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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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詩と連句「おたくさ」Ⅲ─3・・・鈴木漠
おたくさ_NEW

──鈴木漠の詩──(13)

     詩と連句「おたくさ」Ⅲ─3・・・・・・・・・・・・・鈴木漠
                  ・・・・・おたくさの会2019/10/31刊・・・・・・・

今どき現代詩人の中で「連句」を継続して、ずっと手掛けられているのは鈴木漠氏くらいしか居ないだろう。
第三次「おたくさ」3号が届いた。順調に会が運営され、皆さん、張り切って「座」を巻いておられるようで、慶賀至極と申し上げる。
「おたくさ」とは「OTAKSA」紫陽花の学名。シーボルトが愛した女性・楠本タキ(お滝さん)に由来する。神戸市の市花ともなっており、グループ名と誌名に採用された。

今号は、掲出した画像でも読み取れると思うが、「詩」は、鈴木漠「燃える本座」とニページ目に梅村光明「レインスティック」の二つが載っている。
あと「連句」として2019/07~2019/10までの十七の作品が収録されている。
形式も「蜻蛉」「テルツァ・リーマ」「二十韻」「ソネット平坦韻」「獅子」「賜餐」「非懐紙」など多彩に渡っている。
全部は紹介しきれないので、その中からいくつか載せてみる。

       詩「レインスティック」・・・・・・・・梅村光明

    セルフのガソリンスタンドの
    トイレのドアを開けると
    目元と鋏に朱を帯びた蟹が
    驚き顔で鋏を振り上げ
    威嚇するポーズで
    小兵の力士炎鵬のように
    耽耽と気を吐いている
    レインスティックを傾け
    雨音を聴かせてやると
    眠ってしまったのか
    鳥の目と虫の目を
    混在させる感性に
    蟹の目を取り込めば
    巨大な誘蛾灯になった
    深夜のスタンドに
    引き寄せられる仲間たち
    化石燃料に羽虫酔いどれ
    朝になると展翅が並ぶ
    評論家のKが語った
    沈黙を表現するにも
    言葉によらなければならない
    というメービウスの輪が
    雨に濡れている



     「連句」   ソネット平坦韻  加減乗除

   山女釣り加減乗除の竿さばき      中野百合子 (夏)   a
    麦藁帽に相応ふ下駄履き        鈴木  漠  (夏)   a
   また一つ増えし薬包こぼれ落ち      安田 幸子 (雑)   b
    愛の証しに贈るブローチ         三神あすか (恋)   b

   ブロークン・ハート抱きて病蛍       赤坂 恒子 (秋恋)  c
    虫の音囲む夜のホスピタル       在間 洋子  (秋)   c
   満月の磁力果報を齎さん          梅村 光明  (月)   d
    紙と鉛筆あれば筆算            土井 幸夫  (雑)   d

   息白く両手に余す荷物持ち         福永 祥子  (冬)  e
     雪掻き奉仕すべり尻餅               獏  (冬)  e
   お喋りは老化防止と捲し立て            洋子  (雑)  f

    遍路宿の戸悪しき開け閉て            光明  (春)  f
   うらうらと野点の席の花日和            あすか  (花)  g
    春の名残の干菓子粒選り              恒子  (春)  g

   2019年7月首尾  兵庫県私学会館   おたくさ連句塾
   *ソネット平坦韻。押韻形式は aabb/ccdd/eef/fgg




        「連句」  賜餐  舟唄

       舟唄の月に漕ぐ声朗々と        中野百合子 (月)
         いのち短し澄み渡る水脈       鈴木   漠 (秋)
       色葉散る森羅万象一期にて       赤坂  恒子  (秋) 

ウ       意気投合し知恵の輪を解く      梅村  光明  (恋)
       新しき姓書くために買ふ日記       東条 士郎  (冬恋)
         白菜漬の塩加減よき          在間 洋子  (冬)

ナオ    暇あらばスマフォ操作を怠らず      三神あすか  (雑)
        耶蘇様幼なつらき踏絵よ         安田 幸子  (春)
       花の雲抜けて重力測る人          土井 幸夫  (花)

ナウ      夕陽背に受け鞦韆を揺り         福永 祥子  (春)
       晩餐は低くながるるワグナーに       藤田 郁子  (雑)
         窓辺仄かな回り灯籠            辻  久々  (夏)

       2019年8月首尾  ファクシミリ文音  おたくさ連句塾
       *賜餐形式。 三句四連。一花一月。 札幌の俳人 故篠田薫の創案。

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私も、ずっと前になるが、何度か連句の座に連なり、連句を巻いたことがある。
連句にも、いろいろの形式があり、もっと自在にやったらいいと思うのだが、「窮屈」に旧弊に固執する人があり、興が削がれることがある。
鈴木漠氏は、新しい形式も、どんどん取り入れられていて好ましい。
これからも、せいぜい楽しんで貰いたい。 有難うございました。





    

  

和 訶 羅 河・・・木村草弥
lrg_10319680流れ橋
 ↑ 木津川に架かる「流れ橋」(上津屋橋) (文中に説明あり)
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↑ 京田辺校地にある同志社大学ラーネッド記念図書館

