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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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POSTE aux MEMORANDUM(12月)月次掲示板
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東日本大震災から八年。 被災された方々に
心よりお見舞い申上げ、死者に哀悼の意を表します。
一日も早い復興をお祈りいたします。 原発の放射能には怒りを。
                                 木村草弥
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このトップページは「月次掲示板」です。最新記事は、この次から始まります。 ↓
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本年も十二月、最終となりました。
泣いても笑っても「師走」の到来です。

 葦べ行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 志貴皇子
 いたぶるとなぶるを辞書に引き比ぶ甚振(いたぶ)るうつつは辞書より辛し・・・・・ 沢口芙美
 みまかりてしまへばはらからではなくてうをの牙はも魚にむらがる・・・・・・・・・・・・ 柳沢美晴
 流し樽流れいし世のゆたかなり瀬戸内海に雪降りしきる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 玉井清弘
 廊下ゆく杖の音立つ雪の日の白鳥の声刈田にきこゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・板宮清治
 定食を囲んで話すほんとうの笑顔でいようお醤油かけて・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 岩尾淳子
 朝しぐれすぎてさだまる海の色うつくしければ自転車に乗る・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三井ゆき
 冬の日は誰のものにもあらざれば一直線に日向を歩む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 沖ななも
 萩もみぢとらへがたなきあかるさの 窓辺に充ちて、仮の世この世・・・・・・・・・・・・・ 中西洋子
 海底に塩噴く臼のあるといふ説話なかなか嬉しきものを・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 恩田英明
 国家解体おもひみるかな領土なく国語なくただに<言葉>響きあふ水の星・・・・・・水原紫苑
 頭よりヤマメ食ふとき大陸の塵も胃壁も融けつつあらむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黒瀬珂瀾
 しつかりと我をみつめて泣くなといふ冬の垣根のつはぶきの花・・・・・・・・・・・・・・・秋山佐和子
 ちよつとだけよろけぬるかな足もとの椿の花を踏むまいとして・・・・・・・・・・・・・・・・・・安田純生
 店先に盛られし蜜柑の一山にあつまりてゐる日暮れのひかり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・櫟原聰
 花にあらず花にあらねど全開の児手柏の冬の哄笑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・真中朋久
 液晶の青うなばらに文字浮きてきょうの出来事伝えていたり・・・・・・・・・・・・・・・・・ 武藤ゆかり
 烏羽玉の夜を引き裂きて猪の群は藍の白露かきちらしけり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多田羅 花
 樟にほふ乳房と腹をまろまろと彫りいだしたる船越桂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久我田鶴子
 咽喉にはやはらかき夢ふふむゆゑつぐみもひよもわれに親しき・・・・・・・・・・・・・・・・阪森郁代
 亡き母を知る人来たり十二月・・・・・・・・・・・・長谷川かな女
 落ちてゐるからたちの実や十二月・・・・・・・・・・吉岡禅寺洞
 武蔵野は青空がよし十二月・・・・・・・・・・・・・・・・・細見綾子
 わが生死食思にかかる十二月・・・・・・・・・・・・・・・相馬遷子
 御岳に雲の荒ぶる 十二月・・・・・・・・・・・・・ ・ 伊丹三樹彦
 凍蝶になほ大いなる凍降りぬ・・・・・・・・・・・・・・・ 藤田湘子
 星冴ゆる戌亥を守る鬼瓦・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑田佳穂
 家猫の小さなくしゃみ今朝の冬・・・・・・・・・・・・・・・・ 盛蓉子
 星流るすうっと走る裁ちばさみ・・・・・・・・・・・・・・ 北畠千嗣
 冬晴にジンタ天勝一座くる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 媚 庵
 実(じつ)のあるカツサンドなり冬の雲・・・・・・・・・・小川軽舟
 冬の田の二人の男一緒に帰る・・・・・・・・・・・・・・河西志帆
 星ひとつ出て凍鶴の羽搏ちかな・・・・・・・・・・・・・折勝家鴨
 うつかりとそこら辺りに帰り花・・・・・・・・・・・・・・・ 市堀玉宗
 イーハトーブの星の匂ひの冬林檎・・・・・・・・・・・・・金子敦
 ドトールの奥に居座る十二月・・・・・・・・・・・・・・・津野利行
 甘口カレーなら今夜家出する・・・・・・・・・・・・・・・ 月波与生
 河を越え伸びをり塔の影師走・・・・・・・・・・・・・・・薮内小鈴
 太ももの外側ほぐし冬の虹・・・・・・・・・・・・・・・・・ 吉川わる
 冬麗に象形文字の割り出され・・・・・・・・・・・・・加藤絵里子
 セスナ機も花野におなじ風のなか・・・・・・・・・・・・仮屋賢一
 冬枯れのサラリーマンの目を労わる・・・・・・・・・・宮崎玲奈
 脱力のセーター椅子の背もたれに・・・・・・・・すずきみのる
 古暦つまり風葬ではないか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大塚凱
 そこここに団栗ならばそこここに・・・・・・・・・・・・・・・ 高梨章
 リビングの隅の聖樹の消し忘れ・・・・・・・・・・・・・・杉原祐之
 原子炉が目覚めし町や冬の蝶・・・・・・・・・・・・・・・岡田幸彦
 また嘘をつくリアシートにはポインセチア・・・・・・・・ 奥村明
 流るるといはず揺れをる冬の川・・・・・・・・・・・・・・きしゆみこ
 水洟をすする眼の鋭さよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・葛城蓮士
 亡国の名の酒場ある風邪心地・・・・・・・・・・・・・・青木ともじ
 木枯らしはくしゃくしゃにしてポケットへ・・・・・・・・・青島玄武
 ひとの手に墨匂ひたり牡蠣の旬・・・・・・・・・・・・・・青本瑞季
 しぐるるや切絵のむすめ白眼無き・・・・・・・・・・・・・加藤御影
 澄みてなほ水は面をうしなはず・・・・・・・・・・・・・・・小池康生
 冬の川舌のごとくに夜が来る・・・・・・・・・・・・・・・・・青本柚紀
 ただの妻ただの星子の風邪癒えて・・・・・・・・・・・・和知喜八
 さんらんと冬雲のあり午後の塀・・・・・・・・・・・・・・・上田信治
 善人が黙えらぶ世の鵙日和・・・・・・・・・・・・・・・・・ 竹岡一郎
 枯野行く少し狂ひし腕時計・・・・・・・・・・・・・・・・ハードエッジ
 てのひらに硬き切符や冬ぬくし・・・・・・・・・・・・・・利普苑るな
 外套の中の寂しき手足かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岬光世
 すつぴんでするりセーター脱ぎながら・・・・・・・・・・ 九里順子
 なにかを捨てて来た道をかえりみる・・・・・・・・・・・・天坂寝覚
 口紅が食み出している帰り花・・・・・・・・・・・・・・・・・岩根彰子
 冬が来るとイヌキが云えり枕元・・・・・・・・・・・・・・ 金原まさ子
 牛の尾を引き摺るやうに寒波来る・・・・・・・・・・・・・ 鈴木牛後


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 歌集 『無冠の馬』(KADOKAWA刊)
 詩集 『免疫系』(角川書店刊)
 詩集 『愛の寓意』(角川書店刊)
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初炬燵開く亡き妻在るごとく・・・沢木欣一
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        初炬燵開く亡き妻在るごとく・・・・・・・・・・・・・・・沢木欣一

もう、この時季になれば、どこの家でも「炬燵」(こたつ)を出しただろう。
もっとも、この頃では全くの洋風暮らしをしている家もあるので、一概には言えない。
炬燵には「置き炬燵」と「掘り炬燵」の二種類があるが、床板をくりぬいた「掘り炬燵」の方が、絶対に足が楽だ。
この頃では和風料理屋などでも年中、掘り炬燵式のものにテーブルを置いてあるのが増えてきた。
正座をしたり、アグラをかくのに苦手な外人などにも好評である。
わが家でも二十数年前に家を建て替えた時に、座敷に「掘り炬燵」を設置した。
夏も天板を、そのまま座卓にして、足は下に垂らせるようにした。天板も和風に合うように、落ち着いた、少し立派なものにした。
冬には下半身を暖めると全身が、ほっこりする。
「書斎」にも、三面が天井までとどく万冊に及ぶ本に囲まれていたが、冬になると真ん中に「置き炬燵」を据えて、そこからテレビを見たりする。
書斎は椅子式の部屋だが、出入りの大工さんに頼んで椅子から足を伸ばせる台を特注で作ってもらい、
その板の上に「置き炬燵」を乗せるので、一人かけのソファーから足が伸ばせるのである。

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写真②は昔の浮世絵の炬燵の図である。鈴木春信画とか書いてあるが真偽のほどは判らない。
うら若い娘が仲良く炬燵を囲んで、「あやとり」をしながら語らっているという構図である。

江戸の日常暦によると、神無月の行事として、上亥、中亥、下亥とある亥の日のうち、武家では上亥の日に、商家では二の亥(中亥)の日に「炬燵開き」をした、という。
コタツには蜜柑が、よく似合う。これは何と言っても季節の風物詩である。

掲出の沢木欣一の句は、妻を亡くした感慨が盛られた句なので、私の今の心情に近いものとしていただいた。

    腰ぬけの妻うつくしき炬燵かな・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

というのがあるが、これは炬燵で温まった細君が腰抜けのようなしどけない状態になってしまった、という光景であろうか。以下、コタツを詠んだ句を引いて終りにしたい。

 淀舟やこたつの下の水の音・・・・・・・・炭太祇

 思ふ人の側に割り込む炬燵かな・・・・・・・・小林一茶

 句を玉と暖めてをる炬燵か・・・・・・・・高浜虚子

 炬燵の間母中心に父もあり・・・・・・・・星野立子

 横顔を炬燵にのせて日本の母・・・・・・・・中村草田男

 淋しくもなにもなけれど昼炬燵・・・・・・・・永井龍男

 編み飽いて炬燵の猫をつつき出す・・・・・・・・原田種茅

 炬燵出づればすつくと老爺峰に向ふ・・・・・・・・加藤知世子

 切炬燵夜も八方に雪嶺立つ・・・・・・・・森澄雄

 炬燵嫌ひながら夫倚る時は倚る・・・・・・・・及川貞

 熱き炬燵抱かれしころの祖母の匂ひ・・・・・・・・野沢節子

 どつぷりとつかりてこその炬燵かな・・・・・・・・中嶋秀子

 炬燵して向ひに誰も居らぬ母・・・・・・・・千葉浩史

 調法に散らかしてある炬燵の間・・・・・・・・小畑けい

 活断層の真上に住みて炬燵かな・・・・・・・・安達光宏



垢じみたこころ洗ひたし 冴えわたる極月の夜に月の利鎌だ・・・木村草弥
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      垢じみたこころ洗ひたし 冴えわたる
          極月の夜に月の利鎌(とがま)だ・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
ご存知のように「月」にはほぼ29日周期で満ち欠けがあるが、写真のような「利鎌」の形をするのは月齢の中で2回ある。
写真①のような新月から満ちはじめ上弦の月から満月に至る途中の利鎌と、次に出す写真②のような満月から欠けが更に進んだ利鎌、である。この二つの場合には「弧」の向きが逆になる。

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詳しくは「下弦の月」というのをご覧いただきたい。

今年は十二月十二日が「満月」=望である。だから今日は「望」の月から一日目である。だから今日は十六夜(いざよい)である。
十六夜とは、およそ満月の翌日、新月から16日目の夜または月を指す、月の呼び名の一つ。しかし、十六夜が満月となることも。
今年が、まさに、それで、昨日が満月=十六夜、であった。念のため。

「上弦」とか「下弦」という表現については逆の説明がなされる場合があるので、ご注意を。
詳しくは、ネット上の国立天文台の「こよみの計算」にアクセスすれば簡単に知ることができる。

