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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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『橋本多佳子全句集』・・・木村草弥
橋本_NEW

──新・読書ノート──

      『橋本多佳子全句集』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                  ・・・・・・角川書店2018/08/25刊・・・・・・・・

橋本多佳子の句は、このブログでも何回採り上げてきただろうか。
みづみづしい女人俳句の典型として、現代俳句界に屹立する人である。
今回この本を通読してみて、私の知っている句が、彼女の代表作ばかりだと改めて知った。
彼女の句集は『海燕』 『信濃』 『紅絲』 『海彦』 『命終』の五冊で、 『命終』は亡くなってから出た遺句集である。

       雪の日の浴身一指一趾愛(いと)し

よく知られているこの句は 『命終』の巻末に載るもので、遺書のように色紙に書いて遺された作品である。
女人のナルシスムの句だが、彼女は進行した「肝臓癌」で、大阪の回生病院にかつぎこまれ、開腹されたが、末期ガンということで手術せず閉じられた、という。
そういう末期ガンではあっても、この句に詠まれるように、彼女の肢体は美しかったのだろう。
手術を受けるために入浴した自が肢体を眺めて、この美しい句が生まれたのだろう。 「絶唱」というべき作品である。
「年譜」によると、昭和35年(61歳)7月、胆嚢炎で大阪回生病院入院、黄疸のため入院長引く、とあり、これが彼女の「宿痾」だったことが分かる。
そして、昭和38年5月29日肝臓癌により死去した。

五冊の句集に収録されなかった作品が、この本では「補遺」として、本の四割ほどのスペースを占めているが、彼女の意図通り、なるほど、「採れる」句は少ない。
そこにも彼女の選択の精細さを汲み取ることが出来るというものである。

私が私淑していた近藤英男先生は奈良教育大学で教鞭を執っておられた関係からか、橋本多佳子を少しは知っておられたようで、よく話の中に出てきた。
先生は結核で国立京都療養所で療養されていた間に俳句に接せられて、余技として俳句を嗜まれていたらしい。
津田清子とも親しかったらしく、「三詩形」の会のときにも津田清子が呼ばれて来られたことがあった。
この本を読んで津田清子が橋本多佳子に随伴して一緒に各地に行っていることを知った。「年譜」に度々登場する。
津田清子については私のブログに書いたことがあるので参照されたい。 → 津田清子句集『無方』

橋本多佳子が奈良に住んでいたことは知っていたが、その土地が「あやめ池」だと知った。
他所の人には分からないだろうが、奈良を知る人には「あやめ池」は、かつて近鉄の「あやめ池遊園地」のあった場所で奈良の郊外の景勝地だった。
もちろん彼女の住んでいたのは、その前のことだろう。
大阪帝塚山から奈良に疎開したのだった。「年譜」によると昭和19年5月奈良県生駒郡伏見村字菅原(現奈良市あやめ池)へ疎開、とある。
戦争末期のことで、この地では、お嬢様育ちの、かよわい腕を振るって土を耕し、鶏を飼ったりした。
もちろん食料としてであるが、その鶏を「締めて」処理することが出来なかったので、他人に、さばいてもらった、とある。
豪商の、なに不自由のない生活から一転して、食べるために農民の顔を伺い、食料を求めたらしい。

西東三鬼、平畑静塔らとの日吉館での「奈良俳句会」の修練が始まる、ことも「年譜」に出ている。これで多佳子は激しく鍛えられた。
それらのいきさつについては私のブログに、こんな記事を載せた。 → 「多佳子の句」

以前にブログに載せた句が彼女の代表作だと思うが、せっかく全句集を手に入れたのだから、他の句も少し引いてみる。
■の印を打った句は、前にブログに引いたものの再掲である。

