
浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花・・・・・・・・・・・・・・・杉田久女
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)にも
粟谷は山より暮れてゆく辺り夜目にも白く蕎麦(そば)の花咲く
窯元へぬかるむ道のつづきけり蕎麦の畑は白とうす紅
風かるき一と日のをはり陶土練る周囲ぐるりと蕎麦の畑ぞ・・・・・・・・・・・木村草弥
という歌群が載っている。
私の住む辺りは大都会の近郊農村で、平地で、蕎麦は昔から栽培されるのを見たことがない。
ということは都会にも近く、かつ温暖で水の便もよく救荒作物である「ソバ」のようなものの世話になる必要のない土地だったということになろうか。
写真①は蕎麦の草を接写したものだが、蕎麦畑の全体像は写真②のようなものである。

ソバは夏蒔きと秋蒔きと2回時期があるが、いずれにしても稔るのが早く、2~3カ月で収穫できる。
荒地を厭わないので救荒作物として高冷地では広く栽培されたという。
写真③で「ソバの実」をお見せする。

この写真は、まだ脱穀したばかりで色が白いが時間が経つと皮が黒っぽくなる。
この実を臼で挽いて出来るのが「ソバ粉」で、粉に少し黒っぽい色がついているのは、皮が混ざっているためである。
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉
山畑や煙りのうへのそばの花・・・・・・・・与謝蕪村
道のべや手よりこぼれて蕎麦の花・・・・・・・・与謝蕪村
山畑やそばの白さもぞつとする・・・・・・・・小林一茶
というような昔の句にも詠まれているように、そのさりげない蕎麦の花の風景が愛(め)でられていたのである。
写真④はソバの花を接写したものである。

今では「そば」と言えば食べるソバがもてはやされて、どこそこの蕎麦が旨いとか、かまびすしいことである。
しかし文芸の世界では「蕎麦の花」がもてはやされる。
食べる「そば」では実態を描きようがないからである。食べる「そば」は味覚の問題であって、文学、文芸上で描写する対象にはなり得ない。
仮に描写することが出来ても、そこから広がる世界、連想、想像を推し量ることには限界がある。

以下、俳句に詠まれた作品を引用しておく。
そばの花山傾けて白かりき・・・・・・・・・山口青邨
花蕎麦のひかり縹渺天に抜け・・・・・・・・大野林火
蕎麦の花下北半島なほ北あり・・・・・・・・加藤楸邨
蕎麦畑のなだれし空の高さかな・・・・・・・・沢木欣一
山脈の濃くさだまりてそばの花・・・・・・・・長谷川双魚
蕎麦咲きて牛のふぐりの小暗しや・・・・・・・・中条明
山村といふも四五戸や蕎麦の花・・・・・・・・長沢青樹
月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花・・・・・・・・古賀まり子
母にまだとる齢あり蕎麦の花・・・・・・・・村松ひろし
| ホーム |