「利鎌」の説明をしていて、つい月の話になったが、本来、話題にすべきは「垢じみた心」を洗いたい、ということであろうか。
私のように長い年月を生きて来ると、体も心も、すっかり「垢」じみたものになってしまっている。
「冴えわたる」極月(12月の異称)の夜の月の「利鎌」を見ていると、それで自分の心の垢を削ぎ落したい、という想いに捕われるというのである。
これらは「比喩」表現であるから、言葉のあれこれの詮索は無用である。

俳句には「寒月」「冬の月」「月冴ゆる」「月氷る」「寒三日月」などの季語が見られる。
さむざむとした青白い月で、毎月見られる月ではあるが、この時期に見ると、厳冬を思わせる月の凄まじさがある。
透徹した空気のため、研ぎ澄まされたような、刺すような寒さが感じられて、美しい。
「寒月」と言えば、特に冷厳な凍りついたような月を言い、氷輪というようで、人を離れて寂として輝いている。
「冬三日月」は仰向きはじめた形で、ひえびえと利鎌のように鋭くかかる。
『枕草子』には「すさまじきもの、おうなのけさう、しはすの月」と書かれている。
『源氏物語』朝顔の巻では「花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に、雪の光りあひたる空こそ、あやしう、色なきものの、身にしみて、この世のほかのことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも、残らぬ折りなれ。すさまじきためしに言ひ置きけむ人の、心浅さよ」とある。

 寒月や僧に行き合ふ橋の上・・・・・・・・与謝蕪村

の句は、そういう雰囲気を、よく表現し尽している。

以下、冬の月を詠んだ句を引いて終る。

 我影の崖に落ちけり冬の月・・・・・・・・柳原極堂

 冬の月をみなの髪の匂ひかな・・・・・・・・野村喜舟

 吹雪やみ木の葉の如き月あがる・・・・・・・・前田普羅

 冬三日月羽毛の如く粧ひ出づ・・・・・・・・原ヨウ子

 寝ぬる子が青しといひし冬の月・・・・・・・・中村汀女

 あたたかき冬月幸を賜はるや・・・・・・・・石田波郷

 寒月に大いに怒る轍あり・・・・・・・・秋元不死男

 人穴を掘れば寒月穴の上・・・・・・・・富沢赤黄男

 寒月や耳光らせて僧の群・・・・・・・・中川宋淵

 降りし汽車また寒月に発ちゆけり・・・・・・・・百合山羽公

 煙突と冬三日月と相寄りし・・・・・・・・岸風三楼

 寒の月酒にもまろみありとせり・・・・・・・・相生垣瓜人

 寒三日月不敵な翳を抱きすすむ・・・・・・・・野沢節子

 寒月光いつか一人となるこの家・・・・・・・・古賀まり子

 寒月の作れる陰につまづける・・・・・・・・高木貞子

 寒月にまぶたを青く鶏ねむる・・・・・・・・田中祐三郎


冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ・・・佐藤佐太郎
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   冬山の青岸渡寺(せいがんとぢ)の庭にいでて
       風にかたむく那智の滝みゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・佐藤佐太郎


佐藤佐太郎は斎藤茂吉に師事し、茂吉に関する著書も多い。
西国三十三所第一番の札所青岸渡寺から那智の滝を遠望すると、ちょうど夢の中ででも見るような感じで、一筋の白い滝が崖から流れ落ちる。
作者は折からの冬景色の中で、滝が風を受けて、ふっと傾くのを見たのである。
「庭にいでて」とあれば文法的には、結句は「那智の滝(を)みる」となるのが自然だと思われるが、佐太郎が、
それを「みゆ」とした時、滝は言わば見る者と、見られる物という対比を超えて、ごく自然に見る者の中に入りこんで来たのである。
昭和45年刊『形影』所載。

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佐太郎の歌に描かれた風景を写真に表すならば、写真②のようになる。手前の三重の塔が青岸渡寺のものである。
遠景に那智の滝が白く見える。この滝そのものが那智大社の御神体である。
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↑ 熊野那智大社

もともとは神仏混交であって那智大社も寺も一体のものであったが、明治初期の神仏分離によって分けられたものである。今日、寺は天台宗に属する。
開基は仁徳天皇(313-399)の御代にインドから裸形上人が(釈尊入滅後882年頃)一行6人と共に熊野灘に漂着し、熊野の各地を巡歴した。
上人は今の那智大滝のところにおいて観世音を感得し、今の御堂の地に庵を作り、その後、推古天皇(593-629)の時に、大和より生き仏と言われる聖(ひじり)が来て、玉椿の大木に如意輪観世音を彫り、前の観世音を胸に納めたと寺伝されている。
 ↓ 写真④は青岸渡寺である。
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この寺は西国三十三所観音霊場の第一番札所である。巡礼は、先ず、この寺から巡礼をはじめ、笈(おいづる)や集印帖ないしは御詠歌の本に寺の朱印を押してもらうのである。
この第一番札所の御詠歌は

    ふだらくや岸うつ波は三熊野の那智のお山にひびく滝つせ

と詠われているが、作者は花山法皇と言われている。西国三十三所のほとんどの歌が花山法皇の歌である。
今や「熊野古道」は世界歴史遺産としての指定を受けるに至り、日本中の注目を集めることになった。



大西昭彦詩集『狂った庭』・・・木村草弥
大西_NEW

──新・読書ノート──

       大西昭彦詩集『狂った庭』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・・澪標2019/09/20刊・・・・・・・・

作者はWikipediaによると、こういう人である。 ↓
1961年生まれ。 同志社大学経済学部卒業、神戸大学大学院博士課程前期修了。
神戸新聞マーケティングセンター等を経て、1991年独立。
ユーゴスラビア内戦、阪神・淡路大震災をはじめ舞踏団「白虎社」中南米公演などを取材。
共著に小説『相談師』(2009年)、『借金で死なないための短編小説集』(2012年)、ルポ『神戸・都市経営の崩壊』(2001年)など。
2013年ドキュメント番組『鳥人の旅〜コウノトリ舞う空へ〜』、2015年公開の映画『劇場版 神戸在住』を企画プロデュース。
 神戸山手大学非常勤講師。
2007年「第18回日本海文学大賞(詩部門)」受賞。同年「第16回詩と思想新人賞」入選。2009年詩集『太陽と砂』出版。

この本には題名の「狂った庭」という作品は無い。 これは題名のために付けられたものである。
カバーや中に挿入された絵は本人が描いたものらしい。多芸の人である。
先に引用した記事のように、世界を旅された、というか「放浪」されたようである。
その成果が、この詩集の、特に Ⅰ に稔ったと言える。

その中から少し引いてみよう。

          感覚の発見     大西昭彦

    象は祖先の骨を牙にのせて、長い旅をする。その匂いをたえず感じながら、記憶
   の奥深くにしみこませて、歩み続ける。  ところがあるとき、その骨をぽいっと無造
   作にすて去ってしまう。 観察者はいう。あれは道標なのだと。いつかふたたびその
   匂いに遭遇したとき、彼らは水辺が近いことを知る。

    サハラ砂漠にある小さな集落に、しばらく滞在したことがある。・・・・・      ぼく
   は砂の流れる音を聞き、夜の闇のなかで方位を感知できるようになった。砂漠の民
   トゥアレグは、砂の味でみずからの居場所を知るという。・・・・・・
----------------------------------------------------------------
この詩は巻頭に置かれるだけあって、作者にも愛着のあるものだろう。
このエピソードは、どこか他でも読んだ記憶があるが、特異なものである。

        ドビュッシーの庭       大西昭彦

    マルセイユの安ホテルの窓から
    小さな裏庭が見えた
    手入れがされないまま植物が繁茂し
    雨に打たれていた
    庭のむこうにある建物の二階
    フランス窓が開いている
    部屋の薄暗がりのなかにベッドがあって
    女の白い乳房が見えていた
    やがて裸の男があらわれ
    窓辺に歩み寄って 庭に目をやる
    若い男で 体毛が薄く
    縮れた栗色の頭髪と陰毛をもっていた
    その下に死んだ蛇のように垂れた白い陰茎があった

    ピアノ曲集「版画」の第三曲「雨の庭」
    この曲を聴くと
    あの裏庭の雨が浮かびあがってくる
    ドビュッシーは1903年にこの曲を完成させた
    その年 レジオン・ドヌール五等勲章を受章
    翌年 最初の妻リリーが自殺未遂を起こした
    鍵盤を連打するような
    あの庭が ぼくのなかにも棲んでいて
    静かに狂って
    夏の雨に打たれている
-------------------------------------------------------------------------
ここに「狂った庭」が出てきて、詩集全体の題名と合体するのであった。

       茉莉の夏      大西昭彦

    激しい雨のあとだったから
    船のデッキにはだれもいない
    時化の海は灰色だ
    茉莉と口にしてみた だれもこたえはしない
    船が大きく傾いて足がすべった

    むずかしい字だなというと
    もともとはサンスクリット語よと教えられた
    シャスミンのことだと もうずいぶん前だな
    ある国は国花に定め ある人は死の
    アナロジーだという 甘く冷たい香りの花だ

           ・・・・・・・・・・

    茉莉花茶はベースとなる緑茶の葉に
    ジャスミンの蕾をまぜこむ
    それが夜になると開花して香りをはなつ

           ・・・・・・・・・・

    八百屋の店先で発情する西瓜
    葉蔭にひそむ蜥蜴のぬめり
    夏が 激しく盛っている
---------------------------------------------------------------------------
これは Ⅱ の項目に載るものである。

       島へ

    その島に着いたのは日暮れだった
    勤務を終えた工場長の舟に乗って
    日没まえの黄金色に輝く海を走り
    流し釣りで太刀魚を釣ると
    釣果を土産に瀬戸内の小さな島の
    海辺にある民宿のまえで
    舟をおりたのだ

         ・・・・・・・・・・

   あれから十五年がすぎて
   あの小さな島を訪れることがあった
   民宿を見て あぁあのときの島か
   と気づくまでは
   
       ・・・・・・・・・

   夏の海に突きだすように設けられた
   打ちっぱなしのコンクリートの
   釣り小屋にしてはあまりにそっけなく
   それどころか異様な雰囲気をもった建物があって
   まるで小さな要塞か監獄のようだった
   そこはかつて若者たちが
   死の練習をした場所だ
   片道だけの燃料を積んで
   たったひとりで魚雷艇を操り
   敵艦に突撃するために
   暗い海の底を進んだ場所だ
   出撃の日
   手をふる人によって見送られたのか
   帰ってこない人にむけて激しくふられる手に

         ・・・・・・・・・
-----------------------------------------------------------------------------
最後の詩は、もはや多くの人には未知の、忘れられた物語かもしれない。
敢えて、書き綴った詩人の志を多としたい。
今どきの訳の分からない作品よりも、私の心に、ずっしりと届いたことを書いて終わりたい。    (完)   
   
    

山茶花のくれなゐひとに訪はれずに・・・橋本多佳子
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    山茶花のくれなゐひとに訪はれずに・・・・・・・・・・・橋本多佳子

山茶花さざんかはツバキ科の常緑の小高木で、葉に光沢があり、初冬に椿に似た、一回り小型の五弁の花を開く。
この花の咲く期間は長くて11月から咲きはじめて、次々に咲きつぎ、12月中旬の今もなお咲いている。
この木にも早咲き、仲咲き、遅咲きなどの種類がある。
木の下にはハラハラと落ちた花びらが一杯散り敷いている。
色には白、淡紅のほか、しぼりなどさまざまな品種改良されたものがある。
原産地は日本だが、園芸品種として改良され、庭に植えたり、盆栽にしたりする。正しくは「茶梅」というらしい。
山茶花を音読みするとサンザカとなるが、言いにくいので語順が入れ替わって「サザンカ」となったものである。
サザンカについては先にも書いたが、掲出の橋本多佳子の句が引きたくて、出してみた。

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写真②は昔、肥後熊本城主・細川家で改良された「肥後山茶花」である。
「肥後六花」のうちの一つ。

掲出した橋本多佳子の句は、「サザンカが紅ふかく咲いたが、訪う人もなく淋しい」という意味の、老いの寂寥感のただよう作品である。
若くして夫に先立たれ、晩年は奈良で暮らした多佳子の佳品である。
図版③に多佳子の写真を出しておく。

