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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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新元号は「令和」・・・木村草弥
81306024014742万葉集・写本
↑ 万葉集・木版の写本
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──エッセイ──

       新元号は「令和」・・・・・・・・・・木村草弥

新元号「令和」の出典は現存する日本最古の古典「万葉集」から採られた。
「万葉集」巻五の「梅花歌」32首の序文にある漢文、
「初春の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」という文言から引用した。

巻五の、歌番号815から始まる32首の一連の歌の前の「序文」であり、原文は漢文である
この一連の歌は、730(天平2)年に大宰府の大伴旅人の邸宅で催された「梅花の宴」で詠まれた32首の序文。
宴では、対馬や鹿児島など九州各地から集められた官僚たち計32人が、「梅」をテーマに1人1首歌を詠んだ、という史実があるのである。
ご承知のように「万葉集」は、原文は漢字ばかりのもので、この頃、日本にはまだ文字は無かったが、言葉はあった。
丁度、中国から渡来してきた「漢字」を借用して、表記するのに「漢文」と「万葉かな」と称される「やまとことば」に漢字の「音おん」「訓くん」を当てたミックスで行われた。
今回の元号に採用された漢字の文言は、上に引いたようなものだが、この歌の年号としては「天平二年正月十三日」と書かれている。
今では「花」というと桜を指すことになっているが、これは次の「古今和歌集」の頃からのもので、万葉集の頃は、花というと「梅」を指したのである。
何度も書いたので気が引けるが、私の住む土地は鎌倉時代から梅の名所として有名であり、そんなことから言うのでもないが、今回のことは嬉しい気分である。
今しも日本列島は「桜回廊」という気分であるが、水を差す意味ではなく、素直に喜びたい。

私の持っているのは『萬葉集 本文篇』 (佐竹昭宏 木下正俊 小島憲之 共著)  塙書房刊    という本である。
今どきは、「萬葉集」の原文が漢字ばかりで書かれているということを知らない人があるので、敢えて書いておく。

「令」という字の意味として辞書には「善い」という項目がある。
なお「熟語」としても、 名 花 夫人 御室様 など「佳い」「肯定的」な意味合いのものがある。
また「令月」とか「令日」というのは、中国古典の言葉として、漢和辞典には載っているので、すべてが「国書」からとは言い難い。だから「国粋的に」言うことは避けたいものである。

一般世論の受け止め方としても好意的だったようである。
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はじめに「日本最古の古典」と書いたが、誤解のないように補筆したい。

時期的には殆ど同じだが、『古事記』が712年、『日本書記』が720年頃に成立していると言われている。
『萬葉集』は編纂時期が長くかかっており、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた。日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人、大道芸人などさまざまな身分の人々が詠んだ歌4,500首以上も集めたもので(うち作者不詳の和歌が2,100首以上ある)、759年(天平宝字3年)までの約130年間の歌が全20巻に分類収録されており、体裁が整った成立は759年以後の、780年頃にかけてとみられている。

巻頭の歌
『万葉集』は全巻で20巻であるが、その巻頭の歌が雄略天皇の歌で始まっている。奈良時代の人々においても雄略天皇が特別な天皇として意識されていたことを示す。

大泊瀬稚武(おほはつせのわかたけ)天皇の御製歌(おほみうた)
籠(こも)よ み籠(こ)持ち掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この岳(をか)に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家告(の)らせ 名告(の)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われにこそは 告(の)らめ 家をも名をも(巻1・1番)

原文は →  篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母
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(ご参考)
掲出した画像は木版の写本だが、このページの初めに載っているのは、有名な「大伴家持の歌」である。 ← リンクになっているので、お読みください。
原文は漢字だけのものだが、訓み下したものが、ここに引いた私のブログの記事である。
原文と参照して、読んでみてもらいたい。
なお、万葉集の「原本」と思われるものは現存していない。「写本」は、ここに掲出した木版の他に「手書き」のものなど、いくつかが今に伝わっている。
詳しくはネットなどで、お調べを。
また漢字ばかりの原文なので「訓み下す」ことが出来ないのが今でも十数首あるらしい。私は国文学徒ではないので、友人の国語専門の人に聞いてみた話である。

追記ばかりになって恐縮だが、ここに書いたことに関連するが、有名な「柿本人な麻呂の歌」を巡る話題なのでリンクになっているので ← お読みいただきたい。
この文章は私の最新の第三詩集『修学院幻視』に収録してある。


満開の桜の大樹を見あげていると・・・新川和江
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lif1511300026-p1新川和江

──季節の詩──

                   新川和江

    満開の桜の大樹を見あげていると、

    こんなに咲いてよいものかと

    空おそろしくさえなってくる

    一、二りん掌にのせ、

    これぐらいが

    ほどのよいわたくしの春──と呟く、

    人が一生に咲かせる花も、

    思えば数えるほどのものなのだから。
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この詩はNHKの雑誌「きょうの料理」の巻頭に載ったものだという。
だから「無題」である。
今しも桜満開の季節だが、桜の花を眺めていて、この詩に書かれているような「感慨」を覚えたことはないだろうか。
人を圧倒するように咲き誇る「桜花」・・・・。
私などは、ここに新川さんが書いたような感じがしたものである。
というより咲き誇る「春」に圧倒されるような「抑圧」を感じたものである。
私は虚弱児だったから、特に、そういう受け取り方をしたのかも知れない。

今日の一篇として掲げておく。

1983年、吉原幸子と共に女性のための詩誌「現代詩ラ・メール」を創刊。1993年の終刊まで女性詩人の活動を支援した。
その詩は多くの作曲家によって歌にされており、飯沼信義「うつくしい鐘が…」や鈴木輝昭「良寛」のように、作曲家のために詩を書き下ろしたものも少なくない。
『産経新聞』の『朝の詩(うた)』の選者としても知られている。常連の投稿者の一人である柴田トヨを高く評価した。
私のブログに柴田トヨ詩集を扱ったものがある。 → 「柴田トヨ詩集」  ← アクセスされたい。

受賞歴
1960年 『季節の花詩集』第9回小学館文学賞受賞。
1965年 『ローマの秋・その他』第5回室生犀星詩人賞受賞。
1987年 『ひきわり麦抄』で第5回現代詩人賞受賞。
1993年 『潮の庭から』(加島祥造共著)で第3回丸山豊記念現代詩賞受賞。
1998年 『けさの陽に』で第13回詩歌文学館賞受賞。
1999年 『はたはたと頁がめくれ…』をはじめとする全業績に対して第37回藤村記念歴程賞受賞。
2000年 『いつもどこかで』で第47回産経児童出版文化賞JR賞受賞。
2007年 『記憶する水』で第25回現代詩花椿賞受賞。
2008年 『記憶する水』で第15回]丸山薫賞受賞。




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