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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「写俳」の提唱・創始者─伊丹三樹彦が死んだ・・・木村草弥
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 ↑ 近影。一緒に写るのは娘の啓子。
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↑ 伊丹三樹彦 全句集
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 ↑ 写俳集Ⅶ。ギリシア・イタリアなど
20180324171731564784_4c5b7c0556110f6ed3f76c3bc0fc96d5伊丹三樹彦「隣人」
 ↑ 写俳集「隣人」
BK-480601687X_3L伊丹三樹彦
 ↑ 第26句集『当為』
bookoffonline_0016614036伊丹三樹彦「写俳」
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──エッセイ──

     「写俳」の提唱・創始者─伊丹三樹彦が死んだ・・・・・・・・・・・・木村草弥

新聞報道で知って驚いた。
伊丹三樹彦というのは、こういう人だった。

伊丹三樹彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 2019年9月21日)は、俳人、写真家。本名は岩田 秀雄(いわた ひでお)。別号・写俳亭。

略歴
兵庫県伊丹町(現伊丹市)に生まれ、同三木町(現三木市)で育つ。三木市立三樹小学校、兵庫工業高等学校卒業。
13歳から長谷川かな女の俳誌「水明」にて俳句を始める。1937年、日野草城の「旗艦」に投句、のち「旗艦」が統合された「琥珀」同人。
戦後、同門の桂信子や楠本憲吉らと「まるめろ」を創刊。また「太陽系」に参加。1949年、日野草城主宰の「青玄」創刊に参加し、編集、発行を行う。
高校卒業後は神戸大学工学部を受験するも失敗、神戸市役所に採用される。
1956年の草城没後は「青玄」を継承し主幹となる。
以後、第二次「青玄」においてリアリズム・リリシズム・リゴリズムの「三リ主義」を標榜し、超季、分かち書き俳句を推進。
1970年、写真と俳句の相乗による「写俳」運動を創始。2003年、現代俳句大賞受賞。
その他、兵庫県文化賞、神戸市文化賞、尼崎市民芸術賞、大阪市民文化功労賞、半どんの会文化功労賞、文部大臣地域文化功労者表彰を受ける。
2006年、脳梗塞で倒れたが奇跡的に元気を回復、高齢ということもあり自重して「青玄」を607号にて終刊。

妻の伊丹公子(2014年12月15日没の89歳)、娘の伊丹啓子はともに俳人。
現在、啓子が2006年に創刊した季刊誌「青群」顧問、現代俳句協会顧問などを務める。門下に坪内稔典、松本恭子ら。

2019年9月21日、肺炎のため伊丹市の病院で死去。 99歳。
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私のブログでも初期の写俳集を採り上げて載せたことがある。
前の大戦をくぐってきた人なので、「反戦平和」についての強い意志を表明していた。

ここに写俳集の写真の一端を掲げて、哀悼の意を表したい。  合掌。


松林尚志句集『山法師』・・・木村草弥
松林_NEW

──新・読書ノート──

       松林尚志句集『山法師』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・ふらんす堂2019/09/25刊・・・・・・・・・

この本が恵贈されてきた。松林氏については、このブログで何度か書いてきた。
松林尚志というのは、こういう人である。  ↓
 
1930年 長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
現代俳句協会、現代詩人会 各会員。
俳誌「木魂」代表、「海程」同人。
著書
句集 『方舟』 1966 暖流発行所 
    『冬日の藁』 2009 角川書店
詩集 『木魂集』 1983 書肆季節社 他
評論 『古典と正統 伝統詩論の解明』 1964 星書房
    『日本の韻律 五音と七音の詩学』 1996 花神社
    『子規の俳句・虚子の俳句』 2002 花神社
    『現代秀句 昭和二十年代以降の精鋭たち』 2005 沖積舎
    『斎藤茂吉論 歌にたどる巨大な抒情的自我』 2006 北宋社
    『芭蕉から蕪村へ』 2007 角川学芸出版
    『桃青から芭蕉へ 詩人の誕生』 2013 鳥影社
    『和歌と王朝』 2015 鳥影社 
    『一茶を読む やけ土の浄土』 2018  鳥影社   他

