
入りつ陽のひととき赫(かつ)と照るときし
猛々しく樹にのぼる白猫(はくべう)・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
私は猫は好きではないが、黒猫とか白猫とかの作品がいくつかある。
それらは、猫を詠ったものというよりも、或る主題の引き立て役として使っているに過ぎないが、珍しく、この歌は白猫を正面から詠っている。
猫は暑いときは、ぐうたらに涼しい所を求めて寝そべっていたり、寒いときはコタツに潜り込んだりと、余り活動的な姿態を見ることは多くないが、発情期とか仲間と争う時、夜間などには違った一面を見せるようである。
私の歌に詠んだように、何のはずみか、何か獲物でも見つけたのか、猛々しく樹にのぼる光景を目の当たりにして、とっさに出来た歌と言えようか。

考えてみれば、人間に飼いならされているとは言え、もともと猫は猛獣の端に連なる種類ではないか。
そう考えると、この猫の行動も納得がゆくのである。
およそ世の中には「猫好き」という人は多い。世界的にみても、そうである。
ギリシアのエーゲ海のサロニコス湾一日クルーズの船に乗ると、猫がやたらに多い島に寄港する。
いま島の名が、とっさに出て来ないが、とにかく猫だらけで波止場に着くと、先ず猫の出迎えである。
だから、この島は「猫島」と仇名がついているらしい。
「猫島」として有名になったので、あちこちから要らなくなった猫もここに持ち込まれるのではないか。
そして何よりも、この島に来た観光客が餌を与えるので栄養が豊富で、ますます数が増えるのではないか。エーゲ海の島であるから、漁師たちも屑の魚を与えるかも知れない。
とにかく猫は人間に寄生しているという印象が、私には強い。
私が猫嫌いである最大の理由は、何度も書くが、臭い臭い糞を私の方の庭に垂れ流されるのに困り果てているからである。
いろんな駆除の手段をとっても猫のことであり、神出鬼没で恐れ入る。
以下、猫を詠んだ歌を引いておく。
みちのくの夜空は垂れて電柱に身をすりつける黒猫ひとつ・・・・・・・・・・岡部桂一郎
生みし仔の胎盤を食ひし飼猫がけさは白毛となりてそよげる・・・・・・・・・・葛原妙子
目的は何もなきゆゑ野良猫の来て寝そべりぬわが窓の下・・・・・・・・・・安田章生
飼猫にヒトラーと名づけ愛しゐるユダヤ少年もあらむ地の果て・・・・・・・・・・春日井建
さびしきは老か命かかの小猫庭のおち葉を追ひてよろこぶ・・・・・・・・・・・松村英一
やがて発光するかと思うまで夕べ追いつめられて白猫膨る・・・・・・・・・・永田和宏
蜘蛛ひとつおりくる空の透明に爪ひからせて猫はうかがう・・・・・・・・・・上川原紀人
負けて帰りし猫抱きをり手に触れてふぐりぬくきを哀れがりつつ・・・・・・・・・・青木ゆかり
眠りつつ時にその耳動かせり猫といへども夢をみるらし・・・・・・・・・・大塚布見子
まどろみて四肢弛む猫わが膝に防備を解けるものをいとしむ・・・・・・・・・・高旨清美
歩みつつ小さき舌を出す猫も今日のさびしき生きものの眼か・・・・・・・・・・河野愛子
一日に一度はみせ場をつくるまで猫一匹を飼いならしたる・・・・・・・・・・高瀬一誌
ひそやかに猫の眠りのなかをゆく痙攣といふ肉の気配は・・・・・・・・・・斎藤佐知子
引き寄せしわれを拒みて飼ひ猫が自らを抱く形に眠る・・・・・・・・・・村松秀代
好きなのかあんなところが自転車のサドルにいつも乗っている猫・・・・・・・・・・池本一郎
春幹に爪とぐ猫を笑ひ合へばこちらを見たりまじまじと見る・・・・・・・・・・花山多佳子
肛門をさいごに嘗めて目を閉づる猫の生活をわれは愛する・・・・・・・・・・小池光
出会ひ頭の猫を蹴飛ばす 老妻に言ひつのられし後の腹いせ・・・・・・・・・・米口実
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猫嫌いの私などと違って、猫好きの人がいかに多いか。こんな歌が、まだまだあるのである。
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