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以下、山茶花を詠んだ句を引いて終る。

 山茶花のここを書斎と定めたり・・・・・・・・正岡子規

 霜を掃き山茶花を掃くばかりかな・・・・・・・・高浜虚子

 無始無終山茶花ただに開落す・・・・・・・・寒川鼠骨

 山茶花のみだれやうすき天の川・・・・・・・・渡辺水巴

さざんくわにあかつき闇のありにけり・・・・・・・・久保田万太郎

 山茶花の散りゆきすでに月夜なる・・・・・・・・水原秋桜子

 山茶花の長き盛りのはじまりぬ・・・・・・・・富安風生

 山茶花の貝の如くに散りにけり・・・・・・・・山口青邨

 山茶花の散るにまかせて晴れ渡り・・・・・・・・永井龍男

 花まれに白山茶花の月夜かな・・・・・・・・原石鼎

 山茶花やいくさに敗れたる国の・・・・・・・・日野草城

 山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ・・・・・・・・加藤楸邨

 山茶花の日和に翳のあるごとく・・・・・・・・西島麦南

 山茶花の咲きためらへる朝かな・・・・・・・・渡辺桂子

 山茶花の散り重なり土濡れぬ・・・・・・・・原田種茅

 山茶花の咲く淋しさと気付きたる・・・・・・・・栗原米作

 山茶花にたまさかさせる日なりけり・・・・・・・・望月健

 白山茶花地獄絵のごと蜂群るる・・・・・・・・高木雨路


寒い夜にちっぽけな寓話を書いて/重い砲声がまた駱駝の喉を揺らす・・・柴田三吉
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     寒い夜にちっぽけな寓話を書いて、
     淋しさの底に落ちる。・・・・・・・・・
     重い砲声がまた駱駝の喉を揺らす・・・・・・・・・柴田三吉


この詩は「詩と思想」2017年11月号巻頭特集に載るものである。

        寓話      柴田三吉

        (前略)

   寒い夜にちっぽけな寓話を書いて、淋しさの
   底に落ちる。いまでは天も地も淋しいものた
   ちの寄せ集めだ。重い砲声がまた駱駝の喉を
   揺らす。
        (中略)

   存在と非在のあいだに愛と無縁の夜があり、
   肋がうずく夜があったとしても、この世に生
   じたものは耐えなければならない。

   なにかを失ったわたしたちは、深い亀裂を満
   たすなにかを思い出すほかないのだ。かつて
   抱擁と契りを重ねた天地。そのはじまりの歓
   びを、ひどく寒いこの夜のうちに。

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この詩は、いま中東で起こっている事象の暗喩であることは確かだろう。
<重い砲声がまた駱駝の喉を揺らす>という詩句など、秀逸である。
そして終連の四行が、この作品を締めくくる。

この柴田三吉という人のことは、私は何も知らないが、今年を締めくくる作品として、敢えて引いておく。
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柴田 三吉 (しばた さんきち)

略暦
1952年 東京生まれ。
季刊詩誌「Junction」を草野信子と発行。
詩集『さかさの木』 『わたしを調律する』 『遅刻する時間』 『非、あるいは』ほか。
日本詩人クラブ新人賞、壺井繁治賞を受賞。
『角度』(2014年)で第48回日本詩人クラブ賞を受賞。






      
ひひらぎの秘かにこぼす白花は鋭き鋸歯の蔭なるゆふべ・・・木村草弥
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    ひひらぎの秘かにこぼす白花は
      鋭き鋸歯(きょし)の蔭なるゆふべ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

柊(ひいらぎ)は、悪魔を祓うとかいう言い伝えで、家の玄関脇に植えられていたりする地味な木だが、鋭いノコギリ状の葉を持っている。
この木は初冬に、その鋸歯の葉の蔭に小さな白花をつける。季節が寒い冬であり、しかも皆いそがしい12月だから、この花に気づく人も少ないだろう。
今この花の花盛りで11月下旬から咲きはじめた。、傍を通ると、すずやかな佳い香りがする。人によってはスズランに似た香りだという。花言葉は「用心」「歓迎」

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結構かわいらしい清楚な花である。図鑑を見るとモクセイ科の常緑小高木と書いてある。
柊という名前の由来は疼(ひいらぐ)で「痛む」という意味である。
疒(やまいだれ)に旁(つくり)に冬と書く。
熟語に「疼痛」(とうつう)があるのをご存じだろう。
葉の棘に触れると疼痛を起こすことから言う。「いら」とは「苛」で棘を意味する。
本来、この木は関西以西の山地に自生する暖地性の木らしい。
この頃に咲く花としては「枇杷」の花などもある。さざんか、茶の花などは、よく知られているものである。この頃に咲く花は初夏の頃に実をつける習性がある。
年が代って節分になると、この木の小枝に鰯の頭を刺して魔除けの縁起かつぎをする木として、一般に知られているが、この頃では家が小さくなって、この木が植えられる家が見られなくなって、この風習も廃れる一方であろう。
以下、この花を詠んだ句を引いて終る。

 柊の花一本の香かな・・・・・・・・・・・・・高野素十

 柊の花と思へど夕まぐれ・・・・・・・・・・・・・富安風生

 柊の花多ければ喜びぬ・・・・・・・・・・・・・中村草田男

 柊の花のともしき深みどり・・・・・・・・・・・・・松本たかし

 粥すくふ匙の眩しく柊咲く・・・・・・・・・・・・・長谷川かな女

 花柊母の伝言短くて・・・・・・・・・・・・・小西敬次郎

 柊の香がする夜昼田がねむり・・・・・・・・・・・・・森澄雄

 柊の花を見し日や眼帯す・・・・・・・・・・・・・細見綾子

 父とありし日の短さよ花柊・・・・・・・・・・・・・野沢節子

 柊の花音もなく海は夜に・・・・・・・・・・・・・村田脩

 花柊袖通すものひやひやと・・・・・・・・・・・・・永方裕子

 弥陀の扉を花柊の香へひらく・・・・・・・・・・・・・吉野義子

 花柊一つぶ髪に真野間来て・・・・・・・・・・・・・中村明子


詩「邂逅」<通し給え蚊蝿の如き僧一人>1792年一茶三十歳・・・宮沢肇
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↑ 小林一茶像

     詩「邂逅」<通し給え蚊蝿の如き僧一人>1792年一茶三十歳・・・・・・・・・宮沢肇

この詩は「詩と思想」2017年11月号に載るものである。
見事なメルヘンの一篇となっているので、ご紹介しよう。

      「邂逅」       宮沢肇

     <通し給え蚊蝿の如き僧一人>
     1792年一茶三十歳
     関西から九州・四国を巡る西国への旅立ちの
     通行手形の一句であった
            ・・・・・・・・・・
    
     2000年のとある日の早朝
     ウィーンのミッテを出発した国境越えのバスは
     検問のため国境の町Bhonhofで停まった
            ・・・・・・・・・・・

     ひとりの僧服の男が
     検問所に隣接した木戸を開けて
     出てきた

     なんと 日本を出るとき眺めた
     ひとりの肖像画の田舎業俳ではないか

           ・・・・・・・・・・

     ぼくは車窓から思わず声をあげた
     あの一句はこんな処にまで神通力を発揮していたのだ
              
           ・・・・・・・・・

     車窓のぼくと眼を合わせたかれはいきなり
     何か弾けるような言葉を発した
     「ヤポンスキー・ヤタロウ」と
     ぼくの耳には
     たしかにそう聞こえた
         *「寛政句帳」より。
          「ヤタロウ」(弥太郎)は一茶の幼名

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宮沢肇氏のことは何も知らなかったが、多くの詩集をお出しになっておられる。「詩人住所録」によると長野県上田市の方である。

『雄鶏』(1959年) 『青春寓話』(1964年) 『仮定法の鳥』(1982年) 『鳥の半分』(1991年) 『帽子の中』(1996年) 『宮沢肇詩集』(1997年) 『朝の鳥』(2000年) 『分け入っても』(2003年) 『舟の行方』(2009年) 『海と散髪』(2015年) など。
ここに記して敬意を表しておく。






第三語根弱動詞なるアラビア語文法用語も遥けくなりぬ・・・三井修
h_arbあべ しんぞう
 ↑ アラビア語の表記の一例 「あべ しんぞう」

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↑ 三井修 第七歌集『薔薇図譜』
三井修
 ↑ 第五歌集『軌跡』
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 ↑ 第八歌集『海図』
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↑ 第九歌集『汽水域』
三井_NEW
↑ 第十歌集『海泡石』


        第三語根弱動詞なるアラビア語
            文法用語も遥けくなりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三井修


三井修氏には、2012年に出した第五歌集『昭和』の帯文を書いてもらった他、同年夏に東京で開いてもらった「読む会」開催のお世話をしていただいた。
また2010年に上梓した私の第二詩集『愛の寓意』(角川書店)の「栞」文を書いていただいた。
三井修氏は昭和23年石川県能登生まれというから、まさに団塊世代のど真ん中の人だ。
三井氏の略歴はWeb上で見ると、下記の通りである。

略歴
1972年 東京外国語大学アラビア語学科卒業
 同年 三井物産株式会社入社
2000年 三井物産株式会社退社
2004年 財団法人中東経済研究所上級研究員
2005年 (財)日本エネルギー経済研究所 中東研究センター 研究主幹

主な論文・著書
「イラクの現状と経済復興の動向」『中東動向分析』Vol.3,No.8(中東経済研究所、2004)
『中東諸国の政府機構と人脈等に関する調査(イラク)』(同上、2004)
『発展途上国国別援助調査(エジプト)』(国際協力推進協会、2001)

講演歴
「戦後イラク市場と日本企業の対応」(中東経済研究所・創立30周年記念シンポジウム、2004.10.13)

三井物産ではアラビア語の専門家として中東駐在の事務所長などを長く勤められた。

mitsui三井修
また、今をときめく短歌結社「塔」に所属する歌人でもあり、現在「選者」を勤められている。
歌集としては『砂の詩学』 『洪水伝説』 『アステカの王』 『風紋の島』に続いて、2006年3月に第五歌集『軌跡』を上梓された。掲出歌は、その中に載るものである。
その後、平成20年『砂幸彦』平成22年『薔薇図譜』その後『海図』 『汽水域』 『海泡石』を刊行されている。
私との縁については、私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)の出版記念会で批評していただいた。その件の詳しい内容はWebのHPでご覧いただける。

ここで「アラビア語」に関する記事を引用しておく。
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4560000999.09アラビア語辞典
アラビア語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

話される国 アルジェリア、バーレーン、エジプト、ガザ地区、イラク、イスラエル、ヨルダン、クウェート、レバノン、リビア、モーリタニア、モロッコ、オマーン、カタール、サウジアラビア、スーダン、シリア、チュニジア、アラブ首長国連邦、ヨルダン川西岸地区、イエメン
地域 中東
話者数 2億2500万

言語系統 アフロ・アジア語族

セム語派
中央セム語
アラビア語

公的地位
公用語 アルジェリア、バーレーン、コモロ、チャド、ジブチ、エジプト、エリトリア、イラク、イスラエル、ヨルダン、クウェート、レバノン、リビア、モーリタニア、モロッコ、オマーン、パレスチナ自治政府、カタール、サウジアラビア、シリア、チュニジア、アラブ首長国連邦、イエメン
国際機関: 国際連合、アラブ連盟、イスラム諸国会議機構、アフリカ連合
統制機関 エジプト:Academy of the Arabic Language

アラビア語版のウィキペディアがあります。アラビア語( ;Al-lughat ul-Arabīya,アッ=ルガトゥ=ル=アラビーヤ)とは、おもに西アジア(中東)・北アフリカのアラブ諸国で用いられ、世界の言語の中でも大変広い地域で話されている言語の一つ。また、国連の公用語においては現在、後から追加された唯一の言語である。アフロ・アジア語族セム語派の一種である。ISO 639による言語コードは、2字がar, 3字がaraで表される。