       ■万緑やおどろきやすき仔鹿ゐて

       ■雄鹿の前吾もあらあらしき息す

       ■女(め)の鹿は驚きやすし吾のみかは

       ■雪はげし抱かれて息のつまりしこと

       ■月光にいのち死にゆくひとと寝る

       ■曼殊沙華咲くとつぶやきひとり堪ゆ

       ■雪はげし夫の手のほか知らず死ぬ

       ■夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟

       ■白炎天鉾の切尖深く許し

       ■生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣

       ■山茶花のくれなゐひとに訪はれずに

       ■雀ゐて露のどんぐりの落ちる落ちる

       ■枇杷を吸ふをとめまぶしき顔をする

       ■乳母車夏の怒涛によこむきに

    *落葉松の散る野の椅子をたたみて去る
     *鶏しめる男に雪が殺到す
     *初蝶に合掌のみてほぐるるばかり
     *青蛇の巻き解けてゆく尾の先まで
     *いなびかり想ひはまたもくりかへす
     *いなびかり船橋にひくき言かはす
     *いなびかり病めば櫛など枕もと
     *凍蝶に指ふるるまでちかづきぬ
     *死ぬ日いつか在りいま牡丹雪降る
     *梅雨に広肩石のヨハネの顔欠けて
     *墨工房せましわが香を畏れはじむ
     *煤膚の墨工佳しや妻ありて
     *この雪嶺わが命終に顕ちて来よ
     *生きてまた絮あたたかき冬芒
     *蒟蒻掘る泥の臭たてて女夫仲
     *百姓の不機嫌にして桃咲けり
     *蟇いでて女あるじに見えたり
     *老いよとや赤き林檎を掌に享くる
     *九月来箸をつかんでまた生きる
     *産みし乳産まざる乳海女かげろふ
     *年迎ふ櫛の歯ふかく髪梳きて
     *万燈会廻套利玄とすれちがふ
     *土中より筍老いたる夫婦の材
     *一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす
     *潮出づる海女がぴつたり肉つつみ
     *農婦帰る青田をいでて青田中
     *壬生念仏とても女なればみめよき面
     *仰臥する胸ほととぎす縦横に
     *青双丘乳房と名づけ開拓民 
     *蜥蜴食ひ猫ねんごろに身を舐める
     *火の修二会闇に女人を結界して 
     *雪はげし化粧はむとする真顔して
     *髪洗ひ生き得たる身がしづくする
     *青き踏む試歩よ大きく輪を描いて

以前にブログに引いた句も■を打って引いた。詳しくは当該ブログを読まれたい。
引き出すと、きりがないので、この辺にするが、拾い落としがあれば追記することにする。



帚木蓬生『聖灰の暗号』上・下・・・木村草弥
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──新・読書ノート・初出Doblog2007/11/03──

     帚木蓬生『聖灰の暗号』上・下・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・新潮社2007/07刊・・・・・・・・・・

この小説で採り上げられている「カタリ派」なるものについては私の歌に

   金雀枝は黄に盛れどもカタリ派が暴虐うけしアルビの野なる・・・・・・・・・木村草弥

というのがある。私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載る。
カタリ派については2009/05/19に記事を載せたので、ご覧いただきたい。

先ずはじめに彼の経歴を引いておく。
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帚木蓬生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい、1947年1月22日 - )は、日本の小説家、精神科医。福岡県小郡市生まれ。本名、森山 成彬(もりやま なりあきら)。
東京大学文学部仏文科卒、九州大学医学部卒。ペンネームは、『源氏物語』五十四帖の巻名「帚木」と「蓬生」から。

経歴
東京大学仏文科時代は剣道部員、卒業後TBSに勤務。退職後九州大学医学部を経て精神科医に。その傍らで執筆活動に励む。1979年、『白い夏の墓標』で注目を集める。1992年、『三たびの海峡』で第14回吉川英治文学新人賞受賞。八幡厚生病院診療部長を務める。現在は、福岡県中間市にて「通谷メンタルクリニック」を開業。開業医として診察をしながら、人間の心と社会倫理を鋭く射抜く、ヒューマニズムあふれる作品を世に出し続けている。

医学に関わる作品が多く、また自身(精神科医)の立場から『ギャンブル依存とたたかう』を上梓している。

2008年に急性骨髄性白血病に罹り、半年間の入院生活を余儀なくされた。現在は復帰している。

受賞歴
1975年 - 『頭蓋に立つ旗』で第6回九州沖縄芸術祭文学賞
1990年 - 『賞の柩』で第3回日本推理サスペンス大賞佳作
1992年 - 『三たびの海峡』で第14回吉川英治文学新人賞
1995年 - 『閉鎖病棟』で第8回山本周五郎賞
1995年 - 福岡県文化賞
1997年 - 『逃亡』で第10回柴田錬三郎賞
2010年 『水神』で新田次郎文学賞

