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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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俳句誌「鷹」2019/7号を読む・・・木村草弥
鷹_NEW

──新・読書ノート──

      俳句誌「鷹」2019/7号を読む・・・・・・・・・・・・・木村草弥 

俳句結社「鷹」は、この七月に創刊五十五年を迎えるという。
七月七日には、京王プラザホテルで、55周年記念大会と同人総会が開催されるという。
普通は外から客を迎えて開催されるのだが、この会は外からは招かず、「鷹」同人だけで開かれるという。 

私は俳句の実作者ではないし、もちろん局外者である。
ただ、折勝家鴨句集『ログインパスワード』を読んだことから、折勝さんの知己を得て、付き合っているので、頒価1300円を支払って取り寄せてみた。
↑ リンクになっているのでアクセスしてみてください。
その折勝さんは、現在、「鷹」の事業部長という席にあって、大会準備に大忙しだろう。 

私は局外者ではあるが、「鷹」の創立者・藤田湘子の同行者だった「飯島晴子」に多少のゆかりがあるのである。 ↓ の文章を読んでもらいたい。  
「俳人・飯島晴子のこと」

さて「鷹」2019/7号のことである。
巻頭に、小川軽舟「風塵」12句が載っている。

     青麦や大聖堂は遠く燃ゆ       小川軽舟

     筍のうつふんと掘りあげられし

     ダービーの風塵と去る馬群かな


初句は、もちろん、パリはシテ島のノートルダム大聖堂の火災による焼失のことである。
二番目に引いた句の「うつふんと」というオノマトペが秀逸である。
そして、日本ダービーの景を「風塵」として把握した。いずれも時事として的確である。
現・主宰の小川軽舟は、前主宰からの指名と先輩同人たちの挙っての賛成で推挙されたという。そんな「いきさつ」も、この号に詳しい。

この号の「俳句時評」に大西朋氏が自由律俳句の住宅顕信のこと、映画化のことを書いている。
私は2012/03/02に「水滴のひとつひとつが笑っている顔だ」という記事を書いている。 ← リンクになっています。アクセスして読んでください。
私は映画は見ていないが、この句が彫られて岡山の旭川のほとりに建っている。

私も短歌結社に所属していたので経験があるが、結社の成り立ちによって、結社誌の構成も、さまざまである。
俳句のヒエラルキーには詳しくないが、「鷹」は古くからの伝統を守っているらしい。
古参作家による「日光集」一人6句。幹部を集めた「月光集」一人5句。あとは「鷹集」という4~1句の欄。
その間に「推薦30句」軽舟選というのや、「秀句の風景」という2ページの批評の欄があったりする。
「俳壇の諸作」として、結社外の作品について折勝家鴨氏が2ページの批評を書いている。
他に、記念号だけあって、主宰の「自選50句」があったり、「主宰に聞く」10ページが組まれている。
「特集 平成、あの年」というのに多くのページが組まれている。
その中の「平成の鷹俳句を読む」企画の「昨日のように」上田鷲也による記事の中で
      梅白し死者のログインパスワード     折勝家鴨 (24年)
が引かれているが、このことからも、、この句が、一つのメルクマールとして燦然と光っていることが分かる。

極めて走り書きに過ぎない書き方になったが、「鷹」創立55周年にあたり、お祝いの意味を込めて書いてみた。
大会には、同人たち三百数十人が集うそうである。   おめでとうございます。    (完)



絹糸腺からだのうちに満ちみちて夏蚕は己をくるむ糸はく・・・木村草弥
p304.jpg

    絹糸腺からだのうちに満ちみちて
       夏蚕(なつご)は己をくるむ糸はく・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

「養蚕」(ようさん)という蚕を桑の葉で育てる仕事は、最近では急速に廃れ、見られなくなった。
一応、説明しておくと、蚕蛾(かいこが)という虫の幼虫が吐く糸から「絹糸」が出来る。
この「蚕(かいこ)」には春蚕(はるご)と夏蚕(なつご)とがあり、春蚕は四月中、下旬に掃き立てをし、五月下旬か六月上旬に繭になる。
夏蚕は夏秋蚕のことで、二番蚕とも言い、飼う時期が暑いので成長も速く七月には上簇するが、量も多くなく、収量も品質も劣るという。