私が松林氏を知るきっかけになったのは 『日本の韻律 五音と七音の詩学』 の本を読んで「新短歌」誌に小文を書いたことによる。
この本が出たのが1996年であり、まだ私はブログをやっていなかったので、私の文章を今ここに引くことが出来ないのだが、以後、御著を恵贈されたりして今に至っている。

この本は主宰される俳誌「こだま」その他に載ったものを一冊にまとめられたのである。
略歴にも書かれているように兜太主宰「海程」にも籍を置かれていたようである。
その兜太も亡くなって、手元にある句を世に出す気持になられたようである。

先ず、この記事 →  「大井恒行の日日彼是」を読んでみていただきたい。

見出しになっている「汗冷める老人に席譲られて」の句は巻末の「平成二十九年・三十年」のところに載っている。
大井氏のサイトには金子兜太のこと、朝日俳壇の選者として金子の後任に高山れおな、が就任してことなどが引かれている。
私も高山れおな、のことは、このブログに載せたことがあるので親近感を持って読んだ。

松林氏は私と同じ年の生まれで、「目下は終活の日々です」と年賀状に書かれる状態で、私も同様の心境である。
子供たちが文芸には縁がないので、私が死んだら膨大な量の本も屑になってしまうので昨年、日本現代詩歌文学館などに蔵書を寄贈して書架は、からっぽになった。

前書きが長くなったので、そろそろ句集を見てみよう。
「あとがき」に

<前句集『冬日の藁』を出したのは平成二十一年で、そこには平成十四年までの句を集めている。
 ・・・・・平成十五年以降の句をまとめることとした。・・・・・ともかく705句をまとめることが出来た。
 ・・・・・私は詩を読むことから俳句へ入っており、無季を容認した滝春一先生のもとで学び、
 また金子兜太さんの「海程」にも加わって歩んできた。
 ・・・・・俳句も詩歌の一端を担うとすれば、やはり思いを陳べる表現志向も底流している筈である。
 ・・・・・兜太さんは、季語がなければならないと言った覚えはないとの言葉を残しており、最後の九句には無季の句が四句あった。・・・・・
 外題の「山法師」は、我が家の前に並木があり、初夏の季節になると清楚な白い花を咲かせ、
 ・・・・・この集には山法師を詠んだ句を幾つか載せている。そんなことから迷わず決めた。・・・・・>

と書かれている。煩を厭わず引いてみた。 では、私の目に止まった句を引く、

平成十五年・十六年
     *暖かさうなマダム羊が初夢に
     *冬桜耿之介書の独歩の詩
     *青山二丁目風縦横に茂吉の忌
     *森は若葉縄文土器と詩人のペン      村野四郎記念館
     *さかしらの猿も頬染む年酒かな
     *烏骨鶏梅より白し城守る           小田原城 
     *リュックには餡パン一つ山法師
     *一棒を食らひて海鼠涙せり

平成十七年・十八年
     *鶏鳴に覚めし初夢しばし追ふ
     *果汁壜残せし人の春逝けり          悼 伊藤陸郎氏
     *仮面土偶は蟷螂の貌ばつた飛ぶ
     *寒すばる金輪際をしやがむ君
     *芽木そろひ柔軟体操風まかせ
     *アイネクライネナハトムジーク柿若葉
     *弱冠にして若干は鶴の性
     *寒星をみしみし踏んで大熊座

平成十九年・二十年
     *花曇握り返さるる手に力
     *ベンチ三つ老人三人蝌蚪の紐
     *地の果てに灯台ありと来しが芒         銚子吟行
     *一月やはつしはつしと冬木の芽
     *虫眼鏡虫の目玉に睨まれぬ
     *寒禽のぎやーていぎやーてい鳴き去るも

平成二十一年・二十二年
     *指添へる弥勒の思案春の地震
     *会釈して去りしその笑み梅に浮く        悼 阿部完一氏
     *梅雨深し管を巻かれて磔に
     *寒の夜景眼にちりばめて高階に         傘寿を迎へし日
     *蛇泳ぐ池しなやかにめぐる女
     *さはやかや兜太に活を入れられて

平成二十三年・二十四年
     *雪のせて笑みおほどかや石仏
     *根こそぎの魔王の津波迫り迫る          東日本大震災
     *花終はり毛虫一匹宙ぶらりん
     *来春のことを話せり病む兜太と
     *洗はれて河床の石の聡き冬