──エッセイ──

    和 訶 羅 河・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
     
私は運動のために木津川堤をほぼ毎日ウォーキングしていた。
私の住いは東岸にあるので、徒歩の場合は専ら東岸のみだが、自転車に乗っていたときは西岸も使って「流れ橋」を渡って往復十数キロを動いていた。
この西岸は北は嵐山から南は木津まで三十キロ余りがサイクリング路として整備されている。
因みに「流れ橋」とは洪水の時も材木が流失しないように金綱で連結してある。
欄干がない橋桁だけの木橋で時代劇の撮影によく使われるので有名。
その「流れ橋」が、先日の台風19号の大雨の増水で壊れた。だから今は、この写真の風景は無い。

木津川は三重県に源流を発し奈良県境から京都府に入り、琵琶湖を源とする宇治川と京都盆地北部を源とする桂川と三川合流して、淀川と名前を変えて大阪府へ入り大阪湾に達する。
見出しに見慣れない「和訶羅河」(わからがわ)と書いたが、これが木津川の一番古い名称である。
古事記中巻・崇神天皇の条、建波邇安王(たけはにやす・おう)の反逆の記事中にみえる。(日本書紀には輪韓河と表記される)。
一般的には木津川の古名は「泉川」あるいは「山背川」(やましろがわ)として知られるが、それより古い呼び名があったと知ったのは最近のことである。
ただしこの名称が何に由来するかは、まだ知らない。
付け加えておくと「山背国」という呼称が「山城国」と表記されるのは、桓武天皇による平安京建都以後のことであるので、ご留意を。

 わが「山城盆地」は大和盆地に隣接し、淀川を通じて瀬戸内海とつながり、琵琶湖を通じて丹後、北陸と通じる交通の要衝であり、朝鮮半島から渡来する文明が早くから到達した地域であった。
南山城には「上狛」「高麗」などの地名が現存し渡来人の有力者が居住していたことが判る。

 木津川西岸の京田辺市の丘陵地(天神山古墳と言われる)には先年、同志社女子大学の全学部、同志社大学工学部、同志社大学の一、二年生(教養課程)の田辺キャンパスが開校し、
木津川堤からは赤褐色の煉瓦建の校舎が、よく見える。一きわ高く尖塔の見えるのは女子大学のチャペルである。
もっとも、私立大学のこういう郊外地に新キャンパスを立地させる動きは地価の落着きとともに創立地に回帰する動きが首都圏でもあり、
同志社大学でも創立地である今出川校地の周辺を買収して、回帰する傾向にあり、同志社大学の教養課程も今出川校地に戻った。
女子大学も田辺校地と今出川校地と半々である。
とすると、京田辺校地には工学部と、今もある帰国子女のための同志社国際高校と、これから新設される理工系、医系学部などが立地するものと思われる。

 この丘陵地には古代には筒城宮(つつきのみや)が在ったとされており、この宮は継体天皇の宮都が置かれていた所と言われている。
継体天皇は即位までに河内、筒城宮、大和と長い年月をかけて大和に入ったという、謎の多い天皇である。

PN2009080801000466_-_-_CI0003イタセンパラ
↑ 二枚貝に産卵しようとするイタセンパラ
参考までに、木津川、淀川には「イタセンパラ」という絶滅危惧種の淡水魚が「わんど」という岸辺の窪みに生息していると言われている画像を出しておく。

 私の日々の散歩コースからの雑感である。
(このエッセイは短歌結社「地中海」誌2004年一月号のエッセイ欄「送風塔」に載せたものに加筆した)
以下に、この堤防に因む私の旧作(『昭和』に掲載)を掲げておく。

        木津川堤・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  日々あゆむ我が散歩みち歩数計が八千五百を示せば戻る

  狼煙(のろし)台がありしと聞けり飯岡(いのをか)は木津川に張り出だしたる丘

  イタセンパラは絶滅危惧種の魚なり木津川の<わんど>の潜みゐるといふ

  あまたなる謎の遍歴ありしとぞ継体天皇の筒城宮(つつきのみや)跡

  筒城宮ありたる辺り同志社女子大学の赭 (あか)きチャペル見ゆ

  小春日を浴びつつ展(ひら)く茶畑に茶の花白く咲き初めにけり

  「三川合流点から十三km」木津川の堤防の標(しるべ)よぎりつつゆく

  三川合流すなはち宇治川、桂川、木津川あひ合ふ地点いふなり

  音如ケ谷瓦窯(おんじょがたにごよう)跡あり平城(なら)京の瓦を焼きし跡と伝ふる

  窯跡は相楽台なる新興の大住宅地に囲まれにけり

  黒木美千代住む住宅地すぎゆけば楢の並木の黄葉つもる

  丸瓦軒平瓦鬼瓦刻印瓦、ヘラ書き瓦ありき

  古書しるす一貫百文、瓦窯二烟作工七十九人功人別十四文

           八幡、西山廃寺出土
  瓦焼く職人の戯画線刻の人面と名前裏面に残す



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