむらさきしきぶかな・・・・・・・・・・・・嶋野国夫

 月光に夜離れはじまる式部の実・・・・・・・・・・・・保坂敏子

 休日は眠るむらさき式部の実・・・・・・・・・・・・津高里永子

 ゆづり合ふ袖摺坂や実むらさき・・・・・・・・・・・・由木まり

 象牙玉小粒かたまり白式部・・・・・・・・・・・・石原栄子



島すなみ詩集『移動の記憶』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      島すなみ詩集『移動の記憶』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・澪標2018/05/01刊・・・・・・・

奥付に載る島すなみ氏の略歴は、こんなものである。
1047年 長崎県(現・西海市)に生まれる
2014年 詩集『ホーム・スイート・ホーム』 (編集工房ノア)

「あとがき」によると、2015年春から2018年春にかけて、大阪文学学校に通いながら書いた詩を集めたもの、だという。

「1968年 佐世保港」という作品がある。
 それは、作者が「無数の離散・移動経験とつなげながら、わたしの今を確認する」作業の継続のためである、いう。
前詩集からの「再録」というのは「針を孕む女たち」という韓国の「従軍慰安婦」の戦場への移動を主題としているという。
ここに改めて引くことはしないが、そのように作者は社会的な事象に敏感なのである。
大阪文学学校の文芸誌「樹林」でも、反戦詩の特集を組んだりしたらしい。
これは、今の若い女性にはない「社会性」として尊重したいものである。
この本を通じて作者が訴えることは、図版でも読むことができると思うが、カバーの「帯」にチューターの高田文月氏が要約していることに尽きると思う。
つまり「移動」というキーワードである。
このことを把握すると、この詩集を読むことが容易であろう。

       おみやげ

   二つ三つ拾って
   リュックに入れた
   林道の松ぼっくりや
   浜辺の貝殻のよう

   旅の土産に気安く
   持って帰れるものではない
   那覇空港の手荷物X線検査で
   あえなく引っかかる

   「お客様
   これは機内には持ち込めません
   どちらで手に入れたものですか?」
   わたしは笑顔をつくり
   「山道で拾いました
   ネックレスにでもしようと思って」
   手荷物検査スタッフは真顔
   「そんなふうに加工できたら
   よかったのですが」

   標的の村に張りめぐらされた
   立ち入り禁止のフェンスの外側
   無造作に散乱していた
   カラ薬莢

   後始末なんて
   どこ吹く風!

   実弾ではないが
   持ち込み禁止の危険物
   大量に生産消費され
   再利用不可能
----------------------------------------------------------------------
この詩は、作者が持ち込もうとしたのではなく、そういう風潮を見聞して「批判的に」作品化したものと思われ、秀逸である。

作者の拘る「移動」とは離れるかもしれないが、作者が学んだという大阪文学学校のある谷町六丁目を詠んだ詩を引いておく。

     赤い十字架

   地下鉄「谷町六丁目」で降りて地上に上がる

   谷町筋と空堀商店街の交差点を過ぎると
   うどん屋の隣りに大阪文学学校の看板が目に入る
   「ひとはだれでも一冊の本になれる」

   ひと息入れて
   大通りをへだてた向い側のビルを見上げると
   壁に「〇〇教会」の太い文字
   てっぺんには赤い十字架!

   日本で見慣れた教会の白い十字架ではない
   だが、れっきとした教会の看板
   商店街に並ぶタコ焼き屋や居酒屋の
   赤ちょうちんにも引けをとらない

   ふとソウルの夜景を思い出す
   南山公園から見下ろすと
   市内いたるところに赤い十字架
   ネオンのようなあざやかさ

   なぜ赤いのか?
   友が言うように
   おびただしい血を吸いこんだ地の
   抑え込まれた記憶の残映か

   彼女は天使になってソウルの夜空を飛び回り
   赤い十字架の上に塩を撒く夢を見た

       ・・・・・・

   赤い火
---------------------------------------------------------------------------
日本帝国主義の犯した植民地支配の負の遺産に対する韓国人の「恨ハン」の表現として受容したい。
このように作者の詩は、鋭い社会性を多分に孕んだものである。
その意味で、島すなみ氏は特異な現代詩人と言えるだろう。
不十分ながら鑑賞の筆を置きたい。         (完)




