
私は化粧する女が好きだ
虚構によって切り抜けるエネルギー・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社)に載せた「化粧」と題する一連の中の一行である。ただしWeb上では、ご覧いただけない。
以下、この一連を引いておく。
掲出の写真は「アカバナユウゲショウ」という花である。
野草のように、どこにでも生えている花である。
化 粧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
私は化粧する女が好きだ 虚構によって切り抜けるエネルギー
虚構を持たない女なんて退屈な家政婦にしか過ぎない
お化粧はゲームだ 化粧の濃い女の「たかが人生じゃないの」という余裕
化粧はエロチックだ 女のナルシスムと決めつけてはいけない
化粧する女は淋しがりやだ。化粧なしの素肌では不安なのだ
素顔の女がいる「化粧をしなくても生きていける」勁(つよ)い女だろうか
化粧台にむかう女を見るのは面白い、目をむいたり口をひんまげたり百面相
女の体はお城である、中に一人の少女がかくれている
女の体はお城である、中に一人のセックス上手が住みついている
旅をする風変りなドレスを着てみる寝てみる 腋の下を匂わせる女
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「化粧」を「虚構」と把握するのは、詩の上ならばこその表現である。詩の場合には、こういう極端な飛躍した物言いを、よくする。それが「非日常」ということである。
この一連を発表したとき、今はもう亡くなった人だが、関西に住む或る女性歌人から女性差別の思想だと、あらぬ攻撃を受けたことがある。この一連の、どこに「女性差別」の思想があるというのだろうか。的外れもいいところである。その人も、その後、言いすぎたと思ったのか、的外れの指摘だったと思ったのだろう。一緒にお酒を飲みたい、などと手紙が来たが、私は深く傷ついたので、以後、絶交した。
詩の判らない人である。 この人は先年亡くなった。
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