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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(7月)月次掲示板
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東日本大震災から八年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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 ↑ 百日紅 ( サルスベリ )

七月になりました。
梅雨が明けたら、輝く夏が始まります。


 月ほそくうすく見ゆるを子は言ひて獣あまた載る絵本をひらく・・・・・・・・・・・・・・・・・大口玲子
 三振りを五振りに七味で気合ひ入れ狐も狸もわれも目覚めよ・・・・・・・・・・・・・・・・・川野里子
 熊鷹の一羽を鴉の群れが追ふ集団的自衛権の行使かあれは・・・・・・・・・・・・・・・・真鍋正男
 耳、鼻に綿詰められて戦死者は帰りくるべしアメリカの綿花・・・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川宏志
 逝く秋に読み返したる一冊の『白痴』は遠き回転木馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎
 さはあれど比喩は間接の域を出ずまして暗喩は奢りが臭ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・来嶋靖生
 風渡る聖河のほとり人と人睦みて大悲分けあえるとぞ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷岡亜紀
 「安寧」の意味など今日は訊いてくる佐藤かおりに何がありしか・・・・・・・・・・・・・・・・森山良太
 糸吐きて繭を裡よりつくり出す蚕の声きこゆ夏白き昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜野ムツ
 立ちて百日紅坐りては見る千年紅われ息長にその紅を吸ふ・・・・・・・・・・・・・・・・・春日真木子
 エゾイチゲの花が咲いたと妻が言ひさうかと花を覗きにゆきぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・時田則雄
 つと視野を過ぎし蛍のかの夜よりこの世を夢と思ひ初めにき・・・・・・・・・・・・・・・・・照屋眞理子
 その身美しきこと知りゐるや知らざるや黒揚羽無心に舞ふ夏の朝・・・・・・・・・・・・・・ 石川恭子
 まさかそんなとだれもが思ふそんな日がたしかにあつた戦争の前・・・・・・・・・・・・・・永田和宏
 始めしは縄文人か奥久慈の炭火であぶる鮎の塩焼き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 雨ごとに色を添へたる夏山の若葉に結ぶ露の輝き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多田羅 花
 ごろすけほう あ、いや、ごろごろわあおおわ 俺が何者かなんてどうでも・・・・・・ 久我田鶴子
 君の掌に乗する碧玉耀へり街の精霊となりてひびけよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 櫟原聰
 いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 阪森郁代
 午後三時はちみつ色の犬眠る・・・・・・・・・・・・・・・・伊賀風香
 夏来るアンモナイトはひび割れて・・・・・・・・・・・・・・豊田佳那
 花火見て元素を当てる理系たち・・・・・・・・・・・・・・・・・栗原慧
 会いに行く理由がほしい夏の月・・・・・・・・・・・・・・・田中馨子
 母ちゃんの麦茶一口夏が来る・・・・・・・・・・・・・・・・斎藤真満
 かまきりがうわ目使いで見てる夏・・・・・・・・・・・・・ 寺崎航平
 仏法僧青空探し旅に出る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井麗奈
 風を枕に里を遥かに三尺寝・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 市堀玉宗
 海からの風夏蝶を大きうす・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・仲寒蝉 
 クレヨンを使い切ってる夏の恋・・・・・・・・・・・・・・・・ 松井政典
 いちご食べすっぱい過去を甘くする・・・・・・・・・・・・ 河野莉奈
 半袖の亜米利加人や巴里祭・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 浴衣着てペンギンさんと呼ばれをり・・・・・・・・・・・・・青島玄武
 雷鳴の厨包丁みだれなく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 朝一便飛び立つ先の雲の峰・・・・・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 夏座敷ひとりに一つづつ鞄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 長き橋日傘の信者渡り来る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・折勝家鴨
 元気かとドッペルゲンガーに言われ・・・・・・・・・・・・ 月波与生
 迷宮の颱風眼の蝸牛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・豊里友行
 正岡子規記念球場の熱き哉・・・・・・・・・・・・・・・・・・江口明暗
 夏蝶の渚といふはしのわずり・・・・・・・・・・・・・・・・・青本柚紀
 消火器をぐっと握って夏に立つ・・・・・・・・・・・・・・・・丸田洋渡
 丸椅子の真ん中に穴冷し中華・・・・・・・・・・・クズウジュンイチ
 ぱつくりと麦藁帽子割れにけり・・・・・・・・・・・・・・・・・寺沢一雄
 硝子鉢うねる金魚の尾の暗さ・・・・・・・・・・・・・・・・・赤野四羽
 立葵のぼる蟻一匹の一方通行・・・・・・・・・・・・・・・・・・大西節
 アガパンサスは気まま雨の中の花火・・・・・・・・・・・伊藤三枝
 サーバーを守って俺がダウンする・・・・・・・・・・・・・デクノボー
 つまみたる夏蝶トランプの厚さ・・・・・・・・・・・・・・・・・高柳克弘 
 向日葵の波を駆け抜け秘密基地・・・・・・・・・・・・・・ 木内実希
 黒揚羽旅は罅より始まりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冨田拓也
 全身を触覚にしてシャワー浴ぶ・・・・・・・・・・・・・・・・ 北大路翼
 夏橙その手ざわりの過去を言う・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤淳子
 屋根裏に蛇這う音の昭和かな・・・・・・・・・・・・・・・・奥山津々子
 蕗十杷漬け置く桶の水の色・・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐義知
 モナリザの微笑の先の水羊羹・・・・・・・・・・・・・・・・・・矢野玲奈
 夏木立つばさもちちふさも楽器・・・・・・・・・・・・・・・・・中村安伸
 避暑家族鳥とも違ふ会話して・・・・・・・・・・・・・・・・・・田中亜美
 大ぶりの蜘蛛の巣いい仕事してるなあ・・・・・・・佐々木香代子
 耳朶染まる多肉植物むんむんと・・・・・・・・・・・・・・・・榎本祐子
 撫でるごとトマト湯むきす子は遠し・・・・・・・・・・・・・・森岡佳子
 さざなみ今もすこしずつ砂になる・・・・・・・・・・・・・・・・・高梨章
 恋愛が模型の丘に置いてある・・・・・・・・・・・・・・・・・福田若之
 岩礁の苔のぬめりの深き夏・・・・・・・・・・・・・・・・・・・石井薔子
 山の蛾のひとり網戸に体当たり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山田仁
 あられもなき五体ありけり大夕焼・・・・・・・・・・・・・・・・ 秦夕美
 軍艦島かごめかごめでいなくなり・・・・・・・・・・・・・・ 河西志帆
 白極む父のようなるアマリリス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・乾志摩
 スカートの影も軽やか更衣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・盛蓉子
 淋しさの色もいろいろ濃紫陽花・・・・・・・・・・・・・・ 藤原千賀子
 独りもいい紫陽花に降る雨の音・・・・・・・・・・・・・・・ 桑田佳穂
 古書店で紙魚になってるお父さま・・・・・・・・・・・・・・ 岩根彰子
 美味き草不味き草あり草を刈る・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木牛後 


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著書──
 歌集 『茶の四季』(角川書店刊)
 歌集 『嘉木』 (角川書店刊)
 歌集 『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)
 歌集 『嬬恋』(角川書店刊)
 歌集 『昭和』(角川書店刊) 
 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
 詩集 『修学院幻視』(澪標刊)
 紀行歌文集 『青衣のアフェア』 『シュベイクの奇行』 『南船北馬』(私家版)

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根来眞知子詩集『雨を見ている』・・・木村草弥
根来_NEW

       根来眞知子詩集『雨を見ている』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                   ・・・・・・澪標2019/08/20刊・・・・・・・・

この詩集が贈られてきた。
この作者の名前には記憶があったので、私のブログを調べてみたら、あった。
はじめに書いておく。
日本詩歌紀行2.『滋賀・京都 詩歌紀行』という本(著者・日本詩歌句協会、発売・北溟社)というのがあった。 名前の通り、詩・歌・句の地名によるアンソロジーである。
私も要請があって3首の歌が載っている。
その中の「怖いもんって」という愉快な詩を2013/01/09に載せたことがあった。
ただ根来さんの名前「眞知子」を「真知子」と誤記していることをお詫びしたい。

根来眞知子さんは1941年生まれ。
京都市在住。
大阪大学文学部卒業。大阪文学学校23期生。
福中都生子「ポエム」から詩誌「叢生」を経て、現在は「現代京都詩話会」所属。
詩集『ささやかな形見』 『乾いた季節』 『夜の底で』 『私的博物誌』 『たずね猫』

この本の「あとがき」に、こう書かれている。
<私が第一詩集「ささやかな形見」を出版したのは詩誌「ポエム」(福中都生子主宰)に参加していた独身だった頃。
 昨年末にすみくらまりこさんのJUNPAから復刻版が出版されて、奥付の一九六六年刊という年号にいささか感銘を受けました。
 ・・・・・長い年月そんなにも詩のことを思っていても、詩の方は一瞥もくれないという時期もあり。・・・・・>

そういう長い詩とかかわった時間を持つ著者である。
根来さんの詩は平易で分かりやすい。
現代詩の、難しくて何が書いてあるのか、さっぱり判らない詩とは大違いである。
作品を引いてみよう。 まず、この本の題名が採られている作品である。

       雨を見ている       根来眞知子  

   私は雨を見ている
   降るとも見えぬ細かな雨
   私はその雨に濡れている庭を見ている
   草や木や石を

   まだ寒かったとき
   ほつほつ咲いて
   春の息吹を感じさせてくれた黄色い花
   蝋梅 連翹
   今見ればどの樹も皆緑濃い

   うっとりするピンクで
   大勢の人を驚かせ楽しませたしだれ桜
   これも今は幾筋もの
   緑濃い枝が滝のように垂れている

   濡れる飛び石のまわりの苔も
   しっとりふくらみ
   いまこの庭は
   次の季節に移ろうとしている

   思ってみる
   ゆっくり確実に
   いくつもの芽生え
   いくつもの成育
   そしていくつもの終焉
   この庭にも回ってゆく時

   うかつにあわただしく過ごせば
   気付かぬ季節の優しさ
   雨が光らせ風が動かす
   闌けてゆく季節の息吹

   私は雨を見ている
   雨に濡れていく庭の
   移ろう時を見ている
------------------------------------------------------------------------
少し長いが全部引いてみた。
題名に採っただけあって、この一連は根来さんにとって愛着があるのだろう。
ご覧のように、極めて平易で、何の難しいところもない。
この詩集一巻の様子は、ほぼ、こんな調子である。
この本は Ⅰ Ⅱ Ⅲ という章建てになっているが章名は無い。だから、いつ頃の作品で、製作時期の前後なども一切わからない。

今の季節に合わせて、こんな作品を引いてみよう。

        八月       根来眞知子

   そろそろお盆の用意をという頃に
   ふと思い出す一枚の古びた写真
   今はない父の生家の仏壇の上
   戦闘帽をかぷった若者
   南方で戦死したとだけ知っていた父の弟
   貧しい暮らしだったあの頃

       ・・・・・・・

   太平洋戦争の戦死者三百万人
   多くは戦死や病死 また玉砕という自殺であった
   と 知った時のやりばのない怒り
   二十歳そこそこの健康体だった叔父もまた

         ・・・・・・・

   戦争という愚かしさの激流に
   いやおうなくまきこまれていった叔父の無念
   そしてたくさんの若い兵士たちの無念
   が 立ちのぼる八月
   いやな月だ

           思い出     根来眞知子

   たっぷり水を湛えた池の底から
   ふつふつわく泡のように
   何の変哲もない土の中から
   ほつほつ現れる芽のように

   胸の奥深くから
   現れては消えまた現れ
   あっちにひっかかり
   こっちにたまり
   時にふと気に掛かる

   あれもこれも忘れに忘れたのに
   いまだに消えず残っている
   いとしいようなあれ
   とまどうようなあれ

   思い出ってやつは
------------------------------------------------------------------------
引いてみると、キリがないので、後ひとつ、今年の厳しい暑さを乗り越えるために、こんな詩を引いて終わる。 

            夏よ      根来眞知子 

   空が高くなり
   雲が薄くなり
   陽が穏やかになり

   寝付きが楽でぐっすり眠れて
   朝から体も良く動き
   そうだ
   爽やかな季節が戻ってくるのだ
   と気づくうれしさ
   さあ張り切ってみるかと一人つぷやく

   去りゆこうとしている
   夏よ
   おまえはいつからそこまで
   過酷な季節になったのだ
   焼かれるような暑さ それも連日
   たたきつけて降る雨 それも集中的に
   巨大台風の猛威 それもいくつも

        ・・・・・・・・

   肩をいからせるように去りゆく夏よ
          ・・・・・・・・

------------------------------------------------------------------------
まだ今年の夏は終わってはいない。
ヒロシマとナガサキの原爆への鎮魂の夏。
敗戦の日々の思い出の夏。
内外の為政者の「身勝手な」振舞いに対する「怒り」も、ふつふつと湧いてくるが、今日は根来さんの本を読んで、それらを、ぐっと抑えたい。
ご恵贈有難うございました。
私ほど老齢ではないが、もはや若くはないので御身ご自愛ください。        (完)



       
「詩遊」No.63/2019/Summer・・・木村草弥
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──冨上芳秀の詩──(3)

       「詩遊」No.63/2019/Summer・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この季刊の冊子が贈られてきた。
とにかく冨上芳秀氏はタフな人である。
こまめに、創作にグループ誌の発行に熱心に取り組んでおられる。
最近は毎年1月1日に詩集を刊行されてきたが、今年は都合で刊行できなかった、と謝まられる始末である。
先ず、掲出した冊子の挿絵をみてもらいたい。
冨上芳秀が出す詩集も、この冊子も、すべて上田寛子の手になるものである。
今回のカットの絵は「ASITA BLDG」と描いてあり、恐らく、これは「明日」ビルティングの謂いだろう。
またエレベータの階数表示のところには「63」と、この冊子の連番が描いてある、という「凝り」ようである。
いつもながら、斬新なイラストに敬意を表しておく。

二、三作品を抄出してみよう。

        水光る朝       立花咲也

   くの字に曲がった老人が
   乾いたアスファルトに
   ものすごい勢いで放尿している。

   と思ったら
   枯れたからだの
   ステテコの腰のあたりで持った   
   ホースで散水していたのだった
   ふ
   ふふふ
   思わず笑うと涙が止まらなくなる

   ・・・・・・・

   チリリ
   そろそろ通りたいので
   遠慮がちに自転車のベルを鳴らしてみる
   あっ
   ホースごとこっちに振り向いたら
   あかんっておじいさん
   わっ

   水滴る朝
   今日もきっと暑くなる
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ただいまは、この詩の終連の通り、焼け付くような暑い日が続いている。
それらの日々に因んで、この作品を頂いておく。