   
黒田ナオ詩集『昼の夢 夜の国』・・・木村草弥
黒田_NEW

──新・読書ノート──

      黒田ナオ詩集『昼の夢 夜の国』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・澪標2018/11/05刊・・・・・・・

この本の作者のことは何も判らない。
この本の奥付に

兵庫県神戸市生まれ
兵庫県現代詩協会会員
詩集『夜鯨を待って』 (2013年 私家版)

とあるだけである。
現代詩特有の難解な詩句は何もない、平易な詩である。
本の題名の作品はない。
この題名に因んだ作品を引いてみよう。

      レントゲン

   闇に浮かぶ
   白い骨のかたち
   隙間だらけの
   肋骨が泣いていた

   さかながいるよ
   骨の中にいたんだね
   さかなの感情が
   水色にひろがる

   ごくごくと水を飲む
   ごくごくと夜を飲む

表紙の「帯」に、この詩の一節が引かれて、末尾に
  <日常の曲がり角で出会う 
   楽しくてどこか寂しい夢>
というキャプションが書いてある。
---------------------------------------------------------------------
    耳の王国 (部分)

     ・・・・・
   リンパの水平線を
   船が行く
   煙突からたなびく
   白い煙
   長く長く伸びて
   傾きながら
   夢は続く

-------------------------------------------------------------------------------
       茶色い妹(部分)

       ・・・・・
   言葉がね
   転がっていくのよ
   ベルトコンベアの上を
   ころころと流れていくのよ

       ・・・・・

   はじめは黄色くふわふわしていた言葉たちが
   いつか乾いて茶色く変わっていくのを
   感じていても何もできない私は
   工場でむりやり箱詰めにされた言葉たちが
   海を越えてどこか知らない国へ売られていくのを
   ただひとり
   遠い歩道橋から眺めていた
------------------------------------------------------------------------------

       夢の中にいる(部分)

       ・・・・・
   ココナツの匂いと
   聞こえてくる異国の言葉
   ほわりと漂いながら
   夢の中にいる

      ・・・・・
   だんだんと
   記憶も溶けて
   煙になる
--------------------------------------------------------------------
「夢」というものは、元来、とりとめもないものである。
睡眠には二種類ある。
眠りにおちてすぐに深い眠りのノンレム睡眠になり、次に浅い眠りのレム睡眠になる。
私たちは、だいたい90分でノンレム睡眠レム睡眠を繰り返しているといわれる。
「夢」は、浅い眠りのレム睡眠の中で見るものらしい。
私なんかも年老いたので、浅い眠りの、とりとめもない夢の中に浸っているようなものである。
昔の人は、それを「夢幻の境」だと表現した。
われわれの死の瞬間は、そういう訳の分からない境地の裡にあるのではなかろうか。

黒田ナオ氏の詩を読みながら、ふと、そんなことを思ったものである。

不十分ながら鑑賞を終わる。      (完)





   
妥協とは黙すことなり冬ざれのピラカンサなる朱痛々し・・・木村草弥
aaoopirakaピラカンサ本命

     妥協とは黙(もだ)すことなり冬ざれの
          ピラカンサなる朱(あけ)痛々し・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るもので自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。

ピラカンサはPyracantha と言うが、誤ってピラカンサスと書かれているものもあり、私も原作はピラカンサスと間違って歌集にも載せたが、
塚本邦雄氏の文章を読んで、間違いに気付き、改作した。
ピラカンサは写真②のように5月はじめ頃、このように白い花をたくさんつける。

