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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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高階杞一+松下育男『共詩・空から帽子が降ってくる』・・・木村草弥
高階_NEW
 
──高階杞一の詩──(11)

      高階杞一+松下育男『共詩・空から帽子が降ってくる』・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・澪標2019/05/01刊・・・・・・・・

掲出した図版で見られるように、爽やかなイラストだが、これは上野かおる氏の装丁によるものである。
高階さんの詩集の装丁を度々なさっている。
さて「共詩」ということである。
「連詩」というのがある。他人が書いた短い一連の詩に何人かが一連の詩を付け加えて一篇の作品に仕上げるというもの。
この本の「あとがき」に二人が書いている。
高階は書く。
< 共詩とはなんぞや? これは僕の造語です。二人で詩を作る、共同で作るという意から「共詩」と名付けました。
 ・・・・・共詩では二人で一つの詩を作ろうという意識を強く働かせています。言わば合作と言えます。・・・・・
一作目「空から帽子が降ってくる」では、一人二行から三行ほどでした。メールの往復で16 回。
五行で一連となっていますが、それぞれが一連ずつ作ったわけではありません。
作るにあたってひとつだけ取り決めていたことがあります。書き出しを高階がしたら、最後は松下が締める。さらに書き出しは交互に行う。
どちらがどの部分を作ったか分かるでしょうか。・・・・・
今回、全体を読み返してみて、よくこれだけ変化に富んだ詩が書けたなあと、我ながら感心しました。
シュールで奇妙なものもあれば恋愛小説ふうのものもある。「風の引き出し」の戯曲形式の箇所など、どうしてあんな展開になったのか。・・・・・
八作目の「川沿いの道」を作っている途中で東日本大震災が起きました。・・・・・作品そのものに震災のことは出てきませんが、詩に何らかの影を落としているようにも思えます。・・・・・ >

松下郁男は書く。
< 1970年代からいろんな雑誌で一緒に載っていたのに、なんで会う機会がなかったのだろう。
それが2009年の二月に、新宿の居酒屋で初めて会うことになった。「知っているけど知らない人」に挨拶するのは妙に恥ずかしい。
同席していたのは岩佐さんと廿楽さん。でも挨拶が終ればどんどんお酒がすすんで、店を変えてまでも延々と四人で飲んでいた。
その場でだれかが「二人で詩を書いてみたらどうだろう」と言い出して・・・・・一作目の「空から帽子が降ってくる。」 ・・・・・
これら九つの詩は二年ほどの間に一気に作られた。
いつもなんの前触れもなく高階さんからメールで詩がやってくる。仕事中にも、家でビールを飲んでいるときにも、歩道橋の上を急いでいるときにも、
高階さんからの数行の詩はいきなり私の時間に割り込んでくる。電車の中で読んで、思わぬ展開に声をあげて笑ってしまったこともあった。 >

ながながと引きすぎたかも知れないが、この「共詩」の成り立ちを言っておきたかったからである。
この辺で一作目の「空から帽子が降ってくる」を引いておく。

      空から帽子が降ってくる      高階杞一+松下育男 

   空から帽子が降ってくる
   でかける用事があったのに
   もう降り出してきたのかと
   にわかに暗くなってきた空を
   頬杖ついて見上げてた

   空から帽子が降ってくる
   やまたか帽やベレー帽
   どこに工場があるだろう
   母も姉も恋人もそこの女工だったけど
   ぼくはまだ一度も行ったことがない

   空から帽子が降ってくる
   だれの仕業か知らないけれど
   小さな値札がついたまま
   それはまるで切符のように
   ひとつひとつに行き先が書かれてあって