        カノッサの屈辱       桑田今日子

   何故だろうか
   時々、思い浮かんでしまう
   カノッサの屈辱という言葉
   世界史の教科書で見たのは
   破門されたローマ皇帝がひざまずいて
   教皇に許しを乞うている挿絵だった
   ・・・・・・・

   昔、軍隊の教練で街中を行進中
   馬から落ちた父は
   「貴様っ、馬に謝れっ」と上官に怒られ
   馬に土下座して謝った
   ・・・・・・・

   その娘が床にひざまずいて
   家の拭き掃除をしている
   「子持たずちゃ、かわいさげに。」
   どこかで聞いた一言を背に
   立ち上がるとき
   えいこらしょっと
   と、わなわなする膝に伝えた

   ・・・・・・・

--------------------------------------------------------------------
タイトルの「カノッサの屈辱」という言葉が的確であり、印象ふかい。

長いので引用するのは控えるが、
   数字遊び    冨上芳秀  という作品が面白い。
いつもながら冨上芳秀氏の「詩」は、プロットが秀逸である。
巻末の「編集後記」の文章の末尾に、こう、ある。
<・・・・・百年経てば、もう名前なんて影も形もない。名前なんか、どうでもいいではないか。
 詠み人しらずというのは、作者ではなく歌そのものが存在するということだ。
 その時、作者は世界そのものを手に入れて、世界そのものになることができる。>

何と凄い「揚言」ではないか。
冨上芳秀氏の今後に期待したい。               (完)




   

童話読むことも看とりや遠花火・・・及川貞
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    童話読むことも看とりや遠花火・・・・・・・・・・・・・・・・・及川貞

夏の風物詩と言えば、何といっても「花火」だろう。花火は何となく「はかない」。
それは華やかにパッと咲いては消えてゆくからである。

この句を見て思い出すことがある。
亡妻はガンとの闘病で末期には、うつらうつらと夢幻のうちに寝ていることが多かったが、私は傍で本などを読んでいたが、一週間に一晩だけ次女が付き添いを替ってくれた。
次女は妻に本の「読み聞かせ」をしたらしい。 
だから妻は「あなたは自分だけ本を読んでいるが、次女は本の読み聞かせをしてくれる」と苦情を言った。
掲出の及川貞の句は、恐らく病気の子供に童話の読み聞かせをしている景だろうが、その連想から、こんなことを思い出した次第である。

花火という季語は元来は秋のものであったというが、やはり夏がふさわしく、今では夏の季語として定着している。
花火大会というと昔から東京の隅田川の両国の花火大会が有名でカギヤ、タマヤという花火師がいたらしく、花火が揚がるたびにタマヤ、カギヤの掛け声がかかったという。
tamura花火①

関西では、PL花火大会、琵琶湖花火大会、7月25日の天神祭の後、8月はじめに大川で挙行される花火大会などが有名である。
花火は火薬を使用するので花火師に危険は、つきものである。
今ではテレビなどの映像で知るだけでも、みんな会社組織になっている。国際的に活躍している人たちも多い。
日本の花火は一つ一つが芸術的に出来ているが、外国のものは数にまかせて一度にたくさん打上るものが多い。
日本の二尺玉、三尺玉などの単発の芸術作品もいいが、外国の数で押す手法と混合するのも、よいのではないか。
20000914_099_99n花火

ここに掲げた写真は、いずれもWeb上から拝借したものだが、これだけ鮮明に花火を撮るのは難しい。これらの写真は、よく撮れている。
ootutu②尺玉打上筒

四番目の写真には「尺玉打上筒」の説明がある。私は初めてお目にかかるもので、その大きさに改めてびっくりする。
今では打上げはコンピュータ制御で操作するらしいが、その制御に至る準備が大変だろう。
昔は打上げの際の爆発事故で目や手足を損傷した花火師もいた。今でも花火工場の爆発事故などもある。
打上げの際の華やかさに比べて、花火の製造や準備は地味なもので、ご苦労が偲ばれる。
であるから、花火を見る際には、それらのご苦労に対して、一瞬でも心を致したい。
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以下、花火を詠んだ句を古今を通じて引いてみたい。

 小屋涼し花火の筒の割るる音・・・・・・・・・・・・宝井其角

 物焚いて花火に遠きかかり舟・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

 宵々の花火になれて音をのみ・・・・・・・・・・・・高浜虚子

 空に月のこして花火了りけり・・・・・・・・・・・・久保田万太郎

 子がねむる重さ花火の夜がつづく・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

 ねむりても旅の花火の胸にひらく・・・・・・・・・・・・大野林火

 花火あがるどこか何かに応へゐて・・・・・・・・・・・・細見綾子

 半生のわがこと了へぬ遠花火・・・・・・・・・・・・三橋鷹女

 黒き蔵王全し花火一瞬に・・・・・・・・・・・・杉本寛

 犬の舌したたかに濡れ揚花火・・・・・・・・・・・・荒谷利夫
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五番目の大野林火の句だが、私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)の中で、「辞世」①というコラージュ風の作品として

「ねむりても旅の花火の胸にひらく」冬の花火ってさみしくていいもんだよ・・・・・・・・木村草弥
                 *大野林火

という歌を作ったことがある。こういうコラージュの手法は絵画の世界では市民権を得ているが、歌の世界では、なかなか理解を得られず苦労した。

少年は樹液饐えたる甘き香をにほはせ過ぎぬ露けき朝を・・・木村草弥
010704aokanabun1アオカナブン

    少年は樹液饐(す)えたる甘き香を
        にほはせ過ぎぬ露けき朝を・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


学校の夏休みが始まり、いよいよ少年たちの楽しい夏だ。
掲出の写真は樹の樹液に集る虫である。  写真①はカナブンである。
樹液は甘い香りがして、実際は酢と甘さとアンモニア臭と色々のものが混ざったものらしい。
とにかく、昆虫採集をして樹液の近くに居ると、体に樹液の匂いが沁みつくもので、私の歌は、そんな少年の情景を詠んでいる。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたものである。
樹液の沁み出す樹の傷には、いろいろの虫が集ってくる。
虫にも強弱があり、力の強いカブトムシなどはズカズカと樹液に到達するが、弱い虫は遠慮がちにオズオズと周辺から辺りをみながら近づいてくるから面白い。
写真②はカブトムシの雌雄である。
kb-kabu2カブトムシ

私は少年の頃は虚弱児で、活動的な子ではなかったが、田舎ですぐ近くには雑木林があるような環境だったから上級生に連れられて虫を捕まえに行ったりした。
水泳なんかも、上級生に無理に川に突き落とされて、溺れまいと必死で泳ぎを覚えたものである。
三番目はミヤマクワガタの雄である。
miyamatarouミヤマクワガタ

四番目の写真はミヤマクワガタの雌である。

040629miyamaミヤマめす

おおよそ昆虫は雄が大きく牙も大きい。少年の頃は何も知らずに牙の大きいのを源氏、小さいのを平家などと呼んでいた。
(昆虫の雄が大きい、というのは正確ではない。バッタ、イナゴ、カマキリなどは雄が小さく、雌が大きい)
樹液の出る傷のある樹が見当たらない場合は、上に書いたように樹液に似た液を作って樹の洞などに置いておくと虫が集ってくるものである。
その辺は少年なりの知恵と言えようか。
蝉などは幾つもの種類が朝早くから、やかましく鳴いていた。あまり蝉採りなどはしなかった。
蝉の名前が思い出せない小さな蝉でじーじーと鳴くのがうるさかった。
夏の終りに近づくとかなかなと蜩(ひぐらし)が鳴き出す。ツクツクボウシも秋口の蝉である。

先日、暑いさなかをゴルフしていたら、何年も年月を経た大きなポプラの木に羽化した蝉の抜け殻があり、木の周りに地下から幼虫が出てきた穴が、
いくつもあった。日本の蝉は地下に数年棲んでいるから、幼木にはまだ蝉は棲みつかない。
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五番目はノコギリクワガタという立派なクワガタで、体の色が赤銅色に光っているのが特徴。この虫が子供たちにも人気があった。
昔はクヌギ、ナラなどの雑木は薪として利用されたので数年の更新期を経て伐採された。
そんなタキギとしての用途もなくなって、雑木林はうち捨てられた。
クヌギやナラは数年で更新されるから再生するのであって、切られなくなっては雑木林は衰退するばかりである。
琵琶湖のほとりに住む今森光彦さんは琵琶湖周辺を丹念にカメラに収めてきた人だが、琵琶湖周辺でも棚田や雑木林は、もう殆ど見られなくなった。
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虫などにまつわる私の歌を少し引いてみる。
私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)から

   沙羅の寺(抄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

楢の木の樹液もとめて這ふ百足(むかで)足一本も遊ばさず来る

かたつむりの竹の一節越ゆるを見て人に会ふべき顔とりもどす

蟻の国の事も知らずで箒もて掃くも殺すもガリバーの我
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新潮社の読書誌『波』2004年8月号の連載コラム「猫の目草」103回で、日高敏隆氏が「カブトムシたちの苦労」というのを書いてらっしゃる。
それを読むと、交尾の済んだカブトムシの雌は卵を生みつける手ごろな「腐葉土」を見つけて産卵すると、雌の一生は終る。カブトムシの幼虫は腐葉土を食べて育つ。
カブトムシと並んで子供たちの関心の的であるクワガタムシは、親はカブトムシと同じく樹液を唯一の食物としているのに、どういうわけか朽木に産卵し、幼虫は朽木を食べて育つ。朽木により腐り方がいろいろあり、クワガタムシの種類によって好みも違うが、総じて朽木は腐葉土に比べて栄養価がずっと低い。だからクワガタムシの幼虫が親になるには、少なくとも2、3年はかかる。けれど、その代わり、親は、カブトムシと違って2年以上生きられる。同じ樹液に集る虫なのに、カブトムシとクワガタムシは、まるで違った一生を過ごしているのである。
──こんなことは、今はじめて知ったことである。自然は一面、公平なところがあるのだ。
感心して追記しておく。

この記事を元にして『愛の寓意』(角川書店)に「樹液と甲虫たち」の題名で載せた。

空蝉は靡ける萱にがつしりとすがりて残る 青蝉よ翔べ・・・木村草弥
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    空(うつ)蝉は靡ける萱(かや)にがつしりと
        すがりて残る 青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


先日のBLOGの中で、蝉の抜け殻(うつせみ)について少し触れたので、今日は空蝉を詠った私の歌を載せる。
写真の蝉はアブラゼミかと思う。
二番目の写真から三枚つづけてアブラゼミの羽化の様子を載せる。
ll0021.kuma羽化①

二番目の写真は地中から這い出てきて、羽化するために足場をがっしりと固めた様子。
地中から這い出て来るのは目撃者によると夜8時頃からという。
羽化の途中は蝉の肌も弱く、敵に襲われたら一発でアウトなので慎重らしい。
羽化に失敗するのが、いくつもあるらしい。
一番目の写真のように葉っぱにすがって羽化するのもあり、地中から出て来た環境なりに羽化する足場を探すらしい。
いよいよ羽化がはじまり、幼虫の背中が割れて蝉が外に半身を乗り出した様子。
ll0031.kuma羽化②

この姿勢から下の方にのけぞり、全身が外に出た後、足で殻に捕まって、のけぞり姿勢を正し、ゆっくりと時間をかけて羽や全身を伸ばす。
羽にも血液が流れ、蝉の成虫の羽の大きさと色になってゆく。
この姿勢の時間は一晩をかけて、ゆっくりと行われる。
こうしてアブラゼミならアブラゼミなりの大きさと色に変わってゆくのである。
昆虫の場合には「変態」という用語を使うこともあるが、蝶や蝉など羽が生えて空を飛ぶものには「羽化」という言葉がふさわしい。
ll0011.kuma羽化③

四番目の写真では、羽化が終った蝉が抜け殻から離れたところに静止しており、右側に抜け殻が見えている。
写真で見るかぎり、まだ体の色はアブラゼミにはなり切ってはいない。
朝になれば羽化した蝉は餌(樹液など)や配偶者を求めて飛び立たなければならないから、それまでに全身を成虫の体にしておかなければならない。
蝉の成虫の命はせいぜい10日か2週間と言われている。
地中で木の根から樹液を吸って生きる数年の期間のことを考えると、誠にはかない命と言うべきだろう。
その故に日本人は古来から多くの詩歌に詠んできたのである。
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以下、私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載る一連の歌を引用する。
これらはWeb上のHPでもご覧いただける。

    青蝉よ翔べ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   別離とは白き紙かも夏逝くといのちの影をうつしてゐたり

   かるかやにすがりて羽化を遂げし蝶あしたの露にいのち萌え初む

   空蝉は靡ける萱(かや)にがつしりとすがりて残る 青蝉よ翔べ

   青蝉は野仏の耳をピアスとし脱皮の殻を残しゆきけり

   野仏の遠まなざしのはたてなる笠置山系に雲の峰たつ

   <汗匂ふゆゑにわれ在り>夏草を刈りゐたるとき不意に想ひぬ

   ひたすらに地に生くるもの陽炎(かぎろ)ひて蟻の行列どこまでつづく

   罪いくつ作り来しとは思はねど差しいだす掌(て)に蟻這はせをり

   蟻の列孜々(しし)と励みし一日は日の昏れたれば巣穴に戻る

   呵責とも慰藉(いしゃ)ともならむ漂白の水に漉かれて真白き紙は

   翔べるものわが身になくて哀しめば蜻蛉(あきつ)は岸の水草を発つ

   身も影もみどりとなりて畦(あぜ)渉る草陽炎の青田つづける

   法師蝉去(い)んぬる夏を啼きゆくははかなきいのちこそ一途なれ


「詩と詩人集2019版」所載作品「後水尾院と一絲文守。立花と庭園。」・・・木村草弥
詩と思想_NEW
 ↑ アンソロジー「詩と思想・詩人集2019」 /2019/08/31刊
320px-一糸文守
↑ 一絲文守 肖像 
ikebana_rikka_pic2_l立花正風体
 ↑ 「立花」正風体
img1b334b6bzikfzj修学院離宮
 ↑ 修学院離宮 下の茶屋から

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──草弥の詩作品「草の領域」──(95)

      後水尾院と一絲文守。立花と庭園。・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・アンソロジー「詩と思想・詩人集2019 」所載・・・・・・・

   一絲(いつし)文守(ぶんしゆ)は後水尾院に寵愛された僧である。
   後水尾院は政治的、権力的な繋がりの人物よりも、
   こういう文人肌の人を好まれた。
   院は弟の近衛信尋の仲介によって、彼に出会った。
   ただ若くして早逝したので、長命の院と違って、
   エピソードには乏しいが、いかに寵愛されたのかが
   判るのが、死後三十年も経たのちに「仏頂国師」の
   号を贈られていることである。