sanken01蚕本命
写真②は蚕蛾の幼虫──俗に「蚕」と言う──の選り分け作業の様子。

写真③は蚕の口である。口は二つあり、下の小さな口が「吐き口」といって繭を作るとき糸を吐く口。上の大きな口には、アゴが一対あって桑の葉を噛み切る。
kuti蚕の口

蚕の幼虫の体は細長く13の体節からなり、体長は5齢盛食期で6、7センチ。頭部、胸部(第1~3節)、腹部(第4~13節)に分けられる。
蚕の雌は幼虫、蛹、蛾とも雄より大きい。
「上簇」(じょうぞく)というのは、いよいよ繭を作る段階に達した蚕を集めて繭を作るために専用の蚕簿に移す作業をいう。
蚕は四回眠り四回脱皮して、そのあと繭を作るが、その際、体が半透明になる。これが私の歌に詠んだ「絹糸腺」が肥大して体中に満たされるためである。
「蚕簿」というのは藁を加工して三角錐の空間が集合したようなもの。ここに蚕を移してゆく手間のかかる労働である。後は蚕が絹糸腺から糸を吐き「繭」を作る。
mayu2.jpg

この繭から絹糸を引き出すのだが、これは蚕が吐いた糸であるから、一つの繭から引き出した糸は一本である。
大きな釜に湯を沸かし、その中に繭を入れて中の蛹を茹で殺して糸を探り出して引き出す。
独特の臭気がして慣れないと不快なものである。
糸を取った後の蛹の死体は栄養豊富なので、ウナギの餌などに使われた。

繭をそのままに放置しておくと、繭の中の蛹が蚕蛾になり繭を溶かして孔を開けて出てくる。
mayu_seityu.jpg

写真⑤が蚕蛾である。繭の中で蛹は十日で羽化する。だから養蚕というのは、繭が完成したら、すばやく熱湯にひたして羽化を阻止しなければならない。
日数の計算も厳密な作業であり、忙しい。
羽化した雌は腹に卵を一杯もっており、雄と交尾すると産卵し、雄雌ともにすぐに死んでしまう。
この交尾の際に雌が特有の「フェロモン」を出し雄を誘引するのである。
ものの本によると、これを感知すると雄は狂ったように全身を震わせて匂いの元に寄ってくるという。
だから実験として蚕の雌が居なくても、このフェロモンを放射すれば雄は群がるように寄ってきて交尾しようとするらしい。
養蚕用には優秀な蚕に黒い紙の上に生ませた「蚕卵紙」というのが養蚕試験場などから交付され、それを養蚕家は買って蚕の幼虫を孵化させて桑の葉に移す。
これを「掃き立て」という。

昔は桑の葉を摘んで蚕に与えていた。これを桑摘みという。
この労働を簡素化するために桑の枝を切ってきて与える、というのが戦後に開発され、今日では桑の葉を含むペレット状の粒剤を与えているようであるが、
それよりも中国などから安価な絹糸が入ってくるようになり、今では絹布にした加工品が中国で最終製品として作られるようになり、
日本国内の養蚕業は壊滅したと言える。養蚕器具は資料館でしか見られず、養蚕の様子も学習のためか、デモンストレーションとして行なわれるに過ぎない。
私の子供の頃は、近所でも養蚕や糸の引き出し作業などもやられていたし、繭の集荷に小学校の講堂が使われていたものである。

掲出の歌の前後に載る歌を引いて終わりたい。

くちびるを紫に染め桑の実を食みしも昔いま過疎の村・・・・・・・・・・木村草弥

よき繭を産する村でありしゆゑ桑摘まずなりて喬木猛る

桑実る恋のほめきの夜に似て上簇の蚕の透きとほりゆく

桑の実を食みしもむかし兄妹(きやうだい)はみんなちりぢり都会に沈む


この歌の一連は、もちろん創作であるから舞台設定や兄妹というのも、事実そのものではない。文学作品中における「虚構」ということである。

もともと蛾類は自然環境で「繭」を作ることが知られて(その中でサナギになるためである)、人間は、これに着目して幼虫を捕らえて飼い、繭を作らせることを考案した。
そして立派な繭を作らせるために品種改良を加えて、今日の養蚕業となったのである。
今でも「天蚕てんさん」「山繭やままゆ」といって、自然環境で作られた「繭」を採取して布にしたものがあるが、極めて希少価値の高いもので高価であり、めったに手には入らない。

「養蚕」については、このWikipediaの記事に詳しい。参照してみられたい。
また越智 伸二「カイコの一生」養蚕、お蚕さま、カイコの生態、形態には蚕の飼育全般について判りやすく詳しく書いてある。
過程ごとの詳しい写真があるので、よく判る。未知の方には、目からウロコである。



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