平成二十五年・二十六年
     *気を楽にせよと声あり恵方神
     *起き上がり小法師のんのん春愁ひ
     *まぼろしの学徒の軍靴聴く寒夜
     *晩年は素のままがよし山法師

平成二十七年・二十八年
     *痛切に句を吐き逝けり冬の蝶          上間月吐氏を悼む
     *虫は蝶へザムザ氏は虫に変身す
     *原節子より智衆思へり花馬酔木          鎌倉
     *たひらげし秋刀魚の骨のきれいなり
     *冬晴れや無一物即無尽蔵

平成二十九年・三十年
     *冬灯尼僧の青き頭も光り
     *卒寿二人身近に逝きて春深し
     *陽炎や「折々のうた」幾年経し           大岡信氏逝去
     *寒卵コツンと割れておてんと様
     *青鮫の去りにし庭か梅白し             金子兜太師逝去
     
「帯」裏には「自選十五句」が載っているが、そこには収録されていない句を選んだ。
最近は「ただごと句」のような作品が多いが、私は俳句は作らないが、松林氏のような、こういうブッキッシュな、教養的な句づくりが好きである。
なにぶん句の数が多いので佳句を見落としたかも知れない。
雑駁な鑑賞に終始したことをお詫びする。 有難うございました。    (完)



後閑達雄句集『母の手』・・・木村草弥
後閑_NEW

──新・読書ノート──

     後閑達雄句集『母の手』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・ふらんす堂2017/09/04刊・・・・・・・

FBで知り合った後閑達雄氏から、この本が贈られてきた。
先ず、発行元である「ふらんす堂」社長山岡喜美子さんの紹介記事をネット上から拝借し、ここに貼り付けておく。  ↓
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後閑達雄(ごかん・たつお)の句集『卵』に次ぐ第2句集である。
前句集に引き続き装画は漫画家のつげ忠男氏。後閑さんとは交流のある間柄である。
後閑達雄さんは、昭和44年(1969)年神奈川県生まれ。
平成3年 流通経済大学卒業。 千葉県流山市に在住、現在は「椋」(石田郷子代表)所属。
本句集は『卵』上梓よりほぼ8年間の作品を四季別に収録したものである。
俳句をはじめたきっかけは、「うつ病がひどい時、母にすすめられ始めました」と『卵』のあとがきに記されている。
タイトルは、その母との濃密な関係を象徴するものとしての「母の手」である。

      *吾よりも母の手あたたかしいつも

第一句集上梓後、母のアルツハイマーが進行し介護生活を経て、私自身初めての一人暮らしをしています。

本句集の「あとがき」の言葉である。
こう書くご本人の後閑さん自身も、肉体の持病と精神の病に苦しみ薬が離せない毎日だ。

     *障碍者後閑達雄と書いて蟬

     *渡り鳥働かぬまま生きてをり

     *秋思なりずつと薬を飲む病気

     ⋆冬の鵙大きな粒の頭痛薬

タイトルが示すように母を詠んだ句がかなり多い。
それは著者と母との現実であり、そこにはわれわれを圧倒的するものがある。

     *春立ちぬ母の肌着を畳みつつ

     *吾よりも母の手あたたかしいつも

     *母に腕嚙まれてしまふカーネーション

     *初桜母と手のひら合はせけり

     *跪き母に白靴履かせけり 

いくつか紹介したが、あたたかな「母の手」が詠まれていると同時にここから見えてくるのは、著者の「手」である。
母に働きかける「手」である。あらゆる記憶をなくしつつある母を、この世につなぎとめておこうとする「手」である。

いつか後閑さんと電話で話したときに、
「今日は、母の見舞いに行ってきました。そうしたら、お母さん、僕の顔をぺろぺろぺろぺろ舐めるんですよ。顔中を舐められて帰ってきました」

と。

母と子のきわめて動物的な愛情のつながりだ。言葉にはならなくても愛おしいものとしてのとして存在するもの。

本句集はある意味で極限状況におかれた著者の壮絶な日々であるはずだが、句集を一貫しているものは、清々しいまでの明るさである。
それを支えているのが母への愛であり、母からの絶対的な愛だ。へんな言い方だが、臍と臍が見えない糸でむすびついているような感じ。

