FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
201812<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201902
くの字くの字に/折れ曲がった路地/ゆれるあかりのあいまに/しずかにきこえる三味線の音・・・松山妙子
24013PAAK019_03_02石塀小路

         石塀小路・・・・・・・・・・・・・・・松山妙子

     くの字くの字に
     折れ曲がった路地
     石畳を囲むようにそびえる石の塀の上を
     紫の煙が這う
     忍者がひょっこり
     とびだしてきてもおかしくない
     ここは東山のふもと石塀小路

     路地のさきにぽつり
     狭い路地 どんつき折れると またぽつり
     狐火のように門灯がともる
     ゆれるあかりのあいまに
     しずかにきこえる三味線の音

     海底深く 船底深く
     乙姫さまに案内された 龍宮城
     鯛や平目に杯を傾け 杯をかさね
     ゆれるこころ
     ゆれるゆどうふ
     ゆれるゆげ

     酔いがまわった足取りで
     石畳のように角張った
     とうふのかどなぞりながら
     本当のかえりみちさがしている
----------------------------------------------------------------------
この詩は、日本詩歌紀行2.『滋賀・京都 詩歌紀行』という本(著者・日本詩歌句協会、発売・北溟社)に載るものである。
名前の通り、詩・歌・句の地名によるアンソロジーである。
私も要請があって3首の歌が載っている。

「石塀小路」というのは、京都の東山山麓の「路地」のことである。「路地」を京都では、長く伸ばして「ろーじ」と発音する。
写真①は、この路地の入り口に掲げられる路地の門灯である。
 
↓ 写真②は石塀小路入り口。 写真③は石塀小路の一部。 写真④は明りの入った夜景。
04石塀小路入り口
02石塀小路
03石塀小路

近くには「高台寺」などもあり、「清水寺」にも近い。
「三年坂」(産寧坂と書かれることもある)「二年坂」など清水寺かいわいの土産物屋の多い通りは、すぐそこである。
三年坂の辺りの、「売らんかな」の雰囲気とは違って、写真③に見るような昔の趣を伝える、落ち着いた通りである。
石塀小路が出来たのは比較的最近のことで、大正時代の初期の頃だ。
石塀小路の土地は、当初は圓徳院のの所有地だったが、明治時代になって税金を納める必要が出てきたため、
圓徳院庭園の一部を取り崩して、通り抜けの道を造った。
↓ 写真⑤は圓徳院の外壁だが、この赤レンガは外国から輸入して築いた壁で、レンガが珍しい当時としてはモダンな雰囲気を作った。
ishibekoji_2.jpg

石塀小路に入る路地には、はじめに掲出したガス燈のような電灯が掲げられていて、すぐにわかる。

ここが、 現在のような姿に完成したのは、昭和になって、しかも戦後になって京都から市電が廃止されるようになり、市電に使われていた石畳をここに敷いたことからのようである。
石塀小路が出来た頃には現在のように旅館や飲み屋さんはなかったが、東山を舞台とした映画ロケが盛んにされた頃から、
映画関係者を目当てとした旅館や飲食店などが建ち並び、現在のような姿になった。
今でもここの旅館を愛する映画関係者も多く、ここから夜には祇園に繰り出す事も多いようだ。
地元の方も町並みを大切に保存されている。

八坂神社から南に歩き、石塀小路を目指して歩くと、大きな建物があるわけではないので、探し出すのに少し時間がかかる。
しかし、小路に入ると石畳の道が続き、町の雰囲気はガラッと変わる。
自動車の乗り入れ制限があるので、閑静な雰囲気があり、ゆったりとしてそぞろ歩きが出来る。
石畳なので夏場の照り返しがきつくなく、アスファルトの道を歩いているときの、うだるような感じがない。

それぞれのお店を覗いてみると、一見料金が高そうなところが多そうなのだが、意外とリーズナブルなところもあるが、
人気の観光スポットなので、早くから予約を入れないとなかなか泊まったりすることは難しそう。
しかし一見さんお断りが無いので、早い時期から予約すれば、宿泊できるらしい。
この通りは特別な許可がないと、自動車の通行が出来ないこともあり、町の情緒を楽しむのにゆっくりと歩くことが出来る。
通りの雰囲気もさることながら、少し足を伸ばすだけで、高台寺や八坂の五重塔に行くことが出来るので、京都東山観光をするにははずせまないところ。