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ピラカンサは樹高せいぜい2メートルまでの低木で、枝にはバラのように鋭いトゲがたくさんついている。
写真のように晩秋になると真っ赤な実がびっしりと生るが、野鳥たちの冬の絶好の餌となり、冬中には、すっかり食べ尽くされてしまう。
補足して書いておくと、ピラカンサ=「火+トゲ」を意味するギリシア語からの造語、と言われている。
ピラカンサはバラ科の常緑低木。中国が原産地だが、日本へは明治中期に、フランスから輸入されたという。
高さ1、2メートルで刺のある枝を密生し、葉は革質で厚い。庭木としてよく見られるが、生垣になっている場合が多い。
晩秋に球状の実が黄橙色に色づいて枝上に固まって着く。だんだん赤橙色になり、冬になっても、その色を失わない。
南天なども、そうだが、冬ざれの中の「赤」は冬の一点景とは言え、却って「痛々しい」感じが、私には、するのである。
この歌の一つ前には

  沈黙は諾(うべな)ひしにはあらざるを言ひつのる男の唇(くち)の赤さよ・・・・・・・木村草弥

という歌が載っているので、これと一体のものとして鑑賞してもらえば、ビジネスマンの人などにも、共感してもらえるのではないか。
そういう、生々しい「人事」の歌である。

いま歳時記を開いてみたが、ピラカンサの句は殆ど載っていない。
僅かに、次の一句だけが見つかったが、これも「ピラカンサス」と誤って使われている。

 界隈に言葉多さよピラカンサス・・・・・・・・・・・・森澄雄




山下正子『画・短歌集 旅路』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     山下正子『画・短歌集 旅路』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・文理閣2018/10/30刊・・・・・・

以前、読書会「独楽の会」で、ご一緒した山下正子さんが、標記の本を出された。
この読書会が発足する母体となったのは、『女たちの長谷みち─「蜻蛉日記」「更科日記」の旅』 (西野信明編/独楽の会著。文理閣刊)であるらしい。
私は、その後に入会しているのである。
「女たちの長谷みち」は当該日記の記載の道程を辿るというもので参加者が、それぞれのパートを受け持って、実際に歩いてみて本にされた。
読書会は二か月に一度ひらかれたが、テキストの選択などに山下さんの目が届いているのを感じたものである。

この本によると、山下さんは1930年3月生まれ。
1945年3月14日の大阪大空襲を体験。
大阪市立美術館友の会、大阪市教育委員会、毎日新聞大阪本社出版編集部校閲科勤務の後、子育てのため退職。
城陽市在住中の1986年、宅地開発で見つかった十二号古墳破壊に反対し、住民運動として「差し止め請求訴訟裁判」に参加、勝利判決。現在は最古級古墳として「国指定文化財」となっている。
新日本歌人協会会員。
著書は前述の本のほかに『食糧もんだいアップリケ─主婦の調べた食卓事情』 (4本のえんぴつ編著、文理閣刊)などがある。
御夫君は、立命館大学教授、中京学院大学教授などを歴任された山下高之氏で2007年に亡くなられた。

この本は前半が正子さんのスケッチ画の写真版であり、後半が歌集『白木蓮』で「滋賀民報」や「新日本歌人」に発表された496首の歌が収録されている。
スケッチは御夫君の留学に同行した半年の間に、せっせとスケッチされたものである。
歌集『白木蓮』には、選者の佐藤靖彦氏の3ページにわたる「序文」が載せられている。
正子さんが短歌を始められたのは御夫君が亡くなられた後からのようである。
私が「独楽の会」に居たときは、私が短歌を作っていることは周知のことであったが、山下さんから作歌のことは聞いたことがなかった。

この歌集の始めに、こんな部分がある。

     夫逝く

  病室を明るく灯す娘らよりの結婚五十年祝う花のアレンジ

  夫の心臓養いし冠動脈四たびの不全に蘇生かなわず

  五十日の入院とともに過ごしたる夫は身罷りわれ孤りなり

  殲上露何易晞    殲上の露 何んぞ晞き易き

  露晞明朝更復落  露は晞けば明朝さらに復落つ

  人死一去何時帰  人は死して一度去れば何れの時か帰らん

      2007年11月9日

難しい漢詩が載っていたりして、山下さんの教養が偲ばれる。  
この日付から考えて、御夫君が亡くなられて十余年が経つので、この機会に、この本にまとめることを考えられたのではないか。