本句集に、石田郷子代表が序句を寄せている。

       春を待つ手を甘嚙みの白猫と     郷子

やはり「手」である。
「春を待つ手」とは、著者の「手」であり母の「手」だ。
句集そのものへの挨拶句となっている。

本句集の担当はPさん。

Pさんは、『卵』の時から後閑達雄さんの俳句が好きだと言っていた。Pさんの紹介する句は

     *料峭や親指でむくゆで玉子

     *水温む生まれたるもの立ちあがり

     *エプロンの深きポケット蓬摘む

     *シクラメン部屋あたためて待つてゐる

     *頬白の飛ぶ明るさを待つてをり

     *夏料理箸を正しく使ふ人

     *夏空の下やドラムを組み立てて

     *傘の骨残りし二百十日かな

     *夜の卓レモンの卓となりゐたり

     *指先にナンの熱さよ小鳥来る

     *冬眠の前の薬を数へけり

この句集を老人ホームで寝たきりの母に報告するつもりです。

と「あとがき」に書かれているが、句集『母の手』を手に取られたお母さまはどんな反応をされるだろうか。
病状が大分すすんでおられるとも伺っているが。

本句集の装丁は、和兎さん。
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はじめから、他人の記事ばかりで失礼するが、この文章が要を得ているので、敢えて引用させてもらった。お許しいただきたい。
ただし、その記事そのままではなく、補筆、構成し直したので、ご了承を。

この本の「カバー」裏に

◆自選十句
雛あられレジの所に置いてある
啓蟄のよごれた顔でこんにちは
目の前の大きなお尻潮干狩
母に腕嚙まれてしまふカーネーション
先生がダリアの前で立ち止まる
手打そば秋の風鈴鳴り出して
虫売の立てば大きな男かな
よく拭きし眼鏡を母に菊日和
鯛焼に鯛は入つてゐないけど
今日も俳句にありがたうです日脚伸ぶ

が載っている。 自選であるからには、これらの句が作者の愛着のあるものなのだろう。
全篇を通じて、一巻は、このようにして、淡々と、坦々と、進行する。それが後閑氏の俳句の特徴である。
そして全篇を通じて「母」との濃厚な関係があるのである。
 

    *てのひらの小鳥の卵割れてをり

    *あたたかき洗濯物を畳みけり

    *アパートに日の差す時間初燕

    *子も妻もなくて母居る花はこべ

    *花冷えや母と二人で暮らす部屋

    *朝寝して車通ると揺れる家

    *夏至の日や見切シールを貼る仕事

    *パソコンの修理業者へ藺座布団

    *空蝉を三個拾ひて二個落とす

    *冷蔵庫中に小さな部屋のある

    *秋深しタクシーで行く精神科

    *団栗のごりごり廻る洗濯機

    *木枯らしやマクドナルドのない町に

    *冬帽の母に私物の少なさよ

    *泣く母に何もできずよ冬の梅

いまアトランダムに句を抽出してみた。 文字通り「ただごと句」と言えるものである。短歌の世界で「ただごと歌」と称される作品があるように、である。
私は「ただごと句」が悪いと言っているのではない。
前衛句の反動として、今は、こういう何でもない句が俳壇全体を覆っているという印象を受ける。
それは師匠である石田郷子氏の作風自体が、そうである。
句集の構成は歳時記の通り、春夏秋冬で纏められている。 以下のようなものである。これもアトランダムに引いてみた。

「春」
白梅の芯まで濡れてをりにけり
旧姓で母呼んでみる梅の花
雛あられレジの所に置いてある
吾よりも母の手あたたかしいつも
目の前の大きなお尻潮干狩
二時からの面会時間げんげ摘む

「夏」
母に腕嚙まれてしまふカーネーション
火の上で廻り始める鮑かな
月曜の軽い貧血ほととぎす
三人でいつぱいの部屋蟬時雨

「秋」
鶏の土蹴つてゐる残暑かな
チューナーを一ミリずらし星月夜
西瓜切る人の数より多く切る
アパートにフレッツ光小鳥来る
新米の水を静かに流しけり
低血糖起こさぬやうに茸飯
梨を食ぶ母は小さく口開けて

「冬」
表札を出さぬ暮らしや冬に入る
白鳥の喧嘩つひには脚も出る
白鳥の居場所タクシー無線より
沢庵を最後に食べて昼休み
セーターの背中つまんで別れけり
母の胸むかし豊かに冬至風呂
数へ日の薬たくさん貰ひたる
元日を母の個室に過ごしけり