料亭などの、しっとりした商売もあるし、旅館なども風情がある。
私は、別にお金をもらったわけではないので、個々の紹介はしない。ネット上で検索されたい。
「詩」にも書かれているが、「湯豆腐」は京都の冬の食べ物として、絶好のものではないかと思う。京都は「水」がいいので、おいしい豆腐がある。

この詩は、さほど巧い作品ではないが、最終連の

      石畳のように角張った
      とうふのかどなぞりながら

というくだりは、秀逸である。
この「松山妙子」という作者のことは、私は何も知らない。
詩人住所録によると、さいたま市浦和区にお住まいらしい。
著書に『北京の太陽』 『橋を渡る』 『この坂』などがあるらしい。

ネット上では「石塀小路」と検索すると多くの記事が出ているので各自調べられよ。




冬つばき世をしのぶとにあらねども・・・久保田万太郎
c0007122_7415486寒椿

   冬つばき世をしのぶとにあらねども・・・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

久保田万太郎の句は私も大好きなので何度も採り上げてきた。
万太郎は夫人を亡くされてから「隠棲」された。
身辺には或る女の人が寄り添っていたが、その人にも先立たれて沈潜した生活をしていた時期があるが、この句はその頃のものであろうか。

「寒椿」または「冬椿」とも書かれるが、この花はツバキ科で、山茶花や茶とは同じカメリア属である。
椿は、なかでも「薮椿」と呼ばれるものは、学名をCamellia japonica と言うように、日本の固有種である。
日本では、初冬から晩冬にかけて寒中に咲くものを「寒椿」と称している。
寒椿の学名はCamellia sasanqua cv. Fujikoana と言うが、ラテン語の学名の付けかたの世界では「cv」とは「園芸品種」とされている。
藪椿が、日本固有の椿の原種ということであろうか。詳しいことは学名のページを見てもらいたい。

写真①は、「獅子頭」(ししがしら)という品種の寒椿で、物の本によっては「山茶花」に分類されているのもあるとのことで、まことに紛らわしい。
椿や山茶花については先に詳しく書いたが、椿と山茶花との区別の仕方として、ツバキは花が散るときに萼(がく)のところから、花がポロッと全体が落ちるのに対して、
サザンカは花びらが一枚づつばらばらと落ちる、という違いがあるとされている。
しかし、寒椿の花は、サザンカと同じように花びらがばらばらに散るものもある、というから、余計にややこしい。
一般的にツバキは、いま書いたように花全体がポロッと落ちるので、昔の武士は縁起が悪いと嫌がったという。
先に書いたように、学名でもCamellia sasanqua までならサザンカなのである。
なお、Camellia というのは17世紀のチェコの宣教師Kamell氏の名に因んでいることも、椿のところで書いたと思う。

123450987245516312944寒椿・白

写真②は白の寒椿である。山茶花か寒椿か、紛らわしいと追求されても私には判定は出来ない。
歳時記を見ると、一重咲きの早咲きには白に紅の絞りの「秋の山」、桃色の「太郎冠者」があり、
八重のものには白の牡丹咲きの「白太神楽」、紅絞りの「白露錦」というような品種があると書いてあるが、
それらの写真がないのは残念である。

寒椿を詠んだ句を引いて終わりたい。

 竹薮に散りて仕舞ひぬ冬椿・・・・・・・・前田普羅

 冬椿落ちてそこより畦となる・・・・・・・・水原秋桜子

 寒椿つひに一日の懐手・・・・・・・・石田波郷

 寒椿落ちたるほかに塵もなし・・・・・・・・篠田浩一郎

 山の雨やみ冬椿濃かりけり・・・・・・・・柴田白葉女

 寒椿朝の乙女等かたまりて・・・・・・・・沢木欣一

 白と云ふ艶なる色や寒椿・・・・・・・・池上浩山人

 妻の名にはじまる墓碑や寒椿・・・・・・・・宮下翠舟

 海女解けば丈なす髪や冬椿・・・・・・・・松下匠村

 寒椿嘘を言ふなら美しく・・・・・・・・渡辺八重子

 花咲いておのれをてらす寒椿・・・・・・・・飯田龍太

 寒椿月の照る夜は葉に隠る・・・・・・・・及川貞



オモシロク狂ツテ舞ヘバ/身ハ幽谷ニ浮ク鶴ノ/声ハ大気ヲツン裂イテ/スガタハ空ノ青ニ染ム・・・大岡信
0212163鮓エ縺ョ闊枩convert_20091007131354