   後水尾院が力を注がれたのが「立花」と「庭園」だ
   と言われている。

   「立花」は、譲位後の後水尾院が和歌と並んで最も
   情熱を注いだ遊芸である。
   いわゆる禁中大立花(寛永立花)においては、二代・
   池坊専好が後水尾院の庇護のもと指導的役割を果た
   している。
   今日、立花を高度の芸術として大成させたのは専好
   とされるが、日本花道史の側からみても後水尾院は
   最大のパトロンの一人であった。
   近衛家熙が記した『槐記』の享保十三年(一七二八)
   二月四日の条には、立花に才能を発揮していた尭然
   法親王(獅子吼院。後水尾院第十皇子)に対して、
   後水尾院が、自分の歯が悪くなったのは立花のため
   であるから、ほどほどにせよと忠告したという逸話
   が載っている(一般に、物事に凝ると歯が抜けると言
   われる)。もっとも、この話には落ちがあって、法親王は、
   後水尾院の歯が抜けたのは立花のせいではなくて
   和歌のせいだと言って笑ったという。

   「庭園」は、もちろん修学院山荘のことである。
   寛永十八年(一六四一)頃鹿苑寺の鳳林承章に命じて
   衣笠山付近に適地を求めさせるなど検討を統けて
   いたが、明暦元年(一六五五)長谷への行幸の途次、
   第一皇女梅宮(文智女王)のいた円照寺に後水尾院が
   立ち寄ったところ、その一带が気に入り、ここに山荘
   を造する構想が成ったらしい。
   万治三年(一六六〇)頃には、ほぼ完成していた。
   現在では、上・中・下の茶屋が存するが、万治にでき
   た当時はまだ中の茶屋はなかった。
   上の茶屋は最も壮大な庭園で、小高い隣雲亭に立って、
   眼下の浴竜池から遥か京都北山一带へと目を移していく
   と、雄大な景色を我が物にしようとした帝王ぶりを味わ
   うことができる。

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かねて原稿提出中の本書が、早目に刊行されたのでアップしておく。
どうということのない散文詩である。
これは昨年刊行した『修学院幻視』に関係する記事で、もともとの原稿にあったものだが、詩集からは省略したものである。
ここに、それを補うものとして出しておく。







睡蓮の咲くも閉づるも夢寐のうち和上の言ひし朱き蓮よ・・・木村草弥
a0019858_2277睡蓮②

    睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち
       和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。しかし自選の中には収録していないのでWeb上ではご覧いただけない。
掲出した写真の一番目、二番目のものは、いずれも「睡蓮」であり、素朴な可憐な蓮である。フランス人画家・モネの絵も、この蓮である。
a0019858_22541睡蓮

蓮には多くの種類があり、花を観賞するだけでなく、食用の「蓮根」として地下茎の部分を極端に太らせる品種改良したものなど、さまざまである。
鑑賞用の蓮にも古代の蓮「大賀蓮」のように古代の古墳から出た蓮の種から発芽させたものなど色々ある。
私の住む辺りは昔から地下水が豊富に「自噴」する地域として、その水を利用した「花卉」(かき)栽培が盛んで、
海芋(かいう)──カラーや、花菖蒲などが栽培されるが、これからのお盆のシーズンの花として「花蓮」が水田で栽培され、
夏の強い日差しの中にピンクの鮮やかな花を咲かせる。
a0019858_194529花蓮②

a0019858_191621花蓮

もちろん商品として出荷するものは「つぼみ」のうちに切り取り、葉っぱも添えて花市場に出荷される。
摘採は太陽のあがる前の早朝の作業である。月遅れ盆の8月上旬が出荷のピークであり、この時期には臨時に多くの人を雇って、早朝から作業する。

私の歌に戻る。
作歌の場面は、奈良の唐招提寺である。説明する必要もなく一連の歌の中に詠み込んであるので、歌を見てもらえば判ることである。
唐招提寺の一連の歌は「夢寐」と題して詠んでいる。
「夢寐」は、漢和辞典にも載るれっきとした熟語で「寐」=「寝」の字に同じである。
その後に引続いて「西湖」と題する一連から蓮に関するものを引用しておく。
いずれも『嬬恋』(角川書店)に載るもの。

    夢寐・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 

   睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ

   くれなゐの蓮は鑑真のために咲き朝日さしたり安心(あんじん)の池

   結跏趺坐和上のおはす堂の辺の蓮に朝(あした)の日照雨(そばへ)ふるなり

   <蓮叢を出て亀のゆく苦界あり>さわさわと開花の呼吸整ふ
           *丸山海道

   くれなゐの蓮群れ戯(そば)ふ真昼間の風はそよろと池を包みぬ

   睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたび過(よ)ぎる

      西湖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

   <睡蓮の中に西施が舫(もや)ひ舟>西湖の蓮にわれ逢ひ得たり
               *堀古蝶

   睡蓮の花閉ぢむとして水曇る金色の夕べ波立ちゆらぐ

   睡蓮にぴりぴり雷の駆けゆけり花弁をゆらし騒だつ水面

   声明(しやうみやう)に湖の明けゆく水面には岸にむかひて日照雨ふるなり

   てのひらに蓮の紅玉包みたし他郷の湖を風わたりゆく

   湖に真昼の風の匂ふなり約せしごとく蓮と向きあふ

   手にすくふ水に空あり菖蒲田の柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ

   戻り来しいのち虔(つつ)しみ菖蒲田を妻と歩めば潦(にはたづみ)照る
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「日照雨」(そばえ)とは、陽が差しているのに小雨がはらはらと降ること。別名「きつねの嫁入り」などという。
「潦」(にわたずみ)とは俄か雨などで一時的に出来た水溜りのこと。




百日を咲きつぐ草に想ふなり離れゆきたる友ありしこと・・・木村草弥
hyakun3百日草②

    百日を咲きつぐ草に想ふなり
        離れゆきたる友ありしこと・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

「百日草」は名前の通り夏の間、百日間も秋まで咲きつづける草花である。病気などにも罹らず極めて強い花である。
この歌は「花言葉」をネタに歌の連作を作っていた時のものであり、百日草の花言葉は「不在の友を想う」である。
花言葉のことだが、私の歌の「離れゆきたる友」というのは正確ではなく、私の方から何となく離れていった、というべきだろうか。
私の性癖として、友人、知人の何らかが鼻につくと身を引くところがあるのである。
一種の潔癖主義というか、包容力のなさ、ということであろうか。

hyakun2百日草③

百日草に戻ると、この草は私の子供の頃からある草で日本の草のように思っていたが、外来種らしい。外国では「薬用」として栽培されていたという。
地味な花で、今では余り盛んに植えられては居ないようだ。

nichin6日日草

今では、これも秋まで百日以上も咲きつづける写真③の「日日草」が、これに取って代わるだろう。
極めて安価な草で、病気にも強く、広く植えられている。私の方でも植えている。
いま調べたところ「百日草」はメキシコ原産でキク科の一年草で、「日日草」は西インド原産でキョウチクトウ科の一年草という。
歳時記にも、両方とも載っているので、それらを引いて終わりたい。

 百日草ごうごう海は鳴るばかり・・・・・・・・三橋鷹女

 蝶歩く百日草の花の上・・・・・・・・高野素十

 これよりの百日草の花一つ・・・・・・・・松本たかし

 一つ咲き百日草のはじめかな・・・・・・・・瀬野直堂

 病みて日々百日草の盛りかな・・・・・・・・村山古郷

 心濁りて何もせぬ日の百日草・・・・・・・・草間時彦

 朝の職人きびきびうごき百日草・・・・・・・・上村通草

 毎日の百日草と揚羽かな・・・・・・・・三輪一壺

 母子年金受く日日草の中を来て・・・・・・・・紀芳子

 働かねば喰えぬ日々草咲けり・・・・・・・・佐伯月女

 日日草なほざりにせし病日記・・・・・・・・角川源義

 紅さしてはぢらふ花の日日草・・・・・・・・渡辺桂子

 日日草バタ屋はバタ屋どち睦び・・・・・・・・小池一寛

 嫁せば嫁して仕ふ母あり日日草・・・・・・・・白川京子

 些事多し日日草の咲けるさへ・・・・・・・・・増島野花

 出勤の靴結ふ日ざし日日草・・・・・・・・鶴間まさし





藤原光顕の歌「晩春の庭」15首・・・木村草弥
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──藤原光顕の歌──(42)

      藤原光顕の歌「晩春の庭」15首・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                 ・・・・・・「芸術と自由」誌2019/No.318掲載・・・・・・・・

         「晩春の庭」       藤原光顕  

   陽の溜まり 伐ってしまった枇杷の木がまだあるような晩春の庭
   わたくしのいない世界のなつかしさ古い畳に陽が射している
   天神さんの池畔で鯉など描いている若い背中が絵になっている
   粗鬆症ではなく四度骨折した 骨折ったことは数えきれない
   今年も咲いた躑躅遺影に見せてやる四年前とおなじ笑顔に
   無造作に本売っていた若い日の後悔がまた積ませてしまう
   希望日時こまかく分けて 束の間の留守をねらって宅配は来る
   西日の交差点渡って 仕遂げれば死んでもいいというものがない
   虎視眈々という勢いで 落ちた硬貨は一気に狭い隙間に潜る
   自転車も乗れなくなって歩いて行く 敗けると決まった投票所まで
   したがると言えばされたくない側がきっとどこかにいるんだと思う
   絶え間なく喋っているがわかっいる 傍目にはただの独り言です
   要る要らぬ分ければ大抵要らぬものけれど要るもの部屋にあるから
   いずれにしても途中で死ぬんですからと笑った顔は途中だったか
   体調悪いし頭の調子もっと悪いし わほっきのお部屋覗いて過ごす
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藤原さんの作品が載った「芸術と自由」誌が送られてきた。
相変わらずの藤原節だが、作品の出来具合は、藤原さん主宰の「たかまる」よりも、いい。
これは多分、「たかまる」誌だと、自分の冊子だからという油断があるからだろう。
「自転車も乗れなくなって歩いて行く 敗けると決まった投票所まで」という歌を拝見すると、藤原さんは偉い、と思う。
私など政治には、アベには絶望しているから、ここ三年ほど投票に行ったことがない。
余計なことを書いてしまった。暑さに向かう折から、どうぞ御身ご自愛ください。


     

           
昼顔のあれは途方に暮るる色・・・飯島晴子
hamahiru021浜昼がお
 ↑ ハマヒルガオ

    昼顔のあれは途方に暮るる色・・・・・・・・・・・・・飯島晴子

「昼顔」は、およそ野生のもので、よく目にするものとしては「浜昼顔」であろうか。
ヒルガオ科の蔓性多年草で、各地の海岸の砂地に自生する。
砂の中に地下茎が横に走り、地上茎も長く伸びて砂の上を這い、丸くて厚く、光沢のある葉を互生する。
旺盛な繁殖力で、ときに広い面積に群生しているのを見かけることがある。
地域によって異なるが5、6月ごろ葉腋に長い柄を出し、淡い紅色の花を上向きに開く。

なお、ヒルガオとハマヒルガオは、同じヒルガオ科ではあっても「属」は違うようである。素人の私が見ても「葉」の形が違う。
私は、この両者を混同している訳ではないので、敢えて書いておく。

この飯島晴子の句は、他の「存在感」を誇示するような花ではなく、地味に生きているヒルガオを「途方に暮れる色」と表現したのが秀逸である。

飯島晴子については ← いろいろ書いたので、ここを見てもらいたい。

私には昼顔や浜昼顔を詠んだ歌はないので、歳時記から句を引いて終わる。

 きらきらと浜昼顔が先んじぬ・・・・・・・・中村汀女

 浜昼顔咲き揃ひみな揺れちがふ・・・・・・・・山口草堂

 浜昼顔風に囁きやすく咲く・・・・・・・・野見山朱鳥

 はまひるがほ空が帽子におりてきて・・・・・・・・川崎展宏

 浜昼顔タンカー白く過ぎゆける・・・・・・・・滝春一

 浜ひるがほ砂が捧ぐる頂きに・・・・・・・・沢木欣一

 つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・・・・・・清崎敏郎

 海高し浜昼顔に跼む吾に・・・・・・・・森田峠

 浜昼顔鳶が落とせし魚光り・・・・・・・宮下翠舟

 浜昼顔廃舟錨錆び果てぬ・・・・・・・・小林康治

 潮泡の音なく崩れ浜昼顔・・・・・・・・稲垣法城子

 天日は浜昼顔に鬱(ふさ)ぎつつ・・・・・・・・中村苑子

 浜昼顔島の空港影もたず・・・・・・・・古賀まり子

 風筋は浜昼顔を駈け去りし・・・・・・・・加藤三七子

 這ひながら根の消えてをり浜昼顔・・・・・・・・高橋沐石

 海鳴りや浜昼顔の引けば寄り・・・・・・・・下鉢清子

 浜昼顔に坐すやさしさの何処より・・・・・・・・向笠和子


「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」デビュー作が『鼻』であったことを思い出してくれたまえ・・・木村草弥
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     「水洟(みずばな)や鼻の先だけ暮れ残る」
      デビュー作が『鼻』であったことを思い出してくれたまえ・・・・・・・・・木村草弥


昭和2年7月24日午後1時すぎ、芥川龍之介は伯母の枕元に来て、明日の朝下島さんに渡して下さいと言って、この句<水洟や鼻の先だけ暮れ残る>を書いた短冊を渡した、という。
彼の辞世の句である。

短冊には「自嘲」と前書きしてあったことから、芥川の文業の終末を象徴せしめる凄絶な辞世の句となって了った。

この歌は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社刊)にコラージュ風の作品「辞世②」に載せたものである。この歌は「口語、自由律、現代かなづかい」を採っている。

chirashi芥川ポスター
二番目の写真は2004年4.24~6.6神奈川近代文学館で開かれた「芥川龍之介展」のポスターである。彼の生涯は1892年から1927年の35年間であった。

三番目の写真は『侏儒の言葉』の復刻版の函である。
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芥川龍之介は1892年に東京市京橋区入船町で出生、辰年辰月辰日辰の刻に生まれたというので「龍之介」と命名されたという。東大在学中に同人雑誌「新思潮」に大正5年に発表した『鼻』を漱石が激賞し、文壇で活躍するようになる。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、江戸時代の人物、事件、明治の文明開化期など、さまざまな時代の歴史的文献に題材を採り、スタイルや文体を使い分けた、たくさんの短編小説を書いた。
体力の衰えと「ぼんやりした不安」から自殺。その死は大正時代文学の終焉と重なると言える。
彼の死の8年後、親友で文芸春秋社主の菊地寛が、新人文学賞「芥川賞」を設けた。

