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草弥の詩作品<草の領域>
poetic, or not poetic,
that is the question. me free !
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──書評──木村草弥歌集『嬬恋』(角川書店)「未来」誌2004年1月号 所載
地球(テラ)はアポリア・・・・・・・・・・・秋山律子
『嬬恋』は木村草弥氏の第四歌集にあたる。
その歌集名と響きあうようなスリランカの岩壁画という「シーギリア・レディ」のフレスコ画のカバーが印象的である。
十数年来の念願が叶って実際に見に行かれたそうだが、かすかに剥落しながら浮かび上がっている豊潤な像に女性への、妻への思いが象徴されているのだろう。
『嬬恋』は群馬県北西端の村の名に因んでいるが、それは二度の大患を乗りこえて戻ってきた吾が妻へのそのままの気持ちであると記す。
・妻病めばわれも衰ふる心地して南天の朱を眩しみをりぬ
・羽化したやうにフレアースカートに着替へる妻 春風が柔い
・壺に挿す白梅の枝のにほふ夜西班牙(スペイン)語の辞書を娘に借りにゆく
・嬬恋を下りて行けば吾妻とふ村に遇ひたり いとしき名なり
・睦みたる昨夜(きぞ)のうつしみ思ひをりあかときの湯を浴めるたまゆら
という風に、妻や娘を詠むときに匂うような視線がある。
そういった家族への濃い思いもこの歌集の特徴だが、一方でもう一つ大きなテーマとして、アジアや中東を旅し、
その土地から発信する幾つかの連作に、旅行詠を越えた力作が並ぶ。
その中の一つ「ダビデの星」というイスラエル、エルサレムを旅した時の散文を含んだ一連は、この歌集のもう一つの要であろう。
・今朝ふいに空の青さに気づきたりルストゥスの枝を頭(づ)に冠るとき
に始まる八十余首の連作は、イエスが十字架を背負って歩いたヴィア・ドロローサの歴史的場所の十四のポイント(ステーション)を辿るのも含めて、そのほとんどを叙事に徹しながら、自らの足を運び、自らの目で視ることの迫力で一首一首を刻んでゆく。
・主イエス、をとめマリアから生まれしと生誕の地に銀の星形を嵌む
・ほの赭きエルサレム・ストーン幾千年の喪ひし時が凝(こご)りてゐたる
・異教徒われ巡礼の身にあらざるもヴィア・ドロローサ(痛みの道)の埃に塗(まみ)る
・日本のシンドラー杉原千畝顕彰の記念樹いまだ若くて哀し
・「信じられるのは銃の引金だけ」そんな言葉を信じるな! 君よ
・<国家の無化>言はれしも昔せめぎあひ殺しあふなり 地球(テラ)はアポリア
宗教、民族の紛争地のただ中を歩みながら事実のあるがままの呈示の中に、自分の思念を映し出す。
そして連作の最後に置く一首
・何と明るい祈りのあとの雨の彩、千年後ま昼の樹下に目覚めむ
その他風景を詠ったものなど詩情豊かだ。
・月光は清音(きよね) 輪唱とぎるれば沈黙の谷に罌粟(けし)がほころぶ
・睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたびよぎる
そして、本歌集の最後に置かれた一首
・水昏れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら
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