       閑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大岡信

     ハツ春ノ
     空ニタチマチ湧キイデテ
     羽音モタテズ狂ヒタツ
     雪サナガラノ思ヒカナ

     オモシロク狂ツテ舞ヘバ
     身ハ幽谷ニ浮ク鶴ノ
     声ハ大気ヲツン裂イテ
     スガタハ空ノ青ニ染ム

     閑閑タリ
     ヒトリ遊ビノ
     小宇宙

     巌ニ星モ エイ
     咲カシテミシヨウ
---------------------------------------------------------------------
この詩は学習研究社1985年12月刊の「うたの歳時記」─冬のうた、に載るものである。
5、7という日本の伝統的な音数律に則った詩作りになっている。
日本の現代詩作家も、こういう日本古来の韻律に時には立ち返ることもあるのである。

掲出した写真は北海道の鶴居村で舞う鶴の姿である。
鶴は春の繁殖期を前にして、もう番いの間で愛を確かめる愛技ともいえる「舞い」をはじめるのである。
涙ぐましい自然の摂理とも言えようか。
「鶴」はメデタイものの縁起物として引かれるので、新年を迎えた今の時期のものとして出しておく。
-----------------------------------------------------------------------------
昨日は、昨年七月に生まれた三人目のひ孫も含めて、私の子供たち一族14人がやってきて恒例の新年宴会を催した。
私は何もしないが、一年はじめの「儀式」で賑わった。









三日の朝フェリー二隻大口あけ・・・佐藤鬼房
imgRoomAppearance-b.jpg
dc67eed2-d975-442d-a2c2-c798a6b3ba04.jpg


     三日の朝フェリー二隻大口あけ・・・・・・・・・・・・・・・佐藤鬼房

正月三が日のうちの最後の日であるから、元日の厳粛さや、二日の楽しさとは違った感慨で受け取られる日であろうか。
この日は、皇位の始まりを祝う元始祭として、明治初期から重要な日となった。

先に書いたが、2008年十二月中旬の南九州の旅には、往復に大阪南港→←志布志港のダイヤモンド・フェリーの「サンフラワー」を利用した。
私たちの乗ったのは「きりしま」号だった。姉妹船として「さつま」号があり、二隻で交互に運行している。
2018年に、これらの船は新造され、秋から就航している。画像は新しい船である。

さんふわわあ きりしま
新さんふらわあ きりしま
就航日 2018年9月15日
総トン数 約13,500トン
全長 192m
全幅 27m
喫水 6.8m
航海速力 23ノット
主機関 8,830kw×2基
旅客定員 709名(定員)
積載
車両数 大型トラック※
121台
乗用車 134台

いくつかの変遷を経て、目下は商船三井グループ に所属する。

掲出句の通り、大きなトラックや乗用車などを載せるために船は舷側と船尾の大口を開けているのである。
正月休みは一月三日までというところが多いので、翌四日か五日から仕事始めというところが多いだろう。

以下、一月三日を詠んだ句を引いて終る。

 籠居や三日のうちに思ふ顔・・・・・・・・石川桂郎

 静かに身を養ふに似て三日過ぐ・・・・・・・・松崎鉄之介

 三日の客羽衣舞うて失せにけり・・・・・・・・文挟夫佐恵

 水のごと一日二日三日過ぐ・・・・・・・・神蔵器

 ちりぢりに子が去り雪となる三日・・・・・・・・福田甲子雄

 山せみも川せみも来し三日かな・・・・・・・・大峯あきら

 長崎の坂動き出す三日かな・・・・・・・・有馬朗人

 三日はやもの書きといふ修羅あそび・・・・・・・・鍵和田秞子

 三日はや雲に映れる船渠(ドック)の灯・・・・・・・・藤木倶子

 風位また変り三日の船着場・・・・・・・・千田一路

 昼過ぎを立ち読みに出る三日かな・・・・・・・・坂本宮尾

 正月三日赤い実採りに山へ行く・・・・・・・・森下草城子

 たあいなく酔うて三日の過ぎにけり・・・・・・・・阿戸敏明

 広重の富士や三日の駿河湾・・・・・・・・田中きよ子

im_Silja_Symphony01シリヤ・シンフォニー
 ↑ シリヤ・シンフォニー号

ご参考までに、私がかつて乗船した北欧のバルト海のシリヤラインの船シリヤ・シンフォニー号 59900トンと比べると貧弱なのは言うまでもない。
このシリヤラインは車も乗せるが、多くの外国人を含む観光客を載せる客船としての機能が主であるから、おのずから設備が違う。
上記のリンクにアクセスしてもらえば、多くの姉妹船のことも書いてある。
もともとはフィンランドの船会社であったが、現在は、先年行ってきた、エストニア・タリンのフェリー会社が経営権を握っていて、会社名も「タリンクシリヤライン」というらしい。