著書
白い夏の墓標 1979年4月 新潮社 / 1983年1月 新潮文庫)
十二年目の映像(1981年6月 新潮社 / 1986年1月 新潮文庫)
カシスの舞い(1983年10月 新潮社 / 1986年11月 新潮文庫)
空(クウ)の色紙(1985年2月 新潮社 / 1997年12月 新潮文庫)
賞の柩(1990年12月 新潮社 / 1996年2月 新潮文庫)
アフリカの蹄(1992年3月 講談社 / 1997年7月 講談社文庫)
三たびの海峡(1992年4月 新潮社 / 1995年8月 新潮文庫)
臓器農場(1993年5月 新潮社 / 1996年8月 新潮文庫)
閉鎖病棟 1994年4月 新潮社 / 1997年5月 新潮文庫)
空夜(1995年4月 講談社 / 1998年4月 講談社文庫)
総統(ヒトラー)の防具(1996年4月 日本経済新聞出版社 / 1999年5月 新潮文庫 上下巻 改題『ヒトラーの防具』)
逃亡(1997年5月 新潮社 / 2000年8月 新潮文庫 上下巻)
受精(1998年6月 角川書店 / 2001年9月 角川文庫)
安楽病棟(1999年4月 新潮社 / 2001年10月 新潮文庫)
空山(2000年6月 講談社 / 2003年6月 講談社文庫)
薔薇窓(2001年6月 新潮社 / 2004年1月 新潮文庫 上下巻)
エンブリオ(2002年7月 集英社 / 2005年10月 集英社文庫 上下巻)
国銅(2003年6月 新潮社 / 2006年3月 新潮文庫 上下巻)
アフリカの瞳(2004年7月 講談社 / 2007年7月 講談社文庫)
ギャンブル依存とたたかう(2004年11月 新潮選書)
千日紅の恋人(2005年8月 新潮社 / 2008年4月 新潮文庫)
受命(2006年6月 角川書店 / 2009年9月 角川文庫)
聖灰の暗号(2007年7月 新潮社 / 2010年1月 新潮文庫 上下巻)
インターセックス(2008年8月 集英社)
風花病棟(2009年1月 新潮社)
水神(2009年8月 新潮社 上下巻)
ソルハ(2010年4月 あかね書房)
やめられない ギャンブル地獄からの生還(2010年9月 集英社)
蠅の帝国 軍医たちの黙示録(2011年7月 新潮社)
日御子(2012年6月 講談社 / 2014年11月 新潮文庫【上・下】)
天に星 地に花(2014年10月 集英社)
悲素(2015年7月 新潮社)

翻訳
精神医学の二十世紀 ピエール・ピショー 大西守共訳 新潮選書 1999.10

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内容(「MARC」データベースより)
南フランスのピレネー山麓にその古文書は眠っていた…。謎めいた文字が躍る羊皮紙、行間に滲む火刑審問、声なき叫び。「手稿」が長き眠りから目を覚ます時、ヴァチカンの闇が再び動く。人間の救済と信仰の真実を問う歴史大作。
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読み始めると止まらないくらい面白い。ハハキギはいつも道具立てが秀逸で、登場人物がちょっと不思議なんだけど、今回も若干その傾向。とはいえ、主人公の須貝明は行動力もあるし、周辺人物も魅力的で、交流もよく描かれている。フランスの食べ物もおいしそうだし。

初めのうち、主人公の行動にどうも疑問が残った。新発見の重大な証拠となる古文書を保全しようとしないとか、そのために関係の無い人を巻き込んでも余り動揺していないところとか。言い訳は、何よりも700年前の悲痛な叫びに突き動かされて、第二,第三の手稿を探し求めずにはいられなかったということらしいのだが。

でも、それも半分くらいはうなずけるほどに、古い手稿の記述が迫力に満ちていたため、途中からは気にならなくなった。異端として拷問にかけられたカタリ派の聖職者たちの火を噴くような舌鋒が克明に記されて、胸に深く突き刺さる。これが全くの創作であるなら、作者はよほど深くキリスト教とカタリ派の教義を研究したにちがいない。