以下、山下さんの歌を引いて鑑賞を終わりたい。

  *蜜入りのリンゴ剥ぐ手の止まるなりこの年の瀬に「派遣切り」三万

  *冬花火湖上に華とひろがれど側に夫亡く冷ゆるベランダ
  *木曽路にて夫の購いし桧椀日ごと使えど色艶褪せず
  *資本論第一章の学びなれ八十半ばまでぶれずに生き来し
  *われと夫のペアの登山靴下駄箱の奥に十余年動かさず在る
  *桃の花遺影に供えて話しこむ夫の知らざる原発の事故

御夫君との「語らい」の歌をまとめてみた。
経歴から判るように作者は、世の中の「理不尽」に怒る闘士である。
歌の中にも、それらが多く見られる。

  *軍事費を上げ介護報酬下げるなり戦に耐え来し老いら安まらず
  *“桜は本当に美しいのか”にどきりとし「桜といくさ」を深く考(おも)えり
  *放射能に無常の風のルビ振らんとう鱒二氏の序文今なお重し
  *ツイッターに原発ノーの声あげて官邸囲む若きらを信ず
  *水俣の水銀、使用済み核も廃棄の道筋未だ示さず

まだまだあるが、その一部を引いた。

  *聴覚も視力も今はおとろえて会議はいつも前列に座す
  *冷蔵庫の扉にビラやメモ貼るれり忘るることの多きこの頃
  *不整脈は心臓肥大からと言われ青信号をゆっくり渡る
  *スロベニアより明るき声の娘の電話ほこほことして夕食すすむ
  *初めてのインターネットの娘の電話ボツボツ切れしが明るき声なり
  *元旦に一族そろいて墓まいり酒好きの夫にビールを注ぐ
  *友とふたり青春きっぷの冬の旅雪の少なき伊吹山見つつ

「老い」の哀歓や、子供たちや友人との交流、などの歌を引いた。

歌集『白木蓮』の題名は

  *長生きが悪のはずなし白木蓮の青空に向けいっせいに咲く

から採られた、と佐藤靖彦氏は言う。
初春にモクレンの白い花が、びっしりと咲く様は、長かった冬から解放されるような気がするものである。
そんな意味で、この本が「白木蓮」と題されること、並びに全体の題名が「旅路」とされたこと、を喜びたい。
スケッチについても詳しく引くことをしないが、掲出の表紙の画像からくみ取っていただきたい。

山下正子さんの益々の、ご壮健と、ご健詠を祈って、私の拙文を終わる。
有難うございました。       (完)


熊田千佳慕『ファーブル昆虫記の虫たち』1~5・・・木村草弥
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──新読書ノート──

        熊田千佳慕『ファーブル昆虫記の虫たち』1~5・・・・・・・・木村草弥 
                  ・・・・・小学館2015/08/25第11刷刊ほか・・・・・・・ 

再放送だがNHKで見て、この本を取り寄せる気になった。
大型本である。 図版のことを先に書いておく。⑤だけ小さいが何度やっても同じ大きさにならないので、ご了承を。

千佳慕はペンネームで、本名は熊田五郎 という。 ← このWikipediaの記事に詳しいので参照されたい。
裕福な開業医の五男として生まれ、グラフィック・デザイナーなどの恵まれた環境に居たが、細密画の世界に居場所を見出して、困窮の道を選んだ。
ファーブルの『昆虫記』の図版化に挑み、その成果が、これらの本である。
その画の忠実な細密さは外国でも評価された。
98歳という長寿を全うしたのも、このような好きな道があったからと言えるだろう。
いちいち内容を紹介することが出来ないが、ご了承を。表紙の画像だけでも、その一部を窺うことが出来るだろう。
ファーブルについては、このブログでも取り上げたことがある。







柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・正岡子規
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     柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・・・・・・・・・・・・正岡子規

この句は多くの人の口に愛唱されるもので広く知られている。今や「古典」となった感じがある。

この句については、下記のようなエピソードがあるのである。

     < 正岡子規は夏目漱石に俳句を教えていたそうで
       漱石は、愛媛の新聞に俳句を投稿しています。

          鐘つけば銀杏ちるなり建長寺

       この漱石の作品を讃えようとして感謝と友情の印に
       子規が作った作品が

          柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

       下敷きとなる句があったとは面白いもんです。 >

このいきさつについては、ネット上に次のような記事がある。引いておこう。
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坪内稔典氏いわく