これに比べて、今回利用したのは、あくまでも「フェリー」としての機能が主の船であるから、その違いは当然のことである。



藤原光顕「たかまる」No.112・・・木村草弥
たかまる_NEW
たかまる_NEW_0001
たかまる_NEW_0003
たかまる_0001_NEW_0001

──藤原光顕の歌──(39)

     藤原光顕「たかまる」No.112・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・2019.1所載・・・・・・・

藤原光顕さんが昨年六月、二階から転落して下肢二本を複雑骨折された。
その間、「たかまる」誌は発行中止だったが、新年を迎えて復刊した。
今号は、記事も多いので、画像四枚として掲出しておく。 手入力の手間を省いた私のズボラをお許しいただきたい。
いずれにしても、無事の帰還を喜びたい。
なお、この冊子の中には、拙詩集『修学院幻視』の紹介もしていただいたが、お礼を述べて、省略する。よろしく。
向寒の折から、御身ご自愛ください。



蓮根の穴も二日の午後三時・・・橋閒石
osechi5-01おせち
 ↑ おせち重箱
img_0初荷
 ↑ 初荷飾り
 
       蓮根の穴も二日の午後三時・・・・・・・・・・・・・・・橋閒石

ただ単に「二日」というと俳句では「一月二日」を指す決まりになっている。つまり「新年の季語」ということである。
同様に「三日」「四日」「五日」「六日」というのも同じ扱いであるから、ご承知を。

正月休みというものも、外出したり、また特別の行事がないかぎり退屈なものである。
掲出句は、そんな雰囲気を巧く捉えて作品に仕立てている。「午後三時」という夕方近くの様子を活写している。
「おせち」料理というものも、正月の間中たべ続けると、飽きてくるが、その中に「蓮根」が入っているが、これは縁起かつぎで、蓮根は穴があいていて、その穴から「先」が見える、という趣向である。
------------------------------------------------------------------------
hatuni-1-.jpg
o0480064010966021870初荷

昔は、元日が家族のみで過す印象が強いのに比べ、「一月二日」は、初荷、初商い、書初め、掃き初め、縫い初め、などの行事の日とされた。
これは、この日が初仕事の吉日とされていたためである。
農家では「鋤初め」、漁師では「船乗り初め」などとなる。
私の家は商家だったので、正月休み中にも拘らず従業員が出勤してトラックなどに「初荷」を積んで出発を見送った。
その後には、酒肴のもてなしがあったので、みな、喜んで出社したものである。
荷物そのものは年内に注文を受けて荷造りを済ませてあったもの。

 元日は嬉し二日は面白し・・・・・・・・・・丈左

という古い句のあるのも、そういう情景を活写していよう。

今でも「初荷」の習慣はあるが、正月休み明けの日にやるところが多い。
以下、「一月二日」に因む句を引いて終りたい。

0000000028_0000013612書き初め①
P1010840書き初め②
 ↑ 「書き初め」

 鞆の津や既に二日の船出ある・・・・・・・・・・松根東洋城

 海鼠あれば二日正月事足んぬ・・・・・・・・・・田中田士英

 船神のかざりしづかに二日の夜・・・・・・・・・・伊東月草

 客のあと硯開きぬわが二日・・・・・・・・・・石塚友二

 蓮根の穴も二日の午後三時・・・・・・・・・・橋間石

 つねのごと烏賊売の来て二日かな・・・・・・・・・・鈴木真砂女

 窯元の賀状届きぬ二日かな・・・・・・・・・・宮田正和

 腹の上に猫のせてゐる二日かな・・・・・・・・・・行方克巳

 二日はや猪撃ちとめて担ぎこし・・・・・・・・・・大口元通

 ざくざくと歩く二日の雑木山・・・・・・・・・・飯田晴

 子が駆けて二日いろどる宇治堤・・・・・・・・・・小松初枝

 磨る墨の吸ひつきのよき二日かな・・・・・・・・・・澤田佳久

 二日はや鑿研ぐ阿波の人形師・・・・・・・・・・溝淵匠史

 知覧にきて泣いて帰りぬ二日かな・・・・・・・・・・村井国男



「未来山脈」掲載作品・2019/01 「森の記憶」・・・・木村草弥
acd7db54b57e000be3760feea92c2bae.jpg
未来_NEW

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


──「未来山脈」掲載作品──(13)

