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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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「未来山脈」掲載作品・2019/11 「石の物語」・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(23)

     「石の物語」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
              ・・・・・・2019/11掲載・・・・・・・

     石の物語    木 村 草 弥

   「洪水」神の禹は、もと龍形の神であった

   天下の洪水を治め歩いて塗山に至り妻を娶った

   禹は水を治めるとき熊の姿となった

   女はその姿を見て恐れ、恐怖の余り石となった

   禹はその石に向って「わが子を返せ」と叫ぶと、

   石は二つに裂けて子の啓が生まれた

   啓とは開明の意味ならば、石は暗黒の世界だったか

   中国の人ほど石を愛した民族は居ない

   巌はどの地でも神の宿るところであった

   白川静の学識と独創性の説くところである
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古代・夏の王「禹」については、このWikipediaに詳しい。治水に励んだ名君だったらしい。
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↑ 紹興市の会稽山にある大禹陵






アルフォンス・ドーデ『最後の授業』独仏支配交替のアルザスの悲哀・・・木村草弥
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↑ アルフォンス・ドーデ
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       アルフォンス・ドーデ『最後の授業』
           独仏支配交替のアルザスの悲哀・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は2013年初秋に行った「フランスの美しき村─アルザス・ブルゴーニュの旅」の際に作った歌であり、私の第六歌集『『無冠の馬』(KADOKAWA刊)に載る歌である。
その旅行記から当該部分を引いておく。  ↓
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後日談になるが、一行中には40~50代の女の人が多く参加していた。
それらの人たちが口々に言ったのがフランスの作家ドーデの短編小説「最後の授業」だった。
知らない人のためにWikipediaの記事を引いておく。 ↓

『最後の授業』(さいごのじゅぎょう、仏: La Dernière Classe)は、フランス第三共和政時代の初期、1873年に出版されたアルフォンス・ドーデの短編小説集『月曜物語』(仏: Les Contes du Lundi)の1編である。副題は『アルザスの少年の話』(Récit d'un petit alsacien)。『月曜物語』は1871年から1873年までフランスの新聞で連載された。

あらすじ
ある日、フランス領アルザス地方に住む学校嫌いのフランツ少年は、その日も村の小さな学校に遅刻する。彼はてっきり担任のアメル先生に叱られると思っていたが、意外なことに、先生は怒らず着席を穏やかに促した。気がつくと、今日は教室の後ろに元村長はじめ村の老人たちが正装して集まっている。教室の皆に向かい、先生は話しはじめる。

「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」

先生は「フランス語は世界でいちばん美しく、一番明晰な言葉です。そして、ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。やがて終業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。

小説が書かれた時代背景
フランスとドイツの国境地域に位置するアルザス・ロレーヌ(フランス語: Alsace-Lorraine、ドイツ語: Elsass-Lothringen エルザス・ロートリンゲン)では古くからケルト人が住んでいた。ローマ帝国に支配された後は、歴史の中で幾度となく領土侵略が繰り返されたことにより、ゲルマン系のアルマン人とフランク人が相次いで侵入してきた。それにより北部ではドイツ語のフランク方言が、南部ではスイス・ドイツ語に近いアレマン語が長らくこの土地で話されるようになった。この地は、元来神聖ローマ帝国に属していたものの、帝国に野心を抱くフランスの侵略の標的となった。しかし神聖ローマ帝国の側では、アルザス・ロレーヌを帝国の領域から切り離してフランスに割譲する事によって、フランスの帝国への干渉を食い止めた(ヴェストファーレン条約を参照)。結局1736年に、アルザス・ロレーヌはフランスに編入された。その間に公用語としてフランス語を用いられたため、アルザス地方の言葉はフランス語の語彙が入ったアルザス語として形成されていった。