931akutagawa5羅生門
四番目の写真は『羅生門』だが、先に書いたようにいろいろの時代を題材にした中でも、これは有名な作品。後年、映画化などの際のネタ本となった。
芥川は、晩年『文芸的、余りに文芸的』という評論で「新思潮」の先輩・谷崎潤一郎と対決し「物語の面白さ」を主張する谷崎に対して、「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、
これがずっと後の戦後の物語批判的な文壇のメインストリームを予想させる、と言われている。
芥川は「長編」が書けなかった、などと言われるが、それは結果論であって、短編小説作家として、「賞」と相まって新しい新進作家を誕生させる記念碑的な存在である。


akutagawa-tokyo30w我鬼先生
五番目の写真は「樹下の我鬼先生」という自画像である。彼は俳号を「我鬼」と称し、多くの俳句を残している。
 
 人去ってむなしき菊や白き咲く

これは夏目漱石死後一周忌の追慕の句。同じ頃、池崎忠孝あての書簡には

 たそがるる菊の白さや遠き人

 見かえるや麓の村は菊日和


の句が見られるが、これも漱石追慕の句。 以下、すこし龍之介の句を引く。

 稲妻にあやかし舟の帆や見えし

「あやかし」は海に現れる妖怪をいう。謡曲「船弁慶」や西鶴の「武家義理物語」に登場する。俳句にも、こういう昔の物語に因むものが詠まれるのも芥川らしい。

 青蛙おのれもペンキぬりたてか

大正8年3月の「ホトトギス」雑詠のもの。友人がルナール『博物誌』に「とかげ、ペンキ塗りたてにご用心」があると指摘したら即座に、だから「おのれも」としてあると答えたという。

掲出の句 <水洟や鼻の先だけ暮れ残る> は『澄江堂句集』所載。そのイキサツは先に書いた。

 唐棕櫚の下葉にのれる雀かな

大正15年7月の「ホトトギス」に芥川は「発句私見」を書き、「季題」について「発句は必ずしも季題を要しない」としている。こうした論は芭蕉の「発句も四季のみならず、恋、旅、離別等無季の句有たきものなり」に影響されたものと言えよう。

先に掲げた『侏儒の言葉』の中には

 人生はマッチに似てゐる。重大に扱ふには莫迦々々しい。重大に扱はなければ危険である。

という「箴言」が載っている。これは芥川らしい「箴言」で、正と負の両方に1本のマッチを擦ってみせている。彼の説明によれば「論理の核としての思想のきらめく稜線だけを取り出してみせる」という技法に傾倒していた。
ということは、芥川にはもともと箴言的なるものがあり、この箴言の振動力を、どのように小説的技法となじませるかを工夫し続けてきたのだった。こうした箴言だけをアフォリズムとして書き連ねたのが、この本だと言える。

931akutagawa8全集
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私の掲出の歌で「デビュー作」としているのは正確ではない。
処女作は、この3年前に「新思潮」に出ているが、有名になったのは、この『鼻』であるので、ご了承願いたい。
今日7月24日が芥川の「忌日」であるので、日付にこだわって載せた。


聖女ベルナデッタゆかりのサン・ジルダール修道院教会・・・木村草弥
110521-lourdes7601サン・ジルダール修道院
↑ サン・ジルダール修道院教会
110521-lourdes7261ベルナデッタの棺が安置されている聖堂
 ↑ 聖女ベルナデッタの棺が安置されている聖堂
110521-lourdes6631サン・ジル 水の聖母
 ↑ 「水の聖母」像

──巡礼の旅──(15)─再掲載・初出2013/07/28

     聖女ベルナデッタゆかりのサン・ジルダール修道院教会・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この修道院は、奇跡の水で有名なルルドの聖女ベルナデッタが後半生の身を寄せたところであり、彼女は、ここで亡くなった。
ここ、ブルゴーニュ地方ニエーヴル県の県庁所在地ヌヴェールは、パリ南方約200キロのロワール川とヌヴェール川の交わるところにある。
ここには現在は、ルルドと同じように奇跡の洞窟が再現され、そこに湧く水もルルドから運ばれてきているという。
詳しくは、→ 「ベルナデッタの奇跡」のページに詳しい。

私は何も「奇跡」を信じているわけではないが、先に「ルルド」のことを書いたので、その延長線上のものと理解されたい。
「病を癒す奇跡の泉「聖地ルルド」への旅」については ← を参照されたい。

110521-lourdes7711聖ベルナデッタの遺体
 ↑ 聖ベルナデッタの遺体

ここでは聖女ベルナデッタの遺体も拝めるようになっているが、まるで生きて眠っているかのようだが、これはミイラ化した遺体の顔と指先を「蝋細工」加工したものである。

蛇足だが、
教会という単語は、カトリック教会といった意味の大きな概念から、個別の聖堂共同体(小教区)という意味まで、
かなり使い方に幅があると思われるが、後者の地元教会的な意味としては、

教会とは、多くの一般信者からなる信仰共同体で、司祭(神父)が奉仕職として司牧するところ、ミサに一般信者が集う。
他方、修道院とは、修道者による共同体で、それぞれの修道会の目的による修道生活を行なうところ。
一般信者の共同体である小教区(教会)を委託されている場合、教会への司牧も行なうが、 本質的には、修道生活を行なうことが本分だといえる。
修道会は多数あるが、大きく分類すると観想修道会と活動修道会の二種類があり、 前者は基本的に祈りを中心とした修道生活を行なう。
後者は教育など修道会それぞれの社会活動を通して、神の愛を告げ知らせる活動をする。

勉強に例えると、
教会とは皆が集まる教室のようなところ、修道院とは研究者による研究室のようなところ...といえるかも知れない。
「修道院も教会みたいにミサや冠婚葬祭などの儀式を行」なうが、それは修道活動の中で行なうものである。

修道会は修道者による会であり、男性の修道会と女性の修道会がある。
修道者とは「貞潔」「清貧」「従順」という誓願を立て、奉献生活を行なう人を言う。
家族を持たず、私有財産を放棄し、長上の指導に従い、徹底的にイエスに倣って生きる。
男性の修道者には、司祭(神父)に叙階された修道司祭と、司祭以外の形で修道生活を生きる修道士がいる。
女性の修道者(修道女)の場合、司祭叙階はない。
別の切り口からいうと、司祭には、教区司祭(一般の司祭)と修道司祭(上記の修道者である司祭)の二種類があることになる。

カトリックの場合は僧職者は、昔の仏教のように「妻帯禁止」である。
聖母マリアは大工である夫が居たが、処女懐胎によってキリストを産んだことになっている。
つまりキリスト教にとっては肉欲は「罪」なのであり、童貞、処女が清らかなものとされる。
修道者は、その理想を体現しているものとされるわけである。

そんなキリスト教にあっても、世の中、せちがらくなって、修道院入りをめざす人はめっきり減ってしまった。
入り手が無くなって閉鎖される修道院も珍しくない昨今である。


散文詩 「イスラームの楽園 Paradis d'isram」・・・木村草弥
免疫系_NEW

──草弥の詩作品「草の領域」──(22)─再掲載 (原執筆2004/06/29)

      散文詩 「イスラームの楽園 Paradis d'isram」・・・・・・・・・・・・木村草弥

この詩は私の第一詩集『免疫系』2008/10/25角川書店刊に載るものである。

      散文詩 イスラームの楽園 Paradis d'isram

      ──敬虔な信者に約束された楽園を描いてみようなら、そこには
      絶対に腐ることのない水をたたえた川がいくつも流れ、いつまで
      経っても味の変わらぬ乳の河あり、飲めばえも言われぬ美酒の河
     あり、澄み切った蜜の河あり、また、そこではあらゆる種類の果実が実り、
     その上、神の赦しがいただける.............。
                          ───(コーラン第四七章)────


イスラームとは、「神に身をゆだねる」という意味である。
イスラーム教の楽園は、天国を指す。この世において信仰篤く、善行を励んだ者は、
その報いとして、死後、楽園に入ることが許される。この楽園は、キリスト教世界
とは異なり、禁欲的な世界が全く存在しない。
コーラン第四七章に書かれるような花園。
これは、現世のイスラーム教徒(ムスリムという)の抑圧された欲望の反映のように
さえ見える。
それに反して、地獄は業火と熱風の灼熱の世界として描かれる。
喉の渇きをいやすために、ぐらぐらと煮えたぎる熱湯を、渇き病にとりつかれた駱駝
さながらに飲み干さなければならない。
楽園にあるのは、砂漠で最も魅力的な存在である「水」のイメージである。
イスラーム教徒にとって夢のような空間が、ここにある。

      ──えも言われぬ幸福の楽園に入る人々。
      向かい合わせでゆったりと手足を伸ばせば、永遠の若さを受けた
     お小姓がお酌にまわる。
      この酒はいくら飲んでも、頭が痛んだり、酔って性根を失ったり
      しない。
     その上、果実は好みに任せ、鳥の肉など望み次第。目涼しい処女
      たちは、そっと隠れた真珠さながら...........。もうそこでは、くだら
      ない馬鹿話も罪作りな話も聞かないですむ。
      耳に入るのは「平安あれ」「平安あれ」のただ一言..........。
                      ───(コーラン第五六章)────


地上のパラダイス「アル・アンダルス」
西暦711年、アラブ人とベルベル人からなるイスラム軍団が、ジブラルタル海峡を渡り、
わずか二年足らずでイベリア半島を制圧した。イベリア半島は「気候はシリアのように
温和で、土地はイエメンのように肥え、花や香料はインドのように満ち溢れ、吹く風も
麝香のように芳しい」と表現され、広大なイスラム帝国各地から、この地上のパラダイ
スを求めて多くの人が集った。
その中に、アッバース朝の粛清を逃れたウマイヤ朝の若い王子がいた。長い放浪の末に
王子はイベリア・ウマイヤ朝を築き、アッバース朝への敵愾心をむき出しにして帝国の
繁栄に心血を注いだ。当時、パリやロンドンが人口三万にも満たない頃に、首都コルド
バは百万近くの人口を抱えていた。世界中から一流の学者、芸術家が集り、医学、数学、
天文学、文学などさまざまな分野で華々しい成果をあげていた。また、自由な気風の中
で宗教の垣根を越えてキリスト教徒も学問に励み、のちにヨーロッパ・ルネッサンスを
生み出す基礎がここに築かれていた。

この繁栄も政権の内部崩壊とキリスト教徒のレコンキスタ運動に圧迫されて敗退するが、
迫り来るキリスト教徒の気配を濃密に感じながら生きてきたイスラーム教徒の死の恐怖
と悦楽...........。
コーランには、このような楽しい来世の話ばかりではない。生きるために、正当なイスラ
ームの血の家系を守るためには、戦争、略奪、殺人も正当化される話も多い。
今や「聖戦」の名のもとに繰り広げられる殺戮は、その一面の反映であろうか。.
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先に、三井修歌集『海泡石』評を載せたが、その中で「クルワーン」─コーランに触れたところがあった。
そこに書いた私の第一詩集『免疫系』に載せた記事の原文を、ここに再録しておくので、読んでみてください。
「楽園」についての描写など、仏教あるいはキリスト教が説くところと、そっくりな気がするがいかがだろうか。
もとより私はイスラム教または「コーラン」については素人であり、この文章は或る記事を参考に書いたものなので、追及されても私には分かりかねる。
おまけに、この記事を書いたのは十五年以上前のことであり、今となっては私が読んだ「原」資料には当り得ないので、ご了承を願いたい。
私の理解の範囲では、「コーラン」は処世訓のようなものであり、難しい「教義」を述べたものではない。
いま世界で広がり続けるのはイスラム教のみであり、その原因として、この「平易」さに原因があるのではないかとという気がする。
間違っていたらゴメンなさい。 よろしく。



烈日に緑蔭つくる高槻の垂るる細枝のこともなげなる・・・窪田章一郎
sjk01ケヤキ

   烈日に緑蔭つくる高槻の
      垂るる細枝(え)のこともなげなる・・・・・・・・・・・・・・窪田章一郎


「槻」の木とはケヤキの高木のことであるらしい。
今しも「烈日」の容赦ない暑い日々である。
父の窪田空穂の短歌結社の名が「槻の木」だった。この歌は歌集『定型の土俵』(94年刊)所載。

窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 ~ 2001年4月15日)は、歌人。窪田空穂の長男として長野県東筑摩郡島立村に生まれる。旧制豊山中学校(四年修了)を経て早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師、教授、名誉教授を歴任。国文学者としては西行研究の第一人者であった。

1980年、「素心臘梅」で第14回迢空賞受賞。1988年、「窪田章一郎全歌集」で第11回現代短歌大賞受賞。1995年、「定型の土俵」で第2回短歌新聞社賞および第10回詩歌文学館賞受賞。

門下に馬場あき子、岩田正、篠弘、島田修三などが居る。

掲出歌の「烈日」に因んで、次のような歌を選んでみた。

  透きとほる枝さき宙を射す白日(まひる) 一途に山毛欅(ぶな)の木の芽炎え立つ・・・・・・・・鈴木実

  にほひたつ舗装道路の炎昼を戸籍抄本いつぽん取りぬ・・・・・・・・・・・・・・・前川佐重郎

  入り日にもなほ落日の瞬間がありてたまきはる内に沈みぬ・・・・・・・・・・・・・・岡井隆

  素はだかの入り日砂漠に見届けて城去る時を尖る三日月・・・・・・・・・・・・・・田中成彦

  こんなにも赤いものかと昇る日を両手に受けて嗅いでみた・・・・・・・・・・・・・・山崎方代

  落日は一天四海の光吸ひかく燿ふや炎と燃えて・・・・・・・・・・・・・・・・比嘉美智子

  むらさきに砂を焦がして炎上すメソポタミヤの大き落日・・・・・・・・・・・・・篠 弘

  焔立ち大き日輪のゆるぎ出づるたまゆら地球自転を速む・・・・・・・・・・・・植松寿樹

  アナトリアに今沈みゆく太陽の器となりて湖輝きぬ・・・・・・・・・・・・・大原輝子

  けさ首里の太陽(テイダ)はおぼろ顔のない女のように日傘をひろげ・・・・・・・・・佐野豊子

  太陽も滅びに向かふと読みて知り心ふるへき少年の日に・・・・・・・・・・・・宮地伸一

  ビルのうへの雲輝けり彼方にはあらむ太陽の灼熱の球・・・・・・・・・・・・浜田棟人

  没つ陽の大きたゆたひにめくるめくにんげんといふこの身もてあます・・・・・・・・・成瀬有


三井修第十歌集『海泡石』・・・木村草弥
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 ↑ 海泡石の原石
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 ↑ 海泡石パイプ (イメージ)

──三井修の本──(6)

     三井修第十歌集『海泡石』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・砂子屋書房2019/07/21刊・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。
三井修さんの第十歌集ということになる。
この本には『汽水域』以降の歌453首を収めたものである。
「あとがき」に、こう書かれている。

  <長く空き家になっていた能登の実家を取り壊した。
    ・・・この期間たびたび能登へ帰っていたので、能登やその周辺の作品が多いことに気がついた。
    そのような作品だけでⅢに纏めてみた。・・・>