「鐘をついたらはらはら銀杏が散るというのは,これ,寺の風景として平凡です。はっとするものがありません。」
「「柿くへば鐘が鳴る」は意表を突く。あっと思うよ。」
(『俳人漱石』坪内稔典(岩波新書,2003年))

 正岡子規自身,次のように書いています。

「柿などヽいふものは従来詩人にも歌よみにも見離されてをるもので,殊に奈良に柿を配合するといふ様な事は思ひもよらなかつた事である。
余は此新たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかつた。」
(「くだもの」明治34年)

 坪内稔典氏いわく

「子規の代表句は,漱石との共同によって成立した。それは愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった。」

 「愚陀仏庵」とは,松山における漱石の住まいのことです。子規は,ここに50日余り暮らしていました。つまり,漱石と子規がいっしょに住んでいたのです。
 「柿くへば…」は,子規が松山から東京へ帰る途中,奈良に立ち寄ったときに作られました。この奈良行きが,子規にとっては最後の旅となりました。この後7年間,子規は病床に伏し,ついには亡くなるのです。
 この旅の費用を貸したのが漱石でした。つまり,「柿くへば…」は,元ネタも費用も漱石に頼っているわけです。

「個人のオリジナリティをもっぱら重んじるならば,子規の句は類想句,あるいは剽窃に近い模倣作ということになるだろう。だが,単に個人が作るのではなく,仲間などの他者の力をも加えて作品を作る,それが俳句の創造の現場だとすれば,子規のこの場合の作り方はいかにも俳句にふさわしいということになる。」
(『柿喰ふ子規の俳句作法』坪内稔典(岩波書店,2005年))
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学校の教科書にもでてくるこの著名な句には「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがついています。
明治二十八年十月、病後の体を休めていた松山を立って、子規は上京の途につきます。
途中須磨・大阪に寄って奈良に入りました。大阪では腰が痛み出し歩行困難になりましたが医師の処方で軽快し、念願の奈良に赴いたのです。
このときの腰痛は、脊椎カリエスによるものだったようですが、本人は、リウマチと思っていました。
奈良の宿で「晩鐘や寺の熟柿の落つる音」とまず詠みました。奈良という古都と柿との配合に子規は新鮮さを感じたようです。
この句の改案が上掲の「柿くへば」です。この鐘の音は実際には東大寺の鐘だったようですが、翌日法隆寺に行って、
東大寺とするより法隆寺とした方がふさわしいと思って、そう直したということです。
子規は写生の唱導者ではあっても事実通りの体験に固執したわけではないのでした。
評 者 村井和一  「現代俳句協会」のホームページより
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松尾芭蕉の「虚構」の句作りについては前に書いたことがある。
「リアリズム馬鹿」には堕したくないものである。

「柿」は日本原産と言われるが、16世紀にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広まった。
今では世界中「KAKI」で通用する。学名もDiospyros Kaki という。
パーシモンはアメリカ東部原生の、ごく小さなアメリカガキを指すので、日本の柿とは種が違う。
パーシモンというと、ゴルフをやる人には懐かしい名前でウッドクラブのヘッドには、このアメリカガキの硬い木が使われて来た。
今ではメタルウッドが全盛だが、パーシモンで打った時の打球音は特有の響きがあった。Powerbiltという名器があった。
柿は日本原産とは言うが、一説には、氷河期が終わった後に、中国から渡来したらしく、縄文、弥生時代の遺跡から種が出土し、時代が新しくなるほど量が増えるそうだ。
今のような大きな柿は奈良時代に中国から渡来したらしい。
中国では3000年前から柿があったそうで、BC2世紀の王家の墓から多数の柿の種が出土している。その頃は干し柿として保存していたようだ。

kaki006柿の花
写真②は柿の花である。白い花で五月下旬頃に咲く。
先に「干し柿」のことも詳しく書いたので、参照してもらいたい。
柿には「甘柿」と「渋柿」があり、干し柿は渋柿の皮を剥いて天日にあてて甘く変化させたものである。
渋柿は、結構種類が多くて、全国各地の独特の干し柿がある。
以下、柿を詠んだ句を引いて終る。