1871年に普仏戦争でフランスが敗れると、ベルフォールを除いたアルザスと、ロレーヌの東半分がプロイセン(ドイツ帝国)に割譲される、という複雑な経緯を辿る。普仏戦争に敗戦したフランスに反ドイツ感情が湧き起こったこの頃、毎週月曜日にパリで『月曜物語』の新聞連載が始まった。
ドイツ帝国統治下当時の住民の大多数はドイツ系のアルザス人だったため、フランス語にそれほどなじみがあったわけではなかった。ドイツ統一後もアルザス人は必ずしもドイツから完全な「ドイツ人」とは見なされていなかった節がある。しかし安全保障上の問題からエルザス・ロートリンゲンを必要としていたプロイセンが「統一ドイツ」というナショナリズムを利用して普仏戦争を勝ち抜いたという経緯もあり、後には自治憲法の制定を認めるなど、比較的穏やかな同化政策を取っていたと考えられている。しかしツァーベルン事件の発生後は中央政府および軍との関係が悪化し、自治憲法も停止された。戦間期と第二次世界大戦第一次世界大戦でドイツが敗北した後の1918年11月8日、同地域はアルザス=ロレーヌ共和国(fr)として独立した。アメリカのウィルソン大統領はこれを承認しようとしたが、フランスは拒絶した。11月19日にはフランスによって占領され、この地域は再びフランス領アルザス=ロレーヌとなった。第二次世界大戦時、ナチス・ドイツのフランス侵攻によって同地方は再びドイツ領エルザス=ロートリンゲンとなった。ナチス・ドイツの統治においても同化政策は一定程度踏襲された。

第二次大戦後のフランス化政策
第二次世界大戦後この地区には再びフランス化政策が敷かれたが、テロや独立運動が発生するなど反発が強く、間もなくフランス政府も方針を転換した。1999年のジョスパン改革により、初等教育からドイツ語・アルザス語の教育が認められている。イタリアの南チロル地方ほど明確なドイツ人地区あつかいではないが、バイリンガルを基本として民族的な独自性が尊重されている。ストラスブールにEU議会が設置されたのもこうした背景が大きい。
政治的には、普仏戦争で勝利したプロイセン王国がエルザス・ロートリンゲンでのドイツ式初等教育義務化を実施し、フランス語は外国語教育としてのみ導入されていた時代である。ただしもともと、アルザスにおけるフランス語は公的文書などのごく一部に使用されていたに過ぎず、フランス政府自身がアルザスにフランス語を強制しても定着の見込みはないと諦めていた、という意見もある。

小説の政治的側面
アルザスは以前からドイツ語圏の地域であり、そこに住む人々のほとんどがドイツ語方言のアルザス語を母語としていた。普仏戦争にも従軍したプロヴァンス(同地にはロマンス語系のプロヴァンス語がある)出身のフランス人である作者ドーデは、作中のアメル先生に「ドイツ人たちにこう言われるかもしれない。“君たちはフランス人だと言いはっていた。なのに君たちのことばを話すことも書くことも出来ないではないか”」(その後に、フランツや生徒だけの責任ではない、国語をきちんと指導しなかった我々大人の責任でもある、と反省の弁)と言わせている。

すなわち、アルザスの生徒達は(ドイツ語の一方言であるアルザス語が母語であるため、)国語であるフランス語を話すことも書くこともできず、わざわざそれを学校で習わなければならない状態であったのである。アメル先生は、アルザス語を母語とするアルザス人に対し、フランス語を「自分たちのことば」ないし「国語」として押しつける立場にあったものであり、本小説においてはこの点が隠蔽されていることとなる。

日本ではこの小説は1927年(昭和2年)に教科書の教材として採用された。戦後の一時期、『最後の授業』は教科書から消えたが、1952年(昭和27年)に再登場した。しかし、田中克彦の『ことばと国家』や蓮實重彦の『反=日本語論』などによる、「国語」イデオロギーによって言語的多様性を否定する側面を持つ政治的作品であるとの批判もあった。また、戦後のフランス政府は同地でのアルザス語・ドイツ語教育を容認しており、同作のフランス語純化思想はすでに過去のものとなっている。1985年(昭和60年)からは日本でも教科書に採用されていない。
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この小説は『月曜物語』の中の短編で、私は原書で読んだ。
この旅については、このブログの「フランスの美しき村─アルザス・ブルゴーニュの旅」 を読んでもらいたい。
Wikipedia─アルフォンス・ドーデ については ← を参照されよ。




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