ただ、お母上の病気と、ご本人の「うつ病」だかのことが気にかかる、と書いて筆を置きたい。 ご自愛を。
雑駁な書き方に終始したことをお詫びする。 またFB上でお会いいたしましょう。
最近は「ふらんす堂」の本に接することが多い。歌集なんかも、そうである。
ご恵贈有難うございました。      (完)







シャンパーニュ・ランス「サン・レミ聖堂」・・・木村草弥
IMG_0488サン・レミ聖堂内部
 ↑ サン・レミ聖堂内部
image_1-9cf18サン・レミ聖堂後陣
 ↑ サン・レミ聖堂後陣
img_861149_60878088_23サン・レミ聖堂
 サン・レミ聖堂礼拝堂
E58699E79C9F-28a6a右手前の彫像の並んでいる部分がサン・レミの墳墓
 ↑ 右手前の彫像の並んでいる部分がサン・レミの墓
img_861149_60878088_18サン・レミの墳墓
↑ サン・レミの墓

──巡礼の旅──(20)再掲載・初出2013/09/24

     シャンパーニュ・ランス「サン・レミ聖堂」・・・・・・・・・・・木村草弥

聖レミとは、496年、ランス大聖堂でフランク王国の建国者クロヴィスに洗礼を授けたランス司教レミギウスのことである。
伝説では、このとき天から鳩が現れ、王の頭に注ぐ聖なる膏を入れた瓶をもたらした。
聖レミギウスの遺骨とともに、この瓶はサン・レミ聖堂に保管され、フランス歴代の王の戴冠式では修道士たちが、これを運んだという。
そんな歴史的にも有名な寺院なのだが、ランス大聖堂の蔭に隠れて、尋ねる観光客も少ない。
ここに入ると、一見して、いろいろな時代のスタイルが入り混じっていることに気づく。
これは中世では当たり前のことだが、長い年月をかけて少しづつ建築し、必要に応じて改築してきたのである。

この教会はランスの歴史においてとても重要なはずなのだが、やはりランス大聖堂の方が「微笑みの天使」と「シャガールのステンドグラス」で観光客の人気をひきつけていて、この教会を訪れる人は少ない。

場所としては、シャンパーニュ・カーブのポマリ、ヴァランケン、ヴーヴ・クリコと3つのカーブに囲まれるように広がる公園、Square Saint Nicaseのすぐ後ろにある。
ここは後ろなのか手前なのかはどこからそれを位置づけるかによるから、近くと言った方が良いかもしれないが、公園から見える。

ここはパイプオルガンが立派で目立つ。よくコンサートに使われるらしい。
フランスにはたくさんの教会があってツアーで来る観光客に言わせるとどれを見ても同じのようだが、ひとつひとつの教会が独自のスタイルと歴史を持っている。

私は教会が大好きで、それはもちろんステンドグラスを始めとする建築に興味がある、パイプオルガンの音色が好きというのはもちろんだが、旅行者のための格好の休憩所だからだ。
聖書の一句に「疲れている人は誰でも私のところに来て休みなさい」というものがある。
これは精神的に疲れている人を指しているのみでなく、身体的にもそうである人を対象にした癒しの言葉だと私は理解している。
旅行で歩きつかれた、日差しが強すぎて疲れた、雨に打たれて疲れた、外気が寒すぎて疲れた、何でも良いんだと思う。
教会は安息のための場所である。人種も宗教も問わない場所である。
私は静かに本を読みたいとき、ちょっとナポレオン式居眠りをしたい時、教会のお世話になる。
美しいステンドグラスと麗しいパイプオルガンの音色に癒されて、ロマネスクやゴシック建築に心を鷲づかみにされて感動することで自分が生きているんだ、何かを感じることが出来るんだ、健全であるんだと確認するのである。
この教会のステンドグラスは、いずれも美しい。 写真に出せないのが残念だが、ネット上にいくつも出ているので、ご覧ください。

ここランスには、先に2013/07/21付で載せた「フジタ礼拝堂」も存在する。
「シャンペン」生産の中心地なのである。
ここランスは、この礼拝堂の誕生によって、特に日本人観光客の足を延ばさせる土地となった。


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