もともとはアラビア半島で話されていたいくつかの言語(例えば南アラビア語)を意味するが、現代では次の二つをさす。

文語:フスハー (fus|ha) (正則アラビア語、古典北アラビア語ともいう)
口語:アーンミーヤ

フスハーはアラブ諸国の共通語で、アラビア文字で書かれる。起源は西暦4世紀ごろのアラビア半島にさかのぼるといわれ、イスラーム文明の出現と拡大にともなって北アフリカにまで使用地域が広がり、現在まで言語として大きく変わらずに使われている。

イスラームの聖典であるクルアーン(コーラン)はアラビア語で下されたが、クライシュ族のアラビア語に近かったため、当時のアラビア半島に見られた諸方言のうち、クライシュ族方言が標準語フスハーとしての地位を獲得するに至った。イスラームを伝えるために神が選んだのがアラビア語だったことから、ムスリム(イスラム教徒)はこれを聖なる「神の言葉」としてとらえている。

『マカーマート』のような古典に見られるフスハーは一時期衰退し、アーンミーヤが専ら用いられるようになったが、フスハーは近代になってより簡単なものとして練り直され、書籍・雑誌・新聞などの文章はもちろん、公的な場での会話やテレビニュースなどでも使われるようになった。

一方、アーンミーヤは国・地域によって大きく異なる方言で、これには正字法が無い。アラブ人どうしの日常会話はアーンミーヤで話されることが多いが、私信などではこれを文字化して表現する。

アラビア半島方言、イラク方言、シリア・レバノン方言、エジプト方言、スーダン方言、マグリブ方言などに大別され、それぞれの地域のなかでも違いがある。地域によっては、宗派ごとに話されるアラビア語に差異があるなどする。

アラビア語の特徴
多くの語の語根は三つの子音からなり、母音を変化させ、語彙を派生する。言語学的には、形態論の考えから屈折語に属する。

文字
文字一覧はアラビア文字の項を参照。それぞれの独立形が左右の文字と繋がっていく(ただし例外が6文字ある)ため、蛇のように見える。
文語(フスハー)はもっぱらアラビア文字で表される。アラビア文字のアルファベットは29文字(学説によっては28文字、27文字とすることもある)からなり、大文字・小文字やブロック体・筆記体の区別はない。
口語(アーンミーヤ)には正書法がない。外国人向けの教科書などではラテン文字で表記されることが多い。

発音
子音には喉の奥のほうでhやgなどを発音するような独特の発音があるが、母音は a, i, u の3つと長母音、2重母音 (/ai/,/au/) しか弁別しない。
つづり字法は一部を除き子音字のみを用いるため、意味に応じて母音をつけて発音しなければならない。クルアーンや子供向けの読み物には、短母音記号などの発音記号が付記されているが、大人向けの詩や小説であっても、自分の作品に母音記号を付記する作家もいる。

文法
詳細はアラビア語の文法を参照。

定冠詞、前置詞が存在し、名詞と形容詞(アラビア語では名詞に分類される)は格(主格・属格・対格)・性(男性・女性)・数(単数・双数・複数)によって変化する。
女性形、男性・女性複数形には基本となる規則形があるもののそれ以外にもとりうる形が無数に存在するため、個別に記憶しなければならないものが多い。例: (mudarris、先生)の複数形は規則形であり、語尾に -ūna を付けて、 (mudarrisūna) になるが、(sadīq、友人)の複数は不規則形であるため、 (sadīqūna) とはならず、 ('asdiqā'u) になる。
動詞は3人称男性単数完了形を原形とし、語根順配列の辞典では、その形で引くことになる。原形を基本形、第一形ともいう。これに加えて、第二形から第十五形までの派生形が存在するが、第十一形以降は色の変化などといった限られた場合にしか用いられない。多くの辞書は語根順に語が配列されているため、派生形の動詞を辞書で参照するには、動詞からその語根すなわち原形を抽出しなければならず、これが、初学者にとっての辞書引きを困難にしている。

アラビア語を起源とする語彙
トタン、如雨露(じょうろ)、コーヒー、ラケット、シロップ、アルコール、アルカリ、ソーダ、シャーベット、ソファ、モンスーン、アベレージ(平均値)、ジャケット、 ゼロ(零)、タリフ(関税率) アルゴリズムなど。
星の名前
アルタイル(「飛ぶ鷲」という熟語の「飛ぶ」という部分)
アルデバラン(従うもの、後に続くもの。プレアデス星団に続いて地平線より昇ることから)
アルゴル(人を食べるという魔物の一種)
アルビレオ(「雌鳥のくちばし」の意味の語が西洋人の誤訳と誤解を経て)
ヴェガ(「降り立つ鷲」という熟語の「降り立つ」という部分)
デネブ(「鶏の尾」という熟語の「尾」という部分)
フォーマルハウト(大魚の口)
ベテルギウス(巨人の腋の下)
リゲル(脚)
「アル」で始まる言葉が多いのは、al- がアラビア語の定冠詞だからである。

アラビア語を公用語とする国
アラブ首長国連邦 - アルジェリア民主人民共和国 - イエメン共和国 - イスラエル国 - イラク共和国 - エジプト・アラブ共和国 - エリトリア国 - オマーン国 - カタール国 - クウェート国 - サウジアラビア王国 - ジブチ共和国 - シリア・アラブ共和国 - スーダン共和国 - ソマリア - チャド共和国 - チュニジア共和国 - バーレーン王国 - パレスチナ自治区 - モーリタニア・イスラム共和国 - モロッコ王国 - ヨルダン・ハシミテ王国 - 社会主義人民リビア・アラブ国 - レバノン共和国

なお、マルタ共和国のマルタ語もアラビア語の方言であるが、地理的にヨーロッパのためラテン文字で綴られる。

他にもペルシア語、トルコ語、スペイン語、ヒンドゥスターニー語などの言語にはアラビア語からの借用語が多い。これらの言語は皆現在アラビア文字で書かれているか、過去の一時期にアラビア文字で書かれていた歴史を持つ。
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もとより私はアラビア語には全く無知の人間であるが、大阪外語の大先輩の田中四郎氏の著書『やわらかなアラブ学』 『駱駝のちどりあし』(いずれも新潮社刊)などを読んだことがある。
曲りなりにも若い日々に「西欧語」を学んだことのある私としては、分からぬままに「右横書き」という、ミミズの這ったような「アラビア語」なるものに関心はあるのである。
その上、この人の歌には知識人としての教養を刺激される何物かが多分にある。

掲出した歌について触れると、アラビア語には「第三語根」とか「弱動詞」とか、めったに聞き慣れない文法があるようである。

以下、三井修氏の歌集から歌を引いて終わりたい。

にこやかにわれを手招く男あり金属探知ゲートの向こうに

通り過ぐる戸の内赤し羊脳の煮らるる炉の火の揺らぎなるべし

この砂の彼方男等が弾倉にルージュのごとき銃弾填める

ポスト・フセイン その一点に集中し錐揉むごとし我等の議論

異邦人われを怪しみ去りゆかぬアラブの男の子羊を従え

取り返しつかざることなど幾つでもしてきたぞなあ 軒の燕よ

断念を幾つ重ねて来し生か 桜吹雪に身を撲たせおり

銀粉をまなぶたに塗る少女等が午後の街ゆく 遠きチグリス

 しかし、中東とはいまだに縁がきれない
文献をあまた調べて作りゆく朽ち葉のごときフセインの家系図

すべて妄想、多分そう、さりながら昨日の戦況を分析しており

上代特殊仮名遣いなる「毛」と「母」の違いほどなり我等の齟齬は

滅びゆくもの野の風に響きあう 遺棄自転車、蝶の骸、死者の魂

謀らるることの愉悦よこの坂を寒夕焼けに灼かれつつゆく

家族をば歌わぬ奴と蔑まれ木枯し二号の街を帰り来

母音調和崩れゆくにも似たるかな かの日より君と我の心は

人生の起承転結 転の部を生きているらし白髪増しぬ

エルサレム石畳の路に出会いたるもみ上げ長きユダヤ教ラビ

ヒッタイト遺跡残滓の鉄成分調べて一代を男老いゆく

自らの軌跡を見つつ航くことの淋しもよ夏のボートの青年

歌はもっと自由でいいんだ秋空を雲がほどけて流れるように

エクリチュール、痕跡、差延、テクストを我に教えてデリダ逝きたり

飛行機の時間迫れどパスポート忘れて泣きたり 泣いて目覚めぬ

第三語根弱動詞なるアラビア語文法用語も遥けくなりぬ


がんがんと鉄筋のびる師走かな・・・高柳重信
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──師走の句態──

  ■がんがんと鉄筋のびる師走かな・・・・・・・・・・・・高柳重信

師走も一週間を過ぎて、いよいよ歳末のあわただしさが本格的になってきた。
今日は「師走」に因む句を採り上げる。

この句は、いかにも前衛俳句の作者としての面目躍如という句であるが、しばらく前は首都圏などでは建築ラッシュで、たとえば東京駅周辺などは様変わりしてきた。
まさに重信の詠んだような光景そのものである。
高柳重信が、この句を詠んだ頃は高度成長期だったが、今しもアベノミクスとかで、。。。。ああ、オリンピック目当ての建築もあるからね。
もっとも今では「高層建築」は「鉄筋コンクリート」ではなく「鉄骨」作りである。鉄骨を組み上げて外側に外壁パネルを組み付ける工法である。
何階から高層建築というか、など私は知らない。

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  ■極月の三日月寒し葱畑・・・・・・・・・・・・・・大谷句仏

大谷句佛(1875~1943) 明治~昭和期の真宗大谷派僧、東本願寺23世、京都生、法名・彰如、諱・光演、号・愚峰、俳号・句佛、現如上人の次男、地方各地を巡錫、門徒を督励し親鸞650回忌を勤修、画を竹内栖鳳に学び、俳句を子規・虚子らに私淑、書画・俳句に通じる風流人としても知られた。昭和18年歿67才。

十二月の呼び方としては「師走」のほかに、ここに出した「極月」「臘月」など、いろいろあるが、いずれも一年の終りとしての月の意味を孕んでいる。

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  ■極月の人々人々道にあり・・・・・・・・・・・・・・・山口青邨

写真は渋谷のスクランブル交差点である。
この青邨の句は単純でありながら、せせこましい師走の情景を捉えて過不足がない。

  ■師走もつともスクランブル交叉点・・・・・・・・・岩岡中正

という、そのものずばりの句もある。
通行人の懐がぬくいのか、金欠か、さまざまの人々が往来する。
アベノミクスに便乗して株で儲けた人も居れば、損をした人も居よう。世の中は、さまざまである。悲喜こもごもである。

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  ■法善寺横丁一軒づつ師走・・・・・・・・・・・・稲畑汀子

ここらで関西の師走の句も採り上げないと不公平だろう。

法善寺横丁
石畳が続く古い路地で、織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台としても有名。商売繁盛や恋愛成就を祈願した人がかけた水で、全身が苔むした水掛け不動がある。
写真④に見える「正弁丹吾亭」は大阪の文化人の溜り場で、今でも歌人の前登志夫や私の兄事する米満英男氏なども屯していたところである。
その前氏も亡くなって、もう数年が経った。米満英男氏も亡くなった。年月流転である。
織田作之助生誕百年とかで、『夫婦善哉』などがテレビドラマ化されたりしたが、ここは彼にもゆかりのあるところである。

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  ■臘月や錦市場に鯛の粗(あら)・・・・・・・・・・・・・・岡井省二

京の台所といえば、ここ錦市場である。今では外国人の観光客で、とても混んでいる。

錦市場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

錦市場(にしき いちば)は、京都市街ほぼ中央に位置する錦小路通のうち「寺町通 - 高倉通」間の商店街で、魚・京野菜などの生鮮食材や、乾物・漬物・おばんざい(京都言葉で日常の惣菜)などの加工食品を商う老舗・専門店が集まる市場。京都独特の食材は、ほぼここで揃う。

鮮魚店400年の歴史を持ち、京都市民からは「にしき」という愛称で呼び親しまれ、「京の台所」として地元の市民はもとより、新京極商店街や寺町京極商店街とともに、観光客や修学旅行生も訪れる観光名所として活気のある市場として賑わう。