この「Ⅲ」については後で触れることにする。
先ず、この歌集の題名になっている「海泡石」のことである。
Ⅰ の初めの方に「海泡石」という項目名で、こんな歌が載っている。

  ちちのみの父の形見ぞ飴色のパイプはトルコの海泡石で

この歌から題名が採られているのである。
ご参考までに「海泡石」の原石や、それから作られたバイプの画像を出しておいた。
原石は白っぽいものだが、パイプは使いこまれて、煙草の脂(やに)で飴色になっいる、ということである。
今は嫌煙の煩い時代になったが、ひところは文化人の愛煙家などには、このパイプが流行ったものである。
この本は、先に書いた能登の実家の解体など、過去の思い出に繋がることを読んだ歌が多いのだが、この歌などは、その中でも一番の「思い出」に繋がるものだろう。

この本は、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ という三つの章立てになっており、数字のみで章名は付いていない。
配列が発表順なのかどうか、なども判らない。
この本には所属結社「塔」に発表したもの、短歌総合誌の巻頭作家であられるから、それらに発表されたものが並んでいる。
歌は極めてさりげなく、肩肘の力の抜けた様子で詠まれている。
もともと作者は自分の身内のことなどは詠まない人であったが、今回は家族に触れた歌が見受けられることを言っておきたい。
歌を引いてみよう。

   *掌につね胡桃の実鳴らしいし晩年の父を思う春の夜
   *あの胡桃いずこに行きしや飴色の小さき脳のごときあの実は

作者の父上というのは、どういう人だったのか。
何を仕事としていたのか、などは判らないが、パイプ煙草をくゆらしていた姿などを想像するとインテリゲンチアだったろうと考えられる。
ここに詠われる「胡桃の実」を、ころころと鳴らす仕種などから考えると、おのずから想像されよう。
私は現に農地を所有する農村暮しの者であるから、そういう実感から考えると、三井家は「地主」さんではなかったか。
作者は金沢市内で生まれた、とあるから、能登の田舎から早くに金沢市内に居を移していたのかも知れない。
この本には、実家の解体、土蔵に仕舞われていた箪笥の中の和服の売却などの歌に、一時代の去った「懐旧」の念を思うのである。
また、こんな一連の歌もある。

   *〈ファブリー病の診断 における問題点〉講じる我が子の真面目なる顔
   *男の孫のあれば夜更けて妻の言ういつか来るやも知れぬいくさを
   *家族性高脂血症とぞ長の子の塩基配列われより継ぎて

はじめの歌には「ネットでたまたま見た。」という前書きがあるので、私も検索してみた。
ご子息は医学者の道に進まれたらしい。三井 J という名前に行き当たった。(プライバシーに留意して名はローマ字にしておく。)
作者とは違う道をゆく立派な、ご子息の姿であり、作者としても誇らしいことであろう。
それらが、さりげなく詠われていて心地よい。
また「妻の言う」という歌なども、私は初めて気づいたものである。
こういう詠み方は、作者は、めったにされないので、今回は私の目に止まったということである。
身内にまつわる歌としては、あとでⅢに触れるところに書くことになる。
一巻は、気負うことなく、淡々と進行する。 それらの中から私の目に止まった歌を、いくつか引く。

   *辛き時飲む故郷の塩サイダー送られてこず叔母逝きてより
   *直を三つ重ねて矗という名前白瀬中尉はかかる人らし
   *セキュリティ・システム健気に働きて隣家の庭先灯りが点きぬ
   *倒立は楽しきかもよキッチンのマヨネーズまたケチャップ容器
   *アフリカのナミブ砂漠に咲くという花の名前は〈奇想天外〉
   *今日のこの寒さは桜の木にとりて休眠打破か 人らは急ぐ
   *休日の案内なれば五代目はポロシャツ姿にサンダルを履く
   *勧められ大吟醸を試飲して微酔の我は風を踏みゆく
   *出囃子は何とデイビー・クロケット昇太の眼鏡がきらりと光る

さりげない日常詠の歌を並べてみた。

   *若くしてアラブを旅しき 干上がりし鹹湖の白さ今に忘れず
   *水出ぬを英語でclaimしていたり夢の中にてホテルの主に
   *ナセルの死悼みてひと月休講となしたり我らのサムニー先生
   *ナセル死し服喪のサムニー先生の鳶色の眼を今に忘れず
   *ただ砂が見たかっただけアラビア語志望の我の真の動機は
   *齟齬ひとつありたる夜の静寂に砂とぶ音の幻聴のあり
   *今宵よりイスラム世界は断食に入りたるらしも 夜更けて暑し
   *イスラムの思想に遠くまた近く生ききて我の『クルワーン』古りぬ

これらの歌は、作者が長年「学び」「仕事」として執してきた事象を採り上げた。
一番あとの歌の『クルワーン』とは、イスラムの聖典コーランのことである。私も少しコーランを繙いたことがあるので少しは判る。
それについては第一詩集『免疫系』(角川書店)に書いておいた。
ご参考までに、その記事 → 散文詩 「イスラームの楽園」を覗いてみてください。


   *黒パンの酸ゆきを食めばいきなりに哀しみが湧く古都のホテルに
   *奈翁きてナチス軍来てなお落とせざりし街なり柳絮飛び交う

これらの歌は「羇旅」の歌として貴重な作品として私は受け取った。とりたてて「海外詠」とされていないのが佳い。

いよいよ、Ⅲ の作品に取り掛かる。

   *長町の武家屋敷行く黒猫の金のまなこの二つが光る
   *能登島を望む秋日の公園に我らは歌碑の字を読み泥む
   *この旅の終りに見たる千枚田波立つ海へ雪崩るるごとし
   *行き過ぐるどの里もみな柿の実をさわに垂らして奥能登晩秋
   *ふるさとの能登の山見ゆ此度こそ家を毀たん算段のため
   *古き戸をこじ開けおれば村人の訝るらしも声を掛けらる
   *遺影なる長兄仏間に残すまま戸を鎖して出る午後の日差しへ
   *能登七尾高沢蠟燭店製の和蠟燭なり今宵灯すは
   *気動車は能登路に入りぬこの度は母の着物を処分する旅
   *生母また継母の残しし着物なり処分するとて人を呼びたり
   *発電用風車が今朝は回りおり昨夜に佳きことありたるごとく
   *人住まぬ家より持ち来し青銅の龍の文鎮 雪の冷たさ
   *二カ月の後には雪の下ならん父母の墓石に深く頭を垂る
   *わが族散り散りとなり残りたる敷地に影を落とすものなし

とりとめもない歌の羅列に終始した。 お詫び申し上げる。
巻末に載る歌を一つ引いて終わる。 ご恵贈有難うございました。
この回から「カテゴリ」に「三井修の本」という項目を設置した。今まで「新・読書ノート」などに分類してきたものも改めた。

   風吹けば大き銀杏の梢より葉は散る黄金の旋律として           (完)



一文字に引き結びたる唇の地蔵よ雷雨の野づらをゆくか・・・木村草弥
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    一文字に引き結びたる唇の
       地蔵よ雷雨の野づらをゆくか・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

「地蔵菩薩」は五十六億七千万年先に弥勒下生、という仏教説話に基づいて衆生を救いにやって来るという。
特に、子供の守り神として古くから庶民に信仰されている親しみのある仏様である。
だから路傍や墓地の入り口に鎮座する「六体地蔵」などで目にするものである。
掲出した歌の一つ前に

風化の貌(かほ)晒せる石が記憶する蜜蜂の羽音と遠雷の響きと

という歌があるが、これも一体のものとして鑑賞してもらいたい。
時まさに「雷雨」の季節であるから、ふさわしいと思う。
私の歌のイメージは、雷雨の中もいとわずに子供たちを引き連れて地蔵が野づらを渡ってゆく、という空想である。
thumb_1085912032稲妻

「雷」を「いかづち」と言うが、これは元は「いかつち」で、「いか(厳)」「つ(の)」「ち(霊)」の意味であり、「いかめしく、おそろしい神」の意であった。
だから古くから「いみじう恐ろしきもの」(枕草子)とされてきた。そんな恐ろしい雷雨でも、地蔵には何ら支障はないのである。
そんなことを考えながら、以下の雷雨の句を見てもらいたい。雷は「はたた神」とも言う。

 はたた神過ぎし匂ひの朴に満つ・・・・・・・・川端茅舎

 夜の雲のみづみづしさや雷のあと・・・・・・・原石鼎

 はたた神下りきて屋根の草さわぐ・・・・・・・・山口青邨

 赤ん坊の蹠(あなうら)あつし雷の下・・・・・・・・加藤楸邨

 遠雷や睡ればいまだいとけなく・・・・・・・・中村汀女

 遠雷のいとかすかなるたしかさよ・・・・・・・・細見綾子

 激雷に剃りて女の頚(えり)つめたし・・・・・・・・石川桂郎

 遠雷やはづしてひかる耳かざり・・・・・・・・木下夕爾

 真夜の雷傲然とわれ書を去らず・・・・・・・・加藤楸邨

 鳴神や暗くなりつつ能最中(さなか)・・・・・・・・松本たかし

 睡る子の手足ひらきて雷の風・・・・・・・・飯田龍太

 大雷雨国引の嶺々発光す・・・・・・・・鬼村破骨






かがなべて生あるものに死は一度白桃の彫りふかきゆふぐれ・・・木村草弥
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      かがなべて生あるものに死は一度
          白桃の彫りふかきゆふぐれ・・・・・・・・・・・・木村草弥

  
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでもご覧いただける。
白桃と言っても早生から晩生までいろいろ種類があるので一概には言えないが、そろそろ桃が出回る季節になってきた。
いま私の座っている座敷机の前の床の間に、この歌を前・奈良教育大学書道科教授の吉川美恵子さんが書いていただいた軸が掛かっている。
吉川美恵子さんについては、ここで詳しく書いたので参照されたいが、「日展審査員」「読売書法会常任理事」「日本書芸院常務理事」「青丹会会長」などを務めておられる。
先生は「かな書き」の専門家であられる。

この歌は、私の最近の「死生観」を濃密に反映したものと言えるだろう。
人間だれでも一度は死ぬものである。一世を風靡する権力者も市井の凡人も、すべて等しく「死」は免れない。
われわれは、そのことを忘れて過ごしがちである。特に、若い時や健康に恵まれて順調な時には「死」は意識の中にないのが普通であろう。
だが、古来、賢人たちは、このことに何度もメッセージを発してきた。ヨーロッパにおけるキリスト教にいう「メメント・モリ」然りである。

一方の「白桃」というのは文学的なイメージの世界では「女性の臀部」を象徴するものとして知られている。
桃のもつ特有のなだらかな丸い形。それに胴に入るくびれの線から、そのように概念づけされて来た。
「シンボル・イメージ小事典」などにも書かれている。
私の歌は、そういうことを踏まえて「メタファー」を含んでいると理解いただきたい。
白桃という「生」に対応する「死」ということである。

字句の解説をしておくと「かがなべて」というのは、「かが」=日々である。
この言葉には歴史があって「古事記」の倭建命と御火焼の老人との会話

 新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる・・・・・
 日日なべて夜には九夜 日には十日を

というくだりに出てくるフレーズを踏まえている。「なべて」=並べて、であり、「かがなべて」=日々をかさねて、という意味になろうか。
意識して古代の文学的な伝統に連なりたい、というところから、こういう古語を使うことになる。

以下に歌集に載る当該の私の歌8首を引用する。

      かがなべて

  臥す妻に紅ほのかにも合歓の花のこよひ咲き初む つぎねふ山城

  白桃に触れたる指をいとしみてしばらく宙にかざしゐる宵

  唇(くち)を吸ふかたちにも似て水蜜桃(すいみつ)をすする夕べはほのあかりせり

  かがなべて生あるものに死は一度 白桃の彫り深きゆふぐれ

  わが味蕾すこやかなるか茱茰(ぐみ)ひとつ舌に載すれば身に夏の満つ

  執着を離れ得ざればかたつむり寝ても覚めても殻の中なる

  この夏の去りゆくものを追ひたてて炎となりて夾竹桃もゆ

  夕つかた虹の脆さを哀しめばわが痩身をよぎるものあり

一番はじめの歌の終りの部分「つぎねふ」というのは「山城」にかかる「枕詞」である。ここに引用した歌の小見出しの全体の章名を「つぎねふ山城」としてある。

歳時記から「桃」の句を引いて終わる。
なお俳句では「桃」は秋の季語である。今日では季節感とズレがある。

 さえざえと水蜜桃の夜明けかな・・・・・・・・加藤楸邨

 白桃を洗ふ誕生の子のごとく・・・・・・・・大野林火

 中年や遠くみのれる夜の桃・・・・・・・・西東三鬼

 朝市の雨沛然と桃洗ふ・・・・・・・・中島斌雄

 白桃に触れたる指を愛しみをり・・・・・・・・斎藤空華

 白桃に入れし刃先の種を割る・・・・・・・・橋本多佳子

 水蜜や足を清しく婚を待て・・・・・・・・秋元不死男

 白桃をすするや時も豊満に・・・・・・・・能村登四郎

 白桃や満月はやや曇りをり・・・・・・・・森澄雄

 白桃の浮きしが一つづつ沈む・・・・・・・・小松一人静

 桃冷す水しろがねにうごきけり・・・・・・・・百合山羽公

 乳房ある故のさびしさ桃すすり・・・・・・・・菖蒲あや

 と見かう見白桃薄紙出てあそぶ・・・・・・・・赤尾兜子

 白桃に触れてはがねの薄曇る・・・・・・・・松本秀子

 桃の実のほのぼのと子を生まざりし・・・・・・・・きくちつねこ


ランス「フジタ礼拝堂」Chapelle Foujita à Reims・・・木村草弥
800px-ChapelleFoujitaフジタ礼拝堂
↑ フジタ礼拝堂
p9251915フジタ礼拝堂①
 ↑ フジタ礼拝堂・聖母子
fujita_maria_lフジタ礼拝堂・祭壇画の聖母子
↑ フジタ礼拝堂・祭壇画の聖母子 拡大図
p1011138フジタ礼拝堂④ゴルゴダの丘への道行き
 ↑ キリスト・ゴルゴダの丘への道行き
f0095128_235273フジタ礼拝堂
 ↑ ステンドグラスが少し見える

──巡礼の旅──(14)─再掲載初出2013/07/23

      ランス「フジタ礼拝堂」Chapelle Foujita à Reims・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この礼拝堂については田中久美子さんが書いた → 「フジタ礼拝堂」というページがあるので、先ず、それを読んでもらいたい。 ↓
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     シャンパンの財が育んだランスのアートスポット
            フジタ礼拝堂
      ──平和を望んだ藤田嗣治晩年の傑作──