   空から帽子が降ってくる
   どんな治世の王様だったか
   水の言葉は禁じられ
   ロバは困る
   ご主人が狂ったように笑うので

   空から帽子が降ってくる
   帽子と国との戦争は
   いつの季節に始まって
   もう炭屋の息子まで野球帽をかぶってる
   彼はセネタースのファンです

   空から帽子が降ってくる
   ちょこんとかぶったエッフェル塔
   見ながら掃除機かけたくなって
   何もかも
   みんな吸い込みたくなって

   帽子の山のまん中で
   数限りある日々だもの
   今夜のオカズは何にしよう
   そうだ 思い出したよ でかける用事
   夜が落ちてくる前に

   帽子の山をかき分けて
   町のはずれの郵便局へ
   手紙を出しに行くんだった
   はるか遠い宛先にも
   帽子はそろそろ降るだろう

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はっきり申し上げて、私は高階さんの詩には何度も触れているので、彼の息遣いも何となく判るが、松下育男の詩には、余り馴染がない。
松下育男は1950年 福岡県生まれ。 第29回 H 氏賞受賞。
高階杞一は1951年 大阪市生まれ。 第40回 H 氏賞受賞。 
年代も受賞歴も共通している。 それに二人とも酒好きらしい。
(草弥・注 「H 氏賞」は詩界における「芥川賞」と言われる新人賞である。)

これらの作品の初出は、高階が編集同人の詩誌「びーぐる」に7 回、松下が編集同人の「生き事」に2 回載せられたものである。
「生き事」の同人には、前に書いた岩佐なを、廿楽順治 が居る。その廿楽順治は高階の主宰する詩誌「ガーネット」の同人でもある。
だから廿楽順治が二人を取り持って、この「共詩」が成立したともいえるのでないか。

全部は引ききれないので、最終話の「トマトの女」を引いておく。

      トマトの女    高階杞一+松下育男 

   床屋「ミラクル」の隣のビルに
   スナック「極楽」があって
   勤め帰りに夕陽に押されて
   外階段をのぼりつめ
   ゴージャスな扉の前に立った
   ところで
   今日の夢は覚めた

   つづきものの夢なんて
   これまで見たことないよな   
   と
   思いながらベッドからぬけでる

           ・・・・・・
   夏はもうすぐだというのに
   ずいぶん寒いな
   どこがよくってあの女のことが
   気にかかるんだろう
   奇妙に丸くて
   トマトに似ていると思ったが
   夜にしか見ことがないので
   夜にだけ生えてくる顔なのかもしれない

         ・・・・・・
   トマトの女が
   夜の樹に
   いっぱいぶらさがっているのが見える

        ・・・・・・
   
   三半規管の奥の
   むかしの人ばかり住んでいる通りを過ぎたら
   どの夢も 結局は
   スナック「極楽」のゴージャスな扉のむこうへ
   続いてゆく

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抄出してみた。

「あとがき」の中で松下が  
< 実は十篇目も初めのところは出来ていた。だけど、なんだか急に書けなくなってしまった。・・・・・  >
と書いている。
ここに引いた九番目の詩の中に、なんだか終わりそうな気配が感じられるのである。それは東日本大震災のこともあるだろう。
私にも「共同制作」の経験があるが、妙に、急に、そういう「終わり」の気配というのが立ち込めるものである。

だけど、この「共詩」という作品を改めて眺めて、面白い経験をされたことだと、つくづく思った。
ご恵贈有難うございました。 こういう「言葉遊び」は私は大好きである。      (完)



    
ちる花はかずかぎりなしことごとく 光をひきて谷にゆくかも・・・上田三四二
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      ちる花はかずかぎりなしことごとく
         光をひきて谷にゆくかも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上田三四二


桜の落花が盛んになる頃である。そこで、この歌を採りあげておく。
この歌は三四二の代表的な名歌として、よく引用される。
短歌では「花」というと「桜」のことを指す約束事が出来てしまった。
万葉集の頃は、花と言えば「梅」の花であったらしい。
だから、この歌で詠まれる「花」は桜のことである。桜は散りはじめると、はらはらと、づつけて散る。
梅の花は、そんな散り方はしない。
そういう落花の様子が、よく観察されて詠まれている。
落花を詠みながら叙景だけでなく、その裏に「ものの哀れ」という心象を漂わせるのが、この歌の名歌たる所以である。

上田三四二については、短い文章ではあるが、まとめて書いたことがある。
三四二は私の居住地・青谷の国立療養所(今の南京都病院)の医師として病院付設の官舎に住いしていたことがある。当地を詠んだ歌もある。
昭和64年1月8日、昭和天皇と同じ日に亡くなった。
小説、評論の分野でも旺盛な執筆をつづけたが、癌に侵され闘病も凄まじかった。
以下、代表的な歌を抽出したい。