スーパーマーケットや百貨店と違い、ここでは新鮮な旬の食材の品質のよさや豊富な品揃えが支持されて市民生活と密着しているところが最大の特徴となっている。そのため価格を高めに設定する店もあるが、高品質や豊富さから「ほんまもん」(本物)を扱っていると信頼し、納得する市民は少なくない。他地域で「錦市場」を銘打つ店が増え、品質を維持するためにも京都府内の商店街で初めて「錦市場」の商標登録を取得している。一方、臨時に「にしき」と銘打った食品コーナーを設ける百貨店も登場している。
京都の目抜き通り四条通の一本北の錦小路通に位置し、赤緑黄の色鮮やかなアーケードにおおわれた石畳の道の距離は、東西390メートル。商店街振興組合に所属する店は約130店舗、道幅は3.2 - 5メートル、道に迫り出して商品や商品棚を並べる店舗が少なくなく実際はもっと狭い。東の端は、新京極と交差し、その先に錦天満宮がある。

ここで業務用の食材を仕入れる割烹、料亭、旅館なども多く、一般向けには京都名物の鱧など鮮魚を扱う店が20店舗以上と一番多い。そのほか伝統野菜とも呼ばれる京野菜、京漬物・豆腐や湯葉・麩・鰻・佃煮・蒲鉾・干物・乾物などから茶・菓子・パン・寿司まで京料理の食材はほとんどここで揃うといっても過言ではない。

年の暮れには正月用の食材を求める客であふれ、上野のアメ横同様の混雑となる。店舗の営業時間は、店にもよるが、おおむね午前九時から午後五時までが目安となっている。水曜日と日曜日に休業する店が多い。


水昏れて石蕗の黄も昏れゆけり誰よりもこの女のかたはら・・・・木村草弥
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嬬恋

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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    水昏(く)れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり
      誰よりもこの女(ひと)のかたはら・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載せたもので、巻末の締めくくりをする歌で、私自身でも感慨ふかいものである。
自選60首にも採っているので、Web上のHPでもご覧いただける。

ツワブキは晩秋から初冬にかけて咲く花であり、今の時期の貴重な草花である。
先日採り上げた「アゼトウナ」と同じような色と季節の花である。
四国遍路の路傍にもしきりに咲いていた。
私自身は、格別に愛妻家とも思わないが、振り返ってみると、6冊の歌集の中で、数多くの「妻恋」の歌を詠ってきたことに、改めて気付くのである。
掲出した歌は、何も難しいものではないので、解説は控えるが、歌集『嬬恋』の巻末の一連の歌を引いて終りにしたい。
「石蕗」ツワブキの花は、木蔭に咲く、ひっそりとした花だが、そのイメージを妻に重ねていることを言っておきたい。
花言葉は「困難に負けない」

   嬬恋(つまごひ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

  嬬恋を下りて行けば吾妻(あがつま)とふ村に遇ひたり いとしき名なり

  吾妻(あがつま)氏拠りたるところ今はただキャベツ畑が野づらを埋む

  視(み)のかぎり高原野菜まつ黒な土のおもてにひしめきゐたり

  黒土に映ゆるレタスがみづみづし高原の風にぎしぎしと生ふ

  草津なる白濁の湯にひたるときしらじらと硫黄の霧ながれ来る

  ゆるやかに解(ほど)かれてゆく衣(きぬ)の紐はらりと妻のゐさらひの辺に

  睦みたる昨夜(きぞ)のうつしみ思ひをりあかときの湯を浴めるたまゆら

  柔毛(にこげ)なる草生の湿り白根山の夕茜空汝(なれ)を染めゆく

  朱しるく落ちゆく夕日ゆゑもなく「叱られて・・・」の唄くちずさみゐつ

  本白根と地の人呼びぬしんかんとエメラルド湛(たた)ふ白根の火口湖

  水昏れて石蕗(つはぶき)の黄も昏れゆけり誰よりもこの女(ひと)のかたはら

「嬬恋」は長野県から入ってすぐの群馬県の地名である。また「吾妻」というのも、その近辺の地名である。
有名な草津温泉も、この一画にある。私の嬬恋の思いを、これらの地名によせて、一連の作品として綴ったものである。
嬬バカとお取りいただいても、結構である。私は「嬬恋」を宣言することに、何の衒いもない。
「おのろけ」という謗りにも敢えて甘受する。

なお、歌集『嬬恋』は2003年いい時期に上梓できたと思っている。
妻が死んだ後では、「レクイエム」になってしまうので、まだ元気なうちに、妻に捧げることが出来たのを、
妻亡き今になると切実に、いい時期に出せたと、つくづく思い知るのである。

ツワブキの花を詠んだ句も多いので、少し引く。

 石蕗黄なり文学の血を画才に承け・・・・・・・・富安風生

 けふの晴れ狭庭は既に石蕗のもの・・・・・・・・及川貞

 母我をわれ子を思ふ石蕗の花・・・・・・・・中村汀女

 石蕗咲けりいつも泥靴と並びたる・・・・・・・・加藤楸邨

 病まぬ生より病める生ながし石蕗の花・・・・・・・・石田波郷

 石蕗咲いていよいよ海の紺たしか・・・・・・・・鈴木真砂女

 讃歌(ほめうた)や地に沈金の石蕗の花・・・・・・・・文挟夫佐恵

 日もすがら碧空を恋ひ石蕗の花・・・・・・・・飯田龍太

 黄八丈色に石蕗咲き妻が着て・・・・・・・・草間時彦

 そこに日を集めて庭の石蕗明り・・・・・・・・稲畑汀子

 一隅を一切とせり石蕗の花・・・・・・・・和田悟朗

 花石蕗につねのたそがれ誕生日・・・・・・・・きくちつねこ

 大津絵の鬼が杖つく石蕗日和・・・・・・・・谷中隆子

 一族はすぐ縦列に石蕗の花・・・・・・・・坪内稔典

 石蕗咲くや沖はいちにち鉛色・・・・・・・・森田たみ

 一病が老いを早めし石蕗の花・・・・・・・・山本白雲

 野生馬に岬の断崖石蕗咲けり・・・・・・・・波江野霧石

 石蕗咲いて身になじみたる黄八丈・・・・・・・・鈴木みや子



小川軽舟第五句集『朝晩』エッセイ集『自句自解ベスト100』『俳句と暮らす』・・・木村草弥
朝晩_NEW

小川_NEW

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──新・読書ノート──

     小川軽舟第五句集『朝晩』エッセイ集『自句自解ベスト100』『俳句と暮らす』・・・・・・・・・・・木村草弥

先ず、初めに「wikipedia小川軽舟」を出しておく。経歴などは、ここで見られたい。
歌集、句集の出版社として「ふらんす堂」は、装丁にも凝った佳い本を出す。
この句集も、こうしてスキャンすると何が何だか分からないが、朝の字の旁の「月」は銀箔押しであり、晩の字の「日」は金箔押し、で、それぞれ日月のイメージを表している。
句集の特徴は、画像でも読み取れると思うが、「帯文」に見事に要約されて載っている。
「帯」裏には「自選十二句」が載せてある。 それを引いておく。

    *妻来たる一泊二日石蕗の花
    *雪降るや雪降る前のこと古し
    *葬送の鈸や太鼓や山笑ふ
    *夕空は宇宙の麓春祭
    *レタス買へば毎朝レタスわが四月
    *飯蛸やわが老い先に子の未来
    *松蝉の声古釘を抜くごとし
    *月涼し配管老いし雑居ビル
    *めらめらと氷にそそぐ梅酒かな
    *ひぐらしや木の家に死に石の墓
    *駅前の夜風に葡萄買ひにけり
    *いつか欲し書斎に芙蓉見ゆる家

会社に勤めるサラリーマンとして毎朝きちんと出勤し、夕方には退社して単身赴任先からマンションに帰る。
単身赴任して、どんな生活をしているのか、という日常が、他の二冊の本で明かされる。
既に本人が本で書いていることだから、ここで明かしても許されると思うが、阪神沿線の岡本駅のすぐ傍のマンションということである。
自炊して食事も自分で作る。だから「レタス買へば毎朝レタスわが四月」ということになる。
酒も好きである。だから「めらめらと氷にそそぐ梅酒かな」である。
そういう平凡な日常が俳句として綴られる。
ネット上に著者に聞く『俳句と暮らす』小川軽舟インタビューが出ているので、それを読んでもらいたい。、
これもネット記事なので恐縮するが「増殖する俳句歳時記」に詩人の清水哲男が書いている一文がある。  ↓

  <   露草や分銅つまむピンセット         小川軽舟
季語は「露草(つゆくさ)」で秋。雑草と言ってよいほどに、昔はどこてでも見かけられたが、最近はずいぶんと減ってしまった。花は藍色で、よく見ると、まことに微細にしてはかない味わいがある。その自然の微細と人工的な微細とを重ね合わせた掲句は、一瞬読者の呼吸を止めさせるように働きかけてくる。「分銅(ふんどう)」は、化学薬品などを精密に計量するための錘(おもり)だ。計り方そのものは単純で、上皿てんびんの片方に計りたい物を乗せ、片方に分銅を何個か乗せて釣り合いを取るだけ。父が化学に関わっていたので、写真と同じセットが我が家にもあった。分銅は付属の「ピンセット」で取り扱い、指を触れたり、落として傷をつけることのないよう注意しなければならない。「校正」と言うそうだが、そんな分銅の誤差を専門的に修正する商売までがある。何を計ったのだったか。実際に計らせてもらったときには、小さな分銅をつまんで乗せるまでは、ひとりでに呼吸が止まるという感じだった。息をすると、つまんだピンセットが震えてしまう。それほどに緊張を強いられる作業を専門としてつづけている人ならば、おそらく露草などの自然の微細なはかなさにも、思わず息を詰めるのではなかろうか。句の情景としては、たとえば大学の古ぼけた研究室の窓から、点々と咲く露草の様子が見えている……。『近所』(2001)所収。(清水哲男)       >

私は、これらの本をアマゾンと楽天ブックスの古本で買い求めたが、残余の句集は買わなかったが、この第一句集『近所』は第25回俳人協会新人賞を得ている。

こんなことを書いては「鑑賞」にならないのだが、私の、この文章は鑑賞でもなく、書きなぐりの「寸感」とでも言うべきものであることをお断りしておきたい。
経歴を見れば分かる通り、東大出の秀才だから、文章を書かせたらピカいちである。
句集よりも、こういうエッセイ本が、とても面白い。小川軽舟という人間としてのイメージが彷彿と浮かび上がってくる、というものである。
単身赴任で会社勤めをし、俳句結社「鷹」の主宰をこなし、毎日新聞俳壇の選者をし、という忙しい日常を過ごす小川である。
ここで余談だが、彼の経歴を見て気づいたことがある。彼は1961年2月7日生まれで、私は1930年2月7日生まれで31歳違いの同月日の生まれである。
偶然の一致だが、有名人と同じ日生まれと知って嬉しい気分になったことを書いておく。 (閑話休題)

『俳句と暮らす』には
    ⒈ 飯を作る
    ⒉ 会社で働く
    ⒊ 妻に会う
    ⒋ 散歩をする
    ⒌ 酒を飲む
    ⒍ 病気で死ぬ
    ⒎芭蕉も暮らす

の項目建てで書かれている。
詳しくは引かないが、この項目が遺漏なく物語っているだろう。
その土地にまつわる先人たちの俳人のこと。先師・藤田湘子のこと。岡本に住んだ金子兜太のこと。 などが綴られる。
面白い本である。こう言っては何だが、私は句集よりも、これらの本を貪るように読んだ。
そして『自句自解ベスト100』fは自作100句を、見開き二ページに、句と解説が載っている。とても分かりやすい。
その中から、彼にとってエポックメーキングだと思われる句の項目を引いておく。 94 である。