1913年、27歳の時に画家になることを夢見てフランスにやってきた藤田嗣治(Tsuguharu Fujita/Léonard Foujita)は、エコール・ド・パリのひとり としてパリのモンパルナス(Montparnasse)で大輪の花を咲かせます。
フジタは2度の大戦の後の1959年、ランスの大聖堂で君代夫人とともに洗礼を受けました。
そのときの代父はシャンパン・メーカー、マムの社長であるルネ・ラルー(René Lalou)。
そしてフジタは、マムの敷地内に平和の聖母に捧げる礼拝堂を作ることを思い立ったのです。

1966年初夏、80歳の画家は礼拝堂内部のフレスコ画に着手しました。
フレスコ画は漆喰を塗った壁が乾ききらないうちに素早く描かなければならないため、失敗が許されません。
大変な集中力を必要としますが、フジタは毎日12時間、壁と向かい合い、全部で200m²にもおよぶ空間をわずか90日間で仕上げました。
こうして秋に完成した礼拝堂は、ランス市に寄贈されることになりました。
正面の壁画にはキリストを抱いた聖母が描かれ、その右側のサインの部分に君代夫人が描かれています。
f0095128_23563772フジタ礼拝堂・君代夫人
 ↑ 君代夫人
君代夫人は2009年4月に逝去され、最愛の夫が眠る礼拝堂右側、≪最後の晩餐≫の絵の下に葬られました。

f0095128_23585717フジタ礼拝堂・最後の晩餐⑥
 ↑ 「最後の晩餐」 藤田夫妻は、この絵の下に眠る。

f0095128_23385616フジタ礼拝堂・磔刑図
 ↑ キリスト磔刑図

入り口上のキリスト磔刑図の右側には、ひざまずくラルーとフジタの自画像が描かれています。
f0095128_23523023フジタ礼拝堂・藤田の顔
 ↑ メガネの人が藤田。その左がマム社の社長ルネ・ラルー

ステンドグラスがある出窓の部分の壁には、この土地にふさわしくシャンパンの樽に腰掛ける聖母とキリスト、その向こうにはぶどう畑や大聖堂が見えます。
聖母を樽の上に腰掛けさせるという斬新な図像を描くにあたって、フジタは法王に許可を取ったと伝えられています。
ステンドグラスはフジタの下絵を、ランスの名匠シャルル・マルク(Charles Marq)の手によって仕上げられました。
その主題は、洗礼を受けたフジタの想いを表すかのように、「天地創造」や「アダムとイヴ」、「ノアの箱船」など『旧約聖書』からとられました。

f0095128_191295フジタ礼拝堂・七つの大罪
 ↑ 「七つの大罪」をテーマにした画は、傲慢、嫉妬、暴食、色欲、怠惰、貪欲、憤怒 が描かれている。

また聖具室の扉にも注目してください。
16枚の小さな絵がありますが、イタリア・ルネサンスのボッティチェリ(Sandro Botticelli)、ドイツ・ルネサンスのクラナハ(Lucas Cranach)やデューラー(Albrecht Dürer)など、美術史を飾る巨匠にフジタが捧げたオマージュになっています。

このように礼拝堂には、見るべきたくさんのディテールがありますが、礼拝堂奥の左右にあるステンドグラスは、故国日本に対するフジタのまなざしを感じ取ることができる作品です。
テーマは広島――。ヨーロッパとアジアで大戦を経験したフジタは、戦争の悲惨さを身にしみて痛感していたのでしょう。
この礼拝堂を平和の聖母に捧げたのも、穏やかな世界を希求してのことです。小さい空間のなかには、画家の強いメッセージがあふれています。

田中久美子(Kumiko Tanaka/文)
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彼については → Wikipedia 藤田嗣治 に詳しい。

こういう壁画の絵の中に作者やパトロンなどを描き込むのは画家の特権であって、古来いくつかの作例がある。
藤田は、それに倣ったのである。
田中さんも書いているように、シャンパン・メーカーとして功なったマム社の社長もパトロンとして金を出した代りに、絵の中に顔を永遠に残すことになった。

田中久美子さんの文章の途中に挿入した写真は、田中さんのものではない。私が、田中さんの文章に合わせて挟んだもので了承されたい。
なお、堂内は撮影禁止であり、写真は撮れないから、掲出の堂内の写真はネット上から引いたものである。


少し文章を付け加えておきたい。
このフレスコ画制作中から藤田は下腹部痛を訴えていたが、「冷え」によるものと見られていたが、絵の完成後、病院で診察の結果「膀胱がん」が見つかる。
あちこち手を尽くしたが治療の見込みのつかないほど進行していて、パリの病院を転々としたあと、スイスのチューリッヒ州立病院に転院した。
チューリッヒ湖のほとりにある病院は静かで、窓辺にはよくカモメがやってきた。激しい痛みの伴う治療の中、カモメに餌を与えるときだけ心をなごませた。
1968年1月29日、凍てつくような寒さが続く日に、藤田は八十一歳の生涯を閉じた。
遺体はフランスへ運ばれ、かつて洗礼をうけたランスの大聖堂で葬儀が行われ、藤田が絵を描いたランスの「礼拝堂」に安置された後、
終の棲家となったヴィリエ・ル・バルクに葬られたが、今では礼拝堂の≪最後の晩餐≫の絵の下に夫婦ともに眠っている。
二か月後、日本政府は藤田の功績を称え、勲一等瑞宝章を授与する決定を下した。

DSC_2102フジタ礼拝堂
 ↑ フジタ礼拝堂への入口のアーチ・奥にチャペルが見える

フランスはカトリック信仰の強い国で、文化人なども若い頃にはカトリシスムに反抗したりしていても、死ぬときには、カトリックに和解を求めて死ぬという。
藤田も晩年には夫婦でカトリックの洗礼を受けて、聖母マリアに抱かれて安息に入ったということである。
田中さんの言うように、シャンパンで儲けた財力によって、このチャペルが成ったことは喜ばしいことである。

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──新・読書ノート──として、下記に追記する。

フジタ①
 ↑ 「藤田嗣治エッセイ選─腕一本 巴里の横顔」近藤史人・編─講談社文芸文庫2008/12/01第八刷刊
フジタ②
 ↑ 近藤史人「藤田嗣治─異邦人の生涯」講談社文庫2008/01/15刊

この記事の関連で、ここに挙げた二冊の本を読んだ。
編者の近藤史人という人は

1956年愛媛県生まれ。1979年東京大学文学部独文科卒。同年NHKにディレクターとして入局。
教養番組部、スペシャル番組部などを経て現在NHKエデュケーショナル統括部長。
制作した主な番組は、NHKスペシャル「革命に消えた絵画──追跡ムソルグスキー『展覧会の絵』」。同「故宮」。
同「空白の自伝・藤田嗣治」など。

藤田夫人・君代さんなどにも信頼されて色々のエピソードなどを聴かせてもらうなど、貴重な裏付けに満ちている。
詳しくは引かないが、広く読まれるべき本である。


山椒の葉かげに卵を生みゐたる黒揚羽蝶わらわらと去る・・・木村草弥
kuroageha-omoteクロアゲハ雌

    山椒の葉かげに卵(らん)を生みゐたる
        黒揚羽蝶わらわらと去る・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

掲出の写真①は黒揚羽蝶の雌の羽の表の様子である。裏側の模様は少し違うが省略する。写真映りは白っぽいが、色は真っ黒である。

ageha032クロアゲハ

黒揚羽蝶の成虫は葉っぱを食べているわけではない。写真②のように花の蜜を吸って生きているのである。
揚羽蝶には色々の種類があるが、概して卵を生む植物は「香り」の強い草木に限定されているが、その中でも黒揚羽蝶は山椒、金柑などの柑橘類の木、パセリなどのハーブ類に卵を生む。
ハーブと言っても種類は多いので、その中でもパセリ類に限定される。
揚羽蝶の種類も色々あり、羽の模様もみな違うように取り付く草木も、それぞれ違う。黒揚羽と並揚羽とは取り付く木も共通するものが多い。
ここでは要点を絞って黒揚羽蝶と、その幼虫に限定する。
kuroageha-youchu01クロアゲハ威嚇

気持が悪いかも知れないが、写真③は幼虫の蛹になる直前の終齢の頃のもので、頭の先に赤い角状のものを出して「威嚇」しているところ。
独特の臭気も発する。これも威嚇のためである。
この写真の一日後には、この幼虫は「蛹」(さなぎ)になった。
写真④に、その蛹の様子を載せる。
kuroageha4クロアゲハ蛹

糸を一本吐いて柑橘類の木の茎に体を固定して蛹の様態に入ったもの。
この段階で捕食者から襲われないように、周囲の木と同じ色になって保護色を採るというから、その知恵には恐れ入る。
幼虫は夏の間に何度も孵るが、晩秋に蛹になったものは、この蛹の状態で「越冬」して、翌年の春に「羽化」して黒揚羽蝶の成虫になり、
雄、雌が交尾して、雌が産卵して新しい年度の命が発生する。
卵は纏めては生まない。ちょうど鰊の「かずのこ」の一粒のような大きさの卵を木の葉っぱのあちこちに、ポツンポツンと産み付ける。
色は葉っぱに似せて緑色をしている。この卵の段階でつまんで取り去ることも出来る。
この卵から孵ったものは黒っぽいが、黒揚羽も普通の揚羽も、とてもよく似ている。
この段階では緑と黒の保護色なので、葉っぱに紛れて見つけにくい。
写真⑤は蛹になる直前の終齢の幼虫を角度を変えて撮ったもの。
kuroageha3クロアゲハ幼虫終齢

黒揚羽の幼虫は、ここまで来ると、写真③も同様だが、いかにも気味の悪い毒々しい姿になったところである。

「蝶」は春の季語だが、春以外の季節にも居るので、その時は季をつける。
夏の蝶の代表は揚羽蝶である。これには十種類ほど居るという。一番よく目に止まるのは黒と黄色の縦じまの普通の(並)揚羽蝶ということになる。
黒揚羽蝶は夏らしい強さ、激しさを持っていると言われている。
以下、それらを詠んだ句を少し引いて終わりたい。

 黒揚羽花魁草にかけり来る・・・・・・・・高浜虚子

 渓下る大揚羽蝶どこまでも・・・・・・・・飯田蛇笏

 夏の蝶仰いで空に搏たれけり・・・・・・・・日野草城

 碧揚羽通るを時の驕りとす・・・・・・・・山口誓子

 乱心のごとき真夏の蝶を見よ・・・・・・・・阿波野青畝

 山の子に翅きしきしと夏の蝶・・・・・・・・秋元不死男

 夏の蝶一族絶えし墓どころ・・・・・・・・柴田白葉女

 日蝕のはげしきときに揚羽とぶ・・・・・・・・百合山羽公

 賛美歌や揚羽の吻を蜜のぼる・・・・・・・・中島斌雄

 夏蝶の風なき刻を飛べりけり・・・・・・・・池上浩山人

 黒揚羽舞ひ来て樹下に風起す・・・・・・・・茂恵一郎

 好色の揚羽を湧かす西行墓・・・・・・・・安井浩司

 黒揚羽黒と交わる神の前・・・・・・・・出口善子

 熟睡なすまれびととあり黒揚羽・・・・・・・・久保純夫

 魔女めくは島に生まれし黒揚羽・・・・・・・・大竹朝子

 摩周湖の隅まで晴れて夏の蝶・・・・・・・・星野椿

 乱心のごとき真夏の蝶を見よ・・・・・・・・阿波野青畝

 磨崖仏おほむらさきを放ちけり・・・・・・・・黒田杏子

白炎天鉾の切尖深く許し・・・橋本多佳子
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  白炎天鉾の切尖深く許し・・・・・・・・・・・・・・・・橋本多佳子

京都の「祇園祭」は7月17日の今日、三十数基の山鉾が巡幸する。
数年前からは旧例に戻して今日の「前祭」23基と、7月24日の「後祭」10基に分けて巡行されることになった。
この頃は梅雨末期で激しい雨が降ることもあり蒸し暑いが、京都では祇園祭が過ぎると梅雨が明けると言われているが、今年はどうだろうか。

「貞観大地震・大津波」についての朝廷による公式記録『日本三代実録』のことは歌集『昭和』にも載せたが、
町衆の祭である「祇園祭」も、同年は御霊鎮(みたましずめ)として催行されたと言われている


掲出の橋本多佳子の句は、スケールの大きい祇園祭を、思念ふかく描いて秀逸である。
丁度そのときは雨が上って夏の太陽が──つまり「白炎天」が照り付けていたのだろう。
だから炎帝が高い長刀鉾の切っ先が空に突き刺さるのを許している、と並の詠み方ではなく、描いているのである。

写真①は鉾の行列の先頭を切る長刀鉾である。

03s祇園祭外人

祇園祭も国際化して、写真②の「くじ改め」の塗り箱を指し出すのは外人である。
外人は、こういうイベントに参加できるのが大好きなので、選ばれたことに大感激である。
裃(かみしも)姿で正装して張り切っている。
お断りしておくが、写真は、いずれもネット上から拝借した過年度のものである。
「フリー」と表示してあるものを選んだが、不適当ということなら指摘してもらいたい。削除します。


ここで「祇園祭」のことを少し振り返ってみよう。
02s稚児

写真③は巡幸にあたり道路に張られた注連縄を太刀で切る「稚児」である。
この稚児の役は資産家の子供が選ばれ、約1ケ月間、家族と離れて精進潔斎して奉仕するが、家からの持ち出しは大変な金額にのぼるので、誰でもがなれるものではない。

祇園祭は「町衆」の祭と言われる。
この祭は八坂神社の祭礼の一環だが、貞観11年、陸奥では大地震・大津波が襲来し、各地で疫病が流行し都も荒れ果てていた時に町衆が中心になって催行したという。

詳しいことはネット上で検索してみてもらいたい。
IMG_1333-01s胴がけ

写真④は鉾や山の胴体を飾る「胴掛け」と呼ばれるタペストリーなどである。掲出した胴掛けは尾形光琳の有名な「かきつばた」図を忠実に織物にしたもので、これは最近の新作である。古いものではヨーロッパから渡来したタペストリーなども幾つかある。この辺にも当時の町衆の財力のすごさを示している。
祇園祭方向転換

写真⑤は四つ角に差し掛かった時に鉾の方向転換の引き綱の様子を上から見たものである。「辻まわし」という。
昔と比べると、巡幸のルートも大きく変わった。昔は四条通よりも南の松原通などを通っていたが、道が狭いので、道路の広い御池通(戦争末期に防火帯として道路を使用する目的で沿道の建物を強制的に引き倒した、いわゆる疎開道路で拡幅されたもの)を通るように、当時の高山義三市長が強引に替えたものだが、今では、これが正解だったと判るのである。

ここで「宵山」と当日の大きな写真を載せておく。
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終りに歳時記に載る句を少し引く。

