FC2ブログ
K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
202001<<1234567891011121314151617181920212223242526272829>>202003
第21回NHK全国短歌大会・近藤芳美賞入選「さるすべり」15首・・・西村美智子
西村_NEW_0001

     第21回NHK全国短歌大会・近藤芳美賞入選「さるすべり」15首・・・・・・・・・・西村美智子

掲出した画像で読み取れると思うが、先日開催された第21回NHK全国短歌大会の「近藤芳美賞」15首連作の欄で、友人の西村美智子さんが入選した、と知らせて来られた。
おめでとうございます。
西村さんは京都の鴨沂高校に在学中に、後に短歌結社「未来」になる前の短歌会「ぎしぎし」で短歌を学びはじめられた。
小説を書いておられたが、その会も解散し、今は「塔」の会員である。
先年来、難病に罹り闘病中で車椅子生活を強いられておられるが頭脳は明晰で、今回のような賞を得られるなど活躍しておられる。
ここに、ご披露してお祝い申し上げる次第である。

西村美智子歌集『邂逅や』などの著書 ← があるので、クリックして、ご覧ください。

この記事をご覧になった人から下記のようなコメントが寄せられたので披露しておく。   ↓
---------------------------------------------------------------------
もっと詠え、ものがたりうた

1947年頃だったか、歌作りを教えて下さった府一高女の教師出崎哲郎の病室の片隅にひっそりと坐っていた小柄な女学生がいた。
出崎は若くして亡くなったが、その頃、近藤芳美ありと戦後の新しい短歌運動の旗手として聞かされた名前の賞を、あれから70年経って獲得、
良くぞ貪欲にその道ひとつ求め続けてきたものと賛美するほかはない。
この15首、ああ、まさにものがたりうた。
8歳の頃の屈辱とかなしみ、そしていまを生きる老女ひとりの感慨。
そのまま素直に平明に歌われ,シナ兵刺殺の自慢話をする訓導の話に泣き、宙天にどろりと昏い太陽の下で8歳のわれは砂場に立たされており、あの夏から80年が過ぎ去って米寿を迎え、デイケアでは特攻だった老人が去ったあと、戦争のはなしは途絶えてしまったとのこと。
彼女の紡ぐ物語は、同世代のぼくにはそのまま素直にあったであろう姿がまざまざと流れ込んできて重なり合い、まさにこの自分史、な忘れそ、と歌い終わっていよいよ美智子は世に認められたのか、いや、世に残るよ残すべきだぞこの歌は、とこの上もなく胸が高鳴り、嬉しかったよ。北摂の片隅から遥か仲町台へ愛の言葉を贈る。

2020/02/28(金) 北摂の遊閑人



東風ふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ・・・菅原道真
1202-5.jpg

     東風(こち)ふかばにほひおこせよ梅の花
         あるじなしとて春な忘れそ・・・・・・・・・・・・・・・・・菅原道真


今日は2月25日である。この日は菅原道真の命日として、古くは寺子屋などでも絵像を掲げて礼拝したという。
関西では、今も、この祥月命日だけでなく、毎月25日を「天神さん」の日として天満宮にお参りにゆくのは勿論、縁日が出て賑わうのである。
因みに、21日は「弘法さん」の日と言って、空海の忌日で京都の東寺境内ではお参りだけでなく、賑やかな縁日(露店)が出る。骨董品の掘り出し物があったりする。
毎年、1月には初天神、初弘法の日として、一段と混雑する。また12月は、終い(しまい)天神、終い弘法として、一年の無事を感謝し、来年への期待を願うのである。
しめ飾りなどの正月用品も、ここで買う人が多い。
---------------------------------------------------------------------------
mitizane2.jpg

Hyakuninisshu_024.jpg

菅原道真は平安初期の詩人、文章博士。右大臣の位にまで昇ったが、摂関家藤原一族の讒言に遭い(901年天皇の廃位をはかったという無実の讒言)、太宰権帥に左遷され、配所で死んだ。(845年-903年)
道真が梅を愛したことは有名で、この歌は太宰府の地に赴くとき、庭の梅に詠みかけた歌として『大鏡』の藤原時平伝に語られる道真失脚悲話と共に伝承する。

道真の死後、「たたり」と称する異変が相次いで起り、923年罪を取り消して本官に復し、のち993年には正一位太政大臣を贈られた。
その前から民間では祠を北野に建て、天満天神として祭られ、文道の神として今日まで崇敬を受けている。
道真は、行路の危険、唐の戦乱の様子などから「遣唐使」の派遣中止を進言し、以後遣唐使は遣わされないことになったのは、有名な話である。
--------------------------------------------------------------------------
w7Xw394TGiD4FcWulEWSpg8MVj_E0jqclr41g_2x4qT-i42X3DdARNtSIIJh0gN0gcki_uNHqRh4P7LGemmrlA__.jpg

ここは「梅」の名所としても有名で、神社の境内には何千本もの梅林がある。写真④は、その一例。
梅の花が盛りの時期は、ここ北野天満宮には多くの人が探梅に訪れる。
この梅園で採れた梅は梅干にされて来年の正月に「大福梅」の縁起物としてお参りの人に授けられる。
今日は「梅花祭」が催行され、野点などが楽しめる。

掲出の「東風(こち)」のことだが、日本の気象は、台風などの特殊な時期でない限り、西から変化する。
「春一番」「春二番」などの時期は、北にある低気圧に向かって東南風が吹き込むことがある。これが「こち」であり、この歌は気象学的にも正しいと言われている。

sandou20usi.jpg

京都北野の北野天満宮だけでなく、大阪北野の天満宮など、天満宮、天神社は全国に5000余社に及ぶ。私の住む青谷村にも中天満宮、市辺天満宮と2社もある。
天満宮は、牛が神のお使いとして社頭にうずくまる。
---------------------------------------------------------------------
この歌の結びの「春な忘れそ」のことだが、ご存じのない方のために解説しておく。
「な・・・・そ」という文章の構成法があって、この場合の意味は「春を忘れてくれるな」ということである。
「な」と「そ」で或る動詞を挟むと、その動作を「禁止する」意味を表す。「どうか・・・してくれるな」という意味の強い「結び」の詩句が出来上がるのである。
だから、この歌のように、強いメッセージ性あふれる詩句となるのであった。
「な・・・そ」に挟む動詞は連用形(カ変、サ変動詞は未然形)にする必要がある。
応用として一例を挙げる。「私の傍を離れずにいてほしい」という意味の場合「わが傍な離れそ」というような具合になる。
ただし、これは「文語」の場合だけであって、現代の口語には一切使わない。


copyright © 2020 Powered By FC2ブログ allrights reserved.