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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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娼婦たりしマグダラのマリア金色の教会に名とどむオリーヴ山麓・・・木村草弥
lrg_11707601マグラダのマリア教会

──イスラエル紀行(4)──

       娼婦たりしマグダラのマリア金色(こんじき)の
         教会に名とどむオリーヴ山麓・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「マグダラのマリア」については、ここに改めて書くまでもないが、リンクできるようにしてあるので、ご覧いただきたい。

「マグダラのマリア教会」は同じ名の教会が世界各地にいくつかあるが、もともとの物語の発祥の地であるイスラエルのエルサレムにある教会は、
1888年ロシア皇帝アレキサンダー3世が、マグダラのマリアと母后マリアの二人を記念して建てたものである。
私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)には、掲出した歌につづいて

  「マリアよ」「先生(ラボニ)!」ヨハネ伝20章に描かるる美(は)しき復活の物語

という歌が載っている。
キリスト磔刑の死後3日目、復活したイエスをはじめて見たのはマグダラのマリアだった、と言われている。
キリストを深く、心から敬愛した彼女なればこそ、復活したイエスが誰よりも最初に「姿」を見せたのが彼女なのであった。
マグダラのマリアは「聖女」に列せられている。
キリストの聖母もマリアという名である。
そんなこともあって、キリスト教世界では女の子に「マリア」という名をつけるのが大変多いのである。
英語名では「メアリー」と発音される。
絵画の世界でもマグダラのマリアは、さまざまに描かれてきた。
一例として、ティツィアーノの描いた絵を挙げておく。
magdelene3ティツィアーノマグラダのマリア像

この絵については、こんなエピソードがある。

いろんな画家の伝記を書いたことで有名なヴァザーリ(いちおう本業は画家だが)
いわく
「髪が乱れほつれたマグダラのマリアの半身像で、
その髪は瀧のように肩、喉、胸にかかっている。
彼女は頭を上げ、その目はしっかりと天を見据えている。
その赤く泣きはらした目は悔悛の表れであり、
涙は犯した罪に対する悲しみの表れである。
このような絵であったから、それを見る者ははげしく心を動かされた。
さらに彼女の姿は非常に美しかったが、
その美は情欲をそそるものではなく、
むしろ深い哀れみの情を誘うものであった」
・・・と。
ここまで言われたら、画家冥利というものである。
あ、ここにもマグダラのマリアの象徴である香油の入った小瓶が描かれている。(左下)
膝の上の骸骨は「限りある命」の象徴なんだそうである。
「香油」というのは、死んだ人の体を香油で拭い、清めて「葬り」の儀式に備える聖なる儀式の一環なのである。

とにかく、オリーヴ山 というのは聖書あるいはキリスト教の世界では重要な歴史的場所なのである。
私が行ったときは、実は「マグダラのマリア教会」には立ち寄らなかった。
ネット上のイスラエル旅行記を見ても、ツアーでは、ここに立ち寄らなかったという記載が多い。マグダラのマリアに対する「偏見」が、あるいは関係しているのかも知れない。
したがって、この教会の写真が遠景からのもので小さいことをお詫びしたい。

オリーブ山麓には、
lrg_11707600万国民の教会

万国民の教会(写真⑤)─別名苦悶の教会と呼ばれ、最後の夜イエスが苦悶しながら過ごしたと言われている─がある。
この教会は新しいもので、聖書のエピソードに因んで、最近に建てられたものである。
この教会に隣接して ゲッセマネの園というのがある。
イエスが頻繁に訪れた場所で「最後の晩餐」のあとイエスは弟子とともに訪れ、受難を予言した場所。名前の通り、オリーヴの木が茂るところである。

ここから少し離れたところに金ピカの「マグダラのマリア教会」はある。
この教会は、見れば判るように典型的な「ロシア正教」の様式である。
玉ネギ坊主の屋根といい、ダブル十字架の下の段の横棒が「キ」の字にならずに、「斜め下」に傾いでいるのもロシア正教特有のものである。
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小説『ダ・ヴィンチ・コード』及び、これを原作にした映画は先年に大きな話題を呼んだ。
この本については明日10/18付けで記事を載せるので、よろしく。
キーパーソンとして「マグダラのマリア」が存在する。キリストが死んだとき、マリアは腹にキリストの子を宿していた、というフィクションが「キー」になっているのだ。
昔から聖書や福音書などには「外典」というものが存在し、小説は、それらを好んで題材にしてきた。
ローマ法王庁は、この本および映画を読んだり、見たりしないように信者に呼びかけた。

2010/09/06に、私の歌

   紺ふかき耳付の壺マグダラのマリアのやうに口づけにけり

を引いて、マグダラのマリアのことについて少し書いている。ご参考までに。
そこに載せたJan van SCORELのマグダラのマリアの絵の方が趣きがある。



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