  <    かつてラララ科学の子たり青写真

「ラララ科学の子」は「鉄腕アトム」の主題歌の節をそのまま引用した。
「鉄腕アトム」のテレビ放映は昭和38年から同41年、主題歌の作詩は谷川俊太郎だ。
この句を詠んだころ、昭和三十年前後に生れた同世代俳人たちを論じる連載を「俳句」で始めた。
彼らであり私でもある「科学の子」の大半は、やがてそれほど科学的でもない大人になった。
そして、希望に満ちたあの時代は、青写真のように懐かしく遠ざかった。平成十八年作。  (「鷹」)    >

こんなに周りばかりでは失礼なので句集『朝晩』にも触れておく。

「目次」は

   序に代えて
   ⒈ 単身赴任
   ⒉ 夏野行く
   ⒊ 遠回りして
   ⒋ 春暁の灯
   ⒌ いつか欲し
   あとがき

となっている。
「序に代えて」には2018年に日本経済新聞・日経随想「標準世帯の黄昏」の一文を引いてある。

     *レタス買へば毎朝レタスわが四月

の句は、冒頭の ⒈ 単身赴任の項目の三番目の作品として載っている。作者にとっても愛着のある句だということである。
阪神電鉄勤務ということなら、甲子園球場と無縁ということは無かろうと思っていたら、出てきました。

     *一回表アルプス席西日まともなり
     *ナイターの膝の通勤鞄かな

の句が、これも⒈ 単身赴任の項目のはじめの方に出ている。
しかし、作者は余り野球が好きではないのか、他には載っていない。
阪神電鉄は営業路線も長くはなく、私鉄としては小さい会社である。今は阪急阪神ホールディングス傘下にある子会社になっている。
阪急は小林一三が作り上げた私鉄で、阪神間と京都にも路線を持ち、かつ阪急百貨店という優良会社やホテル、映画製作会社の「東宝」、宝塚歌劇、旅行社などを持つ独特の会社である。

句集は、坦々と、淡々と綴られて行く。

      *一パック輪ゴムぱちんと諸子買ふ
      *鹹し夜更煮かへす蜆汁
      *あめんぼのもうゐぬ水輪ゐる水輪
      *玄米の新米なればさみどりに
      *新豆腐水を出づれば掌に重く
      *冬麗やシーツかわけば風はらむ
      *一年の未来ぶあつし初暦
      *松過やバターめぐらすフライパン
      *葱刻む実家の父に会ひに行くか
      *節分や明日は全国的に晴
      *春暁や妻に点りし厨の灯
      *チャーハンは強火に攻めよ卒業す
      *厭離穢土欣求浄土と囀れる
      *旅先に妻と落ち合ふ穂麦かな
      *筍のまんまと背丈伸ばしたり
      *明易し大阪環状線始発
      *遅刻メール梅雨の満員電車より
      *巣に帰る働き蟻か上京す
      *仏壇に戒名の母桃匂ふ



アトランダムに、日常に因む句を引いてみた。亡くなった実母のことも、さりげなく描かれている。自選句は引かなかった。
不十分ながら、この辺で鑑賞を終わりたい。 後で付記することがあるかも知れない。
先師・藤田湘子との関わりについては『藤田湘子の百句』について後日書くことにする。    (完)




     
伊勢からの恋文めいて枇杷の花・・・坪内稔典
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       伊勢からの恋文めいて枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・・坪内稔典

「枇杷」はバラ科の常緑高木で、初冬に枝先に三角形総状の花序の花を咲かせる。花は白く香りがよい。庭木としては極めて少なくなった。
実は初夏に熟する。甘くて香りのよい果実である。
枇杷の木は葉が大きくて長楕円形で、葉の裏に毛がびっしりと生えている。葉の表面の色は暗緑色である。
『滑稽雑談』という本に「枇杷の木、高さ丈余、肥枝長葉、大いさ驢の耳のごとし。背に黄毛あり。陰密婆娑として愛すべし。四時凋れず。盛冬、白花を開き、三四月に至りて実をなす」とある。簡潔にして要を得た記事だ。
冬に咲く珍しい植物のひとつである。寒い時期であり、この花をじっくりと眺める人は多くはない。
こんな句がある。

■十人の一人が気付き枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・高田風人子

この句などは、先に書いたことを、よく観察して句に仕上げている。こんな句はどうか。

■だんだんと無口が好きに枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・三並富美

■一語づつ呟いて咲く枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・西美知子

■咲くとなく咲いてゐたりし枇杷の花・・・・・・・・・・・・・・・大橋麻沙子

いずれも「枇杷の花」の、ひっそりと咲く様子を的確に捉えている。

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写真②にビワの実を載せる。このブログ2009/06/26にビワの実の記事を書いた。果実として品種改良され、「茂木ビワ」が有名である。
以下、枇杷の花を詠んだ句を引いて終る。

 枇杷の花霰はげしく降る中に・・・・・・・・野村喜舟

 死ぬやうに思ふ病や枇杷咲けり・・・・・・・・塩谷鵜平

 枇杷咲いて長き留守なる館かな・・・・・・・・松本たかし

 花枇杷や一日暗き庭の隅・・・・・・・・岡田耿陽

 故郷に墓のみ待てり枇杷の花・・・・・・・・福田蓼汀

 枇杷の花子を貰はんと思ひつむ・・・・・・・・原田種茅

 枇杷の花母に会ひしを妻に秘む・・・・・・・・永野鼎衣

 枇杷の花くりやの石に日がさして・・・・・・・・古沢太穂

 枇杷の花妻のみに母残りけり・・・・・・・・本宮銑太郎

 枇杷の花柩送りしあとを掃く・・・・・・・・・庄田春子

 枇杷の花暮れて忘れし文を出す・・・・・・・・塩谷はつ枝

 病む窓に日の来ずなりぬ枇杷の花・・・・・・・・大下紫水

 花枇杷に暗く灯せり歓喜天・・・・・・・・岸川素粒子

 雪嶺より来る風に耐へ枇杷の花・・・・・・・・福田甲子雄

 枇杷の花散るや微熱の去るやうに・・・・・・・・東浦六代

 訃を告げる先は老人枇杷の花・・・・・・・・古賀まり子

 贋作に歳月の艶枇杷の花・・・・・・・・中戸川朝人

 蜂のみが知る香放てり枇杷の花・・・・・・・・右城暮石


ビジネスクラス隣席のサマール・ケリー女史ダン・ブラウン新作『インフェルノ』読む・・・木村草弥
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       ビジネスクラス隣席のサマール・ケリー女史
            ダン・ブラウン新作『インフェルノ』読む・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は2013年初秋に行った「フランスの美しき村─アルザス・ブルゴーニュの旅」の際に作った歌であり、私の第六歌集『『無冠の馬』(KADOKAWA刊)に載る歌である。

        ダン・ブラウン/越前敏弥訳『インフェルノ』上・下・・・・・・角川書店2013/11/28刊・・・・・・

2013年九月下旬に行った「アルザス・ブルゴーニュの旅」のエピソードとして書いておいたダン・ブラウン『インフェルノ』の邦訳本が、同年十一月二十八日に発売された。
先ず、この本についての → 「ダン・ブラウン公式ホームページ」に詳しい紹介が出ている。
ここには「プロモーション・ムービー」や「荒俣宏」の解説や、翻訳者「越前敏弥」の話など、とても参考になる。
私の懇意にしている角川の編集者なども、ぜひ買ってくれるようにと興奮して語っていた。
ここで題名が採られているダンテのことについて触れておく。 Wikipediaから引用。
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Michelino_DanteAndHisPoemダンテの肖像画
 ↑ ダンテ・アリギエーリの肖像画
Portrait_de_Danteダンテ肖像画
 ↑ サンドロ・ボッティチェリ画「ダンテの肖像」1495年

『神曲』(しんきょく、伊: La Divina Commedia)は、13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。

地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史にも重きをなしている。当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていることが特徴である。

題名『神曲』の由来
原題は神聖喜劇 (La Divina Commedia) である、 ダンテ自身は、単に喜劇 (Commedia) とのみ題した。「喜劇」としたのは、「悲劇」とは逆に円満な結末を迎えるためや、比較的平易に読める当時の俗語で書かれているためだという。出版史上では『神曲』の最初期の写本では、『ダンテ』『三行韻詩』などの題がつけられていた。15世紀から16世紀頃にはダンテの詩が活版印刷で出版されるようになり、1555年に刊行のヴェネツィア版により神聖喜劇 (Divina Commedia) の題名が定着した。

日本語訳名『神曲』は、森鴎外の翻訳の代表作アンデルセン『即興詩人』の中で用いられた。その一章「神曲、吾友なる貴公子」において『神曲』の魅力が語られ、上田敏や正宗白鳥ら同時代の文人を魅了し、翻訳紹介の試みが始まった。

『即興詩人』が最初期の『神曲』紹介であり、日本における『神曲』受容はここから始まったとも言える。故に今日でもほぼ全ての訳題が、原題直訳の『神聖喜劇』ではなく『神曲』で統一されている。

『神曲』の成立
ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が大きい。またダンテはヴェローナのパトロンであるカングランデ1世 (it:Cangrande I della Scala) への書簡で、人生における道徳的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると記している。

『神曲』地獄篇は1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。1319年には地獄篇と煉獄篇は既に多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが分かっている。天国篇は1316年頃から死の直前、1321年にかけて完成された。『神曲』は当時の知識人の共通語であったラテン語ではなく、トスカーナ方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。

ベアトリーチェ
『神曲』では実在の人物の名前が多々登場する。ウェルギリウスに地獄界の教導を請い、煉獄山の頂上でダンテを迎えるベアトリーチェは、ダンテが幼少のころ出会い、心惹かれた少女の名である。しかし、のちにベアトリーチェは24歳で夭逝してしまう。ダンテはそれを知ってひどく嘆き悲しみ、彼女のことをうたった詩文『新生』をまとめた(ダンテ・アリギエーリの項も参照)。

『神曲』に登場するベアトリーチェに関しては、実在した女性ベアトリーチェをモデルにしたという実在論と、「永遠の淑女」「久遠の女性」としてキリスト教神学を象徴させたとする象徴論が対立している。実在のモデルを取る説では、フィレンツェの名門フォルコ・ポルティナーリの娘として生れ、のちに銀行家シモーネ・デ・バルティの妻となったベアトリーチェ(ビーチェ)を核として、ダンテがその詩の中で「永遠の淑女」として象徴化していったと見る。非実在の立場を取る神学の象徴説では、ダンテとベアトリーチェが出会ったのはともに9歳の時で、そして再会したのは9年の時を経て、2人が18歳になった時であるというように、三位一体を象徴する聖なる数「3」の倍数が何度も現われていることから、ベアトリーチェもまた神学の象徴であり、ダンテは見神の体験を寓意的に「永遠の淑女」として象徴化したという説を取る。

いずれにせよ、ベアトリーチェは愛を象徴する存在として神聖化され、神学の象徴ともあると考えられている。地獄と煉獄を案内するウェルギリウスも実在した古代ローマの詩人であり、神曲の中では「理性と哲学」の象徴とされている。

フィレンツェの政争
ダンテが『神曲』を執筆するきっかけの1つには、当時のイタリアでの教皇派(グエルフ)と皇帝派(ギベッリーニ)の対立、および党派抗争を制したグエルフィ内部での「白党」と「黒党」による政争がある。ダンテは白党に所属しており、フィレンツェ市政の重鎮に就いていたが、この政争に敗れてフィレンツェを追放されることになる。『神曲』には、ここかしこにダンテが経験した政治的不義に対する憤りが現れており、自分を追放したフィレンツェへの怒りと痛罵も込められている。またダンテを陥れた人物は、たとえ至尊の教皇であろうと地獄界に堕とし、そこで罰せられ苦しむ様子も描かれている。ほかにもダンテは自由に有名無名の実在した人物を登場させ、地獄や煉獄、天国に配置しており、これによって生まれるリアリティが『神曲』を成功させた理由の1つであると考えられる。