 よろよろと棹がのぼりて柿挟む・・・・・・・・高浜虚子

 渋柿のごときものにては候へど・・・・・・・・松根東洋城

 我が死ぬ家柿の木ありて花野見ゆ・・・・・・・・中塚一碧楼

 柿の竿手にして見たるだけのこと・・・・・・・・池内たけし

 雲脱ぐは有明山か柿赤し・・・・・・・・水原秋桜子

 柿を食ふ君の音またこりこりと・・・・・・・・山口誓子

 柿日和浄明寺さまてくてくと・・・・・・・・松本たかし

 渋柿たわわスイッチ一つで楽(がく)湧くよ・・・・・・・・中村草田男

 柿啖へばわがをんな少年の如し・・・・・・・・安住敦

 朝の柿潮のごとく朱が満ち来・・・・・・・・加藤楸邨

 柿食ふや命あまさず生きよの語・・・・・・・・石田波郷

 柿の種うしろに吐いて闇ふかし・・・・・・・・秋元不死男

 柿うまし鶫の嘴あとよりすすり・・・・・・・・皆吉爽雨

 八方に照る柿もぐは盗むごと・・・・・・・・中川輝子

 吊鐘の中の月日も柿の秋・・・・・・・・飯田龍太

 柿の冷え掌にうけて山しぐるるか・・・・・・・・鷲谷七菜子

 少しづつ真面目になりて柿を食ふ・・・・・・・・山田みづえ



杜鵑草人恋ふ色に咲きいでし・・・轡田幸子
aaoohototoホトトギス花

   杜鵑草(ほととぎす)人恋ふ色に咲きいでし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・轡田幸子

私宅に杜鵑草(ほととぎすそう)の鉢植えが一つある。恐らく妻が誰かにもらって植えたものであろう。
一年中めだたない草で、毎年10月中ごろから11月にかけて花をつける。
今年も10月18日頃からぼつぼつと花をつけはじめた。

事典には、次のように載っている。
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ホトトギス(杜鵑) ユリ科 

 学名:Tricyrtis hirta
 花期:秋

 鳥の名前を持つ花は他に,サギソウ(鷺草),キジムシロ(雉筵)などがありますが,全く同じというのは他に思い当たりません。
もっとも,鳥の方は不如帰と書くようです。花の点々が不如帰の羽の模様(胸)に似ているということです。
 高原の日陰で夏~秋に見られます
 よく庭や花壇に植えられるものはタイワンホトトギスです。色も紫,白,黄色などがあります。
 ホトトギスは,葉の付け根に一つないし二つ花がつくものです。
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hototo10ホトトギス接写

写真②は「接写」である。
他の事典によると、ホトトギス属は東アジアにしか原生しておらず、このうちの大半が日本に自生し、固有種も多く、日本の特産的植物と言われているらしい。
花名は、この花の斑紋が鳥のホトトギスの胸毛の模様に似ていることに由来する。
「杜鵑草」と書いて、単に「ほととぎす」と読むのが正式らしい。
花言葉は「永遠にあなたのもの」。
以下、これを詠んだ句を引いて終る。