 月鉾や児(ちご)の額の薄粧(けはひ)・・・・・・・・曾良

 祇園会や二階に顔のうづ高き・・・・・・・・正岡子規

 人形に倣ふといへど鉾の稚児・・・・・・・・後藤夜半

 鉾の灯のつくより囃子競ひぬる・・・・・・・・岸風三楼

 神妙に汗も拭はず鉾の児(ちご)・・・・・・・・・伊藤松宇

 大車輪ぎくりととまり鉾とまる・・・・・・・・山口波津女

 水打つてまだ日の高き鉾の街・・・・・・・・飯尾雅昭

 鉾の上の空も祭の星飾る・・・・・・・・樋口久兵

 鉾を見る肌美しき人と坐し・・・・・・・・緒方まさ子



木の椀に白粥さくと掬ひをり朝粥会の法話終りて・・・木村草弥
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    木の椀に白粥さくと掬(すく)ひをり
        朝粥会の法話終りて・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。

京都の夏は、盆地性の気候のため、とても暑い。
この夏の間を利用して各地の寺院などで暁天座禅会や緑蔭講座などが催される。
掲出の私の歌は、もう二十数年も前のものであり、どこの寺のものか、などの詮索は止めて、一般的なものと受け取ってもらいたい。
掲出の「白粥」も、その場で写せるものではないので、あくまでもイメージであることを了承されたい。

hodo法堂

写真②は建仁寺の法堂(はっとう)であるが、ここ建仁寺でも毎年7月初・中旬に「暁天坐禅会と緑蔭講座」が催される。
もともと昔からの行事として「夏安居」という90日間の僧の修行の行事があったが、それを庶民にも開放したのが、暁天行事として定着したと言えるだろう。
建仁寺の場合に触れると、本年7月12日(金)~7月14日(日)の3日間に亘り開催された。

坐禅開始は6:30~、緑陰講座は7:10~。(終了 8:00前後)

※最終日7月14日の講座後には粥座(しゅくざ)[朝食]の接待があった。

◎各日程の緑陰講座の講師は下記の通り。

7月12日(金)

講  師  ㈱中根庭園研究所代表取締役所長
      東京農業大学客員教授  

中根 史郎 先生

演  題 『日本庭園の今と昔』

7月13日(土)

講  師  エッセイスト

岸本 葉子 先生

演  題 『病と介護に学んだこと』

7月14日(日)

建仁寺派管長  小堀泰巖老大師

提  唱   碧巌録第九十九則
      『粛宗十身調御(しゅくそうじっしんちょうご)』

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このような催しはあちこちで盛んであり、京都でもたくさんあるが、朝粥の接待のあるところは、後始末が面倒なので減ってきたらしく、
朝粥の出るのは、西本願寺の法話・朝粥、智積院の法話・朝粥などである。後は「おにぎり」「点心」「そーめん」などの接待が見える。
全国各地で朝粥会は行なわれ、毎週おこなわれるところも見られる。

ここでは「夏安居」を詠んだ句を引いて終りたい。

 まつさをな雨が降るなり雨安居・・・・・・・・藤後左右

 夏行とも又ただ日々の日課とも・・・・・・・・高浜虚子

 杉深くいかづちの居る夏行かな・・・・・・・・富安風生

 食堂(じきどう)も炷きこめられし安居かな・・・・・・・・皆吉爽雨

 夏に籠る山六月の椿かな・・・・・・・・・喜谷六花

 山門に山羊の仔あそぶ夏の始め・・・・・・・・中川宋淵

 夏行僧白粥に塩落しけり・・・・・・・・土居伸哉

 土性骨敲かれて居る安居僧・・・・・・・・河野静雲

 黒揚羽絶えず飛びゐる安居かな・・・・・・・・川上一郎



むらさきにけぶる園生の遥けくてアガパンサスに恋の訪れ・・・木村草弥
yagapanアガパンサス

──季節の歌鑑賞──夏の「花」三題──

   ■むらさきにけぶる園生の遥けくて
       アガパンサスに恋の訪れ・・・・・・・・・・・・木村草弥


今日は夏の花三題を採り上げることにする。
掲出する歌は、いずれも私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
「花言葉」の連作を作っていたときの作品だ。
写真①は「アガパンサス」で、このごろではあちこちに見られるようになった。
花言葉は「恋の訪れ」であるから、この言葉を元にして歌を作ってある。
ユリ科の多年草で、南アフリカ原産。強い性質で日本の風土にもよく合うらしく、各地の花壇や切花用に盛んに栽培されるようになった。
君子蘭に似ているのでムラサキクンシランの和名もある。

gabera4ガーベラ①

    ■ガーベラに照り翳(かげ)る日の神秘あり
      鷗外に若き日の恋ひとつ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


写真②のガーベラも花色はいくつもある。花言葉は「神秘」。
この花はキク科の多年草で、この花も南アフリカ・トランスバールが原産地。野生ではなく、はじめから園芸植物として開発されたらしい。
明治末にわが国に紹介されたが、今では公園などに広く植栽され、色とりどりの彩りを見せている。
花期は長く秋まで咲く。

yun_942ルピナス

    ■藤房の逆立つさまのルピナスは
       花のいのちを貪りゐたり・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「ルピナス」は、マメ科ハウチワマメ属の総称。ルーピンとも言う。
世界各地に300種類もあるという。原産地は南ヨーロッパ。
藤の花を立てたようなので和名は立藤草。
私の歌は藤色の花を詠んでいるが、ルピナスは2008年、北海道の富良野でたくさん見かけた。
ただし写真は私のものではなく、yun氏の撮ったものを拝借した。
生命力旺盛な草で、花言葉は「貪欲、空想」。私の歌は、その「貪欲」を詠み込んである。

俳句に詠まれるものは、横文字の花の名で字数も多く、詠みにくいのか作品数も多くないので、省略する。


昏梅雨をつきて盛れる火の祭たいまつの男は汗みどろなる・・・木村草弥
img_news那智の火祭り

    昏(くれ)梅雨をつきて盛れる火の祭
       たいまつの男(を)は汗みどろなる・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載る「み熊野」と題する一連の中のものである。
毎年7月14日に行なわれる「那智の火祭」は熊野那智大社の例大祭である。
この祭は12体の熊野の神々が大滝の前の飛滝神社に年に一度の里帰りの様子を表したものである。12体の大松明の迫力と熱気に、みんな我を忘れての歓声である。
2004年に「熊野三山の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されて、観光客も大幅に増えて来たという。
参詣道として世界で二例目ということでスペインの「サンチアゴ巡礼の道」からの視察団も表敬訪問してくれたという。

himatsuri2那智大社

写真②が熊野三山のひとつ熊野那智大社だが、社殿の前に熊野三山の守り神、三本足の神鳥「八咫烏(やたがらす)」の像が建っている。
熊野三山というのは、この熊野那智大社のほかに熊野本宮大社、熊野速玉大社をいう。
熊野那智大社は、ご神体は那智の滝であり、自然信仰の原点のように考えられるところである。
この大社に隣接して青岸渡寺があるが、明治初期の廃仏棄釈までは、両社一体の神仏混交のものであった。
前に書いたが、この青岸渡寺は「西国三十三ケ所霊場」巡りの一番札所である。
himatsuri5那智火祭②

写真④は、この火祭で松明をかつぐ役を奉仕した男たちが勢ぞろいして役目の報告をするところである。
himatsuri7那智火祭③

中世には「熊野詣で」と称して天皇や法皇などが行列をしつらえて京の都から遥々と参詣したのである。
今それらの道程が日の目を浴びて復活してきたのであるが、「歴史遺産」というのは古いままで保存されているのが原則であるのに、
道を整備し直して批判を浴びているという笑えぬ事態も出てきているらしい。

写真⑤は、この祭の一環として、火祭の前に奉納される「稚児の舞」である。和歌山県の無形文化財に指定されている。
himatsuri1火祭稚児の舞

いま歳時記を調べてみたが、那智の火祭ないしは火祭という項目は出て来るが、例句は無い。
今でこそ「熊野那智」の地は脚光を浴びているが1980年代あるいは90年代は、ローカルな行事として採録されなかったものと考えられる。
私の持っているようなものではなく、もっと大部の歳時記であれば載っているかも知れないが、お許し願いたい。
そんなことで、この辺で終りにしたい。



桔梗や男も汚れてはならず・・・石田波郷
yun_448桔梗本命

  桔梗や男も汚れてはならず・・・・・・・・・・・・・石田波郷

桔梗(ききょう)あるいは漢字の音読みにして「きちこう」とも発音される。
この波郷の句ではキチコウの読みである。

キキョウ科の多年草で「秋の七草」の一つであるから、俳句では秋の季語となるが、実際には六月中旬には咲きだすところが多い。
青みがかった紫のものが多いが、栽培種も多く、白、紫白色、二重咲きなどいろいろである。
矮性の小さな種類もあるが、在来の50センチくらいの高さで、紫色のものが一番ふさわしい。
kikyou4キキョウ白

この波郷の句の「男も汚れてはならず」というフレーズに、老いの境地に居る私としては、ピシリと鞭うたれるような気がして、とっさに頂いた。
老いても男は身ぎれいにして、シャキッとして居なければならぬ。
「万葉集」にいう「あさがお」は桔梗のこととされている。

小林一茶の句に

 きりきりしやんとしてさく桔梗かな

というのがあるが、きっぱりと、すがすがしい野性味のある花と言えるだろう。
私の歌にも桔梗を詠んだものがあるが、昨年に採り上げたので遠慮して、歳時記に載る句を引いて終わる。
yado33kikyouキキョウ矮性

 桔梗の紫さめし思ひかな・・・・・・・・高浜虚子

 仏性は白き桔梗にこそあらめ・・・・・・・・夏目漱石

 かたまりて咲きし桔梗のさびしさよ・・・・・・・・久保田万太郎

 桔梗の花の中よりくもの糸・・・・・・・・高野素十

 桔梗やまた雨かへす峠口・・・・・・・・飯田蛇笏

 桔梗には鳴る莟あり皇子の墓・・・・・・・・平畑静塔

 桔梗いまするどき露となりゐたり・・・・・・・・加藤楸邨

 桔梗一輪死なばゆく手の道通る・・・・・・・・飯田龍太

 桔梗挿す壺の暗さをのぞいてから・・・・・・・・桂信子

 桔梗やおのれ惜しめといふことぞ・・・・・・・・森澄雄

 おもかげをさだかにしたり白桔梗・・・・・・・・細見綾子

 技芸天桔梗花びら露むすび・・・・・・・・沢木欣一

 誰やらの死をたとふれば桔梗かな・・・・・・・・石原八束

 桔梗やきりりと辛き飛騨の酒・・・・・・・・草間時彦

 百本の桔梗束ねしゆめうつつ・・・・・・・・藤田湘子

 桔梗の色を見てゐる麻酔の前・・・・・・・・宮岡計次

 桔梗咲く母のいのちのあるかぎり・・・・・・・・小桧山繁子
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写真③は矮性のキキョウである。


七月や雨脚を見て門司にあり・・・藤田湘子
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↑ 門司港レトロ
 
   七月や雨脚を見て門司にあり・・・・・・・・・・・・・・・・藤田湘子

一読して何のあいまいさもなく納得される句である。
しかし、句の背景をなす情緒の中身については、読者の側で、さまざまに空想できるふくらみがある。
たとえば、作者名を消し、人物を女性だとしたら、急な夕立の雨脚を見ている情感には別な映像が結びつくだろう。
出会い、別れ、若い人、老いた人、あるいは、ごく日常的なすれ違いなど、さまざまな人生模様が想像できそうである。
短詩型では、常に「何を詠むか」と同時に「何を詠まないか」の選択が決め手となる。
この句は明瞭な事実だけを詠んで、あとは読者の想像に任せている。思い切りよく「捨てて」広がりを採ったのである。
昭和51年刊『狩人』所載。
掲出画像は「門司港レトロ」である。七月の雨脚の写真を出したかったが、いい写真がない。
藤田湘子は国鉄に勤めていたから、関門海峡の関所であった「門司」は親しい処だったと思われる。

いまや七月半ばである。陰暦の七月は文月で秋に入るが、陽暦の七月は、最も夏らしい月である。
七月を詠んだ句を少し引いてみる。

 七月のつめたきスウプ澄み透り・・・・・・・・・・日野草城

 七月の鶏の筒ごゑ朝の杉・・・・・・・・・・森澄雄

 夕月に七月の蝶のぼりけり・・・・・・・・・・原石鼎

 七月の夕闇ちちもははもなし・・・・・・・・・・平井照敏

 七月の蝌蚪が居りけり山の池・・・・・・・・・・高浜虚子

 七月の青嶺まぢかく溶鉱炉・・・・・・・・・・山口誓子

 七月や銀のキリスト石の壁・・・・・・・・・・大野林火

 少年のつばさなす耳七月へ・・・・・・・・・・林邦彦

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藤田湘子の今の季節の句を引いて、終わりにする。

 柿若葉多忙を口実となすな

 口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か

 蝿叩此処になければ何処にもなし

 干蒲団男の子がなくてふくらめり

 わが裸草木虫魚幽くあり

 真青な中より実梅落ちにけり

 朝顔の双葉に甲も乙もなし

 水草生ふ後朝(きぬぎぬ)のうた昔より

 巣立鳥明眸すでに岳を得つ

 山国のけぢめの色の青葡萄



己が花粉浴びまみれてや立葵・・・三橋敏雄
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     己(し)が花粉浴びまみれてや立葵・・・・・・・・・・・・・・・三橋敏雄

アオイ科の越年草で人間の背丈よりも高くまで伸びる。単にアオイという植物はなく、一般にタチアオイのことを葵という。
原産地は中国、小アジアで、日本には室町時代に渡来し、鑑賞用に、また薬用に植えられたという。

葵の名が日本で最初に現れるのは「万葉集」だが、これはフユアオイまたはフタバアオイ(写真②)であるらしい。
futaba-aoiフタバアオイ本命

京都の「葵祭」に用いられるのもフタバアオイで、花ではなく葉を「挿頭」(かざし)にされるのである。
この植物は葵の名はついていても全く別のものでウマノスズクサ科のものである。
徳川家の家紋に使われたのが、これで、葉を三枚組み合わせて使われた。
先に5/15付けの「葵祭」の記事を書いた時に牛車の脇に吊るされるのが「藤の花」かと書いたのは正解で、葵祭は挿頭にフタバアオイの葉をかざしたので、この名がついたことが判明した。
写真③にフタバアオイの花をお見せする。
futaba-aoi3フタバアオイ花

話は変わるが、ネアンデルタール人の埋葬骨と一緒にタチアオイの花粉が発見されているという。
中国の唐代に牡丹が台頭するまではタチアオイが花の代表選手だったという。
花言葉は「平安」「単純」。花の色には白、赤、紫などがある。中国美女の立ち姿に似ており、古い中国で花の代表だったのも頷ける。