『神曲』の構成

『神曲』は、
地獄篇 (Inferno)
煉獄篇 (Purgatorio)
天国篇 (Paradiso)
の三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる。
また詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型が用いられている。各行は11音節から成り、3行が一まとまりとなって、三行連句の脚韻が aba bcb cdc と次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式である。各歌の末尾のみ3+1行で、 xyx yzy z という韻によって締めくくられる。したがって、各歌は3n+1行から成る。
このように、『神曲』は細部から全体の構成まで作品の隅々において、聖なる数「3」が貫かれており、幾何学的構成美を見せている。ダンテはローマカトリックの教義、「三位一体」についての神学を文学的表現として昇華しようと企図した。すなわち、聖数「3」と完全数「10」を基調として、 1,3,9(32),10(32+1),100(102,33×3+1) の数字を『神曲』全体に行き渡らせることで「三位一体」を作品全体で体現したのである。

なお、地獄、煉獄、天国の各篇とも、最終歌の末節は星 (stella) という言葉で結ばれている。また地獄篇はキリスト教新約聖書外典である「ペトロの黙示録」で語られている世界観を踏襲している。

あらすじ
ユリウス暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで出会った古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれ、地獄、煉獄、天国と彼岸の国を遍歴して回る。ウェルギリウスは地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチーフェロの幽閉されている領域まで至る。そこから、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどりつく[1]。煉獄山では登るにしたがって罪を清められていき、煉獄の山頂でダンテはウェルギリウスと別れることになる。そしてダンテはそこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。

地獄篇 Inferno
地獄篇の冒頭。気が付くと深い森の中におり、恐怖にかられるダンテ。 ギュスターヴ・ドレ による挿絵
西暦(ユリウス暦)1300年の聖金曜日(復活祭直前の金曜日)、人生の半ばにして暗い森に迷い込んだダンテは、地獄に入った。作者であり主人公でもあるダンテは、私淑する詩人ウェルギリウスに案内され、地獄の門をくぐって地獄の底にまで降り、死後の罰を受ける罪人たちの間を遍歴していく。ウェルギリウスは、キリスト以前に生れたため、キリスト教の恩寵を受けることがなく、ホメロスら古代の大詩人とともに未洗礼者の置かれる辺獄(リンボ)にいたが、ある日、地獄に迷いこんだダンテの身を案じたベアトリーチェの頼みにより、ダンテの先導者としての役目を引き受けて辺獄を出たのである。

冥界の渡し守カロンが死者の霊を舟に乗せてゆく。地獄篇の挿絵より。
『神曲』において、地獄の世界は、漏斗状の大穴をなして地球の中心にまで達し、最上部の第一圏から最下部の第九圏までの九つの圏から構成される。かつて最も光輝はなはだしい天使であったルチフェロが神に叛逆し、地上に堕とされてできたのが地獄の大穴である。地球の対蹠点では、魔王が墜落した衝撃により、煉獄山が持ち上がったという。地獄はアリストテレスの『倫理学』でいう三つの邪悪、「放縦」「悪意」「獣性」を基本としてそれぞれ更に細分化され、「邪淫」「貪欲」「暴力」「欺瞞」などの罪に応じて亡者が各圏に振り分けられている。地獄の階層を下に行くに従って罪は重くなり、中ほどにあるディーテの市(ディーテはプルートーの別名)を境に地獄は比較的軽い罪と重罪の領域に分けられている。

Botticelli_ChartOfDantesHellボッティチェリ「地獄図」
↑ ボッティチェッリの 「地獄」の図 c. 1490年

『神曲』の地獄において最も重い罪とされる悪行は「裏切り」で、地獄の最下層コキュートス(嘆きの川)には裏切者が永遠に氷漬けとなっている。数ある罪の中で、「裏切り」が特別に重い罪とされているのは、ダンテ自身がフィレンツェにおける政争の渦中で体験した、政治的不義に対する怒りが込められている。

地獄界は、まず「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と銘された地獄の門を抜けると、地獄の前庭とでも言うべきところに、罪も誉もなく人生を無為に生きた者が、地獄の中に入ることも許されず留め置かれている。その先にはアケローン川が流れており、冥府の渡し守カロンの舟で渡ることになっている。地獄界の階層構造は以下のようになっている。

地獄界の構造
地獄の門 - 「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の銘が記されている。
地獄前域 - 無為に生きて善も悪もなさなかった亡者は、地獄にも天国にも入ることを許されず、ここで蜂や虻に刺される。
アケローン川 - 冥府の渡し守カロンが亡者を櫂で追いやり、舟に乗せて地獄へと連行していく。
第一圏 辺獄(リンボ) - 洗礼を受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす。
地獄の入口では、冥府の裁判官ミーノスが死者の行くべき地獄を割り当てている。
第二圏 愛欲者の地獄 - 肉欲に溺れた者が、荒れ狂う暴風に吹き流される。
第三圏 貪食者の地獄 - 大食の罪を犯した者が、ケルベロスに引き裂かれて泥濘にのたうち回る。
冥府の神プルートーの咆哮。「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」
第四圏 貪欲者の地獄 - 吝嗇と浪費の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る。
第五圏 憤怒者の地獄 - 怒りに我を忘れた者が、血の色をしたスティージュの沼で互いに責め苛む。
ディーテの市 - 堕落した天使と重罪人が容れられる、永劫の炎に赤熱した環状の城塞。ここより下の地獄圏はこの内部にある。
第六圏 異端者の地獄 - あらゆる宗派の異端の教主と門徒が、火焔の墓孔に葬られている。
二人の詩人はミノタウロスとケンタウロスに出会い、半人半馬のケイロンとネッソスの案内を受ける。
第七圏 暴力者の地獄 - 他者や自己に対して暴力をふるった者が、暴力の種類に応じて振り分けられる。 第一の環 隣人に対する暴力 - 隣人の身体、財産を損なった者が、煮えたぎる血の河フレジェトンタに漬けられる。
第二の環 自己に対する暴力 - 自殺者の森。自ら命を絶った者が、奇怪な樹木と化しアルピエに葉を啄ばまれる。
第三の環 神と自然と技術に対する暴力 - 神および自然の業を蔑んだ者、男色者に、火の雨が降りかかる(当時のキリスト教徒は同性愛を罪だと考えていた)。

第八圏 悪意者の地獄 - 悪意を以て罪を犯した者が、それぞれ十の「マーレボルジェ」(悪の嚢)に振り分けられる。 第一の嚢 女衒 - 婦女を誘拐して売った者が、角ある悪鬼から鞭打たれる。
第二の嚢 阿諛者 - 阿諛追従の過ぎた者が、糞尿の海に漬けられる。
第三の嚢 沽聖者 - 聖物や聖職を売買し、神聖を金で汚した者(シモニア)が、岩孔に入れられて焔に包まれる。
第四の嚢 魔術師 - 卜占や邪法による呪術を行った者が、首を反対向きにねじ曲げられて背中に涙を流す。
第五の嚢 汚職者 - 職権を悪用して利益を得た汚吏が、煮えたぎる瀝青に漬けられ、12人の悪鬼であるマレブランケから鉤手で責められる。
第六の嚢 偽善者 - 偽善をなした者が、外面だけ美しい金張りの鉛の外套に身を包み、ひたすら歩く。
第七の嚢 盗賊 - 盗みを働いた者が、蛇に噛まれて燃え上がり灰となるが、再びもとの姿にかえる。
第八の嚢 謀略者 - 権謀術数をもって他者を欺いた者が、わが身を火焔に包まれて苦悶する。
第九の嚢 離間者 - 不和・分裂の種を蒔いた者が、体を裂き切られ内臓を露出する。
第十の嚢 詐欺師 - 錬金術など様々な偽造や虚偽を行った者が、悪疫にかかって苦しむ。

最下層の地獄、コキュートスの手前には、かつて神に歯向かった巨人が鎖で大穴に封じられている。
第九圏 裏切者の地獄 - 「コキュートス」(Cocytus 嘆きの川)と呼ばれる氷地獄。同心の四円に区切られ、最も重い罪、裏切を行った者が永遠に氷漬けとなっている。裏切者は首まで氷に漬かり、涙も凍る寒さに歯を鳴らす。 第一の円 カイーナ Caina - 肉親に対する裏切者 (旧約聖書の『創世記』で弟アベルを殺したカインに由来する)
第二の円 アンテノーラ Antenora - 祖国に対する裏切者 (トロイア戦争でトロイアを裏切ったとされるアンテノールに由来する)
第三の円 トロメーア Ptolomea - 客人に対する裏切者 (旧約聖書外典『マカバイ記』上16:11-17に登場し、シモン・マカバイとその息子たちを祝宴に招いて殺害したエリコの長官アブボスの子プトレマイオスの名に由来するか)
第四の円 ジュデッカ Judecca - 主人に対する裏切者 (イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダに由来する)

地獄の中心ジュデッカのさらに中心、地球の重力がすべて向かうところには、神に叛逆した堕天使のなれの果てである魔王ルチフェロ(サタン)が氷の中に永遠に幽閉されている。魔王はかつて光輝はなはだしく最も美しい天使であったが、今は醜悪な三面の顔を持った姿となり、半身をコキュートスの氷の中に埋めていた。魔王は、イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダ、カエサルを裏切ったブルートゥスとカッシウスの三人をそれぞれの口で噛み締めていた。

2人の詩人は、魔王の体を足台としてそのまま真っ直ぐに反対側の地表に向けて登り、岩穴を抜けて地球の裏側に達する。そこは煉獄山の麓であった。
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長すぎる引用になったかも知れないが、ダン・ブラウンの小説のプロットとして知っておいてもいいと思うからである。
 
引用文中で、この詩の形式「テルツァ・リーマ」三韻詩のところには「下線」を入れておいた。
現在、日本の詩壇でも「連句」が営まれているが、この形式で連句が巻かれることもあるので、全く無関係ではないのである。
その積極的な推進者である鈴木漠さんの名前を挙げておく。 私の敬愛する詩人である。

先に挙げた「ダン・ブラウン公式ホームページ」には、
別項目として「作品ガイド」「キャラクター・ファイルの謎解き」「キーワード辞典」「作品舞台」「ダン・ブラウン解析・ロバード・ラングドック解析 地獄篇」などが見られる。
ぜひアクセスされたい。

無題ダンテのデスマスク
 ↑ ダンテのデスマスク

ダン・ブラウンの小説は、ハーヴァード大学教授ラングドン・シリーズとして書き継がれているが、この小説では
キーワードとして
  「フィレンツェ」→ 「ダンテ・新曲」→ 「現在進行形の謎とき」としてフィレンツェ市庁舎の大広間にかかる大きな絵の裏にヒントがある。
ボッティチェリの「地獄の見取り図」の絵のことである。

多少のネタばれをしておくと、ラングドンのツィード・ジャケットの隠しポケットには、チタン製バイオチューブbiotubeが入っていた。
この中には、奇妙な彫り物を施された、象牙か骨でできた円筒が。
そして、その円筒は、自己発電式で、デジタル・イメージを壁に投光する仕掛けになっていた。
投光される絵が、上記の『地獄の見とり図』である。
また、今回も「シエナ・ブルックス」というIQ208という天才美女が大きな役割を果たす。

第15章にこんな部分がある。

<「ロバート」シエナが、壁のイメージに近づきながら言った。「あれを見て!」彼女は、漏斗の形をした地獄の、底近くのエリアを指さした。
彼女が指さしたエリアは、マルボルジMalebolgeとして知られる。意味は『邪悪な堀』だ。
そこは、8番目の、そして終わりから2番目の地獄の環ringで、10個の独立した堀ditchに分けられている。それぞれが、特有の形の欺瞞に割り当てられているのだ。>

また、後半になって国連の保健衛生機関WHOが大きな役割を果たす、など虚実入り混じっての展開となるので、息を継げない。



明るい日暗い日嬉しい日悲しい日先ずは朝を祝福して・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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        明るい日暗い日嬉しい日悲しい日 
             先ずは朝を祝福して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社)に載せたもので自選にも採っているのでWeb上のHPでもご覧いただける。
掲出した写真①は神戸港の朝日である。
この歌のつづきに