 時鳥草顔冷ゆるまで跼みもし・・・・・・・・・・・・岸田稚魚

 はなびらに血の斑ちらしてほととぎす・・・・・・・・・・・・沢木欣一

 夜をこめて咲きてむらさき時鳥草・・・・・・・・・・・・後藤比奈夫

 杜鵑草濡れて置かるる講の杖・・・・・・・・・・・・皆川盤水

 水に映りて斑をふやす杜鵑草・・・・・・・・・・・・檜紀代

 杜鵑草日差衰へはじめたる・・・・・・・・・・・・児玉輝代

 かすかなる山姥のこゑ杜鵑草・・・・・・・・・・・・小桧山繁子

 古のそばかす美人杜鵑草・・・・・・・・・・・・吉沢恵美子

 紫の斑の賑しや杜鵑草・・・・・・・・・・・・・轡田進

 杜鵑草遠流は恋の咎として・・・・・・・・・・・・谷中隆子

 死ぬ日まで男と女油点草・・・・・・・・・・・・中原鈴代

 この山の時鳥草活け手桶古る・・・・・・・・・・・・野沢節子

 ほととぎす草今日むなしき手をのべぬ・・・・・・・・・・・・八木林之助

 時鳥草三つ四つ母のうすまぶた・・・・・・・・・・・・水谷文子



(転載) 歌仙「青嵐」 湯山五吟・・・高橋睦郎発句
thumb5若葉

     (転載) 歌仙「青嵐」 湯山五吟・・・・・・・・・・・・・高橋睦郎発句
        ・・・・2018/04/29有馬温泉にて発句。あとFax五月満尾・・・・・・・

  青嵐いとま有馬の湯にあれば      高橋睦郎  (夏)
    夏うぐひすは硝子戸の外       安藤直彦   (夏)
  まへうしろ上下に本重なりて       新屋修一   (雑)
    具沢山なる味噌汁をこそ       鈴木 漠   (雑)
  雲間より古田の月のずんぐりと     時里二郎   (月)
    民芸博物館に唐臼             執筆    (秋)
ゥ 七輪に落鮎二尾を焼く寡男          直彦   (秋恋)
     恋女房を去年死なせし          睦郎   (恋)
   面影はマリア観音そのままに         漠    (恋)
     白磁の肌磨きつづける          修一    (雑)
   暖炉の火熾りに薪くべ足して         睦郎    (冬)
      幼馴染と尽きぬ夜咄           二郎     (冬)
   凝りたる雪の表を走る雪           修一    (冬)
      注連の稲穂に雀賑はし         直彦    (新年)
   ラッシュ時は中吊りの句に身をあづけ   二郎     (雑)
      天動説の月もおぼろに           漠    (春月)
   散り敷くは踏まねば行けぬ花の道      直彦    (花)
      うち笑み立たす陽炎の君         睦郎    (春恋)
ナォ てのひらの傷痕愛の証なれ           漠     (恋)
       交せし文もとうに失くして         修一    (恋)
    猛暑日もやつと暮れにし蒸しかへし     睦郎    (夏)
       団扇で去なす姑の愚痴          二郎   (夏)
    一杯のいつもの珈琲かぐはしく        修一    (雑)
       家無き猫が不意に訪ひ来る       直彦    (雑)
    秋草に忘れ形見の名を見つけ        二郎     (秋)
        露けき言葉口の端にのす        漠     (秋)
    巫の大鼓に揺れ月明り             直彦    (月)
       乾く笑ひの響く虚空            睦郎     (雑)
    鯨幕張るメビウスの帯のごと          漠      (雑)
       遠目の樹氷しろがねに照る       修一     (冬)
ナウ 編み棒は孜々と痩せゆく毛糸玉        睦郎     (冬) 
       習ひ事にとバレエ、京舞          二郎    (雑)
    しのびゐし思ひやすやすうすらぎて      修一    (雑)
       夕べを低く蛙鳴き出づ           直彦    (春)
    花守の翁の所作の艶めける          二郎    (花)
        柳の蔭に汲むや変若水          漠    (春)

兵庫県歌人クラブ総会が神戸で開催された折、詩人の高橋睦郎さんが 「〈うたふ〉ということ」と題する記念講演をされた。
ゲストを慰労すべく有馬温泉へ投宿し一席を設けたが、高橋さんの発句で歌仙を巻くことになった。
有馬は名だたる古湯だが、アイヌ語研究者によると「有馬 ari-ma」はプレアイヌ語で「燃える谷川」の意味だという。
また520年前の室町後期、連歌師・飯尾宗祇が高弟の宗長、肖柏を伴って逗留し、百韻連歌「湯山三吟」を残したことでも知られる。
この度の付合を敢えて「湯山五吟」と副題する所以である。   
 
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鈴木獏氏が『修学院幻視』のお返しにと連句会の冊子「おたくさ」を送って来られた。
作品は、たくさん載っているが、その中の一篇を、ここに転載する次第である。
鈴木獏氏は、この筋に没入される詩人で、特異な存在である。 玩味されたい。



  


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