俳句にもたくさん詠まれており、それを引いて終わる。

 ひともとの葵咲きつぎたのしけれ・・・・・・・・日野草城

 門に待つ母立葵より小さし・・・・・・・・岸風三楼

 峡深し暮をいろどる立葵・・・・・・・・沢木欣一

 立葵のぞき棚経僧来たる・・・・・・・・石原八束

 咲きのぼるばかり葵の咲きのぼる・・・・・・・・見学玄

 蜀葵人の世を過ぎしごとく過ぐ・・・・・・・・森澄雄

 呼鈴を押してしばらく立葵・・・・・・・・鷹羽狩行

 雨はゆめなり雨の夜は白蜀葵・・・・・・・・阿部完市

 立葵まつすぐに来て破顔せり・・・・・・・・金谷信夫

 呼ぶ子帰る子十二時の立葵・・・・・・・・広瀬直人

 立葵大きな雨が三日ほど・・・・・・・・矢島渚男




中沢新一『鳥の仏教』・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

      中沢新一『鳥の仏教』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・・・新潮文庫2011/06/26刊・・・・・・・・・・・

鸚鵡が尋ねる。 カッコウが答える。 鳥たちの言葉から、ブッダの教えを伝える名著。 カラー挿絵多数収録。

カッコウに姿を変えた観音菩薩がブッダの最も貴い知恵について語り、鶴、セキレイ、ライチョウ、鳩、フクロウなどの鳥たちが、幸福へと続く言葉を紡ぐ。
20世紀初頭に存在が知られるようになったこの経典は、チベットで古くから読み継がれてきた、農民や牧畜民など一般の信者に向けられた書物。
はじめてチベット語から翻訳される、仏教思想のエッセンスに満ち溢れた貴重な一冊。

この文庫版は 2008/11/28に発売された単行本の文庫化である。
最初に出た際に新潮社の読書誌「波」2008年12月号に載る書評を引いておく。
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            『鳥の仏教』・・・・・・・・・・・・中沢新一

    「苦しみから私たちを解き放つ、正しい方法を教えてください」、鸚鵡は問いかける。
     カッコウに姿を変えた観音菩薩は答える、最も重要なブッダの知恵を。
     やがて森に集まった鶴、セキレイ、ライチョウ、鳩、フクロウ、
     様々な鳥たちが真の幸福へ続く言葉を歌い出す。
     チベットの仏典を訳し、仏教の核心にある教えを優しく伝える、貴重な一冊。
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        鳥たちが伝える仏教・・・・・・・・・・・・・・養老孟司

 鳥の仏教。
 表題がいいじゃないですか。『鳥の仏教』って。
中沢新一さんがこういうとっても「わかりやすい」ものを訳すようになるってことは、もう歳だっていうことじゃないですか。
まだまだ若いと思っていたのに。

 私自身の体験のなかにも、ネズミの仏教がある。
 東大医学部で解剖学教室の助手をしているときだった。
編集者に頼まれて、岩波書店の雑誌「科学」に、当時調べていたトガリネズミについて、自分の仕事の総説を書いたことがある。
 なんでわざわざ、そんな変なネズミを調べるのか。理屈をいえば、いくらだってある。
もう古稀を越えた現在の年齢になれば、なにをいおうと、要するにそんなものは理屈、後知恵だとわかっている。
でも当時は若かったから、マジメに書いた。でも最後のところでどうしても書きたくなった。
ヒトが本当に動物を「理解する」としたら、それはどういうことになるのか。むろん理屈にはならないはずである。
いくら素朴な科学主義者でも、どこまでも「理」でネズミがわかるとはいうまい。
 じつはそう考えたわけではない。ひとりでに筆が走った。
もし私が本当にトガリネズミを理解するとしたら、それはどういうことになるのか。最終的には「共鳴」というしかないであろう、と。
 出来上がった原稿は、恩師の中井準之助先生に目を通していただいた。なにしろ学術論文ではない、はじめての文章である。
こんなこと、発表していいのか。それもあって、読んでいただくつもりだった。
やがて帰ってきた原稿には、ただ「共鳴」の部分から線が引き出してあって、その線の先に、先生の字で「合掌」と赤字で書かれていた。
思えばこれが、私の最初の信仰告白だった。中井先生もそれをちゃんと「理解」しておられたことになる。
最後まで私にとっては頭が上がらない方だった。
 先生は若いときに両親を亡くされ、親戚の家で育てられたという。
家は建物自体も二百五十年続いた近江商人の旧家である。小さいときにはお題目をあげさせられて、閉口した思い出を語っておられた記憶がある。
 私も歳だから、自分が結局は仏教で育てられていることを、しばしば認識する。現代では大方の若者がそれに気づいていないであろう。
でもこういうものは、文化の根に入ってしまって、無意識になっているから、どちらにしても仕方がないのである。本音を語ればどこかで仏教が出てくるに違いない。
「鳥の仏教」は現代チベット仏教を一般人に親しみやすいように語ったものだという。
成立はたぶん十九世紀、でもその背景には古くからのチベット民話がある。
いろいろな種類の鳥が出てきて、それぞれの鳴き声で仏教の教えを語る。
こういう本って、いいですよね。あんまり説教臭くなく、説教をするからである。
 ダライ・ラマ14世がそうである。今年ダージリンのチベット難民センターに行った。
そうしたら壁にダライ・ラマの言葉の抜粋が貼ってある。
英語だけれど、韻を踏んで面白かったから、池田清彦との共著『正義で地球は救えない』(新潮社)の「あとがき」に盗用しておいた。
 チベット仏教は殺生戒が厳しいので、虫が採りにくい。タバコもダメ。そういうことについては、もっとだらしない宗派がいい。
でもまあ、私はお坊さんではないし、要は仏教のことだから、そうやかましいことはいわないだろう。
そう思いながら、欧米の病院で書類を書かされると、宗教の欄には「仏教」と胸を張って書くのである。  (ようろう・たけし 解剖学者)

中沢新一/ナカザワ・シンイチ
1950(昭和25)年山梨県生まれ。人類学者。
妻は翻訳家の川口恵子。日本史学者網野善彦は義理の叔父(叔母の夫)。作家の芹沢光治良は親戚。林真理子は小中学校の後輩。
2006年(平成18年)から多摩美術大学美術学部芸術学科教授・芸術人類学研究所所長。
著書に『チベットのモーツァルト』『森のバロック』『フィロソフィア・ヤポニカ』『カイエ・ソバージュ』シリーズ(全五巻)『精霊の王』『僕の叔父さん 網野善彦』『アースダイバー』『芸術人類学』『ミクロコスモスI~II』など多数。
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中沢新一の本は難解で読みづらいものだが、この本はイラストなども多く、読みやすい。


女子ゴルフ・渋野日向子とN響・山田和樹・河村尚子を視聴する・・・木村草弥
214279渋野日向子

    女子ゴルフ・渋野日向子とN響・山田和樹・河村尚子を視聴する・・・木村草弥

この日曜日はゴルフと音楽を堪能した。 いい日曜日だった。

女子ゴルフ「資生堂アネッサ・レディース杯」は二十歳の去年プロになったばかりの「渋野日向子」がプレーオフで勝って優勝しました。
攻めるゴルフが秀逸で、今期二勝目ですからね。

https___imgix-proxy_n8s_jp_content_pic_20170128_96958A9F889DE3E0E3E4E0E6E7E2E0E4E2E3E0E2E3E5E2E2E2E2E2E2-DSXMZO1216248026012017000001-PB1-10河村尚子
 ↑ 河村尚子
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↑ 山田和樹

夜はN響の定期演奏会は日本人若手の山田和樹指揮で日本人作曲の二曲。
平尾喜四男の交響詩「砧。」
二番目は矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」。ピアノは河村尚子でした。雅楽の要素も取り入れた作品で「和声」の表情豊か。
河村は、沖縄の芭蕉布のような涼しげな服装で熱演でした。
演奏が終わって、指揮者の山田と固くハグしたのが印象的でした。
久々に日本人の作曲、演奏を堪能しましたね。

因みに、矢代 秋雄とは、こういう人。 ↓
矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 1976年4月9日)は日本の作曲家。若い頃より英才として将来を期待され、東京音楽学校作曲科、東京藝術大学研究科を卒業した後、パリ国立高等音楽院に留学。和声法で一等賞を得る等、優秀な成績を修めて卒業。晩年は、作曲家として活動する一方、東京藝術大学音楽学部作曲科の主任教授として、後進の指導にあたった。門下より、野田暉行、池辺晋一郎、西村朗、荻久保和明、糀場富美子など現在の日本を代表する作曲家を輩出している。完璧主義、寡作主義で知られ、残された作品はどれも完成度が高く、再演も多い。

平尾喜四男とは、こういう人。 ↓
東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)生まれ。化粧品業を営む平尾聚泉の四男として育つ。家は裕福であった。慶應義塾幼稚舎・慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学医学部に進んだが、文学部独文科に転じ、1930年に卒業。大学在学中、ソルフェージュと音楽理論をヴァンサン・ダンディ門下の陸軍軍楽隊長、大沼哲に師事した。また、卒業して8ヶ月後の11月に戸沢妙子と結婚。
1931年、夫婦でパリへ渡航。始めはスコラ・カントルム[1]で学ぶものの、学校紛争に巻き込まれた結果、セザール・フランク音楽学校(英語版)に転学。1935年まで在籍した。2つの学校で作曲を、課外でフルートを学ぶ。フルートの師はガストン・クリューネル(英語版)。1936年に帰国。1948年に作曲グループ「地人会」を安部幸明らと結成。作品に、ソプラノとバリトン独唱と管弦楽伴奏のための「隅田川」 (1936年)、管弦楽曲「砧」(1942年)、ヴァイオリン・ソナタ(1947年)、ピアノソナタ(1948年)、などがあり、室内楽がほとんどを占める。
戦後は国立音楽大学教授、日本現代音楽協会委員長などを務めるが、病気のため「オーボエ・ソナタ」(鈴木清三の委嘱、1951年)を最後として、1953年12月、46歳で没。翌年、「木管五重奏曲」(東京管楽器協会の委嘱)に対して毎日音楽賞を追贈される。
弟子に冨田勲、宇野誠一郎、一柳慧がいる。



アルル「サン・トロフィーム教会」・・・木村草弥
800px-Arles_Eglise_Saint_Trophimeサントロフィーム
↑ サン・トロフィーム教会
450px-Arles_-_Trophime_8サントロアフィーム
 ↑ 回廊中庭から鐘楼を望む
 
──巡礼の旅──(13)─再掲載・初出2013/07/12

     アルル「サン・トロフィーム教会」・・・・・・・・・・・・木村草弥

サン=トロフィーム教会 (Cathédrale Saint-Trophime d'Arles)は、南フランスの都市アルルに存在するロマネスク様式の教会堂。
教会そのものもさることながら、美しい彫刻が刻まれた柱の並ぶ回廊も高く評価されており、「アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の一つとして世界遺産に登録されている。

もともとはこの教会の敷地に存在していたのは、聖ステファノ(サン=テチエンヌ)に献堂されたバシリカ式教会堂であった。
11世紀から、当時アリスカンに眠っていた聖トロフィムス(3世紀のアルルの聖人)の聖遺物(遺体)を、この教会に安置しなおそうという動きが持ち上がり、ロマネスク様式の現在の教会堂の原型が形成された。そして、1152年に聖トロフィムスの聖遺物が移されると、彼にちなんで「サン=トロフィーム大聖堂」となった。
15世紀にはゴシック様式の内陣が加えられた。
かつてこの教会は大聖堂(司教座聖堂)であったが、1801年に小教区教会に格下げされた。
この司教座教会はサンティアゴ・デ・コンポステーラへの4つの巡礼路の始点の一つにあたる。
この巡礼路は、現在のこの教会がつくられた11世紀頃からローマ(カトリック)教会が奨励したものであり、建物の建て直しと関連があるものと推察される。

この教会堂は、古代ローマ建築との共通性が特徴とされている。
確かに、アーキトレーヴ(開口部の回りに付けられる装飾用の枠組み)を埋める浮彫りとそれを支える円柱、その中に立つ彫像の組み合わせも古代ローマ神殿を思わせる。
特に見どころとされているのは、西正面(ファサード)と回廊である。

800px-Arles_St_Trophime_Kreuzgang_20040828-240サントロフィーム回廊
 ↑ 回廊

入り口のティンパヌムには、最後の審判をイメージした彫刻がある。
そこでは、イエスが中心に配され、マタイ、ルカ、マルコ、ヨハネらが黙示録の四つの獣に対応させられる形で描かれている。
またその周囲の壁面などにも、十二使徒、受胎告知、ステファノの石打ち等の聖書にゆかりのある諸情景、および諸聖人が刻まれている。
回廊の柱も様々な美しい彫刻に彩られている。ここには、イエスの生涯などのほか、地元プロヴァンスにゆかりのある聖トロフィムスや怪物タラスクなども描かれている。

この教会については → 「南仏ロマネスク訪問記」に詳しい写真などがある。アクセスされよ。(注・目下は見られない、ということである)
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ここで、先日来、「巡礼の旅」として書いてきたことだが、「プロヴァンス」という地名の由来について書いておきたい。
この「プロヴァンス」という名前は、古代ローマでの「属州」(プロヴィンキア)という普通名詞に由来する。
しかも、この地方は五世紀の蛮族侵入のあともローマに最後まで忠実であった「ゴール」の州だからである。そして、その中心がアルルであった。
後年、ローマ教皇庁がローマに居られなくなったときに、かなりの期間、ここアルルはアヴィニョンにローマ教皇庁が置かれたのも、そういう理由によるのである。
ここではローマの古代都市の俤が、闘技場、劇場、広場(フォラム)などに、もっとも典型として残っており、社会教育制度も八世紀までローマ風に維持されていたのである。
アルルは当時ローヌ川を遡ってくる港であり、地中海の貿易が盛んであったから、古代文明は衰退したとはいえ、それは人々の心性に残り、
それが一般民家や教会、修道院建築にまで大きな影響を及ぼした。その一つが、ここに採り上げたアルルのサン・トロフィーム教会なのである。
ここはギリシア出身のペテロの弟子で、46年、当地、プロヴァンス地方に布教した聖トロフィームを祀ったところであり、
一時は「司教座教会」としてプロヴァンス地方に重きをなしていたのもその故である。
詳しくは、リンクに貼ってある「南仏ロマネスク訪問記」を参照されたい。見事な写真や記事が見られる。(注・目下は見られない、ということである)

ここで、蛇足かも知れないが「カテドラル」という呼称の教会のことについて書いておく。
これはカトリックに限ることだが、「カテドラル」=「司教座教会」に限って呼ばれるのであって、建物の大きさとは関係がないから念のため。
よくガイドなんかも、でたらめな説明をする人が居るが、これは厳密な約束事であるから、よく覚えておいてもらいたい。
その地域を管轄する「司教」さんが駐在する教会ということである。


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