 生きているものは 先ずは朝を祝福して 一日の暮らしがはじまる

という歌が載っている。
これらの歌は「自由律」の歌と言って、57577という「定型」の枠に収まってはいない。しかし、それなりに一定のリズムを計算して作ってある。

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写真②も神戸港の朝日である。この写真には港湾荷役のクレーンがアクセントになっている。
私は定型の短歌作りに入る前には、現代詩をやっていたので<非>定型の歌づくりにも、何らの抵抗もなかった。
今では、しばらく定型を離れて「短詩」のような自由律の歌に手を染めている。

表題の歌のことに戻ると、この歌は、人の一生の中で、さまざまな「朝」があることを詠いたかった。ここで、この一連の歌を引いてみる。

    朝のうた・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

 きらきらと陽が昇る 裸木の高みに鵯が朝のうたを歌っている

 鵯は気持よさそうに歌う 早朝のしじまの中を澄んだ声が透る

 明るい日暗い日嬉しい日悲しい日 先ずは朝を祝福して

 もう春だから鵯は帰ってゆく よいペアはみつかったか

 雨が雪になりそうな早春しんみりとした曇り日 梅はもう散ったか

 真昼間なのに静かだ 「晩年」というのはこんな日を言うのか

 妻が心臓カテーテル検査で入院する 冠動脈の狭窄はどうなったか

 昨年の暮れの忙しい時 風船で75%の狭窄を押し拡げたのだ

 この一羽の鵯は 私に語りかけ励ましてくれるのだ ありがとう

 生きているものは 先ずは朝を祝福して 一日の暮らしがはじまる

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こうして読み返してみると、この頃は妻の心臓冠動脈の「狭窄」くらいで、二度の大手術を経て死んでしまった今から考えると夢をみているような気分になるものである。
掲出した歌ではないが、「明るい日暗い日嬉しい日悲しい日」であることか。


2019年版「未来山脈選集」・・・木村草弥
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樹々の記憶0001

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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(選集)

     2019年版「未来山脈選集」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
               ・・・・・・・2019/11/09刊・・・・・・・・
     
      樹々の記憶を求めて ここは何処?
        自由というのは怖い・・・・・・・・・・・・・木村草弥


「未来山脈」は宮崎信義の創刊した「新短歌」誌の後継として発足し、通算70周年となったので、この「選集」が刊行された。
刊行日は11/09だが、本は今日になって到着したので今の時点でアップする。
光本恵子・主宰の長い営為に心からの敬意を表するものである。 おめでとうございます。
この刊行に際して、私の作品として何を提供しようか、迷ったが、この「樹々の記憶」を載せることにした。
この詩は私の第三歌集『樹々の記憶』(短歌新聞社)に載せた一連十首のうちの八首である。
掲出した写真がカバー装丁である。写真は娘・ゆりから提供してもらった。
画像でも読み取れると思うが、この本の「帯」文は光本恵子氏が書いてくたさった。

掲載は二十首で、二ページにわたるもので、後半には「エピステーメー」という私の作品──角川「短歌」誌2011年3月号所載の一連12首が光本先生の職権で付け加えられて合計20首として掲載された。
この部分は歴史的かなづかいによるものだが、何とか形になっているだろう。ご理解を得たい。光本主宰の判断に感謝する。
リンクを見てもらえばわかることだが、念のために、その部分を明朝体で付け加えたので、ご覧ください。

           樹々の記憶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

    瞬間(とき)の迷路を辿れば ここは何処?地平線まで歩いてゆこう

    月は動き続け波はうねり続け わたしは歩き続けよう

    柔らかな言葉が織り成ししなやかな波が引いてゆく 夢ではない

    時を紡ぐ糸から手を放し 道は一つ曲がり角ではよく考えて

    樹々の記憶を求めて ここは何処?自由というのは怖い

    私はどこから来たか 今ここにいる私という希望と自由

    思い出されるのは楽しいことばかりではない 樹々の記憶は遠く

    <日々これが己に輝く最後と信ぜよ> 聖なる警句に従って生きよう


    千年で五センチつもる腐葉土よ楮(かうぞ)の花に陽があたたかだ

    手漉紙のやうにつつましく輝(て)る乳房それが疼くから紅い実を蒔かう

    紅い実をひとつ蒔いたら乳房からしつとりと白い樹液が垂れた

    呵責(かしゃく)とも慰藉(ゐしゃ)ともならむ漂白の水に漉かれて真白き紙は

      プラトン、アリストテレス「感覚的知覚=ドクサ」に対立する「理性的認識=エピステーメー」『哲学用語辞典』
    フーコーは「思考の台座」と名づけたがエピステーメー、白い裸身だ

    振り向いてたぐる時間は紙子のやうにしなしなと汚れてゐるな

    われわれはひととき生きてやがて死ぬ白い紙子の装束をまとひ

    惜しみなく春をひらけるこぶし花、月出でぬ夜は男に倚(よ)りぬ

    くるめきの季(とき)にあらずや<花熟るる幽愁の春>と男の一語

    花に寄する想ひの重さ計りかね桜咲く日もこころ放たず

    異臭ある山羊フロマージュ食(は)みをりぬ異臭の奥に快楽(けらく)あるかと

    私が摑まうとするのは何だらう地球は青くて壊れやすい



「未来山脈」掲載作品・2019/12 「さざれ石」・・・木村草弥
未来_NEW

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 ↑ さざれ石
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is the question. me free !
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──「未来山脈」掲載作品──(24)

     「さざれ石」・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・2019/12掲載・・・・・・・

     さざれ石     木 村 草 弥

   地球が生まれて以来幾億年、高く天に聳える山の頂は

   烈しい風雨に削られて突兀たる巌が露出する

   そこは久しく人の近づくことを許さない聖域であった

   人々は、そこに神の世界を見たのである

   氷雪の中に、雲霧の彼方に世俗を拒否する世界があった

   それで神の像を刻むには石が最もよい材質だった

   その最も世俗的なものは、わが国では石神となった

   村里に降りて来た神は「抱擁」神の姿をとることが多い

   国歌となった「君が代」の歌でも、さざれ石が巌となるという

   それが「永遠」の表現である。巌には神が住むという


アゼトウナ黄色輝くひとひらをいつくしむ二人ともに老いつつ・・・鳥海昭子
C__keiskeanum_2820061229アゼトウナ

       アゼトウナ黄色輝くひとひらを
             いつくしむ二人ともに老いつつ・・・・・・・・・・・・・・・鳥海昭子


アゼトウナ Crepidiastrum keiskeanum (キク科 アゼトウナ属)
アゼトウナは本州の伊豆半島から紀伊半島、四国、九州(宮崎県、大分県)の太平洋岸に分布する。
海岸の岩場に生え、高さは10センチほど。
主幹は葉をつけるだけで、株そのものは数年間生育した後、側枝を出して花をつけて果実ができるとふつう枯死する。
側枝は主幹の葉腋から出て10センチほど地を這った後上向して密散房状の花序をつける。
花期は夏の終わりから冬の初めまでで、頭花は黄色。画像は徳島県海部郡日和佐町で撮影した。
澄んだ青い海に面した崖地には、本種やシオギクの黄色い花が彩りを添えていた。
(文は森定伸氏による。写真は別のもの)

四国遍路で辿る山道の側には、四季それぞれに、さまざまの野草が咲いているが、多くは私の名も知らぬものである。
このアゼトウナの花は、たまたま名前が判ったもので、記事にしてみる気になった。

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写真②が花を拡大したものだが、写真の様子からして野生のものではなく、栽培されているものらしい。
アゼトウナは漢字で書くと「畔唐菜、畔冬菜」となるように暖地ならば冬でも花をつけるので、この名がついたと思われる。
アゼトウナの花言葉は「変わらぬ愛」という。鳥海さんの歌は、この花言葉を巧みに取り込んで秀逸である。
ネット上に載る読売新聞の記事を引いておく。 ↓
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海上の道の要衝に初冬の輝き
 淡路島の南に浮かぶ周囲10キロの沼島(ぬしま)。国生み神話の「おのころ島」ともされる島は、源氏方の水軍の拠点になるなど時代を通して海上の道の要衝だった。
タブやシイなどの照葉樹に包まれた海沿いの道は、ツワブキやアゼトウナなど初冬の花で黄金色に彩られていた。

 対岸の土生(はぶ)から船で10分、港が近づくと八幡神社の背後の木々に覆われた小山が迫ってくる。上陸するとすぐに石段を上がり社の右手から森に入った。
草やツルをかきわけて進むと、スダジイやタブなど照葉常緑樹の大木が現れる。
その中に根元近くから五つの幹に分かれ、それぞれが高く広く伸びるホルトノキがあった。
大人が手をつないで11人分の根回りを持ち「八又」と呼ばれている巨木に違いない。
大きさに圧倒されていると、暗い森に真紅のヤブツバキの花が一つ二つと咲き始めていた。

 沼島小学校の校長でもある宮司の沼津知明さんは「樹齢800年の木もあるとみられ、神体山として人の手が入っておらず、島の元々の自然が残されています」。
タブやホルトノキのまとまった林は淡路本島では見られないという。沼島では自然の条件に加えて、原初の島の神域の森を守ろうとする気持ちが強かったのだろう。

 厚い森を突っ切るのは無理なので、港に戻って海を見下ろしながら島を一周できる道をたどった。
島の西側から山道を登ってイザナギ、イザナミの二神をまつるおのころ神社に参り島の東側に出た。
南西に四国、東には紀伊半島の対岸を遠望しながら快適に歩くと、切り立った崖の上の斜面にツワブキの群落が広がっている。
深い黄色の花と、つややかな丸い大きな葉は空と海の青さによく映える。

 林の中にはヤツデの丸い白い花もよく目に付く。
ツワブキもヤツデも庭にひっそりした感じで植えられていることが多いが、海岸近くで見ると鮮やかな表情で花を開いている。

 変化の続く崖や岩礁の間から上立神岩(かみたてがみいわ)が見えてきた。海の中から垂直に突き出した岩は遠くからでも目をひき、神秘的だ。
道沿いに岩場が続き、その岩壁をはうようにして黄金色のアゼトウナの花が広がっている。
ツワブキと同じキクの仲間だが、他の植物が育たない岩のすきまに根を伸ばして密集する様はたくましい。
南淡町教委の藤平明さんらの調査では、この花が見られるのは兵庫県でも淡路島の南側海岸と沼島に限られるという。

 もう一度登り道をとって「山の神」と呼ばれる山ノ大神社に上がる。朱色の小さな鳥居が参道に沿って続き、「海上安全」「四季豊漁」など漁業者が祈願している。
この社の宮司でもある沼津さんによると、かつてここで灯明がたかれて舟の目印にしたそうで、「山の神」が魚業者の信仰を集めていたこともうなづける。
山といっても標高100m少しだが、島の東端のここまで来ると紀州の陸地も随分近くに見える。

 常緑樹の緑の中にハゼの紅葉が混じる山道を下り、沼島の歴史にくわしい神宮寺住職の中川宜昭さん(67)を訪ねた。
「古事記や日本書紀に書かれたおのころ島がどこを指すかは淡路島でもいくつか説がありますが、海洋民族が島伝いに移動する時、まず小島に拠点を築くとされています。鉄器を携えた海人族が淡路島より前にまず沼島に渡り、その原風景を語り伝えて記紀に留めたのではないでしょうか」というのが中川さんの考えだ。

 おのころ島の場所は別にして、深い照葉樹林や印象的な海岸地形を見ると、この島には一小島にはない特別なものが詰まっている気はする。

 長く中学教師を務めた中川さんには一つの思い出がある。
中学生の時荒れていた教え子が大人になって沼島に来て「先生、ここで釣り糸を垂れていると自分を見つめ直すことができるな」と話したことだ。
「それまでのしがらみを捨てて渡り、再生して帰ることができる場所に沼島がなるのでは…」と中川さんは感じている。

(小泉 清)
(2004年12月06日 読売新聞)
 よみがえる梶原景時と沼島水軍
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歳時記に当ってみたが、「アゼトウナ」の花は載っていなかったので句を引くことが出来ない。
ご了承を。






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