カタリ派はキリストの復活を信じないのが異端とされた最大の理由らしいが、彼らの言葉はどれも確信に満ちている。
「父と子そして聖霊が人の肉体の形を取ることはありえない」
「この世にあるすべての目に見えるものは、神の意志や栄光をあらわすものではなく、教会も礼拝堂も、その他もろもろの城と同じく、神とはゆかりのないものであり、祈りは洞窟の中、小屋の内、森の空地でなされるべきもの」
として、その理由をよどみなく何ヶ所も聖書の中から引いて語る、情熱に満ちた博識。

中でも、審問の記録係を務めてその問答を聞くドミニコ会修道士レイモン・マルティの胸に深く響いた「神の社はあなたの中にある。野にいても山にいても、町の中にいても」という言葉のすがすがしい単純さは、読み手の胸をも深く打つ。これが信仰の核心でなくて何だろう。この原点から離れてしまった宗教がどれほど多いことか。というより、宗教は何とたやすく原点から離れてしまいがちなものか。

常にその警鐘を鳴らしながら物語は進んでいく。カタリ派の聖職者<良き人(ボノム)>であるアルノー・ロジェそしてピエール・サンスと、審問の記録係であるマルティとのひそやかな交流は、息を呑むクライマックス。特に、最後の<良き人>ピエール・サンスとの場面は、互いに心の寄り添うもので、胸に迫る。

ミステリとしての完結はあっさりしたものなのだが、古文書の探索と謎解きだけでも十分に面白い。かつ、その古文書には信仰の本質にかかわる大きなドラマが幾つも書き記されているので、上下巻を読み通すと、単なるミステリにとどまらない深い感情が揺り起こされ、激しく熱い信仰のまっすぐな姿に触れたかのように粛然とする思いが残った。
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この小説中にも書かれていることだが、「カタリ派」という呼び方は、カタリ派が自称したものではない。
ローマ教会が押し付けたものである。
語源はドイツ語の Ketter だと目されている。<神から愛される者>という意味がそこにこめられていた。当時のイタリアではそれを Cathare と呼んだので、弾圧と審問の過程でその呼び名が定着してしまったという。
カタリ派信仰の萌芽は10世紀で、小アジアやシチリア島、ドイツで起こったと考えられている。当初からカタリ派の聖職者はローマ教会の司祭とは異なり、現在のギリシア正教と似て長髪で髭を生やしていた。実生活では独身を通し、菜食を厳守し、祈りと肉体労働の日々を送った。形式と権威だけにしがみついていたローマ教会に、人々はもう「信」を置かなくなったのが十世紀で、ここにカタリ派が生長する下地が出来ていたと言えよう。
──完全な信仰者になりたければ、行きなさい。お前の所有する物をすべて売り、貧しい者に与えなさい。そうすればお前は天に財宝を築くだろう。来なさい、私に従うのです。──余りにも有名な「マタイによる福音書」の一節だが、カタリ派の聖職者はこの聖句そのものの生活をし、信徒たちもその生活信条を理想とするようになったという。
信徒に男女の区別がなく、聖職者にも女の人が就いていた。

小説の題名の「聖灰」とは、処刑された聖職者アルノー・ロジェとピエール・サンスの、火あぶりにされて燃やされた「遺灰」のことを指す。
全体はドミニコ会の修道僧で、カタリ派として処刑された人を父母に持ちながら、火あぶりの刑の通訳をさせられたレイモン・マルティの三つの「手稿」と共に暗号として隠されるという筋書きなのだった。
上巻の扉のところに名前が明記されているが、

 A Patrick
30年前共にモンセギュールに登って以来、
カタリ派の哀しみを語り続けたその熱意が
なければ、本書は成らなかった。

のようにパトリックのカタリ派に対する執念が、この書を書かせたということである。

上に引いたWikipediaの記事には書かれていないが、彼の経歴として下記のことは欠かせない。

79~80年、フランス政府給費留学生としてマルセイユ・聖マルグリット病院神経精神科、80~81年、パリ病院外国人レジデントとしてサンタンヌ病院精神科で研修。

ということである。フランス語と医学について精通していることが、その後の彼の著作の基礎になっているのである。


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