      「森の記憶」・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・2019/01掲載・・・・・・

     森の記憶      木 村 草 弥

   クォークから原子へ 原子から分子へ 分子からDNAへ

   百億光年の彼方から一〇〇ミリ秒のニューロンの発光へ
 
   死と同じ重さの生 生と同じ軽さの死

   白夜に近い状態だった 月だけが冴えざえと輝いていた

   峠を越えると突然、朝霧の歓迎を受けた

   針葉樹林にたなびく霧が逆光に輝いていた

   樹林一面に霧氷が付着して幻想的だった

   雪が降った 雪が降れば山腹一帯がスキー場になる

   この森は北に行くにつれて痩せてゆく 樹高も低く

   「ノルウェーの森」という小説が流行ったが樹種は乏しく針葉樹だけ

-------------------------------------------------------------------------------
いよいよ新年である。
「未来山脈」誌も、表紙のカットの絵が替わって、新しい年度が始まるという新鮮な気分である。






湯浴みして 血の蘇る 大旦・・・伊丹三樹彦
gooh03.jpg
 ↑ 御所西 護王神社 亥年 大絵馬
e7db98b5.jpg
↑ 晩白柚お正月飾り

       湯浴みして 血の蘇る 大旦(おおあした)・・・・・・・・・・・・伊丹三樹彦

ここ数年間、有名な

   去年今年貫く棒の如きもの・・・・・・・・・高浜虚子

を引いてきたが、余りにも芸が無いので、余り知られていない佳句を引いた。

この句は前衛俳人として名のある伊丹三樹彦の作品である。
ご覧になると判るように575の間に「一字アキ」を施した斬新な句である。
現代詩などでは多用する表現である。

ともあれ、年が改まったのであるから、気分を新たにして生きたい。
新年の念(おもい)というのは、古来さまざまに詠まれて来た。
以下、少し引いて年頭の「初」ブログとしたい。

  ■老の愛水のごとくに年新た・・・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏

  ■人死んでまた死んで年新たなり・・・・・・・・・・・・・・・草間時彦

こんな句もある。

  ■いざや寝ん元日はまたあすのこと・・・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

蕪村としては、ぐっと砕けた、磊落な作である。「自筆句帖」は、蕪村が最晩年に自ら記録していた自作句集。
会心とする作には〇印を振ってあり、これも、そのひとつ。
晩年の蕪村の心のあり様をうかがわせるような句である。

俳句をおやりの人には常識だが、歳時記には春、夏、秋、冬の四つの季節のほかに「新年」という季節分けがあって、
分冊の場合は全部で5冊になるのである。
そこに載る句を少し引いておく。

 去年の如く今年の如く母のそば・・・・・・・・萩原麦草

 この間逢ひしばかりに去年今年・・・・・・・・高浜年尾

 針に糸通してゐるや去年今年・・・・・・・・細見綾子
 
 おいらくのほのぼのかなし明の春・・・・・・・・山口青邨

 読みさして方丈記あり去年今年・・・・・・・・遠藤梧逸

 去年今年一と擦りに噴くマッチの火・・・・・・・成田千空

 白光の一筋通ひ去年今年・・・・・・・・平井照敏

 去年今年闇の向ふに犬鳴いて・・・・・・・・渡辺七三郎

 いそがしき妻も眠りぬ去年今年・・・・・・・・日野草城

 命継ぐ深息しては去年今年・・・・・・・・石田波郷

 去年今年雨降り埋む妻との隙・・・・・・・・角川源義

 去年といひ今年といひて火に集ふ・・・・・・・・鷹羽狩行

 去年今年去年今年とて今更に・・・・・・・・能村登四郎

 夢もなし吉凶もなし去年今年・・・・・・・・森澄雄

 去年今年ニーチェを読んで老い知らず・・・・・・・・野崎ゆり香

 洗ひ干す筆のいのち毛去年今年・・・・・・・・松本可南




copyright © 2021 Powered By FC2ブログ allrights reserved.