 年代記に死ぬるほどの恋ひとつありその周辺はわづか明るし

 地のうへの光にてをとこをみなあり親和のちから清くあひ呼ぶ

 をりをりに出でて電車にわが越ゆる今日木津川の水濁りをり

 湧く霧は木のかをりして月の夜の製材所の道をわが通りをり

 たすからぬ病と知りしひと夜経てわれより妻の十年(ととせ)老いたり

 死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ

 おぼろ夜とわれはおもひきあたたかきうつしみ抱けばうつしみの香や

 かなしみの何のはづみにか二十三歳の妻の肉(しし)置きをこよひおもひ出づ

 遠野ゆく雨夜の電車あらはなる灯の全長のながきかがやき

 土器(かはらけ)を投ぐるは厄をはらふため沖かけてとべ今日あるわれに

 金泥の西方の空にうかみいで黒富士は肩の焼けつつ立てり

 内視鏡にあかあかとただれたる襞照りてみづからが五十年の闇ひらかれき

 交合は知りゐたれどもかくばかり恋しきはしらずと魚玄機言へり

 湯気にたつ汁(つゆ)盛る妻よ妻が手に養(か)はれてながき二十九年へつ

 蜂などのゐる寂(しづ)けさやまのあたり藤は垂直にひかりを吊す

 歌ありてわれの一生(ひとよ)はたのしきを生のなかばは医にすぎたりき

 乳房はふたつ尖りてたらちねの性(さが)のつね哺(ふく)まれんことをうながす

 かきあげてあまれる髪をまく腕(かひな)腋窩の闇をけぶらせながら

 夕粧(ゆふけはひ)ほのめきみれば華燭より十(とを)の千夜ののちのけふの妻

 身命のきはまるときしあたたかき胸乳を恋ふと誰かいひけん

 をんなの香こき看護婦とおもふとき病む身いだかれ移されてをり

 谷ふかく入りきておもふ癒ゆるなき身は在りてひと生(よ)の妻をともなふ

 朝戸繰りて金木犀の香を告ぐる妻よ今年のこの秋の香よ

 一杯の茶にはじまりて一日の幾百の用妻が手を経(ふ)る
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上に引いた歌の三、四首目の歌は、当地のことを詠んでいる。製材所は今も同じところで営業している。
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23007008333上田三四二
↑ 上田三四二

上田三四二に因んで書いた私の文を引いておく。

*エッセイ*
 京を詠った私の一首 木村 草弥
 (角川書店「短歌」2001年3月号・大特集
 <旅に出てみませんか・歌めぐり京の旅>⑤ 所載)

   一位の実色づく垣の橋寺の断碑に秋の風ふきすぎぬ・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』に「茶祭」の題で収録した十五首の歌の
一つである。 毎年十月に宇治茶業青年団の奉仕で催される「茶祭」は
年中行事として定着した。
「橋寺」というのは宇治川の川東にある寺で、川底から引き揚げられた
ことで有名な「断碑」を安置してある。 昨年11月に私が訪れたら台座を
修理中で他へ預けられていたが、今は元通り置かれている。
ここには平成3年に上田三四二の初めての歌碑が建立された。それは

<橋寺にいしぶみ見れば宇治川や大きいにしへは河越えかねき>

という歌で、原文には濁点はふらず、歌は四行書きで、結句の文字は万葉仮名
で「賀祢吉」と書かれている。
京都と奈良の中間にある「宇治」は、この歌に詠まれているように古来、
「宇治川の合戦」をはじめ歴史的に枢要な土地であった上に平等院など
の史跡にも富む。
源氏物語の「宇治十帖」に因んで十年前に創設された「紫式部文学賞」と、
川東に建つ「源氏物語ミュージアム」が成功して、特に秋のシーズンには
観光客で、ごった返すようになった。
因みに昨年の紫式部文学賞の記念フォーラムはNHKの桜井洋子さんの
司会で俵万智、江国香織、川上弘美他の各氏が「愛と恋と文学と」と題して
盛況であった。


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